青空あたま

水が半分入ったコップのたとえ話は、いろいろなところで引き合いに出されるので
いまさら説明するまでもないと思うが、「半分ある」か「半分カラ」か
「まだ半分ある」か「もう半分しかない」かという楽観、悲観の2つの見方に分けるなら
私は間違いなく「半分カラ」「もう半分しかない」と見る、悲観的なタイプである。
新奇なアイディアを聞けば、まず失敗するだろうと予想するし
「石橋を叩いて渡る」どころか、叩いて強度を確かめなければならないような橋は
はなから渡らない。落ちるに決まっている、と思うからである。

こういう性格はよく言えば慎重、堅実。“しっかり者”と人から評されることもあるが
本人としては微妙である。
何しろジンセイ、楽しくない。
何かをやってたまたまうまく行き、一瞬ぱあっと喜んだとしても
次の瞬間、「次回はこんなうまいことは行くまい」だの
「うまくいったように見えただけで、実際のところは失敗だったのではないか」だの
悲観的見方が暗雲のように視界を覆ってきて、一瞬のうれしさを帳消しにしていく。

うまく行ったように見える時でこれだから
失敗などしようものなら大変である。
どっと落ち込んで、胃の中にじっとりと重たい石を抱え込んだようになり、
そのことばかりが頭をよぎって、ぎゃあ、ぎゃあと悲鳴をあげ続けることになる。
およそ健康によろしくない。
それに第一、苦しい。

なので、失敗しても極力落ち込まないよう気持ちを前向きに、
失敗したことをくよくよ思い悩むのではなく、
今後に向け、建設的改善策を考えて失敗の苦しさから逃れようとするのだが
そのように頑張ってみても、落ち込みから抜け出すのはなかなか難しい。

実は昨日もそんな失敗をし、夜中、ぱっちり眼が冴えてしまって
なかなか寝付かれなかった。
寝付かれないので、文珍さんのと吉朝さんのと枝雀さんのと
「地獄八景亡者戯」を3つきいて、それから寝た。

朝起きた時には少しはましな気分になっていて
失敗の痛さもやや薄らいでいたが、
それにしてもこの物事を悲観的に見る性癖、
やり損ねたことばかりが頭の中をぐるぐるし、
自分に向かって「ばか、ばか、ばか!」と言い続ける、
万年軽度鬱病みたいなアタマは、なんとかならないものか。

ああ、一度でいいから、抜けるような青空に輝く太陽、みたいな
明るい人になってみたい。
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雪が降る 除雪車が来る

今日も雪が降っている。
この冬は、一時零下30度近い寒い日々が続いたが、その後気温が上がり
最近では寒くても零下15度くらいと、わりあい暖かい日が続いている。
「零下15度で“暖かい”のか?」と聞かれるとちょっと困るが
このあたりの基準でいけば、零下15度は特に寒いとは言えない。
ごくごく平均的な冬の気温なのである。
だからマダムたちとのお散歩も、続行されている。
みなダウンジャケットにスノーブーツ、マフラーに毛糸の帽子にサングラス
と重装備ではあるが、気温を理由に出てこないということはない。
むしろ、なまじ気温が0度近くまで上がって雪が融け、
それが再び凍って道路がアイスバーン状態になったりすると
「道が滑って危ないから、今日の散歩は中止」と連絡が入る。
気温が高い方が、歩けなかったりするのである。

それにこの冬は、道路の除雪状態がよい。
道路の除雪は町が専門業者と契約し、雪が降ると深夜あるいは早朝に
大型除雪車が来て、ガガガガーッツと除雪していくのだが
昨冬はこの除雪車がこまめに来ず、しかも除雪の仕方がいい加減だったので
残った雪で道路がでこぼこになったうえ、そこここに大きな雪だまりができて
道幅が狭くなり、車が走りづらくて困った。当然、人も歩きづらい。
2車線ある幹線道路ならともかく、もともと片側1車線しかない住宅街の道は
路肩の雪で道幅が狭くなると、すれ違いもままならなくなる。
歩行者も、車が来るたびに路肩の雪の中に避けなくてはならない。
歯に衣着せぬたちのジェリーなどは、業者のいい加減さに不満たらたらで
うちに来るたびに、ぶうぶう文句を言っていた。

もっとも除雪業者の仕事に不満だったのはジェリーだけではなく
またこの町内だけでもなかったようで、昨秋の町長選の時には
新しい候補者3人全員が、公約の一つに「除雪の改善」を挙げていた。
「なるほど、みんな不満だったんだな」と、ちょっと可笑しかった。
うちの町は15年ほど前に7町が合併してできた町で、
人口は5万くらいと大したことはないが、面積は広い。
だから、この広い町の中を網の目のように走っている道路すべてを
きれいに除雪するのが容易でないことはよくわかるのだが
公共交通機関がないも同然の田舎町では、車が命綱。
しっかり除雪してもらわないことには、仕事にも買い物にも行けず
日常生活に支障を来すのだ。

ちなみに町長選の結果は、現職の再選となったが
昨冬の除雪に対する不満は、彼の耳にも十分届いたようで
おかげでこの冬の除雪は大幅改善。
この記事を書き始めたのが昨日で、今日も引き続き雪なので
たぶん今夜か明日の早朝には、また除雪車がごおんごおんとやって来ることだろう。
除雪車が通ると、うちの前にスノーバンクができる。
明日の朝は、また雪かきだな。

浮遊物

去年の秋、雪だるまが「視野にゴミのようなものが見える」と言い出した。
目を動かすとそのゴミみたいなものも一緒に動く、というので
たぶん飛蚊症だろうと思ったが、同時に閃光のようなものが見えることもある
とも言うので、一応眼科医に診てもらった。

眼科医の診断はやはり飛蚊症とのことで、網膜剥離や網膜穿孔ではなかったので安心したが
残念ながら飛蚊症は加齢に伴う生理現象のようなもので、治療法はない。
現状では剥がれてしまった硝子体を元に戻すことはできないので
視野に漂うこのゴミのようなものは、いったん出現したらずっとそのまま。
消えることはないのだそうだが、幸い(?)、しばらくすると脳の方が無視することを覚えて
次第に気にならなくなるのだそうである。
実際、雪だるまも、3、4週間たったら気にならなくなったと言っていた。

とまあここまでは、夫婦とはいえ他人事だったのだが
今年になって私の視野にも黒いゴミが出現しだした。
雪だるまより5年も早い出現である。
しかも出現したのは、いい方の右の目。
まともにモノを見ることができない左の目なら諦めもつきやすいが
なんでよりによって頼みの綱の右の目に飛蚊症が起こるのか?

年を取るということは、こういう身体の衰えや不調と折り合いをつけ、
無理をせず、といって諦めきって活動を制限したりせず
身体を騙し騙し、やりたいことをやっていくことなのだとわかってはいるが
それでもだんだんにやってくるさまざまな衰えを「やれやれ…」という思いなしに
受け入れるのは難しい。
ついつい「もっと早く医学が進歩して、人工眼が実用化されればいいのに」と
草薙素子ちゃん並みの義体化を夢見てしまう。
スペアの目、欲しいなあ。

数の数え方

  • 2018/01/29 23:31
  • Category: 言葉
私はついほんのこの間まで、日本語における数の数え方は
きわめてシンプルで論理的だと思っていた。
とりあえず1(いち)から10(じゅう)までは覚えなければならないが
その後はその覚えた読み方の組み合わせ。
11は「じゅういち(じゅう+いち)」だし、12は「じゅうに(じゅう+に)」だし
20、30と増えていったって、21は「にじゅういち(2×10+1)」、
32は「さんじゅうに(3×10+2)」と、実にわかりやすい。

英語のように10を過ぎたところで突然、11(eleven)12(twelve)なんていう
どこから来たのかてんでわからない、異分子がひょいと出てきたりしないし、
ましてフランス語のように、70が「soixante-dix(60+10)」、80が「quatre-vingts(4×20)」
90が「quatre-vingt-dix(4×20+10)」なんていう、「なんでわざわざこんな数え方をするかね?」
と首を思いっきり傾げたくなるような七面倒くさい数え方など、どこを突ついても出てこない。
つまり、モノを「いち、に、さん…」と数えている限りにおいては、
日本語の数の数え方は、とても合理的で覚えやすいのだ。

が、これを実生活に応用するとなると、コトは俄然面倒になる。
覚えた数え方をそのまま使えるのは、月の名と「×時」くらい。
(9月は「くがつ」、4時は「よじ」など例外はあるが)
そのあとは、外国人泣かせの混沌の海だ。
たとえば「×時×分」と言う時の「分」は、「いっぷん」「よんぷん」などのように
数字の読み方が変わるうえ、「分」が「ふん」になったり「ぷん」になったり、
不規則に変化する。

日付の言い方はさらに面倒で、2日から10日までは
和語系の数え方である「ひとつ、ふたつ、みっつ…」から来た
「ふつか、みっか、よっか…」が使われるが、その後は漢語系の
「じゅういちにち、じゅうににち・・・」にころりと変わり、
そのまま行くかと思うと、14日で「じゅうよっか」と
漢語和語まぜこぜの言い方が出てくる。
おまけに1日と20日は「ついたち」「はつか」と、外国人にとっては
まったく出所不明、意味不明の言い方だ。
日付を正しく言おうとして脳内の記憶を検索しまくり、
「うー」と言ったきり立ち往生気味になる日本語学習者の苦悩に
心から同情したくなる。

おまけに、上に出てきた和語系の数え方「ひとつ、ふたつ、みっつ…」は
日付だけでなく、買い物、注文の時にも頻繁に使われるのだ。
たとえばちょっと休みたくなってス〇バに入ったとする。
カウンターで言うのはふつう「ラッテ、ひとつ」のように
「品名+和語系の数え方」で、「ラッテ、いち」とは決して言わない。

助数詞をつけて「1杯、2杯…」という言い方に変えれば
漢語系の数え方を使えるが、ス〇バのカウンターで
「カプチーノ1杯」と注文する人は、あまりいないのではないか。
少なくとも私は聞いたことがない。

それにこの助数詞というものも、日本語学習者にはけっこう面倒なのだ。
たとえば細長いものを数える時に使う「本」。
「1本、2本、3本・・・」と、漢字で書けば同じに見えるが
実際の発音は、「いっぽん、にほん、さんぼん・・・」と不規則に変化している。
いちいち丸暗記で覚えなくてはならない。
ついでに何にどの助数詞を使うかも問題で、
簡便にいきたければ、人と個と本と枚と冊くらいでなんとかなるかもしれないが
動物の数を言いたければ、どうしても頭と匹くらいは必要になるし
会社や工場で働くなら、機械を数える時の台も必要だろう。

子どもの時から日本で育っている人なら、生活の中で自然に覚えていくのだろうが
成人した後で一から覚えるとなると、いやほんとに大変だ。

こうして考えてみると、数の数え方が一番簡単なのは
私が知っている言語の中では中国語かな、と思う。
日本語の助数詞にあたる量詞はあるが
数え方は「yi、er、san、si…」と一通りしかないし、
11以降の数え方も日本語同様「10+1、10+2・・・」と規則的だ。
そして中国語の次に簡単なのが英語で、その次がフランス語。
ドイツ語とかロシア語は知らないので比較できないが、
まさか日本語のように数え方が二通りあったりはしまいねえ?

ルームシューズ6足

頭の中で初級日本語がぐるぐるしている毎日ではあるが、
相変わらず編み物の方もしている。
クリスマス後のパーティで従弟から、男性用のルームシューズを何足か編んで、と頼まれ
どうせ編むのなら、少しは凝ったのがいいよねえ、とこんなのを編んでみたが

IMG_1360.jpg

指定糸とは違う糸で編んだらやたら大きくなってしまって
いくら180㎝超の従弟でも、これはちょっと大きすぎでは?という出来上がりになった上、
片方編むだけでも結構時間がかかり、こんなことをしていては冬の間に編み上がらない
と思ったので、反省して次は一気にずぼらに基本くつした型。
極々太で編んだので、あっという間にできた。

IMG_1359.jpg


しかしやっぱり、あんまり簡単なのは編んでて面白くない。
で3足目は、ほどほどに縄編みなど入ったブーツ型を選択。

IMG_1365.jpg


そして最後は、2番目のずぼらくつした型をちょっと変形、
ブーツ型にし、最後の伏せ止めだけちょっと遊んで白黒にしてみた。

IMG_1364.jpg


従弟の家は息子2人に娘1人だから、これだけあればとりあえずは足りるだろう。

しかし、実はアルバトロスでも今全員でルームシューズ編みにかかっており
そちらのためにもルームシューズを編んでいるので、
ただいま従弟用とアルバトロス用と、家のあちこちにルームシューズが散乱していて
少々食傷気味。
なにか違うものが編みたい。
帽子でも編もうかしら。

奇跡的に

  • 2018/01/20 23:31
  • Category: 言葉
第1回目の授業は、奇跡的にうまく行った。
生徒の数が先週聞いていた4人から、その日の朝、5人に増え
そして夜になって実際に蓋を開けてみたら6人になっていて
「ぎゃあ、テキストが足らんじゃないか!」と少々焦ったが、
それはGちゃんに私用の控えを渡して問題解決。

雪だるまに「生徒がわかるかどうか、わからない」と言われていた私のフランス語も
幸い生徒がみな熱心で、協力的で、なまりだらけの片言フランス語でも
わかろうという態度で聞いてくれたし、
私の説明がわかりづらかったり、足りなかったりした場合は
すかさずGちゃんが横から補足してくれたので、
なんとかみな、私の言わんとしているところを理解してくれたと思う。

それに、事前に教師経験のある友人たちから
「重要なのはあなたが喋ることではなく、生徒に喋らせること。
できるだけ生徒に喋らせなさい」と口を酸っぱくして言われていたので
アドバイスにしたがい私からの説明は減らし、生徒の練習に時間の大部分を割いた。
私の下手くそな説明を聞くよりよほど役に立つし、
いずれにしても初回、あいさつの練習をしている段階では、説明事項もあまりない。
「こんにちは」や「ありがとう」が、自然に口を突いて出ればいいので
なぜそう言うか、など考えなくてもよい。

ちなみに6人の生徒は、女性3人、男性3人。
日本語を勉強したい理由は、日本のアニメが好きだから(高校生のSちゃん)
空手をやっているから(Sさん)、日本に旅行に行きたいから(Oさん)
仕事で時々日本に行くから(Yさん)、日本に友達がいるから(Gちゃん)
いろいろな外国語を勉強するのが好きだから(Eさん)、とさまざまだ。
はっきり聞いたわけではないが、Eさんを除き、みな少し日本語を齧ったことがあるようで
あいさつやローマ字の読み方などは、みな苦も無くこなした。

さて次回は、自己紹介。
「わたしは ×× です」など、“文”が出てくる。
今せっせとテキストを作っているところだが、文が出てくるとなると少しは説明をせねばならず
しかし初級の段階で、しかも10回しかない授業で、あまり詳しい説明をしている時間はなく
さてどこまで説明するのが適切か、と少々頭を悩ませている。

このところ夜、眠りに落ちる前、最後に考えるのも授業のこと、
朝、目が覚めて最初に頭に浮かぶのも授業のこと、
頭の中で「日本語」がくるくる回っている。




今更そんなこと言われたって・・・

  • 2018/01/16 20:50
  • Category: 言葉
例の日本語講座が、今週から始まる。
この前の日曜日に発起人と打ち合わせをするまで、
私はこれは有志の人に日本語を教えるボランティアみたいなものだろう
と思っていたのだが、日曜に打ち合わせ会場に出かけて
実はこれはスペイン語、ドイツ語、英語を含めた語学講座の中の一つで
生徒を募集し、お金を頂戴して教えるのだと知って、正直、青くなった。
無料と有料とでは、責任の重さが違う。

が幸い、田舎町のこととて生徒は4人しか集まらず、
しかも、うち一人は発起人のエディットだし、もう一人もアルバトロスメンバーだし
正味の外からの生徒は2人だけとなったので、少し気が楽になったが
お金を頂戴するとなれば金額に見合っただけの内容にしなくてはならず
ためにこのところずっと、教案と生徒に渡すプリント作りに明け暮れている。

教科書はない。私が通っていた町政府のフランス語講座でもそうだったが
教科書というかテキストは、全部先生が作っていた。
他のスペイン語、ドイツ語講座等も、市販の教科書は使わないようだ。
なにしろ1回2時間×10回しかないのだから、教科書を用意したとしても
全部教えている時間はないし、生徒の方でも日本留学や日本で働くことを
想定しているわけではなし、詳しくやりすぎては付いてこられない。

で、まあ、基本事項や文例だけをわかりやすく並べたテキストを作っているわけだが
問題は私のフランス語。
生徒は全員ケベッコワで、フランス語という共通の言語があるのだから
文例にしろ文法事項にしろ、フランス語を使って説明するのが一番効率的なのだが
いかんせん、私のフランス語はそんなことを流暢に説明できるレベルにはない。
もちろん事前によくよく練習し、説明を丸暗記し、本番に臨むのではあるが
それでも生徒から想定外の質問をされた場合、とっさにフランス語で
回答することができるとは、とても思えない。
で、考えた末、生徒の一人、アルバトロスメンバーのGちゃんを
私のアシスタントに任命し、フランス語でうまく説明できない場合は
代わりに英語で説明し、それをGちゃんに通訳してもらうことにした。

彼女はアルバトロスメンバーにしては珍しく若い30代で
すでに独学でほんのすこーし日本語を勉強しているうえ、
英語も話すので、私との意思疎通に問題がない。
家も比較的近く、アルバトロスへの行き帰り、車のない彼女のために
私が車で拾ったり、送って行ったりしているので、まあ親しい。頼みやすい。
で、彼女に打診すると「もちろん、喜んで」と快諾してくれたので
正式にアシスタントをお願いすることにした。ちょっとほっとした。

その代わりと言ってはなんだが、彼女の授業料は割り引く。
あるいは場合によっては、全然もらわなくても構わない。
どうせもともとボランティアだろうと思っていた日本語講座である。
会場代が出て、コピー代、ガソリン代などの実費がまかなえれば
それで十分なのだ。

お仕事時代、さんざんプレゼンをやったので
人前で喋ることに抵抗はないが、
それに相手が何を言い出すかわからない通訳に比べれば
あらかじめ喋ることがわかっている授業は、比較的楽だとも言えるが
さてさて、うまく行きますかどうか。
教師経験のある友人たちはみな「楽しんでおやりなさいよ」と言うが
私は楽しくても、生徒が楽しくないんじゃ何にもならないしなあ。

と、ここまで書いたところで、夜、雪だるまの前で授業の練習をしたら
「私は君の発音に慣れているから、なんと言っているかわかるが
生徒がわかるかどうかはわからない。一度Gちゃんの前で練習してみなさい」
と言われてしまった。
がああああん・・・

そんならなぜもっと前に、つまり過去2年間の音読練習中に、
私の発音を徹底的に直してくれなかったのだ?
今更そんなことを言われたって、1日、2日で発音の矯正などできるものではない。

何だか胃の中に重たーい石を投げ込まれた気分である。
どうしよ?
と言ったって、できるだけまともになるよう練習するしかないのだが。

冬の洗車

昨日、一昨日はおかしな天気で、どんよりと曇った空から雪ではなく雨(!)
が落ちてきた上、気温が一昨日は4℃、昨日は9℃まで上がって、
庭に積もっていた雪が、半分方、融けた。
その2、3日前までは連日零下20~27℃くらい日が続いていたのだから
一気に30~40℃気温が上昇したわけで、温帯の国では考えられない変動幅である。
外気の暖かさに触発されたのか、家の中では窓際で越冬していたてんとう虫が
モゾモゾと動き始め、果てはぶーん、ぶーんと飛び回り始めて
「あれ、あんたたちまだ生きていたの?」と私をびっくりさせた。
うちの居間の窓には20匹くらいのてんとう虫がいるが、
寒い時はみなじいっと縮こまって動かないし、
中には窓の結露が凍った際に、一緒に氷に閉じ込められてしまっているのもいるので
私はもうみんなほとんど死んでいるのだろうと思っていたのである。
それが実は寒さで動けなくなっていただけだったとは・・・

それはともかく、昨日はこのように気温が高く、しかも雨だったので
私と雪だるまは「チャンス!」とばかりに車を車庫から引っぱり出し
ドライブウェイに停めて、雨に当てた。
雨を使って、手抜き洗車をするつもりだったのである。

冬場は雪や融雪剤や、すべり止めに撒かれる土で車の汚れが激しいのだが
あまり気温が低いと洗車もままならない。
洗おうと水をかけた瞬間、その水が凍ってしまうからだ。
お湯を使っても同じ。かけた瞬間は湯でも、数秒後にはしゃりしゃりした氷になって
車の表面で固まっている。
そして、そのシャリシャリを拭き取ろうと手に持っているタオルも
水分が染み込むにつれ、凍り始めるのだ。これでは洗うに洗えない。
自動洗車場もあるが、外気温が零下25℃以下だと閉まっていたりする。
ブラシを使わない、水と洗浄液だけで洗車するタイプが多いので
あまり気温が低いと、うまく機能しないのかもしれない。

しかし外気温9度となれば、水が凍る心配はない。
(凍らないから、雨が降っているのだ。凍る気温なら雪になっている)
しばらく外に置いて雨に当て、ざっと汚れを落としたところで
洗車用モップで下の方にこびり付いている泥汚れを落とし
2、3回湯を変えて、すすいで完了。
久しぶりにぴかぴかにきれいな車になった。
大変、気分がよかった。

とは言うものの、車がきれいでいるのも次のお出かけまで。
今日はまた零下15℃と、この時期の通常気温に戻り
しかも半分吹雪のように雪が降っているので、
明日ジムに出かければ、車は元の木阿弥。
雪、泥汚れをはねあげて、元の車体の色もわからないような有様になるだろう。
寒冷地で、冬場きれいな車を保ち続けるのは、土台不可能なのだ。
この地で、きれいな車で走れるのは夏場だけ。
ああ、早く暖かくならないかな。
もう雪と曇り空とスノーパンツなしでは外に出られない気温には飽きた。
私は半袖で外に出たい。
自転車に乗り、風を切って坂道を駆け下りたい。

線路は続くよどこまでも

  • 2018/01/06 05:33
  • Category: 言葉
日本を離れて以来、“年末”とか 、“お正月”とかいうものがなくなってしまい、
クリスマス疲れを引きずって、半覚醒状態で日を送っていると、
あっという間に1月もすでに5日である。

去年はクリスマス直前に寝込んでしまい、
イヴには家族5人がうちに集まることになっているのに、
起きられなかったら掃除や料理はどうしたらいいのだ?と青くなったが
幸い24日の午後には何とか動けるようになり
レヴェイヨンはどうやらこうやら無事に済んだ。

その後、28日にはまたうちで従妹たちを呼んでのパーティがあり、
1月1日はフランスの家で会食と、寄り合い続き。
しかし子どものいない年寄りばかりの集まりで
しかも家族は5人だけとなると、3回目に集まる頃には新しい話もなくなり
話題が尽きて、食卓には頻繁に天使が通り過ぎる始末。
1日の会食は、8時にはお開きになった。
少々寂しいような気もするが、平均年齢65歳超で、
“お喋り”といえる人間は、家族内に一人もいないのだから仕方がない。

来週からはまたお散歩会も始まるし、アルバトロスも始まる。
そして今年は、有志4、5人の小グループで日本語を教えてほしい
とも言われているので、日曜までに授業の大枠を簡単に作ってみなければならない。

もっとも日本語を教えるとは言っても、言われている授業数は1回2時間×10回。
計20時間でしかないので、やれるのはほんのさわりだけ。
「こんにちは」や「ありがとう」が言えるようになり、
日本の行事や習慣のいくつかを説明できれば上出来というところだろう。

発起人のエディットは、この方式でスペイン語講座をやって
けっこううまくいったからと言うのだが、フランス語と文法構造や語彙に共通点が多く
読み書きには同じアルファベットを使うスペイン語とは異なり
日本語はフランス語とは似ても似つかぬ文法構造。
語彙も全く異なるうえ、読んだり書いたりするには各46文字のひらがな、カタカナのほか、
2000字以上の漢字を覚えなければならない。
20時間では、文法を詳しく説明している時間はないし、
漢字はおろか、ひらがな、カタカナを暗記し、覚え込む時間もなかろうから
「読み・書き」はハナから諦めるしかない。

参加者の中には、日本旅行に備え、案内板等読めるようになりたい
という人もいるらしいが、まあ東京都内および外国人がよく行く観光名所なら
駅名、地名や街の案内板は、たいていローマ字表記もあるから
ローマ字の読み方さえ覚えれば、自分がどこにいるかくらいはわかるだろう。
それ以上、新聞、雑誌とか、ふつうの漢字かな混じりの日本語を読めるようになりたければ
その場合は時間単位ではなく、年単位で頑張ってもらうしかない。
日本語は、日常会話程度なら聞き、話すのはさほど難しくないが
読み、書くのは相当に面倒くさい言語なのである。
これは雪だるま始め、私の周りの日本語学習者(母語はいろいろ)
全員が言うのだから間違いない。
20時間で何とかなるようなことがらではないのである。

ネットなどではよく「×十時間で話せる○○語!」というようなタイトルを見かけるが
正直、あんなものは大ウソであると思う。
まあ世の中には天才的に語学の勘のいい人がいて、
初めて触れる外国語でも、×十時間でモノにできたりするのかも知れないが
たいていの人は、そんなふうにはできていない。
わたしなぞ、フランス語をつつき始めて6年、いまだ言いたいことも言えない
半聾唖である。外国語の道は、長く、遠いのだ。
線路は続くよ、どこまでも。やれやれ。

アルバトロス

  • 2017/12/20 02:41
  • Category: 雑記
11月の終わり頃から、アルバトロスというグループの活動に参加し始めた。
アルバトロスというのは、死期間近の人たちおよびその家族の支援を目的とするグループで、
ホスピスでの介護ボランティアとか、さまざまな活動をしているが、
私が参加し始めたのはその中の一つ、編み物を編んでそれを売り、
売り上げをグループの活動資金に充てるというもの。
ジムで仲良くしているJさんの友人からその話を聞き、
「それなら私にもできるかも」と思って紹介してもらった。

ホスピスでのボランティアなどは、たとえ掃除だけにしろ、いまだ片言の私では話にならないが、
編み物ならどうせお楽しみのために毎日やっているのだし
それが何かの役に立つのなら一石二鳥。
それにグループの編み手たちは、毎週会場に充てられている部屋にみんなで集まって
休みなく手を動かして編み物をする一方、口の方も盛大に動かしておしゃべりに励んでいるので
私にとっては、編み物をしつつ、ただでフランス語の勉強をさせてもらっているようなもの。
これを勘定に入れれば、一石二鳥というより一石三鳥と言った方がいいような、お得な活動なのである。

活動時間は平日の昼間だから、勢いメンバーはお散歩会のメンバー同様
60代から70代の女性たちで、元教師とか元看護師とか、職業を持って働いていた人たちが多いようだ。
先々週からは86歳だというマダムもメンバーに加わり、私の隣に座って手袋を編んでいらしたが
聞くところによると、彼女は昔、消費者保護のための活動をこの町で始めた人で
その活動は徐々に町から地域、ケベック全体へと広がって政府にも取り上げられ
彼女自身は上院議員も務めた人物だそうだが、そうした話を聞く前から
教養ある、しっかりした話し方をする人だと感じていたので
前歴を聞いて「道理で」と合点した。

11月の終わりからの参加なので、私はまだ帽子2つしか編んでいないが
とりあえず編んだ帽子は2つとも売れた。
うちで編みかけていた帽子をグループ用にしたので、それらの帽子には手持ちの糸を使ったが、
グループは寄付されたらしい大量の毛糸を在庫に持っていて
メンバーはその中から自由に毛糸を選んで編んでよいことになっている。
先日見せてもらったが、毛糸は色別にプラスチックケースに入れられ
階段下の物入れに積み上げられていた。
ラベルがなくて材質不明の糸が多かったが、まあ見て触ればアクリルかウールかはだいたいわかるし
アクリルだからどう、ウールだからどうという制限はグループにはないので
自分が編むものに合った糸でさえあれば、材質はどうでもよいのである。

メンバーの中には、古い毛皮のコートを壊し、小さく切って毛皮のポンポンを作っている人もいる。
寒い土地柄なので、毛皮のコートのお古はけっこう簡単に手に入るらしく
作っているマダムの前に置かれたビニール袋の中には、色々な毛皮の端切れが詰め込まれていた。
そしてできあがったポンポンは帽子やマフラーにつけられたり、
それぞれの元の素材、“オオカミ”とか“ビーバー”とか“オポッサム”とかラベルをつけられて
単独で売られたりしている。キーホルダーに加工されているのもある。

殺されてしまった動物には申し訳ないが、本物の毛皮のポンポンは
毛がふわふわと柔らかく、しっとりと手触りがよい。
作っているマダムの一人は、「私は 自分のsanté mentale (精神衛生)のために作っているのよ」
と言っていたが、確かにしっとりした毛皮をさわりながら作業をするのは
心の安定によいかもしれない。
以前にも書いたが、柔らかいものは心を和ませる。


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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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