自慢

  • 2006/05/31 22:07
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もうすでに他人様の掲示板におじゃまして自慢してきたあとではあるが
やはり自分のブログでも自慢させてもらおう。

私は昨日、ベンチプレスで125ポンドを挙げました!

ま、私のブログを読んでくださっている大部分の方には
???な自慢だとは思うが、他に自慢できるところがないし
友達に電話して自慢するのも何だし、なので
すみませんがここに書かせてください。

ただ昨日は挙げられても、来週からまた出張で、
1週間以上ジムをさぼることになるから、
出張明けには挙げられなくなっている可能性大。
筋肉は脳以上に、忘れっぽいのだ。
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染み

  • 2006/05/30 14:40
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2月、3月の「超高湿度」の時期を過ぎて「普通に高湿度」の時期となり、気温が上がり始めると、白いものを着たくなる。少しでもすっきりしたいという気持ちが、ストレートに出て来るわけである。で、毎日白いものを着る。厭きもせず、着る。とっかえひっかえ、着る。そして気づくのである。「あ、また染みつけた…」

いすに座っている時、わたしは飲み物を手放すことができない。仕事中でも、家にいるときでも、座っている私の傍らには、必ずカップがある。飲むのはだいたいは、紅茶である。たまにはコーヒーも飲むが、量からすれば紅茶の方が圧倒的に多い。砂糖や牛乳は入れずに、そのままストレートで飲む。ぐっと、飲み、すするように飲み、はふはふ飲み、しみじみ飲み、そしてその飛沫を胸にこぼす。腹にこぼす。すそにこぼす。時には肩にまで飛ばす。(いったい、どうやって?)

どうしてこんなにもこぼれるのか、我ながらわからない。当然だが、気づいてこぼしているわけではないのである。気づかずに、本人のまったく知らないうちに、紅茶の染みは、点々と飛び散り、白いTシャツに茶色のしみをつけていくのである。そして新しかったはずのTシャツを、くたびれたようすに変えていくのだ。

紅茶の染みは普通の洗濯では落ちない。だから染みを見つけると、「またか…」とため息をつきつつ、酵素系の漂白剤に浸す。1晩もつけて置けば、だいたいの染みは取れる。取れなければ、次は薄めた塩素系漂白剤を塗布するか、材質的に無理なら、諦めて染みつきのままにするか。
そうして何回か漂白剤の海に浸かり、4月から11月の白いものシーズンを青息吐息で過ごしたTシャツは、シーズンの終りにはすっかりくたびれ果て、来シーズンを迎えられる状態ではなくなっている。お別れの季節である。これからTシャツは小さく切られて、お掃除用具箱に行くのである。

夫はしょっちゅう紅茶の染みをつけている私を見て「よだれかけでも、着けてはどうか」というが、家でならともかく会社でよだれかけは、憚られる。夫自身はコーヒー、紅茶は飲まないし、家でトマトソースを食べる時には着ているものを脱いでしまう。服に染みをつけることはまずないので偉そうにこういうのだが、いかんせん、お茶飲むたびに夫の真似をして上半身に着ているものを脱ぐのは、私の場合はどう考えても、ちょっと、あまり、実際的ではない、である。

β‐エンドルフィン欠乏

  • 2006/05/29 18:41
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元気が出ません。鬱々。
運動している時だけは、β‐エンドルフィンが出て元気になりますが、終わるともうだめです。元の木阿弥です。だからといってケージの中の二十日鼠さんのように、1日中カラカラと輪っかを回し、運動し続けてβ‐エンドルフィンを出し続けるようなことはできません。体力がついていきません。
ウチにいるときも元気が出ませんが、出勤して上司殿の顔など見ると、もっと気力が失せます。

そもそも気分が暗いのは、来週からまた出張が入っているからでございます。東京に5日、中国に3日。土曜に東京から帰ってきて、日曜には中国へ飛ぶのでございます。いったいどうしてこういう日程を組む気になるのか、上司殿の頭の中は私には永遠のenigma でございます。上司殿はにこにこと「成田から直接中国に行ってもいいよ」とおっしゃっていますが、誰がそんなことをしたいと思うのでございましょうか? いくら私が力持ちでも、1週間の出張の間中、東京分と中国分と5社の資料を持ち歩くのなんか、絶対いやでございます。それに、それに洗濯物の問題もございます。たとえ24時間に満たない時間でございましょうとも、途中で一度家に戻って洗濯し、スーツも替えて中国に行きとうございます。東京での恥と冷や汗のしみこんだスーツで中国に行くなんて、考えただけで「天呀!」でございます。

アタナグユアト

  • 2006/05/26 20:56
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先日、イヌイットの人が作ったイヌイットの映画“Atanarjuat”を見た。邦題は『氷河の伝説』というらしい。検索したらこの映画の紹介サイトがあったので、ちょっと失礼して引用。

氷の世界、祈りの大地。極北の地に生きるイヌイットたちが奏でる生命の詩
『氷海の伝説』は、北アメリカ大陸最北端に住むイヌイットに、先祖代々語り継がれてきたアタナグユアト(足の速い人)の伝説に基づく一大叙事詩である。白い氷原と青い空が果てしなく広がる北極圏の雄大な自然を背景に、4世代にわたる愛憎渦巻く人間ドラマが、イヌイット独自の風習を数多く織り込みながら、神話的スケールで力強く描かれている。制作費US190万ドル(約2億4千万円)を費やし、約5年をかけて製作された本作は、キャスト全員が現地で実際に暮らす人々で、監督や脚本家をはじめスタッフのほとんどもイヌイット。イヌイットによる、イヌイット語(イヌクティトゥト)を用いて製作されたオリジナリティ溢れる初の長編劇映画である。


そう。確かに紹介されているとおり、大変興味深い映画だったし、だからこそ途中で逃げ出さず、3時間近く見続けることができたのだが、そうは言っても“4世代にわたる愛憎渦巻く人間ドラマが、神話的スケールで力強く描かれている”と描写されると、なんだかちょっと背中のあたりがこそばゆいような、大風呂敷広げ過ぎのような気がしてならない。
だってイヌイットの人にとって、イヌイットの生活は日常なのである。日本人の、アメリカ人の、カナダ人の目で見るから、氷を積み上げてイグルーを作り、氷原に犬橇を駆ってアザラシやカリブーを獲り、それを生で食べ、毛皮は衣服に加工し、という生活が“壮大な自然と共に生きる、人間の根源的姿。崇高なまでの美”と映るのであって、イヌイットご本人たちにとっては、生まれた時から繰り返している、何の変哲もない日常生活でしかない。いうなれば日本人が田んぼに苗を植え、家の横手には自家用の野菜をつくり、牛の1、2頭も飼いという農家の生活を、(田舎では)何百年と繰り返してきていて、その生活は、都会の人にとっては“自然と調和して生きる和やかな癒しの生活”と映っても、当の田舎の人にとってはただの日常生活に過ぎず、別段の新鮮味をもち得ないことと同じである。もちろんそうした日常にも美は宿り得るが、そうは言っても、こうも手放しで賛美されては、“わび、さび”を過剰に評価する欧米人を前にした時と同様、居心地の悪さに尻がむずむずする。
愛憎のドラマにしたところで、その文化に関係なく、人間がいるところには好悪の感情があり、それにより妬み、嫉妬、憎悪、愛着、同情の感情が生まれ、それが恋愛や、不倫や、殺人に繋がっていく。舞台が氷原だろうと、田んぼの中だろうと、ガラスとコンクリートの都会だろうと、感情の基本には何の変わりもない。氷原だから神話的で、田んぼの中だから牧歌的で、ビルの中だから都会的というのは、あまりに安易に過ぎないか? 私はむしろ「なんとまあ、下世話な。人間のドラマはすべてギリシア劇に収斂されていくというが、イヌイットも同じか」と思いつつ、映画をみていた。
ただ、イヌイットを描いた映画は多くはないので、伝統的イヌイットの生活を見るにはちょうどよい映画だとは言える。今、「伝統的」と書いたが、イヌイットの生活にも現代化の波は押し寄せており、80年代からすでに犬橇の代わりにスノーモービル、家にはテレビ→ビデオと、電化が進んでいるそうである。(国立民族学博物館の岸上さんのレポート )氷原をはだしで走るアタナグユアトは残念ながらもういない、ということである。

ピアス

  • 2006/05/25 21:04
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今朝、ピアスをつけようとしたら、ぽろりと石が落ちた。すぐに引出しからアロンアルファを出してくっつけたが、あわてず騒がずこんなことができるのも、この石がダイヤモンドどころか、キュービック・ジルコニアですらない、上代75元のガラス玉だからである。大きさは清原のピアスの1/5程度。小さい。軽い。
そもそも過去10年近くは、ずっと金の四角い輪型のピアスを愛用していたのだが、最近寄る年波か、このピアスの重さで耳たぶにシワが寄り始めたのである。しかもピアス穴もなんだか伸び始めているようで、穴が円形ではなく縦長楕円形になりかけている。「まずい! このままでは近所で見かける中国ばあさん並に、耳たぶがだらりと伸びてしまう!」(注:近所の市場等では、よくくすんだ翡翠の耳飾りや、24金の古めかしいデザインの耳輪をしたばあさんを見かける。みな耳輪の重みで耳たぶがたれ、穴もびろんと伸びている)とあわてて、手もちの中で一番軽い、ダイヤ風ガラスピアスに替えたのだ。

ピアスを開けたのは、20代後半、かれこれ20年近く前のことである。ウチから当時の勤務先までの間に外科医院があり、そこの受付に『ピアス開けます』という手書きの張り紙が貼られていることには、前から気づいていた。飼料屋の店先の『ヒヨコありマス』とほとんど同じノリである。白い半紙の上の手書き文字が、はたはたと風になぶられる田舎の風景。
そしてある日、いつもどおり自転車に乗って会社に向かっていた私は、途中でふっと出勤する気が失せ、途中の外科医院に寄り込んで「ピアス開けたいんですけど」と言っていた。会社には病院に寄ってから出勤するので、少し遅れる旨連絡した。別に嘘をついたわけではない。本当に病院に寄っており、まさにその病院から電話していたのであるから。
外科医院では顔なじみの先生が、この辺でいいか?と黒マジックで耳たぶに印をつけ、手鏡を渡された私は矯めつ眇めつして具合をみた。といったところで、たかだか1センチ四方の耳たぶである。選択の余地がそうあるわけではない。先生はマッチ棒の頭のような、金のピアスを埋め込んだピアサーで、ぱちん、ぱちんと簡単に穴を開けてくれたが、最初から自分の好きなピアスをつけられるのだと思っていた私は、先生の「1ヶ月くらいは、このままでいてね」という言葉に憮然とした。1ヶ月も、面白くもないマッチ棒ピアスをつけているのが、いやだったのである。しかし化膿したり、せっかく開けた穴がふさがってしまうのもいやだったので、おとなしく言うことを聞いた。1ヶ月などすぐ経った。経ったところで、買っておいた金の貝殻型(人魚姫が胸を覆うのに使っているような、あるいは貝合わせの貝のような)のに、付け替えた。春風得意。へへへん、てなもんである。しかし私は耳たぶが厚いためか、なかなか穴が固定せず、しばらくはピアス交換もおっかなびっくりだった。自分でできずに、妹や同僚に頼んだこともあった。私より前にピアスを開けていた妹はともかく、同僚は私以上におっかなびっくりだった。「ひとの身体に金属の針を通す」ということが、恐かったようである。

『身体髪膚これを父母より受く。敢えて毀傷せざるは…』と言うが、ウチの親はあまりそういうことにうるさくなく、それに私がピアスを開けるより前に、10歳近く年下の妹が先に開けていたので、私の時にはもう何もいう気がなくなっていたとも言える。あるいはもともと余り目のよくない母は、私がピアスを開けたことに気がつかなかったのかもしれない。
いずれにせよ、開けてみればこんな便利なものはない。それまではよくイヤリングを片方だけ落として「とほほ・・・」な思いをしていたが、ピアスにしてからは落としたり、無くしたりする機会がめっきり減った。イヤリングのクリップがきつくて、痛い思いをすることもなくなった。正直、ピアスにしてからはこれで困ったなんていう点は、ひとつもない。
そのうち、ご当地を離れるまでにひとつ、ご大家の太太のような翡翠のピアスを手に入れようかと思っているが、ご当地の宝石店の品は言語に絶したデザインのものが多く、大枚はたいてまで欲しいと思えるようなものはなかなかない。どうしてご当地の宝石店は、こうもキンキラが好きなのだろうか?

上司殿の災難

  • 2006/05/24 19:24
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■ 今日、上司殿はさんざんだった。朝一でミスり、その損失額が600万超。ご当地は「ミスは自己責任」なので、発注ミスによる損失はすべて営業員がかぶる。会社は1円も補填しない。あっと思った時点で注文を取り消したのだが、すでに間に合わず約定成立。値は上がるばかりで買い戻しもできず、さすがの上司殿も一気に青ざめた。
確かに聞き違えたのは上司殿だし、他の誰の責任でもないのだが、それにしても並の営業員だったら、600万円の損失など、かぶりたくてもかぶれない。毎月10万円ずつの60回払い、 5年かかって完済なんて、考えただけで世をはかなみたくなる。
そういえば今年1月、日本で発生した誤発注事件は、あれはどうしたのだろう? 金額が桁違いすぎて、とうてい個人で弁償できる額ではなかったが、発注した人は責任をとらされたのだろうか?

■ 今日も午前中は、銀行回り。お客様のお世話をするのはいやではないが、なんだか背中から肩にかけて、ずうんと疲れがたまっていて眠っても取れない。子泣きじじいが背中に取り付いている感じ。でも泣き言を言っているわけにはいかない。このところ夫はずうっと忙しく、私が6時過ぎに起きる頃には、すでに出勤したあと。どうも6時前に家を出ているらしい。おまけに今日は9時まで残業だという。夫よ、君は“Don’t work too hard !”の人ではなかったのか? なんか言っていることと、やっていることが違うぞ。

いいかげん

  • 2006/05/23 17:09
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今日は午前中はお客様のお世話で暮れたが、午後は久しぶりに資料の翻訳という内勤仕事に従事。お客様のお世話も悪くはないが、あちらこちらの資料をあたりながらぼちぼちと翻訳を進めるのも、落ち着いてよいものである。

しかし某中国企業の紹介資料が英語で書かれているのは、親切なのか要らぬ気遣いか。この資料を使ってプレゼンする際、中国語で喋るつもりなら、はなから中国語版をもらった方が専門用語その他、聞き取りが楽である。しかし資料を日本語にするにあたっては、中国語の専門用語は辞書にないことも多く、その点では辞書の充実した英語の資料をもらった方が、翻訳はしやすい。

一番いいのは、中・英、両方の版をもらうことだが、どちらかだけしか作らない企業も多く、あるいは中国語版と英語版で、微妙に表現が違っている場合もある。普通は日本語になじみやすい表現の方を勝手に取っているが(どうせ両方とも正式資料なのだし、内容そのものに違いがあるわけではなく、違うのは単に言語表現だけだから)、このあたり、契約書とか法律の翻訳に較べ、わりとてきとー。原語に忠実にして正確な翻訳を旨としている夫などに発見されたら、絶対叱られる翻訳であるが、上司などは内容が大筋同じならよい、という私に輪をかけたいいかげんさである。まあ、法律事務所の翻訳業務に従事している夫と、やくざな金融会社のしかも営業部の翻訳業務に従事している私では、そもそも翻訳というものに対する会社の基本態度からして違うのだから、はなから比較にならないとも言えるが。

あ、でも考えてたら落ち込んできた。そもそも私には英語を正確に読めるだけの知識がないのであった。思い出すと、落ち込む。ううう。

立ちんぼう

  • 2006/05/22 22:32
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今日は朝から、機内持ち込み用小型キャリーにいっぱいの現金を持って
ご当地の銀行をはしごした。
全部入金するだけで、しっかり1日かかった。

考えてみると、総額は私の年収の約20年分である。
そのくらい大量になると、却って「お金」という気はせず
ただの重たい紙の束に見える。
現実感が、消し飛ぶのである。

それにしてもC銀行よ、札を手で数えるのは止めてくれ。
10枚、20枚ならそれでもよいが、300枚超えたら、御願いだから手は止めてくれ。
×千枚の札を「一、二、三、四・・・」と手で数えているのを、
突っ立ったまま、カウンター越しに40分間じーっと見ている
顧客担当服務員の身にもなってくれ。

私は今日その40分間立ち尽くしを、いったい何回やったことか・・・


サマーフルーツ・プディング

  • 2006/05/20 17:25
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■ 朝、8時近くに起きてきた夫は、朝ご飯を済ませると、いそいそとサマーフルーツのプディングを焼く準備を始めた。先日、巨大ショッピングモールの中にあるDVDショップにひとりで行った帰り、その下にある、これまた大きなスーパーマーケットで、サマーフルーツの缶詰を自ら買ってきたのである。どうやらこの前の“失業者のプディング”の成功に気をよくした夫は、子どもの頃よく食べた懐かしの味を再現したくなったらしい。
カナダでは夏に実るブルーベリーや、ラズベリーなど生のフルーツを使って作るようだが、東南アジアに位置するご当地では、夏でもそういったベリー類は手頃な値段では手に入らない。なので、仕方なく缶詰で代用。

作り方は“失業者のプディング”とほとんど同じで、ただメープルシロップのソースの代わりに、缶から出してざっと汁を切ったベリー類を焼き型に敷き、その上にドウ(バター 1/2カップ、砂糖 1カップ、たまご 2こ、小麦粉 1.5カップ、ベーキングパウダー 小さじ1.5、塩 小さじ 1/2、ヴァニラ・エッセンス 小さじ1、牛乳 3/4カップを泡立て器でよく混ぜたもの。夫は電動のホイッパーを使用)を流して、180〜200℃のオーブンで1時間ほど焼くだけである。実にシンプル。失敗はない。
焼き上がると表面はこんがりきつね色になり、そこから紅いベリー類がのぞいてきれいだが、菓子屋で売っている菓子のような、手の込んだ飾りがあるわけではないし、一口食べて唸るような、複雑微妙な味わいがあるわけでもない。ベリーの味で食べる、シンプルなバターケーキである。この菓子の身上は、そうした家庭でお母さんが作ってくれるおやつといった、素朴さ、手軽さにある。

長くジャクリーン・ケネディ・オナシスのもとでナニー兼料理人として働いていたMarta Sgubinという人が書いた“Cooking for Madam”という本にも、ラズベリー、ブルーベリー、レッド・カランツを使った“Summer Pudding”という名のデザートが載っているが、こちらは焼き菓子ではなく、型に白いサンドイッチブレッドをすきまなく敷き詰め、その中に軽く砂糖で煮たベリー類を詰めて、またサンドイッチブレッドでふたをし、重しを載せて冷やし固めた冷たいプディングである。こちらも美味そうだが、いかんせん生のベリー類が合計9カップも要る。北米か欧州にでも引っ越さない限り、作れそうもない。

ちなみに私は上記のプディングを食べたいがため、ひとりジムに行って有酸素運動を40分、無酸素運動をちょっとだけ、ストレッチをたっぷりやってきた。なにしろ前回の“失業者のプディング”では、運動もせずいい気になって食べて、体重を1kg近く増やしたのである。ここでまた1kg増やしたりしたら、それこそ堂々肥妹の仲間入りである。それだけは避けたい。なんとしても避けたい。

背中の札束&本格小説

  • 2006/05/19 21:50
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■ 今日もお客様の応対で1日が終わった。今日は6人。最近、結構な額の現金を携えたお客様を案内して、隣のビルにある銀行に行くことが多く、窓口の男の子に「また×百万持ってきたの?」と言われたが、私はただ案内しているだけだよ、トレイニーのC君。不器用な両手で、うん百枚のお札を数えるのは大変だろうが、勘弁してくれたまえ。窓口に突っ立って待っているお客さんだって「え、機械で数えるんじゃないんですか!?」と目を丸くしているのだから。
それでもまだ日本円や、香港ドルはましである。人民元はいまだに紙幣の最高額が100元(邦貨約1400円)なので、前の会社で中国の工場に持って行く現金を両替したときには、たいした金額でもないのにバックパックがいっぱいになってしまい「えらいこっちゃ。背中ぜんぶ札束だよ」と少し緊張して通りを歩いたものだった。

■ 12月に日本で買って少し読み、そのままになってしまっていた水村美苗さんの「本格小説」。2、3日前からまた読み始め、あっという間に引きずり込まれて、この2、3日はずっと、東太郎という人物が大きな翼を広げて空全体を覆ってしまった別の世界に溺れていた。
20代の頃から、恋愛というのは自分でやるから面白いんで、人のを見たり聞いたりして何の面白いことがあろうか?と、恋愛小説にも恋愛映画にもさほどの興味を抱くことなく過ごしてきたが、この東太郎の、いっそ執念深いといえる恋物語には、久しぶりに心をえぐられた。死んでいくよう子に太郎が言う「千歳船橋の庭で最初に見かけたときからずっと殺したいと思っていた」というせりふの、なんというせつなさ!

カメレオン

  • 2006/05/18 22:19
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どうも最近、私の仕事の内容が微妙に変わってきている気がする。
もともと柔軟性に富んでいるというか、行き当たりばったりに進んでいく職場なので、私の受け持ち範囲が徐々に変化していくのは不思議でも何でもないが、変化の方向がどうもちょっとなんだかなあ、という感じで、私を困惑させている。

3年前、面接で提示された仕事の内容は、新聞記事の翻訳と日本語のビジネスレター書きだった。部屋にこもってできる仕事、普通は残業もないということだったので、給料は安かったが受けた。しかしその後1ヶ月もしないうちに、それに“通訳”が加わった。中国語では翻訳も通訳も“翻譯”なので、片方ができれば、もう片方もできるだろうと安易に考える人がいるが、冗談ではない。通訳に必要な能力と、翻訳に必要な能力は全く違う。
これでは話が違うと大いにごねたが、「代わりが見つからないから」「続けてくれるなら、待遇を改善するから」と言われ、他にいい仕事もなかったので、ぐっと我慢して続けた。仕事の内容は、翻訳、通訳、お手紙書き+たまにお客様のお相手となった。
そして昨年10月、Nちゃんが入った。Nちゃんは、もともとはセールス(営業員)として採用されたのだが、どうも面接の時誤解があったらしく、しばらくして上司殿に対し「セールスはしたくありません」と宣言した。上司殿はちょっと困っていたが、幸いNちゃんは翻訳が上手で、本人も「翻訳だけしていたい」というので、自然翻訳業務はNちゃんに多く回されるようになった。私の方は、翻訳業務が減った分、代わりに上司殿の営業アシスタント的業務が増えるようになった。

営業アシスタントというのは要するに、日本人のお客様のお世話である。なんといっても日本語ネイティブとして40×年生きているだけあって、私の日本語は上司殿よりはずうっと上手く、お客様の言うことは、ほぼ100%聞き取れる(当たり前だ・・・、ははは) そして、お客様の質問に対し的確な答えを返せる。すると日本人のお客様は、大いに安心する → 注文が増える。という図式になっている。今日も朝から4人のお客様の相手をし、説明したり銀行にご一緒したりしているうちに、1日が過ぎてしまった。昨日もほぼ同じ。今週に入ってから、翻訳は1本もしていない。これでは、私はまるっきりセールスである。こういうことでいいのだろうか? 私は本来、事務屋のはずなのである。

不思議というか、ヘンだ、と自分でも思うのは、人に会うことが嫌いで、人と話すのも嫌いな私が、客を前にすると、ころりと“接待モード”に代わり、実に愛想よく応対し始めることである。お客様のタイプに合わせ、まじめな方が受けそうなら、まじめに、ちょっと軽薄な方が受けそうなら、幾分過剰気味に愛想よく、自然に態度を変えて応対している。とても夕べから今朝にかけて「今日は客が4人も来る。どうしよう? いやだ。いやだよ。熱が出たことにして休んじまおうか。いや熱よりも腹痛の方が、本当っぽいかな?」と悶々としていた人物と同じ人間とは思えない。わたしはカメレオンだろうか?



ま、カメレオンは好きで、パジャマもカメレオン模様だったりするわけですが、カメレオンのような人間は、ふつう余り好かれませんよね?

ディスクとPCの相性

  • 2006/05/17 16:02
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昨日買った Bill Evans Trioさんは、私のPCとの相性が悪く、ちゃんとディスクを入れてるのにPCは「ディスクないですけど」と言う。そして「ディスクないんだから、演奏なんかできません。そんな何回も“Play”をクリックしたって、だめです」と実に冷たい対応で、取り付く島もない。ふえ〜ん、と泣きながら居間のDVDプレイヤーで試すと、こちらは何の問題もなくシュルシュルという回転音を前奏に、音楽が始まった。でもPCで聴けないのは困るので、元通りケースに戻し、昼休みにHMVに行って新しいのと取り替えてもらおうとしたのだが、あいにく在庫がないという。その上お店で試すと何の問題もないので、「今晩もう一度試していただいて、それでもだめだったら、他の店から新しいのを取り寄せましょう」というHMV青年の提案を妥当として、帰ってきた。今晩はちゃんと演奏してよね、PCちゃん。他のは問題ないのに、どうしてBill Evansさんは、だめなのよ?

ちなみに先日不調報告をしたメディアプレイヤーさんは、一向回復せず、面倒になったので、代わりにWinamp をダウンロードした。日本語のCDだと、曲名が文字化けして表示されるのが不便だが、少なくとも音声は日本語のまま出てくるので、よしということにしよう。背に腹は代えられん。

大相撲5月場所。すでに11日目だが、朝青龍と栃東は休場。琴欧州は膝のけがの具合がよくないのか精彩を欠き、1敗で残っているのは千代大海、白鵬、雅山。この辺は順当だが、次の2敗のなかに今場所幕内に上がってきたばかりの把瑠都がおり、誠に立派。なにしろ大きく(197cm、172kg)、力も強いようで、昨日も一昨日も対戦相手を文字通り投げ飛ばしていた。いつも録画したのを食事時に見ているのだが、思わず「おお…」フォークが止まった。まだ21歳の若さだし、これからが楽しみである。ただ大きいだけ、力が強さだけのお相撲さんではなく、“うまい”お相撲さんになってもらいたいものだ。

いつ聴くのか

  • 2006/05/16 15:49
  • Category:
板前さんの絶賛に釣られ、昼休みHMVに行って Bill Evans Trioの“Waltz for Debby”を買ってしまった。どうも最近、CDを買うことが増えている。それでなくても本に占領されて空きスペースのない私の部屋の、いったいどこに増えたCDを置くのかというのも問題であるが、それより何より問題なのは「いつ、聴くのか」である。仕事中は聴けない。(当然だ)通勤時間は20分程度で、しかもその半分は轟音を発して走る地下鉄の中である。うるさくて、聴けない。退社後、月は中国語のクラスに行く。火、木はジムに行く。自由なのは、水、金、土日。

Waltz for Debbyの画像

それにしても板前さんのおっしゃるとおり、「あまぐも」とよく似てるジャケットですねえ

同僚のマンディさんは「ジムで運動する時、聴けばいいじゃない」と言うが、私と夫がやっているのは、重いものを持ち上げる無酸素運動である。固定自転車をぎしぎしとこいだり、太いベルトの上をはあはあ走る有酸素運動と違い、音楽を聴きながらやれるものではない。何十キロかある鉄の塊を両手に持ち、文字通り渾身の力を振り絞って挙げたり下げたりしているのである。耳元で音楽が鳴っては、集中できない。ジムでは普通、リズムの強いロック系の音楽が大音響で流されているが、挙げている最中はその音さえ聞こえない。好きな音楽を聴きながらの方が快適にやれる有酸素運動とは違うのである。よって、×。(第一、せつなく流れるタンゴや、ちあきなおみじゃ力出ないしぃ)

だから残るは土日と、食事を終えてから夜寝るまでの自由時間であり、実際、最近の私はこの時間にブログを更新しながら、あるいは人様のブログを訪問しながら、せっせと好きな音楽を聴いているわけであるが、そのため以前は毎日30分程度は聞いていた中国語会話のCDを全く聞かなくなってしまった。で、わたしはすごーく後ろめたい気持ちでいる。とてもじゃないが使い物にはならない中国語を、無理やり使ってお給料をいただいている私は、常に浪人生、しかも当初の志望校に2年続けて落ち、やむなく志望校のランクを1段下げた三浪中の受験生のような気分でおり、常に、常に「遊んでる場合とちゃうやろ。勉強せな、あかんよ」が重奏低音のように頭の中で鳴っているのだが、わかっていながら、なかなか勉強に身が入らないところも三浪中の受験生並み。つい遊んでしまって、またぞろ自己嫌悪に陥るのである。もちろん自由時間を半分に分けて、前半は音楽、後半は中国語にすればいいのだが、これがなかなか、前半部分が終わったところでくうくうと寝てしまったりして、うまくいかない。え、先に勉強して後であそべって? おっしゃるとおりですが、それではまるで「ゲームは宿題してからにしなさいよっ!」と言われてる小学生みたいですわね。ああ。

二極化?

  • 2006/05/15 17:30
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今週から来週にかけては、お客様の来社ラッシュ。すでにわかっているだけで、7人のお客様が、ご当地においでになる。カバンに、スーツケースに、腹巻に資金を忍ばせ、わざわざ飛行機に乗って。
このやくざな業界に入って以来、「お金はあるところにはあるもんだな、はあ」と感心することしきりである。傍目には、ごく普通の、目立たないサラリーマンあるいは家庭の主婦としか見えない人が、懐から手品のようにするするとお金の束を出してきて、「これでね、〇〇と××を買おうと思うんだけど…。上がるかしらね?」とおっしゃる。金額が金額なので、それなりに真剣な表情ではいらっしゃるが、かといって清水の舞台から飛び降りるというほどの、乾坤一擲、いちかばちかの大勝負といった風情では、決してない。みなさん「虎の子なのよ」とおっしゃるが、それにしては表情が気楽である。

こうした人たちがいる一方で、昨年秋の新聞によれば、日本では「貯蓄なし」世帯が2割強いるそうである。まさに富者と貧者という経済の二極化を目の当たりに見ている感じ。これが社会の趨勢なのだろうか。
高度経済成長期と違い、定職についたとて給料の順調な上昇は見込めず、しかも銀行の預金金利はほぼゼロでは、苦しい中から貯蓄に励んだとて、資産は増えない。資産を増やすなら投資するしかないわけだが、投資するには元手が要る。子どもの教育、住宅ローン&生活費で、日々汲々としている一般世帯に、そんな余裕はあるはずもなく、したがって貧者は貧者のまま、現状維持を続けていく。
一方で、余裕のある世帯はいろいろと運用を考え、海外にまで投資先を広げ、たまには大損したりもするが、(または大損続きの人もいるが)、おおむね大失敗はせず、そこそこに資産を増やしていく。あるいは資金豊富で、肝が据わり、ついでに運もいい人は、大いに資産を増やしていく。某顧客などは、この1ヶ月で私の年収ほどの利益をあげているが、本人は「ああ、そう」と到って恬淡としたものである。

経済の観点から見た場合、こうした二極化は忌むべきことなのか否か、私にはよくわからないが、私でもわかる問題点として2つばかりのことが頭に浮かぶ。
まず1つ目として、二極化が進むならば、せめて貧者(弱者)を保護する最低限の社会的セーフティネットだけはしっかりして欲しいと思う。それさえしっかりしているのならば、社会がひとこぶラクダ型から、なだらかなふたこぶラクダ型になったとしても、別によいではないかという気がする。アパルトヘイト時代の南アのような極端なふたこぶラクダ型(貧者こぶに属する方は食べるのにも困る、住むところもない、病気になっても医者にもいけない、教育も受けられない。一方富者こぶに属する方は、物質的富を独占し、社会の支配者として享楽の限りを尽くす)では困るが、貧者にも衣食住医&教育さえ保障されるなら、後の物質的快楽は、必要不可欠というわけではないのだから、個々人の資質と努力と運の違いによって、差が出て来ても仕方あるまい。いやむしろ差が出て来ない方が問題だろう。二極化の問題にしても、問題なのは二極化ではなく、二極化によって生じた階層の固定化なのだろうから。
というわけで、2つ目として階層の固定化を防ぐ何らかの対策が必要だと思われるが、さて突破口は何だろうか。その昔、よりよい生活を手に入れるために有効だったのは、『教育を受ける』ということだったが、これは今でも有効なのだろうか。

ところでその前に、“よりよい生活”って何ですかね? 自分で書いておいて、いまさら聞くのもなんですが…

(注:上記文章中、例として南アが出てくるのは、先日そういった映画を見たばかりなためです。他意はありません)

「あまぐも」

  • 2006/05/13 21:25
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出張中の遅れを取り戻そうと、仕事と遊びで1日中PC画面を見続けていたせいか、出張最終日からの頭痛、眼痛がよけいひどくなってきたので、今日午前中はなるべく目を使わず過ごした。
そして目の上にイルカのアイピローを乗せてソファに寝転がり、夫に頼まれた「釣りバカ」のDVDといっしょに買ってきた、ちあきなおみさんのCDを聴いて過ごした。10年以上前、まだ日本にいた頃、好きで聴いていたテープ「あまぐも」のCDを買ってきたのである。「あまぐも」は河島英五さんと、友川かずきさんの曲をちあきさんが歌っているアルバムで、この手の暗く、重く、泥臭く情念を歌う歌が好きな人には堪えられない曲が、これでもか、というほど入っている。「視覚い古里」しかり、「夜へ急ぐ人」しかり。曲をつくった友川かずきさんもすごいが、これらの曲をここまで歌えるちあきなおみさんは、もっと凄い。

あまぐもの画像

‘60年代生まれの小生意気な中学生、高校生の常として、私も周りの友達も、日本の歌謡曲には見向きもせずに10代を過ごしたが、それでも日本にいれば、ラジオやテレビでその時代の流行り歌は自然と耳に入ってくる。そして、とてもじゃないけどかっこ悪くて、表向きには認められないが、その中にはこちらの琴線を揺さぶる歌があり、我ながら困ったもんだと思っていた。かの伊丹十三先生が“牛肉の大和煮などというものに弱みを持ち・・・”と書いておられたが、それと同じ心境である。前川清とクールファイブの「東京砂漠」や、山口百恵の「イミテイションゴールド」、沢田研二の「時の過ぎゆくままに」等々。とても普段エアロスミスやクイーン、EL&Pなどの話題で休み時間を埋めている女子高生が、「ねえ、ねえ」と口にできる曲名ではなかった。女子高生が仲間内での評判を気にかけるのは、今も昔も変わらない。

しかし、それから30年。立派なおばさんになり、しかも異邦人のなかで暮らす私には、恐るべき世間などもうない。“Libertango”に胸引き裂かれた後、「夜へ急ぐ人」に闇の中へと引きずり落とされ、井上陽水ではなく美川憲一の歌う「リバーサイドホテル」の倦怠に浸ってもいいのである。ああ、年を取るっていいものね。

サユリ

  • 2006/05/12 15:34
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行きの飛行機の中で、「サユリ」を途中まで見た。始まる前から、「これはハリウッド映画なんだから」「日本人が“ベルばら”作って夢を見るんなら、アメリカ人がアメリカ人のゲイシャ・ファンタジーとして“サユリ”を作って悪いことはあるまい」「これは“日本”ではなく、“Japan”の話なのだ」等々と自分に言い聞かせつつ見たのだが、それでも「おいおい…」やら「ひょー、これはなんだあ?」という場面の連続で、とても最後まで見る気はせず、途中で投げてしまった。

田舎育ちの、しかもお茶屋遊びはせぬ女の身であってみれば、舞妓や芸妓を見るのはテレビの中だけ、話を聞くのは本の中だけだが、それでも姿かたちや身のこなし、立ち居振舞いには、ある程度“こうだろう”とか“こうでなくちゃ”という期待がある。なのでつい「あっ、あっ、そんなに衣紋抜いて、しかも襟合わせ広げて。それじゃあ芸者じゃなくて、着飾った夜鷹か、らしゃめんだ」とか「へーんな、日本舞踊」とか「あの肩の所のタックは、肩上げのつもりですかね」とか、いちいちひっかかってしまうのだ。そして一番引っかかったのが、女たちの意地の張り合いの、あまりの開けっぴろげさと、色気の見せ方の露骨さ。
郭でも、後宮でも、大奥でもいいが、常に満たされないものを抱えた女たちのみで構成された、閉ざされた世界で、その女たちが自分の利のために、あるいは相手の不利のために、互いに足を引っ張り合うのは当たり前。力(権力、財力、魅力)のない者をいじめるのも、当たり前。しかしそのいじめかたは、真綿に針を包むように、棘や刃はすべて裏に隠し、表面はあくまでもやさしく、やわらかく、敵意などちらとも見せずに、陰惨になぶるのでなければ本物ではない。初桃(コン・リー)さんのように、あんなにわかりやすく対抗心を燃やしたり、相手を張り倒したりしちゃあ、だめですよ。長屋のお内儀さんたちのけんかじゃないんだから。コン・リーは『大紅灯篭高高掛』で第4お妾さんを演じて、その辺わかっているはずなのに、と思う。もっとも彼女がわかっていても、監督がわかっていなければ、意味はないか。この監督、アメリカ人だからなあ。こういう陰湿さ、理解できないのかしら。それにしても、コン・リー、チャン・ツーイー、ミシェール・ヨーでやりあうと、ほんと中国人のけんかという感じで面白い。ちょっとした表情や、動きが、その辺の通りで怒っているオバサンたちによく似ているのだ。思わずにやにやしてしまう。澄ましている時は3人とも立派な“美人女優”なのだが。

もうひとつ、色気の見せ方も露骨過ぎ。ミシェール・ヨーがチャン・ツーイーに流し目を仕込む場面。開拓時代のアメリカ西部の売春宿ならあれでもいいだろうが、仮にもニホンのミヤコ(京都のつもりか)が舞台なら、もう少しはんなりやって欲しい。私はチャン・ツーイーの流し目を喰らった自転車男が、すっ転ぶ場面まで見て「これ以上は耐えられん」と、チャンネルを変えた。大人になる前の女、少女のもつ色気を追求するのなら、山口椿さんの「雪香ものがたり」路線でやってもらいたいものである。大人の女の手練手管を、見様見真似で使う少女くらい気持ちの悪いものはないのだから。第一、わかりやす過ぎる。そしてわかりやす過ぎるものは、つまらない。だからIMDbのユーザー・レビューに「インスタント・ラーメンみたい…」と書かれるのである。

忍び寄る若年性×××

  • 2006/05/12 15:32
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気も使わず、身体も使わず、脳も使わない出張だったわりには、なんだか疲れている。今朝、地下鉄の中でふと手元を見たら、腕時計も結婚指輪も何もしていなかった。別に神業のようなスリに遭ったわけではなく、どうやら朝ぼんやりしていて、つけるのを忘れたらしい。昨晩はフラットに入ろうとしてビル入口のパスワードを忘れ、私の後ろで待っていた小学生ぐらいの男の子に「ごめん、パスワード忘れちゃった」と言って開けてもらった。男の子は「ばかか、このおばさん…」という顔などちらとも見せず、黙って開けてくれたが、なんだか若年性認知症がすぐ間近に迫っているような気がしてきて、少し寒くなった。

そういえばこの前は家賃を払うのを忘れたんだっけ。ああ、こんなことなら日本で大人用ドリルでも買ってくればよかった。最近は「脳を鍛える大人の計算ドリル」とか「 大人の音読ドリル」とか、いろいろあるのよね。確か“ぬり絵”もあるはず。ネットで注文しようかしら。

ギャラリー・クイズ

  • 2006/05/08 04:25
  • Category:
 ご当地の英字紙の日曜版には、定番クロスワードや星占い、風水(!)のほか、クイズも載っている。ウチではこれを二人で解くのが日曜の恒例となっており、テーブルに向かい合って座り、夫がまじめな顔で読み上げた問いに対し、口々に「××!」と答えるのだが、実のところ二人ともかなりのもの知らずなので、一番多い答えは “I don’t know.” 「知らな〜い」  “No idea”  “Who cares?”(← サッカー関係の出題に対し)である。 たまに知っている問題が出ると、鬼の首でも取ったように「はいっ、はいっ!!」と勇んで答えるのだが、そんなことは数えるほどしかなく、10問中の正解は、今までの最高でも5−6問。ひどい時は二人ともゼロというていたらくである。
 このクイズ、以前はさまざまな分野からアトランダムに出題されていたが、最近はひとつのテーマに基づいた出題になっており、今週のテーマは“Gallery”。英語を読むのがいやじゃない方、暇つぶしにどうぞ。ちなみに私が正解したのは、4番だけ。夫は7番、9番。二人とも美術通とは、とても言えない成績でした。おそまつ。

さて問題です:

1. Which art gallery opened six years ago this week in the building formerly known as Bankside Power Station?

2. In an iconic scene from 1976 film Rocky, Sylvester Stallone runs up an enormous flight of steps outside which lauded art museum?

3. Ther art gallery in the town of Albi, in France, is dedicated to the work of which artist?

4. In which gallery would you find Sandro Botticelli masterpiece The Birth of Venus?

5. Who designed the outlandish Guggenheim Museum Bilbao?

6. In which gallery is Diego Velazquez’s masterwork Las Meninas displayed?

7. The British Museum, in London, controversially holds the Elgin Marbles. Which ancient building were the pieces originally part of?

8. In which city would you find the Alte Pinakothek?

9. Which Asian architect designed the Louvre Pyramid at the famous Parisian gallery?

10. Salvador Dali is buried under a museum devoted to his art in Figueres, Spain, that used to be the town’s:
a) theatre b) hospital c) abattoir?



因みにお答えは:






1. The Tate Modern, London 2. The Philadelphia Museum of Art 3. Henri de Toulouse-Lautrec 4. The Uffizi Gallery, Florence 5. Frank Gehry 6. The Museo del Prado, Madrid 7. The Parthenon, Athens 8. Munich 9. I. M. Pei 10. a) theatre    です。

いくつできましたか?

黄門様 不在

  • 2006/05/07 15:13
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 昨日もちらと書いたが、明日から東京出張である。今回はお客さんはいない。上司殿とふたりだけ。もともとはウチのCOOが新たにお取引を開始してくれた大口顧客様に、お礼のご挨拶に行く旅だったのだが、先週になって突然、COOが行けなくなったため、とってしまったアポやらホテルやら、飛行機やらをキャンセルするのも何だと、私と上司殿だけが行くことになったのである。なんだか黄門様不在で、助さんと八だけで道中をするようなもので、「意味ないだろ、上司・・・」と思うのだが、“日本大好き”の上司は嬉々としている。
 私としても、上司殿と二人だけなら通訳をする必要もないし、3日間だけだし、最終日の午前中は自由にしていい、というので、文句をいう筋合いもない。今回は滞在日数が短すぎるので、通販で本を買ったり、お茶を注文しておいたりすることはできないが(5日間あれば、出発前に頼んでおくと、滞在中に届く)、本屋に行くくらいの暇はあるだろう。夫は夫で、わたしが「釣りバカ」のDVDを買ってくることを期待しているし、こうなるとやはり銀座かな。ホテルから近いし、教文館と山野があるから、ささっと回ってリムジンの時間までに戻れるし。何のかんのいっても、銀座はよいところである。年寄りが行っても、いやな顔をされないところがよい。

新しいジム、オープン

  • 2006/05/06 22:31
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 昨日、うちの近所に、新しいジムがオープンした。同じ系列のジムなのだが、いつも行っているジムより1ブロック近い。こんなにくっつけて2つのジムを作って、営業的に成り立つのかは大いに疑問だが、できたからには見に行こうと、新しい方のジムに行ってみた。
もともと小さいファッションビルだったところを改装してジムにしたらしく、受付は1階だが、タオルカウンターは4階、女性用ロッカールームは5階、男性用は6階と縦に長い。しかも初めてでタオルカウンターが4階にあることを知らず、階段をえっちらおっちら上って5階まで行ってしまってから、タオルは4階と知り、また降りた。もうそれだけで十分ウォームアップした気分になった。
しかもこの階段、最初はビルの右側にあるくせに、途中でビルの左側に移るのである。つまり上がっていく途中で、フロアを端から端へ横切らなくてはならないのだ。なんと親切! 本格的にマシンを使って運動する前に、これだけウォームアップしていれば、事故ることもあるまい。
ただ設備は新しいだけあって、みんなぴかぴか。おまけに色が黒とクロームで統一されていて、古い方のジムの基調色、赤と黒に比べ断然クール。オープン2日目で人も少なく、マシンの順番待ちもなくて、快適に遊べた。窓も大きく採光も十分。私はジムは明るい方が好きだ。薄暗いジムの蛍光灯の下で重いものを持ち上げても、全然楽しい気分になれない。どうせなら陽がさんさんと差し込む明るいフロアで、外を見ながらやる方がいい。たとえその大きな窓から見えるものは、極彩色の漢字の看板だけであるにしても。

***********

 たった今、上司殿から電話があった。月曜からの東京出張、彼は1日早く明日出発することになった、と。 !! おお、ってことは私は月曜、ひとりで飛行機に乗ればいいの? 飛行機に乗っている間中、ひとりで、自由なの? きゃあ、極楽!!

歴史教科書共同執筆

  • 2006/05/05 21:52
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 本日はお釈迦様のお誕生日で、今日からご当地も三連休。今週は月曜も「労働節」で休みだったので、働いたのは火、水、木の3日間だけ。ちょっとゴールデンウィーク気分。

 朝のニュースで、「フランスとドイツ共通の歴史教科書作成」という報道を聞いた。今朝の、いやここ最近のニュースの中で、一番嬉しいと思えるニュースだった。教科書は高校生用で、フランスとドイツの歴史学者4人(5人という報道もあり)ずつが共同で執筆したのだという。最初これを聞いたとき思ったのは「はあ、どうせフランスとドイツの歴史は、シャルルマーニュくらいまでは共通だもんね」で、てっきり古代から中世にかけての歴史について共同執筆するのかと早合点したが、豈に図らんや、なんと1945年以降の現代史だった。つまり敵味方に分かれて戦った同士が、その歴史について共同執筆するのである。そして見解が異なる部分については、双方の見方を併記し、生徒の議論を誘うのだという。
なんと羨ましい! こういう態度、方法こそ、教育ではないのか。某国の歴史教科書もこういった方向に進めないのだろうか? 世界にはただひとつの「正しい歴史」しかないような態度は、いい加減にやめたらどうか。

 富柏村氏は、「常識と知性と教養、それに少しのウイットがあればリベラルになれるはずなのに・・・」と書いておられるが、これがなかなか・・・。

もうひとつ、ご参考サイト
「ね式(世界の読み方)ブログ」   http://neshiki.typepad.jp/nekoyanagi/2005/05/post_d648.html

非合法商い

  • 2006/05/04 17:17
  • Category:
知らずにとは言え、また上司殿の非合法商いの片棒を担いでしまった。
ああ、なんてことだ!
しかし上司殿はしらっとして、××だから、だいじょうぶよん♪ てなことを
言っている。
まったくもう、上司殿ときたら関連法規を無視することを、なんとも思ってないんだから!
これだから粉飾決算とか、証券取引法違反とか、そこら中にごろごろしてるのよね。
みんなスピード違反くらいにしか思ってないんだから。
事故らない限り、誰も傷つかないんだからいいでしょ、というわけ。

**** すみません、今コーフンしてますので、夜になって落ち着きましたら、また追記します ****


夜になりました


知らないと言うことは、言い訳になるのだろうか?
知らされない限り、知り得ないことであれば、言い訳になりそうな気がする。
たとえば、ある製品の加工過程において、使用が禁じられた薬品が内密に使用されていた。しかし外見は通常の製品とまったく同じであったため、A社は知らずに売ってしまった、というようなケース。

だが、
某地域、国では法律上、製品Bは販売してはいけないことになっていた。それはその分野の専門家に聞いたり、丹念に法規を調べていればわかることだった。しかしC社はそれを怠り、販売してしまった。当局に罪を問われたC社は「だって知らなかったんだもん」と言った。

これは通りませんよね、やはり。いくら製品Bは他地域、国では普通に販売されており、品質に問題はないと言ったって、法律違反は、法律違反だ。悪法であっても、法は法だろう、一応。悪法なら破ってもいいということにはなるまい。自身が法律による保護を求めるなら、自身も法律を守るべきである。恣意的な適用を認める余地はない。

このやくざな世界で口を糊するにあたり、私は心密かに

名誉を重んじて取引させたまえ。
勇気を持って行動させたまえ。
謙虚さを達成させたまえ。


というグレヴィル・フランクリンの言葉を唱えているのだけれど
全然守れてないよ、まったく。ため息だよ。

メディアプレイヤー不調

  • 2006/05/03 14:00
  • Category:
昨日は自宅PCのメディアプレイヤーに不具合が発生し、それを修復しようとかかりきりになっていたため、ブログを更新する余裕がなかった。
修復すると言ったって、私のPCに関する知識はないに等しい。せいぜいできるのは、いったんメディアプレイヤーを削除して、再インストールしてみたり、新しいバージョンをダウンロードして「お願いだから動いてちょうだい」とお祈りしたりするくらいである。0時過ぎまで、こうした埒もないことをあれこれやってみたが、不具合は不具合のまま、全然直らなかった。「うえ〜ん、悲しい」と思いながら寝たので、寝ている間も新しいバージョンをダウンロードしようとしてフリーズし、四苦八苦している夢を見てしまった。苦しい。

不具合は、実に中途半端なもので、音は聞こえるのである。しかし画面にメニューが現れない。上手く説明できないのだが、メディアプレイヤーのアイコンをダブルクリックした時、画面に現れる、あの四角いもの、今まで取り込んだ曲目のリストとか、今演奏しているCDの情報とかが表示される、あの画面が出てこないのである。これが出て来ないので、聴きたい曲を選択したり、CDから音楽を取り込んだりすることができない。当然、DVDも見られない。
下のツールバーのところに、メディアプレイヤーのアイコンは、ちょこんとあるが、そのアイコンを右クリックして、「最大」にしても何も変わらない。「最小」にすると、出て来ない四角い画面を最小化した時と同じ、停止とか一時停止とか次へとかのボタンが並んだ、小さいスイッチボードのようなものが現れる。だから音楽を止めたり、進めたりはできるが、しかしこれでは機能の半分以下である。
あさってからの休みに、もう一度落ち着いて修理に努め、それでも直らなければ、修理の達人V君を呼ぶしかないのかなあ。

ホアン・カルロス・コープス

  • 2006/05/01 22:23
  • Category:
 最近タンゴづいているので、うちのストックの中から映画「タンゴ」を探し出して、改めて見た。この映画は公開されたときに一度見ているのだが、その時には気づかなかった一人の踊り手が私の目を引いた。50代後半か60代くらいの男の踊り手なのだが、タンゴに関しては全くの素人である私から見ても、ほうとため息が出るような圧倒的な技量。しかも若い盛りの踊り手が踊るような、全身張り詰めた力一杯の踊りではなく、並々ならぬ力を秘めた名人が、力を抜いてさらりと楽しみながら踊っているような、そんな踊り。そのくせステップのひとつひとつ、動きのひとつひとつが、実に決まっていてほれぼれするほど格好いい。若い踊り手の力量を試すように「ちょっと踊ってみる?」といった感じで、ひょいと帽子をかぶって踊るときの洒脱さ。もう若い男のように引き締まった腹をしているわけではないし、腰に肉もついているし、全体にずんぐりした体型なのに、踊り始めるとそういった一切を超越して、タンゴそのものといった踊りを見せる。いったいこのじいさんは誰だ?とIMDbとグーグルで調べた。名前は Juan Carlos Copes。’31年生まれのアルゼンチン・タンゴの第一人者。若い頃からタンゴにのめり込み、自身ダンサーであり、最初のプロのためのタンゴ振付師であり、’50年代からずっと、アルゼンチンで、北米で、南米で、欧州でタンゴを踊り続け、夜間外出禁止令が出ている軍事政権下のアルゼンチンというタンゴ冷遇の時代にも、タンゴを踊り続けたタンゴダンサー。’31年生まれなのだから、この映画が撮られた時には60代後半だったはずなのだが、そんな風には全然見えない。すっと伸びた背筋とまなざしに、風格すら漂う踊り手である。
映画の中で彼は「そのエネルギーはどこから出てくるんだ」と監督に聞かれて、「これ(タンゴを踊ること)が人生のすべてなんだ」と笑っているが、実際彼はすでに半世紀以上、タンゴを踊り続けているわけで、まこと“継続は力”かもしれない。少し羨ましかった。なぜなら私はすでに“継続”が力となりうる時を過ぎてしまったと思ったから。


70歳のホアン・カルロス

それにしても、タンゴを踊る女性ダンサーを見ていると、女はやはり色っぽくてなんぼかなあ、と考えてしまう。挑戦的に胸を反らし、ハイヒールで挑発する女。女であることを目一杯正面から見せつける女。こういう女は嫌い、な人も多いだろうが、踊っているダンサーたちはかっこいい。Tシャツにパンツにワークブーツばっかり履いてちゃだめかなあ。夏に向かって揺れるフレアスカートとか着たい気もするけど、それにはまずスカートが入る程度に痩せなければ・・・。何をするにも道の遠い今日この頃。ため息。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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