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エジアン

  • 2020/09/17 23:05
  • Category: 言葉
Aegeanの発音ができない。いくらやっても私の発音ではAsianに近くなってしまい、ギリシア付近に“アジア海”が出現することになってしまう。雪だるまには「だからAegeanの“g”は /dʒ/ で、/ʒ/じゃないんだから、もっと破裂させるように音を出さなきゃ」と言われるが、言われてできれば苦労はない。同じ/dʒ/でも、“Japan”とか“jean”のように語頭にあるなら、何とか近い音を出せるのだが、語中だと、これがてんで駄目である。たまに偶然、「そう、その音だ!」という音が出せる時もあるが、偶然に過ぎないので、次にはもう出来なくなっている。

そういえば千野栄一先生の『外国語上達法』にも、日本語では一括“ザジズゼゾ”で表されてしまう音の発音のし分けができなくて苦労する人の話が出てくる。この人は/dʒ/ と/ʒ/ではなく、/dʒ/ と/z/を発音し分けられず、何度やっても先生が首を縦に振ってくれないので、セロ弾きゴーシュの中のカッコーよろしく、何度も何度も「ザコーン(ロシア語のзакон、法律とか法則とかの意味)、ザコーン、ザコーン」と繰り返すのだ。「エジアン、エジアン、エジアン」と、壊れたレコードのように繰り返した私と同じである。

千野先生によれば、この人ができなかったロシア語の“закон”の語頭の“з”は/s/の有声音である/z/なのだが、この人はそれを/ts/の有声音である/dʒ/ で発音していたので、先生は「нет」と言い続けたということらしい。

そして引き続き千野先生の受け売りを続ければ、実際のところ日本語の中には/dʒ/ の音も/z/の音もある。日本語の“ザ”で表される子音は、語頭では/dʒ/ であるが、母音間では/z/で、たとえば「ザリガニ」「ザブトン」の“ザ”では、舌の先が上の歯茎の裏のでっぱりに当たるが、「カザリ」「アザミ」の“ザ”では、舌の先はどこにも接触しないと解説されている。

そして、この違いに気づかなかったこの人は、きっと英語の「cards(カードの複数:
/dʒ/ )」と「cars(車の複数:/z/)」の違いにも気が付かないに違いないと続けられているが、実に全くおっしゃる通り。/dʒ/ と/ʒ/の違いがわからない私は、dʒ/ と/z/の違いもわからず、cardsも carsも、「カーズ」であります。
母音を5つしか区別せず、子音の数も多いとは言えない日本語にどっぷり浸って成長したハンディを、大人になってから挽回しようとするのは、大変に困難。私にとってはほぼ不可能であります。だって同じ音にしか聞こえないんだもんねー。
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天ぷら

ふと思い立って、天ぷらを作った。タネは人参と玉ねぎとじゃがいもと紫蘇の実。
最後に天ぷらを作ったのは日本にいた時だから、30年ぶりくらいである。衣の作り方も揚げ方も天つゆの作り方も、もちろんぜーんぶ忘れていたので、ネットで検索してメモってから作ったのだが、カラりサクサクではなく、もちもちフリッターのような、たっぷり肉厚の天ぷらになった。

でもいいのだ。どうせ食べるのは「野菜でありさえすれば文句は言わない」雪だるまと、天ぷら食べるのは10年ぶり(自分では作らなくても、出張の時とかに食べる機会はあった)くらいで、評価基準が滅茶苦茶甘くなっている私だ。もちもちだろうと、べちゃべちゃだろうと、天ぷらは天ぷらだ。それにそういうフリッター天ぷらでも、紫蘇の実を揚げたのはおいしかったし、生姜を入れた天つゆもおいしかった。これで大根おろしがあればもっとおいしかったと思うが、大根はなかったのだから仕方がない。

食べ終わってから反省して、YouTubeで天ぷらの作り方動画を4本くらい見た。泥縄どころか、泥棒が逃げてから縄をなうようなものだが、“次回”というのがあるかもしれないから、見ておいた。鍋に揚げ油残ってるし、“次回”は近そうだ。

それにしても、いよいよ菅氏が総裁か。まったくもう、ため息しか出て来ない。安倍内閣の官房長官だったのだから当たり前だが、この人もまた日本会議の会員だ。そもそも出馬した3人全員会員なんだから、誰がなったってその点では同じだが、なんでよりによって一番なってほしくなかった人がなるのか…。
日本会議の理想とするところが今の日本の人たちの理想なら、私のそれとはまったく相容れない。そろそろ本気で国籍考えた方がいいかも。

メイソンジャー

来週あたりから朝晩の気温が10度以下まで下がりそうなので、この金、土の休みに畑をほとんど全部片づけた。もういくら待ってもトマトは赤くならないし、キュウリは大きくならない。スイスチャードも寒さに立ち枯れてしまうか、あるいはナメクジに食われて穴だらけになるか。土の中のニンジンはまだだいじょうぶだが、これも来週中には片付ける。

トマトを植えていた大きな植木鉢4つは、洗って干して乾かした。地下の物置にしまって、来年までさようなら。

収穫したキュウリはピクルスに、トマトはレリッシュにした。小さいのも大きいのも、まだ緑のも赤いのも全部採ったので、こうでもしないと食べきれない。キュウリのピクルスの方は、甘酢漬けか?と思うほど砂糖の入るレシピで作ってみたが、食べてみたらさほど甘くなかった。作ったばかりだからかもしれない。4、5日すると味がなじんで甘さが出てくるのかも。もうひとつ、砂糖が入らない作り方も見つけたので、この次はこちらを試してみよう。エジプトの人のレシピで、ピリリとスパイスが効いて爽やかに美味しそうである。

砂糖入りバージョン

砂糖なしバージョン

レリッシュはこの間お義父さんが2瓶届けてくれたので、別に作らなくてもよかったのだが、グリーントマトを無駄にしないために、少しだけ作った。夏にルバーブのジャムを作り、この間ビーツ10ポンドをピクルスにし、と、せっせと保存食づくりに励んだので、このレリッシュ2瓶で、うちのメイソンジャーの空きはゼロになった。お義父さんによると今年はカンニング用のメイソンジャーが品薄だそうなので、少し残しておきたかったのだが、まあ仕方がない。

レリッシュを作っていたお義父さんは、ジャーの数が足りなそうなのに気づき、近所のスーパーに走ったのだが見つからず、ホームセンターでも見つからず、ダラーショップでやっと3つセットのを見つけたそうである。普段の年ならスーパーでもどこでも、たいていは6個とか12個とかのセットで売っているのに。Covid-19のせいでパンを自家製する人が増えたように、保存食づくりに励む人も増えたのだろうか。あるいは普段から作っている人が、例年より多くの量を作るようになったのでジャーが足りなくなり、店に買いに走り、それで品不足になったのか。

いずれにしても、うちもジャーの空きがゼロというのは少々心細いので、次の買い出し日にはスーパーでチェックしてみよう。

授業再開

  • 2020/09/09 08:36
  • Category: 雑記
先週土曜は、海ちゃんの授業。今日は自宅での授業。木曜にはセンターでの授業が始まるし、お散歩会、アルバトロスも今週から再開だ。つまり私個人に関しては、covid-19以前にしていた活動すべて、今月から元通りということだ。

学校も再開されたせいか、一時100人以下に減っていた1日あたりの新規感染者数が、8月末あたりからまたじりじり増え始めていて、ここ2日ばかり200人超えになっているのが少々心配だが、入院者数は100人ちょっとと、あまり増えていないのは不幸中の幸い。一番ひどかった時は、ケベック州全体で1800人くらい入院していたのだから、その頃から比べれば大分落ち着いているとは言える。

私も授業をするにあたっては、手指消毒用のアルコールジェルを用意してみたり、椅子の配置を変えてみたりした。上履きも各生徒専用のを用意した。しかしうちでの授業の場合、生徒は土曜は1人、火曜は2人の3人だけだから何とかなるが、これ以上いたら、どう配置を考えてみても自宅では2メートルの対人距離は保てない。今だってきっちり2メートル離れているわけではないが(ダイニングテーブルの長辺の両端に座ってやっと2メートル、短辺だと1メートルちょっと。それを真向いではなく斜向かいに座ることで、長さを出している)、まあお互いマスクをしてることだし勘弁、と思っているのだが、本当に感染者がいた場合、これでは防げないよな。

本当に感染を防ぎたいのだったらやはり遠隔授業しかないのだろうが、これもまた一長一短で。海ちゃんの学校では今のところ、週のうち3日は学校へ行き、残りは遠隔授業なのだそうだが、その遠隔授業では、ちょっとでも下を向いたりしていると、さぼってスマホで遊んでいるのでは?と先生が疑うので、常に画面を見つめていなければならず、とても目が疲れると言っていた。冗談交じりに「先生はパラノイア気味」とも言っていたが、画面のみを通して20人からの生徒を掌握しなければならない先生も大変だ。早く普通の、と言って悪ければ以前のような、授業ができたらいいなあ、と思っているが、カナダはともかく、隣国はいまだに3万人超の新規感染者が出ている。Covid-19、いつかは収束に向かうのだろうか。

マスク2 - ミシンの進化

マスクの話の続き

洗える布製のマスクが欲しくなってマスクを作ったと書いたが、もうひとつ、このマスクを見たことも“マスク作りたい欲”を刺激した。



* 制作過程は飛ばして完成品だけ見たい方は、最初の10数秒か最後14:30あたりからどうぞ。


こういうのが好みかどうかは別として、繊細豪華なレース模様を生かしたシンプルなデザインと、それを支える丁寧なカッティング、縫製は、手仕事屋に猛然とやる気を起こさせ、「わたしも何か作りたい!」と思わせる。

「それで作ったのが、あのマスクたちか?」と言われると、あまりの竜頭蛇尾さに少々しょぼんとなるが、まあ要するに“姿勢”として、そういう仕事を目指すということである。それにいくらきれいでも、こんな絢爛豪華マスクでは日常的に使えないし。フリースにスニーカーでスーパーに買い物に行くのに、顔だけビーズ刺繍つきレースマスクではミスマッチが過ぎる。

しかし、ここまで豪華なのは特別としても、巷にはきれい系マスクがいろいろ出ている。“ブライダル・マスク”として白絹地にパール付きとか、ジョーゼットをたたんだプリーツマスクとか。

たとえばこういうの

bmask.jpg


インドの結婚式用とかは、金の刺繍や飾り付きで、ウイルスも逃げ出しそうなほどキラキラ金ぴかである。

indianmask 2

indianmask 1


ところで、そうやっていろんな画像やマスク制作動画を見ていて気付いたのは、近頃のミシンの進化ぶりである。制作動画をアップするような人々は、ほとんどプロあるいは少なくともセミプロといえるような人たちだからかもしれないが、みなさんかなり高機能なミシンを使っていらっしゃる。自動糸通し、自動糸調子、自動糸切り、返し縫い、止め縫いはボタンを押すだけ、等々。

私自身はミシンを使うのはせいぜい年に数度。それも袋を縫ったり、何かのカバーを縫ったりする程度で複雑なことはしないから、そんなさまざまな機能つきの高性能ミシンは要らないのだが、しかし数ある機能の中で「自動糸切り」だけは、ちょっと羨ましかった。

なぜかというと、今回マスクを作ってみて気付いたのだが、私のミシンは縫い始め、けっこう長めに上糸を引っ張り出しておかないと、縫い始めようとしたとたん、糸が針から抜けてしまう。5センチ程度では絶対足りず、10センチは出しておかないと危ない。で、毎回毎回、10センチほど上糸を出して縫い始めるのだが、縫い終わればこの端にぴらぴらしている10センチの糸は余分だから、切って捨てる。毎回そうする。当然ながら糸くず入れに、10センチの糸の切れ端が溜まることになる。私はこれが勿体なくて仕方がない。昨今、糸も安くはないのに、なんで毎回10センチずつ捨てねばならぬのだ? それでも、だーっと2メートルくらい縫って10センチ切り捨てるならまだ諦めもつくが、たとえ5センチしか縫う部分がなくても、やはり糸端は10センチ出さねばならない=捨てねばならないのだ。なんとかならんのか、これ?

と思っていたら、某動画である方が、縫い終わるたびに鋏マークのボタンを押していることに気が付いた。どこでどうやって切っているのかは動画ではわからなかったが、次の縫い初めに糸を出している様子もなく、そのままするりと縫い始めている。どうやら全て自動でミシンがやってくれるらしい。うおお、すごい!


こういうボタンがついている

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その後いろいろ検索してみると、私が動画で見たミシンはブラザー製だったようだが(チェコでもブラザー売ってるのね)、自動糸切り機能自体は、もちろんジャノメでもシンガーでもどこでもある。その他、自動糸通しに自動糸調子、自動ボタンホール、文字刺繍、etc, etc. 子どもの頃使っていた直線縫いだけの足踏み式ミシンと比べ、最近のミシンは、なんと進化したことか!

マスク

この1週間ばかり、興が乗ってせっせとマスクの生産に励んでいた。使い捨ての不織布マスクの方が衛生的なのだろうが、いつもいつも同じ薄青のマスクをしているのに厭きてしまい、色柄に変化があって、しかも洗って何度でも使える布製のマスクが欲しくなったのだ。幸い昔お人形さんの服を作っていた関係で、端切れはけっこうある。お人形さん用なので色柄は今ひとつだが、材料費ゼロで作れるのだから文句は言わないことにした。

デザインはYouTubeにアップされている中から気に入ったのを選び、あれこれ1ダースばかり作ってみたが、その中で1番実用的かなと思ったのはこれ。

きれいな折り上げ立体マスク 


折り上げ式(別名:西村大臣風)マスクだが、大変よく考えられていて、フィルターポケット付きの割には工程が少なく、縫いやすい。ジェリーに作ったのがこのタイプだったが、ノーズワイヤーがなくても鼻のところがぴったり馴染むので、眼鏡が曇らなくて快適だそうである。顎もぴったり覆うので、私も人と会う時はこのタイプをつけている。


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その他、立体マスクも作ってみた。お皿を使って型紙をつくるタイプだったのだが、一体どの動画を見て作ったのだったか、いくら検索してみてもそれらしいのがヒットせず、どなたのデザインかわからなくなってしまった。デザイナーさん、ごめんなさい。

でもとにかく、出来上がりはこんな感じ。フィルターポケットは付かないタイプなのだが、お義父さんはこのデザインでポケットが欲しいというので、ゴム通し部分の裏地を表地とは別に三つ折りにし、そこからフィルターを入れられるようにした。下の半立体マスクと同じ方法である。しかし最初に白レース生地で作った時にはこの方法を思いつかず、上の折り上げ式と同じように上部を開けて、そこからフィルターを入れられるようにした。そしたら、当然だがレースの表地+裏地+ポケット地で生地が三重になってしまい、付けるとやや呼吸困難気味。穴あきレースなんかを表地に使うから悪いのだが、夏っぽく涼しそうな生地を使ってみたかったんだよね。


お義父さんは、ワニ柄を選択

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左の白いのが呼吸困難レースマスク

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そしてこのマスク、デザインは美しいのだが、真ん中を縫い合わせたあと縫い代を割ってステッチをかけなければならず、それがなかなか、結構、大変難しかった。平面にステッチするならまだしも、カーブしている曲面の中心の縫い目から1、2ミリでステッチというのは、縫物初心者には難易度高すぎ。第一、じいっと見ているうちに目がチカチカしてきて、どこが中心線だかわからなくなってしまうのだ。それで真っすぐに縫えたら奇跡である。そして神を信じない私には奇跡は起こらないので、結果、お義父さん用のなど、ステッチのとこだけで4回くらいやり直した。それでも“きれいに真っ直ぐ”とはいかず、端の方でステッチが少しよろけてしまった。実にとほほ、である。よって、
このデザインはミシン縫いに上達するまで、しばらくお預けにすることにした。目がチカチカ→眼精疲労→頭痛では、泣くに泣けない。

3つめは半立体マスク。

ムレない!半立体美人マスク

デザイン、シンプル。作るの一番簡単。フィルターも入る。ただ「むれない」「息ぬけやすい」という説明の通り、あご部分を包みこまないデザインになっているので、満員電車に乗るとか人と会って長時間話すとか、他の人との“濃厚接触”が予想されるような場合には向かないかも。私はもっぱら買い物とか、ジムに出入りする時とか、人と話さないとわかっている時に、このマスクを使っている。確かに圧迫感がなくて楽である。


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ところで、9月といっても日本はまだまだ暑そうだが、先日も書いた通り、ここケベックはすでに秋である。日中は20度を超えることがあっても、朝晩は10~15度。涼しいどころか、寒い。そしてそのうちもっと寒くなる。それでこの間ふと思ったのだが、フリースとかでマスクを作るのはどうだろう? どうせ冬の寒い時期には、マフラーで顔の下半分をぐるぐる巻きにしたりするのだ。ついでにマスクもフリースとかフランネルとか暖かい生地で作れば、ニット帽、マフラーと合わせて防寒対策ばっちりではないか!と思ったのだ。

生地が厚いと少し縫いづらそうだが(ゴム通し部分など、モコモコになりそう)、いっそバラクラバ(目出し帽)にしてしまえば、その問題も解決する。フリースのバラクラバって、暖かそうだ。そういえばウィンタースポーツ用にそんなのがあったかな?

アライグマ

  • 2020/09/03 10:08
  • Category: 動物
9月。昨夜はとうとうカーディガンでは寒さがしのげなくなり、フリースを引っ張り出した。ベッドにも毛布を足した。夏は終わりだ。

昨晩、デッキにアライグマが現れた。視界の隅にボサボサした薄茶の毛皮が映ったので、一瞬近所の飼い猫かと思ったのだが、飼い猫がこんな時間(夜9時過ぎ)に外をうろうろしているはずはなく、フランス窓に近寄ってよーく見たらアライグマ君だった。しかも2匹! 


ピンボケ写真。真ん中の白い線は窓枠です。

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そういえば1週間ほど前だったか、夜11時過ぎ、ガタガタ、ガタガタ外で音がするので、何かと思って雪だるまがデッキに出てみたら、1匹のアライグマがピーナツフィーダーをフックから外し、デッキの梁の上に上げて、何とか中身を食べようとカバーを外すべく奮闘しているところだった。

幸い(?)割合複雑な構造のフィーダーなので、アライグマにはカバーを外すことができず、出て来た雪だるまに驚いてフィーダーを置いて逃げ去ったが、もしかすると2匹のうち1匹は、あの時のアライグマかもしれない。ほとぼりが冷めた頃を狙っての雪辱戦というところか。

で、そのアライグマ君、ガラス窓に近寄った私に最初は警戒する様子を見せたが、何もしないとわかると、彼らはリスたち用にデッキに置いてあるヒマワリのタネを、むしゃむしゃと食べ始めた。両手で器用に搔き集めては、口に運ぶ。そして時々、チラッ、チラッとこちらを見る。2匹のうち一方は大きく、もう一方は少し小さい。しかし割合仲良く、同じ皿から食べている。野生動物にしては珍しい。

群れで行動するような動物は別だが、黒/灰リスでもシマリスでも、うちに来る動物たちは、エサをシェアしたりはしない。同種同士でも異種でも、2匹が鉢合わせした場合、必ずどちらかがどちらかを(たいていは身体の大きい方が小さい方を)猛然と追いかけ、追い払う。そしてひとりで悠然とエサを貪る。どんなに大量にあろうと、他の個体とエサを分け合ったりはしない。

しかしこの2匹のアライグマは、仲良く尻をくっつけあってエサを食べている。親子か兄弟、あるいはカップルなのかもしれない。こちらがじいっと見ていると、時々威嚇するようにフーッというようなうなり声、中国語の“he”に似た、のどの奥から出す摩擦音のような音を発するが、だからと言って逃げるでもなく、こちらに飛びかかって来るでもない。ひたすら、ひたすら、せっせと食べる。最近、また1か所、近所の小さい雑木林が伐採されたので、彼らのエサ場も減っているのだろう。
棲み処とエサ場を奪ってごめんよ。


右が大きい方、左が小さい方。やっぱり親子かな

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トレイの下に入ってしまったタネを取りたくて、トレイを壊す。
翌朝みたら、トレイは見事にバラバラ。原型留めず、白い破片がデッキに散らばっていた


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『空気の検閲』

  • 2020/09/01 03:25
  • Category:
先週、ざざっと飛ばし読みした『空気の検閲』(辻田真佐憲著、光文社新書)、1928年~45年(昭和3年~20年)における帝国日本の検閲状況ということだったので、私は主として治安維持法絡みというか、“社会の安寧秩序を紊す”出版物に対する検閲、何とか検閲の目をかいくぐって書くべきことを書こう、国民に真実を知らしめようとする出版人と、それを抑え込もうとする当局との血みどろの攻防戦みたいなのを予想していたのだが、読んでみたらちょっと違った。

同書は私が予想した「安寧秩序」方面だけでなく、「風俗壊乱」方面の検閲状況にも多くのページを割いていたのである。なにしろのっけの第一章は発禁処分となった淫本からの引用、怪しくも艶っぽい問題箇所の14行に亘る引用で始まっているのだ。薄暗く湿っぽい地下蔵、ガリ版でビラを印刷する活動家、その彼らを捕らえようと目を光らせる特高といったおどろおどろしい場面を想像していた私は、それとは似ても似つかぬ、花も恥じらう乙女たちの甘やかな交歓場面の登場に相当ずっこけた。

まあ、当時検閲は「安寧秩序」と「風俗壊乱」の二本立てだったのだから、当時の状況を書く以上、両方の状況を書かねばならないのはわかるし、当時の政府が何を以て「風俗壊乱」としたのか、知っておくことも重要だとは思うが、この方面の基準というのは真剣に考えれば考えるほど滑稽味が増す嫌いがある。ある文章が猥褻か否か、“徒に劣情を刺激”するか否かなんて、読む人個々人が判断すればいいことで、何も政府が税金使って人を雇い、〇×の判断をさせなくてもいいではないか、と私は思う。それに発禁処分はともかく、当時よく使われた伏字というやつ、中途半端に言葉が隠されている分、余計にいけない。昨今の黒塗り公文書くらい文章が消されていれば、いかに逞しい想像力の持ち主でも“劣情”は湧くまいが(関係ないが、あんなに真っ黒では何が何だかさっぱりわからない。よく恥ずかしげもなく、あんなものを“資料”として出してくるものだ)、当時の伏字はところどころが○○もしくは〓〓(ゲタ)になっているだけだ。よって全体の情況はわかり、しかし肝心カナメのところは消えているという、それこそ“徒に劣情を刺激”する構成となっている。隠すのと見せるのなら、隠す方が刺激的。でも一番刺激的なのは、見えそうで見えないその緊張感というやつである。出版側、もしかしてわかっていてやっていたのか。

そして伏字といえば、同書の第五章に出てくるエピソードがおかしい。1937年7月、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争に発展したことで、新聞報道に対する規制がさらに厳しくなり、1. 軍旗が写っている部隊の写真や軍旗に関する記事、2. 高級将校の大写し写真(肩章が見えなければ可)、3. 司令部、本部等の名称 ―後略― 等々が掲載不可になったのだが、ある部隊長の戦死について以下のような記事が書かれた際、これが問題になった。ちょっと長いが、そのまま引用する。

『加納部隊長は敵弾に中って戦死したが、加納部隊長は死の直前、軍旗をにぎらしてくれといったから、軍旗をにぎらしたら、にっこり笑って死んだ』とその悲壮の状景を表していたが、これを検閲に持っていくと、『軍旗は連隊を示すから○○にせよ』といって消された。ところがこれが新聞に現れると『加納部隊長は死の直前○○をにぎらしてくれといったから、○○をにぎらしたら、にっこり笑って死んだ』となり、ちっとも悲壮の状景が出ず、却って滑稽な場面を想像せしむるようなこともあった。 -引用終わりー

私は品性卑しいので、この○○に色々入れて遊んでしまい、ひとり大笑いした。上に書いた「伏字にする方が猥褻」説そのまま。本来、悲壮であった場面が、伏字にしたことによって却って内容に当たり障りが出てしまっている。記事を書いた記者、困惑したろうなあ。

ついでに言うと上記の報道規制強化、その他の項目には、5.支那兵又は支那人逮捕尋問等の記事写真中虐待の感を与えふる惧れあるもの 6.惨虐なる写真、但し支那兵の惨虐なる行為に関する記事は差支えなし、なんてのもあって、日本側が支那兵、支那人を虐待している(と見える)ような記事/写真は報道してはならないが、支那兵の惨虐行為は報道してよいと、もうはっきり二重基準で、これも爆笑ものである。

そして、この本を読む前に私が想像していた「出版側と当局側の攻防」だが、実態はだいぶ違っていたようだ。そもそも取り締まる当局の側は慢性的に人手不足で、出版されるあらゆる書籍、新聞、雑誌をすべて詳細に検閲することなど、とてもできない。そこで当局側は、「ときに脅し、ときに宥め、出版人や言論人とコミュニケーションを取りながら、彼らを規律・訓練することで、当局の意向を忖度させ、自己規制や自己検閲を行うように誘導した」のだそうだ。アメとムチ作戦である。

たとえば主要新聞社との間に直通電話を引いて、検閲官が編集段階で記事に介入できるようにし、同時に各社の担当者は検閲官と相談しながら記事を組み立てられるようにした。また、主要紙の責任者には「新聞掲載事項許否判定要領」の一部が秘密裏に通知された。「判定要領」の内容は詳細を極めたから、これは大変な便宜で、主要紙はこれを参照することで、発禁処分をさほど恐れずに紙面作りができるようになった。こうした経過をたどるうちに、新聞人はやがて検閲官の指摘を待つまでもなく、みずから問題箇所を排除するようになった、のだそうだ。

考えてみれば、新聞社、出版社だって「売れてなんぼ」の商売である。社会の木鐸としての使命がないとは言えないが、発禁ばかり食らって売れなければ会社は倒産、社員はは路頭に迷う。発禁を減らし、紙面の変更や記事の訂正、削除の手間を減らすため、“引っかからない”紙面づくりを心がけるようになるのは当然だ。ガリ版刷りの地下出版じゃないんだから、当局と“血みどろの抗争”をしている余裕なんかないのである。臍を噛みながら翼賛記事を書いた記者、嘘八百と知りつつ大本営発表を記事にした記者もいたろうが、総体としては当局の意向を忖度して自己規制していた/せざるをえなかった、ということのようだ。逆らった場合の当局による制裁も怖かったろうが、それより何より今も昔も日本は同調圧力の強い国だから。生き残りたかったら、“空気を読む”のは必須なり。

紫蘇

本日は素晴らしい上天気。抜けるような青空、輝く太陽。昨日と違って風もなく穏やかで、外にいるだけでうっとりと幸せな気分になれるような日。

おまけに、何週間ぶりかでどこも痛くない。頭も目も喉も胃も帯状疱疹部分も、どっこも痛くない! なんという解放感! 

但し、気温は高くない。朝、起きた時の外気温は6度だったし、日中の最高気温も20度止まり。うちの前を気持ちよさそうに自転車で通って行った人たちも、ご婦人の方は長袖のジャケット姿だった。私自身、家の中ですらカーディガンなしでは肌寒く感じたくらいだから、のんびりしたサイクリングなら、Tシャツだけでは寒かろう。

ところで今年、畑の隅に植えた覚えのない植物の芽が、ぽつん、ぽつんと出て来た。雑草にしては珍しい赤紫色の葉っぱで、ふちにギザギザの切れ込みが入っている。何だかよくわからなかったが、生えているのがあまり陽の当らない生垣に近い隅で、何も植える予定のない場所だったので、「まあ、いいや」とそのまま放っておいた。

そうしたら、その草はそのままぐんぐん成長して、草丈50センチくらいの立派な植物になった。数も大小含め、10本以上ある。葉や茎の色は、相変わらず赤紫色である。つくづくと眺めると、実によく紫蘇に似ている。葉を揉んで嗅いでみると、ツンと来るあの紫蘇のにおい。梅干しに使う、あの紫蘇の匂いである!

しかし、なんで今、ここに、紫蘇が生えてくるのか?


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確かに私は畑に紫蘇のタネを蒔いたことがある。2017年の夏にトロントに遊びに行った時、ジョゼがタネ交換会で貰ったという「Shiso」のタネを分けてくれたので、その10粒ほどのタネを翌春蒔いてみたのである。ただしその時は、何も出て来なかった。直播きだったし、10粒くらいしかなかったし、特に手をかけもしなかったので、ああ、駄目だったんだなと考えて、大して気にもしなかった。それが2年経った今年、突然、わさわさと畑に出現? なんで?

考えても突然大量に生えてきた理由はわからないが、こんなにたくさんあるからには、使わなくては勿体ない。緑の青じそ、大葉ならまだしも、赤紫蘇なんて梅干しくらいしか用途を思いつかないが、うちは梅干しのファンではないし、第一梅の実なんてこのあたりでは見たことないし、さてどうしたものかとネットであれこれ検索。紫蘇ジュースとかもあったが、あまり食指が動かなかったので、無難なところで「ゆかり」を作ることにした。塩もみして、酢をまぜて電子レンジで乾燥させ、胡麻や梅干と一緒にフードプロセッサで粉砕して出来上がり、ということだったが、うちには梅干しはないので省略。胡麻と戸棚で見つけた刻み昆布を入れてみた。あまり塩辛くなってもなあ、と塩の量と酢の量を加減したら、味見では適当と思えたのが、ご飯と一緒に食べてみるとかなり間の抜けた薄味で、こういうものは強すぎるくらいの塩加減で丁度いいのだと、今更ながら悟る。その後また塩と酢を追加してみたが、さて味は馴染んだろうか。

その他、ペストも作ってみた。ふつうはバジルと松の実で作るあのペストを、うちではチャイブとアーモンドに変えてよく作る。雪だるまはこれが大好きなので、紫蘇でも作ってみろと言うのである。赤紫蘇にアーモンドにオリーブ油、ニンニクなんてどう考えても合いそうになく、絶対ヘンだよなと思いはしたが一応作った。結果はやはりビミョウだったが、雪だるまは「なかなかいける」と言って、ハモスとともにピタにつけてぱくぱく食べていた。雪だるまの舌は、それが野菜、果物系である限り、許容範囲が広い。

ネットで見ると、紫蘇はこぼれ種で生えて来るそうだが(実際、今年生えてきたのはこぼれ種としか思えないが)、来年もまた出てくるだろうか。もし出てきたら、来年はどこかで梅干しを調達して、梅干し入りのゆかりを作ってみたいものである。白梅酢もあるといいが、これはモントリオールでも無理だろうな。

再開

  • 2020/08/24 10:24
  • Category: 言葉
9月から日本語講座再開。
自宅でやっている方も、センターでやっている方も全部。

感染者数、死亡者数ともカナダで断トツ1位のケベック州、
4月、5月の最盛期には毎日800人~1000人の新規感染者が出、
入院者数も1500人超の日々が続いていたので、
「こりゃ秋になっても講座再開は無理かしらん」と思っていたのだが、
その後、5月下旬くらいから感染者数が減り始め、
最近は新規感染者数は2ケタ台、入院者数も150人を割っている。
相変わらずマスクも消毒も必須だが、それでも店や街の雰囲気は
以前に比べ少しリラックスしてきたように感じる。
スーパーも「1家族につき1人」の制限がなくなり、二人一緒に入れるようになった。

そうした状況を受けてか、センターのオーナーのエディットさんから
「センター再開」の連絡が入ったので、私も再開することにしたわけだ。

生徒さんたちに連絡したら、うち一人から「すみませーん。休みの間、全然勉強してなかったので
最初は復習をしてください」というメールが入った。
そうだろうさ。私だって、あんまり久しぶりで教え方を忘れていそうだ。
外出せず、人にも会わなかったから、ずっとフランス語喋ってないし。
復習&リハビリが必要なのは、私の方だ。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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