お休みタンゴ

  • 2006/04/29 15:58
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■ 休みにもかかわらず6時前に起きたので、1日が長い。6時半にご飯を食べ、7時半には掃除を始め、シャワーを浴びて、ブラインドを1枚洗い、洗濯をして市場に行ってもまだ2時。この間、お茶飲んだり、本読んだり、昨日買ったCDを聴いたりもしている。今3時なのだが、実はすでにちょっと眠い。夕ご飯用の野菜だらけトマトソースはすでに煮込み段階に入っているので、ここでちょっと昼寝してしまってもいいのだが、今寝ると、夜眠れなくなって中途半端である。それに昼寝をすると頭痛が始まることが多い。無理矢理起きているが、目が半分閉じているし、頭も全然働いている気配がない。文章が浮かばない。困った。

■ 昨日買ったCD“SOHO TANGO”。夜寝る前にずっと聴いていてそのまま寝入ってしまい、夜中にむくりとおきだして、offにし、またこてんと寝た。夢の中でブエノスアイレスの裏街に行けたりはしなかったが、起きたとたん頭の中に、バンドネオンの音が流れ出した。

■ 光野桃さんが「ソウルコレクション」に書いている。ちょっと長いが、引用 ―――   ギドン・クレーメルの弾くピアソラが好きだ。
クレーメル率いる若い室内オーケストラと、二人の男女の歌と、詩人が詩を朗読するタンゴ・オペリータという演目がある。題名は「ブエノスアイレスのアリア」。
その舞台を見たとき、自分の中に熱い女の血が流れているのをつくづく感じた。それが流れ出していく場所が、どこにもないということも。
日本では濃いものは嫌われる。濃い感情、濃い情念、そういったものとは無縁の国。だから知らず知らずのうちに、自分の中の熱い女を殺して生きる。
濃い女は生きにくい。しゃぶしゃぶの薄味が似合う日本。
かといってブエノスアイレスで娼婦をやるわけにはいかない。どうしたものか、(後略) ―――

■ 私自身は熱い女ではないので、光野さんの苦悩はわからないが、タンゴには惹かれる。ブエノスアイレスで娼婦かあ。そうだなあ、ご当地で娼婦やっても、熱い情念とか、ぜえんぜえんないもんなあ。ウチのご近所が舞台の「ドリアンドリアン」からして、「暗い」とか「熱い」とか「濃い」とかとは無縁だものなあ。
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グーグルで首つながる

  • 2006/04/28 20:49
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■ 別にたいしたことではないんだけれど、先日渋澤龍彦先生訳の「O嬢の物語」を再読していたら、“ふすだしうのアイスクリーム”という語が、ひらりと目に飛び込んできた。「ふすだしう? はて、ふすだしうとは何だろう?」 文全体では「バニラやイチゴやふすだしうのアイスクリームのような」と書かれている。ということはアイスクリームのフレーバーのひとつであるはずだ。フランスのアイスクリームで、この本が訳された当時の日本には、あまりなかったもの。でもフランボワーズは木イチゴと訳すだろうし、プラリネは・・・と、迷ったときの常でググってみた。しかし“ふすだしう”はわずか1ヒット。聖書の創世記の文章らしく、語はあるものの、“ふすだしう”が何であるかは、わからない。こうした場合、異表記があるかもしれないので、“ふすだしゅう”でもググってみる。すると見事ヒットして、「おかしなお菓子博物館」というサイトで、“ふすだしゅう”とは、ピスタチオのことであることが判明。いやーすっきりした。

■ 偉大なるかな、インターネット。大辞林にも載っていない語が検索できて、しかもちゃんとヒットするのだ。この“ふすだしう”に限らず、日々あまりにもお世話になっているので、もうインターネット&グーグルがなかった時のことなど、思い出すこともできない。いったい当時私は、どうやってわからないことを調べていたのだろうか?もちろん辞書や百科事典はあったが、ものごとや語が辞書や百科事典に載るまでには、結構な月日がかかり、今日の出来事を今日検索できるなんていうスピードでは決してなかったのだ。むかーし、むかし、渡部昇一さんは本はできるだけたくさん自分で持て。そうすればいつでも調べたい時に、調べられるという意味のことをおっしゃっていた気がするが、今ではこと調べ物に関してだけいえば、パソコン+ネット環境さえあれば、万巻の書を持つも同じ。いや、それ以上である気がする。なんたって、いくら本を持っていても、どこに何が書いてあるかを記憶していなければ、端から全部見ていかなければならないのだから。グーグル検索2秒でヒット、とはえらい違いである。新聞の翻訳でも日々どれだけお世話になっていることか。今の仕事を始めたとき、もしネット環境なし、辞書だけで翻訳しろと言われていたら、私は3日で音をあげ、辞表を提出していただろう。いやその前に、一つの記事もまともに翻訳できず、首になっていたに違いない。そのくらいインターネット&グーグルさんには、お世話になったし、いまでもお世話になっている。こうしたソフトの発展に力を尽くされた多くの人には、本当に感謝に耐えない。

■ それにしても冒頭の“ふすだしう”。「O嬢の物語」が刊行されたのは’66年なので、渋澤先生は60年代初期にこの翻訳に取り組まれていたのだと思うが、当時日本ではピスタチオはポピュラーではなかったのだなあ、だからこんな旧約聖書にあるような訳語を使ったのだなあと思うと、感慨ひとしお。それでなくともこのお話はディティールが典雅で、ところどころ、そこだけを見るとまるで戦前の少女小説のような繊細な趣きを呈している部分がある。たとえばOはお出かけするのに、スーツの袖までかぶる手袋をしているのである。もっともだからといって、この小説を少女小説に分類するのは(誰もすまいが)大いなる誤りであるが。

アントニオ・バンデラス

  • 2006/04/27 16:56
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■ 一昨日の朝、夫はマリリン・モンローと、楽しくオハナシしている夢を見たそうである。 「オハナシしていただけか?」と聞いたら「そうだ」という。欲のないお人である。

■ それに対抗したわけではないが、私はこのところ地下鉄駅の階段の踊り場に張ってあるアントニオ・バンデラスのポスターを見ては、「う〜ん、セクシー」と、その一瞬だけは足取り軽く、階段を降りている。張ってあるのは新作“Take the lead”のポスターで、白いシャツに黒のサテンぽいぴったりしたパンツのバンデラスが、タンゴの決めポーズをとっている。ぜひみなさまにもお見せしようと思ってウェブサイトをいろいろ当たったのだが、いくら探しても同じ画像が見つからない。仕方ないので、ほぼ同じ構図のを下に張ってみたが、これだと less sexy。なぜかというと、髪が乱れてないのである。駅階段のポスターは、髪が顔にかかり、陰影が増して、ついでに動きを感じさせて、より色っぽくなっているのである。

■ このポスターを見るまでは、アントニオ・バンデラスは特に好みというわけでもなく(Shrek 2のPuss ‘n bootsは大変好きだったが、これは声だけだし)、胸にほよほよと
マークが浮かぶほど、セクシーだと思ったこともなかったのだが、このポスターだけは見るたびにどきりとする。これはたぶん、“彼”がセクシーというより、“タンゴ”というダンスがセクシーなのであろう。なんたって、彼の顔は髪の陰でほとんど見えないのだし、よく見れば身体つきがセクシーというのでもないのだ。そういっては失礼だが、あの程度の身体はスクリーンの上ならざらにある。しかし、あのポーズは、あの張り詰めた決めポーズは、男の悲哀、矜持、懊悩、欲望、激情を感じさせて、こちらを揺さぶる。たいしたもんである。

■ 各紙のレヴューがいいので、夫はDVDが出たら買うといっている。楽しみである。


配当に課税がないと

  • 2006/04/26 19:31
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 日本では預金金利収入も、株の配当、売買益も課税対象になるが、ご当地ではこられはすべて課税対象外である。しかし給料は日本と同様、課税対象となる。だからお金持ちはますますお金持ちになり、フツーな人はあくまでもフツーなまま、一生を終わるようにできている。だって、考えてもみてください。会社から“給料”をもらっているサラリーマンは、税務局にしっかり収入を把握されて(本人からの申告&会社からの申告で照らし合わせるので、会社とぐるにならない限り、ごましはできない)、各種所得控除後の金額×税率で課税されるのに対し、会社経営者で、自社株に対する配当の形で収入を得るようにし、“給料”はゼロ、とお金持ちならあったり前の賢い設定にしている人は、課税ゼロなのである。たとえ配当で何百万もらおうと、預金の金利が何十万あろうと、それに対する税金は払わなくていいのである。「おおお!!」でしょう?

 しばらく前に、高額納税者の発表にからんで、この税制に対する批判があがった時、税務局のナントカさんは「株取引から上がる利益に対し、課税していないわけではない。取引の際、すでに源泉徴収されている」という意味のことを述べていたが、取引の際徴収されるTransaction Levy(取引課徴金?)は、約定金額のたったの0.005%である。100万円取引して、50円の課徴金なんて、ないも同じではないか?

 そして配当金については、私の知る限りでは課税ゼロである。上場企業から証券会社に開いた口座あて配当が入金される際、若干の手数料が引かれてはいるが、金額は30〜50元程度である。日本の、配当については原則10%(上場企業の場合)を源泉徴収に較べれば、これもまたないに等しい。第一この手数料は、証券会社だか中央決算機構だかの手数料であって、税金ではないのである。

 ウチの夫は、この話題が出るたびに「不公平だ。ほんとに不公平だ」とぶつぶつ言っている。どうしてご当地がこういう制度になったのか、私は不勉強で知らないが、想像するに“アジアの金融センター”として投資を促進し、株式市場をよりいっそう活発化するために、こういう措置がとられたのではないか。「税金がない☆」となれば、目先の利益にさといご当地の個人投資家のみなさまが、「ここはひとつ株で一発大もうけだ」とばかり、飛んで火に入る夏の虫の如く、わらわらと市場に入ってくることは、火を見るよりも明らかであるから。ご当地は、何はなくとも金儲け、三度の飯より金儲け、の土地柄なのである。

事後の顛末

  • 2006/04/25 15:15
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いままで記事で取り上げておきながら、その後の情況をお知らせしていなかった件が2、3あるので、ま、ちょっと顛末をご報告。

■ まず日本語入力システムATOK君について。2月半ば、MS-IMEの変換効率の悪さ(というか、どっと力が抜けるお茶目な変換)にうんざり、という記事を書いたが、実はその後、3月に日本に行ったとき、ATOK君を買ってきて、自宅パソコンにインストールしたのである。そして以降、私が自宅で打つ日本語の文章は、氷上を舞う乙女のように滑らかに変換され、私の指は何物にも邪魔されることなく、アルゲリッチのように自由にキーボードを飛び回った、といいたいところであるが、事実はそんなことは全然なくて、実は3月以来、私は自宅ではATOK君に遊ばれっぱなしなのである。そもそもの誤りはインストールの際にATOK君が「ところで、変換モードは僕(ATOK)流にしますか、それとも慣れ親しんだMS君流のままにしておきますか」と親切に聞いてくれたのに対し、「せっかくなので、ATOK君流にしてみます」と答えてしまったことにある。このため、たとえば一度変換した単語を後から再変換したい時、MS君ならその単語をハイライトしてスペースキーだが、ATOK君で同じ操作をすると、ハイライトした単語が忽然と消えてしまうという仕儀に相成った。ATOK君の場合、再変換したいのなら、ハイライトの後、シフト+変換キーとしなければいけないのである。これに慣れるまで、しばらく遊ばれた。何しろMS君を使って10年以上、頭で考えるより先に指が勝手に動いてしまうのである。そのほかにも同じような微妙な操作手順の差があり、私はそのたびに「ひょーん、どうしてそうなるの〜?」と、まぬけな叫びを上げ続けたのである。おまけに会社では相変わらずMS君を使っているので、キーボードに向かうに当たり、指と脳に向かって「よいか。家ではATOK、会社ではMSだぞ。間違えるでないぞ」とよくよく因果を含めても、指、脳ともに「は〜い!」と生返事を繰り返すばかりで、一向覚えようとしない。それで1ヶ月。とほほ…。ATOK君にはたくさんのお利巧な機能があるのだが、それらを使いこなせるのは果たしていつのことか。まこと、任重くして道遠し、である。

■ また3月上旬に買った(つもりだった)ハイリスク&ハイリターンの投信は、その後ウチの会社からのレターが必要とわかり断念した。別に私の仕事は、BRICSの株式のパフォーマンスに影響を与えうるような、大それたものではないのだが、会社の名前だけは一応“金融”なので、ひっかかったのである。会社に言えば「彼女の仕事は、パフォーマンスに影響を与えるようなものではないよ、ははは」というレターをくれるであろうことはわかっているが、実のところ同じような商品はウチの会社でも扱っており、知らせれば「なんでウチで買わずに、よそで買うの?」と質されることは必定。いうなればトヨタの社員が、ホンダのディーラーから車買おうとするようなものであるから。しかし私はウチからは買いたくない。それでなくとも株の口座はウチで開かざるを得ず、取引を把握されているので、ほかの投資商品の動きまで、ウチの会社に把握されるのはいやなのである。だから、やめた。

■ その代わりに、今日固定金利1年物のUSD Callable deposit を買ってみた。年利4.4%なので、ものすごく高いわけではないが、とりあえず元本は保証である。ノー・リスクなら、ロー・リターンでも致し方あるまい。1年後アメリカがつぶれて、USDが紙くずになっていないことを祈る。(ブッシュの支持率下がってるけど、だいじょうぶかなあ)

ジム・キャリーの勝ち

  • 2006/04/24 22:58
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■ 日本でも昨年末に公開されたジム・キャリーの“Fun with Dick and Jane”。相変わらず「もしかして、お薬入ってる?」と疑いたくなるほどハイテンションな彼の口から、機関銃よりも速く撃ち出されるジョークの数々と、自由に伸び縮みする顔のおもしろさに口ぽかんで見とれ、しかしストーリーは昨日までの順風満帆な生活が“解雇”で一転、しかも次の口が見つからない!という出稼ぎサラリーマンにとっては実に身につまされるお話で、明日は我が身と思わず数珠握り締めて怯え(←うそ)、という風にとっても楽しい90分間だったので、ひと休みしてからこの映画のオリジナルである’77年版の“Fun with Dick and Jane”(主演はジョージ・シーガルとジェーン・フォンダ)も見ることにした。ずいぶん前に、20元という安さに惹かれた夫が、買っておいたのである。

■ しかしこちらの方はジム・キャリー版を見た後では、とても見られた代物ではなかった。第一ディックを演じる2人のキャラクターが違いすぎる。’77年版もコメディという触れ込みなのだが、ジョージ・シーガルのディックは、ちっともおかしくない上、映画の運びそのものも間延びしていてテンポが悪く、白けるばかり。それに加えて、’05年版のD&Jとは細かいプロットに違いがあって、その違っている点が微妙に私の反感を刺激するのだ。

■ たとえば’05年版では、ディックは働いていた会社の経営者に、昇進したように見せかけられて利用され、あげく会社は計画倒産して路頭に迷ったのに、’77年版では単に解雇されただけ。失業した後、ディックが仕事を探すのは同じだが、’77年版の方はなんだか遊び半分のようにしか見えないのに対し、’05年版の方は2ヶ月も3ヶ月も探し回って見つからず、やっと面接にこぎ着けたと思ったら、冗談のネタにされておしまい。メキシコからの不法移民に間違えられるエピソードも、’77年版の方ではプールバーで油を売っていて間違えられるのに対し、’05年版ではメキシコ人に混じって、日雇いで働こうとして間違えられる。

■ ジェーンの設定も微妙に違っていて、’77年版では専業主婦だが、’05年版では顧客に噛みつかれながら必死に働く勤労子育て主婦。また’77年版では二進も三進もいかなくなると、ジェーンはお金持ちのパパに頼ろうとするが、’05年版ではこの場面はなし。(個人的に言わせてもらえば、収入以上の生活をしておいて、行き詰まったからと言ってお金持ちの親に頼るなんて最低である) つまり’05年版の方が、すべてにわたって同情点数が高くなるような設定になっているのである。そして同情点が高くなればなるほど、D&Jが“強盗”という絶望的非常手段に陥るのを、「うーん、わかる、わかる」と認めたくなってしまう。

■ 最後の復讐手段も「ははは、ざまあみろ!」という感じで小気味よいし、’70年代と今という時代背景の差を考えに入れても、’05年版の方がずっと出来がいいと思う。

■ IMDBによるとジェーンの役は当初キャメロン・ディアスで考えられていたようだが、もし彼女が演っていたら、もっとポップでカラフルでおもちゃっぽくなっていたかも、と思う。ま、ティア・レオーニの方が現実感はあるけど。

ブラインド洗い

  • 2006/04/22 22:00
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昼前ジムに行って身体を動かし、いい気持ちになった勢いに乗って、この前の休みからの続きのブラインド洗いにかかった。ブラインドをバスルームに持ち込んで、ブラシでしゃかしゃか洗うのである。うまい具合にうちのバスルームは、バスタブの上にシャワーカーテンのレールがくるりと走っているので、そこにS字フックでブラインドを引っかければ、比較的(あくまでも比較的<強調)楽に洗えるのだ。以前は羽の裏表を1枚、1枚、濡れぞうきんで拭いてみたりもしたのだが、これは石の上に3年座る以上の根気が要り、とても私ごとき根性なしにできる作業ではなかった。

で、本日はマスターベッドルームの2枚を洗ったところで、終了。高温多湿の気候のせいで、べったり羽に張り付いていたほこりと汚れが落ちて、すっきり白いブラインドに戻ったのは気持ちがいいが、何しろ乾かす場所がいるので、興に乗ったからといって、3枚も4枚も一遍に洗うわけにはいかないのである。
これで明日もその気になれるようなら、私の部屋の1枚と、夫の書斎の1枚を洗えば、残るはリビングの2枚だけになるが、これは難関である。2枚のうち1枚は、幅が2m近くあるのである。バスルームに入る大きさではないので、その場で何とかしなくてはならないのだが、まさかリビングを水浸しにしてしゃかしゃか洗うわけにも行かず、「まさか羽を1枚1枚ぞうきんがけ?」と考えただけで、意欲が萎える。世の中のみなさまは、いったいどうやって大きなブラインドを掃除していらっしゃるのだろうか。

せっけん、肩こり、樋口…(ではない)

  • 2006/04/21 16:04
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■ 先週、今週は2人とも残業続きでジムに行けず、間にはさまれたイースター休暇中は、なまけてジムをさぼったので、かれこれ2週間近く運動をしていない。おかげで肩から首にかけてガチガチ。首を深く前に曲げたり、うがいをするために頭を後ろに倒したりすると、ずうううんと痺れが走る。これはいかん。明日こそ、ジムに行かねば。行って重いものを持ち上げたり、筋を伸ばしたりしなくては。

■ いままで素人のようなマッサージ師(先日のスリップドレスのお姐さんとか)にしかかかったことがないので、マッサージしてもらって肩こりが楽になったことはないが、ジムに行って運動すると、だいたいの肩こりは治る。第一、定期的に運動していると、そもそも肩こりにならない。その代わり筋肉痛にはなるので、どちらがいいかは一概には言えない。

■ 2、3日前、大きな声では言えないが、上司殿のお馬鹿さに少々腹が立っていたとき、気分転換に Lush のせっけんを買ってみた。中国名“波希米亜”、英語名Bohemian。薄い黄色に白い粒粒が入った、レモンの香りのせっけんである。なにかきれいなものが欲しくて買っただけで、質については大して期待もしていなかったのだが、使ってみると泡立ちがやわらかく、洗い上がりもきゅっきゅっと私好みで、なかなか気持ちがいい。レモン色の不規則な四角形が、洗面台にちょこんと乗ったようすもちょっとおしゃれで、なんだかいい気分である。俄然、他のせっけんも欲しくなってしまった。



■ もともと自分でもせっけんを作ってみたくて、日本に行った時、せっけんの作り方の本を買ってきたりもしたのだが、手作りせっけんは途中で2ヵ月ぐらい乾燥、熟成させなくてはならないと知って、挫折した。だってご当地で何かを“乾燥”させるのは、至難の業だから。年間平均気温20℃、平均湿度80%の地で、いったいどうやってモノを“乾燥”させるというのだ? 洗濯物くらいなら、4〜6時間ほど除湿機をかけっ放しにすれば、何とか乾かせるが、手作りせっけんのために2ヶ月除湿機をかけつづけるというのは、どうも、ちょっと、なんだか…ねえ?

小学校からの英語教育 2

  • 2006/04/20 22:29
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外国語教育の話は、実はジョゼとブライアンが来た土曜のご飯会でも話題に上った。
そこでは旧英国植民地とも思えない、ご当地の人々の英語力の低さ(ことに英語に堪能であって然るべき、ご当地の大学生、院生の英語力の低さ)を英語ネイティブ3人が嘆くことから始まって、これだけ環境が整っていながら、大して効果を上げていないご当地の英語教育の問題点は何かという疑問、小さいうちから教え込めば、第2言語の習得はさほど難しいことではないだろうという主張(ジョゼは英語、普通話、福建語のトリリンガル、ウチの夫は英語、フランス語のバイリンガルだから)へと移っていき、「これは外国語の早期教育の推奨へ話が行くのかな?」と思っていたら、なんと途中で急遽方向転換「いやー、ことばの教育は簡単ではない」というところに話が落ち着いてしまった。

なぜそんなことになったかというと、途中まで私を除く3人は、まったくご当地の大学生、院生が書く英語はお粗末だ。中学から英語で教育を受けているのにこの程度とは、実に嘆かわしい。子どものうちから2つの言語で育てれば、バイリンガルにするのは比較的容易なんだから、そうしないのは怠慢だ。マイクのところの里穂ちゃんを見るがいい。今10歳だが、日本語と英語と中国語を、ほぼ自由に聞き、話せる。言語に対する子どもの吸収力は大人よりずっと優れているのだ、等々と慨嘆することしきりだったのだが、途中で私が「そうは言っても」と口をはさみ、中学以来30年以上英語で苦しんでいる自身の経験を踏まえつつ「里穂ちゃんのように、日本に住みながらアメリカン・スクールに通い、両親も複数言語を話すような環境にある子どもは別として、ふつうの日本人の家庭で2つの言語をほぼ等分に使うような環境を作ることは、ほぼ不可能だ。学校での英語の時間数をいくら増やそうと、生活の中での日本語と英語の比率が、半々にはなることはあり得ない。親や政府の怠慢という問題ではないだろう」と言ったため、確かにカナダ(英語とフランス語)やご当地(中国語と英語)のように、日常生活中に常に複数の言語が存在する環境と、日本のように単一の言語でほぼすべての用が足りてしまう国とでは同一には論じられないとなり、ついでに夫が「僕は確かに英語とフランス語を母語として喋れるけど、書くとなったらフランス語はだめだ。フランス語を書く教育は受けていないから」(夫は小学校低学年でフランス語圏から英語圏に転居し、家庭ではフランス語を話し続けたものの、以降の教育はすべて英語で受けた)と言いだし、ジョゼも「うん、私も中国語で書くのはしんどい」と言って、外国語教育の中でも、“読む聞く話す”はともかく、“書く”の習得は難しい。第一ねえ、母語でさえちゃんとした文章を書けない人はたくさんいるんだから、という話になって、4人それぞれ過去に出会ったとんでもない文章の書き手を思い出して、しばし感無量。外国語教育の前に、母語教育か。しかし母語をどうやって教育するんだ?という話になってしまった。

文部科学省の趣意書を読んでいないので、小学校からの英語教育の目的が何なのか、私は知らない。世の中には日本語以外の言語もあるんだよ、ということを教える程度の目的ならば、週に1、2回、英語と限らず、いろんな国の人に、いろんな言葉を喋ってもらう方がいいだろう。そうではなくて、将来、意志の相互疎通の道具として英語をまともに使えるようになって欲しい、その準備としての小学校からの英語導入であるなら、昨日も書いたようにまず教師の育成から始めるべきだろう。あるいはもっと志を大きく、世界の人々に自身の考えを伝えられるようになって欲しい、そのための英語だというなら、そこで教育すべきは英語という道具ではなく、人の意見を聞いた上で自分の頭で考え、その問題について最終的に自分はどう考えるのかとまとめ上げる総合的な思考力である。
実のところ、私はジョゼやブライアンと話すたびに、自分自身がこの能力に欠けていることを痛感させられており、そのたびにどっと落ち込んでいる。ぶっちゃけた話「私って、ほーんと何も考えてないんだ・・・」と、自分自身の頭のカラッポさに呆れているのである。またまた千野栄一先生からの引用で恐縮だが、「会話の生命はその内容」なのだ。内容のないものを流ちょうな言語で述べたところで、何ほどのことがあろうか。どんなに美しく表現しようと、からっぽは、からっぽである。

小学校からの英語教育

  • 2006/04/19 22:22
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昨日“英語は読まんから”というお客様が出てきたという話を書いた折も折、今朝のNHKニュースで、東京都内の某区で小学校からの英語教育を始めているというエピソードを紹介していた。夫はその時、出勤のため着替えをしていたところだったのだが、その小学校の先生が教室で子どもたちに向かって喋る英語を耳にしたとたん“Oh, geez…!”と言ったきり、絶句。しばらく口をぽかんと開けたまま、そのニュースを見つづけていたが、一区切りついたところで、首を振り振り、「これだもの、日本人がちゃんとした英語をしゃべれるようになるわけがない」と、呆れた様子で着替えに戻った。

確かにこのニュースに登場した先生は、まずい発音で、間違った英語を子どもたちに教えており、その点ではまったく弁護の余地はないのだが、キャスター氏の解説によると、彼はもともと英語の先生ではなく、したがって英語を教えた経験もない。しかしこの4月から小学校でも英語を教えることになったため、急遽研修を受けたりして、10年以上ご無沙汰だった「英語」と久闊を叙し、付け焼き刃もいいところで授業に望んだところがニュースになったという可哀想な身の上だったのである。

自身、かつて日本で英語教師をしていたこともある夫は「教えるだけの資質がないなら、教えるな」と至極まっとうなことを言っていたが、教師の側には“教える、教えない”の選択の余地はないのである。各都道府県あるいは区市町村に採用された教師であってみれば、制度が変わり「今年からは英語も教えてください」と言われれば「いやー、すみません。私英語は不得意でして、生徒に教えるのはちょっと、いささか・・・」などと言って逃げることはできない。いくら不得意でも、教えたくなくても、奉職する学校がそう決めたからには、泣く泣くだろうと泥縄で研修を受け、教師用アンチョコを頼りに、おっかなびっくり教壇に立って“Hello, everyone!”と引きつった笑顔を生徒に向けるしかないのである。教育委員会と校長と父兄に勝てる教師など、そうはいない。

したがってここで浅慮を非難されるべきは、そうした決定をした各自治体であり、教育委員会である。彼らは小学校には英語をきちんと教えられる教師など、そうたくさんいないということを知らなかったのだろうか? 大学を出ているからには、小学生用の英語くらい、お茶の子で教えられると考えたのだろうか? 
まったく、頭と耳のやわらかい小学校の段階で、不正確な発音、こなれない表現の英語を浴びせかけられる生徒の方こそ、いい面の皮である。「外国語上達法」の千野栄一先生も言っている。後になってよくない発音を矯正するのは、困難というより不可能に近い、と。
こんな教師にとっても、生徒にとっても、メリットよりデメリットの方が多いと思われる小学校からの英語教育。文部科学省は本気でやろうと考えているなら、まず教師の養成から着手すべきである。

野菜に残留農薬

  • 2006/04/18 21:42
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4連休明けてオシゴト。日本から急にお客さんが来たり、またまた英語は読まんから、取引明細日本語にしてね、というお客さんがいたりで、1日ばたばた。
この“英語は読まんから”のお客さんは、前回の人よりもう一桁多い、10桁のお金を動かす人で、10桁の計算はしても英語は読みたくないらしい。
10桁の金を動かす大博打はスリリングだが、その結果出てきた書類なんざ読むのは、面白くも何ともないと言うことかもしれぬ。

スリリングと言えば、今日の新聞にご当地のスーパーで売ってる野菜から、基準を大幅に上回る残留農薬が発見されたというニュースあり。
まったく朝から「おい、おい」なニュースである。スーパーで売ってる野菜から発見されたと言うことは、市場で売ってる野菜も同様ということであり、つまりは私どもが食べてる野菜はどれも五十歩百歩。安心できるものはないということである。
最近は「有機野菜」と銘打った野菜もスーパー等でみかけるが、はたしてどこまで本当に有機なのか甚だ怪しいし、第一値段が高すぎて、ウチのように野菜、果物を大量に消費する家庭では、すべてを有機にする経済的余裕はない。

それに今朝の新聞記事では、そもそも“基準を上回る”の“基準”が、どのように設定されたのか、基準を上回った結果どの程度人体に有害であったのか、といった情報がなかったので、対処のしようもなかったが、70年代に魚のPCB汚染が話題になり、人々が魚離れをしていた時期に、あえて魚いっぱいのブイヤベースを食べていた なだいなだ氏は、「パパ、なんでよりによって今、ブイヤベースなんか食べてるのよ!?」と尋ねたお嬢さんに、「今、新聞に発表されている数値なら、まだ食べてもだいじょうぶだ。だが、日本政府の環境対策から考えて、今後こうした魚の汚染数値が低下していくとは考えにくい。マスコミも今は騒いでいるが、そのうち何も言わなくなる。そうなったときの方が怖い」と答え、サフランの香りも高いブイヤベースを、せっせと平らげていたそうだが、もしかしてご当地の残留農薬騒ぎも同じだろうか。何年かに1回くらいの割合で「毒菜」が話題になっているうちが花で、話題にならなくなったときこそ、本当に危ないのだろうか。

お義母さんの料理本

  • 2006/04/17 22:34
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昨日お義母さんのデザートについて書いたが、お義父さんのところには、お義母さんが使っていた齢40年を超える料理本が何冊かあって、ところどころお義母さんの書き込みなどもあり、できあがりを想像しながら見るのはとても楽しかった。
なかでも気に入ったのは“les recettes de Janette”(ジャネットのレシピ)という’60年代に出版されたらしい料理本で、新婚らしいジャネットとジャンが、お喋りしながら料理の紹介をしていく形式になっている。フランス語なので全部は読めなかったが、二人が楽しくじゃれあいながら料理について喋っている感じは伝わってきて、この本を見ながら、まだ新婚の、今の私より若かったお義母さんが、男の子2人と夫のために、いろいろとやりくりしながら料理を作っていたところを想像すると、なんだかほほえましい感じがする。時代は60年代初め、高度経済成長に入り始めた日本同様、ケベックのフランス系の人たちも、ほんの少しずつだが生活にゆとりが出始めた頃である。



ちなみに、レシピ提供(?)のジャネットさんは、本名 Janette Bertrand。ケベックのジュリア・チャイルド+αのような人で、料理番組だけでなく、いろいろな番組にちょこちょこ出ていた多才な人だそうである。


この本からもらってきたレシピをひとつ。

Tarte aux pacanes(ピーカンナッツのタルト)















・泡立てた卵2こ
・コーンシロップ1カップ
・ヴァニラエッセンス小さじ1
・さとう1カップ
・バター大さじ2
・ピーカンナッツ1カップ


? すべての材料を混ぜ、焼いていないタルト生地を敷いた型に詰める
? 200℃のオーブンで45分焼く


以上、終わり。立派なケベック人ならタルト生地の作り方くらい知っているはず、ということかタルト生地の作り方の説明はなし。ま、お好みでタルト生地でも、練りパイ生地でも、よろしい生地をお選びください。

失業者のプディング

連休の2日目にご飯会をするのは楽だ。
2日がかりで事に当たれる。
昨日は朝買い物に行って、昼くらいからゆっくり準備。
掃除は大部分金曜に済ませたので、楽勝。

メニュはベジ用羊肉とズッキーニのカレー。ご飯は紅米。
セロリ、黄ピーマン、トマト、紫タマネギのサラダ、
ほうれん草のナムル、れんこんのきんぴら、
じゃがいもとグリンピースの炒め物、ホワイトアスパラガス。
デザートは夫手製の”Pouding chomeur sirop d’erable”
(失業者のプディング メープルシロップソースかけ)。

ベジテリアン・ミートは普通は買わないのだが、
先日スーパーで半額で売っていたので、ちょっとお試し。
台湾製だが、一口食べた夫が「カレーに肉を入れたの?」と固い声で尋ねたほど
味、歯触りがそっくり。今回のように、ベジじゃない人も一緒の食事の時などいいかも。
非ベジの人は肉っぽい食感を楽しめるし、ベジの人は肉じゃないとわかっているから安心して食べられるし。

デザートの「失業者のプディング」は、お義母さんのお得意のひとつ。
大恐慌の頃のケベックのデザートで、たとえ失業中でも子どもに作って食べさせられるくらい、
どこの家にでもある材料で簡単に作れる経済的なお菓子という意味だそうだが、
70年前のケベックでの“手近な材料”は、21世紀の、しかも東南アジアの片隅ではあまり“手近”とも言えず、私の目にはむしろリッチなデザートに映った。
お義母さんはすでに亡いので、レシピはピトゥン(お母さんの一番下の妹)からもらってきた。有り難いことに、お義母さんの姉妹はみな料理上手である。
なかでもお義母さんが一番上手だったのだが、私が手ずから教えてもらったのは、
ガトー・モカというお菓子ひとつだけだった。惜しいことだが、仕方がない。

でその「失業者のプディング」の作り方だが、
1. ブラウン・シュガー 2カップ と、小麦粉 大さじ1を混ぜる(直火にかけられるケーキ型なら、ケーキ型で。そうでなければ片手鍋あたりで)
2. 1に水 1.5カップ、メープルシロップ 1/2カップを加え、弱火にかけて溶かす
3. バター 1/2カップ、砂糖 1カップ、たまご 2こ、小麦粉 1.5カップ、ベーキングパウダー 小さじ1.5、塩 小さじ 1/2、ヴァニラ・エッセンス 小さじ1、牛乳 3/4カップ を、泡立て器でよく混ぜる
4. 1のメープルシロップソースをケーキ型(20cm×30cmくらいの長方形がベストとか)に敷き、その上に3の種を流して、180℃のオーブンで40〜60分焼く。
5. 表面がこんがりきつね色に焼き上がったら、適当に切り分け、ケーキの下のソースとともに供する。食べるとき、クリーム(ホイップ用のクリームとか。泡立てる必要はなし)をかけてもよい。

材料を見ておわかりのように、これは大変甘いデザートである。昨今の日本の甘くないデザートがお好きな向きには、絶対勧められない。メープルシロップ半カップに、ブラウン・シュガー2カップが、焼かれて濃厚さを増すのである。おまけにケーキにはバターが半カップに、砂糖が1カップ! 焼いている間はえもいわれぬ芳香が漂い、私は鼻をひくひくさせっぱなしだったが、1ヶ月にわたるダイエットを1瞬で粉砕する、とんでもデザートである。体重が気になる人は、決してお試しなきよう。抜群の基礎代謝を誇ると自負する人だけ、なんなら半分の量でお試しください。上記分量は、優に10人分はあります。
(そうなのだ。したがってウチの冷蔵庫にはまだ半分以上が残っているのだ。この連休中にこれを全部平らげたりしたら、それこそ二度と再び体重計に乗れない身になってしまう。だからデザートは作らんでもよい、と言ったのに・・・)

イースター休暇 1日目

  • 2006/04/14 18:12
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ああ、忙しい、忙しい。
本日は夜、ジョゼとブライアンがご飯を食べに来るのだ。
デザートは夫が作ると言っているからよいが、
そのほかのメニュを決めねばならぬ。

J&Bはベジではないが、食事には夫も参加するので
どちらにしても肉、魚、海鮮系を使うわけには行かぬ。
でもまあデイヴィット君と違って卵は食べるので
その分、作れるものはだいぶ広がるが・・・

さあ、買い物行って、そうじして、
合間にひよこ豆も煮なくては・・・
おお、忙しい、忙しい

* ―――――― *―――――― *―――――― *

と焦っていたら、さっきジョゼから電話があり、
トーキョー(!)から急にクライアントが来ることになり
今晩は無理みたい。代わりに明日ということになった。
ジョゼが「日本はイースターじゃないのね?」と聞くので
そう、残念ながら日本にはイースター休暇はない、と答える。

時間ができたので、床のぞうきんがけでもしよう。
ウチの床は白いので、たまには水拭きしないと
汚れがどんどん染みついてしまうのだ。
暇になったからといって、1日中映画見ているのではもったいない。

と言いつつ今日見た映画。
“Dogville”“Ghost World”。
この2本を続けざまに見た後では、3本目を見るエネルギーはなし。
“Dogville”は演出のおもしろさ。まるで舞台の上で演じられている劇を
フィルムに撮ったみたい。閉じられた村の閉じられた人間関係に
異分子が入ってくるとどうなるか。普通の映画の手法で撮ったら、
もっとどろどろした濃密な映画になったと思うが、セットが書き割りなので
すっと肩すかしを食うというか、より抽象性が増すというか、
ニコール・キッドマンの映画にしては、おもしろかった。
(先週は彼女の初期の映画2本を見始めたのだが、
余りにつまらなくて、わたしは途中で放棄)
“Ghost World”も秀逸。Thora Birch(“American Beauty”でケヴィン・スペイシーの娘を演じた子)とSteve Buscemi(“Fargo”の2人組誘拐犯の一人)が主演で、つまらない映画になるはずもないが。
この二人は画面に登場するだけで、見るものを不安にする。

「退屈姫君」→「新書百冊」

  • 2006/04/13 14:04
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このところずっと米村圭伍さんの「退屈姫君」シリーズを読んでいて、頭が柔らかくなりすぎたので、今朝からは坪内祐三さんの「新書百冊」に切り替えた。まだ最初の4−5ページしか読んでいないので感想も何もないが、とりあえず滑り出しは好調。私の頭の中にもほんの少しだけある“知的好奇心”というやつを、刺激する。ある本を読んで、次から次へと好奇心が刺激され、あれもこれもと読みたい本が出てくる本は、いい本である。
ただ「読みたい!」となったら買うしかない異国暮らしでは、物入りなのが玉に瑕だが。

ところで別な意味で楽しい米村さんの「退屈姫君」シリーズ。これって非常に映画向きのお話のような気がするのだけど、映画化の話はないのだろうか。
めだか姫は、顔立ちのイメージとしては章子怡あたりだが、「オペレッタ狸御殿」での彼女の日本語はすばらしくなまっていたので、全編日本語の「退屈姫君」を演るのは、いかに何でも少々無理かも。色白で目が大きくて、きゃしゃで小柄。でも性格はお茶目で、いたずら大好きな女の子って、最近では誰がいるのだろう? 宮崎あおい嬢はかわいいが、華奢な感じはしない。めだかというより、鮎。

退屈姫君伝の画像

給湯器の謀反

  • 2006/04/12 17:54
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ガス屋さんを、待っておりまする。
ガス屋さんは、2時から4時の間に来るはずでございまする。
一昨日、シャワー&お風呂用の給湯器が突然の謀反を起こし
湯を供給しなくなりました。
2年前にもこのようなことがございましたので、
「いやはや、連日の高湿度でまたまた点火部分が湿ってしもうたか・・・」と
そこは慣れたるもの。除湿器をバスルームに持ち込み、onにしたまま
出勤してみましたが、11時間後に帰宅いたしました時も、やはり点火いたしません。

やむなくガス会社に電話をいたしまして、修理を依頼いたしました。
時間休など取らなくてすむよう、午後6時以降のスケジュールにしてもらおうとしましたら、6時以降をお望みならば来週になると言われ、やむなく2時−4時。
上司殿に事情を話し、午後だけ休みをもらいました。
髪は台所の湯沸かし器で洗えますが、いくらチビでも赤ん坊ではありませんから
流しで湯浴みはできかねます。
この高温多湿の時期、湯浴みなしでは18世紀のフランス貴族並みの臭気になってしまいます。




ガス屋さんが、参りました。
時間ぴったり、4時に参りました。
1時半から待っていた私は、途中ソファで寝てしまい、
ガス屋さんの「今から行くけど」という電話に、たたき起こされました。
なんだか2年前に来てくれた人と同じ人のように見える中華ガスのおにいさんは
巨大給湯器のカバーを外し、中の部品をチェックし、
曲がりくねったワイヤーのような部品を交換すると、「なおったから、お試しあれ」
といって私に試させ、この給湯器は年式が古いので、もうストックがない部品もある。
今回はだいじょうぶだけど、次回はわからんと説明して帰って行きました。
新しいのはいくら?と聞きましたら、4000−5000元だそうでございます。
物入りですな。
ちなみに今回の修理代は75元でした。次回のガス料金と一緒に請求するそうでございます。

さあ、シャワーしようっと。

ムーシューポークの謎

  • 2006/04/11 15:34
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アメリカの小説を読んでいると、時々“ムーシュー・ポーク”という料理が出てくる。最初に気づいたのは、ロバート・B・パーカーの『初秋』を読んでいた時だった。主人公の探偵スペンサーが、少年ポールをつれて中華レストランに行き、北京ラヴィオリ、プラム・ソースをかけたカモ、ホワイトライスなどと共にオーダーするのである。
もうこのラインナップからしてすでに、アメリカナイズされた似非中華のにおいぷんぷんだが、なかでもこの“ムーシュー・ポーク”というあやしげな料理。スペンサーがポールに、このパンケーキで肉を巻き、こっちのソースをつけて食べると説明しているところを見ると、北京ダック風に薄餅で肉、その他の材料を巻いて食べる料理だという見当はつくが、中国文化圏に徘徊すること10×年、レストランでそれらしき料理に遭遇したことはない。これはいったいなんだろう? “ムーシュー”ってどういう字を書くんだろう? なんでアメリカの小説には出てくるのに、イギリスの小説とかではあんまり見ないんだろう?と興味津々ではあったが、きちんと調べぬまま日々が過ぎてしまった。

そして昨日になって突然、「あ、そうだ!」とばかりに“ムーシュー・ポーク”を思い出し、まずカタカナ表記でググってみれば、なんとヒット。北米の旅行記などに、この料理名が出てきている。ならば、と英語表記の“Moo shu pork”を試すと、こちらはもっとたくさんヒット。おまけに中国語表記まで載っている。どうやら中国語では“木須肉”(ピンイン mù xū ròu)と書くらしい。そしておなじみWikipediaに“Moo shu pork”の記事があったので読んでみると、もうはなから『主として米国の中華レストランで供される似非中華料理』と書かれていて、なんだ、やっぱり似非中華か、と思わず笑ってしまった。
ただし、似非中華とは言っても、中華料理にそのオリジンがないわけではなく、もともとは正統北京料理だそうである。しかし正統“木須肉”は、アメリカで供されている“Moo shu pork”とは、似て非なるものだそうで、米国《星島日報》が「中美“木須肉”相差甚遠」と題した記事で伝えている。以下かいつまんで述べると、

木須肉は正統北京料理で、旧暦2月2日に食べるものと言われています。2月2日は二十四節季のひとつ“啓蟄”の前後で、大地に春が戻り、万物がよみがえり、伝説の龍も眠りから覚める日、俗に“龍抬頭”(龍が頭を上げるの意)と呼ばれる、北京人にとっては重要な民間の節句のひとつだからです。
昔の北京の礼儀・道徳を重んじる人たちにとっては、「鶏」とか「蛋(=卵)」とかの言葉は、口にするのも憚かられる、下品な連想のある言葉でしたので、レストランとかではそんな言葉を発しなくても済むよう、鶏卵を炒めて作る料理は、すべて“木犀”と呼ばれました。これは炒った卵と、金木犀(桂花)の花の色やかたちが似ているためです。上品で、きれいな名づけ方ですね。その頃には木犀肉の他にも、木犀炒飯、木犀黄瓜、木犀豌豆、番茄(=トマト)炒木犀、等の料理がありました。で、後年この“木犀”が誤称されて“木須”となり、“木須肉”となったわけですが、?小平が改革開放を始めてはや20×年、今では「鶏」とか「蛋」とかの言葉を口にするのを恥ずかしがるような典雅な老北京はいなくなりましたので、“木須肉”だけが独立した料理の名前として残り、他はすべて材料名そのまんま“鶏蛋炒飯”、“鶏蛋黄瓜”、“番茄鶏蛋”なんぞと呼ばれるようになりました。
以上、引用終り。

で、その正統“木須肉”の作り方だが、まず材料として、豚肉、鶏卵、黒きくらげ、黄花菜(金針菜)、きゅうりを用意。(分量については不親切にも記載なし)
? 黄花菜ときくらげを、ぬるま湯につけて戻す
? 黄花菜は根を切り、きくらげは一口大にちぎる
? きゅうりは長さ3センチくらいの薄切りにする
? 鶏卵1個をボールに割り入れ、塩少々を加えてかき混ぜる
? 鍋を強火で熱し、植物油を入れる。油が熱くなったら卵を入れて、9分通り炒め、皿に取る
? 豚肉を千切りにし、片栗粉、酒、塩、しょうゆで下味をつける
? 鍋に多めの油を足し、しょうが、葱のみじん切りをさっと炒め、すぐに?の豚肉を入れ、炒める。肉の色が変わったら、皿にとる
? 鍋にまた油少々を足し、黄花菜、きくらげを炒め、やわらかくなったら、きゅうり、豚肉、卵を加えてすばやく炒め、酒、しょうゆ、塩で調味。さっと炒めて、最後に胡麻油少々を加えれば、できあがり。

となっていて、合衆国で定番のパンケーキ(薄餅)は、どこにも出てこない。上記作り方を読んだ限りでは、ただの豚肉、たまご&野菜の炒め物という感じで、たいしておいしそうには思えないんだけど、アメリカ人には受ける味なのだろうか。なんたってスペンサーは、「初秋」だけでなく「レイチェル・ウォレスを捜せ」や「海馬を馴らす」でもムーシューポークをオーダーしているのである。
ちなみに米国では、パンケーキに海鮮醤を添えて供すそうだが、これって何だか手抜きのような気がしてならない。だって絶対、自家製じゃなくスーパーで買ってきた、李錦記あたり海鮮醤を皿に載せて出しているとしか思えないから。ハインズのケチャップの中華版ってとこで。

『財神』経済紙

  • 2006/04/10 16:52
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日本では新聞というのは、一応、まじめなものである。新聞によって多少のバイアスはかかっているが、一応“事実”を“客観的”に報道している建前になっている。記事の書き方も、扇情性を排除した“お堅い”“まじめな”書き方で、そのなかでもことに「日本経済新聞」とかの経済紙は、一般紙よりも今一段、謹厳実直度が高いように思う。
ところが名前から言って、日本の日経に相当すると思われるご当地の某経済紙は、ご当地では一般紙がすでにして日本のワイドショー並みの通俗度、下世話度まで落っこちているため、一人孤高を保っては読者に逃げられると思ってか、紙面がまるで日本のスポーツ紙である。私は仕事柄やむを得ず毎日6元弱を払って買っているが、がさっと広げた紙面から飛び出してくる大見出しの数々が、色彩も鮮やかに「さあ、今日も一発、儲けようぜっ!!」と元気いっぱい呼びかけていて、エネルギーレベルの落ちている日など、思わずよろよろっと引いてしまう。

しかしまあ、この開けっぴろげな貪欲さも、自分で読むだけならまだいい。困るのはこれを翻訳せよと言われた時である。南方なまりの中国語で書かれた記事の多くは、文体、内容が余りに通俗的過ぎて、どうもそのまんま翻訳したのでは、新聞の経済記事には見えないのである。たとえば今日翻訳依頼された記事にも、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるように、いろいろな銘柄を買えば儲かる確率も高くなる」というような文章があって、そりゃそのとおり道理だが、それにしたってこんな身も蓋もない書き方、素人投資家向けのメルマガじゃあるまいし、日本の経済紙は死んでもしないである。
そもそも記事の目的からして、客観的なマクロ経済の分析を読者にわかりやすく説くというより、「…というようなマクロ情況だから、今後はこう買って、こう儲ける」という部分に重点をおいており、実際のところ状況の分析など、落語の枕、刺身のツマ、ホントのところどうでもよくて、読者はそんなところまじめに読みはしないということを、書く側も十分承知しているのである。
この姿勢の違い、情況を客観的に知らしめるだけの日本の経済紙と、“いかに儲けるか”を徹頭徹尾追求したご当地の経済紙。さすが「財神」を本尊とするご当地の新聞だけのことはある。

もっとも、ご当地にも格調高い経済紙がないわけではない。紙面を見ただけでその上品さに「あら、こんな新聞がご当地にあるなんて…」と我が目を疑う『信報』さんが、それである。だがウチの上司殿は「信報はつまんない」と言って使わないのである。そしてより通俗的かつ扇情的な『東方』あたりをニュース・ソースに選ぶのである。日本の読者は、ご当地の読者とは違うと、いくら言っても信じない。どうせ上司殿は財神様の忠実なるしもべである。「言っても無駄だ」と、私とNちゃんはもう諦めた。

結婚記念日忘れた

  • 2006/04/08 20:38
  • Category:
昨晩、二人でサラダをつついていた時、夫が突然思い出したように「あれ、そういえば先月は結婚記念日じゃなかった?」と言い出した。
言われてみれば、その通り。先月の22日は、我々の4回目の結婚記念日であった。
しかし私はそんなことは当日もその前後も、カケラすら思い出さず、夫もこれまたぜえんぜえん思い出さず、したがってなあんにもしなかった。

そういえば・・・と、昨年(3回目)や、一昨年(2回目)の結婚記念日のことを思い返してみても、まったく何にも記憶にない。かろうじて一昨昨年(1回目)の記念日だけは、ちょうど土曜日で、夫と二人ジムに行く道すがら「あれ、そういえば今日は結婚記念日じゃない?」という会話を交わした覚えがあるが、会話を交わしただけで、その後何か特別なことをしたような記憶は、どうも、まったく、ない。

まあ、結婚記念日とは言っても、我々の場合は日本に郵送した婚姻届の届け出日をその日にしたと言うだけで、別にどこかの神社or教会で厳粛に結婚式を執り行ったわけでも、親族友人一同を招いて絢爛たる披露宴をしたわけでもなく、同居を開始した日ですらないので、正直なところ記念しようにも記念のしようもないような日ではあるのだが、それにしても一応は正式な「結婚記念日」である。それを4年目(正確には1年目にしてすでに)にしてきれいさっぱり忘れているというのも、どうも余りに緊張感に欠けた話のような気がしてならない。

人々は、少なくとも1年目くらいは、キャンドル・ディナーとか、何とかロマンティックなことをするのではないか? それをジムでバーベル挙げてたり、きれいさっぱり忘れ果てて2週間以上経ってから「あれ?」と他人事のように思い出すというのはどうも・・・なんだか・・・

お手紙書き

  • 2006/04/07 15:33
  • Category:
■ 今日の午前中は、お客様へのお手紙書きで終わってしまった。先月ウチにお取引口座を開設してくださった日本のお客様なのだが、ウチから郵送された書類が、何のことかわからないとおっしゃるのである。

■ ウチの部は、日本が営業対象に入っている部だし、日本語を書けて喋れる(← えらそー)私もいるので、日本人のお客様あてには日本語でご連絡申し上げているが、経理部や決済部にはそういう人員はいないので、発送する書類はすべて英語か中国語である。で、本日午前のお客様は、その英語の書類が皆目わからん、とおっしゃるのである。そして電話で、この書類はなんでしょう?とお尋ねになるのだが、ウチとて他部が送った書類まで全部把握しているわけでもないし、その控えがあるわけでもない。せめてタイトルは〇〇で、こんな単語が書いてあるのだが…くらいは言って貰わないと、こちらだって皆目わからない。しかしお客様は電話では説明できない。(それはそうである。電話でこれこれこういう書類なんですけど、と説明できるようなら、“何だかわからない”のではなく、立派に“何だかわかっている”のであるから)仕方ないので、書類をファックスしてもらった。見ると、お客様が先日執行したお取引の明細と、口座の明細である。「えっ、これがわからねえってえことは、お客さん。あんたウチから送る書類、ひとっつもわかってねえってことですぜ」と、余りの事態に暗澹たる気分になったが、それというのもこのお客様、英語なんか勉強したはずもない70、80のじいさん、ばあさんではなくて、年のころなら30代、為りはフリーターもどきのいい加減さながら、億からの資金を動かして、利ざやを稼ごうというセミプロのようなお人なのである。「それでウチから送る書類読めなくて、だいじょうぶか?」と他人事ながら心配になるが、書類読めなくても外国の会社と取引しようと考えるくらい豪胆だからこそ、若いみそらで億からの金を動かせるのかもしれぬ。

■ いずれにせよ、今後のこともあるので、書類1枚、1枚、言葉の意味と、数字の動きと、だからつまりこれはねー、というまとめの説明をつけて、解説のお手紙を書いた。書類は5枚あったので、解説のお手紙も5枚になり、ついでに午前中が終わった。書き終わってメールで送って、はあ…とため息が出た。こんな手紙書きで半日使ってしまったが、はたしてこれは有意義な半日だったのか、それとも無意味に暮れた半日だったのか。まあ、5枚の解説で得心して、今後ウチにぽろぽろ手数料落としてくれるようになれば、私の半日分の日当ぐらいすぐ出てくるが。それに私自身、英語を喋るのは死ぬほど嫌いであるから、お客様が英語を読まないからと言って、ぶうぶう文句を言える筋合いでもないのだ。喋れた方が、読めた方がいいことは、重々承知しておるのだが、嫌いなものは嫌いで、なかなか好きにはなれないである。ごめんね、英語ちゃん。

アルペンの次はチーズ

  • 2006/04/06 15:13
  • Category:
■ 突然階下のスーパーマーケットから姿を消し、代替品探しに私たちを慌てさせたアルペンは、先日もとの棚に戻ってきた。まるで不在期間などなかったかのように、知らん顔でケロッグの隣に並んでいる。業腹だが、夫はやはりアルペンが好きなので、不義理は水に流して、また毎週2箱ずつ買っている。おかげでアルペン不在中に買ってしまったその他のミューズリは、すべて私が消費しなくてはならなくなった。お試しやら何やらで結構いろいろなブランドを買ったので、まだストックが計4−5箱はある。近頃とみに高温多湿度が増しているご当地、カビが生えたり、虫が発生したりする前に、食べ終えられるといいのだが…

■ アルペンは戻ってきたが、今度は代わりにチーズが消えた。もちろん“消えた”と言っても、ご当地からすべてのチーズが消えたわけではなく、単に階下のスーパーから夫お気に入りのオーストラリアン・チェダーを含むナチュラル・チーズが消えただけの話である。他のスライス・チーズや、プロセスチーズは消えるどころか、平積みで大量に売られている。どうやらご当地での主たる需要は、ブロック売りのナチュラル・チーズではなく、1枚1枚スライスされたサンドイッチ用簡便チーズらしい。ま、めんどくさいのが嫌いなご当地人の性格を考えれば、わからないでもないが。

■ で、仕方なく他のスーパーにオーストラリアン・チェダーを買いに行ったのだが、これがなんだか値上がりしているのである。一昨日だったかのNHKニュースでも、ロシアや中国での豚肉、チーズ需要の急増により、世界的に品不足が進んでいるため、メーカーでは6月からハム、ソーセージや、チーズ、ピザ等の値段を10%引き上げる予定と伝えていたが、ご当地での値上がりもこの影響なのだろうか? 確かに10×年前広州にいた時には、チーズなんて外人御用達の店に行っても、干からびたようなのが冷蔵ケースの隅に忘れ去られたように置かれているだけで、しかもぎょっとするほど高価で、おかげであの2年間は全くチーズを食べなかったが、この10×年でその情況も変わったということか。それにしても13億が急にもりもりチーズを食べ始めたわけではないと思うのだが。はて。

上司殿、円形脱毛に・・・

  • 2006/04/05 16:51
  • Category:
■ 今週、上司殿は日本へおでかけ。お客様連れての出張旅行ではなく、お客様捜しの開拓旅行である。電話の様子では、どうやらめでたく新しいお客様をつかまえたようで、上司のためにほっと一安心。正直な話、私自身は営業員ではなく、売り上げのノルマがあるわけではないので、お客様がいようがいまいが、注文が来ようが来まいが、「別にどうでもいいや」と、まるで二昔前の中国国営商店の店員のような気構えでいるが、部員わずか5人とはいえ、仮にも○×営業部責任者として売り上げ責任が重ーくのしかかる上司殿は、そんな呑気なことは言っていられない。普段の何にも考えていなそうな言動からは想像もつかないが、売り上げを気にすることにかけては人一倍で、マンディさん情報によると、3月は売り上げが前月の1/4くらいしかなかったため、上司殿は何度目かの円形脱毛症を発症し、密かに医者に行ったそうである。幸い、上司殿は脱毛している部分以外の頭髪は豊富ゆえ、うまく整えれば脱毛は一向目立たたず、だからこそ我々もマンディさんがひそひそ教えてくれるまで、全く気がつかなかったのであるが、あのお調子者で、安請け合いで、金を儲けることと、人にたかること以外、およそ何も考えてはいなそうな上司殿が、売り上げの減少を思い煩って円形に脱毛するとは・・・。まこと人は見かけによらないものである。

■ ただ、マンディさんも言っていたが、営業とは言っても我々が商っている商品は、時の相場に大いに左右される水物であり、営業の熱心度と売り上げとがきれいに正比例するわけではない。確かに小口のお客様は、熱心にあれこれ勧めれば、買う気がなかったものでも、「もしかしたら」なんぞと捕らぬ狸で売り上げにつながる場合もあるが、いかんせんウチの売り上げの大部分を稼ぎ出しているのは、独自の判断で相場を張り、値をつり上げたり、押し下げたりして、利ざやを稼ぐプロの方々である。上司殿がどう努力しようと、注文がないときはないし、逆に注文があるときには上司殿が留守だろうと、代わりの人に注文を落としていく。3月の売り上げの激減はまったくもって相場のせいであって上司殿の落ち度ではないのである。「気にしたってしょうがないじゃん、じょうし〜」なのだが、上司殿は気にしており“夜もよく眠れない”そうである。この小心さ加減、とても先週、自分の過失を棚に上げて、「そんな、誰が最初に間違えたか(答え:上司殿である)なんてつまんない詮議ばかりしてるなら、もう取引しないから!」というメールを取引先に書いてね、と私に命じたのと同じ人とは思えない。取引先(日系である)から事情を聞いて、「そりゃ最初に誤情報を流して、無理矢理取引したあんたが悪いだろう、上司」と思っていた私は、んなメールよう書かんわと、適当に内容を改ざんしたが、自分の落ち度を落ち度とも思わない上司と、自分のせいではない売り上げの減少をいじいじと気に病む上司とは、いったいどこでつながっているのだろう。3年つきあっても、ようわからんお人である。やっぱり脳の回路の一部が、すっぽり抜け落ちてるに違いない。それ以外考えられない。

「アンナ・カレーニナ」と「ダントン」

  • 2006/04/04 17:22
  • Category:
■ 昨日はお世話になっている「マイぷれす」さんが不調で、ほぼ1日アクセスできなかった。さみしかった。しかし同サイト管理人サンド氏の奮闘により、本日はすでに復調。無料で使わせて戴いているのに、ありがたいことである。

■ 先週末、ソフィ・マルソー主演の「アンナ・カレーニナ」を見た。今ひとつ、よくわからなかった。私はかの有名なトルストイ氏の原作は読んでいないので(だって、ロシア文学って苦手なんだもん)、これはあくまでもソフィ・マルソー主演の映画を見ての感想なのだが、人妻でもなんでも、眉目秀麗な青年将校に恋をし、情事に走るのはいいとしても、そんなことをして人のうわさになれば、貴族としての体面を重んじる夫が喜ばないのは、はなからわかっていたことであり、それでも女が好き勝手すれば、怒った夫が「そんなふしだらな女に、息子を会わせるわけにはいかん!」と言い出すのも、簡単に予想できることであり、かつまたそんなこんなで思うに任せない日々に女が鬱々として男に嫉妬したり、当り散らしたりするようになれば、男が逃げ腰になるのもよくある筋書きであり、つまりはぜーんぶ予想できることなのに、なんでアンナはあえてその予想できる筋書き通りに転落していくのか? 彼女は計算ということは、しないのか。計算をしない(あるいはできない)ところが、アンナの真情であり、計算を超えたものが、情熱とか愛とかいうものなのか。
日々あれこれ計算しながら、平板な日常生活を送っている私には、どうも今ひとつよくわからない。色恋の沙汰というのは、そんなにも後先を考えないものか? (というのも、映画の中のアンナは、後先を考えた上で“ええい、ままよ。なるようになるさ!”と突っ走っているようには、見えなかったから)

■ しかしまあ、これは映画の感想なので、偉大なるトルストイ氏の原作を読めば、少しは感想が変わるかも。どうせなら冬のヨーロッパで、重苦しい石の建物に囲まれた中で読んでみたいものである。そうすれば、かなり鈍い私でも、物語の中に入れるような気がする。

■ もうひとつ、ジェラール・デュパルデュー主演の「ダントン」も見る。フランス語の映画を英語字幕で見たので、磨りガラス2枚越しに映画を見たような、隔靴掻痒の感は否めず。それでも政治というものについての、印象的なせりふちらほら。ダントンとその一党が自らが被告となっている裁判の正義と真実について話している時、「この裁判は政治的な裁判であって、正義とは何の関係もない」というフィリポー(記憶不確か)のせりふや、ダントン一党を処刑した後のロベスピエールに向かい、子どもが無邪気かつ一所懸命に暗誦してみせる「人権宣言」が、ものの見事にロベスピエールに対する痛烈な批判、皮肉となっていることなど、ま、わかりやすいといえば、わかりやすい。おまけにロベスピエール役のWajciech Pszoniak(なんて読むのよ、この名前(泣))が、いかにもロベスピエールらしい容貌で、サン・ジュスト役のBoguslaw Lindaの冷たい美貌とともに、我が目を奪う。ちなみに、こんなにたくさんポーランド俳優が出ているのは、監督がかのアンジェイ・ワイダだからである。
それにしても、ダントンとかロベスピエールとか、サン・ジュストとか、「ベルばら」に夢中のあの頃から早30年、切なくも懐かしい名前の数々に、胸キュンである。

阿財の後釜 −八百屋の犬−

  • 2006/04/02 21:16
  • Category:
去年の夏、近所の八百屋の犬、阿財について書いたが(7月14日17日27日)、案の定あれからしばらくして阿財は行方不明となった。そして犬のいない八百屋をさみしく思っているうちに冬になり、元旦が来、春節となり、あれあれという間に物みな黴びる春が来て、最近、八百屋近辺で新顔の犬を見かけるようになった。しかも2匹。1匹は色がよく似ているので、阿財の子どもかとも思ったが、考えてみれば阿財は牡である。子犬が父犬に引き取られたとは、考えにくい。おまけによく見ると“子犬”と呼ぶには些か薹がたち過ぎた、疲れ切った風貌をしている。もう1匹の方は、まだ十分“子犬”だが、顔と色と体つきが似ていない。阿財の血というより、黒ネズミの血が入っていると思われるような風貌である。


疲れた顔のどら焼き
元気いっぱい、黒ネズミ



この2匹、風貌の割には人なつっこく、こちらが座り込むと、わらわらと寄ってくる。そして人に身体をすりつけ、手をなめ、時にはがじがじ囓り、ひざや肩に手をかけて、顔までなめてくれようとする。どら焼き色の方は結構重く、本日私はよろけて後ろに倒れそうになった。危ういところでどら焼きを抱き留めたが、密着してしまった私のTシャツはいまだに犬くさい。


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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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