牛腩麺

  • 2006/02/28 20:01
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■ 昨日、古本屋へ行くため海防道を通り、そうだ!と思いついて、富柏村氏お薦めの海防道街市内「徳發」にて牛腩麺を食せんとするが、何しろこの街市に足を踏み入れるはたぶん7、8年ぶりとて、うろうろするうちに背後より「靚女、想食乜ye呀?(別嬪さん、何にする?)」と声をかけられ、ふと見れば目の前に「徳發」の看板。「なんだ、ここじゃん」と座りかけると、背後のおやじ、「坐呢度la〜(ここ、座ってね〜)」とさらに背後のテーブルを指す。ん?なんでここはだめなの?と思いつつ、おやじの指すテーブルに座れば愕然。おお、ここはすでに隣の店のテリトリー。なんのことはない、おやじ殿は「徳發」ではなく、隣の「××」のおやじだったのだ。この飯屋エリア、街市の飯屋エリアの常とて、1区画1区画がはっきり分かれていない。巨大1フロアのような薄暗い、じめついた空間に屋台のような店がぽつんぽつんと建ち、その間にお世辞にもきれいとは言えない、同じような折りたたみテーブルがばら撒かれている。よーく見れば、テーブルの上の菜単や、箸立てに突っ込まれた箸の色が違っていたりするのだが、慣れぬ目にはみな同じに見える。「ちぇ、徳發で食べるつもりだったのに…」とは思ったが、座ってしまったものは仕方ない。2卓先でふらふら風に吹かれている「徳發」の看板を恨めしく眺めながら、運ばれてきた牛腩麺をすすった。ここで、“一口味わって驚嘆。その上品な湯、舌の上でねっとりととろけるまでに煮込まれた牛腩の繊細さは、当地随一と賞される「〇〇」にも劣らず。市井に埋もれた美味の発見に驚喜し、感涙にむせびつつ麺を食す!”なんてことになれば目出度いのだが、残念ながらそんなことは全くなく、ごくごくふつーの、美味くない麺屋の牛腩麺であった。牛腩もいまいちの硬さだったし、湯の中に浮きつ沈みつしていた菜心(アブラナ)も「もしかして、しばらく前からこの店にご滞在?」と訊ねてみたくなる新鮮さだったし。
この次は間違えずに「徳發」に座るぞ。

■ そもそも、声をかけられるままにふらふらと座ってしまったのも、元はと言えばおやじの「靚女!」という呼びかけに、ついガード甘く反応してしまったのが悪かったのだ。この「靚女!」、直訳すれば、“美女”。つまりは「別嬪さん!」とか、「そこのきれいなおねえさん!」といった意味なのだが、実のところ呼びかけの対象が美人である必要は 全く ない。「靚」=「美」に一応の敬意を表して、並み程度の容姿である必要すらない。相撲取りにも劣らぬ体躯にチリチリパーマ、大福に目鼻といった容姿であっても、街市では「靚女!」と呼びかけられる。とどのつまり、どんな女だろうと、女でありさえすればいいのである。であるから、「靚女!」と呼びかけられたからといって相好を崩し、愛嬌たっぷり満面の笑みで返したり、ついふらふらと声をかけたおやじのいる麺屋に座り込んだりする必要は全くないのだが、そこはそれ、ふだん回りの人間からそんな呼びかけをされていない女の哀しさ。街市で「靚女!」と呼びかけられれば、つい寄り込んで要りもせぬ菜など余分に買い、飯屋乱立地帯で「靚女!」と呼びかけられれば、つい反応して振り返り、呼びかけてくれた店にぺたりと座り込んでしまう。女なら誰に対しても「靚女!」なのだとわかっていてこれである。因果なり。バーやクラブなどで「社長!」と呼びかけられた平サラリーマンが、ついつい財布の紐をゆるめてしまうのと同じかも知れぬ。紐をゆるめた先が、1束3元の青菜だったり、1杯17元の麺だったりでしかない分、「靚女!」の方が「社長!」より被害が軽いとは言えそうだが…
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百萬富翁

  • 2006/02/27 15:20
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■ 相変わらずずるずると「人生如何に生くるべきか」問題を引き摺ってはいるが、んなことばかり書いていても仕方ないので、違うことを書く。もっとも「人生如何に生くるべきか」とは言っても、中学生、高校生とは違い、“生くる”問題の半分以上が、残り半生、如何にして家賃を払い、食物を贖う金を得るかという徹底的に形而下的問題であるのが、中年の哀しさであるが…

■ 2、3日前の新聞にご当地の「百萬富翁」の数27.4万と載っていた。「百萬富翁」とは100万香港ドルを超える流動資産を保有しているヒトのことで、ま、いうなればミリオネア、百万長者のことだが、50年前、マリリン・モンロー主演で「百万長者と結婚する法」なんていう映画が作られていた頃ならいざしらず、今の百万、しかも米ドルではなく香港ドルでは、富翁=長者と呼ぶもおこがましいと思うが、如何? 香港ドル100万は、邦貨たかだか1500万弱である。いくら日本より衣食は安めとはいえ、住=不動産の高さは東京都心並みのご当地。1桁違いませんか、と思う。
ちなみに、この27.4万はご当地の成人人口の5.3%にあたり、そのうち48.9%が島側に住んでいる。半島側に住んでいるのは、わずか15.6%。残りは新界や離島にお住まいである。もっと細かい地区別で見ると、特に島の東側に富翁が多いらしいが、逆に現在私どもが住んでいるところ、あるいはかつて私が住んでいた所は、ご当地でも1、2を争う富翁居住率の低い地区となっている。おお、なるほど。道理で雰囲気が庶民的なはずだ、と納得。子どもの教育にはよろしくない(同僚ダニー氏談)かもしれないが、すでに育ってしまった大人が居住する分には、物価が安くて、古い街並みが残っていて(手入れは悪いが)、あでやかなお姐さんがそこここに立っていて(姥桜気味ではあるが)、あやしい飯屋がたくさんあって(準備段階は見ぬが身のため)、大変趣きのある、結構なところである。

日曜、昼

  • 2006/02/26 16:32
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■ “Cirque de Soleil”のドキュメンタリーを見ながら、仕事のことについて考え続ける。業務内容をどうしても好きになれないという以外、何の不都合もない、いやむしろ条件のよい現在の仕事を、鬱にならずに続けていくにはどうしたらいいか、と。
日本ならば某H氏、いやむしろ彼よりずっと単純かつ天真爛漫に、金儲けこそ人生の上がりと考えている我が上司殿の傍らにあって、自己嫌悪に陥らずにその手伝いを続け、働く意義を見出すことは可能か? 可能であるならば、いかにして? 今までのように会社にいる間は目を閉じ、耳をふさぎ、愛想のよい人形と化して受け答えだけをしていれば日々は過ぎるが、気持ちというやつがどうしようもなく落ち込んでくるのだ。私は多くを望みすぎか?

■ 生きていた痕跡をなるべく残さずに生きること。子孫を残さず、木を植えず、本を書かず、音もなく消えていくことを理想としてきたのだが、残り3日だか、10年だか、30年だかを、それで過ごす自信がなくなってきた。残りの日々、いったい何がしたいのか、逃げてばかりいないでそろそろ腹を据えて考えるべき時か。

土曜、昼

  • 2006/02/25 12:33
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■ またコットン・ブランケット洗い、今度は干すのを忘れなかったが、背中に当たるが冷たいことは変わらず。外に干す場のある日本の田舎家を懐かしく思う。

■ 午前、我がメインバンクにカナダドルの定期を作りに行き、担当F嬢に某エクイティ・ファンドへの投資を薦められ往生す。過去の利回りは年20%近しと満面の笑みだが、虎の子の我が預金。当てにもならぬファンドマネージャー諸兄に運用をまかせるくらいなら、自分で株を買って損する方がまし。第一、過去の利回りの良さに惹かれ夫が始めしファンド3種。過去6年間のパフォーマンスたるや、これを投資と呼ぶも業腹。運用成績マイナスでもマネージメント・フィーを強奪していくファンド会社に「恥を知れ!」と言っても無駄か。(ウチも他部がやっているしな)

TGIF

  • 2006/02/24 14:38
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■ 一昨日、調べ物をしていて偶然行き当たりし「富柏村香港日剰」。いずれ文筆を業とされる方の手によるHPであろうとは思われるが、邦字紙は言うに及ばず、華字紙、英字紙ともに読まれ、社会動静に対する目配り、尋常ならず。書画にも関心深く、落語を愛し、映画祭ともなれば15日間に35本の映画を鑑賞。その上さらに走り、歩きの身体鍛錬、合間に馬にも遊び、酒の至福、美味の陶然も忘れぬディレッタントぶり。一驚し、ひとりカウンターを回す。

■ それにしてもMS-IMEよ、「ぶんぴつをなりわいとされるかた」と打った時、「分泌を生業とされる型」と変換するのは止めてくれ。ナントカ腺から体液を分泌しつつ変態中の昆虫みたいだ、まったく。

差別なのか、説明なのか

  • 2006/02/23 17:31
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■ 滋賀の事件について、毎日新聞が黒龍江省まで行って甥に会い、彼女が生まれ育った村のようすについて記事を書いている。そして最後に「村は約70世帯、人口約200人で、朝鮮族が8割を占める」という一文が添えられているのだが、私はこれを読んだ時、「ああ、なるほど。だから日本語だったのね」と思っただけだった。私の非常に狭い経験から言うと、朝鮮族の人で日本語を学ぶ人は多い。深圳や東莞の日系企業、工場で、通訳として働いている女の子たちの中にも、多くの朝鮮族の子がいる。みな中国東北部から来ているのである。朝鮮語(韓国語)と日本語は文法が似ているため、朝鮮語を話せる朝鮮族の人たちの方が、普通話しか話せない漢族(あるいは満族、あるいは他の少数民族)の人たちよりも、日本語に習熟しやすいという話を聞いた。朝鮮語に関する私の知識は、NHKの「ハングル講座」のテキストを半年読んだ(聞いたのではない。“読んだ”のである)だけなので、ごくごく初歩のかじりかけくらいしかないが、それでも確かに中国語の文法よりは、日本語に似ている気がした。そういう知識、というか背景となる話が私の頭の中にはあったので、毎日新聞のこの一文を見ても、私は“彼女が日本に来た理由”の一部を説明するものとしてしか、意識しなかった。

■ ところが、あるウェブサイトで、この一文を民族差別と捉える人もいるのだと知って、正直わたしはびっくりした。 確かに彼女が朝鮮族だろうと、漢族だろうと、はたまた回族やらウィグル族だろうと、その起こした事件とは何の関係もない。それをあえて“朝鮮族”と書くのは、(日本でのある種の韓国、朝鮮の扱われ方を考えれば)差別であると噛み付く人がいてもおかしくないことは、言われてみればなるほど、確かにそうかもしれないとは思えるものの、私の頭にはまったく浮かばない筋書きであった。“朝鮮”と聞いても、そちらの方面にはまったく思考が伸びない自身の不明を恥じるべきか、はたまた嘉とすべきか、頭の回転ののろさだけは疑いがないが。

■ それにしても「半島系は黄信号」とは何ぞや? 朝鮮人の犯罪統計をとった戦前の日本、アルジェリア人の犯罪率を調べたフランスと同じ視線を感じる。私にはこういうふうに考える、あるいは感じる人の内側が、まったくわからない。

假惺惺

  • 2006/02/22 20:35
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人の内面はどの程度まで、外貌に出るのだろう。ある一瞬の表情だけを捉えたスナップ、あるいはそのよいところだけを引き出そうとした肖像写真(見合い用、就職用等)ならば、その人柄の全体が出ることはあるまいが、実際に生身のその人と会った場合、あるいはテレビ等でその人が話し、笑い、動いているのを見た場合、そこから受ける印象というのは、どの程度まで正確にその人の“人となり”を表しているのだろう。

そんなことを考えたのも、先日テレビの「日曜討論」で、まじまじと麻生太郎氏を見、一驚したからである。失礼ながら、なんと品のない、生臭い風貌に変わられたことか!その昔70年代、文藝春秋の別冊か何かに載っていた、まだ政界に入る前の麻生氏の写真は、細身のスーツをすっきりと着こなし、カメラ目線を外して、硬い表情で斜め前方を見上げているところを撮ったもので、“人柄の温かさ”や“明朗さ”は感じられないにしても、若干30代で麻生セメントの社長となった重さを感じさせる、凛とした風貌をしていた。

それから30年。氏の公式HPによれば、当選9回。文部政務次官や経済企画庁長官、総務大臣等を歴任し、ご承知のとおり現在は外務大臣であるわけだが、30年も政界の水に浸かっていると、人はこのようになるものなのだろうか。アナウンサーの問いに終始にこにことした表情を崩さず答える麻生氏は、本来なら“誠実さ”や“信頼感”を視聴者に与えるべく受け答えをしていたのだと思うが、残念ながらそうした内面はまったく感じらず、氏を見ながら私が脳裏に浮かべていた言葉は“假惺惺”。そらぞらしい、わざとらしい、もっともらしい、親切ごかしの、といった意味の中国語である。そのくらい嘘々しさに満ちていた。

テレビで10分ほど自説を述べているのを聞いただけで、その風貌をああだこうだ評するのもいかがなものかと思うのでこれ以上は書かないが、野中広務氏の出生を揶揄しての発言といい、昨年10月の九州国立博物館の開館記念式典での発言といい、公式HPに載っている『外交って難しいですか』と題した文章といい、どうしてこの方を外務大臣に任命したのか、小泉首相はこの方を適任だとどうして思ったのか、私には今ひとつよくわからない。うわさではこの方は次期総裁候補のひとりであるという。ますます日本が遠くなる気がする。

ビスコッティ

  • 2006/02/21 15:33
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■ 朝、スタバに寄り込んで、ビスコッティを買ってしまった。きのう“Killer Pancake”の中で、登場人物のひとりがラテとともに食べていたのだ。わたしを釣るのにソフィストケイトされた広告はいらぬ。ただ、そのものを見せればよい。骨を見せられた犬よろしく、ぱくんと喰らいつく。なんて単純。

■ そういえば、牛乳の入ったコーヒーは、日本ではいつから“ラテ”になったのだろう? その昔80年代はまだ“カフェ・オ・レ”と言っていたと思うのだが…。やはりスタバ進出後だろうか?

"I don't wanna …"

  • 2006/02/20 15:53
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■ 今朝、夫がふっと食卓からいなくなり、洗面所にもコンピュータのとこにもいないので、いったいどこに行ったのかと思ったら、自分の部屋のベッドで丸くなっていた。「どうしたの?」と聞いたら“I don’t wanna go to work… ”と。
私も行きたくない気分だったので、二人してしばらく毛布の中で丸まってみたが、永遠にそうしているわけにもいかないので、そのうち起き上がって身支度に移った。夫はなおしばらくベッドの中で目をつむっていたが、やがて諦めて起き出し、歯を磨き、服を着て、私より早く家を出ていった。出社拒否は10分程度でおしまい。会社行かないで締まってくるのは、自らの首。締め続けるわけにはいかないのだ。

■ 私が会社に行きたくない理由のひとつは、最近あまりにも暇だからである。私とN嬢は、朝上司殿から「今日はこれと、これをやってください」と言われたものをやるのが仕事なのだが、最近はその量が少なく、午前11時頃にはその日のノルマを終えてしまう。しかし終わったからといって、退社してよいわけではなく、その後5時半まで会社の机に着いたまま、延々暇をつぶし続けなくてはいけない。一応給料をもらっている以上、関係ない読書に励むわけにも行かず、関係ありそうな資料なんぞを読んだりしているわけだが、これがものすごく退屈で、だんだん気分が鬱々としてくる。脳内エンドルフィンの枯渇状態。

■ おまけに今朝は知り合いたちから、ほとほとうんざりしたという調子で絶交を言い渡される夢を見た。自らの性格の悪さはよくわかっている。だから夢の中だけでなく、現実でも絶交を言われることは大いにありそうで、ふと気がついたら私の回りには友だちがひとりもいなかった…ってことは充分ありえることで、その感じがあまりにリアルだったので、目が醒めたとたん、さあっと引き潮みたいに気分が沈んでいった。滋賀の事件は、わたしには他人事ではない。わたしも一歩、ほんの一歩踏み外すだけで、ああいうふうになりうる。現実にはどうだったか、なんて問題ではない。世界は自らの頭の中にあるのだ。

ダイエットの大敵

  • 2006/02/18 15:39
  • Category:
■ 2、3日前からダイアン・M・デイヴィッドソンの“Killer Pancake”を読んでいる。次から次へとおいしそうなものが出てきて、そのたびに頭の中が妄想でいっぱいになって困る。私にとってダイエットの大敵は、菓子でもなければ、酒でもない。ひたすらうまそうなものが出てくる本である。今、主人公の夫は、カニをクリーム系のソースでまとめ、クレープで包んだものを作っており、主人公とともにきりりと冷えた発泡性のアップル・サイダーを飲んでいる。ううう。たまねぎとトーストしか食べ物がない土曜の午後に、私は何でこんな本よんでるのだろ。あ、市場行ってこよっと。

女優さんのドレス

  • 2006/02/17 16:52
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■ 先日、ジーナ・ロロブリジータとロック・ハドソンが主演の“Come September”(邦題「九月になれば」)という映画を見た。ストーリー自体は軽いロマンチック・コメディというやつで、別になんと言うこともないのだが、ジーナ自身が何とも魅力的で、ついでに彼女が映画の中で着ている服が、いかにも“女の人の服”っぽくて、カラフルでセクシーで、「いいなあ、いいなあ、こんな女の人がそばにいたら、会社行くのも楽しいのになあ」と、よだれをたらしっぱなしだった。映画は’61年のリリースなので、まだ胸が大きく腰が細いアワーグラス型の女の人が、映画に多数登場していた時代である。その女の人たちが、その曲線を強調するような服を着て、きれいなイタリアの風景の中を動き回る。見ているだけで楽しくなる。

■ 次の日は、「いつも二人で」(’67)を見る。こちらはまた昨日のグラマラスなジーナとは打って変わって、胸もお尻もぺちゃんこで、小枝のような手脚をしたオードリーの映画。この映画でも衣装はとっかえひっかえされるが、60年代も後半になると、時代はミニ&サイケ。お金に困らなくなったオードリーが、パーティで着ているドレスがいかにもこの時代風でおもしろい。

■ 映画にもいろんな種類があり、いろんな見方があるが、自分では絶対に着られないきれいな服を、きれいな女優さんがとっかえひっかえするのを見るのも、私にとっては楽しみのひとつである。「ナイアガラ」でモンローが着ていたショッキングピンクのドレスとか、“Playing by heart”でアンジェリーナ・ジョリーが着ていたサテンぽいぴったりしたパンツとか、そういえば“Bride and Prejudice”などは全編これお姫様ドレス満載で(何しろボリウッド映画だし)、それを着るアシュワラヤ・ライがまた夢と見まごうばかりの美しさで、「ああ、やっぱりインドは美女の宝庫だわ」と1時間半うっとりし続けだった。週末の昼下がりなどは、こういう映画でのんびりしたいものである。

闘士移民

  • 2006/02/16 16:04
  • Category:
■ MS-IMEの馬鹿さには、ほとほとうんざりする。毎日、毎日少なくともA4、4−5枚程度の日本語を打っているわけだが、この程度の量でさえ、その変換のぱっぱらぱーさに力が抜けたり、頭を抱えたり、「どういうつもりだよ? え? え?」と詰め寄りたくなることがしょっちゅうある。暴力的に機嫌の悪い時などは、キーボードをがんがんぶちのめしたくなる。ごめんね、ごめんね、NECのキーボードちゃん。あんたのせいじゃないのにねえ、である。(おお、今も「きげんのわるいとき」と打ったら、「期限の悪い時」と変換しおった。「期限の悪い時」って、なんだよ? え? え? )

■ 昔はそれでも仕事で使うだけだったからよかったが、最近は家に帰ってからもPCに向かい、ブログの更新などする。インストールされているのは、同じMS-IMEで、これがまた会社の以上にお馬鹿である。それでなくても腱鞘炎気味なのが、ますますひどくなる。それもこれも、MS-IMEの変換精度が低く、何度も何度もスペースキー(=変換キー)を、かちゃかちゃしなければならないからである。こら、マイクロソフト、もっとまじめにソフト開発しろ! である。

■ そもそも私が主に打っているのは、経済、金融関係の文章である。だから「とうし」といったら、「投資」に決まっているだろうに、このMS-IMEは何を考えているのか、するすると知らん顔で「闘士」などと変換する。で、あっと気づいた時には、北米に大量の「闘士移民」が渡ってしまっていたりする。 ―――「闘士移民」。貨物船の甲板に上半身裸の中国人たちが隊伍を組んで並んでいる。上目使いで空を睨みながら、一斉に振り上げられる足。「アチョー!!」 暗い船倉では男たちが黙々と腹筋運動に励んでいる。引き締まった腹に流れる汗。こうして航海の間中、訓練に励み、立派な闘士となった男たちは、旧金山(サン・フランシスコ)に着くと、『ドラゴン 怒りの鉄拳』の時のブルース・リーみたいな、あるいは『グラディエーター』のラッセル・クロウみたいな顔をして、上陸していくのだ。うう、かっこいい。(← って何の話だ)

■ 話がずれたが、「きのうはいってんしてもみあいとなり」と打つと、「機能は一転しても見合い隣」となって、なんのことだかさっぱりわからない展開となるし、人の名前で「ひとし」と打てば、第一候補で上がってくるのは「日とし」だし、いったいどういう“学習”をしてるんだか…。私がいつか、「…×日とし…」とでも打ったのを記憶していたのだろうか。よくわからん。

■ で私は今、考えている。いいかげんMS-IMEには見切りをつけて、三行半を突きつけ、代わりにATOKを導入しようかと。文章を書くのが仕事の人たちは、みな口をそろえてATOKのお利巧さを誉めている。「一度使ったら、MS-IMEにはもう戻れない」とまで言う人もいる。ATOKはそんなに使い勝手がよいのだろうか。ネットでチェックするとATOK単体なら、たかだか7,000円〜8,000円である。この値段で変換のイライラ&腱鞘炎から解放されるなら安いものだという気がするが、実際のところ、どうなのだろう? どなかたお使いになっていらっしゃる方、使い勝手をお知らせください。よろしくお願い致します。

ナルニア

  • 2006/02/15 20:26
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■ 会社の下の本屋に「ナルニア国物語」の7冊揃いボックスセットがあって、しかも“衣装だんす”を模したラックにディスプレイされている。たぶん今回のディズニーでの映画化に合わせたプロモーションなのだろうけれど、幻想的なイラストに彩られた、そのラックのまわりだけ、しっかりファンタジーの世界になっていて、思わずとろりととけてしまった。あの雪の中の街灯、アスランの半分悲しそうな瞳。ボックスセット、買おうかしらん。最後に読んだ時から、たぶん30年以上経っているけど、またあの世界に入れるかなあ。どうだろう?

花は来ない

  • 2006/02/14 15:31
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■ 今日はバレンタイン・デー。朝から隊伍を組んでバンに花束を積み込む人たちを目撃。それが花屋の前ではなく、とある古ぼけたマンションの前なので、いったいどうしてマンションから花束抱えた隊列が出てくるのか、奇怪至極。場所はうちの近所。朝から怪しいお姐さんたちが立つので有名な通りである。花束には伝票がつき、マンションの入口にはしけたおじさんが立って、花束抱えたお姐さんたちに指示を飛ばしていた。あれは一体なんだったのだろ?

■ そうなのだ。ご当地ではバレンタイン・デーには、男の人から女の人へ花束を贈るのが慣わしなのだ。しかも彼女の働く会社あてデリバリーする。花屋には1週間以上前からサンプルの花束が並び、世の恋人たちおよび恋人のいない人たちに、圧力をかけ続けていた。若い娘の多い職場では、当然花束の競い合いになることもある。貰える人はよいが、もらえない人は、隣や向かいや、斜め横の机に次々と絢爛豪華な花束が届くのを横目に見ながら、なーーんにも届かない自分の机に向かい、心穏やかに仕事を続けるだけの胆力と修養が必要である。日本には義理チョコという救済手段があるが、さすがに義理で花束を贈ってくれるほど太っ腹な人は、ご当地にもそうはいない。(単価ちがうしー) そのためご当地に住む年頃の日本娘たち(私の知り合い)は何年か前、互いに花束を贈り合う相談をしていた。これによりご当地の娘たちから、「あの日本人、恋人もいない」と馬鹿にされたり、哀れまれたりするのを避けようとしたのである。最終的に本当に贈り合ったのかどうかは聞き漏らしたが、相談自体は、冗談を装いつつ結構真剣なものであったと記憶している。

■ わたしはと言えば、ご当地に来た当時、すでにいいかげんトウがたっていたので、もらえなくても全然気にならなかった。その後も一度ももらっていない。構成メンバーの関係で、ウチのバレンタイン・デーは北米式+日本式である。互いに贈りあうという点では北米式。贈るものがチョコなのは日本式。花は来ない。

N嬢のこと

  • 2006/02/13 15:49
  • Category:
■ N嬢は、私から見ると典型的な研究職タイプである。資料を読み込み、分析し、レポートにまとめるのが好き。彼女の専門は経済なので、経済関連の資料を与えておきさえすれば、1日幸せそうな顔をしてパソコンに向かっている。そういう風に幸せなときは、ごはんも要らない。むしろ胃が重いと頭が働かないと言って、あまり食べようとしない。だからとても痩せている。身長はたぶん私と同じか、私より高いくらいだと思うのだが、体重は確実に10kgは少ない。エンピツのように細い脚で、会社の中をカタカタ歩いていく。
朝は私が人様のブログを一回りして遊んでいる間に、朝ご飯のサンドイッチ一切れ(!)を頬張りながら、新聞2、3紙に目を通し、ネットの経済紙も読んで情報を収集している。ついでに街でくれるフリーペーパーも読んで、その中の彼女お気に入りの漫画「ぶたちゃん」が面白い時は、私にも見せてくれる。

■ 彼女は私と直角になるかたちで座っているのだが、彼女の前にはパソコンのモニターがあるので(パソコン打つのが仕事なのだから当然だ)、私の顔や私の作業は直接には見えない。黙々とキーボードを打っている。私も同様に、黙々とキーボードを打っている。日本人同士だからといって、おしゃべりに花が咲くわけではない。朝の「おはようございます」と帰りの「お疲れ様でした」以外、一言も言葉を交わさない日もある。いや、むしろそういう日の方が多い。

■ だからと言って、私と彼女の仲が悪いわけではない。ただ二人とも人付き合いが苦手なのだ。なんだ、かんだと話をしたり、気を使いあったりするのが、わずらわしい。前の会社で何が嫌だったと言って、同僚と一緒にランチをしなければならないのが、ほとほといやだったと打ち明けあい、互いに「なるほど、相手もコレが苦手か」と知って、爾来一度もランチをいっしょにしていない。(というか、ランチをしたのは、彼女の出勤2日目にマンディさんと3人でランチをした1回だけである)誘いもしない。時間になると、二人ともすすーっと部屋からいなくなる。相手がどこにいるのか、知らない。

■ たまーに、部屋に私と彼女しかいないとき、日本語で愚痴をこぼしあう。N嬢は上司殿のいい加減さに呆れ果てていて、こんな会社に入ってしまったことを心から後悔しているのだが、労働ビザの問題があるので、嫌だからといってさっさと辞めるわけにはいかない。私は彼女がセールス職の募集に応募して面接に来たときから、「なーんか全然セールスっぽくないけど、いいのかしら、この人」と思い、面接用の会議室まで案内しながら「本当にセールスなさりたいの?」と聞いたくらいだが、彼女はその時は戸惑ったような表情ながらも一応「はい」と答えたのだ。後で聞くとどうも人材派遣会社の仲人口に乗せられたようなのだが、その気になって面接に来ている人に、いくら何でも「ここは怪しいから止めた方がいい」とは言えず、結局彼女は採用されてしまった。採用2日目で「話が違う」と思った時には、後の祭りである。

■ さっきも彼女は「いいです。永久居民の資格が取れるまで後1年だから我慢します」と言っていた。まあね、どんなに嫌な仕事だろうと、1日1日は確実に過ぎていくし、ここは毎日定時に帰れて土日はしっかり休みだから、嫌な仕事で精神的にぼろぼろになった上、過労で肉体的にもぼろぼろってことはまずない。前の仕事が残業続きだったようだから、そういう点ではリハビリにちょうどいいけど。「前の仕事で老けちゃった分、ここではよく食べて、よく寝て、お肌の回復に努めます」と目の下のクマを気にしながら言ってたけど、その割には体重の増えていない彼女。10kg分太い私が、「すこし距離を開けて歩こ…」と思うほどの、相変わらずの細さである。私は絶対、お姫様抱きで彼女を運べる!と自信があるが、そんな自信あってもしょーがないな、ちぇ。

忘れた

  • 2006/02/12 20:43
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昼前、夫のコットンブランケット&ピローケースを洗濯機に入れ
スイッチオンにして、ごおん、ごおんと回り始めたのを聞いてから、市場にでかけた。
そしてそのまま、忘れた。

さっき(午後8時過ぎ)、ふと洗面所に行き、洗濯機のフタが閉まっているのを見て、「あああああーっ!」と、思い出したが後の祭り。
お日様はとっくに沈んでいるし、それでなくても厚手のブランケット。
あと2時間で乾くわけがない。
のんきにスピルバーグの「未知との遭遇」なんか、見てる場合じゃなかったよ。そのあとジョディ・フォスターのB級コメディ“Catchfire”なんかも見ちゃったしな。かわいそうに、忘れられたブランケットは、ピローケースたちと洗濯機の中で、いつ救出されるのかと心細さに泣いていたに違いない。

それにしても背中が冷たい。縦横2メートル以上あるブランケットは、私の部屋以外干せるところがなく、仕切りカーテンのように我が部屋を横切って、私の背中にぴたぴた、当たるのだ。ふえー。

天皇制−その2

  • 2006/02/11 16:30
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昨日、天皇制についての記事をupし、ふと今朝起きてカレンダーを見れば、今日は建国記念の日、つまりは紀元節、2660余年前に神武天皇が即位なさった日ではないか。
でも朝7時台のNHKニュースでも何も言わないし、新聞にも関連ニュースはないし、おまけに土曜日でもともと休みだし、言われなければ何の日だったかなんて、1日忘れて過ごしてしまいそうだ。ま、私は国体護持派ではないから、紀元節など忘れてしまうならそれでよいが。

ところで昨日のブログの中には入れなかった雑感をいくつか。

■ 形ばかりの国事行為と、親善外交と、祭祀をお仕事にしている皇室の年間費用が約273億円(皇室費、宮内庁費、皇宮警察費合算)。国民一人当たりに直すと、約214円。これを高いと見るか、安いと見るかは、その人の“皇室”というものに対するスタンスによって変わってくるだろうが、借入金、政府短期証券を含む国民一人当たりの借金が700万とも800万とも言われている現在、年約200円の皇室費なんて、大勢にはぜぇんぜぇん影響ない額であるとはいえる。

■ 今、七五三や何かでふつうの神社に行ってお祈りしてもらうと、玉串料としてお納めするお礼は最低3000円から5000円/回。この相場から考えると、天皇のお仕事のひとつである祭祀。資料によると、天皇は毎日、毎日、日本国の安全と、日本国民の安寧を、日本の神々に祈っているそうである。天照大神の直系の子孫である天皇が直接祈るのだから、その効果は一般の神職の比ではあるまい。とするなら、年200円で“毎日”効き目のあるお祈りをしてもらえるのは、これは結構“お買い得”ではないかだろうか。え? そういう問題ではないって?

■ もうひとつ。天皇が存在しなくなると、日本の“代表”は時の首相?これは、いやだ。とても、いやだ。死にそうに、いやだ。
本来、国民の総意の代表であるはずの首相、内閣総理大臣に対して、「いやだ」もないもんだとは思うが、たとえば現首相である小泉氏が日本の“代表”だなんて、または昔の森さんとか、宇野さんとか、中曽根さんとかが日本の代表だなんて、私としては「勘弁してくれ」である。それなら現天皇、美智子妃お二人に代表してもらった方が、まだましだ。

■ だからって、天皇制に賛成してるわけじゃ、ないんですよ。現天皇家の個々人に対する評価または感情と、制度としての“天皇制”は別ですから。

連綿と続くY染色体

  • 2006/02/10 22:56
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紀子さまご懐妊のニュース、いや何と言うか、実にタイミングがいい。図ったとしか思えない。もちろん“意図”があったからといって“実現”するとは限らないのは百も承知だが、“意図”がないところに“実現”はありえないわけで、わたしとしては「ふーん、なるほど。秋篠宮殿下の意図はこういうことか」と下世話に勘繰った次第。

一部の人々にとって男系男子による皇位の継承、万世一系というのは、そんなにもだいじなものなのだろうか。「第三子は男の子かも」という期待から、皇室典範の改正が先送りされたことを見ても、「どうせなら従来どおり男系男子による継承でいきたいものだ」と多くが思っていることは、かなり明らかだ。このニュースが流れる前には、旧皇族の皇籍復帰論もあったし、いろいろな人たちがさまざまなかたちで、男系男子による天皇家の血筋の継承を続けていこうと奮闘している。なんで?

私としては“天皇”は女系であっても、また女帝であっても一向に構わないと思っている。政治制度としての天皇制は、日本国憲法が施行された時点ですでに終わっている。とすれば、今残っているのは文化としての天皇制だけである。天皇の存在そのものが、ひとつの日本の文化の体現というわけだ。そのなかで、憲法のいうように、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴として国事行為を行い、内外の要人に会い、もてなし、といったことを、公務として行っている。なかでも皇室外交は、普通の外交官が行くより数百倍、親善に効果があると昔どこかで読んだが、うろ覚えなので今その出所をあげることはできない。ま、これは日本にどこかの国の外交官が来てもニュースにもならないが、どこかの国の王室の人が来たりすれば、テレビでも新聞でも週刊誌でも話題になって、時には大騒ぎにすらなるから、類推はできる。
そのほか、天皇のお仕事でもうひとつ大事なのは、祭祀である。宮内庁のHPでも、神社本庁のHPでも、祭祀は大変重要だと書かれている。曰く『天皇皇后両陛下は,宮中の祭祀を大切に受け継がれ,常に国民の幸せを祈っておられ,年間約20件近くの祭儀が行われています』(宮内庁HP)『日本の国が始まって以来、天皇陛下の最も大切なお務めは、御親ら(おんみずから)世の平らぎをお祈りになるお祭りを行われることです』(神社本庁HP)だそうだ。

もしこうしたことが天皇の主たる務めであるのなら、天皇が女性であってなぜいけないのだろう? 国事行為に性別は関係ないし、外交だったら女性の方が受けがよさそうだし、祭祀ついていえば、現に女性の神職もいるのだし、できないことはあるまい。
女性天皇に反対な人たちのあげる主な理由は、女性天皇を認めると、たとえその女性天皇に男の子(=皇太子)ができたとしても、その皇太子は女系となる → 2660余年続いてきた皇統が途絶える(代わって小和田王朝の到来!) → 天皇の権威が失墜する → 天皇制が崩壊する → 日本が文化的に崩壊する、となっている。(雑駁過ぎるまとめ方かもしれないが、これは論文ではなくブログである。許されよ)
つまり女性および女系天皇に反対な人たちは、現在の天皇の権威および文化的価値は、神武天皇から2660年続いてきた伝統、連綿と続いてきたY染色体にあると言っているのである。

私は生まれつき右が嫌いである。また、左も嫌いである。つまり権力によって、自身の思考あるいは嗜好と相容れない思想や規範を強制されるのが大嫌いなのだ。だから日本国憲法のもとにあっても、どこか戦前の皇国史観と隠微につながっていそうなにおいのする天皇制や皇室というものに、疑問を感じていたし、胡散臭さは今でも感じている。そうした、どちらかといえば“アンチ天皇制”な私に、今、少しでも現在の天皇一家を好もしく思う気持ちがあるとすれば、それは上に見たような2660余年の伝統をもつ、世界最古の王朝だという自負によるものでもなければ、ましてや連綿と続くY染色体というような、血筋に対する畏敬の念ではさらさらなく、ひとえに今の一家の人々の身の慎み方というか、傍から見ているとしんどそう以外の何物でもない生活を文句も言わずに送られていることに頭が下がる思いであるからに過ぎない。欧州の某王室とは違い、幸か不幸か、日本の天皇家の皆様はみな大変お行儀がよろしい。無体ないたずらをいっぱいした須佐之男命を遠い祖先(神武以前だけど)にもつ人々とはとても思えないお行儀のよさである。幼い頃から皇族として教育されるからああなるのだとすれば、別に一代前の天皇に繋がるのが、父方だろうと母方だろうと、どうでもいいではないか。万世一系に重きを置く人たちは、父方(男系男子)でたどって神武天皇までいけるのでなければ、正統ではない。この代は父方、この代は母方でたどるなんていう、適当な飛び石式たどり方なんてありえないと言っているが、女子の中にY染色体はなくとも、DNAは両親から受け継いでるんだから、それでいいじゃないの、と思う。どうしてそれではだめなのか。神武天皇のY染色体はそんなに大事なのか? わたしには万世一系派の論旨がよくわからん。

ご参考サイト

宮内庁ホームページ  
神社本庁ホームページ 
banse ikkei

Megさんご提供
女性・女性天皇容認で議論呼ぶY染色体論とミトコンドリア

よいタロウとわるいタロウ

  • 2006/02/09 20:42
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市場では2種類のタロウことタロイモを売っている。
よいタロウとわるいタロウである。
よいタロウは、やわらかい。煮るとほっくりと、とろけ、調味料もよくなじんで、クリーミーな舌触りで食べる者を魅了する。

それに反し、わるいタロウはかたい。
いつまでたっても、かたい。何分煮ても、かたい。
とろけるどころか、なべの中で原型をとどめ続け、頑なに調味料の侵入を拒否して、食べる者を不快にする。

わるいタロウは、いやなやつである。

しかし困ったことに、人間同様、よいタロウとわるいタロウは、見ただけではわからない。紫の細い筋がたくさん入っている子がよいタロウだ、という説もあるが、筋がたくさん入っているタロウを選んでも、はずれる時ははずれる。持ち重りのするものを選んでも、だめなときはだめである。運を天にまかせるか、人事を尽くして天命を待つか。タロウには達観が必要である。

ちなみに今夜のタロウは、わるいタロウだった。
意固地な偏屈者で、煮ても煮てもやわらかくならないへそ曲がり。
市場の芋屋で選んだのにねえ。

遅ればせながら「電車男」を観賞

  • 2006/02/08 15:51
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そういえば、旧正の休み中、「電車男」を見たのだった。N嬢が貸してくれたのだが、私はてっきり映画版の方だと思い込んで、夫がいない間にさらっと見てしまうつもりだったのだが、箱開けてみたらなんとテレビ版の方で、ディスクが6枚入っていた。1枚のディスクが約1時間半以上である。さらっと見るわけには行かなくなり、それから毎朝、毎晩、暇を見てはディスクをのっけ、延々と見つづけた。

思ったより面白かったし、今まで今ひとつニュアンスがよくわからなかった2チャンネル語とか、ヲタ関係の用語とかの使い方がわかってすっきりしたのはよかったんだけど、ひとつだけ不思議だったのは、山田君の不器用さ。いまどき、あんな不器用な子、いるの? それとも、いまどきだから、いるの?
私は大学は共学だったし、高校は男子校に紛れ込んでいたから、回りにはいろんな男の子がいたが、あそこまで不器用なのは見たことがない。もちろんドラマだから誇張はされているのだが、それにしても視聴者がそれを受け入れてるってことは、“ありえる”こととして許容範囲内だということで、私としては「うそだろ?」の心境。陣釜さんならずとも「オラ、オラ、おたおたしてんじゃねえよ、このヲタ!」と、山田君を張り倒したくなること、再三であった。よくわかんないけど、あれってヲタの世界では標準なんですかね? これで山田君が14、5歳だという設定なら、私としてはまだ納得できるんですが、23歳でしょ? いくら何でもガキ過ぎませんか。中学、高校、専門学校と、何してきたんだろ。あ、アニメとゲームに夢中だったのか。それにしてもなあ…。

ま、いずれにせよ、伊藤美咲さんという人をじっくり見られたし、久しぶりに秋吉久美子さんを見たし、2人がとっかえひっかえ着ているきれいなお洋服も目の保養になったし、お正月の娯楽としては大変結構でした。巷では、このオハナシが実話かフィクションかという点をめぐって侃侃諤諤らしいけど、私としては「どうでもいいでしょ」という感じ。たかがコドモの恋物語じゃありませんか。

とっても“white”な オーストラリア

  • 2006/02/07 14:37
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旧正月の休み中、仕事も兼ねてオーストラリアに行っていたジョゼ&ブライアン。不在中の新聞を届けがてら夫が印象を尋ねると、B曰く「とっても“white”だった」と。「は? “white”ってどういう意味? 向うは今夏だから雪で真っ白なんてありえないし。白って何よ? 陽射しが白かったってこと?」と聞くと、夫は違う、違う、と苦笑いし、シドニーやメルボルンのような大都会は別として、ちょっと田舎の方に行くと白人しかいなくて、だからB(アングロサクソン系)とJ(アジア系)みたいなミックスのカップルはすごく目立って、道歩いているだけで地元民の注目を浴びたというのだ。

ひょー。これはまた意外。オーストラリアは70年代半ばには白豪主義をやめたはずで、それからすでに30年。大量のアジア系移民がオーストラリアに渡って、めきめき人口を増やしたような気がしていたのだが、実際は違ったのだろうか? ならば真実や如何に?とさっきネットで資料をあたってみたら、オーストラリアの人口約2066万人(2004年統計)のうち、アジア系はたったの2%だけ。人口の大部分を占めるのは、イギリス、イタリア等のヨーロッパ系、つまり白い人たちで、こちらは96%。JとBが田舎で注目をあびたのも、道理である。

ただ何しろ、最近のオーストラリア政府は「多文化主義」を推進しているし、シドニーやメルボルンには大きなチャイナタウンがあるという話だし、私の英語の先生のひとりも中国系のオーストラリア人だったし、それに第一、ご当地では子女をオーストラリアに留学させる人が多くて、数少ない私の知り合いの中だけでも4‐5人は豪州留学経験者がいるので、つい“オーストラリアではアジア系なんか、珍しくもないだろう”と思ってしまっていたのだが、――だって、そうでなければ、なんでポーリーン・ハンソンのような人が出てきて、「オーストラリアはアジア人であふれかえる恐れがある」などと議会で発言(97年)したのだ? 100人に2人じゃ、全然あふれかえっていないじゃない? それとも彼女にとっては、100人に2人でも多すぎなのか? ―― 実情はどうやら違うらしい。“オーストラリアでは…”を“シドニーやメルボルンでは…”に直せば、当たらずと言えども遠からずのようだが、それをオーストラリア全部にあてはめるのは、どうも無理があるようす。ま、考えてみれば、その点はカナダでも同じで、バンクーバー、トロント、モントリオールではアジア系いっぱいだが、お義父さんの田舎では、道行くアジア系は私だけである。いくら移民国家でも、大都会と田舎では混ざり具合が違うようで。

私自身は過去10年以上、外国人としてご当地に混ぜてもらって暮らしているし、今後も外国人として、日本以外の土地に混ざりこませてもらって暮らすだろうと思っているから、純潔主義よりは雑種主義、排他よりは寛容、隔離よりは開放を支持するが、最近の世界の動きを見ていると、どうもどんどん、どんどん、逆の方向へ進んでいるようで、気持ちが暗くなる。そりゃ人の信仰の対象を風刺したのは悪かったが、それに対する抗議表明が焼き討ちというのは、少々過激に過ぎないか? カナダの総選挙でもアメリカ寄りの保守党が勝っちゃったし、カナダがブッシュのアメリカみたいな「自分だけが正しい」国になってしまったら、どうしたらいいのだろ?

許せよ、上司殿

  • 2006/02/06 15:03
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■ 土曜に引き続き、昨日は何だか1日鬱々として、たいしたこともせずに日が過ぎてしまった。我ながら、何が気に入らないんだ、と思う。余り好きではないとは言え、食うに困らないだけの仕事があり、上司には気に入られ、同僚ともまあうまくいき、乱視と偏頭痛と忍び寄る皮下脂肪の増加を除けば身体に不調なところはなく、夫は優しく、友だちも(数は少ないが)いる。何が不満で、鬱々としているのだ? と思う。我ながら、よくわからん。もしかして更年期の気鬱?

■ 上に「上司には気に入られ…」と書いたが、そうなのだ。最近、上司殿に気に入られていることがわかったのだ。先日、上司殿がN嬢と面談した際、上司殿はN嬢に向かい「loutraさんは、よくやってくれている」と2回も言ったのだそうだ。おまけに上司殿からの新年の利是には、思わず血の気が引くほどの額が入っていた。あんまり高額だったので、恐くていまだに使えずにいる。上司殿に「これはちょっと多すぎるでしょう」と言ったら「いい、いい。1年に1回だから」と、真顔で言った。そ、そういうものか? これでセクハラおやじだったら、「まさか…?」と心配するところだが、上司殿はその心配だけはないので、純粋に勤労のご褒美だとは思うのだが、それにしても…

■ それにしてもなあ、上司殿、わたしがここで、上司殿の愚痴を書いていることを知らないからなあ。知ったら、怒るというより傷つくだろうなあ。それは本意ではないが、ここと夫以外、愚痴を言える相手がいないし、面白おかしく書き散らして発散しないことには、仕事を続けていけない。許せよ、上司殿。

買い物して、鬱々

  • 2006/02/04 20:58
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■ 年に何回かの散財期に入ったらしい。突然お買い物がしたくなり、ZARAで出張用のジャケット2枚買ってしまった。ちょうどセールだったので、2枚で1枚分くらいの値段だったし、いつも出張に着ている1枚がくたびれてきたので買う口実はあったが、すこーしだけ後ろめたい気分なのは、なぜ?

■ ついで留守電機能つきの電話も買う。今使っている電話は近所で買った安物で、なーんの機能もついていない。ただ電話を掛けられるというだけ。ま、邦貨1000円しなかったのだから、あたりまえだけど。
今度買ったのは、携帯みたいに小さいコードレスで、ナンバーディスプレイとか、ハンズフリー機能とか、いろんな機能が付いているタイプ。ディスプレイの言語も、英・仏・西から選べる。別にそんなにたくさんの機能は要らないのだが、留守電機能付きを選んだら、他の機能ももれなくついてきてしまった。
それにしても今時の家電量販店には、昔懐かしいコード付きの電話機など数えるほどしかなく、コードレスもほとんど携帯みたいな感じで、つまらないところで自分が年寄りになったことを実感してしまった。
家電買いに行って、カタログの説明がわからなくなる日も近い。

朝ご飯の ミューズリ

  • 2006/02/03 13:48
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階下のスーパーマーケットから夫ご愛用のアルペン・ミューズリが消えたのを機会に、朝ご飯用のミューズリを替えてみた。ご当地に漂着して以来8年、彼はずっとこのミューズリを食べ続けてきたのであるが、階下のスーパーが置かなくなったのなら仕方がない。地下鉄で2駅離れたスーパーまで行けば、アルペンを売っているのは知っているが、二人で1週間に1kg以上消費するミューズリを、遠くまで買いにいくのはしんどい。できれば歩いていける範囲の近所で済ませたいところである。
なので、ご近所で買える品の中からいくつか試してみた。結果、これならまあまあとなった品は

1. Monster Muesli「tropical muesli」

オーストラリアのメーカーが作っており、同じシリーズには「sport muesli」とか「hi-fiber muesli」とかもある。それぞれ効能が違うようだが、味はあんまり変わらない。アルペンほど甘くない点はいいのだが、クランチ−さがやや劣るので、「grape-nuts」あたりとまぜまぜするとちょうどよい。近所のデパートで売っている。700g 37元。

2.Nature’s Path「Pumpkin Flax Plus Granola」

こちらは全製品オーガニックだというカナダのメーカー。かぼちゃの種が入っていて、クランチーで、味は一番好きなのだが、335g30元超という値段は、微妙なところ。でも好きなので、前回の日本出張には、これを1箱持っていった。ホテルの朝ご飯にはいい加減飽きていたので、持っていって正解だった。食べすぎも防げるし。

3. Post「grape-nuts」


カリカリ、カリカリ。ぶどうの種みたい。すっごくクランチ−だが、ナッツもドライフルーツも入っていないので、さすがにこれだけでは単調すぎて食べられない。他のシリアルとのまぜまぜ用である。500g約20元のよい子。

4. Cheshire Natural Muesli

(画像が見つかりません。あしからず)
どこのスーパーでも、シリアルの棚の下の方に、ほとんど打ち捨てられたように置かれている陰の薄いミューズリ。その理由は、と言えば「あまりにも味も素っ気もない」からである。1kg約30元の超よい子なのだが、味はぱっさぱさの、かっさかさ。これだけで食べていると、セキセイインコかジュウシマツにでもなったような気がしてくる。しかし中には大きめのナッツが大量に入っているので、他の味のあるミューズリとまぜまぜし、かさを増やすには最適。

と以上4点が厳しい競争に勝ち抜き、生き残った。今我が家の台所には、これらのミューズリが押し合いへし合いしている。夫は食べ物に変化を求めない人なので、今週はこれ、と決めると、それだけを黙々と食べているが、食べ物に関しては(←強く強調)移り気な私は、適当に今日はこれ、あしたはあれ、と変え、ついでにまぜまぜの比率も変えて、変化を楽しんでいる。

ところで、1週間ほど前に Wikipedia でアルペンを検索したら、下記のような記述を発見。ふつうWikipediaには、こういう冗談半分みたいな記事は載ってないのに珍しいなあ、と思っていたら、その後しっかり編集されていた。でもhistory をチェックすると、編集前のが見られる。おかしいので、そのままコピペ。

“Alpen tastes like dust. It is only fit to be eaten by gerbils and other rodents. Are you a gerbil James? Are you? Huh?
Actually yes, can’t you tell by my cheeks? Thought you were more like a squirrel!”

中国語に引きずられ

  • 2006/02/02 22:23
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仕事で毎日、毎日、中国語の文章を目で読んでいると、そのうち日本語があやしくなってくる。なにしろ“似てるけど、ちょっと違う”という単語がうじゃうじゃあるのだ。うっかりすると気づかずに、日本語の文章の中に中国語の単語を入れ込んでしまったり、日本語の単語を中国語の発音で読んでいたりする。そして文章を打ちながら「あれ、この単語、日本語にあったっけ?」と、ある単語を前に突然立ち止まり、広辞苑を引いたり、ググってみたりすることになるのである。
たとえばしばらく前から気になっている「全年」。意味はそのまんま、「年の全部=1年間」という意味である。日本語で考えても、なんの引っかかりもなく(私の頭では)納得できる意味であり、発音も「ぜんねん」と誠に自然。なのでつい元原稿にこの単語を見ると、そのまま「全年」と日本語に訳してしまいそうになるのだが、これが実はどうも違うらしい。それを証拠に広辞苑にも「全年」はないし、今こうして「ぜんねん」と打っても「全年」は出てこない。出てくるのは「前年」だけである。ならば日本語の中で「1年間」という意味のふつうの二字熟語は何かというと、どうも「通年」らしいのである。通年採用、通年講座、××年度通年、etc. 「全年」でググってもヒットはするが、「全年」の意味が、ある範囲内のすべての年という意味だったり、中国語のテキストがヒットしたりしている。どうも日本語では、標準的単語とは言えないようである。

もうひとつ「官員」ということばも、しばらく前から引っかかっている。私が読む資料には“中国国務院××部官員によると…”というような文章がよく出てくる。これは日本語にするとナントカ省のお役人によると…という意味になるのだが、しかしまさか会社の資料に“お役人”という言葉は使えない。「“お”がいけないのだわ」とばかり、“お”を取って“役人”にしたところで、“某省役人”では、その後十手持ちでも登場しそうである。では、とも少し硬く“官僚”ではどうかというと、“某省官僚”と聞いたとたん、“癒着”とか“賄賂”とか“談合”とかいう二字熟語が浮かんできて、想像があらぬ方へ羽ばたく。かといって“某省職員によると”では、PCに向かってせこせこ統計資料を作っている下っ端が言った言葉のようで、信憑性に欠ける。「ええい、どうすりゃいいんだ。いっそ、そのまま“官員”を使ってやるか」と思うが、この“官員”ということば、どうもいまひとつこなれが悪い。中国語に引きずられたことが、見え見えである。五流通詞がつまらぬことを気にするな、とも思うが、やはり気になり、時間ぎりぎりまで悩んでしまう。何しろ日本語にないわけではない。だから使おうと思えば使えるのだが、使うと微妙にニュアンスが違う。(ような気がする)。で、しっくりいくかどうか、何回も何回もぶつぶつと繰り返してみる。しかし繰り返せば、繰り返すほど、日本語として正しいのかどうか、しっくりしているのかどうか、判断ができなくなる。隣のN嬢に聞いてみたりもするが、彼女も長年日本語と中国語を行ったり来たりしている人なので、日本語のスタンダードが怪しくなっている。二人してあやふやな顔を見合わせることになる。困る。

お年玉

  • 2006/02/01 21:51
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旧正月の休みが明け、今日が仕事始めということで、朝から赤や金の利是(お年玉)が会社内を飛び交っている。日本ではお年玉を貰えるのはせいぜい大学生までで、働き始めて社会人になったらもう貰えないが、ご当地では結婚してさえいなければ、たとえ30だろうと40だろうと、50だろうと貰う資格がある。したがってウチの会社のようにワカモノが多く、未婚率が高いと、あげる対象がそこら中にいることになり、それに加えて未婚・既婚に関係なく、上司から部下へ、または同僚同士でもお世話になっている、あるいはお世話になりそうな人にあげる仕事始めの景気付け(?)の“開工利是”もあるので、自然あっちでもこっちでも“恭喜發財!! 漲多D !”なんていうめでたさいっぱいの新年の挨拶とともに、にぎにぎしく利是がやりとりされることになるのである。ちなみに“開工利是”は会社からも配られる。今年は金色の袋に、50元入っていた。“多謝晒!”

去年私は、仕事始め当日、用意した利是が足りなくて隣のダニーさんに借りたので、今年は旧正前からせっせと20元札をため、利是に備えた。もちろん事前に銀行に行けば両替してくれるのだけど、私の場合必要なのはたかだか20枚程度。銀行に行くまでもあるまいと、買い物の折々におつりで貰う20元札をためて、済ませた。新札でないのでちょっとしょぼいけど、20元は20元である。それに貰う人は同じようなぽち袋でいろんな人から貰うので、どれが誰からなんて覚えていられない。大事ないのである、は、は、は。

この利是、会社の同僚のほか、たとえばフラットの管理人さんとかにもあげるのだけど、今年はフラットの入り口に麗々しく「弊社社員は“賄賂禁止規則”に違反するような贈り物(利是を含む)は、一切受け取りません」と書いたビル管理会社からの通知が張られていた。「へえ?」と思ったが、今朝出がけに観察していると、私の前を歩いていたパジャマのズボンにコートを引っかけた白髪の爺さんは、つつつと管理人に近づくと、何か言いながら手に赤いものを握らせていたので、そして管理人の方も“多謝!”らしき言葉をつぶやきながら、それを受け取っていたので、張り紙は張ってあるだけのことらしい。“賄賂禁止”と言ったところで、フラットの管理人さんに1年に1回20元か50元包んだところで、何ほどのことがありましょうか? せいぜい朝夕会った時に、にっこりしてくれたり、荷物で両手がふさがっている時に、ドアを開けたりしてくれるくらいなものである。それが“便宜を図る”ということなら、健全なものではないか、と思う。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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