『Noces』

  • 2018/04/14 23:00
  • Category: 映画
その縛りがどれ程強いかにもよるが、自らが属する共同体の宗教、慣習、伝統を拒否し、別の生き方を選択するのは、生易しいことではない。共同の規範からの逸脱者、裏切り者に対する共同体の制裁は厳しい。社会的に抹殺されるだけならまだしも(いや、それだって冗談ではないが)、時には本当に生命まで奪われる。しかもそうして殺されたところで、制裁はそれで終わりではない。当の本人が死んだ後でも、親や兄弟姉妹、場合によっては親戚まで咎を負わされ、排斥され続けるのだ。よって、なまなかなことでは逸脱者になる踏ん切りはつかない。

ベルギーに暮らすZahiraはパキスタン系でイスラム教徒だが、大学に通い、親の目を盗んで夜、友人たちとクラブに出かけたりと、周りのベルギー人たちと何ら変わるところのないような西欧的生活を送っている。家庭は円満で、雑貨店を営む両親や兄姉、妹とも仲が良く、経済的にも特に不自由はない。勉強や遊びに忙しい、欧州や北米のどこの街にもいそうな、ふつうの18歳の女の子なのだ。

が、周りの女の子たち同様普通だったのは、ここまで。ある日、両親は彼女に3人の花婿候補者の写真を示し、この中から結婚相手を選べと言う。写真だけで結婚相手なんか選べないと言うと、母親はスカイプで話して人柄を知りなさい、と言うのだ。そのために朝早く起こしてあげる(パキスタンとベルギーの時差3時間)から、と。

別れたとはいえ彼氏がい、また他の友達もいる彼女は、パキスタンに住む、全く会ったこともない男と、2、3度コンピュータ画面を介して話しただけで結婚する気になど、とてもなれない。で、両親にそう言うのだが、両親はまったく取り合わない。「私達もそうやって結婚したんだ。でもほら、うまくいっているだろう?」「不安なのは当然だけど、心配はいらないわ」「お前の姉さんも幸せに暮らしているじゃないか」等々。

彼女の意思とは無関係にどんどん結婚話が進んでいくことに焦ったZahiraは、友達の家に逃げ込んだりするが、仲のよい家族と絶縁状態になることに耐えられず、また彼女が結婚を拒否し続けることで、両親や兄弟姉妹に累が及ぶことを恐れ(結婚しない娘がいては、親は世間に顔向けができず、面目を失って故郷に戻ることもできない。当然、兄弟姉妹も結婚できなくなる)しぶしぶ家に戻る。そして家族の懇願に負け、3人のうちの1人と形ばかりの結婚式(ここでもスカイプが登場!)を挙げる。結婚式をしたところで、彼女は今まで通り家族と一緒にベルギーに暮らし続けるのだし、相手は遠く離れたパキスタンにいるのだし、実質的には何も変わらないと、Zahiraは高を括っていたのかもしれない。

が、話はそれだけでは済まなかった。いつの間にやらZahiraは、パキスタンで盛大に挙行される自らの結婚式に送り出されることになっていたのだ。手伝いのためにいそいそと嫁ぎ先から戻ってくる姉、次々と準備されていく旅行荷物。一度パキスタンに入ってしまったら、もう二度とこちらには戻ってこられないかもしれない。いよいよ焦ったZahiraはある夜、友達の1人とオーストラリアへ逃げ出す決心をするのだが・・・

ネタばれになるのでこれ以上は書かないが、この映画の中で一番私の印象に残ったのは、望まない結婚をZahiraに強いるのは止めるよう説得に来たベルギー人の友人に、父親がいう言葉だ。彼はこの古くからの友人に「この通りだけで、結婚していない女が何人いるか知っているか? 15人だ、15人! パキスタン全体より多い。彼女たちは幸せか? とんでもない! あの不幸そうな様子を見てみろ!」と言うのだ。

どうやらパキスタンでは、人はみな結婚するもので、“結婚しない男”とか“独身の女”というのは考えられない存在らしい。人は結婚し、家庭を持って初めて幸せになれるのであって、成人で未婚というのは、すなわち不幸、なのだ。このお父さんの発言に、私と雪だるまは思わず「結婚してて不幸な人だっていっぱいいるぞー。結婚してみたもののうまく行かなくて悩んでいる人や、ろくでもない相手と結婚してDVやモラハラに苦しんでる人が、どれだけいると思ってるんだあ?」と叫んでしまったが、イスラム教では結婚を“奨励”しているのだから、結婚しないことはすなわちイスラムに背くことになるのかもしれない。それにしてもだからって、なんでろくに知りもしない相手と無理やり結婚しなくてはならないのだ? 周りの他の女の子(非ムスリム)が、自由に恋愛して、くっついたり別れたりしながら、最終的に自分が気に入った相手と結婚していく様子を見ている在欧米のムスリム、Zahiraみたいな女の子が自分たちの慣習に疑問を持ち、拒否したくなるのも無理はない。他の子が持っている選択肢を、なぜ自分は持てないのか?

そう言うZahiraに、親の言う通り会ったこともない相手と結婚し、しあわせに暮らしている(本人談)姉は言う。「不公平? 当たり前でしょ。世の中は不公平なものなのよ。お金持ちもいれば貧しい人もいる。才能のある人もいれば、ない人もいる。容貌だって生まれつき美しい人もいれば、そうでない人もいる。公平なことなんて、何一つないわ」「でも人間は、不公平をなくすために戦うべきでしょう?」「戦う? 家族みんなを犠牲にして? Zahira、変えられないことに対して私たち女ができることは、受け入れることだけよ」

絶句。おっしゃる通り世の中は不公平なものだが、それに対して私たちが取りうる行動は“受け入れる”ことだけか? お姉さんのいう“Nous sommes femmes.”が、やけにぐさりと私の胸に突き刺さった。女にできることは受け入れることだけ、なんて勘弁してくださいよ、である。もっともイスラムの教えは女だけに適用されるわけではないから、男も同様、見も知らない相手と結婚しなくてはならないわけだが、そしてそれに抵抗を覚える男も多数いるようだが、宗教と慣習の縛りは厳しい。そこに家族に対する愛情が加われば、拒否することはほぼ不可能だ。縛られるのが嫌なら、死ぬしかない。


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リスたち

  • 2018/04/05 03:49
  • Category: 動物
今日は朝ジムに行って、その後食料品の買い出しにいくはずだったのだが
昨晩からみぞれ混じりの雪が降り始め、風も強くて、天気予報はと見れば
「冬嵐注意報」。絶好のお出かけ日和とは言い難いので、雪だるまと二人
出かけるのは止めて、家に引きこもっている。
せっかく庭の雪も融けだして、芝生も見え始めていたのに
また冬景色に逆戻りである。
ケベックの4月はまだ冬だ、とだめ押しをされている気分。
普段はちょろちょろデッキに顔を出す黒リスも赤リスも灰色リスも
冬嵐の今日は1匹も来ない。
我々同様、みんな巣の中に引きこもっているのかもしれない。


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この子はうちに顔を出す灰色リスのうちの1匹。
デッキに来ては、こうやってガラス戸から中を覗き込む。
こちらがピーナツを手に戸を開けると、やったー!とばかりに駆け出し
デッキの左側に行って、投げられたピーナツを受け取ろうとする。
少々臆病なのか、他のリスのようにこちらの手から直接ピーナツを取って行ったりはしない。
いつもちょっと離れたところで、顔をきょときょとさせて
「投げて、投げて!」と待ち受ける。
まるでパスを待つフットボール選手か、キャッチボールをしている子どものようなので
私たちは彼(彼女かも)を、キャッチボールグレイと呼んでいる。

その他、レッド・ロケットと呼んでいる赤リスもしょっちゅう来るのだが
彼は“ロケット”と異名をとるだけあって動きがものすごく素早く
庭を横切ってデッキに来たかと思うと、あっという間にピーナツをかっさらって
飛ぶように走り去るので、なかなか写真に撮れない。
灰色リスのようにぼーっと後足で立って、ガラス戸から中を覗き込むようなことは
およそしない、やたら気ぜわしい子なのである。


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人によっては、トリやリスなどの野生動物にエサを与えるのはよくない。
ナショナルパークでも、動物には絶対にエサを与えないよう注意されるのだから
住宅地でも同じことだと言うが、自然の生態系が(一応)保たれているナショナルパークと
田舎とは言え住宅地とでは事情が違うような気がする。
何百年も前から人間が住み着いている大都市ならいざしらず
このあたりの住宅地は、ついこの間まで森や林だったのである。
それを人間が切り開いて住宅地にした。
つまり森、林を切り開くことによってリスや鳥たちの住居を奪い、エサ場を奪ったわけで
そうやって動物たちの生活を根底から脅かしておきながら、
野生なんだからエサは自分で探せというのは、一見理屈が通っていそうで
その実そこにあるのは人間側の身勝手、
壊し、奪っておいて、後は知らない、とうそぶく傲慢さでしかない気がする。

もっともこんなことをぶつぶつ言っているのは
ピーナツを介してリスと遊びたくて仕方がない自分自身を
正当化したいからだけかもしれないが。

うろうろと考える

  • 2018/04/02 10:16
  • Category: 言葉
日本語関係の本ばかり10冊、ネットの古本屋で買った。
海外発送はしてくれないので、妹に転送を頼んだ。
働いている彼女に面倒なことを頼むのは嫌だったのだが
事前にお伺いを立てたら、快く承諾してくれたので
好意に甘えた。

金田一春彦さんとか大野晋さんとか、この分野ではほとんど古典
と言っていいような本ばかりで、遥か大昔に読んだような気もするのだが
もうすっかり忘れているし、外地住まいでは図書館で借りるというわけにもいかないし
電子書籍にもなっていないようなので、仕方ないか、と紙の本を買った。
紙の本は、特に版の古い新書や文庫は字が小さくて、
年寄りには読むのが少々しんどいのだが
そうは言っても久しぶりに買った日本語の本なので、
なんだかうきうき。届くのが楽しみだ。

教科書の方は、候補として『みんなの日本語』と『げんき』を買ってみることにした。
紙の本をスキャンしたらしいpdf版もネットにはあるが、
自習用か、あるいは参考に見るだけならともかく
教えるためにはプリントアウトせねばならず、
ページ数を考えると、普通に紙の本を買った方がよほど簡便かつ安価なので
ネット書店で新本を購入。
SAL便なので、1か月もすれば届くだろう。

『みん日』にしろ『げんき』にしろ、レビューを読むとそれぞれ一長一短のようで
正直なところ、どちらの方がここの状況に合うのか、よくわからない。
知り合いの元教授によれば、モントリオール周辺の大学では
みな『みん日』を教科書に使い、生徒は漢字ドリルなどのワークブックなど含め
数冊をセットで購入(計100ドル超)する建前になっているらしいが、
“学ぶこと”が本業の大学生ならともかく、みなフルタイムで働く社会人で
日本語にかけられる時間も予算も限られているここの生徒たちに
そんなことを要求するのは、まず無理だ。
最少の経費と時間で最大の効果を上げるには、どうしたらよいのか?
って、語学にそんなもの、あるんかいな。

ほっと一息

  • 2018/03/25 08:49
  • Category: 雑記
一昨日夜で日本語クラスが終わったので、
昨日から今まで先延ばしにしていた掃除やら大物の洗濯やらを
ばたばたと片づけている。

昨日は久しぶりに中古屋さんに買い物にも行った。
毛50%アクリル50%の白毛糸が、4玉3ドルだったので即お買い上げ。
50g1玉が1ドル以下なんて、新品ではあり得ない値段である。
今のところ何に使うという当てはないが、白毛糸はつぶしがきくので
買っておいて損はない。

ついでに薄手のカーディガン2枚とスカーフも買った。
愛用していたカーディガン3枚に一斉に穴が開いたので、その代わり。
穴が開いた3枚のうち1枚は20代後半に買ったもの、つまり30年、着た。
あとの2枚も10年以上着ているので、穴が開いても文句は言えない。
手編みのものなら似たような糸で補修ということも考えられなくはないが
3枚とも機械編みで、手では編めないような細い糸が使われているので
私では補修ができない。
よって、たぶんこれでさようなら。
布なら雑巾という手もあるが、ニットでは雑巾にはならない。
まあ、あとで何か使い道を思いつくかもしれないので
しばらくは取っておくが・・・

新しく買ったカーディガン、1枚は袖がちょっと短めな以外は
何の変哲もないUネックの紺色。
もう1枚はお尻がすっぽり隠れる長さで、袖、背中は黒だが
前面が黒と赤で大胆なブロック柄になっている。
私はだいたい無地派で、柄物を買うことはほとんどないのだが
たまにはこういうのも面白いかと思って買ってみた。
1枚3ドルだったのでちょっと迷ったが、中古とはいえ傷みはなく
着古した感じもまったくなかったので、まあいいかと2枚。
しかしお金を払う段になったら、半額に値引きされて
つまりは1枚1ドル50セント。大変お得な買い物でした。
これでまた10年、春先の肌寒さを乗り切れる。

編み物ボランティア、アルバトロスの方は
新たにルームシューズ30足の注文が入ったそうで
先週からまたルームシューズ編み。
しかも全部おなじデザイン。
この長靴型ルームシューズ、私はもう10足以上編んでいるので、
ほんとのところかなり飽きているのだが
注文をいただいたとあれば、仕方がない。
日本語で「もー飽きたー。とっても飽きたー」と歌いながら
我慢して編んでいる。日本語でぶーたれている分には、誰にも分らない。
しかし、願わくは再来週くらいからは、別のものが編めますように。

日本語クラス、終わるには終わったのだが、
今週はまたみなで集まって日本のアニメを見る。
言い出しっぺは、Gちゃん。
彼女がDVDを持ってきて、ついでにケーキも焼いてくるそうである。
授業ではないので全員来るかどうかはわからないが
まあこれはお遊びだから、来られる人がくればよい。

というように、ぼちぼちと日を送っている。
昨日は花の種も買ってきたので、そろそろ種蒔きもせねば。
ここ4、5日暖かくて、「わーい、春っぽい♪」と喜んでいたのだが
今はまた雪が降っている。
物置の屋根がうっすら白くなった。
ケベックの3月は、やっぱりまだ冬か。

ほんとにやるんかな

  • 2018/03/17 20:38
  • Category: 言葉
この2週間は、日本語講座のテキスト作りと教案づくりに追われて
他のことをする余裕が、まったくなかった。
掃除をさぼり、大物の洗濯をさぼり、
咳が止まらないのを口実に、散歩もさぼった。
それでも出来は今一つで、力不足をしみじみ実感。
教える側としての知識と技術の問題もあるが
私の場合、一番のネックはやはりフランス語だ。
頭の中に渦巻く説明の数々を、ちゃんとフランス語にできないのが何ともかなしい。
お金を払い、時間を使って授業に来てくれている生徒に申し訳ないと思う。
田舎で他に人がいないから、私ごときが引き受けることになった日本語講座だが
これが都会なら、生徒さんたちももっと優秀な教師に教われただろうに、
と思わずにはいられない。

が、そんな力不足からくる足掻きや葛藤も来週で終わり。
泣いても笑っても、あと1回で講座は終了と思っていたのだが、
生徒たちのうち何人かが勉強を続けたいと言っていて
片言フランス語の三流教師は、少々青ざめている。

「続けたい」という希望はあっても、生徒の人数や会場の都合もあるので
本当にやることになるかどうかはまだ不明なのだが
もしやるとすれば、今後は絶対にまともな教科書が必要だ。

以前にも書いたが、今やっている日本語講座は初級も初級、
挨拶や旅行の際の簡単な会話、
買い物やレストランでのやり取りをフレーズで教えるといったもので、
これで本当に日本人と話ができるようになるようなものではない。
20時間では、ひらがな、カタカナを覚えている暇もないので
文字は全部ローマ字を使っている。

それでも一応、典型的なフレーズを例に引きながら、数の数え方、主な助数詞、
動詞や形容詞には活用があること等々は教え、活用の練習もするにはしたが
それはあくまで、だいたいこういう構造になっていますよ、と概略をささーと撫でた程度で、
動詞にせよ、形容詞にせよ、実際に活用ができるようにはなっていないと思う。

だから、もし本当に勉強を続けるのであれば、今度は旅行用のお助けフレーズ集などではなく
日本語というものを、基礎から体系的に学習できる、きちんとした教科書が必要だ。
今はいろんなアプリがあるから、自習するだけならそうしたアプリでもよいが
教室でみんなでスマホ見ながら授業というのも、なんだかちょっと変だし
あんまり実際的ではない。
多少アナクロでも、ここはやはり紙の教科書が欲しいところである。

で、ここ2、3日、よい教科書はないかとネットをうろうろしているのだが
世界の日本語教育の現場でそれなりの評判を獲得しているのは
『みんなの日本語』と『大地』(共にスリーエーネットワーク)
そしてジャパンタイムズから出ている『げんき』らしい。

ただ書評を読むと、3種ともそれぞれ一長一短があるようで
実物を見ないことには、いったいどれがここの講座の状況
(週1回、2時間の授業、生徒は社会人)に合っているのかよくわからない。
使うにしても使わないにしても、そのうち日本に注文しようとは思っているが
その前に、ここケベックの大学ではどんな教科書を使っているのか
雪だるまの友人のM大の元講師にも聞いてみようとも思う。
フランス語の解説付き教科書があって、それがここで手に入るなら
それにこしたことはない。
大学とは授業時間数も違うし(まさか週1、2時間ということはあるまい)
生徒の状況(みんなフルタイムで働く社会人)も違うことを考えに入れなければならないが
選択肢のひとつであることには変わりないのだから。

まあもっとも、上にも書いたように本当にやることになるかどうかはまだわからない。
再開の一応の目安である秋までには、生徒の方にも私にもいろいろなことが起こるだろうし、
今は「やりたい」と思っていても、夏の間に状況が変わることだってある。
まあ、ゆっくり考えよう。

着物

  • 2018/03/04 09:06
  • Category: 着物
先日ピンタレストを見ていて、こんな写真を見つけた。

kimono.jpg

山形に住みながら、斬新かつ鮮烈な着物の画像を世界中に発信している
AKIRAさんという方の写真らしい。

着物、半襟、帯の色柄、帽子、サングラスとの組み合わせがものすごく楽しくて
思わずピンしてしまった。

別の方だが、こんな画像もあった。

kimono2.jpg


kimono3.jpg


上の方は着物にトップハット、しゃんと伸びた背筋の凛とした美しさと
それとは裏腹のちょっと遊んだ裾裏の模様の対照が面白く、
下の方はビーニーに黒眼鏡、絞りの兵児帯(あるいはこういう柄の襟巻?)を無造作に首に巻いて
しかもこの写真では見えないが、足元は黒のワークブーツ。
実にかっこいいのである。

まあ上の方はアーティストで、下の方はプロのモデルさんのようだから
何が美しいのかを見定める美意識と、“着る”技術に関しては筋金入りなのだろうけれど
それにしても、遊んだ組み合わせに負けていない、着ている人自身の勁さというか
風格が着物より前面に出ていて、実に素敵だ。
いいなあ、こういう着方。

できることなら私もこんな風に着物を着てみたいものだけれど
顔立ち、姿かたちが信楽のタヌキそのまんまというわたくし
(まあ顔の方はだんだん萎びてきているが)
どうがんばっても、こういう風には着られない。

それに退職して会社に行かなくてもよくなったら、せっせと着物を着るつもりで、
あれこれ揃えてはいたのだが、いざこちらに来てみたら、
気候はともかく、生活様式が全く着物と合わなくて
着物はまるきり箪笥の肥やし。

だってねえ、着物じゃ自転車に乗れないし
(ママチャリなら乗れるのかもしれないが、こっちの自転車は全部
上半身が前傾姿勢になるスポーツ仕様である)
土まみれになる庭仕事もできないし、
家は階段が多くて、ちょっと長い服を着ると裾を踏んづけそうになるし
そうなると、ついつい動きやすくて邪魔にならない、
ストレッチの効いたTシャツやジムパンツばかりに手が伸びてしまう。

よって、こんな風なかっこいい婆さんには
どう頑張っても、なれそうもないな。

toko.jpg

  篠田桃紅さん


ついでにもう1枚、いいなあ、と眺めている着物姿

kiccho.jpg


在りし日の吉朝さん
今頃は極楽で、米朝さんと一緒に二人会でもやってらっしゃるのかなあ。



トイレットトレーニング

  • 2018/02/25 11:15
  • Category: 言葉
先日、雪だるまに「君の発音では、生徒がわかるかどうかわからない」と言われた話を書いたが
そのあとで「ならばどうして音読の時、私の発音を直さなかったのだ?」と聞いたら
「だって、直しても直しても、しばらく経つとまた元に戻っているから」との返事だった。

なるほど、ありそうな話である。
私の脳と耳と口は日本語発音で固まっているから、直された直後はかろうじて発音できても
しばらくするとまたするするーと、慣れ親しんだ日本語の音に戻ってしまうのであろう。
【ɛ】の鼻母音然り、狭い【e】然り、口をとんがらかす【u】然り・・・(ありすぎて書ききれん)

が、しかし、このままでは困る。
で、私は雪だるまに頼んだ。
「直らなくても、無駄だと思っても、とにかく直してくれ」と。
そしてこれは犬のハウストレーニング(トイレットトレーニング)と同じなのだ、と説明した。
子犬がどこで用を足すべきかを覚えるまでには、しばらくかかる。
犬によっては、いつまで経っても覚えられない犬もいる。
(私が昔飼っていた某イングリッシュコッカーなどは、最後まで粗相をし続けた)

しかし覚えられないからと言って、叱るのをやめてはいけない。
叱るのを止めれば、犬は「これでいいのだ♪」と思ってしまう。
発音矯正もまた然り。
間違えるたびに直されなければ、私の脳は「これでいいのだ♪」と思ってしまうのだ。
そしてそのまま楽な日本語的発音で固まってしまうのだ。
私の脳は、犬並みなのだ。

何度も何度も同じ音を直さなければならない雪だるまには災難だが
そこはそれ、出来の悪い配偶者を持ったのが運の尽き、と諦めてもらう他はない。

だって他にしようがないではないか。
聞いている人がわからないのでは、喋る意味ないのだから。

青空あたま

水が半分入ったコップのたとえ話は、いろいろなところで引き合いに出されるので
いまさら説明するまでもないと思うが、「半分ある」か「半分カラ」か
「まだ半分ある」か「もう半分しかない」かという楽観、悲観の2つの見方に分けるなら
私は間違いなく「半分カラ」「もう半分しかない」と見る、悲観的なタイプである。
新奇なアイディアを聞けば、まず失敗するだろうと予想するし
「石橋を叩いて渡る」どころか、叩いて強度を確かめなければならないような橋は
はなから渡らない。落ちるに決まっている、と思うからである。

こういう性格はよく言えば慎重、堅実。“しっかり者”と人から評されることもあるが
本人としては微妙である。
何しろジンセイ、楽しくない。
何かをやってたまたまうまく行き、一瞬ぱあっと喜んだとしても
次の瞬間、「次回はこんなうまいことは行くまい」だの
「うまくいったように見えただけで、実際のところは失敗だったのではないか」だの
悲観的見方が暗雲のように視界を覆ってきて、一瞬のうれしさを帳消しにしていく。

うまく行ったように見える時でこれだから
失敗などしようものなら大変である。
どっと落ち込んで、胃の中にじっとりと重たい石を抱え込んだようになり、
そのことばかりが頭をよぎって、ぎゃあ、ぎゃあと悲鳴をあげ続けることになる。
およそ健康によろしくない。
それに第一、苦しい。

なので、失敗しても極力落ち込まないよう気持ちを前向きに、
失敗したことをくよくよ思い悩むのではなく、
今後に向け、建設的改善策を考えて失敗の苦しさから逃れようとするのだが
そのように頑張ってみても、落ち込みから抜け出すのはなかなか難しい。

実は昨日もそんな失敗をし、夜中、ぱっちり眼が冴えてしまって
なかなか寝付かれなかった。
寝付かれないので、文珍さんのと吉朝さんのと枝雀さんのと
「地獄八景亡者戯」を3つきいて、それから寝た。

朝起きた時には少しはましな気分になっていて
失敗の痛さもやや薄らいでいたが、
それにしてもこの物事を悲観的に見る性癖、
やり損ねたことばかりが頭の中をぐるぐるし、
自分に向かって「ばか、ばか、ばか!」と言い続ける、
万年軽度鬱病みたいなアタマは、なんとかならないものか。

ああ、一度でいいから、抜けるような青空に輝く太陽、みたいな
明るい人になってみたい。

雪が降る 除雪車が来る

今日も雪が降っている。
この冬は、一時零下30度近い寒い日々が続いたが、その後気温が上がり
最近では寒くても零下15度くらいと、わりあい暖かい日が続いている。
「零下15度で“暖かい”のか?」と聞かれるとちょっと困るが
このあたりの基準でいけば、零下15度は特に寒いとは言えない。
ごくごく平均的な冬の気温なのである。
だからマダムたちとのお散歩も、続行されている。
みなダウンジャケットにスノーブーツ、マフラーに毛糸の帽子にサングラス
と重装備ではあるが、気温を理由に出てこないということはない。
むしろ、なまじ気温が0度近くまで上がって雪が融け、
それが再び凍って道路がアイスバーン状態になったりすると
「道が滑って危ないから、今日の散歩は中止」と連絡が入る。
気温が高い方が、歩けなかったりするのである。

それにこの冬は、道路の除雪状態がよい。
道路の除雪は町が専門業者と契約し、雪が降ると深夜あるいは早朝に
大型除雪車が来て、ガガガガーッツと除雪していくのだが
昨冬はこの除雪車がこまめに来ず、しかも除雪の仕方がいい加減だったので
残った雪で道路がでこぼこになったうえ、そこここに大きな雪だまりができて
道幅が狭くなり、車が走りづらくて困った。当然、人も歩きづらい。
2車線ある幹線道路ならともかく、もともと片側1車線しかない住宅街の道は
路肩の雪で道幅が狭くなると、すれ違いもままならなくなる。
歩行者も、車が来るたびに路肩の雪の中に避けなくてはならない。
歯に衣着せぬたちのジェリーなどは、業者のいい加減さに不満たらたらで
うちに来るたびに、ぶうぶう文句を言っていた。

もっとも除雪業者の仕事に不満だったのはジェリーだけではなく
またこの町内だけでもなかったようで、昨秋の町長選の時には
新しい候補者3人全員が、公約の一つに「除雪の改善」を挙げていた。
「なるほど、みんな不満だったんだな」と、ちょっと可笑しかった。
うちの町は15年ほど前に7町が合併してできた町で、
人口は5万くらいと大したことはないが、面積は広い。
だから、この広い町の中を網の目のように走っている道路すべてを
きれいに除雪するのが容易でないことはよくわかるのだが
公共交通機関がないも同然の田舎町では、車が命綱。
しっかり除雪してもらわないことには、仕事にも買い物にも行けず
日常生活に支障を来すのだ。

ちなみに町長選の結果は、現職の再選となったが
昨冬の除雪に対する不満は、彼の耳にも十分届いたようで
おかげでこの冬の除雪は大幅改善。
この記事を書き始めたのが昨日で、今日も引き続き雪なので
たぶん今夜か明日の早朝には、また除雪車がごおんごおんとやって来ることだろう。
除雪車が通ると、うちの前にスノーバンクができる。
明日の朝は、また雪かきだな。

浮遊物

去年の秋、雪だるまが「視野にゴミのようなものが見える」と言い出した。
目を動かすとそのゴミみたいなものも一緒に動く、というので
たぶん飛蚊症だろうと思ったが、同時に閃光のようなものが見えることもある
とも言うので、一応眼科医に診てもらった。

眼科医の診断はやはり飛蚊症とのことで、網膜剥離や網膜穿孔ではなかったので安心したが
残念ながら飛蚊症は加齢に伴う生理現象のようなもので、治療法はない。
現状では剥がれてしまった硝子体を元に戻すことはできないので
視野に漂うこのゴミのようなものは、いったん出現したらずっとそのまま。
消えることはないのだそうだが、幸い(?)、しばらくすると脳の方が無視することを覚えて
次第に気にならなくなるのだそうである。
実際、雪だるまも、3、4週間たったら気にならなくなったと言っていた。

とまあここまでは、夫婦とはいえ他人事だったのだが
今年になって私の視野にも黒いゴミが出現しだした。
雪だるまより5年も早い出現である。
しかも出現したのは、いい方の右の目。
まともにモノを見ることができない左の目なら諦めもつきやすいが
なんでよりによって頼みの綱の右の目に飛蚊症が起こるのか?

年を取るということは、こういう身体の衰えや不調と折り合いをつけ、
無理をせず、といって諦めきって活動を制限したりせず
身体を騙し騙し、やりたいことをやっていくことなのだとわかってはいるが
それでもだんだんにやってくるさまざまな衰えを「やれやれ…」という思いなしに
受け入れるのは難しい。
ついつい「もっと早く医学が進歩して、人工眼が実用化されればいいのに」と
草薙素子ちゃん並みの義体化を夢見てしまう。
スペアの目、欲しいなあ。

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Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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