You've come a long way … かな

  • 2005/06/30 16:06
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北京行きでほぼ1週間ジムを休んだのに、記録が下がらなかったので、今週からベンチプレスのスターティングウェイトを5ポンドあげて100ポンドにしました。100ポンドから始めて、110、120と10ポンドずつ上げていきます。130ポンドで止めて、もう一度最初の100ポンドを挙げます。最初の100ポンドは10回挙げることができますが、110、120と上げていくにしたがって、当然、挙げられる回数は少なくなります。実のところ最高の130ポンドは自力では1回も挙げられません。しかし挙げられないからといって挑戦しないでいては記録は伸びませんので、夫にサポートしてもらって無理やり4回挙げます。(と言うか、挙げさせられます)夫も同じことをやります。ただし夫のスターティングウェイトは265ポンド、最高は320ポンドで、私とは全然比較になりませんが。

この前、私たちと同様カップルで来ている人が、ベンチプレスをやっていました。まだ始めたばかりらしく、ご主人(?)の方は55ポンド、奥方(?)の方は20ポンドから始めていました。夫はそれを見て「彼女は君の2倍くらいあるけど(確かに私より20センチは高そうで、体つきも堂々たる女性ではありました)、挙げてるウェイトは5分の1だよ」と言って微笑っていましたが、私だってそこから始めたのです。20ポンドから100ポンドまでたどり着くのに、3年以上かかっています。彼女を笑う理由はありません。
それに普通の人(特に女性)は、日常生活ではベンチに寝てバーベルを挙げるような体の使い方、筋肉の使い方はしていないのです。最初は挙げられなくて当たり前です。
男の人だって、建設現場や荷積み、荷降ろしもするような運送業で働いている人は別にして、日常的にからだを、筋肉を使っている人は少ないのではないでしょうか。だからこそこんなにスポーツジムが流行るのでしょうし。
まわりを見渡してみても、事務職の典型のようなうちの会社では、シャツの下の筋肉がすけて見えるような、すばらしい体つきをした男の人は、私が気づいた限りでは、1人しかいません。何百分の1です。もっともそれでいいのかもしれません。あたり一面、惚れ惚れするような体つきの男の人ばかりでは、目がちかちかして仕事にならないでしょうから。
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ぼけぼけ

  • 2005/06/29 17:09
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朝、ぼんやりしていて左手に熱湯をかけてしまった。
きのうの続きで「うー、どこかへ行きたい」なんて考えながら、
勤労意欲ゼロで、給湯器からポットにお湯を入れていたので、
だんだん手の位置がずれていたことに気づかず、
あっと思ったらポットを持った左手が熱湯の真下に来ていた。
しかもぼんやりしているので、給湯スイッチを押している右手を放しもせず、
(放せばその時点で熱湯の噴出は止まったのに)
ポットを持ったままの左手の逃げ場を探し、
より熱湯がかかる方向に左手を動かしてしまった。
ばか×3。

家にならほぼ無限にある氷も冷却材も、会社には全然ないので
仕方なくマグにウォータークーラーの冷水を入れ、
その中に手をちゃぷんとつけて冷やした。
ウォータークーラーの冷水はけっこう冷たく
ずっと手をつけていると、指がじーーんとなる。
おお、指が凍結する…というあたりで手を出し
タオルで拭いて仕事に戻り、
また指が熱っぽくなってきたら、冷水に手を入れ
じーーんとなったら、また出して、
冷水 → タオル → 仕事 → 冷水 を
午前中ずっと繰り返した。

いま指は、半分ふやけたような、半分こわばったような
ヘンな感じだが、とりあえず水ぶくれはできていないから
明日にはなんともなくなるだろう。
今週末は3連休。ああ、どこかへ行きたい。


どこかに行きたい

  • 2005/06/28 16:40
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どこかに行きたい。会社でPCの画面を眺めてぼーーっとするのではなく、南の島で風に吹かれながら海を眺めてぼーーーっとしたい。最後にそんなことができたのは、もうかれこれ10年以上前、まだ就職する前で、金はなくとも暇はあった中国留学中の旧正月休みの時だ。

香港まで出て、飛行機でタイに飛び、バンコクでしばらくぶらぶら。同行者が貧乏旅行慣れし、タイにも何度か来たことのある中国留学4年目(だったかな)の20代中頃のI 嬢と、もうひとりはくりくりした目を輝かせた、まだ二十歳前の見目麗しい素直な男の子A君だったので、タイは初めてだった私はプランニングはI嬢にまかせ、のんきに2人のあとに付いて歩いた。バンコクでは真っ青な空のもと、金色に輝く寺院やマーケット、A君の友達のタイ華僑君の家などを回り、おなかがすくとマーケットの中の一膳飯屋で食べ、おやつにはきれいにカットされ、プラスチックの袋に入って屋台で売られている色とりどりのくだものをほおばり、その頃の中国では見ることの少なかった売り子の笑顔にそこここで囲まれて、ぼおっとなった私は留学生楼に残った同屋(ルームメイト)に「××、お元気ですか。タイは極楽です」と書き送った。

その後、汽車に乗ってアユタヤヘ行き、巨大な寝釈迦像や17世紀の日本人街の跡などを見たりした後、私たちはバスでパタヤに行き、そこから船に乗ってサメット島に渡った。浜が遠浅のせいか船は砂浜までは入れず、乗客たちは砂浜の少し手前で、船からじゃぶんと海に下りて、膝下くらいの小さい波の中をばしゃばしゃ歩いて岸に上がった。サメットにはビーチがいくつかあるが、私たちは1日目は船が着いたビーチに泊まり、翌日歩いて次のビーチに向かった。いくら島でもトックトックくらいはあったと思うのだが、学生の貧乏旅行だった私たちは、泊まる時は3人1部屋だったし、移動は歩き。歩くには遠すぎる時だけ、バスや汽車や船に乗った。
樹が生い茂るサメットの山(?)の中を2時間ほども歩いて着いた次のビーチは、ひとっこひとりいない白い砂浜だった。視界の中にあるのは、空と海と砂浜と、砂浜から少し引っ込んで生えている松林だけ。風が吹いて、波の音がひびく。
人がいない砂浜は、住んでいる人もほとんどなく、観光客用のバンガローは掘建て小屋のようなものが数軒ある程度。私たちはそのうちの1軒を借りた。貸主は小屋に吊るための蚊帳をひとつと、薄いマットを3枚貸してくれた。電気は夕方の5時から7時くらいまでしか供給されておらず、それを過ぎるとあたりは真っ暗になった。レストランとよろずやが1軒ずつあったが、他には何もなかったように思う。私たちは誰もいない砂浜に出、泳いだり、波にぷかぷか浮いてみたり、ただ歩き回ったりした。バンコクで買ったバテックを砂の上にしいて、友達に葉書を書いたりもした。2人はいつのまにかどこかに行ったらしく、砂浜には私しかいなかった。バテックのそばでカニが穴を掘っているのさえ聞こえそうなほど、静かだった。そのまま寝た。愚かだった。
夜になって背中は真っ赤になった。I 嬢に香港で買ったアロエジェルを背中一面、塗ってもらったが、急激な日焼けの痛みが、そんな程度で消えるわけはない。おまけに板張りの床に敷いたマットは薄く、ごつごつした板の硬さが直接骨に響いた。眠れなかった。
その上さらに、夕食に食べた料理がお腹に来た。1軒しかないレストランで、その中でも「いちばん辛くない」と言われた料理を選んだのだが、辛味馴れしていない私には、呑み込むのがやっとなほど辛かった。だけどそれしかないから食べた。
2人が寝静まっている中、トイレに立った。トイレはバンガローに付属した屋根はあるが窓はない小屋である。電気はないから当然真っ暗で、そこに黒い穴が開いている。そばにトイレットペーパー代わりの水がめと手桶がおいてあるが、いつの水かわからないでは、それで必要部分を洗う気にはなれない。しばらく暗闇の中でお腹を押さえてうずくまっていたが、そのうち耐え切れなくなって外に出た。お腹の痛みに耐え切れなくなったのではない。真っ暗な天井から、蜘蛛やら蟲やらが落ちて“来るかもしれない”という恐怖に耐えられなくなったのである。私は蜘蛛でも蟲でも、それが私と関係ない場所を歩いていてくれる限り、恐怖も抱かないし、殺意も抱かないが、真っ暗な中で無防備にしゃがみこんでいる時に、首筋やら背中やら、果てはもっと微妙な部分に、ぽとり、と落ちてこられるのは、絶対にいやである。
で外に出た。外は月明かりでぼんやりと明るかった。誰もいないのを見透かして、松林の陰にしゃがみこんだ。灼けつくような昼間と違い、夜明け前の砂浜はひんやりと涼しく、海も砂も銀色に見えた。衛生的、儀礼的に少々疑問がないでもないが、真っ暗な中、黒い穴の上にしゃがみこんでいるよりは、銀色の砂浜を前に松の陰にしゃがみこんでいる方が、よほどましなことのように思えた。
しばらくしてお腹の痛みもおさまったので、そうっとバンガローに戻った。2人は私の不在に気づかず、すやすやと眠り続けていた。

翌日、私たちはまた歩いて次のビーチに向かった。このビーチは来た時とは違う船が着く埠頭のそばにあり、たくさんのバンガローと、レストランと観光客で賑わっていた。私は昨日の今日で体調に自信がなかったせいもあり、カンボジアの方へ行ってみてくるという2人と別れ、ひとりでこのビーチに留まった。そして適当に選んで借りた一人用のバンガローにベッドがあり、新しくはないが清潔な白いシーツがかかっているのを発見した時、うれしさのあまりシーツにほおずりしそうになった。ベッドの上に大の字になり、「文明に侵されていようが何だろうが、わたしは快適な方が好きだあ!」と天井に向かって叫んだ。背中はまだ痛かったにもかかわらず、その夜はよく眠れた。からだの下にシーツがあり、底板を感じないほどの厚さのマットレスがあることが心地よかった。
このビーチには3‐4日滞在し、その後ひとりで船に乗ってパタヤに戻り、バスでバンコクに戻った。差し迫った予定もなく、プランもなく、ただ気ままにぶらぶらした最初で最後の旅行だった。

“Snow White”

  • 2005/06/27 12:37
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週末に見た映画。“Kindergarten Cop ”“Snow White”“Shampoo”。
あえてひとつ挙げるとすれば、“Snow White”か。シュワルツェネガーの“Kindergarten Cop ”もそれなりに楽しかったが、映像の幻想的なうつくしさという点で、“Snow White”に1票。“Snow White”といっても、シガニー・ウィーバーが出ている方ではなくて、Caroline Thompsonが監督した方の “Snow White”。グリムのお話にどこまで忠実なのか知らないが、冒頭に登場するサタンの使い(?)が、メーキャップといい、衣装といい、カナダのサーカス“シルク・ドゥ・ソレイユ”の中の人物みたいで、彼の登場だけでこの物語はゴシック・ロマン風の不気味さと、不思議なうつくしさの中に、滑り込んでいく。そして魔法の鏡が割れるシーン。きらきらした鋭い光の塊が千万の破片となって降り注ぎ、こちらの目を射る。

監督のCaroline Thompsonは「シザーハンズ」や「アダムスファミリー」の脚本も書いた人のようで、こういった幻想的メルヘンは得意なのかもしれない。どこでロケをしたのか知らないが、森や湖の風景もうつくしかった。

ただ最後、熊に変えられた王子さまが、眠る白雪姫の回りの氷を溶かそうと、大きな舌でべろべろなめるのは、ちょっと気持ちが悪かったけど。いくら元は王子さまとは言え、熊の生温かい舌で顔をなめられるのは、どうも、いささか…
ま、映画では最後の瞬間、熊は王子さまに変わって、キスするときはちゃんと元の見目麗しいプリンス・チャーミングに戻っていたからいいけど。大きな熊にキスされて生き返るんじゃ、ゴシックロマンじゃなくて動物愛護コメディだ。

久しぶりに外で食事

  • 2005/06/26 22:56
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昨日は夫と二人、久しぶりにDan Ryan’sに行った。夫はベジテリアン・クラブサンドイッチ、私はホットドックをとり、スターターにナッチョスをシェア。このナッチョスは、菜食の夫も雑食の私もともに楽しめる数少ないメニュのひとつで、ここに来るとたいていこれをオーダーする。大皿に山盛りのコーンチップスに溶けたチーズがたっぷりかかり、その上にまた気前よく盛られたグァカモーレ。間に細かく切ったトマトとブラックオリーブが散らされている。運ばれて来るのを見るだけで、食欲をそそられる色取りである。これに別皿でエシャロットを散らしたサワークリームと、ちょっと辛いチリトマトソースがつく。量は3−4人で食べても十分なほど。もともとDan Ryan’sはフルネームをDan Ryan’s Chicago Grillというくらいだから、ポーションはすべてアメリカンサイズ。メニュにも“アメリカンサイズであることを頭においてオーダーしてください”と書いてある。
昨日もジムの帰りいそいそ出かけたものの、お昼を食べていない夫にあわせ、午後の4時半という中途半端な時間に行ったので、定刻にお昼を食べていた私はいつもの半分程度の食欲しか示すことができず、大好きなナッチョスすら食べきることができなかった。ホットドッグについては初めから全部食べることなど問題外。ホットドッグ自体はメガネケースくらいの大きさで、大したボリュームではないのだが、いっしょについてくるフレンチフライが半端な量ではない。生のジャガイモを切って揚げましたというのが一目でわかる、大人の指ほどもある大ぶりフレンチフライが、ホットドッグの横に山盛り盛られて供されるのである。「ったく、こんなもの食べてるから、アメリカ人はでぶになるのよ」と悪態のひとつもつきたくなるような量である。カロリーについては考えたくもない。さすがの夫もフレンチフライには手を出さなかった。
ただし味は悪くない。おおらかなアメリカンフードが好きなら、ここはおすすめである。たとえば定番中の定番、ハンバーガー。マックのハンバーガーとは名前は同じでも、全く違う食べ物である。それはたとえば、回転寿司のすしと、築地の鮨屋のすしの違いとでも言おうか。もしここのハンバーガーがハンバーガーならば、マックのそれは断じてハンバーガーではない。バンが違う。じゅっと肉汁の染み出るパテが違う。間に挟まれたトマトや玉ネギ、レリッシュが違う。目の前に出されたときの存在感、そこに現れるゆたかさが全然違う。
もっとも本間千枝子さん(「アメリカの食卓」文春文庫)に言わせれば、一番おいしいハンバーガーは、若葉時から秋口まで、鮮やかな緑と澄んだ空気のなかで、芝生の庭の一隅にしつらえられた炉に炭火を熾し、家族や友人や遠来の客たちと、ごくうちとけて楽しみながら、それぞれの好みで丸めた肉を焼き、焼けるそばから玉ネギやトマトの薄切り、レリッシュを自由に付け足して、すぐさま頬張る。そのなごやかで平和な雰囲気のなかにある“平凡で幸福な日常”こそが、ハンバーガーの醍醐味であるというから、店で頬張るハンバーガーはどこまでいっても、次級、次善の品でしかないのかもしれないが。

世界平和に必要なものは

  • 2005/06/25 12:24
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「世界平和に必要なものは」というのが、「前略プロフィール」の質問表のなかにある。これを見た瞬間私の頭の中に浮かんだ答えは、「人類がいなくなること」。

が、他の方々のお答えを見てみたら、「無償の愛」とか「教育」とか「一人一人の意識」、「他人の痛みを感じられる心」「地球規模の精神文化」等、実に前向きで、思わず「あらま」と思ってしまった。最初(にして唯一)頭に浮かんだ解決策が“人類の抹殺”とは、まるで私だけすっごいネガティブ・シンキングの塊みたいではないか。

だが、落ち着いて考えてみれば、みなさまがこうした回答を寄せたからといって、それが実現可能だと考えているとは限らないわけであって、いうなれば「もし、仮に、こうした無償の愛や、他人の痛みを感じられる心、地球規模の精神文化といったものを、遍く世界に広めることができたとしたら、世界は平和になる・かもしれない」と考えているだけのことなのだけど、ただ私にしてみれば、そうした考えが浮かぶということ自体、正直びっくりなのだ。こうした人類を教化し、徳性を向上させれば、世界は平和になるといった考えは、私の頭にはちらとも浮かばないものなのだから。
と言って私は別に人類に絶望しているとか、世を憂いているとかいうわけではない。ただ単純に、人類は、ホモ・サピエンスという種は、争いを止めることはない動物だ、と認識しているだけである。それはたとえば魚は水の中で生活する、カンガルーは育児嚢で子供を育てる、熊は冬眠する、といった生物学的事実(?)と同じで、ホモ・サピエンスは互いに争うようにプログラミングされている、というだけのことだ。これは人類の歴史を振り返ってみれば一目瞭然。単純かつ明々白々な事実である。良し悪しを言っても始まらないし、そういう風に創られているのだから短期的に改良(進化)することは不可能。いくら科学が進歩しようが、宗教あるいは教育により人類の徳性を高めようが、人類世界から戦争や紛争がなくなることはありえない。(第一、人間の徳性は数千年前から“進歩”しているんでしょうかね。さまざまな“知識”が増えたことだけは確かだけれど。)だから“地球に平和を!”と望むなら、一番いいのは地球上から人類を消し去ること。恐竜が絶滅したように、人類が絶滅すれば、地球は必ず平和になる。少なくとも第二の人類にあたる種が、地球上に出現するまでは。


ちなみに我が夫のお答えは「各国のリーダーを全部女性にすること」だそうである。「へえ、ずいぶん女性を信頼してるのね」と返したら、少なくとも摩擦が発生したときに暴力に訴える確率が男よりは少ないから、だそうである。そりゃ確かに男女入り乱れての争いなら、女性が暴力に訴えることは少ないだろう。体力的、腕力的に男より劣っていることは明白なのだから、不利とわかっているフィールドに戦いを持ち込む必要はない。しかし女同士だったら? 私はこの間、地下鉄のなかで、隣の女に殴りかかる女を見たしなあ。

おむすびや

  • 2005/06/24 22:29
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最近会社のそばの地下鉄の駅の中に、おむすびやができた。おむすびといっても、日本式にごはんを丸や三角にまとめ、真ん中に具をいれ海苔を巻いたものではない。形は俵型、海苔はなく、代わりに厚めのラップでしっかりくるんである。しかも健康志向が売り物らしく、日替わりで4種ずつあるおむすびのそれぞれについて、米の種類、具の種類(ひとつのおむすびの中に、乾燥豚そぼろやらゴマ、漬物、いり卵、果ては浅漬けのきゅうりまで、少なくとも4−5種類の具がこれでもか、というほど詰め込まれている。おむすびのクラブサンドイッチである)、栄養素からカロリーまで表示し、ついでに“頭の働きをよくする”とか“ダイエット中の人におすすめ”とか、その効能まで謳っている。米は普通の白米のほかに、玄米、紅米、紫米、ワイルドライス等があり、特に紅米と紫米は、そのぷちぷちした独特の歯ごたえがおいしく、固めのご飯が好きな人には堪えられないことと思う。また中に詰め込まれる具も、あきれるほど種類が豊富で、肉そぼろ、ハム等の肉類が20種、乾燥エビや小魚などの海鮮類が8種、漬物や海藻などの精進系が24種(!)、これにゴマやら青海苔やらが加わるのだから、米の種類×各種具で、組み合わせはほぼ無限である。これで値段は日本のおむすびよりちょっと高めの1個12元から16元。3元足すと、一回り大きい『加大』にしてくれる。お昼ごはんなら、これをひとつに後はりんごでも食べておけば、十分。このお店、中国語の名前は 西龍傅香飯■(米偏に團) 英語の名前はQQ Riceのようである。ちなみにQはキュートのQ(たぶんね)

そもそも昔はおむすびには大して関心もなく、コンビニのおむすびなんて無精者の食べるものだと馬鹿にしていたのだが、最近はころりと宗旨替えして、出張で日本に行くたびに暇を見てはいそいそとセブンイレブンやローソン、ampmに寄り込み、おむすびを物色するようになった。なかでもお気に入りはナチュラル・ローソン。前回日比谷のホテルに泊まったときには、土日の6食のうち5食はここのお世話になった。なにしろおむすびの種類が豊富だし、おまけに“ナチュラル”ローソンだけあって、サラダメニュも豊富。こってりした宴会料理に疲れた胃には、ありがたいメニュがそろっているのである。
また出張日程のなかに土日がなくて、宴会料理だけで日程が終わってしまったときには、帰りの成田でおむすびを買い込む。第一ターミナルの5階にはちゃんとローソンがあって、日本を離れる最後の瞬間まで、私のおむすび需要にこたえてくれる。買うのはだいたい明太子、ちりめん、玄米もの、お赤飯等々。お客様といっしょでなければ、そのままどこか隅の方のいすに座って、海苔のぱりぱりを慈しみながらしみじみと食べてもいいし、お客様がいっしょなら、仕方がない、そのまま大事に家まで持って帰る。飛行機のなかは寒いから、家に着くまでに腐ったりはしない。危ないと思えば、飛行機のなかで食べてやる。なまじの機内食などよりは、よほどうまい。滋味である。

毒とペダントリー

  • 2005/06/23 17:34
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帰りの飛行機の中で「私の中の日本軍」を読み終わってしまったので、古本屋へ行き高見順の「敗戦日記」、大岡昇平の「俘虜記」、上前淳一郎の「太平洋の生還者」、そして倉橋由美子の「聖少女」を買ってきた。こういう取り合わせになったのは、偏にこの本屋が古本屋であるからに過ぎない。八重洲ブックセンターや、新宿の紀伊国屋、または銀座の教文館、あるいはせめて新橋駅前の文教堂であったなら、こういう取り合わせにはならなかっただろう。ここは神田でもなければ、Book Off でもない。在庫の種類も量も限られている。

「敗戦日記」他を買ったのは、太平洋戦争関係の何かを読みたかったから。そして毛色違いの「聖少女」を買ったのは、行きの飛行機で読んだ朝日新聞で、つい先日倉橋由美子さんが亡くなったことを知ったからである。
最初に読んだのは何だったのか、またいつだったのかは、もう全く覚えていない。ただ10代の初めから20代後半にかけて、彼女の書く虚構世界を非常に好んでいたことだけは、はっきり覚えている。文庫版だけでは足らず、大いに限りのあった小遣いをはたいて行きつけの古本屋に出ていた全集のうち、気に入りのものが載っている巻も買った。例の新潮社から出ている暗赤色の箱につや消しの黒のカバーのかかった薄い造本の全集である。暗赤色につや消しの黒というのが、いかにも倉橋さんらしかった。

その時からすでに20年以上たってしまったので、当時の私が彼女の小説の何を好んでいたのか、正確に思い出すことはむずかしい。しかし理由のひとつが彼女の世界から漿液のように分泌される毒だったことは確かである。学生運動の活動家を“疥癬にかかった犬”といい、学校教師の貧相な知性を嗤う。そうしたシニスムと悪意が、澁澤龍彦や中井英夫を好み、醒めた目で世の中を斜交いに見ていた小生意気な女子高生の嗜好に合ったのである。なにしろ当時仲間うちで流行っていたのは、サドや稲垣足穂、「O嬢の物語」や「一万一千本の鞭」だったのだから、まったくろくでもない女子高生である。最寄の鉄道駅から約3キロ、田んぼのまん中に寒風に吹かれて建つ田舎の高校で、がばがばした紺サージの制服を着た娘たちが、机の陰に隠してこれらの本を広げていたわけで、まさに「笑うべし」。

そしてこうしてせっせと毒気を摂取し続けたおかげで、私はその後自分の中に溜め込んだ毒で自家中毒を起こすに至り、しばらく医者と薬のお世話になった。回復するまでずいぶんかかったので、その後は自身の体力を考え、毒気の摂取は控えるようにしたが、倉橋さんは読み続けた。彼女のもうひとつの特徴であるペダントリー、漢詩や和歌に対する衒学趣味を大いに楽しみながら。この時期は「夢の浮橋」から「城の中の城」、「シュンポシオン」に至る一連の桂子さんものの時期にあたる。そしてこれは「ポポイ」や「交歓」にもつながっていくので、彼女が亡くなったことにより続きが読めなくなるのは、大変残念である。彼女の小説にあるように、あの世から降りてきて続きを書いてはくれないものか。

黒子の衣装

  • 2005/06/22 15:03
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北京は気温30度を超えるかんかん照りで、しかも冷房はかすかに冷風がそよいでいる程度。そのせいか企業の広報担当者も大部分はネクタイなし、ジャケットなしのシャツ1枚。人によってはそのシャツも襟元をはだけたポロシャツだったりして、日本の中途半端な“クールビズ”なぞ足元にも及ばない徹底ぶり。
そんななかで日本からの訪問者は、きちんとジャケット着てネクタイ締めて重いかばん抱えてという日本式ビジネスマンの正装に身を固めていて、ちょっと気の毒だった。もっともそういう私自身、黒のジャケットに黒のパンツ。暗色のシャツ着て黒いバッグ持って、黒の中ヒールはいて、と上から下まで真っ黒の、何の面白みもない黒子の衣装に身を包んでいたのだけれど。

今「衣装」と書いたけど、私にとってこうした出張時のスーツはまさに、あるいは“添乗員”あるいは“アシスタント”あるいは“通訳”を演じるための「衣装」であって、私自身になるための“服”ではない。黒スーツは私が舞台から消えるための衣装。私自身を見えなくするための衣装である。ほんとうなら私は透明になりたいのだ。誰にも見えない透明な存在になって、声も必要な人の頭の中に直接響くだけの、なんにもないものになりたい。

目立ってなんぼ、自分を印象づけ、自分を売り込むことによって、その“商品”を買ってもらってなんぼの営業において、「目立ちたくない」「消えたい」なんていうのは言語道断なのだけれど、それが私の正直な気持ちなのだから仕方がない。この点、営業マンの鑑ともいうべき我が上司などはあっぱれなもので、地声からしてすでに大きく、よくとおり、常に自分を目立たせることを心がけ、そのため必要とあらば伊達メガネもかけるし(かけた方がまじめそうに見えるからだそうである)、ファンデも塗る。ある時、額の汗を拭いた彼のティッシュが、ベージュ色に変わっているのを見て、ぎょっとしたが、上司に言わせると顔色がいい方がお客さんの受けがいいからだそうである。なのでちょっと奥さんのを借りて塗ってきたと、くったくがない。これでなくては、営業、広報なんて商売はできないのだろう。

30何度の熱気の中で黒い衣装をまとっていると、雰囲気の暑苦しさと、実際の熱さとで「たまには違う色のスーツでもつくろうか、せめてシャツだけでも明るい色にしてみようか」とも思うが、実際には踏み切れないでいる。私が私として登場できる場面ならば、マオ・カラーの真っ赤なスーツを着てもいいし、ミッドナイトブルーのタイシルクでゆったりしたジャケットを仕立てても、とろりとつめたいグレーでやわらかいスーツをつくらせてもいいと思うが、私が私でないものになる場面で、そういった衣装を着る勇気は、または思い切りは、まだない。

さぼると すぐ出る

  • 2005/06/21 10:17
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先週は残業で休んだので、昨日2週間ぶりに普通話の先生のところに行きましたら、何しろ出張で留守にしてましたので宿題の作文はしてないわ、音読の練習もしていないので新聞読ませりゃしどろもどろだわ、で実にお恥ずかしい有様となり、先生に来週はちゃんと作文と音読練習してきてね、と言われてしまいました。北京行って人の話を聞いてきただけでは、私の普通話は進歩しないのでした。さぼるとすぐに退歩するとは、私の脳は筋肉並み。困ったものです。

とは言うものの、久しぶりにネイティブの話す普通話を、朝から晩まで生で聞けたのは愉しい経験でした。これが毎日できれば耳の悪い私でも、それなりに聞き取りが上手になれるかも、と思ったほど。おまけに訪問した各企業の広報担当者は、大部分みなとてもきれいで明瞭な普通話を話し、しかも説明が上手。聞いていて大変耳に心地よく、正直ほれぼれしました。
いつか機会を作ってこの街に住み、普通の人たちがふつうに話す普通話を、鳥の囀りのように聞いてみたいものだと思いました。


見えること 見えないこと

  • 2005/06/20 22:22
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無事帰って参りました。
北京では朝から晩まで異常に眠くて、これは何か新種の奇病にでもかかったのか、それとも北京の空気には眠り薬でも入っているのかと思ったほどで、オマケ添乗員として参加した会議では、午後の部で居眠りをしかけ、というか、正直に言うと居眠りをしてしまいました。 が、用もなければ役にも立たない私を今回の出張に行かせた上司の意図は、次回への顔つなぎということなのでしょうから、とりあえず全部のミーティングに参加し、名刺を交換してきたことで任務完了としてもらいましょう。

それにしても今回のメンバーは、日本企業に働く中国人2名、同じく日本企業に働く韓国人(在日二世)1名、香港企業に働く香港人2名、国籍不明だが英語と広東語を話す人1名、そして私と、会社の国籍(?)と本人の国籍が一致しない人たちが多く、それがグループになって中国企業を訪問しましたので、ミーティングの時はともかく、その後の会食の際には、それぞれの立場が入り乱れて大変面白うございました。
ご承知のとおり今は日中韓というか、日本と中国、日本と韓国の間が少々ぎくしゃくしておりますので、当然会食の際にはその辺りの話も出てまいります。訪問先である中国企業に働く中国の人たちは自身の主張に何の迷いもないように見受けられましたが、日本企業に働く中国人や韓国人、逆に中国系企業に働く日本人は、単純に自分の国籍のある国の政府に肩入れするというわけにはまいりません。
それは日本企業で働いているから(中国人だけれど)日本の味方をするとか、中国企業で働いているから(日本人だけれど)中国の味方をするということではなくて、その国に住んでその国の会社で働いていれば、自然その国の政府の行動が当該国民一般の考えを余りなく代表するものであるとは言えないこと、またメディアが伝えることが真実とは限らないことが、よくわかるからでございます。
たとえば小泉首相は「不戦を誓うため」と言って私人としての靖国神社参拝を止める気はないとおっしゃっていますが、だからと言って日本国民全部が小泉首相の考え方および行動に賛成しているわけではございません。たとえ私人としてであろうと、“首相”が靖国神社に参拝することに強く反対している人は多数おりますし、「あえて摩擦を引き起こすようなことはしない方がいいのでは」と消極的に反対している人もおります。日本に住んでいれば、そんなことは自明のことです。しかし外国にいますと、報道されることしか知りませんから、それがよくわかりません。
また逆に日本のテレビを見ていますと、4月、5月当時の北京や上海の反日運動は相当激しかったように見えますが、当時上海にいたLさんやYさん(共に中国人)の話によりますと「あれは一部ですよ。仕事がなくて暇な民工も随分参加していたみたいだし、上海の普通の人たちにとっては、反日デモより商売の方が大事ですよ」となって何だか雰囲気が違います。実際私が住んでいるところでも反日デモはありましたが、私がそれを知ったのはNHKニュースでというお粗末なありさまで、近所の人たちも私が日本人と知っていても別段態度が変わるわけではなし、いつも行く市場の根菜売りばあちゃんも「日本へは帰らないのか。今日はだんなはどうした」と普段と何の変わりもありません。このばあちゃんなどはどう見ても70代ですから、明らかに日本軍による占領を経験した世代で、さまざまな、積もり積もった恨みがないわけはないでしょうが、その恨みを私に対してぶつけたことはありません。

もちろんこうした人たちが全てではありませんし、日本軍占領時代の非道について、面と向かってののしられた人もいるとは聞いています。しかしそうではあっても、日本のニュースだけを見ている時に感じるような「中国全体が反日に動いている」といった感じはどうも違う。映され、放送された映像は嘘ではないのですが、真実でもない。現地におりますと、そうした報道と現実との乖離が強く感じられます。そのため迷いなく、日本あるいは日本人はこうだ、中国あるいは中国人はこうだ、というように断定することが非常に困難になります。

そんなわけで会食の席では、日本で働く中国人は「いや、しかし」と言って日本を弁護し、中国で働く日本人は「そうは言っても」と中国政府の立場に理解を示すといったように、どうもなんだか旗色鮮明とは言いがたい、歯切れの悪い態度にならざるを得ませんでした。優柔不断のように見えますが、それは別に定見がないのではなく、あることについて知っていればいるほど、断定が難しくなるということに関係があるのではないかと思います。何かについてひとつしか知らなければ、説明は簡単でございますから。どうもそんな気がいたします。

わからん

  • 2005/06/14 17:29
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明日から北京でございます。
フタを開けてみましたら参加者は私ともう一名を除き全員中国人でございまして
中国人が中国へ行くのに、なぜ日本人の私が添乗するのか甚だ疑問でございますし
また「私の中の日本軍」などを読みまして頭の中に太平洋戦争が渦巻いております
この時に行き先が中国だというのもなかなか心乱れるものございますが、

取りあえず行ってまいります。

写真の中の笑い顔

  • 2005/06/13 20:34
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■ 私は今でも、ある種の国の、民衆や子供の笑い顔を載せた宣伝写真を信用しない。笑い顔を宣伝に使うこと自体が、実に暗いことだからである。(「私の中の日本軍・上」文春文庫版 p155)

小学校時代に見た中国の文革の写真を思い出した。学校の廊下の壁に貼られた、子供向け写真ニュースの1枚。B4版いっぱいに、何列にも並んだ中国の民衆が、手を振りながら大きな笑みを浮かべている白黒写真。民衆というよりは農民といった方が適切な、純朴な表情に、粗末な衣服。それでも少年、少女の中には首に赤い(と思われる)ネッカチーフを結んでいる者もいた。その写真を眺めながら私は「中国の人たちは、生き生きと幸せそうだ。共産主義の中国は、ソ連よりいいのかもしれない」と思った。私はこの小学生時代のナイーブな感想を、なんと中学、高校になっても抱き続け、強制収容所やらKGBやらに怯えて暮らすソ連よりは、人民公社で農作業に勤しみながら暮らす中国の方が、いい国だと思い続けていた。
大躍進や、文革の実態を知ったのは、それから10年以上も後である。陳凱歌の「私の紅衛兵時代」に戦慄し、H・E・ソールズベリーの「天安門に立つ」を読み始めた私は途中で止めることができなくなり、ある土曜の昼下がり、団地の駐車場に泊めた車の中でぼろぼろ泣きながら読み続けた。小学生だった私が無邪気にも信じ込んだ“幸福な民衆の国”の実態は、あまりに恐ろしく、愚かしく、その真っ赤な嘘を世界に信じさせたあの国の指導者たち、そしてまたそれを信じ込んだ私たちの救いようのない愚かさに、涙が止まらなかったからである。

頭を持った軍隊なんてない?

  • 2005/06/12 22:54
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この前日本に行ったとき買って来た本は、1冊を除きほぼ全部読み終わってしまっていたので、最近はずっと以前読んだ本を拾い読みして過ごしていたのだが、そうして拾い読みした本の中に、山本七平さんの「私の中の日本軍」が出てきた。
あれ、この本なら私も持っているはず、と何年か前に買ってそのまま放っておいた上下本を見つけ出して読み始めたのだが、いやはや、一言で言って、第二次大戦中の日本軍がまさかここまで非合理的な精神構造を持った集団であるとは、思いもよらなかった。
戦後10年以上たってから生まれた私には、当然戦争体験はないし、父母の世代は幼過ぎ、祖父の世代は年寄り過ぎで、まわりにも実際に出征した人はいないので、私が持っている日本軍についての知識および印象は、すべて本や映画やテレビからのものでしかない。そして戦後のマスコミおよび教育界が、軍国主義や軍人を賞賛することは、まず絶対になかったので、私自身「当時の日本の軍隊」なんてものは竹やりで戦闘機を墜とせと命じたり、「必勝の精神」さえあれば、物資も食料すらもなくとも、米英に勝てると信じようとしていた非論理的な思考停止集団としか思っていなかったのだが、山本さんのこれを読むと、実態はそれ以上であるようだ。いったい当時の日本軍は、あの戦争に本気で勝つことを考えていたのか、それとも単に戦闘という形をとりながら、(もはや勝つ見込みはないので)日本人全員を自決へと導こうとしていたのか、私には後者としか思えないのだが、まあ、まだ上巻の半分くらいしか読んでいないし、それに当然山本さんの文章だけを鵜呑みにするわけにはいかないので、他の人の文も読まずばなるまいが、この非合理性を許したのは日本人ゆえであるという山本さんの指摘は、同じ日本人の一人として私を暗澹たる気分にさせる。
ただ、今アメリカがイラクでやっていることを見ると、「軍隊」というのはどこの国でも、頭のない、身体だけの存在なのかとも思えるけれども。

映画/老化

  • 2005/06/11 22:28
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今日見た映画。”D.E.B.S.”と”Sideways” どちらが好きかと聞かれれば、”D.E.B.S.”! ストーリーは馬鹿馬鹿し過ぎてコメントする必要もないが、こういう映画はそれでいいのだ。フェミニストからは叱られるだろうが、若くてきれいな娘が、ミニスカートでぴこぴこ動き回るのを見ているだけで、おばさんは楽しくなる。ことに Devon Aoki。最初見たときは、「なに、この娘」と思ったが、ずっと見続けていると不思議な味が出てくる。全然美人ではないし、かわいくすらないのだが、小さい目と、いつもすねたように口角が下がっているおちょぼ口は、バービーの体にこけしの顔をくっつけたようで、そのミスマッチがとてもキュート。モデルエージェンシーの稼ぎ頭だというのも、うなずける。
その点では”Sideways”のSandra Ohも、一目見たら忘れられない顔で、好きな女優のひとりだが、この映画では彼女の面白さが十分出ていない感じ。”Under the Tuscan Sun”での役の方が、彼女の持ち味が出ていて、より魅力的だった。

4月から5月にかけて仕事で合計3週間近く家を空け、その間ジムでのトレーニングも休んでいたため、すっかり筋力が衰えて、以前は挙げられたウェイトも挙げられなくなった。別にプロではないのだから、ベンチプレスの記録が下がったところで何の支障もないのだが、以前できたことができなくなるのは、やはりさみしいし、くやしい。
というわけで、帰ってきてからは、元の力を取り戻すべく、以前より10ポンド落とした85ポンドから始めて、95、105、115と徐々に上げていくトレーニングを続けていた。1ヶ月経ってやっと元の水準に戻り、125ポンドが挙げられるようになった。
頭もそうだが、筋肉も寄る年波には勝てない。1週間くらいの休みならすぐに回復できるが、2週間以上休むと筋力はてきめんに衰え、なかなかもとの水準には戻らない。40代の今ですらそうなのだから、そのうち50代、60代になったら回復どころか、毎日続けていても現状維持がやっとか、現状維持すらできない日が来るのだろう。
老いていくのは仕方がないし、死んでいくのも当たり前だが、自分で自分の面倒が見られなくなる前に、何とかしたいものだと思う。

くだらないけど 一応分析

  • 2005/06/10 16:32
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一晩たって少し落ち着いたので、昨日はなぜあんなに怒ったのか、
理由を考えてみた。
ジムで夫に愚痴った時、彼はあっさり「そりゃ、やりたくないことを
やらなくてはならないからでしょ」と言い放ったが、
これはあまりに身も蓋もない言い方である。
第一仕事の中にはやりたくないことなんて山ほどある。
それにいちいち腹を立てるほど私は若くない。
ならばなぜ怒気が全身にみなぎるほど怒ったのか。

1. 出張の計画が急であること。上司には前々から、お客様付きの出張には事前準備が必要ですから、せめて2週間前には教えてください、と頼んである。上司も了解し、できるだけ早く知らせると言っていたにも関わらず、今回は実質3日前の通知。3日では十分な準備はできない。
2. 十分な準備ができないとわかっていながら、上司はそれを一向気にしていない。彼にとって重要なのは「何をやったか」で、その内容、質、出来についてはほとんど気にしない。それが私を苛立たせる。
3. 仕事上で十分な準備ができないだけでなく、3日前ではプライベートな時間の調整も十分できない。上司よ、私には個人生活もあるのだ。急に私の生活に割り込んで来て、勝手に予定を変えないでくれという思いがある。

以上3点に加え、
4. 上司は、彼が取るはずだったアポを取り忘れ、しかし私には「取った」と言っていたことが昨日の朝発覚したこと。
5. この1週間ずっと偏頭痛が消えず、昨日は加えて眼痛も始まったため、私は朝から機嫌が悪かったこと。

これらのため、私の怒気は一気に沸点に達して爆発したものと思われる。
書いてて我ながらくだらなくて、いやになる。
気を取り直して、別のこと書こう。

昨日テンプレートを変更してみた。4 Leaf Clover さん提供の、Clover #3。
青空と葉っぱの写真で、さわやかな初夏の感じ、と思ったのだけど、
いかがでしょう。
それにしてもネット上のHTML&CSSお助けサイトだけで、テンプレートとかを
カスタマイズするのはむずかしい。
先日近くの日系の本屋へ行って、この類のテキストはないかと捜してみたのだが、
見事に一冊もなかった。2‐3年前には棚いっぱいあったのに、あれはみんなどこに行ってしまったのだろう。となりの本屋に、中国語や英語のHTML解説本はたくさんあったが、さすがにこんなもの英語や中国語では読む気がしない。
日本語で読んでもよくわからないのに、外国語で読んでわかるわけないでしょーが。
近所の本屋に売ってないとなれば、ネットで買うか、次回日本に行ったとき買うか。
ネットの方が早いが、中身が見られないのが難点である。

砕け散るキーボード

  • 2005/06/09 23:43
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今日の夕方は激しく、激しく立腹していたので、この日記を更新するどころではなかった。
怒りのあまりさっさと定時で退社し、ジムでウェイトに当り散らしながら夫に愚痴り、今は何とか落ち着いたが、退社時の私は三白眼の形相もすさまじく、怒気が全身にみなぎっていたことと思う。おかげでいつも駅の辺りにいるキャッチセールスのお嬢さん方も、今日は声をかけてこなかった。

立腹の原因は、我が上司が来週急に出張を入れたことである。
当部で「出張」と言った場合、それは常に国外出張を意味する。
当然のことだが、出張に当たっては訪問先の資料を準備し
顧客がいっしょなら、顧客のお世話もし、必要ならば通訳もし、
夜には接待もし、で、朝から晩まで1日最低14時間は拘束されるハードワーク。
とてもじゃないが「わーい、お出かけだ!」なんていうノリの
楽しいオシゴトではない。
中にはこうした仕事がまったく苦にならない人もいるだろうが、
性格がおよそ非社交的にできている私はこれが大の苦手で、
出張に行くと大体いつも首が回らなくなったり、胃がおかしくなって吐いたり、
連日の頭痛に鎮痛剤が手放せなくなったりする。
最近はそれでもPBTS(pre-business trip syndrome;私と夫の造語)が
出なくなっただけましで、以前は出張の2週間くらい前から、
不眠に悩まされていた。
まったく馬鹿みたいである。
たかが出張でしょうが、と私自身思うのだが、いやなものはいやで
我慢することはできても、好きになることはできない。

で、この大嫌いな出張に「来週行ってね」と上司がこともなげに言い放ち、
訪問先である9社のリストを私にメールして来たものだから
折悪しく朝から頭痛と眼痛に悩まされ、いらいらしていた私は一気に爆発して
「あと3日でどうやって9社の資料を準備しろっていうのよ?!」と
上司に向かってキーボードを投げつけそうになったのである。

さすがにOL生活20×年の強い忍耐心を発揮して、実際にキーボードを振り上げたりはしなかったが、頭の中では上司の顔面にすこーーんと当たって微塵に砕けるキーボード、飛び散るシフトキーやエンターキーがフラッシュしていた。
いつかやってみたいものである。

あやしい うずき

  • 2005/06/08 17:45
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もともと身体は丈夫で、大病も大けがもしたことがない。
当地のクリスマスパーティで生牡蠣を食べて中ったときも
ひどく吐きはしたけれど2−3日ベッドでうなっていたら治ったし
一昨年だったか、ジムで45ポンドのウェイトを足の上に落としたときも
当たった足がしばらく象の足と化しただけで、骨は折れもつぶれもしなかった。

したがって就職にあたり、私の承諾なく母がかけ始めた生命&入院保険は
(承諾がない割には保険料は私の口座から天引きになっていた
以来20数年一度も使われることなく、保険会社を儲けさせ続けている。
考えるだにいまいましいが、無理やり病気にはなれないので仕方ない。
異国で病に倒れないだけましと思うべきなのだろう。

しかしこのように丈夫で長持ち(たぶん)の私でも、一ヶ所だけひ弱なところがある。
それは「歯」である。歯並びがよろしくないので、いくらていねいに磨いても
みがき残しができ、そこから虫歯になる。
電動歯ブラシを使おうと、デンタルフロスを使おうと、テレビを見ながら20分磨こうと、
リステリンでくしゅくしゅしようと、不適に笑う虫歯菌は口中から出て行かない。
出て行かないどころか、どうやら最近攻撃目標の一部攻略に成功したらしく
このところ左上の奥歯に、あやしいうずきを感じるようになった。

歯医者に行くべきだろうか。

当地の歯医者の名刺は会社のPCモニターの下にはさんである。
予約する気なら、いつでもできる。
しかし実は2ヶ月先の話ではあるが、別の歯医者もすでに予約してあるのである。
今当地の歯医者に行ったら、この予約が無駄になってしまう。
予約をしてくれたのは、義父である。

先日夫が義父に電話をした時、義父は「あ、××(私の名)の分も歯医者さん
予約しといたから」と夫に言った。
夫は毎夏、北の故郷に帰省するたびにクリーニングと虫歯チェックをかねて
近所の歯医者に行っている。私もいっしょに帰省する時は、私もいっしょにその歯医者に行く。
このあやしいうずきが虫歯なら、きっとその時発見されるだろう。
夫の故郷の歯医者と、当地の歯医者とどちらがよいだろうか?
清潔度は同じくらい。料金もたぶん同じくらい。言葉の通じなさも同じくらい。
ならば、どっちがいいだろう。
前回行った時、当地の歯医者の仕上げの歯磨きには、ミント味しかなかったが
北の歯医者には、ミント味のほかに、さくらんぼ味と、いちご味と、フルーツ味があった。
やっぱり北の歯医者の勝ちだろうか。

なまる こまる

  • 2005/06/07 15:11
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昨日は普通話のクラスに出かけた。クラスといっても、先生1人、生徒1人なので、個人教授と言った方が正確かもしれない。仕事の上では普通話を使うことが多いのだけれど、社内にはネイティブスピーカーがいない(いや、本当はいるのかもしれない。800人からの社員がいるのだから、少なくとも1人、2人のネイティブはいるはずだが、横のつながりが全然ないのでわからない)ので、疑問点を聞くことができない。いちいち友達をわずらわすのもなんだし、それに第一、現在のような下手っぴーさでは、仕事に差し支えるので、致し方なく自腹を切って、去年からこの先生のところに通っている。

先生は上海出身だが、なまりはなく、とてもきれいな普通話を話す。先生のご主人の重い上海なまりとは対照的。発音を矯正してもらうには、この方がよい。それでなくても私は生まれつき耳と口の出来が悪く、数々の矯正しきれない日本語なまりを背負っている。その上さらに中国某地方のなまりがついてしまっては、中国国内の客人に爆笑されてしまう。

ただ爆笑する中国の客人自身、程度に差はあれなまっていることは多く、つい先日も浙江省出身の章某さんは、自身の姓を上海・浙江省のなまりで発音していた。いただいた名刺に「章××」とあったので、私が「Zhang さん」と呼びかけたら、「いえ、Zhangではなく Zang です」とおっしゃる。「あら、失礼」と思い、名刺を見直しても、やはり「章」と書いてある。「?? 章は張と同じで Zhangだと思ってたけど、私また間違って覚えてたのか」と、以後はZangさんと呼び続けたが、どうもやっぱり変だ。辞書をあたっても、章はZhangだし、とここに至ってやっと、上海付近は Zhang を Zang、Chong をCong と発音する傾向があることを思い出した。章さんは、私の発音を上海なまりに矯正してくれていたわけである。
この話を先生にしたら先生も笑っていたが、ま、名前は本人がいうのが一番正しいのだろうから、たとえ辞書がなんといおうと、章さんはZang さんと呼ぶべきなのだろう。それに章さんは、Zhang と Zang、Chong とCongの混同?は別として、総体的にはなまりは少なく、意思の疎通に大きな問題はなかった。
大きな問題があったのは、香港から来た梁某さんである。母語が広東語の人らしく、彼の普通話は広東なまりが非常にきつくて、最初の日は書いてもらわないと、彼が言っている単語が何なのか、聞き取れないことがたびたびあった。3日目くらいには、なまり方の傾向がわかってきて、それにともない対策の方もたてられるようになったが、それまでは「えー、××が○○ってなんのことよ。ふえーん、なに言ってるのかわかんないよう」と半泣き。おかげでストレスから、2日目には首が回らなくなった。世の中には借金のためそうなる人もいるが、私の場合は純粋にストレスと緊張から、首を左右に回すことができなくなったのである。そして首が回らないまま帰ってきて、友人にこの話をしたら「当地に10年以上も住んで、広東語なまりの普通話が聞き取れないのは、あんたの方に問題がある」と一片の同情も見せてもらえず、ために首の痛みはますます悪化した。しかし同時に「そっか、悪いのは私か。また首痛くなるのやだし、べんきょしなきゃ」とも思った。まこと持つべきものは自他に厳しい友人である。

いよいよ

  • 2005/06/06 20:57
  • Category:
“Desperate Housewives” のTeri Hatcherはいよいよ本領発揮。
いくら娘が他家に忍び込んでいるのを発見されないためとは言え、
ちょっと気になっている男とのデートの機会をライバルに譲るなんて、
どういうことよ?
あまりの要領の悪さに、夫と二人”oh, poor Susan!” と言いながら、
笑い転げている。

Bree こと Marcia Crossもいよいよあやしく、
「これ以外の世界が存在するはずないわ!」という鋼鉄の意思を両眼にみなぎらせ、
自身の“完璧な家庭”という幻想で世界を塗り固めようとしている。
このひとは何をそんなに怖がっているのだろう?

夫の上司兼同僚のJosefは、毎週金曜の朝、夫の部屋に顔を出し、
「ゆうべ、見た? え、見てない?(うちでは録画して翌日見ているので)
どうして我慢できるんだ? 信じられないよ。ああ、来週の放送が待ちきれない」
と1人で盛り上がってから自室に戻るらしい。
アジアの片隅でこんなに愛されているとは、しあわせな番組である。

週末

  • 2005/06/06 20:52
  • Category:
週末に見た映画。”In & Out”、 “Bad Education” 、“Mona Lisa”、“Dinner Rush”。
ソフィア・ローレンの“Soleil”は、見ようとしたがプレイヤーがディスクを読み取らずだめ。”Breaking Up”は途中まで見たが、つまらなくて寝てしまった。
毎週4−5本の映画を見ているが、時間を忘れてスクリーンに引き込まれる映画は本当に少ない。

映画鑑賞の合間に、夫の足指のつめを切る。いや別に彼は自分でもできるのだけど、ここ1−2年は腰の調子が悪く、ついでに股関節の筋も固くこわばって、前かがみの姿勢がつらいらしい。
おとなになる前の少年、少女が、長くて細い脚をもてあますように折り曲げて、足のつめをぱちん、ぱちんと切るようすは、それなりに詩情があってよいものだけど、
ひげづらのおじさんが大きいおなかの上にかがみこんで、懸命に足のつめと格闘しているようすは、“詩情”とは少しちがったところにあるので、
だから代わりに私が切っている。
夫の足のつめは、長年好き勝手に切ってきたせいで、「どうしてこういうかたちになるわけ?」というようなかたちになっていて、女性雑誌の“ペディキュアの塗り方”に出てくるような、四角で上の両側だけちょっと丸くトリミングされたようなきれいなつめは、1本もない。おまけに厚い。親指のつめを切るには、渾身の力が必要。しかも伸びるのが速い。私が1回切る間に、3回は切っているのではないか。ほぼ同じものを食べているのに、どうしてこんなに伸びる速度に差があるのだろう。これはやはり夫が毎日飲んでいるプロテインのせいだろうか。つめの主成分は蛋白質だものね。

やっぱり、安いよね?

  • 2005/06/04 21:41
  • Category:
会社の帰りに階下の食料品店に寄ったら、
ブリーがいつもの半額で売られていた。
「おお、ラッキー! これで今夜のお楽しみができた」と
ほくほくして、比較的大きなウェッジをカゴに放り込む。

ついで卵が切れそうなので、6こパックの卵も入れて
新しいブランドの無漂白オーガニック・ショートパスタ500gが
お手ごろな値段で出ていたのでそれも入れて、
あとは‘Biancchi di Spagna’とかいう、文字通り白い豆の缶詰。
子牛のレバーがつやつやとした暗赤色を見せて誘惑したが
どうせ夫は食べないのだからと、最後の瞬間に思いとどまり
以上4品、しめて約850円。

最近日本の食料品店で買い物していないから、はっきりとは言えないが
こうしたヨーロッパからの輸入食料品の値段は、当地の方が少し安い気がする。
ほかの地元産の野菜や、果物に関しては、これはもう圧倒的に当地の方が安い。
私は毎週近所の市場で、1週間分の野菜と果物を買うが、だいたいいつも
1000円から1500円で収まる。
もうすでに育ちきった大人2人であってみれば、1週間に食べる量など
高が知れてはいるが、それでも夫は肉、魚、海鮮は食べない菜食主義者で
野菜と豆と果物が主食なのだから、買う量は一般家庭よりは多いと思う。
ちなみに先週は、りんご、オレンジ各5個、グァバ8個、ドラゴンフルーツ3個、
マンゴスチン6個、バナナ1房、ドライマンゴー1袋、レタス1個、日本の3本分はあるきゅうり
2本、巨大ピーマン2個、小型の瓜3個、トマト6個、セロリ半株、
じゃがいも4個、しいたけ2パック、白きのこ1袋を買っている。これで約1500円。
やっぱり、安いよね?

月が出た、出た

  • 2005/06/03 09:11
  • Category:
上司が朝からBGMに「炭鉱節」を流している。
月が出た、出た、つぅきがぁでたぁぁって
普通会社で流すか、こんな音楽

まあね、外国人から見れば「炭鉱節」っていうのは
異国情緒にあふれた日本の民族音楽で、
それはたとえば日本人の私たちがインドネシア音楽のCDか何かを
パーティのBGMに流して、“アジアンテイストの癒し音楽”風に
聞いてるのと同じかもしれないが、
いかんせん純粋日本人である私は、過去日本で培ったながーーい経験がじゃまをして、
「炭鉱節」で浮かんでくるのは、盆踊りか、田舎の温泉場での宴会の情景、
ちょっと飛んで日曜昼ののど自慢。とてもじゃないが日本趣味の外国人と同じように、
“エキゾティックでおしゃれな音楽”と聞くことはできない。

ありゃ、こんどは「佐渡おけさ」だ。
私は今日一日、日本民謡を聞きながら仕事をするのだろうか、ああ。(ため息)

まあ、金曜日だから、いいか。

欲しい、欲しい、ああ欲しい

  • 2005/06/02 23:02
  • Category:
昨日見たNHKスペシャルがあまりに面白かったので
NHKエンタープライズのウェブサイトを訪ねてみた。
そしたらドキュメンタリーだけでも結構な数のビデオ、DVDが出ていて
「文明の道」とか「国際スパイ ゾルゲ」とか
「カラーで見る第二次大戦」「日本人はるかな旅」
「トルコ文明の十字路」とか、もう食指を刺激されっぱなし。
特に気になったのが「アジア古都物語」。
惹句をそのまま引用すれば
“悠久の歴史を刻み続けるアジアの古都。過去と現在をつなぐ、
6都市の人々の姿をハイビジョン映像で捉えたドキュメンタリーシリーズ”で、
第1集「北京 路地裏にいきづく皇都」、
第2集「ベナレス 生と死を見つめる聖地」
第3集「ジョグジャカルタ 王と民が支える平和の都」、
第4集「カトマンズ 女神と生きる天空の都」、
第5集「イスファハン 楽園を夢見る王都」、
第6集「京都 千年の水脈たたえる都」。
もうこの組み合わせだけで、私の想像力は刺激され、天空高く舞い上がって、
「見たい! 見たい! ああ、見たい!」になってしまう。
ことにイスファハンなんて、その名前を聞いたとたんペルシア、アラビアンナイト、
金色の尖塔のモスク、ついでに最近見た“House of Sand and Fog”の
誇り高きイラン人の面影まで浮かんできて、もううっとりと夢見心地。

DVD6枚セットで、23,940円というのは安くはないが
なんとか工面して買ってしまおうかと思うくらい惹かれる。
残念ながら海外発送はしないというので、どうしても欲しければ
次に日本に行った時に買うしかないが、渋谷のNHKショップは
営業時間が10時−6時で、土曜、日曜、祭日は休みだそうである。
まったく何を考えてるんだか。売る気がないのか、君たちは。
そんなことだから受信料のうえにあぐらをかいた殿様商売と言われるのだよ。

なんだか せつない

  • 2005/06/02 13:57
  • Category:
ある人が日本のテレビ番組がいくつか入ったリムーバルHDDを貸してくれ、
その中のひとつが5月29日に放送されたNHKスペシャル
『日本の群像 再起への20年 第2回 銀行マンの苦闘』だった。

見ていてせつなくなってしまった。
それまで大蔵省は、銀行は経済を支える「公器」として、
どこも破綻しないように「護送船団方式」で統率してきたくせに、
ある時を境に“実力や体力のない金融機関は淘汰もやむなし”に変わり、
銀行は貸しはがしに奔走せざるを得なくなった。
仕事とは言え、昨日まで「お貸ししますよ。借りてくださいよ」
と言っていた相手に「ちょっと事情が変わったので、申し訳ないですけど、
この間貸したあのお金、返してください」と要求するのは、
その一貫性のなさ、暗黙の約束を破り、取引の上での誠意を踏みにじるという点で、慙愧に耐えないものがあったろう。

その後の経過を見れば、当時の大蔵省型の金融哲学よりは、
利益を上げていない企業はさっさと切り捨てるアメリカ型の金融哲学の方が
より実際的だったのだろうが、“もうけて、なんぼ”の世界にどうしてもなじめない私としては、アメリカ型のなりふりかまわぬアグレッシブさに鼻白み、
果たしてこれでいいのかと大いに悩みながら心身をすり減らし、
それでも誠心誠意自身の仕事に邁進した長銀マンたちの方に、
同情を感じてしまう。

塩野七生さんは、金融は切った張ったの世界であり、
ジェントルマンの世界ではないというが、私自身、その世界に身をおいてみると、なんとやくざな業界だろうと、ほとほとうんざりすることが − 大いに − ある。
それがこの業界の常態なのだろうが、ほんとうに“もうけて、なんぼ”
“Make money”が最高にして唯一のルール。
これさえ果たせば、あとはどうでもいい。
互いにはったりをかまし、常に自分を、自分のビジネスを大きく見せることに
心を砕く。誠意は、一般的に言って、カケラくらいしかない。

金の話など、無粋の最たるもの、とか
“武士は食わねど高楊枝”というのが、
やせ我慢に過ぎないことは重々わかっているが、
この方が美しいと思ってしまうのは、私のスノビズムか。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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