日本料理

  • 2006/06/30 17:26
  • Category:
■ 昨日のお昼から帰ってきてから、なぜあの割烹料理屋さんの料理に何の感興も覚えなかったのか、つらつらと考えている。板前さんのブログを拝読するにつけ、「日本料理」という名で括られる分野の料理が、感興に乏しい料理であるとはとても思えず、しかしその割には日本でもご当地でも、日本料理を食して「しあわせ〜☆」な思いをすることは余りない。まずいというのではない。そうではなくて、ただひたすら印象が薄いのである。なぜなのだろう? 条件が悪いことは重々わかっている。何しろ私と“日本料理”との遭遇は、仕事か接待の場に限られている。仕事で通訳役の時は、料理などただ呑み込んでいるだけだし、接待の時も、注文を通したり、必要なものを頼んだりと目配りに忙しく、実のところ料理など二の次なのである。比較的名のある店に行くことが多いだけに残念でならないが、下っ端にとって接待とはそういうもので、接待の食事とは味わうものではないのである。

■ それでもこれが、インド料理やタイ料理のように、非常にインパクトの強い、というか要するにそのスパイシーさに眠気も吹っ飛ぶような料理であれば、お客様のことで頭もいっぱい、胃もいっぱいな状態の間隙を突いて、こちらの味蕾と脳に「おいしい!」とか「なんだこれ?」とかの情報が稲妻のように走るのではないか? 走って、何がしかの印象を残すのではないか、と思えてならない。日本料理でそれがないのは、日本料理の味わいが繊細さにあり、あくまでも料理と正面から向き合って、ひとつひとつをこちらから味わいにいかないと、料理に届かないからではないか。だから通訳やら、接待やらで気もそぞろな状態では、料理の味は舌にも脳にも届かず、全体としてぼんやりとした印象になってしまうのではないか。どうもそう思えてならない。

■ いうなれば、料理の攻撃力、自己主張力に差があるのである。だから味わう側の状態がよくないと、美味が美味として入ってこない。こちらが“味わう”以外のことに気を奪われていると、美味は知らん顔してするすると舌の上を通り過ぎて行ってしまう。そんな気がする。

■ だから、日本料理を味わうためには、仕事や接待でなんか行ってはだめなのである。あくまでも気の置けない親しい人と、楽しい雰囲気で膳を囲まなくてはいけない。そうでなければ、美味はストレートに味蕾に伝わってこない。

■ なんだかえらそーに書いてしまったが、要するに、だからYUKIMIさん、いっしょに板前さんとこ、行きましょう?
スポンサーサイト

今日のお昼

  • 2006/06/29 16:40
  • Category:
■ まだ昼前なのに、今日のノルマが終わってしまった。上司、もちっと仕事をくれ。あんまり暇なのも小人にはよくないのであるよ。昔々、おたくの国の偉い人が「小人閑居してナンタラカンタラ」と言っていたでしょうが?

■ ところでどういう風の吹き回しか知らないが、お昼はウチの課全員で日本食を食べに行くのだそうである。何を食べたい?と聞かれたとき、わたしは「タイ料理!」と元気よく答えたのだが、却下されて日本食になってしまった。私とNちゃん以外の3人は、はなから日本食と決めていたのである。ちっ、そんなら聞くなよ。

■ すでにメニュをレストランからファックスさせ、みんなで「わたしはこれ!」と料理に丸付け済み。ごはんと味噌汁に、ひとり2種のおかずを選べるのだそうである。で、それをみんなでシェアする。…… うーん、料理は日本食かもしれないが、食べ方はまるっきり中華である。三つ子の魂、40×歳まで。

*************************

■ 日本食屋さんから帰ってまいりました。え〜、ご馳走してもらってこんなこと言うのはなんですが、自分では絶対行かないだろうなあ、と思いました。料理はまがいでない、正統日本料理ですが、普段の私の昼食代の4倍払って食べたい味か?と聞かれたら、答えは「否」。わたしはそこまで日本の味に飢えてはおりません。この金額だすのなら、わたしは近所のネパールレストランか、タイレストランに行った方がいいです。自分では作れない味を楽しめますから。または「優の良品」に行って、鴨頚と鴨腎と鴨舌と鳳爪と鶏翼を各1袋ずつ買うとか。これだったら毎晩1〜2こずつ、2週間くらいは至福の時を過ごせるでありましょう。ははは。

磯焼鴨頚

  • 2006/06/28 15:19
  • Category:
■ きのうジムの帰り、惨めなほどお腹がすいて、つい「優の良品」に寄り込み、前から気になっていた「磯焼鴨頚」と「磯焼鶏翼」を買い込んでしまった。「磯焼」という日本語風命名が何を意味するのかは定かではないが、これがなんと、実にうまかった。空腹で、運動した後で、しかも歩きながらという好条件が重なったせいかもしれないが、たかだか3.5cmほどの鴨の頚を、口の中でころがし、ころがし、その美味を噛みしめ、骨についた肉を舌で丁寧にこそげ取り、骨の中の骨髄をすすり、こころゆくまで堪能した。最後、家の前の交差点で立ち止まった時に、「もう少し食べられるところがあるのでは?」とためつ眇めつしたのが禍して、手に持った鴨頚を足元のどぶ(うちの近所は庶民的な地区なので、まだどぶがあるのである)に落としてしまったのは無念至極であったが、それにしても1こ2元(30円弱)の安おやつにしては、上出来のうまさだった。味付けは醤油、砂糖、酒に生姜、葱、八角、にんにく、鷹の爪他のスパイスといった典型的広東系。袋には麗々しく「古法秘製」と書いてあるが、まさかそこまでのことはあるまい。

■ 「優の良品」のHPを見ればわかるとおり、この「磯焼」シリーズには他に「鴨腎」と「鳳爪」がある。鴨腎は文字通り鴨さんの腎臓、鳳爪は鶏さんの足である。(注:足は脚にあらず。つまり腿ではなく、足先の部分) 内臓系や、ふだん食べ慣れない食材は苦手という人には向かないが、好奇心旺盛で食い意地が張った人は、ご来港の折、お試しになってみるのもよいだろう。その際は、欲張って一時に3こも4こも食べたりせず、ビールでも飲みながら、ひとつを長々楽しむこと。比較的味が濃いので、いっぺんに3つも4つも食べると、くどく感じ、美味を楽しめない。その点でもやはりお薦めは鴨頚か。骨が細かく入り組んでいるので、骨から肉をこそげとる楽しみが格別で、いつまでもいつまでも楽しめる。逆に鶏翼(鶏手羽)では骨は3本だけだし、鴨腎では骨がなく、ぱくんと一口でおしまいである。鳳爪は試してないが、飲茶の鳳爪と同じなら、楽しみは鴨頚の次あたりか。

■ ちなみに「優の良品」というのは菓子、おつまみ等の袋入り&量り売りスナックを売っている店で、店名は日本語の「Aji Ichiban」を翻訳したもの(どこが?)だそうである。チェーン店なので、香港中に100軒近い店舗がある。繁華街では、「あれ、ここにも」「えっ、ここにも」という感じで、犬も歩けば棒にあたる以上の確率で、「優の良品」にあたる。普段はあたっても無視して歩けるのだが、昨日はそれができず、ついふらふらと寄り込んでしまい、その結果がこの駄文である。

寝酒代わりに散歩にでかける

  • 2006/06/27 14:03
  • Category:
■ 最近、横になってもなかなか眠くならず、しかし翌日の仕事を考えれば10分でも早く寝た方がよいと思うので、ついついナイトキャップの量が増え、ほろ酔いどころか、もろ酔いで寝入ることが多くなった。おかげで従来の数倍の速度で寝酒が減った。その昔はスコッチかブランデーが1瓶あれば半年はもったのに、なんたることか…

■ で、階下のスーパーに寝酒を買いに行ったら、ご愛用の某ブランドのジンが「買2送1」(2本買ったら、1本くれる)になっており、ついついガランゴロンと3本もカゴに入れ、なんだかすごい酒飲みになった気分。レジでも顔なじみのお姉さんに「ああ買2送1ね〜」とにっこりされ、恥ずかしいような、情けないような。

■ これではいかん、酒にばかり頼ってはいかん、と先週土曜の夜は近くの女人街まで散歩に出た。散歩して疲れれば、よく眠れるのでは、と考えたのである。昼間、陽のあるうちは、暑くてとても散歩になど出る気にはなれないが、夜になれば少しはまし。蒸し暑いのは同じでも、少なくともかんかん照りつける太陽はない。

■ 女人街は相変わらずの賑わい。一時期より観光客も増えたようで、めでたいことである。なんたって間接を含めると、ご当地の観光収入はGDPの12.5%だそうである。あだやおろそかにはできない。日本語の呼び込みも聞こえる。「ヤスイヨ」「カワイイネー」等々。けっして流暢ではないのだが、それでも商売にはなっているようす。日本人観光客も、ああだこうだ、楽しそうに買物している。私もそばで知らん顔しつつ聞き耳たてて見物。(日本人の識別に慣れた尖沙咀の免税店ではすぐに日本人と見破られる私も、ご近所の女人街ではまあだいじょうぶ。つまり気をいれて身づくろいすればするほど日本人らしくなり、手を抜けば抜くほど地元民らしくなるということである。なぜ?) 「まったくなあ、値切ると半値以下になっちゃうんだからなあ。よくわかんないよ」と同行者にぼやいているおじさん。でも値切れて嬉しそうである。夜店街の楽しみは値切りにある。それを見越して、売る側も最初は「うそだろ?」という値段を提示してくる。観光客とみればなおさらである。“ぼってる!!”などと怒ってはいけない。これは遠路はるばる来てくれた観光客に、値切りの楽しさを提供しているのである。値切りや店主とのやり取りが面倒くさいなら、売ってる物は同じなのだから、最初から妥当な価格を提示しているスーパーや10ドルショップに行けばいいのである。

■ というわけで、自分では何も買わず、他人様のお買物を見物。うろうろ歩いているうちに、去年、わたしが貝のペンダントを買ったお店に遭遇。「相変わらず同じもの売ってるねー」と思って覗き込むと、ちょうど日本人の母娘が買物していた。すでに値切り交渉が成立し、ペンダントひとつ80元で買うことにしたもよう。お店の人はもうひとつ買わせようと「これもカワイイ」みたいなことを言って、盛んに勧めている。「はて、あのペンダント、去年私は50元で買ったような…。第一最初の言い値からして70元だった気がするが…」と思ったが、日本語による母娘の会話を聞いていると、最初120元と言われたのを80元まで値切ったらしい。いやはや、ずいぶん広いレンジのお楽しみを提供してくれる店である。でもまあ、たとえ80元(約1200円)でも日本で買うより安いのだろうし、2/3まで値切りに成功して「得した☆」と楽しい思いをしただろうし、ま、いいのではないか。ここでおせっかいに口を出して「えっ、だまされた!」なんて思うようでは気の毒である。私が買った50元だって儲けは出ている値段なのだろうから、仕入れ値はきっと30元以下だろう。生活必需品の買物ではないし、土産物なんてもともと定価などあってなきが如しなのだから、客も満足、売り手も満足なら、それでいいではないかと思う。

じりじり

  • 2006/06/26 12:56
  • Category:

■ 6月も終りに近づき、陽射しが“灼熱”という形容詞そのままになってきた。一歩外に出ただけで、肌がジリっと焼ける音がする。ビルの陰から出たとたん、白を通り越し、白銀色にスパークしている太陽がカッと照りつけ、目を開いていられない。「今日こそサングラスを買うぞ!」と思う瞬間である。(しかしその後会社に着くと忘れる。帰る頃にはもう太陽は弱っているので、また翌朝まで思い出さない)

■ 夏には「炎暑」という季語もあるが、季語になどなっているせいか、この言葉を見ても、私は暑さを思い浮かべない。思い浮かべるのは、絽かなんかを着て日傘を差し、涼やかな表情で昼下がりの石畳の道を行く婦人である。手には薄色か青磁色の風呂敷包み。中身は竹に入った水羊羹、とまで憶測するのは、偏に食い意地のなせる技。

本日休業

  • 2006/06/23 22:27
  • Category:
先週の土日、仕事をしたので、今日は代休。
朝から領事館にでかけ、パスポートの申請と、在外選挙人名簿への登録。
領事館がある階の狭いエレベータホールには、警備員さんが3人もいて、
来館者のIDをチェックしていた。
しばらく来なかったので知らなかったが
昨年の反日デモ以来、警備が厳しくなったのだろうか。

しかし手続きそのものは順調に済み、
在外選挙人登録では窓口の女の子(地元職員)に満面の笑みで
「ゴトウロク アリガトウゴザイマシタ」と言われ、
つい「いえ、こちらこそ。そちら様の仕事を増やしまして」と返しそうになった。
領事館は職員に対し「登録者には礼を言うように」と指導しているのだろうか。
日本国民としては、改めて礼を言われるようなことでもないような気がするが。

その後は3ヶ月ぶりに髪を切り、そばのスタバでチャイを飲みながら
持参のサンドイッチを食べ、古本屋で金融小説を1冊買い、
日系デパートで納豆(数ヶ月ぶり!)を買って帰ってきた。
明日は久しぶりにご飯でも炊こうか。

ピンきり

  • 2006/06/22 21:26
  • Category:
調べ物をしていて、この方のブログに遭遇。いやー、一口に“金融”と言っても、ほんとピンきりですね。他に適当な例が思い浮かばないので、レストランにたとえさせていただくとすると、さしずめこの方の会社が提供する金融サービスはミシュラン3つ星、吟味された材料と技術で供される高級一品料理。それに対してウチの部が提供しているサービスは、冷凍物をチン!と暖めて供しているファミレスの料理並みか。ま、ミシュラン3つ星にはミシュラン3つ星の客がおり、ファミレスにはファミレスの客がいるのだからいいのだが、あまりに違うのでふえーと感心した次第。

ついでにバンカー適性検査もやってみたが、わたしはたったの10点だった。もともとバンカーに限らず金融という業界が、“いかに自分に向いていないか”を確認するためにやったのだから、適性◎と出るはずもないのはわかっていたが、それにしてもこのテストで35点以上取る人っていったい・・・。 わたしには理解不能である。ただこの方のブログ自体は大変興味深いので、これからもお勉強を兼ねて覗かせていただこうと思っている。ちょうど今PEファンドの資料、訳しているところだし。

パスポート

  • 2006/06/21 16:33
  • Category:
■ 本日は帰りにパスポート用の写真を撮りに行く。ご当地でも3月末からIC旅券が導入されており、ために顔写真の規格が厳しくなった。写真の大きさは縦45ミリ、横35ミリで、その中心に34±2ミリの大きさで顔が入り、かつ上の端から頭の先までの空間は4±2ミリ、左右の端から顔中心までの距離は17±2ミリ等、「うーん、さすが日本のお役所!」と感心するほど指定が細かく、とてもではないが駅にあるコインを入れてパチッ!の証明写真機で撮れるとは思えないので、領事館ご推薦の写真屋さんに行くことにした。物入りだが仕方あるまい。何しろ10年使うのである。できるなら美人に撮れた方がよいし。

■ 物入りといえば、この10年物のIC旅券の発給手数料は1,140香港ドル。(邦貨約16,000円。国内での発給手数料と同じ) 思わずぐっ!と胸に来る金額であるが、何しろ生活必需品だし、お仕事必需品でもあるので、ケチるわけにはいかない。年114香港ドルと思えば安いものである。

■ 同じ生活必需品でも、ご当地のIDカード(身分証)発給手数料は安い。私は3年ほど前、「永久性居民」の身分証を頂戴したが、このときの手数料は無料だった。10×年前、初めてご当地に来て労働査証を獲得し、(永久性ではない)身分証を頂戴した時も無料だった。ご当地の政府、なかなか太っ腹である。ことに3年前の時は、ICチップ入りの身分証が導入されたばかりで、写真撮影もそれまでのフィルム写真からデジタルとなり、必要とあれば何度でも撮り直せるようになったせいか、担当職員氏は私の写真を5度も撮り直してくれた。ま、要するにそれほどまでに写りが悪かったと言うことなのだが、この身分証を“永久”に使い続ける身の私としては、職員氏の少しでもましな写真を載せてやろうという暖かい心遣いが大変ありがたく、しんしんと胸に沁みた。

■ところで、ご当地への出入国に際し、今まではすべて審査官が身分証と当人とを見比べていたが、先日の出張からここに機械が登場していた。今のところICチップ入り身分証を持っている人だけしか使えないが、仕組みはほぼ駅の改札と同じである。改札機みたいな機械の前に立ち、まず身分証を機械に入れる。認証されると第1ゲートが開く。次に親指指紋を機械に読み取らせる。(親指指紋は身分証申請時に登録済みである) 認証されると第2ゲートが開く → 外に出られる。という具合である。最初は親指を置く場所を間違え、そばにいた係官に「そこじゃない。下よ、下」と注意されたが、2回目からはすーい、すいである。面白いので、北京出張は行き帰りともこれを使ってみた。列に並ぶより、速くてよろしい。

李下に冠、瓜田に履…

  • 2006/06/20 16:39
  • Category:
■ このところニュースのたびに出て来る、福井日銀総裁の村上ファンドへの投資問題。「問題」といいつつ何が問題なのか今ひとつよくわからなかったのだが、これを読んで疑問が氷解。なるほど。つまり株やファンドに投資していると、日本の中央銀行総裁としての判断に、個人の利害が絡んでいるのではないかとの疑問を持たれかねないから、だめなのね。いやはや日本の金融政策全般に影響を与え得る人ともなると、李下に冠を正さずというのも大変なことですな。

■ 李下に冠で思い出したが、その昔近所の古本屋で偶然友達に遭い、ちょうどいいやとばかりに借りていた本を返そうとしたら「いや、ここではまずいでしょう」とやんわり断られたことがある。確かに新刊ではない本が山と積まれた古本屋の隅で、中古の本を手渡しするというのは、いささか怪しく、紛らわしい。李下に冠、瓜田に履、旧書舗に古籍? 最後は少々語呂が悪いが…

いろいろ

  • 2006/06/19 15:45
  • Category:
■ 10日間練習をさぼった後で、木曜、土曜とジムに行き、筋力運動とストレッチを行ったため、本日は筋肉痛。内腿のストレッチを念入りにやりすぎ、まるで高見盛のようにぎこちなく歩いている。ぎこぎこ。

■ 東京出張中、右手中指の爪が折れたため、他の爪とのバランスを取ろうと思って、レブロンのネイルチップを買ってみたのだが、これがなんと自爪より短い。いや、もちろん折れた爪よりは長いのだが、他の折れていない爪よりは2ミリほど短い。どうしたらいいのだ? ネイルチップに合わせ、他の爪を短くするのか? それもなんだかなー。というわけで、買ったけど使わないでいる。おまけにパッケージに入っているときには気づかなかったが、フレンチネイルの白部分が広く、ピンク部分が狭いので、爪がよりいっそう短く見える。アメリカ人はこーゆーのが好きなのか? それともアジア仕様か? よくわからん。といって長さは充分とはいえ、派手にアートされたネイルチップをつけるのもなんだし、結局折れた爪が伸びるのを待つしかないのか。

■ ABCのテレビドラマ“Commander in Chief”を見ている。大統領が急逝したため、副大統領から米国初の女性大統領となったマッケンジー・アレン(ジーナ・デイビス)を主人公に、「ほんとなら俺が大統領のはずだったのにい!」と、あの手この手でマックを引っ張り降ろそうとする下院議長のネイザン・テンプルトン(ドナルド・サザーランド)をサブに、米政界のあれこれをドラマにしたものなのだが、見ていると本当に「politicsって、くだらない」と思える。いや「政治」がくだらないという意味ではなく、その政治を執る人たちの権力闘争、駆け引き、つぶしあいのありさまが、あまりに「政治」が本来目指すところと違いすぎるので、しらじらと、うんざりした気分になるのである。もっともこのような感想を持つこと自体、高校生的でナイーブに過ぎるのかもしれないが。そういえば、日本もポスト小泉が騒がしいが、総裁候補とされる方々の中に、ひとりとして「この人なら」と思える人がいないのは、大変悲しい。逆にお願いだから、この人だけはやめて、と言いたい人は、たとえばA氏とかA氏とか、でもA氏もA氏もけっこう人気が高くて、世の中の嗜好は(あるいは思考は)私にはわからない。

コンラッド東京−2

  • 2006/06/17 15:38
  • Category:
さてそこで、コンラッド東京の便利さが今ひとつだった理由だが、まず認知度の低さ。開業からまだ1年経っていないせいか、はたまた汐留という場所柄のせいか、タクシーに乗って「汐留のコンラッドまで」と言っても、「は?」と聞き返されることがしばしば。5日間の滞在中、少なくとも8回はタクシーでホテルに戻ったが、聞き返さず、道に迷わず、入り口を間違えずホテルに横付けできたタクシーは、たったの1台だけだった。他はみな、汐留までは行けるものの入り口がわからず行き過ぎたり、コンラッドのサインを横目に見ながら周辺をぐるぐる回ったり。疲れている時や、急いでいる時には本当にいらいらした。1日目で懲りて、2日目からはホテル提供の自動車用地図を見せてこれである。こんな時日比谷のTなら、迷う運転手など絶対いない。ホテル名を告げただけで、車はすっと走り出す。安心して後部座席のお客様に意識を集中できる。

タクシーの問題は朝も同じである。コンラッドは大通りから引っ込んだ作りになっているせいか、朝タクシーが正面玄関前にずらりと並んで待っているということがない。玄関を出、ベルにタクシーが要ると告げて初めてタクシーが表通りから呼ばれる。“Take Five”のイントロのような軽快な“出た、乗った、走った”というリズムにはならない。超せっかちの上司殿は、これにもいらついていた。

もうひとつの不便な点というか、苦情はインターネットが有料であるということである。チェックインして初めてネット接続が有料と知った今回のお客様各位は、「1泊5万円からの料金の5つ星ホテルで、どうしてインターネットが有料なんだ?」と仰天していた。私自身、「ビジネス客が半分以上だろうに、なんでこんなところでちまちま稼ぐのかしら。最初からルームチャージに含めとけば面倒がないのに」と思った。しかも接続ケーブルを持ってこなかった客には、ケーブルまで“売る”のである。あーあ、である。これについては、ある朝ホテルに質したところ「開業時からの方針なので」と言うことだったが、朝食時にたくさん見かけた欧米からの客は、不満を述べないのだろうか。ぶつぶつ言うのは、何事にもがめつい中国系の客だけなのだろうか。

そして最後に、朝食を供するレストランが1カ所だけで、しかも時間は朝7時からというのは、遅い! ルームサービスなら6時半からサーブされるが、その時間指定にしてからが「6:30〜7:00にお持ちします」で、6:30を確約しているわけではない。
わたしがなぜこんなに怨みたらたら時間にこだわっているかというと、最終日、わたしが乗るべきリムジンは朝7:10ホテル発で、ために朝食が前夜買ったコンビニのパンとヨーグルトになってしまったからである。何よりも食い意地、何はなくとも食い意地の私にとって、優雅な朝ご飯1回を失った怨みは深い。魅力のない朝食なら惜しくもないが、ここのは最終日くらいはゆったり楽しみたい心そそられるメニュだったのだ。

以上3点、超せっかちな上司殿とそのお守り役である私は不満に思ったが、時間に余裕のある人なら気にもしないであろう些細なことである。それにいずれにせよ、ガーデンビューの絶景は、そうした小さな不満をきれいに消し去るくらいの威力がある。ちょっと冷たく感じる気取ったサービスも、内装には合ってるし。

コンラッド東京

  • 2006/06/16 20:27
  • Category:
先週の東京では、上司殿の背後からの強力な画策&お客様の希望により、汐留のコンラッドに泊った。実に実に、もったいなかった。

浜離宮を眼下に見、大きな壁一面の窓からはレインボーブリッジや豊洲、有明の東京湾が青く広がる絶景。夜ともなれば、海の上には金や銀の灯りがきらきらと散らばり、ロマンを誘う。これはどう考えても恋人と二人、グラス片手に眺めるべき光景である。間違ってもカメレオンパジャマでひとりベッドに寝転がり、「脚、いたーい」と言いながらアンメルツ片手に眺めるべき光景ではない。第一、朝8時半に部屋を出て、夜10時に帰って来たのでは、夜景を楽しむ暇もあらばこそ。毎日、毎日、あたふたと忙しく、窓際に伸びるカウチのようなソファにゆったりと身体を伸ばし、ぼんやりと海の夜景を眺めるなんていう優雅なひと時は全くなかった。ビジネス滞在では、せっかくの絶景も、猫に小判、豚に真珠である。

ただ、幸いコンラッドのバスルームは全面ガラス張り。このためバスルームのブラインドを上げておくと、バスタブに浸かりながら、彼方の夜景が眺められた。これはよかった。ホテル側はターンダウンの時に、バスルームのブラインド(こげ茶色の木製の、なかなかシックなブラインド)を下げて行ってしまうのだが、私は夜帰ってくるとその下げられたブラインドを一番上まで上げて、“Tres Vert”という名の、ホテルご提供のバスジェルの泡泡の中で、これまたホテルご提供のゴムのアヒルをブヒブヒ鳴かせながら、バスタイムを楽しんだ。このバスルーム、深い黒のタイルに真っ白のバスタブ。ゆったりと広い中に、白の、機能よりもデザイン重視のダブルシンク。鏡は大きな円形で、その外周部にライトが灯るようになっており、まさに美女のためのバスルーム。ゴージャスな美女が、よりゴージャスに見えるようにできている。(それでなぜ、銀の王冠をかぶったゴムのアヒルがいるのかは謎だが)ついでにスピーカーもついていて、TV等の音声がバスルームに流れるようになっており、朝はニュースを聞きながら身支度できて便利だった。

室内装飾も直線主体のシンプル・モダン。最低でも48?という広さは、1人には充分すぎるほどで、やはりこういうホテルは朝から晩まで仕事をしているビジネストリップではなく、朝も夜もゆったり過ごせる休暇でこそ泊りたい。そうすれば、朝ご飯だってゆっくり食べられるし。(ちなみに朝食のブッフェは、品数は少ないながら、ちょっと気取った品揃えで楽しかった)

ただ、泊りたくて泊りたくてお客様をせっついて予約させたくせに、上司殿はこのホテル、あまり気に入らなかったようである。全体にクールな、ちょっとすかしたサービスが、賑やかで華やかなのが好きな上司殿の嗜好に合わなかったらしい。「次はやっぱり日比谷のTにしましょう」と言っていた。私も別に異存はない。仕事で泊るなら便利なのが一番。コンラッドはその点、今ひとつだったのだ。理由はまた明日。

当代小説−2

  • 2006/06/15 21:56
  • Category:
昨日の続きだが、今回久しぶりに王府井書店(=新華書店)の当代小説コーナーに行き、何よりも驚いたのは、置かれている小説の表紙やタイトルが、日本の郊外型書店での平積み本と同じような“軽さ”に変わっていたことである。
昔々、中国の出版物といえば、古典は別として、たとえ小説でも、どこか“目標”やら“革命精神”やら“社会建設”やらと言った、党のプロパガンダ的色彩を帯びた内容で、それが粗悪な紙に、でこぼこした活字組みで印刷されていたものだった。乱丁、落丁などは珍しくもなく、本の途中で紙の質が変わっていることなどしょっちゅう。そして表紙はといえば、やけに色鮮やかな美女や花などの、古臭い写真や絵がついていたものだったが、今回見た本の表紙は全く違った。

「当代小説」だからことに顕著だったのだろうが、10代、20代向けと思われる人気小説の表紙は、ほとんど日本の少女漫画のよう。一見して恋愛物とわかるタイトルとともに、まるで集英社コバルト文庫か、ハーレクィン・ロマンスのような華やかさ、軽さである。いや、驚いた。おまけに当代小説のコーナーの中には、網游小説(ネット小説)という棚もあり、学園恋愛ものやらSFやら武侠小説やらが、これまた百花繚乱といった呈で並んでいる。まこと中国の大都市の西側化ぶりは、圧倒的速度である。

私が勉強半分、ひまつぶし半分で、せっせと易しい中国語の小説を読んでいた12‐3年前は、表紙に惹かれて本を買うなどということはまずなかったが、今回買った2冊のうち「霜冷長江」は、表紙というか装丁に惹かれて手に取ったのである。ハードカバーではないが、比較的質のよい紙できっちりと製本されており、しかも表紙の色合いがうつくしい。朽葉色の濃淡で霞む長江が描かれた上に、作者自身の筆による題字がすっと載せられている端正さ。表紙デザインは張暁光という人らしいが、内容によく合った美しい装丁である。



夫は人間同様、本も中身がよければ外側など関係ないという意見だが、そうは言っても内容と合わない装丁、行き届かない装丁をされた本は、いかにもかわいそうである。また逆に、内容によく合った装丁、うつくしい表紙絵をまとった本は、見ているだけで心満たされる思いがする。そういう本は、傍らに置き、ただ眺めるだけで愉しい。

当代小説

  • 2006/06/14 22:16
  • Category:
仕事で毎日中国語を読むので、ここ2−3年、お楽しみの読書に中国語を選ぶことはまずなかったのだが、今回は9時の開店を待ってホテル隣の王府井書店に行き、2冊ばかり買ってきた。NHKの「ラジオ中国語講座」で、上海の潘向黎さんが書いた「我愛小丸子」(わたしはちびまる子が大好き)が紹介されており、そのいかにも改革開放後に生まれた子らしい屈託のなさ、恋とグルメとファッションという、世界中の若い女の子の最大公約数的共通関心事を、可愛い口調であれこれ注釈するさまが新鮮で「なるほど。いつまでも三国志や紅楼夢、老舎や魯迅ばかりが中国の小説と思っていては、“今”を見過ごしてしまう」と俄然興味が湧いて、王府井書店の“当代小説”のコーナーに走ったのである。残念ながら潘向黎さんの小説は見つからなかったので、代わりに燕燕さんの「姨媽的后現代生活」(The aunt’s postmodern life)と、余秋雨さんの「霜冷長江」を買ってきた。「霜冷長江」は小説ではなくエセーなのだが、しんしんと落ち着いた文章で、蒸し暑いご当地で夏に読むより、どこか北の地で秋や冬の夜長に読む方がふさわしいかも知れない。私は不勉強で知らなかったのだが、彼は長く上海の大学で教え、その深い知性と感性に支えられた思索で高い人気を誇る作家だそうである。日本にも何度も来ており、著作も翻訳されている。

余秋雨の文化苦旅―古代から現代の中国を思考するの画像

もう1冊の「姨媽的后現代生活」(僕のおばさんのポストモダンライフ)は、「我愛小丸子」タイプの、軽やかな語り口で“今”を書いた小説らしい。“らしい”と言うのは、まだ20ページちょっとしか読んでいないので、はっきりわからないのである。主人公は、僕(寛寛)のおばさん葉如棠。つい先日政府機関を定年退職し、目下退職後の有閑生活を謳歌中と言いたいところだが、今まで40年近く働いてきて急に「さあ、お好きなように」と言われても、何もすることはない。諸般の事情により独り身であるから、毎日の家事なんて高が知れているし、おまけに諸物価高騰の折、年金だけでは食べるのがやっとだ。これは退屈を紛らすためにも、バイトでもしなくては・・・と、北京大学卒業&英語翻訳の専門家という特技を生かして仕事を探そうとするのだが、60のおばさんの仕事なんて、そう簡単に見つかるものではない。“家庭教師”と言う触れ込みで行ってみれば、実際の仕事はわがまま三昧の小学生のお守り役であったり、そうかと思えば、ハーバードでの博士号取得を目指す9才の子どもの英語教師に雇われ、逆に英語力をテストされたり、おばさん、なかなか大変である。
結構楽しい話だと思っていたら、どうやら映画化もされたらしい。監督は許鞍華。主演は周潤發他。映画化に当たって舞台が上海から香港に変わっているようだけれど、これは大陸の話だからこそ、超急速に現代化する社会と、一昔前の文化で育った人間との軋轢というおもしろみがあるのではないのか。舞台が香港では、時代の差による軋轢という必然が少なかろうに。

撃沈

  • 2006/06/13 21:12
  • Category:
ただいまでございます。

北京での仕事、救いようもないほどの撃沈でした。
力のなさ、もろばれ。

話し手の筋を追えなくなって
久しぶりの“頭の中真っ白”を体験。

この手の仕事を毎日続けていれば
5−6kgの減量は、お茶の子である。

しかし落ち込んでいるだけでは進歩がないので
爪に花とラインストーンでも貼り付けて気分転換し
また明日からがんばらねば・・・

ヨサク

  • 2006/06/05 21:48
  • Category:
わたしはつい最近までずっと、島田雅彦さんの「やさしいサヨクのための嬉遊曲」を、「やさしいヨサクのための嬉遊曲」だと思いこんでいた。
そして、島田さんて端正な顔立ちの割にお茶目なタイトルの本を書くんだなあ、と思っていた。間違いに気づいたのは、ほんとうにごくごく最近である。

まあ当時は北島三郎さんの「与作」が、一世を風靡した後だったので、カタカナ3文字をぱっと見た瞬間「ヨサク」と思いこんでしまったのであるが、それにしても人前で一度も発言しなかったのは幸いであった。子どもの頃の“セレパーツ”(→セパレーツ)、“サントレーノ”(→サントノーレ)などは単なるお間違いであるが、サヨクとヨサクを取り違えたのでは、代々木のみなさまも、当時はまだかろうじて息のあった○○派、××派のみなさまも、立つ瀬がなかろう。


閑話休題
それはともかく、ぶつぶつ言っていたパワポもなんとかできあがりましたので、またしばらく仕事に行って参ります。みなさまごきげんよう。

譲る先は・・・

  • 2006/06/03 21:19
  • Category:
今日の午後、ちょっと大きな買い物をした後にふと思った。私が死んだら、こうしたモノ、赤の他人に処分するには忍びないモノは誰に残したらいいのだろう、と。他人に処分してもよいもの、たとえば書籍は、中でめぼしいものはどこか日本語の図書をおいてくれる図書館に寄付してもいい。最後の住処が日本なら、古本屋に引き取ってもらってもいい。衣服の類は人に残せるほどの質のものはあるまいから、せいぜいが救世軍か。PCとか、家電の類は夫が残っていれば、夫が適当に処分してくれるだろう。
しかし他のモノ、個人的な思い入れがあるものはどうしたらいいのだろう? 
たとえば私はお義母さんが亡くなったとき、彼女の結婚指輪と婚約指輪のセット、愛用のアクセサリーのいくつかをお義父さんから譲られたが、こうしたものを何も知らない赤の他人の手に渡すのは、お義母さんとお義父さんに対する裏切りのような気がする。こうしたものは本来なら子どもたちに伝えていくものだが、いかんせん私たちにはこどもはいない。夫の弟も、結婚しておらず子どもはいない。私の妹は、結婚はしているが子どもはいない。つまり夫の側にも、私の側にも“次の代”はいないのである。夫の友人、ジョゼとブライアンにも子どもはいない。私の側の親しい友人の何人かを思い浮かべてみたが、子どものいない人も多いし、子どものいる人も、その子どもたちは夫を知らない。知りもしない人に繋がるモノを譲られても、困惑するだけだろう。

モノはモノに過ぎないのだが、それでもモノを慈しみ、その背後にあるストーリーと共に、後代に伝承していくのはうつくしいことだと私は思っている。美術的、歴史的には何の価値もないものであっても、好きだった誰かが使っていたモノは、私も同じように愛おしみ、長く大事に使いたいし、私が亡い後は、同じように大事にしてくれる人に残したい。モノは時に、人よりもずっと長く生き延びる。生き延びることによって、モノとしての美しさが増すこともあるだろう。愛され、大事にされて、モノとしての天寿を全うして欲しいと思う。

こらあ!

  • 2006/06/02 20:21
  • Category:
再来週、北京でプレゼンする会社が、今日の夕方5時!過ぎてから
30ページ以上のパワーポイント資料を送ってきて
「翻訳してね」とのたもうた。

「翻訳してね」ったって、私は来週火曜から出張だぞう!
いつ、翻訳するんだよ、いつ?
それに、なんたってその前には東京出張があるんだから
他の準備だってあるんだぞう!
ぞう! ぞう! 象!

と怒ってはみたが、やらなくちゃならないものは
やらなくちゃならないので、ざんぎょー。
3時間で、半分終わったよ。
我ながら速いね。何しろ1回やったことある会社だからね。
さて、8時過ぎた。おなかすいたから、かえろー。




20×年、変わらぬ夕食

  • 2006/06/01 19:34
  • Category:
昼休み、会社近くのスーパーに行ってオーストラリアン・チェダー4パックと、雑穀入りパン3袋を買ってきた。来週から出張でいなくなるので、その間の夫の食料を調達してきたのである。正味8日間なので、パンは4袋欲しかったのだが、スーパーには3袋しかなかった。

夫はこのパンと、チーズと、果物とナッツ、そして朝食にはミューズリ、飲み物は豆乳と脱脂乳で、私の不在中を生き延びるわけである。私だったら2日で厭きる、味気ない食事であるが、夫は一向に気にしていない。「皿洗いなしだあ。ラッキー♪」 てなもんである。(注:ウチでは、皿洗いは夫の仕事である)
我が夫は、たとえオードブルはチーズ、メインコースはトースト4枚、デザートは果物の夕食が何日も続いても、全然めげない。何しろ高校卒業後、料理上手のお母さんの元を離れてアパート住まいを始めてから、私と一緒に住み始めるまでの20×年、ずううっと、この“メインコースはトースト”の食事を続けてきた人である。20×年食べ続けて問題なかったのだから、私の不在中8日間食べ続けるくらい何の問題があろうか? あろうはずがない! なのである。ま、本人の弁によると「たまにはサラダもつくったし、豆も食べたよ」とのことであるが、基本的には火を使わない食事を20×年続けてきたわけで、まことに見事な粗食ぶり、ピューリタンにも優る食への関心のなさである。何よりも食い意地、何はなくとも食い意地の私の夫とは、とうてい思えない。

一度私とジョゼが「毎日、毎日同じもの食べてて厭きなかったの?」と聞いたところ、夫は「同じじゃないよ。トーストにつけるジャムが違ったよ」と曰うた。つまり今日はいちご、明日はあんず、その次はラズベリーと、ピーナツバタートーストの上に伸ばすジャムが違うから、“毎日同じ”ではないというのだ。夫はこれを“変化”と呼ぶ。ああ・・・である。
ま、おかげで私がどんなものを作ろうと、それが精進ものである限り、文句も言わずぱくぱく食べるので、有り難いとも言えるが・・・

Pagination

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター