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『西遊記』

  • 2019/04/20 09:08
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最近、TO DO List が満杯気味で、常に「やらなければならないこと」に追いかけられている感じ。今日はそれでも4つ片付けたが、あといくつ残っているのだろう? やや、恐怖。

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ところで、ここ何日か編み物のお供に『西遊記』(宇野浩二さん訳)を聞いているのだが、うーん、これはやはり聞くより読んだ方がいいかも。なぜかというと、耳から聞いただけでは登場人物の名や、場所の名、数々出てくる面白そうな武器の名が、ぜーんぜんピンと来ないのだ。

たとえば初っ端、孫悟空は「とうしょうしんしゅう、ごうらいこく」にある「かかざん」という山で石の卵から生まれ、周りの猿仲間や他の動物たちとわいわい遊び暮らしていたのだが、あるとき滝壺に飛び込んでその底で「かかざんふくちすいれんどうどうてん」を発見、「かかざん」あたりの猿たちの王となって「びこうおう」と名乗った、というのだけれど、「とうしょうしんしゅう」にしても「ごうらいこく」にしても、音をきいただけでは、いったいどんなところなのか、さっぱりわからない。「すいれんどう」も同様。「びこうおう」という名に至っては、最後の「おう」は「王」だろうとわかるが、「びこう」とは、はて何のことか。まさか「備考」ではあるまいし、「微光」とか「微香」も違う気がするし、ではもしかして「尾高」? 孫悟空、サルだからな、とか編みぐるみを編みながら、愚にもつかない推測をしてしまったが、音だけ聞いているからこういうことになるので、活字を目の当たりに“読んで”いるのなら、こんなお馬鹿な想念は浮かびようがないのである。

もっとも、こんなことをぶつぶつ言っているのは、私が子どもの頃『孫悟空ものがたり』という絵本を読んだきりで、その後ちゃんとした『西遊記』は一度も読んでいないからで、読んでいる人なら「とうしょうしんしゅう」という音を聞いて「東勝神州」が浮かぶだろうし、「ごうらいこく」が「傲来国」であることも知っているだろう。そして私が「水練堂?、水泳の練習をするところかね?」と思った「すいれんどう」が実は「水簾洞」で、水簾(みずすだれ)の奥の洞であることも、知っているだろう。表音文字であると同時に表意文字でもある漢字を見ながら読んでいるのなら、意味は自ずと知れるのだから。

知らない言葉の意味を、音だけで正確に推測することはほぼ不可能である。上に挙げた「すいれんどう」 にしたところで、「すいれん」という音しか手掛かりがなければ、私のように「水練」と思う人もいるだろうし、「睡蓮」と水辺に咲く美しい花を連想する人もいるだろう。漢字を見なければ、それが「水簾」であろうとは、知りようがない。

孫悟空が乗って飛ぶ雲、「きんとうん」や、頭の輪っか「きんこじ」にしても、同じだ。私は「きんとうん」を「きんとんうん」と聞き違えて、不覚にも栗きんとんを連想してしまったし、「きんこじ」の「きん」は「金」かと思って、「金居士?」と出来損ないの戒名みたいな三文字を頭に浮かべてしまった。そんなへんちくりんな名であるはずはないのに。

そんなこんなで、どう頑張っても音だけでは西遊記のイメージがおかしくなるばかりなので、途中でウィキに当たって漢字を確認した。(宇野浩二さん訳の西遊記のテキストを探したのだが、見つからなかった。もう著作権は切れていると思うのだが、青空文庫にもなかった)
案の定、「きんとうん」は「觔斗雲」、「きんこじ」は「緊箍児」であった。「觔」は「筋」の異体字、「觔斗」を中日で引くと「もんどり打つ、とんぼ返り」とあった。悟空が乗る雲がこの名なのは、悟空がとんぼを切って雲に乗ったからだそうである。(なーにが、栗きんとんだよ、私のあほー!)

そして「きんこじ」は漢字を見れば一目瞭然。「きつく締め付けるタガ」。最後の「児」はr化の接尾語だろう。日本語で考えると「児」から「児童」を連想してしまうが、中国語で考えれば「あ、そっか」である。私自身は南で中国語を習ったので、r化には余り馴染みがないけれど。

というわけで、漢字てんこ盛りの西遊記を耳からだけで楽しむのは難しい。これはやはり、目で読むべき本である。目で見て、一つ一つの漢字を楽しみ、漢字で遊ぶべき本である。本当なら原文を読んで、音と字と両方で楽しめれば最高なのだろうけれど、ちらと見た感じでは、とてもではないが歯が立ちそうもないので、あっさり諦め、どなたかが訳してくださったのか、あるいは翻案してくださったので、するすると読み進めたいところだ。中野美代子さんのがいいかなあ、とは思うが、今チェックしたら、全五巻。電子でも5000円超。うーん。
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白ご飯の中の砂利

  • 2019/03/28 04:17
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前回の「蘇える金狼」もそうだが、私は編み物のBGMによく朗読を聞く。
俳優さんや声優さんなどプロの方の朗読の時もあるし、
趣味として朗読をなさっている素人の方の朗読の時もある。

プロの方はもちろん声の調子、間の置き方など実にお上手で
安心して聞いていられるが、無料で提供されている動画サイトなどでは
素人の方の投稿の方が圧倒的に多いので、
自然、割合でみれば素人の方の朗読を聞く方が多いかもしれない。
素人でも玄人はだしに上手い方はけっこうおられるし、
または最初は声や読み方など、その方独特のクセが耳ざわりに感じられても
聞いているうちに慣れて、それが気にならなくなる時もあるので
内容に全く興味が持てない場合以外は、しばらくそのまま聞き続けてみる。
なにしろ無料で聞かせていただいているのだから、
あれこれ文句をつけられた義理ではない。

ただひとつ、これだけはちょっと・・・と思うのは
漢字の読み間違いとアクセントの混在だ。
時代小説によく出てくる「行燈」を「あんどう」と読まれたり、
「手を束ねる」を「手をたばねる」と読まれたりすると
それまでいい気持ちで聞いていたのが
突然頭から冷水をぶっかけられたように
一気に現実に引き戻されて「とほほ・・・」という気分になる。
私だってさんざんいろいろな読み間違いをしてきたのだから
人のことは言えんだろ、とは思いつつも、やっぱりかなり興ざめで
続けて聞く気が失せてしまう。

アクセントの方は、これは関東地方以外の出身者の方は
後から学習しなければならないのだから不利だというのはわかっているのだが
それでも「むしろ(寧ろ)/高低低」を「低高高」アクセントで読まれると
「あっあー、それでは筵になってしまうー」と、編んでいる手が途中で止まってしまう。

別に関東地方以外のアクセントは嫌だ、と言っているのではない。
上方のアクセントはむしろ好きだし(米朝さん、文珍さん
先日聞いた讃岐のアクセント(というか話し方)も、なかなかよかった。
しかし、いくらそれらのアクセントが好きでも、
あるアクセントの中に、他のアクセントが混在しているのは困るのだ。
ほっこり炊けた白ご飯の中に砂利が入っているようなもので
歯に当たったとたん(=耳に入ったとたん)、ジャリっと来るのである。
これではおいしく聞き続けることはできない。
申し訳ないとは思いつつも、「それは高低低、高低低!」と
画面に向かってぶつぶつ呟いてしまうのである。

「蘇える金狼」

  • 2019/03/26 21:50
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しばらく前の話だが、編み物のお供に大藪春彦さんの『蘇える金狼』を聞いていた。大藪春彦さんであるから当然ハードボイルドで、主人公朝倉哲也は、目的達成のためには恐喝も盗みも殺人も厭わず、恋人も婚約者も単なる駒のひとつ、利用し尽くし邪魔になれば、何の未練もなく殺して/捨てて顧みない人物として描かれている。

79年の松田優作さん主演による映画の方でご存知の方もいらっしゃるかと思うが、原作が発表されたのは62~64年で、だから舞台はその頃の東京だ。64年の東京オリンピック前の、まだ十分貧しかったころの東京。それがそのまま小説の中の背景、情景として出てくる。朝倉が住んでいる一間きりの安アパート、上り下りにカンカン足音が響くような外階段がついた安アパートや、同僚と行く呑み屋で食うホルモン料理、オリンピックに向けて突貫工事で整備が進む都内の道路網の様子など、その時代にその場で書いていたのだから当たり前だが、実にリアルに描写されていて、私にはそういう細かい部分が、物語の本筋以上に面白かった。

まだ各戸に1台はなかった電話、もうなくなってしまったブルーバード、トライアンフといった車、わざわざ“自動”エレベーターと書かれるエレベーター。ある程度金を掴んでから、“仕事”の合間に朝倉が獣のような目をして食うフランクフルトや分厚いステーキ、それらを流し込むウォトカ、高級テーラーで仕立てさせる1着数万円のスーツ。どれもみな、あの時代の、まだ戦後を引きずっていた時代の人々が憧れた“高級”のにおいがする。夜間大学卒、29歳の朝倉の月給は3万円で、そういう時代に朝倉は、重役たちの弱みに付け込み、ヤクザや政治家と渡り合って、数千万という金を手に入れていく。今だったら数億以上に相当するだろう金額で、朝倉はそれを持って日本を脱出するのだ。そう、最後、京子に刺されることになる映画と違い、原作では朝倉は無事目的を達成する。

なぜ映画版では朝倉を殺したのか私にはわからないが(何人もの人間を騙し、盗み、殺した人間がまんまと逃げおおせ、国外で安楽な生活を享受したのでは倫理にもとる?)、冷酷非道とはいえ、自身を律するストイックさ、綿密な計画と周到な準備、その上で一か八かの勝負に打って出る大胆さ等々、誰かにやらせるのではなく、すべて自分自身の頭と肉体で欲しいものを得ていく朝倉のような人間には、私は成功というご褒美を贈ってやりたい。自分の(元)女におめおめと刺され、混乱したまま死んでいくなんて最期は、まったく相応しくないと思うのだが、どうだろう。


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リーダーほしい

  • 2019/03/22 21:42
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オトモダチの圧倒的な読書量に文字通り圧倒されて
「よし、ここはひとつ、ワシも頑張らねば」と奮起はしたものの
視力と資力に少なからぬ障害を持つ身ゆえ、
とりあえず読めそうな電子書籍を2冊だけ購入。
日語と仏語の参考資料以外の本を買うのは久しぶりなり。

で、そうして、ちょびちょびとでも毎日電子書籍を読むようになってみると
欲しくなってくるのが、どこにでも持ち歩ける電子書籍リーダー。
机に向かって読むだけならPCでいいのだが、
私はソファの上とか、ベッドの上とか、トイレとか、出先とかでも読みたい。
また、ウチでは朝食と昼食はふつう、それぞれ本を読みながら食べるので、
そういう時もPCでは大きすぎて、ちょっと具合がわるい。

だから邪魔にならない大きさの電子書籍リーダーが欲しいのだが
専用端末は高すぎて買えないし、そうなると残る選択肢はタブレット。
日本語を読む都合があるので、
日本の「電子書籍リーダー比較」なんてサイトを見ながら、
あれがいいか、これがいいか、スペックを比べている。
今のところの第一候補はアマゾンの「Fire HD 8」なのだが
実際の使い勝手はどうなのかなあ。
どなたか使っていらっしゃる方の感想をお聞きしたいものだ。

『ミレニアム』シリーズとナンプレ

  • 2018/10/17 20:48
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ここしばらく、雪だるまにしては珍しく、小説を読んでいた。
映画にもなったスウェーデンの作家スティーグ・ラーソンの
「ミレニアム」シリーズである。
アイスランド旅行中の最後の2、3日、私も雪だるまも
持っていった本は読み終わってしまって読むものがなくなり
泊った先がホステルなら、そこの書棚にある本を読んだりしていたのだが
最後のホステルで、雪だるまがたまたま手に取った本が「ミレニアム」の2で
読み始めてみたら結構面白かったらしく、彼はそのままその本を借りてきた。

ホステルの書棚の本は原則、そこに泊まった人たちが要らなくなった本を置いていき
また逆に、読みたい本があれば自由に持っていっていい、というものだから
雪だるまが持ち帰ってきたこと自体は、別に問題ないと思うのだが
ふだん科学か政治か反宗教関係のノンフィクションしか読まない雪だるまが
小説、しかも推理小説なんかを読んでいるのを見るのは、
これまたなかなか面白く、私はにやにやしながらその様子を眺めていた。

実はこの「ミレニアム」シリーズ、数年前に叔母の1人が読んで夢中になり
会う人ごとにその話をしていたという曰く付きの小説で
私達も映画(スウェーデン版とその後のハリウッド版)は見たのだが
小説は読んでいなかった。

原作はスウェーデン語なので、雪だるまが読んでいたのはその英語翻訳版だが
雪だるまによれば、その前のホステルで他に選択肢がなくて読んだ
米のC・H・クラークの某書に比べれば「翻訳だが、文章、構成ともこちらの方が数段まし」
とのことで、雪だるまはその後、古本でシリーズの1と3も買い、
むさぼるように読んでいた。
そして私に「興味があるならクリスマスにフランス語版を買ってあげるよ」と言ったが
私は「結構です。その手の本を読むなら面倒くさいフランス語ではなく、英語か日本語にします」
と言って断った。いくら面白くても、3センチはありそうな分厚い本3冊を
フランス語で読むなど、まっぴらである。
手でも傷めて編み物等ができなくなり、目しか使えない状態になったら
1年くらいかけて読んでもいいが、日本語講座の教案準備とか
依頼されている編みぐるみ(ロバ1頭、犬数匹)とか、今は他にすることがいーっぱいある。
内容が面白いので楽しく読み進めていた水林さんの本ですら
アイスランド旅行と日本語講座のせいで、中断したままなのだ。
フランス語で新たに大部の推理小説など読んでいる余裕はない。

ところで雪だるまはアイスランドのせいで「ミレニアム」にはまったが、
私はナンプレ(数独)に、はまってしまった。
帰りの飛行機の中、読む本がないので機内誌を2回読み
それでも暇を持て余して、やむなく機内誌に載っていたナンプレをやってみたのだが
初めてだったので、これが一向できない。
で、帰って来てから「ナンプレのコツ」なんてのを読み、また挑戦。
以来、朝な夕なにしこしことネットのナンプレで遊んでいる。
ナンプレなんてただのパズルで、数学とは何の関係もなく
毎日やったからといって老化防止に役立つとも思えないのだが
はまってしまうとなかなか抜けられないのが人の性。
画面をじーっと見つめるので目に悪いし、時間の無駄だし
いい加減にしなくてはと思いつつ、今朝もまたひとつやってしまった。
あーあ。

『家守綺譚』『ミミズクとオリーブ』

  • 2018/10/10 00:41
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近所に日本語の本を売っている本屋などないので
日本語を読むとしたら、手持ちの本ばかり。
日本を離れて二十数年、
どんな本が話題なのか、どんな新しい作家が出てきているのか
もう、とんとわからなくなった。

それでも、YouTubeにアップされる朗読は、まめにチェックしている。
編み物や手仕事のお供に欠かせないからだが
それで最近2人ばかり、割合気に入った作家さんを見つけた。

1人は芦原すなおさん、もう一人は梨木香歩さんだ。
私にとって新しいというだけで、お二方ともすでに20年以上、
堅実に作品を発表されているベテランの作家さんだが、
どういうわけだか今までは、私のアンテナに引っかかってこなかった。

梨木さんの方は『西の魔女が死んだ』くらいは知っていたが
これはまあ児童書だから自分で読もうとは思わなかったし
そもそもは「梨木香歩」というお名前が、私には何やら甘い少女趣味に響いて
作風もそんなかと、早合点の食わず嫌いをしていたのである。

芦原さんに至っては、失礼ながらお名前さえ聞いたことがなかった。
私が日本にいた頃から活躍されているというのに
文藝賞や直木賞も受賞されているというのに
記憶の隅にすらお名前がなかったのは、不思議といえば不思議。
90年代初めの私は、いったい本屋で何を見ていたのか。

それはともかく、梨木さんの方は『家守綺譚』を聞いた。
聞き始めてすぐ、甘ったるさとは無縁の、割合に古めかしい言葉遣いと文体に
「あら」と思い、お名前の印象から早合点して申し訳なかったと思った。
時代はたぶん明治の終わりころ、京都に蹴上発電所ができた頃の話のようである。
植物に詳しい方らしく、短編仕立ての各章は、それぞれ「烏瓜」「都忘れ」など
草木の名が冠され、それにまつわる話となっている。
庭の百日紅が主人公に懸想したり、
若くして亡くなった主人公の友人が、掛け軸の中からボートを漕いで現れたり
なかなかに不思議なことも起こるが、
全体としては不思議なことを不思議としない、淡々とした描写で
聞いているこちらも、静かな心持ちになる。
手仕事のお供には、もってこいである。

芦原さんの方は、『ミミズクとオリーブ』。
紺絣の着物に白い割烹着姿の女性が描かれた表紙を見て
一体いつの時代の話かと思ったが
話の中にワープロやら銀座のクラブやらが出てくるので
少なくともワープロ出現以降、昭和の終わりか平成の初め頃の時代設定らしい。
推理小説ということにはなっているが、謎解きの本格推理を楽しむというよりは
主人公である“ほどほどに仕事が来る作家”とその妻の
東京郊外での、のんびりした日常の描写の穏やかさを楽しむといった小説である。
八王子の田舎での暮らしなので、庭にオリーブの木があり、そこにミミズクが来る。
主人公の妻は時々、そのミミズクにサツマイモの残りやイリコを振舞ったりする。
彼女の、尖ったところのない、おっとりした物言いがここちよいし
ところどころに出てくる、主人公夫妻の故郷である讃岐の美味の
いかにも旨そうな描写も、郷愁をそそる。

『家守綺譚』にしろ『ミミズクとオリーブ』にしろ
こういうしっとりした描写の本は、ぜひとも紙の本で、
その手ざわりや活字のひとつひとつを楽しみつつ、ゆっくりと読みたいものだが、
さて紙の本を買いに日本へ行けることが、あるかどうか。

チベットスナギツネの砂岡さん

  • 2018/08/17 10:46
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一昨日の夜、突然ピンタレスト画面に現れ、私の心を奪った
チベットスナギツネの砂岡さん

寡黙で、眉間に皺を寄せたにこりともしない表情が一見恐そうだけど
実は限りなく心優しく、部下を気遣い、隣人を気遣い、上司のセクハラに対抗し、
そして、そして、一人娘の砂奈子ちゃんを、何物にも代え難い宝物のように大切にしている。

キューライスさんの4コマ漫画。
砂岡さんの優しさと、砂奈子ちゃんのやんちゃな可愛さを、ご堪能ください。

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キューライスさんのサイト 

『Petit éloge de l’errance』

  • 2018/08/08 01:31
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今、音読している水林章さんの 『Petit éloge de l’errance』 。梨の木さんが3年ほど前に紹介され、面白そうだったのでその年のクリスマスに買ってもらったのだが、当時は文章が難しすぎて、まったく読めなかった。で、そのまま放っておいた。が、先日、叔母さんの1人が貸してくれたので、読まないわけにはいかなかった本を、1年近くかかってやっとこさ読了したので、「今なら読めるか?」と手に取ってみたら、何とかなりそうだったので、読み始めた。

ここ数年、私は世間に対する関心がますます薄れ、さまざまな国の様々な指導者たちがどのような発言をしようと、あるいは行動を取ろうと、テロや天災、未曽有の大事故が起ころうと、「ああ、そう・・・」という感想しか出て来なくなっている。感情が鈍磨したのか、倫理観がなくなったのか、見知らぬ他人がプレイしているテニスの試合をTVで眺めるように、世間のありさまを眺めている。本当は、私は観客とは言っても画面のこちら側ではなく、当の試合会場にいる観客、まかり間違えば打たれた球が飛んできて、頭にすこん!と当たる可能性がある観客で、世間の出来事は他人事ではなく、自分事(?)であるはずなのだけれど。

『Petit éloge de l’errance』の中でも何度か言及されている加藤周一はかつて、「特定の状況に対して怒ることのできる能力は、人間の能力の中でも大切なものの一つであろう」と書いた。私が最後に怒ったのは、一体いつだったろう。何が起こっても「ああ、またか」と、無責任な諦観で応じてしまうのは、怠惰以外のなにものでもない。そしてその怠惰の源には、水林氏の書く“異を唱えることを非とする日本社会”、“長いものには巻かれろ”の体制順応主義がある。美しい国・日本の伝統に、私も骨の髄まで染まっているのである。

その染まっていることを認識するために、かの国の美しさは、何度でも、何度でも指摘してもらった方がよい。水林氏の同書はフランス語なので、私には細部を全部すっ飛ばかし、大意を掴むといった程度の読み方しかできないが、その程度の読み方でも、思うところは多々ある。
3.11から7年経ち、ニュースサイトの見出しに「福島」の文字を見ることはほとんどなくなったが、「福島」は終わったわけではない。今も放射能は漏れ続け、被害は広がり続けている。しかしそういう報道はされない。政府の方針と相反し、福島の“復興”を妨げる情報の報道は、歓迎されないからである。が、報道されなければ、話題にならなければ、人は忘れる。すべて順調にいっているかのように、そのことには目を向けず、日常生活を送る。

憲法改正についても、安倍首相は昨年末、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と発言し、改憲に向かって粛々と前進するお気持ちのようだが、日本国民は本当にそんなことを望んでいるのか? 大多数は私同様、ただ怠惰なだけではないのか。異を唱え、人と違った行動を取るのは、エネルギーのいることだから。しかし怠惰がどういう結果を生むかは、過去を見れば明らかである。それを思い出すためにも“長いものに巻かれる”危うさは、何度でも指摘してもらった方がよい。

ところで、同書はそういう“思うところ多々”の他にも、楽しい記述があった。ひとつは冒頭のクロサワ映画の話である。有名過ぎて、黒沢明氏の映画や三船敏郎氏には関心がなかったのだが、水林氏が『用心棒』と『椿三十郎』に言及されているので、どんなものかと思って見てみた。そして「へえ」と思った。三船敏郎演ずる主人公の軽妙ないい加減ぶりが、なかなかに面白かったのである。『椿三十郎』の方は、家老の奥方の、とろいまでにおっとりした人柄というか、悟りを極めた禅僧かと一瞬錯覚するような天然ぼけの妙味も印象に残った。

その他、音楽における“声”と、ひとの意見としての“声”を対照するところも面白かった。残念ながら私は音楽に詳しくないので、水林氏が語るフィガロやコジ、ベートーヴェンの弦楽四重奏の美しさを自らの体験として「ああ、その通り」と納得して同意することはできないのだが、想像することは(かろうじて)できる。


『Petit éloge de l’errance』は、あと少しで読み終わる。次は、『Une langue venue d’ailleurs』を読みたいと思う。

やっと読了

  • 2017/11/07 21:54
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先月末、例の「Le cas Sneijder」を読み終わった。
読み始めたのが5月末だから、たかだか200ページちょっとの本にまるまる5か月かかったわけで、カメよりのろい、ナマケモノ並みの漫歩さ加減だが、あまたの新出単語をひとつひとつ調べつつ音読しているのだから仕方がない。

それでもこの本は、最後まで実に実に楽しかった。
作者である Jean-Paul Dubois 氏のシニカルに冷めたものの見方と、その裏に微かに漂う皮肉っぽいユーモア。嫌味なほどの(しかし私にはこの上ない御馳走で、興奮の軽電流が背筋を流れるような)ペダンチズム。魅力的な人物を淡彩画のようにさらりと描き出す筆力。(主人公のPaulも悪くはないが、常に物静かで、しかしすべてを見通す眼差しを持つ博識の弁護士 Wagner-Leblond や Paulの娘Marieの生き生きと弾む精神はさらに魅力的だ)
活字中毒者として、今までそれこそ数えきれないほどの小説を読んできたが、ここまで私の好みのツボにぴたりはまる文章を書いてくれる人は珍しい。

ただし勉強中のフランス語で読んだので、読み取れていない部分が多々あることは間違いないし、誤読した部分もそこかしこにあると思う。それでも、たとえ手探り状態の言語であっても、その内容や文章のスタイルが好みか好みでないかは、自ずとわかる。母語でない言語で読む場合、作者によって選ばれ、使われた言葉のひとつ、ひとつ、その語が持つイメージ、その語から一瞬にして想起されるあらゆる、ほとんど無限の連想、あるいはまた発音された時の音、その響き、そしていっそ手ざわりといっていいような、その語に接したときの感触、そうした、一つの言葉が内包する情報の一切を瞬間的に脳裏に浮かべて、それを舐めるが如くに味わうような読み方はまずできないが、(読んでいる言語が外国語で、新出単語の連続では、“語の持つイメージ”などありようがないし、当然、連想もない。音? 知らんがな・・・)
が、それでも、たとえ盲人が象を撫でるような読み方でも、その撫でている象が大きいか小さいか、触っている皮膚が硬いか柔らかいかくらいはわかるし、死んでいるか生きているかも、(たぶん)わかる。

で、つまり今回わたしが撫でた象は、その触った手の向こう、皮膚の後ろに暖かい血肉、しっかりした骨組みや筋肉の弾力が感じられる象で、しかもその手ざわりは、象とは思えないほど滑らかで心地よく、私の手をうっとりとさせたのだ。

と、ここまで惚れ込むと、これはもう次も引き続き彼の作品を読みたいところだが、幸か不幸か、先ごろ叔母さんの一人が「とっても面白かったから、ぜひ読んでみて」と、300ページもある分厚い小説を貸してくれたので、まずはそちらを読まねばならない。この小説「L’amant japonais」というタイトルで、作者はIsabel Allende。もとはスペイン語だが、叔母さんが貸してくれたのは、もちろん仏訳版である。

せっかくの叔母さんの好意を無にするわけにはいかないので、Dubois氏を読み終わった翌日から勤勉に読み進めてはいるが、とりあえず30ページ、第2章まで読んでの感想は「うーん、味が薄い」
オハナシの展開はそれなりに面白そうではあるが、陰影に富み、皮肉の利いたJean-Paul Dubois氏の文章を読んだ後では、Allende氏の文章はあっけらかんと平明過ぎるというか、クリシェというか、なんだかハーレクイン・ロマンスを読んでいるようで、古い居酒屋であん肝か何かで一杯やっていたのが、急に白い蛍光灯も眩しいファミレスに連れて来られてペスカトーレの大皿をどんとあてがわれた気分。

まずくはないし、たぶん海鮮たっぷりのペスカトーレの方が、あん肝より栄養もありそうで、健康によさそうだが、舌の喜びという点では・・・、やはりあん肝に一票か。

図書館

  • 2017/07/02 10:29
  • Category:
ところで、私は最近、図書館に行くことを覚えた。
日本にいた頃は、学生時代も社会人になってからも、
それこそ毎日のように通い
(大学時代は学校からちょっと坂を下るとそこが図書館だったし、
就職してからも職場から図書館は大変近く、昼休みにひょいと行けた)
本屋同様、そこにいるだけで幸せだった図書館だが
外地に出てからは、図書館に行ったところで日本語の本があるわけではなし、
外国語の本では何しろ読むのに時間がかかるし、
語の意味など書き込みをしたりもするし、
そうなれば読みたい本は買って読むしかないので
香港では歩いて5分のところに図書館はあって、しょっちゅう前を通りはしたが
結局一度も中には入らず、ケベックに来てからも、うちから車で7~8分、
自転車で15分、歩くと45分(!)のところに図書館があるのは知っていたが、
過去5年間、一度も足を踏み入れたことはなかった。

が、今年になって、お散歩マダムの一人から
何、まだ図書館に行ったことがない? あそこには本だけでなく
雑誌やCD、DVDもあるし、絵画展などしょっちゅう何かのイベントもしている。
本を読むのは大変でも、雑誌なら見て楽しめるだろう。
ぜひ行け。免許証か保険カードがあれば、カードを作るのは簡単だ。
そうだ、月1くらいで映画の上映会もある。場所は・・・等々と熱心に勧められ、
そこまで言われては、義理と礼儀上、とりあえず1回くらいは行かずばなるまい。
行かずばなるまいがしかし、私に読める本、10日なり、2週間なりの貸出期間中に
読み上げて返せる本なんか、ありますかいな?
いくら簡単でも、子ども用の童話なんか読みたくないぞ、と
行かずばなるまいとは思いつつも二の足を踏んでいたのだが
ある日ふと思った。
そうだ、図書館には手芸本があるに違いない! 

私は最近ハーダンガー刺繍を始め、
特にそれにクロスステッチを組み合わせるのが面白くて、あれこれ試しているのだが、
いかんせん、なかなかよい参考書がない。
もちろんネット上にはうっとりするような作品の写真がたくさんあり、
刺してみたいと思うものもたくさんあるのだが、
たいていの場合チャートまでは載っていないので
ハーダンガー部分はともかく、クロスステッチ部分の色の識別に悩む。
片目で見ているので、似たような色が隣り合っていると
疲れるに従い、いくら拡大しても区別がつかなくなるのである。

が、本なら(ふつうは)チャートが載っている。色番号も載っている。
悩まなくて済む。
それに、小説ではフランス語がわからなくては話にならないが、
刺繍の本なら刺し方なんか全世界共通、
写真とチャートさえあれば、説明部分がわからなくてもぜーんぜん困らない!


で、ある天気のよい土曜日、自転車に乗って、いそいそ出かけた。
そして手芸本コーナーで、しばらく前から買おうかどうしようか迷っていた
クルーエル刺繍の本のフランス語版を見つけ、
ついでにハーダンガーの本も複数見つけて、
ほくほくしながら、そのうちの2冊を借りてきた。
係の人の説明によると、1人10冊まで借りられ、貸出期間は約1か月だそうだが
まさか一度にそんなにたくさんは要らない。

ついでに、その時はちょうど水彩画の展示をしており
それを描いたアーティストも会場に詰めていて、
長閑な土曜の昼下がりのこととて、絵の番をしながら編み物をしていらしたので
他に鑑賞者がいないのを幸い、彼女と1時間以上も絵や手芸の話をした。
当地には珍しく英語を話す人だったのである。
(フランス語だったら、「すばらしい作品ですね」「それはどうも」と
会話は20秒で終わり)

彼女とはその次に行った時も会ったが、
その時は他に熱心な鑑賞者がいたので、邪魔せず帰ってきた。

当町の図書館は、ざっと見たところ蔵書数はさほどではないが、
ソファが置かれた閲覧コーナーや、子供たち用のコーナー、
喫茶室などもあって、ゆったりと明るく、感じがいい。

以来、味をしめて10日に一遍くらい、自転車で出かけている。
この前は手芸本の他に『Maisons du Maroc』というモロッコの家、
庶民の家ではなく、ホテルや建築家の家など豪壮な邸宅ばかりを写した
写真集を借りてきた。
鮮やかな色彩と精緻な幾何学模様の連続、
圧倒されるほどの量の装飾がちりばめられた部屋部屋に目がくらみそうで、
よほど強靭な神経でなければ、こんな家には住んでおられまいと思ったが
旅先での一夜なら、あるいは数ある部屋の中のひとつだけなら
こんな装飾も面白いかもしれない。
なんだかちょっと、モロッコに行ってみたくなってきた。


装飾模様を見ていると目が回りそう

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この光と色の氾濫の中で、くつろぐ?

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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