おひとりさま

  • 2007/01/31 16:27
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今回の出張では、珍しく二晩ほど接待の入っていない晩があった。出張中の食事代についてはクライアント持ちということになっていて、クライアントさんは太っ腹にも「何でも好きなものを食べて、あとで領収書を回してくれればいい」と言ってくださったのだが、そうは言ってもみみっちい私のこと、「それでは!」とばかりに高級レストランに繰り出す気にもなれず、それに何より、おいしいものを食べたいという気持ちよりも、1人でゆっくりしたいという気持ちの方が強く、結局、二晩とも近所のデパ地下あたりでお弁当を買って、ホテルの部屋でバスローブに着替え、ひとりのんびり食べた。
といって別に手抜きをしたわけでもない。しらすおこわ、納豆汁、味噌カツ、じゃがいものコロッケ等、日本では珍しくもないが、ご当地ではなかなか食べる機会のない“ふつうのごはん”を選んで夕食にしたし、食後の甘味も、きんつば、豆大福等を楽しんだ。外での食事では、こうはいかない。

昔は1人でも気にせずレストランに入り、(話し相手がいないものだから)シェフが驚いて見に来るような速さでコースを平らげたりしたこともあったが、最近はそういうことが面倒になってきた。食べることは相変わらず好きだし、美食家ではないが健啖家であることは、よおく自覚しているが、“食べる”ことを目的に1人で外に出る気になれない。どうせおいしいものを食べるなら、好きな人と一緒に食べたいと思うようになったからだ。それにいくら「おひとりさま」が市民権を得るようになってきたとは言っても、やはり食事というのは(ことに夕食は)ひとりではあまりさまにならないのだ。

はるか昔に読んだエッセーの中に、日暮れ時の蕎麦屋で初老の男性がひとり、天ぬきか何かを肴に飄々とお銚子を1本楽しみ、最後にさらっとそばで締めて立ち去るというのがあった。書き手は今のわたしと同じくらいの年齢のおしゃれで有名だった女性で、「中途半端な年齢の女では、なかなかこうはいかない」という意味の感想を書いておられたが、全く同感である。わたしの場合、ひとり吉野家に入り、牛丼を平らげることはできるし、その姿が妙に浮いて見えたりしないだけの風格(とほほ・・・)はあると思っているが、日暮れ時の蕎麦屋で飄々と一杯やって様になるだけの風格は、全くない。こんなことができそうな人として私の頭に浮かぶのは、白洲正子さんくらいである。そういえば今回本屋に「白洲次郎・正子の食卓」という本が、平積みになっていた。面白そうとは思ったものの、ベジ・メニューではなかったし、ハードカバーで重くもあったので、買ってはこなかったが。
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異床同夢

  • 2007/01/30 15:27
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出張に行く前のとある休日の朝、ぼおっとした顔で起き出してきた夫は、どかりとソファに座り込むなり「今朝はヘンな夢を見た」とつぶやいた。聞くと、彼の両親の夢だと言う。

久しぶりに会った両親が彼に向かい「実は家を買った」と告げたのだと言う。場所はどうやらモントリオールの中心街。大きなショッピングモールの真ん中にあって、買物等に至極便利である割には極めて静かな環境で、しかも美しい大きな家。これはきっと高かったに違いないと思い、夫がお母さんに「いったい、いくらだったの?」と聞くと、お母さんは言いにくそうに「それがかなり高かったのよ」と下を向き、夫が重ねて「いくら?」と聞くと、返って来た答えは「Eleven million eight hundred thousand・・・」「1,180万ドルぅ!!??」
夫は仰天した。カナダドルで1,180万といえば、日本円では12億円超である。一般庶民に手が出るような額ではない。しかしお母さんは「もちろん、モーゲージ(住宅ローン)組んだのよ」と続け、夫が青ざめながら「何年の?」と聞くと「2000年・・・」と。
聞いた夫は、忙しく頭の中で考えた。両親はもう70代だ。どんなに長生きしたところで、せいぜいあと30年だろう。2000年間のモーゲージだとすると、残りは1970年。自分はまだ50代だからあと40年くらいは生きられるとしても、そのあとはどうしたらいいのだ? 困ったことにわたし達には子どもがいない。弟にも子どもはいない。モーゲージを引き継いでくれる次世代がいないのである。ああ、困った。どうしたらいいのだ? うわあ・・・!!

というところで、目が覚めたのだと言う。夢の中で言われたEleven million eight hundred thousand という数字を、はっきり覚えているところも可笑しいが、モーゲージが2000年というのも、実に可笑しい。銀行もまた随分と気前よく、とんでもなく長いローンを組んだものである。

そしてもっと可笑しいのは、実は同じ朝、わたしも両親が家を買った夢を見ていたのである。夫の両親同様、ウチの両親も分不相応に大きい家を買っており、しかも我が両親殿は家だけでなく、さまざまな家電製品も買いこんでいた。居間にはどーんと大型プラズマTVが鎮座して、父がその前に座り込んでいる。それを見たわたしは「お母さん! ちょっとしっかりしてよ! 言いたくはないけれど、こんなに買いこんで、いったいどうやって支払いするつもりなのよ?」と、内心の憤りを精一杯抑え、歯噛みをしながら懇々と諭しているのである。わたしの方も、「もう勘弁してよ!」と思ったあたりで、目が覚めた。

お互いの夢の話をして、その偶然の一致にひとしきり笑いあったが、夢とは言え双方の両親がそろって家を買うというのは、いったいどういう暗示なのだろうか。
そしてまた「同床異夢」というのはよく聞くが、「異床同夢」というのもあるとは、世の中不思議なものである。

ただいまでございます

  • 2007/01/29 15:54
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今回の出張では、「いや〜、日本語お上手ですねえ」と2回ほど誉められた。「はあ、日本語だけは上手なんです、わたし」と笑いながら返したが、内心では「ふえ〜、このなまりのない、よどみなく流れる美しい日本語を聞いて、どうして日本人とわからないわけ? はっきりと、明らかに、まっとうにして折り目正しい、正真正銘の日本人の日本語でしょうが!」といささか悄然。おまけに家に帰って夫に「日本語、誉められたよ」と報告したら、がはははと大きく笑われた上、「日本人はねー、ほんとに上手な人にはそういうこと言わないよ。二言、三言、ちょろちょろ喋れるくらいの人に、そう言うんだよ」と言われた。ぶー。ということは私の日本語は、日本滞在1年目の留学生並みということですか? ますます、がっかり。

そういえば夫は「君の日本語は、少し古くなってるんじゃないの?」とも言っていたが、そんなことがあるだろうか? 終戦直後に海外に渡った戦争花嫁ならともかく、私が日本を離れたのはたかだか10×年前である。確かに“今”テレビで話題になっているような流行語、略語の類いでは知らないことばもあるが、基本的には現代の日本語を喋っているはずである。たまにヘンな古臭い単語がちょろりと紛れ込むとすれば、それは普段読んでいる時代小説のせいであって、決してその時代を生きていたためではない。確かに私は日増しに婆さんになりつつあるが、それにしたって八百比丘尼ではあるまいし、数百年も生きていたりはしないである。

今回、本屋では縫い物の本を2冊ばかり買ってきた。先日、古タオルで雑巾を縫ってから、縫い物をしたい気分なのである。もともとわたしは繕い物が好きで、靴下の穴を綴ることに快感を覚えるたちではあったが、先日、雑巾を縫うにあたって、わざと色糸で縁かがりをしたところ、これが滅法楽しかった。そのときは単に、半端になってしまった色糸を始末するつもりで使ったに過ぎなかったのだが、白地のタオルに水色とピンクの2本取りや、赤糸で縁かがりをすると、糸目がよく見えて縫いやすいだけでなく、仕上がりもカラフルで楽しい。うれしくなって翌日、色糸の10色セットを買いに行ったくらいである。
そんなわけで今回は勝屋まゆみさんの「繕いノート」と、雑誌「ステッチ」。もう1冊、佐藤ちひろさんの「小さな刺しゅう」も欲しかったのだが、文庫や新書も買った後だったので、重さで諦めた。「繕いノート」の薄くなった靴下の繕い方のおもしろさ、「ステッチ」の子ども用毛布に刺したリスの刺しゅうの愛らしさ。こういうの、つくりたい。

夢の中の本屋

  • 2007/01/22 17:35
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夢の中で、よく本屋に行く。夢に出てくる本屋は2軒あり、1軒は桑畑の真ん中にある古本屋、もう1軒は茫洋と広がる郊外のショッピング・モールの中の、よくある郊外型の本屋である。この10年、実際に行っている本屋は、みな大都市の繁華街のビルの中にある本屋だというのに、夢の中でそういう本屋に行くことはない。夢の中で行く本屋は、つねにつねに、郊外の、あるいは田舎の、middle of nowhere といった感じのところにある、客がほとんどいないような本屋である。

そこにわたしは、だいたいいつも自転車で行く。夢の中では、わたしは車に乗っていることはほとんどなくて、なぜかいつも自転車に乗っている。畑の中の道を、きこきこ自転車をこぎながら進んでいくのである。桑畑の中の古本屋は、桑の木にはさまれた細い1本道の曲がり角にあって、裏手には古い農家も見える。広い前栽があり、夏の終りなのか、早春なのか、道は埃っぽく白く乾いて、桑の木には葉が一枚もない。これは子どもの頃、さんざん見た風景だ。古本屋の裏手にある農家は、わたしが12歳まで住んでいた町の北側、川の南に広がる地区にあった農家のうちの1軒だ。小学生のわたしの背丈は桑の木の丈とほぼ同じで、だから視界に広がるのは一面の桑の木。灰色に乾いた桑の木の枝々だ。

その桑の木に囲まれて、夢のなかの本屋はひっそりと建っている。間口はさほど広くないが、日が差し込んで明るい。並んでいるのはちょっと埃っぽい、あんまり売れなそうな古本、そして着物姿の女の人が微笑っている昭和40年代風の雑誌ばかりだ。でもわたしは、その古本屋にわたしの欲しい本があることを知っていて、ゆっくりと棚を端から見ていく。欲しい本を探すときの、あのわくわくした気持ちが、私の中にある。ここはわたしの好きな本屋なのだ。

ショッピングモールの中の本屋は、いつも夕方だ。がらんとした駐車場に赤黄色い夕陽がさしている。本屋に来たのに、わたしはなぜか本屋には入らず、自転車を止めると、この平べったく広がったモールの中の別の建物、ホームセンターか、ディスカウントショップか、ともかく客が余りいないことでは本屋と同じの、さびれた建物に向かっていく。遠くにはなぜか、大きな円形の観覧車も見える。夕陽の中に黒いシルエットが浮かび、客がいないのにゆっくり回っているのが、妙に寂しく、禍々しい印象だ。

実生活では、こんな本屋にはもう長いこと行っていないのに、どうして夢の中ではいつも、こうした本屋ばかりなのだろうか。


*************

ところで仕事の都合により、また1週間ほどお休みします。
飛行機が落ちませんでしたら、また帰ってきて書きます。
それではみなさま、ごきげんよう。

アニュアル・ディナー

  • 2007/01/20 21:46
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昨日はイベントの多い日だった。
まず朝一でお客様が現れ、銀行へ同行。今日は二人がかりで数えてくれたので、量の割には早く終わったが、別件で別な銀行に行かねばならず、結局のところ、かかった時間は同じかも。

次、昼に記者諸兄を招いての昼食会。主催の会社とは来週一緒に出張。広東語だったので、わたしが喋る必要はなし。ただ会社のプレゼンを聞いて、だいたいの内容を把握&一緒に行くメンバーにあいさつ。

夜は年に一度のアニュアル・ディナー。新暦の年末でも、旧暦の年末でもないこの時期に、なんでアニュアル・ディナーをやるのか、ちょっと不思議だったが、おおかた金曜の夜でコンヴェンション・センターが空いてるのはこの日だけだったのだろう。中華の円卓が150卓以上ということは、1卓10人としても1500人。
わたしはもともと行くつもりはなく、人事には欠席と回答していたのだが、上司殿が「行かないのはまずい。ウチの部は注目されているし、唯二の外国人だから欠席すると目立つ」と言われて、「まっさかー!!」と思いつつも、上司殿が真剣なので、やむなく出た。(しかしNちゃんは当初の予定どおり欠席。まあ退院したばかりだしということで上司殿も黙認)

外国人といったって、わたしは他の人と皮膚の色や顔の造作が違う訳じゃないし、いないと騒がれるほどの美人では(誠に残念ながら)ないし、目立つわけなかろうが・・・!と思っていたのだが、案の定。
牛の群れに馬がいたり、キリンの集団にゾウがまぎれこんでいれば目立つだろうが、中国人と日本人なんて、とら猫と三毛猫ほども違わない。第一、会場が広すぎて、誰がいて誰がいないかなんて皆目分からない。照明を落とした会場で、顔が見えるのは同じ卓の人だけである。欠席しても分からないことは、今回で十分証明されたから、来年はもう行かないのだ。賑やかすぎるところは嫌いだし、第一始まるのと終わるのが遅すぎる。食事が始まるのが9時、デザートをスキップして帰ってきてもウチに着くのが11時半では、あんまりである。おかげで今日は1日頭が痛かったし。頭痛薬飲んでも、治らない。今日は早く寝よう。

スペイン映画とタイ映画

  • 2007/01/18 21:36
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■ 見た映画4本中、2本が◎で先週末の打率は5割に上昇。大変結構な週末でありました。◎のうち1本はアルモドバルの“Volver”、もう1本はタイ映画“Citizen Dog”。アルモドバルの映画に外れがないのは、ファンならみんなご承知なので、あえてコメントはしませんが、“Volver”機会があったら、ご覧下さい。のっけから殺人が起こるので、ん?これは捕まる、捕まらないのサスペンス物かと思いましたら、全然違いました。(ネタバレ、御容赦)刑事なんかカケラも出てきませんでした。サッカーしか頭にない失業者は、いなくなっても誰も騒いでくれないのね。日本の某さんも、勤め人でなければ、奥さん捕まらずに済んだかもしれないのにね。

■ “Citizen Dog”の方は、へえ、タイにもこういう映画をつくる監督がいるんだ、と認識を新たにしたシュールかつポップな映画。江角マキコさんにちょっと似た感じの、しかし目がうるうると大きい分、可愛い度が増したヒロインと、タイならどこにでもいそうな感じの、特にハンサムでもない主人公の男の子の、簡単に言ってしまえばラヴ・ストーリーだが、どこかちょっと日常の世界からずれた描き方が新鮮で面白い。タイの街中に突然出現する、雲に届くほど高いプラスチック・ボトルの白い山とか、青い制服を着たヒロインにぼおっとなった主人公の前を、同じ青い制服を着たたくさんの人が、後から後からわらわらと湧いて出てきて、通り過ぎていくところとか(よく見ると、女の子だけでなく、男の子も、おじさんも、おばさんも、みんな同じ青い制服を着ているのだ)、輪廻転生の末、ゲッコーになって現れる主人公の婆ちゃんとか。1時間半、飽きることなく楽しませてもらった。

■ それにしてもタイ語というのは、うつくしいのか、うつくしくないのか、よくわからん言語だ。若く美しい娘が喋ってさえ、いささか間が抜けて聞こえるのだから、一般庶民が喋ったらどうなることか。朝鮮語がタイ語のような響きであったら、常に凛々と声を響かせ、あらゆるニュースを勝利宣言のように高らかに読み上げる、朝鮮中央テレビのアナウンサーたちはどうするだろう?と、つまらぬ心配をしてしまう。

今日も忙しい

  • 2007/01/17 17:36
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■ 今日からNちゃんが出勤してくれて「たすかったあ!」が、それでもまだ忙しい。来週からまた出張なのだ。そしていつものことだが、お客さんはなかなか資料をくれなかったり、ぎりぎりまでアップデイトに勤しんだりするのだ。明日資料を発送しなければ間に合わないっていう時に、どうしてパワーポイントの背景を替えたいのか、わたしにはとんとわからん。替えるんなら、もっと前に替えろよ。50ページ以上あるPPの日本語部分、全部コピペするなんて、考えただけで気が遠くなる。(幸い、その作業をするのは私ではない。お客さんの会社の秘書嬢か、あるいはPR会社の某小姐だ。かわいそうに)

■ そもそもこのPPは、もともとは90ページ以上あった。1時間のプレゼンで、どうやって90ページの資料を説明するつもりだったのか、これも私には謎で、上司殿に「多すぎますよお!」と文句を言って 提言して、50ページちょっとにカットしてもらった。これでも多いと思うけど、ま、仕方ない。

■ ところで、せっかく防寒服買ったのに、黒龍江省行きは中止になった。そのほか、土曜のセミナーも中止になったし、別の計画も中止になったし、ドミノ倒しのように企画がキャンセルされていく。それもこれもすべて上司殿が相手の意向を聞かず、勝手に、大胆に、誇大妄想狂的に、企画を立てていたためである。上司殿とはかれこれ3年半以上つきあっており、いいかげん彼の発言のいい加減さについては予想がついているつもりだったが、わたしの読みはまだ浅かった。ショッキング・オレンジの防寒服は、値札がついたまま、しばらくたんすで眠ることになりそうだ。

あ〜、あせった・・・

  • 2007/01/16 22:57
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今日、帰り際、会社のPCから自宅のPCあてに、個人的なメモを記したメールを送ったはずだったのだが、家に帰ってメールをチェックしても、ない。え?ともう一度「送受信」をクリックしても「新着メッセージなし」。その瞬間、たら〜りと冷や汗が背中を伝った。帰り際、送信したのは確かなのだから、家のPCに届いていないとすると、ま、まさか、誰か他の人あてに送信してしまった?! あのメモを?
どっと青ざめ、会社のPCのアドレス帳で、“home”の上下は誰のアドレスだったか必死で思い浮かべ、もしかしたらと思って夫にも聞いてみたが、彼も受け取っていないと言う。心臓がドキドキし始め、胃がぎゅーんと重くなる。夫も受け取っていないとすると、残る可能性は夫の会社のPCか、はたまたジョゼか、あるいは1クリックで、100人近い顧客に一斉送信されてしまう「お客様各位」アドレスか。があああああん!!!
あんな個人的なメモが、わたしの名前で100人からの顧客に送られてしまったら、もう、もう、恥ずかしくて生きていけない! 第一、お客様各位に対して、なんと弁明したらいいのだ?
「すみませ〜ん、間違って送ってしまいましたあ。読まないで削除してくださ〜い!」か?

焦りまくったわたしは、しばし家のPCの前に立ったまま呆然。心配のあまりギリギリと痛くなってきた胃を抱えながら、必死で対策を考える。1.明日の朝早く会社へ行き、人々がメールを見る前に、できるだけ回収する。2.今すぐ会社に行き、どこに送ってしまったのか確認し、回収に努める。3.起きてしまったことは起きてしまったこと、と諦め、さっさと寝る

時間は午後9時過ぎ。会社にはまだ人が残っている時間である。理性的判断としては「諦めてさっさと寝る」だろうが、こんな不安を抱えたなまま、豪傑のように眠りをむさぼるなんてことが、小心者のわたしにできようか? いいや、できない。朝まで待つ、なんてこともできない。よし、2だ!
さっとコートを羽織り、会社から帰ってきたままの鞄をまた持って、わたしは家を飛び出した。夫は半分呆れて笑っていたが、そんなことに構ってはいられない。
途中、走ってみたりしたせいもあって、25分で会社に到着。急ぎデスクに向かって、PCを立ち上げる。普段から立ち上がりが遅く、いらいらさせられるPCなのだが、今日はことのほか遅く感じられる。ウィルス・スキャンなんかいいから、さっさと動け!である。
そしてそして、やっと立ち上がったPCで、アウトルックのSent Itemsをチェックすると、なんと送り先はちゃんと自宅のPCになっているではないか! なんだ、なんだ、単なる送信遅れだったのか・・・!
あ〜、あせった。でも間違えてお客様各位に送ってなくて、ほんとによかったよ。不特定多数の知らない人ならともかく、顔見知りのお客様方にあんなメモ見られたら、穴を掘って隠れ、100年くらい出てきたくないである。あ〜、よかった。これで安心して眠れる。それにしても、会社が近くてよかった。往復4時間だったら、とてもこんなことはできない。おっちょこちょいな小心者は、会社の近くに住むに限る。

ǼƦ

  • 2007/01/15 17:59
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■ 近日、日本のスーパーの店頭から納豆が消えたことを、内田樹先生と、おっとせいこと戸田先生のブログで知った。へ〜。絶対量の少なさからいって、ご当地のスーパーの店頭から納豆が消えるのは不思議でも何でもないが、精確無比な売れ筋予測能力と超効率的流通により、消費者が自覚する以上に消費者のニーズに応える日本のスーパーから商品が消えるとはね〜。スーパーの仕入れ担当者は「あるある」に電話して、今後2−3ヶ月の放送予定を聞いておいた方がいいんじゃないか。昔、寒天がなくなったり、発芽玄米がブームになった話も、どこかで聞いたぞ。

■ もっとも日本のスーパーでの納豆不足は、わたくしにとっては今のところまだ「対岸の火事」である。ウチの冷蔵庫&冷凍庫には、まだ4パックの納豆が保存されている。また、いざ!となれば、友人が研究した方法により、納豆を自製することも可能である。(製法はカスピ海ヨーグルトとほぼ同じ。ゆでた大豆に市販の納豆をタネとして入れ、シャトル・ナントカで40度に保って発酵させるのである。友人は成功したそうである)在港邦人2万なんぼがスーパーの納豆を買い占めたとしても、わたしは納豆と共に生き延びられる。それに第一、私にとって納豆は日常食というより“ハレ”の日の食べ物である。昔々の納豆が貴重品だった頃の記憶がまだ脳の片隅に染み付いており、地元系のスーパーでさえ納豆を売るようになった今でも、納豆を買うときは心が弾む。実は去年の暮れにも、“正月のご馳走”にしようと、スモーク・サーモンと共に、スーパーで仕入れたくらいである。(つまり、私にとって納豆とスモーク・サーモンはほぼ同列) 納豆は大好きだが、“ハレ”の日の食べ物として、なければないで生きていける。

■ とは言うものの、昨夕のメニューの関係で本日はお弁当のおかずが乏しかったため、お弁当のおかずとして納豆を持参した。上の納豆を自製した友人には「そんなもの会社で食べるから、同僚に嫌われるんですよっ!」と言われたが、昼時会社に残っているのは私だけだし、納豆の容器は会社のゴミ箱には捨てず家に持ち帰っているのだから、それが理由で同僚に嫌われたわけではないと思う。それにNちゃんは、関東圏の出身である。納豆は嫌いではないと思うんだけど。

MSL

  • 2007/01/14 22:02
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       昨日、ちょっと遠くの大型スーパーまでお買い物に行き、シカゴ・グリルで昼食。ナッチョスと夫はベジ・クラブ・サンド、わたしはツナ・メルト・サンド。ここに来るたびに思うのだが、アメリカ人というのは本当に食事の量を間違えていると思う。一人分のツナ・サンドに、ツナ缶2個分くらいのツナがてんこ盛り。オーダーした人間が驚くのも何だが、正直わたしは驚いた。しかもその上に2種類のチーズが乗っかって、とろーりと溶けている。(ツナ・メルトだからな)これにフレンチフライがどっさりついて、コールスローがちょっぴりついて、ディル・ピクルスが半本ついている。当然わたしは食べきれず、半分残してドギー・バッグを頼んだ。この量を毎食食べて、合間にアイスクリーム抱えて大さじでなめているのだから、肥満が社会問題になるのも道理だ。

       食事後、夫がDVDショップでミッション遂行の間、わたしは本屋をぶらぶら。PAGE ONEのカフェのコーナーが広くなり、日本と韓国の雑誌が増えていた。この地区での日本人・韓国人比率が増えているのだろうか? それともご当地の青少年たちが買っているのだろうか? ぶらぶら流した後、久しぶりに“Martha Stewart Living”を買う。今月は台所のお掃除ヒント集、ベッド周りの装飾、カラースキーム等。料理ではバナナ・タルト・タタンがおいしそう。バナナのタルトだと、バナナは輪切りが普通だが、ここでは縦に半分に切ってカラメライズし、フィリングにしている。見た目、大変新鮮。もうひとつ、じゃがいもとさつまいものマッシュもおいしそう。他の料理は肉を使っているので、いくらおいしそうでも、ウチでは×

      
MSLの特集に触発されたわけではないが、ガスレンジおよびその周りを掃除し、レンジの下にコンタクト・ペーパーを敷いてみる。このコンタクト・ペーパー、10年近く前に買ったものだが、別に色変わりもせず健在。接着面も異常なし。白地に青の小花模様なので、レンジ周りがちょっと明るくなった感じ。大理石そのまんまよりは、掃除もしやすいのではないかと期待。

アニマル柄

  • 2007/01/12 14:08
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■ 昼休み本屋を流していたら、“Japanese Women Don’t Get Old or Fat”という本が平積みになっており、目を白黒。“日本人女性は年をとったり、太ったりしない”って、じゃあ真ん前に立ってその本をびっくり眼で見ている私は何なのよ? わたしって日本人じゃなかったんだろうか?

■ もっともアマゾンによると、この本は日本の食習慣のすばらしさとその実践法を紹介した本らしいので、伝統的日本食からはかなり離れた食生活をしている私が、年を取ったり、太ったりするのは、やむを得ないことなのかもしれないが。

■ Nちゃん不在、上司殿出張のため、このところ仕事量が増えて少々腱鞘炎気味。痛いのは両親指の関節なのでそこにサロンパスを貼っているのだが、婆くさいこと甚だし。そのまま買物に行ってしまったときなど、セーターの袖口を不自然に引っ張って隠そうとするのだが、当然、あまりうまくいかない。白とか肌色ではなく、透明のサロンパスとかないのだろうか。でなければいっそ、アニマル柄とか。私はバンドエイドはPharmacareの“Tiger Plast Safari”を愛用しているが、これは豹柄、虎柄、シマウマ柄、ダルメシアン柄がパックになっていて、けがした指になど貼ると、大変楽しいのだ。


わたしは豹柄と虎柄が好き

病気の沙汰も

  • 2007/01/11 17:13
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先週から休んでいたNちゃんが入院したので、月曜日、マンディさんと一緒にお見舞いに行った。病院はその医療水準の高さと、診療費用の高さでご当地トップクラスのひとつ、S医院である。広東語、英語とも不自由で、しかし会社の医療保険に手厚くカバーされた駐在員諸兄ならいざ知らず、言語に不自由がなく、しかし給与は私と同じ現地水準、保険のカバーも同程度と思われるNちゃんが、なぜあえて、たっかーいこの病院を選んだのか不思議だったが、行ってみて納得。どうせ入院するんだったら、わたしもこの病院に入りたい!

なんたって病院臭さが全然ない。そもそも雰囲気が病院というよりホテルなのだ。やわらかい間接照明が多用され、スペースもゆったりと、いかにもお金持ち好みの内装になっている。エントランスホールと外来受付の間には、ゆるくカーブを描く階段があり、金属の手すりには、金色だったか、茶色だったかの葡萄の葉が絡まった装飾がついていたが、あれは装飾の一環なのだろうか。それとも実際にどこかにつながる階段なのだろうか。なんだか、まるで風と共に去りぬのスカーレット・オハラあたりが、ドレスの裾を引きずって降りてきそうで、無味乾燥な公立病院しか知らない私は、口を開けてちょっと見とれた。
入院患者の病室自体もゆったりとアレンジされ、私が知る日本の一般病院の5割増の広さか。しかも部屋の中に、トイレがある。6人部屋に2つのトイレである。車椅子でも入れるようゆったりと配置され、広さはもしかしたら私の寝室兼PC部屋よりも広いかも。ここでもオレンジ色を帯びた暖かい色の照明が使われて、日本の病院のトイレの寒々とした蛍光灯に照らされた白い空間とは雲泥の差。父や母が入院した際の付き添いで、私も日本の病院へは何度か行ったが、病室はともかく、トイレ、洗面所のあの冷たさには、いつ行っても気が滅入ったものだったが、このトイレならたとえけろけろ吐く時でも、ゆったりと優雅に吐けるかも。

しかもこの病院、こうしたハード面だけでなく、医療スタッフの対応も大変よいのだそうである。以下はすべてマンディさんからの受け売りだが、以前、夜半に急に出血が止まらなくなった時、緊急外来で駆けつけた別の大病院では、パニックになっているマンディさんを前に、看護婦がかかりつけの主治医のところへ行けといい、マンディさんが主治医と言っても数年前のことで、主治医の名前も覚えていないし、電話だってわからないと言うと、それならその時の病院に行け(その病院は海を渡った半島側にあり、車でも30分はかかる)と言って、受付を拒否したそうで、頭にきたマンディさんとご主人は、すぐにそこから10分と離れていないS医院に車を向け、無事診察してもらい、出血も止まったそうである。また子ども達が夜中に発熱した時も、公立病院の場合、緊急と判断されなければ1時間半〜3時間待ちは普通だが、S医院なら必ず1時間以内に診てもらえる。
先日、心臓検査を受けた後、マンディさんは弊社の保険がカバーする割安の病院とS医院と両方に行ったそうだが、診断にしても薬に対する知識にしても、S医院の担当医の方が、はるかに優っていたそうである。そのうえさらに看護婦さんや他の医療スタッフの対応も、ご当地には珍しくやさしく丁寧(マンディさんの弁)だそうで、確かに昨日のお見舞いの時も、そのあとマンディさんにくっついて心臓科を見に行った時も、看護婦さんたちの対応は、大変感じがよかった。

ただし、こうした素晴らしい対応には当然対価が伴っており、S医院の費用は、他の一般私立病院の20〜60%増しだそうである。(公立病院は比較対照にならないほど安いので、比較しない) ご当地にはこのS医院の他に、A医院だの、C医院だの、M医院だの、お金のある人御用達の病院がいくつかあるが、これらはみなそのクラスだそうだ。
ちなみに、上に書いたマンディさんの心臓検査、最初に公立病院に予約を入れた時には、1年後の日時を言われたそうである。実際に心臓に痛みを感じていたマンディさんは、冗談じゃない。1年後ではそれまでに死んでしまうかもしれないと、公立病院の何十倍かの費用には目をつぶって、改めてS医院に予約を入れたら、こちらは1週間後の日にちをくれたそうだ。金のない奴は早く死ぬのもやむを得ないと言わんばかりで、地獄の沙汰も金次第とは言え、ここまであっけらかんとはっきりしていると、却ってすがすがしいかもしれない。

終の棲家

  • 2007/01/09 13:49
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年末年始、例の股関節エクササイズをしながら、退職後のことについて夫と喋っていた。結果、どうやら私たちは、お義父さんたちの住む田舎町に住むことになりそうである。理由は、カナダの不動産価格の高騰および私の稼ぎの悪さにある。どう頑張っても、あと4年働いたくらいでは、当初の計画であるモントリオール市内あるいは郊外に、家は買えそうもない。なので一昨年、あえて高速ではなく町々をつなぐ一般道を通って空港に向かった際通った、セントローレンス川(か、その支流)沿いの、可愛らしくも美しい町々を思い浮かべて「いいじゃん、モントリオールとお義父さんちの中間の町に、家を買おうよ」と言ったら、それくらいならお義父さんと同じ町の方がいい。知ってる人がいっぱいいるから、と夫が言うのである。

それは確かに、“知ってる人はいっぱい”いるだろうさ。なんたって、お父さんの兄弟姉妹7人、お母さんの兄弟姉妹11人の大部分が、その町およびその周辺に散らばって棲息しているのだから。兄弟姉妹&いとこ、はとこを合わせたら、いったい何人になることか。地縁・血縁の息苦しさを嫌って日本を逃げ出した私が、終の棲家でまた地縁・血縁の蜘蛛の糸に絡み取られるとは、むむ、世の中ままならぬものなり。

しかしまあ、いい点もなくはない。小さい田舎町では、地縁・血縁は「信用」である。どこの誰ともわからない、まったくのよそ者として田舎町に入り込むのと、〇〇さんの息子、あるいは××さんの従弟のお姉さんの子ども(なんのこっちゃ)として田舎町に移り住むのとでは、人々の信用度が違う。日本の田舎町に住んでいるときは、これがうるさくてならなかったが、少数民族の1人として異国に住むとなれば、後ろ盾があるのはありがたいことかもしれない。

ただ、問題がもうひとつあるとすれば、それは田舎町では私にできる仕事がないことである。モントリオール等の都会なら、フランス語が喋れなくてもできる仕事がなくはないだろうが、フランス語オンリーの田舎町で、フランス語が喋れないのは致命的である。雇い主の言うことがわからなくては、売り子さんはもちろん、お掃除おばさんにすらなれまい。なにか言葉の介在しない仕事はないかなあ。編むとか縫うとか、切るとか貼るとか、手仕事は好きだけどうまくはないし、なにかないかなあ。

母上健在

  • 2007/01/08 11:18
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■ 土曜夜、楽しくマギー・スミスの“My House In Umbria”を見ていたら、電話が鳴った。出るのをためらっているわたしに夫が「この時間なら、もうお母さんじゃないよ」というので出てみたら、案に相違してわが母上。元旦の日の機嫌のよい電話とは異なり、この度は母上の本領発揮の、怒りと不満がどろどろに渦巻いた陰陰滅滅たる電話で、思いっきり毒気に当てられる。だから出るのいやだったのにぃ・・・。
古稀を越え、少しは性格が丸くなって隣近所や父とも仲よく暮らせるようになったのかと思っていたが、なんの、なんの。母上は健在であった。三つ子の魂ではないが、人間のものの感じ方、物事への対処の仕方など、そう変わる(変われる)ものではないのだなあと痛感。母は、誤りを指摘されたり、正しいことを言われたりして怒るのは、怒る人の方に非があると思っているが、大方の場合、理と感情は別である。世の中、言わない方がよいことは多々ある。家庭や隣組なら、多少の不満は腹に収め、穏やかに暮らした方がよいとは、母は思わないのだろうか。それとも母としてはすでに精一杯譲っており、これ以上は・・・というところで爆発しているのだろうか。母側の情況説明しかないので何とも言えないが、かつて30年間いっしょに暮らした経験から考えると、母の沸点が並みの人より低めであることだけははっきりしており、人々が母の舌鋒の鋭さと爆発する早さに辟易しているであろうことは想像に難くない。母上よ、あなたは晩年もそうやって送るおつもりか? “母らしい生き方”というなら、まさにその通りだが・・・。

■ ちなみに“My House In Umbria”は、まあまあ。ダイアン・レインの“Under the Tuscan Sun”(トスカーナの休日)同様、外国人から見たイタリア。イタリア人から見たイタリアとは、当然だが色合いが違う。ま、わたしは“外国人”なので楽しめるが。

ショッキング・オレンジ

  • 2007/01/05 16:19
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■ 上司殿は着々と、黒龍江省行きの計画を立てている。計画倒れに終わるかと思ったら、どうやら実現しそうである。またまた寒いさなかに、寒い土地へ行くのである。行くにあたって、毎回、毎回、マンディさんに防寒服を借りるのも悪いので、元旦の日に某アウトレットで“Thermo−ナントカ”というのを買った。着脱式のライナーが付いて、定価699元のところ、200元。安い。色は消防車もびっくりのどぎつい熟柿色。白やうぐいす色もあったのだが、なぜだか目がこのどぎついオレンジ色から離れず「変だが、これが欲しい」と思い、この色を買った。雪山で遭難しても、このオレンジなら上空のヘリコプターからはっきり見え、「隊長、あそこです! あそこに生存者がいます!」と、救助してもらえるに違いない。

■ わたしは普段は、ベージュやグレーなどの背景に溶け込んで無となる色ばかり着て、目立たぬよう、目立たぬように生きているが、2−3年に1回くらい南国の鳥のようにとんでもなく鮮やかな色から目を離せなくなることがあり、今回もそれである。理由はわからない。前回これに陥った時は、ショッキングピンクのカーディガンを買い(まだ一度も着ていない)、その前には犬散歩用の真っ赤なナイキのコート(犬がじゃれて袖に穴を開けたので、後年捨てた)を買い、そのまた前には、真っ青と黒と黄色で一面にわけのわからない模様が描かれたシャツ(これはまだ持っている)を買い、そのまた前の前には、もろ80年代のシルエットのオペラピンクのジャケット+黒のタイトミニのスーツ(さすがにデザインが時代と年齢にそぐわなくなったので、2−3年前に救世軍にあげた)を買った。

■ たんすを開けると、ベージュとグレーと黒の中に、気が狂ったようなマルチカラーや、ショッキングピンクがちらっ、ほらっとあるのは、わが精神の破綻を物語るようで、少々笑える。

股関節引き伸ばしエクササイズ

  • 2007/01/04 14:09
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昨年夏、カナダで「骨関節炎」と診断された夫は、暮れになってやっと物理療法士のところへ行った。まったく我が夫はどうしてこうも医者が嫌いなのだろうか。すでに2〜3年前から腰や股関節が痛く、長時間歩くのはしんどいと言い言いしていたくせに、そして一昨年の夏には、股関節が開かないため自転車に乗るのもしんどくなっていたくせに、医者に行くのはとことん渋り、大決心で医者に行ったのが昨年夏。それから物理療法士のアポを取るまでまたしばらく葛藤が続き、会社の真下にあるクリニックに実際に足を踏み入れたのは、昨年のクリスマス明けである。まったく、もう! エレベータで降りれば会社から1分とかからないクリニックにたどり着くまでに、どうして4ヶ月もかかるのだ? 痛いのは、君だろう、君!

しかしまあともかく先週、物理療法士のところへ行き、かたーく固まってしまって開くことができない股関節や、鈍痛の走る腰を押されたり、引っ張られたりしたあげく、家で朝晩やるエクササイズというのも教わってきた。これは骨関節炎治療のためのエクササイズではなく、固まってしまった股関節を伸ばし、歩行を容易にするためのエクササイズである。その晩からさっそく始めたのだが、この運動、夫にとっては大変きつい運動らしく、初めの2−3日はそれこそ眉をしかめ、脂汗を流しながらやっていた。同じ運動をわたしがやると「あら、えっさっさー」てなもんで、どこが痛いのか、どこがきついのか、さっぱりわからないのだが、ジムでは自分を追い込み、より重いもの、よりきついものをやることが大好きな夫が、この運動は渋って渋って、いやいやでしかやらないところを見ると(しかし、それでもやらせている。ふほほ)、よほど不快な運動であるに違いない。

ちなみにどんな運動か説明すると、最初の運動は、膝がベッドの端に来るように寝、一方の脚は曲げて、両腕で胸に抱える。もう一方の足は、ベッドの縁から自然に床にたらす。介助者(わたし)は床にたらした方の脚の大腿部に両手を当て、股関節を伸ばすように軽く押さえる。15数える。次に運動者は同じ脚を、膝は曲げたまま、胸に向かって力いっぱい上げる。介助者はその力に抗するように、逆に押し返す。5数える。これで1回。両足3回ずつで1セット。3セット繰り返す。股関節が固い夫は、片足を上へ、片足を下へ引っ張られるかたちとなるこの運動が、大変苦しいらしい。普通の人が、お相撲さんのやる股割りを突然やらされるくらいのきつさらしい。3つの中で、彼が一番嫌う運動である。
2つめの運動は、ベッドに寝、両脚もベッドに上げる。脚は膝をそろえたまま、90度くらいに曲げる。そのまま腰を中心に、ゆっくりと両脚を左に倒す。次に右にゆっくりと倒す。この左右への動きを、ゆっくりと2分間繰り返す。介助者はこの動きを助ける。これは3つの中では一番楽な運動らしく、いやがらずにやる。
3つ目の運動は、同じくベッドに寝、曲げた両膝を徐々に外側に開いていき、充分開いたら、今度は閉じていくという運動。介助者は膝に軽く手を添えて、この動きを助ける。股関節に問題がなく、筋肉等が柔軟な人は、両腿がベッドに付くものだが、夫の場合は問題ありなので、外側には40度も曲がらない。脂汗を流しつつがんばっても、だめ。しかも開く時だけでなく、閉じる時も痛いんだそうである。やれやれ、である。

この3種の運動をこなすには、だいたい20分かかる。夜はともかく朝の忙しい中20分ひねりだすのはなかなか苦しく、仕方がないので目覚ましをかけて、20分早く起きることにした。正直、めんどうだが、夫がこのまま歩行困難を進行させては、わたしも不便なので、厳しいパーソナル・トレイナーと化し、アメと鞭で朝晩エクササイズをやらせている。4月には日本に旅行に行く予定もあり、そのときに折りたたみイスや、折りたたみ車椅子を背負って歩くのでは、わたしがしんどくてかなわんから。(だって、背負うのは絶対わたしだもん)

10年経った

  • 2007/01/03 16:42
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■ 昨日は久しぶりに、私がご当地で最初に就職した会社の元同僚のMとLの2人とご飯を食べた。飛び入りで、わたし達3人が働いていた当時の委託工場の助理およびその奥方も加わり、総計5人。わたし達が働いていた会社は、その太っ腹な経営ぶりが祟って5年ほど前に倒産したし、Mにしろ、Lにしろ、途中で出たり入ったりもあったので、実際に3人が同僚だったのは、95年から97年にかけての、ほんの1年ほどの間に過ぎないのだが、相性がいいとはこういうものなのだろう、10年経った今でも付き合いは続き、たまに会っては近況を報告しあっているのである。

■ 2人の元同僚LとMのうち、Lはアモイ出身の中国人、Mは香港生まれ、香港育ちの純粋香港人である。しかし、そう言っては差し障りもあろうが、彼女達2人はご当地人在住の人としては珍しく仕事に対して几帳面で、同僚に対しては心優しく、寛容だった。働き始めた当初からそう感じてはいたが、その後、LやMの後に入った同僚や、倒産後に移った他の会社での同僚と引き比べた時、その違いはしみじみ身にしみた。わたしが異国で仕事を始めた最初の1〜2年を、ストレスゼロで大過なく過ごせたのは彼女達のおかげである。彼女達だったから徐々に環境に慣れ、体力と抵抗力をつけることができ、その後他社に移っても何とかやって来られた。これが最初から平均的ご当地人の同僚に囲まれていたら、鍛えられはしても、楽しい毎日とは言えなかっただろうし、胃炎のひとつくらいは起こしていたに違いない。

■ 10年経つうちにはいろいろなことがあり、Mは途中ご主人の転勤にくっついて台湾に行き、そこで前回(99年)の台湾大地震に遭遇して、しばらくは食事ものどを通らなくなり、もともと細かった身体が文字通り骨と皮ばかりになったり、LはLで働いていた会社が事務所を締め、2カ月間失業。最近、元ボスが新しい会社を興したので、そこで全く新しい仕事をしている。委託工場の助理Zさんも、一昨年工場を辞め、その工場の元総経理と、以前の委託加工とは全く関係ないコンサルティング会社を興し、深セン、上海間を行ったり来たりしている。子どもはもう8歳になった。倒産した会社や委託工場の元マネージャー、同僚達も、それぞれのようである。Eさんは深センで工場を興したが、うまく行かず、日本に戻った。Kさんは珠海にいる。Hさんは香港人女性と結婚したが、奥さんが大陸に住みたがらないため、毎週末香港に戻る生活を続けている。Tさんは台湾人男性と結婚し、すでに子どもが2人いる。子どもを育てながら、パートタイムで日本語を教えている、等々。当時、日本と中国の間で仕事をしていた日本人、中国人は、いまでも日本と中国、香港、台湾の周辺で、日々の暮らしを紡いでいるようである。あと10年たったら、どうなっているのだろうか。

クリスマス、元旦は映画三昧

  • 2007/01/02 14:08
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■ 今日から仕事。人が2割方少ないような気がしたクリスマス休暇前後と違い、地下鉄の中は通勤の人でいっぱい。まるっきり、ふつーの日である。中国文化圏にとって新暦の“元旦”なんて、ほんと何の重みもないと実感。

■ しかし日本のみなさまは晴れやかにして清々しい新年の気分に浸っていることと思われるので、一応ごあいさつ。

明けましておめでとうございます。本年もなにとぞよろしくお願い申し上げます

■ でクリスマス休暇と、元旦の休暇、何をしていたかというと、買物に2回、ジムに2回行った以外は、毎日家で映画、読書三昧をしていた。ネットがほぼ使えなかったのだから、そんなこと以外できることはなかったのである。合計7日間の休暇中、たぶん20本以上の映画を見たのだが、印象に残った映画は3〜4本である。打率2割弱というのは悲しいが、出来がよく、しかも好みに合った映画というのは、そうたくさんあるものではないのだから仕方がない。印象に残ったもののタイトルと3行感想を以下に列記。

■ 「Delicatessen」 食料不足に悩む核戦争後のパリ郊外の肉屋兼下宿屋が舞台。後年、「アメリー」を作ったジャン・ピエール・ジュネらしく、幻想的かつ不気味な映像。でもうつくしい。一押し。
■ 「Mrs. Henderson Presents」 ジュディ・ディンチはいい俳優だ。ボブ・ホスキンスとの切れ味鋭い会話も秀逸。ここまで小気味よく響くのは英国英語の故か。こういう婆さんになりたい。
■ 「Saving Face」中国系アメリカ人一家三代。伝統的価値観の祖父母。その娘で今は単身の母。孫娘は医者で同性愛者。ある日、一人身の母の妊娠が発覚したことから、一家とその周辺は大混乱。こういう話を見ると「家」の力が弱くなってからの日本に生まれて、ほんとに幸運だったと思う。おお、枠の中に留め置こうとするこの圧力の強さよ!
■ 「Pulp Fiction」今になってみると、ユマ・サーマンが若い! ヘア・スタイルのせいもあって、まるでウィノナ・ライダーみたい。そしてトラボルタとサミュエル・ジャクソンの会話のおかしさ! テンポもよくて、Kill Bill よりこっちの方がいいよ、Mr. Tarantino。

■ ちなみに夫所蔵のDVDおよびVCDは先日3,000本を超え、現在4,000本に向け驀進中。暮れの31日に近所の安売り家具屋からカラーボックスを3個買ってきて組み立て、居間に積み上げてあった分を収納したが、すでに半分埋まってしまった。夫よ、これがいっぱいになったら、もう収納スペースはないぞ。いい加減で、調達速度を落としたまえ。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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