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「で」と「を」

  • 2019/05/17 23:57
  • Category: 言葉
一昨日の夜、ひさーしぶりに戴き物の普洱茶を2杯飲んだら
どうやら濃く淹れ過ぎたようで、2時過ぎまで寝付けず。
半覚半睡の薄ぼんやりした頭の中をぐるぐるしていたのは
「を」と「で」の問題。

ご承知のとおり、「を」は様々な機能を持つごく基本的な助動詞なので
当然ながら初級の最初の方に出てくる。
機能のひとつ、「を」の前の名詞が行為の対象であることを示す、
というのは、これはわかりやすい。
「ほんをよむ」「パンをたべる」の中の「ほん」や「パン」は
「よむ」、「たべる」という行為の対象であると、素直に納得できる。

わたしがわからないのは、とうか説明に困っているのは
“移動”を示す「を」、
「みちをあるく」とか「はしをわたる」という時の「を」だ。

生徒さんたちは、その前に「~で、Vます」を習っている。
「がっこうで、べんきょうします」、「スーパーで、かいものをします」といった
ある場所で、ある行為をする、という文型だ。
これでいくと「みちで、あるきます」とか「そらで、とびます」と言ってよさそうな
気がするが、実際の日本語では、ふつうそうは言わない。
「みちを、あるきます」「そらを、とびます」だ。
なんでやねん?

「ああ、それはね、“移動”だからです。“移動”の場合は「を」なんです」
という説明を読んだが、でもそれなら「こうえんで、はしります」というのは何だ?
「走る」のは“移動”ではないのか。
それとも「公園で走る」のは、運動のためとか健康のためで、
“移動”が目的ではないから、「で」が使えるのか。
しかし健康のために万歩計つけて歩いている場合でも、「道で歩く」とは言わない。
たとえば「1日1万歩を目標に、近所の道 “を” 歩いています」などのように
ふつうは言うのだ。
とすると「歩く」は常に「を」なのか。「公園を歩く」「住宅街を歩く」「山を歩く」
しかし「歩く」も時間などの制限をつけると、「で」が使える。
例:公園で、20分歩いた。
よって、あらゆる場面において常に「を」というわけではない。

あるいは、こういう説明もあった。

歩く、走る、泳ぐ、飛ぶ、散歩する、など「移動」を表す動詞は、
その移動が行われる場所に「を」をつけます。
ただし、その移動をする範囲が限られていてどこへも行かない場合は、
「で」を使ってもいいです。

○公園で散歩する (公園は通常その範囲が決まっています)
○公園を散歩する

×道で歩く (道はどこまでも続いていくもので、範囲が決まっていません)
○道を歩く 

×海で泳ぐ (海もどこまでも続いています)
○魚が海を泳ぐ
○カスピ海で泳ぐ (カスピ海はその範囲が決まっています)
○カスピ海を泳ぐ

上記の説明はなかなかよいが、しかし例のうち「海」は
「海で泳ぐ」と言えるのではないか。
少なくとも、私は言う。
例:「去年、海で泳いだ時、クラゲに刺されちゃって・・・云々」

もっともこの場合、泳ぐのは遊びのためであって“移動”のためではないから
だから「で」が使える、と解釈することはできる。
それを証拠に移動が目的の場合は
「彼は海を泳いで、沖の小島へ行った」のように「を」を使う。
「彼は海で泳いで、沖の小島へ行った」とは言わない。

やっぱり、行動の目的と移動の範囲両方を考えるしかないのかなあ。
しかし実際の会話場面で、そんな「そこでその行為をする目的」だの、
「移動する範囲が限られているか否か」などを、
くだくだしく頭の中で考えてる時間はないよなあ。
いや、私はネイティブだから迷いなくさらりと使い分けるけど
非ネイティブはどうしたらいいんじゃ?
場面に応じて、例文を丸暗記?
いやー、それができれば苦労はないが・・・
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Duoりんご

  • 2019/03/17 21:54
  • Category: 言葉
朝起きてPCをオンにすると、まずQ-raisさんのサイトに行く。
そこでほんわりと心をなごませてから、おもむろにDuolingoに行って
「鍵マーク」を2つクリアしてから、ごはんを食べる。

こんなサイトがあることは、つい去年まで知らなかったのだが
今年から新しく生徒になった海ちゃん(仮名)が、「Duolingoで日本語を勉強しています」と言うので
「それはどんなものかね」と私も覗いてみた。
最初は間違って「サイトの言語:日本語」で入ってしまい、
「なんや、英語しかないやん。日本語ないやん」と思ったが、
考えてみればサイトの言語:日本語を選択する日本語話者が日本語を勉強するはずはなく
何も考えずに日の丸マークをクリックした自身の阿呆さに愛想が尽いた。

気を取り直し、次は海ちゃんの母語であるフランス語で入ってみたが、ここにも日本語コースはない。
「さては英語で入っているかな」と英語に切り替えたら、ピンポーン!、ありました。
若干14歳ながら英語も堪能な海ちゃんなので、英→日でも全く問題ないのだろう。
で私もいくつか問題をやってみ、はあ、こんな感じかという印象をつかんだ後
自分でも日→英のコースと、英→仏のコースを始めてみた。
日→英の方は、英文和訳、和文英訳の際の日本語のへんちくりんさに嫌気がさして
1か月ほどで止めてしまったが(それでも1か月は続けた我があっぱれな忍耐心!)
英→仏の方は今でも続けている。
フランス語の勉強のはずなのに英語の方を間違えたりして、ネイティブでないこともうバレバレ
「とほほ・・・」なことも多いのだが、英/仏の文の構造とか語彙における対応とか比べられて面白いし
鍵マーク2つ(計30問)解くくらいならさほど時間もかからないので
朝の頭の体操にちょうどよい。ナンプレよりは生産的だし。

それにしても日本語で入った時(英語コースだけ)、
フランス語で入った時(英、西、独、伊、葡の5コース)に比べ
英語で入った時の選択できるコースの多さ(驚くべし33言語!)の、なんと圧倒的なこと!
世界におけるツールとしての英語の寡占は、もはや2位、3位を大きく引き離して
単独1位の感あり。(あ、いや、だからこそ“寡占”と言えるのだが)

数字は面倒なのよね

  • 2018/11/03 22:18
  • Category: 言葉
この間、初級2の方の授業で最後にちょっとばかり時間が余ったので
5ケタの数字「23,500」を黒板に書いて、一人ひとり読んでもらった。
いやはや、これが面白かった。

ちなみに初級2であるから、みなすでに数字の読み方の基礎は
一通り学習済みである。
また記憶を新たにするために、その前に100は「ひゃく」、1000は「せん」、
10,000は「まん」であることを、再度確認した。

であるにもかかわらず、最初のSくんは「にじゅうまん ごひゃく」と読み、
次のMちゃんは「にじゅうさんまん ごひゃく」、
3人めのOくんは「にじゅうさんまん ごせん」、
4にんめのGちゃんでやっと「にまん さんせん ごひゃく」と近い答えが出てきた。
と言ってもGちゃんも、見るなりさらりと言ってのけたわけではなく
「えーと、えーと・・・」と、頭の中の『数字の読み方一覧表』を必死にたぐりつつ
何とか近い答えを手繰り出したのであった。

私はそれぞれの答えをひらがなで書き、全員終わったところで
今度はそのひらがなを数字に直していったのだが
なにしろ大部分「にじゅうさんまん」なのだから、ケタがひとつ違う。
みんな私が書いていくアラビア数字を見て「おう」とか「あう・・・」とか嘆声を発していたが
どこで間違えたかは各自すぐにわかったようだったので
最後にもう一度、10,000は日本語の場合「まん」という別の単位がある、
フランス語や英語みたいに「じゅう せん」ではありませんよ
とだめ押しをして終わりにした。

余り時間に数字の読み方を練習したのは
その課の後半に「これはいくらですか」「○○円です」という会話例が出てくるから、
まあ予習を兼ねてだったのだが、
それにしても、英仏語と日本語のように、くくる単位が違う数字の置き換えは大変だ。
私自身、英仏語で5ケタ以上の数字を言われると、
頭の中でアラビア数字に直すのに、一瞬、間があく。
日本語や中国語のように、即座にさらさらとは並んでくれない。

生徒たちの答えに「にじゅうさんまん」が多かったのも
フランス語での数え方「vingt-trois-mille(にじゅうさんぜん?)」が頭に染みついていて
とっさには「まん」という違う単位でのくくり方に切り替えることができなかった
ということだと思う。
1週間に1回の日本語では、無理もないことである。
でもまあ「考えれば正しい答えが出てくる」ようには、なって欲しいと思うが。
がんばってねー、みんな。

パフォーマンス・アート

  • 2018/10/12 23:22
  • Category: 言葉
本職の先生が聞いたらお怒りになるかもしれないが、
授業ってパフォーマンス・アートみたいだなあ、と思う。
練習しなければ上手にできないのは当たり前だが
練習しても、常にうまく行くとは限らない。
観客(生徒)の反応如何で授業の流れは変化するし
思いがけない質問で、予定していなかった方向へ
話が行ってしまうこともある。
(もちろん、なるべく早く元に戻そうとはするが)

ダンサーやミュージシャンは、観客の反応がいいと
ノって、普段以上のパフォーマンスができたりすることがあるが、
授業も同じ。
逆に、やる気のない生徒に教えるのはしんどいだろうし
おとなしく座ってはいるが、聞いているのかいないのか
まるきり反応のない観客(生徒)を前にしていたのでは
立ち枯れの木々を相手に喋っているようで
言うべき言葉も、のどに引っかかってしまう。

その点、うちの観客(生徒)さんたちは
初級1も初級2も、みな元気で熱心で有難い。
ほぼ全員、1日仕事をした後に来るのだから疲れているだろうに
(事実、昨日Mちゃんは、5分の休憩時間に机に突っ伏していた)
授業が始まれば、しゃんとする。

おかげでこちらも、客商売だった時と同様、
普段のどんより暗いネガティブ・モードから
明るく元気な接客モードにしゃきっと切り替えて、授業をすることができる。

時々、他の知識、経験とも豊富な日本語教師の方のブログなど拝見すると
自身の知識のなさ、経験の少なさをつくづくと思い知らされて意気消沈し
心密かに生徒たちに「ごめんねー」と呟いたりするが
こればかりは一朝一夕に身に付くものではないので、仕方がない。
出来るだけの努力はするから、不足の所は私に当たったのを不運と思って
我慢してくれたまえよ、生徒諸君、である。

でぃざすたー

  • 2018/10/03 21:03
  • Category: 言葉
昨日から秋の日本語講座が始まった。
相変わらずの自信のなさで、戦々恐々、びくびくもので準備をしつつ
しかし半分では「春に一回やった講座の繰り返しなんだから、何とかなるだろう」と
自身を励ましていたのだが、
フタを開けてみたら、生徒の1人に、これが小学校なら
「○○ちゃん、今は授業中だからちゃんと座っていましょうね」とか
「○○ちゃん、ミニカーで遊ぶのはお休み時間にしましょうね」とか
言われるタイプの子がいて、
大人相手の語学講座、
しかも日本語なんていう当地での日常生活には何に足しにもならない語学の講座に、
この手の子が来ることを全く予想していなかった私は呆然とし、
かつ大いに慌て、すべき説明の順番を間違えてすっ飛ばすわ、
喋るフランス語はいつにも増してしどろもどろになるわ、でさんざんな授業にしてしまった。

一夜明けた今も思い出すと顔面蒼白になるが、
しかし一方で、頬を一発張られたような効果があったことも確かで
おかげで少しは腹が座った。
次回からは何とかまともな授業になるよう、
慌てた状態でも授業の流れを追えるような教案を作るとか
(昨日の教案は細かすぎて、慌てるとどこをやっているのか、わからなくなった)
フランス語の説明を丸暗記するように覚え込むとか(んなこと、できるのか?)
この前以上に周到に準備をしなくては。

明日は初級Ⅱの授業なのだが、こちらは一人を除いて
春に初級Ⅰをやった生徒さんたちなので、気心は知れている。
生徒の方でも、私の下手くそさはわかっているので、
授業内容は新しいが、その他の点では気は楽である。

ああ、それにしても1回しかやっていない段階で
講座が終わり、戦々恐々の日々から解放される日を夢見るとは
なんというだらしのない教師であることか!

びくびく

  • 2018/08/21 10:43
  • Category: 言葉
昨日は私が属する極小カルチャーセンターの portes ouvertes(自由見学会)で、私も秋の日本語講座の案内を用意して、アシスタントをお願いしているGちゃんと共に、会場に出かけた。

そして朝10時から夕方4時まで会場に詰めていたわけだが、隣のテーブルの「英語/ドイツ語講座」や上の階の「スペイン語講座」の盛況ぶりに比べると、我が日本語講座の人気は今ひとつどころか今よっつくらいで、みな日本語講座と聞くと、目の前で手をプルプルと振りながら「いやいや、とてもとても」と逃げていってしまうのであった。みなさん余程「日本語は難しい」と思い込んでいらっしゃるらしい。

それにもちろん、この北米の田舎町では日本語の使い道など万に一つもあるはずはなく、同じ勉強するなら仕事や遊びにすぐに役立つ英語、あるいは語彙、文法が似ていてとっつきやすいスペイン語の方がよいと思うその気持ちはよくわかるし、予想もしていたので、別に特にがっかりしたりはしなかった。

それでも、前回の日本語講座に参加してくれた生徒さんは大部分顔を出してくれ、その他新しい参加希望者もちらほらいたので、少なくとも初級2の方は開講することになりそうである。教科書はGちゃんたちの意見も聞いて「みんなの日本語」にしたが、週1回2時間の授業でどこまでやれるか甚だ心許なく、いったいどうやって教えたらいいものかと、考えるとどっと気持ちが暗くなるのだが、「勉強したい」と言っている人たちがいる以上、なんとか出来るだけのことはしなければならない。

まあ、語学は最終的には本人の努力次第で、いくらいい教材があっても、優れた教師がいても、本人が勉強しなければモノにはならないし、逆に教科書、CDだけの独学でも、本人が日々こつこつと勉強を続ければ、日常会話くらいは難なくこなせるようになる。以前、うちに日本語会話の練習に来ていたV君など、友達からもらった「みん日」と、あとはネットを使っての独学で、日本語学校に行ったわけでも、先生について勉強したわけでもなかったが、感心するほど上手な日本語を話した。

だから本当のところ、私のようなへっぽこ教師は「百害あって一利なし」で、いない方がいいのかもしれないが、週1回、みんなで集まって日本語をつつくことで、日本語を勉強する意欲が持続するという面もなくはないと思うので(仕事から疲れて帰った後で、ひとり家で勉強を続けるには相当の意志の力が必要だ)、我が性格とは真反対の授業、“明るく、楽しい”授業を心がけ、生徒が心楽しく勉強を続けられるよう、ほんの少しでも手助けができればいいなあと思うのだが、その思い通りに事が運ぶとは限らないので、私は常にびくびく。授業のことを考えると、不安の黒雲が脳裏に広がり、胃がずうんと重くなる。

堂々と自信たっぷりの英/独語講座のマダムNや、余裕の貫禄のスペイン語講座のマダムAが、心底羨ましい。

うろうろと考える

  • 2018/04/02 10:16
  • Category: 言葉
日本語関係の本ばかり10冊、ネットの古本屋で買った。
海外発送はしてくれないので、妹に転送を頼んだ。
働いている彼女に面倒なことを頼むのは嫌だったのだが
事前にお伺いを立てたら、快く承諾してくれたので
好意に甘えた。

金田一春彦さんとか大野晋さんとか、この分野ではほとんど古典
と言っていいような本ばかりで、遥か大昔に読んだような気もするのだが
もうすっかり忘れているし、外地住まいでは図書館で借りるというわけにもいかないし
電子書籍にもなっていないようなので、仕方ないか、と紙の本を買った。
紙の本は、特に版の古い新書や文庫は字が小さくて、
年寄りには読むのが少々しんどいのだが
そうは言っても久しぶりに買った日本語の本なので、
なんだかうきうき。届くのが楽しみだ。

教科書の方は、候補として『みんなの日本語』と『げんき』を買ってみることにした。
紙の本をスキャンしたらしいpdf版もネットにはあるが、
自習用か、あるいは参考に見るだけならともかく
教えるためにはプリントアウトせねばならず、
ページ数を考えると、普通に紙の本を買った方がよほど簡便かつ安価なので
ネット書店で新本を購入。
SAL便なので、1か月もすれば届くだろう。

『みん日』にしろ『げんき』にしろ、レビューを読むとそれぞれ一長一短のようで
正直なところ、どちらの方がここの状況に合うのか、よくわからない。
知り合いの元教授によれば、モントリオール周辺の大学では
みな『みん日』を教科書に使い、生徒は漢字ドリルなどのワークブックなど含め
数冊をセットで購入(計100ドル超)する建前になっているらしいが、
“学ぶこと”が本業の大学生ならともかく、みなフルタイムで働く社会人で
日本語にかけられる時間も予算も限られているここの生徒たちに
そんなことを要求するのは、まず無理だ。
最少の経費と時間で最大の効果を上げるには、どうしたらよいのか?
って、語学にそんなもの、あるんかいな。

ほんとにやるんかな

  • 2018/03/17 20:38
  • Category: 言葉
この2週間は、日本語講座のテキスト作りと教案づくりに追われて
他のことをする余裕が、まったくなかった。
掃除をさぼり、大物の洗濯をさぼり、
咳が止まらないのを口実に、散歩もさぼった。
それでも出来は今一つで、力不足をしみじみ実感。
教える側としての知識と技術の問題もあるが
私の場合、一番のネックはやはりフランス語だ。
頭の中に渦巻く説明の数々を、ちゃんとフランス語にできないのが何ともかなしい。
お金を払い、時間を使って授業に来てくれている生徒に申し訳ないと思う。
田舎で他に人がいないから、私ごときが引き受けることになった日本語講座だが
これが都会なら、生徒さんたちももっと優秀な教師に教われただろうに、
と思わずにはいられない。

が、そんな力不足からくる足掻きや葛藤も来週で終わり。
泣いても笑っても、あと1回で講座は終了と思っていたのだが、
生徒たちのうち何人かが勉強を続けたいと言っていて
片言フランス語の三流教師は、少々青ざめている。

「続けたい」という希望はあっても、生徒の人数や会場の都合もあるので
本当にやることになるかどうかはまだ不明なのだが
もしやるとすれば、今後は絶対にまともな教科書が必要だ。

以前にも書いたが、今やっている日本語講座は初級も初級、
挨拶や旅行の際の簡単な会話、
買い物やレストランでのやり取りをフレーズで教えるといったもので、
これで本当に日本人と話ができるようになるようなものではない。
20時間では、ひらがな、カタカナを覚えている暇もないので
文字は全部ローマ字を使っている。

それでも一応、典型的なフレーズを例に引きながら、数の数え方、主な助数詞、
動詞や形容詞には活用があること等々は教え、活用の練習もするにはしたが
それはあくまで、だいたいこういう構造になっていますよ、と概略をささーと撫でた程度で、
動詞にせよ、形容詞にせよ、実際に活用ができるようにはなっていないと思う。

だから、もし本当に勉強を続けるのであれば、今度は旅行用のお助けフレーズ集などではなく
日本語というものを、基礎から体系的に学習できる、きちんとした教科書が必要だ。
今はいろんなアプリがあるから、自習するだけならそうしたアプリでもよいが
教室でみんなでスマホ見ながら授業というのも、なんだかちょっと変だし
あんまり実際的ではない。
多少アナクロでも、ここはやはり紙の教科書が欲しいところである。

で、ここ2、3日、よい教科書はないかとネットをうろうろしているのだが
世界の日本語教育の現場でそれなりの評判を獲得しているのは
『みんなの日本語』と『大地』(共にスリーエーネットワーク)
そしてジャパンタイムズから出ている『げんき』らしい。

ただ書評を読むと、3種ともそれぞれ一長一短があるようで
実物を見ないことには、いったいどれがここの講座の状況
(週1回、2時間の授業、生徒は社会人)に合っているのかよくわからない。
使うにしても使わないにしても、そのうち日本に注文しようとは思っているが
その前に、ここケベックの大学ではどんな教科書を使っているのか
雪だるまの友人のM大の元講師にも聞いてみようとも思う。
フランス語の解説付き教科書があって、それがここで手に入るなら
それにこしたことはない。
大学とは授業時間数も違うし(まさか週1、2時間ということはあるまい)
生徒の状況(みんなフルタイムで働く社会人)も違うことを考えに入れなければならないが
選択肢のひとつであることには変わりないのだから。

まあもっとも、上にも書いたように本当にやることになるかどうかはまだわからない。
再開の一応の目安である秋までには、生徒の方にも私にもいろいろなことが起こるだろうし、
今は「やりたい」と思っていても、夏の間に状況が変わることだってある。
まあ、ゆっくり考えよう。

トイレットトレーニング

  • 2018/02/25 11:15
  • Category: 言葉
先日、雪だるまに「君の発音では、生徒がわかるかどうかわからない」と言われた話を書いたが
そのあとで「ならばどうして音読の時、私の発音を直さなかったのだ?」と聞いたら
「だって、直しても直しても、しばらく経つとまた元に戻っているから」との返事だった。

なるほど、ありそうな話である。
私の脳と耳と口は日本語発音で固まっているから、直された直後はかろうじて発音できても
しばらくするとまたするするーと、慣れ親しんだ日本語の音に戻ってしまうのであろう。
【ɛ】の鼻母音然り、狭い【e】然り、口をとんがらかす【u】然り・・・(ありすぎて書ききれん)

が、しかし、このままでは困る。
で、私は雪だるまに頼んだ。
「直らなくても、無駄だと思っても、とにかく直してくれ」と。
そしてこれは犬のハウストレーニング(トイレットトレーニング)と同じなのだ、と説明した。
子犬がどこで用を足すべきかを覚えるまでには、しばらくかかる。
犬によっては、いつまで経っても覚えられない犬もいる。
(私が昔飼っていた某イングリッシュコッカーなどは、最後まで粗相をし続けた)

しかし覚えられないからと言って、叱るのをやめてはいけない。
叱るのを止めれば、犬は「これでいいのだ♪」と思ってしまう。
発音矯正もまた然り。
間違えるたびに直されなければ、私の脳は「これでいいのだ♪」と思ってしまうのだ。
そしてそのまま楽な日本語的発音で固まってしまうのだ。
私の脳は、犬並みなのだ。

何度も何度も同じ音を直さなければならない雪だるまには災難だが
そこはそれ、出来の悪い配偶者を持ったのが運の尽き、と諦めてもらう他はない。

だって他にしようがないではないか。
聞いている人がわからないのでは、喋る意味ないのだから。

数の数え方

  • 2018/01/29 23:31
  • Category: 言葉
私はついほんのこの間まで、日本語における数の数え方は
きわめてシンプルで論理的だと思っていた。
とりあえず1(いち)から10(じゅう)までは覚えなければならないが
その後はその覚えた読み方の組み合わせ。
11は「じゅういち(じゅう+いち)」だし、12は「じゅうに(じゅう+に)」だし
20、30と増えていったって、21は「にじゅういち(2×10+1)」、
32は「さんじゅうに(3×10+2)」と、実にわかりやすい。

英語のように10を過ぎたところで突然、11(eleven)12(twelve)なんていう
どこから来たのかてんでわからない、異分子がひょいと出てきたりしないし、
ましてフランス語のように、70が「soixante-dix(60+10)」、80が「quatre-vingts(4×20)」
90が「quatre-vingt-dix(4×20+10)」なんていう、「なんでわざわざこんな数え方をするかね?」
と首を思いっきり傾げたくなるような七面倒くさい数え方など、どこを突ついても出てこない。
つまり、モノを「いち、に、さん…」と数えている限りにおいては、
日本語の数の数え方は、とても合理的で覚えやすいのだ。

が、これを実生活に応用するとなると、コトは俄然面倒になる。
覚えた数え方をそのまま使えるのは、月の名と「×時」くらい。
(9月は「くがつ」、4時は「よじ」など例外はあるが)
そのあとは、外国人泣かせの混沌の海だ。
たとえば「×時×分」と言う時の「分」は、「いっぷん」「よんぷん」などのように
数字の読み方が変わるうえ、「分」が「ふん」になったり「ぷん」になったり、
不規則に変化する。

日付の言い方はさらに面倒で、2日から10日までは
和語系の数え方である「ひとつ、ふたつ、みっつ…」から来た
「ふつか、みっか、よっか…」が使われるが、その後は漢語系の
「じゅういちにち、じゅうににち・・・」にころりと変わり、
そのまま行くかと思うと、14日で「じゅうよっか」と
漢語和語まぜこぜの言い方が出てくる。
おまけに1日と20日は「ついたち」「はつか」と、外国人にとっては
まったく出所不明、意味不明の言い方だ。
日付を正しく言おうとして脳内の記憶を検索しまくり、
「うー」と言ったきり立ち往生気味になる日本語学習者の苦悩に
心から同情したくなる。

おまけに、上に出てきた和語系の数え方「ひとつ、ふたつ、みっつ…」は
日付だけでなく、買い物、注文の時にも頻繁に使われるのだ。
たとえばちょっと休みたくなってス〇バに入ったとする。
カウンターで言うのはふつう「ラッテ、ひとつ」のように
「品名+和語系の数え方」で、「ラッテ、いち」とは決して言わない。

助数詞をつけて「1杯、2杯…」という言い方に変えれば
漢語系の数え方を使えるが、ス〇バのカウンターで
「カプチーノ1杯」と注文する人は、あまりいないのではないか。
少なくとも私は聞いたことがない。

それにこの助数詞というものも、日本語学習者にはけっこう面倒なのだ。
たとえば細長いものを数える時に使う「本」。
「1本、2本、3本・・・」と、漢字で書けば同じに見えるが
実際の発音は、「いっぽん、にほん、さんぼん・・・」と不規則に変化している。
いちいち丸暗記で覚えなくてはならない。
ついでに何にどの助数詞を使うかも問題で、
簡便にいきたければ、人と個と本と枚と冊くらいでなんとかなるかもしれないが
動物の数を言いたければ、どうしても頭と匹くらいは必要になるし
会社や工場で働くなら、機械を数える時の台も必要だろう。

子どもの時から日本で育っている人なら、生活の中で自然に覚えていくのだろうが
成人した後で一から覚えるとなると、いやほんとに大変だ。

こうして考えてみると、数の数え方が一番簡単なのは
私が知っている言語の中では中国語かな、と思う。
日本語の助数詞にあたる量詞はあるが
数え方は「yi、er、san、si…」と一通りしかないし、
11以降の数え方も日本語同様「10+1、10+2・・・」と規則的だ。
そして中国語の次に簡単なのが英語で、その次がフランス語。
ドイツ語とかロシア語は知らないので比較できないが、
まさか日本語のように数え方が二通りあったりはしまいねえ?

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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