「眠られる」

  • 2017/10/16 21:21
  • Category: 言葉
先日、岡本綺堂の『三浦老人昔話』を聞いていたら
老人が語る言葉の中に「その当時、よく眠られない癖がつきまして・・・」
という言い回しが出てきて、「おや・・・」と少し耳にひっかかった。

岡本綺堂さんという作家は、明治末から大正、昭和初期にかけて活躍された作家だから
当然、言い回しは古い。
私が好んで聞いている彼の代表作のひとつ『半七捕物帳』にも、
今ではもう使われない言葉や、今とは違う使い方をする言葉が結構出てくる。
古いとは言っても、たかだか100年くらい前でしかないから
平安時代のお話のように意味がわからないようなことはないが、
「へえ、昔はこういう言い方をしたんだ」と思いながら聞いていると、
祖父の時代にタイムスリップしたような気がして、なかなか面白い。

で、その「眠られない」だが、私はふつうこうは言わない。
動詞「眠る」を可能のかたちで言いたい時は、「眠れる」
それを否定の形にしたい時は「眠れない」で、「眠“ら”れない」とは言わない。

国文法のサイトなどを見ると、「読める」とか「話せる」など
「~できる」(可能)という意味を表す可能動詞は
元の五段活用の動詞「読む」「話す」の未然形に、可能の助動詞「れる」がついて
「読む→読まれる」「話す→話される」となったのが、
のち転じて「読める」「話せる」となったもので、
したがって、それぞれの可能動詞には、それに対応する五段活用の動詞がある
のだそうである。
(逆に言えば、元の動詞が五段活用でない場合は、未然形に「れる」をつけるのは間違いで
だから上一段活用の動詞「着る」の可能動詞は「着られる」。「着れる」とするのは誤りと
なっている)

つまり現代の国文法では、「眠る」(ら行五段活用)の可能動詞は「眠れる」でよい、
ということになるが、しかし明治、大正時代は「眠られる」と言っていたのかと思うと
昭和人間の私が、さらりと「眠れる」などと言ってのけるのは、
明治の人間から見ると、忌まわしき「ら抜き言葉」に聞こえるのかしらん、とも思えて
なかなか面白い。

私は言葉遣いに関しては保守的で、自分で書いたり話したりする時は
新しい言い方よりも古い言い方、いかにも当世風な流行の表現よりも昔ながらの言い回し
の方を好むが、といって別に今の人たちの言葉遣い、話し方を一概に否定する気もない。
ら抜きの「着れる」「食べれる」が多数派に転じたのなら、それはそれで結構。
声高に「それは間違いだ!」と主張する気はない。
「歌は世に連れ・・・」ではないが、言葉だって世に連れ、人に連れ、変化していくのである。
文法学者が何と言おうと、言葉の世界では多数派が常に正しい。
大多数の人たちが使う使い方、そうと考えている意味が
今のその語の使い方、その語の意味なのである。
昔から言葉はそうやって変化してきたのだから。
その変化を止めようとしたり、逆行させようとしたりするのは無駄な努力。
川は海に向かって流れるし、雪崩は上から下に落ちてくる。
まあもっとも私自身は、死ぬまで「着れる」とは言わないと思うけれど。
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再度LとR

  • 2017/02/21 11:07
  • Category: 言葉
先日、仏作文の練習をしていて“タイトル”という語を綴る必要に迫られた。
「本のタイトル」とか、映画の字幕「サブタイトル」で、“タイトル”という語はおなじみ。
特に考えることもなく、“title”と綴ったのだが、LとRの違いにはからきし弱い私のこと。
ふと心配になって、一応辞書を当たってみた。

すると、なんと“title”という語は、仏語辞書にはない。
「そんな、馬鹿な!」と、今度は和仏で「タイトル」と当たってみると
綴りはなんと“titre”!

「えー、私は今の今まで“タイトル”は“title”だと思い込み、
過去40年以上そう綴ってきたが、あれは全部間違いだったのか?
きゃー、なんてぇこったい・・・」と、学生時代からお仕事時代にかけて作成し、
諸方面に提出したり、発送したりしてしまった数々の書類の中にちりばめられた
ミススペリングの数を思って、一度は「きゃー」と赤くなった顔が
次にはサーッと紙のように白くなる思いだったが
それにしても私の耳と頭は、40年以上勉強し続けてきたこの年になっても
いまだにLとRを区別できないのかと思って、つくづく情けなかった。
何しろ私はその少し前にも、“Link”と“Rink”を間違え、
“ゴルフリンク”の“リンク”は“Link”なものだから、
“スケートリンク”も“Skating Link”のような気がして、
そう綴って雪だるまに大笑いされていたのである。

だからこの時も、「またお馴染みの間違いをやらかしてしまった」と
LとRの混同自体には驚きはしなかったものの、間違えた語が
“タイトル”という超基本語であったので
「こんなのすら間違えて覚えていたとは、情けなさ過ぎて涙が出る・・・」と
つくづく自分に愛想が尽きる思いだった。

で、仏作文の添削に雪だるまのところに行ったとき
「さっき、“タイトル”でもLとRを間違えちゃったよ。
私、今の今まで“タイトル”はLだと思い込んでいたんだよねー」と愚痴ったら
雪だるま「titreはRだよ」と言った後で、「でも英語のtitleは、Lだけど」と付け足した。

私、愕然。
「え、じゃあ何かい、“タイトル”はフランス語ではRで、英語ではLなのか?」
と質したら、その通りだと言う。
(注:厳密には、titreは“ティトル”といった発音で、“タイトル”ではありませんが)

まったく、再度「なんてぇこったい!」である。
どうして、語源が同じ(どちらもラテン語の titulus から来ている)で、同じような意味を持つ単語が
フランス語ではRになって、英語ではLになっているのか?
まるでLとRを区別できない日本語話者を惑わすために
いつかの時点で、わざと綴りを変えたかのようである。

それでなくてもフランス語と英語には、carotte(仏)と carrot(英)とか
adresse(仏)と address(英)とか、recommander(仏)と recommend(英)とか
意味はほぼ同じで綴りだけ微妙に違う単語がごろごろし過ぎている。
それだけでも厄介なのに、その上さらに当方には区別できないLとRまで
入れ替えられている単語が存在するのでは、こちらはお手上げ、バンザイ、降参である。

ああ、誰か、LとRを聞き分ける機能が付いた補聴器でも
発明してはくれないものか。
ついでにスペイン語話者等向けには、BとVの識別機能、
中国語話者等向けにはDとT、BとPの識別機能を付ければ、売れるぞ、これは。



壁は高い

  • 2016/10/03 10:53
  • Category: 言葉
先日、例の「L’étranger」の読み終えて以降、
ここ1週間ばかり、音読をお休みしている。
雪だるまの仕事が忙しくて、私の音読に付き合っている暇がないというせいもあるが、
メインの理由は、音読しているだけでは喋れるようにはならないと
奥様方との散歩の度に痛感させられ、「さてどうしたものか・・・」と
うろうろ迷うことしきりだからである。

それに加えて、ここしばらく発音を直されることが少なくなっていたので
「少しはましになってきたのか?」と、心のうちで喜んでいたら
実は直し始めるときりがないから、よほどひどい間違いでない限り
大目に見ていたのだと知って、がっくり・・・
フランス語の発音、ちっともうまくなんかなっていなかったのである。ああ・・・

もっとも、この点に関しては、私自身うすうす気づいてはいたのである。
お手本にしていたプロの朗読と比べ、音読の際、耳から入ってくる我が音は
どうもなんだかびみょーに、違って聞こえてきていたのだから。

日本語の音韻体系が骨の髄まで染み付いてしまっている我が脳と耳であるので
できない音はいろいろあるが、最近特に絶望しているのが
[e] と [ɛ] の違い。
発音解説の本によると、ともに「舌の山は前方、唇を軽く横に引く」
ところまでは同じであるものの、[e] の方は口の開きがやや小さく、
[ɛ] の方は口の開きが大きいのだそうであるが
私にはこの2つの音の違いが、ほとんど全く全然、わからない。
どちらも「え」にしか聞こえない。

いや、正確には、この2つの音を単独でゆっくり発音してもらえば
「なんか少し違うかなー」くらいには違って聞こえるのだが
単語の中に入られたり、文章の中に入られたりすると
完全にお手上げ。まるっきり区別がつかない。
耳が区別できないくらいだから、当然、口も区別できない。
よって私は、雪だるまによると常に[e] でもなければ [ɛ] でもない
どちらともつかない中途半端な音を出しているそうである。

まあ相手が外国人の下手っぴーなフランス語に慣れている場合は
この曖昧な音でも、前後から意味を判断してもらえるが
そうそういつもこうした幸運に恵まれるとは限らないし
第一、聞き苦しい。直せるものなら、直したい。
が、コトはそううまく運ばない。
50の手習いは、容易ではないのである。

それで時々音を上げて、英語圏に移住したくなる。
ケベックが嫌いなわけではないが、フランス語の壁は
ぜつぼー的に高い。

しかも最近知ったのだが、実は雪だるま自身、
フランス語に不自由のない身ではなかったのである。

こちらに来て以来、保険屋との交渉にしろ、各種工事、
修理人とのやりとりにしろ、いちいち出かけていくので
「その程度のことは電話で済ませたら?」と言ったら、
声だけが頼りの電話では、うまく話ができる自信がないのだそうである。
だから相手の顔を見て話をすべく、いちいち出かけているのだそうで。
なんと、君のフランス語力はその程度だったのか?
と、口あんぐり・・・

そんなら一体なぜ、ここに住んでいるのだ?
二人とも楽ちんな英語圏に引っ越そうぜ!と言いたいところなのだが
ここに住んでいる理由は分かっている。
お義父さんが、ここにいるからだ。
もっともな理由なので私も納得してはいるが
しかしフランス語の壁は高い。ぜつぼー的に高い。

長幼の序

  • 2016/01/20 11:13
  • Category: 言葉
しばらく前の話だが、モントリオールに住む雪だるまの友人夫妻の家に遊びに行った時、ちょうど息子のJ君が飼っているという子犬が遊びに来ていた。友人の引越しの手伝いでJ君とそのGFが1日家を空けるとかで、子犬を一人で家に残すのはいろいろ心配だからと、両親のところに預けたものである。

この犬、まだ子犬のせいか非常に人懐っこく、かつ警戒心がなく、私たちがドアを開けると喜び勇んで飛んできて、ぴょんぴょん、ぐるぐる私たちの周りを跳ね回った挙句、喜びのあまりお漏らしまでするというはしゃぎよう。女の子なのに“ミスター・ペピー”と名付けられたその子犬は、ボストンテリアとパグのミックス“バグ(Bugg)”で、ご存知の方はご存知と思うが、もう類いまれに不細工かわいいい犬である。


参考画像 こんな感じの子がバグ

bugg.jpg


で犬好きの私は食事のあと、その家の奥方と一緒になって、子犬をかまって遊んでいたのであるが、その時は中国語で話していたので「こんにちはー、おばちゃんですよぅ」と言うようなつもりで、「阿姨(あーいー)」という語を使ったら、隣で同じく子犬をかまっていた奥方が聞きとがめて「それはおかしい」と言う。「阿姨」というのは母の姉妹で、つまりはこの子犬の父親であるJ君(および母親であるJ君のGF)と同世代ということになるが、あなたは彼らより年長、彼らの親である私たちと同じ世代なのだから、「阿姨」は使えないと言うのである。

その昔、そのあまりの複雑さと面倒くささに中国語の親族呼称は父母、兄弟姉妹と祖父母くらいしか覚えず、それ以外はその場に応じて「父の姉の息子」とか「母の妹の夫の妹」とかの言い方で誤魔化し続けてきた私は、当然ながら「祖父(または祖母)の姉妹」の呼称を知らない。そしてその時彼女に「じゃあ何て言ったらいいの?」と聞いて教えてもらった呼称も、その場ですぐに忘れ果てたので今ここに書くことはできないのだが、今ネットで調べてみると「姨奶奶(いーないない:父方の祖母の姉妹)」あたりになるのだろうか。奥方(=J君の母上)の姉妹相当という風に考えれば。実際、奥方はその子犬に向かい自分のことを、フランス語では“Gran-maman”と呼び、中国語では「奶奶」呼んで、「おばあちゃんと遊びましょうねぇ」などと話しかけていた。息子J君の“子”犬だから、彼女は「おばあちゃん」なのである。

がそれにしても、日本人の私の感覚だと、たかが犬相手の呼称である。おばちゃんだろうと、おばあちゃんだろうと、一世代くらいずれたっていいじゃないかと思うのであるが、腐っても鯛、たとえケベックに30年以上暮らそうと元は中国人の彼女、長幼の序は身体の芯に染みついているのかもしれない。まあ私だって私より年上の人から、sisterのつもりで「あなたは私のお姉さんみたいなものだから」と日本語で言われれば「あ、その場合は“妹”です」と自動的に訂正するのだから、あまり人のことは言えないけれども。

追記
ネットを検索していたら、こんな動画を見つけたので貼り付けておきます。
広東語版ですが、呼称の複雑さ、少しはお分かりいただけるかも。




ちなみに春節(旧正月)時期に、香港のマクドナルドが出したらしい親族呼称一覧もありました。
「ちゃんと呼べないと、お年玉もらいそこねるぞお」とか言ってるのが、おかしい。





たんすの中に隠れ続けるわけにはいかない

  • 2016/01/18 11:37
  • Category: 言葉
表題、なんだかこれからカミングアウトでもするようでまぎらわしいですが
そういうことではありません。

実は昨日、久しぶりにV君が遊びに来て
昨年末1か月ほど旅行して回ったアルゼンチンの話や
クリスマス、年末年始で親戚たちが集まった話など
楽しく聞いていたのだが、途中、話の成り行きで
急にV君の御母上と電話で話さなければならない事態になってしまった。

言うまでもなく、V君の母上にお目にかかったことはないし
電話だろうと何だろうと、話をしたこともない。
それが突然、テーブルの上に置かれたセルに向かって
“Bonjour”から始まる会話を交わすことになり、慌てた、慌てた。
慌てすぎて何を喋ったらいいのかわからなくなり
言葉が出てこなくて、しどろもどろのれーろれろ。

話していた時間など、正味1分にも満たない短かさだったにもかかわらず、
フランス語が全然出てこなかった恥ずかしさと自己嫌悪に
V君が帰ったあと、箪笥の中に隠れて毛布をかぶり、
100万年くらい出て来たくないと思うほど落ち込んだ。

もともと私は「喋るのが好き」という方ではないし
電話なんて1年に3本かけるかかけないかというくらいの電話嫌いだし
その上さらに使用言語が“ただいま学習中”のフランス語では
まともに会話ができるはずもないのだが
それにしても、その言葉の出てこなさ加減が余りにひどかったので
昨日は「ばか、ばか、ばか、ばか・・・」と自分を罵り続け
しどろもどろの会話を思い出しては、「きゃあ」と叫んで頭を抱えた。

が、自己嫌悪にまみれているのは苦しい。
そして私は弱虫で意気地なしなので、苦しいのは嫌いだ。
苦しい状態を終わりにしたければ、何かしなければならない。
「喋れない」から苦しいのなら、喋れるようにならなければならない。
「喋るのは好きじゃない」などと言っている場合ではない。
喋れるようになりたければ、喋るしかない。

で、さっき、お散歩友達のマダムBに電話した。
そして今週、会う約束をした。
彼女が別のジムに移ってから全然会っていないので、数か月ぶりである。
会ったら彼女に、週1回くらい会話の相手をしてもらえないかと
頼むつもりでいる。
この町で生まれ、育ち、教師でもあった彼女は、
ケベックフランス語の会話相手としては、最適のはずである。
そうでもしないと、今の私にはフランス語を喋る機会がない。


おしゃべり

  • 2015/12/13 11:54
  • Category: 言葉
今日は久しぶりにV君が遊びに来た。この前ウチに来たのは10月の上旬だから、丸々2か月ご無沙汰だったわけで、「はて、病気にでもなったか?」と少し心配し始めたところだったので、元気な顔を見てほっとした。

もっとも今日は、日本語の勉強はなし。V君と一緒に元クラスメートのJちゃんも来たので、雪だるまも交え、4人で3時間ほどあれこれお喋りして楽しんだだけ。ウチの近所に住んでいるJちゃんは、すでに何度もウチに来ていて雪だるまとも親しいし、V君はV君で、V君の弟とJちゃんの元カレが親友同士で、その縁でウチに日本語の会話練習に来るようになったくらいなので、Jちゃんとは仲良し。特に最近V君は中国語の勉強も始め、中国人のJちゃんに中国語の単語を発音してもらったりしているので、Jちゃんに新しいchum(男友達、カレ、BF)ができ、弟の親友がカレから元カレに降格になっても、友達付き合いは途絶えていないもようである。

だだ、このV君、Jちゃん、雪だるまに私の組み合わせだと、全員が比較的楽に喋れる共通言語というのがない。V君はフランス語が母語で日本語も流暢だが、英語は喋らないし、中国語はまだ勉強し始めたばかりで、それで会話ができるところまではいっていない。Jちゃんは中国語が母語で英語も達者だが、フランス語は私といい勝負の初級者、日本語は大学時代に少し齧っただけ。雪だるまはこの中では最強のメンバーで、英仏中日なんでもいいが、中と日は最近あんまり使っていないのでやや錆びついている。私に至っては、最近は母語の日本語ですら錆びつき始めているくらいなので、他は推して知るべしという体たらく。

が、英語または中国語だとV君が参加できず、日本語だとJちゃんが参加できないので、結局「ここはケベックだし・・・」と、ご当地に敬意を表して主にフランス語で喋ることになった。“主に”と書いたのは、その時々で英語が入ったり、中国語/日本語が入ったりしたからである。誰かがわからない時は、他の誰かが説明や注釈を入れてくれるので、それで十分何とかなった。というより、その言語のごちゃまぜ具合が、何とも言えず面白かった。あることを表現するのにフランス語だとこうなって、英語だとこうなって、中国語と日本語ではこんな風に似ていて、あるいは違っていてと比べながら喋るのは、いろいろ発見があって楽しかったのだ。おかげで午後の3時間は、あっという間に過ぎた。私とJちゃんのために手加減して喋ってくれたせいか、V君のフランス語は大変聞き取りやすくて、楽に会話の流れを追うことができたし。ふだんお義父さんや親戚のおじさん、おばさんの言うことは4分の1もわからなくて、毎回毎回意気消沈してウチに帰ってくるのとは大違い。単語、構文共に易しいものを選び、ゆっくり丁寧に発音してくれたから聞き取れたのだということはわかっているけれど、たまにはそうやって「わかる♪」という気持ちに錯覚させてもらうのは嬉しい。いつもいつも「わからない」ばかりでは、勉強しようという意欲を維持するのが難しいのだ。人間、たまにはアメとかニンジンとかご褒美とかが必要なのですよ。

**************

それにしても、私がフランス語を勉強しているのは、お義父さんと喋りたいからなのだが、実のところ私にとって一番わかりづらいのがお義父さんのフランス語で、いまだにお義父さんの言う言葉はほとんど聞き取れない。V君が言うには「お年寄りのケベッコワは聞き取りにくいから」だそうだが、そうは言ってもこのままでは一生お義父さんとは、彼にとっては母語ではない英語で話し続けることになりそうで、それが私は悲しい。言葉は意思疎通のための道具で、だから意思の疎通ができるのならどんな道具を使ってもよいのかもしれないが、でも「母語」には道具という立場を超える感情が籠っているように私には思えて、だからお義父さんにはフランス語で話しかけたいのだが、私がお義父さんのフランス語を聞き取れないのと同様、お義父さんも私の訛ったフランス語は聞き取れないのだ。ああ、このぜつぼーに終わりは来るのか・・・

くたびれた

  • 2015/11/26 11:22
  • Category: 言葉
久しぶりにお義父さんちの近所に住む叔母さん夫妻を訪ねた。ろくにわからないフランス語の会話を聞き続けるのは難行苦行以外の何物でもないので、最初雪だるまに「一緒に行く?」と聞かれた時には、「いや、家に残る」と答えたのだが、学校に行かなくなって以来、フランス語を聞く機会も話す機会も激減しているし、話せないからと言って逃げてばかりいるとますます自己嫌悪が深まるので、嫌がっている7割の自分を、残りの3割で何とか叱咤して出かけた。

この叔母さんはお義母さんの一番下の妹で、年が離れていた分、お義母さんは「姉というよりお母さんみたいだった」のだそうで、その大好きだったお姉さんの息子の配偶者ということで、私にも何かと気遣ってくれる。ブル―ベリー狩りやら何やらに連れ出してくれたのも、この叔母さんである。お義母さんの兄弟姉妹の中では達者に英語を話す方で、だから以前は常に英語で話してくれていたのだが、最近は「それでは私のためにならない」ということで、完全にフランス語になってしまった。有難いと思う反面、「そこまで徹底なさらずとも・・・」と泣きたい気分でもある。

叔父さんに至っては、もともと英語は話せないので、常にフランス語。しかも雪だるまでさえ時々聞き取れないようなケベッコワなので、私にはまったくちんぷんかんぷん。会話の中から単語を拾い出すことすら難しい。叔父さんの発言で私にわかるのは“Tabarnak”“Câlisse”(どちらも罵り言葉)だけである。あら、情けなや。

というわけで今日もみっちり3時間、わからないフランス語を聞き続け、何か聞かれるとなけなしの単語をはたいて質問に答え、ついでのことにBGMにかかっているテレビもフランス語のソープオペラというフランス語漬けで、最期には膝に乗っている猫までフランス語で啼いているような気がしてきた。

くたびれた。

今年は自宅学習

  • 2015/09/20 08:36
  • Category: 言葉
今まで3年間参加していた仏語教室、今年は行かないことに決めた。理由は以前にも書いたが、町の規模が小さく1クラスしか作れないため、常にその年新たに入った初級者のためABCからの再スタート。どう頑張っても、授業内容の大半が前年の繰り返しになってしまうからである。自分自身が初級者だった1年目、2年目はそれで十分勉強になったし、こうした機会を州政府、自治体が無料で提供してくれることに対しては今も深く感謝してはいるのだが、3年目の去年は語彙はともかく文法的には完全に前年の繰り返し。全く先へ進めず、かなーり退屈して「これなら家で勉強した方が、よほど効率的かも・・・」と、学校の行き帰りよく考えた。

そしてその状況は今年も変わらないようで、一昨日の木曜日、2015-16の仏語教室の説明会に参加したのだが、出席した14、5名の大部分が新しい人で、かつ校長やジョジアンからの簡単な挨拶や授業の説明にそれぞれ英語、スペイン語の通訳を必要としたところから見てほぼ初級者。私も含め去年のクラスメートも何人かいたが、今年も参加すると言明したのは2名だけ。残りは説明会には来てみたが、学校に行くかどうかはわからない、と。

去年に引き続き教師を務めるジョジアンは、中級者向けの内容も加えるとは言っていたが、上記の人数比率から考えて初級者主体の授業内容にならざるを得ないことは火を見るより明らか。それならば私は今年は自宅学習。家でネットと本と雪だるま相手に、ぼちぼち勉強することにした。

どうせ今でも毎日家で勉強しているのである。学校に行っていた時のように、毎日午後1時から4時までみっちり3時間なんてことは意志薄弱なのでできそうもないが(午後は天気がよければサイクリングや散歩がしたいし、編み物もしたい)、夜はお勉強の時間。視力と相談しながら、今やっている音読とディクテと練習問題を続けていきたい。進歩がほとんど見えないので時々モチベーションがぐーっと下がるのだが、止めてはいけないと思う。

ディクテと言えば、今は以前ジョジアンが紹介してくれたこのサイトでやっている。学年(?)別になっていて、それぞれ「繰り返しなし」版と「繰り返しあり」版があるので、私のように一回では聞き取れないのろまには大変便利。内容は環境保護とかケベックの歴史とか、教育的なものが主だが、ケベックへの移民の多さを反映して旧仏植民地アフリカ関連も多い。ものすごく面白い!とは言えないが、語彙とか、まあ役には立つ。

だいたいはひとりでやって、ひとりで答え合わせをして「とほほ・・・」と肩を落としているのだが、先日たまたま雪だるまがやってきて、面白がって一緒にやった。私は雪だるまが手伝ったのだからほぼ正解だろうと、お気楽に「答え合わせ」をクリックしたのだが、これがなんとお間違い14カ所! まあ私がひとりでやると、初回は30カ所以上間違えるのでそれに比べればはるかにましではあるのだが、それにしてもネイティブのくせに小学生用のディクテで14カ所も間違えるとは・・・ 

雪だるまの場合、聞き取れないわけではなく、内容は完全にわかっているのだが、綴りを間違えたり(特にアクサン)、動詞や形容詞を主語/名詞の性・数に合わせて変化させるのを忘れたりして、×が14個もついたのである。だいたい複数を表す語尾のsは普通は発音されないから、リエゾンでもしない限り耳には残らない→つい付けるのを忘れる、という次第。たぶんフランス語で教育を受けた人なら、このあたりほとんど習慣として自動的に正しく書けるのだろうが、いかんせん雪だるまフランス語による教育は小学校2年生で終わっている。支障なく喋れはするが、正しく書けるとは限らないということである。なかなか面白い。

ちなみにこのディクテサイト、ケベックのサイトなので発音はケベック風だと思う。(私には判断できない) ケベックフランス語に興味のある方は、どうぞお試しを。

じゅうはちのきゅう

  • 2015/08/09 11:05
  • Category: 言葉
日本語学習中のV君は、5月だったかにここから100kmばかりの市に異動になり、勤務体系も4日働いて3日休みというようなシフトに変わったため、ウチに来るのも毎週日曜というわけにはいかなくなった。

それでも先週の日曜には久しぶりに「こんにちは!」と現れ、特に錆びついたとは思えない日本語で、2時間ばかり喋って行った。その時、何の話からだったか「どうき」の同音異義語の話になり、辞書にいくつか並んだ中で、V君が「“動機”と“同期”は知っているが、“銅器”は今まで見たことがない単語だ」というので、“銅器”というのは銅(cuivre)で作った器や道具だと簡単に説明し、ついでに、“銅器”という単語を現代の日常生活で使うことは、たぶんほとんどない。この単語が必要になるのは、おそらく歴史関連の文章を読む時で、その時には“青銅器”とか“石器”とか“鉄器”とかいう単語も出てくると思う、と付け加えた。

V君は、“青銅”はbronze、“石器”というのは石(pierre)で作った器具や道具のことで、発音は“せっき”というようなことをメモった後で、「そういえば石器時代(L’âge de la pierre )には、新しいのと古いのがありますよね? 新しいのは“新石器時代”、古いのは“古石器時代”ですか?」と聞くので、「いや古い方は“旧石器時代”です。“新旧”の“旧”ね」と返したら、「きゅう?」と、どの漢字だか適切な漢字が浮かばないという顔をした。

こういう場合は説明するより書いた方が早いので、手近の紙に「旧」と書いて見せると、「ああ、じゅうはちの“旧”ですか! それなら知っています!」と顔をほころばせたが、今度は逆にこちらが「じゅうはち?」とけげんな顔になった。V君はけっこういろいろな漢字を知っていて、意味がわかり、また正しく読めるが(ひとつの漢字に音訓合わせて複数の読み方がある日本語の漢字を、正しく読むのは相当に複雑な作業なのである)、その読みや意味を記憶するために時々面白いこじつけをしていて、そのなかには「はあ?」というようなのもあるのである。なのでこの「じゅうはち」もその伝かと思い、「“じゅうはち”って何なの?」と聞いたら、V君、にこにこしながら「だってほら、これ“じゅうはち”でしょう?」と紙に数字の1と8を書いて見せてくれた。

ただしV君が書いた「8」は、普通の手書きの「8」のように○が2つくっついた形ではなくて、□が2つくっついた形、つまりスマホや各種家電に見られるようなデジタル数字の「8」なのだった。確かにこう書けば、「18」は「旧」とそっくりである。

ははあ、なるほど、いや、確かに。しかし私はこの日、この時まで、「旧」が「18」に見えたことはなかったのである。日本語を読み書きして50年、漢字は私の中で完全に「文字」として認識されていて、漢字が意味を離れた「記号」、「図形」として認識されることはまずないので、漢字を線や形に分解して見るという視点がないのである。

しかし長年の習慣から生まれた、そういった半ば自動的な認識システムを一時外し、改めて図形として漢字を眺めてみると、いったいなんでこの形とこの音が結びついているのか、奇怪至極な漢字が結構ある。(もちろんすべての漢字とその読みは人が作り出したものなのだから、奇怪というならすべて奇怪なのだけど) たとえば「品川」の「品」。なんで「口」が3つで「しな」なのだ?

夏休みだあ!

  • 2015/06/25 08:39
  • Category: 言葉
待ちに待った夏休みに入り、「ああ、これでやっとやりたいことができる」と思ったのもつかの間、あれもこれもとやりたいことがありすぎ、気ばかり焦って、なかなかうまくコトが運ばない。

なにしろほんのわずかの間しかない、貴重な、貴重なケベックの夏だ。暖かい陽射しを浴びながら庭仕事もしたいし、自転車にも乗りたい。鳥も見たいし、花も見たい。友人や親戚の家も、訪問するなら夏の間だ。(冬だって行けるが、誰が零下20~30度の中、雪道を延々走ってヒトの家になど行きたいものか)ことほどさように、やりたいこと山積。編みかけで止まっているカーディも含め、課題も山積。

なかでも一番の課題は、なんといってもフランス語のお勉強だ。「夏休みに入れば、自分のペースで勉強ができる」と、この休みを待ちわびていたのだ。クラスでの勉強が楽しくなかったわけではないが、正直、授業内容はほとんど昨年、一昨年にやったことの復習ばかりで、それは確かに外国語の習得に復習は不可欠であるし、有効でもあるのだけれど、それにしたって同じことを3回繰り返すとなると、さすがの私も飽きる。忘れかけていたことを復習で思い出し、記憶を新たにするのは大変有意義だが、明瞭に覚えていることを再度やるのは時間の無駄だ。そんな時間があったら、わからないところ、知らないところを勉強したい。

というわけで、この夏休みおよび以降は、最も苦手な「発話:喋ること」に主眼を置いて、使える語彙と言い回しを増やして行きたいと思っているのだが、さてそのためにはどうするか。一応日本から文法解説書3冊(白水社の「よみとく文法」「つたえる文法」「あらわす文法」の三部作)と問題集(?)らしきものを1冊取り寄せてみたが、はてさてこれらは私の役に立ってくれるだろうか。このほかにディクテをしたり、作文をしたり、また例の音読もこのまま続けていくつもりだが、「言いたいことが言えるようになる」には、このやり方でいいのだろうか。雪だるまは「叔母さんちに2週間くらい遊びにいけば? フランス語漬けになれるよ」などと言っているが、さほど親しくもない叔母さんの家に2週間もお世話になるのは、どうも今ひとつ気が進まない。朝から晩までフランス語に囲まれていれば、それは少しは喋るようになるだろうけれども。

ところで話は少し変わるが、例の音読。オオカミの話の後、私のレベルに合っていてかつ内容に興味がもてる話が見つからなくてうろうろしていたら、雪だるまが「80日間世界一周は? 昔読んだけど、そんなに難しい文章じゃなかったし、長さも中くらいだし、話自体も面白いよ」と言うので、ついその気になってアマゾンから取り寄せ読み始めたのだが、なんのなんの。なーにが「そんなに難しい文章じゃない」だか。最初の頃など、1ページに知らない単語が30個くらいあって、その日読む分の単語調べだけで2、3時間かかった。おまけに文章も、初級の私には歯ごたえがあり過ぎて、歯が欠けそう。言ってみれば日本語初級の外国人が、漱石の「猫」とまではいかないが「坊ちゃん」あたりに挑戦してしまった感じで、「始めてしまったからには・・・」と読み続けてはいるが、ほとんど無理やり。ブルドーザーで雑木林を切り開くが如き乱暴かつ大雑把な読み方で、単語の意味は分かっても文章の意味は分からない箇所がたーくさん。

すでに著作権の切れている作品なので、プロジェクト・グーテンベルグに英訳があることはあるのだが、私がわからないところに限って飛ばして訳してあったりして参考にならず、実に腹立たしい。
だいたいそもそも小学校2年でフランス語による教育は終わってしまったとは言え、雪だるまが最初に覚えた言語はフランス語。語彙、文法ともに貧弱でも、どうやらことばを操る基礎ともいうべき言語感覚はしっかり身体に染みついているらしい“腐っても鯛”ネイティブの言う「難しくない」を真に受けた私がばかだった。

まだ60ページ台なので、いったいいつ読み終われるのか見当がつかないのだが、これを読み終えられたら、次はもう少し初級者向きの易しい本を読もう。歯ごたえあり過ぎの本ばかり読んでいては、歯がなくなってしまう。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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