月曜から出社

  • 2010/03/27 15:15
  • Category: 仕事
きのう夕方、上司殿から電話があり、6日からの日本出張に向けどうしても日本語で準備しなければならない資料があるので、月曜から午後2時間だけでもいいから会社に来られないかと聞かれた。

ウチの会社には私以外日本語を書ける人はいないのだから、そう言われれば行かないわけにはいかない。それに2時間だけでいいなら、身体慣らしのリハビリにちょうどいいかも。

というわけで、月曜からパートタイムで仕事。あーあ、術後ホリデーは予定より早くおしまいか・・・。残念。

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欲望は力

昨日は暇に任せてポルトガルの菓子ポルボランを作ったのだが、バター60g、ショートニング60gとあったのを、バター80g、ショートニング80gと読み間違い、生地どろどろ。

天板に広げた時点で「なーんかヘンだなあ。こんなどろどろの生地でええんかいな?」と思い、レシピを見直したら油脂の量を派手に読み間違えていることを発見。冷蔵庫に1晩寝かせてから型抜きし、焼くことにはなっているのだが、30%も油脂の量が多くては、たとえ1晩寝かせても焼き始めた時点でまた元のどろどろに戻ってしまいそうなので、やむなく粉類(全粒粉、薄力粉、アーモンドパウダー)も30%増しにして、天板上の生地に混ぜ込んだ。えーかげんもいいところである。

が今朝焼いてみたら、何とか形を保って焼き上がった。味? サクサクサブレのケーキ版で、可もなく不可もなく。単に賞味期限が切れそうなアーモンドパウダーの消費のために作っただけだから、別にいいのだ。がしかし、この次はちゃんとレシピどおりの分量で焼いてみよう。

それから昨日は体調がよかったので、初めて遠出。地下鉄で2駅先の日本語本屋に行き、本にはめぼしいものがなかったので、雑誌を1冊買って帰ってきた。帰り、駅のベンチで少し休んだが、ま全行程歩けたのだからいいだろう。

こうやって私が術後の経過をちょろちょろ書いているのは、自分のための記録という目的もあるが、もうひとつ今後同じような手術を受ける人の参考になるかなと思ってのことである。もちろん同じ子宮筋腫の手術でも、手術の方法、執刀医の手腕、本人の年齢、体調などによって、経過は変わってくるだろうが、一例としてこういうのもありますよ、ということで。たとえば食い意地が張っていれば、手術後1週間で簡単な料理(サラダとかスープとか)は作れますよ、どうしても欲しい物があれば(そして代わりに買ってきてくれる人がいなければ)手術後2週間で電車に乗って買い物に行く気になりますよ、とか。欲望は力である。少なくとも私の場合は。 

 

動けるぜ

  • 2010/03/24 11:33
  • Category: 雑記

月曜、火曜となんだか頭が重くて、ブログの更新をさぼってしまった。しかし傷口と体力はほぼ順調に回復している。土日、雪だるまが仕事だったので、恒例の日曜の買い出しはやむなく私が行ったが、何とかなったし(500元以上買うと、無料で配達してくれるというのを利用するつもりだった。しかし生鮮野菜と果物、要冷蔵の食品、冷凍食品は対象外とわかってがっかり。要冷蔵と冷凍食品はともかく、玉葱やじゃがいも、人参などは数時間で腐るわけじゃなし、配達対象だと思って大量の野菜や果物を買ってしまったのだ。当然、腕に下げて持って帰る力と体力はなく、スーパーのカートをそのまま借りて押して帰った。ウチから隣の棟にあるスーパーまでたかだか200メートル程度だが、舗装がでこぼこしているので結構時間がかかった。でもできた) ソファに寝ころがってだが、1時間以上の映画を見る気力もでてきたし、洗濯も軽い掃除もできる。退院1日にして「雪だるまは料理をしない」ことが判明したので、自分のごはんと彼のごはんは、先週の火曜から作っている。

ついでに昨日の夜(手術からちょうど2週間)から、鎮痛剤なしでもやっていけるようになった。昨夜も飲まず、今朝も飲んでいないが、一昨日までの傷口から右足にかけての刺すような、痺れるような痛みはほぼ消えた。嬉しい。

まだあまり速くは歩けないし、どのくらいの時間椅子に座り続けられるのかも不明だが、今のペースで回復していけば、予定どおり4月1日には出社できそうだ。毎月1日には絶対その日の朝に処理しなければいけない仕事があるので、痛かろうと熱があろうと、たとえ1時間だけでも出社しなければならないのだ。ことに今年の4月は翌2日からイースターと清明節で5連休になってしまうのでなおさらだ。この分なら出社できないことはなさそうで、ほっとする。

いや別に会社行きたいわけではないのだが。毎日のろのろ、だらだらした生活を送っているうちに、そののんびりさに身体と気持ちがすっかり適応してしまい、「このまま仕事辞めてもいいなあ」という気持ちが出てきているのだ。易きに流れる我が精神。

病理報告書

  • 2010/03/20 18:03
  • Category: 雑記

今日でちょうど退院から1週間だ。楽しく夢見ていた術後ホリデーだったが、実際のところこの1週間はほとんど寝てばかりで、やりたいことの1/10くらいしかできなかった。なにしろ横になっている限りはどこにも痛みを感じず「快調!」なのだが、起き上がって5分もすると傷口付近が痛み出し、おかげで立ち続けたり、座り続けたりすることが難しい。しかし寝ころがっていてもできることといえば、本を読むことと、TVを見ることくらいだ。縫いものなど仰向け状態ではどう考えても無理だし、手すさびの道楽も仰向け状態では制限がありすぎる。おまけに6時間ごとに飲んでいた鎮痛剤に眠気を誘う成分が入っていたせいか、疲れたからと横になると、くうくう寝入ってしまう。いやー、実によく昼寝をした1週間だった。 

さて、病理報告書。これは言わずと知れた摘出した子宮&筋腫の組織病理報告だが、A4版、レターヘッド付きで半分ほどしか埋まっていないから、情報量としては大したことはない。しかしその筋腫の持ち主であった私には結構おもしろかった。

 

以下、人によっては“気持ちわる…”と思われる記述が続きます。苦手な方はスルーしてください。

 

リポートは「“子宮”とラベルされたホルマリン漬けの検体1体を受領」から始まり、客観的にして簡潔。わかりやすくて大変よろしい。

でリポートによると“検体”の大きさは、12.5×11×10cm、重さは856g。ふつう子宮の平均的な大きさは握りこぶし大、重さは50g〜60gだそうだから、私の場合は筋腫と合わせて大きさは約2倍、重さは14倍くらいに成長(?)したということですな。道理でこの1ヶ月くらいは横になったとき、お腹がぽっこり膨らんでいたわけだ。

そして前壁の厚さは4cm、厚壁の厚さは3.5cm、全部で38個の筋腫が存在したそうである。わーお! もっとも38個とは言っても米粒ほどの大きさのものも含めてなので、触ってわかるほどの大きさの筋腫が38個、お腹の中でころころしていたわけではない。リポートによれば大きさは0.3から6.5×5.8×6cm。このほかひとつの大きな粘膜下筋腫もあったそうである。ふうん。

でこの後、子宮内膜はなめらかで特に目立った点はないとか、分泌活動が見られたとか、持ち主であった私が読んでも「ああ、そう」としか言いようのない記述が続く。(←本人、それが医学的にどんな意味があるのかよくわからない)

そして最後に「(筋腫には)重大な細胞学的異型性はなく、有糸分裂の増加、凝固壊死の形跡も見られない。病理学的診断:多発性平滑筋腫(38)」で終わっている。つまり「ごくふつーの筋腫でしたよ」と言うことなのだろう。Dr.Jも特にコメントしなかったし。まずはめでたし。

ところで今回、「子宮筋腫かも」と思った時点でまず頭に浮かんだのは、荒木陽子さんのことだった。ご承知の通り陽子さんは写真家 荒木経惟さんの奥さんで、1990年に子宮肉腫で亡くなった。荒木さんの写真集『愛しのチロ』に、陽子さんが入院してさみしいという荒木さんのことばが書かれているし、その後の写真集『センチメンタルな旅 冬の旅』では陽子さんとの出会いから最期までが、たくさんの“愛情溢れる”としか言いようのない写真で綴られている。

情報によれば、40代女性の4人に1人は子宮筋腫を持っており(米粒くらいのものも含む)、その筋腫の99%は良性なのだそうだ。荒木さんのミューズだった陽子さんが、運悪く残りの1%に該当してしまい、たった42歳で亡くなってしまったことが、残念でならない。

入院&手術費用

今回、退院するとき病院からいくつかの書類をもらったが、そのうちおもしろかったのは医療費の明細書と病理報告書だ。

何しろ入院したのは初めてなので、医療費のシステムについては全くと言っていいほど知らなかったが、どうやらHKでは滞在した病室のクラスによって、諸費用が変わるらしい。

担当医であるDr.JからC病院への入院登録書には、私の名、病名といった一般情報の他に、病室のクラスの指定欄があり、私の場合は“2nd”と“3rd”にチェックが入っていた。つまり二人部屋の“セカンド”クラスか、大部屋の“サード”クラスを希望するということだ。で実際の病院での入院手続きの際、幸いにも大部屋に割り当てられたわけだが、おかげで諸費用がだいぶ安くすんだ。

なぜかというと二人部屋か大部屋かで1日の部屋代が違うのはもちろんだが(二人部屋=1400元、大部屋=600元)、医師の回診料や執刀料、麻酔医の料金も二人部屋か大部屋かで違ってくるのだ。(以下、通貨の単位“元”は人民元ではなく香港ドルを表す。中国語では香港ドルは“元”なので)

たとえば1日あたりの回診料は二人部屋なら1300元だが、大部屋なら800元、執刀料は二人部屋3万1000元、大部屋2万3000元、麻酔医の料金は二人部屋1万333元、大部屋7667元といった具合。このほか手術室の使用料や医療機器の使用料も二人部屋と大部屋では違うのかもしれないが、こちらは明細に書かれていないので詳細不明。

いや実におもしろい。常識的に考えて、患者が二人部屋に寝ていようと、大部屋に寝ていようと、手術内容や麻酔の方法、回診の時間や手順が変わるわけではないと思うが、料金は大幅に変わるわけだ。ざっと計算しただけでも、その差1万6366元。約19万円強ちがう。“ファーストクラス”の一人部屋(特別室?)ならば、さらに高い料金設定になっていると思われるので、つまりは一人部屋や二人部屋などの高額な部屋に滞在できるような富裕な患者さんには、できるだけ多く負担していただきましょ、ということか? そして大部屋住まいのびんぼーな患者からの不足分を補う? うーむ、大部屋の料金だって決して安くはないんだけど、それでも赤字なのかしらん? まさかねえ。

ちなみに今回の入院費用を赤裸々に公開。個人情報ではあるが私の個人情報なんだから、かまわんだろう。

 

C病院請求分

部屋代(600×4日)                              2,400

医薬品代                                         974

傷口処置および用品                               182

病室処置                                         250

注射/点滴(病室内)                              186

病理検査(他機関委託)                          1,200

検査費用                                        1,289

手術室設備使用料                                 703

注射/点滴(手術室内)                           1,634

手術室機器使用料                                2,780

手術室使用料                                    5,430

手術室麻酔機器使用料                            1,400

酸素濃度計使用料                                  40

                                             18,468

 

執刀医請求分

回診料(800×5日)                              4,000

手術執刀料                                     23,000

麻酔医費用                                     7,667

                                             34,667

 

合計53,135元(約63万円)

このうちいくらが会社の保険でカバーされるのかまだ不明だが、ま、安くなったとはいえ、やはり物入りですな。

DAY5

  • 2010/03/18 11:58
  • Category: 雑記

DAY5

土曜日。昨日の疲労感は消え、快調。そういえば昨日の回診の時Dr.Jは、土曜か日曜には退院してよいと言ったが、退院するにはドクターの許可が必要だ。早く回診に来てくれれば早く退院できるが、今日は土曜日。さて何時に来てくれることやら。

7時半、朝食。うすーいトマトスープにゆでた米線と豚肉薄切り。トマトスープに米線と豚薄切りを入れて食べなさいということらしいが、食欲のある今日に限って、いつもより1品少なく残念至極。昨日のメニュが今日だったらよかったのに。ああ、3/4残したあんまん、手つかずの饅頭・・・。

今日退院の1号ベッドの太々が雑誌を2冊貸してくれる。中国語の女性雑誌を読むのは久しぶりだ。化粧品の紹介、この春の流行など、どこの雑誌もあまり変わらんね。そのあと太々は荷物をまとめ、同室のみんなに連絡先を書いて渡し、迎えに来た3人の娘、1人の息子と共に嬉しそうに車いすで帰っていった。私にも名前と電話番号を書いたメモをくれたので、私も大判のポストイットに名前と電話番号を書いて渡した。

まあ電話をすることも、電話がくることもないだろうけれど、彼女は私の入院当初からスープをくれたり、ベッドでの起き上がり方や、望ましい歩き方などを教えてくれ、大変親切だった。と言って過剰におせっかいというわけではなく、いつもきちんと身繕いし、話し方もてきぱきとしていて、どちらかというとしっかり者の役員秘書という感じ。私の手術の翌日だったかに、私の「ここには長いんですか」と言う問いに答えて、詳しく彼女の病状を説明してくれたのだが、残念ながら広東語だったので、正直あまりよくわからなかった。ただ脊椎のどこかが悪く、2000年頃からおかしいとは思っていたのだけれど、手術がいやで伸ばし伸ばしにしていたようす。痛みや症状が我慢できないほどでないと、放っておいてしまうのはよくあることだ。私もそうだし。

11時過ぎ、雪だるま来る。ついで昼食も来る。本日は鶏肉の蒸し煮。ローズマリーの香りが食欲をそそる。付け合わせはゆでた巨大じゃがいもと隠元。やはりここの西餐はおいしいと思う。食べ終わり、歯磨きも終わってもまだドクターは来ないので、飽きた私は昼寝。雪だるまは読書。うとうとしていたら1時前にDr.Jが回診に来た。特に異常はないと報告し「家に帰っていいか?」と聞くと「もちろん」という答え。その場で付き添ってきた看護婦に、退院の指示を出してくれる。やっほーである。

その後わたしのお気に入り、背が高く元気のよい看護士嬢がやってきて、傷口をていねいに拭き、シューシューとスプレーをかけてくれた。そして乾かすために、巨大バンドエイドの包みか何かでぱたぱたと扇いでいる。1回乾くと、またシューシュー。消毒薬かと思ったら、なんと傷口一帯にウォータープルーフの膜を作るスプレーらしい。2回目もぱたぱたと扇いで乾かし「はい、OK」 「え、これでいいの?」と聞くと、いいのだと言う。ガーゼも巨大バンドエイドも何も貼らない。ただしシャワーの時は傷口はこすらないこと、タオルで拭くときもぽんぽん叩くようにふくことと注意される。それから「絶対に、絶対に、重い物を持っちゃ駄目!!」と念を押される。心配そうに何度も「わかった?」と聞くので、私の広東語聞き取り能力に不安があるのだろうと思い、わかっていることを示すため英語で復唱する。看護士嬢「あ、だいじょうぶね」と安心の様子。

支払いは1時間後、5階の会計部に行くようにと言われたので、そちらは雪だるま任せ。私のクレジットカードの限度額では全然足りないので、今回の入院費用はすべて雪だるまが一時立て替え払い。彼は3年前の自分自身の手術の時、カードの限度額を引き上げてもらったので、問題なく払えるのだ。私はあとで彼の口座に、立て替えて貰った額を振り込めばいい。簡単。

さて1時間後、支払いも終わり、ナースセンターで5日分ほどの薬を貰い、車いすに乗ってばいばい。家までタクシーで戻った。帰りの山道で気持ち悪くなるのではないかと心配だったが何とか持ちこたえ、渋滞にひっかかることもなく無事帰宅。さっそく自分のベッドに横たわったが、病院のベッドと違い高さの調整は出来ないし、手すりはついていないし、頭部を上げたりもできないので、実のところ寝ころがるのも一苦労。腹部とか腹筋というのは種々の動きの要なので、ここが痛いといろいろな動きに制限ができる。不便なことである。

さてしばらく休んでから一応次席に退院したと報告すべく電話したら、彼女はすでに知っていた。なんと私の退院と入れ違いのように病院に見舞いに来てくれたらしい。しかもご飯とかスープとかいろいろ作ったので、これから上司殿と共にウチまで届けてくれるという。ぎゃー!である。

5日間の不在のせいで家の中はきれいとは言い難い状態だし、第一プライバシーの極みのような寝室で寝ているところを上司殿になんか見られたくない。「なんでウチにまで来てくれるのよ?」と半分恨みがましく呟きながら、のろのろと居間を片付ける。こういう時、雪だるまの不潔さ、乱雑さに対する基準が私と違うのは大変不便である。なにしろ掃除をして欲しくても本人“どこが汚いのか一向にわからない”のだ。と言って今日は私も掃除機やモップを引っ張り出す体力はない。無念じゃ。

予告時間より30分ほど遅れて、上司殿と次席が来訪。居間のソファで対応。チキンライスやらスープやら、たくさん戴く。私のために作ったわけではなく、家族全員で食べるために作ったもののお裾分けだから気にしないでと言われる。いずれにせよ、多謝。彼らは3分ほどいただけて、そそくさと帰って行かれた。余り長く座っていられない私は助かった。

DAY5、終わり。

DAY3、DAY4

  • 2010/03/17 11:41
  • Category: 雑記

DAY3

ぐっすり眠り、目が覚めたら痛みがない! やったー!

7時半、朝食。今日は干し貝柱入りのお粥に、炒米線(米の粉で作った極細麺を野菜といっしょに炒めたもの)。それぞれ少しずつ食べる。私の斜め左、1号ベッドの太々が、杖をつきながらゆっくり歩いてきて、緑色のぶどうをくれた。きれいに洗ってあるから、食べたいときに食べて、とのこと。多謝!

しかし貰ってばかりでは悪いので、8時過ぎ「おはよー」を兼ねて雪だるまに電話し、病院に来るとき苺を買ってきてと頼む。出かけるのが嫌いで、新しいオフィスに移ってからすでに1年近く経つくせにまだ一度も会社の下のショッピングモールに行ったことがない雪だるまは「昼は忙しい」とか何とか言っていたが、最終的には買ってきてくれるだろう。

その次、次席に電話し元気だと伝える。

8時半過ぎ、看護婦が来て大判のウェットティッシュのようなもので、丁寧に身体を拭き、パジャマを着替えさせてくれる。ティッシュはいい匂いがして気持ちいい。パジャマは病院支給のもので、あとでよく見たら上下で模様が違っていた。ま、別にいいけど。

9時過ぎ、Dr.Jが回診に現れる。「ほとんど痛みはないし、快調だ」と伝えると、じゃあ後でドレイン2つ外しましょうと言う。回診は5分ほどで終わり。

その後ほんとに看護婦が来て、傷口からのドレインと導尿のドレインを外してくれる。IV(点滴)はもともとないので、これで私をベッドに縛り付けるものは何もなくなった。

そのほか3時間おきくらいに血圧を測定しているが、数値はどんどん下がっている。10時の血圧は96/65。いつも高血圧気味なので、100以下に下がったのを見たのは初めてだ。

11時半、昼食。平目(?)のムニエル+カレークリームソース。白菜と人参の千切りのスープ煮。ゆでた巨大じゃがいも3つ。つまり、手術の翌日からまったく常人の食事である。この病室は一般病室で、婦人科も整形外科も眼科も混在。みな同じものを食べている。私も用心しながら少しずつ食べる。ムニエルがおいしい。重湯に梅干しとか、つまんない食事でなくて大変うれしい。しかも1号ベッドの太々が養生湯(広東圏ではおなじみ、薬効ありといわれるスープ)をくれた。ふだん広東風の湯など飲まないのだが、滋味がじわりと広がる感じで熱くておいしかった。

午後1時過ぎ、次席が花束と例の陳皮汁を持って見舞いに来てくれた。多謝。陳皮汁、思ったほど怪味ではなし。

午後3時、ドレインを外して以来2回ほど看護婦に「トイレに行く?」と聞かれていたのだが、そのたびに「まだだいじょうぶ」と答えていたら、3回目には「今、行きましょう」と半ば強制的にトイレに連れて行かれた。立って歩く練習も兼ねているのだと思う。看護婦の腕につかまり、よろよろとベッドから起きる。下腹部が痛いのでつい前屈みになってしまい、直立歩行できない猿人みたいな歩き方。でもちゃんと排尿できた。導尿ドレインを入れるのも外すのも上手だったようで、何の痛みもなし。的確な手腕に感謝。

6時半過ぎ、雪だるま来る。また1時間ほど喋る。本日は他の患者も見舞客が多く、しかも大家族なので、飲んだり食べたり喋ったり、果物を交換し合ったり大変にぎやかで、ほとんど7家族合同ピクニック状態。深刻な病人がいない病室だからこその賑やかさなのだろうが、それにしてもとても病院とは思えん。ケータイの使用も自由だし、所変わればルールも変わる。

夕食は野菜と卵豆腐などの炒め物、ゆでブロッコリ、ごはん。これは珍しくおいしくない。全部精進だから雪だるまに「食べる?」と聞いてみたが、彼も要らないという。野菜の補給にブロッコリ食べればいいのに、ねえ。

10時過ぎ、就寝。

 

DAY4

夜半、ふと目が覚め、吐き気を感じたが、我慢しているうちにまた寝入った。

そのせいか、朝起きたら全身に疲労感。寝てるだけなのに、なんで疲れるのさ?

朝食は、かぼちゃ入りの粥、饅頭、豆沙飽(あんまん) 粥を少し食べ、豆沙飽を1/4食べたところでギブアップ。昨日より食欲が落ちている。あーあと思っているところに、次席が見舞い。出勤前に寄ってくれたらしい。新しい陳皮汁と叉焼飽と白汁鶏角(鶏のクリーム煮入りペイストリ)を持ってきてくれたが、食べる元気はなし。

9時過ぎ、Dr.J回診。切除した筋腫と子宮は、合わせて850gあったそうだ。ドクターの経験でも相当大きい方だとか。へー。確かに手術直前は、自分でも腹部に大きな塊を感じるほどになっていたので、あれが全部筋腫なら、そのくらい重量があってもおかしくない。で、それを切除したということは、約1kgの減量に成功したということだな。ふほほ。

ドクターに「今日は朝から疲れている。寝る以外何もしていないのに・・・」と言ったら、「あれだけ大きな手術なのだから、疲れるのは当然」と言われた。そういうものか。

昼食は、ナスと豚挽肉と大豆の炒め物、ごはん、りんご。炒め物は私の好きな魚香茄子飯に似ていて大変おいしい。そういえば書き忘れていたが、朝食は一律メニュだが、昼食と夕食は1日前にメニュが渡され、「西餐」か「中餐」か好きな方を選べるようになっている。「西餐」も「中餐」もおいしそうな時は、選ぶのが結構大変である。

昼食後、やはり疲れが抜けないので、午後はひたすら昼寝。なんだか暑くて汗ばむので、途中3時過ぎにいったん起きて、自分の半袖寝間着に着替え。薄手なのですーすーして気持ちいい。

6時過ぎ、雪だるま来る。今日は金曜なので、いつもより30分早い。目が覚めたらお腹がすいており、夕食が待ち遠しい。

6時半、夕食。グリルドチキン、マッシュポテト、えんどう豆のソテー。チキンにはとろりと溶けたチーズと、同じくグリルされたプチトマトのスライスが乗っている。おいしい。胃が許せば、ぜんぶ食べたいくらいおいしい。

その後は何もなく、いつもどおり就寝。

DAY1、DAY2

  • 2010/03/15 21:38
  • Category: 雑記

土曜日、退院できたうれしさで調子に乗ってはしゃぎすぎ(といっても別に遊び回ったわけではなく、単にご飯を食べるために起き上がったり、ちょっとサイトをチェックしたりしただけなんだけど)、日曜の昨日は痛くてほとんどベッドの上。とほほ。「こんなんじゃ2週間休みがあっても何もできないよお!」と雪だるまに泣きつく。

しかし一晩経った今日、月曜はまた快調。起き上がっても余り痛くなく、摺り足でなく、ふつうに歩ける。やったー。今日からは雪だるまもいないから、ごはんとか温めるのに起き上がれないんじゃ困るのだ。

で病院での経過ですが、以下自分用の記録のため順を追って書いていますが、かなり退屈なので適当読み飛ばしてください。


DAY1

午後7時に病院に来てねと言われていたので、退社後雪だるまと待ち合わせ、会社の下のファーストフードで軽く夕食後、シャトルバスで病院へ。入院前の最後の晩餐がローストビーフサンドだけなのは遺憾だが、時間がないので仕方ない。

バスは病院へ直行。オールド・ピーク・ロードというだけあって、ピークに向かう曲がりくねった急な坂道の途中に病院はある。この道、元気なときでも車酔いしそう。げー。

入り口横の入院受付でIDカードと医師からの紹介状を出し、入院手続き。デポジット6000元なり。横の小部屋で名前、入院目的、担当医師名などを確認し、内容を確認・同意する旨サイン。身長体重、血圧(158/89 ←興奮?)測定。

1階(日本式なら2階)の病室に案内される。7人部屋の窓際。なかなかけっこう。暇なので荷物の整理をしたり、歯磨きしたりして時間をつぶす。その後、かわいい看護婦が探しに来て、処置室で剃毛。体毛があると感染しやすいからというふうに聞こえたが、クリッパーで中途半端に短くするだけ。高級コールガール トレイシー・クワンが書いている芸術的ワックス脱毛とは違い、およそ美的でなし。美容目的でするわけではないから当然だが。

雪だるまはしばらく私と一緒に病室にいたが、19:55の最後のシャトルに乗るため、19:50でばいばい。私は渡された殺菌ジェルでシャワー。パジャマに着替え、ベッドに入る。その後8時半頃、別の看護婦が採血に現れチューブ3本分採っていく。

採血のあとは何もなく、本を読みながらうとうと。9時半頃には電気も消えた。しばらくいい気持ちで寝ていたのだが、誰かの話し声で目が覚める。携帯で喋っているらしい。時間を見ると10時半。消灯後なので低い声で喋っているのだが、それでも病室ではけっこう響く。耳について寝付けない。iPodの音楽で話し声を消したら寝付けるかと試してみたが、音楽の合間に広東語のささやき声が響き、よけい耳障り。話し声は30分ほど続き、止んだ。目が冴えてしまい1時間ほど暗闇でごろごろしたあと、12時過ぎ就寝。


DAY2

6時前に目が覚める。昨晩12時から飲食禁止なので朝ご飯はなし。トイレに行ったり、廊下で体操したりして時間つぶし。

8時過ぎ、看護婦と共に麻酔医Dr.Gが現れる。背は高くないが肩幅の広いしっかりした身体つきのブロンド。率直で明快な話しぶり。麻酔の概略を説明し、2年前から採っているこの方法は、痛みや副作用が少なく、予後がよく、良好な結果を出しているそうで喜ばしい限り。ただ乗り物酔いしやすい人など、たまには術後、吐き気を感じることもあるそうで、この吐き気だけはいまだコントロールできない。ミステリーだと言っていた。ま、仕方あるまい。

Dr.Gが去ったあと、看護婦に楽しそうに急かされ手術着に着替え、紙のヘアキャップを被り、ストレッチャーに乗る。

9時頃、手術室へ。その前から看護婦さんたちが“OT” “OT”と言っており、「Oはオペレーションだとして、はてTは何だろう?」と思っていたのだが、手術室(OperationTheatre)の表示を見て納得。そうか、手術室の略称だったのね。

手術室付きの看護婦さんに名前、手術内容を確認されたあと手術室に入り、照明が例の大きな円盤の中に小さな円盤が並んだものだったので「わー、映画と同じだ」と思い、手術台に乗ってDr.Gが右手に針を刺し「すでに薬を入れ始めました」と言うのを聞き、脚がしびれ始め、少しむかむかしはじめたところまでは覚えているが、記憶があるのはここまで。次の瞬間、ぱたんとシャッターが降りるように何もなくなった。


次に目が覚めたときは、痛さと吐き気と「トイレ行きたい!!」の三重苦状態。「一、二、三!」と手術台からストレッチャーに移され、ガラガラと移動し、また「一、二、三!」とストレッチャーからベッドに移されたのはわかったが、激痛で声も出ない。

看護婦さんに「脚を伸ばしてリラックスして」と言われたが、脚を伸ばすと下腹部に激痛が走る。「リラックスできるか、こんなもん!」である。それでも10分か20分は歯を食いしばって我慢してみたが、どうしても我慢できないのでコールボタンを押し、痛み止めを頼む。

錠剤かと思ったら、腰に注射をしてくれた。そしてしばらくしたら急に楽になった。もちろんまだじんじんじんじん痛みはあるが、我慢できないほどではない。時間を見ると12時半過ぎ。とすると部屋に戻ってきたのは12時前? よくわからん。

午後1時。検温と血圧測定に来た看護婦さんに、ベッドサイドの携帯を取ってもらい、雪だるまに電話。予想より早く手術が終わり、私がまだ生きていると知って嬉しそうだった。電話を切って寝た。

この後1時間おきに検温と血圧測定があったが、数値はまったく覚えていない。何時間かおきに薬も飲んだはずだが覚えていない。

5時過ぎ看護婦さんが現れ「何か食べられる?」と聞く。私が何と答えたかは覚えていないが、「おいしいおかゆ作ってあげるから」と言われ、事実5時半頃、一杯の白湯とともにどんぶりに盛られた粥が現れた。鶏そぼろの入ったおかゆで、胃に何か入れるのはほぼ24時間ぶりなので、いっぺんに食べて気持ち悪くなるのが怖く、白湯とともに少しずつ少しずつ舐めるように食べる。でも五口くらいでもういっぱい。

6時半過ぎ、雪だるま来る。1時間ほど喋る。

彼が帰ったあとはまたうつらうつら。本日寝てばかり。DAY2終わり。

やっほー

  • 2010/03/13 18:56
  • Category: 雑記
退院した。
やっほー!

記録的な大きさの筋腫だった。
トロフィーもらえるかしらん?

さすがに長い文章を打つ体力はないので
レポートはまた後日。
みなさまご声援ありがとう。

暫時休憩

  • 2010/03/09 15:04
  • Category: 雑記
先週は27度くらいあったくせに、今日は13度。フリースのジャケット、クリーニングに出さなくてよかったよ。


C病院行きのシャトルバスが、20分おきに会社の下のタクシー乗り場から出るというので、寒い中わざわざ場所を確かめに行ったのに、シャトルバスなど陰も形もなし。バス会社のおじさんに場所を確かめ、出発予定時間を中心に15分ほどうろうろしてみたが、一向に現れない。そのうち風の冷たさに我慢できなくなったので、諦めて会社に戻った。今日の夕方も見つけられなかったら、仕方ないタクシーで行こう。どうせ基本料金+αくらいの短い距離だ。シャトルバスだって別にタダというわけではないし。


最後の瞬間になって「持っていくもの」からおやつを抜いた。改めて考えてみると、いくら食い意地の張った私でも手術直後におなかが空くわけないし、23日してほんとにおなかが空いて食事時間まで待てないようなら、その時雪だるまにクッキーでも持ってきてもらえばいいんだし。

昨晩パッキングをしながら思ったが、入院用のパッキングというのは出張用パッキングよりずっと気楽だ。何しろ何かを忘れても、電話して持ってきてもらうことが可能なのだ。実に楽ちん。中国の僻地や日本への出張ではこうはいかない。だいたいスケジュールびっしりで現地調達する暇もないから、忘れたが最後、ないまま我慢するしかないのだ。それに比べて近場での入院は、いくらでも現地調達可能。ああこの緊張感のなさ。

というわけで本日夜から病院です。何事もなければ、遅くとも10日後には更新できるでしょう。1カ月経っても更新されない場合は、頓死したとお思いください。  それではみなさま、ごきげんよう。(それにしてもこの“頓死”という語、どうも頭の中で“豚死”と変換されてしまい、緊張感のなさに拍車がかかる)

ミシンもらえる♪

  • 2010/03/08 11:17
  • Category: 雑記
自宅の机の前に貼るカレンダーは、毎年エクセルで超簡単なのを作って使っているのだが、4年前はA4版1枚に12カ月入れていたのが、去年は6カ月ずつ2枚になり、今年は4カ月ずつ3枚になった。年を経るごとに近視と乱視と老眼が進行し、50センチの距離ですら小さい数字は見えなくなったのが理由である。レーシックでも受けない限り、2年後くらいには2カ月ずつ6枚になり、その次には1カ月ずつ12枚になるのだろうと思う。(で、その次は11枚、計365枚の日めくりになるのかと思うが、それは自分では作らないと思う、たぶん)


いつも思うのだがNHKワールドプレミアムの日本時間6時台、7時台のニュースは、海外ニュースの比重が少ないような気がしてならない。同じ時間帯なら地元HKの広東語ニュースの方が、よほどバランスが取れているように思える。ただ私はいつも出かける準備をしながら両チャンネルをとっかえひっかえ、途切れ途切れに見ているので、正確なところはわからないのだが。今度自宅療養になったら、じっくり比べてみよう。

土曜、お父さんに電話した雪だるまによると、お義父さんはミシンを買ったそうである。いままで使っていたのが古くなったので、新しいのを買ったのだそうだが、“今まで使っていたの”は確か1955年かそれ以前に購入し、お義母さんがずっと大事に使っていたもので、齢55年以上。確かにそろそろ取り替えてもいいかも。しかもお義父さんは、しばらくは自分で使うが、私たちがカナダに移住した後は私にくれると言ったそうである。わーい。移住当初からミシンがある! クッションカバー縫える! ふきんも縫える! らっきー
それにしても「しばらくは自分で使う」って、お義父さん何を縫うんだろう? “ファンシーなステッチもできる”ミシンだそうだが、パンツに飾り模様でもつけるんだろうか?

引継ぎ書

  • 2010/03/05 15:58
  • Category: 雑記
別に事故が起こると決めてかかったわけではないが、万一ということもあるし、その際、雪だるまがどこに何があるのかわからず、おたおたしてもかわいそうなので、私の銀行関係資料、クレジットカードの資料、私のわずかばかりの資産をどのように処分して欲しいかなどを、A4 1枚にまとめてみた。


むかし一人暮らしだったころは、A4 1枚どころか3枚くらいの「頓死時遺言書」を認めて一番親しい友人に預けていたが、最近は生命保険は解約したし、取引銀行もほぼ1行にまとめたし、寄付したい団体は1ヵ所だけだし、連絡先もさほどないしで、1枚で済んだ。


ほんとは私のなけなしの遺産くらい、ユニセフとMSF(国境なき医師団)と東華教育文化交流財団に3分割して寄付しておしまいにしたいが、私の預金は老後住宅資金として貯めたもので、全部寄付してしまっては来年からの雪だるまの計画に狂いが出てしまうので、ま仕方ない。寄付するのは東華だけにして、ユニセフとMSFには「今まで毎月寄付してきたからいいじゃん」ということで、涙を呑んでもらおう。


東華に寄付したいのは、私自身が中国留学時代この財団から奨学金をもらい、大変助かったからである。月2万円の給付だったが、当時は食費と諸雑費、本代くらいなら月1万円もあれば十分だったので、残り1万円は寮費(ドル建ての外国人料金だった)の足しになり、大変助かったのだ。以来10×年、何の恩返しもしていないので、最後くらい何とか少しお礼がしたい。(って最後って決まったわけじゃないんだけどさ)

みんな親切

困った。次席とP小姐が、病院に見舞いに来ると言っている。「仕事忙しいからいいよ」と再三再四断ったのだが、どうも遠慮して言っていると取ったらしい。しかも術後にいいという陳皮を煮出した汁を持ってきてくれると言っている。「水に陳皮を入れて30分ほど煮るだけだし、第一マリア(次席の家のお手伝いさんの名)が作るんだから面倒でも何でもないわよ」とは次席の弁。うわあ、わたし陳皮のスープ飲むのか?


いつも思うのだが、人が困っている時、HK人、中国人は大変親切である。前回の出張の前日、地下鉄の中で気持ちが悪くなった時も、ホームでへたりこんだ私を乗客整理係のおばさん、お嬢さんが寄ってたかって介抱してくれた。しかもその介抱の仕方が、マニュアルどおりの、よく言えばソフィストケイトされた、悪く言えば通り一遍のものではなくて、近所のおばさんが顔見知りを介抱しているような洗練されない親切さに満ちているのだ。


親密な人間関係が苦手なわたしなど、その親切さにちょっと引いてしまうことも多いのだが、親切であることに間違いはない。ここはやはり有難く受けるのが正しい対応というものだろう。ちなみにPさんは自宅療養中に粥にして食べるようにと言って、小米(粟)の小袋を2つくれた。白米よりずっと身体にいいのだそうだ。へえ?と思って文部科学省ご提供の「五訂増補日本食品標準成分表」で比べてみると;
 
  白米 玄米
エネルギー(kcal) 364 356 350
たんぱく質(g) 10.5 6.1 6.8
カリウム(mg) 280 88 230
カルシウム(mg) 14 5 9
マグネシウム(mg) 110 23 110
リン(mg) 280 94 290
(mg) 4.8 0.8 2.1
  
確かに立派な栄養食品である。
多謝、P小姐。
お礼にわたしはホームベーカリー製ぶどうパンをあげた。栄養価は粟に劣るが、まあ気持ちだから。(それにしても上記表で見ると白米ってほんとミネラル分すくないのね。それなのになんで日本も中国も白米が中心なんだろ?)

オリンピック カナダの記録

世事に疎いのでヴァンクーヴァーオリンピックがいつ始まり、いつ終わったのかまったく気づかなかったが、一応ネットで結果をチェックしていた雪だるまから面白い話を聞いた。


カナダでオリンピックが開催されたのは、76年のモントリオール、88年のカルガリー(冬季)に続き今回で3回目だが、オリンピックに関してはカナダはなかなかな記録を持っている。


オリンピック開催国は、そもそもオリンピックを招致できるくらいだから、それなりにスポーツに力を入れている国であり、当然ながら参加選手は“開催国の名誉にかけて”メダル獲得に向けて死力を尽くす。


然るにカナダはモントリオールオリンピックで、1つも金メダルを獲得できなかった。オリンピック開催国でありながら金メダルを獲得できなかったのは、カナダが初めてである。カナダは「開催国なのに金メダル0」というオリンピック史上初の記録を打ち立てたのだ。
しかも12年後のカルガリーでも、カナダは1つも金メダルを獲得できなかった。寒い国カナダが夏のオリンピックで金メダルを獲得できないのは、まあ仕方がないとしても、アイスホッケー大好き、そこら中雪ばっか、天然スケートリンクだらけのカナダが、冬季オリンピックで金メダルゼロというのは、いかがなものか。しかも開催国で。当然ながら開催国でありながら2回連続で金メダル0というのも、オリンピック史上初である。この記録はまだ破られていない。(開催国だけど金メダル0というのは、その後旧ユーゴが84年のサラエボオリンピックで達成した)


それが今回のヴァンクーヴァーでは、カナダは一気に14個の金メダルを獲得!2位のドイツ(10個)を大きく引き離して堂々の1位に輝いた。ゼロから14、なんとも極端な国である。こういう極端さはカナダの国民性になじまないと思うのだが、一応カナダ人の雪だるまはそれなりに嬉しいらしい。なかでも「アイスホッケーでアメリカに勝って金を獲得したのが一番うれしい!!」のだそうだ。雪辱を晴らしたということらしい。


私自身は国威を背負ってスポーツに励むという図式が嫌いなので、メダルの数なんかどうでもいいと思っている。冷戦時代は米国とともにソビエト連邦、東ドイツといった“東側諸国”がメダル獲得の上位に名を連ねたが、なんだか選手の顔に「勝利か死か」と書いてあるように見え、悲壮さが怖いくらいだった。
そういうのに比べれば「てへー、金メダル0だぜ」と言っている呑気な国の方がずっと好きだ。ま、たまには14個でもいいけど。

純金の置物

手術&入院が決まって以来、何だかハイなわたし。どうも会社を休めるということが嬉しくて仕方ないらしい。入院にしても、修学旅行に行く小学生のような気分で、「持っていくもの」の用意などしている。「持っていくもの」リストの中に、“副食のおやつ”が入っているところまでそっくりである。(注:病院からのリストに入っていたわけではない。わたしが勝手に入れたのである。手術直後でも“お腹空くかも”と思っている私の脳天気さよ)


某氏への御礼のため、昨日ジムの帰りに隣の貴金属店で純金の置物を買った。最初は金条と呼ばれる金地金がかさばらなくてよいと思ったのだが、値段を聞いたら一番小さいものでも予算を大きく大きくオーバーしたので、やむなくパス。次には「幸福」とか「健康」とか彫ってあるチャーム(ペンダントトップ)を薦められたが、これは贈る相手が男性なため「どこにつけるねん?」と、しばし黙考。眉が晴れない私の顔を見た売り子氏のひとり「それなら××はどうか?」と問う。××の部分は聞き取れなかったのだが、売り子氏が指しているウィンドウの位置からして、きっと置物だろうと思い「うん、見せて」と頼む。出てきたのは、高さ5センチほどの帆船の置物。立体的で大きいが、箔のように薄い金を使っているのか、空気のように軽く、したがってお値段は予算の範囲内。値段の割りに見場がよいので(HK人には大事)、即これにする。


純金の置物なんて日本人にはキッチュすぎて使えないが、中国人には贈り物として立派に通用する。需要があるので、ウィンドウにはさまざまな大きさ、デザインの置物が並ぶ。干支をかたどったものもあるし、めでたい文字をデザインしたものもある。誰が買うのか純金のミッキーちゃんもいる。先日下見をしていた時目に留まったのは、飯碗の上に箸を渡したデザインのチャームだ。一生食うに困らないようにという願いを込めて買ったり、贈ったりするのだろうか? ナイフとフォークではなく、飯碗と箸というところがどことなくユーモラスで面白かった。



ほかにこういうのもある。 ↓
欲しいか?と聞かれると、答えに詰まる。







 

感情機能の欠陥

  • 2010/03/01 15:25
  • Category: 雑記
わたしは誰かが亡くなったことに対して、今まで一度も本気で悲しいと感じたことがないということに最近気づいた。気づいたのは他でもない、祖母が亡くなったことを嘆いたり、叔母が亡くなったことを悲しんだり、見ず知らずではあるが画面を通して非常に近しく感じていた俳優の某氏が亡くなったことにショックを受けたりといったことを記述した文章を読むことが続いたからだ。そしてそのたびに「この人たちにとって、祖母が/叔母が/俳優の某氏が亡くなることは、こんなに悲しいことなのだろうか?」と、いささかあっけにとられたからだ。翻って私は、祖父母が亡くなった時も、叔母が亡くなった時も、母が亡くなった時も、悲しいという感情はまったく起きなかった。いわんや画面で知っているだけの俳優氏においてをや。「突然のショックで感情が空白状態になり、却って何も感じなかったのでは?」という人があるかもしれないが、そういうことでもない。なぜなら何ヶ月たっても、何年たっても、一向に悲しくはならなかったから。


私の感情機能には何らかの欠陥があるのだろうと推察するが、しかし何が欠けているのか、先天的に欠けていたのか、それとも後天的に欠けたのかはよくわからない。じゃあどうすればいいのかと自身に問うても、別段の解決策は浮かばない。人の悲しみを思いやるのに必要なのは想像力だと思うが、自分自身に対してそれをあてはめ、自分が感じてもいない悲しみを想像することに意味はあるか? あるとは思えない。


この先、私がその死を悲しいと感じるのは、雪だるまと妹とごく少数の友人だけだろう。つまりわたしの比較的乾燥した心の中に住んでいるのは、この人たちだけだということだ。

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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