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エジアン

  • 2020/09/17 23:05
  • Category: 言葉
Aegeanの発音ができない。いくらやっても私の発音ではAsianに近くなってしまい、ギリシア付近に“アジア海”が出現することになってしまう。雪だるまには「だからAegeanの“g”は /dʒ/ で、/ʒ/じゃないんだから、もっと破裂させるように音を出さなきゃ」と言われるが、言われてできれば苦労はない。同じ/dʒ/でも、“Japan”とか“jean”のように語頭にあるなら、何とか近い音を出せるのだが、語中だと、これがてんで駄目である。たまに偶然、「そう、その音だ!」という音が出せる時もあるが、偶然に過ぎないので、次にはもう出来なくなっている。

そういえば千野栄一先生の『外国語上達法』にも、日本語では一括“ザジズゼゾ”で表されてしまう音の発音のし分けができなくて苦労する人の話が出てくる。この人は/dʒ/ と/ʒ/ではなく、/dʒ/ と/z/を発音し分けられず、何度やっても先生が首を縦に振ってくれないので、セロ弾きゴーシュの中のカッコーよろしく、何度も何度も「ザコーン(ロシア語のзакон、法律とか法則とかの意味)、ザコーン、ザコーン」と繰り返すのだ。「エジアン、エジアン、エジアン」と、壊れたレコードのように繰り返した私と同じである。

千野先生によれば、この人ができなかったロシア語の“закон”の語頭の“з”は/s/の有声音である/z/なのだが、この人はそれを/ts/の有声音である/dʒ/ で発音していたので、先生は「нет」と言い続けたということらしい。

そして引き続き千野先生の受け売りを続ければ、実際のところ日本語の中には/dʒ/ の音も/z/の音もある。日本語の“ザ”で表される子音は、語頭では/dʒ/ であるが、母音間では/z/で、たとえば「ザリガニ」「ザブトン」の“ザ”では、舌の先が上の歯茎の裏のでっぱりに当たるが、「カザリ」「アザミ」の“ザ”では、舌の先はどこにも接触しないと解説されている。

そして、この違いに気づかなかったこの人は、きっと英語の「cards(カードの複数:
/dʒ/ )」と「cars(車の複数:/z/)」の違いにも気が付かないに違いないと続けられているが、実に全くおっしゃる通り。/dʒ/ と/ʒ/の違いがわからない私は、dʒ/ と/z/の違いもわからず、cardsも carsも、「カーズ」であります。
母音を5つしか区別せず、子音の数も多いとは言えない日本語にどっぷり浸って成長したハンディを、大人になってから挽回しようとするのは、大変に困難。私にとってはほぼ不可能であります。だって同じ音にしか聞こえないんだもんねー。
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再開

  • 2020/08/24 10:24
  • Category: 言葉
9月から日本語講座再開。
自宅でやっている方も、センターでやっている方も全部。

感染者数、死亡者数ともカナダで断トツ1位のケベック州、
4月、5月の最盛期には毎日800人~1000人の新規感染者が出、
入院者数も1500人超の日々が続いていたので、
「こりゃ秋になっても講座再開は無理かしらん」と思っていたのだが、
その後、5月下旬くらいから感染者数が減り始め、
最近は新規感染者数は2ケタ台、入院者数も150人を割っている。
相変わらずマスクも消毒も必須だが、それでも店や街の雰囲気は
以前に比べ少しリラックスしてきたように感じる。
スーパーも「1家族につき1人」の制限がなくなり、二人一緒に入れるようになった。

そうした状況を受けてか、センターのオーナーのエディットさんから
「センター再開」の連絡が入ったので、私も再開することにしたわけだ。

生徒さんたちに連絡したら、うち一人から「すみませーん。休みの間、全然勉強してなかったので
最初は復習をしてください」というメールが入った。
そうだろうさ。私だって、あんまり久しぶりで教え方を忘れていそうだ。
外出せず、人にも会わなかったから、ずっとフランス語喋ってないし。
復習&リハビリが必要なのは、私の方だ。

家族呼称

  • 2020/06/11 10:25
  • Category: 言葉
まあ大体どの言語の学習でも、家族呼称は初級の最初の方に出てくる。父、母、兄弟、姉妹、祖父祖母、妻、夫、息子、娘というアレである。こういう単語を知らなければ、家族の話ができないので、当然といえば当然。日本の英語学習でも、father、mother、brother、sisterは、中一の最初の方に出て来たと思う。

日本語の場合、自分の家族を語る場合と、他人様の家族を語る場合で使うべき単語が違うので(たとえば「母」と「お母さん」、「父」と「お父さん」)ちと面倒くさいのだが、これはもう諦めてセットで覚えてもらうしかない。小学生くらいの子どもなら「私のお母さんは看護師です」と言っても許されるが、いい大人が「お父さんは高校の教師です」と言うのは、少々聞き苦しい。ここはやはり「父は高校の教師です」と言えた方がいいし、「奥さんは会計士です」などと紹介したら、奥さん? 誰の奥さん?と、一瞬相手の頭が空白になるので、「妻は・・・」と身内用の語を使えた方がいい。

父母から始まって兄弟姉妹、祖父母、孫、妻、夫、息子、娘まで、全部セットで覚えるのはかなりホネだと思うし、日本で暮らしているのでもない限り、使うチャンスはほぼゼロなので、どうしても覚えられなかったり、とっさに思い出せなかったりしたら、どっちを使ってもいい、とは言ってある。また、どちらかしか覚えられないと思うなら、とりあえずは「他人様用」を覚えろ、とも言ってある。自分の家族を語るのに他人様用の単語を使っても失笑を買うだけだが、他の人の家族に対し身内用の単語を使うと、失礼に響きかねない。意味は通じるだろうし、外国人の言うことだからと本気になって怒る人はいないだろうが、摩擦は少ない方がいい。

というように、趣味の日本語教室は割合お気楽にやっているわけだが、去年の超初級クラスではちょっとしたハプニングがあった。生徒の1人が「 beau pèreは日本語で何と言うのか」と聞いたのである。“beau père”というのは“義理の父”のことで、自分の配偶者の父も指すし、継父も指す。聞いた生徒は中一の男の子で、当然未婚。どう間違っても“妻の父”のはずはないから、継父、ステップ・ファーザーの意味である。彼のお母さんは、彼を連れて再婚したらしい。取りあえず質問に答え、“義理の父”といういい方を教えた。

すると今度は別の生徒が、「demi-sœur は何と言うのか」と聞いた。demi-sœur というのはハーフ・シスター、異母(父)姉妹のことである。彼には2人の“demi-sœur”がいるのだそうである。それを聞いた隣の生徒が、「僕にはdemi-frèreが1人いる」と言い出した。私が上で使ったように、日本語には異母(父)姉妹/兄弟とか、腹違いのXX、父違いのXXといういい方があるにはあるが、簡単な自己紹介の際に使うような単語ではないし、超初級の段階で出てくるような単語でもない。

しかし、そのクラスの生徒4人に聞いてみると、実父母と暮らしているのは4人のうち1人だけ。つまり3人の両親は離婚し、その後別の人と再婚または同棲しており(ケベックでは現在、正式に結婚する人はあまり多くない)、その相手の連れ子がいたり、新たに子どもが生まれたりで。異母(父)兄弟姉妹が登場、残る1人も子どもはいるが配偶者はいない模様で、4人4様、なかなかに複雑で、とてもではないが教科書にある「父、母、兄姉、弟妹」なんていう昔ながらの家族の枠組みにきっちり納まるような家族構成にはなっていないのである。

超初級のクラスゆえ、教科書どおりごく簡単に、「父と母と、姉が一人います」くらいの自己紹介を想定していた私は、あてが大いに外れてちょっと慌てたが、反面、面白くもあった。このクラスは生徒さんたちがことさら若く、10代~20代だったのでこういうことになったのだと思うが、この傾向、カナダだけとは思えないので、そのうち初級の教科書にも「義理のXX」といういい方が載るようになるのかも。そうでないと生徒の現状をカバーできない。

よちよち

  • 2020/05/23 07:46
  • Category: 言葉
フランス語のお勉強、音読から作文に切り替えた。もちろん作文した後、雪だるまの前で読み上げ、文章を直してもらう。直してからまた読み上げる。そして暇な時にその作文を暗記すべく努めるのだが、これがなかなか頭に残ってくれない。
でもまあ、ここで暮らす以上、フランス語は必須なので、言いたいことが言えるようになるよう、相手の言ってることがわかるようになるよう、無い知恵絞って色々試してみるわけだ。

五十の手習いで始めたフランス語、そろそろ六十の手習いになりかけで、きっと死ぬまで手習いのまま・・・。語学ってのはそういうもんだぜ、とわかっちゃいるが、茫々と地平線の彼方まで続いている丘を、永遠によちよち歩き続けているみたい。

それともそのうち超小型の音声翻訳機ができて、イヤフォンみたいに耳に突っ込んでおくと、相手の言っていることが自動的に、あらかじめ選択した言語に翻訳されて聞こえてきたりするようになるのかしら? 私はそういうのつけて、老人ホームで電動車いすに座って、ぼーっと立体映像のスクリーンを見ているようになるのかしら? (より好ましいシナリオとしては、そうなる前にお陀仏、なんまいだ)

この間、コンタクトレンズ型コンピュータをつけた視界、右へ行け、左へ行けの指示矢印が景色にだぶって浮かび、情報が目の前の空間にテキスト表示される動画をどこかで見たから、あれができるのならイヤフォン型音声翻訳機だって不可能ではないよねえ? そのうち、手間暇かけて外国語覚える必要はなくなるかしら?

しかしこれらが来年実用化ってことにはなるまいから、いまのところは自力更生するしかない。よって日々せこせこと作文→暗記に励む。『総理通訳の外国語勉強法』の中川浩一さんも、インプットとアウトプットは50/50。言いたいことが言えるよう、自己発信ノートを作りましょうと薦めていることだし。
同氏が勉強されたのはアラビア語だが、外務省に入り、ゼロから始めたアラビア語で、外交通訳をするまでに習得されたのだから偉い。ご本人はさらりと書いていらっしゃるが、なまなかな努力ではなかったろうと思う。アラビア語に比べれば、フランス語はよほど簡単なはずなのだが・・・。          やはり足りないのは努力か。

海ちゃんからのメール

  • 2020/05/01 09:14
  • Category: 言葉
先日、日本語の生徒の1人、海ちゃんから「お元気ですか」メールが届いた。
日本語入力ソフトをDLしていないのか、ローマ字で
「Watashi wa nihongo ga benkyoshimasu」と書いてあった。

ふつうの日本語としては「わたしは日本語を勉強しています」といきたいところだが
海ちゃんはまだ「てフォーム」を習っていないので、「~ています」は使えない。
助詞も間違えているが、まあこれは他の生徒さんもよくやる間違いで
海ちゃんより進んだ生徒さんたちでも、復習を兼ねて穴あき部分に助詞を入れる
テストなどやらせてみると、けっこう派手に間違えてくれる。
「だからー、c.o.d.にくっつく助詞は、“を”だってばー」と思わないでもないのだが
まあこのあたり、日本人は英語やフランス語の作文でしょっちゅう前置詞を
間違えているから、お互い様と言えばお互い様。

ただ「日本語が勉強します」を見過ごすわけにもいかないので
直接「ここは“が”じゃなくて“を”です」と指摘する代わりに
返事のメールに、「わたしは まいにち ほんを よみます」だの
「まいにち 1じかん くらい さんぽを します」
「XXさん(海ちゃんの本名)も さんぽを しますか」だの、
“を”を使った文を並べて置いた。

そうしたら、その次の返信メールに
「まいあさ おとうと と さんぽを します」とあったので、どうやら気付いたもよう。
勘のいい子を、教えるのは楽だ。

ケベック州は一昨日、5月11日から保育園と小学校を再開すると発表した。
(モントリオール大都市圏は、5月19日から)
海ちゃんは中学生なので再開は9月からの予定だが
弟さんは小学生だから、もうすぐ学校が始まる。
朝の仲良し散歩は、できなくなるわけだ。
もっともこの再開計画、感染が収束していない段階での再開は
リスクが高すぎるとして反対の親御さんも多い模様。
州は「再開はするが、学校に行かせるかどうかは親の判断でよい」としているが
再開に当たって、全生徒および教職員がPCR検査をするわけではなかろうし
検査をしたところで、今日陰性だからといって、明日も陰性とは限らないし、
親としては子供を行かせるかどうか、判断に迷うところだろう。

ただ個人的には、こういう「政府は場は提供する。それを使うかどうかは
各々の判断に任せる」というやり方は、「政府が決めたら、みんな一斉に参加
あるいは不参加」というやり方より、好きだ。
いつもいつも、全員同じ、でなくてもいいだろう。

延期か休みか

  • 2020/03/22 23:09
  • Category: 言葉
ところで、その「クラスどうしようか?」のアンケートメールを生徒さんたちに送った時、
何人かの人が、“reporter”という言葉を使って、返事を書いてきた。
曰く「状況を考えると“reporter”した方がいいと思う」、
「病院勤務でハイリスクなので“reporter”の方が有り難い」等々。

で私はこれらの返信を読んで、ちょっとヘンな気がした。
“reporter”というのは、英語なら “postpone”に当たる“延期する”という意味の言葉である。
直訳すれば「状況を考えると(日本語講座は)“延期”した方がいいと思う」
「病院勤務でハイリスクなので“延期”の方が有り難い」となる。
何か、引っかかる。

日本語ではこういう場合、つまり週一回、曜日を決め継続的に行っている活動を、
一時行わないことにした時、“延期”という言葉を使うだろうか?
想像してみて欲しい。
週一回、ピアノ教室に通っているとする。
それが先生が旅行に行くので、2週の間、なくなったとする。
この状況を友人あるいは家人に説明する時、あなたは“延期”という言葉を使うだろうか?
「ピアノ教室? あ、2週間、延期になったの。先生が旅行に行くから」
なんか、ヘンである。
日本語のふつうの言い方としては、
「ピアノ教室? あ、2週間、休みになったの。先生が旅行に行くから」
ではないか?
ピアノ教室がまだ始まっていなくて、そのレッスンの開始が2週間遅れる
というのなら、“延期”でいい。この場合“休み”はおかしい。
が、すでに継続して行っているレッスンが2週間なくなる場合、
日本語では“延期”は使わないのではないか。

もちろん論理的には、“延期”は正しい。
その行うはずだったレッスンは、将来においても行われないのではなく
休みが終われば行われるのだから、正しく“延期”なのである。
がしかし、どうも日本語の習慣として、コンサートや試合や講演会など、
単発の行事の日程の変更には“延期”が使われても
継続活動の日程の変更には、“延期”は使われない気がする。
ふつうに人々が使うのは、“休み”とか“キャンセル”ではないか。
(“キャンセル”を“中止”と考えると、意味的に余り正しくないが)
少なくとも、授業を止めるべきか否か考えていた時、
私の頭に浮かんでいた日本語は「休みにすべきかなあ」
「中止にした方がいいのかなあ」であって、
決して「“延期”した方がいいのかなあ」ではなかった。
“延期”なんていう言葉は、まるっきり私の脳裏には浮かばなかった。

まあもっとも、私の日本語もかなり錆びついているし、
そもそも平成の初めで止まったまま化石化している気味もあるので
「なんか、ヘン」と思う私の方が変なのかもしれないが
でもやはり、なんだかちょっと引っかかるのである。

そして仮に、“変”と思う私の感覚が正しいとすると
上記の“延期”のように、意味としては正しいのだが、
習慣として使われない表現というのはどの言語にもあるもので
そういうものは一々、その場に身を置いて、丸呑みで覚えるしかない。
なぜ?と、その表現が使われない理由を聞いても無駄である。
大体の場合、ただ「うーん、そういう風には言わないんだよねえ」と
言われるだけで、確たる説明は出て来ないから。
言語においては常に、習慣>論理。
言語学者が何と言おうと、大多数の人が使うならその表現は正しく
逆に誰も使わない表現は、いくら文法的、語義的には正しくても間違いなのだ。
だって誰も使わないのだから。

「非過去」は何を表すのだろ 2

  • 2020/02/20 00:27
  • Category: 言葉
前回の続きなのだが、日本語文法の本など見ると、動作動詞の非過去は未来を表すことになっている。実際、日本語話者は「東京へ行きます」とか「電話をかけます」などと言われれば、たとえ「明日」とか「これから」などの未来を表す副詞が添えられていなくても、未来のことを言っているのだな、とわかる。「メールを書きます」や「資料を作ります」も同様だ。言及されているメールや資料はまだ作成されておらず、“これから(=未来)”作成されるのだと、自然にそのように了解される。

だが、動作動詞で非過去なら、すべて「未来」を表すのかというと、もちろんそうではない。前回引用した説明でも、未来の他、予想、意思、習慣、性質などを表すとなっており、それぞれ例文が挙げられていた。
このうち「予想」は多くの場合、「たぶん」等の副詞が付くし、「習慣」の場合は「いつも」とか「毎日」とかの副詞が付くのでわかりやすい。しかし「未来/予定」と「意思」、「性質」の区別は、コンテキストがないと、どうもはっきりしない。
たとえば「日本語を話します」あるいは「車を運転します」という文。「話す」も「運転する」も立派に動作動詞である。そして「~ます」だから「非過去」。この2文が表しているものは何か? 仮にこの2文に「明日」とか「来週」とかの語が添えられていれば、表しているのは明らかに未来、あるいは未来においてこれこれのことを為すという意思だが、そうした未来を表す語がない場合、この2文は未来/予定や意思というより「性質」を表しているように思える。単文ではわかりづらいので、たとえば次のような会話例を考えてみる。

「アランさんは、日本語話すの?」「うん、話すよ」
「中田さんは車、運転する?」「うん、上手だよ」

この会話例から見えてくるのは、アランさんには「日本語を話す」という性質があり、中田さんには「車を運転する」という性質があるということである。性質という語が紛らわしければ、属性と言い換えてもいい。
他にも「料理をする」「絵を描く」「ゴルフ(等のスポーツ。何でもいい)をする」「将棋を指す」など、同様の使い方ができる。こう並べてみると、何かスキル系というか、学習、訓練などにより習得する“技術”の場合、この使い方ができるのか?と一瞬思ったが、特別な学習や訓練を必要としない「煙草をすう」「酒を飲む」なども同様の使い方ができるので、この仮説は即却下。

しかし動詞「行く」で同様の会話例をこしらえてみても、その場合は「性質/属性」を表しているようには見えないのだ。

「高橋さんは東京に行くの?」「うん、行くよ」

これは明らかに、「未来/予定」あるいは「意思」。ならばなぜ、先の2例では「性質/属性」を表すことができるのに、3番目の例ではそれができず、ただ「未来/予定」あるいは「意思」を表すことになるのか。何が違うのだ? 

こんなことは国文法学者あるいは日本語文法学者にとってはすでに既知の問題で、「あ、それは××だからですよ」と、いとも明快に説明しうることなのかもしれないが、文法書をひっくり返してみても、ネットをうろうろしてみても、私はまだ答えを見つけられないでいる。まあ、こんなことは生徒さんたちには関係ないんだけれど。

「非過去」は何を表すのだろ

  • 2020/02/16 09:24
  • Category: 言葉
実に実に久しぶりに、何の予定もないお休み。やっとブログを更新する余裕ができた。
お義父さんも無事小手術を終えて退院したし、やれ目出たやな。

ところで仕事と課題(編みぐるみ制作依頼)に追われている間、何を考えていたかというと
日本語における動詞の「非過去」。これと「~が欲しい/~したい」の形は、なんで第三者には使えないのだ?
というのが、最近の私の頭の中のぐるぐる。

日本語には、動詞のこの形、あるいはこの助動詞を使ったら未来形になる、というようなものはない。
日本語の動詞の時制は「過去」と「非過去」、つまり「すでに起こったこと」なのか、そうでないのかしかなくて、
だから未来=まだ起こっていないこと、を表すには「非過去」を使う。

「非過去? そんな形、日本語にあったっけ?」と思われる方も多いかもしれないが、
これは要するに動詞の辞書形、「行く」とか「食べる」とかのことである。
生まれつきの日本語話者はふだん文法など意識していないから、
日本語動詞の辞書形、「行く」とか「食べる」とかを、英語の動詞同様「現在形」と思いがちだが、
ちょっと考えればわかる通り、この形は“現在”形ではない。
「ある」「いる」などの状態動詞は別として、この形は“現在”を表すためというより、
“未来/予定”とか“予想”とか“意思”、“習慣”、“性質”などを表すために使われるのだ。


友達が遊びに来ます。(未来/予定)
明日もたぶん雪が降ります。(予想)
京都へ行きます。(意思/未来/予定)
毎朝7時に起きます。(習慣)
水は1気圧下では100℃で沸騰します。(性質)

だからたとえば下記のような英語の問い
“Will you go to the concert tomorrow?” は、「明日、コンサートへ行きますか」と訳されるのが普通であり、
その返答としての“Yes, I will. / No, I won’t.”は、「はい、行きます / いいえ、行きません」と、
問いも答えも動詞は「非過去」が使われる。
あるいは “will” はよく「~するつもりである」と訳したりもするから、
返答の方を「はい、そのつもりです」としてもいいが、いずれにしても返答の(助)動詞は「です」で、
“明日のコンサート”という未来のことに、「非過去形」が使われていることには変わりない。
動作動詞の「ます形(ル形)」は現在ではなく未来を表すのだから、当然である。

と、ここまではいい。すんなり納得できる。この例のように、コンテキストから話者の意思、
あるいは予定を尋ねているのだとはっきりわかる場合は、単純に辞書形(の丁寧体)を使って訳せば済む。
がしかし、英語の未来を表す助動詞 “will” には推量/推測を表す用法(天気予報の“It will rain tomorrow.”とか)もあり、
コンテキストなしで単文だけポイと示されると、どちらだかはっきりしないことが多い。
そして、はっきりしていない場合、なんともはや日本語に訳しにくいのである。
たとえば次の文

I will live in Japan.

これが話者の意思に基づく決意表明なら「私は日本に住みます」あるいは「住むつもりです」となるが、
仕事とか家族の都合でそうなりそうだというのなら「住むでしょう」と、推量の助動詞「でしょう/だろう」を使わないとおかしい。
しかし、この一文だけではどちらのケースだか判然としないので、どちらの和訳が適切か判断できず、
とどのつまり訳せない。(蛇足だが「住むでしょう」という日本語は、いかにもぎこちない。
こなれた日本語としては「住むことになるでしょう」くらいにしたいところだ)

と、なぜこんなことをくだくだしく書いているのかというと、先日の日本語の授業で生徒の1人が
“J'habiterai à Montréal.”(=II will live in Montreal.)は日本語で何と言うかと聞き、
私はとっさに上記の説明、話者の意思なら「住みます」か「住むつもりです」、推量なら「住むでしょう」となる。
日本語の動詞にはフランス語の単純未来のような未来形はないから、機械的な置き換えはできず、
コンテキストによって判断しなければならない、と答えた。そして、でも私達はまだ「~つもりです」と
「~でしょう」の表現は勉強していませんねー、と付け加え、生徒は一応それで納得したのだが、
私自身は授業が終わった後もどうもすっきりせず、動作動詞の「非過去」が表すものについて、
ぼちぼちと考え続けている。
なんで日本語には、はっきりした未来形がないんだ?
状態動詞の辞書形は現在を表し、動作動詞の辞書形は現在ではなく未来を表すって、
学習者にとっては???だと思うんだが、何かよい説明はないのか?

「で」と「を」

  • 2019/05/17 23:57
  • Category: 言葉
一昨日の夜、ひさーしぶりに戴き物の普洱茶を2杯飲んだら
どうやら濃く淹れ過ぎたようで、2時過ぎまで寝付けず。
半覚半睡の薄ぼんやりした頭の中をぐるぐるしていたのは
「を」と「で」の問題。

ご承知のとおり、「を」は様々な機能を持つごく基本的な助動詞なので
当然ながら初級の最初の方に出てくる。
機能のひとつ、「を」の前の名詞が行為の対象であることを示す、
というのは、これはわかりやすい。
「ほんをよむ」「パンをたべる」の中の「ほん」や「パン」は
「よむ」、「たべる」という行為の対象であると、素直に納得できる。

わたしがわからないのは、とうか説明に困っているのは
“移動”を示す「を」、
「みちをあるく」とか「はしをわたる」という時の「を」だ。

生徒さんたちは、その前に「~で、Vます」を習っている。
「がっこうで、べんきょうします」、「スーパーで、かいものをします」といった
ある場所で、ある行為をする、という文型だ。
これでいくと「みちで、あるきます」とか「そらで、とびます」と言ってよさそうな
気がするが、実際の日本語では、ふつうそうは言わない。
「みちを、あるきます」「そらを、とびます」だ。
なんでやねん?

「ああ、それはね、“移動”だからです。“移動”の場合は「を」なんです」
という説明を読んだが、でもそれなら「こうえんで、はしります」というのは何だ?
「走る」のは“移動”ではないのか。
それとも「公園で走る」のは、運動のためとか健康のためで、
“移動”が目的ではないから、「で」が使えるのか。
しかし健康のために万歩計つけて歩いている場合でも、「道で歩く」とは言わない。
たとえば「1日1万歩を目標に、近所の道 “を” 歩いています」などのように
ふつうは言うのだ。
とすると「歩く」は常に「を」なのか。「公園を歩く」「住宅街を歩く」「山を歩く」
しかし「歩く」も時間などの制限をつけると、「で」が使える。
例:公園で、20分歩いた。
よって、あらゆる場面において常に「を」というわけではない。

あるいは、こういう説明もあった。

歩く、走る、泳ぐ、飛ぶ、散歩する、など「移動」を表す動詞は、
その移動が行われる場所に「を」をつけます。
ただし、その移動をする範囲が限られていてどこへも行かない場合は、
「で」を使ってもいいです。

○公園で散歩する (公園は通常その範囲が決まっています)
○公園を散歩する

×道で歩く (道はどこまでも続いていくもので、範囲が決まっていません)
○道を歩く 

×海で泳ぐ (海もどこまでも続いています)
○魚が海を泳ぐ
○カスピ海で泳ぐ (カスピ海はその範囲が決まっています)
○カスピ海を泳ぐ

上記の説明はなかなかよいが、しかし例のうち「海」は
「海で泳ぐ」と言えるのではないか。
少なくとも、私は言う。
例:「去年、海で泳いだ時、クラゲに刺されちゃって・・・云々」

もっともこの場合、泳ぐのは遊びのためであって“移動”のためではないから
だから「で」が使える、と解釈することはできる。
それを証拠に移動が目的の場合は
「彼は海を泳いで、沖の小島へ行った」のように「を」を使う。
「彼は海で泳いで、沖の小島へ行った」とは言わない。

やっぱり、行動の目的と移動の範囲両方を考えるしかないのかなあ。
しかし実際の会話場面で、そんな「そこでその行為をする目的」だの、
「移動する範囲が限られているか否か」などを、
くだくだしく頭の中で考えてる時間はないよなあ。
いや、私はネイティブだから迷いなくさらりと使い分けるけど
非ネイティブはどうしたらいいんじゃ?
場面に応じて、例文を丸暗記?
いやー、それができれば苦労はないが・・・

Duoりんご

  • 2019/03/17 21:54
  • Category: 言葉
朝起きてPCをオンにすると、まずQ-raisさんのサイトに行く。
そこでほんわりと心をなごませてから、おもむろにDuolingoに行って
「鍵マーク」を2つクリアしてから、ごはんを食べる。

こんなサイトがあることは、つい去年まで知らなかったのだが
今年から新しく生徒になった海ちゃん(仮名)が、「Duolingoで日本語を勉強しています」と言うので
「それはどんなものかね」と私も覗いてみた。
最初は間違って「サイトの言語:日本語」で入ってしまい、
「なんや、英語しかないやん。日本語ないやん」と思ったが、
考えてみればサイトの言語:日本語を選択する日本語話者が日本語を勉強するはずはなく
何も考えずに日の丸マークをクリックした自身の阿呆さに愛想が尽いた。

気を取り直し、次は海ちゃんの母語であるフランス語で入ってみたが、ここにも日本語コースはない。
「さては英語で入っているかな」と英語に切り替えたら、ピンポーン!、ありました。
若干14歳ながら英語も堪能な海ちゃんなので、英→日でも全く問題ないのだろう。
で私もいくつか問題をやってみ、はあ、こんな感じかという印象をつかんだ後
自分でも日→英のコースと、英→仏のコースを始めてみた。
日→英の方は、英文和訳、和文英訳の際の日本語のへんちくりんさに嫌気がさして
1か月ほどで止めてしまったが(それでも1か月は続けた我があっぱれな忍耐心!)
英→仏の方は今でも続けている。
フランス語の勉強のはずなのに英語の方を間違えたりして、ネイティブでないこともうバレバレ
「とほほ・・・」なことも多いのだが、英/仏の文の構造とか語彙における対応とか比べられて面白いし
鍵マーク2つ(計30問)解くくらいならさほど時間もかからないので
朝の頭の体操にちょうどよい。ナンプレよりは生産的だし。

それにしても日本語で入った時(英語コースだけ)、
フランス語で入った時(英、西、独、伊、葡の5コース)に比べ
英語で入った時の選択できるコースの多さ(驚くべし33言語!)の、なんと圧倒的なこと!
世界におけるツールとしての英語の寡占は、もはや2位、3位を大きく引き離して
単独1位の感あり。(あ、いや、だからこそ“寡占”と言えるのだが)

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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