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うろうろと考える

  • 2018/04/02 10:16
  • Category: 言葉
日本語関係の本ばかり10冊、ネットの古本屋で買った。
海外発送はしてくれないので、妹に転送を頼んだ。
働いている彼女に面倒なことを頼むのは嫌だったのだが
事前にお伺いを立てたら、快く承諾してくれたので
好意に甘えた。

金田一春彦さんとか大野晋さんとか、この分野ではほとんど古典
と言っていいような本ばかりで、遥か大昔に読んだような気もするのだが
もうすっかり忘れているし、外地住まいでは図書館で借りるというわけにもいかないし
電子書籍にもなっていないようなので、仕方ないか、と紙の本を買った。
紙の本は、特に版の古い新書や文庫は字が小さくて、
年寄りには読むのが少々しんどいのだが
そうは言っても久しぶりに買った日本語の本なので、
なんだかうきうき。届くのが楽しみだ。

教科書の方は、候補として『みんなの日本語』と『げんき』を買ってみることにした。
紙の本をスキャンしたらしいpdf版もネットにはあるが、
自習用か、あるいは参考に見るだけならともかく
教えるためにはプリントアウトせねばならず、
ページ数を考えると、普通に紙の本を買った方がよほど簡便かつ安価なので
ネット書店で新本を購入。
SAL便なので、1か月もすれば届くだろう。

『みん日』にしろ『げんき』にしろ、レビューを読むとそれぞれ一長一短のようで
正直なところ、どちらの方がここの状況に合うのか、よくわからない。
知り合いの元教授によれば、モントリオール周辺の大学では
みな『みん日』を教科書に使い、生徒は漢字ドリルなどのワークブックなど含め
数冊をセットで購入(計100ドル超)する建前になっているらしいが、
“学ぶこと”が本業の大学生ならともかく、みなフルタイムで働く社会人で
日本語にかけられる時間も予算も限られているここの生徒たちに
そんなことを要求するのは、まず無理だ。
最少の経費と時間で最大の効果を上げるには、どうしたらよいのか?
って、語学にそんなもの、あるんかいな。
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ほんとにやるんかな

  • 2018/03/17 20:38
  • Category: 言葉
この2週間は、日本語講座のテキスト作りと教案づくりに追われて
他のことをする余裕が、まったくなかった。
掃除をさぼり、大物の洗濯をさぼり、
咳が止まらないのを口実に、散歩もさぼった。
それでも出来は今一つで、力不足をしみじみ実感。
教える側としての知識と技術の問題もあるが
私の場合、一番のネックはやはりフランス語だ。
頭の中に渦巻く説明の数々を、ちゃんとフランス語にできないのが何ともかなしい。
お金を払い、時間を使って授業に来てくれている生徒に申し訳ないと思う。
田舎で他に人がいないから、私ごときが引き受けることになった日本語講座だが
これが都会なら、生徒さんたちももっと優秀な教師に教われただろうに、
と思わずにはいられない。

が、そんな力不足からくる足掻きや葛藤も来週で終わり。
泣いても笑っても、あと1回で講座は終了と思っていたのだが、
生徒たちのうち何人かが勉強を続けたいと言っていて
片言フランス語の三流教師は、少々青ざめている。

「続けたい」という希望はあっても、生徒の人数や会場の都合もあるので
本当にやることになるかどうかはまだ不明なのだが
もしやるとすれば、今後は絶対にまともな教科書が必要だ。

以前にも書いたが、今やっている日本語講座は初級も初級、
挨拶や旅行の際の簡単な会話、
買い物やレストランでのやり取りをフレーズで教えるといったもので、
これで本当に日本人と話ができるようになるようなものではない。
20時間では、ひらがな、カタカナを覚えている暇もないので
文字は全部ローマ字を使っている。

それでも一応、典型的なフレーズを例に引きながら、数の数え方、主な助数詞、
動詞や形容詞には活用があること等々は教え、活用の練習もするにはしたが
それはあくまで、だいたいこういう構造になっていますよ、と概略をささーと撫でた程度で、
動詞にせよ、形容詞にせよ、実際に活用ができるようにはなっていないと思う。

だから、もし本当に勉強を続けるのであれば、今度は旅行用のお助けフレーズ集などではなく
日本語というものを、基礎から体系的に学習できる、きちんとした教科書が必要だ。
今はいろんなアプリがあるから、自習するだけならそうしたアプリでもよいが
教室でみんなでスマホ見ながら授業というのも、なんだかちょっと変だし
あんまり実際的ではない。
多少アナクロでも、ここはやはり紙の教科書が欲しいところである。

で、ここ2、3日、よい教科書はないかとネットをうろうろしているのだが
世界の日本語教育の現場でそれなりの評判を獲得しているのは
『みんなの日本語』と『大地』(共にスリーエーネットワーク)
そしてジャパンタイムズから出ている『げんき』らしい。

ただ書評を読むと、3種ともそれぞれ一長一短があるようで
実物を見ないことには、いったいどれがここの講座の状況
(週1回、2時間の授業、生徒は社会人)に合っているのかよくわからない。
使うにしても使わないにしても、そのうち日本に注文しようとは思っているが
その前に、ここケベックの大学ではどんな教科書を使っているのか
雪だるまの友人のM大の元講師にも聞いてみようとも思う。
フランス語の解説付き教科書があって、それがここで手に入るなら
それにこしたことはない。
大学とは授業時間数も違うし(まさか週1、2時間ということはあるまい)
生徒の状況(みんなフルタイムで働く社会人)も違うことを考えに入れなければならないが
選択肢のひとつであることには変わりないのだから。

まあもっとも、上にも書いたように本当にやることになるかどうかはまだわからない。
再開の一応の目安である秋までには、生徒の方にも私にもいろいろなことが起こるだろうし、
今は「やりたい」と思っていても、夏の間に状況が変わることだってある。
まあ、ゆっくり考えよう。

トイレットトレーニング

  • 2018/02/25 11:15
  • Category: 言葉
先日、雪だるまに「君の発音では、生徒がわかるかどうかわからない」と言われた話を書いたが
そのあとで「ならばどうして音読の時、私の発音を直さなかったのだ?」と聞いたら
「だって、直しても直しても、しばらく経つとまた元に戻っているから」との返事だった。

なるほど、ありそうな話である。
私の脳と耳と口は日本語発音で固まっているから、直された直後はかろうじて発音できても
しばらくするとまたするするーと、慣れ親しんだ日本語の音に戻ってしまうのであろう。
【ɛ】の鼻母音然り、狭い【e】然り、口をとんがらかす【u】然り・・・(ありすぎて書ききれん)

が、しかし、このままでは困る。
で、私は雪だるまに頼んだ。
「直らなくても、無駄だと思っても、とにかく直してくれ」と。
そしてこれは犬のハウストレーニング(トイレットトレーニング)と同じなのだ、と説明した。
子犬がどこで用を足すべきかを覚えるまでには、しばらくかかる。
犬によっては、いつまで経っても覚えられない犬もいる。
(私が昔飼っていた某イングリッシュコッカーなどは、最後まで粗相をし続けた)

しかし覚えられないからと言って、叱るのをやめてはいけない。
叱るのを止めれば、犬は「これでいいのだ♪」と思ってしまう。
発音矯正もまた然り。
間違えるたびに直されなければ、私の脳は「これでいいのだ♪」と思ってしまうのだ。
そしてそのまま楽な日本語的発音で固まってしまうのだ。
私の脳は、犬並みなのだ。

何度も何度も同じ音を直さなければならない雪だるまには災難だが
そこはそれ、出来の悪い配偶者を持ったのが運の尽き、と諦めてもらう他はない。

だって他にしようがないではないか。
聞いている人がわからないのでは、喋る意味ないのだから。

数の数え方

  • 2018/01/29 23:31
  • Category: 言葉
私はついほんのこの間まで、日本語における数の数え方は
きわめてシンプルで論理的だと思っていた。
とりあえず1(いち)から10(じゅう)までは覚えなければならないが
その後はその覚えた読み方の組み合わせ。
11は「じゅういち(じゅう+いち)」だし、12は「じゅうに(じゅう+に)」だし
20、30と増えていったって、21は「にじゅういち(2×10+1)」、
32は「さんじゅうに(3×10+2)」と、実にわかりやすい。

英語のように10を過ぎたところで突然、11(eleven)12(twelve)なんていう
どこから来たのかてんでわからない、異分子がひょいと出てきたりしないし、
ましてフランス語のように、70が「soixante-dix(60+10)」、80が「quatre-vingts(4×20)」
90が「quatre-vingt-dix(4×20+10)」なんていう、「なんでわざわざこんな数え方をするかね?」
と首を思いっきり傾げたくなるような七面倒くさい数え方など、どこを突ついても出てこない。
つまり、モノを「いち、に、さん…」と数えている限りにおいては、
日本語の数の数え方は、とても合理的で覚えやすいのだ。

が、これを実生活に応用するとなると、コトは俄然面倒になる。
覚えた数え方をそのまま使えるのは、月の名と「×時」くらい。
(9月は「くがつ」、4時は「よじ」など例外はあるが)
そのあとは、外国人泣かせの混沌の海だ。
たとえば「×時×分」と言う時の「分」は、「いっぷん」「よんぷん」などのように
数字の読み方が変わるうえ、「分」が「ふん」になったり「ぷん」になったり、
不規則に変化する。

日付の言い方はさらに面倒で、2日から10日までは
和語系の数え方である「ひとつ、ふたつ、みっつ…」から来た
「ふつか、みっか、よっか…」が使われるが、その後は漢語系の
「じゅういちにち、じゅうににち・・・」にころりと変わり、
そのまま行くかと思うと、14日で「じゅうよっか」と
漢語和語まぜこぜの言い方が出てくる。
おまけに1日と20日は「ついたち」「はつか」と、外国人にとっては
まったく出所不明、意味不明の言い方だ。
日付を正しく言おうとして脳内の記憶を検索しまくり、
「うー」と言ったきり立ち往生気味になる日本語学習者の苦悩に
心から同情したくなる。

おまけに、上に出てきた和語系の数え方「ひとつ、ふたつ、みっつ…」は
日付だけでなく、買い物、注文の時にも頻繁に使われるのだ。
たとえばちょっと休みたくなってス〇バに入ったとする。
カウンターで言うのはふつう「ラッテ、ひとつ」のように
「品名+和語系の数え方」で、「ラッテ、いち」とは決して言わない。

助数詞をつけて「1杯、2杯…」という言い方に変えれば
漢語系の数え方を使えるが、ス〇バのカウンターで
「カプチーノ1杯」と注文する人は、あまりいないのではないか。
少なくとも私は聞いたことがない。

それにこの助数詞というものも、日本語学習者にはけっこう面倒なのだ。
たとえば細長いものを数える時に使う「本」。
「1本、2本、3本・・・」と、漢字で書けば同じに見えるが
実際の発音は、「いっぽん、にほん、さんぼん・・・」と不規則に変化している。
いちいち丸暗記で覚えなくてはならない。
ついでに何にどの助数詞を使うかも問題で、
簡便にいきたければ、人と個と本と枚と冊くらいでなんとかなるかもしれないが
動物の数を言いたければ、どうしても頭と匹くらいは必要になるし
会社や工場で働くなら、機械を数える時の台も必要だろう。

子どもの時から日本で育っている人なら、生活の中で自然に覚えていくのだろうが
成人した後で一から覚えるとなると、いやほんとに大変だ。

こうして考えてみると、数の数え方が一番簡単なのは
私が知っている言語の中では中国語かな、と思う。
日本語の助数詞にあたる量詞はあるが
数え方は「yi、er、san、si…」と一通りしかないし、
11以降の数え方も日本語同様「10+1、10+2・・・」と規則的だ。
そして中国語の次に簡単なのが英語で、その次がフランス語。
ドイツ語とかロシア語は知らないので比較できないが、
まさか日本語のように数え方が二通りあったりはしまいねえ?

奇跡的に

  • 2018/01/20 23:31
  • Category: 言葉
第1回目の授業は、奇跡的にうまく行った。
生徒の数が先週聞いていた4人から、その日の朝、5人に増え
そして夜になって実際に蓋を開けてみたら6人になっていて
「ぎゃあ、テキストが足らんじゃないか!」と少々焦ったが、
それはGちゃんに私用の控えを渡して問題解決。

雪だるまに「生徒がわかるかどうか、わからない」と言われていた私のフランス語も
幸い生徒がみな熱心で、協力的で、なまりだらけの片言フランス語でも
わかろうという態度で聞いてくれたし、
私の説明がわかりづらかったり、足りなかったりした場合は
すかさずGちゃんが横から補足してくれたので、
なんとかみな、私の言わんとしているところを理解してくれたと思う。

それに、事前に教師経験のある友人たちから
「重要なのはあなたが喋ることではなく、生徒に喋らせること。
できるだけ生徒に喋らせなさい」と口を酸っぱくして言われていたので
アドバイスにしたがい私からの説明は減らし、生徒の練習に時間の大部分を割いた。
私の下手くそな説明を聞くよりよほど役に立つし、
いずれにしても初回、あいさつの練習をしている段階では、説明事項もあまりない。
「こんにちは」や「ありがとう」が、自然に口を突いて出ればいいので
なぜそう言うか、など考えなくてもよい。

ちなみに6人の生徒は、女性3人、男性3人。
日本語を勉強したい理由は、日本のアニメが好きだから(高校生のSちゃん)
空手をやっているから(Sさん)、日本に旅行に行きたいから(Oさん)
仕事で時々日本に行くから(Yさん)、日本に友達がいるから(Gちゃん)
いろいろな外国語を勉強するのが好きだから(Eさん)、とさまざまだ。
はっきり聞いたわけではないが、Eさんを除き、みな少し日本語を齧ったことがあるようで
あいさつやローマ字の読み方などは、みな苦も無くこなした。

さて次回は、自己紹介。
「わたしは ×× です」など、“文”が出てくる。
今せっせとテキストを作っているところだが、文が出てくるとなると少しは説明をせねばならず
しかし初級の段階で、しかも10回しかない授業で、あまり詳しい説明をしている時間はなく
さてどこまで説明するのが適切か、と少々頭を悩ませている。

このところ夜、眠りに落ちる前、最後に考えるのも授業のこと、
朝、目が覚めて最初に頭に浮かぶのも授業のこと、
頭の中で「日本語」がくるくる回っている。




今更そんなこと言われたって・・・

  • 2018/01/16 20:50
  • Category: 言葉
例の日本語講座が、今週から始まる。
この前の日曜日に発起人と打ち合わせをするまで、
私はこれは有志の人に日本語を教えるボランティアみたいなものだろう
と思っていたのだが、日曜に打ち合わせ会場に出かけて
実はこれはスペイン語、ドイツ語、英語を含めた語学講座の中の一つで
生徒を募集し、お金を頂戴して教えるのだと知って、正直、青くなった。
無料と有料とでは、責任の重さが違う。

が幸い、田舎町のこととて生徒は4人しか集まらず、
しかも、うち一人は発起人のエディットだし、もう一人もアルバトロスメンバーだし
正味の外からの生徒は2人だけとなったので、少し気が楽になったが
お金を頂戴するとなれば金額に見合っただけの内容にしなくてはならず
ためにこのところずっと、教案と生徒に渡すプリント作りに明け暮れている。

教科書はない。私が通っていた町政府のフランス語講座でもそうだったが
教科書というかテキストは、全部先生が作っていた。
他のスペイン語、ドイツ語講座等も、市販の教科書は使わないようだ。
なにしろ1回2時間×10回しかないのだから、教科書を用意したとしても
全部教えている時間はないし、生徒の方でも日本留学や日本で働くことを
想定しているわけではなし、詳しくやりすぎては付いてこられない。

で、まあ、基本事項や文例だけをわかりやすく並べたテキストを作っているわけだが
問題は私のフランス語。
生徒は全員ケベッコワで、フランス語という共通の言語があるのだから
文例にしろ文法事項にしろ、フランス語を使って説明するのが一番効率的なのだが
いかんせん、私のフランス語はそんなことを流暢に説明できるレベルにはない。
もちろん事前によくよく練習し、説明を丸暗記し、本番に臨むのではあるが
それでも生徒から想定外の質問をされた場合、とっさにフランス語で
回答することができるとは、とても思えない。
で、考えた末、生徒の一人、アルバトロスメンバーのGちゃんを
私のアシスタントに任命し、フランス語でうまく説明できない場合は
代わりに英語で説明し、それをGちゃんに通訳してもらうことにした。

彼女はアルバトロスメンバーにしては珍しく若い30代で
すでに独学でほんのすこーし日本語を勉強しているうえ、
英語も話すので、私との意思疎通に問題がない。
家も比較的近く、アルバトロスへの行き帰り、車のない彼女のために
私が車で拾ったり、送って行ったりしているので、まあ親しい。頼みやすい。
で、彼女に打診すると「もちろん、喜んで」と快諾してくれたので
正式にアシスタントをお願いすることにした。ちょっとほっとした。

その代わりと言ってはなんだが、彼女の授業料は割り引く。
あるいは場合によっては、全然もらわなくても構わない。
どうせもともとボランティアだろうと思っていた日本語講座である。
会場代が出て、コピー代、ガソリン代などの実費がまかなえれば
それで十分なのだ。

お仕事時代、さんざんプレゼンをやったので
人前で喋ることに抵抗はないが、
それに相手が何を言い出すかわからない通訳に比べれば
あらかじめ喋ることがわかっている授業は、比較的楽だとも言えるが
さてさて、うまく行きますかどうか。
教師経験のある友人たちはみな「楽しんでおやりなさいよ」と言うが
私は楽しくても、生徒が楽しくないんじゃ何にもならないしなあ。

と、ここまで書いたところで、夜、雪だるまの前で授業の練習をしたら
「私は君の発音に慣れているから、なんと言っているかわかるが
生徒がわかるかどうかはわからない。一度Gちゃんの前で練習してみなさい」
と言われてしまった。
がああああん・・・

そんならなぜもっと前に、つまり過去2年間の音読練習中に、
私の発音を徹底的に直してくれなかったのだ?
今更そんなことを言われたって、1日、2日で発音の矯正などできるものではない。

何だか胃の中に重たーい石を投げ込まれた気分である。
どうしよ?
と言ったって、できるだけまともになるよう練習するしかないのだが。

線路は続くよどこまでも

  • 2018/01/06 05:33
  • Category: 言葉
日本を離れて以来、“年末”とか 、“お正月”とかいうものがなくなってしまい、
クリスマス疲れを引きずって、半覚醒状態で日を送っていると、
あっという間に1月もすでに5日である。

去年はクリスマス直前に寝込んでしまい、
イヴには家族5人がうちに集まることになっているのに、
起きられなかったら掃除や料理はどうしたらいいのだ?と青くなったが
幸い24日の午後には何とか動けるようになり
レヴェイヨンはどうやらこうやら無事に済んだ。

その後、28日にはまたうちで従妹たちを呼んでのパーティがあり、
1月1日はフランスの家で会食と、寄り合い続き。
しかし子どものいない年寄りばかりの集まりで
しかも家族は5人だけとなると、3回目に集まる頃には新しい話もなくなり
話題が尽きて、食卓には頻繁に天使が通り過ぎる始末。
1日の会食は、8時にはお開きになった。
少々寂しいような気もするが、平均年齢65歳超で、
“お喋り”といえる人間は、家族内に一人もいないのだから仕方がない。

来週からはまたお散歩会も始まるし、アルバトロスも始まる。
そして今年は、有志4、5人の小グループで日本語を教えてほしい
とも言われているので、日曜までに授業の大枠を簡単に作ってみなければならない。

もっとも日本語を教えるとは言っても、言われている授業数は1回2時間×10回。
計20時間でしかないので、やれるのはほんのさわりだけ。
「こんにちは」や「ありがとう」が言えるようになり、
日本の行事や習慣のいくつかを説明できれば上出来というところだろう。

発起人のエディットは、この方式でスペイン語講座をやって
けっこううまくいったからと言うのだが、フランス語と文法構造や語彙に共通点が多く
読み書きには同じアルファベットを使うスペイン語とは異なり
日本語はフランス語とは似ても似つかぬ文法構造。
語彙も全く異なるうえ、読んだり書いたりするには各46文字のひらがな、カタカナのほか、
2000字以上の漢字を覚えなければならない。
20時間では、文法を詳しく説明している時間はないし、
漢字はおろか、ひらがな、カタカナを暗記し、覚え込む時間もなかろうから
「読み・書き」はハナから諦めるしかない。

参加者の中には、日本旅行に備え、案内板等読めるようになりたい
という人もいるらしいが、まあ東京都内および外国人がよく行く観光名所なら
駅名、地名や街の案内板は、たいていローマ字表記もあるから
ローマ字の読み方さえ覚えれば、自分がどこにいるかくらいはわかるだろう。
それ以上、新聞、雑誌とか、ふつうの漢字かな混じりの日本語を読めるようになりたければ
その場合は時間単位ではなく、年単位で頑張ってもらうしかない。
日本語は、日常会話程度なら聞き、話すのはさほど難しくないが
読み、書くのは相当に面倒くさい言語なのである。
これは雪だるま始め、私の周りの日本語学習者(母語はいろいろ)
全員が言うのだから間違いない。
20時間で何とかなるようなことがらではないのである。

ネットなどではよく「×十時間で話せる○○語!」というようなタイトルを見かけるが
正直、あんなものは大ウソであると思う。
まあ世の中には天才的に語学の勘のいい人がいて、
初めて触れる外国語でも、×十時間でモノにできたりするのかも知れないが
たいていの人は、そんなふうにはできていない。
わたしなぞ、フランス語をつつき始めて6年、いまだ言いたいことも言えない
半聾唖である。外国語の道は、長く、遠いのだ。
線路は続くよ、どこまでも。やれやれ。

「眠られる」

  • 2017/10/16 21:21
  • Category: 言葉
先日、岡本綺堂の『三浦老人昔話』を聞いていたら
老人が語る言葉の中に「その当時、よく眠られない癖がつきまして・・・」
という言い回しが出てきて、「おや・・・」と少し耳にひっかかった。

岡本綺堂さんという作家は、明治末から大正、昭和初期にかけて活躍された作家だから
当然、言い回しは古い。
私が好んで聞いている彼の代表作のひとつ『半七捕物帳』にも、
今ではもう使われない言葉や、今とは違う使い方をする言葉が結構出てくる。
古いとは言っても、たかだか100年くらい前でしかないから
平安時代のお話のように意味がわからないようなことはないが、
「へえ、昔はこういう言い方をしたんだ」と思いながら聞いていると、
祖父の時代にタイムスリップしたような気がして、なかなか面白い。

で、その「眠られない」だが、私はふつうこうは言わない。
動詞「眠る」を可能のかたちで言いたい時は、「眠れる」
それを否定の形にしたい時は「眠れない」で、「眠“ら”れない」とは言わない。

国文法のサイトなどを見ると、「読める」とか「話せる」など
「~できる」(可能)という意味を表す可能動詞は
元の五段活用の動詞「読む」「話す」の未然形に、可能の助動詞「れる」がついて
「読む→読まれる」「話す→話される」となったのが、
のち転じて「読める」「話せる」となったもので、
したがって、それぞれの可能動詞には、それに対応する五段活用の動詞がある
のだそうである。
(逆に言えば、元の動詞が五段活用でない場合は、未然形に「れる」をつけるのは間違いで
だから上一段活用の動詞「着る」の可能動詞は「着られる」。「着れる」とするのは誤りと
なっている)

つまり現代の国文法では、「眠る」(ら行五段活用)の可能動詞は「眠れる」でよい、
ということになるが、しかし明治、大正時代は「眠られる」と言っていたのかと思うと
昭和人間の私が、さらりと「眠れる」などと言ってのけるのは、
明治の人間から見ると、忌まわしき「ら抜き言葉」に聞こえるのかしらん、とも思えて
なかなか面白い。

私は言葉遣いに関しては保守的で、自分で書いたり話したりする時は
新しい言い方よりも古い言い方、いかにも当世風な流行の表現よりも昔ながらの言い回し
の方を好むが、といって別に今の人たちの言葉遣い、話し方を一概に否定する気もない。
ら抜きの「着れる」「食べれる」が多数派に転じたのなら、それはそれで結構。
声高に「それは間違いだ!」と主張する気はない。
「歌は世に連れ・・・」ではないが、言葉だって世に連れ、人に連れ、変化していくのである。
文法学者が何と言おうと、言葉の世界では多数派が常に正しい。
大多数の人たちが使う使い方、そうと考えている意味が
今のその語の使い方、その語の意味なのである。
昔から言葉はそうやって変化してきたのだから。
その変化を止めようとしたり、逆行させようとしたりするのは無駄な努力。
川は海に向かって流れるし、雪崩は上から下に落ちてくる。
まあもっとも私自身は、死ぬまで「着れる」とは言わないと思うけれど。

再度LとR

  • 2017/02/21 11:07
  • Category: 言葉
先日、仏作文の練習をしていて“タイトル”という語を綴る必要に迫られた。
「本のタイトル」とか、映画の字幕「サブタイトル」で、“タイトル”という語はおなじみ。
特に考えることもなく、“title”と綴ったのだが、LとRの違いにはからきし弱い私のこと。
ふと心配になって、一応辞書を当たってみた。

すると、なんと“title”という語は、仏語辞書にはない。
「そんな、馬鹿な!」と、今度は和仏で「タイトル」と当たってみると
綴りはなんと“titre”!

「えー、私は今の今まで“タイトル”は“title”だと思い込み、
過去40年以上そう綴ってきたが、あれは全部間違いだったのか?
きゃー、なんてぇこったい・・・」と、学生時代からお仕事時代にかけて作成し、
諸方面に提出したり、発送したりしてしまった数々の書類の中にちりばめられた
ミススペリングの数を思って、一度は「きゃー」と赤くなった顔が
次にはサーッと紙のように白くなる思いだったが
それにしても私の耳と頭は、40年以上勉強し続けてきたこの年になっても
いまだにLとRを区別できないのかと思って、つくづく情けなかった。
何しろ私はその少し前にも、“Link”と“Rink”を間違え、
“ゴルフリンク”の“リンク”は“Link”なものだから、
“スケートリンク”も“Skating Link”のような気がして、
そう綴って雪だるまに大笑いされていたのである。

だからこの時も、「またお馴染みの間違いをやらかしてしまった」と
LとRの混同自体には驚きはしなかったものの、間違えた語が
“タイトル”という超基本語であったので
「こんなのすら間違えて覚えていたとは、情けなさ過ぎて涙が出る・・・」と
つくづく自分に愛想が尽きる思いだった。

で、仏作文の添削に雪だるまのところに行ったとき
「さっき、“タイトル”でもLとRを間違えちゃったよ。
私、今の今まで“タイトル”はLだと思い込んでいたんだよねー」と愚痴ったら
雪だるま「titreはRだよ」と言った後で、「でも英語のtitleは、Lだけど」と付け足した。

私、愕然。
「え、じゃあ何かい、“タイトル”はフランス語ではRで、英語ではLなのか?」
と質したら、その通りだと言う。
(注:厳密には、titreは“ティトル”といった発音で、“タイトル”ではありませんが)

まったく、再度「なんてぇこったい!」である。
どうして、語源が同じ(どちらもラテン語の titulus から来ている)で、同じような意味を持つ単語が
フランス語ではRになって、英語ではLになっているのか?
まるでLとRを区別できない日本語話者を惑わすために
いつかの時点で、わざと綴りを変えたかのようである。

それでなくてもフランス語と英語には、carotte(仏)と carrot(英)とか
adresse(仏)と address(英)とか、recommander(仏)と recommend(英)とか
意味はほぼ同じで綴りだけ微妙に違う単語がごろごろし過ぎている。
それだけでも厄介なのに、その上さらに当方には区別できないLとRまで
入れ替えられている単語が存在するのでは、こちらはお手上げ、バンザイ、降参である。

ああ、誰か、LとRを聞き分ける機能が付いた補聴器でも
発明してはくれないものか。
ついでにスペイン語話者等向けには、BとVの識別機能、
中国語話者等向けにはDとT、BとPの識別機能を付ければ、売れるぞ、これは。



壁は高い

  • 2016/10/03 10:53
  • Category: 言葉
先日、例の「L’étranger」の読み終えて以降、
ここ1週間ばかり、音読をお休みしている。
雪だるまの仕事が忙しくて、私の音読に付き合っている暇がないというせいもあるが、
メインの理由は、音読しているだけでは喋れるようにはならないと
奥様方との散歩の度に痛感させられ、「さてどうしたものか・・・」と
うろうろ迷うことしきりだからである。

それに加えて、ここしばらく発音を直されることが少なくなっていたので
「少しはましになってきたのか?」と、心のうちで喜んでいたら
実は直し始めるときりがないから、よほどひどい間違いでない限り
大目に見ていたのだと知って、がっくり・・・
フランス語の発音、ちっともうまくなんかなっていなかったのである。ああ・・・

もっとも、この点に関しては、私自身うすうす気づいてはいたのである。
お手本にしていたプロの朗読と比べ、音読の際、耳から入ってくる我が音は
どうもなんだかびみょーに、違って聞こえてきていたのだから。

日本語の音韻体系が骨の髄まで染み付いてしまっている我が脳と耳であるので
できない音はいろいろあるが、最近特に絶望しているのが
[e] と [ɛ] の違い。
発音解説の本によると、ともに「舌の山は前方、唇を軽く横に引く」
ところまでは同じであるものの、[e] の方は口の開きがやや小さく、
[ɛ] の方は口の開きが大きいのだそうであるが
私にはこの2つの音の違いが、ほとんど全く全然、わからない。
どちらも「え」にしか聞こえない。

いや、正確には、この2つの音を単独でゆっくり発音してもらえば
「なんか少し違うかなー」くらいには違って聞こえるのだが
単語の中に入られたり、文章の中に入られたりすると
完全にお手上げ。まるっきり区別がつかない。
耳が区別できないくらいだから、当然、口も区別できない。
よって私は、雪だるまによると常に[e] でもなければ [ɛ] でもない
どちらともつかない中途半端な音を出しているそうである。

まあ相手が外国人の下手っぴーなフランス語に慣れている場合は
この曖昧な音でも、前後から意味を判断してもらえるが
そうそういつもこうした幸運に恵まれるとは限らないし
第一、聞き苦しい。直せるものなら、直したい。
が、コトはそううまく運ばない。
50の手習いは、容易ではないのである。

それで時々音を上げて、英語圏に移住したくなる。
ケベックが嫌いなわけではないが、フランス語の壁は
ぜつぼー的に高い。

しかも最近知ったのだが、実は雪だるま自身、
フランス語に不自由のない身ではなかったのである。

こちらに来て以来、保険屋との交渉にしろ、各種工事、
修理人とのやりとりにしろ、いちいち出かけていくので
「その程度のことは電話で済ませたら?」と言ったら、
声だけが頼りの電話では、うまく話ができる自信がないのだそうである。
だから相手の顔を見て話をすべく、いちいち出かけているのだそうで。
なんと、君のフランス語力はその程度だったのか?
と、口あんぐり・・・

そんなら一体なぜ、ここに住んでいるのだ?
二人とも楽ちんな英語圏に引っ越そうぜ!と言いたいところなのだが
ここに住んでいる理由は分かっている。
お義父さんが、ここにいるからだ。
もっともな理由なので私も納得してはいるが
しかしフランス語の壁は高い。ぜつぼー的に高い。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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