数の数え方

  • 2018/01/29 23:31
  • Category: 言葉
私はついほんのこの間まで、日本語における数の数え方は
きわめてシンプルで論理的だと思っていた。
とりあえず1(いち)から10(じゅう)までは覚えなければならないが
その後はその覚えた読み方の組み合わせ。
11は「じゅういち(じゅう+いち)」だし、12は「じゅうに(じゅう+に)」だし
20、30と増えていったって、21は「にじゅういち(2×10+1)」、
32は「さんじゅうに(3×10+2)」と、実にわかりやすい。

英語のように10を過ぎたところで突然、11(eleven)12(twelve)なんていう
どこから来たのかてんでわからない、異分子がひょいと出てきたりしないし、
ましてフランス語のように、70が「soixante-dix(60+10)」、80が「quatre-vingts(4×20)」
90が「quatre-vingt-dix(4×20+10)」なんていう、「なんでわざわざこんな数え方をするかね?」
と首を思いっきり傾げたくなるような七面倒くさい数え方など、どこを突ついても出てこない。
つまり、モノを「いち、に、さん…」と数えている限りにおいては、
日本語の数の数え方は、とても合理的で覚えやすいのだ。

が、これを実生活に応用するとなると、コトは俄然面倒になる。
覚えた数え方をそのまま使えるのは、月の名と「×時」くらい。
(9月は「くがつ」、4時は「よじ」など例外はあるが)
そのあとは、外国人泣かせの混沌の海だ。
たとえば「×時×分」と言う時の「分」は、「いっぷん」「よんぷん」などのように
数字の読み方が変わるうえ、「分」が「ふん」になったり「ぷん」になったり、
不規則に変化する。

日付の言い方はさらに面倒で、2日から10日までは
和語系の数え方である「ひとつ、ふたつ、みっつ…」から来た
「ふつか、みっか、よっか…」が使われるが、その後は漢語系の
「じゅういちにち、じゅうににち・・・」にころりと変わり、
そのまま行くかと思うと、14日で「じゅうよっか」と
漢語和語まぜこぜの言い方が出てくる。
おまけに1日と20日は「ついたち」「はつか」と、外国人にとっては
まったく出所不明、意味不明の言い方だ。
日付を正しく言おうとして脳内の記憶を検索しまくり、
「うー」と言ったきり立ち往生気味になる日本語学習者の苦悩に
心から同情したくなる。

おまけに、上に出てきた和語系の数え方「ひとつ、ふたつ、みっつ…」は
日付だけでなく、買い物、注文の時にも頻繁に使われるのだ。
たとえばちょっと休みたくなってス〇バに入ったとする。
カウンターで言うのはふつう「ラッテ、ひとつ」のように
「品名+和語系の数え方」で、「ラッテ、いち」とは決して言わない。

助数詞をつけて「1杯、2杯…」という言い方に変えれば
漢語系の数え方を使えるが、ス〇バのカウンターで
「カプチーノ1杯」と注文する人は、あまりいないのではないか。
少なくとも私は聞いたことがない。

それにこの助数詞というものも、日本語学習者にはけっこう面倒なのだ。
たとえば細長いものを数える時に使う「本」。
「1本、2本、3本・・・」と、漢字で書けば同じに見えるが
実際の発音は、「いっぽん、にほん、さんぼん・・・」と不規則に変化している。
いちいち丸暗記で覚えなくてはならない。
ついでに何にどの助数詞を使うかも問題で、
簡便にいきたければ、人と個と本と枚と冊くらいでなんとかなるかもしれないが
動物の数を言いたければ、どうしても頭と匹くらいは必要になるし
会社や工場で働くなら、機械を数える時の台も必要だろう。

子どもの時から日本で育っている人なら、生活の中で自然に覚えていくのだろうが
成人した後で一から覚えるとなると、いやほんとに大変だ。

こうして考えてみると、数の数え方が一番簡単なのは
私が知っている言語の中では中国語かな、と思う。
日本語の助数詞にあたる量詞はあるが
数え方は「yi、er、san、si…」と一通りしかないし、
11以降の数え方も日本語同様「10+1、10+2・・・」と規則的だ。
そして中国語の次に簡単なのが英語で、その次がフランス語。
ドイツ語とかロシア語は知らないので比較できないが、
まさか日本語のように数え方が二通りあったりはしまいねえ?
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奇跡的に

  • 2018/01/20 23:31
  • Category: 言葉
第1回目の授業は、奇跡的にうまく行った。
生徒の数が先週聞いていた4人から、その日の朝、5人に増え
そして夜になって実際に蓋を開けてみたら6人になっていて
「ぎゃあ、テキストが足らんじゃないか!」と少々焦ったが、
それはGちゃんに私用の控えを渡して問題解決。

雪だるまに「生徒がわかるかどうか、わからない」と言われていた私のフランス語も
幸い生徒がみな熱心で、協力的で、なまりだらけの片言フランス語でも
わかろうという態度で聞いてくれたし、
私の説明がわかりづらかったり、足りなかったりした場合は
すかさずGちゃんが横から補足してくれたので、
なんとかみな、私の言わんとしているところを理解してくれたと思う。

それに、事前に教師経験のある友人たちから
「重要なのはあなたが喋ることではなく、生徒に喋らせること。
できるだけ生徒に喋らせなさい」と口を酸っぱくして言われていたので
アドバイスにしたがい私からの説明は減らし、生徒の練習に時間の大部分を割いた。
私の下手くそな説明を聞くよりよほど役に立つし、
いずれにしても初回、あいさつの練習をしている段階では、説明事項もあまりない。
「こんにちは」や「ありがとう」が、自然に口を突いて出ればいいので
なぜそう言うか、など考えなくてもよい。

ちなみに6人の生徒は、女性3人、男性3人。
日本語を勉強したい理由は、日本のアニメが好きだから(高校生のSちゃん)
空手をやっているから(Sさん)、日本に旅行に行きたいから(Oさん)
仕事で時々日本に行くから(Yさん)、日本に友達がいるから(Gちゃん)
いろいろな外国語を勉強するのが好きだから(Eさん)、とさまざまだ。
はっきり聞いたわけではないが、Eさんを除き、みな少し日本語を齧ったことがあるようで
あいさつやローマ字の読み方などは、みな苦も無くこなした。

さて次回は、自己紹介。
「わたしは ×× です」など、“文”が出てくる。
今せっせとテキストを作っているところだが、文が出てくるとなると少しは説明をせねばならず
しかし初級の段階で、しかも10回しかない授業で、あまり詳しい説明をしている時間はなく
さてどこまで説明するのが適切か、と少々頭を悩ませている。

このところ夜、眠りに落ちる前、最後に考えるのも授業のこと、
朝、目が覚めて最初に頭に浮かぶのも授業のこと、
頭の中で「日本語」がくるくる回っている。




今更そんなこと言われたって・・・

  • 2018/01/16 20:50
  • Category: 言葉
例の日本語講座が、今週から始まる。
この前の日曜日に発起人と打ち合わせをするまで、
私はこれは有志の人に日本語を教えるボランティアみたいなものだろう
と思っていたのだが、日曜に打ち合わせ会場に出かけて
実はこれはスペイン語、ドイツ語、英語を含めた語学講座の中の一つで
生徒を募集し、お金を頂戴して教えるのだと知って、正直、青くなった。
無料と有料とでは、責任の重さが違う。

が幸い、田舎町のこととて生徒は4人しか集まらず、
しかも、うち一人は発起人のエディットだし、もう一人もアルバトロスメンバーだし
正味の外からの生徒は2人だけとなったので、少し気が楽になったが
お金を頂戴するとなれば金額に見合っただけの内容にしなくてはならず
ためにこのところずっと、教案と生徒に渡すプリント作りに明け暮れている。

教科書はない。私が通っていた町政府のフランス語講座でもそうだったが
教科書というかテキストは、全部先生が作っていた。
他のスペイン語、ドイツ語講座等も、市販の教科書は使わないようだ。
なにしろ1回2時間×10回しかないのだから、教科書を用意したとしても
全部教えている時間はないし、生徒の方でも日本留学や日本で働くことを
想定しているわけではなし、詳しくやりすぎては付いてこられない。

で、まあ、基本事項や文例だけをわかりやすく並べたテキストを作っているわけだが
問題は私のフランス語。
生徒は全員ケベッコワで、フランス語という共通の言語があるのだから
文例にしろ文法事項にしろ、フランス語を使って説明するのが一番効率的なのだが
いかんせん、私のフランス語はそんなことを流暢に説明できるレベルにはない。
もちろん事前によくよく練習し、説明を丸暗記し、本番に臨むのではあるが
それでも生徒から想定外の質問をされた場合、とっさにフランス語で
回答することができるとは、とても思えない。
で、考えた末、生徒の一人、アルバトロスメンバーのGちゃんを
私のアシスタントに任命し、フランス語でうまく説明できない場合は
代わりに英語で説明し、それをGちゃんに通訳してもらうことにした。

彼女はアルバトロスメンバーにしては珍しく若い30代で
すでに独学でほんのすこーし日本語を勉強しているうえ、
英語も話すので、私との意思疎通に問題がない。
家も比較的近く、アルバトロスへの行き帰り、車のない彼女のために
私が車で拾ったり、送って行ったりしているので、まあ親しい。頼みやすい。
で、彼女に打診すると「もちろん、喜んで」と快諾してくれたので
正式にアシスタントをお願いすることにした。ちょっとほっとした。

その代わりと言ってはなんだが、彼女の授業料は割り引く。
あるいは場合によっては、全然もらわなくても構わない。
どうせもともとボランティアだろうと思っていた日本語講座である。
会場代が出て、コピー代、ガソリン代などの実費がまかなえれば
それで十分なのだ。

お仕事時代、さんざんプレゼンをやったので
人前で喋ることに抵抗はないが、
それに相手が何を言い出すかわからない通訳に比べれば
あらかじめ喋ることがわかっている授業は、比較的楽だとも言えるが
さてさて、うまく行きますかどうか。
教師経験のある友人たちはみな「楽しんでおやりなさいよ」と言うが
私は楽しくても、生徒が楽しくないんじゃ何にもならないしなあ。

と、ここまで書いたところで、夜、雪だるまの前で授業の練習をしたら
「私は君の発音に慣れているから、なんと言っているかわかるが
生徒がわかるかどうかはわからない。一度Gちゃんの前で練習してみなさい」
と言われてしまった。
がああああん・・・

そんならなぜもっと前に、つまり過去2年間の音読練習中に、
私の発音を徹底的に直してくれなかったのだ?
今更そんなことを言われたって、1日、2日で発音の矯正などできるものではない。

何だか胃の中に重たーい石を投げ込まれた気分である。
どうしよ?
と言ったって、できるだけまともになるよう練習するしかないのだが。

線路は続くよどこまでも

  • 2018/01/06 05:33
  • Category: 言葉
日本を離れて以来、“年末”とか 、“お正月”とかいうものがなくなってしまい、
クリスマス疲れを引きずって、半覚醒状態で日を送っていると、
あっという間に1月もすでに5日である。

去年はクリスマス直前に寝込んでしまい、
イヴには家族5人がうちに集まることになっているのに、
起きられなかったら掃除や料理はどうしたらいいのだ?と青くなったが
幸い24日の午後には何とか動けるようになり
レヴェイヨンはどうやらこうやら無事に済んだ。

その後、28日にはまたうちで従妹たちを呼んでのパーティがあり、
1月1日はフランスの家で会食と、寄り合い続き。
しかし子どものいない年寄りばかりの集まりで
しかも家族は5人だけとなると、3回目に集まる頃には新しい話もなくなり
話題が尽きて、食卓には頻繁に天使が通り過ぎる始末。
1日の会食は、8時にはお開きになった。
少々寂しいような気もするが、平均年齢65歳超で、
“お喋り”といえる人間は、家族内に一人もいないのだから仕方がない。

来週からはまたお散歩会も始まるし、アルバトロスも始まる。
そして今年は、有志4、5人の小グループで日本語を教えてほしい
とも言われているので、日曜までに授業の大枠を簡単に作ってみなければならない。

もっとも日本語を教えるとは言っても、言われている授業数は1回2時間×10回。
計20時間でしかないので、やれるのはほんのさわりだけ。
「こんにちは」や「ありがとう」が言えるようになり、
日本の行事や習慣のいくつかを説明できれば上出来というところだろう。

発起人のエディットは、この方式でスペイン語講座をやって
けっこううまくいったからと言うのだが、フランス語と文法構造や語彙に共通点が多く
読み書きには同じアルファベットを使うスペイン語とは異なり
日本語はフランス語とは似ても似つかぬ文法構造。
語彙も全く異なるうえ、読んだり書いたりするには各46文字のひらがな、カタカナのほか、
2000字以上の漢字を覚えなければならない。
20時間では、文法を詳しく説明している時間はないし、
漢字はおろか、ひらがな、カタカナを暗記し、覚え込む時間もなかろうから
「読み・書き」はハナから諦めるしかない。

参加者の中には、日本旅行に備え、案内板等読めるようになりたい
という人もいるらしいが、まあ東京都内および外国人がよく行く観光名所なら
駅名、地名や街の案内板は、たいていローマ字表記もあるから
ローマ字の読み方さえ覚えれば、自分がどこにいるかくらいはわかるだろう。
それ以上、新聞、雑誌とか、ふつうの漢字かな混じりの日本語を読めるようになりたければ
その場合は時間単位ではなく、年単位で頑張ってもらうしかない。
日本語は、日常会話程度なら聞き、話すのはさほど難しくないが
読み、書くのは相当に面倒くさい言語なのである。
これは雪だるま始め、私の周りの日本語学習者(母語はいろいろ)
全員が言うのだから間違いない。
20時間で何とかなるようなことがらではないのである。

ネットなどではよく「×十時間で話せる○○語!」というようなタイトルを見かけるが
正直、あんなものは大ウソであると思う。
まあ世の中には天才的に語学の勘のいい人がいて、
初めて触れる外国語でも、×十時間でモノにできたりするのかも知れないが
たいていの人は、そんなふうにはできていない。
わたしなぞ、フランス語をつつき始めて6年、いまだ言いたいことも言えない
半聾唖である。外国語の道は、長く、遠いのだ。
線路は続くよ、どこまでも。やれやれ。

「眠られる」

  • 2017/10/16 21:21
  • Category: 言葉
先日、岡本綺堂の『三浦老人昔話』を聞いていたら
老人が語る言葉の中に「その当時、よく眠られない癖がつきまして・・・」
という言い回しが出てきて、「おや・・・」と少し耳にひっかかった。

岡本綺堂さんという作家は、明治末から大正、昭和初期にかけて活躍された作家だから
当然、言い回しは古い。
私が好んで聞いている彼の代表作のひとつ『半七捕物帳』にも、
今ではもう使われない言葉や、今とは違う使い方をする言葉が結構出てくる。
古いとは言っても、たかだか100年くらい前でしかないから
平安時代のお話のように意味がわからないようなことはないが、
「へえ、昔はこういう言い方をしたんだ」と思いながら聞いていると、
祖父の時代にタイムスリップしたような気がして、なかなか面白い。

で、その「眠られない」だが、私はふつうこうは言わない。
動詞「眠る」を可能のかたちで言いたい時は、「眠れる」
それを否定の形にしたい時は「眠れない」で、「眠“ら”れない」とは言わない。

国文法のサイトなどを見ると、「読める」とか「話せる」など
「~できる」(可能)という意味を表す可能動詞は
元の五段活用の動詞「読む」「話す」の未然形に、可能の助動詞「れる」がついて
「読む→読まれる」「話す→話される」となったのが、
のち転じて「読める」「話せる」となったもので、
したがって、それぞれの可能動詞には、それに対応する五段活用の動詞がある
のだそうである。
(逆に言えば、元の動詞が五段活用でない場合は、未然形に「れる」をつけるのは間違いで
だから上一段活用の動詞「着る」の可能動詞は「着られる」。「着れる」とするのは誤りと
なっている)

つまり現代の国文法では、「眠る」(ら行五段活用)の可能動詞は「眠れる」でよい、
ということになるが、しかし明治、大正時代は「眠られる」と言っていたのかと思うと
昭和人間の私が、さらりと「眠れる」などと言ってのけるのは、
明治の人間から見ると、忌まわしき「ら抜き言葉」に聞こえるのかしらん、とも思えて
なかなか面白い。

私は言葉遣いに関しては保守的で、自分で書いたり話したりする時は
新しい言い方よりも古い言い方、いかにも当世風な流行の表現よりも昔ながらの言い回し
の方を好むが、といって別に今の人たちの言葉遣い、話し方を一概に否定する気もない。
ら抜きの「着れる」「食べれる」が多数派に転じたのなら、それはそれで結構。
声高に「それは間違いだ!」と主張する気はない。
「歌は世に連れ・・・」ではないが、言葉だって世に連れ、人に連れ、変化していくのである。
文法学者が何と言おうと、言葉の世界では多数派が常に正しい。
大多数の人たちが使う使い方、そうと考えている意味が
今のその語の使い方、その語の意味なのである。
昔から言葉はそうやって変化してきたのだから。
その変化を止めようとしたり、逆行させようとしたりするのは無駄な努力。
川は海に向かって流れるし、雪崩は上から下に落ちてくる。
まあもっとも私自身は、死ぬまで「着れる」とは言わないと思うけれど。

再度LとR

  • 2017/02/21 11:07
  • Category: 言葉
先日、仏作文の練習をしていて“タイトル”という語を綴る必要に迫られた。
「本のタイトル」とか、映画の字幕「サブタイトル」で、“タイトル”という語はおなじみ。
特に考えることもなく、“title”と綴ったのだが、LとRの違いにはからきし弱い私のこと。
ふと心配になって、一応辞書を当たってみた。

すると、なんと“title”という語は、仏語辞書にはない。
「そんな、馬鹿な!」と、今度は和仏で「タイトル」と当たってみると
綴りはなんと“titre”!

「えー、私は今の今まで“タイトル”は“title”だと思い込み、
過去40年以上そう綴ってきたが、あれは全部間違いだったのか?
きゃー、なんてぇこったい・・・」と、学生時代からお仕事時代にかけて作成し、
諸方面に提出したり、発送したりしてしまった数々の書類の中にちりばめられた
ミススペリングの数を思って、一度は「きゃー」と赤くなった顔が
次にはサーッと紙のように白くなる思いだったが
それにしても私の耳と頭は、40年以上勉強し続けてきたこの年になっても
いまだにLとRを区別できないのかと思って、つくづく情けなかった。
何しろ私はその少し前にも、“Link”と“Rink”を間違え、
“ゴルフリンク”の“リンク”は“Link”なものだから、
“スケートリンク”も“Skating Link”のような気がして、
そう綴って雪だるまに大笑いされていたのである。

だからこの時も、「またお馴染みの間違いをやらかしてしまった」と
LとRの混同自体には驚きはしなかったものの、間違えた語が
“タイトル”という超基本語であったので
「こんなのすら間違えて覚えていたとは、情けなさ過ぎて涙が出る・・・」と
つくづく自分に愛想が尽きる思いだった。

で、仏作文の添削に雪だるまのところに行ったとき
「さっき、“タイトル”でもLとRを間違えちゃったよ。
私、今の今まで“タイトル”はLだと思い込んでいたんだよねー」と愚痴ったら
雪だるま「titreはRだよ」と言った後で、「でも英語のtitleは、Lだけど」と付け足した。

私、愕然。
「え、じゃあ何かい、“タイトル”はフランス語ではRで、英語ではLなのか?」
と質したら、その通りだと言う。
(注:厳密には、titreは“ティトル”といった発音で、“タイトル”ではありませんが)

まったく、再度「なんてぇこったい!」である。
どうして、語源が同じ(どちらもラテン語の titulus から来ている)で、同じような意味を持つ単語が
フランス語ではRになって、英語ではLになっているのか?
まるでLとRを区別できない日本語話者を惑わすために
いつかの時点で、わざと綴りを変えたかのようである。

それでなくてもフランス語と英語には、carotte(仏)と carrot(英)とか
adresse(仏)と address(英)とか、recommander(仏)と recommend(英)とか
意味はほぼ同じで綴りだけ微妙に違う単語がごろごろし過ぎている。
それだけでも厄介なのに、その上さらに当方には区別できないLとRまで
入れ替えられている単語が存在するのでは、こちらはお手上げ、バンザイ、降参である。

ああ、誰か、LとRを聞き分ける機能が付いた補聴器でも
発明してはくれないものか。
ついでにスペイン語話者等向けには、BとVの識別機能、
中国語話者等向けにはDとT、BとPの識別機能を付ければ、売れるぞ、これは。



壁は高い

  • 2016/10/03 10:53
  • Category: 言葉
先日、例の「L’étranger」の読み終えて以降、
ここ1週間ばかり、音読をお休みしている。
雪だるまの仕事が忙しくて、私の音読に付き合っている暇がないというせいもあるが、
メインの理由は、音読しているだけでは喋れるようにはならないと
奥様方との散歩の度に痛感させられ、「さてどうしたものか・・・」と
うろうろ迷うことしきりだからである。

それに加えて、ここしばらく発音を直されることが少なくなっていたので
「少しはましになってきたのか?」と、心のうちで喜んでいたら
実は直し始めるときりがないから、よほどひどい間違いでない限り
大目に見ていたのだと知って、がっくり・・・
フランス語の発音、ちっともうまくなんかなっていなかったのである。ああ・・・

もっとも、この点に関しては、私自身うすうす気づいてはいたのである。
お手本にしていたプロの朗読と比べ、音読の際、耳から入ってくる我が音は
どうもなんだかびみょーに、違って聞こえてきていたのだから。

日本語の音韻体系が骨の髄まで染み付いてしまっている我が脳と耳であるので
できない音はいろいろあるが、最近特に絶望しているのが
[e] と [ɛ] の違い。
発音解説の本によると、ともに「舌の山は前方、唇を軽く横に引く」
ところまでは同じであるものの、[e] の方は口の開きがやや小さく、
[ɛ] の方は口の開きが大きいのだそうであるが
私にはこの2つの音の違いが、ほとんど全く全然、わからない。
どちらも「え」にしか聞こえない。

いや、正確には、この2つの音を単独でゆっくり発音してもらえば
「なんか少し違うかなー」くらいには違って聞こえるのだが
単語の中に入られたり、文章の中に入られたりすると
完全にお手上げ。まるっきり区別がつかない。
耳が区別できないくらいだから、当然、口も区別できない。
よって私は、雪だるまによると常に[e] でもなければ [ɛ] でもない
どちらともつかない中途半端な音を出しているそうである。

まあ相手が外国人の下手っぴーなフランス語に慣れている場合は
この曖昧な音でも、前後から意味を判断してもらえるが
そうそういつもこうした幸運に恵まれるとは限らないし
第一、聞き苦しい。直せるものなら、直したい。
が、コトはそううまく運ばない。
50の手習いは、容易ではないのである。

それで時々音を上げて、英語圏に移住したくなる。
ケベックが嫌いなわけではないが、フランス語の壁は
ぜつぼー的に高い。

しかも最近知ったのだが、実は雪だるま自身、
フランス語に不自由のない身ではなかったのである。

こちらに来て以来、保険屋との交渉にしろ、各種工事、
修理人とのやりとりにしろ、いちいち出かけていくので
「その程度のことは電話で済ませたら?」と言ったら、
声だけが頼りの電話では、うまく話ができる自信がないのだそうである。
だから相手の顔を見て話をすべく、いちいち出かけているのだそうで。
なんと、君のフランス語力はその程度だったのか?
と、口あんぐり・・・

そんなら一体なぜ、ここに住んでいるのだ?
二人とも楽ちんな英語圏に引っ越そうぜ!と言いたいところなのだが
ここに住んでいる理由は分かっている。
お義父さんが、ここにいるからだ。
もっともな理由なので私も納得してはいるが
しかしフランス語の壁は高い。ぜつぼー的に高い。

長幼の序

  • 2016/01/20 11:13
  • Category: 言葉
しばらく前の話だが、モントリオールに住む雪だるまの友人夫妻の家に遊びに行った時、ちょうど息子のJ君が飼っているという子犬が遊びに来ていた。友人の引越しの手伝いでJ君とそのGFが1日家を空けるとかで、子犬を一人で家に残すのはいろいろ心配だからと、両親のところに預けたものである。

この犬、まだ子犬のせいか非常に人懐っこく、かつ警戒心がなく、私たちがドアを開けると喜び勇んで飛んできて、ぴょんぴょん、ぐるぐる私たちの周りを跳ね回った挙句、喜びのあまりお漏らしまでするというはしゃぎよう。女の子なのに“ミスター・ペピー”と名付けられたその子犬は、ボストンテリアとパグのミックス“バグ(Bugg)”で、ご存知の方はご存知と思うが、もう類いまれに不細工かわいいい犬である。


参考画像 こんな感じの子がバグ

bugg.jpg


で犬好きの私は食事のあと、その家の奥方と一緒になって、子犬をかまって遊んでいたのであるが、その時は中国語で話していたので「こんにちはー、おばちゃんですよぅ」と言うようなつもりで、「阿姨(あーいー)」という語を使ったら、隣で同じく子犬をかまっていた奥方が聞きとがめて「それはおかしい」と言う。「阿姨」というのは母の姉妹で、つまりはこの子犬の父親であるJ君(および母親であるJ君のGF)と同世代ということになるが、あなたは彼らより年長、彼らの親である私たちと同じ世代なのだから、「阿姨」は使えないと言うのである。

その昔、そのあまりの複雑さと面倒くささに中国語の親族呼称は父母、兄弟姉妹と祖父母くらいしか覚えず、それ以外はその場に応じて「父の姉の息子」とか「母の妹の夫の妹」とかの言い方で誤魔化し続けてきた私は、当然ながら「祖父(または祖母)の姉妹」の呼称を知らない。そしてその時彼女に「じゃあ何て言ったらいいの?」と聞いて教えてもらった呼称も、その場ですぐに忘れ果てたので今ここに書くことはできないのだが、今ネットで調べてみると「姨奶奶(いーないない:父方の祖母の姉妹)」あたりになるのだろうか。奥方(=J君の母上)の姉妹相当という風に考えれば。実際、奥方はその子犬に向かい自分のことを、フランス語では“Gran-maman”と呼び、中国語では「奶奶」呼んで、「おばあちゃんと遊びましょうねぇ」などと話しかけていた。息子J君の“子”犬だから、彼女は「おばあちゃん」なのである。

がそれにしても、日本人の私の感覚だと、たかが犬相手の呼称である。おばちゃんだろうと、おばあちゃんだろうと、一世代くらいずれたっていいじゃないかと思うのであるが、腐っても鯛、たとえケベックに30年以上暮らそうと元は中国人の彼女、長幼の序は身体の芯に染みついているのかもしれない。まあ私だって私より年上の人から、sisterのつもりで「あなたは私のお姉さんみたいなものだから」と日本語で言われれば「あ、その場合は“妹”です」と自動的に訂正するのだから、あまり人のことは言えないけれども。

追記
ネットを検索していたら、こんな動画を見つけたので貼り付けておきます。
広東語版ですが、呼称の複雑さ、少しはお分かりいただけるかも。




ちなみに春節(旧正月)時期に、香港のマクドナルドが出したらしい親族呼称一覧もありました。
「ちゃんと呼べないと、お年玉もらいそこねるぞお」とか言ってるのが、おかしい。





たんすの中に隠れ続けるわけにはいかない

  • 2016/01/18 11:37
  • Category: 言葉
表題、なんだかこれからカミングアウトでもするようでまぎらわしいですが
そういうことではありません。

実は昨日、久しぶりにV君が遊びに来て
昨年末1か月ほど旅行して回ったアルゼンチンの話や
クリスマス、年末年始で親戚たちが集まった話など
楽しく聞いていたのだが、途中、話の成り行きで
急にV君の御母上と電話で話さなければならない事態になってしまった。

言うまでもなく、V君の母上にお目にかかったことはないし
電話だろうと何だろうと、話をしたこともない。
それが突然、テーブルの上に置かれたセルに向かって
“Bonjour”から始まる会話を交わすことになり、慌てた、慌てた。
慌てすぎて何を喋ったらいいのかわからなくなり
言葉が出てこなくて、しどろもどろのれーろれろ。

話していた時間など、正味1分にも満たない短かさだったにもかかわらず、
フランス語が全然出てこなかった恥ずかしさと自己嫌悪に
V君が帰ったあと、箪笥の中に隠れて毛布をかぶり、
100万年くらい出て来たくないと思うほど落ち込んだ。

もともと私は「喋るのが好き」という方ではないし
電話なんて1年に3本かけるかかけないかというくらいの電話嫌いだし
その上さらに使用言語が“ただいま学習中”のフランス語では
まともに会話ができるはずもないのだが
それにしても、その言葉の出てこなさ加減が余りにひどかったので
昨日は「ばか、ばか、ばか、ばか・・・」と自分を罵り続け
しどろもどろの会話を思い出しては、「きゃあ」と叫んで頭を抱えた。

が、自己嫌悪にまみれているのは苦しい。
そして私は弱虫で意気地なしなので、苦しいのは嫌いだ。
苦しい状態を終わりにしたければ、何かしなければならない。
「喋れない」から苦しいのなら、喋れるようにならなければならない。
「喋るのは好きじゃない」などと言っている場合ではない。
喋れるようになりたければ、喋るしかない。

で、さっき、お散歩友達のマダムBに電話した。
そして今週、会う約束をした。
彼女が別のジムに移ってから全然会っていないので、数か月ぶりである。
会ったら彼女に、週1回くらい会話の相手をしてもらえないかと
頼むつもりでいる。
この町で生まれ、育ち、教師でもあった彼女は、
ケベックフランス語の会話相手としては、最適のはずである。
そうでもしないと、今の私にはフランス語を喋る機会がない。


おしゃべり

  • 2015/12/13 11:54
  • Category: 言葉
今日は久しぶりにV君が遊びに来た。この前ウチに来たのは10月の上旬だから、丸々2か月ご無沙汰だったわけで、「はて、病気にでもなったか?」と少し心配し始めたところだったので、元気な顔を見てほっとした。

もっとも今日は、日本語の勉強はなし。V君と一緒に元クラスメートのJちゃんも来たので、雪だるまも交え、4人で3時間ほどあれこれお喋りして楽しんだだけ。ウチの近所に住んでいるJちゃんは、すでに何度もウチに来ていて雪だるまとも親しいし、V君はV君で、V君の弟とJちゃんの元カレが親友同士で、その縁でウチに日本語の会話練習に来るようになったくらいなので、Jちゃんとは仲良し。特に最近V君は中国語の勉強も始め、中国人のJちゃんに中国語の単語を発音してもらったりしているので、Jちゃんに新しいchum(男友達、カレ、BF)ができ、弟の親友がカレから元カレに降格になっても、友達付き合いは途絶えていないもようである。

だだ、このV君、Jちゃん、雪だるまに私の組み合わせだと、全員が比較的楽に喋れる共通言語というのがない。V君はフランス語が母語で日本語も流暢だが、英語は喋らないし、中国語はまだ勉強し始めたばかりで、それで会話ができるところまではいっていない。Jちゃんは中国語が母語で英語も達者だが、フランス語は私といい勝負の初級者、日本語は大学時代に少し齧っただけ。雪だるまはこの中では最強のメンバーで、英仏中日なんでもいいが、中と日は最近あんまり使っていないのでやや錆びついている。私に至っては、最近は母語の日本語ですら錆びつき始めているくらいなので、他は推して知るべしという体たらく。

が、英語または中国語だとV君が参加できず、日本語だとJちゃんが参加できないので、結局「ここはケベックだし・・・」と、ご当地に敬意を表して主にフランス語で喋ることになった。“主に”と書いたのは、その時々で英語が入ったり、中国語/日本語が入ったりしたからである。誰かがわからない時は、他の誰かが説明や注釈を入れてくれるので、それで十分何とかなった。というより、その言語のごちゃまぜ具合が、何とも言えず面白かった。あることを表現するのにフランス語だとこうなって、英語だとこうなって、中国語と日本語ではこんな風に似ていて、あるいは違っていてと比べながら喋るのは、いろいろ発見があって楽しかったのだ。おかげで午後の3時間は、あっという間に過ぎた。私とJちゃんのために手加減して喋ってくれたせいか、V君のフランス語は大変聞き取りやすくて、楽に会話の流れを追うことができたし。ふだんお義父さんや親戚のおじさん、おばさんの言うことは4分の1もわからなくて、毎回毎回意気消沈してウチに帰ってくるのとは大違い。単語、構文共に易しいものを選び、ゆっくり丁寧に発音してくれたから聞き取れたのだということはわかっているけれど、たまにはそうやって「わかる♪」という気持ちに錯覚させてもらうのは嬉しい。いつもいつも「わからない」ばかりでは、勉強しようという意欲を維持するのが難しいのだ。人間、たまにはアメとかニンジンとかご褒美とかが必要なのですよ。

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それにしても、私がフランス語を勉強しているのは、お義父さんと喋りたいからなのだが、実のところ私にとって一番わかりづらいのがお義父さんのフランス語で、いまだにお義父さんの言う言葉はほとんど聞き取れない。V君が言うには「お年寄りのケベッコワは聞き取りにくいから」だそうだが、そうは言ってもこのままでは一生お義父さんとは、彼にとっては母語ではない英語で話し続けることになりそうで、それが私は悲しい。言葉は意思疎通のための道具で、だから意思の疎通ができるのならどんな道具を使ってもよいのかもしれないが、でも「母語」には道具という立場を超える感情が籠っているように私には思えて、だからお義父さんにはフランス語で話しかけたいのだが、私がお義父さんのフランス語を聞き取れないのと同様、お義父さんも私の訛ったフランス語は聞き取れないのだ。ああ、このぜつぼーに終わりは来るのか・・・

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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