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ドクターC

うちはお義父さん、ジェリー含め、全員ドクターCという家庭医の世話になっている。もともと義父母の家庭医だったのを、ジェリーの転入に合わせ彼を入れてもらい、私たちの転入に合わせ私達も入れてもらったので、そうなっているわけだ。昨今、家庭医殿たちは多忙のせいか新規の患者を取りたがらないので、9年前ドクターCがすんなり私たちを受け入れてくれた時には、「やれ、有難や」と感謝した。なにしろ担当家庭医がいないと、具合が悪くなってもなかなか診察予約が取れないし、専門医への紹介もしてもらえないから。

が、このドクターC、実際に付き合い始めてみると、ずぼらというか、仕事不熱心というか、なかなかにのんびりした人物で、およそ医者っぽくない。診察は常に予約制だが、予約時間に診察室に呼ばれることは、まず絶対にない。9時という朝一の予約であっても、インタフォンで呼ばれるのは9時半近くだ。日中の予約であれば、まず1時間は遅れると思って間違いない。他の医者の担当患者は次々と呼ばれて待合室から消えて行くのに、ドクターCの患者はなかなか呼ばれない。延々と待合室で待っている。口の悪いジェリーは「あいつはコーヒー飲んだり、ネットでゴルフを見たりして遊んでいるんだ」というが、実際に現場を見たわけではないので、真偽のほどは不明である。ただし、ドクターCがゴルフ好き、釣り好きであることは本当で、この手の話を始めるとキリがないとは、お義父さんも言っている。旅行も好きなようで、実際、2年前だったかアイスランドの話を始めた時は雪だるまと20分くらいも話し込んで、診察時間よりそっちの時間の方が長かった。まあ私たちも具合が悪くて行ったわけではなく、年に一度の定期検診に行っただけだったので、のんびりしていたということもあるが。

そしてその定期検診にしても、最初にぼそぼそっと「変わりはありませんね?」と確認し、体重を計り、服の上からざっと聴診器を当て、血圧を計り、病院での血液検査依頼用紙に署名して終わり。10分もかからない。しかも体重を計る時も、聴診器を当てる時も、彼は太った身体をゆすりながら、のろのろと大儀そうに動き回る。そう、ドクターCは太っているのである。“ぽっちゃり”とか、“恰幅がいい”といった程度ではなく、明らかに不健康に太りすぎ、過体重である。「医者の不養生」とはよく言うし、実際、朝から夕まで広くもない診察室で椅子に座り詰めでは運動不足にもなるだろうが、それにしてもシャツのボタンが弾けそうに脂肪でぷよぷよした人物から「体重があり過ぎるから少し減量するように」と言われても、あまり説得力はない。言われた患者は全員、「そういう先生だって…」と頭の中で思っているに違いない。

というわけで、私たちは今までドクターCを「悪い人ではないが、どちらかというとずぼらな、仕事不熱心な医者」と見ており、さほど有能な人とは思っていなかったのだが、先日の私の帯状疱疹の際、彼は電話で症状を聞いただけで「それは帯状疱疹ではないか」と雪だるまに言った。その時点ではまだ発疹が出ていなかったので、はっきりそうと診断はされなかったが、その後、赤いポツポツが出て、はい確定、当たり~。

ついで私が4月からずっと悩まされているのどのイガイガ、不快感について、「胃液の逆流ではないか」と言って、それ用の薬を処方してくれた。彼の予想診断を聞いた時わたしは、「えー、胃液の逆流? そんな感じしないけどなあ。もともと喉が敏感だから、炎症を起こしているだけなんじゃないかなあ」と思ったのだが、物は試しと、帯状疱疹の薬が終わってから、その薬を飲み始めてみると「あーら、不思議」、イガイガが少しましになった。まだ完全になくなったとは言えないが、軽快していることは確かである。これはドクターC処方による薬の効果か、はたまた自然によくなったのか。相変わらず被験者が私だけで対照がないので、どちらとも確定はできないが、仮にドクターCの薬のせいだとすれば、またまた当たり~!である。電話で症状を話しただけでの診断だから、この病歴でこの年齢でこの症状ならたぶんこれ、という長年の経験から来る診断だったのかもしれないが、こうして続けて2回、当たり~(症状の軽快)が出ると、「ドクターCってもしかして割合有能?」と、彼を見直したくなってきた。ずぼらな過体重医者というのは、ただの見せかけ、世を忍ぶ仮の姿だったのか。
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服薬スケジュール

今、帯状疱疹ウイルス用の薬と鎮痛剤2種と計3種の薬を飲んでいるのだが
この薬がそれぞれ8時間ごと、6時間ごと、12時間ごとと、飲むべき時間がバラバラで、なかなかに面倒くさい。
「6時間毎と12時間毎は同じ時間に飲めるのでは?」とお思いになるかもしれないが
この2種は鎮痛剤なので、同じ時間に飲んだのでは切れる時間も同じになってしまうので、だめなのである。
鎮痛剤が両方とも切れた時の痛みがどのくらいになるかなんて、想像するだに恐ろしい。

今日は1日、わりあいいい具合に鎮痛剤が効いて、うろうろと家の中を徘徊して過ごせたが
昨日は朝2時に痛みで目が覚め、しばらく「いたくなーい、いたくなーい」と
自分に暗示をかけてやり過ごそうとしたのだが、疑り深く性格の悪い私は
そんな自身による暗示さえ鼻で笑って相手にしないため、一向効果が現れず
仕方がないので、鎮痛剤を飲んだ。幸い30分ほどで効いてきて、5時まで眠れた。
しかし起きたら頭痛が始まっていて、1日中、緊箍児をキリキリされた孫悟空状態。
使い物にならなかった。

まあそれでも私は別に仕事もなく、面倒を見なければならない人もなく、で
痛ければ1日中ベッドにごろごろ、ソファにごろごろしていても
何の支障もなく、どこからも文句は出ない身の上なので、有難い。
これで、どうしても仕事をしなければならない人や、子どもや老親など面倒を見なければならない人がいて
痛かろうが何だろうが、寝ているわけにはいかない人は、本当に大変だろうと思う。
自分が罹っているから大げさに言うわけではないが、帯状疱疹の痛みは半端ではない。

が、幸い、帯状疱疹には発症を予防するワクチンがあるそうで
実際、ジム仲間の某氏は、そのワクチン接種を受けるべく貯金中だそうだ。
(ケベックでは300ドル程かかるらしい。当地は基本、医療費は無料なのだが、このワクチンは有料か)
日本ではどのくらいかかるのか知らないが、ご心配な方はお調べになってみるのもよろしいかと。
1週間や2週間で痛みが引くような病気ではないらしいので。
私もすでに「あれ、変」と思ってから2週間超、激烈な痛みに襲われてから10日超である。
最初、蚊に刺されたみたいな赤いポチだった発疹は、大きな赤い発疹→赤い水疱を経て
ただ今は半分水疱、半分かさぶた状態。なかなかに醜い。
とは言うものの、背中にはなく、仰向けに寝られるのはらっきー。






Why me? Why not?

私が先週から悩まされている疼痛は、どうやら帯状疱疹らしい。
先週、家庭医殿に診ていただいた時は、まだ発疹があるかなきか程度にしか出ておらず
はっきりしなかったのだが、その後、週末あたりから少し赤いポツポツが増え、痛痒さが増してきた。
“帯状”というほど大量には出現していないが、単発の虫刺されではないとわかる程度には、ある。
何かがさわると痛痒くてかなわないので、ゆったりしたワンピースのようなものばかり着ている。
夏場で助かった。冬では、いくら室内でも、こんなペラペラ服1枚のような格好ではいられない。

痛みの方は、イブプロフェンが効いている間は、まあ何とか動き回れる。
200mgのを1錠飲むと、だいたい5-6時間くらいOKなので、
ちょっと我慢する時間も含めて1日3錠。それで何とか日常生活が送れるのだから有難い。
このよく効く鎮痛剤を開発してくれた英ブーツ・グループには、本当に心から感謝、である。

ちなみに帯状疱疹というのは、子どもの頃に感染した水痘・帯状疱疹ウイルスが、
治った後も長期間、体内に潜伏していて、疲れやストレスなどの影響で体の免疫力が下がったときに
再び活動を始めることによって起こる病気なんだそうだが、
私、Covid-19以来、仕事はしてなくてストレスはないし、夏で天気がよくて暖かくてご機嫌だし、
特に疲れてもいなかったし、「なんで今、起こるの?」という感じではあるのだが
50歳以上は発症リスクが高いというから、まあ要するに“加齢”ということか。

それに昔みた漫画 Hägar the Horrible に、何かで散々な目に遭ったHägar が
神に向かって絶望と非難を込めて “Why me?” と問うと、神様が“Why not?”と返してくるのがあった。
まあ、そういうことだよな。誰でもいいのなら、私だっていいわけだ。


whyme.jpg




鎮痛剤 2

グラウンドホッグについて書いたら、庭にグラウンドホッグが現れたように
鎮痛剤について書いたら、鎮痛剤が必要な事態が現れて、2日間使い物にならなかった。
言霊、恐るべし。(って、違うか・・・)

ちなみに今回、家庭医殿が処方してくれたのは NAPROX というアスピリンやイブプロフェンと同じ
非ステロイド性抗炎症薬だったのだが、これが効いているんだかいないんだか、
今ひとつよくわからない薬で、「処方箋がないと買えない薬なんだから、劇的に効くに違いない」と
過剰に期待して服用した私は、飲んでから1時間経っても、2時間経っても、ちっとも痛みが軽くならず
ちょっと眠ったかと思うと痛みで目が覚める、の繰り返しで、けっこう往生した。
幸い、夜中2時過ぎには何とか少し楽になって、5時くらいまで眠れたが
薬を飲んだのは夕食時の午後6時である。
効果が出るまで8時間って、ちょっと長すぎないか?
というようなことをぶつぶつ言っていたら、慢性疼痛で、鎮痛剤にかけては私以上に経験豊富な
義弟ジェリーに「そりゃ薬が効いたんじゃなくて、単に痛みが自然に軽くなっただけだ。
ふつう薬の効果が出るまで8時間もかかったりしない」と言われた。
そう言われてみれば、そうかもな。

おまけにこのNAPROX、可能性のある副作用の欄に「頭痛」とあって、思わず「はあ?」
どこかが痛い時に飲む鎮痛剤で頭痛が起こるかもって、本末転倒というか、何か激しく間違っていないか?

頭痛にはこの薬は処方されないのかもしれないが、それにしてもある痛みを軽減するために飲む薬により
別の痛みが起こるかも、というのは、なんだかどうも納得がいかない。
鎮痛薬って、全身的ではないの?
他の副作用、悪心とか、血圧上昇とかは、まあわかるんだけど、
鎮痛作用を期待して飲む抗炎症薬で頭痛っていうのはなあ・・・

(ちなみに実際、頭痛は起きた。2日目の午後から軽度の頭痛開始。
まあ「頭痛になったら嫌だなあ」と、びくびくしていたせいかもしれないが。
で3日目の今日からNAPROXを飲むのは止め、いつものイブプロフェンに変更。
それで何とか動けているのでよしとする)


鎮痛剤

古代でも中世でもなく、現代(20/21世紀)に生まれてつくづくよかったと思うのは、病気になった時である。現代だって、もちろんすべての病気が治るわけではないし、最終的には治るにしても、長く苦しい治療を続けなければならないこともあるが、そうは言っても、正確な科学的知識に基づいた医学というものがなく、病気を呪術や祈祷で治そうとしていた時代や、どんな病気にもまず瀉血!とばかりに、せっせと血を抜いていた時代に比べれば、現代はほとんど天国である。

そこそこ機能している国、地域であれば、技術、設備に差はあれ、一応医院、病院があって医者、看護師がいるし、街には薬局があって薬が買える。“先進国”と言われる国ならなおさら、金さえあれば現代が提供しうるあらゆる治療を受けられるし、街にはありとあらゆる薬が溢れている。風邪にはこれ、腹痛にはこれ、アレルギーにはこの錠剤、腰痛にはこの軟膏、等々、実際にその効果があるかどうかは別にしても、効能書きを読む限りでは、重篤な病気でない限り、OTC薬だけで何とかなってしまいそうな勢いである。

こういうOTC薬で、私が日常的に特に有難いと思っているのは、鎮痛剤だ。アスピリン、アセトアミノフェン、イブプロフェン。現在、薬局で処方箋なしで買えるのはこういったところだが、ふつうの頭痛、筋肉痛、関節痛等々なら、これらでまあ何とかなる。私は頭痛持ちなので、割合頻繁にこれらの鎮痛剤のお世話になっているわけだが、飲めばたいていは痛みが軽快する。たまには全然効かないこともあるが、逆にきれいさっぱり痛みがなくなることもあるので、差し引きでは大きくプラス。薬効は確かにある。

頭でも腰でも歯でも、とにかくどこかが痛い時に仕事や家事をするのは本当にしんどいし、モノがまともに考えられない。口を利くのも億劫だ。痛みは人から気力を奪う。モーツァルトとか、ベートーヴェンとかパスカルとかニーチェとかトマス・ジェファーソンとか、よく効く頭痛薬がない時代に生まれ、辛子湿布や冷水足浴などという、どう考えても効きそうもない療法で激しい痛みに対処しなければならなかったこれらの人々には、本当に心から同情する。

実は今、『ベストセラーで読み解く現代アメリカ』で紹介されていた『educated』を読んでいるのだが、著者Tara Westoverさんの両親はモルモン教サバイバリストで、公教育、病院、連邦政府といったものに対し疑念を持ち、7人の子どもたちのうち学校に行ったことがあるのは上の何人かだけ、下の子どもたちは出生証明すら10代になるまで持っていなかったりした。病院や医師は悪魔の手先であるので、当然、怪我でも病気でも病院には行かない。薬草医であるお母さんが作ったチンキ剤で治すのだ。まあ風邪とか消化不良くらいならそれでもいいだろうが、自動車事故を起こして、しばらく意識不明になった後にも病院に行かなかったり、兄の1人がガソリンが染み込んだジーンズを履いていてそれに火が付き、大やけどを負った時にも病院に行かなかったというのを読んだ時には、正直、肝が冷えた。

やけどした兄など、モウズイカとコンフリーの軟膏を傷口に塗り、高熱と痛みで意識も飛びそうな時に鎮痛剤として与えられたのは、お母さんがロベリアとブルー・バーべナとタツナミソウで作ったチンキ剤なのだ。皮膚が赤くなる程度の軽いやけどならともかく、水疱もできないほど重症のやけどの痛みに、こんなものが効くとは到底思えない。事実、子どもだった著者が金属片で脚に深い切り傷を負った時、与えられたのも同じチンキ剤だったが、「覚えている限りでは、全く効かなかった」と言っている。

幸いこの兄は、数か月後には何とか杖にすがって立てるまでに回復したが、その間もその後も、ずいぶん痛かったり、不快だったりしたことだろうと思う。火傷の初期にモルヒネが、その後の療養期に適切な鎮痛剤があれば、どれほど毎日が楽になっただろうか。

学校に行かないという選択はありだと思うし、連邦政府を信用しないのも結構だが、医者と病院は信用した方がいいと思う。たいていの場合、その方が治りが早く、不快が少ない。

タモの影響?

12月初めの定期検診で担当医殿から「1月からタモキシフェンを飲まなくてもいいですよ」と言われた私は、「1月から飲まなくていいのなら、今やめても大差はあるまい」と考えて、手持ちの薬がなくなった12月半ば、タモを飲むのをやめた。毎朝忘れず飲むのは結構めんどうくさかったので、止められて「いえーい!」である。

で止めた後しばらくは別になんということもなかったのだが、3月あたりから何だか前より調子がいいような気がしてきた。もともと頭痛持ちだから、時折頭痛がやってくるのは今まで通りだが、以前のような頭がガンガンして動くのもしんどいような頭痛は減り、遠雷のような、頭の中で微かにゴロゴロいっているような頭痛が増えた。痛いなあ、とは思うが、動くのに差し障りがあるほどではないし、ご愛用のイブプロフェンを飲めば、たいていの場合かなり軽くなって、ほとんど忘れていられる。

そして時折やって来ていた、ものすごい疲労感もなくなった。ここ何年か時々身体が沈み込むように疲れて、動くのも大儀なことがあったのだが、それが最近、ない。たとえば週1の食料品の買い出し、いつもジムの後に行くので、以前はスーパーを3店回るともうへとへとで、4店目は足を引き摺って入り口に向かうような有様だったのだが、ここ数回は4、5店回っても平気。帰って来て椅子にへたりこんだまま動けない、というようなことはなくなった。

タモキシフェンは抗エストロゲン薬だから、ふつう副作用としてまず挙げられるのは更年期の諸症状。そして更年期といえば「肩こり、頭痛、ほてり、疲労感、気分が沈む」といったところが定番だから、タモ服用中、しょっちゅう頭が痛かったり、やたら疲れやすかったりしたのも道理かな、とは思うのだが、50代の私はしかしたとえタモを服用していなくても更年期真っ最中のはずで、だからどこまでが薬の影響で、どこまでが元々の更年期の症状だったのか、ほんとのところはわからない。なにしろ私という人間は一人しかいないので、同じ時にタモを飲んでいる私とタモを飲んでいない私で対照実験!というわけにはいかないのだ。

だから、今「なんか調子いいな」と思っているのも、たまたま調子がいいだけで、タモキシフェンを飲まなくなったこととは何の関係もないのかもしれないが、しかし「調子いい」と思えること自体、ここ何年かなかったことなので、タモキシフェンと関係があってもなくても、私としてはどうでもいい。ただ、うれしい。

そして実はもうひとつ、なんとなく服用していた頃と違うなあと思っていることがある。2年くらい前だったか、いつもの定期検診の時に担当医殿から「この薬を飲んでいると体重が増える傾向があるけれど、我慢しなさい」と言われたことがあり、そう言われると天邪鬼な私は却って「増やしてたまるか!」と、あれこれ体重コントロールに励んだのだったが、これが結構大変だった。ちょっと油断するとてきめんに体重が増え、元に戻すのに一苦労。「たかだか1キロ減らすのが、なんでこんなに大変なのか」と、毎朝体重計に乗っかっては天を仰いでいたものだったが、それがこの頃はちょっと食べるのを控えると、すぐ体重が減る。あるいはちょっと食べ過ぎたりして体重が増えても、その後2、3日すると元に戻る。不思議である。運動量を増やしたわけでもないし、上に書いたように体調はいいのだから、何かの病気で体重が増えにくくなっているのだとも思えないし、これもやっぱりタモを飲まなくなったことと関係があるのだろうか。
よくわからない。

ゾンビー

よく、「身体を温める食べ物」とか、「身体を冷やす食べ物」とか聞くが、あれは根拠のあることなのだろうか。たとえば、固いもの、根菜類や寒い土地でとれる果物、野菜は身体を温める、逆に柔らかいものや、暖かい土地でとれる果物、野菜は身体を冷やすといったような話が複数のサイトに載っており、中医(漢方)ではそのように考えるらしい。そういえば香港時代、同僚はしょっちゅう、そんな話をし、「サラダは身体を冷やすから余り食べない方がよい」などと私に勧めていた。ある食べ物を食べていれば身体が温まったり冷えたりするのなら、こんな便利なことはないが、火や太陽を連想させる暖色系の食べ物は身体を温め、雪を連想させる白や青みの食べ物はそのとおり身体を冷やすなどと聞くと、どうもなんだかこじつけ半分というか、眉唾というか、「色から来る連想だけでモノを言ってないか?」と、信憑性を疑いたくなってくる。

もっとも、私としてはこの説は本当である方が有り難い。というのも先々週のある日、ほんの2時間ほどだったがちょっと寒い思いをして以来どうも体調が悪く、風邪でもひいたか、熱でもあるのかとしばらくして体温を計ったら、これが熱があるどころか、逆に35.6℃と36℃に達していない。計り方が悪かったのかと、もう一度計っても、やはり結果は同じ。そういえば以前にも、熱があるのではなく、逆に熱がなくて(=体温が低くて)調子が悪かったことがあったなあ、と思い出した。

で、その日はせっせと生姜湯など“身体を温める”という飲み物をとり、あったかーいふわふわ毛布にくるまって寝て体温上昇に努めたのだが、翌日になっても体温は相変わらず35℃台で、ちっとも36℃以上になってくれない。それどころか、自転車でジムに行き、「運動したし、自転車にも乗ったんだから、少しは体温が上がったろう」と期待して体温を計ってみれば、これがなんど34℃台。「寒い外気に直接触れた口中では、正確な体温は計れないのかも」と、いつもの舌下ではなく腋下で計り直しても結果は同じ。思わず「わたしはゾンビーか?」と、自分で自分に突っ込みを入れた。

幸い34℃台の体温はその時だけで、その後は35℃台をうろうろ。少しはましになったが、体温が低いと免疫力が低下するし、排せつ機能や新陳代謝も低下するし、自律神経失調症になりやすいというし、がん細胞が最も増殖するのは35℃だというし、なので何とか体温を上げようと、その後もせっせと生姜(これは身体を温めると科学的に証明されている)の摂取に努め、スノーパンツ、ひざ掛けなど暖かい服装を心がけたおかげか、あるいは他の要因か、ここ4、5日は少なくとも朝の体温は36℃を超えるようになり、それとともに重い疲労感や頭痛も消えて体調が上向いてきた。

医者のいう低体温は身体の深部の温度のことで、舌下や脇下で計った体温のことではないとは思うが、素人が薬局でふつうに買えるのは舌下や脇下検温用の体温計で、直腸体温計はほとんど見かけない。それにまた見かけたとしても、あれを使用しての検温は“お手軽”とは言い難い。ゆえに依然としていつもの体温計を使って舌下や脇下で計り、上がっただの、下がっただの、一喜一憂しているわけだが、たとえ舌下だろうと脇下だろうと、やはり体温が高め(36℃を超えている)の時の方が体調がよいようで、そうなると眉に唾しながらも、ここはひとつ、せっせと根菜類や生姜などを食べようかという気になって来る。

ただ私が黙々と温かい根菜類などを食べている横で、カナダ人の雪だるまは、ばりばりと生野菜のサラダや、オレンジ、バナナなどの南方系の果物、身体を冷やすという食べ物を大量に摂取。にもかかわらず、身体は常にぽかぽか。気温が零下12度だった昨日ですら、チノパン1枚で外を歩いて汗をかいていたりするのを見ると、「体温調節機能の良し悪しは、食べ物より何より、生育環境と遺伝なのではないか?」と、日本は関東地方のわが出自を恨みの目で見たくなるが。

眼鏡を新調してはみたが

ここしばらく目の見えがよかったので内心ほくほくしていたら、今日はまたちょっと元に戻ってしまって字がぶれている。ちぇ、残念。

まあこの歳になって今さら視力が上がるはずもないから、結局のところ見える、見えないはその日の調子、前日、あるいはその日一日何をしたか、どのくらい目を使ったかによるのだろう。日がな一日、庭仕事などして目を酷使しなければ、夜になっても視界はぶれない。本が読める。が、ちょっと根を詰めて編み物などしてしまったり、パソコン画面を見過ぎたりすると、てきめん字が読めなくなる。目を使う作業は、ほどほどにせよ、ということらしい。

もっとも私の場合、字が読めなくなるとは言っても、すべての字が読めなくなるわけではない。日本語は文庫、新書などの小さめの活字でも、まだ読める。漢字など細部がはっきり見えなくても、字面と文の前後関係でだいたい間違いなく読み取れるのだ。母語として50年以上読み続けているのだから、当たり前といえば当たり前だが。

困るのは英語とフランス語だ。アルファベットがびっしり並ぶので、はっきり見えないと簡単に読み間違える。小文字のlとcがくっついてkになってしまったり、lとiが並んでいると互い重なり合ってlが2つ、あるいはiが2つあるように見えたり、はたまた綴りの似ている別の単語と読み間違えたりなど、しょっちゅうだ。しかも母語でない悲しさで、読み間違えてもなかなか気が付かない。

実は、あまりに字がぶれるので、この春、読書用メガネを新調したのだが、ちゃんとoptometrist(検眼士)に検査してもらい、その処方で作ったにも関わらず、やはり見え方は今一つで、「眼鏡を作り直せば、字がはっきり見えるようになるかも」と期待していた私は、かなりがっかりしたのだった。

もっとも、私の視力を検査したあと、私が持ち込んだ古い方の眼鏡も検査した検眼士殿が、「この眼鏡でもまだ十分見えるはずですが」と言った時点で、そうなりそうな予感はしていた。もしかしたら作り直しても無駄かも、と。それでもあえて作り直したのは、たとえほんの少しでもぶれが改善されれば、読書の際のストレスが減ると思ったからだ。結果は期待通りとはいかなかったが、仕方がない。

左目がおかしくなって以来、私はずっと思っているのだが、あの視力検査というやつは、「見え」の実情を反映していない。日本でも香港でも当地でも、視力検査というとあの大きさの違うアルファベットまたは数字を順番に読んでいくというのが主流だが、実生活では文字はあんな風にスポットライトを浴びて、単独で登場したりはしない。大は店屋の看板から、小は薬の説明書きまで、文字は常に他の文字といっしょに列になって、あるいは前後左右を他の文字にびっしり囲まれてこちらの前に現れる。そして互いに干渉しあう。単独でなら識別できても、他の文字と一緒に並ぶと、右から左から、まるでインクが滲むように文字同士が重なり合って、識別不能になる。私のように像がぶれる目を持った者はなおさらだ。

が、専門医でない医者はスポットライトを浴びた単独の字の「見え」で問題ないと言い、検眼士はスポットライトを浴びた単独の字の「見え」を基に、眼鏡を処方する。像のぶれない人ならともかく、像のぶれる人が、そうして作った眼鏡で、本などの“一塊になった文字”を、はっきり見られるようになるわけがない。

若い頃に戻りたいとは思わないが、身体の回復力と視力だけは、10代の頃に戻れたらなあ、と思う。あの何時間でも何時間でも読み続けられた体力と視力!

青空あたま

水が半分入ったコップのたとえ話は、いろいろなところで引き合いに出されるので
いまさら説明するまでもないと思うが、「半分ある」か「半分カラ」か
「まだ半分ある」か「もう半分しかない」かという楽観、悲観の2つの見方に分けるなら
私は間違いなく「半分カラ」「もう半分しかない」と見る、悲観的なタイプである。
新奇なアイディアを聞けば、まず失敗するだろうと予想するし
「石橋を叩いて渡る」どころか、叩いて強度を確かめなければならないような橋は
はなから渡らない。落ちるに決まっている、と思うからである。

こういう性格はよく言えば慎重、堅実。“しっかり者”と人から評されることもあるが
本人としては微妙である。
何しろジンセイ、楽しくない。
何かをやってたまたまうまく行き、一瞬ぱあっと喜んだとしても
次の瞬間、「次回はこんなうまいことは行くまい」だの
「うまくいったように見えただけで、実際のところは失敗だったのではないか」だの
悲観的見方が暗雲のように視界を覆ってきて、一瞬のうれしさを帳消しにしていく。

うまく行ったように見える時でこれだから
失敗などしようものなら大変である。
どっと落ち込んで、胃の中にじっとりと重たい石を抱え込んだようになり、
そのことばかりが頭をよぎって、ぎゃあ、ぎゃあと悲鳴をあげ続けることになる。
およそ健康によろしくない。
それに第一、苦しい。

なので、失敗しても極力落ち込まないよう気持ちを前向きに、
失敗したことをくよくよ思い悩むのではなく、
今後に向け、建設的改善策を考えて失敗の苦しさから逃れようとするのだが
そのように頑張ってみても、落ち込みから抜け出すのはなかなか難しい。

実は昨日もそんな失敗をし、夜中、ぱっちり眼が冴えてしまって
なかなか寝付かれなかった。
寝付かれないので、文珍さんのと吉朝さんのと枝雀さんのと
「地獄八景亡者戯」を3つきいて、それから寝た。

朝起きた時には少しはましな気分になっていて
失敗の痛さもやや薄らいでいたが、
それにしてもこの物事を悲観的に見る性癖、
やり損ねたことばかりが頭の中をぐるぐるし、
自分に向かって「ばか、ばか、ばか!」と言い続ける、
万年軽度鬱病みたいなアタマは、なんとかならないものか。

ああ、一度でいいから、抜けるような青空に輝く太陽、みたいな
明るい人になってみたい。

浮遊物

去年の秋、雪だるまが「視野にゴミのようなものが見える」と言い出した。
目を動かすとそのゴミみたいなものも一緒に動く、というので
たぶん飛蚊症だろうと思ったが、同時に閃光のようなものが見えることもある
とも言うので、一応眼科医に診てもらった。

眼科医の診断はやはり飛蚊症とのことで、網膜剥離や網膜穿孔ではなかったので安心したが
残念ながら飛蚊症は加齢に伴う生理現象のようなもので、治療法はない。
現状では剥がれてしまった硝子体を元に戻すことはできないので
視野に漂うこのゴミのようなものは、いったん出現したらずっとそのまま。
消えることはないのだそうだが、幸い(?)、しばらくすると脳の方が無視することを覚えて
次第に気にならなくなるのだそうである。
実際、雪だるまも、3、4週間たったら気にならなくなったと言っていた。

とまあここまでは、夫婦とはいえ他人事だったのだが
今年になって私の視野にも黒いゴミが出現しだした。
雪だるまより5年も早い出現である。
しかも出現したのは、いい方の右の目。
まともにモノを見ることができない左の目なら諦めもつきやすいが
なんでよりによって頼みの綱の右の目に飛蚊症が起こるのか?

年を取るということは、こういう身体の衰えや不調と折り合いをつけ、
無理をせず、といって諦めきって活動を制限したりせず
身体を騙し騙し、やりたいことをやっていくことなのだとわかってはいるが
それでもだんだんにやってくるさまざまな衰えを「やれやれ…」という思いなしに
受け入れるのは難しい。
ついつい「もっと早く医学が進歩して、人工眼が実用化されればいいのに」と
草薙素子ちゃん並みの義体化を夢見てしまう。
スペアの目、欲しいなあ。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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