ナビ 成田 カフカの城

  • 2015/03/01 00:34
  • Category: 日本
そういえば今回の日本では、最終日、実家からの帰りは妹に車で成田まで送ってもらったのだった。もともとは上野まででいいよ。京成乗れば1時間半だからと言っていたのだが、関越の三芳SAで休憩していた時、「もうしばらく会えないねえ」という話になり、じゃあ成田までドライブして少しでも長く一緒に過ごそうかということになって、三芳で急遽ナビに前泊することになっていた成田のホテルの住所を入れ、そこまで送ってもらうことにしたのである。ナビによれば、三芳SAから成田のそのホテルまでの所要時間は、有料道路選択で約2時間半。遅くとも5時過ぎにはホテルに着く計算だった。

でナビにしたがって走り始めたのだが、ナビの最初の指示は「関越を下りなさい」というもの。私も妹も「ここで関越下りて、どう行くんだろう。都内に入ると面倒くさいから、埼玉から直接千葉へ抜けるのかな」と、やや不審に思いつつも指示通り下りて一般道へ。車は三芳から朝霞へ入り、自衛隊のカンバンなどを横に見ながら、春っぽい陽射しのなかをすいすいと進んだ。この日はお天気がよく、暖かかったのだ。

しかしすいすいと進んではいるものの、ナビは一向に「××高速に入れ」という指示をしない。あくまで一般道なのだ。こちらとしては別に無理やり高速を使いたいわけではないが、高速を使わずして一体どうやって三芳から成田(最短でも170kmはある)まで2時間半で行けるというのか? ようわからん・・・と思いつつも、何しろ走ったことのない道。別の道を行こうという算段も浮かばず、そのままナビの指示通り一般道を走り続けた。

そして車はその後、埼玉から東京に入り、練馬から板橋、足立と東京の北辺を舐めるように走行。「渋滞の都内を迂回」という予測は見事に外れ、住宅と商業施設がごちゃごちゃと入り混じる典型的な日本の街を、ひたすらうねうねと走り続けた。このあたりでいい加減、妹と二人「こんなんで、ほんとに成田に着くのかいな」と訝り始めたが、上にも書いた通り東京北部から成田に行く道など不案内なので、ナビの言うとおり走り続けるしかない。すでに2時間近く経過しており、街はそろそろ昼下がりというより夕方に近くなってきたが、如何ともし難し。

そうこうするうちにやっと「松戸」という標識が見えて来て、後ろに座っていた雪だるまと三人して「やったー、千葉に入ったよ!」と喜んだが、千葉に入ったとは言っても道はますます細く、くねくねと曲がって、天下の“新東京国際空港”へと繋がる道路という雰囲気は全然なし。道の両側に並ぶのは広い前栽の農家、周りは梨畑である。松戸にはたくさんの梨農家があり、秋には梨狩りができると知ったのは収穫だったが、「このナビ、ほんとに正確なのか?」という疑問がますます深まった。

そして街は夕暮れから夕闇に近くなり、田舎道はほとんど農道と化して、田畑の中をうねうねと走る。確かに成田空港の周りは農業地帯のはずで、だからこそ「この豊かな農地を空港にするのなぞ、もってのほか!」と予定地にされた農民たちは筵旗で空港建設反対を叫んだのだったが、そうは言っても空港へ行く道路がここまで見事に農道なのはおかしくないか? などと思っているうちに道はますます暗くなり、勾配も出てきた。どうやら山の中に入る気配。「成田“山”新勝寺ってのは、文字通り“山”の中にあるんだっけ? そんなはずないよな・・・」と助手席に座る私の頭には愚にもつかない想念ばかりが浮かぶ。運転する妹の方も、いい加減うんざりの様子で「このナビ、ぜったい変!!」とぶーぶー。時はすでに午後6時近く。道は真っ暗である。

が、走行することしばし。その真っ暗な山道の下り坂をふっと抜けると、目の前に突然片側2車線の広い道路が現れた。おまけに「成田空港↑」なんて看板まである。今度こそほんとに「やったー!」である。山道を徘徊している時には、カフカの城みたいにこのまま延々走り続けるだけで、永久に空港には着かないのではないか?などという想念まで浮かんだが、どうやら道は成田に通じているらしい。街の灯りも見えて来たし、未来は明るい。そのうち今度は「成田空港300m」なんて看板まで現れた。ダッシュボードのナビも「目的地まで300m」と表示。おお、するとホテルは空港敷地内にあるのか?! ツイン1泊5000円で、その近さはすごい! と大いに感心していると、ナビが突然「まもなく料金所です」と言い出した。「は?なんで今さら料金所?」と、妹と二人顔を見合わせていると、ナビは続いて「次の分岐点で左折です」と言う。後ろから車も来ているし、まさか急に停車するわけにも行かないので訝りつつも指示通り左折すると、そこはどうみても高速へのランプ。そして「えーっ!?」と言っている間に、車は本当に東関道の入り口に乗り入れてしまった。

驚愕する3人を尻目に、ナビは涼しい顔で「まもなく目的地です」とアナウンス。そんなはずない、いくら何でもここで東関道に入るはずはないと、後続車に警笛を鳴らされて(そりゃそうだ、料金所のゲート前で立ちすくんでいるのだから)パニック気味の妹は、無理やり車を路肩に寄せ、ハザードを点灯、再度ナビを入れ始めた。私もホテルの住所を再確認。と同時に、どこかに戻れる道はないかとあたりを見回す。そうしてふと顔を上に向けた時、料金所の左側に迫る岩肌、切り立った崖のはるか上に××ホテルというネオンサインを発見。乱視老眼の目を無理やり凝らしてよーく見れば、それこそ我が目指すホテル! なんとホテルは東関道の入り口横の崖の上にあったのである。

思えばナビが古すぎたのか、ホテルが新しすぎたのか、ホテル名ではナビを入れることができず、住所で入れたのが運の尽き。ナビは正直に住所地番で検索して、その地番に我々を案内したのである。不運だったのは妹のナビの中では、その地番が崖上のホテルも崖下の料金所も同じだったこと。おかげで我々は目的地のホテルを崖上に見ながら、しかしそこへは行けないという、カフカの城状態に逆戻りした。

しかしとにかく料金所から抜け出さなくてはということで、妹は料金所のゲートの上にキラキラ光る「逆走車を見たらXX番へ」という番号へ電話。間違えてゲートまで来てしまったが、行きたいのは成田市内だと説明。ひたすら陳謝。すると10分ほどして係官が現れ、申し訳ないけどここではUターンはできないので、とりあえず10km先の最初の出口まで走って、そこから戻ってきてください。出口でこの私の判を押したチケットを渡して説明すれば、料金はかかりませんからと言う。これからまた10km、往復20kmも走るのか?と妹はげんなりした顔をしたが、係官に「パトカーでもここではUターンできないんです」と言われては仕方なし。大人しく10km先の最初の出口まで行って戻り、今度は東関道を出る前にホテルに電話して道を聞き、やーっと目的地のホテルに着くことができた。すでに午後7時を過ぎていた。三芳からホテルまで4時間半かかった計算である。慣れない道をずうっと運転し続けた妹には、本当にご苦労様だった。

それにしてもナビ。道路や施設の状況は日々変わるし、情報を更新できない旧型ではナビの情報と現状が合わなくなるのもやむを得ないが、今回の事態はなかなか傑作。目の前に料金所のゲートが現れた時にはおかしいどころではなかったが、今思い返してみると、けっこう笑える状況である。妹も後日、「あれは可笑しかった。運転し過ぎて翌日は右手、右足が筋肉痛だったけど」とメールに書いてきた。笑えるのなら結構。ただし次のボーナスでも出たら、新しいナビを買った方がいいとは思うけれど。
スポンサーサイト

ドレスコード

  • 2015/01/12 01:55
  • Category: 日本
そもそも今回、日本に行くのは法事(父の一周忌)に出席するためである。去年、手術直後で葬式に出席できなかったので、法事への出席は娘として必須である。いくら外地住まいだからといって、いつもいつも妹一人に任せきりというわけにはいかない。

で、法事には雪だるまも出席することになっているので、「あれ、そういえば白の長袖シャツ、持っていたっけ?」と聞いたら、「持っていない」と言う。そして「なぜ?」と重ねて聞くので、法事の場合、親族は普通黒のスーツで、スーツの下には当然白シャツを着るからと答えたら、雪だるま突然厳しい顔になり、「私はスーツは着ない」と言いだした。

考えてみれば雪だるまは元々、大の“カタイ服装”嫌い。スーツも嫌い、ネクタイも大嫌いで、香港で働いていた時も、会社の規定でネクタイだけは仕方なくしていたが、服装は常に半袖シャツ。スーツは一度も着たことがなかった。まして今は自宅で仕事のフリーランス。毎日、毎日、Tシャツやスウェットのカジュアルウェアで楽ちんに過ごしているのだから、「いまさらスーツなんか着られるか!」という態度に出ることは予想すべきだったのだが、数年前の母の葬式の時はスーツを着てくれたので、今回もなんとかなるだろうと考えていたのだが、甘かった。

もっとも彼が持っているスーツは1着だけ。30年近く前に作ったらしいダークグレーのダブルで、素材は多分ウール。どっしりと重く、(雪だるま体型のせいもあって)やたら嵩張るので、こんな面倒くさいものを、たった1時間かそこらの法事のためだけに、遠路はるばるカナダから日本まで運ぶのはいやだ!という気持ちは、わからなくもない。私だって自分用の黒シャツ、黒ジャケ、黒パンツを運ぶのは超面倒くさい。まして滞在日数正味3日の日本の後、1週間ほど滞在する香港では、これらの服装の出番はないのである。「なんか、無駄…」と、私まで黒スーツを着る気分が萎えてくるが、まさか長姉の私までカジュアルウェアというわけにはいくまい。

雪だるまに「スーツを着ないなら、何を着るの?」と聞いたら、ジェリーから貰った黒のスウェットだそうで、「衿が付いているからいいでしょう?」と言うのだが、お寺はゴルフ場ではない。衿がついていようが、黒だろうが、スウェットはスウェットで、坊さんと親戚のオジサン、オバサンから、鋭い非難の視線が飛びそうである。まあもっとも、雪だるまには常に“外人枠”という逃げ場があるし、たとえ親戚連から非難されたとしても、お互いの顔を見るのはたぶん今回が最後。後々の付き合いに差し支えるわけではないので、非難されてもにこにこと受け流していれば済むのだが。

ドレスコードというのは、他人に不快を与えないため、また周囲から浮いた服装をすることによって自分自身が居心地悪く感じたりしないためにあるのだから、その服装をすることにより自分自身が不快になるのなら、本末転倒と言えなくもないが、いつでもどこでもカジュアルで何とかなってしまうカナダとは異なり、日本は冠婚葬祭の時の服装に厳しい。なかなかに手間である。

実印といわれても 2

  • 2014/10/10 20:36
  • Category: 日本
雪だるまが予約を取ってくれたので、昨日さっそく公証人殿のところへ行って来た。
内容は事前に説明済みなので、コトは簡単。

証明文の下書きを雪だるまに見せて確認を取ってから、秘書室に取って返して
その文をコピーした私の書類の下部に印字させ、「こういう形式でよろしいか」と再度確認。
こちらがOKと言うと、今度は原本に印字して事務室に持ってきた。

そして「本来なら署名する書類の文言は全部読むことになっているが、私には読めませんので、
日本語の部分は読みませんが」と本文は飛ばし、その下に付け足した「上記署名者の人物、資格を
証明する」という部分だけ読み上げ、青のペンで署名して、公証人のシール(浮彫みたいになるアレ)を
押してくれた。一丁上がり。

本文読めないのに証明していいのか、という疑問がわかないでもないが
彼が証明するのは、この書類に署名したのはワタシである、という事実であって
書類の内容ではないから、別にいいんだろう。
あちら様がそれでよいのなら、当方に異存はない。
「本文の内容を翻訳した上、その翻訳照明をつけてね」なんて言われるよりずっとましである。
相続放棄の書類作成にかかわる手間なんぞ、少なければ少ないほどよい。

で、まあ、出来上がったので、あとは郵便局に持って行って書留で送ればいいのだが
できた書類を眺めて、久しぶりに日本語で書いた自分の名前の下手さに、嘆息。
大きめに書いたのでよけい下手さが目立ち、「小学生の署名かよ、これ」という感じ。

こんなことなら書き慣れている英語というかアルファベットでの署名にしとけばよかったよ、と思ったが、
それだと名前としては判読不能で、その下にまた日本語で名前を書かねばならないだろうから、同じことか。
(欧文の書類なら、ふつう点線の上に署名、点線の下にブロック体で署名者の氏名を書くようになっている)
このブログにしろ、メールにしろ、最近、字は打つもので書くものではなくなっている。
手で書くものなんて、何かのメモか、学校のノートくらい。
それもだいたいは、アルファベット。
おかげで、たまに日本語を手書きすると、その下手くそさに心底呆れる。
たまにはペン習字のお稽古でもした方がいいのだろうか。
そういえば、どこかにペン習字の練習帳があったかも。

実印といわれても

  • 2014/10/08 20:39
  • Category: 日本
例の実家処分の件に関する書類が妹から送られてきたのだが、司法書士殿が作成したらしいその書類には、記名のうえ実印を押印せよ、と書いてある。

うーん、実印と言われても、私は実印を持っていない。実印を持つには「印鑑登録」が必要で、「印鑑登録」は「住民登録」をしている区市町村でしかできないから、日本に住んでいない(=住民登録をしていない)私は、印鑑登録をすることができず、したがって実印の持ちようがないのである。

ウェブで調べてみると、そういう場合は実印の代わりに署名し、その署名を地元の公証人に証明してもらえばいいようだが、私ほんとうにそんな面倒くさいことをしなければならないのだろうか? 

同封されていた担当司法書士殿の所書きの電話に電話してみようかと思ったが、考えてみれば日本は今、夜。事務所にはだぶんもう誰もおるまい。仕方がない、12時間たって日本が朝になったら、電話してみよう。まったく13時間の時差は、こういう時、不便だ。

それにしても日本はいまだに印鑑社会なのかねえ。送られてきた書類によれば今年は平成26年だそうだが、あらゆるところで電子化、ネット化が進んでいる昨今になっても、法務関係の書類にはいまだに「実印」が必要だとは・・・ 印鑑なんて盗むことも他人が代わって押印することも可能だし、偽造だって可能でおよそ証明性に乏しいような気がするのだが、長年の習慣だから今さら変えようがないということなのだろうか。まあ、そういうことを言いだせば、欧米で通用している署名だって偽造は可能だから、証明性の乏しさという点では同じなのかもしれないが。

重要なのは事実ではなく

  • 2011/04/06 15:35
  • Category: 日本
ジャッキー・チェン主催の日本支援イベントで2.6億円の義捐金が集まったり、中国国内、台湾からも多くの義捐金が寄せられたりするからには、歴史的には数多の問題が存在するにせよ、容易ならぬ状況にある日本の被災者に同情の気持ちを持つ人は少なくないのだと思うが、その一方で地元紙に「今回の地震・津波の原因は日本が深海核実験を実施したためとの説あリ」との記事が載ったり、「11日に米が冷却材の提供を申し出たのに日本が拒絶したのは、実は核兵器に転用可能なプルトニウムを大量保有している事実を知られたくなかったから」とするメールが回っていたりするのは、なかなか心萎えるものがある。

記事の方は3月24日の香港経済日報に掲載された。「ネット上にそういう説が載っていた。信じる信じないはあなた次第」という前置き付ではあるが、A4版程度のスペースに、今回の地震・津波の原因は日本が深海核実験を実施したためだ。その根拠は、1.3月12日、被災地に向かっていた米空母ロナルド・レーガンは福島第一から北東約185kmの洋上で、原子炉から放出された放射性の煙雲を通り抜けた。このため全船員が通常の1カ月分に相当する放射線被爆を受けた。また同じく救援活動に参加していた米軍ヘリコプターも、原発の北方約97Kmの地点で、微粒状の放射性物質に覆われたため、除洗せざるを得なかった。しかしこの時点では福島第一3号機の水素爆発はまだ発生しておらず、1号機の水素爆発のみで、日本政府の発表では放出された放射性物質の強度と拡散範囲は、さほど高くなく、避難区域も原発から半径10kmの範囲に過ぎなかった。ならばなぜ、約200kmの洋上にいた空母や、100kmの空中にいたヘリコプターが被爆したのか? この“放射性の煙雲”とは何か? というもので、このあとに2として日本が発表した震源地と、中国および米国の調査による震源地との差異、日本政府は地震発生1分前に地震警報を発しているが、通常こんなに早く警報は出せない、3として仮に日本が核実験を実施するとしたら、深海以外に実施できる場所はない 4として日本には核武装の願望があることを検証するため、1990年代以降の日本の政治家の核武装容認発言が引用されている。

メールの方は次席が「時間があったら読んで」と転送してきたもので、次席に届くまでにすでに4、5人を経てきている。内容は日本は原子力発電を名目にプルトニウムを製造・貯蔵し、核武装準備を進めていると訴えるもので、私はその非常に感情的な文章および筆者が根拠とするデータが正確でないことに、「どうしてこういうものが出てくるのか」と一読して意気阻喪。大変暗い気持ちになった。

もっとも「どうして」とは書いたものの、出てきた背景は言うまでもなく日中間に横たわる過去の歴史認識の違いである。日本政府/日本人がどのような発言をしようと、中国政府/中国人にとってはあの戦争は侵略戦争であり、中国は侵略された側なのだ。

私自身は意識が低く、またふだん付き合っている人に偏りがあるせいもあって知らなかったが、普段中国人との付き合いが(私よりは格段に)多いオトモダチは「プルサーマル始め、日本がプルトニウムにこだわるのは、核兵器転用が可だからというのは、中華圏に限らず諸外国においてはたぶんたいへん一般的な見方」との意見。

ここで重要なのは、事実日本が核武装準備のためプルトニウムを溜め込んでいるかどうかではなくて、そう考えている人が少なからずおり、その前提のもとに打ち出される推論があり、意見があるということである。(英米はイラクが大量破壊兵器を保有しているという前提のもとにイラクに侵攻した。その後「実は持ってなかったみたい」となったが、すでに遅し) 

今、日本人の大部分は仮定としてすら“日本が中国に侵攻”することなど考えられず、むしろ「は?逆でしょ? 中国が日本に攻めてくる方が、よっぽどありそう」と、むしろ国力・軍事力からみて中国の方が脅威との見方の方が一般的のように思えるが、どうやらこの見方は中国人にとってはコンセンサスではないようだ。日中間の温度差は過去の歴史認識だけでなく、現状認識についても存在するということか。

両刃の

  • 2011/03/28 16:23
  • Category: 日本
非常時にもかかわらず日本人が見せる秩序、個人より全体を重んじる態度、礼儀正しさ、忍耐心を各国が賞賛しているが、こういう日本人の性格っていい面ばかりじゃないよねえ、と今回の大災害および原発を巡る政府の対応を見ていて思う。

秩序を重んじる態度は融通の効かなさ、個人<全体は組織としての決断の遅さ、につながりかねない。非常時の場合、平時の法規に囚われずに判断することも大事だろうに、援助に来てくれた他国の医師団の日本での活動を認めたのは、地震から6日後の17日って、どうして決断するのに6日もかかるのだ? 担当大臣が即日どころか即時に判断できることではないか。

福島第一の情況についても、地震当日夜には保安院から炉心溶融の可能性が指摘されていたそうで、それなのに実際に何らかの手を打てたのは翌日の午後2時との報道。政治家というのは国/国民にとって、その時点で何がbetterbestでなくともよい)か意思決定するのが仕事ではないのか。優柔不断と意思決定の遅さから、HK紙の不届きな見出しが実現するような事態を誘発するのは、なんとしても避けていただきたい。
 

ご無事と聞いて安心

  • 2011/03/14 16:08
  • Category: 日本
土日はほとんど1日、NHKを見て過ごした。95年に有線電視に加入して以来、こんなにNHKを見続けたのは初めてだと思う。ネットではNHKより詳細な情報が流れていたのかも知れないが、土曜は眼と頭が痛くてPCを見られなかったので、仕方ない。

NHKの報道にはいろいろ言いたいことがあるが、まあいい。それより、電気がなく、防災無線も含めすべての通信手段が止まった時、必要な情報を被災地に伝える手段はないのだろうか。水や食料がないのも、暖房がないのもつらいだろうが、孤立状態の被災者にとって一番不安なのは、情報のなさ、いったい何がどうなっているのか全くわからない状態に、い続けなければならないことだろう。情報がなければ、どういう行動を取るのが一番いいのかも判断できないのだから。

日本人のお客様全員にお見舞いのメールを出した。何人かからお返事を頂戴した。一番心配していた仙台のお客様と電話が通じ、ご無事と聞いて安心した。地名から見てたぶん高台にお住まいなのだろうとは思っていたが、高台だからといって安全とはかぎらない。ご無事で何よりだった。

無人の家

  • 2010/11/29 16:08
  • Category: 日本
3日しか休んでないのに、出社したとたん怒涛のように仕事が押し寄せてくるのはなぜ? おまけに「休んでる間にクライアントの気が変わってつぶれてるだろう」と踏んでいた某出張が、つぶれるどころか規模拡大して生き残っており、ずしーんと胸ふたがれた。こんなことなら日本で怪我でもして、帰ってこなければよかったよ。出かけるのは嫌いだ。出張はもっと嫌いだ。ああ出張先に大雪でも降って、出張取りやめにならないかしら?


日本でも胸ふたがるることが多かった。無人の実家はそこここに虫の死骸がいっぱいだし、ガスは止まっていて煮炊きはできないし、父はますます弱って歩くのさえおぼつかなくなっているし。よかったのは父のいるグループホームが、ことのほかきれいで明るく、職員の人たちも飾り気なく親切で、父もホームにいるのがいやそうではなかったこと。病院からすぐに実家近くのホームに移れたのは、本当にラッキーだった。それを可能にした妹の手際のよさに感謝。


それにしても無人の家というのは、これほどにも速く荒れるものか。昔ながらの隙間のある造りで、虫・動物出入り自由な家の恐ろしさ。冬が明け、暖かくなる頃にはネズミやらあまたの虫やらの棲み処になっているのではあるまいか? 家に残してある大量の本を救い、動物の巣になることを防ぎたいのなら、雪だるまのいうとおり早めに片付けに戻った方がよいのかも。81日にカナダの家の引渡し(=私のサインが必要)だとすれば、6月末に退職し7月中に香港での諸手続き&引越し準備をしていたのでは、日本に帰る暇がない。一月早めて5月末に退職し、6月に2週間ほど日本に戻ろうか。

妹、猫ズ、etc.

  • 2009/05/05 15:33
  • Category: 日本
引き続き箇条書きで


  • 7日間の最後の二日は、妹の家に泊まった。妹が猫ズと新居を見せたいと言うからという理由もあったが、それより何より義母上に母の看護のため妹を2カ月近く貸してもらったお詫びと御礼を申し上げるという使命があったからだ。義母上は家事担当の妹がいなくて、だいぶ不便をしたようである。で他区に住む実の娘に「手伝いに来て」と頼んだら、「私も(同居の)お義母さんの介護で手が放せないのよっ」と断られたのだそうだ。不便をお掛けして済まんかったのう、義母上。
  
  • 妹宅の猫たちは半分代替わりし、お札シリーズ(みい+諭吉、漱石、一葉)から海浜シリーズ(みい、諭吉+わかめ、あさり)になっていた。みいと諭吉は母子、わかめとあさりは姉妹だそうである。そして実家にいる猫二匹は、諭吉の子どもだそうで、なんだかよくわからんである。
 
  • 猫たちは未避妊のわかめを除き、みな大変太っている。みいなどは6キロあり、座るとお結びのように三角形になる。昼間家にいるお義母さんがのべつエサを与えるので、このように太ったのだそうだが、4匹とも毛艶は大変よく、不健康な感じはしない。しかし夜半、ふと気付いたら、あさりを除く3匹がみな私のふとんの上で寝ていた。総計15キロ弱。重かった。
 
  • 妹の新居は25坪の敷地いっぱいに建てられた3階建ての建売住宅で、庭がほとんどなく、隣家との間が30センチほどしかないことを除けば、なかなかよくできた家だった。ことに楽しかったのが、ハイテクお風呂。今の日本では普通なのかもしれないが、ゆったりと大きく深い湯船には手すりと腰かけがつき、希望温度に湯をわかすことができる。湯が沸くと「お風呂がわきました」と女性の声が知らせる。追い炊きも自動である。TVもついている。洗面所も広い。「コンラッドやマンダリンのバスルームよりいいぞお!」と思った。カナダでもこういうのが欲しいが、ないだろーなー、やっぱり。
 今回日本で買ったもの。
  • 手芸用品(糸、レースなど。すべて人形服用。)
  • 食パンカットガイド(http://www.kodawariyasan.com/skater/sk1.htm ローフ状のパンを均等な厚さに切ることができる便利グッズ。いや、不ぞろいな厚さのパンも楽しいんですけどさ、やはりあった方が便利かと)
  • 曲尺(カルトナージュ用)
  • 保湿ティッシュ(日本で鼻水が始まり、普通のティッシュで鼻をかんでいたら、3日目には鼻の皮がヒリヒリし始めたから。保湿ティッシュは柔らかくてよろしい。日本にはいいものがあるねえ)
  • ヨーグルトミント味の練歯磨き(妹の家の洗面台にあったのをちょいと拝借したら、これがなかなか面白い味で。“期間限定”なので1本買ってきました)
  • ねぎみそあられ(実家から東京へのSAで買った。我が実家は長葱の特産地に近いのだ。葱と味噌って絶妙の取り合わせよね、ああ日本の味!)
  • 手芸関係の本2冊(気仙えりかさんのフェイクフルーツの本と、広岡ちひろさんのカルトナージュの本。フェイクフルーツの方は見るだけに終るだろうが)
  • 古本2冊(JR上野駅から京成上野駅への短い道中に古本センターあり。帰りの飛行機で読もうと思って、本間千枝子さんの『父のいる食卓』と藤沢周平さんの『春秋山伏記』を購入)
今回妹に貰ったもの
妹は私と違って大変気前がよい。だから姉の私にもいろいろな物をくれる。今回は
  • ストール3本(東京ではたくさんの人が首にぐるぐるストールを巻いていた。見ていたら欲しくなって私も1本買ったが、その他に妹が「いっぱいあるから」と言って、オレンジの紗でところどころにスパンコールがついたのと、クリーム色の変わり織りのと、水色のガーゼのをくれた。多謝、妹妹!)
  • 丸箱をつくるカルトナージュキット(フェリッシモか何かの手作りシリーズのうちのひとつだそうだ)
  • パイロットフリクションボール3本セット(こすると消えるボールペンが欲しいよう!と言ったら、ハンズで買ってきてくれた。お代は?と聞いたら、いいよと言った。ああ、この気前のよさよ!)
この他にもいろんなものをくれると言ったのだが、スーツケースに入らないので断った。飛行機での移動は常に重量との戦いだ。これが車での移動なら、好きなだけ持って帰れるのだが。 

追記
本日、妹にもらったストールのうち水色のを黒いセーターの上に巻いて出社したら、セーターの上にたーくさんの猫の毛がついているのを発見。まーねー、4匹も猫がいればいろんな物に猫の毛がついてるのは、止むを得ませんよねー。

再開

  • 2009/05/04 15:45
  • Category: 日本
7日間の日本滞在を箇条書きで 
  • 実家に帰り一番最初にしたことは、坊さん相手の値切り交渉。葬儀社経由で、通夜、葬儀、初七日などのお布施目安一覧表を渡されたのだが、これが不信心者の私には「冗談もほどほどに」と言いたくなるような金額。30分の読経料金が私の1か月分の給料と同額なんて、いくら何でもあんまりだ。本来、信心とは無償のはずではないか。それをなんで○十万も要求するのだ? ご利益があると言ってセトモノの壷を○十万で売るのが犯罪なら、成仏できると言って真言陀羅尼の読経を○十万で請け負うのも同じく犯罪ではないか。成仏できたかどうか払い手側にわからない分、壷より悪質だ。ひでーもんだ、などと布団の中で寝ながら考えているうちに猛然と腹が立ってきたので、がばとふとんを撥ね退けて立ち上がり、隣室の妹に「明日値切り交渉に行くから」と宣言。翌朝お寺さんに電話してアポを取り、妹と二人、値切り交渉というか、値切り通告に出かけた。そして「通夜、葬儀などの一連の儀式は、本来の仏を信ずるという気持ちとは何の関係もないことでございましょう。それなのに、その無意味な通夜・葬儀の読経に○十万とは暴利が過ぎはしませぬか」と言う代わりに「申し上げるのもお恥ずかしいことですが、両親には蓄えがございませんで、今回の葬儀その他は私と妹の負担で執り行うこととなっております。お出で戴く○×院様には却ってご迷惑となるのではと懸念しておりますが・・・云々」としおらしく顔を伏せ、坊さんも坊さんで「いえ、葬儀というのはお母様を送るという気持ちを表すものですから、目安はお気になさらずに」と型どおりの返答をし、めでたく「ごめんね、たくさんは払えないですよ」「ま、払えるだけで結構ですよ」の了解成立。実際お布施は目安の半分程度でご勘弁いただいた。宗教一切を信じていない私としては、これが限度である。

  • それにしても葬儀というのは、葬儀社の言いなりになっていれば、何も知らなくても滞りなく済むものだと実感。便利なものだ。母親の棺代まで値切る姉妹に葬儀社の方は嫌気が差したかもしれないが、こちらとしては納棺、通夜、火葬、葬儀と諸事流れるように進行していくので大変有り難かった。近所の人の手を借りて、家でやるより、ずうっと楽ちんだ。通夜、葬式などやらないのが一番だが、やらざるを得ない時は葬儀社を使おう。

  • 葬儀の朝は珍しく春雷が鳴り、ざあっと驟雨が来た。その後はきれいに晴れ、よい日になったのだが、近所の人はこの春雷を「いかにも○○さんらしいねえ。何か怒ってたのかねえ」と論評。考えてみるといかにも母上的な天気ではある。ほんとに何か気に入らなくて、怒って雷を鳴らしたのかもね。
 
  • 坊さんによると生前信仰の厚かった(=盆暮れ彼岸の付け届けを欠かさなかった)母は、四十九日の後、極楽浄土で幸せに暮らすそうである。それは何より。霊柩車で火葬場に向かう途中、母の遺体の隣に座り、母の遺影を抱いているのが、なんだか祟られそうな気がして堪らなくいやだったのだが、なるほどそういうことであるならば、恐れる必要はないわけだ。先日戴いたコメントのお返事にも書いたが「母には幸せに暮していて欲しい。ただし私には関係のないところで」というのが私たち姉妹の本音なので、“極楽浄土で幸せに暮らしている母”というのは、私たち姉妹の希望そのまま。いや、よかった。ほっとした。どうかそのまま幸せに暮してください。

Pagination

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター