まつげ

  • 2006/09/29 13:56
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■ 今日は金曜日だ。おまけに国慶節で明日から3連休。うれしい。
しかし明日の夜は、ジョゼ&ブライアンとデイヴィッドがごはんを食べに来るので、今日中に何か献立を考えなくては。1品は「えだまめ」ということになっているけど、これはどう見ても食事前のおつまみだよねえ。粛然と座っている4人の前に、えだまめ山盛りの皿をしずしずと運んで、「本日のメインディッシュでございます」と言うわけにはいかんだろうな、やはり。

■ 話は大きく跳ぶが、私は最近、ほとんどマスカラをつけない。「夜、落とすのがめんどうくさい」「落とす時に、貴重な睫毛が抜けがち」ということもあるが、それより何より、いくらマスカラを塗ったとて、インド系や中東系、身近なところではウチの夫のバチバチ睫毛には、ぜったい敵わないことに嫌気がさしたからである。いくら私が“塗る付け睫毛”だの“天まで届けマスカラ − 睫毛は常に上を向いていなくては・・・”だののマスカラをせこせこと塗り重ね、5ミリの睫毛を6ミリにしてみたところで、はなから10ミリ以上あり、付け睫毛以上にびっしり生えて、おまけにきれいにくるんとカールしている奴らの睫毛には、とうてい敵わない。蟷螂の斧、泥鰌の地団駄、小男の腕立て、わたしの睫毛。

■ そもそもいったいなぜ、奴らの睫毛はあんなに長く、しかもびっしりとたくさん生えているのだ? 中東はまだわかる。きっと砂嵐から目を守るためだ。インドは・・・うむ、ギラギラと苛刻に照りつける陽射しから目を守るためだな。しかしカナダ人の夫は・・・まさか雪嵐から目を守るためか? しかしあいつはフランス系で、しかも先祖は南フランスの方だとか聞いている。南フランスに雪嵐はなかろう。(たぶん) ならば、なぜ? わからん。
夫に「どうしてそんなに長いのよ?」と聞いたら「弟の方がもっと長いよ」と答えにならない答えが返ってきた。やな兄弟だ。アジア女の敵だね、まったく。
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譲る?

  • 2006/09/28 16:04
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昼休み、お弁当を食べながら時々、YOMIURI ONLINEの「発言小町」というコーナーを読むのだが、今日この中に『飛行機の座席、頼まれたら譲る? 譲らない?』 というのがあり、回答した人の多くが「譲らない」と言っているのに、正直びっくり。「譲る」という人も大部分「見返りがあれば」との回答で、これまたびっくり。どうして〜? 無償の親切ってのは、世の中から消えちゃったの?

「譲らない」という人の多くが理由に挙げているのは、飛行機の座席は事前予約が可能であり、ゆったりした席に座りたいなら、前もって予約するか、早めにチェックインするか、ともかく自己努力すべきであり、それもせずに搭乗してから他人に頼むのは虫がよすぎるというのである。それに例にあげられていたのは欧州便で、フライト時間は10時間以上。その機内での快適さを確保するために、努力して獲得したゆったりした座席を、そうしなかった人に譲らなければならない理由はないというのだけれど。

私自身が普段乗るのはアジア便で、せいぜい4〜5時間のフライトだし、チェックインの時に「通路側希望」というだけで細かい指定はしないので、頼まれればいつでも譲っていた。別に見返りを期待したこともなかったし、実際見返りを受けたこともない。せいぜい相手の人と、(CAさんが間に入っていた場合には)CAさんから、「ありがとう」とにっこりされただけである。別にそれで充分ではないか?
欧州便や北米便ならどうか? だが、まだ実際に頼まれたことはないので、一応想像してみると、ここでも私は普通「通路側希望」以外は指定しないので、中央列のまん中に移ってくれと頼まれたらだいぶ躊躇するだろうが(ことに両隣の人物が巨大、または12歳以下のお子様だった場合)、それ以外ならほいほい譲ると思う。基本的に座席なんかどーでもいい、と思っているのである。155cmだし、でぶとは言えエコノミーの座席に座れないほどのでぶではないし、壁の前の座席にも座ったことはあるが、特に楽だとも思わなかったし、つまりどこに座っても飛行機の旅がものすごく快適になることはないと思っているから、代わって欲しい人がいるなら代わりましょ、ということである。

私の場合は、事前予約、早めのチェックイン等で、努力して獲得した席ではないので、その席が欲しくて努力した人の場合と同列には論じられないとは思うが、それにしても、何かを頼まれたなら、自分に不都合がない限り(あるいは自分の不都合が少々である限り)、できる限り相手方の希望をかなえてあげても、いいんではないのかしら。幼稚園とか小学校で、人と動物には親切にしましょうって、先生が言わなかったっけ?

それから、回答の中に「日本人だから、女性だから、組し易しと見て頼んだのかも」という見方があったが、そりゃあCAだって、相手だって、人を見て頼むだろう。見るからに不親切そうな人には、頼まんだろう。それが人情というものである。それを「なめられている」とか「馬鹿にされている」と解釈するのは、ずいぶん心さみしい解釈のような気がするのだが。

果欄

  • 2006/09/27 15:55
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ウチのすぐ隣には、「果欄」と呼ばれる果物の卸売市場がある。中国語版ウィキペディアによると、ここに「果欄」ができたのは1913年だそうで、どおりで古色蒼然たるつくりである。新填地街を挟んだ向かいは、こちらもまた古色蒼然たる油麻地劇院(すでに閉館)で、すぐそばにできた“No.8 Waterloo Road”という新築マンションを除いて、どの建物も昔のこのあたりの面影が残っていて、些か汚く、みすぼらしい感じは否めないが、私は好きである。

業務の大部分はすでに別の場所にできた新しい卸売市場の方に移っているので、今でもここで営業を続けている店は多くはないが、深夜12時近くに通ったりすると、コンテナから盛んに荷下ろししているし、朝8時の通勤時間帯には、競りが終った果物の箱が、引取りのトラックを待っているのか、道端にぽーんと積まれているのを毎日見て通る。

時々、その道端に積まれた箱の一部が、ぜんぶ日本からのくだもの、野菜で占められていることがある。中国で印刷されたあやしいカタカナやひらがなではない、きれいな書体の文字が箱に並んでいて、一目で本物の日本産だとわかる。“JAとっとり”と書かれた梨の箱、“JA中野”のえのきだけ、“JAかとり”のべにあずま、等々。他にもナスや、柿や、りんごや、いろいろな野菜、果物の箱が、少しずつ積み重ねられていて、私はそんな日本産の野菜、くだものの箱を朝見ると、わけもなく嬉しくなる。「冷凍コンテナで、はるばるこんなところまで来たんだねえ」と、わけもなく感動してしまうのである。ただ“りんご”や“梨”と書かれているだけではなく、産地のJAの名前が入っているから、よけいその長旅のようすが偲ばれて、ほんとに日本の産地から来たんだ。コンテナ船で南へ、南へ。何日間か知らないが、海を渡ってご当地に着いて、港で荷揚げされてトラックで運ばれ、崩れそうな古い果欄で上半身裸の兄さんたちに競られて、そしてこれから街市かスーパーマーケットに並ぶんだ。そしてご当地のおばさんたち、お姉さんたち、あるいはご当地在住の日本人達が「日本のものはきれいだけど、高いねえ」だの「あら、鳥取の梨!」だのと言いながら、買っていくのだ。そう思うと、なんだかわけもなく、理不尽に心が浮き立つのである。


君が代を歌う愛国心は私にはないが、こういう果物、野菜を(そしてそれを作った人たちを)いとおしく思う愛国心なら、私にもある。

反抗心

  • 2006/09/26 16:45
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昔、昔、小学校6年生のある日、それまで好き勝手な道を通り、友だちとあちこち寄り道し、道草を食いながら遊び半分通学していた私達に対し、担任の先生が「通学路が決まりました。明日から〇〇地区の人たちはこの道、××地区の人たちはこの道を通って、学校に来なさい。他の道は通ってはいけません」と言った。

都会で育った人たち、あるいは今30代以下の人たちにとっては、当たり前すぎて疑問にも思わないことかもしれないが、昭和30年代生まれで田舎育ちの私や、私の同級生たちは、その小学校6年生の某月某日まで、“通学路”なんて言葉、概念は、頭の中にこれっぽっちもなかった。学校の行き帰りの道、ことに課業から開放された帰りの道は、その日の気分でてきとーに選ぶものであり、今日は八幡様の方から帰ろう♪とか、今日は学校の裏手に出て駄菓子屋をひやかしてから帰ろうとか、今日はトモちゃんといっしょだから桑畑の方から帰ろうとか、その日の予定と都合と気分に合わせて、さまざまなルートの中から、最適な1本を選んで歩くものだったのだ。それを学校が決めた以外の道は、通ってはいけないとは!? 学校は何の権利があって、そんなことを決め、生徒に押し付けるのだ? 第一、学校が決めた道は、遠回りじゃないか! 他の道を通っては危ないなんて、どうせどれも畑の中の道で、走ってる車なんか、あんまりないじゃないか? ナーンセンス!(’60年代の流行語) ばあっかみたい! わたしは絶対守らないからね! わたしはわたしの好きな道を通るんだから! 強制反対!

小学校6年生なので、さすがに「革命無罪! 造反有理!」とまでは書かなかったが、反抗心旺盛で生意気なガキだったわたしは、担任あてに毎日提出していた日記に、上記のようなことを書き連ねて、提出した。「なんで強制するのよ?」と本気で怒っていたのである。翌日、担任の先生は「昨日は3人の人が、同じことについて書いたよ。3人それぞれ考え方が違っていて面白いから、今から読みます」と言って、わたしを含めた3人が通学路の決定について書いた日記を読んだ。

それから30×年たった今でもはっきり覚えているが、読まれたのはわたしと万里ちゃんと、やぎさんの日記だった。二人ともわたしと同じ地区に住む子であり、クラスの中でも親しく、よくいっしょに遊ぶ仲良しだった。しかし通学路決定に対する反応は、面白いほど違った。そのおっとりした性格と、いつもにこにこしている優しい目が山羊に似ているからと、みんなから“やぎさん”と呼ばれていた玲子ちゃんは、「今日、通学路が先生から発表された。明日からその道を通ることになった」と淡々と記述し、クラスで一番小柄で可愛らしく、キラキラした目が利発に輝く万里ちゃんは「通学路が決められた。なぜ通学路を通らなくてはならないのかわからないが、規則として決められたからには守ろう」と理性的に記しており、わたし一人だけが上記のように火山噴火よろしく爆発して「ぜったい、通学路なんか通らないんだから!」と気炎を上げていたのである。

ことほどさように、ある物事に対する人の反応は違う。ある規則の強制に対して、やぎさんはおとなしく従い、万里ちゃんは疑問に思いつつも理性的に行動し、わたしは反抗心いっぱいに爆発した。わたしは、わたしの、“強制されること”に対する反抗心が、どこから来るのか、知らない。教育を受ける遥か以前から反抗的だったのだから、教育の結果とは言えないだろう。たぶん遥か昔のご先祖様からのDNAの中に、強制に対し敏感に反応する分子が、人より余分に入っていたのだろう。

もっとも私だって、すべての強制に反抗しているわけではない。(そんなことをしていては、社会生活が営めない) 大体は、私が “個人の自由”の範疇に分類していることに対し強制がかかる時に、「いやだあ!」とこぶしを振り上げているのである。曰く、制服の着用、ある特定の髪型の強要、信仰の強要、ある価値観の強要、等々。きのう小学生のような口調で「いやだ」と書いた国旗・国歌の強要、愛国心の強要も、この中に入る。

もちろん、世の中には「日の丸」「君が代」を愛し、大切に思っている人がいることはわかっている。昔、三島由紀夫関係の集会に出席した時、「こんなに安らかに気持ちよく、君が代を歌えたのは久しぶりです」と書いていらした婦人の凛とした横顔を、私は今でも覚えている。私はそうした人たちを排除したいわけではない。ただそう思っていない人たちにまで、その思いを強制しないでくれ、と言いたいだけである。しかしどうやら、現政権の中枢にいる人たちは、それを強制したいようだし、安倍総理のもと、日本がこれから“美しい国へ”向かって進んでいくなら、私には近い将来、帰る国はなくなってしまう。

ボタンつけ

  • 2006/09/25 17:28
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■ 同僚一人が病欠したため、そのヒトの分の急ぎの仕事が回ってきて、夫は土日も仕事。かわいそうなので、私もナマケ心を抑えて、最近さぼり続けていた家事に勤しんだ。実に実に久しぶりに掃除機をかけ、床を水拭きし、そのあとで“C”退治にローラークリーナーもかけ、やかんとレンジを磨き、ジムに通うようになってから、ほとんど使わず寝室の場所ふさぎとなっていたエアロバイクを分解してゴミに出し(寝室、すっきり)、ついでに夫のシャツのボタンも、3つばかりつけた。

■ この中で何が一番しんどかったと言って、それはボタンつけである。何しろ、見えない。軽度の近視 + ひどくなってきた乱視 + なりかけの老眼のため、白っぽいシャツの上の白いボタンと白い糸が、見えない。針がボタン周辺のどこに刺さっているのか、見えない。それを敢えて見ようとすると、眉間に4つくらい縦ジワが寄る。ばあさんである。

■ 思えば昔は、眼鏡などなくても針に糸が通せ、ボタン付けも裾上げも、別に何のこともなくできたものだが、今となっては眼鏡があっても糸が二重に見え、針穴なんぞはぼんやり霞んで、糸なんて糸通しがなければ、1時間かかっても通すことができない。あんまり見えないので、だんだん腹が立ってきて、途中よほど赤い糸でボタンをつけてやろうかと思ったが(白いシャツ、白いボタンに赤い糸ならよく見える)、縦に並んだ5つのボタンのうち、1つだけ赤い糸でついているのもおかしいので、苛立つ心を抑え、我慢して白い糸でつけた。目が寄り目になりそうだった。

■ 今ふと思い出したが、夏場、小泉首相は、よく黒いボタンのついた白いシャツを着ていた。あんなヒトのまねをするのはいやだが、それでも白シャツに黒ボタンは、付けやすそうだ。ちょっと考慮の余地あり、かも。

■ 小泉首相で思い出したが、おっとせい氏や雪見さん、富柏村氏も書いておられる、例の都教委の君が代日の丸問題。ばあっかみたいである。そもそも、どうして何かを、あるいは誰かを、愛するよう、敬するよう、“強制”できるのか。“愛したり”“敬したり”は、自らの心に従って自発的にすることであって、強制されてすることではない。
それに私は、ある国に生まれ育ったら、その国を愛するのは当たり前だという考え方には組しない。

というようなわけで、大相撲千秋楽に、安倍幹事長が現れ、しかも満場の歓声を浴びていたのは、まったく不快。小泉首相が来たなら“快”だったのか? と聞かれれば、そういうことではないのだが、“美しい国”とは、なんともはや、うさんくさい物言いである。

えだまめ−2

  • 2006/09/23 17:02
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■ 今、ウチの冷凍庫には例の冷凍えだまめが3袋入っている。夫が国慶節休暇の食事会にえだまめを出したいというので、昨日ふたりで手分けして、えだまめ探索ミッションに出動し、捕獲してきたためである。ご当地では、非定番食品は昨日あったからと言って、今日もあるとは限らないのだ。案の定、この間買ったスーパーには、冷凍えだまめは、すでに1袋しか残っていなかった。幸い別の大型スーパーに出かけた夫も1袋買ってきたので、前回の残りと併せて計3袋。食事会には十分である。
北米の家庭にあるような大型冷凍庫があるのなら、まとめて10袋くらいストックしておきたいところだが、いかんせんウチの冷凍庫は、冷蔵庫上部にくっついたさほど容量のないタイプだし、当然のことながら他の食材も入れなければならないので、これ以上えだまめを捕獲してくるわけにはいかない。残念である。

■ えだまめといっしょに、夫はサマーフルーツの缶詰も買ってきた。食事会のデザートに、またサマーフルーツのプディングをつくるつもりらしい。楽しそうに缶詰をしまっている夫を見ると「つくるな」とはとても言えないが、その後の体重増加を思うと、なにか他の、も少しカロリーの少ないデザートにしてくれればいいのにぃ・・・と思う。

いつ、どこで

  • 2006/09/22 17:14
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■ どうもここしばらく日本出張がなさそうなので、bk‐1に本を何冊か注文した。送料をけちってSAL便にしたが、2週間もすれば届くだろう。

■ うち1冊は祥伝社新書の「大相撲大変」。朝青龍、白鵬はもちろんだが、わたしが今場所いちばん応援しているのは安馬なので、そうしたモンゴル人力士の話が載っているとなれば、多少の悪評は無視して、これはやはり読まなくては・・・。昨日は白鵬に負けてしまったけど、今場所も安馬は真正面から当たる、実に気持ちのよい相撲をとっていて、つい応援にも力が入る。(11日目の稀勢の里戦は、ちょっと違ったけど) 今日はいよいよ朝青龍とだが、ま、勝てない分でも、正々堂々、よい相撲を取ってもらいたいと思う。

■ それにつけても、いつか出張ではなく、また実家に行くのでもなく、日本に旅行に行きたいものだ。その時には東京だけでなく、神戸と高野山と浜松にも行きたくて、ついでに東京では大相撲も見たくて、大相撲を見に行ったら、ぜひ関取衆にサインも貰いたくて、でもまさかご贔屓の関取全員に貰うわけにもいくまいから、さて誰にしようかと今から楽しく迷っている。今のところの第一候補は安馬関、そしてもう一人というなら栃東関かなあ、と思っているが、正直なところ白鵬も好きだし、琴欧州も気になるし、高見盛には抑え難い愛情を感じるし、岩木山も捨て難く、玉乃島は昔は嫌いだったんだけど、最近はちょっと愛情(?)を感じるし、で収拾がつかない。それに第一、どこで待っていたら、関取衆に会えるのだろう? 国技館への入り待ちで、サインなど求めるのはマナー違反というのをどこかで読んだが、だとしたらいったいどこで、お願いしたらいいのだろう? 場所のないとき、所属する部屋まで訪ねて行ってお願いするのだろうか?

おいしいもの

  • 2006/09/21 21:22
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■ 試しに買ってみた台湾産の「冷凍えだまめ」、茹で加減も、塩加減も実に頃合いで、夫と二人、「おいしいねえ、おいしいねえ」と言いながら、1袋全部食べてしまった。たまに街市に出ているのを買う、生のえだまめよりずっと上等で、他には別に珍しいものもない、いつものベジ夕食だったのだが、このぷっくりした「えだまめ」のおかげで、なんだかずいぶんしあわせな夕食をとったような気分になった。

■ “おいしいもの”は、簡単にしあわせになれる道のひとつなので、毎日とはいかずとも、3日に1回くらいは、「あ、おいしい」と、ほのぼのしあわせになれるようなごはんを作りたいと思っているのだが、何しろ料理人は私なので、なかなかうまく行かない。またベジなので、肉、魚、海鮮は使えないという制限もある。厳密には、オイスターソース(原料カキ)も、ナンプラー(原料サカナ)も使えず、コンソメの素なんかも×である。(どうしてもうまみが足りない時、私は時々ごまかして使っているが。許せよ、夫)

■ こうした制限があり、しかも土日以外は時間的にも制限があるので、なんだかいつも代わり映えのしないものを、ちゃちゃっと作って食卓にのせることになり、夫にはすこーしだけ申し訳なく思っている。いくら野菜だけ、豆だけでも、もう少していねいに作れば、味わいが上がることは経験上わかっているのだが、これがなかなか毎日のこととなると・・・。その点、「ばーさんがじーさんに作る食卓」のcincoさんには、ほんとうに頭が下がる。今日のズッキーニのパスタもじつにおいしそうだ。肉なしパスタだから、これならウチでも作れるか。いつも「なんて、おいしそう!」と思いつつも、たいていは肉か魚か海鮮かがちらりと入っており、しかも少量とは言え、それを入れなかったらうまみが足りなそうなので、なかなかそのまんまの真似はできず「残念!」と思うことが多いのだ。

̾

  • 2006/09/20 16:48
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■ 総領事館から書留で「在外選挙人証」届いた。あて名が戸籍どおりの名前となっており、まるで私ではないかのような新鮮さ&違和感。実は私の戸籍名は一部ひらがな表記なのだが、どうも好きになれず、大学時代から父の名を一字もらった漢字表記を採用。以来20年以上、漢字表記の名を使い続けてきた。ことに中国語圏に暮らすようになってからは、ひらがなでは読んでもらえないこともあって、一貫して漢字で通しており、周囲全員が私の姓名は漢字4文字の〇〇〇〇だと思っている。だからたまに公式書類等で、戸籍どおりのひらがな表記を見ると、何とも言えない違和感に襲われる。

■ もっともこの漢字名、私が勝手につけたとばかりも言えない。中学生の頃だったか、私が小さい頃読んでいた絵本をひっくり返したら、私が現在使用している漢字で名前が書いてあるのもあり、またまったく違う漢字で名前が書いてあるのもありで、「あれ、あれ」と思ったものだ。ウチの親は、一応戸籍はひらがなで届けたものの、ほんとはいろいろな漢字を使いたかったのではあるまいか。母自身、自分の名前をいろいろに書いていたし。

歩くガラクタ箱

  • 2006/09/19 12:57
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■ 先週はカジノについての資料を読んでいたと思ったら、今週はレアアース。私は世の中にこんなものが存在することさえ、つい数時間前までは知らなかった。しかし、実はこのレアアースというもの、携帯電話やパソコンのコンデンサやフィルター、自動車ガラスの紫外線吸収剤などに、広く利用されているのだそうだ。ついでに、日本はその大部分を中国から輸入しており、だからこそ私のところにもお問い合わせがくるわけだが、こんな調子で昨日はカジノ、今日はレアアース、明日は化学肥料というように、何の脈絡もなく資料の翻訳をしていたら、私はそのうち“歩くトリビアの泉”になれるんではあるまいか。体系立たない雑多な知識のガラクタ箱。歩くごみばこ。
ま、もっとも、調べたこと、訳したことをすべて覚えている気遣いはないから、当座は歩くガラクタ箱でも、3日もすれば歩く空箱になっていることは請け合いだが。

■ 話はきれいに飛んで、先日、横綱 朝青龍を倒した小結 稀勢の里。いつもブーたれたような顔が、なかなかかわいい若者である。そして立会いの時の、お尻の振り方。私はこれを見るたびに、お兄さん犬にじゃれついている子犬を連想する。犬がふざけて跳びかかる時に、前脚を下げ、お尻を高く上げてぷるぷるっと振るあれである。小型の柴犬がこれをやると、お尻の上でしっぽがくるんと丸まっているせいか、とくにかわいい。稀勢の里は、ちょうどこの柴犬の感じ。元気がいいところもよく似ている。ただし188cm、156kgだから、けっして“小型”ではないのだけれど。

■ ついでに、毎日、毎日、大相撲を見ていたら、自分でも相撲を取ってみたくなった。何でもそうだが、自分でもやってみてから人がやるのを見るのと、自分ではやらずに人がやるのだけを見るのとでは、見る深さが違ってくると思う。
問題は、女子の場合、相撲ができる環境があまり整っていないことで、まして海外で、しかも成人女子では、ほとんど絶望的である。手近で安全に相手をしてくれそうな相手としては夫が考えられるが(彼も相撲は大好きである。そもそも大相撲を録画しているのは彼だし)、いかんせん体重と膂力に差がありすぎる。私が力いっぱい押しても彼は動かないが、夫がちょいと張れば、わたしはふっ飛ぶ。夫は「そんなら、P(10年来の友人)か、ジョゼとやったら?」というが、この二人は背丈は同じくらいでも、体重は私より5〜7kg軽そうで、しかも骨組みがきゃしゃである。第一、いかなる格闘技にも興味を持たないあの二人が、私の相撲の相手をしてくれるとは思えない。
リタイア後、どこかの合気道クラブか、柔道部あたりに入って、お茶をにごすしかないのだろうか?

『パイの物語』

  • 2006/09/18 14:00
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■ 夏休み、カナダで買ってきた本を読み終わった夫が「これはとても面白い。翻訳が出ているに違いないから、ぜひ読んで」と、わざわざお知らせに来た。それが、これ。↓

パイの物語の画像

『パイの物語』 ヤン・マーテル著

■ おっしゃるとおり、ちゃんと邦訳が出ている。ま、2002年度のブッカー賞受賞作なのだから、邦訳が出ていても不思議はない。できれば文庫版も出ていて欲しいところだが、そちらはまだのようす。

■ 出版社からのあらすじ紹介をそのまま貼り付けると『インドのマドラスからカナダのモントリオールへと出航した日本の貨物船ツシマ丸は太平洋上で嵐に巻き込まれ、あえなく沈没した。たった一艘しかない救命ボートに乗り助かったのは、動物たちをつれカナダへ移住する途中だったインドの動物園経営者の息子パイ・パテル16歳。ほかには後足を骨折したシマウマ、オラウータン、ハイエナ、そしてこの世で最も美しく危険な獣・・ベンガルトラのリチャード・パーカーが一緒だった。 〜以下続く』

■ 夫が読んでいたのはフランス語版だが、ブッカー賞というからには、原作は英語だろう。英語が平易なら英語で読んでもいいが、ニュアンスを読み取れず、ただ筋を追うだけになりそうなら、邦訳を読んだ方がよい。試しに英語版を立ち読みしたいが、ご当地の本屋の多くは、最近日本の郊外型書店のような品揃えになっており、売れ筋の本ばかりが大量に並んでいる。売れ筋でない本を読みたがる本好きは、みなネットで本を買うようになってしまったからだろうか?

水彩絵の具

  • 2006/09/15 16:15
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■ きのうヘンな絵を載せた言い訳に書くわけではないが、水彩画を描けるようになりたいというのは、私の見果てぬ夢、野望である。心に留まった風景を、さらりとしたタッチと淡い色使いで描けたらどんなにすてきだろう・・・と思うのだが、実際にはわたしは、まともな線1本、引くことができない。

■ 日本で買ってきた『水彩画入門』なんて本を頼りに、せめて木を1本、尖った屋根の民家を1軒、描きたいと思い、まずは模倣からと、スケッチブックを前に、お手本どおりに輪郭を引こうとするのだが、これが引けない。たかが線1本、そしてそれに交叉する横線1本、なんの難しいことがあろうか?と思うのだが、白い紙に引かれた線は、頼りなく途方に暮れたようすで立ちすくみ、かたちにならない。

■ 色に到っては、言わずもがな。色を出すことができず、色をおくことができない。

■ それでも、お道具は買ってきたのだ。銀座の伊東屋で一目ぼれした携帯用の絵の具セット。そらまめ型のデザインが可愛らしくて、「買ったって、描けもしないくせに」と止める声に逆らって、明るい黄緑色のを手に取った。





■ もったいなくて、買ったきりまだ全然使っていないのだけど。

きのう描いた絵

  • 2006/09/14 12:26
  • Category:
これが昨日の夕方の気分

まん中がわたし、かな。


技術の向上

  • 2006/09/13 15:54
  • Category:
■ 3週間の夏休みが明けたとたん、夫は「お仕事モード」に入った。私が朝6時過ぎに起きると、夫はもういない。始発で出かけた後なのだ。朝早く行く分、夜は早めに帰ってくるが、“Don’t work too hard!”がモットーの人にしては、長い労働時間だと思う。

■ それもこれも、本業の他に個人契約の仕事を引き受けているからである。私のような“メインは雑用係、たまに翻訳も”という五流パートタイム翻訳屋と違って、夫は一応その道のプロなので、お仕事が引きも切らず入ってくるのだ。夫がやっているのは、主に法律、契約書関係の中→英翻訳だが、昨今、中国に進出する、あるいは中国企業と合弁で事業を行う欧米企業は増える一方なので、契約書や合意書の翻訳需要もうなぎのぼりということらしい。夫は自分でも「夫および上司兼同僚の翻訳水準は業界トップクラス」と自負している。正直、胸を張ってこう言える夫が、私は羨ましい。私なんざ翻訳屋と名乗るのもおこがましいので、たまにそう紹介されそうになると「いえ、わたくしは雑用係です」と訂正しているくらいである。自分の翻訳に対する自信など、カケラもない。

■ もっとも夫だって、はなから今の水準の翻訳技術を持っていたわけではない。10年ほど前、ご当地に来たばかりの頃は、中→英の実務翻訳屋としての経験はゼロだった。しかし、とあるきっかけから翻訳に携わるようになり、OJTで日々たくさんの翻訳をこなし、こなした結果は上司がチェックして、訂正箇所、改善箇所を伝え、それをまた見直し、という毎日毎日×数年の研鑚(?)を経て、現在のレベルにたどりついたのである。

■ この“毎日毎日×数年の研鑚”の重要性、というか“やった翻訳に対してチェックが入るか否か”の重要性については、ほぼ同業の友人某も同意している。彼女も実務翻訳経験ゼロから出発したが、最初の数ヶ月は上司が彼女の翻訳を隅から隅までチェックし、赤を入れて返してきたそうである。彼女の上司の指摘は大変厳しく、負けず嫌いの彼女は自身の力のなさに涙するほどであったというが、その甲斐あってか、今では実力がつき、立派に仕事をこなしている。彼女は言う「やった翻訳にチェックがなかったら、絶対伸びない」と。まったくその通り、と私も思う。

■ 以下は私の愚痴兼言い訳だが、実はウチにはこのチェック機能がまったくない。なにしろウチの上司殿は日本人ではないので、書かれた日本語が、日本語として上質か否かの判断はできない。それどころか、実のところあまり日本語が読めないので、正確かどうかの判断もできないのである。ために上司殿は最初に私に言った。「当たらずと言えども遠からずならよい」と。つまり、まるっきり間違った翻訳では困るが、内容がだいたい同じなら細部はまあ・・・ということである。これで翻訳技術が伸びるわけがないではないか? ましてこちらはこの分野では素人。あまたの専門用語の正確な意味もわからず、辞書にも載っておらず、したがって対応する日本語もわからず、上司殿に聞いても上司殿は知らず、説明に困ると、あっさり「わからないところは、跳ばしていいよ」と宣う。そう言われても、そこを跳ばしたら前後がつながらない、となったら、わからない箇所だけでなく前後も割愛せざるを得ず、結果、哀れ文章は1/3の長さになって、なんだかずいぶん縮みましたな・・・などと、笑えない事態が発生する。

■ 翻訳でも他の仕事でも同じだと思うが、技術は誤謬や不備を指摘されて進歩していくのである。それがなかったら、間違いは間違いのまま、不備は不備のまま過ぎてしまう。経験を積むにしたがって、自分で過ちに気がつく場合もあるが、できることならその道の先達に「ここ、誤訳してますよ」、あるいは「ふつう業界では、こういうのは〇〇と言います。(そんなことも知らないのか?)」と指摘され、恥をかいて、夜中にぎゃあ!と叫んで、を繰り返した方が、進歩は速い。
小学生の宿題で考えてみれば、簡単である。漢字書き取りでも、計算問題のドリルでもいいが、やっただけで答え合わせをしなかったら、自分の書いた漢字や、計算が合っているかどうかは、本人にはわからない。答え合わせをして初めて、「あ、ここ間違えた」とわかり、覚えなおして進歩していくのである。それをしないで、ただひたすら漢字を書くだけ、計算問題をするたけでは、力はあまり伸びない。
というわけで、この点でも私は道を間違えたか・・・と思っている。最初はやはり、チェック機能のある会社を選ぶべきだった。(しかし面接ではまさか、チェックなしで原稿が通っていくとは思わなかったのだよ。ほんとに言い訳にしかならないが)

■ ちなみに間違いをしつこく指摘してくれる中国語クラスでは、おかげさまで「u」の発音が少しできるようになった。まだ安定していないが、10回に7回くらいは先生の「O.K.」がでるようになった。1回もできなかった当初に比べれば、格段の進歩である。もともと中国人である先生にとっては、なぜ私が発音できないのか理解に苦しむ音であり、そのため口の形だの舌の位置だの、鏡を見ながら悪戦苦闘を繰り返し、それでも全然できなかったのだが、ある日ある時、「“おー”って言いながら、だんだん口を小さくしていって」と先生が言い、そのとおりにしたら「あ、その音、その音!」と先生が小躍りした。私は耳が悪いので、はっきりどこがどうとは言えないが、日本語の「う」とは違う音のようである。口と咽喉がもっと緊張し、のどの奥から声帯を震わせて音を出す感じ。先生は「ね、自然でしょ」と言うが、なんの、なんの。私にとっては充分“不自然”な発声でございますよ。しかしこの「“おー”を出して“うー”ヘ移行」は、それまでの「口をすぼめ、舌の根元を高く、舌先は低く」という説明よりは、よほどわかりやすい。そもそも私には“舌の根元を高くする”なんて、どうやるのか、わからないのだ。舌の根元なんか、動かせないぞ。それとも普通の人は、動かせるのか?(ちなみに某Yさんは、動かせると言った。某Yさんの方が主流派なのだろうか?)

鰯とカジノ

  • 2006/09/12 14:33
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■ 毎日マカオのカジノの資料なんか読んでいたので、ちょっとどんな感じか見に行ってみたい気がしてきた。5〜6年前行った時には、そうした新しいカジノ・コンプレックスはまだ開業していなかったし、一緒に行った夫も私同様、博打にはまったく興味がない人なので、マカオには行っても、カジノにはまったく足を踏み入れなかったのだが、こうもいろいろ資料を読むと、多少は見てみたい気がしてくる。

■ 夫はすでに年休を使い果たし、しかも長時間歩行は困難なので「行くならひとりでどうぞ」と言っているが、女が一人、賭けもしないでカジノをうろうろなんて、まるでカモ探しみたいだ、いくら年喰ってても。かといって間違われないように仕事スーツ着るのも、気分が出ないし。どうしたもんだろ。同行者でもいなければ、間が持たんよなあ。
こういう時、友だち全員、家庭持ち or 仕事持ち ってのは、不便だ。

■ 考えてみると、一人でマカオに行くメリットは、ただひとつ。鰯の塩焼き、一皿全部ひとりで食べられることだけだな。ご当地でも日本料理屋に行けば、鰯でも秋刀魚でも鮭でも塩焼きはあるが、マカオのポルトガル風鰯の塩焼きは、ワイルドさが違う。野趣あふれる鰯の塩焼きとカジノ見学のため、船に乗ってマカオに行ってこようか。風も涼しくなってきたことだし・・・。




↑ スティーブ・ウィン氏の ウィン・マカオ (で、でかい・・・ 写真が)

人工アトラクション

  • 2006/09/11 17:12
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■ 今日は珍しく1日忙しかった。先日の続きで、ゲーム産業(=ギャンブル産業)についての、雑資料の翻訳。その中で、ラスベガスのホテル王といわれるスティーブ・ウィン氏についてのゴシップ的記事を読んだ。ラスベガスのカジノを、“紫煙渦巻く中、熱くなった男女が憑かれたように賭けに興じ、破滅へとひた走る奈落”から、“家族全員で楽しめるレジャーランド”へ変貌させた立役者のひとり、ということらしいのだが、読んでも「ふ〜ん」というだけで、あまり感銘を受けない。香港の“蘭桂坊の父”アラン・ジーマン氏とも、15年来のお友達だそうだが、“蘭桂坊”には行かないし、ここでも「ふ〜ん」

■ ウィン氏は、ホテル前庭で火山が爆発する「ザ・ミラージュ」や、海賊に扮したが俳優が登場する「トレジャーアイランド」などのテーマホテルを経営して大成功を収めたらしいが、私はこの手のものの面白さがわからない。ディズニーランドもそうだが、こういう人工のアトラクションは、見ても白けるだけで、はなから全然興味を感じない。別にいい大人になってしまったから興味を感じないのではなく、10代の頃からそういうものに白い目を向ける、いやな性格の、ひねた子どもだったのである。したがってディズニーランドにも行ったことはないし、ラスベガスにも興味を感じない。仕事でUSJを案内させられた時には、馬鹿馬鹿しさとつまらなさに顔が引きつり、客の前ですら笑顔を保つことができず、大いに困惑した。3Gの映像が目の前に広がる“Back to the future”では、映像に酔って気持ち悪くなり、文字通り泣きそう。もう仕事でも二度と行くもんか!と心の中で誓った。あんなもんに5000なんぼは、暴利である。しかし、一緒に行った上司殿や、中国からのお客さんは楽しそうだった。なんでだ? どうしてあれが楽しいのだ? あんなウソウソしい子供だましを、なんで楽しめるのだ? どうせファンタジーなら、“Cirque de Soleil”の方が、ずうっと、ずうっと、上質にうつくしいぞ。

Gaming

  • 2006/09/09 13:29
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昨日は某国の賭博機械メーカーの人と会った。マカオで使ってもらえないかと、売り込みに来たのである。仕事の話なので詳細は省くが、要するにディーラーが実際に進行させているゲームを実況中継して、お客はその実況中継を見ながら、端末を通じて賭けるというものである。端末さえ十分な数があれば、一人のディーラーで何十人、何百人のお客を相手にでき、しかもカジノにでかける必要もない。レストランで、コーヒーショップで、食事をしながら、あるいはお茶を飲みながら、賭けに興ずることができる。しかも本物のディーラーによる実況中継なので臨場感もある。店側もあらゆるスペースを活用でき、しかも手軽なので、マス・マーケットのより多くのお客を獲得できる。

とまあ、コンセプトはこういうことなのだが、私自身は賭博というものにまったく興味がないので、こういうものを作る人たちがおり、しかもそれで遊びたい人がごまんといることが、全然理解できない。

賭博も遊びだ。何の遊びだって、金はかかる。釣りだって、ゴルフだって、凝り始めたらその費用は馬鹿にならないだろう。同じことだ、という人がいるが、賭博の場合、遊びとは言ってもその裏に「儲かるかも・・・」というスケベ心があるところがいやらしい。お楽しみのための純粋な消費という感じがしないのだ。

しかもお客は完全なカモである。メーカーの人が言うのだから間違いないと思うが、こうしたカードゲーム(今回紹介されたのはバカラだった)で、勝つか負けるかはまったく“運”だそうである。システムなり、セオリーなりを考え、それに基づいて賭ける人も多くいるが、そういう人が勝つ確率はさほど高くない。勝つときは結局“カン”。しかもカジノ等では、最終的には胴元が損をしないようなシステムになっており、お客は結局のところ大量のネギをしょったカモでしかないのである。そうでなかったら、カジノが商売として成り立つはずがない。というわけで、損するのは確実であるのに、どうしてそれが遊び=楽しいこと、になるのか? 私がわからないのはそこである。損するのが楽しいのだろうか? それとも「自分は損はしない」と思っているのだろうか?

ま、マカオのGDPの4割、政府歳入の約7割は観光、カジノ産業からだというから、こうしたネギをしょったカモ(最近は中国大陸から大量のカモが飛来している)は、マカオにとっては大変重要な“おカモ様”なのだろうが、なんだか株屋以上にやくざな商売という気がする。ついでにもひとつ言わせて貰えば、この業界の人は賭博を“Gaming”、自分たちの業界を“Gaming Industry”と呼び、“Gamble”とか“Gambling”とかの単語は決して使わないのだけれど、これって何だかとってもごまかしている感じがする。中国語でプレゼンするときは、ちゃんと“賭博”を使うくせに、どうして英語だと“Gaming”なんだ? ずるーい。

  • 2006/09/08 17:12
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■ 必要に迫られて1日パンプスで過ごし、夕方ジムでスポーツシューズに履き替えると、パンプスというのはなんとまあ、足を苛める靴であろうかと、改めて感じ入る。パンプスから足を抜き、素足でジムの床を踏みしめたとたん、足裏全体にずん!と小気味よく力がみなぎるのがわかる。いままで窮屈に締め付けられていた足指やボール部が開放され、ふくらはぎも緊張から開放されて、骨組みが音を立てて元の位置に戻る感じ。整体ってやってもらったことないけど、こういう感じじゃないかと思う。

■ なんて書くと、すごく窮屈でヒールの高い、見た目優先のパンプスを履いているように聞こえるかもしれないが、実のところ最近の私が愛用しているのは、足入れの深いスリッポンに中ヒールをつけたような靴で、つま先も四角。私の足は第1趾、第2趾、第3趾がほぼ同じ長さなので、つま先が尖っていたり、紡錘型だったりすると、第3趾が当たり、痛くて歩けなくなる。そして甲が薄く、指が長めなので、足入れが浅い靴では、靴の中で足がどんどん前にすべり、指が苛められて外反母趾が進行する。つま先が薄い靴もだめ。第1趾が当たって、血豆ができる。
つまり気持ちよく履けるのは、スポーツシューズ以外では、紐結びタイプで甲の高さを調節できるタイプか、足首をベルトで止めて、足が前にすべるのを止められるタイプか、スリッポンのように足入れが深くて、足が前に滑りにくいタイプの靴しかない。しかもつま先が四角であること。早い話、世の中の大部分の靴はアウトなのだ。

■ というようなことがわかるまでに、私は20年以上を費やした。その間いったい何足の“歩けない靴”を買ってしまったことか・・・! 思い出せるだけでも、あれとこれと、これとあれと・・・。

■時々思うのだが、かのマルコス夫人イメルダさんは、よほど欠点のない足を持っていたに違いない。でなければ、いくら財力があったって、3000足以上もの足に合った靴、見つけられるはずがない。え? 彼女は歩かない? うん、でも足に合わない靴では、立ってるのさえしんどいのだ。

転倒

  • 2006/09/07 13:57
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■ おととい、会社帰りに市場を流していて、通路に出ていたヒモに足をとられ、派手にすっ転んだ。普段だと、すっ転びそうになっても、なんとかバランスを取り、踏みとどまれるのだが、今回は失敗。大木がどおーん!と倒れるように、前のめりに転倒。両腕でがっしとばかりに倒れ込む我が体重(加速による負荷付き)を支えたので、手のひらが痛かった。ついでに左ひざもぶつけて、ちょっと擦りむいた。しかしその他の怪我はなし。

■ 10×年前、某スーパーの駐車場で、雨降りの中、ハイヒールのサンダルで走ってすべり、すっ転んだ時には、右手首捻挫&頭部打撲&顔面損傷だったので、それに比べれば今回は上々。これも日頃の鍛錬の賜物だろうか? ふだん自分の体重より重いものを持ち上げようと努力しているので、「あんたの体重くらい簡単」と我が両腕が反応したのだろうか? 何にしても、怪我がないのはよかった。ウチの会社の医療保険はろくにカバーがないので、捻挫とかだと自腹の医療費がかさむのだ。

昨日の我が身

  • 2006/09/06 11:42
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■ 昨日は岐阜県庁の裏金つくりがニュースになっていたが、思い起こしてみると私もかつてやった。当時はなんでこんな七面倒くさいことをして、表に出せない、出さない金を作るのか、今ひとつよくわからなかったし、今でもあまりよくわからないが、予算書にない金は、(そんなことはまずないが)たとえ余っていても使えない公務員としては、自由になる金が欲しかったのだろう。そうしてせこせこと作った金を何に使ったかと言うと、ある事業に必要な経費のうち、予算折衝で認められなかったものに支出したのである。その時の上司はすでに亡いから、彼の真意や心情は確かめようがないが、彼にも、そして私にも「悪いことをしている」という意識はほとんどなかったと思う。

■ それからライブドアやカネボウで話題になった粉飾決算も、某中小企業の経理担当としてかつてやった。社長の指示に基づき、1億ほど在庫を水増しして、赤字を黒字に変えたのだ。そうして銀行から金を借り、なんとか営業を続けた。(よく言われるように、銀行は“いかに金が要らないか”を証明して見せないと、金を貸してくれない)しかし結局のところ赤字は赤字で、この会社は3年後にはトーサンし、粉飾を指示した社長は倒産確定の前日、行方不明となった。社員は暮れも押し詰まった師走のある日、突然失業者となり、職安に並ぶことになった。その地方都市ではけっこう大きい会社だったので、職安には「××電機」専用の係りができたほどだった。私はその地方都市ではなく、ご当地の現法にいたのだが、失業者であることに変わりはなかった。職安に登録したか、人材派遣会社に登録したかだけの違いである。

■ というような経緯があるので、わたしは企業の粉飾決算を聞いても、あまり怒れない。裏金作りを聞いても、あまり怒れない。明日は我が身ではなくて、昨日の我が身だからである。

餅菓子

  • 2006/09/05 09:35
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■ この間の朝、ウチの団地内の広場兼歩道みたいなところで、数羽のハトが魚蛋(魚肉ボール)を追いかけていた。すぐ前がセブンイレブンなので、おおかた朝に買い食いした小学生が、皿から1個落としてしまったのだと思うが、魚蛋は丸く、適度に弾むので、ハトがつつくと面白いように転がる。それを別のハトが追いかけてつつき、また弾んで転がり、それをまた別のハトが追いかけ、と魚蛋が転がるたびに、ハトがその後ろをわらわらと追いかける。まるでハト・サッカーである。ハトのよろよろしたおぼつかない足取りが可笑しく、出勤途中だったが、しばらく見物してしまった。

■ ちなみに魚蛋はご当地ではポピュラーなおやつである。団子のように串に刺したものや、しゃぶしゃぶのカレー汁のなかに浮かんだものが、道端のおやつ屋やコンビニなどで5元程度で売られており、小学生たちが買い食いしているのをよく見かける。わたしはどうせ買い食いするなら、あんぱんの方がよいので買ったことはないが、子どもたちは好きそうである。

■ おやつといえば、わたしはこの間から、三日と開けず奇華の餅菓子を買っている。どうも時代小説を読むと、餅菓子が食べたくなるのである。マープルものを読むと、紅茶とスコーンが欲しくなるのと同じ道理である。
餅菓子と言ってもご当地のことゆえ、本物の日本のあんころ餅ではない。同じようにもち米を使い、真中に餡が入り、丸くまとまっているが、真中の餡は小豆の他、黒ごま、金ごま、ピーナツと4種あり、もちのまわりには細切りみじんのココナツがまぶしてある。しかしぽってりとやわらかい感じは同じだし、餡ともちのなじみ具合もほぼ同じ。充分、あんころ餅の代役がつとまり、渋茶とともに時代小説を読む際の格好のお供になる。
先日、ふと思った。北米の田舎などに引っ越して、近くに唐人街がなかったら、どうしたらいいだろう? 時代小説の中で、主人公が餅菓子を買ってる場面などを読んで、「餅菓子食いたい!」となっても、手近に売っているのはクッキーやケーキばかりとなったら、わたしの餅菓子に対する欲望は、渇望や切望にまで高まるに違いない。“ない!”となれば、より欲しくなるのが人の性。わたしは車で数時間先の唐人街まで、インターステートを飛ばすのだろうか? はたまた日本から、自動餅つき器でも取り寄せるのだろうか?

月曜日

  • 2006/09/04 09:04
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■ 久方ぶりの来客とレセプションという行事に気をとられ、家に社員IDカードを忘れて来てしまった。不便至極。何のセキュリティかわからぬが、ウチの会社はそこら中にドアがあり、IDカードで開錠するようになっているので、カードがないと他部へ行けない。上階へ行けない。給湯室へ行けない。第一、会社に入れない。幸い朝は同時刻に出勤する人がいたので、その人にくっついて入ったが、さて日中はどうするか。もちろん各階の入口にはカメラとインターフォンがあるから「ごめーん、開けて〜」と受付に頼めば、開けて貰えるのだが、各部への入口にはインターフォンはない。人が通るのを待つしかないのだ。なんか仕事に対する意欲のなさを証明するような月曜である。出勤途中の地下鉄のなかでも、「ふえ〜、早くリタイアしたいよう」とか考えていたしな。

中国語クラスで新聞を読む

  • 2006/09/01 13:14
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■ 水曜の中国語クラスは、重慶の水不足および野生動物の狩猟権の競売について。以前は普通話課程の教材を音読していたのが、どうも内容&語彙が文学的過ぎて、仕事の語彙と重ならないので、最近は人民日報の記事の中から、私が興味を感じるものを勝手に選んでいる。資料源に人民日報を選んでいるのは、別に中央政府におもねっているわけではなく、単に記事が正統派の大陸普通話で書かれていて読みやすいからに過ぎない。下手にご当地の新聞記事などを選んだりすると、広東語の語彙、言い回しなどがぱらぱらと混じっていて、先生(大陸出身)にも意味不明のことがある。それでは“普通話”の勉強にならないので、間違いないところでお手軽に人民日報から拾っているのである。

■ 富柏村氏もちらりと書かれていたように、今年の重慶の旱魃は記録的で、一部地区ではすでに100日以上雨が降っていない。市全体での貯水量は基準の30%前後にまで落ち込み、800万近い人々および700万頭以上の家畜が、飲み水に支障を来たしている。小型の貯水池や溜池、河川は干上がり、農作物にも大きな被害が出ており、直接的な経済損失は61億元以上にのぼるとの記事曰く。

■ 問題は、旱魃そのものの原因は気象状況(その気象状況をもたらした遠因はおくとして)にあるとしても、“水不足”の原因の一部は、人為的なものだということである。つまり、日頃田畑の水利施設の完備に努めてきた地区では、同じような気象条件下でも生活用水を確保できているが、財源不足、人手不足から施設の補修、維持管理ができなかった地区では、飲み水にも困る情況となっているとのことで、ここでも農村の貧困の問題。

■ 実は先週のクラスで読んだ記事は、農村での医師不足についてで、そこでも財政難から医師に対し所定の給与の約半分(およそ月400元から500元。上海などの大都会の羽振りのいい会社員の1/10?)しか払えない上、設備は老朽化。医師は配属されても、すぐに逃げ出してしまうと。

■ 先生におしゃべりがてら「どうして決められた給与が払えない、なんてことになるんだろう?」と聞くと、「上が着服してるのかもね」というお答え。2年ほど前の話だが、先生が昔働いていた安徽省の田舎の学校でも、先生方の給料が何ヶ月も遅配されて、困りきった先生方(私の先生の元同僚)が、教育局に直談判に行ったら、実はそこの幹部が1千万元近くも着服していたことが判明。幹部は捕まって死刑判決を受けたが、その後なんのかんの手を回して、結局死刑から無期懲役に減刑されたそうである。「お金があるからね」とは先生の弁。

■ 記事の音読は語彙を増やすにはいいのだが、内容が内容なので、クラスが終わるとげっそりと疲れる。中国の指導者には、頼まれてもなりたくないと思う。これだけ多くの問題を引きずりながらこの国を引っ張っていくには、人間を超えた力が必要ではないか。夫は党の独裁が諸悪の根源というが、今現在、党以外にあの国をまとめられるものがないのも、また事実で。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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