怒涛の春

あいや、10日以上もブログをさぼってしまった。
怠けていたわけではないのだが、春はどうもやることが多くていけない。
ことに庭仕事。
ブログをさぼっていた間に、恒例の芝掻きをし、
冬の間物置にしまってあった雨水桶を出してきて、新たに組み直した土台の上に乗せ
(去年、目見当で適当に土台を組んだら、左右がびっこで具合が悪かったので、
今年はちゃんと水平器を使って少し前傾気味に、しかし左右は同じ高さになるよう調整)
畑を掘り返してコンポストを入れてエンドウと人参の種蒔きをし、
ついでに畑の豊かな土に惹かれたのか、芝生がだいぶ畑の方に入り込んで来ていたので
芝生との境に芝止めを埋め込んで侵入を阻止し、
前庭に植えてあるボーダーリリーが、4年目ともなると株が増えて窮屈になってきたので
ちょっと芝をはがして芝止めを移動させ、ボーダーの幅を広げて楽に根が張れるようにし、
そうこうするうちにだいぶ暖かくなってきたので、少しずつマリーゴールドとパンジーの定植を始め、
家の側面にずらり植えられているアジサイの葉っぱが出始めていたので、芝にかからないよう柵を立て、
ユリの葉っぱを食い荒らして穴だらけにする小さい赤い甲虫と
アジサイの葉っぱを食い荒らす葉巻虫退治に毎日ユリとアジサイの株を巡回し、
5月も下旬になったので、そろそろだいじょうぶだろうと
苗屋に行ってミニトマト4株(赤、黄、オレンジ、黒)、キュウリ2株の苗を買ってきて畑に植え、
玄関先の花鉢4つに牡丹色と白のペチュニアを植え、余ったペチュニアで花籠を作り、etc. etc...

ことほど左様に、春は庭仕事が多いのである。
が、この時期を過ぎてしまえば、後は花がら摘みと定期的な施肥、水遣りくらいしかないので、楽ちん。
夏の日射しの下、元気よく咲いている花を、ぼおっと眺めて楽しんでいればよい。
ちなみに今花盛りなのは、ムスカリ。


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去年の生き残りのパンジーも、何株か咲いている。

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チューリップも咲いたのだが、ある晩、突風が吹いて、だいぶ首が折れた。
ことにアントワネットチューリップは全滅。
だいたいこれは名前が悪かったのかもしれない。
なんたってアントワネットだから、首が落ちるのも道理かも。

首折れを集めて、花瓶に生けてみた

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怒涛と言えば、この時期はサン・モーリス川も怒涛の勢い。
雪解け水を集め、岩をも砕くような勢いで流れていく。

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『Hidden Figures』

  • 2017/05/11 03:20
  • Category: 映画
こうしてケベックの田舎に住んでいると、
自分がマイノリティであることは、常に頭のどこかにある。
白、黒、黄色取り交ぜて、様々な国からの移民が通りを歩いているモントリオールや
すでに非白人の方が多数になったトロントのような大都会ならいざ知らず
この人口5万の田舎町では、住民の9割以上がフランス語をしゃべる白人で
そんな中で、黄色っぽい皮膚と平面的な顔立ちをもった東アジア系は
どう頑張っても“ビジュアル・マイノリティ”であることは免れず、
“マジョリティ”=一般住民の中に紛れ込むことはできないからだ。
喋りさえしなければ、地元民のふりをして雑踏に紛れ込めた香港
(だって何しろ同じような顔、身体つきなのだ)とは、この点、大きく違う。

もっとも、21世紀の現在では、紛れ込めないからと言って
すぐすぐ不都合が起こるわけではない。
法や建前の上では、移民だろうが、マイノリティだろうが権利は平等、
対等な立ち位置が保障されている。
学校や職場といった集団の場では、陰に陽に差別や不平等があるにしても
その差別や不平等はあくまで日陰の植物的な隠されたものであり、
白日の下に晒して、その正当性を主張できるようなものではない。

だからと言って“ビジュアル・マイノリティ”の意識の中から
自身が少数者であるという認識が消えるわけではないが、
(市民権を得ようと、数の上では多数になろうと
マイノリティはマイノリティ、その皮膚の色が、外貌がある限り
ある日突然、“差別”あるいは“区別”される対象となる可能性があるということ、
それがどんなに不当で理不尽で不合理なものであっても
青天の霹靂のように起こりうる可能性があることを
頭の隅の隅、奥の奥で、わかっているから)
少なくとも、差別を不当だと言える根拠があるだけましだ。

が、この映画『Hidden Figures』の主人公たちが生きた時代(60年代初頭の米国)は、
そんな不当な差別を、不当だという根拠すらなかった時代。
差別することが合法で、平等を要求することが違法だった時代だ。
主人公たち3人、キャサリン、ドロシー、メリーは、他の多くの黒人女性たちと共に
NASAで専門職として働いているが、黒人で、しかも女性であるため、
賃金は白人たちより低く、役職には就けないなど、
あらゆる面で区別、差別されている。

その一人、高等数学に天才的な才能を持つキャサリンは、
計算手(computer)としてスペース・タスク・グループに配属されるが
同じ職場の人間(ほとんど白人の男性)は彼女を同僚とは見ず、
ただ計算のためにそこにある機械として冷ややかに遇し
「これ今日中に」「これ昼までに」と、次から次へと複雑な計算業務を落とし続けるだけで
その計算をする彼女の労働環境がどれほど非人間的か気付きもしない。

たとえばSTGに配属された初日、彼女はトイレに行きたくなって
同じ職場の白人女性(彼女に仕事を振るところから見て
彼女よりは立場が上の人間)に「トイレはどこでしょう?」と尋ねるが
その女性の答えは「“あなたの”トイレがどこにあるか知らないわ
(I have no idea where your bathroom is)」
私はこの“your”に引っかかり、一瞬、NASAのトイレは
どこかの大企業の食堂のように、幹部用と一般職員用と分かれているのか?
と思いかけたが、次の瞬間、「あ」と気付いた。
キャサリンはもちろん「黒人用の女性トイレはどこか」と聞いたのであり
聞かれた白人女性の方は、(自分たち、白人女性用のトイレがどこかはもちろん知っているが)
「あなた方、黒人女性用のトイレがどこかは見当もつかないわ」と答えたのである。
で結局キャサリンは、高まる尿意を押さえつつ、
トイレを探して広大なNASAの敷地の中を走り回ることになる。
そして自分の職場からは1km近くも離れた、
黒人女性が多く働く建物の中に見つけるのだが
それから毎日、彼女はただトイレに行くためだけに
往復2㎞近い距離を、1日数回走ることになる。
しかも制服と定められた膝下丈のスカートとヒールで。 
万事如此。

場所や物は、すべて“colored”と“white”に分けられている。
初めは1つしかなかった職場のコーヒーポットは、
彼女がその同じポットからコーヒーを飲んでいるとわかったとたん
いつの間にか小さい“colored”用が加わり、しかしポットはほとんどいつも空。

“colored”用トイレのせっけんやペーパータオルは切れがちだし
バスでは“colored”用と定められた後部に座らなければならない。
公共図書館も “colored”のコーナーとそれ以外とに分かれており
“colored” は白人用コーナーの書籍を閲覧することはできない。
学校ももちろん分かれており、“colored”は“colored”の学校にしか行けない。

よくもまあ、ここまで分けたものだと感心するくらい
生活の細部にまでわたって、“colored”と“non-colored”は分けられ
“colored”は常に劣位に置かれている。
当時、建前としては“colored” “non-colored”は
「分離すれども平等(separate but equal)」とされていたが
何が平等なものか。
本当に平等なら分離する必要などないわけで
分離しようとの意図が頭に浮かぶ時点ですでに両者は平等ではあり得ず、
どちらかが優位に立ち、どちらかが劣位に置かれるのだ。
「分離すれども平等」なんてのは、まやかしに過ぎない。

そしてこの映画の中の徹底した差別の図式は今の日本人から見ると
白人による黒人差別の図式、つまり黒人対白人の対立の図式で
日本人はリングの外、自分とは関係ない国で、関係ない人たちの間に起きた
歴史上の出来事、のように見えるかもしれないが、なんのなんの。
普段あまり意識に上ることはないだろうが、
日本人を含む東アジア人は所謂黄色人種であり、
つまりは有色人種、“colored”なのだ。
厳密には同じ“colored”でも、黒人に対する差別と
アジア系に対する差別には微妙な違いがあったようだが
しかし“colored”か“non-colored”かと聞かれれば、
黄色い皮膚のアジア系は、明らかに“colored”。
この当時の米国南部に暮らしていたなら、
黒人やネイティブアメリカン同様、バスでは後部に座り、
“colored”用の切符売り場で列車の切符を買い、
“colored”用の水飲みから水を飲む人間。
NASAで働いていたなら、キャサリン同様、“colored”用のトイレを探して
走り回る側の人間なのだ。
対岸の火事など、とんでもない。

そう思ってみれば、他人事でなくなる分、この映画はより面白いのではないか。
一応実話を基にした話で(映画としてまとめる都合上、多少脚色した部分はあるようだが)
まったくの絵空事というわけではないし、俳優さんたちの演技も達者だ。

それにしても、私は普段、人間は科学技術の面では大きく進歩してきたが
徳性の面では一向に進歩していないと、
人間という生き物に対し悲観的な見方をしがちなのだが
こうして60年前と今とを比べてみると、とりあえず公民権法の成立(’64)以降、
米国では人種、宗教、性別等による差別はいけないという建前になったし
南アのアパルトヘイトもマンデラによって撤廃された(’94)し
本当に遅々たる歩みではあるが、少しはましになってきていると言えるのか。
現実には差別は一向になくならず、世界各地で常に新たな標的が生まれている
状態であっても、一応「差別は不当」と言えるようになったという点で。



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糸通し

ビーズ刺しゅう用の針とかは、ふつうの糸通しでは糸を通せない。
針穴が小さいので、糸通しのワイヤー部分はなんとか入っても
そこに糸の厚みが加わると、もう針穴を通り抜けられないのだ。
刺繍で微細画を描くようなニードルペインティング用の10号とか11号の針はなおさら。
そもそも刺しゅう糸1本通るのがやっとくらいの穴しか開いていないのだから
いくら細くてもワイヤー2本、糸2本(糸通しのワイヤー部分に糸を通し、
それを引っ張って針穴に通すのだから、針穴通過時には糸は二重になっている)
の計4本が通るわけはないのである。


こういうことですね

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がしかし、私は糸通しなしでは針に糸を通せない。
巷には「よく切れる鋏で糸を斜めに切り、糸先がほんの少し出る程度に
指先でしっかり挟み、糸を針に近づけるのではなく、針を糸に近づけるように・・・」
すれば糸は通る、などという記述があるが、
これは天性指先が器用で、しかも視力の大変よろしい方向けの方法であるように思う。
少なくとも、私はこのやり方では、目を点のようにして針穴をにらみ、
息を殺して数分間がんばっても、針に糸を通すことはできなかった。

したがってやはり糸通しに頼らざるを得ないのだが
ビーズ用の針は、ともすると日本で買ってきた絹針用の糸通し、
ふつうより細いワイヤーを使ってある糸通しですら
糸が針穴を通る時にかなり抵抗があり、引っ張った拍子に糸が切れてしまうこともしばしば。
まあ、糸が切れるくらいは、もう一度やり直せばすむからいいが、
こんなふうに無理やり引っ張っていたのでは、
そのうちにワイヤーの方が切れてしまうのではないかと
そちらの方が心配になってきた。
何しろ当地では、こういう細いワイヤーの糸通しは売っていないのだ。
切れたが最後、補充はきかない。

で、他に何かよい代替品はないかとネットをうろうろしていたら
「糸通しを作る」というサイトにぶつかった。  こちら
この方は別に特に細い針用の糸通しを作ろうとしていらしたわけではないが
原理は同じである。
で、さっそく、真似こじき。

電線の切れ端など手近になかったので、
いつだったかエアカナダの機内で貰った、どーでもいいようなイヤフォンをちょっきん。
被膜をはがすと、中には銅線らしいほそーいワイヤー、
青く光るほそーいワイヤー、白いファイバーの3本が入っていて
その細さたるや、まさに極細針用糸通しにうってつけ。

実際、このワイヤーで糸通しを作り、糸を通してみると、
細いビーズ針でも、何の抵抗もなく糸が通った。
大成功である。
しかも糸通しに必要なワイヤーは8センチもあれば十分だが
イヤフォンコードは2本に分かれ、それぞれ1メートル以上あって
中には2本のワイヤーが入っている。
つまり延べ4メートル超のワイヤーがある勘定になるわけで
400÷8=50
計50個の糸通しが作れるわけである!
糸通しなどそうそう壊れるものではないから
これで私は死ぬまで、糸通しには困らない。
やっほー


ただひとつ遺憾なのは、作った糸通しの持ち手部分が
いかにも素人の細工で、お世辞にも美しいとは言えないこと。
まあ手近にあった材料で、試しに作ってみたものだから仕方がないが
次回はもう少し何とかデザインを工夫したいところである。


左が市販の絹針用糸通し。この写真だと光線の加減か、右側3つのワイヤーの方が
太いように見えますが、実際には絹針用より細いです。


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ラティ君 2

  • 2017/04/26 12:08
  • Category: 動物
庭の雪がほとんど消えかかっている。
そろそろラティ君を捕まえなければならない。

今年の初め、雪の中に姿を現してから4か月、
ほとんど毎日ちょろちょろとデッキに現れては鳥たちがこぼしたタネを漁り
私たちを楽しませてくれたラティ君だが
雪が消え、窓を開ける日も近いとなれば、このままにはしておけない。
いくら可愛くても、人間とネズミでは同居は無理なのだ。

すでにネズミ捕りも買ってきた。
中に餌を入れて誘い、生け捕りにするタイプの罠だ。
ちゃんと引っかかってくれるかどうかはわからないが
殺すつもりはないので、このタイプ以外は使えない。

雪だるまは「今週中には何とかしなくては・・・」と言っているが
彼自身、ラティ君が可愛くて仕方がないので、
どうも延ばし、延ばし気味。

私ももうすぐお別れかと思うと何だか残念で
昨日はリンゴの芯を大盤振る舞い。
コンポートを作るのに4つほど剝いたリンゴの芯を
アルミ皿にのせてラティ君に与えた。
「ネズミに餌をやってどうする?」てなもんだが
しかし可愛いものは、可愛い。

ラティ君はリンゴの芯が気に入ったらしく
何度も何度も皿のところに来ては咥えて帰り
皿はあっという間に空になった。

捕まえたラティ君を森に放すときには
リンゴを土産に持たせようか・・・


ラティ君近影 ちょうどこちらを見上げたところ

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庭仕事始め

雪が半分方融け、ぽつぽつと花壇が顔を出し始めたところで、
今年最初の庭仕事を始めた。
まずは掃除の手抜き半分、雪除け半分で花壇に被せておいた
落ち葉の層を取り除く。
ついで立ち枯れている去年の花茎を切り、
枯れ葉を取り除いて、新芽が出やすくする。

落ち葉の下には、きれいにつやつやしたミミズがたくさんいて
うれしくなる。
がんばって、ウチの土を豊かにしてくれ給えよ、ミミズくん。

そして2、3日前まで雪の下だったのに、
落ち葉を取り除いてみると、その下からすでに
チューリップや水仙の芽が顔を出していて
毎年のことながら、零下30度でも越冬できる植物の強さに驚く。


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気の早いスキルやクロッカスなどは
隣に雪が残っていても、もう花をつけていて
当地の短い春夏を、大急ぎで駆け抜けていく感じである。



スキル

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クロッカス

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先日の収穫

  • 2017/04/19 10:52
  • Category: 雑記
先日、久しぶりに中古屋さんに出かけた。
そして大収穫にほくほくして、大満足で帰ってきた。

今回の目玉は、なんと言っても手芸用品。
まず、レース糸が10玉くらいあった。
もちろん全部使いかけだが、その代り値段は1玉25~75セント。
新品を買うと、1玉4~5ドルはするのだから、
たとえ半分くらいしか残っていなくても、この値段ならお買い得だ。
色は今回は生成りというかベージュばかり。
でも前回、白、緑、ピンク、黄などが出ていた時、
それらをあらかた買い占めたので、今回はベージュばかりでも文句なし。
ちょうどちょっとくすんだ色で、昔風のものを何か編みたい
と思っていたところなので、ちょうどいい。


レース糸。太さは♯3~10

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その他、青系のパイピングテープがあったので
これもあるだけ買い占めた。
こちらはレース糸とは違い、ちょっと古そうではあるが、封は切られていない新品。
ひとつ25セント。

そして、その下にはファスナーばかり大量に入った大籠。
その中から具合のよさそうなのを3本。
1本10セント。
何かに使う予定があるわけではないが、
こういうものは見つけた時に買っておくと、
いざという時、買いに走らなくて済む。


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そして棚の隅で見つけて「わあ!」と嬉しくなったのが、
タティングレースのシャトル(50セント)と大型のラッチフック(25セント)。
以前からタティングレースをやってみたいと思っていたのだが
新品でシャトルを買うだけの決心は付きかねていたところだったので
中古屋さんでの遭遇は、まさにめっけもの。
これを買わずしてなんとしよう?

ラッチフックは、本来は文字通りラッチフッキングに使うものだが
私は編み物で5目一度とか、7目一度の玉編みをするとき
かぎ針の代わりに使っている。
先っぽに小さなレバー状のものがついており、
向こうへ押すとこれが開き、手前に引くとこれが閉じるので
糸を引っかけて目の間を通すとき、かぎ針よりも楽に引っかかりなく
糸を引いてこられるのだ。
私はもともと編み機か何かの付属品で、小さいラッチフックは持っており
便利に使っているのだが、いかんせん小さいので中細以上の糸には向かない。
並太~極太の糸に使える大きさのが欲しいなあ、と思っていたところだったので
これもまた渡りに船。迷うことなく、カゴに放り込んだ。


ラッチフック(左)とタティングレースシャトル

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その他、ギフト用の紙袋とか、果物の絵柄の小皿とか
(この手のものには珍しく made in China ではなく
made in England だったので買った。25セントだったし・・・)

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この間、歯が欠け始めて困っていた髪を留めるための櫛とか
クッションとか、人形用のスカーフとか、
あれこれ散々買い込んで、それでもお代は9ドル15セント。
つまり1000円程度。
これだから中古屋さん通いは止められない。

〇〇と共に生きる

前回の定期検診の際、いつも通りの問診、触診の後
処方箋が切れかかっていたので、新しい処方箋を書いてもらったのだが
その際、担当の Dre. M に、「体重はどう?」と聞かれたので
手をひらひらさせて、少し不満そうに「まあまあです」と答えた。
クリスマス、新年のパーティラッシュ期に増えてしまった体重を
やっと少し元に戻したものの、それ以上は減らせなくて
困ったものだと思っていたところだったからだ。

するとドクターは「この薬は体重を増加させる傾向がある。
それは仕方のないことなので、諦めてください」という意味のことをおっしゃった。
確かに抗エストロゲンの副作用を調べていた時、
ホットフラッシュや頭痛、吐き気、抑うつ症状と並んで体重増加というのもあったが
あまり気にしていなかった。
私にとってはそんなことより、薬のせいで元からある片頭痛がひどくなったり、
気鬱が進行したりすることの方が、不安材料としてはより深刻だったからだ。

が、幸い、ホットフラッシュにしろ頭痛にしろ、現れた副作用は大したことはなくて、
というか副作用なのか、もともとの更年期障害から、あるいは持病からくるものなのか
区別がつかない程度で、だからまあ言われた通り、毎日服用していたわけだが
そうか、この服用以来、増えてしまった体重2㎏は、
もしかするとタモキシフェンのせいだったのか? へー。

そして、ドクターはこの副作用を説明する際、
わざわざ「あなたによくわかるように英語で言います」と言って、
フランス語から英語に切り替えて説明してくれたのだが
その際の「我慢しなさい/諦めなさい」の表現が、
“You have to live with it.” で、言われたとたん脳内に、
「肥満と共に生きる私」という大見出しが浮かんでしまい、ちょっと吹きそうになった。

しかし「諦めなさい」と言われれば、やってみたくなるのが人情というもの。
その日以来1か月、私は食物を減らし気味にし、
以前効果のあったダイエットメニュなどに切り替えて
増えた2㎏を元に戻そうとしているのだが、
これが減らない。
かなり頑張っても、減らない。
ちょっと減っても、またすぐ、しゅるしゅると元に戻ってしまう。

まあ、きっちり厳格にカロリー計算しているわけではないので
減らしているつもりでも、どこかに穴があるのだろうが
それにしても以前なら、この程度でも減量はできたのである。
それができないのは、やはりタモキシフェンのせいか、
はたまた年を取って新陳代謝が変わってきたせいか。
いずれにしても薬の服用が終わるまであと2年、
ドクターの言う通り「肥満と共に生きる」ことになりそうである。
ふえーん・・・

通りの名

  • 2017/04/12 03:07
  • Category: 雑記
私が住んでいるあたりのストリートネーム、通りの名は、
9割方、人の名だ。
たとえば、ウチがある通りは rue Hector Dupont だし、
それが丁字路になってぶつかる通りは Arthur Dery、
その先は Émile Deschênes、
それを右に曲がると、Ovila Demontigny といった具合だ。

たぶん、それぞれ歴史上の有名人か、
町に貢献のあった人の名なのだろうが、
祖父母の代からこの町在住というわけではなく
かつカナダ史に詳しいわけでもない私には、
これらの名が、まったく覚えられない。
(上に挙げた名は、ウチの通りを除き、すべて地図を見て書いた)

過去5年間、これらの通りを行ったり来たりして
街路名表示のプレートはしょっちゅう見ているはずのに
ちっとも記憶に残らない。
なので、例えば何かの案内に住所が記されていても、
それがどこなのか、地図を見ない限りまったくわからない。

もっともこれは外国人である私に限ったことではなく
一応ケベッコワである雪だるまも同様で、
たまにジムの帰りなどに、通りかかった人に道を聞かれることがあるが
一度として教えてあげられたことはないそうである。
どうやら“覚えられない”という点に関しては
フランス語ネイティブか否かという点は、関係ないらしい。

覚えられない理由は、全く知らない人の名であることと、
一つ一つの名が結構長くて、ぱっと一瞬見ただけでは
読み取りづらいこと、の2つであるように思う。
なぜなら、たとえ綴りは長くても、マクシミリアン・ロベスピエールとか
クロード・レヴィ・ストロースとかなら、即座に人物が浮かんで一発で覚えられそうだし
逆に全く知らない人でも、“ジャン・ボン”とか“ルイ・マル”とか
綴りが短くて発音が簡単なら、折に触れ見ているうちに
何とはなしに記憶に残り、「これはあの辺」と見当がついてきそうだから。

まあ今はGPSもあるし、通りの名など覚えていてもいなくても
日常生活に支障が出るわけではないが
どうせ通りに名をつけるなら、覚えづらい人の名前などより
花の名とか木の名とか、あるいは鳥、動物の名とか
連想が働いて記憶に残りやすい名にしてくれればいいのに、と個人的には思う。

そう思うのは私だけではないようで、
たとえば隣の町には、Bégonias(ベゴニア)、 Campanules(桔梗)、Dahlias(ダリア)など
通りはすべて花の名という一角があるし、
隣の市には、Hibou(フクロウ)、 Clibris(ハチドリ)、 Pics-Bois(キツツキ)など
鳥の名ばかりの一角もある。
こういうのは、なかなか楽しくていい。
「そうかなあ?」と疑問に思われる方は、日本語で想像してみればよろしい。
たとえば住所を書く時、少なくとも“安倍晋三通り34番地”なんていうのより
“たんぽぽ通り125番地”の方が、書いていて気分がよくはないか?

あるいはそういう種々の思惑が面倒だというのなら
まったく機械的に、1から順番に番号を振っていくのでもいい。
うちの町も、旧町内はだいたいこの形式だ。
これならよい名を考えてあれこれ思い悩まなくてもいいし
外から来た人が、通りを探し当てられないということもない。
7番街は、6番街と8番街の間にあるに決まっているのだから。
面白みはないが、簡便にして実際的なり。

ゾンビーダンス

  • 2017/03/29 10:54
  • Category: Dance
日曜日、フランスの誕生祝を近所の中華レストランでやるというので
雪だるまと二人、定刻に出頭した。

2年ほど前、そのレストランに出かけたクラスメートでコックのリン(中国人)が
「僕の勤め先と同じで、あそこは料理を作り置きしていると思う」と言っていたので
味には期待せずに出かけたのだが、案に相違して、ブッフェの割には、まあまあ食べられた。
少なくとも、しばらく前につぶれたダウンタウンの中華レストランのように
何を食べても同じ味・・・という、げんなりするような経験はせずにすんだし
作り置きされていたとは思えない、しゃきっとした歯ごたえの野菜炒めなどもあったので
もしかしたら最近、コックが変わったのかもしれない。

なんにしても、予想した以上の味で有難かったのだが、
そんなことよりこの誕生祝で面白かったのは、食後のダンス。
レストランの片隅に小さなステージが設けてあって
最初はそこでセミプロ?と思われる歌手が歌を歌っていたのだが、
途中からそれがダンスミュージックに変わって
人々が踊り始めたのである。

踊っていたのは、ラインダンス(dance en ligne)と呼ばれる
カントリーダンスの1種。
ラインダンスとはいっても、脚線美の踊り子さんたちが一列に並び
頭上高く脚を振り上げるフレンチ・カンカン風のあれではなくて
老若男女が碁盤の上の碁石のように縦横揃って並び
みーんな同じステップを踏む、集団舞踏の方である。

この「カントリーダンス」、YouTubeあたりで検索してご覧になるとわかると思うが
ステップはごくごく単純。
初めての人でも5分も練習すれば、なんとかついていける程度に簡単。
上半身の振りはほとんどないし、ターンとか派手な動きも、まずない。
そのためかどうか、実はこのダンス、このあたりでは愛好者はお年寄りばかり。
我がお散歩クラブでも、70代のマダムが数人、このダンスクラブに所属しているし
今回の誕生祝の主役であるフランス(60代)や、お義父さん(80代)も
毎週、近隣の町で開かれるダンスの会に出かけている。

なので、食後、ダンスに興じていたのも、みーんなお年寄りばかり。
ただし、フランスを始め、みな普段から踊っている人たちらしく
ステップは熟知しているようすで、
足を踏み違えてまごまごしているような人は一人もいない。
それはいいのだが、しかし、しばらく見ていたら、なんだか変な気がしてきた。
踊っている人たちが、全然楽しそうでないのである。
明るいカントリーミュージックに合わせ、身体を動かしているのに
少しも躍動感がない。
足は動いているが、上半身は動いておらず、
と言ってアイリッシュダンスのように、ぴんと伸びた背筋の凛とした美しさ
というのでも、もちろんない。
おまけに顔にも表情がない。
好きで踊っているのであろうに、嬉しそうな笑みすらない。
たとえ、いやいやフォークダンスを踊らされている中学生男子だって
もう少し表情があるぜ、と思うくらいみな無表情なのだ。
唯一の例外は、隅のテーブルから立った細身の男の人。
彼だけは楽しそうな表情で、ついでに手足の動きにも生き生きした弾みがあったが
その他の人は、踊っているというより、何か指示された動作を黙々とこなしている
という感じで、隣に座って見ていた雪だるまが、ぽつり漏らした感想は
「ゾンビーみたい・・・」

わたしも思わず吹き出してしまったが、言われてみればその通り。
どうせ踊るなら、もう少し楽しそうに踊ればいいのに、と思うが
ラインダンスというのは、仕舞同様、表情を殺して踊る/舞うものなのだろうか?




芽が出て、葉が出て

火曜に蒔いたマリゴールド、もう芽が出てきた。
毎年、毎年、発芽にかけては超優等生のマリゴールドだが
蒔いて3日で発芽は新記録かも。


土の中から、すっくり立ち上がる双葉

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マリゴールドは種が大きくて蒔きやすいし
蒔けばほぼ100%発芽するし、
しっかり根が張るので定植しやすいし
晩春から初霜の頃まで、病気にもならずにずうっと元気よく咲き続けるし、と
ほんとに手間のかからないよい子で、園芸初心者には有難い花である。

黄からオレンジというマリゴールドの色は、見ているだけで気持ちが明るくなるので
去年までは、いかにもそれらしい黄とオレンジが混ざったタイプのを植えていたのだが
今年はちょっと趣向を変えて、クレスタ・イエローという黄色単色のと、
ヴァニラクリームというマリゴールドには珍しいオフホワイトのを蒔いてみた。

ついでに毎年の定番、パンジー、ヴィオラも、今年はミックスタイプではなく
紫は紫、水色は水色と、色別に植えられるよう単色タイプの種にした。

他に買ってみたのは、コロンバイン(おだまき)、スナップドラゴンと
Love-in-a-mist という写真で見る限りでは矢車草みたいな花。
初めて買ってみた種なので、どんなふうに咲くのか楽しみだ。


Love-in-a-mist

love-in-a-mist-persian-jewels-mix.jpeg


園芸話のついでに報告すると、
昨年11月初めに、ぽちょぽちょと小さい葉が出てきて私を喜ばせたアフリカすみれ
その後ずんずん成長して、今では葉がぎっしり。
鉢からあふれ出そうな勢いである。
いやあ、こんなに大きくなるとは思わなかった。
カナダの室内環境が、よほど性質に合っているのか?

しかし、外は今日も雪だ。


昨年11月時点

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現在

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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