夫の買物

  • 2005/10/31 16:55
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夫腰痛のため1ヶ月前から使い始めたエアーマットレス、一昨日から空気が漏れ始めた。どこから漏れているのかは、わからない。わからないが、寝る前パンパンに空気を入れても、朝になると3日前の風船のようにしぼんでしまい、夫はそのしぼんだ風船とタオルケットの中に埋もれているかたちに。
自転車のタイヤくらいだったら、バケツに水を張って一部分ずつ中に沈め、穴開き箇所を調べて直すこともできるが、クイーンサイズのマットレスでは、それもならぬ。バスタブに水を張って二人がかりで調べたとしても、大きすぎて手に負えず、二人ともびしょぬれになったあげくに「どこから漏れてるのかわからない〜」になるのがオチである。それにどうせクレジットカードのポイントでもらったマットレスである。1ヶ月でだめになっても、諦めはつく。というわけで「仕方ない。新しいマットレスを買おう」と夫と二人、夕方の街を歩いて近所のデパートへ出かけた。

そして、ああ、男の人の買い物というのは、何と簡単であることか!
近所のデパートは、地元民御用達の小さい小さいデパートである。だからベッド用マットレスもそうたくさんの選択肢があるわけではない。あるわけではないのだが、それでも隣り合わせに3メーカーが並び、硬いのから柔らかいのまで、各5−6種のマットレスを扱っている。私だったらあっちいったり、こっちいったり、くるくる迷って、寝てみて、座ってみて、ごろごろして、少なくとも1時間くらいはうろうろしそうなところだが、夫は着いて5分で「これ」と指差し、あっさりお買い上げ。迷わない。他を見ない。「隣にもっといいのがあるかも」なんて考えたりしない。
まったく「お買物の醍醐味、ぜんぜんないじゃーん!!」である!!!

私はお買物の楽しみは、迷うところにあると思っている。たとえ醤油1本買うのでも、キッ〇ーマンにするか、〇ゲタにするか、はたまた有機大豆100%の某地方メーカーにするか、それともご当地製造の「〇×生抽」にするか、パッケージ見て、値段見て、単価計算して、製造年月日見て、ああだ、こうだ迷うのが楽しいと思っている。あげく「今日は、やーめた」と買わなかったとしても、その過程で充分楽しい思いを味わっているのだが、それに引き換え夫の買物の何と味気ないこと! まるで山海の珍味を味も見ずに呑み込んでるみたい。ああ、もったいない… (って、そんなこと思うのは、女の人だけ? 他の男の人の買物につきあったことないから、よくわかんないけど)
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とくになにごともなく 2

  • 2005/10/30 22:04
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■ きのう「とくになにごともなく」なんてタイトルでブログを書いたけど、そう言えば何事かあったのだった。先日、ウチの日本での仕事を手伝ってくれている人が、逮捕されたのだった。でも上司殿は全然気にしてないし、問題になっている金額を聞いて「少ないですねえ」と、何でそれで事件になるのだろうと不思議なようす。この業界の人にとって、不正な金儲けで捕まるというのは、高速でスピード違反で捕まる程度の意味合いしかないみたい。ニュースを読んで「へー」と言って、おしまい。

■ 上司殿は「少ないですねえ」と言ったけど、その金額、わたしにとっては、全然少なくない。これだけあったら、仕事を辞めて夫と二人カナダに帰って、田舎に小さい家を買って、残りの人生のんびり暮らせる。それって、少ないか? この業界の人の金銭感覚は、ほんとわからん。

■ 今日の音楽は、Dulce Pontes。“A Brisa Do Coracao” 何を歌っているのかまったくわからないポルトガル語の歌なのに、なぜこんなにこちらをうつのだろう。この2枚組CDの中に入っている“Cancao Do Mar”は確か、リチャード・ギアとエドワード・ノートンの“Primal Fear”にも使われていたと思う。映画を見ていて、突然大好きな曲が流れてきたのでびっくりしたのを覚えている。

とくになにごともなく

  • 2005/10/29 21:47
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■ 今夜の音楽は Astor Piazzolla。1枚だけ持っているCDを引っ張り出して。さっきふと思ったのだが、私が好きな音楽は、肌寒いところでないとうまくなじまない音楽なのではないか。だから過去10年ろくに音楽を聴いていないのではないか。湿った暑い空気の中で聴ける音楽と、すうっと冷たく沈んでいく空気の中で聴ける音楽は違う。

■ Sunnyさんのサイトに乗っていた バクラバ を作るつもりで、フィロペイストリーを買ってきたのだけど、今ひとつ気分が乗らず、代わりに干葡萄いっぱいのフルーツケーキを焼く。ブラウンシュガーが少ししかなかったので、代わりに沖縄の黒糖をつかったら、すごくどっしりしたフルーツケーキになった。
先週焼いたブラウニーは、目論見どおり夫に3/4食べさせ、私は1/4だけで逃げ切った。今後ともこのペースでいこう。

夜の部屋に ヴァイオリン流れ

  • 2005/10/28 18:28
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この前、活字があれば音楽はなしでも生きていけると書いて、事実そのとおりなのだけど、千住三兄妹の番組を見てから「あ、ヴァイオリンって楽器もあったね」と思い、手持ちのヴァイオリン曲を聴き始めた。

聴き始めて見れば、それはそれでいいもので、次から次へとっかえひっかえして聴いているが、秋になり、少し肌寒くなってきたせいか、感傷的な曲や、ちょっと重い曲でも、すうっと耳になじむ。
残念ながら千住真理子さんのCDは持っていないので、聴いているのは他の人の演奏ばかりだが、静かになった夜の部屋で、PCから低いヴァイオリンの音が流れるのもいいものである。

中国語電子辞書 使用レポート

  • 2005/10/27 18:42
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9月初めに日本で買った電子辞書「セイコーインスツル SR-V7130CN」。その後2回の出張に連れて行き、実際に使ってみた。
感想を一言で言えば、「べんり〜〜!!」
軽くて小さくて持ち運びが楽なことは言うまでもないが、機能も十分優秀。極端な専門用語はないが(たとえば“多酚”=ポリフェノールにあたる中国語はなかった。しかし“酚”はあり、フェノール化合物であるとわかったので、とりあえず急場はしのげた)通常の文章、会話に出てくる単語はほぼ網羅されている。しかも単語で引けるので、目当ての語がすばやく見つけられる。中国語の辞書をよく利用する方にはおわかりいただけると思うが、普通の辞書は単語そのものが一発で出てくることはない。たとえば「香蕉 xiang jiao」(バナナ)を引く場合は、まず親字である「香」を探し、その後、「香」の下にずらーっと並んでいる数多の「香」を頭に持つ単語から、「香蕉」を探すことになるのである。これが結構しんどい。親字である「香」の声調をはっきり記憶している場合は、まだよい。しかし「xiang」という発音だけで、声調を記憶していない場合は、四声合わせて30以上もある「xiang」を、端から見ていくか、または諦めて部首で引くしかない。結構な手間である。おまけに辞書は字が小さいので、ぽろりと見落としたりして「えー、ないじゃん。役に立たない辞書!」などと自分の目の悪さは棚に上げて、辞書を悪者にしたりする。

ところがこの電子辞書なら、ローマ字で「xiangjiao」と入れると、ぽんと1回で「香蕉」が画面に現れる。他にも4つばかり同音の「xiangjiao」があり、同じ画面に並んでいるが、5つの中から求める「香蕉」を探し出すのは簡単至極。造作もない。出張先で人が喋っている間に、ささっと意味、声調を確認したい場合など、早くて本当に助かる。
また出張時だけでなく、日々の仕事やお勉強にも、大いに役立っている。以前は音読する教材の発音と声調を確かめるために結構な時間を費やし、しまいには眼痛と頭痛と肩こり(!)を引き起こしたものだったが、これを買ってからはあっという間に下調べが終わるようになった。ほんとうにいい子である。
もうひとつ付け加えれば、この電子辞書には「通訳表現集」もついている。これもとっさに参照するのに便利である。ことに私のように脳内メモリーが少なく、自動的にはぱらぱらとフレーズが出てこない人には、これがあると少し安心である。実際その場になれば見てる暇などないのだが、備えあれば愁いなし。あると思うだけで、少し落ち着く。

というわけで、日常的に中国語と付き合わざるを得ず、今現在「電子辞書、買おうかな」と思っていらっしゃる日本人のみなさま、「セイコーインスツル SR-V7130CN」はお薦めです。「日経トレンディ」で中国語電子辞書4機種の性能をチェックした共立女子大の上野恵司先生は、初心者にも向くとしてキャノンの「wordtank V80」を一押ししていらっしゃいましたが、私はこのセイコーインスツルもかなりいいと思います。どちらがよいかは、どうぞ店頭でお確かめ下さい。セイコーさんのは、キータッチも気持ちいいです。

情熱のない人生

  • 2005/10/26 16:16
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−きのうの続き−

ところで、ひるがえって考えれば、「夢は見過ぎない方が身のためだ」とはなから諦めた時点で、私は自身が凡人であり、一芸に秀でられるだけの情熱がないことを自ら認めたわけだが、そして常識人(=凡人)としてのジンセイを歩み始めたわけだが、もし私が逆のタイプであったら、夢を見続けられるタイプ、あるいは胸の中に押さえきれない情熱が、ふつふつとたぎるタイプだったら、どういうジンセイを選択したのだろうか?

実際のところ、私にはその「抑えきれない情熱」というものがないので、実現できるかどうかわからないが、でもそれに向かって突き進まずにはいられない心情というのがよく理解できないのだが、想像するだに苦しく、かつ強烈な喜びに満ちたジンセイのように思え、ため息が出る。
以前にも書いたが、私の人生は平板である。およそ波乱はない。実現可能な程度のことしか望まないので、夢がかなわず失意に沈んだことはない。大それた挑戦をしないのだから、挫折もありえない。もちろん大変に好運だったことも否めない。五体満足に生まれ、早くに両親を失うこともなく、しかも両親は私を虐待せず、おかげで私は大きな病気もけがもせずに成人できた。長じてからも丈夫な遺伝子のおかげで、五体は極めて健康。たまには風邪を引き、ひんぱんに偏頭痛に襲われはするが、命に別状はない。今後もこの状態が続くようなら、私は平板な人生を、平板に生きて、平板に死んでいけるだろうと思う。そしてそれでいいと、9割方納得している。(10割にならないのは、ジンセイにおいて精一杯努力しないことに対する罪悪感が1割あるからである) これはシアワセな人生なのだろうか?
胸の中にふつふつとたぎる情熱がない以上、これ以外の人生は選びようがないのだが、私は時々、自身の意欲のなさに寒々としたものを感じるのである。

千住三兄妹

  • 2005/10/25 16:32
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先日テレビを見ていて、画家の千住博さんと、バイオリニストの千住真理子さんが、ご兄妹だと初めて知った。おまけにそのまん中には、千住明さんという作曲家もいらっしゃるのだとか。3兄妹そろって芸術家とは、とちょっとびっくりした。
そのテレビ番組は、兄妹ともに芸術家となったのは何か理由があるのか。ご両親はどういった方なのか。教育方針は? といった切り口で製作されていたのだが、それによると、ご両親は別に兄妹を芸術家になるよう教育したわけではなく、ただ「自分の好きなこと、集中できることを見つけて、それを一所懸命やりなさい」「そしてやるからには一流を目指しなさい」と育てただけだと言う。その“好きなこと”というのが、博さんの場合は絵を描くことであり、明さんの場合は音楽を作ることであり、真理子さんの場合はバイオリンを弾くことだったのだと。そして好きなことを頑張っているうちに、こうなったのだと。
と、こう聞くと子どもにとってはいかにも自然そうで、しかも楽しそうだが、なかなかどうして。おまけにご両親が“一流”という時の基準は、人との比較ではなく、自分の中にあるものとの比較で、兄妹が人と較べたりすると叱責されたという。これは普通の子どもにとっては、結構しんどいのではないだろうか?

天才でも秀才でもない“ただの子ども”だった私はよく覚えているが、いくら好きなことでも、普通の子どもはそんなに頑張れるものではない。やっているうちに飽きてきて、他のことがやりたくなったりするし、あるいは、いくらやっても思うように出来なくて、自分が“やりたいこと”と“できること”の差に、打ちのめされたりする。ことに小学校も高学年になれば“それ”(つまり自分の能力のなさ)が嫌でも見えてきて、あまりに途方もない夢は見なくなる。つまりは現実と妥協して生きていくための、諦めを学び始める。全部の子どもがそうだとは言わないが、少なくとも私はそういう子どもだった。どうせがっかりするだけなのだから、「夢は見過ぎない方が身のためだ」と思いながら、大きくなった。
それに親の方も、子どもが何かに過度に夢中になっていると、たいていは他とのバランスを取るため、それを止めさせたり、ほどほどにしなさいと言ったりする。ことにそれが学校の勉強以外のことだったりすると、決して寝食を忘れて没頭することを奨励したりはしない。(例外は親の夢を子どもに背負わせている場合。たとえば星一徹と野球とか。例、古過ぎ?)

つまり常識にあふれた子どもと、常識にあふれた親では、一芸に秀でた人物は生み出せないということである。そこそこに何かができる「秀才」くらいはつくれるかもしれない。しかし世に名を残すような一流の人物は、まず生み出せないだろう。「天才」ほどではないにしても、一芸に秀でた人物というのは、ある程度常軌を逸した努力の果てに生まれてくるものだろうから。つまりはエキセントリックな存在なのである。この番組を見た後、以前 柏倉葵 さんが書いていらした五嶋みどりさんと五嶋龍さんのお母さんである五嶋節さんのことが読みたくなった。この方はなぜ、二人の子どもをこういう風につくりあげた=育て上げたのだろう。応える子どももすごいが、つくる親はもっとすごい。

寒ブリ化

  • 2005/10/24 15:54
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■最近、身体に脂が乗って来ている。そのみごとな乗りぐあいは、一級品氷見の寒ブリにも劣らず、大根と一緒に炊いたらさぞやうまかろう、と思われるほど。
と冗談を言っている場合ではない。特に食事量を増やしたわけでもないのに、なぜ脂が乗るのだ? そろそろ肌寒くなってきたことに対する、身体の防衛本能だろうか?

■と言いつつ、昨夜は急に思い立って、ブラウニーを焼いた。夫が焼く北米バージョンの死ぬほど甘いタイプではなく、藤野真紀子さんレシピによる甘さが(わりと)控えめの日本バージョン。
私がブラウニーを焼く理由は、冷蔵庫のチョコレート消費のためである。お義父さんは毎年イースターに、大きなチョコレートのイースターバニーを私たちに1つずつ買ってくれるのだが、これが中は空洞とは言え、たいていは30センチ近くもある巨大バニー。夫は夏休みカナダにいる間にそれを食べ尽くしてしまうのだが、私はいつも1年経っても食べきれず、冷蔵庫に歴年のイースターバニーが食べかけのまま、あるいは手もつけられないまま、貯まることになる。まずいわけではないのだが、子供用なので何しろ甘い。チョコのままでは、1回に2口、3口食べるのがせいぜい。これではまったく減らないも同然。一気に消費する方法は?ということで登場するのがブラウニー、というわけである。昨夜はこれで100g消費した。それでもバニーちゃんはまだ1匹半残っている。(あ、うさぎだから1羽半というべきか?) − こんなことしてるから、脂が乗るのよね…。なるべく夫に食べさせて、私は食べないようにしなければ。

スウィートポティトゥ成長記録

  • 2005/10/23 14:44
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先週の日曜、植木鉢に植えたさつまいも。
植えた時には、芽しか出ていなかった。





しかし、その3日後には小さな葉っぱが、わらわらと出始め
(写真、暗くてすみません)





そのまた2日後には、それらの葉っぱが、ぐんぐん伸び始め





植えてから1週間たった今日は、巨大化した葉っぱが植木鉢を覆っている





この間、肥料とか栄養剤とかはまったく与えていない。
ただ水を4回やったのみ。

手のかからない丈夫な観葉植物をお探しの皆様、
サツマイモは大穴です。
おすすめいたします。

携帯 月78元

  • 2005/10/22 19:53
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さっき、携帯電話のサービスショップに行って、毎月のプランを一番安いのに変えてきた。数年前、初めてこの携帯会社を使い始めたときには、確か1か月88元だったのだけど、その後ちょびちょび、ちょびちょび上がって、8月からはとうとう108元になった。もともと88元でも「ちょっと高いなあ」と思っていたのに、100元を越えるとは! 極少使用者(月平均通話時間15分。メール使用ゼロ)の私には言語道断の高さ!! しかも100元を超えたのは、請求書郵送手数料(!?)10元が加算されたためである。なによ、これ? ご当地内の切手代は1.4元でしょうが。残り8.6元が人件費ってわけ? 昔は請求書兼使用明細を郵送するのは当たり前で、全部ただでやってたくせにぃ! と文句を言ってみても始まらないので、自衛手段として「ふん、変えてやる。安いプランに変えてやる。ついでにAutopay(自動振替)にして、10元の郵送手数料もナシにしてやる!」と意気込んで出かけた。

ところが、実は私が今使っている携帯の名義人は、昔私が働いていた会社。4年前につぶれて、もうなくなってしまった会社。預金は取引銀行に凍結され、従業員はちりぢりばらばら、社長は行方不明の会社である。当時から名義は会社でも、使用料を支払っていたのは私個人だったのだが、ここにきてプランを変えるためには名義人(=会社)のBR(登記簿謄本みたいなもの)が必要だと言われた。「この会社、4年前につぶれてるから、BRはありません」「全然ないの?」「ないです」「じゃ、つぶれたという声明をだしてもらわないと」「はあ?」「で名義変更の手数料は300元」「さんびゃくぅ? ちょっと、安いプランに変えるために300払うんじゃ、安くないんですけど」「じゃ、今使ってるのはキャンセルして、自分の名前で新しく加入したら?」「キャンセルにはBR要らないの?」「いらない」「番号は?」「新しい番号」「いくら?」「月68元、プラス地下鉄・トンネルライセンス費10元」「OK. それにする」契約成立。

名義を変えるよりサービスをキャンセルする方が簡単、というのもちょっとおかしな気がするが、たぶん名義の変更というのは、財産とか権利の譲渡にあたるのだろう。でもキャンセルはただサービスを止めるだけ。たとえそのキャンセル依頼が不当不正なもので、正当な持ち主の預かり知らぬことであったとしても、止めたとたん電話がかけられなくなるから、正当な持ち主は不審に思い、電話会社に問い合わせる。その結果、依頼が不当なものとわかり、サービスが再開されれば正当な持ち主はまた昔どおり使える。キャンセルの間は誰も電話をかけられないのだから、不正使用の通話料も発生せず、実質の被害は少ない。ということなのかもしれない。

いずれにせよ、上記経過により、私は新しい安いプラン(しかもIDDも、ローミングサービスも無料で付いてきた)になり、携帯番号も新しくなった。ローミングで、中国でも使えるのは嬉しいが、会社には内緒にしておこう。それから、新しい番号を広東語で言えるよう、練習しなきゃ。それから、それから、また友達の電話番号、携帯に入れなおさなくちゃ。大した数じゃないけど、これって結構面倒かも。でも何だか、ちょっと嬉しい感じ。嬉しいのは“安い”せいか、はたまた“新しい”せいか。

陰山先生の教育方法

  • 2005/10/21 17:33
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しばらく読んでいなかった佐々木かをりさんの“e woman”を久しぶりに読んだ。
今週の対談は、「100マス計算」で有名な(?)陰山英男さん。
私には子どもがいないうえ、日本を離れているので、“現在の、日本の、子どもの、教育問題”を考える時、どうも今ひとつ切実さに欠け、抽象的な議論にしてしまうきらいがあるが、それでも関心がないわけではない。
自分の事は棚に上げて、今の子どもたちの基礎学力の低さ、創造性、思考力の弱さを心配し、それと裏腹の塾の隆盛、子どもたちの勉強時間の長さ、受験勉強の過酷さを困ったことだと思っている。そして子どもたちの学力が落ちているのは、世間でよく言われているように、「ゆとり教育」がその元凶だと思っていたのだが、この 対談 を読むと、陰山先生が考える元凶はそうではないらしい。
彼があげている学力低下理由の第一は、「睡眠不足」。子どもたちの生活がどんどん夜型になっている。塾に行ったり、テレビを見たりして、夜遅くまで起きている。だから朝眠い。授業中も眠い。早く寝るようにするだけで、学力は確実に上がる、と彼は言う。
次に重要なのは「食事」。夜更かしするから、朝、食べられない。または日頃から、ろくなものを食べていない。これを朝、ちゃんとご飯を食べるようにし、またさまざまな食材を食べるようにすると、成績があがるという。
3番目は「友達と身体を使って、よく遊ぶ」。よく食べて、よく寝て、身体を使ってよく遊ぶで体力をつければ、勉強は後でやる気になったときにできる、というもの。あ、もうひとつ、家庭で勉強する習慣をつける(ここで「100マス」登場)というのもあるけど。

何だかすごくわかりやすくて、しかも無理がなくて、私に子どもがいて悩んでいたとしたら、思わずほっとしそうな内容である。
ただ私にはこどもがいないし、自分自身の「学力低下」というか「脳力低下」に悩んでいるので、私自身にこれを当てはめ、実践してみようかと思った。
まず“早く寝る” だが、もともと夜更かしは不得意なので、これの実践には問題はない。2番目は“しっかり朝ご飯”だが、陰山先生はパンよりも腹持ちのよいご飯を薦めている。私もこれからはミューズリーは止めて、ご飯にしてみるべきか。日本風のおかずはないので、毎日納豆。または次に日本に行った時、アメ横で大量にシラスを買ってくるとか。あ、つば出そう。3番目“外で友達とよく遊ぶ”は、大人になってみると、いささか困難である。昼間は会社があるので、友達と遊んでいるわけにはいかない。夜“外で友達とよく遊ぶ”と言うと、どうも違うニュアンスになる。赤いちょうちんの下、一杯やってる雰囲気が濃厚。学力向上につながるとは思えない。第一、夜は早く寝なくては。というわけで、この“よく遊ぶ”は体力作りと考えて、週3回のジムで代行。お、できそうじゃん。

しかし、考えてみると、私は育ち盛りの子どもではないわね。中年が早寝しても「成長ホルモン」は出ないかも知れんな。ま、老化防止になればよし、とするか。

なに つくろう?

  • 2005/10/20 17:13
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うちの夫はベジである。
ビーガンではないので、チーズ、牛乳、たまごは食べる。
しかし肉、魚、貝は食べない。

一緒に住み始めてすでに6年近くになるので、何を作っていいかわからなくて困る
ということはないが、逆に慣れ過ぎて最近献立が非常にマンネリ気味である。
平日は仕事あるいはジムから帰ってきてから、“30分1本勝負”で夕ご飯をつくる。
当然凝ったものは作れないので、野菜炒めとかサラダ、豆腐料理、豆料理、
各種いも(じゃがいも、さつまいも、さといも、長いも、とらいも)料理、
といったところになるのだが、このローテーションも365×6 回ともなると
いささか息切れ。

ベジ料理のサイトや、ふつうの料理本の中の野菜料理項目も時々見るが、
日本語で書かれたものはどうも“ご飯のおかず”として考えられているものが多く
ご飯を炊かないうちの夕食用には、今ひとつしっくりこない。
と言って西洋系は、材料その他の点で、アジアの台所にはうまくなじまない。
材料豊富な中華系は、週に1、2回ならいいが、毎日では夫が悲鳴をあげる。
というわけで、何だか毎日同じようなメニュになりがち。
夫は献立にはまったくうるさくなく、それがベジ料理でありさえすれば
先週と同じだろうと、昨日と同じだろうと文句も言わずにおとなしく食べるが、
あんまり変化に乏しいと、作る私の方が飽きてしまう。

なにか30分程度で出来て、ベジな料理ってないでしょうか。
そのうえカロリーと脂質が低ければ、言うことないのですが…。
(って、欲張りすぎか…)





一応こういうところもあるようです。うちは‘純素食'ではありませんが

赤信号みんなで渡れば

  • 2005/10/19 14:54
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国会議員101人が、みんなでそろって靖国神社に参拝したという。
しかもその名が「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」とは・・・

正しいことだから、みんなでそろってやったのか
それとも内外からの批判が多いこの参拝、
一人で行って目立ち過ぎ、びんびん飛んでくる批判の矢の的になるのがいやだったのか
私には後者のように思えるけど
それは私の偏見かも。

それにしても、いい大人がぞろぞろ群れて参拝して
恥ずかしくないのだろうか
本当に正しいと思っているなら
一人毅然と参拝したらいい
「メダカは群れたがる」と言ったのは、平林たい子氏だったか
小物は群れないと安心できないのね

全然関係ないが、日曜に植木鉢に植えたさつまいも
伸びた芽から、緑色の、水掻き付きのかえるの手のような葉っぱが
たくさん、たくさん、出てきた。
Oh my God !! ☆?#^& !! こんなに成長が速いとは予想していなかった。
このままではこのいもは、植木鉢のなかで増殖し
大量の子サツマイモが発生するかもしれない。
と一瞬慌てたが、
さつまいも豆知識 を読むと、採苗して植付けをしなければ、いもはできないようである。
ああ、よかった。
いもは好きだし、リタイアしたら畑を作りたいとは思っているが
いくらなんでも、まだ早いである。
それに植木鉢でさつまいも栽培っていうのも、なんだかちょっと。
せめてプランターにしないと、立派ないもは育ちませんよね。

よもやまばなし

  • 2005/10/18 17:01
  • Category:
昨日、ほぼ2ヵ月ぶりに、普通話クラスに出かけた。
出張行ったり、月曜がちょうど祭日だったりして、休みが続いてしまった。
先生の方も本業の学校の新学期が始まり、今年は落ちこぼれクラスの中国語も担当しなければならないとかで、だいぶお疲れのご様子。
私の方も久しぶりだったので、授業はせず、先生とおしゃべりして過ごした。

内容はもう、それこそ適当にいろいろ。
勉強する気のない子に教えるのは、本当にしんどいという話。
小泉首相の靖国神社参拝について。
それに関連して自身を犠牲にして国家のために尽くすのは、よいことなのか。
(先生は言下に「よいことだ」と答えた。羨ましい限りの迷いのなさ!)
しかし国家の判断が間違っていると思われる場合は?
“愛国主義”といった場合の、“国”とは何なのか。
時の政府ではありえない。
国民? 国土? 文化?
さて。
振り返って、わたしは日本を愛しているのか?
愛しているとしたら、日本の何を?

先生がだんだん物質主義的(というかブランド志向)になってきて
お母さんに注意されたという話。
お母さんにとっては永遠に“娘”でも、先生だってもう60歳近い。
その先生に80を超えたお母さんが注意するというのは、なんだか少しほほえましい。
先生はこちらに向き直り「あなたの服装はいつもとても質素でよろしい。今度はあなたと一緒に買物に行こうかな」とおっしゃるが、
「せんせー、それって褒めてますかあ?」
なんだか褒められてる気がせず、思わず苦笑い。
確かに今日身に付けているもので1万円を超えるものは、
時計と指輪とピアスくらいしかないから、充分質素ではあるのだが
40過ぎた女が質素さを褒められるというのもなあ、なんだかなあ。
ちょっと、くたびれてるような気がしません?

まだ改革開放が始まる前の中国。
いろいろ問題はあったし、貧しくもあったけど
それでもずいぶん呑気で、生活はゆったりしていた。
(先生はその頃、安徽の田舎で教師をしていたらしい)
お金はなかったけど、お金があったって、それで買うような高価なものは
なかったのだから、同じこと。
毎日の勤めが終わると家に帰って、食事の支度をして、食べて寝る。
1年が終わり生徒を送り出すと、そのあと2‐3ヶ月は何もない休みになる。
ちょっと畑を作り、鶏を飼い、たまには外に出かけ、という何でもない生活。
今の生活は便利だし、豊かだし、必要なものも、さして必要でないものも
たくさん身の回りにあふれてはいるが、昔のような、生活の気持ちよい単純さはない
という話。

私も退職したら、田舎で野菜作って、鶏飼って暮らしたい。
と家に帰って言ったら、夫に「君一人で、どうぞ」と言われてしまった。
ちぇっ、このお方は田舎で鶏飼うのはいやみたい。
確かに鶏飼ってると、朝寝はできないんだけどね。
何しろ朝5時前から、雄鶏が時をつくるのだから
うるさくって寝てられない。
経験者は語る、である。

また行くのね、小泉さん

  • 2005/10/17 12:34
  • Category:
小泉首相が今日また靖国神社を参拝するという。
朝のNHKニュースで「臨時ニュースが入りました」と、まるで「××県沖で地震発生!地震発生!」と伝えるときと同じような口調で、繰り返し繰り返し「小泉首相は今日靖国神社を参拝する予定です!」と伝えた。首相の靖国参拝は、災害並みということか。
まったく日本国民が選んだ結果とは言え、このお方の思考内容は、その発言からではよくわからん。

小泉首相は繰り返し「靖国神社に参拝するのは、先の大戦での犠牲者を悼み、二度と戦争を起こさないという不戦の誓いを新たにするため」と言っているが、靖国神社は戦争の犠牲者を悼み、二度と戦争を起こさないために建てられた神社じゃありませんぜ。その概要を見れば明らかな通り、むしろ「命を投げ出して国のために戦った者を賛美し、顕彰するために」建てられた神社であって、太平洋戦争に限らず、あらゆる戦争において“国”のために戦い、命を落とした人を称えるのがその役目である。決して戦争回避のために力を尽くし、そのため命を落とした人を祀ったり、称えたりする神社ではない。むしろそんなことをする人を“非国民”となじり、貶め、日本人にあるまじきものとして排斥することを根本とする神社である。そんな神社に参拝して“不戦の誓い”? 笑わせるんじゃないわよ、である。

首相の靖国参拝が問題なのは、私に言わせれば、A級戦犯が合祀されているからではない。神社の成り立ちそのものから言って、この神社が戦争を、国民が“国”のために命を投げ出すことを、賛美し顕彰する神社であり、そうした行為を“うつくしく、尊いもの”として意識的にせよ、無意識的にせよ、国民に植え付ける役目を果たしている神社だからであり、したがってそうした神社を一国の首相である小泉氏が参拝するということは、氏が主張する「不戦の誓い」を表す行為というより、むしろ「戦争を賛美する」、と言って言い過ぎなら、少なくとも「“国”が戦争を始めたからには、四の五の言わずに黙って命に従い、“国”のために命を捧げることを賛美する」行為であると言える。そしてこの次戦争になったときには、やはり同じように「黙って命に従い、“国”のために命を捧げること」を暗に要求する行為であるとも言える。小泉首相の靖国神社参拝を支持する人々は、みんなこうした滅私奉公の精神を、うつくしい、尊いものと思っているのだろうか。たとえ間違った判断であっても、いったん“国”(この場合は時の政府か)が参戦を決めたからには、個人の判断はいったん置いて、“国”のために戦うのが、国民としてあるべき姿と考えているのだろうか。
個人の意思という点から言えば、靖国神社に祀られるにあたって、その命を捧げた(捧げざるを得なかった)個人の戦争に対する考え、意見はまったく無視される。だから靖国神社に祀られるのは故人の意思に反するとして合祀取下げを要求しているキリスト教信者、台湾先住民族、韓国、朝鮮の遺族の要求は、「合祀の趣旨から考えて、合祀を取り下げることはできません」となるのである。個人の意思よりも、神社の意思の方が上位にあるわけで、何よりも自分が大事な、私などが承服できる考え方ではない。

神道系の学校に学び、巫女のバイトもしていた私であるから、神社そのもの、神道そのものに嫌悪を抱いているわけではない。しかし靖国神社だけは、参拝したくない。あそこは神話的な出雲大社や伊勢神宮とは違い、“神”の影より“国”の影のほうが濃厚に感じられる、私にとっては禍々しいと言っていい神社だからである。

スウィートポテイトゥから芽が

  • 2005/10/16 15:20
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先週、出張で留守にしていた間に
野菜かごの中のさつまいもが変貌をとげていた





いもの先っぽから、元気のいい芽がたくさん
「げー、どうしよう?」と今週1週間逡巡している間に
芽はますます伸び、ますますたくさんになってきた。
それとともに、いもはしわしわに…

なので今日、植木鉢に植えてみました。
この芋、そのうち立派なスウィートポテイトゥになるのだろうか




ちょっと1本、元気のない芽もありますが


ケーキミックスを使ってケーキを焼くと

  • 2005/10/15 11:15
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西洋系のスーパーマーケットに行くと、製菓材料のコーナーに、ありとあらゆる種類のケーキミックスが並んでいる。シンプルなパウンドケーキからしっとりしたヴァニラ・フレイバー、白いアイシングと黄色いスポンジとの対比がきれいなレモン・フレイバー。チョコレート・フレイバーにいたってはひとつのメーカーからだけでも、ダブル・チョコレート、ダーク・チョコレート、ジャーマン・チョコレート、トリプルチョコレートファッジ等々と、数種類が出ている。そのほかチェリーチップ入り、白・ブルー・ピンクがマーブルになった、ちょっと不思議なパーティ・スウィール、スパイス・ケーキ、ブラウニー用のミックスから、キャロットケーキ、エンジェルケーキ、チーズケーキまで。ほんとに見ているだけで圧倒されて、魅了されて、何かひとつ焼いてみたい気にさせられる。
私も昔はいかにもおいしそうなパッケージに釣られて、よく買ったものだった。ことにオーブンを買いたての頃は、何か焼きたいけれど、バターの買い置きが十分あったかと考えたり、卵を別立てで泡立てたりの手間が面倒に感じられて、しょっちゅうベティ・○ロッカーさんや、○ンカン・ハインズさんのお世話になったものだった。しかしここ3−4年は、まったく買っていない。花の中年を迎え、夫と二人、徐々にしかし確実に体重が増え始め「ケーキなんか食べてる場合じゃない」となったことも理由のひとつだが、もうひとつの理由は、どのメーカーの何を使っても、さほどおいしく出来ないということが、(これもまた)徐々にしかし確実に、わかってきたからである。

各メーカーさんの名誉のために付け加えれば、別に食べられないほどまずいものができるわけではない。ものによっては、たとえばコーンマフィン・ミックスなどは、けっこう食べられる味に焼きあがる。しかしケーキ系は、どれもこれも、体重増加の危険を冒してまで食べたい味にはできあがらない。たしかに、ふくらむ。自分で一からやったのでは、何度やってもイマイチのふくらみしか得られない(ことにスポンジケーキ)私にとっては、恨みのひとつも言いたくなるほど見事にふくらむ。一度などは膨らみすぎて型からあふれ、タネがオーブン中に広がって往生したほどふくらむ。しかし、うまくない。バターの豊かな味も、卵のやさしい味も、それらが粉と合わさってかもし出すしっとりした舌触りも、何も感じられない。一口食べて思わず頬が緩む、あのしあわせなおいしさがない。

それに比べ、自分で一から作ったケーキはうまい。近所のスーパーで売っているバターと、その辺にある粉と、買い置きの卵で作ったケーキであっても、自分で一から作ったケーキは、ちゃんとケーキの味がする。同じ私が作っているのに何でこんなに違うの?と思うほど、ケーキミックスの時とは違う味になる。
何の素養もない素人の私でこれだから、小さい頃からお母さん手作りのスウィーツで育ち、“甘いもの命”の夫が作った場合には、なおさらである。先日、お父さんからもらったレシピで作ったブラウニーなどは「これを食べたら絶対でぶになる」とわかっていても「もう少し」「あと、ひとくち」と後を引くうまさだった。北米式だからねっとりしたアイシングもかかって、めちゃくちゃ甘いのだが、それでもうまい。ブラウニーミックスを使って作ったものなど、比較にならない。

なぜなのだろうと思う。巷であれだけ売れているからには、大方の人はあれをおいしいと思っているに違いない。うまくできないのは、わたしたちが悪いのか。それともああしたケーキミックスを使う人たちは、小さい頃からあれで育っていて、あの味がスタンダードだと、脳と舌に刷り込まれているのだろうか。

伊東屋さんの パスポートケース

  • 2005/10/14 08:54
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先週日本に行ったとき、土曜の午前中に入れてあった予定がキャンセルになり、時間が空いたので、急ぎ銀座に出かけ、伊東屋 → 教文館 → ユニクロと回ってきた。

で、伊東屋さんで買ったのが、これ。





前からパスポートケースが欲しくて、でもうちの近所ではなかなか気に入ったものが見つからなくて、「伊東屋さんなら、あるかも」と期待して行ったら、やっぱりありました。
伊東屋逸品 “COLOR CHART” シリーズの中の一品。
デザインはシンプルだけど、色は目を奪うような鮮やかさ。
南国の鳥を思わせるトロピカルな色たち。
その中で私が買ったのは、エルメスオレンジと言えそうなくっきりしただいだい色。
最近バッグに入れる小物には、鮮やかな色を選ぶようにしている。
そうしないと、黒いバッグの中に黒い財布、黒いポーチ、黒い電子辞書ケース、という具合に、何もかも黒くなってしまって、あげくバッグの地色と一体化して、中に入れたものが見つからなくなってしまうから。
パスポートがそんなことになったら、心臓に悪すぎる。
でもこのオレンジ色なら、どんなバッグに入れても、またどこかに落としても、
一発で目に飛び込んでくることは疑いない。

写真ではわかりづらいけど、機能もなかなかで、右側にはカードスリットが3つ、
またカバー全体が札入れのように二重になっていて、エアチケットや紙幣を入れられるようになっている。
私はさっそくアジアマイルのカードを入れてみた。
パスポートケースにはさんでおけば、チェックインの時、提示し忘れたりしないから。
そういえばマイレージ、8月末から貯め始めて、すでに1万マイルを超えた♪
このまま行けば、日本だけじゃなくて、カナダにも行けるかも。るん。

ニュージーランドドルが・・・

  • 2005/10/13 16:26
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長い間ほったらかしにしておいた財政収支表の今年の分を、ゆうべまとめた。
「財政収支表」なんていうとえらそうだが、なんのことはない、エクセルを使って自分で作った、子どものお小遣い帳に毛が生えた程度のものである。
表の各欄に、その月の給与額、給与以外の収入(出張時の立て替え分の事後支給とか)、現金での支出額、小切手での支出額、カードでの支出額等を入れると、その月の差引残高と累計の残高が自動的に出てくるようになっている。
この程度の計算、なにもエクセル使わなくても…とお思いになる方もいらっしゃるだろうが、何しろ私は算数、数学の類が非常に不得意で、頭が冷静な時に表を作って計算式を入れておかないと、後からでは足すんだったか、引くんだったか、相互の欄の関連性がわからなくなってしまうのである。
これで昔は某社の経理をやっていたのだから、えらいものだ。(と、自慢しても仕方ないが)

その結果、とんでもないことに気づいた。
今年の初め、5%以上という高い利息につられて作ったニュージーランドドルの定期預金、更新するごとに元本はこれ以上ないほど順調に増えているのだが(そりゃそうだ、5.×パーセントの利息だもの)、その香港ドル換算額は、ぜえんぜえん 増えていないのである!
があああん !!!!
なんてえこった、この1年対香港ドルのニュージーランドドルレートは下がりっぱなしだったのである。それなのに私は面倒くさがって銀行から来た明細を詳細に検討せず、元本だけ「お、増えてる、増えてる」とにやにやして、その香港ドル換算額を見逃していたのである。仮にも金融業界に身を置く立場でありながら、なんというおまぬさ!
「わーん、悲しいよう!」と夫に泣きついたら、「そういうことはよくあることです。庶民がなけなしのお金を増やそうと画策すると、たいていは悲しい失敗に終わり、返って虎の子を失うことになるのです。私のミューチュアル・ファンドを見てごらんなさい」と悟りきった口調で言われたが、そんなの何の慰めにもならんわい。夫婦で投資に失敗しててどうする? 我々は二人とも本国の年金を当てにできない海外出稼ぎ組だぞ。自分自身しか頼るものはないんだぞ。ふえーーん。

決めた。定期は次の満期日に解約する。で、ニュージーランドドルのまま引き出す。そしてこれからは毎日ニュージーランドドルの為替レートをチェックして、レートが上がったところで香港ドルかUSドルに替えてやる!
ん? ずっと上がらなかったらどうするって? その時はニュージーランドに旅行に行って、現地で使ってやります! (でもニュージーランドって、何か売ってるものあったっけ? 景色? ひつじ? あたし、ひつじ買うの?)



ひつじちゃんは かわいいけど…

ストレート・ガイが変身!

  • 2005/10/12 15:37
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左から順に、Ted(Food&Wine)、Jai(Culture)、Carson(Fashion)、Thom(Design)、Kyan(Glooming)



世に視聴者変身もの、読者変身ものの企画は多々あるが、Bravo TVの “Queer Eye for the Strait Guy”はちょっとおもしろい。まず変身するのは女の人ではなく男の人、しかも“ストレート”の男の人。それをゲイで各分野のプロの5人が、よってたかって変身させる。変身の対象は髪型や着るものといった“衣”にとどまらず、住んでいるフラット/家のインテリア、エクステリアの“住”、“食”ではキッチンの改造から友達や恋人、家族がゲストとしてきた時に出す、ちょっとしゃれた飲み物やアペタイザーの作り方。また“カルチャ−”では、音楽や自身のプレゼンテーションの仕方、スマートに人とつきあう方法まで教える。つまりライフスタイル全部、何から何まで面倒見ちゃいましょうという企画である。これが面白い。ゲイの5人のいたずらっけのあるコメントも面白いし(ことにファッション担当のCarson、大きな口がよく動く)、改造対象になった、どう見てもHipとはいえない男の人が、着るものを変え、ヘアスタイルを変えただけで、実際に「あら」と思うほど変わるのを見るのも面白い。しかもこれは昔昼時の奥様向け番組でよくやっていたような、裏で作りこんで、カメラの前でだけ格好よく見せるというのとは違い、改造対象者は実際にビデオカメラの前で自前の服を脱ぎ、Carsonが選んだ「これはどおお?」という服を着る。格好よく見せようと、後ろ側がクリップで止めてあったり、ピンを打って身体に合わせてあったりするわけではない。それでも「へえ、服を変えただけで、印象ってこんなにも変わるもの?」と言うほど、変わる。ヘアスタイルも同じである。その改造対象者のスタイルに合うと思われるヘアスタイリストのところに連れて行かれ、いすに座らされてカメラの前で大幅に、あるいはちょこっと切られたりするのである。スタジオで作られ、スプレーでがちんがちんに固められた、二度とできない瞬間芸ではない。
また“食”担当のTed は、ニューヨークにあるさまざまなグルメショップ、レストランを、その時々のテーマに合わせて紹介する。前回は顧客の好みに合わせてソーセージを作ってくれる昔ながらの肉屋を紹介してくれたし、その前はアジア系の女性が開いている小さな、しかし極上のチョコレートを扱っている店を紹介してくれた。(このチョコレートショップは “ワンダフルライフ in ニューヨーク” でも紹介されていた。名前はKee’s Chocolates) 紹介されたからといって、ユーラシア大陸在住では、「んじゃ、この次の日曜に行ってみよ」ということにはならないが、それでも画面を見てよだれをたらすのは楽しい。
またグルーミング担当のKyanは体型を維持、または改良するためのトレーニングや、過去のけがをいたわりながら行うリハビリ、あるいは日常の髪や皮膚の手入法を伝授する。
カルチャーの担当は、ラティーノのJai。くるくるよく動く大きな目がかわいらしい男の子である。冒頭にちょっと紹介したようなことの他に、恋人に贈るのに最適なジュエリーショップや、しゃれたギャラリー、ちょっと面白い新しいオモチャなんかも紹介する。
そして圧巻はなんといってもインテリアの改造。そこら中、脱ぎ捨てられた衣服と、ごみとガラクタが散乱していて、アパートだかごみ捨て場だか判然としないような部屋や、ガレージセールで買ってきたような寄せ集めの家具ばかりで、Taste のTすらないような部屋が、Thomの手腕で、住んでいる人の個性が色鮮やかに浮き出た、趣味がよく、しかも使い勝手のいい部屋に生まれ変わる。そのあまりの変わりように、改造対象者のみならず、恋人や家族まで“Oh my God……!”と言ったきり口が利けなくなるのは、あながちテレビ放送用の演技ばかりではないだろう。私だってウチがあんなふうに見事に変わったら、しばらく言葉を失うと思う。

とこんな文章を何十行書くよりも、一度番組を見てもらうほうがどのくらいいいか知れないが、日本では放送してないのだろうか。まあDVDも売っているけど、見もしないうちからアマゾンでお取り寄せってのも、ナンですわね。なのでとりあえずはウェブサイト上のビデオをどうぞ。ちょっと短くて充分堪能というわけにはいきませんけど。

赤いきつね

  • 2005/10/11 20:57
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ご当地に研修に来ていた男の子が日本に帰ることになり、
余った日本食をいくつか置いていってくれた。
同僚のダニーさんは要らないと言うので、私が全部もらった。

電子レンジで2分チンすれば食べられるコシヒカリ。
お湯をそそいで3分待つと炊き立て大豆ご飯になるパック。
そして「赤いきつね」。
このパッケージを手にするのは、もしかして20年ぶりくらい?
むかーし、むかーしの、武田鉄也さんのCMなんかを、
懐かしく思い出してしまう。

お湯をそそいで3分待つ。
フタをぺりりとはがす。
まず麺をひとくち。
インスタントにしてはコシがある。
懐かしい日本のしょうゆとかつぶしの味。
そして“きつね”をひとくち。
甘辛く煮含められた揚げの味が、じわりと口中に広がる。
この味、久しく食べていなかった、この味。


会社の引き出しには箸がなくて、
プラスチックのフォークで食べざるを得なかったのは
大変遺憾であったが、
「赤いきつね」堪能させていただきました。
Thanks Tくん
明日は「大豆ごはん」をいただきます。
感謝。

東京税関成田支署

  • 2005/10/10 21:47
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さて昨日はホテルの話を書いたが、そのホテルに着いたとき、私ども一行6人は18個の荷物を持っていた。プレゼン用のポスターだの、サンプルだのを大量に持ち込んだのでこの数になったのだが、しかしそのうち2個のスーツケースは空だった。いや別に、日本で大量にみやげ物を買い込もうと、わざわざ空のスーツケースを持参したわけではない。成田に着くまでは、このスーツケースには満杯にモノが入っていたのだ。しかし成田を出た時には、きれいさっぱり空っぽになっていた。それについては、成田は東京税関のすばらしい公平無私な働きがあったのである。

話を初めに戻すと、今回の顧客は某化学薬品系メーカーだった。同社の製品は界面活性剤&化粧品。そのため同社は大量のサンプルおよび顧客にあげるギフト(giveaway というやつ)を持ち込んでいた。その数約300個。問題はこれがすべて日本の薬事法では「医薬品および化粧品」にあたるため、持込には事前に許可が必要だったことである。私はそれを知っていた。だから上司殿にも、化粧品とかのサンプルを持ち込むのなら、事前に許可が必要だと言うことは伝えてあった。しかし何しろ出発3日前になってやっと決定した出張であったし、“規則は守らないためにある”と法に対し非常に柔軟な考え方をする中国・香港企業のこと、「何とかなるさ」といともお気楽にご禁制の品を持ち込んだのである。で、成田で見つかった。私たちは2つに分かれ、3人ごとのグループになって税関を通過したのだが、そのうち私たちのグループだけが詳しい検査の対象になってしまった。理由はごくごく正直に、商売用のサンプルを持っていることを伝えたためである。もともと私はこうして許可も取らずに持ち込むことを、快く思っていなかった。持ち込みたいなら予め許可を取ればいいと思っていた。法に守られたいのなら、自らも法を守るべきである。たとえそれがくだらない事務手続きとしか思えない法であっても、他の人がそれを守り、その上で商売しているなら、こちらも同じ土俵で戦うべきである。「少しくらいいいじゃん」などと考え、実行したとしても、その不法行為の(身勝手な)正当性など主張すべきではない。“違法”と知っていてしたのなら、いさぎよく認めればいい。私だって常にあらゆる法を守っているわけではない。信号無視はしょっちゅうだし、スピード違反もしたし、時々は人様の知的財産権も侵しているし、決して穢れなき清い心と身体で生活しているわけではないが、しかしそれは“違法”と知っていてやっていることであり、指摘されれば「そのとおり」と認め、抗弁はしない。詭弁を弄して“違法性”から逃れようとは思わない。

で、規制対象品を持っていることを白状した私たちは、荷物とともに別区画に通され、そこでいったい何個サンプルを持っているのか数を改められ、また同時にこういった品は医薬品および化粧品にあたるため、持込には事前の許可が必要なこと。許可を持っていない私たちは、1個たりとも日本に持ち込むことは出来ないことを説明された。同行者は怒った。彼らの主張は以下である。
1. まずこうした品を日本に持ち込む際には許可が必要なことは、知らなかった。
2. 品はすべてサンプルおよびギフトであり、日本で販売するものではない。
3. 今回の来日の目的はプレゼンテーションであり、このサンプルがなくてはプレゼンはできない。来日がまったくの無駄になってしまう。
4. 今見せてもらった規則によれば、個人用の化粧品なら1品種につき24個までは持ち込み可能と書いてある。ならば私たち3人×24個=72個の持込は合法なのではないか。

東京税関側の答えは
1. どの国でも物品の持込には独自の規制を設けている。何かを持ち込みたいなら、事前に調べるべきである。
2. 販売目的でなくとも、持込が出来ないことには変わりない。
3. 1品種につき24個までの持ち込み可、というのはあくまで個人使用の物に限っての規定である。あなた方はすでにこれらはプレゼン用のサンプル、ギフトであると説明している。今になって個人用とは到底認められない。
4. せっかく来日されたにもかかわらず、このような状況になったことにはご同情申し上げる。しかし例外を認めることはできない。

であった。私たちは1時間近く押し問答を続けた。議論になった時、自らの非を認め相手方に譲歩するような人物は、うちの業界にはいない。日本ではどうか知らないが、私が見聞する限りでは、ご当地の法曹界と金融業界の人間は、議論となれば相手に口を挟む隙は一瞬たりとも与えず、ひたすら喋りまくり、自身の意見を主張しまくり、目いっぱいホコリをたてて相手を煙に巻くことを常套戦法としている。今回もご同様だったが、いささか勝手が違ったのは、幸か不幸か東京税関の諸兄はほとんど英語を話さず、そのため私が間に立って通訳せざるを得なかったこと。通訳が間に入っていては、丁々発止のやり取りも腰砕けである。しかも私は東京税関の主張の方が正しいと思っているから、どうしても税関側に同情してしまい、顧客の方には「だからあ、言ったでしょう」と言いたい気持ちを抑えての公平な通訳を目指すことになり、かえって歯切れが悪くなっている。
結局1時間問答を続けても税関側から譲歩を引き出すことはできず、顧客側はあきらめてサンプルを放棄した。しかし最後に「我々はこの対応に大いに不満である。帰国後、貴国の政府関係者にこの件を報告し、こうした処置が双方のビジネス関係に障害をもたらすものであることを伝える」と申し述べることは忘れなかったし、品物の廃棄同意書に、サインと共に「我々は自発的に廃棄するのではない。廃棄を強制されたのである」と書き添えることも忘れなかった。なかなかしぶとい態度である。何かの交渉の時、こういう人が傍らにいてくれれば、大変心強いだろう。
しかしそれ以上にあっぱれ、立派だったのは東京税関側で、同情の余地はあるものの、法的には理不尽である顧客側の執拗な要求に屈することなく、忍耐強く説明、説得に努め、例外を認めようとしなかったことは、賞賛に値する。しかもその間一度として高圧的態度に出ることはなかった。あくまでも冷静かつそう言ってよければ同情的で、しかも公平な態度であった。顧客は「香港でも、オーストラリアでも、こんな話にならない対応はしない。売るのでなければ、少しくらいは持ち込ませてくれる。それが日本は1つも駄目だ」とぶつぶつ言っていたが、それは香港やオーストラリアの方の対応に問題があるのである。法の適用に例外を認めるということは、法を不公平に適用するということである。それで恩恵を受けた人はうれしいだろうが、恩恵を受けられなかった人はどうするのか? そんな恣意的な適用では、返って不公平感が広がるのではないか。法治国家がよいのなら、法は自ら守るべきである。ある特定の法を“守るに値しない”と考えるなら、それはその法を改正すべきであって、守らないことによって無力化すべきではない。そのために立法の代表者を選ぶ“選挙権”というものがあるのではないか。もっとも最近の国会中継なんか見てると、どうもあんまりその点を実感できない昨今ではあるけれども。

赤坂某ホテル

  • 2005/10/09 00:48
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今回の出張では、赤坂の某ホテルに泊まった。その昔ヒルトンだった、40年前にはビートルズも泊まった、例のホテルである。常宿にしている日比谷のTホテルも、上司が泊まりたがった丸の内のMホテルも、私のお気に入り新橋駅前のDホテルも、お客様お薦めの人形町のRホテルも、その他当たったホテルは軒並み、みーんな満室だったため、やむなくこの赤坂のホテルに予約を入れたのだが、結果としてはまあなかなか、…であった。

日枝神社の坂を、リムジンバスがえっちらおっちら登っていくと、やがてホテルの明かりが見えてくる。疲れた目にやさしい、ぼんぼりか提灯を思わせるやわらかな灯り。隣が神社で、しかも丘(?)の上だから、けばけばしいネオンも見えず、あたりは暗く沈んでいる。「おお、なんと落ち着いた佇まい…」。中に入ると、先にチェックインしていた上司殿が開口一番、「このホテルは全然よくない」と歯に衣着せぬ率直な日本語でのたまう。「部屋が古くて、鍵が大きくて、おまけにインターネットに接続するのも有料だ」とだいぶご不満のようす。確かに渡された鍵を見てびっくり。鍵のカード化が進んでいる昨今にもかかわらず、このホテルの鍵は昔懐かしい“鍵”で、しかも部屋番号が刻印された金属製タグの先端には直径4センチはあろうかと思われる鉄の玉が付いている。これじゃポケットどころか、ハンドバッグにも入らない。外出の際はフロントにお預けくださいということなのだろうけど、出入りにいちいちフロントを経由するのは面倒くさい。でどうしたかというと、われわれは全員鍵を鉄の玉からはずし、鍵だけにして5日間持ち歩いたのである。さすが上に政策あれば、下に対策ありの国から来た面々。って、ちょっと違うか。

さて部屋はというと、私ども下々の者にはスタンダードルームが割り当てられており、それはセミダブルベッドが置かれた一人用の部屋。窓はカーテンではなく、ちゃんと紙を張った障子と襖。初代ヒルトンの誇りにかけてか、伝統の和風インテリアだが、さすがに床はカーペットで、畳敷きではなかった。すでに正座が出来なくなって久しいから、今更たたみの部屋に通されても困る。カーペットで助かった。
壁に沿ってクロゼット、スーツケース置き、机、三段引き出し、テレビが一続きにずらり。窓際にコーヒーテーブルと一人がけの肘掛け椅子。この辺はこのクラスのホテルの定番。可もなく不可もなし。椅子の斜め後ろに背の高い行灯を思わせるルームランプ。あくまで和風。そしてバスルームのドアを開け、「あら、ま」
シングルルームのせいかもしれないが、バスルームがやけに狭い。うちのバスルームより狭い。右手にトイレ、左手にバスタブがきちきちに並び、その間に肩をすぼめるように飾り気のない白い小さな洗面台が押し込められている。おまけに床は気が滅入るような古びた灰色のタイルである。明かりが蛍光灯なので、よけい寒々しく見える。一気にわびしい気分になった。
他のホテルもバスルームの床はタイルだが、色が清潔感をそそる白だったり、またはそこここに毛足の長いマットが敷かれていたりして、なるべく寒々しい印象にならないように気が配られている。それに比べこのホテルは、そういう気遣いまるでなし。アメニティもせっけんとシャンプーとリンスと櫛と歯ブラシセットだけ。あ、間違い。プラス“レディースセット”としてコットンボール3個とバンドエイド2枚と綿棒3本と、ヘアゴムとシャワーキャップが入ったパックがひとつ。あな、わびし。ヘアブラシなし、髭剃りセットなし、バスジェルなし、化粧品なし。つまらん。こういう細々したもの、あったからと言って使うとは限らないのだが、バスルームにちまちま並んでいるのを見ているだけで、楽しく豊かな気分になる。それがしゃれたパッケージのものだったりすれば、なおさらである。機内食のバターと同じで、“なにもなにも、小さきものはみなうつくし”なのだ。この点、新橋のDはなかなか大様で、部屋にはちょっと大きめのノエビアの女性用化粧品セットと男性用の化粧品両方が置いてあり、使うと適宜補充してくれる。逆に日比谷のTはルームサービスにお電話しないと、持ってきてくれない。つい「ケチ!」と思ってしまう。普通は普段使っている物を持っていくから、ホテルのを使ったりすることはないのだが、何かの具合で手持ちが足りなくなったり、あると思っていたものがなかったりした時、ホテルに備えてあるのはありがたい。それがないこのホテルは、やはりちょっと×。
そしてこのホテルの私にとっての最大の欠点は、近くにコンビニも本屋もないこと! 出張時の唯一の楽しみ、コンビニでの買い物と本屋での新刊漁りができないのは、なんとも言いようのないフラストレーション。その上ホテルの中にも、新聞スタンドすらない。このホテルに泊まる人は、本も雑誌もいらないのだろうか? 信じられないである。おかげでおむすび買ったり、雑誌を買ったりして散財することはなかったが、さみしいことに変わりはない。私のお気に入り新橋のDなんて、両方の入り口の真ん前がコンビニである。道を渡ったすぐそこが本屋である。その上さらに、本屋のひとつ先にドラッグストアが2軒ある。まさに極楽浄土。

とは言うものの、このホテルも悪いところばかりではない。まずホテルが小さいので、ロビーまで近い。これは慣れないパンプスで歩かねばならない私には、大変なプラスポイント。日比谷のTの何がいやって、本館がいっぱいでタワー館のしかも高層階に部屋割りされた時のロビーまでの遠さ! 部屋からロビーにたどり着くまでに5分はかかる。夜接待が長引いた時など、やっとホテルに帰り着いても、部屋まで遠くて泣きたくなる。このホテルにはそれがない。
また従業員のみなさまがとてもフレンドリー。朝、白髪のおじいさまに「いってらっしゃいませ」などと言われると、それだけでにこにこである。ベルにいた黒人のおにいさんもかっこよかった。

朝食のガーデンビューレストランも、なかなか結構。ブッフェの種類では日比谷に大幅に水を開けられているが、日本庭園の眺めはミニ・オークラ風。どんよりとした曇天に霧雨が落ちる中、大きな鯉が緑の水を泳ぐのを見るのは、自身、池の主にでもなったような気分。
また当然のことながら赤坂の街と永田町には近いから、そういうところに御用がおありの方には便利だろう。首相官邸なんて目の前である。ヒルトン時代から引き続いての政治家のファンが多いというのも、うなづける話ではある。残念ながらうちは政治関係の商売ではないし、上司が「ここは駄目です」と宣言したので、二度と泊まることはないだろうけれども。

じゃまた ちょっと

  • 2005/10/04 06:32
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じゃまたちょっと 日本に行ってきます。
拙文を読んでくださっている数少ないみなさま
また1週間後にお会いしましょう。

コピトケ

  • 2005/10/03 17:15
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これは本物よ



昨日友人と旺角で食事をし、そのあと女人街を冷やかして歩いた。友人の知り合いがロレックスのコピーを欲しいというので、どの程度のコピーがあるのか見に行ったのだが、世界中の“知的財産権”保護の動きにも関わらず、あるわ、あるわ。さすがに店頭に実物を並べている店はないが、コピトケ屋はみな、きれいなカタログを用意していて、こちらが興味を示すと、「こういうのもあるよ、ああいうのもあるよ、カワイイイねー」と話しかけてくる。相手に合わせて片言の日本語、英語、普通話をしゃべり、それに地の広東語が脈絡なく混ざっていて、そのぐちゃぐちゃさ加減がおもしろかった。うち1軒はカタログを見せた後、物は近くの会社にあるよというので、「じゃ見せて」と案内の女の人の後について、女人街横のビルの2階へ。いくら近所とは言え、一人だったらまず付いて行ったりはしないのだが、昨日は女性とはいえ二人連れだったので、まあいいかと好奇心に任せて付いて行った。

みすぼらしいビルの、せまいエレベーターで2階に上り、とある1軒のベルを押すと、内側からドアが開いて、店番の男の子が我々を招じ入れてくれた。狭い室内は壁4面が棚で、細かく仕切られた床から天井まで、さまざまなコピー商品がぎっしりと並んでいる。主にバッグ類なのだが、ぱっと見ただけでもグッチあり、シャネルあり、ヴィトン、エルメス、プラダ、その他「これはどこの?」というのもあったが、私が知らないだけで知ってる人は、知ってるのだろう。財布やカードケースもある。他に時計。おなじみのロレックス、カルティエ、フランク・ミュラーが少しずつ並んでいる。
質は、というと、これはうーーん……である。見たとたんに贋物とわかるほど、ひどくはない。しかし惚れ惚れするほどの細工では、当然ない。ことに時計は、その特定のデザインの時計がどうしても欲しいというなら買うのもいいだろうが、“ロレックス”あるいは“カルティエ”に見せたくて買うのなら、止めた方がいいという水準。やはり品格がちがうのである。よくできてはいるが、全体にちゃちなおもちゃの雰囲気が漂っている。パーツが細かい分、バッグなどより、時計の方が差が出やすい。友人ともども「ロレックスが欲しいなら、本物を買った方がいい。それが馬鹿馬鹿しいなら、本物のセイコーを買った方がいい」と結論してそこを出た。出がけに友人がプラダのマークがついた黒の書類カバンに目を止め、出来は悪くないので値段を聞くと380元だという。私と友人はせいぜい100元だな、と思っていたので、100元なら買ってもいいと伝えると、「冗談言っちゃあいけない。それじゃあ元がとれない。負けても300だ」と言われた。「じゃ、いらない」と出ようとすると「ほんとに買うのなら、250でもいいよ」と言う。にっこり笑って「ありがと。また、この次ね」「200でどう?」「うーん、要らない。バイバイ」「150にするよ」と最後には150元まで下がった。最初の元が取れない云々は、どこに行ったのか? 売り手の言値で買う人はいないだろうが、それにしても吹っかけるものである。

2、3年前、深センでアクセサリー屋を冷やかしていた時も、コピトケを薦められた。コピーは好きじゃないから要らないと言ったのだが、店番をしていた青少年が「今日はまだ1個も売れてないんだよ。口開けに買ってよ」としつこく、しつこく勧め、奥からコピトケを出してくる。それがまた子供のおもちゃにもならないほどの、ひどい出来。「これはあんまりじゃない?」と言うと、「わかった。AA貨を持ってくるから待ってて」と言う。AAと言うのは本物に近いコピーと言う意味で、Aの数が増えるほど本物に近くなる。A貨→AA貨→AAA貨という具合である。持ってきたAA貨を見ると、先程よりはましだが、まだまだ、ただのおもちゃ。私の笑っている顔を見てむきになった青少年は「AAA貨を持ってくるから。これはほんとにすごいんだから」と言いおいて、商場の奥に消え、しばらくしてビニールに包まれたAAA貨を持ってきたのだが、これもまた本物のタンク・フランセーズとはほど遠いちゃちな代物だった。ただ、もうかれこれ20分以上も冷やかしていたし、あちこち走り回らせた青少年もかわいそうだったので、最後には「わかった、わかった。口開けのご祝儀に一つ買うから」と言ってマガイ・タンクを買ったが、値段は2000を100ちょっとに値切った。いくら私がお人よしでも、おもちゃの時計に2000元(当時3万円弱)は出せない。せいぜい100元がいいところである。それでも出し過ぎのような気もしたが、まあ青少年に免じてということで、仕方ない100元ご祝儀に出した。(ちなみに、買いはしたものの、いかにも贋物の細工が恥ずかしくて、この時計は一度も使っていない。考えてみれば使えないものに100元出したのは、もったいなかった。それに何のかんの言っても、知的財産権の侵害はやはりよくないし。反省)

380元が150元になったり、2000元が100元になったり、まったくまがいものの世界には正当な値段など存在しないと、つくづく思う。これでも私は値切り方が穏やかな方なのである。こちらも気分が悪くなるし、戦闘態勢で買物に臨んでいるわけではないので、相手が怒り出すほどひどい値切り方はしない。それでもここまで下がる。大阪などで修行をつんだ値切りのプロならどのくらい値切れるのだろうか。丁丁発止の至芸を見てみたいものだと思うが、私の友達は日本人も中国人も、みなアマチュアもいいところで、感心するほどうまい人はいない。残念なことである。いつか誰か私に、ため息がでるような値切りのプロのやり取りを見せてはくれないものだろうか。

お風呂でネット

  • 2005/10/01 13:23
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もともと私は活字中毒気味で、音楽はなくても生きていけるが、だから仕事関係でもらったMP3 プレーヤーも、1、2週間語学学習に使ったきりで、あとは引き出しに放り込んだまま、それで音楽を聞こうなどとはこれっぽっちも考えなかったが、読むものがなくては日も夜も明けない。朝起きるとまずその時読んでいる本を手にして、ととと、とトイレに向かい、日中はさすがに会社で本を広げているわけにはいかないが、しかし隠れて人様のブログを読み、行き帰りの地下鉄でもスペースがあれば本を広げ、夜は夜で寝る前に必ず本を手にする。活字がなくては1日のリズムをつくれない。

で、昔はまあ、読むものと言えば本か雑誌か新聞か、はたまた何かの説明書か、いずれにせよもっぱら紙に印刷されたものを読んでいたわけだが、最近は読み物が“紙に印刷されたもの”とは限らなくなってきた。なんたって今この拙文を読んでくださっているあなた様にしてから、PCか携帯の画面で読んでくださっているのだから。また巷には電子書籍というのもあるようだ。残念ながらまだ実物は見たことがないが、これもまた“紙”からは離れたものである。
こうしてだんだん読み物が“紙”から離れてくると、まったく個人的なことではあるが、ひとつ困ったことが起きてくる。それは“トイレと風呂では、読むことができない”ということである。いや、物理的にできるかできないかなら、それは“できる”。ウチのトイレ兼お風呂兼洗面所にはコンセントがあるから、ノートブックをバスルームに持ち込んで、ひざに乗せるなり、またはスツールの上に乗せるなりすれば、一応“読める”。クリックもできる。が、しかしこの(ことに入浴中は)どこに水が飛ぶかわからないバスルームに、安いとはいえないノートブックPCを持ち込んで、跳ね飛んだ水がキーボードに着地し、ノートブック1台をおしゃかにする勇気があるかと聞かれれば、それは絶対“NooooooooO !!”である。何しろ昔私は風呂に本を持ちこみ、バブルバスに浸かりながらふんふんと鼻歌混じり、気持ちよくページを繰っていたのはいいが、次のページをめくろうとした瞬間、つっと手がすべって読んでいた本を落とし、文庫本1冊泡だらけにした経験がある。あわてて拾い上げ、あたふたタオルで拭いてはみたが、水を吸ったページはびろびろとだらしなく広がって、乾いても全然元には戻らなかった。そのほか、落とすまではいかなくとも、水滴が飛んで本にしみをつくるくらいは、しょっちゅうである。水滴のついたノートブック? バブルバスにまみれたPC? Noway……

またあるいは“トイレで読書”などというと、「まあ、不潔!」と眉をひそめる方がいらっしゃるのは知っているが、私はトイレを不潔な場所だとは思っていないので、トイレで読書することをいけないことだとは、これっぽっちも思っていない。第一、うちはトイレ、風呂、洗面所一体型のバスルームである。トイレが本当に不潔な場所なら、私はいったいどうしたらいいのだ。トイレのスツールの右隣は、バスタブですよ。左隣は洗濯機と洗面台ですよ。私はばい菌のなかで風呂に入ったり、洗濯したり、歯を磨いたりしているわけ?顕微鏡で見ればそのとおりだろうが、日常生活でそこまで気にするほど、私は潔癖症ではない。それに昔、昔、大昔、中国の学者の欧さんは、文章を考えるのに適した場所として馬上、枕上、厠上の「三上」をあげた。わたしはこれに大賛成で、この3つは読書の場所としても最高だと思っている。ついでに風呂も加えて「四上」とすれば、なお完璧。面白い読み物が“紙”以外の媒体で広がり始めている現在、地下鉄の中や、ベッドの上や、トイレや、風呂でも、お手軽にネット・サーフィンをしたいものだが、だれか完全防水型の小型軽量PCを作ってくれないものだろうか。海のかおりのバブルバスにつかりながら、ハワイの青い海と空の写真がいっぱい載った楽しい日記が読めたら、こんな愉しいことはないと思うのだが。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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