文教堂はよい本屋♪

  • 2005/07/31 21:59
  • Category:
新橋駅前の文教堂は、大変よい本屋である。
なんたって朝8時半から開いている。そりゃあ品揃えからいったら、八重洲ブックセンターや、神田の三省堂、新宿紀伊国屋には敵わないが、とりあえず流行りどころは置いてある。しかも広すぎないから目当ての本を探すのも簡単。店員諸兄も、バイトの割には在庫の有無、在庫があるとしたらどのあたりにあるかを把握している。おまけにウチの会社がよく利用するふたつのホテルから、ともに徒歩5−10分圏内と大変近い。こんなに条件のそろった本屋はそうはない。

というわけで今回も出張最終日の昨日、朝5時半に起きて7時には朝食を取り、8時20分には店の前で開店を待っていた。空港行きのリムジンは12時。したがって11時過ぎにはホテルに戻り、戦利品をスーツケースに詰めチェックアウトしなければならないが、それまでの2時間半は買い物に使える。こじんまりした文教堂で、本を漁るには十分な時間である。
8時半の開店とともに店内に入り、1階をざっと流してから2階へ。8月15日をにらんでか、ちょうど第二次大戦、太平洋戦争の関連本が平積みになっていた。テレビ番組でもあったのか、戦艦大和関係の本が目立つ。私自身は大和には興味は無いので、それ以外の日本陸軍関連の本を3冊つかむ。文庫の方へ行って、まず宮部みゆきさんをチェック。文庫の新刊はないもよう。残念。「模倣犯」が文庫になるのはいつだろう。江戸物も好きなので、「あかんべえ」の文庫化も待ち遠しい。なぜ文庫かというと値段もさることながら、大きさが問題なのである。収納スペースの限られた仮住まいの身では、本やDVDなどたまるものは小さければ小さいほど有難い。それでなくても私のベッドの下は、もう本の入ったプラスチックケースでいっぱいなのだから。
ついでダイアン・デヴィッドソンのクッキング・ママシリーズをチェック。ストーリーはあって無きが如しだが、中に入っているレシピやゴルディが料理をするときのようすが、いかにもおいしそうで読んでいて楽しいので、日本に行くたびに1、2冊買っているが、今回文教堂には私がすでに持っているものしかなかったので、パス。その代わりに新潮文庫のコーナーにあったアンソニー・ボーディンの「キッチン・コンフィデンシャル」が面白そうだったので、試しに買ってみる。こちらは推理小説ではなく、実際のシェフが書いた業界裏話本(らしい。少なくとも惹句はそうなっている) なぜ月曜に魚料理を食べてはいけないのか? とか。さて、なぜでしょうね?
もう1冊、「パーネ・アモーレ」(田丸公美子著 文春文庫) イタリア語通訳の第一人者田丸さんのことは米原万里さんの書著やアルクの「通訳ソーウツ日記」で以前から気になっていたので、文庫が目に付いたのを機に買ってみた。帰りの飛行機で読了。たまに通訳もせねばならぬ身として、「うん、ほんとにそうだよ」としみじみうなづき、また身につまされること多く、買って損はなかった。でも、ま、文章は米原さんの方がうまいかな。(って私が言うのもおこがましいが^^ゞ)
最後にこの間どこかの新刊案内、およびおっとせい先生のところ(7月11日)に出ていた小谷野敦氏の「帰ってきたもてない男」も。これはまだ読んでいないので感想は書けないが、前作の「もてない男」があれだけ面白かったのだから、期待はずれには終わるまい。カナダ行きの飛行機で読もうかな。楽しみ♪♪
仕上げに雑誌2冊買って、文教堂はおしまい。店内に資生堂の「ラ・サントゥール」の香りをつけた文庫本用ブックカバーがあり、「ご自由にお持ちください」となっていたので、2枚もらってきた。白地にローズ色の薔薇の花びらの模様。香りもやわらかく、しかも厚みを感じさせる薔薇の香りで、いい気持ち。

文教堂を出るとちょうど10時過ぎで、近くのドラッグストアが開いていたので、何があるのかのぞいてみた。買う、買わないは別として、今日本で何が流行ってるのか、どんなものが出てるのかチェックするのは面白い。サプリメントも「へー」と感心するくらいたくさんあって、おもわず口を開けて見とれる。みんなこんなにいろいろ飲んでるのお? 私なんて40過ぎたら摂った方がいいでしょうと、当時働いていた会社の健康診断で言われて買ったカルシウムの錠剤でさえ、忘れて会社の引き出しにいれたまんまなのに。みんな疲れてるのかなあ。といいつつ私もパソコン疲れ目用の目薬と、昨年から話題のコエンザイムQ10が入ったクリームを買ってみる。ふだんは湿度80−100%の土地で生活しているので、どう転んでも肌が乾燥することはないが(それよりもカビの発生に注意である。何しろ高温多湿だから、カビにとっては天国。油断していると皮膚にもカビが生える。ほんと、ほんと) 5日後にはカナダに行って、一気に湿度が下がるので念のため。効くのかな、これ。前回カナダに行ったときには、日に焼けたせいもあって、皮膚がぴしぴしになったからなあ。今回は気をつけよう。

ドラッグストアを出、そばのコンビニでおむすび♪と水を買ってホテルに戻る。ホテルをチェックアウト。部屋付けにしておいた会議室使用料や会議の際のコーヒー代、昼食代、今回はとりあえず立て替えといてと言われて、泣く泣くカード払いにして立て替える。上司ったら飲み屋で使いすぎて日本円なくなっちゃったって、ほんとにまったく何考えてるんだか! 人呼んで「タカリの××ちゃん」で自腹を切ることはまず無いはずなのに、今回はよっぽど酔ってたんだろうか。ま、そうだろうな。携帯やカバン忘れて社長に持って帰らせるくらいだからな。なんだか私に日本円貸して欲しそうな口ぶりだったが、気づかないふりして逃げた。私だって2万円しか持って来てないし、飲み代を貸すのなんかやーですよーだ。これに懲りてもう少し計画的に飲んでください、って計画的に飲むのんべえなんかいないか。はは。
スポンサーサイト

楽勝出張 こんなことはもうあるまい

  • 2005/07/30 15:38
  • Category:
いやー、今回の出張は楽だった。
訪問先の担当者が、ほとんどみな英語か普通話を解した上、今回の商品を共同開発した会社のCEOが日本語がけっこう達者で、日本語で説明することもできたため、わたしは道案内だけしていれば済んだ。説明書を読んでもよくわからない新商品の説明を、通訳させられるのではないかとびくびくしていたわたしは一気に肩の荷が下りて、出張で初めて目覚ましのベルが鳴るまで眠り続け、頭痛も腹痛も起こさないという快挙を成し遂げた。ほんとに、ほんとにラッキーだった。ただし、楽だったおかげで普段は出張に行けば1キロは減る体重が、今回は逆に増えたようで(そりゃそうだよね、毎晩接待ごはんをパクパク残しもせず食べていたんだから)その点では少々残念。

しかしお気楽だったのは上司も同じのようで、彼は到着第1日目の夜に身内だけで飲みに行ったバーに携帯を忘れ、翌日タクシーで往復1時間もかけて取りに行くはめになったし、その翌日は別の飲み屋にカバンを忘れた。幸いこれはウチの社長(正確にはCOO Chief Operating Officerだそうだ)が代わりに持って帰っていたので事なきを得たが、連続2夜の失敗で少し賢くなった彼は、3日目は呑みに行くタクシーに乗る前にカバンをわたしに預けた。彼のカバンの中にはお客様の個人情報なぞ入っていないから、落とそうが無くそうが被害を受けるのは彼だけだが、無くしたとなれば警察に届けたり、ありそうなところを聞きまわったりする役はわたしに降ってくるに決まっているので、面倒は事前に防いでおいた方がよい。そのおかげかどうか、3日目は飲み屋には何も忘れ物は無かったようである。大変結構。飛行機に乗る直前まで、事後処理に走り回らされたのではたまらない。

ところで、ふだんウチの部で扱っている商品とは別種の商品であるため、出張前に資料を読んでも、どんなものなのか今ひとつはっきりよくわからなかった今回の新商品、他社を訪問して歩き、共同開発社の説明を聞くうちにぼんやりとしていた輪郭が徐々にはっきりと見え初め、ついで1日目の最後に訪問した会社で同社の担当部長氏から、こうした商品に関する説明を聞くに至って、「おお、そういう商品だったのか、これは!」と非常に明瞭になった。この担当部長氏は、自社の営業担当者にも売るポイント、お客様への説明の仕方等を講義したことがあるそうで、この手の商品を日本で売るにあたっての問題点、この商品と既存の商品との相違点について、ホワイトボードまで使ってかなり詳しく説明してくれた。わたしにとっても、日本に売り込みたいと考えているウチの会社および共同開発社にとっても、非常に有難い親切な説明だった。
まったくねー、こういうことはウチの上司に聞いても全然答えてもらえませんからねー。だって彼自身知らないし、資料読んでないんだもん。まあね今回のはウチの部が直接売るわけじゃないから、知らなくても済むのかもしれないけど、お客さんにとってはウチの社の商品のひとつであることに変わりはないわけで、紹介する以上、商品について説明できないっていうのはやはりまずいのではないか。実際、一昨日も親しくて口の悪い顧客の一人から「おたくの上司、資料読んでないんじゃないの」と耳打ちされたが、まさか「そーなんですよ。ホント困るんですよねー」と相槌を打つわけにもいかず往生した。上司よ、お客さんも見てるんだから、たまには資料を読んでくれ。あなたは純粋な営業マンで、学究的なタイプでないことはよくわかっているが、せめて今現在売っている、あるいは売ろうとしている商品についての資料くらい読んでもいいんじゃないの? 忙しくて読む暇ないなんて、言い訳にもならないぞよ。それも仕事のうちでしょうが。

上司に過剰に期待するのは間違いだというのはわかってはいるが、性格がよくて部下にも親切だが、業界や商品については学ぶことのない上司と、性格は悪くて部下にもあたったりするが、業界や商品について精通していて仕事の面では有能な上司とどちらがいいのだろう。わたしが今までいっしょに仕事をしてきた上司の多くは、性格もいい上、程度に差はあれ有能な人が多かったが、今回のこの上司は例外だろうか。ま、ほんと悪い人ではないんだけどね。ただ時々ため息がでちゃうのよね。あーあ。

阿財 とった

  • 2005/07/27 07:03
  • Category:


となりの一膳飯屋で昼寝をしていた阿財を撮った。
カメラを向けたら、目を開け、「なんだよ」という感じで寄ってきた。

鼻でかに写ったのは、レンズに近寄りすぎたため。
魚眼レンズをつかったわけではありません。

右手に散らばっているのは、野菜くず
八百屋だからさ

でっちあげ翻訳

  • 2005/07/26 19:45
  • Category:
出張の2日前に、資料を翻訳してねと言うのは止めましょう。
ことにそれがノン・ネイティブが書いた資料で、20分にらんでもどこがどこにつながるのか皆目わからないような資料は、翻訳者に迷惑ですから、いっそ翻訳せず、そのまま出すがよいでしょう。
それがいやなら、ネイティブ・チェックをかけましょう。

よく似た単語を取り違えたり、ミスタイプをするのは止めましょう。
翻訳者は混乱します。ことに専門用語がてんこもりのテキストで、翻訳者がその分野に詳しくない場合、辞書に当たっても出てこない単語を「これってもしかして専門用語?」とうつくしい誤解をする可能性が大いにあります。単なるタイプミスであることに気づくのは、そうした単語に遭遇した焦りが収まってからです。手間がかかります。

専門の翻訳者に頼むと高いからと言って、社内の人間を便利に使うのは止めましょう。
だいたいそうした人は、翻訳ができるような水準にありません。
ないから翻訳以外の仕事をしているのです。翻訳で食えるようなら、どこかのエージェントに登録し、朝から晩まで違う仕事に勤しむようなことはしていないでしょう。依頼者はその辺をよくわきまえて、モノを頼むべきでしょう。

わけのわからないテキストから、わけのわかった翻訳文を編み出すのは至難の技です。
翻訳は創作ではないのですから、過剰な期待を抱くのは止めましょう。



気分落ち込み、お買い物

  • 2005/07/25 19:47
  • Category:
あさってからの日本出張を控え、気分がどどどーんと落ち込んでいる。なんでそんなに出張がいやかって? 自分でもわからないですよ。適当なたとえが思いつかないが、たとえば中学生で、あさってから期末試験が始まるとか、たとえば新婚の奥さんで、ふだんは夫と2人だけで仲良く暮らしているのに、朝、急に電話があって、あさってからお姑さんが小姑を連れて遊びに来ることがわかったとか、そんな感じかな。別に期末試験の成績が芳しくなくたって、せいぜいが親に叱責されるくらいだし、第一受ける前から失敗と決まってるわけじゃなし、うまく行く可能性だってある。お姑さんのことにしても、小姑嬢と一緒に遊びに来るからといって、別にその場で戦闘が開始されるわけじゃなし、世間話してお土産なんかいただいて、何事もなく2、3日過ごせる可能性だってあるのだけれど、でもやっぱり戦々恐々とした感は否めない、と。そんな感じ。
わかっちゃいるけど、いやだなあと思う気持ちはコントロールできない。

おかげで週末もどんより、どんより。おまけに夫は仕事が忙しく、土日とも出勤だった。休日夫がいないと私はヒマなので、気晴らしを兼ねてお買物に行ってみた。折しも街は夏のセール中である。ジムに行くついでに、ジムの真ん前のビルにあるエスプリを覗く。ここの服は別に面白い服ではないが、ほどほどの品質のものをほどほどの値段で提供するので、わたしはよく利用する。出張のときは例の黒子のスーツだが、ふだんはオフィスにこもって1日中キーボードを叩いているだけなので、服装に気を遣う必要はない。Tシャツにパンツでも何も言われない。ことに夏場は、毎日がカジュアルデイみたいなものである。だからエスプリの服は重宝する。昨日も会社用としてあれこれ適当に選んで結構買い込んだが、合計金額は800元ちょっと。買ったのがTシャツやらタンクトップやらなのだから、大した金額にならないのは当然だが、これで1夏半くらいは乗り切れるのだから安いものである。タンクトップは4枚買った。その前の週、愛用しているTシャツ2枚がそろそろくたびれてきたので、代わりに私としては珍しく、胸が大きくVに開いたTシャツを色違いで2枚買ったのだが、これが着てみると予想以上に胸元があく。わたしは胸がないので、いくら胸元が開いていようと胸が見える心配はないが、ふと前かがみになったりした時に、胸を通り越して腹が見えてしまうのは、いくらなんでも色気のない話であるし、目にしてしまった方も気分が悪かろう。ということで、そのTシャツの下に着るタンクトップを色違いで買った。店内のマネキンを見たら、マネキンもTシャツの下に、マッチした色のタンクトップを着てレースをのぞかせていた。どうも元々そのように組み合わせるものらしい。なるほど、店にとっては売り上げも増えるし、一石二鳥ということか。

ついでに安売り化粧品店である“卓悦・Bon jour”にも寄り、何か面白いものはないか物色。するとディオールの5色アイシャドウパレットのミニ版を発見。コフレ用として作られたものをバラして売っているのだろうが、4×3センチくらいと小さく、小さい分本物よりかわいい。色味は030のincognito。やわらかいブラウンや、グレイ、ベージュ等、地味だが使える色合い。どうせすぐ厭きるのだから、この程度の大きさでちょうどよい。25元とお安いし。自慢するわけではないが、この10年、私が使っている化粧品は9割方安売り店の品である。それで別にトラブルもない。何年か後、この地を引っ越すことになり、引越し先にこうした安売り店がなかったら、ずいぶんとさみしくまた不便なことであろうと思う。莎莎や卓悦ががんばって東南アジア以外にも進出してくれたらいいのに。

私達は本当に同じ日本にいたのだろうか

  • 2005/07/24 15:43
  • Category:
私たちはほんとうに同じ日本に住んでいたのだろうか。
80年代初め、私は大学を卒業した。まだバブルは兆しも見えていず、就職戦線は土砂降りと言われていた。当時から“何かを売る”ことが嫌いで愛想を振りまくことが苦痛、教師にもなる気がなかった私は、当然就職活動はひとつもしていなかったが、しかし“就職しない”という選択肢はまったくの問題外だった。当時はまだフリーターという言葉もなかったし、ましてNEETという言葉など誰の頭の中にもなかった。学校を卒業したら、就職するのが当たり前だったのだ。
それはもちろん余裕のある家庭のお嬢さん方には、「家事手伝い」という選択肢もなくはなかったし、実際4年生だったある日、たまたま同じ学バスに乗り合わせた高校時代の同級生 − 彼女は私が通っていた大学のそばにある、キリスト教系の由緒正しいお嬢様女子大に通っていたが − から「ところでloutraさん、卒業したら就職なさるの?」と真顔で聞かれ、正直とても驚いて、なるほど洋子ちゃんが通っているような女子大には、卒業後「家事手伝い」と「花嫁修業」に励むお嬢様がたくさんいるのだな、と思いはしたが、それはあくまで他人事で、私の選択肢の中にはありえないものだった。
だって、いったい誰が養ってくれるというのだ? 私が育ったのは北関東の田舎町である。昭和40年代、小学校1クラス40余人の中に、お母さんが働いていない人が、いったい何人いただろう? 農家のお母さんたちは、働いていた。重要な働き手の一人として野良に出、舅姑と同居の大家族の衣食の世話をし、子どもの面倒を見、それこそ朝から晩まで、休む間もなく働いていた。商家のお母さんも同じだった。肉体労働としては農家より楽だったかもしれないが、それでも24時間休みなしの労働であることに変わりはない。サラリーマンの家でも同じだった。子どもが小さく、外に働きに出られない人も、家で内職をしていた。衣料品やぬいぐるみの縫製、簡単な機械の組み立て、1日根を詰めて働いてもいくらにもなりはしないのだが、それでもみな何かしていたし、割のいい内職の話にはみんな飛びついた。それが当たり前だった。何しろ病気でもない奥さんが仕事も内職もしないでいることを、“あの人は遊んでいる”と形容するのである。しかも口調には非難と嘲りが込められている。それはほとんど、正業につかないやくざ者のことを語るのと同じ口調だった。
「働かざるもの食うべからず」とは誰の言葉だったか、いずれにせよこの言葉は、毎日の生活を通して私の頭と身体に、いやになるほどたっぷりと刷り込まれ、男だろうと、女だろうと、結婚しようと独身だろうと、成人したからには人は養ってはくれない。自分で働かない限り、食うことも着ることもできず、一人前とも扱われないのだと思い知らされた。

だから好むと好まざるとに関わらず私は就職せねばならず、就職活動なしでも就職できるところという線で選んでいくと、就職先は各種公務員か団体職員しか考えられなかった。もうひとつ縁故で某神社の巫女というのもあったが、これはまあさすがの私にも、最後の最後の滑り止めとしか見えなかった。

東京に残る気のなかった私は、実家近くで公務員試験、団体職員試験を受けた。公務員試験とはいっても国家上級などとは違い、地方中級の試験は常識を問うだけの簡単なものだった。どちらの試験も通った。公務員の方が条件がよかったので、公務員を選んだ。
田舎で公務員になってみると、これは話に聞く東京のOLとは大いに違った。寿退職など、どこの話か。女でも30歳くらいでは、まだペイペイである。なにしろ中学や高校を卒業してすぐ役所に入り、働き続けている勤続30年、40年というオネエサマたちがうようよいるのだ。入って10年では新入社員である。女たちは結婚しても働き続ける。子供が生まれても働き続ける。産休や、当時始まったばかりだった育休を取ったからといって机がなくなったりはしない。よほどの悪事を働かない限り、公務員をクビにすることはできないのだ。私が公務員だった10年間、結婚して辞めた人はたった一人。子どもが生まれたからと言って辞めた人はゼロ。その結婚して辞めた人も、結婚相手が住んでいるのが80キロ離れた町で、いくらなんでも通いきれないから辞めただけで、正確に言えば辞めた理由は、結婚というより転居だろう。定年まで働くのが当たり前の環境だったのだ。

巷で「女はクリスマスケーキ」と言われていたのは知っている。「女のしあわせは家庭にある」と言われていたのも知っている。しかしそれらの言葉は、私にとってはまともに取りあう必要もないほど馬鹿馬鹿しく時代遅れで、そんなことを本気で言う人はアパルトヘイトを擁護する人と同様、自身の無知無教養を恥ずかしげもなく世間に公表しているとしか思えなかった。もちろん80年代当時(いや、たぶん今でも) オフレコの場でこうした意見を開陳する人はたくさんいた。でもそれはあくまで酒の席や、男同士の雨夜の品定めの席でこそこそと、あるいは堂々と語られる意見であって、会社や学校で公式見解として語られる意見ではなかった。いや、なかったと、今の今まで思っていた。

だから先日、いつも文章のうまさに感心しながら楽しみに読ませていただいているある方のブログで、その方の入社時の人事部主催の女子社員研修で「25歳、女の売れ行きはクリスマスケーキと同じです。社内で気働きを発揮して、いい人を見つけ、早く辞めましょう。」と人事担当者が、女性の結婚年齢を表す折れ線グラフを板書して、企業社会における、女性の望ましい退職時期について説明したと知って、仰天した。
失礼ながら文章から察するに、この方と私はほぼ同い年のはずである。私が田舎の公務員として定年まで働くべく勤しんでいた時代、日本の首都東京の一流企業では、25歳までにいい人を見つけて結婚し、退職しましょう!と人事部が激励していたとは!
彼我の違いに目がくらむ思いである。
当時わたしが時代錯誤の無知蒙昧な意見として一顧だにしていなかった「女はクリスマスケーキ」は、実は80年代にはまだ主流の意見だったのだろうか。私は日本における女性の社会進出は、70年代に一気に広まり80年代には常識と化していたと思っていたが、それは私の回りだけの特殊な現象で、マスコミやものの本には登場しない本当の社会では、戦前のうつくしい価値観がまだ厳然と生きていたのだろうか。わたしが盲だっただけなのだろうか。

ピンヒールに踏まれて

  • 2005/07/23 22:57
  • Category:
リーボックのウォーキング・シューズや、ロックポートのワークブーツになじんだ足で、たまにパンプスやかかとの細いサンダルを履くと、こうした靴がいかに歩くのに適していないか、しみじみと思い知らされる。
オフィスの中をコピー取りに歩くくらいはまだいいが、急なレセプションなどでこちらのビルからあちらのビルへ小走りに移動したり、はたまた立ちっ放しでスピーチを拝聴、などの仕儀に相成った日には、朝何かの気まぐれでその靴を選んだ自分自身を呪いたくなる。
そんな日の夕方の足の痛さは、骨に染み通る。時には夜、横になってからも親指の骨がずきずきとうずき、明日はもう絶対いつものワークブーツにしようと痺れたように痛む足を抱えて誓うのだ。

しかし今はもっぱらリーボックやワークブーツの私も、昔々20代の小娘だった頃は、驚くべし、9センチのピンヒールパンプスで、街を歩いていた。それが当時の流行だったせいもある。“流行”となると街の靴屋にはそのデザインの靴ばかりあふれ、他のデザインを買おうにも買えなくなってしまうのだから。しかしそれ以上に当時の私は、ハイヒールのもつ硬質のエロティシズムをうつくしいと思っていて、それに憧れていたのである。歩くには全く適さない9センチのピンヒールは、しかし造形としては完璧にうつくしく、世界中の靴フェティシストを魅了する。マノロ ブラニクのパンプスを見るがいい。 甲は楚々たる風情でひたすら優雅に華奢だが、かかとは豊満な女の体を思わせる豊かなボリュームを見せ、それが急なカーブを描いて針のように細いヒールへとつながっていく。この鋭く張りつめた曲線。マゾヒストの男たちがピンヒールで踏まれることに欲情する気持ちはよくわかる。だってそれはそうだろう。紐結びのワークブーツや、ナイキのスニーカーに踏まれて何が面白い? 鑑識の足型取りじゃあるまいし、背中にスニーカーのナミナミ模様がついて、それに欲情するなんて C.S.I.フェチでもなければ考えられない。(それともバスケファンで、特定の選手がはく特定のシューズに限りなく欲情するとか)
ハイヒールは拘束であり、同時に攻撃である。その中でも針のように細いかかとを持つピンヒールは、見る者を強い視線ではねつけ、しかも同時に誘惑する。マノロのかかとは、“挑発するかかと”と呼ばれる。見るものの力量を問い、挑戦するかかとである。受けて立てるのは、さてどんな方なのか。
ワークブーツをはいた私の席は、外野見物席である。


かように恵まれた上司をもったわたしは

  • 2005/07/22 09:39
  • Category:
来週の日本行きの日程も決まらないうちから、上司は来月のツアーの日程作りに励んでいる。うれしそうに鼻歌を歌いながらカレンダーに印をつけ、訪問先の誰彼に、「来月の×日あたり、空いてますかあ」と電話している。まったくお出かけの好きな人だ。

実は私はさっきまで、もっとずっと真面目な文体でこの上司のことを書いていたのだが、書いていて途中でばからしくなり、「ああ、やめた、やめた。この文体じゃ、このおっさんのことは書けん」とうんざりして中途で筆を投げた。正確には画面の文章をデリートした。 (関係ないけど、こういう“筆を投げる”とか“筆を折る”とかの慣用句、そのうち淘汰されていくのかなあ。いまどき“筆”でモノを書いている人なんて、書道家以外いませんよねえ)

このおっさんこと、上司のアタマの中がどうなっているのかは、私にとって大きな謎である。私の論理ではどうしてもついていけないので、最初は私の論理に穴があるのかと思っていたが、最近は穴があるのは上司の脳みそのほうではないかと思い始めた。
今日も今日とて、来週の日本行きに備えたアポ取りがなかなか進まないのを聞いていた上司、「loutraさん、ほんとのこと言うとみんな会ってくれないからさ、売りに行く商品のことは言わなくていいよ。ただ社長といっしょに挨拶に行くとだけ言ってよ」と言う。本気かよ、上司。それで相手の会社へ行って、出てきたのが相手の会社の社長とかそのアシスタントだけで、肝心の売りたい商品の担当が出てこなかったらどうするのさ。こっちはウチの社長が“売り込み”に行くんだぜえ。アポ取りました。でも商品担当には連絡しませんでしたって、そんなのアリかよ? 帰って来てから、まともにアポも取れない奴って非難されて、面子丸つぶれになるのは、上司、あんたじゃないの? そういうのでいいわけ? それとも、そこまで考えてないの? どうも考えてないんだな。とりあえず日程表を埋めて、「日程できましたあ!」と社長に見せればコトが済むと思ってる顔だよ、これは。やれやれ。
上司、10歩先とは言わないが、せめて2歩先くらいまでは読んでくれ。ニワトリだって、自分の2歩先にアブナイものがあるかどうかくらいは考えるぞ。
それから何度も言うけど、商品の資料読んでね。昨日もらって机の横に置いたまま、あんた全然目を通してないでしょ。あっ、ほらまた資料の上に別の資料重ねた。そんなことしてると、資料なくすよ。知らないよ。あーあ。

ま、もっともこの上司、部下にはいたって親切で、思いやりを示す。また自分の失敗を部下にひっかぶせることもしない。そういう点では、いさぎよい。常にあっけらかんと明るく、仕事がうまくいかないからといって、ぐちぐち嫌味を言ったりもしない。セクハラもまったくない。先のことを余り考えなかったり、その場限りの仕事をして後でえらいことになったりするのは困りものだが、考えてみれば、緻密に計画を立て、用意周到に準備を進めたからと言ってモノゴトがうまくいくとは限らないわけで、仕事のストレスを過剰に溜めないためには、上司程度のやり方でちょうどいいのかもしれない。
親切と言えば、上司は先日、わたしが留守の間に、わたしの机の下に棚を取り付けてくれた。机と同じ材質の合板でできたきれいな棚で、バッグや、資料が載せられるようになっている。上司が日曜大工したのである。長さはちょうど机の真中までで、ために棚板の角がちょうどわたしの膝頭にぶつかる位置に来てしまい、不注意にイスを引くと右ひざが棚板にぶつかって、目から火花が散る思いがするが、上司は「床に直接ファイルケースを置くと、汚いでしょ。棚に載せればきれいよ」とにこにこしている。またその前には、机の袖の部分に、しっかりしたクロームめっきのカバンかけを取り付けてくれた。「このフックはしっかりしてるから、かなり重いカバンでもだいじょうぶ」と自信満々で、やはりにこにこしている。実際に上司のことばに応えてこのフックにカバンをかけると、手前の引出しが開かなくなってしまうのは、単なる不幸な偶然である。またその前には、ドアのそばにコートかけ用のフックを取り付けてくれたが、ここにコートをかけるとすそが床を引き摺ってしまうのは、これまた不幸な偶然に過ぎない。すべて部下の便宜のためという、うつくしい親切心からしてくれたことである。
いろいろ考え合わせて見ると、このおっさん、ほんとうは憎めないおっさんなのかもしれない。

エゴグラムによる性格診断は

  • 2005/07/21 14:20
  • Category:
ゆうべひまだったので、Nuitさんのところや、要さんのところで紹介されている、エゴグラムによる性格診断というのをやってみた。(Nuitさん、要さん、すみません。勝手にお邪魔しました) しかし何回やっても 「 ・・・うそだろう・・・ 」という結果にしかならず、そんなはずはないと思って、4回目くらい(わたしもヒマだ)には直感でではなく、よーく考えてから「はい」「いいえ」を選ぶようにしたが、それでも結果は似たりよったりだった。どう考えても、わたしの判断と実際のわたしとの間に、開き(認識のずれと言ってもよい)があるとしか思えない。

たとえば設問7番「義理と人情を重視しますか」という問いに、わたしは「おう、もちろん!」と胸を張って「はいっ!!」と答えたし、今この時も「わたしは義理・人情を重視している」と思っているが、ほんとのところはどうなのだろう。どの程度重視したら、“重視”になるのだろう。仮にわたしの“重視”の水準が、他の人が平均値と考える水準とほぼ同じだったとして、それでもやはり「はいっ!」と答えていいのだろうか。

また設問15「遠慮がちで、消極的な方ですか」に「はーい」と答えたが、現実のわたしを知る人が聞いたら「ぷっ、どこがあ?」と笑っているかも知れぬ。しかしわたしとしては遠慮しているつもりなのだし、(仕事に対してはことに)消極的であると思っているのである。

というわけで、あたっているのかいないのか、わたしの場合はよくわからんです。性格の中であたっていると思えるのは、“他人を押しのけて行く強引さの欠如”、“他人の思惑を気にし過ぎる”、“他人との摩擦を極度に警戒する”(ただしこれは“心の優しさ”からではなく、単に面倒が嫌いだからである) といった点。この性格診断を見る限り、私という人間は平板なジンセイを、人の顔色を窺いつつ、小心翼翼と生きている心優しい臆病者のように見えるけれど、わたしはほんとにそういう人なのか。

[性格]
第三者の目から見た場合、性格的なバランス評価度が100%に近いタイプです。しかし、本人の自覚している性格的バランスの満足度は、恐らく70%か80%位では無いでしょうか。(← もっと低いです )何故なら仕事や金儲けの際に、他人を押し除けて行く強引さの欠如や(← 他人を押しのけてまで何かしたいほど、仕事や金儲けに興味ないもーん)、他人の思惑を気にし過ぎる過敏性性格が、かなり顔を覗かせているからです。心が優しくて(← これは明らかにマチガイだ)、他人との摩擦を極度に警戒する合理主義者の貴方は、そこの所が非常な長所で有り、短所でも有る訳で、自・他のエゴイズムの衝突を、どのような形で調整するかに、焦点の絞られたタイプです。

[恋愛・結婚]
性格的には、恋愛や結婚の相手として、最も望ましいタイプの一つです。(← そのわりには、過去よく振られたよな。なんでさ?)思い遣り、同情心などは人より優れていて、神経も細やかであり、現状認識や判断力も確かです。責任感や倫理感は人並であり、格別に我儘な点も見当りません。(← そうですか。ありがとうございます。しかし我が母はきっと違う意見です。確信があります)

[職業適性]
確実に不向きな職業としては、司法関係者(特に警察官や刑務官)(← なりたくもない!)などが有るだけで、大概の職業には適性が有るでしょう。(← つまり一応何でもできる、と。しかし一芸に秀でる才能はないわけだな。当たってるよ、ちぇっ)権力や世間の評判に弱く(← そ、そんなはずは…)、決断力や実行力に欠ける(えっ…)所が少なく有りませんので、充分心すべきでしょう。貴方が事業家などで有る場合には、貴方の正反対の性格を持つブレーンが絶対に必要であると思います。

[対人関係]
社交的には、非常にバランスが取れているのですが、欲を云いますと、人付き合いに関してやたらと神経質になる事だけは避けた方が良いでしょう。環境によっては、ノイローゼ気味になる可能性も有ります。(← はい、なりました。ってことは、あたってるのか)貴方の場合は、判断力や分析力にかなり優れた所のあるタイプなのですから、自分がこうと判断した事は、絶対的に自信を持って割り切った行動に移る事を心掛けるべきです。(了解)




ところで、来週日本に行くことになった。今回はウチの社長(? かなあ。とにかく経営トップの方の人。実はわたし、社長が誰か知らないの。入社した時も別に紹介なんかなかったし、全体集会とか訓示とかもないから、2年以上経った今もナゾのまま。日本企業では考えられんが)といっしょに、ウチの商品のひとつを売りに行く。上司は日本が好きだから、ほくほくして「どこでごはん食べようか? loutraさん、どこがいい?」と、夕食のレストランの心配をしている。こら、上司!そんなつまんないこと心配する前に、売りに行く商品の説明書でも読め! 前回みたいに、ひとつも読んでなくて、客に聞かれたとき笑ってごまかしたりしたら、横から蹴飛ばしてやるからな! ああ、わたしってやっぱり小心者…

日本へ留学

  • 2005/07/20 16:09
  • Category:
上司の一番上のお嬢さんが、日本に留学することになった。
お嬢さんは若干16歳。先日高校(F5)を卒業したばかりである。
当地の学制は初等教育が6年、中等教育が前期3年(F1−F3。ここまでが義務教育)、後期2年(F4−F5)に分かれており、F5が終わった段階で、通称『会考』と呼ばれる統一終了試験を受ける。
この会考の成績により、各種カレッジや大学予科(2年制。F6−F7)に進学できるかどうかが決まる。大学予科に進学できなければ、大学にも進学できないわけで、
したがって上級学校への進学を目指す親子にとっては、この『会考』は非常に重要で
毎年その時期になると、日本の受験期と同じような真剣な大騒ぎがそこここで
繰り広げられることになる。

で、どうやら上司のお嬢さんは、この『会考』の成績が余り芳しくなかったらしい。
そのため、このままここであと2年勉強を続けても、大学に進学できるかどうか
わからないから、それならいっそ日本へ留学させて日本語をマスターさせ、
日本の大学へ進学させた方が、将来就職の可能性も広がるし、お嬢さんのためにも
なるだろうということになったらしい。
ちなみになぜ“日本”かというと、上司も上司の奥様もかつて日本に留学し、
日本の大学を卒業しているからである。おまけに2人の現在の仕事も日本関係だし、
日本人の知り合いも多い。したがって勝手のわからない欧米の大学に娘を進学させるよりも、かつて自分も住み、勉強した国に進学させる方が、親としても安心だということなのである。ついでに言えば、欧米に留学して英語を流暢に話す人など当地には掃いて捨てるほどおり、よほどの一流大学あるいは大学院の出身でない限り、そんなことはちっともセールスポイントにはならない。しかし日本語ができるというのはまだ少数派だ。売りになる。そういうことなのである。

わたしは子供がいないので、40をいい加減過ぎた現在でも、親の立場からというより、子供の立場からモノを見てしまう。
で、この留学の話が出たときも「それで、クリスティ(お嬢さんの英語名)は日本で勉強したいって言ってるの」と聞いてみた。母親であるMさんは「あの子は、どっちでもいいのよ。ただお父さん(上司)が行けっていうから、このままここにいてもつまらないし、日本に行ってみようかなっていうだけ」と、やれやれというような顔で愚痴った。
それが本当なら、聞いているわたしもやれやれである。
実は先日、わたしは上司から頼まれて、お嬢さんの作文『日本に留学したい理由』を、日本語に翻訳したのである。上司が行かせようとしている日本語学校はけっこうしっかりした日本語学校であるらしく、願書やあまたの証明書類と一緒に、本人の志願理由を記した作文の提出を義務付けている。日本語学習前なので、当然志願者の母語で書いてよいが、その場合は日本語訳をつけることとなっており、「お願いね」と上司から公私混同で頼まれたのであるが、その作文というのが「うーん、16歳の子の作文てこの程度かなあ。ま大人でも下手な人はいるしなあ」としばし紙を手に考えるような代物。ぶつぶつ切れた短文が、あまり脈絡なく並んでおり、非常に短い。翻訳をパソコンで打ったらA4の半分もいかなくて、上司に「ちょっと見場が悪いですけど、どうします?」と聞いたくらいである。上司は「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ありがとう!」と言って持って帰ったが、その後母親Mさんから聞いたところによると、あの作文はお嬢さんではなく、上司自らが書いたのだそうである。えっ!! である。上司が文章を書くのが苦手なのは、日々の業務の中で十分承知しているつもりではあったが、今回のこれはいつものレベルをはるかに下回っている。いや、下手さ加減については、お嬢さんが書いたらしく見せかけるように故意であったのかもしれないが、それより何より、娘の作文を親が書くとは何事か? これはお嬢さんの留学のための資料ですよ。
上司が代わって書いた理由は、お嬢さんはちょうど試験にあたっていて忙しかったからというのだが、母語で書く20行足らずの作文に、何時間必要だと言うのだろう。この程度もする気がなくて、誘惑の多い日本で一人で暮らし、面白くもない日本語の勉強を続けていくことができるのだろうか。わたしは大いに疑問に思う。
母親Mさんによると、上司は家では専制君主で、子供は彼の言うことには絶対服従であるそうだから、上司が行けと言ったら、子供であるクリスティは「いやだ」は言えないのかもしれないが、16歳くらいで、まだ自分のやりたいこともはっきりわからないうちに、親の思惑で一人外国ヘ行き、たいして興味もない勉強をしなければならないというのは、なんだかちょっとかわいそうな気がした。これが本人のたっての希望だと言うのなら、同じ16歳でも、ひとりでも、わたしは一向に“かわいそう”とは思わないのであるが。

原因は生姜コーヒーか?

  • 2005/07/19 16:00
  • Category:
昨日の午後からだんだんお腹の調子が悪くなり、
普通話の先生のところに着いた時には、開口一番
「先生、すみませんが何かお腹が痛い時の薬をお持ちではありませんか」
と薬をお願いするはめになった。
とりあえずラムネ(お菓子のラムネね)みたいな味がする
平べったい薬を2ついただき、普通に授業を受けたが、
途中「痛いのは胃か腸か」「胃ではないと思う」「どこ」「このへん」
「その位置だと十二指腸ではないか」「えっ、ここは十二指腸ですか」
「胃のすぐ下が十二指腸です」「いやあ、十二指腸という名前は知っていましたが
それがどこにあるかはよく知りませんでした」と思わぬところで自身の内臓位置に
関する無知を披露することとなった。
先日も書いたようにわたしは至って健康なので、ふだん自分の内臓がどこにあるか
とか、その内臓がどんな役割を果たしているかといったようなことには
あまり関心を持たずともやってこられたのだ。
唯一の持病といえるのは、偏頭痛くらいで、だから頭痛の本やら、
ウェブサイト『頭痛大学』、偏頭痛を抑える鎮痛剤については詳しく調べたが、
胃腸に関しては、せいぜいあさましくも意地汚くものを食べて、
吐いたり下したりするくらいが関の山だったから、
調べずとも、天下の正露丸さえ常備しておけば何とかなったのだ。
よくできた身体である。遺伝子に感謝。
それにしても中国語の内臓に関する名詞が、ほぼ日本語と同じで助かった。
(というか、他のあまたの名詞同様、中国語から日本語に輸入されたのだろうが)
“十二指腸”だって、ただ漢字の発音を置き換えるだけ。楽ちん。
英語だとこうはいかん。十二指腸は duodenum だそうだ。
聞いたこともないし、聞いてもわからない。

ところで今回の腹痛の原因だが、思い当たるところがない。
振り返ってみると、昨日の午前、朝のアールグレイのあとに、
インドカフェの生姜入りコーヒーを飲んだあたりから
なんとなく変だったが、普段はいつもおいしくいただいているのだから
この生姜入りコーヒーが原因とは考えられない。
あ、今、「生姜入りコーヒー?」といぶかしげに眉をひそめていらっしゃるそこの方、
そんな顔をなさってはいけません。
これはけっこういけるのです。甘いミルクコーヒーの中に、生姜の風味が広がり、
仕事にだれてきたあたりで飲むと、「ま、も少しがんばるか」と思えます。
製造会社はインドネシアのSari Incofood。
1回ずつのパックになっており、1箱5袋入りで13−15元くらい。
スタバのラテは1杯20元です。勝負はついています。
ほら、これです。


出会い系からのおさそい

  • 2005/07/18 12:41
  • Category:
朝出勤してPCを立ち上げ、メールをチェックしていたら
あまたの仕事関係のメールの中にひとつ、見慣れぬ日本語メールが。
ひらくと

今の生活に満足出来ません。
お金はあるし、衣食住は贅沢過ぎる状況なのに
主人が他界してからは生活に男の匂いすらしません。
8年ぶりに抱かれてみたいと思ってますので
8月までに会えますか?

>> 返信はこちら << http:// 某所のURL


差出人は miyoko、件名は『今日も明日も明後日も退屈との戦い』となっている。
8年前といえば、1997年。確かに当時わたしはいろんな人と出歩いていたが
その中にこの8年の間に性転換した上、誰かと結婚し、
ついでに日本語を学習してネイティブ並みに上手になり、
結婚相手に死なれたからといってわたしに泣きついてくる人がいるとは…

− どうしても考えられん −

一時、某所で『関本弘美』名で勧誘メールをくださる出会い系サイトのことが
話題になっていたが、これもそれか。
どうでもいいけど、わたしが会社で使っているメルアドは、はっきり本名フルネームで
日本人が見れば、女であることは一目瞭然のはずなのに、
それでもこんなメールをくださるとは、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるとは言え
あんまりである。

こんなメールくれるくらいなら、かわいい犬がしどけない姿態で
誘うように寝そべっているメールでもくれ。
そうすれば危ないと知りつつクリックして、餌食になってあげるから。

あーあ、月曜の朝から疲れるメールだ、まったく。





↑ どうせなら、こういうコからのお誘いがいい。
見よ、この愛らしさ!

“阿財”、あんたの写真は・・・・

  • 2005/07/17 21:24
  • Category:
いつものとおりカラカラとショッピングカートを引いて市場に向かった。
日曜、昼、定例の1週間分の買い出しである。
いつもと違うのは、カートの外ポケットに、財布といっしょに
おととい買ったデジカメが入っていること。

交差点を渡り、ジャッキー・チェンの映画で爆破された警察署の前を過ぎて
八百屋を偵察。しめしめ、いとしの犬は暑さにうんざりしたように
野菜台の下の薄暗がりにうずくまっている。動く気配はない。
見定めて、とりあえず先に買い物を済ますべく市場に向かう。
一週間分の野菜と果物を買うと、カートがいっぱいになる。
手にもマンゴーやら、プラムやら、カートにいっしょに入れては
つぶれてしまう果物の袋が2つ、3つ。

さっきの八百屋に戻る。犬はまだ台の下にいる。
一向に出てくる気配がない。台の下は本当に薄暗がりだから
このままあそこにいられては、写真が撮れない。
いくら物に動じない中国人でも、野菜を買いにきたはずの客が
金を払うと見せかけて、カートからおもむろにデジカメを取り出し、
這いつくばるようにカメラを構えて、野菜台の下にうずくまる犬を
フラッシュ焚いて撮っていては、いぶかしいを通り越して、
怪しく思うだろう。
警察はすぐそこ、斜向かいである。言葉の不自由な外国人としては
面倒は起こしたくない。
写真撮影は次回に譲ろう。彼が散歩に出たあたりがねらい目か。
犬の追っかけは、芸能人の追っかけより大変である。
インターネットを見ても、今日の出演予定などは載っていない。

やむを得ず、なんでもない振りをして、いつものとおりレタスと
きゅうり、ついでに今日はズッキーニも買ってみる。
ズッキーニのダンボールは地面に直接置いてあるから、
選ぶためにかがみ込めば、彼の顔が見える。
しかし彼は目を合わせない。寝てるのか。ちぇっ。
八百屋の奥さんに彼の名前を聞いてみる。
「あちょい、よ」「A Choi?」
わたしの頭の中を、さまざまな“CHOI” が駆け巡る。
才、賽、材、蔡、菜、みーんな CHOI だ。
思い余って「このCHOI?」と、売り物の菜心(アブラナ)を指してみる。
奥さん、爆笑。うしろで別のおばさんが
「ちがうわよ。發財(faat choi)の“CHOI”よ」と苦笑いしながら言う。
失礼しました。いくら八百屋の犬でも“阿菜”はないよな。
考えて見れば、商売やってる中国人のとこの犬なのだから
“CHOI”と言われて一番先に思いつくべきは、“財”でしたよ。
ああ見識不足。中国文化圏に何年住んでるんだ。
ここは新年のあいさつが「恭喜發財!!」の国だぞよ。

すごすごとカートを引いて帰る。

“阿財”、あんたの写真は、いつ撮れるのだろう?

『水貨』2160元

  • 2005/07/16 22:08
  • Category:
昨日会社の帰り、近所の電脳城で買いました、デジカメ。
キャノンのIXY55。
『水貨』と呼ばれる日本国内販売用のもの。
保証はないけど、説明書とかみんな日本語で、
私には返ってその方が便利。
お値段は2160元。
1週間前友達の一人が全く同じモデルの、
やはり水貨を買ったときは2250元だった。
1週間で90元下がったのか。それとも単に店が違うのか。
電脳城の中は非常にごちゃごちゃしているので、よくわからん。
ちなみに、ご当地販売用の正規の品は『行貨』。
ちゃんと保証書がつき、説明書も中英語らしい。
わたしは見ていないので知らない。
保証書がある分、当然『行貨』の方が高い。

今日は近所の屋台店で、カメラのケースを買った。
犬のアプリケつき。15元。
ほんとは携帯電話用らしく少し小さいので、縫い代をぎりぎりにして
縫い直してみた。今はひっかからず、すとんと入る。

あとは写真を撮るだけなのだが、さて。





 ↑ 犬アプリケつき。縫い直したとき、つけるの忘れましたが、首から下げるひももついています。
こんなんでいいのかなあ。
店ではキャノン純正カメラケースを薦められたけど、180元。犬のついたかわいいケースが15元で買えるのに、誰がかわいくもない黒い人造革のケースに180も出しますかい


もうすぐ迎えに行くからね

  • 2005/07/15 17:04
  • Category:
この夏、自転車を買ってくれると夫が言った。
今、じわじわとうれしくなっている。

自転車といっても当地で乗る自転車ではない。
夏休み、お義父さんのところへ行った時に乗る自転車である。
夫は北米人のくせに、自動車の運転免許を持たない。
長い、長過ぎる間、大都市で学生をし続けたせいで、車を買う金も、免許を取る金も
なかったらしい。自然、唯一の自前の移動手段は、歩くか自転車かと
いうことになる。
冬のカナダ(北緯46度)で自転車に乗りたいとは思わないが
8月のカナダを自転車で走るのは、爽快だ。

前回行った時は、お義父さんの古い自転車を借りた。
サドルを一番下まで下げても、地に足がつかなくて困った。
走るのに支障はないが、止まるのには大いに支障がある。
脚は急には伸びないし、困ったことだと思っていた。
今年もあれに乗るのかと思い、「お義父さんの自転車はまだあるのか」と夫に問うと
今年は新しいのを買った方がいいだろう、と言う。
「買うって、いくらくらいするの」「400ドルくらいかな」
「400ドルっていくら」「2500元くらい」
「えー、困るよ。わたし今デジカメ欲しいんだから、そんなお金ないよ」
わたしの脳裏には、いとしい八百屋の犬の顔が浮かんでいる。
彼と自転車をハカリにかけりゃ、針はぴーんと彼を指す。
(なお当家では、共同経費についてはきっちり折半、
個人的経費についてはすべて個人でまかなうことになっており、
わたしが乗るわたしの自転車は、当然わたしの負担となる)

「もっと安いのは、ないの?」「ちゃんとした自転車は、普通そのくらいするよ」
「ちゃんとしてなくても、いいよ。2年に1回、夏乗るだけじゃん」
夫は毎夏、2、3週間帰るが、そんなに休んでいたら机がなくなるわたしは
2年に1回、1週間遊びに行くのがせいぜいである。
あとはお義父さんちのガレージにしまわれるだけの自転車に
大枚2500元も出すなんて、そんなことはできない。
夫はちらりとわたしを見て言う「だいじょうぶよ。僕が買うから」
「なんでよ」「君が乗らないときは、フランスが乗ればいいから」
フランスというのは、お義父さんが仲良くしている女友達である。
お義母さんが亡くなってしばらくは、お義父さんは一人泣いたりして
悲嘆にくれていたが、フランスと付き合いだしてからは元気を取り戻した。
結構なことである。
「フランスは背、高くないの」すでにその気になってサドルの高さを心配する私。
「あまり高くない」そういえば、お義母さんも大変小柄な人だった。
お義父さんは小さい人が好きなのかもしれない。
「わたし黄色い自転車が欲しい」
「ちゃんと店で見てから、決めなさい」
「赤とか、紫とかはいやだよ」
「見てからよ。店はお父さんちの近くだから」

わたしは自転車が好きなのだ。
大学生の時、卒論に必要な資料を買うつもりでいたお金で、自転車を買った。
ブリヂストン カマキリG シティルック
いまだに名前を覚えており、スケッチでその姿を描けるほど
好きな車だった。
上野毛から渋谷の学校まで、自転車で行ったりした。
当時、青山通りは自転車で走るようにはできておらず、非常に難渋した。
休みの日は砧公園にも行った。
10年以上乗ったが、中国に行く際、実家に置き去りにしたので
乗る人もなくなり、錆びて捨てられた。

お義父さんちは、田舎にある。ちょっと走ると、林がある。森がある。
川も湖もある。しかもほぼ平坦である。2時間も走れば、いろんなところに行ける。

わたしの可愛い黄色い自転車よ、待っていておくれ。
もうすぐ迎えに行ってあげるからね。






↑ これはミニベロなんですが、まだいたいこんな感じで。しかし20"はちょっと小さいなあ

こいつの写真を…

  • 2005/07/14 15:53
  • Category:
毎週日曜買物に行く市場のそばの角の八百屋に、犬がいる。
昔は子犬だったが、今は立派な成犬になった。
だいたいいつも店の真中の、野菜を並べた台の下の薄暗闇にいる。
ときどき店の前の、野菜くずが散らばる歩道に腹をつけてだらしなく座り
道行く人を眺めていることもある。
八百屋の隣の、テーブルがひとつだけの一膳飯屋で、何かをねだっていることもある。
おおむね可愛がられてはいるが、厚遇されているようすはない。
尻のあたりの毛は、すこし禿げている。
当地の高温多湿の気候がいけないのかもしれない。
短毛種だから、ところどころに皮膚病の痕があるのがよく見える。

顔はブルテリアにボクサーとドーベルマンの血が少し入ったような顔をしている。
長方形の中に、すいかの種のような目。
長方形上方の2つの角に、かたちばかり付いた耳。
人相の悪い、オスの顔である。
目のそばに刀傷もある。
今、刀傷と書いたが、考えてみれば犬が刀をくわえて戦うはずはないから
これはたぶん噛み傷だろう。正確には噛まれ傷か。
顔と身体の色は、茶色。どらやきの色よりはだいぶ明るい茶色である。
禿げはあるが、斑点はない。
ほぼ放し飼いにされ、よく運動するので太ってはいない。
ときどき、とんでもない遠くで彼の姿をみることがある。
「あんた、こんなところで何してるのよ」と聞くと
「へっ、おたくさんの知ったことかい」というように
尻を向けて、とっとっと、と行ってしまう。
店屋の犬には似合わぬ、およそ愛想のない犬である。

今、わたしはデジカメが欲しい。
今週末には近所の電器屋か電脳城にでもでかけ、即決で
キャノンのIXYかパナソニックのLUMIXあたりを買おうと思っている。
夏の物入りな時期に、2000元以上の出費は痛いのだが、仕方がない。
それもこれも、みんなこの八百屋の犬のためである。
わたしはこの人相の悪い、愛想の悪い犬に惚れていて
こいつの写真がどうしても欲しいのだ。
ぐずぐずしてると、こいつはすぐ老犬になる。
いやその前に、店の前で車に轢かれ、次に行った時には
野菜台の下の薄暗がりはもぬけの殻で、
太い鎖だけが、ダンボールの下で朽ちているということにもなりかねない。
そうなる前に、なんとしても1枚。

お悩みゼロの ジンセイって もしかして

  • 2005/07/13 17:17
  • Category:
朝出勤すると、まずPCを立ち上げ、自分用の小型ポットにお湯を汲みに行き、ついでおもむろにごひいきのブログをひととおりチェックする。昔(と言っても、1年ほど前)は、ごひいきブログはふたつ、みっつしかなかったのでチェックも簡単だったが、最近はお気に入りが急増し、時間はかかるが楽しみも増えた。
で、今朝もくるんと一回りして気づいたこと。
他の40代の方の日々に較べ

私のジンセイって “ヘイバン”

まず、
1.子供がいない → しつけ、学校、塾、受験に関する悩み ゼロ
2.双方の実家から遠く離れて2人暮らし → 嫁、舅姑問題 ゼロ
3.夫との仲はよい → 夫婦仲に関する悩み ゼロ
4.2人とも働いている → 少なくとも食うには困らない&(1人で家にいて)退屈する暇もない。 経済的悩み ゼロ
5.2人とも大変丈夫にできている → なかなか壊れない。壊れてもすぐ治る。健康に関する悩み ほぼゼロ
6.不倫をしていない → 人知れぬ恋に関する悩み ゼロ

つまり、何にも悩みがないのだ。いくら40代、不惑とはいえ、ここまで何もないと、逆にジンセイそのものが空っぽだから、何にも悩みがないみたいに見えてくる。
確かに、過去30×年(10歳以前は計算に入れない。本人に何かを選択する余地はないから)生きていく上で修正不能、あるいは修正困難なコミットメント(結婚する、子供を持つ、等々)は、なるべくしない方向で生きてきたわけだから、このような状態になるのも当然といえば当然で、むしろジンセイのコントロールには非常に成功しているというか、ま要するに自業自得なんだが…

子供の問題にしても、“欲しくて努力しているのだができない”とか、双方の親が“孫の顔が見たい…”などとちくちく皮肉を言うようだと、悩みになるのだろうが、私たちは2人とも子供に全然興味がなく、しかも結婚したのがつい最近で、2人とも40を超えていたので、誰も“子供は?”などとは言い出さなかった。双方の両親も何も言わない。夫の両親の方は、それは息子が決めることと思っているし、私の両親の方は、内心では“孫欲しい”と思っている可能性は大いにあるが、“すでに遅し”として諦めているのだろう。そもそも彼らにとっては、独身のまま一人異国で野垂れ死ぬと思っていた娘が、相手を見つけ結婚しただけでも、めっけもの。それ以上望んでは罰が当たるくらいに思っているのかも知れぬ。
嫁姑問題については、お義母さんは一昨年亡くなってしまったので、もうありえない。それでも日本人同士だと、冠婚葬祭で双方の両親や親戚と顔を合わせたりすることも多いだろうが、配偶者が外国人だと、そういうことも期待されない。第一、結婚前も結婚後も、双方の両親は顔を合わせたことがない。親戚に至っては言わずもがな。電話ではお互いに相手の両親の消息を尋ね、健康を祈ってはいるが、それだけ。第一、片方フランス語、片方日本語では、会っても話になりませんがな。

というように、なるべくジンセイが面倒くさくならないよう選択を重ねてきたわけであるが、はたしてそれがいいことなのか、と問われると少々疑問である。
こども達とのあれこれなどが書かれたブログを日を追って読んでいくと、「ああ、私が失っているものは、こういうものなんだな」としみじみ思うことがある。
だからと言っていまさら選択のし直しなどありえないし、たとえし直しのチャンスがあったとしても、私の性格、資質から考えて、前回とは異なった選択をすることはありえない、ということはよくわかっているのだが。

チキンラーメン&レセプション

  • 2005/07/12 16:13
  • Category:
昨日いつものとおり普通話のクラスに行き、いつものとおり朗読の練習やらおしゃべりやらをした。そしたら帰り際先生が「これ知ってる? おいしいのよ」とおっしゃって、○清のチキンラーメンをひとつくださった。私は日本人だが、○清のチキンラーメンを手にしたのは初めてである。
家に帰ってさっそく食してみた。煮るなら1分とあるので、鍋で1分煮た。ついでにカットわかめとしいたけも入れてみた。先生は麺以外何にも入っていないシンプルさと、麺のなめらかさが好きだとおっしゃっていた。

しかし −
先生、○清さん、ごめん。これってちょっと塩辛すぎません? 私はちゃんとお湯の量を守り、450cc入れて作りましたけど、味が濃すぎて水飲みながら食べました。これなら私が普段食べている韓国ラーメン(牛肉味)の方が、ずっとおいしいぞ。値段もほぼ半額だし。
先生、先生は本当にこのチキンラーメンがお好きなのですか。昨日くださる時「最近よく○ニー(日系スーパーの名)に行くのよ。で、これ買ってくるの」とおっしゃってましたけど、わざわざ地下鉄に乗って買いにいくほど、おいしいラーメンとは思えませんが。 −いいや、来週聞いてみよう。



(えーん、画像の横にコメント入れるには、どうしたらいいのだ。よくわからんから下に入れよう)
↑ 先生がくださったチキンラーメン。黄色いひよこちゃんは、かわいいのだが…


それとは別に、昨日は懇意にしている会社の業績発表ランチ・レセプションがあり、ご招待いただいたので上司と一緒に出席した。会場は近所のMホテル。どういうわけか企業さんは、レセプションと言うと、このMホテルか、Mホテルの隣のCホテルをご利用になる。どちらも5つ星級のホテルなので、サービスも手際よく大変結構であるが、ひとつ不可解なのは、こうしたランチ・レセプションの際のメニュが、いつも全く同じなこと。いくらシーズンとはいえ、1ヶ月に6回も7回もランチ・レセプションに出席する方が悪いのかもしれないが、そして会場がすべてMホテルか、Cホテルというのも敗因だとは思うが、毎回おんなじでなくてもいいでしょう?と思うのは、客の我儘だろうか?

ちなみにMホテルの場合、前菜はメロン(オレンジ色のものとグリーンのもの)、すいかを四角いキューブ状に切り、色合わせを考えて2個ずつ盛り合わせ、バジルのドレッシングをかけたもの。飾りにミントの葉や、紫タマネギの薄切り、パインナッツが散らしてある。主菜は骨付き鶏のソテー。付け合せはハッシュドポテトとグリーンアスパラ。これが下から順にポテト、アスパラ、鶏と積み上げられ、トップに同じソースで煮たイチジクがのっている。一緒にソテーしたらしいチェリートマトも3、4個散らされている。デザートはコーヒー味のクリームブリュレ。フレッシュのラズベリー、ブルーベリー、スライスアーモンドのアメがけなどで、飾られている。このデザートはとてもおいしい。しかし器が普通のクリームブリュレの2倍くらいあり、おいしいからと言って全部食べるとえらいことになるので、いつも半分だけ食べて、後は泣く泣く諦めて帰ってくる。
Cホテルの方は、スモークサーモンとツナの前菜、主菜はやはり鶏、デザートはアイスクリームとフルーツの盛り合わせ。このアイスクリームはフリーザーから出て来たばかりらしく、硬くてスプーンが入らない。この場合はおいしいからではなく、歯が立たないので、いつも半分で帰ってくる。

Mホテルのメニュの方の解説が詳しくなったのは、私自身がMホテルのメニュの方が好きだからである。前菜と主菜は似たようなもので大差ないが、Mホテルはデザートで水をあける。泣く泣く半分で止めるデザートと、面倒くさくなって半分で止めるデザートでは、天と地ほどの差がつくのである。

と好き勝手なことを書いたが、ご馳走してくださっている各企業様、御社の業績その他については、ちゃんと留意しておりますからご安心を。けっして、けっして、食い逃げしているわけではございません。

週末見た6本

  • 2005/07/11 15:15
  • Category:
週末見た映画。“Man of the House”“Million Dollar Baby”“A Very Long Engagement”“Stone Cold”“Secretary”“可可西里”。ジムに行かなかったので、いつもより多い。夫はこれプラス2本見ている。なんという体力! このお方はリタイアしたら、映画評論家にでもなるおつもりか。

“Man of the House”は、ひょんなことから殺人事件の目撃者になってしまったチアリーダーたちと、彼女たちのボディガードをするはめになってしまったテキサス・レインジャー(トミー・リー・ジョーンズ)のどたばた。健康な若い娘たちが、最小限の衣服でぴょこぴょこ跳ね回るのを見るのが好きなら、どうぞ。(私は好きなので見た)
“A Very Long Engagement” 「アメリ」のオドレイ・トトゥが第一次大戦で行方不明になった婚約者を捜すおはなし。正直、よくわからんかった。フランス語の映画を中国語の字幕で見るのはしんどい。日本語字幕で見たい。
“Stone Cold”見る気はなかったのだが、原作がロバート・B・パーカーだと知った夫が「パーカー好きでしょ」とわざわざ呼びに来たので、一緒に見た。出来はまあまあ。少なくとも退屈せずに最後まで見られた。
“Secretary”「セックスと嘘とビデオテープ」、「ぼくの美しい人だから」の美少年 ジェームス・スペイダーは、だんだんヘンなおっさんになってきているみたい。TVの“The Practice”でも、なんだかちょっと気持ちの悪い弁護士を演じているし。気持ち悪く感じるのは彼の演技がうまいのか、それとも彼の地が“気持ち悪いおっさん”になってきているのか。この映画でも彼は、悩める気弱なサディストの弁護士を演じている。しかしMの秘書に主導権を握られるとは、なんというだらしのなさか。
“Million Dollar Baby”はいろんな人が、いろんなところで絶賛しているから、私がわざわざ感想を書くまでもあるまい。一言で言うなら「たいへんよくできました」で、上に花マル。やさしい女か、強い女か、と言われれば、私は強い女の方が好きだから。
“可可西里”は中国青海省西北部、新疆、チベットにも接して広がるココシリ高原で、チルー(チベットアンテロープ)を密猟から守ろうとする山岳パトロール隊と密猟者との戦いを実話に基づいて映画化したもの。チルーの毛は高級ショール「シャートゥース」の原料になり高値で取引されるので、密猟が絶えない。この映画を見ている間、殺されたチルーが出てくるたびに、夫はシャートゥースを欲しがる人に対する非難を、ぶつぶつと繰り返し続けた。夫よ、隣で見ているのは私なんですから、そんなことをここで繰り返しても無駄です。あなたもご承知の通り、私は1枚10万以上もするシャートゥースのショールは持ってませんて。私が持ってるのは深圳で買った、1枚40元の偽パシュミナ・ショールだけですって。
それにしても昔、光野桃さんの本で「シャートゥース」について読んだ時には、これが動物を殺して作られるものだとは知らず、ウールと同じように、動物の毛を刈り取って紡ぎ、糸にして織ったものだと、のんきに思っていた。いやはや、無知は罪である。

その昔、まだアパルトヘイトが厳然として存在していた頃、ダイヤモンドはデビアス社による搾取の象徴と言われ、また現在、安く出回っている衣料品は、世界各地のスウェットショップでの低賃金、長時間労働による搾取の賜物で、毛皮やきれいなショールは動物たちの累々たる屍の上に成り立っているとすると、まっとうに生きていくのは、なかなか困難でございますな。

ちなみにチルーについて知りたい方は、こちらをどうぞ。
チルーのページ

冷静、克己、抑制、矜持

  • 2005/07/10 21:11
  • Category:
− アメリカと違って、イギリスでは、“孤独を好む人間”という言葉からはなんの危険信号も感じ取れない。アメリカでは、就学年齢以前から、“チームの一員”であることの素晴らしさを教え込まれている。その後知ったのだが、アメリカでは、“孤独愛好者”は、頭がおかしくなった人間のことらしい −

肩の調子が悪くジムに行きたくないと夫が言うので、ジムをさぼって二人で“Million Dollar Baby”を見た。そして後半、タイトルマッチに臨むマギー(H・スワンク)のためにフランキー(C・イーストウッド)が呼んだ二人のバグパイパーを見て、この冒頭の独白の主人公、ハイランドの電気も水道もない羊飼い小屋に一人で住み、仕事に絵を描き、余暇に山に登り、風に向かってバグパイプを吹く男、ディック・フランシスの描くアリグザンダー・キンロックを思い出した。彼は私の好きなディック・フランシスが描く男の中でも、特に好きな何人かの男の一人である。

彼の描く男はどれもそうだが、冷静、克己、抑制、矜持、誠実、善意あたりがキーワードになっている。これにもうひとつ イギリス人としては忘れるわけにはいかないsense of humour を足せば、彼の書く男の特質はすべて言い尽くせるのではないか。もうひとつ明朗という要素もなくはないが、全員ではないので、これは共通項に入れない。
彼らはこうした特質により、与えられた条件下において最良、最善を尽くす。困難な状況に陥っても、泣き言は言わない。パニックも起こさない。冷静に、取るべき手段と取れる手段を考え、慎重に目標に向かって進む。そして達成する。
オハナシの中とは言え、惚れ惚れするような格好よさである。理想の男と言っていい。

今私は理想の“男”と書いた。しかしそれは、恋人あるいは愛人として、という意味ではない。いや、それとしても理想的だろうが、考えてみると、私はそういう風に彼らを見たことは一度もない。古本屋で偶然「利腕」を見つけ、以来D・フランシスに読みふけったこの10年、私は「不屈」のアリグザンダー、「奪回」のアンドルー・ダグラス、「標的」のジョン・ケンドル、「証拠」のトニイ・ビーチ、「直線」のデリック&グレヴィル・フランクリンに惚れこんできたが、彼らを恋人あるいは愛人として持ちたいものだとは、ただの一度も考えなかった。私が考えていたのは、私自身が彼らのようになること、私が彼らのように生きることだった。
本の中の主人公をロールモデルにするというのも大人気ない話だが、実際私はグレヴィル・フランクリンの祈りの言葉を手帳に書き写したりしていたのである。

そして今は、以前にも増して人付き合いが嫌いになり、苦痛なく人と合わせるのが難しくなっていることを思い、アリグザンダーのように山の中に隠遁できたらいいのに、と考えている。都合のいいところだけまねしていたのでは、彼らのように生きているとは言えないのだけれど。

The show must go on

  • 2005/07/09 17:04
  • Category:
テロリズムの本質は、“恐怖、脅し、追い払う”であるというから、世界中の為政者たちが「脅しには屈しない」と言って、テロと戦おうとするのは正しい姿勢なのだろう。
私が為政者でもそう呼びかけるだろう。
何が起ころうと冷静に、日常生活を続けていくこと。

The show must go on

ただ問題は、それだけでは解決にならないこと
私は何をすべきなのか

とりあえずは、往年の Queen の名曲でも聞きながら
夕食の準備をするというのが、私の今の日常か

ロンドン テロ

  • 2005/07/08 15:50
  • Category:
仕事の後ジムに行き、帰ってきて録画しておいたドラマを見ながらご飯を食べ、ドラマが終わったところで、ふっと画面を切り替えたら、テレビにロンドンの地図が映っていて2人のキャスターが何かをしゃべっていた。「は、昨日の続きでオリンピックゲームの予定会場についてでも喋ってるのか。それにしては表情が深刻」と思ったら、とんでもない話だった。
全く恥ずかしい話だが、まず心配したのはロンドンにいる知り合いの誰彼の安否だった。夫の知り合いも含め、ロンドンには何人かの知り合いがいる。みな地下鉄やバスを通勤に使っている勤労者だ。巻き込まれていても不思議はない。とりあえず1人は無事だとわかったが、ほかの人は?

命より大事なもの、命を賭しても守りたいものがあるのが人間なのだとは思うが、その結果がこうしたテロであり、世界各地での戦争、紛争、内戦であるというのは、本当に人間のプログラムは何か根本的に間違ってるんじゃないかと、カミサマに聞いてみたい。

Innocent peopleといい、罪のない一般市民という。
しかしどこに住もうと、何をして生活していようと、今のこの世界のありように、責任のない人などいるのだろうか。
私たちがブッシュを選んだのであり、ブレアを、小泉を選んだのである。
関心がないことと、責任がないことは同じではない。

しかしそうは言っても、愛する誰かが、私が何かをしたこと、あるいは私が何かをしなかったことにより、傷つくのは、死んでいくのは、あまりに無念だ。

155ではメイドにもなれぬか

  • 2005/07/07 15:00
  • Category:
月曜日から同僚のマンディさんちに、新しいメイドさんが来ている。7年以上働いていた前のメイドさんは、今年1月登っていたスツールから足を踏み外し、足首を捻挫してフィリピンに帰ってしまった。もともとマンディさんは、この勝手のわかった、慣れ親しんだメイドさんがフィリピンから帰ってくるのを待っていたのだが、最初1ヶ月の療養の予定で帰ったのが、電話するたびに療養期間が延び、2ヶ月経っても、3ヶ月経っても帰ってこないため、子供を3人抱える勤労主婦&母であるマンディさんは、家事と仕事で精根尽き果て、待ちきれなくなって新しいメイドさんを雇ったのである。

これで一件落着かと思いきや、わたしが昼時のおしゃべりのついでに「新しいメイドさんは、どう?」とマンディさんに聞くと、彼女は「よくぞ聞いてくれました」とばかりに、とうとうと“困ったこと”を並べ始めた。それはまあ、いろいろとあるのだが、いちばん困ったのはなんと言っても、“彼女の背が低いこと”だと言う。「はあ?」と聞き返したわたしにマンディさんは、「そうなのよ。もともと私、背の低いメイドだけはいやだと思って、履歴書でも身長には特に注意して、できれば160cm以上、少なくとも155cmはある人を選んでビデオ面接してたの。で、彼女のビデオを見た時、なんだか小柄に見えて心配だったんだけど、履歴書には155って書いてあったから、まあそのくらいあれば大丈夫かと思って、雇うことにしたんだけど、実際に現れた彼女を見たら、これが150もなさそうで…」「ちょっと、待ってよ。どうして背が低いとだめなの?」「だって、背が低かったら高いところに手が届かないから掃除も行き届かないし、不便でしょうがないじゃない。それでなくてもウチの台所は背が高い人用(マンディさん自身は165)に作られてるから、彼女、お皿洗うにも、料理するにも、全部踏み台に乗らないとだめなのよ。危なくってしょうがないわ。前のメイドみたいに、また足を踏み外してけがでもされたら、痛いのは彼女かもしれないけど、他の面倒なことはぜーんぶ私にかかってくるんだから」とほとほと困った顔をしている。確かに前のメイドさんがけがをした時、事故が家事作業中であったため、労働災害ということで、医療費その他はすべて雇用主である彼女の負担となった。これはまあ当然だし、雇用主はメイドさんの医療保健をかけているから、どっちにしても保険で支払われ実害はないのだが、足をけがして思うように歩けない彼女を医者に連れて行ったり、労災に関する手続きのため、労工局に走ったりについては、全部彼女が仕事の合間にはあはあ言いながら片付けなくてはならなかった。おまけに前のメイドさんの療養が長引いたため、保険やら雇用契約の解消等やらでも煩雑な手続きが延々と続き、マンディさんはうんざりしきっていたのである。
「ほんと、メイドは背が高くて、がっちりした人が一番。第一ね、いっしょに市場に買物に行っても、メイドが私より大きければ、重い荷物を持たせても気にならないでしょ」「はあ、なるほど」「笑い事じゃないわよ。150センチ、40kgもないような小さいメイドと市場に行って、彼女に重い荷物持たせたりしたら、まるで私が虐待してるみたいに見えるじゃない。なにしろ私はこんななんだから」確かに165あるマンディさんは、胸回りも腹回りも大いにたっぷりと豊満で、それが後ろに荷物を抱えてよろめき歩く子供のように小さいメイドを従えていては、傍から見て虐待に見えないとも言い切れない。がははは、と笑う私に、マンディさんの隣りに座るダニ−さんも「そうそう。メイドは大きい方がいい。君みたいに小さいのはだめだよ」と追い討ちをかける。小さいって、ダニ−さん、私155あるんですけど。そりゃ確かに欧米の標準では小学生並みのちびだし、日本でも今の平均は158くらいだから、私は平均以下だけど、しかしここ、東南アジアで“小さい”と言われるほど、小さくはないぞ。それにたとえ背は低いとしても、力持ちだぞ、と反論してみたが、笑って相手にされなかった。ちぇっ、私はメイドとしても雇ってもらえないほど、チビだということかい?

まあ確かに天井の高い当地の住宅では、私たち(夫もあまり背が高くない)は天井の電球を替えるためには、コーヒーテーブルの上にスツールを載せるか、ダイニングテーブルの上に乗るかしなくては手が届かず、毎回大いに危ない目に遭っているし、バスルームの作り付けの棚の上の方は、どうやっても手が届かず、どんな具合になっているのか、引っ越して6年経った今でも1回も見たことがない。だからマンディさんや、ダニ−さんの言うことにも一理はあるのだが、街で見かけるフィリピンや、インドネシアの女の子たちは、150ないような小柄な子も多く、しかしみんな立派に(?)メイドとして雇われているようなので「背が高いこと」は絶対条件ではないのだろうとは思うが。

実のところこの当地の働く女性を陰で支えるメイドさんについては、身長の高低は冗談にしても、1ヶ月の法定最低賃金が3,320元(邦貨5万円弱)と仰天するような低さで、その労働条件も“良好”とは言いがたく(なんたって住み込みだし、そうなると8時間労働なんて、あってなきが如しだし)、さまざまな問題を抱えている。書き始めると切りがないので今回は冗談話だけでやめておくが、本当はあまり冗談ではすまされない話題である。ちなみにうちは夫婦2人だけで子供がいないので、メイドさんを雇ったことはない。しかし時折、引っ越して以来拭いたことのない高い窓(だって届かないんだもーーん)や、手が届くとこまでしか磨いていないので、上下で微妙に色の違うバスルームの壁を見るたびに「うーん、180くらいあるメイドさんが来て、代わりに掃除してくれたらいいなあ」と思ったりはするが。

ペンギンネクタイ

  • 2005/07/06 15:17
  • Category:
7月に入り、会社にネクタイをしていかなくてもよくなったので、夫は毎朝ポロシャツやらボタンダウンのカジュアルなシャツやらに袖をとおし、実にうれしそうに家を出て行くようになった。実はこのお方は、ネクタイが だあいっきらい なのである。

数年前、現在“夫”となっている人と暮らし始めた時、朝の出勤スタイルを見て、私は目が点になった。いや別に特に奇抜な格好をしていたのではない。白地に細いストライプが入った半袖シャツと濃紺のパンツは、一般サラリーマン御用達の、何てことはないごく普通の品である。街で見かけても1秒後には見たことを忘れるだろう。しかしタイは…彼の大きな厚い胸のまん中にぶら下がっているネクタイは、「お…」と言ったきり、声が出なくなるような代物であった。それはもうすでに何年も使っていることがはっきりとうかがわれる、くたびれた紺色のネクタイで、その紺色のまん中に大きく大きく、お母さんペンギンとこどもペンギンのイラストが描かれているのである。お母さんペンギンは、こどもペンギンにやさしく話しかけているように顔をかたむけ、右手(手だよね、あれは)を、こどもの方に伸ばしている。こどもペンギンはこどもペンギンで、お母さんペンギンを見上げるように、かわいい顔をお母さんの方へ向け、「あのねー」というように口ばしを開けている。たしかにほほえましい光景のイラストではある。子供がいる家の冷蔵庫とかに貼ってあるのだったら、「あら、かわいいじゃない、これ」と言って、のんきに指差していられるイラストである。しかしそれがいい年した男のネクタイに、どーーんと描かれているのは…
「オ…オットよ、(って、その時はまだ“夫”じゃなかったから、こうは呼びかけなかったけど) ネ、ネクタイは、それしかないの?」とうろたえながら聞くと、「あるよ」とあっさり答える。「そ、それ、ちょっと汚れてるみたいだし、洗うから他のにしたら?」と言うと「だいじょうぶよ」とちょっと不機嫌なトーン。あれ、まさか、このペンギンネクタイが、大のお気に入り? って、ソンナコトはないよね、と内心あれこれじたばたしていると、そのようすを読んだのか、夫は真顔で「ぼくはね、ネクタイが大嫌い。こんな馬鹿げた、つまらない習慣はないと思っている。だからこれがくだらない習慣だと言うことを証明するために、できるだけ馬鹿馬鹿しいタイを選ぶようにしている。仕事に必要だから買ったけど、こんなものにお金を使うのは本当に無駄だ」とのたもうた。
確かに、その後見た彼のタイは、みーーんなこの趣旨に沿って選ばれていた。現在出番となっている親子ペンギンの他には、マリリン・モンロー(地下鉄の風でめくれあがるスカートを押さえている、例の有名なポーズ)のイラストもの、スーパーマン、明らかにどこかの夜店で買ったと思われる、ひどい色使いの斜め縞、等々。

私たちは服装その他に関するお互いの好みに関しては干渉しないことにしているので、タイに関する彼の主張を聞いてからは、それら悪趣味タイについてコメントすることは控えたが、そうは言っても毎日、毎日、そうした極めて趣味の悪いタイを見せられるのは、やはり苦痛である。私は心密かに「ペンギンネクタイ追放作戦」の展開を決意した。で、その年の彼の誕生日、わたしは「この程度なら彼も怒らないかも」と思って、比較的普通の趣味と思われる、しかしさほど高くないタイを3本選び、リボンをかけて贈ったのだが、誕生日の朝その包みを開けて中身がタイだと知った夫は、“Thanks”とは言ったものの、その後は不機嫌に黙りこんで、全身から「私は怒っている」オーラを発し続けた。
「まずい、やっぱり駄目だったか」と悟った私は、「ごめんね、ごめんね」と謝り、夫も(それでもまだ肩はこわばっていたが)「君はぼくがタイを嫌いなことを知っているでしょう。それなのにどうしてその嫌いなものを、誕生日のプレゼントにするの」と口を利いてくれたが、言われてみれば全くそのとおりで、人が嫌いだといっているものを、わざわざ誕生日に贈るとは、自分勝手な親切(のつもり)の押し売り、ほとんどいやがらせと思われても仕方がない行為であった。私は反省した。

しかーーし、実は私は、内心ではまだペンギンネクタイ追放計画を諦めてはいなかったのである。それからしばらくして、遊びにきた友人と一緒に近所の夜店街に行った私は、そこで夫の大好きなサウスパークのイラストがあしらわれたネクタイを見つけた。サウスパークというのは、そのお下劣、お下品な内容とブラック過ぎるユーモアのため、こどもの鑑賞が禁じられたこども向け(?)アニメである。ネクタイはそのアニメの登場人物たちが横並びに並んだイラストが何段にも繰り返されたものだが、アニメでのジョークの下品さは滲み出ていないので、ぱっと見にはただのかわいいアニメキャラ ネクタイに見える。これだって大人の男がマジでするタイではないが、くたびれて紺色が灰色になりかけているペンギンネクタイよりはましである。値段を聞くと30元だと言う。邦貨500円弱。これなら夫も怒るまい。私はほくほくとそのネクタイを買い、家に帰って夫に見せた。夫は「あ、サウスパークだ」と大嫌いなネクタイにも関わらず、うれしげ。「ふ、ふ、これで明日からあのペンギンネクタイを見なくてすむぞ」ほくそ笑む私。案の定、翌日ペンギン親子はお払い箱になり(すこし可哀想か)夫はそれから毎日、サウスパークネクタイをし続けた。この毎日同じというところが、いかにも夫なのだが、なにしろ「ネクタイなんかに頭を使ってたまるか」というのが夫の方針なのだからしかたない。30元のサウスパークネクタイはそれでも2年近く持った。これもくたびれかけてきた頃、私はまたまた夜店で、今度はシルクハットから白ウサギが顔を出しているイラストが、無数に繰り返されているタイを買った。フェラガモやエルメスなどでもよく見かける、小さい動物が水玉のように無数に散らされているあのパターンである。7月になるまで、夫は毎日このネクタイをし続けていた。しばらく前に「そろそろ変えてもいいんじゃない」と思って、やはり同じパターンで、今度は濃紺に灰色の象が繰り返されているタイを買ったのだが、夫はまだこれには手を出していない。灰色の象というのがまじめ過ぎて、夫にとっては馬鹿ばかしさが足りなかったのかもしれない。
1年以上愛用された白兎ネクタイは、今洗われて物干し部屋で風に揺られている。9月まで2ヶ月間のお休みである。

NHKニュースって

  • 2005/07/05 15:20
  • Category:
このごろ時々思うのだが、NHKの朝のニュースは少々構成が片寄っていないだろうか。朝、ご飯を食べたり、化粧したり、着替えたりしながら、背中で聞いていても完璧にわかるのは日本語のニュースだけなので、メインにNHKのワールドプレミアムの7時台(日本時間)を見、サブにご当地局のニュースを見ているのだが、どうもご当地局のニュースの方が、国際ニュースが多いような気がするのだ。
今日もご当地局では、ローカルニュースに混じって、ルーマニア等、ヨーロッパの豪雨のニュース、エジンバラでのサミット反対デモのニュース等を報道していたが、NHKではこれらのニュースについては、少なくとも7時台のニュースでは全く言及していなかった。その後、8時半の5分間のニュースで豪雨の件を伝えたが、サミットの件についてはやはり言及なし。
これは別に今日に限ったことではなく、どうもNHKの7時台のニュースは、世界のニュースを満遍なく取り上げ、要約的に報道するというよりも、その時重要と思われるニュースのいくつかだけを取り上げて、比較的詳しく解説しつつ報道しているような気がする。したがって漏れてしまったあまたのニュースについては、他の手段(他局とか、新聞とか)で知るしかない。

それはそれでいい点もあるのだろうが、朝の忙しい時間に“今日の世界のニュース”を手早く、かつできるだけたくさん知ろうとしている人には、あまり便利ではない。それに詳しく報道するために取り上げるニュースにも、どうも片寄りがあるような気がする。NHKなのだから、国内のニュースに重点を置くのは当然だとは思うが、それにしても、たとえば昨年新潟で地震が発生した時、当日とその翌日、地震の詳細に関し多くの時間を割いて報道したのは当然としても、その後も「中越地震から1週間」「中越地震から1ヶ月」「今日で2ヶ月」と報道し続けたのは、少々やりすぎではないのか。中越地震について新しい事実(原因とか、予知の方法とか)が出てきたのならともかく、“被災地の人たちは1ヶ月経った今も、こんな風に苦労しています”というようなニュース性のない報道に、時間を割くどんな意味があるのだろう。
同様に例の尼崎の列車事故についても、事故の原因その他についてではなく、事故で家族や友人を亡くした人が、どんな風に悲しんでいるか、どんなに無念に思っているかを、1ヶ月経った後まで報道することは、ニュースなのか。これが民放局のワイドショーならわかる。またたとえNHKでも夜8時台、9時台とかのドキュメンタリー番組で放送するならわかる。しかし朝7時台のニュースで、こうした内容を放送する必要性は、私にはわからない。
そもそも朝6時台、7時台のニュースというのは、1日の始まりに当たって“今の世界の情況”について概略をつかむためにあると思うのだが、NHKの考え方は違うのだろうか。ドキュメンタリーや、“human interest”で扱うのがふさわしいような話は、そういう番組、時間帯に任せ、ニュース番組はニュース番組として、もっと質を上げて欲しいと私などは思うが。

それともうひとつ。7時から8時15分までの1時間15分中、お天気、気象に関する報道は合計15分くらいもある気がするのだが、全体時間の20%を費やして天候について報道しなければならないほど、日本の人たちはお天気に左右される生活をしているのだろうか。天気なんて、1回気象図つきで解説したら、あとはテロップで全国の天気予報でも流してれば十分だと思うのは、私だけだろうか。

と、こんなことをここにぶつぶつ書いているくらいなら、NHKのお客様のご意見欄にでも投稿した方が、建設的だな。コピペして送ろうかしら。

“Beaches”

  • 2005/07/04 16:41
  • Category:
週末見た映画。“The Aviator”“Body Heat”“Kelly’s Heroes”“Beaches”。“The Aviator”は途中でパス。評判はよかったらしいが、私はレオナルド・ディカプリオが好きではないので、彼がハワード・ヒューズを演じても興味がわかず、最後まで見る気にはなれなかった。
“Body Heat”はウィリアム・ハートとキャスリーン・ターナー主演のサスペンス。邦題は「白いドレスの女」だったか。日本にいた時も確かビデオで見た。エアコン切って、映画と同様、じっとりと蒸し暑い中で見たほうが、雰囲気が出たかも。そういえば最近ウィリアム・ハートの名前を聞かないけど、どうしたのだろう。いい俳優なのに。「蜘蛛女のキス」とか「愛は静けさの中に」(それにしても、なんと言う邦題!“Children of a Lesser God”が、どうしてこうなる?)とか、80年代の方が佳作に恵まれていたような気がする。
“Kelly’s Heroes”は、第二次大戦中のヨーロッパ戦線で不良米兵たちが、ちょいと戦線を抜け出し、ドイツ軍の金塊をいただきに行くというコメディ。娯楽映画と現実を較べてみても仕方がないが、同じ時期にフィリピンや北支で飢えと病気に苦しんでいた日本兵を思うと、彼我の違いにため息が出てくる。
最後に“Beaches”。4本の中では一番気に入った。主演はベット・ミドラー。育ちのいいお嬢様で、親の言う通り弁護士になったヒラリーと、小さい頃からショービジネスの世界で生きてきて、歌手として成功するCC(B・ミドラ−)の友情の物語だが、面白かったのは今の日本だったら負け犬の典型であるCC(なかなか売れなくて、貧乏で、やっと成功したと思うと、それが原因で結婚に失敗。キャリアの方も我儘すぎて干される。2度目の結婚をしかけるが、結局のところ結婚よりキャリアの方が大事で、約束をすっぽかしてオーディションにでかけちゃう。当然子どもはいない)の方が、憧れの存在、成功者として描かれていること。対するヒラリーは生まれた時からお金持ちで、頭はいいんだけれど、親のいいなりになっている良家の子女。そしてヒラリーはそういう自分自身に不満で、一時は親に反抗して家を出、立派な弁護士事務所での仕事も辞めてCCと同居を始めたりするのだが、父親の病気をきっかけに家に戻り、そこで知り合った父親の知り合いである、同じように育ちのよい若い弁護士と結婚して、家庭に入る。彼女はボランティアと家事とお買物に明け暮れるそんな暮らしに満足しているふりをするのだけれど、自分自身のキャリアを追いかけるCCへの嫉妬を隠し切れない。そのうちヒラリーは夫までが自分を裏切って、愛人をつくっていることを発見する。とまあ、70年代、80年代の典型的考え方「女性も積極的に社会に出て、自分自身のキャリアを追及すべき。家庭の中に閉じこもっていては成長も、成功もできない」で、映画は作られている。今の日本だったら、絶対考えられない切り口である。

私自身は今では死語と化した“ウィメンズ・リブ”という言葉がまだ盛んに言われていた70年代に思想(? あるのかそんなもの)形成した世代なので、この考え方はあまりにお馴染みというか、もう身体に染み付き過ぎて、たぶんもう死ぬまで取れないと思うのだが、2003年に酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」が出版されて以来、日本では「30代以上、未婚、子なし」は“負け犬”と分類されるらしいから、上記のような描き方ではあまり若い女性の支持は得られないだろう。今20代の若い女性に見てもらって、感想を聞いてみたい映画である。

金色の海

  • 2005/07/03 16:19
  • Category:
今日は海が青くかすんで、対岸や遠くの島影はぼんやりとしか見えない。2、3日前は雨上がりだったせいか、遠くの島の緑がやけに近く鮮やかに見えて、「あれ、あの島はこんなに近かった?」と思ったのだが、今日はそれがまるで見えず、みんな白い光の中に霞んでいる。

こういう時だけは、ここの海もきれいだ。普段はただのコンテナーポートで、窓から見えるのは赤いペンキを塗ったリフトや、やぐらを積んだボートばかり。お世辞にも美しいとはいえないのだが、こうして白い光の中に海が霞んでいる時、それから夕日を浴びて海もやぐらもリフトも雲も、みんな紅から金色に染まっているときだけは、この海もきれいだと思える。コンテナーポートだろうと何だろうと、ここはもう確かに満々たる水を湛えた、外洋に広がっていく海なのだと納得できる。

ここに引っ越すことを決めたとき、まだ何にも家具のないがらんとしたリビングの床に座り込み、リビングの1面の半分以上を占める大きな窓から見える、夕方の海に見とれた。秋の、1年で一番陽気のいい時だったから、空気は青く澄み、光は透明に明るく、その中で海は、夕焼けの金からだいだい色、日が落ちた後の夕暮れの青から薄墨色に変化して、途切れることなく水平線まで続き、無数の小さい波もきらきらと鈍い銀色に光を反射させながら水の果てまで続いていた。

住んで数年経つうちには、対岸との間に超高層の豪華マンションが何本も建ち並び、おかげでリビングから見える海も年々小さくなって、いまではある特定の方角を向いた時だけ海が見えるという悲しいシービューになってしまったが、視線を上に向けて目の前に横たわるコンテナーポートを視界から締め出し、遠くの海だけをながめれば、やっぱり波はきらきら光っていて、まだそこには水があること、その水を渡っていけば遠くの国に行けるのだということを教えてくれる。ただ私は船に弱いので、できれば波が穏やかなときだけ、沖に漕ぎ出したいものだとは思うけれども。

ソファを修理

  • 2005/07/02 21:49
  • Category:
ジムに行く途中の路地で、レザーの裁ち落としを買った。
2つあるうちのソファのひとつの革が擦り切れ、穴が開いてしまったので、これ以上ひどくなる前に何とかしようと思って。もともと夫が当地で最初にフラットを借りた時、不動産屋さんにもらったという中古のソファなので、最初から少々傷んではいたのだけれど、とうとう修理が必要なほどの傷みようになってしまった。
穴が開いたのは3人かけのちょうど真ん中、夫がいつも座る部分。なんだかだんだん弾力がなくなって、細い裂け目ができてきたみたい、と思っているうちに、ある日その裂け目が拡大し、ぺろりとはがれて、あっという間に穴になってしまった。それでも穴が小さかった最初のうちは、薄い座布団状のクッションかソファカバーでもかけてごまかそうと思っていたのだが、日に日に穴が拡大するので(夫の重みのせいかもしれない)、たとえカバーでごまかすにせよ、とりあえず穴をふさがなくてはソファ自体が壊れるということで、レザーの裁ち落としを買いに走った次第。

この辺は古い街なので、路地のそこここにちょっと面白い店が残っている。この裁ち落とし屋もそのひとつ。建物自体、50年代か60年代のものとしか思えない古さ、汚さで、すすけて埃っぽい店の奥にも、軒先にも、うずたかく皮の切れ端やら、布のように巻かれた色とりどりの合成皮革やらが積まれている。工場なのか問屋なのか今ひとつはっきりしないのだが、店の前のダンボールに入った裁ち落としは素人相手に売っているに違いないので、その中からうちのソファの革と質感の似ているのを選んだのだが、これが結構大きくて値段を聞くと100元だという。えー、100元ならいらないと言ったら、じゃ80元でいいよと言われたが、たかがソファ修理の端切れに80元も払う気はしないので、「もっと小さいのないの?」と聞いたら、店の奥から似たような革質で少し小さめの裁ち落としを見つけてきてくれ、30元だというので、値切らずに買った。
あとはこの革を縫い付けるか、ボンドで貼り付けるかして穴をふさげばいいのだが、夫は「そういうことは君のほうがうまいし、君はそういうことをするのが好きでしょう?」とにこにこ微笑いながらも、やんわりDIYを拒否しているので、ここはやはり私がせずばなるまい。
そういえば昨日買ってきたカラーボックスも、結局全部私が組み立てたのだった。うちでパワフルな電気ドリルを欲しがっているのは、夫ではなく私である。嫁入り道具にのこぎりと金づちとスパナを入れて来たのも私である。夫の婿入り道具の中にあった唯一の工具は、日本で買ったというドライバーセットだけであった。

この大量のDVDをどうしたらいいのだ

  • 2005/07/01 19:17
  • Category:
結局どこにも行かずに、そうじやら部屋の整理やらをしている。
午後、近所のホームセンターでカラーボックスを3つ買ってきて組み立てた。
夫の部屋の大量のPCマガジンと、リビングに置ききれなくなったDVD、VCDを整理するため。夫が定期的に3軒のDVDショップを回って買い集めてくるDVD、VCDは、とっくに2000本を超え、正直もうどこへ置いたらいいのかわからない。リビングのキャビネットは最初の数ヶ月でいっぱい。その後夫の寝室に進出し、ベッドサイドのキャビネットを埋め尽くした後、夫の洋服ダンスの空きスペースに移り、そこもいっぱいになると、洋服ダンスの横のすきまに2列に重ね、今は行き場所がなくなって、リビングの隅に4つの塔ができている。週に4−5本は見て、見終わったものは箱に入れて、洗濯物干し兼物置にしている使っていない方のバスルームに積み上げているが、それもそろそろ限界である。何しろ見るペースより、買い集めてくるペースの方が、ずっと速いのだから。

ただ、幸いこの間夫が古いほうのPCを家電回収屋さんに売り渡したので、そのスペースが空いた。今日買ってきたカラーボックスはそのスペースに3段に積み上げる。これでしばらくは一息つけると思うが、これだっていつかはいっぱいになる。その時はどうしたらいいのだろう。
一度夫に貸し倉庫というか、ロッカールームを借りることを提案したのだが、一蹴された。「倉庫に入れてしまったら、見たいときに見られないでしょう?」というのが夫の言い分だが、まだ見ていない映画がどんどんたまっていく状況で、いったいいつ一度見た映画をもう一度見るような暇ができるというのだ、夫よ。

この夫はリタイアしたらこれらのDVDとともに故郷に帰って、大きな大きなTVを買い、迫力ある大画面で見るんだと今から楽しみにしているが、最近私はその頃には現在のDVDという規格はなくなっているのではないかと心配である。ブルーレイとかHD-DVDとかも出てきているし、第一その頃にはネットからそうした情報を簡単にダウンロードして楽しめるようになっているかもしれない。私が中学、高校時代に、ためつ眇めつして買ったLPレコードが、今では実家の押入れの中で昏々と眠り続ける眠り姫と化しているように、夫が毎週のようにショップを回って、ひとつひとつ丹念に選びながら買ってくるこれらのDVDが、再生できないただの円盤になってしまっては、少々かわいそうな気がする。

Pagination

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター