小過あれども、大過なく

  • 2006/10/31 15:57
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■ ただいまでございます。おかげさまで、熊にも馬にもハイエナにも虎にも遭遇いたしませんで、また行きも帰りの飛行機も墜ちませんでしたので、本日より無事、出勤しております。ただし行きの飛行機では、着陸間際の10分ほど、悪天候により、大きな波の中をぐるうり、ぐるうりと転がされるような、非常に気持ちの悪い揺れ方をいたしましたため、生まれて初めて“飛行機酔い”というやつを経験いたしました。あれは、なんと言いますか、大変に気持ちの悪いものでございますね。私は船にからきし弱く、ジャンク・クルーズに出かけた時には乗船後5分で完璧に出来上がり、以降クルージングの間中、立つこともならず、船内の狭苦しいトイレに覆い被さって過ごしましたが、今回の飛行機酔いも、それに匹敵する苦しさでございました。お客さまが同行しておりましたため、「もう、だめだ! 飛行機を止めろ!」と訴え続ける胃をなだめすかし、なんとか着陸まで持たせたのですが、降りるため飛行機の通路に並んだあたりから、腸が波打ち、脂汗が流れ始め、これはだめだと“Excuse me!”を連発してトイレと思しき場所まで前進したのですが、そこにはギャレーだけでトイレはなく、CAさんに「トイレは後ろですが・・・」と言われたとたん、胃があっさり「おれ、降りた」と我慢を放棄したため、シンクに戻してしまいました。とほほ。慌てたCAさんが、プラスチックバッグやら、ウェットティッシュやらを大量に下さり、さかんに「だいじょうぶですか?」とお聞きになるのですが、あまりだいじょうぶでないことは、見てのとおりというありさまで、しばらくはプラスチックバッグに顔を埋めて過ごしました。しかし幸い、5分ほどで気持ちの悪さは収まり、最後尾の乗客が降りる頃には、私も列に加わって降りることができましたし、ギャレーの隅でけろけろしていたため、同行のお客様に気付かれることもなく、ウェットティッシュで顔の脂汗を拭き、にっこり笑って何食わぬ顔でラゲッジ・クレームで合流いたしました。おほほほほ。同行のツアコンが初日から飛行機酔いでは、お客様に合わせる顔がございませんからね。

■ しかしそれ以外は、小過はあったものの、頭が真っ白になるような大過はなく、なんとか日程をこなすことができました。先に資料がもらえて、予習がばっちりできる今回のようなツアーは、本当に楽でございます。おまけにお客様ご一行が香港人であったため英語もOKで、訪問先のご担当者様が英語をお話しになる場合は、私はそばににこにこしているだけでよくて、楽ちん至極。その上さらに、暇な時やタクシーの中、身内だけの食事の際には、勝手に広東語で喋っていてくれますから、わたくしは相手に合わせて会話する必要もございません。これが中国国内からのお客様で、普通話しか話さないお客様ですと、食事であろうと何であろうと、常に通訳が必要でございまして、まこと気の休まるときがございません。しかもその普通話がなまってなどおりましたら・・・(泣)

■ まあこうして今回は、なんとか事故なく終わることができましたが、どうもやはり通訳という稼業は私には荷が勝ちすぎておりまして、充分ご満足いただける水準にない上、好きでもございませんので、あるミーティングで旧知の日本語・中国語ともぺらぺらで金融にも詳しい某君に会いました際、「現地で通訳頼んだら、いくらくらいかしら?」と聞いてみましたところ、「半日で8万円かな」と言われ、では1日では16万円。5日間頼んだら、80万円。私が現地まで飛ぶ飛行機代、ホテル代合わせても、20万円いきませんので、つまりは現地の通訳氏、1日半分の費用で私を5日間雇えるわけでございまして、なるほどこの方がはるかに安くつくから、上司殿は私を雇っているのだな、と納得いたしました。どんなに下手っぴーだろうと、間違えようと、1日半の費用で5日間使える上、道順の案内から、荷物の手配、レストランの予約まで頼めて、しかも訪問先では自社を宣伝する口上までぺらぺら喋るとなれば、“少々難あり”どころか“相当難あり”でも、上司殿にとってはこっちの方がよいでありましょう。まさに、「ははあ」と納得の会話でありました。どおりでその昔、こうした出張時の手当ては1日200ドルだと、通訳を本業とする知り合いに明かしましたら「それって、米ドル?」と聞かれたはずでございます。私は当然、ご当地での、ご当地在住者同士の会話の常として、“ドル”と言ったら“香港ドル”のつもりで話していたのでございますが、通訳が本業の知人にとっては、通訳役で出張する時の手当てが200香港ドル(約3000円)とは、信じられなかったのでございましょう。まあ、わたくしの通訳のレベルには合った手当てでございますが。さて、忘れないうちに経理部に出張手当の申請をいたしましょう。ついでに空港までのバス代も請求しなくては。わすれたりしたら、大きな足が出てしまいますから。ほほほほほ。
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“Bad Taste” & “Elvira”

  • 2006/10/23 12:58
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昨日の夜、“Bad Taste”('87)という映画を見た。すんげーくだらなくて、気持ち悪くて、脳たりんで、もう脱力して「ははは」と力なく笑いながら、あるいは気持ちの悪い場面では、夫の陰に顔を伏せ「終わった? 終わった?」と聞きながら、それでも最後まで見た。あんまり型破りにくだらなかったので、見終わった後「この監督、次に何撮ったのお?」と聞いたら、隣に座っていた夫が平然と「ロード・オブ・ザ・リングだよ」と言った。「へ?」と思ってDVDのカバーをよく見れば、ちゃーんと‘the director of “The Lord of the Rings”’と大書きしてあった。やれやれ。

説明によると、当時はまだ新聞社勤めをしていたPeter Jacksonが、時間休暇を取ったり、週末を利用したりして、友だちと共に4年間かけて撮ったデビュー作なのだそうである。で、もちろん、このヘンな映画のすぐ次が「ロード・オブ・ザ・リング」だったわけではなく、そこに行き着くまでには、ほかの映画を何作か撮っている。
ストーリーを紹介すると、住民を皆殺しにし、ニュージーランドの田舎街を占拠したエイリアンを撃退すべく、4人のふつーの青年たちが戦う話なのだが、このエイリアンもまぬけなら、戦う青年たちも相当おまぬで、しかもスプラッター映画並みに、画面にトマトケチャップとしか見えない血が飛び散るのだ。金槌で叩かれて、ぴゅー。銃で撃たれて、ぴゅ−。すべって、ころんで、ぴゅー。ついでに脳漿やら内臓やらも飛び散るのだが、ホラー映画と違い、それにより恐怖感が増したりはまったくせず、ただひたすらばかばかしく、「げええっ」と気持ちが悪い。しかし不快な気持ち悪さではなく「なんだよ、これ〜?」と笑いながら指さすような、くだらなさ&気持ち悪さなのである。そして一見素人映画のように見えるのだが、演技にしろ、カメラにしろ、下手かと言われると下手でもないような不思議な感じなのだ。だからこそ、「ばかみたい〜」と言いながら、最後まで見たのである。これはヘンな映画である。ヘンな映画が好きな人には、お薦めである。

ついでに言うと、せりふについては俳優達のニュージーランドなまりがきつくて、いったい何を喋っているのか、私には9割方わからなかったのだが(字幕もなかった)、しかしそれは筋を理解する上ではまったく影響なかった(断言。だって、エイリアンをやっつける以外、筋がないんだもん) しかし、ニュージーランドの人は、ふだんからあの調子で喋っているのだろうか? テレビなどで聞くインドなまり、映画で聞いたシンガポールなまりも、なかなかのものだと思ったが、このニュージーランダーたちのなまりに比べれば、上記ふたつはずうっとましである。少なくとも英語に聞こえる。しかしこの映画の青年たちのせりふは・・・。私は最初、エイリアン語混じりで喋ってるのかと思ったよ。

そういえば、この映画の前には“Elvira”を見たのだった。こちらもカバーでわかるとおり、とんでもB級どたばた映画。きのうは、くだらな映画の日でした。




ところで、本日よりPCのないところに行かねばなりませんので、しばらくブログをお休みいたします。行きも帰りも飛行機が墜ちず、またかの地で車に轢かれず、馬に蹴飛ばされず、虎やライオンや熊やハイエナやクーガに喰われませんでしたら、帰ってきてまた書きます。それまではみなさま、お元気で。

フェミニズムでモンゴメリを解剖すると

  • 2006/10/21 22:08
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ある人が『「赤毛のアン」の秘密』(小倉千加子、岩波書店)を貸してくれ、読み始めたら面白くて昨夜は1時過ぎまで読み続けてしまい、今朝も起きてから読み、途中でジムに行き、帰ってきてまた読みで、ずっと読んでいる。
「赤毛のアンの世界」(M・ギレン、中村妙子訳、新潮文庫)を以前読んだので、モンゴメリがアン・シャーリーにまつわる物語を書き続けなくてはならないことにうんざりしていたのは知っていたが、野心があろうが、才能があろうが、最終的には常に愛する人と結婚して家庭に入るという形の“ハッピー・エンディング”(アン・シャーリー、エミリー・バード・スター、銀の森のパット、青い城のヴァランシー)で物語を終わらせていたモンゴメリを、小倉さんのようにフェミニズムの立場から読み解こうと考えたことはなかった。だからこのアプローチは新鮮で面白かった。

わたしはそもそもなぜ、モンゴメリの作品が好きだった、あるいは現在でも好きなのだろう。たしかに主人公たちはみな、物語の最後で愛する人と結婚して、『その後ふたりは、いつまでもしあわせに暮らしました』と、おとぎ話によくある“Happily Ever After”になるのだが、私に言わせればそんなものは付け足しで、どうでもいいことで、物語に落ちをつけるためだけに必要なもので、私にとって楽しいのはそこではない。私が楽しんだのは、100年近く前のカナダという二重の意味での異国の風俗習慣であり、その美しさが非現実的なまでの筆致で語られる自然であり、また主人公たちについていうなら、その反抗心である。結婚して家庭に入るという良妻賢母的生き方を選んでおいて“反抗心”もないものだろう、と思うかも知れないが、主人公たちは一応、物語の途中で誰か、あるいは何かに対して反抗心を燃やし、その圧力をはね返そうと敢然と立ち上がるのである。「女は教育を受けすぎない方がいい」という周囲の良識に反してカレッジに行くアン、「女の物書き」に対する批判を受けながらも書き続けるエミリー、彼女を押さえつけ、自分の支配下に置こうとする“お祖母様”に立ち向かうジェーン、ヴァランシーではそれが“母親”と“親戚たち”になる。私はこうした立ち上がり、口答えし、やるなと言われたことをやる主人公たちに、喝采を送り、胸がすく思いを感じていたし、今でも感じるのである。

そしてもひとつ私が気に入っているのは、こちらの方は少々少女趣味で気恥ずかしいが、「みにくいアヒルの子の変容」テーマである。アンでも多少そういう要素はあるが、それがもっと端的に表れるのが「青い城」や「丘の家のジェーン」で、実のところ私はアン・シリーズよりもエミリー・シリーズよりも、単発のこの2作品の方が好きなのだ。たとえばこのうち世間的にはさほどの人気でもないらしい「ジェーン」のどこが好きなのかと言えば、夏の間だけ父と共にP.E.島で暮らすことになったジェーンが、父の感化によりその才能を花開かせていくところである。厳格な“お祖母様”が支配するトロントの家では、「間違ったことをしでかすのではないか」という恐怖からいつもびくびくと怯え、しかも美しくなく、親戚中から馬鹿にされていたジェーンが、島で父と暮らすうちにさまざまなことができるようになり、それが彼女に自信を与え、学業でも進歩を見せるようになり、そうした変化が彼女の外見すら変えたのか、美しくすらなるのである。このパターンは「青い城」でもまったく同じである。メンターとしての父が、“夫”のバーニィに入れ替わるだけで、親戚中のつまはじきもの → 成功者 となる筋立てに変わりはない。これを少年/少女の成長物語という風に取れば、ロバート・B・パーカーの「初秋」にも通ずる。(無気力な何もできない少年から、自立した自尊心ある少年へ。ここでのメンターは、探偵スペンサー) こういう筋立てに抵抗できない魅力を感じてしまう幼稚さはわかっているが、こればかりはどうしようもない。それにこうした筋立てに魅力を感じるのが私ばかりではないことは、古今東西の通俗小説あるいは映画に、こうしたプロットはあふれていることからも、わかる。第一、象徴につかった「みにくいアヒルの子」にしてからが、そのものずばりではないか。他にはたとえば「サブリナ」だってそうだし、メインテーマは“自分の作った人形に恋をするピグマリオン”だが、白鳥への変貌もサブテーマではあり得る「マイフェアレディ」、クリスティの「動く指」だって、ミーガンはアヒルから白鳥へ変貌する。

何だか論点がずれてきたかな。さて本の方へ戻ろう。ではまた明日。

少し秋か

  • 2006/10/20 17:28
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さすがのご当地も最近は少し風に涼味が加わるようになってきた。肌寒くなってくればこれの季節かと、引出しから“24 Faubourg”を取り出す。春先から夏の終りまでは主に“Lauren Style”を使っていたのだが、ちょっとあきたし、そろそろこちらを使っても、暑苦しいと嫌がられることはあるまい。
この“24 Faubourg”はこれで3本目か。深みと甘さと自己主張が適度で、夏場以外はいつ使っても気持ちがいい。その“夏場以外は”も、ご当地の高温にして超多湿の夏だからだめなので、ヨーロッパのからりと乾いた夏ならば、違和感なくなじむのだろうと思う。乾いた砂、白い光のヨーロッパと、ねっとりとした湿気がからむようにまつわるご当地とでは、同じ“夏”でも似合う香りは自ずと違ってくる。

それにしても引出しには、人からいただいたのや、自分で買ったのやら、入りきらないほどの香りの瓶がひしめいている。ムエットで試したときには好きだと思っても、2〜3日使いつづけるうちに「どうも違う」と使わなくなってしまったものやら、気分転換に買ってはみたものの、何しろ気分転換用なのでなかなか使いきれずに早10年というものやら、人がくださった「なぜこれを私に?」という大きなクエスチョン・マークがあたまにぽわーんと浮かぶような楚々とした清純可憐な香り、あるいは妖艶にしてゴージャスな香りは、下さる気持ちは大変うれしいが、気恥ずかしくて使えない。これだけ悪事を為してきて今更ディオリッシモでもあるまいよ、ねえ。あるいは性格とのミスマッチが激しすぎる絢爛豪華なシャンパーニュとか。こうした香りたちは、いったいどうしたらいいのだろう。似合うようになるまで、待つのだろうか。たとえば70の枯れたばあさんになったら、紙のように乾いた肌にシャンパーニュが似合うようになるだろうか。

できない

  • 2006/10/19 21:42
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2−3日前、上司から大変にいやな仕事を頼まれて
「無視していれば、そのうち過ぎるかしら」と
様子をうかがっていたのだが、本日また頼まれたので
はっきりと「××はできますが、これはできません。
もっと適任の人がいるのではありませんか」と断った。

上司は「そうですか・・・」と言ってしばらく考え、
いくらも経たないうちに“もっと適任の人”を見つけて
その人に頼んだ。一件落着。
一昨日、昨日と、うだうだ悩んだのが、ばかみたい。

しかし、ほっとした後で「仕事で“できない”と言って
断るのはアリなのだろうか」と考え始めてしまった。
今回のこの仕事に限って言えば、“できない”の意味は
「わたしは非常に低レベルでしか、その仕事を行えない。
だからやりたくない」であり、文字通りの“できない”ではない。

例をあげれば、ケーキを焼いた経験が数えるほどしかない見習い小僧に
親方が手一杯だからと、注文のウェディング・ケーキの制作を任せる
ようなこと、と言ったらいいだろうか。
一応の技術はあるから、ケーキを焼こうと思えば焼ける。
しかし経験が少ないし、ウェディング・ケーキは初めてだから
監督もなしで焼かせたら、ひどい失敗をするかもしれない。
この場合見習い小僧は「はいっ!」と勇んで返事し、夜を徹して
ケーキ作りに励むべきなのか。
それとも「親方、私には明日までに人前に出せるケーキを焼くことは
できません。兄弟子の店に頼んでください」と言うべきなのか。

「大事なウェディング・ケーキを、見習い小僧なんかに任せようという
親方がそもそも問題」とも言えそうで、はてさて。

いらいら

  • 2006/10/18 15:36
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■ なんか最近、自分の文章が鼻について困っている。書いても、読んでも気持ちにしっくりこない。いらいら。

■ 仕事の面でも、いらいら。“好き”な仕事をする必要はないが、嫌いな仕事、不得意分野の仕事は、やはりやらない方がいいのではないか。最近、「これも訓練」なんて考えて、四則計算の概念もろくに理解できないくせに、税務課への異動を希望した平成×年のあの日の選択が、そもそもの間違いだったのではないかと思えてならない。
以降、税務課 → 経理 → 金融 と、どうもベクトルの方向が不得意分野へ、不得意分野へと向かって行ったような気がする。不得意なフィールドでは、訓練や仕事の成果が上がらないだけでなく、本人自身のモチベーションも上がらない。常に常に“何か折り合いが悪い”感じが否めず、仕事をしても喜びがない。
若者よ、わたしは自分探しなんてくだらないと思っているおばさんだが、どうしても探さなくてはならないのなら、「自分は何をしたいのか」ではなく、「何だけはしたくないのか」を見きわめる方が、実際的かもしれんよ。“好きじゃない”程度の仕事なら、やろうと思えばできるが、“大嫌いな仕事”は我慢してやり始めても、長くは続かんし、進歩もない。そのうえ苦しい。うぐぐぐぐ。

■ あんまりいらいらするので、少し気持ちを静めようと、一昨日 bk-1 から届いたモンゴメリの「青い城」を読み始めた。数年前に友だちから借りて読み、大好きになった本なのだが、手もとには英語版しかないので、今回、谷口由美子さん訳のを取り寄せたのだ。森の中の生活の静けさ、美しさを存分に堪能するには、やはり私は日本語の方がよい。日本語ならばわたしは泳いでいることを忘れて自在に泳げる。ことばの一つ一つを味わい尽くせるのは、やはりなんと言っても日本語なのだ。

お弁当包み

  • 2006/10/17 16:14
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■ 先週わたしは、ふだんおべんとを包んでいる紺の猫模様の大判ハンカチを見ながら、「これもだいぶ染みがついてきたし、色も今ひとつぱっとしないし、ここらでひとつ“あ、お弁当だ(はあと)”と気持ちが明るくなるような布に替えようか」と、同僚のマンディさんに「この辺でどこか、ハンカチ売ってるお店あったっけ?」と話しかけたら、「香港人はおべんと包むのにハンカチなんか使わないよ。スーパーのビニール袋で充分だよ。汚れたら捨てればいいしさ」と返されてしまった。とほほ。そんなことは、わかっているよ。中国文化圏ではハンカチは別れや葬式を連想させ、縁起が悪いことも知っているよ。多くのトイレにはペーバータオルが常備されてるし、汗を拭くにはティッシュを使うことも知っているよ。おかげで私自身、この10×年でハンカチをバッグに入れて外出したことなど、たぶん4〜5回しかないけどさ。でもお弁当はね、スーパーの袋に包まれたおべんとと、きれいな布に包まれたおべんとじゃ、気分が違うと思うんだけど。生活の中にも美はあらまほしきものなり。

■ とまあ、ごたくはともかく、必要なのは布。たぶん日系スーパーかデパートにでも行けば、ハンカチかランチクロスを売っているのだろうとは思ったが、それだけのために海を越えてお出かけするのはなんだし、第一気に入ったのがあるとは限らないので、代わりに隣の駅の布地屋に出かけた。隣の駅には、布地屋が2〜3軒ある。本当は白地に赤い唐辛子がとんでいるような布が欲しかったのだが、そのものずばりはなかったので、代わりに白地にトナカイとアヒルがとんでいるのにした。50cmもあれば十分だったのだが、芯に巻かれた布の残りは1.5m弱。おじさんが「安くしておくから全部買わない?」と言ったので「いいよ」と全部買った。70元弱。家に帰ってアイロンをかけ、50cm角に切って、3辺をまつり縫い(残り1辺は布端)。久しくまつり縫いなどしていないので、最初は手が動かず、目も揃わず。3辺まつるのに、1時間近くもかかってしまった。でも、できた。できたのでよいということにする。でもそのあと楽天とか見たら、きれいな二色使いの小紋柄のちりめんのお弁当包みとかを売っていて、縫い上げたばかりのトナカイ、アヒル柄が色あせて見えた。ちっ、どうして日本には、こういうちょっときれいなものが、たくさんあるのかしら。

ねこ

  • 2006/10/16 09:12
  • Category:
妹が猫の写真を送ってきた。

これなどは ↓ かわいい。
灰色の目の美人さんである。





しかし、これはなにか?
これを母猫(右)および子猫(左)と認識するには
若干以上の背景知識が必要であるように思われる。

妹よ、早いとこ新しいケータイに慣れて、も少し解析度の高い
写真を送っておくれ。よろしく。

これ、なんだろう?

  • 2006/10/14 21:33
  • Category:
街市で何だかよくわからないものを見つけた。↓








最初は食用サボテンかと思ったのだが、よく見るとどうやら豆の一種。
大きさは、さやえんどうの約3倍。色は浅い緑に、紫のぼかし。
売っているおじさんに「これ、なに?」と聞いたら
おじさんは「☆△□×・・・」と言った。
なんだかぜーんぜん、わからなかったが、
「あ、そ」と言って半斤3元で買ってきた。

何しろ初めて見るものだし、どう料理していいかわからない。
しかし、いずれにせよ巨大さやえんどうのようなものだろうと
さっとゆでてから、ニンニク炒めにしてみた。
味は「・・・」  特に美味ならず。
肉厚で歯ごたえがあり、ちょっとスモーキーな風味。
これ、なんだろう?

どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。

二人のオクサン、2つのカバン

  • 2006/10/13 15:42
  • Category:
「なぜ人は、必要のないものも欲しいと思うのか」「そもそも“欲しい”とは何なのか」なんてことを、マシーンの順番待ちの間にジムで夫と喋っていて、なにしろ順番待ちの間の会話だから、とぎれとぎれで別段深いテツガクテキ考察に進んだわけではなかったのだが、途中で夫が「なぜ突然そんなことを言い出すのか」と問うたので、「水曜に見た鞄が忘れられず、昨日も昼休みに階下のモールに見に行ってしまった。鞄はもう1個あるし、はっきり“不必要”とわかっているのに、なぜ欲しいと思うのか考えていた」と言ったら、かなりしばらく経ってから「クリスマスの時、まだその鞄を売ってたら、買ってあげるよ」と言った。おおお・・・!! 言ってはみるものである。私設サンタさんが、クリスマスの朝、私のまくらもとにぴかぴかの型押し鞄を置いておいてくれるというのである。なんという温情!

しかーし、実は私は困っているのである。うれしいのはうれしいのだが、困っているのである。だって私はほんとに、この鞄は必要ないのだ。ただきれいだから、欲しいだけなのだ。焦げ茶の型押しの滑らかな耀きが、私をとろけさせているだけなのだ。理性を以って考えれば、この鞄は要らんのだ。オクサンが二人いたら楽しい反面いろいろ大変なように、鞄が2つあっては、楽しい反面いろいろ大変なのだ。(って、どんな比喩だ?)
一遍に二人のオクサンの相手はできないように、一遍に2つの鞄は使えないし、しかもこのオクサン、いや違った鞄は双子のようにそっくりである。(なにしろ今持ってるのと同じブランドだからな。私って、振られても振られても常に同じタイプの女性にばかり惹かれる、もてない男みたい)右を向いても、左を向いても同じ顔がにっこり、の双子の姉妹をオクサンにするメリットは何か? はて、なんだろう? やっぱり片方ブロンドなら、片方は黒髪にするべきだよなあ。ああ、なんだかだんだん比喩が一人歩きして来た・・・。これは確か鞄の話のはず。

デパートはあぶない

  • 2006/10/12 15:08
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きのう新しいレンズに付け替えてもらおうと眼鏡屋さんへ出かけ、使用中の眼鏡を渡したら「付け替えますから、30分後にまたいらしてください」とおっしゃる。30分では、ここからスタバにでかけ本を読むほどの間でもないと、ひまつぶしに近くのデパートの中を30分間うろうろ。しかし、これは大変に危険な企てだった。

外はまだ半袖、夏模様だが、デパートの中は秋一色。深い色合いのあたたかそうなコートやら、ジャケットやらが、あちらからこちらから私に手を振ってくる。寒がりのわたしはこういう暖かそうな衣類に弱く「外は30度なんだからまだ要らんだろう、そんなものは・・・」と理性が言っても、感情の方が「えー、でもお、また冬が来るしぃ、これ暖かそうだよ?」と上目遣いしてくる。危険である。
ことに某英国ブランドのコーナーにあった明るく深い赤、女王陛下が着そうな赤のハーフコートは、シンプルなラインながら細部の処理が美しく、大いに心惹かれた私は、首を横に向けたまま、その前を6回くらい行ったり来たりしてしまった。ブランド名から見て買える値段でないことは明白だし、第一、ほとんど常に暖かいご当地で一体いつ着るんだ?という基本的問題もあるので、その店に入ってコートを手にとり、店員さんに乗せられて試着し「あらん、どうしようかしらん」などと悩むことはしなかったが、寝る前にも頭の中で、赤いコートが五星紅旗のようにハタハタとはためいていた。実は今もハタめいている。困ったことである。

そのほかにも、トウが四角のバレリーナシューズとか、黒と見まごうばかりに深い茶色の型押しのA4サイズの鞄(わたしは鞄にも弱いのだ。とほほ・・・)とか、種々の品々が私の気を惹き、「お買いなさいよ。ワタシがあると楽しいわよん」と妖しい誘惑の手を伸ばしてくる。ねっとりとタコのように伸びてくるその手に絡め取られることなく、お買物の紙袋を持たずにデパートから出てこられたのは、ひとえに私の強い、強い意志の力によるものである。まるで「荒野の試練」に打ち勝ったイエス・キリスト並み。
うむ、我ながら実に立派であった。

しかし戦いは1日では終わらない。なんたってウチの会社は、ご当地有数のショッピングモールの上にオフィスを構えているのである。昼休みエレベータで下に降りれば、そこはブランドショップが綺羅星のごとく並ぶ吹き抜けの宮殿。赤いコートのショップも、型押し鞄のショップも、ずらり並んでわたくしの来臨をお待ちかね。ああ、これは地獄か極楽か。

ディテイル

  • 2006/10/11 21:13
  • Category:
ここ10年ばかり、ふつうの小説に対する興味が薄れて、お楽しみのための読書は、ほぼミステリと時代小説に二分されてしまっているが、ミステリを読むといっても、私は別に謎解きをしているわけでもなければ、犯人を追っているわけでもない。ただお話の中に現れる細部を楽しんでいるのである。たとえば今、『パイの物語』を一時ほったらかしにして読み返しているローリー・キングの『愚か者の町』には、フール(聖愚者、大文字のFool)に関するエピソードが出てくる。しかもほんの3〜4行ではなく、宗教学関連のテキストからの抜粋のような記述が、4〜5ページ続くのだ。これが楽しい。思いがけないところで、期待していなかったペダントリーに遭うと、私はうれしくなるのだ。
こんなものが出てくるのも、著者のローリー・キングさん自身が神学を学び、比較宗教学でBA、旧約聖書神学でMAを取得した人だからで、付け焼刃でない知識が、小出しにちらりちらりと披露されている。

映画でもそうだが、楽しいのは細部なのだ。誰だっけ、美は細部に宿ると言ったのは?

『八月の鯨』

  • 2006/10/10 16:58
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どなたのブログだったか申し訳なくも失念してしまったが、アメリカの老人ホームで暮らす人の話として、何がいやと言って介護の職員達から誰彼の区別なく“グラニー”と呼ばれるのが、一番いや。思わず「わたしはあなたのお婆ちゃんじゃないわ!」と言いたくなるという話があった。また別のところで、老人ホームでは姓がなくなって、若い職員達からも全員ファーストネームで呼ばれる。まるで子ども扱いのようで不愉快だと不満を漏らす老婦人の話があった。

目が、耳が遠くなること、体がきかなくなり、何をやるにも時間がかかるようになって、以前は簡単にできたことができなくなる。それだけでも苛立たしく、情けない思いだろうに、まして、そうした身体の衰えを精神の衰えであるかのように周囲が受け取って、老人を一人の判断力を持った“大人”ではなく、半人前の“要介護者”、自立できない者として扱い始めたとしたら、その無念さはいかほどのものか。「他者からの敬意なしに、人間は愉快に生きることはできない」とお書きになったのは内田樹先生だが、老人や病人はこの「他者からの敬意」を簡単に奪われ、尊厳なく扱われる立場にいる。

だから人は、『八月の鯨』の中で、老いたセーラとリビーの姉妹が、老いてもしっかりと自分達の生活を続けていること、目が見えなくなり、体がきかなくなり、ゆっくりとしか歩けなくなっても、今までどおりの自立した生活を続けていることに、感動するのではないか。きかない手で家具調度のほこりを払い、庭の草花の手入れをし、食事のしたくをし、客の前にはきちんと着替えて現れる。そして相手の気持ちを慮りながらも、自分の意見ははっきりと言う。また「張り出し窓があったら、すてきだろう」と明日の日々のために、生活を楽しいものにしようとしている。「もうすぐ死ぬのだから」「残された日々に過ぎないのだから」などと、日々の生活をおろそかになどしない。最後の最後まで、“普通の生活”を品位をもって続けようとする。なんという柔らかな強さ。

願わくは、私どももそういう風に老いたいものだと思うが、問題は“品位”は一朝一夕には生まれないことで、あの二人は若かった時から「きちんとした生活」を送っていたから、老いても「きちんとした生活」を送れるのであって、年をとったから品位が生まれたわけではないのだ。品位とは蓄積なり。美も蓄積なり。
40代からトドになっていたのでは、老後の品位は望むべくもない、ということで最近さぼりがちの掃除でも、まずは為すべきか。ついでにどこかにおられる神様、私どもに最後まで呆けないでいられる幸運をお与え下さい。

それにしても付き合いはファーストネームベースの米国で、姉妹であるリビーとセーラ、50年来の友人であるティシャはファーストネームで呼び合うものの、外からの訪問者であるマラノフ氏に対しては、あくまでもMr. Maranov、マラノフ氏の方もMrs. Webber、Mrs. Strongで通すのは、なんだかいかにも古きよき時代の堅苦しくも美しい礼儀作法を彷彿とさせて新鮮だった。そういえば出入りの大工のジョシュアに対しては、セーラは「ジョシュア」と呼びかけていたけれど、ジョシュアの方は“Mrs. Webber”で通していたかしら? ちょっと記憶がはっきりしない。あとで確かめてみよう。

年寄る

  • 2006/10/09 13:31
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■ 眼鏡屋さんへ行き、フレームはそのまま、眼鏡のレンズだけ換えてもらう。PCのディスプレイ上の文字は支障なく見えるものの、最近、眼が疲れやすく、それが頭痛を呼び込んでいるような気がしたので。案の定眼鏡屋さんは「2度遠視の方に進んでいる」と。そして「眼鏡は1年半か2年に1回は見直してくださいね。前回いらしたのは03年の1月ですよ」と私のチャートを見ながら、おっしゃる。ごめんね、眼鏡屋さん。実は04年の終りに別の眼鏡屋さんで、新しい眼鏡を作ってもらってしまったのだよ。だってお宅には、私の欲しい小豆色のフレームがなかったんだもん。ただし、その眼鏡はフレームには難のつけようがないものの、度の合い方がシャープ過ぎて、半日が限界。仕事には使えず、もっぱら家でのPC作業用に使っている。こちらも折をみて、なじみの方の眼鏡屋さんで、度を調整してもらおうか。なじみの方の眼鏡屋さんは、一発判定コンピュータ検眼ではなく、昔懐かしいお試し用レンズを入れ替えながらのアナログ調整で、気のせいかもしれないが、ほどよい調整が眼にやさしい気がするのだ。

■ 最近ジムのそばには、フレーム+レンズで188元(邦貨3000円弱)なんて眼鏡屋さんが現れていて、そこで眼鏡をあつらえた知り合いは「ぜーんぜん、問題ないよ。すぐできるし」と言っていたが、2つ目、3つ目の気分転換用眼鏡ならいざ知らず、メインの眼鏡としてはいかがなものか。ちなみに、なじみの方の眼鏡屋さんは、安い方を選んでもレンズだけで400元である。

■ もうひとつ付け加えると、なじみの方の眼鏡屋さんは、店員さんがみな年配ばかりである。なのでそこへ行ってカウンターに座り、オジ(イ)サマに応対してもらうと、自分が若い娘になったような気がする。安売りの店ではこうはいかない。店員はみな10代か20代のワカモノばかりで、早口の広東語あるいは英語で、ぴしぱしと応対され、私は一気に年齢相応のオバサン、あるいはオバーサンに引き戻されるのだ。情け容赦のない老若の対比である。仕方があるまい、奴らは私の半分あるいはそれ以下の年齢だ。動きのひとつひとつ、言葉の端々から、若さが弾けて外に飛び出し、白く炸裂して、こちらの目を眩ませる。おお、青春の光よ! である。

■ こんなことを思ったのも、眼鏡屋さんから帰ってきた後、“The Whales of August(八月の鯨)”を見たからである。公開された当時から、見たい、見たいと思ってはいたものの、田舎の貸しビデオ屋にはなく、その後はご当地に来てしまい、そのままになってしまっていたのだが、最近になって、ご当地のショップは漁り尽くし、北米のDVDサイトにオーダーを始めた夫が、私の要望に応えて取り寄せてくれたので、やっと見ることができたのだ。
塩野七生さんも書いておられることだが、映画にはそれを見るにふさわしい年齢というものがある。見たいと思っていた20年前には見ることができず、40半ばでこの映画を見ることになったのは、あるいは大変結構な巡り合わせだったのかもしれない。映画のゆったりしたテンポを楽しむにも、「老いる」ということのディテイルのひとつひとつを、我がこととして見るにも。

**** しかし、この映画については、また明日。なにしろ私は、短く書けない人なので******

子猫六匹

  • 2006/10/07 12:59
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日本は今日から3連休らしい。母から電話があり、連休なので妹が猫を4匹(!)連れて、実家に向かっていると言っていた。4匹全部飼ってくれと、母たちに泣きついているらしい。もともと妹は漱石と諭吉と一葉という3匹の猫を飼っていたのだが、どうやらそのうちの1匹が先日子猫を生んだらしい。わたしは3匹全部雄だと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。(え? 漱石と諭吉が雄で、一葉が雌なんじゃないの?と思われる方も多いと思うが、妹もジェンダーフリー派なので、名前は必ずしも性別を代表しないのだ。漱石が妊娠したということもあり得るのである。やや、紛らわしい)

妹の弁によれば、避妊手術が間に合わなかったということなのだが、猫たちはあっという間に大人になるので、まあそういうこともあるだろう。人間だって、お母さんが気づかぬうちに娘が妊娠してしまうことは、ままある。お腹が目立ち始めてから、あたふたするところも同じである。

話がそれたが、その漱石だか一葉だかから生まれた子猫は6匹で、だから妹は一時9匹の猫たちと暮らしていたのだが、新居への引っ越しにあたり、さすがに全部は飼いきれなくなったらしい。いろいろ引き取り手を探したものの、短期に全員の里親は見つからず、困ったときの親頼み。実家に持ち込んじゃえ!ということらしい。それに何のかんの言っても、実家の親たちは犬猫好きである。表面ではぶつぶつ言いながらも、手元に置いておくに違いない。幸い、今、実家には猫はいない。父を主人と仰ぐポチという少年犬がいるだけである。
さて、妹の猫たちはどんな感じか。着いた頃を見計らって電話して、ケータイで写真を撮って送れと命じよう。

トラこぶた

  • 2006/10/06 13:01
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■ この間の食事会の時のジョゼの話。ある動物園で、雌トラが気鬱に陥った。理由は、生まれたばかりの子どもを亡くしたこと。心配した飼育係や獣医が、「代わりに可愛がれる子トラがいれば、元気になるかも」と、亡くした子どもの代わりとなりうる子トラを必死で捜したのだが、周辺に適当な年齢の子トラちゃんはいない。そこでどうしたか? なんと、子豚ちゃんにトラ皮を着せ、子トラに変装させて、母トラに与えたのだそうである。そうしたら母トラは大喜び。子どもがトラではないことなど気にも止めず、トラ皮をかぶった子豚たちを可愛がって、幸せに仲よく暮らしましたとさ。 ↓









■ 動物(人間含む)には愛情を注ぐ対象が必要ってことなのだろうか。それにしてもトラ皮を着た子豚って、かわいい。虎の威ならぬ、虎の衣を借る子豚たち。ちなみにジョゼが送ってくれた元記事はこちら ↓

In a California zoo, a mother tiger gave birth to a rare set of triplet tiger cubs. Unfortunately, due to pregnancy complications, the cubs were born prematurely and died shortly after birth.
Mother tiger after recovering from the delivery, suddenly started to decline in health, although physically fine. The vets felt that the loss of her litter had caused her to fall into a depression. The doctors decided that if she could surrogate another mother's cubs, perhaps she would improve. After checking with many other zoos, the depressing news was that there were no tiger cubs of the right age to introduce to the tiger mother. The vets decided to try something that had never been tried in a zoo environment.
Sometimes a mother of one species will take on the care of a different species. The only "orphans" that could be found quickly, were a litter of wiener pigs. The zookeepers and vets wrapped the piglets in tiger skin and placed the babies around the mother tiger. The results . . .


135

  • 2006/10/05 16:51
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■ わたしは、火曜日に、ベンチプレスで、135ポンドを、あげました。


■ うおお! 自己最高記録である。長年の夢、一番大きい輪っか(45 ポンド)をつけてのベンチプレス。ああ、私の中のマチズモが刺激される。なんともはやわかりやすく、幼稚な“力”の誇示。しかし、どう考えてもフェミニスト寄り、ジェンダーフリー派(山谷えり子さんとは反対ね。つまり安倍首相とも反対ね)で、かつ女である私が、マチズモ(男性優位主義、男性誇示)と抜き難く結びついた“力”の誇示なんぞに陶酔していてよいものか?

■ とは言うものの、かつて挙げられなかったものが挙げられるようになるのは(=できなかったことが、できるようになるのは)、単純にうれしい。ベンチプレスの大会に出るような人たちは、軽くこの2倍の重量くらいは挙げているが、ま、私は週3回しか練習しないお素人さまなのだから、そうした本腰を入れたベンチプレッサーたちと比較してみても始まらない。機内で自分の荷物を持ち上げられ、転んだ時に自分の体重を支えられればよい。それ以上はまあ、楽しい遊びである。

■ しかしながら、私が135を挙げたことに気をよくした夫は、私にクレアチンを摂れと勧め、自分のを分けてくれた。クレアチンは、瞬発力を必要とするスポーツに有効と言われるサプリメントで、夫はこれを摂り始めてから、315 を(比較的)楽に挙げられるようになったという。そんなサプリまで飲んで挙上重量を上げんでもよかろうと思うが、「ま、ちょっと試してみなさい」というので1カ月ほど試すことにした。で、昨日から朝1杯ずつ飲んでいる。気の抜けたファンタグレープのような味。夫の評は“Drinkable” まさに。

■ ところで、130を挙げられるようになったのが、7月15日で、135が10月3日だから、5ポンド記録を伸ばすのに、2ヵ月半かかっている。その間、体重も2ポンド増えた。体重を2ポンド増やして、挙上重量を5ポンド増やしたのは、効率がいいと言うべきか否か。夫は「一般的に言って、体重が増えると挙上重量も上がる。たとえそれが筋肉ではなく腹の脂肪であっても、体重が増えれば、挙げられる重量は増える」と言うのだが、腹の脂肪を増やしてベンチの重量を上げても、ねえ? なんか方向、間違ってるよねえ?

トド三昧

  • 2006/10/04 16:24
  • Category:
■ 4日もブログをさぼってしまった。出張でもないのにこんなにさぼったのは、初めてだ。3連休&連休明けの業務多忙が理由だが、ま、これは理由というよりは言い訳か。本日よりまたぼちぼち始めますので、みなさまよろしゅうおたの申します。

■ 連休1日目。食事会。買物、料理、掃除。段取りを誤り、料理失敗。ごめんね、J&B&D。デザートのサマーフルーツのプディング(夫制作)がおいしかったから、許してね。

■ 連休2日目〜3日目。食事会の疲れ&料理失敗による気落ちにより、朝から低調。部屋の中で、ごろごろ過ごす。ソファにごろごろ、ベッドにごろごろ。映画を見てごろごろ。本を読んでごろごろ。ごろごろのごろごろで、常に寝そべりの北海のトド状態。夫もまた13日間連続勤務&食事会の疲れが出て、風邪気味、低調。ふたりして小トドと中トドと化し、家の中をトド園にして、うだうだと過ごす。

■ で、トド2頭は映画を5本見た。“Take it on 3”“Match Point”“Kinky Boots”“Glory Road”“Combien tu m’aimes?” この中でお薦めは1、3、5か。1は定番ハイスクール・チアリーダーもの。何しろ定番なので、ストーリーに新味などはカケラもないが、こういう映画の目的は、可愛い女の子たちの若さ溢れる肢体と、見事な動きをよだれをたらしながら見ることにあるので、ストーリーなんかどうでもいいのである。主役の女の子もまあ可愛かったが、ビヨンセの妹、ソランジュ・ノールズが◎ ダンスというか、チアリーディングにも目を見張る。いやあ、眼福、眼福。それにしても、ふつうのアメリカの高校生は学校で何やってるのだろう? 奴らはいつ勉強するのだ? アメリカのハイスクール映画を見るたびに浮かぶ疑問である。
■ 2本目は今をときめくスカーレット・ヨハンセン主演の映画なのだが、おとなしく貞淑な金持ち女と結婚した男が、ファム・ファタールタイプの女に惹かれ、あげく・・・という典型的三角関係モノで、途中であくび。最後のどんでん返しで何とか救われた形だが、そうでなかったらFをつけたいくらいである。そもそも私は優柔不断のぐずは嫌いなのだ。計算できない奴も嫌いなのだ。Aをやったら、Bという面倒が起こる事がわかっていて、なぜやるか? 理解不能。その面倒事を自分ならうまくさばけると思い、実際さばいてのけるなら別だが。
■ 3本目は、イギリスの田舎(ノーサンプトンという設定。ノーサンプトンって田舎なの?)で3代続く一生ものの折り目正しい紳士靴を作る工場。でも東欧から安い靴に押されて経営不振。倒産だけは何とか避けたいと、必死の決意で乗り出したニッチ市場は、なんとドラッグ・クイーン用の超セクシーなハイヒールシューズ。男の体重をピンヒールで支えるために、スチール製のソールを考えたり、苦心惨憺。そしてミラノの見本市にいざ進軍!というお話。田舎の靴工場に働くおじさん、おばさんたちの地味な味わいと、アミスタッドにも出ていたChiwetel Ejiofor(発音は、chew-it-tell edge-oh-for だそうだ)のドラッグ・クイーン姿が見もの。
■ 4本目は実話ベース。人種差別が残っていた’66年に、初めてNCAAバスケット・トーナメントで黒人選手を起用し、当時トップだったケンタッキー大学を負かしたテキサス・ウェスタン大学チームの話。秀作。今、黒人のいないバスケ・チームなんて考えられないけど、40年前は逆に黒人が公式試合に出てくるなんて考えられなかったということか。40年で常識は変わる。
■ 5本目は、モニカ・ベルーチ主演のフランス映画。映画サイトでの評価はさほど高くないので、期待せずに見たのだが、案に相違して、2頭のトドは「あは、あは」とよく笑った。モニカ・ベルーチが、そのマドンナ(歌手の方じゃなくて、イエス様のお母様の方の)のような美貌と、超豊満な肉体でスクリーンを圧倒する一方、男の方は小づくりでシケた風貌のフランス男しか出てこなくて、それだけでおかしい。それにしてもモニカ・ベルーチは「マレーナ」の時より、だいぶ豊満さが増しているようだが、これはイタリア女性としては必然のなりゆきというものなのだろうか。

■ 10月から始まった新しいNHK朝ドラ。宮崎あおいちゃんには申し訳ないが、前の「純情きらり」はどうしても好きになれず、その時間になるとローカル局のニュースにチャンネルを変えていたのだが、今回のは大変けっこう。なんたって藤山直美さん、なんたって田辺聖子さんである。これでつまらんかったら、責められるべきはNHKだ。「芋たこなんきん」というタイトルからして、好ましい。いいかげん「こころ」だの「わかば」だの「てんか」だの、3文字のタイトルは止めておくれな、NHKさん。あまりの芸のなさに、顔が赤くなる。私は「うず潮」の時から朝ドラを見(見てないときもあったけど)、受信料もちゃんと払っているNHKファン(少し疑問)ですぜ。うなるようなドラマを作れとは言わんが、恥ずかしさに背中がざわざわするようなドラマだけは、勘弁してくれ。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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