FC2ブログ

本が来た

  • 2019/09/14 22:24
  • Category:
「本が来ない」と書いた翌日だったろうか、その心待ちにしていた本が届いた。
その日は午後、授業がある日だったので、その場で開けて読み始めるというわけにはいかなかったが、授業が終わった後、「いやあ、やっと来たねえ」と顔をほころばせながら丁寧に包みを開け、さっそく中の1冊、「f 植物園の巣穴」を読み始めた。

大仰なところのない静かな語り口と、ちょっと古めかしい言葉遣いがしっとりと気持ちよく、いったいいつの時代の話なのか、今読んだところまででは判然としないが、どう考えても平成やまして令和の話とは思えず、大正か昭和初期、人々がまだふつうに着物を着て生活し、家に障子や火鉢があり、雨が降るとぬかるむ道があった時代を幻燈で見せてもらっているような、不思議な心持ちがする。

こういう本は是非とも、装丁のよい単行本で紙の手触りを指に感じながら少しずつ少しずつ読んでいきたいものだが、重さの関係で私が購入したのは文庫版。紙の感触を楽しむという優雅もできかねるので、せめてものことに緑の枝の写真を配したカバーをかけた。和紙の手触りには遠く及ばないが、このあたりには洋紙しかないのだから仕方がない。

それにしても今期は授業が1コマ増えて3コマ、時々4コマになりそうで、はたしてお楽しみのための読書などしている暇があるのかどうか。しかし日本語を維持するためには、質のいい日本語を読み続けることは必須で、資料としての読書だけでなく、お楽しみのための読書も必要なのだ。ああ思うままに読み続けられる視力と時間が欲しい。

suana2.png


スポンサーサイト



本の話 2

  • 2019/08/12 10:34
  • Category:
『花の命はノー・フューチャー』を買って以来、
ブレイディみかこさんの新刊が出ると、本屋から通知が来るようになった。

で先日(と言っても2か月ほど前になるが)、
『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』が出た時も通知が来た。
そしてついでに「立ち読みどうぞ」の案内も来た。

電子書籍の立ち読みは本屋での立ち読みと違い、
ぱらぱらっと全体を流し読み、とか
好きなところを好きなだけつまみ食い読み、とかできるわけではなくて
版元が「ここね」決めた部分を読めるだけなのだが
それでも今回、新潮社さんは結構気前がよくて
1章の「元底辺中学校への道」と、5章の「誰かの靴を履いてみること」、
6章の「プールサイドのあちら側とこちら側」、総計50ページ超を
まるまる読ませてくれた。

で、これが面白かった。
「面白かった」なんて、超安易な、これ以上簡便にしようもない
3歳児でも知ってるような形容詞1個で済ませては、著者に申し訳ないのだが
実際のところ「面白かった」んだから、仕方がない。

『花の命は・・・』や、今読みかけの『労働者階級の反乱』もそうだが
彼女の目線は常に、彼女言うところの“地べた”にある。
それが小説に書かれた英国、大部分は中・上流階級から見た英国ばかり読んできた私には
目からウロコ的に新鮮なのだ。
(だいたい、中・高校生の頃、死ぬほど読んだA・クリスティにしてから
主人公の家庭はほとんど全部、メイドを使う側、つまり中産階級↑なのだ。
貴族探偵のピーター卿なんて、なおさら。P・D・ジェイムスだって“労働者階級”とは
いえないし。あ、例がミステリばかりですみません)

まあフィクションである小説と、彼女が書いているようなノンフィクションを
比べてはいけないのだろうが
どんなジャンルだろうと、“発見”がある本は面白い。

新刊の『ぼくはイエローで、ホワイトで・・・』、ポチりたいのだが
電子書籍だと、単行本でも文庫本でも読みやすさに差が出ないのに
(紙の本なら活字の大きさとか、紙質とか、装丁とか、いろいろ違う)
値段には差があって悲しいなあ。


bokuwa.png

本の話 1

  • 2019/08/07 02:02
  • Category:
例の狼男小路に住む叔母さんの家に遊びに行った。
叔母さんは今年、村上春樹にはまっているそうで、
「ほら、これなの」と、『ねじまき鳥クロニクル』と『1Q84』を見せてくれた。

叔母さんによると、最初に読んだのは『海辺のカフカ』で
それがとても面白かったので次から次へと読み広げ、
今は娘さんと二人、貸したり借りたりしながら、彼の本を楽しんでいるらしい。

叔母さんがあんまり楽しそうに村上春樹の話をするので、ちょっと懐かしくなり
しかしまさか、原文日本語の小説を仏訳で読もうとは思わないので
(そんな回りくどいことをして何になる?)
ならばと電子書籍を探してみたが、キンドルでも他の書店でも
彼の最近の作品は、どれもまだ電子化されていない。

私が最後に読んだ村上春樹はたぶん『ダンス、ダンス、ダンス』だが
電子書籍化されているのは、ちょうどそのくらいまで。
それ以降は紙のみ。
つまり、叔母さんが気に入った『海辺のカフカ』も『ねじまき鳥』も『1Q84』も
読みたければ、紙の本を日本に注文するしかない。
安くもない送料を払って。

30年前、私は村上春樹を嫌いではなかったが
ものすごく好き、というわけでもなかった。
今読めばまた感想は違うかもしれないが
それを確認するためだけに紙の本を注文する気はないので、
また何か強烈な動機が起こったらその時に、ということで今回は見送り。

negimaki.jpg

『Une langue venue d‛ailleurs』

  • 2019/07/21 11:01
  • Category:
夏休みに入ってから、音読を再開した。
去年、読み始めたものの、日本語の授業の方が忙しくなって余裕がなくなり、
放りっぱなしにしていた水林章さんの『Une langue venue d‛ailleurs』である。

相変わらず、単語の意味を全部調べても文章の意味は今ひとつよくわからない
という箇所がそこここにあるし、
わかったと思っている箇所も、実は読み間違えている可能性大で、
とどのつまりは誤読の積み重ね、読めたような気になっているだけで
ほんとは全然読めていないのかもしれないが
それでも静かで思索的な文章は、読んでいて気持ちがいい。
手間暇かけて、母語ではない言語で書かれた本を読むのである。
どうせなら読む甲斐のある、読んで気持ちがいい本を読みたいではないか。

それにしても、氏の御父上に関するエピソードのところでは
なんというか、これの前に読んだ本(『Petit éloge de l'errance』)でも感じたことだが
あの時代に、人間の理性と精神の自由を心から愛し、軍国主義を憎むことができた
御父上の人となりには心打たれる。
いかにも「この父にしてこの子」である。

また高校の物理教師だった当時、「1時間の授業には4時間の準備が要る」とおっしゃり
(私自身、日本語の授業にはそのくらいの準備時間が要るが、それは私が未熟なためで
知識と経験に富んだプロの教師が4時間かけるのは並みのことではない)
4歳の息子さん(章氏の兄上)を音楽に触れさせようと、
昭和30年代当時はまだ非常に珍しく、かつ高価であったピアノを買い入れ、
(搬入の日には、隣近所が総出で見物に来た)
あるいは、ヴァイオリンの才能ありと認められた同息子さんを
毎月2回、東京へレッスンに通わせ、それに自身が付き添う。
豊かとはいえない家計をやり繰りして通わせるのであるから
山形から東京までは夜汽車の三等席である。
床にゴミが散らばり、人いきれでむっとするような列車の中で
10歳にもならない息子さんは窓に頭をもたせかけて朝まで眠る。
隣の御父上は果たして眠っていたのかどうか。
そして東京に近づくと、御父上はそっと息子さんを起こし
トイレに連れて行き、水を飲むかと聞き、
それから先生の前でのレッスンに備え、指慣らしをさせ、曲を練習させる。
朝まだきの列車の中に、ヘンデルのソナタがやわらかく響く。

レッスンに付き添うだけでなく、合間には息子さんの代わりに理解しようと、
カール・フレッシュの『ヴァイオリン演奏の技法』を読み解くべく努力する。
丁寧にカバーがかけられ、御父上の手でそこここに下線が引かれ、
書き込みが施された本を、水林氏はずっと後になって偶然、発見する。

またフランス語に夢中になった高校生の水林氏が、
ラジオ講座を録音するために録音機が欲しいと言えば
昭和30年代のアップライト・ピアノほどではないにせよ
一般家庭にとっては高価であり希少であったテープレコーダーを
取り寄せてくれる。

モノの問題ではない。
水林氏も書いておられるが、この場合のピアノやテープレコーダーは、
モノというより意思の象徴、御父上の子供の教育のためにはできるだけのことを
(文字通り、できうる限りのことをとことんまで)してやりたいという意思の象徴である。

「勉強しろ」と子どもの尻をひっぱたくだけなら、誰でもできる。
モノを買い与えるだけなら、(金さえあれば)誰にでもできる。
しかし、子どもに何が必要なのか、何を与えればその子の中にあるものを
花開かせてやることができるのか、常に考え、試行錯誤し、
時間を惜しまず子どもと向き合える親は、そうそういるものではない。
感服という他はない。 

『西遊記』

  • 2019/04/20 09:08
  • Category:
最近、TO DO List が満杯気味で、常に「やらなければならないこと」に追いかけられている感じ。今日はそれでも4つ片付けたが、あといくつ残っているのだろう? やや、恐怖。

******************************************

ところで、ここ何日か編み物のお供に『西遊記』(宇野浩二さん訳)を聞いているのだが、うーん、これはやはり聞くより読んだ方がいいかも。なぜかというと、耳から聞いただけでは登場人物の名や、場所の名、数々出てくる面白そうな武器の名が、ぜーんぜんピンと来ないのだ。

たとえば初っ端、孫悟空は「とうしょうしんしゅう、ごうらいこく」にある「かかざん」という山で石の卵から生まれ、周りの猿仲間や他の動物たちとわいわい遊び暮らしていたのだが、あるとき滝壺に飛び込んでその底で「かかざんふくちすいれんどうどうてん」を発見、「かかざん」あたりの猿たちの王となって「びこうおう」と名乗った、というのだけれど、「とうしょうしんしゅう」にしても「ごうらいこく」にしても、音をきいただけでは、いったいどんなところなのか、さっぱりわからない。「すいれんどう」も同様。「びこうおう」という名に至っては、最後の「おう」は「王」だろうとわかるが、「びこう」とは、はて何のことか。まさか「備考」ではあるまいし、「微光」とか「微香」も違う気がするし、ではもしかして「尾高」? 孫悟空、サルだからな、とか編みぐるみを編みながら、愚にもつかない推測をしてしまったが、音だけ聞いているからこういうことになるので、活字を目の当たりに“読んで”いるのなら、こんなお馬鹿な想念は浮かびようがないのである。

もっとも、こんなことをぶつぶつ言っているのは、私が子どもの頃『孫悟空ものがたり』という絵本を読んだきりで、その後ちゃんとした『西遊記』は一度も読んでいないからで、読んでいる人なら「とうしょうしんしゅう」という音を聞いて「東勝神州」が浮かぶだろうし、「ごうらいこく」が「傲来国」であることも知っているだろう。そして私が「水練堂?、水泳の練習をするところかね?」と思った「すいれんどう」が実は「水簾洞」で、水簾(みずすだれ)の奥の洞であることも、知っているだろう。表音文字であると同時に表意文字でもある漢字を見ながら読んでいるのなら、意味は自ずと知れるのだから。

知らない言葉の意味を、音だけで正確に推測することはほぼ不可能である。上に挙げた「すいれんどう」 にしたところで、「すいれん」という音しか手掛かりがなければ、私のように「水練」と思う人もいるだろうし、「睡蓮」と水辺に咲く美しい花を連想する人もいるだろう。漢字を見なければ、それが「水簾」であろうとは、知りようがない。

孫悟空が乗って飛ぶ雲、「きんとうん」や、頭の輪っか「きんこじ」にしても、同じだ。私は「きんとうん」を「きんとんうん」と聞き違えて、不覚にも栗きんとんを連想してしまったし、「きんこじ」の「きん」は「金」かと思って、「金居士?」と出来損ないの戒名みたいな三文字を頭に浮かべてしまった。そんなへんちくりんな名であるはずはないのに。

そんなこんなで、どう頑張っても音だけでは西遊記のイメージがおかしくなるばかりなので、途中でウィキに当たって漢字を確認した。(宇野浩二さん訳の西遊記のテキストを探したのだが、見つからなかった。もう著作権は切れていると思うのだが、青空文庫にもなかった)
案の定、「きんとうん」は「觔斗雲」、「きんこじ」は「緊箍児」であった。「觔」は「筋」の異体字、「觔斗」を中日で引くと「もんどり打つ、とんぼ返り」とあった。悟空が乗る雲がこの名なのは、悟空がとんぼを切って雲に乗ったからだそうである。(なーにが、栗きんとんだよ、私のあほー!)

そして「きんこじ」は漢字を見れば一目瞭然。「きつく締め付けるタガ」。最後の「児」はr化の接尾語だろう。日本語で考えると「児」から「児童」を連想してしまうが、中国語で考えれば「あ、そっか」である。私自身は南で中国語を習ったので、r化には余り馴染みがないけれど。

というわけで、漢字てんこ盛りの西遊記を耳からだけで楽しむのは難しい。これはやはり、目で読むべき本である。目で見て、一つ一つの漢字を楽しみ、漢字で遊ぶべき本である。本当なら原文を読んで、音と字と両方で楽しめれば最高なのだろうけれど、ちらと見た感じでは、とてもではないが歯が立ちそうもないので、あっさり諦め、どなたかが訳してくださったのか、あるいは翻案してくださったので、するすると読み進めたいところだ。中野美代子さんのがいいかなあ、とは思うが、今チェックしたら、全五巻。電子でも5000円超。うーん。

白ご飯の中の砂利

  • 2019/03/28 04:17
  • Category:
前回の「蘇える金狼」もそうだが、私は編み物のBGMによく朗読を聞く。
俳優さんや声優さんなどプロの方の朗読の時もあるし、
趣味として朗読をなさっている素人の方の朗読の時もある。

プロの方はもちろん声の調子、間の置き方など実にお上手で
安心して聞いていられるが、無料で提供されている動画サイトなどでは
素人の方の投稿の方が圧倒的に多いので、
自然、割合でみれば素人の方の朗読を聞く方が多いかもしれない。
素人でも玄人はだしに上手い方はけっこうおられるし、
または最初は声や読み方など、その方独特のクセが耳ざわりに感じられても
聞いているうちに慣れて、それが気にならなくなる時もあるので
内容に全く興味が持てない場合以外は、しばらくそのまま聞き続けてみる。
なにしろ無料で聞かせていただいているのだから、
あれこれ文句をつけられた義理ではない。

ただひとつ、これだけはちょっと・・・と思うのは
漢字の読み間違いとアクセントの混在だ。
時代小説によく出てくる「行燈」を「あんどう」と読まれたり、
「手を束ねる」を「手をたばねる」と読まれたりすると
それまでいい気持ちで聞いていたのが
突然頭から冷水をぶっかけられたように
一気に現実に引き戻されて「とほほ・・・」という気分になる。
私だってさんざんいろいろな読み間違いをしてきたのだから
人のことは言えんだろ、とは思いつつも、やっぱりかなり興ざめで
続けて聞く気が失せてしまう。

アクセントの方は、これは関東地方以外の出身者の方は
後から学習しなければならないのだから不利だというのはわかっているのだが
それでも「むしろ(寧ろ)/高低低」を「低高高」アクセントで読まれると
「あっあー、それでは筵になってしまうー」と、編んでいる手が途中で止まってしまう。

別に関東地方以外のアクセントは嫌だ、と言っているのではない。
上方のアクセントはむしろ好きだし(米朝さん、文珍さん
先日聞いた讃岐のアクセント(というか話し方)も、なかなかよかった。
しかし、いくらそれらのアクセントが好きでも、
あるアクセントの中に、他のアクセントが混在しているのは困るのだ。
ほっこり炊けた白ご飯の中に砂利が入っているようなもので
歯に当たったとたん(=耳に入ったとたん)、ジャリっと来るのである。
これではおいしく聞き続けることはできない。
申し訳ないとは思いつつも、「それは高低低、高低低!」と
画面に向かってぶつぶつ呟いてしまうのである。

「蘇える金狼」

  • 2019/03/26 21:50
  • Category:
しばらく前の話だが、編み物のお供に大藪春彦さんの『蘇える金狼』を聞いていた。大藪春彦さんであるから当然ハードボイルドで、主人公朝倉哲也は、目的達成のためには恐喝も盗みも殺人も厭わず、恋人も婚約者も単なる駒のひとつ、利用し尽くし邪魔になれば、何の未練もなく殺して/捨てて顧みない人物として描かれている。

79年の松田優作さん主演による映画の方でご存知の方もいらっしゃるかと思うが、原作が発表されたのは62~64年で、だから舞台はその頃の東京だ。64年の東京オリンピック前の、まだ十分貧しかったころの東京。それがそのまま小説の中の背景、情景として出てくる。朝倉が住んでいる一間きりの安アパート、上り下りにカンカン足音が響くような外階段がついた安アパートや、同僚と行く呑み屋で食うホルモン料理、オリンピックに向けて突貫工事で整備が進む都内の道路網の様子など、その時代にその場で書いていたのだから当たり前だが、実にリアルに描写されていて、私にはそういう細かい部分が、物語の本筋以上に面白かった。

まだ各戸に1台はなかった電話、もうなくなってしまったブルーバード、トライアンフといった車、わざわざ“自動”エレベーターと書かれるエレベーター。ある程度金を掴んでから、“仕事”の合間に朝倉が獣のような目をして食うフランクフルトや分厚いステーキ、それらを流し込むウォトカ、高級テーラーで仕立てさせる1着数万円のスーツ。どれもみな、あの時代の、まだ戦後を引きずっていた時代の人々が憧れた“高級”のにおいがする。夜間大学卒、29歳の朝倉の月給は3万円で、そういう時代に朝倉は、重役たちの弱みに付け込み、ヤクザや政治家と渡り合って、数千万という金を手に入れていく。今だったら数億以上に相当するだろう金額で、朝倉はそれを持って日本を脱出するのだ。そう、最後、京子に刺されることになる映画と違い、原作では朝倉は無事目的を達成する。

なぜ映画版では朝倉を殺したのか私にはわからないが(何人もの人間を騙し、盗み、殺した人間がまんまと逃げおおせ、国外で安楽な生活を享受したのでは倫理にもとる?)、冷酷非道とはいえ、自身を律するストイックさ、綿密な計画と周到な準備、その上で一か八かの勝負に打って出る大胆さ等々、誰かにやらせるのではなく、すべて自分自身の頭と肉体で欲しいものを得ていく朝倉のような人間には、私は成功というご褒美を贈ってやりたい。自分の(元)女におめおめと刺され、混乱したまま死んでいくなんて最期は、まったく相応しくないと思うのだが、どうだろう。


kinro2.jpg

リーダーほしい

  • 2019/03/22 21:42
  • Category:
オトモダチの圧倒的な読書量に文字通り圧倒されて
「よし、ここはひとつ、ワシも頑張らねば」と奮起はしたものの
視力と資力に少なからぬ障害を持つ身ゆえ、
とりあえず読めそうな電子書籍を2冊だけ購入。
日語と仏語の参考資料以外の本を買うのは久しぶりなり。

で、そうして、ちょびちょびとでも毎日電子書籍を読むようになってみると
欲しくなってくるのが、どこにでも持ち歩ける電子書籍リーダー。
机に向かって読むだけならPCでいいのだが、
私はソファの上とか、ベッドの上とか、トイレとか、出先とかでも読みたい。
また、ウチでは朝食と昼食はふつう、それぞれ本を読みながら食べるので、
そういう時もPCでは大きすぎて、ちょっと具合がわるい。

だから邪魔にならない大きさの電子書籍リーダーが欲しいのだが
専用端末は高すぎて買えないし、そうなると残る選択肢はタブレット。
日本語を読む都合があるので、
日本の「電子書籍リーダー比較」なんてサイトを見ながら、
あれがいいか、これがいいか、スペックを比べている。
今のところの第一候補はアマゾンの「Fire HD 8」なのだが
実際の使い勝手はどうなのかなあ。
どなたか使っていらっしゃる方の感想をお聞きしたいものだ。

『ミレニアム』シリーズとナンプレ

  • 2018/10/17 20:48
  • Category:
ここしばらく、雪だるまにしては珍しく、小説を読んでいた。
映画にもなったスウェーデンの作家スティーグ・ラーソンの
「ミレニアム」シリーズである。
アイスランド旅行中の最後の2、3日、私も雪だるまも
持っていった本は読み終わってしまって読むものがなくなり
泊った先がホステルなら、そこの書棚にある本を読んだりしていたのだが
最後のホステルで、雪だるまがたまたま手に取った本が「ミレニアム」の2で
読み始めてみたら結構面白かったらしく、彼はそのままその本を借りてきた。

ホステルの書棚の本は原則、そこに泊まった人たちが要らなくなった本を置いていき
また逆に、読みたい本があれば自由に持っていっていい、というものだから
雪だるまが持ち帰ってきたこと自体は、別に問題ないと思うのだが
ふだん科学か政治か反宗教関係のノンフィクションしか読まない雪だるまが
小説、しかも推理小説なんかを読んでいるのを見るのは、
これまたなかなか面白く、私はにやにやしながらその様子を眺めていた。

実はこの「ミレニアム」シリーズ、数年前に叔母の1人が読んで夢中になり
会う人ごとにその話をしていたという曰く付きの小説で
私達も映画(スウェーデン版とその後のハリウッド版)は見たのだが
小説は読んでいなかった。

原作はスウェーデン語なので、雪だるまが読んでいたのはその英語翻訳版だが
雪だるまによれば、その前のホステルで他に選択肢がなくて読んだ
米のC・H・クラークの某書に比べれば「翻訳だが、文章、構成ともこちらの方が数段まし」
とのことで、雪だるまはその後、古本でシリーズの1と3も買い、
むさぼるように読んでいた。
そして私に「興味があるならクリスマスにフランス語版を買ってあげるよ」と言ったが
私は「結構です。その手の本を読むなら面倒くさいフランス語ではなく、英語か日本語にします」
と言って断った。いくら面白くても、3センチはありそうな分厚い本3冊を
フランス語で読むなど、まっぴらである。
手でも傷めて編み物等ができなくなり、目しか使えない状態になったら
1年くらいかけて読んでもいいが、日本語講座の教案準備とか
依頼されている編みぐるみ(ロバ1頭、犬数匹)とか、今は他にすることがいーっぱいある。
内容が面白いので楽しく読み進めていた水林さんの本ですら
アイスランド旅行と日本語講座のせいで、中断したままなのだ。
フランス語で新たに大部の推理小説など読んでいる余裕はない。

ところで雪だるまはアイスランドのせいで「ミレニアム」にはまったが、
私はナンプレ(数独)に、はまってしまった。
帰りの飛行機の中、読む本がないので機内誌を2回読み
それでも暇を持て余して、やむなく機内誌に載っていたナンプレをやってみたのだが
初めてだったので、これが一向できない。
で、帰って来てから「ナンプレのコツ」なんてのを読み、また挑戦。
以来、朝な夕なにしこしことネットのナンプレで遊んでいる。
ナンプレなんてただのパズルで、数学とは何の関係もなく
毎日やったからといって老化防止に役立つとも思えないのだが
はまってしまうとなかなか抜けられないのが人の性。
画面をじーっと見つめるので目に悪いし、時間の無駄だし
いい加減にしなくてはと思いつつ、今朝もまたひとつやってしまった。
あーあ。

『家守綺譚』『ミミズクとオリーブ』

  • 2018/10/10 00:41
  • Category:
近所に日本語の本を売っている本屋などないので
日本語を読むとしたら、手持ちの本ばかり。
日本を離れて二十数年、
どんな本が話題なのか、どんな新しい作家が出てきているのか
もう、とんとわからなくなった。

それでも、YouTubeにアップされる朗読は、まめにチェックしている。
編み物や手仕事のお供に欠かせないからだが
それで最近2人ばかり、割合気に入った作家さんを見つけた。

1人は芦原すなおさん、もう一人は梨木香歩さんだ。
私にとって新しいというだけで、お二方ともすでに20年以上、
堅実に作品を発表されているベテランの作家さんだが、
どういうわけだか今までは、私のアンテナに引っかかってこなかった。

梨木さんの方は『西の魔女が死んだ』くらいは知っていたが
これはまあ児童書だから自分で読もうとは思わなかったし
そもそもは「梨木香歩」というお名前が、私には何やら甘い少女趣味に響いて
作風もそんなかと、早合点の食わず嫌いをしていたのである。

芦原さんに至っては、失礼ながらお名前さえ聞いたことがなかった。
私が日本にいた頃から活躍されているというのに
文藝賞や直木賞も受賞されているというのに
記憶の隅にすらお名前がなかったのは、不思議といえば不思議。
90年代初めの私は、いったい本屋で何を見ていたのか。

それはともかく、梨木さんの方は『家守綺譚』を聞いた。
聞き始めてすぐ、甘ったるさとは無縁の、割合に古めかしい言葉遣いと文体に
「あら」と思い、お名前の印象から早合点して申し訳なかったと思った。
時代はたぶん明治の終わりころ、京都に蹴上発電所ができた頃の話のようである。
植物に詳しい方らしく、短編仕立ての各章は、それぞれ「烏瓜」「都忘れ」など
草木の名が冠され、それにまつわる話となっている。
庭の百日紅が主人公に懸想したり、
若くして亡くなった主人公の友人が、掛け軸の中からボートを漕いで現れたり
なかなかに不思議なことも起こるが、
全体としては不思議なことを不思議としない、淡々とした描写で
聞いているこちらも、静かな心持ちになる。
手仕事のお供には、もってこいである。

芦原さんの方は、『ミミズクとオリーブ』。
紺絣の着物に白い割烹着姿の女性が描かれた表紙を見て
一体いつの時代の話かと思ったが
話の中にワープロやら銀座のクラブやらが出てくるので
少なくともワープロ出現以降、昭和の終わりか平成の初め頃の時代設定らしい。
推理小説ということにはなっているが、謎解きの本格推理を楽しむというよりは
主人公である“ほどほどに仕事が来る作家”とその妻の
東京郊外での、のんびりした日常の描写の穏やかさを楽しむといった小説である。
八王子の田舎での暮らしなので、庭にオリーブの木があり、そこにミミズクが来る。
主人公の妻は時々、そのミミズクにサツマイモの残りやイリコを振舞ったりする。
彼女の、尖ったところのない、おっとりした物言いがここちよいし
ところどころに出てくる、主人公夫妻の故郷である讃岐の美味の
いかにも旨そうな描写も、郷愁をそそる。

『家守綺譚』にしろ『ミミズクとオリーブ』にしろ
こういうしっとりした描写の本は、ぜひとも紙の本で、
その手ざわりや活字のひとつひとつを楽しみつつ、ゆっくりと読みたいものだが、
さて紙の本を買いに日本へ行けることが、あるかどうか。

Pagination

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

最新トラックバック

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター