本日かんたん

  • 2008/02/28 17:31
  • Category: 雑記
本日多忙につき、簡単に

きのう愛用の指輪を失くす。運動の前に外し、ジャケットのポケットに入れておいたのだが、いつのまにか落ちたらしい。同じくポケットに入れておいた結婚指輪が失くならなかっただけ儲けものか。

愛用品の方は最近、指からするする抜けるほど繋ぎが緩み、そのため一部変形したりもしてたので、失くして滂沱の涙というわけでもない。実際、紛失場所と思われるあたりに戻って路上を探してもみたのだが、当然見つからず2分ほどで諦めたほどだった。
まあ細かい装飾品など、株と同様、失くしても諦めがつく程度のものが適当ということなのだろう。
(たんすとかの大物は、失くそうたって失くなりませんからな。傷む分でも)

ところで、今日はお友達とごはんの日。うれしいな♪
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東京タワー

  • 2008/02/27 21:51
  • Category: 映画
先週末に「東京タワー」を見た。日本語の映画は、しみじみとよくわかる。昭和30年代、40年代の田舎の街並み。九州と北関東の違いはあっても、あれはまさにわたしが育った街並みだ。そこから見える時代の貧しさも同じだ。家の中にある家具や、こまごました家財道具、それぞれの時代のそれぞれの服装。みな解説されなくてもその背景が一目でわかる。登場人物が喋ることばも、すべてわかる。意味がわかるだけでなく、その一言、一言を味わうことができる。同じ言語を話し、同じ文化を持つものとして、目に見えるよう表現されたものだけでなく、目に見えないもの、暗示されたものすら、理解可能だ。

そう考えると、わたしは外国映画の何割を理解できているのだろう、と思わずにはいられない。相変わらず週に4〜7本の映画を見ているわけだが、映像を見、字幕で会話を追うことはできても、日本映画を理解するように、外国映画を理解することはできない。あら筋を掴むことが小説を読むことを意味しないのと同様、筋書きの理解は映画の理解を意味しない。
対象がカナダ映画である場合は、時々は雪だるまが、なぜ登場人物たちはここでこのような反応を示すのか、ある発言の背景にある事情はなんなのか、といった説明をしてくれ「おお、なーるほど!」と、頭の霧が一気に晴れて合点することもあるが、たいていは理解できるところしか理解できずに終わっている。制作側が表現しようとしたことの何割理解できているのか、甚だ心許ない。
たとえば昔よく見たウディ・アレンの映画。わたしの力では、些かひねくれた知性の北米人なみに理解することなど到底かなわず、常に隔靴掻痒。せりふのおかしさなど、解説されてから笑ったのではまぬけもいいところだ。

それでも、偉大な映画、よくできた映画は、そうした困難をひらりと乗り越えて、あるいは強引にぶち破って、こちらの胸に迫ってくる。だからこそ、わからないなりに週に4〜7本見ているわけだ。まあ中には、きれいな女の子がちょこちょこ動き回るのを見て楽しむ、純粋娯楽映画もないではなし。

ふだん“解説”してもらっているので、「東京タワー」ではわたしが逆に解説してあげようとしたのだが、昭和生まれの日本人にとっての東京タワーが象徴するもの、所得倍増やら、高度経済成長やら、東京オリンピックやらを全部含めた、東京タワーというもの、そしてオカンのせりふの、少しとぼけた味わい、を解説するのは容易ではなく、映画の1シーンより解説のほうが長くなりそうなので、途中からは黙ってみていた。雪だるまも日本語がわからないではなし、そこそこの英語字幕もついていたので、映画を楽しめないということはなかったろう。

それにしても「東京タワー」のタイトル「東京タワー、オカンとボクと時々オトン」が、英訳で“Tokyo Tower, mom and me, and sometimes dad ”となるのはまだいいとしても、中国語訳で「東京鉄塔、我的母親父親」では、原語のニュアンスが全然伝わらない。オカンとオトンにぴったりの訳語を見つけるのが困難なのはわかるが、「母親父親」(=私の母と父)ではあんまりだ。HK人の某氏も書いていたが、せめて「老媽和我、有時還有老爸」くらいにはできなかったものか。

面従

  • 2008/02/26 17:14
  • Category: 仕事
面従後言:うわべばかり従って、かげでかれこれ言うこと。
面従腹背:表面は服従するように見せかけて、内心では反抗すること。

物心のつかない幼児ならともかく、ある程度の年齢となれば、子どもでもやっていることである。父母に何かを言いつけられ、内心では「いやだっ!」と激しく思いつつ、そこが子どもの悲しさ、行動としては生殺与奪の権を握る父母の命に従いはしたものの、陰で自分のおもちゃに当り散らしたり、父母の悪口を並べ立てたりした経験は、どなたにもおありだろう。

長じても事情は変わらない。「父母」が先輩や上司などに変わっただけである。内心の思いとは裏腹に行動だけは命に従うことなど、社会生活では珍しくもない。そして陰で愚痴をこぼしたり、先輩/上司に対する批判を口にしたりするわけだ。人の行動としては誉められたことではないということになっているが、じゃあと言って、自身の意見や意思と相容れない命を受けるたびに、異を唱えたり、抗ったりしていては、組織の中にはいられない。わがままだの、協調性がないだの、扱いづらいだのと言われて、敬遠されるのは必定。間違っても「正直な人だ」と誉められることはない。つまり少なくとも「面従」は、社会生活では欠くことのできない基本的態度のひとつだということだ。

しかし「面従後言」「面従腹背」といったことばには、裏切り、不誠実といった印象がつきまとって離れない。面従はともかく「後言」と「腹背」には、どうも道徳的に見て問題があるようだ。確かに表面上は従っておきながら、後で寝首を掻くような真似をしては、「裏切り者!」の批判は免れないだろう。

ならばどうしたらいいのか。とりあえずは従っておいて、後ほど徐々に様子を見つつ、自身の意見を披瀝し、先輩/上司を説得していくのか。(そう簡単には説得されず、煩がられるのが落ちとは思うが)
あるいは説得は試みぬまでも「後言」は慎み、たとえ赤提灯の下、一升瓶に囲まれようと、キャバクラで嬌声も華やかな若い娘たちの白い太腿に囲まれようと、思いはすべて自身の胸のうちに深く深くしまい込み、先輩・上司に対する批判/悪口は金輪際口にせぬよう努めるのか。(連想はふと飛び、『大様の耳はロバの耳』を思い出す。王様の秘密をひとり抱え込むことに耐えられなくなった床屋は、地面に穴を掘って胸の中の思いを吐き出す。つまり永久に抱え込むことは無理?)
またまたあるいは、「後言」そのものが発生せぬよう、自身の意見を先輩/上司の意見に同化させていくのか。

毎日、毎日、「面従」しているわたしは、つらつらと考える。「中庸」よ、君は何処に?

熱水袋

金曜は仕事が手張ったうえ、夜は出かけたのでブログを更新せず、土日はやや暖かくなったので、たまった家事およびパン作り(今回は全粒粉田舎パン)をしていて更新せず、今日月曜はノルマ達成後、空き時間にちょぼちょぼ文章を認めている。仕事の時の方が定期に更新できるってのはどうよ? と思わないでもないが、仕事の性質上、勤務時間内に空き時間ができるのは、ある程度は仕方なく、空き時間ができれば、ぼーっとしてるのも何だから、ちょっと更新でもということになる。

その代わり多忙時に残業しても無給だ。HKには「残業手当を支給しなければならない」という規定はないらしく、多くの企業で残業手当の制度がないか、またはあっても一律1時間20元(300円)とか、てきとーだ。私の雇用契約も出勤時間と退勤時間は決められているが、退勤時間を超えて勤務したところで、残業手当はつかない。勤務時間中に私事を為している時間と、勤務時間外に勤務している時間をどんぶり勘定で差し引きすれば、とんとんだろう。(ということにしておく)

そういえば昨日、街市に買物に行ったついでに、荒物屋で熱水袋を買った。熱水袋というのは、水枕の熱湯版だ。湯たんぽと言いたいところだが、湯たんぽはふつう金属製または陶製で、ゴム製の熱水袋とは区別されるので、わたしも中国語そのまま熱水袋と呼んでおく。
買ったのは会社で使うためだ。寒気に加え冷房がきつくてかなわないので、熱水袋を置いて手足を温めようという魂胆なのだ。幸い給湯室はすぐ隣。大型湯沸し器が、常にシュンシュン言っており、熱湯には事欠かない。実際、今も足首のあたりにおいて使用中。なかなか具合がよろしい。

この熱水袋、会社下の薬屋で聞いたときは85元だった。むかーし、むかーし、広州でひとつ5元で買えた熱水袋が、いくら15年経ったとはいえ、17倍はないだろう? と思ったので、買わなかった。そしてウチの近所の店で買ったわけだが、薬屋で見たものとほぼ同じ物が20元。この差がよくわからん。

中国語の先生によると、むかし、むかし、熱水袋は広州製が有名だったそうだ。広州のゴムは品質がよいとの定評があり、そのため広州製の熱水袋が珍重されたのだそうだが、90年代初めにわたしが広州で買い、使っていた熱水袋は、今思い返してみても、ただのゴムの水枕。熱水袋のくせに涼しげな青色で、金魚のもようがついているのが、おかしかった。あれが優秀な品だったのすると、他の都市製の熱水袋はいったいどんなだったのだろうか。

ちなみに今回買った熱水袋は緑色。青と赤と緑の中から、緑を選んだ。そして金魚のもようはなく、ただ「Hawaii」の文字が浮き出している。なぜ「Hawaii」なのかは、わからない。メーカー名か商品名か。どちらにしても、ハワイでは絶対必要ないものだとは思うが。

eBook

  • 2008/02/21 16:40
  • Category:
今日の収穫は30年来の愛読書「丘の家のジェーン」の原作が e-Book になっていて、自由に読めることを発見したことだ。ずっと原作が欲しかったのだが、どうも絶版気味らしく、本屋にはもちろんなく、アマゾンでも Used のものしかなかった。Usedでももちろんいいのだが、個人相手ではカードが使えないことが多いから、支払いが面倒で踏み切れずにいた。

ペーパーバック1冊だから、まさかe-Book全部プリントするわけにはいかないが、長い長い間「原作ではどう表現されているんだろう?」と思っていた箇所を確認できたのは嬉しい。

著作権が切れた本をネット上で読めるようにしてくれるプロジェクト・グーテンベルグというのは、ありがたいプロジェクトだ。

Ritter Sport



 ↑これはヨーグルト

最近『Ritter Sport』がお気に入りだ。板チョコのくせにトリュフなみの濃厚な味わいで、そのうえフィリングのバリエーションが豊富。ヨーグルト、コーンフレーク、プラリネ、マジパン、ラムレーズン、カプチーノ、ナッツ類など、定番だけでも22種類、ダイエット・タイプや期間限定フレーバーも含めると30種以上あるようだ。

形も便利にできている。ふつうの板チョコがたいてい薄型の長方形であるのに対し、このチョコは正方形でやや厚みがある。スポーツ観戦時に片手で食べられるよう工夫されたとかで、内側に銀紙の包装はなく、正方形の真ん中からパキンと割ると、包装も真ん中から破れてすぐに食べられる。元に戻すと包装も元に戻るので、バッグの中やポケットの中に散らばることもない。鮮やかで明るい包み紙の色はフレーバーによって異なるので、棚に色々並んでいるとカラフルで楽しく、うっかりするとつい全部欲しくなる。

以前はたまに変わったフレーバーのチョコを試すくらいで、別段チョコレートに大きな関心はなかったのだが、精神的に疲れた時にチョコレートはよい慰めで、最近はどうもチョコに手が伸びる。いらいらする気持ちや、連続のため息や、落ち込みを押さえて、甘くて濃厚なチョコレートを1かけか2かけ、口中でゆっくり溶かすのだ。それで問題が解決するわけではないが、気持ちはやや落ち着く。

仕事中もときどき、Ritter Sportのウェブサイトを眺める。ドイツ語だからわたしには読めないのだが、写真を見て楽しむ。(非ドイツ語圏でも人気なのだから、どうせなら英語版くらい作ればいいのに。メール出してみようかしら) その検索の途中でチョコレート評を載せるブログがあることも知った。その名も “chocablog” 世にチョコレート好きは多いらしい。

ところでこのチョコ、ふつうのスーパーやドラッグストアだと1つ16〜17元なのだが、ウチの近所の安売り店では1つ8元。半値以下だがニセモノというわけでもないらしい。どうしてこんなに値段が違うんだか。HKでは時々こういうことがあり、某カレーの缶詰もスーパーWでは1つ35元だが、スーパーPではまったく同じものが1つ21元。安いものに弱い主婦は、あっち行ったりこっち行ったり、いろいろ大変なのだ。

食糧自給率、食糧問題

食糧自給率の問題、書き始めるときりがないので、枝葉は全部ばっさり切り捨て私見の結論的提案だけ述べる。日本の自給率(現在39%)を向上させるのは難しい。それに第一、日本だけ上げればいいという問題でもない。食糧問題は地球全体で考えるべきだ。世界の人口は増加しており、また中国やインドなどの生活水準の向上にともない、人口は増えなくとも食糧消費は増えるという情況もある。しかし砂漠化や都市化などにより地球上の耕地は減少しており、いくら単位面積あたりの収穫量が向上したところで、増産には限度がある。有限な食糧をより効率的に食べるにはどうしたらよいか。解決策のひとつは、菜食の比率を上げることだ。なぜか。食肉は大量の穀物を消費して生産されるからだ。牛肉1キロの生産に必要な穀物は7〜11キロ、豚肉1キロでは4〜7キロ、鶏肉1キロでは約2キロ。1キロの牛肉など健啖な人なら1日でぺろりだが、穀物7キロを1日で消費する人はまずいない。したがって牛肉として食べるより穀物として食べた方が、より多くの人を養える。(飼料用穀物と人間用穀物は時として種類が違うことは、ここでは置く) しかも現代の大規模集中型肥育施設は、周辺環境に多大な悪影響(土壌汚染、水質汚染、空気汚染、病原菌増加)をおよぼすだけでなく、抗生物質や各種薬剤の使用で、食肉そのものの安全性に問題があることも多い。安い食肉を豊かに享受できることはありがたいことだが、ありがたがってばかりもいられないということだ。

いっそ世界中の人が菜食主義者になってしまえば、肥育施設は不要となり公害減少、食肉肥育から耕作への転換で穀物/農産物生産量も増加と問題はある程度解決、だが“全員ベジに変身”はどう考えてもありえないので(私自身、純粋なベジにはなれない。豚も羊も鶏も好きなのだ)、次善の策として準ベジ化、つまり肉食(魚食)はたまのお楽しみにしていただき、ふだんは野菜、穀物、豆中心の食事にする。対応して食肉を大量に安く供給するための大規模集中型肥育を止め、昔風の小規模放牧型肥育に変える。現在のケージフリー卵と同じで、コストはかかるが安全美味(なはず)。“安いが安全かどうか今ひとつ不明なものを大量に食べる”食生活から、“高く美味いものはたまに食べる”食生活に変えるわけだ。生活の質としては、向上するのでは?
それにそもそも、高いと言ってもキャビア、フカヒレ並みに高くなるわけではない。現在売られているケージフリー卵にしたところで、値段はふつうの卵の4〜5倍程度。あるケージフリー養鶏業者も言っていたが「ラテ1杯に3ドル払えるなら、卵に同じ値段を払えないはずはないでしょう。第一ラテは“食べ物”ですらない」 正論至極。ごもっとも、である。

ちなみに菜食では健康な生活に必要な栄養が取れないと思っている方もいるようだが、そんなことはない。知り合いのベジはみな健康かつ活動的に日々を送っている。熟して落ちた実しか食べないフルータリアンならともかく、通常の菜食ならたとえヴィーガンでも健康を害することはまずない。(詳しくはウィキペディアのここをご参照ください)
それに第一、上記で私が述べているのは地球環境によろしくない肉魚の大量消費を止め、その分穀物消費を増やして、地球の食料配分をより均等にしようということであって、完全菜食を勧めているわけではない。間違っても、栄養失調になどならない。

以上、大変に雑駁だが、とりあえず書いた。気が済んだ。ちなみに食糧自給率を考えるきっかけになったYOMIURI ONLINEの記事は こちら。

音声アラーム

  • 2008/02/18 15:38
  • Category: 雑記
昨夜そろそろ寝ようと部屋の電気を消し、真っ暗な中で枕もとのブラインドをキコキコ閉めていたら、その闇を透かすように、ドアの方からかすかな、低い低い声が呪文のように聞こえてきて、「うん?」と思い振り返ったら、ドアの傍らに白いぼおっとした影。反射的に「ぎゃああっ!」と声を上げてしまった。
よく見ればなんのことはない、白っぽいスウェットを着た雪だるまがドアから首を覗かせて、「明日は朝早いから、朝は会えないと思う。ジムで会おう」と言っていただけだったのだが、私を驚かすまいとわざと声を落としたのが却って災いして、亡霊のつぶやきのように聞こえたのである。びっくりした余り、わたしは叫び声だけでなく涙まで流し、ベッドの上に丸まってしまった。ほとんど指でつつかれた丸々虫(別名ダンゴムシ)である。

わたしはもともと、予期していない時に後ろから声をかけられると、びっくりして文字通り飛び上がるというくせがあり、だから雪だるまには「わたしに近づく時は、ちゃんと足音をさせながら近づいてくれ。間違っても足音を忍ばせて背後に忍び寄り、急に声をかけるような真似はしないでくれ」と頼んであったのだが、ゆうべは「ドアから顔を出すんであって、後ろから近づくわけではないからだいじょうぶだろう」と思ったらしい。というか、二人しか住んでいない家の中で、もうひとりの住人に声をかけるのに、いちいち準備行動なんかとりませんわな。たとえそのもうひとりから「絶対に、絶対に、先触れしてくれ」と頼まれていたとしても。

わたしの叫び声が、絹どころか頑丈丈夫な麻袋すら裂けそうなほど大仰なものだったうえ、涙まで流したので、雪だるまには思いっきり呆れられた。ふだんの冷静沈着にして何事にも動じないわたくしとは似ても似つかない態度であるから、呆れられても仕方ないのだが、びっくりした時や、恐怖に駆られた時に、思わず知らず上がる叫びというのは、ほとんど反射に近く、本人のコントロールの外である。いくら“Jesus・・・!”と呆れられたところで直るものではない。
したがって、わたくしの更正なんぞに期待するより、本人が首に鈴をつけるなり、あるいはよくトラックがつけている「左に曲がります」だの「バックします」だのの音声アラームをつけるなりして、「接近中」である旨告知してくれた方が、よほど実際的である。あれは人間には使えないのだろうか。人体にはウィンカーがないから、だめだろうか。

本と映画

  • 2008/02/15 14:43
  • Category: 映画
先週から食糧自給率の問題について書こうとしているのだが、書けば書くほど枝葉が広がり、収拾がつかなくなっている。学生時代のレポートじゃあるまいし、ブログで章立てて書くのも大げさ過ぎるし、はてさてどうしたものか。
とりあえずまとまるまでは他のことを書いておこう。

日本で買って、帰りの飛行機で少し読んだまま放っておいた「最後の晩餐の作り方」を、また読み始めた。披露困憊していた帰りの飛行機では主人公の独白が饒舌すぎ、薀蓄の傾け方が衒学的過ぎて辟易し、だから途中で放ってしまったのだが、今読むと、まあ結構おもしろい。ミステリ仕立てとはいえ食の話満載だし。皮肉とひねくれの度合いを減ずれば、この饒舌と博識にはKCのおしゃべりと文章を彷彿させる部分もある。

途中、必要に迫られパリの小さな食料品屋に飛び込む場面があり、そこで並べられたチーズやシャルキュトリの名に、脳と胃袋がフランスに飛ぶ。「即座に移住の決意をと説得力をもって迫られている気がする」とあるが、まさにその通りの思考が我が脳みそに浮かぶ。フランスではスーパーで買った大量生産チーズすら、HKよりうまい。なぜだよ、まったく。

報告が遅くなったが、旧正月中に見た映画に大きなヒットはなし。唯一“Ring of Bright Water”をお気に入り箱に入れる。69年作だからほぼ40年前のイギリス映画で、主人公は1匹のカワウソ。もう1人の主人公である飼い主(作家?)は、このカワウソ君を買ってしまったため、ロンドンを離れハイランドの海辺の寒村に引っ越さざるを得なくなる。飼い主が借りた掘っ立て小屋の前の池で遊ぶカワウソ君、たいへん嬉しそう。それを見る飼い主もたいへん嬉しそう。そしてカワウソ君は近所に住む女医の飼い犬と親しくなったり、子鴨たちと遊んだり、飼い主は飼い主でその犬の飼い主と親しくなったり、子鴨に飛び方を教えたり、40年前のハイランドの、清冽な自然の中で、のんびりと物語が進行していく。
飼い主役の俳優と女医役の俳優は、確か“Born Free”(邦題『野性のエルザ』)でも共演していたはずで、二人とも動物映画が好きなのか、あるいは60年代のイギリスでは動物映画を撮ることが流行りだったのか、いずれにせよ、いかにも動物大好き英国人的風貌が、映画に似合っていてよろしい。

寒さは思考力を

■ 最近は頭と気持ちを休めるための本しか読んでいないので、感想の書きようがない。そろそろ歯ごたえのある本を読むべきかとも思うが、会社でのくだらない騒動で疲れ果てて帰宅すると、手はついやわらかな娯楽本に伸びる。ほんとは脳内にスパークが飛ぶような文章を読んだ方が、元気が出るのだろうが。

■ 頭を使わない分、手を使って遊んでいる。正月休みの3日目、暇にまかせてパンを焼いた。電子レンジ発酵だとどうもうまく発酵しないうえ、美味くもないので、ぬるま湯を張ったボウル(大)にパン生地を入れたボウル(小)を浮かべて、ふつうに発酵させてみた。いままでで一番うまく膨らんだ。グラハム粉を使い、くるみと干しぶどうを入れたハード系のパンだったので、焼きたてよりも翌日の方が味がよかった。翌々日など、より堅くなり、みっしりした歯ごたえとなって、堅いパンが好きな私を喜ばせた。また今週末焼いてみよう。ついでに干しいちじくなんかも、入れてみよう。

■ 昨日は春節明け後最初の中国語のクラス。ちゃんと年始の手土産を用意し、孫娘ちゃんへの利是(お年玉)も用意したくせに、クラス終了後、先生へのお礼(教授料)を渡すのは忘れた。駅まで戻ってやっと気づき、先生に「すみませーん」と電話。来週2回分、渡さねば。言い訳だが、忘れた理由は先生のとこが寒かったからだ。一刻も早くヒーターのある我が家へ帰ろうと先を急いだのが災いした。これで先生のとこが暖かければ、わたしはぬくぬくと居座り、教授料を渡すのも忘れなかったと思う。一昨日も書いたが、寒さは思考力を奪うのだ。

偽ミートボールとKCのその後

■ 初一(旧暦1月1日)の夜、ジョゼ&ブライアン組とデイヴィッドが食事に来た。ベジ・ミートボールはオーブンの中で崩れることなく、無事ミートボールのまま食卓に登場した。実のところその日の献立の中では一番評判がよかった。材料をこねて丸めてソース(ケチャップ、酢、あんずジャムの混合)をかけ、オーブンで焼いただけの偽ミートボールに過分な賛辞を頂戴し、なんだか皆を騙くらかしたような、申し訳ない気分になった。しかし手がかからず、客が遅れて予定より長くオーブンに入れておくことになってもだいじょうぶなので、ベジの客を迎えるようなことがあったら、お試しあれ。北米はもちろん、日本でも材料をそろえるのは難しくないと思う。私はイタリア味パン粉が見つからないので、七面鳥用イタリア味スタッフィングを麺棒で叩いて代わりにし、それの味付けが濃かったため緩和しようと水切りした豆腐1丁も加えたが、あとはほぼレシピ通り。豆腐のせいかボールはかなりふわふわだった。
サイトはこちらhttp://allrecipes.com/Recipe/Vegetarian-Sweet-and-Sour-Meatballs/Detail.aspx

■ 食事の途中、去年のクリスマスに会い、その話題の広さとコメントの面白さ、機関銃のような話のスピードに、口をあんぐり開けて魅了され、めくるめく思いを味わったKCのその後についてジョゼに聞いてみた。院15年目(?)でもKCはいまだ博士論文を仕上げていないらしい。私があまりに面白そうに彼の近況を聞くので、ジョゼが彼からの最新のEメールを転送してくれた。これがまた彼のおしゃべり並みに面白い。プライバシーを鑑み、この場でコピペ公開するのは慎むが、夫と二人「KCは博士論文なんか書くより、新聞や雑誌に何か書いた方がよっぽどいいのに。この文章なら十分身を立てられるよ」と言い合った。ペダントリーとやや皮肉っぽい言い回しの底に、ジンセイを面白がっている大きな大きな諧謔精神があって、それがきらきらしながら文章全体を彩っているのだ。知性と暖かさ。転送された2通のEメールを、わたしは堪能した。

今日から仕事

  • 2008/02/11 17:34
  • Category: 雑記
春節の4連休中は何しろ寒く、ババシャツの上にセーターを着てフリース風ガウンをはおり、爪先まであるレギンスの上にウェストゴムのパンツを穿き、靴下2枚重ねしても、ヒーターのある居間から離れるのが難しく、ついついブログの更新をさぼってしまった。ノートパソコンなのだから基本的にはどこへでも移動可能なはずとは言え、いろいろな線でプリンターやらネットやらにつながっていると、あれやこれやの線を外して暖かい部屋に持って行き、打ち終わったところでまた寒い部屋に持って帰って、あれとこれとそれとあれの線をつなぎ直すのも面倒で、ほとんどPCにさわらない珍しい4日間となった。寒さは人から行動力を奪う。嵩じれば思考力すら奪う。神による創造とか、インテリジェント・デザインとかいうが、地球の大部分を人間の生活に適さない気候に作った『神』には、大いに疑問を感ずる。

本日、大晦日

■ 今日は旧暦の大晦日、除夕である。年三十ともいう。先週から仕事以外のことで部内がぐちゃぐちゃしているので、明日から4連休に入れるのが大変うれしい。そして同時にその連休がたったの4日間で終わってしまうのかと思うと、大変悲しい。

■ 明日の夜には、いつものジョゼ&ブライアン組とデイヴィットが食事に来るので、ここ何日か献立を考えて遊んでいる。実際に作るのも楽しいが、その前段の献立作りも同じくらい楽しい。旅行と同じで、実行する前のプランニングというのは楽しいのだ。
いつも作って作り慣れているものの他に、今回はベジテリアン・ミートボールを追加。チェダー・チーズとカテージ・チーズと玉葱と味つきパン粉で団子をつくり、中華風の甘辛いソースといっしょにオーブンで焼くのだが、上記材料でちゃんと団子になるのか、少々心配。つなぎに卵は入るが、なーんか焼いている最中にヒビが入って団子が崩れ、オーブンから出てきた時にはミートボールではなく、甘酢がけミートローフになっていそうな気がする。ま、それならそれでもいいが。

家庭に仕事を

  • 2008/02/01 09:46
  • Category: 仕事
「家庭に仕事を持ち込まず」とは、三昔ほど前の日本のお父さんたちが、空威張り半分で言い放っていた、いささか時代遅れのせりふだが、今わたしが思っているのは、逆に「仕事に家庭を持ち込まず」というわけにはいかないものかということだ。

メンバー10名以下の小世帯の我が部、構成員のうち若干名が家庭の騒動を会社に持ち込み、これに元から存在する構成員同士の感情的緊張が加わって、現在、部内の空気は異常乾燥、一触即発、かすかなスパークだけで、ぼん!と発火しそうである。

おかげさまで、今週わたしは大変疲れている。今日が金曜で本当に助かった。できればこのまま週末明けても出勤せず、春節(旧正月)の休みに突入したいくらいだ。

みなさん、お願いだ。会社では仕事だけしてくれ。仕事に家庭を持ち込まないでくれ。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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