来ない修理人と阿弥陀クジ迷路

最近、雪だるまのモデム(プロバイダ提供)の調子が悪く、土曜日に修理の人が来てくれることになっていたのだが、約束の午後2時から6時という時間を過ぎても誰もこない。時間どおりに来ないことなど慣れっこなので、まあそれでも7時か8時には来るだろうと高をくくっていたのだが、とうとう土曜はだーれも来ず、釈明の電話もなかった。


ネットがなければ仕事も遊びもできない雪だるまにとって、モデムはごはんと同じくらい大事なものなので、日曜の朝起きると雪だるまはさっそくプロバイダに電話し今度は月曜(祝日で休み)朝の約束を取り付けた。


しかし月曜の約束の時間9時から11時を過ぎても、やはり誰も来ない。普段は温厚な雪だるまもさすがに激昂し、プロバイダの応答嬢に、ことば自体は丁寧なものの苦々しさを隠し切れない口調で「いったい全体、いつ来てもらえるのか」と詰問。そしてどうやら応答嬢が「調べまして後ほどお電話差し上げます」とでも言ったらしく「後ほどっていつ?」と重ねて畳み掛けている。そしていくつかのやり取りの末「O.K. では1時間以内に電話がなかったら、こちらから電話します」と言って電話を切った。


雪だるまは電話のあと私の部屋に来て、「後ほど(later)っていうけど、5分後だって“後ほど”だし、午後だって“後ほど”だし、明日だって“後ほど”だ。こんな当てにならない言葉はない」と怒っている。確かにコトが順調にいっている場合の“後ほど電話”なら、まあ1時間以内には電話が来るだろうと期待できるが、約束を2回すっぽかされ、相手に対する信頼度がゼロ近くまで落ちているこの状況では“後ほど”の範囲は無限の未来へと続く。不調のモデムの前でじいっと無限に待っているわけにはいかない雪だるまとしては、有限の時間でのお約束が欲しいのは当然だろう。


雪だるまの怒りを内に秘めた強い口調が効いたのか、今回は“ほんとに”1時間以内に電話が入り、約束した午後の時間には“ほんとに”修理人が現れて「ケーブルとモデムがだめね。これ古いね」と言って、5分もかからずケーブルとモデムを交換して「バイバイ」と帰っていった。無事ネットにつながって雪だるまはにこにこだが、1件の修理が3日がかりって、HKってどうしてこう物事がすんなり進まないのだろう? それでもまあ最終的には何とかなる分、どこかの国よりはましなのかもしれないが、なんか疲れるなあ。

そしてもうひとつ、最近疲れを感じるのは、カスタマーサービスを捕まえるまでの時間の長さだ。銀行でも会社でもホットラインはだいたいテープ音声のコンピュータによる対応で、こちらは言語の選択から始まって、サービスの選択、何が問題なのか、何をして欲しいのか、いちいち音声テープと番号入力による関門をくぐっていかなければならない。ほとんど阿弥陀クジ迷路状態である。おまけにやっとゴールに近づいたと思ったら、またテープに「ただ今回線が大変込み合っております。このままお待ちになるか、またはしばらくしてからお掛け直しください」などと言われるのだ。または突然ラインがぶつりと切れるか。これで腹が立たない人がいたら、その人はよっぽど忍耐心のある、できた人である。
私などは某航空会社のホットラインで23回これをやられ、堪忍袋の緒がブツン!と音を立てて切れて、ハンドセットを思いっきり壁に叩きつけたことがある。


それに今はまだ阿弥陀クジ迷路をくぐり抜けて、なんとか人間の担当者を捕まえることができるが、あと10年もたって今にもまして耳と脳がおぼつかなくなり、ついでに指先が震えてボタンをちゃんと押せなくなったら、もう何が壊れても、自力で助けを呼ぶことはできなくなるかもしれない。
それともその頃には高齢化がピークに達して、年寄りマーケットが若者マーケットより大きくなり、「儲かる市場」としてもっと親切なシステムができてるかな。
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言語領域

  • 2009/10/28 16:31
  • Category: 言葉
きのう、カットオフタイムに間に合わせようと、上司殿と次席と私と3人、鬼のような形相で約定した取引の入力に励んでいた時、あるパスワードが必要になり、上司殿に「××のパスワード何ですかっ?」と叫ぶように聞いたら、上司殿間髪入れずに「ちゃっ、ぱっ、がう、よん、ご、ろくっ!」と答えた。
前半3つは、広東語(789)、後半3つは日本語(456)である。人間、焦った時の言語っておもしろい。たぶん前半は無意識に広東語で答え、途中で相手が私だと認識して、脳が日本語に変えたのだろう。


脳の中の言語領域がどうなっているのか、私は詳しいことは知らないが、今は昔、日本で少人数のフランス語教室に通っていた頃、同じクラスにアメリカ人の男の子がいた。初級クラスだったので、数人いた生徒は全員、ごくごくたどたどしいフランス語しか話せなかったのだが、ある日ある時フランス人の先生に年を聞かれたその男の子は、何を間違えたか日本語で「にじゅうご」と答えた。フランス語で聞かれたのにアメリカ人がわざわざ日本語(しかも発音もおぼつかない日本語)で答えたことに、クラスは思わず笑い出したが、たぶん先生からの突然の質問に焦った男の子の脳が「英語じゃない!英語じゃない!外国語!」と指令を出し、とっさにスイッチが入ったのがフランス語と“非母語度”が同じくらいの日本語だったのだろう。男の子自身「なんでやねん?」という顔をしていたのが、よけいおかしかった。

昔むかし2

雪だるまに聞いた。やはり60年代のケベックの田舎では、まだ女性が働ける場所は大変少なかったようだ。何しろ1959年にモーリス・デュプレシ州首相が死ぬまでは、ケベックはカトリック教会の影響が非常に強い、超保守的な土地柄だったのだから。彼が亡くなり、60年代になってから「静かな革命」が始まり、政教(政治と宗教&政治と教育)分離や、社会福祉への投資が徐々に進み始めたのだそうだから。


藤永茂氏の『私の闇の奥』から。真ん中辺にデュプレシ政権についての記述あり
http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/06/post_e9af.html
モーリス・デュプレシについてのウィキペディアの記述
http://en.wikipedia.org/wiki/Maurice_Duplessis


私が移民する21世紀のケベックが、当時とは様変わりして宗教色のさほど強くない、比較的リベラルな土地柄なのはありがたい。デュプレシ政権当時のケベックだったら、私は移民する気はしなかったと思う。その前に雪だるま自身「帰ろう!」とは言わなかっただろうし。あいつは何しろ、私以上に宗教嫌い、保守嫌いなのだ。

昔むかし

この間、ベッドの上に人形服の型紙を広げて、ちょきちょき切っていたら、それを見た雪だるまが「その紙、子どもの頃、僕たちの服を作るのにお母さんが使っていた型紙も、そういう紙だった」と懐かしがった。


この時私が切っていたのは、個人から買ったよろよろ手書きの型紙(笑)ではなくてマッコール社製の型紙だったので、大きな1枚の、とんぼの羽のように薄い褐色のハトロン紙に印刷されていたのだ。


雪だるまによると、お義父さんは軍人だったのだけど、駆け出しぺいぺいの軍人の俸給などは知れたもので、雪だるまが子どもだった頃は、お金がなくて食料品などはつけで買うことが多かったし、お義母さんは少しでも現金を節約しようと、子どもたちの服はほとんどすべて手作りだったのだそうだ。で、わたしが切っていたのと同じようなぺらぺらのハトロン紙に印刷された型紙を使って、ズボンなどを作ってくれたのだそうだが、そういえばお義母さんたちの家にはふるーい木製の台つきのミシンがまだあって、引出しには色々な色糸やら裁縫道具やらが残されていた。たぶん雪だるまが子どもの頃から、40年以上使われてきたミシンなのだ。


そのほかにもお義父さんたちの家には、長い間大事に使われている風情の道具が多かった。今でも現役の電動ミキサーはお義父さんたちが結婚祝に貰ったものだそうで、とするとほぼ50年? 古き良き時代に丁寧に作られたものと、今の材料費も何もかも切り詰められるだけ切り詰めて作られたものでは、持ちが違うと言ってしまえばそれまでだが、それにしても手入れを欠かさず、丁寧に使ってこなければ、ここまでは持つまい。大事にされている道具は、見ていて気持ちがいい。


今は悠々自適の身で、年に一度は外国旅行に出かけたり、夏の間はゴルフをしたり、家のあちこちを直してみたりして、老後の生活を楽しんでいるお義父さんだが、俸給が安かった頃は、土日には引っ越し業者の手伝いをしたり、近くの理髪店で臨時理髪師になったりと、さまざまなバイトをしたらしい。俸給の少なさから職業軍人が副業に励むなんてちょっと不思議な気がしたが、そういえば日本でも生活の困窮に対する下士官の不満が、2.26事件の引き金となったとどこかで読んだような気がする。(時代が30年くらい違うけど)


雪だるま家と同じ時代、ところ変わって日本で同じように貧しい生活をしていた我が家は、父のほか、母も祖父も働くことで家計を支えていた。わたしという“小さい子ども”はいたが、母は私を保育園に預け、働きに出た。わたしが育った田舎では、女が外に働きに出るのは珍しくなかった。というより乳幼児がいるわけでもないのに専業主婦でいる女は、“怠け者”“いい御身分”と陰口を叩かれていたような記憶がある。この点、妻が働くことを良しとしなかった都会の中産階級とは明らかに違う。


あれ、そういえばお義母さんはどうして外に働きに出なかったのだろう? ケベックの田舎には働き口がなかったのかな? 帰ったら雪だるまに聞いてみよう。

抹茶牛乳

お客様の1人から、抹茶、茶碗、茶杓、茶せんのセットを戴いた。私ではなく上司殿に下さったのだと思い手にとらずにいたら、上司殿が自分の分はもう1セット持ち帰った。それはloutraさんの分だというので、ありがたく頂戴して家に持ち帰ったが、さて、わたしは茶の点て方を知らない。


外国人用の土産とて、中にはお茶の点て方を解説した説明書も入っていたが、じゃあといっておもむろに湯を沸かし、ダイニングテーブルに茶碗を置いて、薄茶を点てられるというものでもない。


しかしせっかくいただいた抹茶をこのまま放置するのも勿体ないので、抹茶牛乳にして飲むことにした。横着者なので小鍋で暖めたりはしない。グラスに直接抹茶を入れマドラーでカシャカシャカシャと勢いよく掻き混ぜ、牛乳を入れて飲むだけである。当然抹茶はよく溶けず、ダマダマが残っているが、ま、気にしない。マドラーではなく茶せんでカシャカシャすればいいのだろうが、グラスに茶せんというのも何だか?だし。

鬱々

  • 2009/10/19 11:48
  • Category: 雑記

学生の頃は何しろ学業とバイトくらいしかすることがなく、外からの力によって自分の感情とは全く何の関係もない行動を取らねばならないということがなかったから、よく鬱々状態になった。学業とバイトだけでは、どんどん、どんどん、内側にめくれ込んでいってしまう感情の流れを止めることができなかったのだ。


しかし就職して、鬱だろうが何だろうが、定められた仕事を一定の時間内に一定のレベルを維持してこなさなければならなくなると、そして時には誉められたり貶されたり緊急事態が発生したりして、その時の自分の感情とは無関係な流れの中に引っ張られたり、引きずり込まれたり、投げ出されたり、呑み込まれたりするようになると、自分の感情や思考とだけと向き合っていればいいような状況は少なくなり、自然鬱々状態に陥ることも少なくなった。実際、就職して以来、安定剤のお世話にはなっていない。


というように仕事は私の精神衛生に大変有用だったのだが、最近は逆に仕事が鬱々の理由やきっかけになることが多く、有用なんだか有害なんだか、わからなくなってきた。この土日も1カ月先のツアーやら、1カ月半先の某視察やらのことが頭を離れず、鬱々としていた。せっかくの休みだったのに、1カ月も先のことを心配するなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるというものである。しかも「行くのがいやだ」「人に会うのがいやだ」という以外、これといった懸念材料はないのだ。わたしの社交嫌い、何とかならんのだろうか?

指輪

  • 2009/10/16 17:20
  • Category: 雑記
昼休み、結婚指輪が見つからなくて一瞬焦った。こういうものは普通外さないものなのだろうが、私はジムで運動する時は必ず、会社でも邪魔っけな時は外して仕事をしているので、時々「あれ? ない・・・ 」ということになるのだ。


幸い未だかつて本当に無くしたことはないが、焦ったことは何度かある。今日は昨日ジムで外してバックパックの小ポケットに入れたまま、今朝は着けずに出勤し、昼休みに手が軽い気がして「そういえば」と小ポケットを見たのだがない。一緒に外した右手用の大きな銀の指輪はポケットの底にあったが、結婚指輪はない。「まずいじゃん」とポケットの中の物を全部出してみたが、やはりない。「げー、結婚指輪なくしちゃったよ」としばらく意気消沈。昨夜ジムから帰ったあと、家でポケットから指輪を出したっけ?と思い起こしてみたが、そんな記憶はない。「あーあ」である。


見つからないのでそのまま昼休みの散歩&用事片付けに出たが、どうにも落ち着かない。指輪は正式に結婚することにした時、雪だるまは「そんなもの要らん」と言ったのに、私が「欲しい!!」と言って割り勘で買ったものである。雪だるまの資金が半分出ているのに、無くしたとあっては面目なさすぎ。定番のデザインだから、同じ店に行けばまだ同じ物を売っているだろうが、買いなおせば済むというものでもない。第一買いなおす金が惜しい。(←ケチ)
あんまり落ち着かないので用事もそこそこに会社に戻り、もう一度ポケットを見直した。そして、はっけーーーん!! 指輪はキーホルダーに挟まって隠れておりました。いやー、めでたい。


やっぱりこういうものは、なくしちゃいけませんよね。結婚指輪を無くしたなんていうと人聞きがよくない。なくさないためには外さなければいいのだが、ダンベルやバーベルを握るのに指輪をしていては、指輪が食い込んで痛くてだめなのだ。不便。ペンダントとかも、大きいものはマシンに引っかかったりするから、ふつう外す。外さなくて済むのはピアスくらいだ。結婚指輪ならぬ結婚ピアスとかあったら、便利なのに。あ、耳は心臓につながっていないからだめか。

1.5センチのずれ

  • 2009/10/15 15:28
  • Category: 道楽
人形の服を作って遊ぶのが趣味なので、時々海外から型紙を買うのだが、米国の販売者の型紙は、かなり手広くやっている人でも手描きが多くて、微笑ましい。
さすがに縫い方の説明はパソコンで打ってあり、字まで手書きということはないが、型紙の方はだいたい売り物とも思えないような、よろよろした線の手描きだ。縫い代の点線など点点の大きさがまちまちだし、しかも微妙にずれていたりする。


先日買ったケープの型紙などは、丈が長いのでレターサイズの紙に収まりきらず、上下2枚に分けてあったが、そのくっ付けるべき線の長さが上と下で1センチ余ちがう。ケープ上部の分断線は17センチなのに、ケープ下部の分断線は18.5センチなのだ。これでは「くっつけろ」という指示どおり分断線の所でくっつけたら、上と下で1.5センチのギャップができてしまう。型紙を見比べながら、思わず「どうせえっちゅうねん?」と独りごちてしまった。


本として出版されているものは別として、日本人から型紙を買ったことはないので比べることはできないのだが、日本のヤ○オクあたりでこんな型紙を売ったら、クレームの嵐になりそうである。というかその前に、日本人だったら手描きの型紙では商品として通用しないと考え、コンピュータ製図にするだろうし、型紙を上下に分けるなら、ずれがないよう細心の注意を払うだろう。1.5センチのずれを許容する土壌は、日本にはない。


もちろん昨今のニュースで報道されているとおり、製造年月日や原材料のように買い手側がすぐには確認しようのないものについては、日本でもたくさんの誤魔化しが横行しているが、型紙の大きさの違いという、買い手が一目見てわかるような不良は、細かいところにこだわり、しかもクレーマーの増えている日本では存在できないと思う。しかし米国では立派に存在し、しかも売り手側の商売は成り立っている。その寛容を良しとすべきか、あまりの大雑把に呆れるべきか。


1度、台湾の人からも型紙を買ったが、こちらはちゃんとコンピュータ製図だった。そして型紙に小さい不明点があったので質問メールを出したら、すぐに返事が来た。まあ、たった1例だけなので比較はできないのだが。

田舎者の血

  • 2009/10/14 15:26
  • Category: 雑記
このところずっと気持ちがささくれるようなことばかり書いているので、何か楽しいこと、たははと笑えるようなことを書きたいのだが、あんまりないんだな、これが。


昨夜、雪だるまの叔母さんの1人が自宅の周りに咲いた花の写真を送ってくれた。赤に見えるほど濃いピンクのバラが、垣根に絡まってあふれるほどに咲き乱れ大変きれい。そのそばには白い小さい花や、オレンジ色の花も咲いていて、一面の花盛りだ。
カナダの夏は短いが、その短い間に家々を彩る花は、それぞれ「ほおっ」とため息が出るほどきれいだ。傍らをゆっくり散歩したり、または自転車でさあっと走りぬけたりするだけで楽しい気分になる。自転車の場合、緩い下り坂だったりなんかしたら最高! もう何もかも忘れて嬉しい。

車なんかたまーにしか来ない、果てしないほど広がる麦畑や牧草地の中の道を、ひとりキコキコ自転車で走るのも好きだ。どうしてこんなに気持ちいいんだろ?と不思議になるほど、爽快な気分。


そもそも私は田舎が好きなのだ。都会は便利だし、面白いものもいっぱいあるが、都会に住んでたまに田舎に行く生活よりも、田舎に住んでたまに都会に行く生活の方が性に合っていると思う。何しろ何十代前からか知らないが、わたしのご先祖様は父方も母方もみんな田舎者なのだ。母方なんか歩いて行ける範囲に平らな道は1本もないような山奥の村の出身だし、父方は父方で、道は平らだったかもしれないが、先祖代代暮らしていたのは空っ風の吹きすさぶ北関東の寒村で、田舎であることに変わりはない。つまり私の遺伝情報を担うDNAの中に都会者の情報はたぶんヒトカケラもなく、わたしは徹頭徹尾田舎者なのだ。
うおお、カナダでも日本でもいい。田舎に帰りたい。


それになんたって最近はネットの発展のおかげで、田舎に住んでいても都会とほぼ同量の情報が得られる。昔は田舎者=モノ知らずで、情報量の少なさから視野が狭くなりがちなのが難点だったが、最近はそんな不利もない。年を取ったら都会の方が便利とはよく言われることだが、それでもやっぱり私は田舎で年を取りたい。寒風吹きすさぶ野っぱらに立ち、白髪の蓬髪を風になびかせたい。

10この質問

  • 2009/10/13 10:09
  • Category: 雑記
「空の二階」の桃さんと、「14番目のサンダル」の雪見さんの真似っこ

1.What is your favorite word? (好きな言葉は?)
「明晰」「繊細」「寛容」(みんな私にはないものばっかりだ)

2.
What is your least favorite word? (嫌いな言葉?)
「非国民」

3.
What turns you on creatively, spiritually or emotionally? 
(なににワクワクする?)
新しいことを発見できる本

4.
What turn you off? (どんなことにゲンナリする?)
非論理的な話、金儲けの話

5.
What is your favorite curse word? (お気に入りの悪態は?)
「あなたなんか嫌いだから!」(だいたい自分に対して言う)

6.
What sound or noise do you love? (大好きな音は?)
ごはんを作る音

7.
What sound or noise do you hate? (大嫌いな音は?)
声高な話し声

8.
What profession other than your own would you like to attempt? 
手で何かを作る仕事。SPCAのお掃除おばさん(これは無給で)

9.
What profession would you not like to attempt? (どんな仕事は嫌ですか?)

金融

10. If Heaven exists, what would you like to hear God say when you arrive at the Pearly Gates? (天国があったら、入り口で神様になんて言ってほしいですか?)

天国は私がいるところではないと思う。“
God”とは相性悪いし。と言って地獄に行きたいわけではない。どこかその中間のところ。あ、それって人間界か。うーん、妥協して極楽なら行ってもいい。

『母べえ』

  • 2009/10/12 16:16
  • Category: 映画
この土日に見た映画の中で、一番印象に残ったのは『母べえ』だった。感動のあまり印象に残ったのではなくて、中途半端な不快感で印象に残ったのである。もともと私は“献身的妻とか“献身的娘”とか“献身的息子”とか、“自らを犠牲にして他に尽くす××”を感動的に描いた映画、小説が大嫌いだ。献身自体もあまり感心しないが、それ以上に献身を賞賛賛美し、感動的オハナシにすることが嫌いなのだ。だって考えてみるがいい。献身している方はそりゃあ自己陶酔できていい気持ちかもしれないが、献身される方はたまったもんじゃない。「あなたのために、ここまでしたのよ」なんて言われたら、その重さ、息苦しさに窒息しそうになる。だから、そんな行為を賛美し、助長するようなオハナシをつくるのは止めてくれ、と思うのだ。


『母べえ』の何が不快だったのか。まず私にとっては、あの時代そのものが不快だ。私の天邪鬼な性格から考えて、あの時代の思想に共鳴できたはずはなく、しかし自らの考えを節を曲げずに貫くだけの強さがないことも、骨身にしみてわかっているので、あの時代を見せられるのはいやなのだ。
ついでに山ちゃんの気持ちに気づきもしない母べえの鈍感さも不快だ。夫を愛し、子どもたちを慈しむ白菊のように清純な女として描かれているだけに、よけい不快だ。気づいてやれよ、こら!である。あの時代だから、気づいてどうしろと言うわけではないが、せめて気づいてやってもいいんじゃないか。いい年をした男が恩師への敬愛だけで、足しげく通ってくるわけはないではないか。


しかしそれより何よりいやだったのは、たぶん“愛情にあふれた幸せな家庭”という嘘っぽさだろう。山田洋次監督がそういうのが好きなのはわかるが、それらしく描けば描くほど嘘っぽくなる。
最後、母べえの臨終に駆けつけ、「(父べえに)生きてるうちに会いたかった」という母べえの言葉に号泣する照べえ(戸田恵子)。そういう母子の愛情がわからない私は白けるばかり。映画の中で、『犬』が死ねば私は泣くが、『母』が死んだのでは私は泣けない。

ORZ

  • 2009/10/09 15:01
  • Category: 雑記
この間、気に入っていた黒の大丼を割ってしまった。どこ製だかわからないが厚手でつやつやした釉がかかり、緑も鮮やかな細隠元や赤いトマトなぞを盛ると実に見栄えがよくて重宝していたのだが、惜しいことをした。


大丼はひとつはないと不便なので、おととい近所の店に代わりを買いに行った。しかし当然ながら同じものはない。似たようなものすら、ない。ウチの近所にはプロ用の食器を扱う店が多数あるのだが、置いてある丼はみな親子丼にでも使うような小振りなものばかりだ。


気に入ったものがないので、丼ではなく鉢で手を打つことにした。備前焼き風の灰色がかった黒の渋い大鉢と、もうひとつはがらり変わって、漆風塗料を塗ったプラスチックの鉢と。どちらにするか決心がつかず、「ええい、この際だ」と2つとも買う。好もしいと思ったのは備前風の方なのだが、長年の気に入りの丼を割った後だっただけに、プラスチックのお手軽さも捨てがたかったのだ。軽くて割れないというのは、粗忽者には有り難い。



それにしても1つ割って2つ買っていたのでは、モノは減らないぞ、奥さん。

たまたま偶然

  • 2009/10/08 15:41
  • Category: 雑記
本日上司殿がお題に選んだ香港某紙の記事、7割方翻訳したところで1日前のロ○ターの記事とほとんど同じだということに気づいた。
1パラグラフで終わる事実列記のみの記事なら、内容がほとんど同じでもおかしくはないが、ある問題について論じた紙面の1/4を占める記事が、ほとんど同じ材料、同じ構成ってどういうことよ? しかも署名入りで。


ロ○ターの記者とたまたま偶然同じ切り口になったのか? そうだとしても後発は不利だな。剽窃したようにしか見えん。

人形 ヒトガタ

  • 2009/10/07 17:20
  • Category: 道楽
道楽関連の話だが、内容的にこちらのサイトの方が合っているように思うので、こちらに書く。


意固地ブログの方も読んでくださっている方はご存知のとおり、私は1年程前から種々の人形を買い込んでは、いろいろなことをさせて遊んでいるのだが、最近買った1体の人形には「へえ!」と鳩マメ(=鳩が豆鉄砲を食ったよう)で、びっくりした。


この人形、ビクター・ドレ−リー(Viktor Dreary)君という名前の男の子人形で、トナー社という人形業界では有名な米国の会社の製品なのだが、箱を開けてびっくり。なんとドールスタンドにあるべき座部がない。下の円盤とそこから垂直に伸びる金属の棒はあるのだが、棒の上部に座部がついていないのだ。

* ドールになじみのない方のために付け加えると、ドールスタンドは文字通り人形を立たせておくための補助具で、形状は大きく分けて2つ。人形のウエストあたりで支えるべく半円型のアームがついたタイプと、座部つきの棒を人形の脚の間に差し込み、胴体下部を乗せて支えるタイプだ。(このタイプはフランス人形のような大きく膨らんだロングスカートをはいたドールに使うと、スタンドが見えなくて見場がよい)

私は即座に「ははあ、これは不良品だな。工場の出荷検査で見過ごしたんだろう」と思い、「でもまあ、ドールスタンドはもう腐るほどあるからいいや」と気楽に考えて、売り手にも「人形無事受領。スタンドに座部がないが、どちらにしてもスタンドは要らないので問題なし。Thanks」というメールを送った。
するとほどなく返信がきて「それは大変すまなかった。しかしもしかしたら座部はない仕様では?ビクターに直接棒を挿して支えるようになってはいないか?」と書いてあった。

 私は目を疑った。人形歴はさほど長くないとは言え、私はこの1年間さまざまなメーカーの人形を買っている。ビクターと同じトナー社の人形も何体か買っている。しかしいまだかつて人形の身体に直接金属の棒を挿して支えるような仕様のドールスタンドにお目にかかったことはない。だって人形の身体に棒を挿す?(私の感覚ではむしろ“刺す”) いくら人形でも、それはありえんだろう? 焼き鳥じゃあるまいし、愛玩用の人形の身体に平気で棒を突き刺せますかいな? おいおい勘弁してくれよ、と思ったのである。


でもまあ一応、売り手の疑問に答えるべく人形の体と着ている衣服を調べてみたが、股の部分に棒を挿す穴は見当たらない。「そりゃあ、そうだよ」と私は思い「穴はないですし、それに私は何体もの人形を保有しておりますが、いまだかつてそのような仕様のドールスタンドを見たことはありません。でも先程も書きましたとおりスタンドはどうでもいいので問題ありません」と返信した。そして雪だるまにも、「そーんな、人形に直接棒を挿して支えるようなスタンド、あるわけないじゃないねえ?」とえらそーに語った。


しかし2日後、服を作るべくビクターを真っ裸にした私は、白昼のまぶしい光の中で、ビクターの脚の間に直径4ミリほどの穴が開いていることを発見! 「へ?」と、まこと一瞬手の動きが止まったほど、びっくりした。「ま、まさか」と彼の服をもう1度調べると、夜の照明のもとでは気づかなかったが、服の股にも下着の股にも、かすかだが穴が開いている。「があああん、ほんとに棒を挿して支えるスタンドだったんだあ・・・」と青ざめた。
 即座に売り手にメールを送り、「ごめん、私が間違っていた」と謝った。翌日「気にせんでよろし」という返信を貰ったが、それにしても何なんだこのスタンドは?


日本人の感覚としては、(さまざまな面で相当無神経なわたしですら)人形の体に直接金属の棒を挿して立たせるなんて、残酷というか何というか、人形の腕を切り落としたり、顔をめちゃくちゃにするのと同様“やってはいけないこと”のような気がするのだが、西洋人にはそういう感覚はないのか? ある人形友だち(日本人)は、同じ仕様のドールを持っているが「最初見たとき、絶句した」と言っている。(で彼女はそれがいやで他社のアーム型のスタンドを使っている) 日本人の感覚としては、そう感じる人が大部分だろうと思う。


然るに天下のトナー社も、ビクターの売り手も、ウチの雪だるまも、つまり乱暴に引っ括れば西洋人は誰も、それを気にしない。人形に何の関心のない雪だるまに到っては「だって人形は感じないでしょう?」と「我ガ妻ハ、イッタイ何ヲ言ッテイルノダ?」状態だ。それはそうだ。確かに人形は感じない。しかしここで問題なのは人形が感じるか感じないかではなく、人形と遊ぶ人間の側が感じるか感じないかなのだ。


人形はヒトガタだ。祭礼では人間の代わりだ。現代の人形はプラスチック製の工業品に過ぎないと頭ではわかっている私でも、壊れた人形を『ごみ』として捨てることには抵抗がある。まさか祟られるとは思わないが、『ごみ』扱いでは忍びないように思うのだ。日本人は意識するしないに関らず、人形には魂が宿っているという感覚を持っているのではないか。だからこそ『人形供養』なんて儀式があり、『人形供養』で検索すれば、10万件以上ヒットする。そこに名を連ねる寺と神社の数! 一部サイトの説明によると人形供養は人形から魂を抜き、物に返す儀式だそうで、つまり供養する前は人形には魂が宿っているという前提。


西洋のホラー映画にも、人形が口を利き悪事を為すというのはあるが、だからって人形供養をする教会は、まさかない。なぜなら、この場合人形に宿っているのは悪霊であって魂ではないから。キリスト教では魂があるのは人間だけであり、動物ですら生命はあっても魂はない。ましてモノにすぎない人形に魂があるなんて考え方は、天地がひっくり返っても思いつかないだろう。それゆえの突き刺し型スタンド?


子供時代のゴータマ・シッダールタのような顔立ちのビクター君をながめつつ、私は上記のようなことを考えている。





   ↑ ゴータマ・シッダールタ・ビクター君
     着ているのは、本来の衣装ではありません。

NOVO

  • 2009/10/06 15:55
  • Category: 映画
映画の内容は抜きにして、出演する女優陣を俯瞰しただけでも各国の特徴が見えて面白い。一般的に言って、アメリカ映画(特にハリウッド映画)には、不細工な女性は出てこない。役柄上どうしても必要な場合以外、女優陣はみな一定水準以上の顔立ちで、しかもモデル張りのプロポーションだ。ほんの端役に過ぎない女優ですらそうだ。そんな映画やTV番組を毎日のように見て、これが米国女性の平均水準かと思って現地に行ったりしたら、立ち直れないほどがっかりすることになる。


その対極にあるのがイギリス映画で、こちらには美女がまったく出てこない。例外がないとは言わないが、大御所ヘレン・ミレンにしたところでエマ・トンプソン、ヘレナ・ボナム・カーターにしたところで、それぞれ魅力的ではあるが、“ゴージャスな美女”というのではない。況や端役においてをや。クリスティもののテレビ映画なんか見ていると、恐ろしいほどフツーの容貌の人ばかりだ。イギリスの郊外都市の住人に衣装を着せて、そのまま映画に登場させてるんじゃないかと勘ぐりたくなるが、実に達者な演技をするところから見て、そうでないことは明白。みんなプロの俳優なのだが、見事なほど“私は女優!!”オーラが感じられない。どうやらイギリスでは美貌は女優の条件ではないらしい。


で、アメリカともイギリスとも違うのがフランスの女優さんたち。フランス映画に登場してはいるが、フランス人ではない女優さん達はいくらもいるだろうが、フランス映画に出てきただけで、なぜだかみんなセンシュアルでキュートに見えてしまう。言うなれば金襴緞子にダイヤモンドの美女ではなく、肌の上を滑る象牙色の絹に銀鎖の美女。土曜の朝見た「NOVO」に出てくる女優さん達も、みんなそんな感じ。


最初は「おいおい、朝の7時半からこの手の映画(R rated)かよ」と選んだ雪だるまの神経を疑ったのだが、女優さんたちが大変すてきなので見ているうちに楽しくなり、途中でパスすることなく最後まで見た。あとで知ったところによると、イレーヌ役のアナ・ムグラリスはシャネルのミューズの一人だそうで、なるほど何でもないスカートから伸びる脚、繊細な首の線など、何気なく美を感じさせる女優さんだ。そのほか上司役のナタリー・シャール、妻役のパス・ペガも(スペイン人だけど)、すごい美人というのではないが、何とはなしに視線が向いてしまう魅力があり、大変けっこう。古来、さりげなくしゃれたフランス映画には、さりげなくしゃれたフランス女が登場することになっており、その点ではこの映画も大変伝統に忠実。ストーリー? どうでもいいのよ、女優さんがきれいで映像が清清しければ。

とは言うものの、主人公は
5分前のことも忘れてしまう記憶障害の持ち主という設定。人間関係が当事者同士の記憶の積み重ねであるなら、記憶のないところ関係はなりたちませんね、当然。で、関係者全員記憶がないなら、次に会った時は“アカの他人”で話が済むが、当事者の一方には記憶がある場合は、これは切ないですな。

ジム手袋

  • 2009/10/02 10:14
  • Category: 雑記
ジム用の手袋。だいぶ傷んできた。そろそろお取替え時か。ダンベルとかバーベルとかみんな重いし、握る部分は滑らないようにザラザラになっているから、手袋していないと、手の方が傷む。
この手袋は2つめ。だいたい4-5年使うと、こうなる。左手より右手の傷みの方が激しいのは、やはり利き手だからか。




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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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