KK 4日目

  • 2008/05/28 13:05
  • Category: 雑記
我ながら冗漫な1〜3日目の記述だったので、4日目は簡潔に。
そもそも4日目は大したことをしていないのだ。

午前中は朝食 → スズメにエサやり → 部屋に戻ってパッキング → ぎりぎりまで部屋に居座ってメモ書きと読書、で終わったし、12時のチェックアウト後は、帰国直後に書いたように、ホテル端の四阿に陣取って、昼寝と読書でぼけーっと半日過ごしたのだ。
正午頃は遊歩道の真下に、どどーん、どどーんと打ち付けていた波が、夕刻にはだいぶ潮が引き、砂浜が現れるとともに打ち付ける音も軽く小さくなったのが、印象的だった。








ちなみに本日夜からまた出張です。
みなさましばらくさようなら&ごきげんよう
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KK 3日目

  • 2008/05/26 23:20
  • Category: 雑記
3日目
朝食後、雀にエサをやって遊ぶ。朝食を供しているカフェの屋外席では、客の食べ残しをねらって雀や小型の鳩や他の小鳥が寄ってくるのだ。従業員が芝生に投げたパンの耳などを拾い、細かくちぎって投げ与えると、ちゅんちゅん、ちゅんちゅん、面白いように小鳥が集まる。つい落語の「湯屋番」など思い出す。「湯屋番」では道楽が過ぎて勘当された若旦那が、ミリンに漬けた米を撒いて雀を酔っぱらわせ、大量につかまえて缶詰に仕立て“スズ缶”として輸出する計画を滔々と語るが、ここKKならミリン漬けの米で酔っぱらわせなくても、パンくず撒くだけで雀は寄ってくる。ボロい商売になりそうだ。若旦那は日本になぞくすぶっておらず、南洋に来ればよかったのだ。戦時の非常食“ボルネオ産スズ缶”



↑ スズ缶の素

その後、散歩。ホテルの西端まで歩き、隣のビーチから公道に出てひたすら歩く。街からの帰りに見かけた草競馬場に馬を見に行こうというのが計画だったのだが、地図で見ると近い草競馬場も歩いてみると結構な距離があり、せっせ、せっせと小半時歩いても陰も形も見えてこない。時刻は9時を回り、朝とはいえ陽射しは結構きつい。おまけに郊外の自動車道とて歩いている人など、ほとんどいない。1時間近く歩いて、やっと草競馬場の手前まで来る。ちょうどご近所さん御用達風のスーパーが左手に見えたので、入り込んで涼む。土産になりそうな物があったら買うべく、ひとつひとつ棚を覗くが、だいたいはHKでも買えるものばかりで、ご当地特産と言えそうな物はなし。ただひとつココナツと鶏卵でつくったパン用ペーストKAYAの缶詰があったので、買ってみる。1.90リンギット。

涼んでいるうちに、よりいっそう厳しくなった陽射しの下を歩き続けるのがいやになり、馬見物は諦めてバスで街に行くことにする。(このあたり3日目なので、すでに行き当たりばったり)幸いスーパーの前は、バス停である。しばらく待つとミニバンのようなバスが来る。旁らで待っていたムスリムの母子連れが乗り込んだので、乗客に「どこに行くの?」と聞くと中のひとりが「Api」と答えてくれた。Apiがどこだかは皆目見当がつかなかったが、どうせ市内のどこかだろう。そんなに遠くに行きはすまいと踏んで、私も乗り込む。乗ってから地図で確かめると、Apiは市中心のショッピングモールおよびアパートの名前と知れる。願ったり適ったり。市内に入り、モールやオフィスビルが見えだしたあたりで若い娘たちが降りたので、私も真似して降りる。ミニバス料金1リンギット。
KK市街の道は比較的碁盤目に近く、わかりやすくて助かる。アジアシティ、センターポイント、ワリサンスクエアなど覗いてみるが、モノで欲しいと思う物はなし。センターポイント地下のフードコートで、また白飯+おかずの昼食をしたためる。ここは7.5リンギット。スターフルーツのジュースが3リンギット。残さず食べ、昨日同様、苦しいほど満腹。同じ階のスーパーで、マレーシア産マンゴーチョコとドリアンチョコを見つけたので、土産用に買う。各8.5リンギット。もうひとつ『犀印清熱水』(1.1リンギット)というのも、買ってみる。地元に古くから伝わる薬草成分入りで、暑気に当たった時これを飲めば、体を冷やす効果があるというのだが、本当だろうか。隣のパン屋で夕食用のパンを買い、ホテルに戻る。帰りはタクシー。15リンギット。

午後2時から、マレー語教室。生徒はわたしだけ。先生と1対1の贅沢授業。教えてくれたのは、中華系かつ地元サバ州カダザン族系の若い女の子。1時間ぽっちの授業では、プリントされた頻用単語を端から発音していくことくらいしかできず、文法説明など何もなかったが、私が感じた範囲では発音は普通話やフランス語やロシア語より容易だし、センテンスを作ったときの印象では文法も複雑ではなさそうだ。正確に話せるかどうかは別にして、最低限の生活会話なら覚え込むのは難しくないかも知れぬ。ただし一介の旅行者が接する範囲では、あまりにもよく英語が通じるので、ここで生活するのでなければ、あえて覚えたての片言マレー語を使う意味はないかも。

マレー語の後は、またプールサイドでぶらぶら。極楽。

夜はふと思いついて、ナイトマーケットに行ってみる。しかし廟街や女人街の喧噪と目もくらむほどの商品の山を見慣れた目には、KKの夜市はあまりに純朴過ぎて拍子抜け。フィリピンマーケットで1串1.2リンギットの鶏の手羽焼きを食べて戻る。
1.2リンギットの手羽焼きのために、往復30リンギットのタクシー代は馬鹿みたいと思ったが、ま、これも見物料だ。タクシー乗り場に向かう途中、手羽の袋に穴があり、タレがベージュのパンツに点々と散っていることを発見。ホテルに戻ってから、洗濯。なんだか毎日染みをつけては、洗濯しているなあ。
そういえば、市場の一角では魚や野菜、果物なども売っていたが、日が落ちてから商いをするのは、食品の鮮度を保つためか? 確かに昼間の強烈な陽射しの下では、鮮魚などあっという間に腐りそうだが。健やかに10時就寝。

KK 2日目

  • 2008/05/26 23:07
  • Category: 雑記

オランウータンの子どもたち

2日目
実は1日目の夜は、Hill 君(もちろん仮名)と別れたあと、廊下の途中で一気に酔いが回り、まともに歩けなくなって、壁に激突はするわ、廊下ですっころぶわ、で散々だった。まったく上司殿のことを嗤えた義理ではない。

しかし翌日は朝5時に頭痛も吐き気もなくすっきりと目覚め、気分良好。6時半には朝食に降り、たらふく食べて7時半のシャトルバスでオランウータン・ツアーのためシャングリラ・ラサリアへ。ラサリアはホテルだが、敷地内に自然保護区があり、そこにオランウータンがいる。今回はセピロク(Sepilok)のオランウータン・リハビリセンターまで行く日程的余裕がないので、ここで我慢。
バスの中で、前夜すりむいた肩とすっころんだ時打った腰が痛いことを発見。しかし如何ともし難し。

8時半前にはラサリアに着いたが、ツアーは9時半からなので、しばらくホテル内をぶらぶら。街から離れている分、ラサリアの方が全体にゆったりしている感じ。プライベートビーチもタンジュンアルーより広い。街に出る予定がないなら、こちらの方がのんびりできるかもしれないと思う。次回はラサリアにするか。

ツアーはまず、保護区手前の四阿でBBC制作(?)によるセピロクのリハビリセンターの活動に関するビデオ2本を見(うち1本は、以前にTVで見たことあり)、「触らない、近づかない、近づいてきたら逃げること」といった簡単な注意を受けてから、山道を10分弱登って、オランウータン君の餌場そばの見学台へ。飼育員らしきお嬢さんがマレー語(あるいはオランウータン語?)でエサを見せながら呼びかけると、2−3頭のオランウータン君が寄ってきた。最初に「ここにいるのは3−5歳の子供たち」と説明されたとおり、みんなまだ身体も小さく、顔立ちも愛くるしい子供顔。中の1頭は物怖じせず見学者に近づき、彼がはいていた突っ掛けサンダルを奪う。

昔、上野の動物園でサル山を見物していたとき、そばにいた子供が持っていたゲーム機を落としてしまい、小猿がそれを拾って一目散に逃げ出し、安全圏まで離れてから「なんだ、これ?」という顔でいじくりまわし、ゲーム機がピーコロ、ヒャララと電子音を立てていたのがものすごくおかしかったが、今回のサンダル奪取もなかなか。ただし今回はすぐに飼育員嬢がやってきて「いたずらしちゃだめでしょ!」という感じで、子オランウータンからサンダルを取り上げ、持ち主に返してしまったので、子オランウータンがサンダルを抱えて逃げる図は見られず、まことに残念。


熱帯雨林と一体化する子オランウータン君

40分ほど見学台から子オランウータン君たちを観察。枝にぶら下がって遊んだり、飼育員さんからペットボトル入りのジュースをもらって飲んだり、子オランウータン同士じゃれあったり、なかなか楽しい。写真も撮ったのだが私のデジカメ程度では望遠がきかず、いったいどこに子オランウータン君がいるのか判然とせず。この次はぜひ1週間ほど滞在し、セピロクのリハビリセンターに行ってみたいと思う。子オランウータンもかわいいが、わたしはフランジ*(頬だこ)ぜひ大人のオランウータンに会ってみたい。(以下ウィキペディアよりコピペ)

フランジ:オランウータンのオスの顔の両脇にある張り出し(でっぱり)は「フランジ(Flange)」と呼ばれている(別名Cheek-Pad、頬だこ)。フランジは強いオスの「しるし」で、弱いオスは何歳になってもフランジが大きくならない。しかしひとたび強いオス(フランジがあるオス)がいなくなると、フランジのないオス(アンフランジ)が急激にフランジを発達させて、1年以内にフランジのあるオスに変わってしまう。
スマトラでは、20年以上アンフランジだったオスがフランジとケンカをして勝ったところ、急にフランジに変わってしまった、という報告もある。ちなみに、フランジは一度大きくなると小さくなることはない。


ちなみに、最初に見たビデオによるとオランウータンとヒトはDNAの96%が共通なのだそうだ。チンパンジーやボノボ、ゴリラ同様、かなりヒトに近い動物なのである。

見学時間終了し、12時のシャトルバスに乗る。ホテルに戻るつもりだったのだが、途中、市中心のショッピングセンターで止まったので、これ幸いと降りて水やパンなど買い物。水などホテルの売店でも売ってはいるが、値段は市街商店の3倍強で、ややぼりすぎの感あり。
センター内のフードコートで食事。
小ぶりの茶碗いっぱいに盛り付けた白飯を、ぽこんと皿の上に引っくり返して乗せてくれ、その回りに好きなおかずを乗せるしくみ。おかずは魚や鶏の唐揚げのほか、カレー2〜3種、魚の煮付け、野菜の煮付け、野菜炒め2〜3種、卵焼き、トマト、キュウリの薄切りなど、目移りするほど豊富。地元の人たちはおとなしく自分の好みのおかず2〜3種を乗せているだけだが、私は面白がって少しずつ10種類近く皿に乗せた。これに小椀のスープがついて8リンギット。きのうホテルで食べたナシレマクは32リンギットだったから、値段1/4か。私にはこっちの、おかずいろいろの方がずっと楽しい。

タクシーでホテルに戻り、15時からホテル裏側ツアーに参加。私のほかにはオーストラリア人らしきカップルのみ。従業員専用出入り口から内部に入り、フラワーアーティストさんたちの作業場、ランドリー部門、キッチン、資源回収システムなど見せてもらい、最後にエグゼクティブスイートおよびクラブを見学。
ホテル規模の割に裏方の作業場は広くなく、暗く、暑いという印象。作業環境としては、さほど働き心地がいいとも思えず。日本のホテルなどは、どうなのだろう? 同じように暗く、狭く、暑いのだろうか。

夕方は日課のプールサイド読書&水泳。夜も何事もなし。本を読んでいるうちに眠くなり、さっさと就寝。

KK 1日目

  • 2008/05/25 21:53
  • Category: 雑記
次の出張に出かけて忘れてしまう前に、コタキナバルのことを書いておかねばと思うのだが、4日間のこととなると、さて何から書いたらいいのか。
概略のメモは帰りの空港ラウンジで出発待ちをしている間に認めたので、一応それを基に書いてみるか。(ちなみにKKの空港にすら航空会社のラウンジがあるのには驚いた。KKに乗り入れている各社共用のラウンジだが、質素ながらもきれいに維持されており、トイレの中にはシャワー設備もあった。無料で供される軽食の中に野菜のスティックがあったのが有り難く、私はキュウリとニンジンのスティックをポリポリ。もうひとつサツマイモの菓子も美味)

1日目
朝8時にHKを出る。中型機だが映画や音楽といったエンタテイメントの提供はなし。そもそも座席にスクリーンがついてない。読みかけの本を読んで過ごす。
休暇なので出張時には絶対選ばない窓側の席を選択。離陸後、水平飛行に入った時点での、みんな休暇で出かけると決めてかかっている機長の上機嫌なアナウンスがおかしかった。仕事でKKに行く人はいないのか?
11時コタキナバル着。着陸時、窓の外に広がるボルネオ島の景色を見て楽しむ。眼下に広がる深い緑も目に染みるが、それ以上に私の心を弾ませたのが、滑走路脇の裸の土の地面。何かの作業のなごりか、ところどころに穴ぼこがあき、雑草が茂り、白茶けた土が太陽の照り返しに光っている。その様子がいかにも自然でのどかで、HKや成田の人工物だらけの空港、きっちり舗装された路面、刈り込まれた芝生と植栽に囲まれた大都市の空港とは違うところに来たんだと実感。思わず口元がほころぶ。おまけに空港端に佇むターミナル2は、実際は違うのだろうが遠目には平屋のトタン葺きに見え、もう、うれしくって、にやにや笑いが止まらない。私は田舎育ちなので、裸の土や風になびく雑草、てんでんばらばらに生えている木、明るい陽射しの下のトタン屋根の小屋といったものが、大好きなのだ。

空港でタクシーチケットを買って、ホテルへ。約15分、20リンギット。タクシーの運転手氏はマレー系と見えたが、英語の他、普通話も話す。乗ったとたん「同じシャングリラなら、ラサリアにすればよかったのに」と言われたので、「ラサリアの方がいいのか?」と聞くと、「いや、ラサリアなら80リンギットだから儲けが多い」とのお答え。そういうことか、はあ。

12時ホテルチェックイン。マウンテンビューの部屋を希望していたのだが、部屋は見事にシービュー。どういうことよ?と思い、廊下に出て反対側の窓から外を見てみたが、そちらにも山らしきものはなし。ホテルウェブサイトの説明ではキナバル山が見えるはずなのだが、山は消えたか?
しかしまあ、シービューも悪くはないし、毎夕テラスから海に沈む夕陽を見るのもいいかなと思い、部屋替えは頼まずそのまま居着く。

昼食、荷物整理、明日のオランウータン・ツアーへの申し込み手配後、本とサングラスと日焼け止めを持って、プールサイドへ。一番陽射しがきつい時は過ぎており、ちょうどよし。泳いでは読み、泳いでは読みを繰り返す。その合間、ちょうど日焼け止めを塗り直していた時、そばで遊んでいた男の子が話しかけてきた。聞くと日本の某基地に勤務している米軍人で、弟の友達がもうすぐ結婚するので、そのお祝いのため、弟とその友達たちと遊びに来ているのだという。「なあに、スタッグパーティみたいなものなの?」と聞いたら、いやそういうわけではと言葉を濁し、やや困った顔をしていたが、stag partyには、何かいけない意味があっただろうか。しばらく世間話をして別れる。
1時間以上泳いでは読み、泳いでは読みを繰り返し、やや疲れたので「さてそろそろ引き上げるか」と荷物をまとめて歩きだしたら、さっきの男の子が走ってきて、後でハッピーアワーはどうかと誘ってくれた。飲むことには興味ないし面倒も嫌いなので一旦は断ったのだが、「一杯だけ」と礼儀正しくも再度誘ってくれたので、まあ、いいかと応諾する。
部屋に戻り着替えてから、ロビーラウンジでシンガポールスリングを間に、仕事の話、配偶者の話、四方山話、宗教の話等々。
今は軍で獣医のアシスタントをしているが、最初の3年間は兵士としてイラクに行っていた。幸い無事帰って来られ、その時点で所属を選ぶことができたので、今の仕事を選んだ。動物が好きだから動物に関われる今の仕事自体はいやではないが、しかし結局のところ軍に属していることに変わりはなく、それがものすごくいやだ。しかし某資格を取るためには、あと1年ちょっと勉強を続けなければならないし、家族もいるから辞めるわけにはいかない。

なんだか堤未果さんの『ルポ 貧困大国アメリカ』の中の、学費免除、医療保険支給などの経済的保証を餌に、経済的に困難な若者を軍に勧誘する構図そのままのようで、聞いていて暗澹たる気分になる。
もちろん世の中の大方の人は、生活を支えるため否応なく働いている訳で、その働く先が軍でも民間企業でも“否応なく”という点に変わりはないし、また4−5日とはいえ、休暇で海外に遊びに出、5つ星ホテルに泊まれる経済力があるのだから、今現在の状態を“経済的に困難”とは言えないが、話の様子から推測して豊かな家庭出身とは思えないアフリカン・アメリカンの彼が、学校を修え職業を選ぶ時点で数多くの選択肢があったとは思えず、その中で軍というのは最良とまでは言えなくとも、ましな選択だったのだろう。

C.S.I. NYでシェルドン役を演っているHill Harperにちょっと似た、どちらかというと小柄な男の子で、一緒には来たけど毎晩クラビングしている弟たちとは話が合わない、イラクの文化を理解するためコーランを読んでみている、なんていうあたり、通り一遍のマッチョでタフなU.S. Armyのイメージには合わず、「軍は大嫌い」という言葉は正直な本音なのだろうと思う。先に何が待っているのか、年を取るのが怖いとも言っており、若い(28歳)ということもいいことばかりではないわけかと昔を振り返って思う。私は28の時、年を取るのが怖かったろうか? そんなこともなかったように思うが、生まれた時代と国の差だろうか。
彼の母親くらいの年齢の人間として「年を取るのもそんなに悪くはないわよ」と言っておいたが、あまり信じている様子はなかった。まあ、旅先で出会っただけの赤の他人に気楽に請け負われても、信じられることではないわな。

新PCを支給されたはいいが

  • 2008/05/23 21:53
  • Category: 仕事
しばらく前から時々心停止を起こしていた私のPC、昨日午後とうとう危篤状態に陥り、「完全に死ぬ前に新しいPCに代えよ」という上司殿の命で、ITの男の子が新しいPCを持ってきてくれたのはいいが、これがまた(当然のことながら)中国語OS。
一応日本語が打てるようにオフィス一式をインストールしてはくれたのだが、各種表示が中国語であることには変わりなく、慣れるまではさんざん遊ばれそうである。(例:ファイルは档案、表示は検視、ツールは工具、オプションは選項、等々)

おまけにEメールの本文は日本語が打てるのだが、件名は日本語不可で、日本語で件名を入れることはできないし、お客様からいただいた日本語メールの件名中、日本語(ひらがな、カタカナ、日本の漢字)で表記されている部分はすべて?マークになってしまう。不便なこと甚だしい。
「何とかならないの?」とITの子に聞いてみたが「何ともなりません」という無情なお返事で、つまり今後私が発するEメールの件名は、すべて漢字か英語で書くしかないらしい。

もっとも私が今まで日本語OSのPCを使えていたのは、そのPCが上司殿個人の所有物だったからで、日本の家電大好きの上司殿が秋葉原だか新宿だかで買った当時最新の製品を、会社に持ち込んでいたのだ。しかしそれが壊れた現在、代わりは会社所有のPCしかなく、IT部にちょうど余っていたのが中国語OSの機だったと。英語OSとどっちがよかったかは、迷うところである。漢字は表意文字である分、いったんどういう意味か覚えてしまえば、その後の認識は速い。瞬時に何かを伝えるには便利な表記だ。少なくとも漢字文化圏の人間にとっては。

南の島からの帰還

  • 2008/05/22 22:32
  • Category: 雑記


ゆうべ遅くに帰ってきた。空港に着いたのが夜の11時過ぎだったので、家に帰り着いたのは夜中12時過ぎ。雪だるまは食卓に『お帰り!』のメモだけ残して、すでに寝ていた。当然だよな。

帰りの空港からのバスは、アフリカ諸国からの出稼ぎと思われる人たちが、大量の荷物を持って乗り込んでおり、通路まで荷物であふれていた。エアポートバスにはしょっちゅう乗っているが、こんなに荷物で満杯のバスを見たのは初めてだ。夜遅く着く便は、遠い遠い国からの便が多いのだろうか。バスの後ろの方の座席で声高に楽しそうに喋っているアフリカ系と思われる人たちは、これからどんな商売をするのだろう。傷と汚れだらけのプラスチック布で包まれ、ガムテープでぐるぐる巻きにされた大量の荷物の中身はなんだろう。このバスは安宿で有名な重慶マンションの前を通るバスだから、この人たちはきっとあのあたりの安宿を根城に、HKで商売をして稼ぎを本国に持ち帰るのだろうが、KKのプールサイドで、広がる経済格差についての本を読んでいたこともあり、やや考え込む。

そのKKだが、やりたいと思っていたことはおおかたやり、やりたいとは思っていなかったことも少しはやった。(廊下ですっころんで肩を円形に擦りむくとか、若いアフリカン・アメリカンの男の子とごはんを食べるとかetc.)
何しろ当初は前々日までの出張気分を色濃く引き摺り、休暇で行くというのに1時間毎の行動予定を作ってプリントし、チェック欄まで添える始末。歩く速さもセカセカセカっとHK速度。
しかしそのペースも2日目後半あたりから崩れ始め、3日目には裾幅の広い、麻混のパンツをたらん、てろんとなびかせながら、行き当たりばったりに行動するようになり、最終日4日目にはチェックアウト後の半日を、ホテル端の四阿のデッキチェアに陣取って、目の前に広がる海を見、どどーん、どどーんと打ち寄せる波の音を聞きながら読書と昼寝で過ごすまでになった。立派に適応したわけだが、その見事な順応もつかのま、その日の夜にはHKに戻り、翌日である本日は朝から仕事で、またHK速度に逆戻り。あの青い空と白い太陽、吹き抜けていくちょっとべっとりした潮風は、つかの間の夢であった。ああ、君よ知るや南の国・・・




最終日、半日を過ごした四阿

ただいま&ごきげんよう

  • 2008/05/17 23:03
  • Category: 雑記
ゆうべ帰ってきた。今回、上司殿は大トラに変身するどころか、酒などほとんど飲まず、借りてきた子猫のようにおとなしく過ごした。おかげでわたしもライオンにならず済んだ。まあ、日程がタイト過ぎて、酒を飲む暇がなかったというのが真相ではあるのだが。

成田の本屋で『サライ』を買った。新聞広告で五代目柳家小さんさんのCDがつくと知って、いそいそ買い求めたのである。CDに入っている3題のうち『粗忽長屋』はすでに持っているのだが、他の2つ『時蕎麦』と『狸賽』は持ってないし、本誌の方には小さんさんのさまざまなエピソードが載っている。これで750円は本当にお買い得である。この次は三代目金馬さんあたりを特集してくれないだろうか。(サライは落語専門誌ではないから、そんなことはまずないだろうけど)

これで明日は朝8時の飛行機でKKへ向かう。朝8時ということは、少なくとも7時には空港に着いていなければならず、ということは6時には家を出なければならないので、起きるのは遅くとも5時。すでに11時なので、さっさと寝なければ睡眠時間が無くなる。ブログなど更新している場合ではないのだが、ま、一応。

それにしても遊びに行くときと言うのは、どうしてこうも無粋に荷物が多くなるのか。出張なら4泊5日でも機内持ち込み可の小型スーツケースでお釣りが来るほどなのに、遊びとなると3泊4日でも一回り大きいスーツケースを使ってほぼ満杯。水着やらトレーニングウェア、運動靴にビーサン、日焼け止めに虫除け、ついでにここぞとばかりに本を数冊、詰めたのが敗因なのはわかっているが、ワカモノのバックパック旅行と違って、おばさんの休日は1カ所定住である。荷物が多くても、移動に困るわけではない。まあ、せいぜい楽しんで来よう。

みなさま、ごきげんよう。

意固地じいさん 2

  • 2008/05/12 20:11
  • Category: 雑記
ぎざぎざ刃のパン切りナイフでパンを切ろうとして代わりに指の皮を剥き、
引き出しを開けようとして指がすべって親指の爪を折り、
アイロンかけの途中でなぜか熱いアイロンにさわって火傷し、
とつまらない怪我が連続して発生したため
あっという間に意固地爺さんが憑依して、ここしばらく仏頂面で過ごした。
ワードに向かう気にもならず、ブログさぼり続け。文体の研究どころではない。


しかし本日、お釈迦様の誕生日で休み。土曜からの三連休の三日目でやっと気を取り直し、ワードに向かう。
伝承によると、ゴータマ・シッダッタは旧暦の4月8日に生まれたんだそうである。HKではイエス・キリストの降誕を祝うクリスマスを祝日にしているので、公平を期すために佛誕も祝日にしたのだろう。
わたしは別に仏教徒ではないのだが、三連休は有り難く楽しませていただいた。朝の空いている時間にジムに行けるのは、誠に快適。

しかし明日からは出張。前にもプレゼンしたことのある商品なので比較的気が楽で、しかも戻ってきた翌々日の早朝にはKKに向けて出発するので、そちらの楽しみに気を取られ、実のところ出張にはあまり身が入っていない。上の空で、口だけピーチク喋りそうである。許せよ、クライアント諸兄姉。

そのKKだが、雪だるまがお義父さんにわたしの旅行計画を話したところ、お義父さんは「ははあ、お前さんとオランウータンを比較しに行くんだな」と言ったそうである。ふむ、なるほど。そういう見方もできるわけか。で「オランウータンの方がいい!」となったら、わたしはマレーシアに居残るのだろうか。ゴリラの研究で森に残った女性研究者や、チンパンジーを愛人にしている女性の話は映画で見たが、わたしは別にそういう目的でKKに行くわけではないのだが。

*********  *********

というわけで、明日から出張なのでしばらくお休みします。
大トラ上司とまたもいっしょですが、まさか2回続けてトラに変身しはすまい。山月記じゃあるまいし。

万一またもトラになったら、わたしの方はライオンになってやる。
ライオンの方が強いのだ。酒量では負けても、体力、膂力なら負けないぞ。ふん。

意固地爺さん

  • 2008/05/07 12:12
  • Category: 雑記
先日雪見さんが“ズボラ主婦”さんの文体を真似して、日記を書いていらした。
いつもとは趣きが変わって、なかなかに面白かった。
で、私自身はどんな文体で書きたいのか考えてみた。
結論は“意固地な爺さんの文体”である。
やや古めかしい文体で、カタカナ語は極力使わない。代わりに漢語を多く用い(何しろ年寄りだから)、しかも性格が意固地なので、やや皮肉っぽい言い回しになりがち。文章を読んだ時目の前に浮かぶのは、口をへの字に結んだ不機嫌そうな70爺さんの顔。こういうのがいい。そしてこれをベースに、機嫌がいい時は、認知症一歩手前のように、にたらにたら笑いながら、自分が見つけた美味い物や、面白いと思ったことなどを、得々と書く。本人は得意なのだが、何しろ意固地な爺さんの独白なので、読者諸兄はややうんざりする。そういった文体および内容。

しかし書くとなると、さて具体的にはどうしたらいいのか。
実際に意固地爺さんの文体でも読み込んで研究しないことには、書けそうもない。カタカナ語を使わないで済ますのは簡単だが、代わりに漢語を使いたくとも、漢文の素養に欠ける。士族御用達の藩校で四書五経を学んだわけではないのだ。
できるのは一人称を「わし」に替えてみることくらいだが、後が続かんのでは意味がないよな。
あら、むずかしいわね。
やっぱり戦後教育を受けた現代人には無理なのかしら。
いやだ、気がついたらズボラ主婦さんの文体になってるわ。
雪見さんの言うとおり、これって感染るのね。
気をつけなくちゃ。
ズボラ主婦が、ズボラ主婦さんの文体で書いても意味ないわよね。
だって、まんまだもの。全然、別人格じゃないわよ。
ああ、意固地爺さんの人格が憑依してくれないかしら。
その人格なら、上司もあたしのこと恐がって調度いいわよね。ふふん。

浦島たろ子と音楽会

知らなかった。日本は明日も休みなのだ。
どおりで先週末連絡を取った人の大半が「7日に出社しましてから・・・」と言っていたはずだ。
国籍は日本のままでも、15年も日本を離れていると「あれ?」と思うことが増えてくる。
銀行や交通機関のシステムの変化もそうだし、祝祭日の改定もそうだ。
聞いただけでは意味がわからない言葉も増えてくる。
そうして浦島たろ子さんになっていくのだ。

土曜の夜は中国語の先生に誘われて、島の南側で開かれた素人音楽会に行ってきた。
いくら会場となるショッピングモールと某高校共催による素人音楽会でも、音楽会というからには所謂“古典”と呼ばれる曲を演奏するのだろうと、勝手に思い込んで出かけていったのだが、会場で渡されたパンフレットを見てびっくり。1曲目は『夢追い酒』だった。

制服姿の真面目な顔した高校生が、琵琶や筝を手に演奏する1曲目の曲が、♪あーなた、なぜなぜ、わたしを捨てたぁ♪ であるというのはいかがなものか、と私などは思ったが、考えてみれば当の高校生および聴衆の大部分は、こんな歌詞であることは知るまいからいいのか。

その後は同校の先生および関係者と思われる方々が順番に登場し、高校生の演奏をバックに歌を歌ったのだが、これがまた何とも「???」だった。
私自身、声も出なければ音程も狂いっぱなし、リズム感などどこを探しても見つからない最低の歌い手の1人であるので、これ以上のコメントは差し控えるが、たとえ知らない言語で歌われた歌であっても、上手い下手はわかるものだということが、よくわかった。
たとえば中頃で登場した女声のカルテット、また後半登場した若い男性の歌は、何を歌っているのかは全然わからなかったが、聞いていて大変気持ちがよかった。ことに後半の男性には、生徒たちから盛んに声援が送られ、男性もそれに応えていたので、きっと学校でも生徒に人気のある先生か、または先輩なのだろう。声もよく、軽快な歌いぶりで、楽しく聞けた。女声のカルテットも甘い歌声が美しかった。

30曲近い歌の中には『夢追い酒』以外にも日本の歌曲があった。プログラム中の『可愛的馬』は、タイトルを見た時すでに「あれ?」と記憶を刺激するものがあったのだが、曲が始まってはっきり。これは ♪藁にまみれてよぉ、育てた栗毛〜♪ で始まる三橋美智也さんの『達者でナ』だった。こんなHKの南海岸で、21世紀になった2008年に、中国語で歌われる『達者でナ』を聞くことになろうとは。そして最後に指揮をしていた初老の先生が、声高らかに歌ったのは谷村新司さんの『昴』。日本語の発音は些か不明瞭だったが、ま、いいのだ。
日本語で歌われる『昴』を聞いて、大学生の頃同じクラブだった某O君が『昴』を『うずら』と読んだことを懐かしく思い出した。O君は某有名進学校の出身だったのだが、問題集には『昴』という漢字は出てこなかったのだろうなあ。

我知らず、にーっと微笑む

  • 2008/05/02 10:30
  • Category: 雑記
3日もブログのアップをさぼってしまいましたが、コタキナバルに行っていたわけではありません。
コタキナバルへ行く前に行かねばならない出張と、コタキナバルへ行った後、行かねばならない出張の準備に忙殺され、その合間にはコタキナバルでの暑い日々、青く白く輝く海と熱く湿った熱帯雨林とを妄想していたため、ワードに向かう時間がなかっただけであります。請御容赦。

出張準備を進めながら、コタキナバル(以下KKと略す)準備も進めている。
出張準備は楽しくないが、KK準備は楽しい。
航空券代やホテル代など、金を払うことすら楽しい。
ゴム草履や水着用カバーアップなど、買物するのはもっと楽しい。
ガイドブックやホテルのウェブサイトを見ながら、計画を練る。
一人なので、どんな予定も可能だ。
早起きして乗馬クラスに参加するのも、暑い午後の陽射しを避けて、
ホテル内での初級マレー語教室に参加するのも自由自在。一人はいいのう。
もうひとつ、ホテルの裏方見学ツアーというのもある。
ハウスキーピング部門やらGMのオフィスなど、宿泊客はふつう見ることができない部分を
お見せしましょうというホテルアレンジのツアー。面白そうだ。
この3つに参加し、それとは別にオランウータンを見にでかけたところで
ひとりでぼーーーんやりする時間は十分ある。ふふふふふ。

最近私は夜眠りにつく前、我知らずにーっと微笑んでいることが多い。
行くのがいやで悪夢に悩まされる出張とは、えらい違いである。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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