予約が取れない 2

さて、続き。

毎日、毎日試しても電話では予約が取れないので、
「これはもう直接行くしかあるまい」と、予定通り木曜の朝8時前に
診療所に行き、入り口前に陣取った。
診療所が開くのは8時半なのだが、早めに行って順番待ちをしないと
近い日にちの予約が取れない、あるいは「今月はもう一杯です」くらいの
ことを言われて、来月回しにされてしまうのではないかと危ぶんだからである。

が、そうして朝もはよから並んだにも関わらず、
実際に診療所が開いて、当人のL君ともども受付で、
「家庭医はいないが、診てもらいたい」と申し込むと、
「電話予約なし、家庭医なしの人は診ない」とけんもほろろ。
だから、その電話予約が取れないからこうして直接出向いたのだと言っても
とにかく通常、この診療所に家庭医のいない人は診られない、とのことで
ただし来週の木、金なら家庭医のいない人でも診る。
電話で予約を取って下さいと日にちを書いたメモをくれ、
ついで、あるいは隣町の病院でもよければ、
この番号に電話すれば予約が取れる可能性がある
と別の小さいチラシをくれた。

くれはしたが、とどのつまり、どちらも電話による予約が必要ということは
つまり元の木阿弥、振り出しに戻って、電話でピッポッパを再開ということである。
その埒の明かなさはすでに十分経験済みだったので
他を試そうと、まだ朝が早いのを幸い、前日お散歩マダムの一人が
「あそこなら家庭医なしでもだいじょうぶ」と紹介してくれた
病院横の診療所に行ってみることにした。
が、ここでも「予約なし、家庭医なしの人は診ない」と、
冒頭の診療所同様のつめたーいお返事。
どうやらマダムの情報は古かったらしい。

まったくこれでは家庭医のいない病人は、座して症状悪化を待ち
救急で病院に担ぎ込まれるしか、診療してもらえる見込みはないかのようである。
あるいは私費のクリニックに行くか。

事実、先日会った雪だるまの親戚の一人も、生粋のケベッコワーズだが
別の街から今の街へ昨年引っ越してきたばかりなので家庭医がいない。
家庭医を頼みたくても、どの医師も手いっぱいで
新規の患者は受け付けてくれない、と嘆いていた。
しかも、知り合いに聞いても同様の状況の人は珍しくないそうで、
だから彼女の近所では、私費の(日本でいうなら自由診療の)
クリニックに行く人が多いそうである。
彼女が住んでいる街は、生活に比較的余裕のある人たちが多い区域だから
それでもよいが、一般的に私費のクリニックは年会費(約400~600ドル)
が必要なうえ、1回の診療に100ドル前後かかる。
普通の人が気軽に払えるような金額ではない。

となれば、仕方ない。
いつ予約が取れるかわからないが、また電話でピッポッパを再開である。
うちの町の診療所は前日の午後6時から、
隣町の病院は当日の朝4時45分(!)から電話受付開始ということで
「朝5時前に受付開始って、どういうことよ?」と思いつつも
土曜の朝、寝ぼけ眼でまず隣町の病院から試してみると、
これがなんと空きがあると言う!
私は自分の耳が信じられなくて、録音を2、3度繰り返して聞いてしまった。
そして急ぎメールでL君に連絡すると、まだ寝ていなかったL君から
折り返し電話が来て、その日の昼、一緒に隣町の病院へ行くべく約束した。

そして無事、医師に診察してもらえたのだが、
色々と検査をしてみないことには診断は下せないということで
その日は診察と採血だけでおしまい。
一応鈍痛があることを訴えたのだが、鎮痛剤の処方もなし。
L君は診てもらえてほっとしたようだし、こちらもまあ少し安心したが
どこが悪いのかはいまだわからず、今はただ腹部の超音波検査と
胃カメラによる検査の日程連絡を待つ日々である。

L君からは早速翌日の夜に「病院から連絡は来た?」と問い合わせがあったが
なんの、なんの。この辺の病院の諸検査日程は常にぎっしり詰まっており
実際に検査を受けられるのは、早くても医師による申し込みから1、2週間後。
検査によっては3、4週間待ちもざらである。

L君は「中国なら、朝行って検査して、午後には結果がわかるのに・・・」と言うが
ここはケベックなのだ。診察も検査も手術も、患者が病院で直接費用を払う
必要はない代わり、順番待ちの時間は長い。
米国みたいに基本的に自力更生、一部を除き国による保険制度はなくて
いったん重い病気に罹ったら、高額の医療費に破産もあり得るなんてのも困るが
順番待ちしている間に死んでしまうのも困る。
日本のように、一部自己負担付き皆保険制度というのは悪くない制度だと思うが
それにも問題がないわけではないし、どの制度も一長一短、
どれがいいというわけでもないのだろうか。
ただ自分が何の病気かわからず、じっと待たねばならないのは辛い。
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予約が取れない

4、5日前から知り合いのために診療所の予約を取ろうとしているのだが
これが掛けても掛けても「誠に申し訳ありませんが・・・」で始まる
予約一杯の録音テープが流れるばかりで(しかもイニシャルだの姓名だの
医療カードの番号だの色々な情報をさんざん入力させた後で、これが流れるのだ。
んなら、最初から“明日はいっぱいです”と言え!、と言いたくなる)、
「×日×時に空きがあります」という応答は全く出てこない。
一昨日からはその録音テープすら流れなくなり
「予約依頼の電話が非常に多く混雑を極めていますので
××のサイトへ行って、近隣で空きのある診療所をお探しください」
になってしまった。

なので一応サイトに行って、「空きがあったら連絡してくれ」と
こちらのメルアドを残しておいたのだが、
そうしたら翌日私たちがジムに行って留守の間に
「本日午前11時10分から12時10分の間に、あなたの住所から20㎞以内の
診療所に空きがあります。このメールは他の17人の人にも送られていますので
診療をご希望の場合は、急ぎご連絡ください」というメールが入っていた。
同メールを見た時にはすでにその“空き時間”とやらを過ぎていたし
第一、その診療希望の当人はその日仕事に出ており
そんな2時間前に急に言われたって、「すみません、ちょっと病院いってきます」と
職場を抜け出すわけにはいかないのだ。というわけで、没。
翌日また電話でピッポッパに戻ったが
予約はいまだに取れていない。

まったく、いつものことながらケベックの医療制度における
診療予約の難しさには、ほとほどうんざりさせられる。
たとえ家庭医がいても、予約が取れるまで2、3日待つことはざらだし
上記の診療希望者のように家庭医がいないとなると
予約を取るのは実に至難で、電話ではほとんど不可能なんじゃないかと
思いたくなるくらいである。(今日で5日連続空きなし)

もちろん直接診療所に行って待つ、という手はあり
今日もだめなら、明日は当人の週一の休みに当たるので
二人で早朝から並んで、なんとか潜り込ませてもらうべく
努力してみるつもりではいる。
直接行ったからといって予約が取れるとは限らないのだが
試してみないわけにはいかない。
何しろ当人、ここずっと腰痛とか脚のむくみとか種々の症状に悩まされており
何か深刻な病気なのではないかと、毎日びくびくしているというのだ。

というのも、彼の母親が2年前に肝臓がんで亡くなっており
その彼女が生前訴えていた症状と、今の彼の症状がよく似ているので
ついつい「もしや?」と考えてしまうらしいのだが、彼はまだ20代半ば。
肝臓がんである可能性はそう高くないと思うので
そんなにむやみに心配するなと言っているのだが
ずっと母一人子一人で育ち、その母に逝かれてしまって
その後結婚はしたものの、奥さんはまだカナダのビザが取れず
中国に残ったまま。
母の夫だったN氏(ケベッコワ)の家に同居してはいるが
N氏は中国語がわからず、彼のフランス語はまだまだなので、
意思疎通はあまりうまくいっていない。
そんなこんなで、頼ったり相談したりできる人が身近にいない上に
体調が悪くなってきたので、よけい心細さが増しているのだろうが
痩せても枯れても中国男児、男子漢、
「一人で病院に行くのは不安だから一緒に行って」なんて
小学生じゃあるまいし、もちっとしっかりせえよ、と言いたくなるのだが
生前の母君から「息子をよろしく」と頼まれているので
突き放して「ひとりで行け!」と言うわけにもいかない。

というわけで、明日は一緒に行く。
上手く予約が取れるといいのだが。

布地屋さん

クロスステッチにしろハーダンガーにしろ、
刺繍したものを小物に仕立てる時には裏地が必要で
しばらく前から様々なオンラインストアを覗き歩いていたのだが
なかなか気に入った布がない。

服の裏地ではないから、すべりのいい無地である必要はまったくなく
むしろ綿か綿混紡の面白いプリントの生地、
表地とは対照的な色柄の、インパクトのある生地がいいなあ、と思って
あちこち見て歩くのだが、どれも今ひとつ。
なかなか私好みのポップな生地は見つからない。

大部分が服地かカーテンなどの室内装飾用、あるいはキルト用なのだし
マスマーケットを対象にしている以上、売れ筋ばかりの無難な品揃えになるのは
致し方ないところだとしても、どこを見ても同じような退屈な生地ばかりで
妥協してさえ欲しいと思える生地がないのにはまいった。
そしてネットの上で時々見かける楽しい生地は、
みな一体どこで手に入れているのだろう?
大きな街の大きな布地屋さんとか、デザイナーズショップとかに行かないと
ないのかなあ、と諦めかけていたのだが
ある日ふと“best online fabric stores”か何かで検索したら
「このサイトの利用には注意が必要。見始めるとハマって時間を忘れます」
みたいな注意書きをされたサイトがあって、「なんだこれ?」と行ってみたら
思わず「うおお!」

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はなから私好みのちょっと変なプリントが目白押しで
それだけでも狂喜乱舞の大興奮なのに、
その上デザインの数が半端でない。
たとえば“sheep”で検索すると、全23ページ、
計1800以上のデザインが出てくるのだ。
中には同じデザインの色違い、あるいはモチーフのサイズが違うだけ、
というのもあるが、それにしても1000以上のデザインがあるのは凄い。
しかもみんなちゃんと“ひつじ”模様なのだ。

好みのデザインを探す検索語も詳細を極め、
たとえば動物だったら、森の動物、家畜、ペット、海の動物等々に枝分かれし
そこからまた熊、鹿、狐、リスなど個々の動物に枝分かれしていく。
この検索語がまた楽しくて、たとえば Style → Histrical で絞り込んでいくと
中世、ゴシック、ロココ、ヴィクトリアン、アールヌーヴォーからアールデコ、
50~60年代モダン、ついでにスティームパンクまであって、
それぞれそれっぽいデザインが次から次へと出てくるので
見ていてほんとに厭きない。

国別もあって、Japaneseで検索すると、正統和風柄から中国、日本がごっちゃになった
キッチュな柄まで、これまた呆れるほどたくさんのデザインが繰り出される。
古い日本のマッチ柄なんて、他では絶対お目にかかれないデザインである。


  これ

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懐かしのぬりえ柄もあった

nurie.png


もっとも、フランス風のシックなデザインを期待して“French”をクリックし、
出てきたのが“フレンチ”ブルドッグとか、“フレンチ”フライをフューチャーした
ポップなデザインだった時には、「あれま・・・」と思わず吹き出してしまったが。

たしかに“フレンチ”ではあるのだが・・・

frenchfry.png


このショップ、こんなにデザインが多いのは、個人が自分がデザインした柄をアップロードし
それを布地や壁紙、ラッピングペーパーにすることができるためらしい。
そのためのデザインツールも、サイトに完備されている。
詳しく読んでいないのではっきりとは言えないが、
布地その他はオンデマンドでプリントするシステムのようで、
客はデザインを選び、布地(綿、麻、ライクラ、フリースなど20種類近くある)を選び
大きさ(5インチ角のテスト用、ファットクォーター、あるいはヤード単位)を選んで注文する。
値段はデザインに関係なく、布地の種類によって決まる。
最も基本的な綿生地なら、1ヤードUSD17.50である。
この値段が安いか高いかは、それで何を作るのか
あるいはそのデザインにどの程度惚れこんでいるのかによると思う。

何にしても「ハマって時間を忘れるので注意」の警告は正しかった。
私はこのサイトを発見して以来、ずっとサイトを開きっぱなし。
暇を見てはサイトに飛んで、あれこれのデザインを眺めては
「きゃー」だの「かっわいー」だのの嘆声を発して、ハートマークを増やしている。

そして眺めているだけではつまらないので、
先日ちょうどファットクォーター半額セールだったのを幸い、
6デザインばかり注文してみた。
うち1枚はこれで、ぜひこれをこのまま使って、
ごくシンプルなトートバッグを作りたいと思っているのだが
うーん、うまくいくかなあ。
私、ミシン下手なんだよなあ。


真剣に読書している動物たちがかわいい

animalb.png

Canning

ここに来た翌年の春、叔父さんが持ってきてくれた4株のルバーブは
年ごとに大きくなり、5年目を迎えた今年は、1回の収穫量が2㎏を超えるようになった。
こうなると、ジャムにした後ふつうにタッパーに入れておいたのでは
いくら冷蔵保存しても、カビが生える前に食べきるのは難しい。
ことに私はルバーブの酸味が十分残っている甘くないジャムが好きで
ルバーブの重量の1/3弱の砂糖しか入れないので、なおさらである。

で今年は思い立って、canning というのをやってみることにした。
canning を辞書で引くと、「缶詰化」とか「缶詰製造」となっているが
もちろん家庭でブリキの缶を使った缶詰なぞが製造できるはずもなく、
(できるものならやってみたい気はするが)使うのは缶ではなく瓶。
幸いうちには、叔母さんたちが手製のジャムやピクルスを入れてくれた
メイソンジャー(金属製の蓋付きのガラス瓶)がいくつかある。
ほんとは返さなくてはいけないのだが、その後会う機会がなくて返しそびれているもので
まずはこれを使って試してみようと、さっそくネットで検索するやら
YouTubeを見るやらして基本的なやり方を頭に入れ、一応その通りにやってみた。

ピクルスの場合は知らないが、ジャムの場合は以下のとおりである。
1. ガラス瓶と蓋を煮沸消毒する
2. 出来上がった熱いジャムを、その熱い瓶の中に入れる
3. 蓋をかぶせ、ねじ蓋を軽く締めて、瓶を湯の中に入れる
4. 湯の深さは、瓶が完全に隠れる程度。(蓋の上1インチ)
5. 煮立ってきたらタイマーをかけ、13分加熱
6. 瓶を取り出して、冷ます
7. 冷めるとともに、瓶の中から空気が抜ける“ぺこん”という音がすれば密封完了

ということなのであるが、ジャムを詰めた瓶を湯の中に戻す段になって
はたと困った。
うちには瓶が完全に隠れるほどの深さの鍋がないのである。
ことにその時は2㎏のジャムを煮るために、手持ちで一番大きい鍋を使ってしまっていたので
残っているのは瓶を3つ入れれば一杯になるくらいの片手鍋だけ。
これでは頭が出てしまうと思ったが、ないものは仕方がないので
温泉よろしく首までの湯の中にジャム瓶を入れ、
指定の時間、加熱してみた。
そしてその後、カウンターに置いて冷ましてみた。
するとしばーらくして、“ぺこん”という音がしたので、
どうやら首までの湯でもだいじょうぶらしいと了解。
なんだ、簡単じゃん、である。

こうなると面白くなって、その次は自分でメイソンジャーを買ってみた。
瓶はその辺のスーパーで普通に売っていて、
250ml、500ml、750mlと大きさはいろいろだが
どれも1ダース10ドル以下で買える。
1個1ドルもしないのに、落として割りでもしない限り何度でも使えるのだから
なかなかにお得である。

ついでに中古屋と蚤の市を探し回って、直径30㎝、深さ22㎝の大鍋も
10ドルで手に入れた。
この深さなら、瓶は完全に湯の中に沈むはずである。
で先日はこれらを使って瓶詰め作業に勤しんだのであるが
瓶が湯の中に完全に沈んでいると、普通のトングでは瓶がすべって
なかなか取り出せないことを発見。
あれこれ試しているうちに、ばしゃりと湯が腕に撥ねかかり
うっすらと火傷してしまった。
うっすらのくせに火傷はなかなかに痛くて、少し涙目。

おまけにそんなこんなで、お義父さん用に甘みを強くしたジャムが
1瓶あったのだが、それがどれだかわからなくなってしまい、
印をつけるつもりで忘れた自分の馬鹿さを呪うはめになった。
鍋の中では“これ”とわかっていたのだが、取り出す段のどさくさで、
ウチ用の砂糖1/3弱ジャムの瓶と、お義父さん用の砂糖1/2強ジャムの瓶が
完全に混ざってしまったのだ。
なにしろ1ダースまとめて買った瓶なので、姿かたちはどれも同じ。
中身のジャムにしたところで、砂糖の多寡で色が変わるわけでもなし
外からは区別がつかない。
と言って、せっかく密閉したのだから、開けて舐めてみるわけにもいかない。

仕方がないので、取り出した位置関係から見て、
お義父さん用である可能性が一番高い瓶のフタに「たぶんこれ」と書き、
その次に高い瓶のフタに「でもこれかも」と、日本語で書いておいた。
お義父さんにはまだ上げてないのだが、もし外れていたら取り換えるまで。
他に仕様はない。

というわけで、canning には、それ用のトングが必須と実感。
昨日ダラーストアに買いに行ったのだがなかったので
次回の買い物の際、ホームセンターあたりで探してみるつもりである。
中古屋にもあるかもしれないが、こういうものはしっかりした新品の方がよさそうだ。
蝶番の緩んだ古いのを買って瓶を取り落としたのでは、元も子もないし
もう一回やけどするのもいやである。
いくら熱つ湯好きの日本人でも、100度の熱湯を浴びるのは好みではない。


   メイソンジャーいろいろ

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   大鍋とトング

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広口の漏斗もあった方が便利

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図書館

  • 2017/07/02 10:29
  • Category:
ところで、私は最近、図書館に行くことを覚えた。
日本にいた頃は、学生時代も社会人になってからも、
それこそ毎日のように通い
(大学時代は学校からちょっと坂を下るとそこが図書館だったし、
就職してからも職場から図書館は大変近く、昼休みにひょいと行けた)
本屋同様、そこにいるだけで幸せだった図書館だが
外地に出てからは、図書館に行ったところで日本語の本があるわけではなし、
外国語の本では何しろ読むのに時間がかかるし、
語の意味など書き込みをしたりもするし、
そうなれば読みたい本は買って読むしかないので
香港では歩いて5分のところに図書館はあって、しょっちゅう前を通りはしたが
結局一度も中には入らず、ケベックに来てからも、うちから車で7~8分、
自転車で15分、歩くと45分(!)のところに図書館があるのは知っていたが、
過去5年間、一度も足を踏み入れたことはなかった。

が、今年になって、お散歩マダムの一人から
何、まだ図書館に行ったことがない? あそこには本だけでなく
雑誌やCD、DVDもあるし、絵画展などしょっちゅう何かのイベントもしている。
本を読むのは大変でも、雑誌なら見て楽しめるだろう。
ぜひ行け。免許証か保険カードがあれば、カードを作るのは簡単だ。
そうだ、月1くらいで映画の上映会もある。場所は・・・等々と熱心に勧められ、
そこまで言われては、義理と礼儀上、とりあえず1回くらいは行かずばなるまい。
行かずばなるまいがしかし、私に読める本、10日なり、2週間なりの貸出期間中に
読み上げて返せる本なんか、ありますかいな?
いくら簡単でも、子ども用の童話なんか読みたくないぞ、と
行かずばなるまいとは思いつつも二の足を踏んでいたのだが
ある日ふと思った。
そうだ、図書館には手芸本があるに違いない! 

私は最近ハーダンガー刺繍を始め、
特にそれにクロスステッチを組み合わせるのが面白くて、あれこれ試しているのだが、
いかんせん、なかなかよい参考書がない。
もちろんネット上にはうっとりするような作品の写真がたくさんあり、
刺してみたいと思うものもたくさんあるのだが、
たいていの場合チャートまでは載っていないので
ハーダンガー部分はともかく、クロスステッチ部分の色の識別に悩む。
片目で見ているので、似たような色が隣り合っていると
疲れるに従い、いくら拡大しても区別がつかなくなるのである。

が、本なら(ふつうは)チャートが載っている。色番号も載っている。
悩まなくて済む。
それに、小説ではフランス語がわからなくては話にならないが、
刺繍の本なら刺し方なんか全世界共通、
写真とチャートさえあれば、説明部分がわからなくてもぜーんぜん困らない!


で、ある天気のよい土曜日、自転車に乗って、いそいそ出かけた。
そして手芸本コーナーで、しばらく前から買おうかどうしようか迷っていた
クルーエル刺繍の本のフランス語版を見つけ、
ついでにハーダンガーの本も複数見つけて、
ほくほくしながら、そのうちの2冊を借りてきた。
係の人の説明によると、1人10冊まで借りられ、貸出期間は約1か月だそうだが
まさか一度にそんなにたくさんは要らない。

ついでに、その時はちょうど水彩画の展示をしており
それを描いたアーティストも会場に詰めていて、
長閑な土曜の昼下がりのこととて、絵の番をしながら編み物をしていらしたので
他に鑑賞者がいないのを幸い、彼女と1時間以上も絵や手芸の話をした。
当地には珍しく英語を話す人だったのである。
(フランス語だったら、「すばらしい作品ですね」「それはどうも」と
会話は20秒で終わり)

彼女とはその次に行った時も会ったが、
その時は他に熱心な鑑賞者がいたので、邪魔せず帰ってきた。

当町の図書館は、ざっと見たところ蔵書数はさほどではないが、
ソファが置かれた閲覧コーナーや、子供たち用のコーナー、
喫茶室などもあって、ゆったりと明るく、感じがいい。

以来、味をしめて10日に一遍くらい、自転車で出かけている。
この前は手芸本の他に『Maisons du Maroc』というモロッコの家、
庶民の家ではなく、ホテルや建築家の家など豪壮な邸宅ばかりを写した
写真集を借りてきた。
鮮やかな色彩と精緻な幾何学模様の連続、
圧倒されるほどの量の装飾がちりばめられた部屋部屋に目がくらみそうで、
よほど強靭な神経でなければ、こんな家には住んでおられまいと思ったが
旅先での一夜なら、あるいは数ある部屋の中のひとつだけなら
こんな装飾も面白いかもしれない。
なんだかちょっと、モロッコに行ってみたくなってきた。


装飾模様を見ていると目が回りそう

maroc 1


この光と色の氾濫の中で、くつろぐ?

maroc 2

『Le cas Sneijder』

  • 2017/06/24 03:54
  • Category:
私が今フランス語の本を読むのは、日常生活で使えそうな語彙と表現を
頭に入れるためで、だからその部分が豊かであるなら内容は二の次、
話が面白くても面白くなくても、興味のある主題でもそうでなくても
どうでもいいようなものだが、そこはそれ、生身の人間、
しかも私という、どちらかといえば好き嫌いの激しい人間が読むのであるから
やはり“何でもいい”というわけにはいかない。

どうせ手間暇かけて読むなら、興味を惹く内容で、話が面白く、
その上さらに使われている語彙や構文が、初級の私でも何とか付いていける程度なら
願ったり叶ったり。それ以上望むところはないのだが、
実際問題としてそういう本を探し当てるのは、なかなかに難しい。

長年読み慣れている日本語の本なら、たとえ読んだことのない作者の本であっても
その装丁や帯の惹句、パラパラと拾い読みした文章の感じなどから
好みの本かそうでないか、即座に判断できるのだが
フランス語の本では、そうはいかない。
(大御所は別として)馴染みのない作家名、イメージの湧かない出版社名の連続で
軽い本なのか重い本なのか、古典的なのか奇をてらった新しモノなのか、
鼻が、まったく利かない。

なので自然、信頼できる方のお薦めや、どこかで読んだ書評などの
獏とした情報を頼りに本を選ばざるを得ないのだが、
そうした中でたまに自分の好みにぴたり当てはまる本に出合えると、
文字通り欣喜雀躍。うれしさに、手の舞い足の踏む所を知らず、という感じになる。

実は今読んでいる Jean-Paul Dubois氏の『Le cas Sneijder』がそれで
今までは苦役だった2日に1回の音読が、近頃は“お楽しみ”に変わった。
もともとはこの本をベースにした映画『La nouvelle vie de Paul Sneijder』を見、
それが大変面白かったので、原作を読みたくなって注文したのだが
これが大当たりだった。

主人公のポールは60歳で、妻アンナの転職に伴って
トゥールーズからモントリオールに移住した。
支配的で野心的なキャリアウーマンであるアンナとの間はすでに冷え切り、
アンナのクローンのような双子の息子にとって彼はいないも同然の存在、
彼の唯一の愛情と関心の対象は、前妻との間に生まれた娘マリーだったのだが
そのマリーは、休暇でモントリオールに滞在中、彼と共にエレベーター事故に遭い、
亡くなってしまう。
同じエレベーターに乗り合わせた5人のうち、生き残ったのは彼だけで
小説はコーマから覚めた彼の独白で始まる。

正直に言って、この小説で使われている語彙や構文は私には難し過ぎ、
知らない単語が1ページに付き20個くらいあるし、
わからない単語を全部調べた後でも、Google translate の助けを借りないと
文章の意味がいまいち判然としなかったりするのだが
それでも彼のスタイル、内省的でややシニカルなものの見方、
微かなユーモアなど、読んでいて実に楽しく、単語調べも苦にならない。

残念ながら日本語訳はまだ出ていないようだが、
フランス語を読むのが億劫でなければ、
そしてこの手の、やや持って回ったような綿々と続く文章がお嫌いでなければ
この本はお薦めである。

ところで本題とは関係ないが、この本の最初の方に
暖かい南仏のトゥールーズからモントリオールに移住した主人公ポールの
ケベックの気候に対するコメントが述べられていて
それが常日頃わたしが感じているのと全く同じで、大笑いした。
彼は「À dire vrai, je ne me suis jamais habitué à l’hiver d’ici,
ni davantage à la brièveté des autres saisons.
(拙訳:本当のところ、私はここの冬にも、他の季節の短さにも、
どうしても慣れることができなかった)」と言っているのだが
ほんと、ここは冬ばかり長く厳しくて、他の季節が泣きたくなるほど短いのだ。
印象では、春と夏と秋が3週間ずつで、あとはずうううううううっと冬。
おかげで花の咲いて散るのが早いこと!
私はゆっくりと過ぎていく、日本の春と夏と秋が、少し懐かしい。

どうせならもっと人の役に立つ職業に就くがよろし

  • 2017/06/14 11:33
  • Category: 雑記
先週の水曜、いつものようにネットで調べ物をしていたら
突然、画面いっぱいに「あなたのコンピュータ内に、ゼウスウィルスが発見されました。
このウィルスはコンピュータ内のデータやソフトウェアを破壊する可能性があります。
コンピュータをシャットダウンしてはいけません。すぐに下記のマイクロソフト・サポートセンター
(通話料金無料)に電話してください」というポップアップが現れた。

「はあ?」と思って、一応そばにいた雪だるまに見せると
「電話しろというのだから、マイクロソフトに電話してみなさい」という。
英語で、あまりよくわからないコンピュータ用語を聞きながらやりとりするのはめんどくさいなあ
とは思ったが、PC内のデータがなくなったり、壊れたりするのも困るので
仕方がない、指示された番号に電話した。

すると、南アジアなまりの英語を話す若い男の人が応えて
「どうしました?」と聞くので、PC内にウィルスが発見されたというメッセージがポップアップした。
マイクロソフトのサポートセンターに電話しろというから電話したと言うと
「ではこちらからあなたのPCにアクセスし、問題を調査して解決法を探します。
アクセスするためにはあなたの許可が必要ですので、これからこちらが言う通りに
コンピュータを操作してください」と言って、ウィンドウズ・ロゴ+r から始まる一連の操作を
次々とこちらに指示してきた。

私は聞き取りにくい電話の声を聞きながら、わけもわからず相手の指示のまま
コンピュータを操作するという作業の面倒くささと、
コマンドの羅列で自分が一体何の操作をしているのか皆目わからないという、
目隠しされたまま迷路の中を引き回されているような心許なさに相当苛々し、
「こんな作業は英語ネイティブで、しかも私よりは余程コンピュータに詳しい雪だるまに
代わってやってもらいたいものだ」と思ったが、
生憎ちょうどお義父さんたちが「こんばんはー!」と訪ねて来て、
私に代わってPCの前に座ってもらうわけにもいかない。

そうこうする間にも、電話の相手はこちらを煙に巻くかのように画面にさまざまなタブを表示し
そのうちの一つはウィルスアタックの履歴で、それによると我が愛しのPCは昨日以来、
ほとんど分刻みでアタックを受けていて、そのあまりの数の多さにほとほとげんなりした私が
「つまり、PCショップとかでクリーニングしてもらわない限り、私はPCを使えないわけですね?」と言うと
電話の相手は、「いいえ、街のPCショップではだめです。この状況を解決できるのは、
公認のオンラインエンジニア(つまり彼だ)だけです」と言い切り、その料金を提示してきた。

それによると、クリーニング料金はUSD149.99、ついでに私のPCには全くアンチウィルスソフトが
インストールされていないので、仮にアンチウィルスのサポートを希望するなら、
1年USD180、2年でUSD210等々。(注:この辺の数字はうろ覚え)
そう言っては何だが、結構高額である。

なんだか胡散臭くなってきたなあと、それでも一応、お義父さんたちと歓談中の雪だるまにその表示を見せると
「スペルミスだらけのひどい英語だ。マイクロソフトがこんなひどい英語を出すはずがない」と言うので
私もこれ幸いと「そんなお金はありませんから」とサービスを断った。
すると相手は「では仕方がありません」と、にわかに今まで画面に表示していた様々なタブを次々と閉じ、
あっという間に過去20分間の痕跡をきれいさっぱり消して、真っ黒な画面だけ残して消えて行った。
残された私は、ただの黒い箱になってしまったPCを前に、声も出ず。

振り返ってコトの顛末を眺めてみれば、これは明らかにマイクロソフト・サポートを騙った詐欺である。
PC使用中に「ウィルス発見!」などとポップアップが出れば、みな一応ぎょっとするし、
マイクロソフトに電話しろと指示されれば、電話する人の方が多かろう。
(ネットで本当にマイクロソフトの番号かどうか確かめようにも、画面はフリーズしているのである)
まったくよくできた引っ掛けである。

それでも英語ネイティブなら、相手とのやり取りの中で、その話し方や言葉の使い方などから
「何だか怪しい」といった嗅覚が働くだろうが、いかんせん私は非ネイティブ。
表情、態度の見えない電話で、声と話し方だけで相手の資質を判断するのは相当難しいのだ。
おかげで最後まで引っ張られてしまった。
ケチな根性が幸いして金を払うところまではいかなかったが、PCを壊されたのは大損。

翌日私はお馴染みのジミー君のところへPCの修理を頼みに行ったが
彼もそれは詐欺だろうとの意見で、騙されて彼らにサービスを頼んだりすると
また別なウィルスを植え付けられ、カード情報や銀行情報など盗まれることになりかねないと言う。

まったく、生きていくためには金が必要で、金を稼ぐためには何らかの仕事に就かねばならないのはわかるが
コンピュータウィルス詐欺にしろ、振り込め詐欺にしろ、なにもわざわざ人を騙して金を取るような職業に就かなくとも
よさそうなものを。
人を騙せるだけの話術とコンピュータ技術があるのなら、もちっと人の役に立つ職業に就き給えよ、青年!


えー、というわけで、読者の皆様、今後同様の状況に遭遇されることがありましたら
間違っても偽の“マイクロソフト・サポートセンター”などにはお電話なさらず
信頼できるコンピュータショップにご相談ください。
ちなみに今回使われたウィルスの名前は“zeus virus”でした。

今年のメンバー

  • 2017/06/05 12:04
  • Category: 動物
先日庭で、トリの卵の殻を拾った。
雪だるまに聞くと、たぶんロビンの卵だろうと言う。
言われてみれば少し青みがかっていて
なるほど毛糸の色名などで時々みかける“ロビンエッグ”というのは
ここから来ていたのかと、初めて得心。


見つけた殻は半分だけ

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この卵から生まれたヒナは、たぶん今頃どこかの庭で
ぴょんぴょん跳ねながら、虫をついばんでいるのかもしれない。
捨ててしまうのも何だか惜しいので、植木鉢の飾りにしてみた。

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シマリス、黒リス、灰色リスも、例年のとおり顔を出している。
チッピー(シマリス)のうち1匹は去年からの子らしく、呼べばピーナツを貰いに来るが
もう1匹は新しい子らしく、ヒトの姿を見ると脱兎の如く逃げ出していく。
野生動物は代替わりが早く、同じ個体が3年続けて来ることはないようだ。


これは去年からウチに来ている子

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黒リスも代替わり。
今年面白いのは、この子。
上半身と下半身で毛並みが違い、上半身はなめらかに黒いのだが、
下半身は灰色がかった毛がぽわぽわと生えている。
まるで毛皮のパンツをはいているようなので、
私と雪だるまは、彼を“パンツ”と呼んでいる。

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灰色リスは、ウチの庭にはたまーにしか来ないので、
去年からいる子か、初めての子か、そもそも判別不能。

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籠の中のピーナツを狙っているところ

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そういえば、冬の間毎日のように現れて私たちを楽しませてくれた
ねずみのラティ君は、ある日突然、姿を消してしまった。

雪もなくなってきたので、そろそろ捕まえて森に放しに行かなくちゃね、
と言っていた矢先、ふいと姿を見せなくなって、それっきり。
春の到来とともに、ご近所の猫たちがウチの庭を徘徊し始めたので
そのうちの1匹に捕まってしまったのかもしれない。

せっかくリンゴの土産でも持たせて、森に連れて行こうと思っていたのに
充分過ぎるほどのキャットフードをあてがわれてやや肥満気味、
腹は空いていないはずのこのあたりの飼い猫の餌食になったとすれば
残念至極という他はない。
あまり賢くなさそうな顔が、いかにも可愛らしかったんだがなあ。


在りし日のラティ君

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怒涛の春

あいや、10日以上もブログをさぼってしまった。
怠けていたわけではないのだが、春はどうもやることが多くていけない。
ことに庭仕事。
ブログをさぼっていた間に、恒例の芝掻きをし、
冬の間物置にしまってあった雨水桶を出してきて、新たに組み直した土台の上に乗せ
(去年、目見当で適当に土台を組んだら、左右がびっこで具合が悪かったので、
今年はちゃんと水平器を使って少し前傾気味に、しかし左右は同じ高さになるよう調整)
畑を掘り返してコンポストを入れてエンドウと人参の種蒔きをし、
ついでに畑の豊かな土に惹かれたのか、芝生がだいぶ畑の方に入り込んで来ていたので
芝生との境に芝止めを埋め込んで侵入を阻止し、
前庭に植えてあるボーダーリリーが、4年目ともなると株が増えて窮屈になってきたので
ちょっと芝をはがして芝止めを移動させ、ボーダーの幅を広げて楽に根が張れるようにし、
そうこうするうちにだいぶ暖かくなってきたので、少しずつマリーゴールドとパンジーの定植を始め、
家の側面にずらり植えられているアジサイの葉っぱが出始めていたので、芝にかからないよう柵を立て、
ユリの葉っぱを食い荒らして穴だらけにする小さい赤い甲虫と
アジサイの葉っぱを食い荒らす葉巻虫退治に毎日ユリとアジサイの株を巡回し、
5月も下旬になったので、そろそろだいじょうぶだろうと
苗屋に行ってミニトマト4株(赤、黄、オレンジ、黒)、キュウリ2株の苗を買ってきて畑に植え、
玄関先の花鉢4つに牡丹色と白のペチュニアを植え、余ったペチュニアで花籠を作り、etc. etc...

ことほど左様に、春は庭仕事が多いのである。
が、この時期を過ぎてしまえば、後は花がら摘みと定期的な施肥、水遣りくらいしかないので、楽ちん。
夏の日射しの下、元気よく咲いている花を、ぼおっと眺めて楽しんでいればよい。
ちなみに今花盛りなのは、ムスカリ。


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去年の生き残りのパンジーも、何株か咲いている。

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チューリップも咲いたのだが、ある晩、突風が吹いて、だいぶ首が折れた。
ことにアントワネットチューリップは全滅。
だいたいこれは名前が悪かったのかもしれない。
なんたってアントワネットだから、首が落ちるのも道理かも。

首折れを集めて、花瓶に生けてみた

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怒涛と言えば、この時期はサン・モーリス川も怒涛の勢い。
雪解け水を集め、岩をも砕くような勢いで流れていく。

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『Hidden Figures』

  • 2017/05/11 03:20
  • Category: 映画
こうしてケベックの田舎に住んでいると、
自分がマイノリティであることは、常に頭のどこかにある。
白、黒、黄色取り交ぜて、様々な国からの移民が通りを歩いているモントリオールや
すでに非白人の方が多数になったトロントのような大都会ならいざ知らず
この人口5万の田舎町では、住民の9割以上がフランス語をしゃべる白人で
そんな中で、黄色っぽい皮膚と平面的な顔立ちをもった東アジア系は
どう頑張っても“ビジュアル・マイノリティ”であることは免れず、
“マジョリティ”=一般住民の中に紛れ込むことはできないからだ。
喋りさえしなければ、地元民のふりをして雑踏に紛れ込めた香港
(だって何しろ同じような顔、身体つきなのだ)とは、この点、大きく違う。

もっとも、21世紀の現在では、紛れ込めないからと言って
すぐすぐ不都合が起こるわけではない。
法や建前の上では、移民だろうが、マイノリティだろうが権利は平等、
対等な立ち位置が保障されている。
学校や職場といった集団の場では、陰に陽に差別や不平等があるにしても
その差別や不平等はあくまで日陰の植物的な隠されたものであり、
白日の下に晒して、その正当性を主張できるようなものではない。

だからと言って“ビジュアル・マイノリティ”の意識の中から
自身が少数者であるという認識が消えるわけではないが、
(市民権を得ようと、数の上では多数になろうと
マイノリティはマイノリティ、その皮膚の色が、外貌がある限り
ある日突然、“差別”あるいは“区別”される対象となる可能性があるということ、
それがどんなに不当で理不尽で不合理なものであっても
青天の霹靂のように起こりうる可能性があることを
頭の隅の隅、奥の奥で、わかっているから)
少なくとも、差別を不当だと言える根拠があるだけましだ。

が、この映画『Hidden Figures』の主人公たちが生きた時代(60年代初頭の米国)は、
そんな不当な差別を、不当だという根拠すらなかった時代。
差別することが合法で、平等を要求することが違法だった時代だ。
主人公たち3人、キャサリン、ドロシー、メリーは、他の多くの黒人女性たちと共に
NASAで専門職として働いているが、黒人で、しかも女性であるため、
賃金は白人たちより低く、役職には就けないなど、
あらゆる面で区別、差別されている。

その一人、高等数学に天才的な才能を持つキャサリンは、
計算手(computer)としてスペース・タスク・グループに配属されるが
同じ職場の人間(ほとんど白人の男性)は彼女を同僚とは見ず、
ただ計算のためにそこにある機械として冷ややかに遇し
「これ今日中に」「これ昼までに」と、次から次へと複雑な計算業務を落とし続けるだけで
その計算をする彼女の労働環境がどれほど非人間的か気付きもしない。

たとえばSTGに配属された初日、彼女はトイレに行きたくなって
同じ職場の白人女性(彼女に仕事を振るところから見て
彼女よりは立場が上の人間)に「トイレはどこでしょう?」と尋ねるが
その女性の答えは「“あなたの”トイレがどこにあるか知らないわ
(I have no idea where your bathroom is)」
私はこの“your”に引っかかり、一瞬、NASAのトイレは
どこかの大企業の食堂のように、幹部用と一般職員用と分かれているのか?
と思いかけたが、次の瞬間、「あ」と気付いた。
キャサリンはもちろん「黒人用の女性トイレはどこか」と聞いたのであり
聞かれた白人女性の方は、(自分たち、白人女性用のトイレがどこかはもちろん知っているが)
「あなた方、黒人女性用のトイレがどこかは見当もつかないわ」と答えたのである。
で結局キャサリンは、高まる尿意を押さえつつ、
トイレを探して広大なNASAの敷地の中を走り回ることになる。
そして自分の職場からは1km近くも離れた、
黒人女性が多く働く建物の中に見つけるのだが
それから毎日、彼女はただトイレに行くためだけに
往復2㎞近い距離を、1日数回走ることになる。
しかも制服と定められた膝下丈のスカートとヒールで。 
万事如此。

場所や物は、すべて“colored”と“white”に分けられている。
初めは1つしかなかった職場のコーヒーポットは、
彼女がその同じポットからコーヒーを飲んでいるとわかったとたん
いつの間にか小さい“colored”用が加わり、しかしポットはほとんどいつも空。

“colored”用トイレのせっけんやペーパータオルは切れがちだし
バスでは“colored”用と定められた後部に座らなければならない。
公共図書館も “colored”のコーナーとそれ以外とに分かれており
“colored” は白人用コーナーの書籍を閲覧することはできない。
学校ももちろん分かれており、“colored”は“colored”の学校にしか行けない。

よくもまあ、ここまで分けたものだと感心するくらい
生活の細部にまでわたって、“colored”と“non-colored”は分けられ
“colored”は常に劣位に置かれている。
当時、建前としては“colored” “non-colored”は
「分離すれども平等(separate but equal)」とされていたが
何が平等なものか。
本当に平等なら分離する必要などないわけで
分離しようとの意図が頭に浮かぶ時点ですでに両者は平等ではあり得ず、
どちらかが優位に立ち、どちらかが劣位に置かれるのだ。
「分離すれども平等」なんてのは、まやかしに過ぎない。

そしてこの映画の中の徹底した差別の図式は今の日本人から見ると
白人による黒人差別の図式、つまり黒人対白人の対立の図式で
日本人はリングの外、自分とは関係ない国で、関係ない人たちの間に起きた
歴史上の出来事、のように見えるかもしれないが、なんのなんの。
普段あまり意識に上ることはないだろうが、
日本人を含む東アジア人は所謂黄色人種であり、
つまりは有色人種、“colored”なのだ。
厳密には同じ“colored”でも、黒人に対する差別と
アジア系に対する差別には微妙な違いがあったようだが
しかし“colored”か“non-colored”かと聞かれれば、
黄色い皮膚のアジア系は、明らかに“colored”。
この当時の米国南部に暮らしていたなら、
黒人やネイティブアメリカン同様、バスでは後部に座り、
“colored”用の切符売り場で列車の切符を買い、
“colored”用の水飲みから水を飲む人間。
NASAで働いていたなら、キャサリン同様、“colored”用のトイレを探して
走り回る側の人間なのだ。
対岸の火事など、とんでもない。

そう思ってみれば、他人事でなくなる分、この映画はより面白いのではないか。
一応実話を基にした話で(映画としてまとめる都合上、多少脚色した部分はあるようだが)
まったくの絵空事というわけではないし、俳優さんたちの演技も達者だ。

それにしても、私は普段、人間は科学技術の面では大きく進歩してきたが
徳性の面では一向に進歩していないと、
人間という生き物に対し悲観的な見方をしがちなのだが
こうして60年前と今とを比べてみると、とりあえず公民権法の成立(’64)以降、
米国では人種、宗教、性別等による差別はいけないという建前になったし
南アのアパルトヘイトもマンデラによって撤廃された(’94)し
本当に遅々たる歩みではあるが、少しはましになってきていると言えるのか。
現実には差別は一向になくならず、世界各地で常に新たな標的が生まれている
状態であっても、一応「差別は不当」と言えるようになったという点で。



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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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