リタイアメント・プラン

  • 2013/02/27 12:36
  • Category: 雑記
勤務先の資金繰り悪化により昨年7月半ばに失業状態となったジェリーだったが、以前にも書いた通り別段慌てふためきもせず、夏の間はビール片手にのどかな休暇を謳歌。その後秋口から就活を開始しはしたが、今週1本、再来週にまた1本くらいのペースでぽつりぽつりと履歴書を送り、面接に出かけるという誠にのんびりしたというか悠揚迫らざる就活ぶりで、「こんなんで仕事みつかるのか?」といささか心配になったくらいだったが、手に職を持つ者の強さか12月くらいには隣町のスパに本人の希望通りの条件で就職が決まって、無事働き始めた。

最初は週に3、4日、1日に1人か2人の客という感じで、フルタイムというよりパートタイムのような勤務状況だったが、その後徐々に仕事が増え、今週は週5日びっしりで、土日も出勤。1日に担当する客の数も以前より増え、すでに3月も予約で一杯だそうである。足つぼ、タイ、韓国、インドなどマッサージはよりどりみどりの香港に住んでいても、自腹を切ってマッサージに行ったのは1度だけ(仕事がらみでは何度か行った)という私から見ると、この田舎でどうしてそんなにマッサージに対する需要があるのか今いちよくわからないのだが、ジェリーのためには喜ばしき状況。

雪だるまも喜んで、昨日ジェリーが来た時に「これで久しぶりに口座からマイナスが消えるんじゃないか」とか、「お父さんが“あいつもそのうちリタイアメント・プランを考え始められるかもな”って言ってたよ」とからかったら、敵もさる者。「俺のリタイアメント・プランはとっくに出来てるよ。銃一丁買えばいいんだ。安上がりだし、確実だぜ」と曰うた。

私は最初意味がわからず「銀行強盗でもするつもりか、ジェリー?」と思ったのだが、違った。彼の銃は他人に向けてではなく、自分に向けて引き金が引かれるのである。

いやはやえらいリタイアメント・プランもあったものである。確かに、どこぞの保険会社や投資会社、銀行が薦める各種“プラン”よりよほど確実かつ安上がりではあるが、問題は実現可能性というか、実行可能性。ジェリーならやれそうな気はするが、万人向けとは言い難し。
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“Le vieil homme et l'enfant”

  • 2013/02/25 09:14
  • Category: 映画
画面はモノクロ。出てくるのはパリの混乱を逃れるため独り田舎に送られた男の子と、男の子を預かった家のお爺さんとお婆さん、お爺さんの愛犬で齢15歳、半分耄碌しているような老犬のキヌウ、村の人、こどもたち。

男の子は別にお爺さんとお婆さんの孫というわけではなく、パリに住む娘が、知り合いの子だからと頼んできただけ。でもお爺さんとお婆さんは男の子を実の孫のように可愛がってくれ、学校では「都会から来た子」ということでいじめられたりもするけれど、田舎の日々は平穏。お爺さんの昔話を聞いたり、犬と遊んだり、大事件は何も起こらない。1944年5月のフランス。

でも実は男の子はユダヤ人で、だからフランス風に名前を変えてこの田舎にやって来た。お母さんに教えられたとおり、お爺さんの家ではカソリックのお祈りを唱え、お風呂の時には割礼を見られまいと気を使う。一方、お爺さんはペタン元帥の心棒者で家には元帥の写真が飾ってあるし、ドイツ人もユダヤ人も大嫌いで、彼らのことをフランスに害毒を流す悪党だと思っている。そして男の子に「ユダヤ人てのは鉤鼻で耳が大きくて偏平足なんだよ。一目見ればわかる」「キヌウにもわかるぞ。奴らは臭うからな」なんてことを言う。

そしてそう言う一方で、老いた犬を労り、可愛がってあれこれ世話を焼き、お婆さんが飼っているウサギを料理すると可哀そうがって食べず、男の子が苛められて帰ってくれば慰め、元気づけてくれる、優しくて冗談好きな、ごく普通の愛すべき人物なのだ。

1944年のフランスが舞台ではあるが、そして主人公の一人はユダヤ人の男の子、もう一人は反ユダヤ人のお爺さんではあるが、冒頭にも書いたように映画の中では大事件は何も起こらない。描かれない。描かれるのはフランスの田舎の平穏、平板な日常生活。原っぱに放牧されている牛。鵞鳥を追いかける犬。その犬を追いかける子ども。日曜日のお説教。全学年いっしょの小さな学校。子どもたちの頭にシラミがいないか検査する先生。シラミを発見されて丸刈りにされる子の照れたような笑い。そうした中で日常を送る男の子に対するお爺さん、お婆さんの暖かい愛情。
ヴィシー政権下、ドイツ占領下にあるフランスという“状況”は、サブリミナル効果のようにチラ、チラと差し挟まれるだけだ。

ヴィシー政権下のフランスにおけるユダヤ人迫害の問題は、さまざまな映画になっている。さっと思いつくだけでも“Au revoir les enfants / さようなら子供たち”、“Elle s’appelait Sarah / サラの鍵”、“Un Secret”、“La Rafle / 黄色い星の子供たち”等々。みないずれ劣らぬ佳作、良作だが、この“Le vieil homme et l’enfant”も、決してこれらに引けはとらないと思う。愛情深い、暖かでユーモラスな人間が、同時に無知な人種差別主義者でありえること。そしてそれがごく普通のことであること。
何も声高に主張しないのが却っていい。

thetwoofus.jpg


Le vieil home et l’enfant (1967年仏 監督Claude Berri)

熱烈歓迎! に非ず

最近どうも定期的に頭痛がやって来る。やって来ると4、5日は居座る。今月もまた先週土曜の夕方から遠雷のようにそろそろと始まり、日曜は朝から頭全体ががんがん。月曜もずきずき、火曜はそれが右側だけになったと思ったら、水曜は右目が痛くなり、今日木曜は左目。ぐるり一周である。「ったく、そんなフルコースで回らなくてもいいのに・・・」と一人でぶつぶつと愚痴る。

それでも今は動けないほど痛ければさっさとベッドに引き上げることができるのでまだよい。仕事をしていた頃は、頭が痛かろうが吐き気がしようがマーケットが開いている限りは休むのは難しかったし、まして出張ともなればツアコン兼通訳が当日朝突然休むなんてことができようはずもなく、這ってでも行かねばならなかった。それに比べれば今はなんと楽ちんなことか! 

それに痛みが続いている間は何ともみじめな気分でしんどいが、それだけにいったん痛みが消えた時の爽快さは格別! まるで風光る五月、若葉の下を自転車で一気に駆け抜けた後のようなさわやかさ。平生厭世家の私が、生きていることを寿ぎたくなるくらいなのだから、その爽快さは並々ならぬものとお察しいただきたい。そういう日は朝から活力充実。掃除洗濯に励み、普段は素通りするところまでしつこく拭き清め、ガレージに行ってごしごし洗車し、はあはあ言いながら戻って来て頭痛到来以来放っておいた編み物など再び手に取り、勢い余ってフランス語の勉強まで始め出す。まこと、こういう日が続けば家はぴかぴか、編み物作品は山を成し、仏語能力は格段に向上!となるはずである。

頭痛が到来したからこその爽快さと思えば、「頭痛先生、熱烈歓迎!」の横断幕を掲げてもよさそうな気はするが、そこはそれ頭痛期間中は世にもみじめなので、やはり歓迎はできかねるのである。普通がよろしい、普通が。

déraciné

  • 2013/02/20 22:34
  • Category: 雑記
先日ちょっと確認したいことがあって私が通った高校のサイトへ飛んだら、なんとわが母校は併設された中高一貫教育校に吸収され、閉校になっていた。があああん・・・

生徒数の減少から、ここ10年あまり県内のいくつかの高校が統合されたり、閉校になったりしていることは聞いていたが、1960年代の設立と比較的新しく、そこそこの評判を保って定員割れを起こすこともなかった我が母校がなくなってしまうことがあろうとは、夢にも思っていなかった。

懐かしの我が母校は、旧制中学から続く名門校とは違って“伝統”の圧力が少なかったせいか、はたまたどの市からも離れた、郊外の田んぼの真ん中にあって紅塵の歓楽に遠かったせいか、生徒も先生方ものんびり、おっとりした人が多くて勉強や受験にキリキリすることもなかったし(おかげで毎年大量の浪人生を出して近隣の予備校の経営に貢献していたが)、また服装、頭髪など生徒に対する規則も少なくかつゆるくて、おかげでつまらないことにエネルギーを使わずに済んだし、今振り返っても、思い出したくない嫌な記憶がほとんどない、光に満ちた大変楽しい3年間だっただけに、無くなったと聞いて本当にがっかりした。

思えば私が生まれ育った町も、数年前に隣の大きな市に合併されて無くなってしまったし、我が実家は無人の空き家だし、なんだかどんどん根っこを引き抜かれて、デラシネ化が進行している感じである。

子どもではないから、根を抜かれたからと言ってすぐに息も絶え絶え、萎れてしまうわけではないし、どこに住んだとしても、それが電気と水道がある程度のところならば、そこそこ暮らしていけるとは思うが、それと“根を張る”のは違う。縁あって雪五尺のところに家を構えはしたが、ここが終の栖になるかどうかはまだわからない。今のところはまだ外国人枠の居候である。

財布との相談が

  • 2013/02/18 22:12
  • Category: 雑記
木曜日に新しいカードが来た。不正利用が発覚したのが、その前の週の火曜だから10日程で新しいカードが来たわけで、予想したより早かった。で早速、カードがないため注文できないでいた本屋サイトに飛んでいき、あれこれ再物色を始めたのだが、これが迷う迷う。

なにしろカードはあくまで“クレジット”カードであって、どこかのショップの“ギフト”カードではない。提供してくれるのは決済手段だけで、資金を提供してくれるわけではないのだから、嬉しがってあれこれ大量に買い込んだりしたら、すぐに財布が破裂するのだ。収入のない身であることを忘れてはいかんぞ、私!である。

とは言うものの楽しく生きていくためには、遊び道具は必要だ。私にとって本は遊び道具のひとつだ。小説なんか特にそうだ。さて今回は何を頼むか。ちょっと前まで19世紀末~20世紀初頭のインドをちらちら見ていたので、キプリングの「少年キム」を読んでみたい。また、いまだ雪ばかりとはいえ、春はもうすぐそこ。またすぐ庭仕事の季節がやってくる!と思えば、ヘッセの「庭仕事の愉しみ」かチャペックの「園芸家12か月」あたりにも心誘われる。そしてそれとは全く関係なく、ちきりんさんが薦めていた「リバース・イノベーション」も面白そうだ。もひとつの遊び、手仕事との関係で編み物の本も欲しい。それから聞き返されてばかりのフランス語の発音を何とかするために菊地歌子さんの「フランス語発音トレーニング」はどうだろう? これで練習すれば雪だるまに発音を笑われないようになるだろうか?(もっとも雪だるまの発音も、いい加減ケベックなまりだが) ついでに作文練習のために「フランス語でつづる私の毎日」あたりも欲しいなあ。うーん、全部注文するといくらになるのだろう? 財布よ、君はだいじょうぶか?

SDQとか

  • 2013/02/15 08:06
  • Category: 雑記
薬物(ここでは現在その製造、販売、所持、摂取が違法とされている薬物を指し、一般の適法医薬品は含まない)解禁に対する雪だるまとジェリーの主張は、ほぼ以下に要約される。

1. 巷では、薬物は一度でも使用・摂取すればすぐに依存性が発生して止められなくなり、それによって心身    が蝕まれるだけでなく、反社会的行為や犯罪へと発展する可能性がある非常に危険なものと認識されているが、しかし実際のところ薬物の精神的、身体的影響および依存性は、現在その製造、販売、所持、摂取が合法であるアルコール(酒)と同程度である。
たとえば精神・身体に対する影響では、アルコールの大量あるいは長期の摂取は、各種ガンの原因となったり、脳の委縮を引き起こしたり(これは少量でも起こる)する。依存症に陥った場合に、幻覚、譫妄などの症状が現れることも広く知られている。アルコールが薬物に比べ、“より少なく危険”であるということはない。
またその使用者による反社会的行為・犯罪という点から見ても、アルコールの影響下にある者によって引き起こされた反社会的行為・犯罪が、薬物の影響下にある者によって引き起こされたそれよりも少なく、軽微であるということはない。件数からいえばアルコールがらみの犯罪の方が(使用者が多いこともあって)、薬物がらみの犯罪より多いと思われるが、アルコールが社会的に容認されていることから、よほど凶悪なものでない限り看過されやすい。(たとえばバーで酔っ払い同士が喧嘩し負傷者が出てもまずニュースにはならないが、これが薬物がらみならニュースになる)

ここで筆者注) 飲酒の身体への影響については wikiの「酒」の項(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92)などをご覧ください。また薬物とアルコールの依存性については、下記の表をご参照ください。この表は同じくwikiから無断借用した医学雑誌The Lancetによる各種薬物の身体依存・精神依存・多幸感の平均スコア尺度表(スコアは1-3)です。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%96%AC%E7%89%A9%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87


薬物      平均  多幸感 精神的依存 身体依存
ヘロイン  3.00   3.0    3.0  2.9
コカイン  2.37   3.0    2.8  1.3
アルコール  1.93   2.3    1.9  1.6
たばこ      2.23   2.3    2.6  3.0
バルビツール酸  2.01   2.0    2.2  1.8
ベンゾジアゼピン 1.83   1.7    2.1  1.8
アンフェタミン  1.67   2.0    1.9  1.1
大麻      1.47   1.9    1.7  0.8
LSD      1.23   2.2    1.1  0.3
エクスタシー  1.13   1.5    1.2  0.7


↑すみません。表だったのですが、コピペしたら壊れてしまいました。
直し方がわかり次第直しますので、暫時このままでお許しください。



2. つまり薬物が“危険”であるなら、アルコールも同程度に“危険”なのである。それに加えてそうした健康被害や犯罪によって発生する社会・経済的損失(医療費、取締りに要する費用、犯罪・暴力事件によって発生する損失etc.)も莫大な額に上り、各国政府の財政を圧迫している。したがって人類の健康・健全なる発展および社会の安寧という観点から考えれば、これらの“危険”物(薬物、アルコール、ついでにタバコ)は撲滅対象として社会から一掃、根絶されるのが最善なのであるが、しかしながらまったくもって不幸なことには人類はそれに耐えうるようにはできていない。違法だろうが合法だろうがアルコールや薬物やニコチンに対するヒトの欲望は止むことなく、市場から酒が消えればヒトは密造酒作りに励み(アル中問題に手を焼いたゴルバチョフが節酒令を出した時には、市場から靴クリームすら消えた。靴クリームからアルコールを抽出しようと、人々がクリームを買い漁ったからである)、薬物が消えれば咳止めからでも目薬からでも薬物を造り、タバコが消えればその辺の草でも葉っぱでも乾かして丸め、煙を吸引しようとする。ヒトというのはそういう自分にとって害があると十分わかっているものでも“欲しい!”となったら留まることができない、どうしようもなくお馬鹿で愚かで度し難い生き物なのである。したがって過去、こうした“危険”物を一掃しようとする試みはことごとく失敗してきた。米国の禁酒法然り、ソ連の反アルコール・キャンペーン然り(ソ連のは節酒令であって、禁酒令ではなかったが)。現在の各国における麻薬撲滅運動も結局のところ麻薬カルテルと警察のいたちごっこ。あっちをつぶせば、こっちがぽこりと際限がない。また薬物が違法であることから、その製造販売流通は主として麻薬カルテルやマフィア、暴力団など犯罪組織に牛耳られていることが多く、彼らの巨大な資金源になると同時に、薬物がらみの凶悪犯罪を多発させている。またその巨大な資金力を背景に、一部の国では本来なら取り締まる側であるはずの警察が麻薬組織と癒着するなど問題山積、取締りの現状は成功しているとは言い難い。

3. したがって(と、ここからが彼らの主張になるのだが)、薬物撲滅がほぼ達成不可能な難事業であるなら、いっそのことアルコール同様、政府による一定の管理のもと合法化してしまう方が諸問題への対応策も立てやすく、対処も容易だ。複数の民間企業が薬物を製造し始め、薬物市場に市場原理が導入されれば、禁酒法廃止後、マフィアによる密造酒が市場競争に敗れて衰退したのと同様のことが、薬物市場にも起こるだろう。粗悪で危険な密造薬物が駆逐され、品質の安定した薬物が適正な価格で供給されるようになれば、健康被害もやや減少するのではないか。そうした上で現在のアルコール依存症対策と同様、摂取者が依存症に陥らないよう教育、教化に努め、また陥ってしまった場合の治療、リハビリ施設を充実させる。これらにかかる費用は、酒やタバコ同様、薬物に課税することで賄う。酒やタバコへの課税はほとんどすべての国で実施されていることであり、なかには非常に高率の課税を実施している国もあるが、そのために酒やタバコの消費が大きく落ち込んだということはない(税率を引き上げると一時は消費が落ち込むが、また徐々に元に戻る。のど元過ぎれば、というやつである)。したがって現在、いかに酒が高かろうと密造酒に手を出す人がほとんどいないのと同様、薬物が合法化され町の店で適当な値段で薬物が買えるようになれば、密造薬物に手を出す者はほとんどいなくなり、これにより犯罪組織の資金源を断つことができると予想される。また薬物の製造販売流通摂取が合法になれば、現在これの取り締まりに割かれている巨額の政府支出と人手とを、別な方面に回すことができる。税収が増え(教育費用や治療費など支出も増えるだろうが)、犯罪組織の資金源を断つことができ、人手が浮くなら一石三鳥ではないか?

4. それにアルコールを摂取した人全員がアルコール依存症になるわけではないのと同様、薬物を摂取した人全員が薬物依存症になるわけではない。アルコールを適度に楽しむことが可能であるのと同様、薬物を適度に楽しむことも可能である。過去30年以上にわたり、薬物を適度に楽しんでいる俺(ジェリーのこと)が言うんだから間違いない。まわりにもそういう人間はけっこういる。みな仕事を持ち、家庭を持ち、普通に社会生活を営みながら、たまに薬物を楽しんでいるのである。繰り返していうが、一度でも薬物を摂取したが最後、薬物に対する依存が発生し“薬物なしでは生きていられなくなる”わけではない。当局はそう宣伝しているが、それは事実ではない。

とまあ、以上が彼らの主張である。ここまで書くのに3晩かかってしまった。ああ、疲れた。宗教とドラッグは彼らの十八番というか定番の話題で、過去1年半折に触れて何度も何度も聞かされているので、こうやって書けてしまうくらいにその主張を覚え込んでしまったが、これはあくまでも彼らの主張であって、私も同意見というわけではない。またこのあたりの人が、みな彼らと同じように考えているというわけでもない。事実、彼らは薬物の合法化に反対する叔母さんの一人と、激烈な議論になったことがある。

私はと言えば、実のところよくわからないのである。私は各種の酒の味は好きだが、体質が災いして量は飲めない。タバコは若い頃は時折吸っていたが、20代後半に気管支炎で咽喉を傷めてからは、煙を吸い込むと咳き込むのでぴたり止めた。つまり結局どちらも習慣にはならなかった。(=依存を形成しなかった) 薬物はやったことがない。ただ日本で青少年期を過ごしたため、例の「ダメ、絶対!」教育が身体にしみ込んでおり、薬物は怖いものであるという認識が頭から消えない。ジェリーやwikiに「薬物の依存性はアルコールと同程度だ」と言われても、「ほんとにぃ?」と疑いの上目遣いで見てしまう。しかし一方で薬物を規制するのは不可能であることもわかっている。合法化して、白日の下での薬物使用にした方が、本当に問題は減るのだろうか? うーん。アルコールと同様と考えれば、そうかもしれない。ちなみにケベックでは、アルコールは政府専売である。ビールやワインなどアルコール度数の低い酒はスーパーやコンビニでも買えるが、ウィスキーやブランデー、ジンなど度数の高い酒は、SAQという政府直営の店でしか買えない。SAQとはSociété des alcools du Québecの略である。当町にもウチの近所に小さいのが1軒、ダウンタウンに大きいのが1軒ある。酒に対する税率は高く、私は引っ越してきたばかりの頃、ウィスキーを買いに行って、値段がHKの倍近くしていることに仰天。HKを出る時に空港で買い込んでこなかったことを大いに後悔した。これに懲りて、去年日本に行った時にはちゃんとブランデーを仕入れてきたが、SAQでの値段を考えると勿体なくていまだに封を切れないでいる。何のために買ったんだよ、わたし?の世界である。それはともかく、ジェリーや雪だるまが“政府による一定の管理のもとで薬物を販売”という時考えているのは、このSAQによる販売システムあたりかもしれない。たとえばSociété des drogues du Québec(SDQ)とか、Société des narcotiques du Québec(SNQ)とかの店が、そこここにできるわけだ。そしてパーティとかの時は、料理に合わせたワイン、ビールと同時に、客の好みに合わせた薬物も仕入れて、パーティに花を添える、と。“適度に楽しむ”が可能なら、そういうことも可能なわけだ。ほんとにそーゆーことでいいのかどうかは別として。

ちなみに本人も認めている通りジェリーは薬物使用者だが、雪だるまは生まれてこの方一度も薬物を摂取したことはない。アルコールもタバコもまったくやらない。それでも雪だるまは薬物は合法化した方がよいと考えている。面白いものである。

メキシコ

  • 2013/02/12 11:02
  • Category: 雑記
先月から故郷のアカプルコに里帰りしていた仏語教室のクラスメート ドーラが帰って来た。私を“ラティーノ・ケベッコワ”パーティに誘ってくれたあのドーラである。久しぶりに顔を見せた教室で、ジョゼが「バカンスは楽しかった?」とにこにこ顔で聞くと、ドーラは「今回はいろいろ大変だった」と、いつものゆったりとしたフランス語で話し始めたのだが、聞いてびっくり。なんとドーラがアカプルコに行く直前に、おばさん(仏語なので伯母さんか叔母さんかは不明)が誘拐されたのだという。どうやらドーラはアカプルコで複数のディスコやバー、シーフードレストランなどを経営する資産家の一族に属しているらしく、当然ながらおばさんの家もお金持ちで、そのため誘拐の標的にされたらしい。犯人たちは家に忍び込んで隠れ、機を見ておばさんを誘拐。身代金として500万ペソ(約40万USドル)を要求してきたのだという。

幸い一族はお金持ちなので、なんとか身代金をかき集め、おばさんは1週間後に裸足で道路に置き去りにされたところを保護されたのだが、服はぼろぼろ、顔や身体には殴られた跡が何カ所もあったそうだ。ドーラは「大好きなおばさんだったので、誘拐されていた間、本当に心配した」と言っていた。

たぶん日本でも報道されていると思うが、ドーラによれば最近アカプルコでは麻薬組織がらみの凶悪犯罪(誘拐、強盗、殺人)が増加しており、つい最近もスペインからの観光客6組が襲われたばかり。アカプルコには3組のマフィア組織が対立していて、地元民は標的になるのを恐れ、飲食店はもとよりバスの運転手まで、縄張りを仕切っている組織にみかじめ料を払っているのだという。

住んだことはおろか、メキシコには足を踏み入れたことすらない私が、聞き知ったことだけであれこれ書くのはどうかとは思うが、脆弱な産業構造と富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなっていく激しい経済格差が解消されない限り、こうした犯罪は増える分でも減りはしないだろう。「貧困層が豊かに暮らすためにはアメリカなどの外国に移住して成功を掴むか、国内にとどまる場合ボクサーをはじめとしたスポーツ選手になるか俳優などのタレント業、または犯罪者になるしかない」(ウィキより引用)という状況では、“犯罪に走るのが一番手っ取り早く、確実”と考える人間が多数生まれても不思議はないのだ。誰もが外国に移住したり、スポーツ選手やタレントになれるわけではないのだから。

そしてメキシコで“犯罪”というとどうしても麻薬組織がらみになるのだが、実は麻薬というかドラッグは、普段から宗教とともに雪だるま&ジェリーの話題のひとつで、彼らはドラッグを非合法にするから犯罪が増えると考えるドラッグ解禁派なのだ。

が、これについて書き始めると長くなるので、続きはまた次回。少々目が疲れたので、今日はここまでとします。

魑魅魍魎

  • 2013/02/11 01:11
  • Category: 雑記
ジミー君によれば、我がPCにウィルスは棲息していなかったそうである。ウィルスによりカード情報のみならず銀行口座情報までも漏れたのではないかと心配していたところだったので、大きく安堵した。口座に不正にアクセスされて、いつのまにか残高ゼロなんてシャレにもならんから。カードと違って不正利用された場合の補償がどうなっているのか、そういえば確認したことなどないし、そもそもある取引(第三者への送金とか)を執行したのが本人ではないと証明するにはどうしたらよいのだろう? 買い物同様、銀行とのやり取りもネット経由ばかりの昨今、考え始めると不安は尽きぬ。

そしてPC内にウィルスがいないとなると、では情報が漏れたのは買い物先のサイトからか?との疑いが湧き上がってくるが、この1か月お買い物とはとんとご無沙汰。しかし2月に入ってそろそろ時節なので某種苗店に春蒔き種の注文を入れたとたん不正利用されたかたちなのだが、怪しいのはこの種苗店か? それともこれはたまたま時期が重なっただけで、情報は過去に買い物したサイトから盗まれたのか? よくわからん。

手元の辞書によれば、魑魅というのは山の怪物、魍魎というのは川の怪物だそうだが、電子の海にも同様の怪物がごちゃごちゃ棲息していて、隙あらば取って食おうとかかっているので、まったくもって面倒でかなわない。

口直しに、トリの写真でも。
魑魅魍魎と違って、こちらはかわいい。

室内から撮るとどうしても逆光になってしまうので色がはっきり見えないが
大きいのは grosbeak(シメ)の♂ 頭から背中にかけて赤いのが特徴(メスは茶色)

小さいのは redpoll(ベニヒワ) 手前、顔をこちらに向けているのは♂で
向こう側は♀かな


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クリーニング

  • 2013/02/07 23:03
  • Category: 雑記
今日はこれから我がPCをクリーニング屋のジミー君(正確には当町のコンピュータショップ Ordin@tech の店主兼技術者であるが)のところへ持っていかねばならない。ジミー君には最近2度も続けてウィルスに感染した雪だるまのPC清掃や、不調になったルーターの交換でお世話になっているが、彼はほんとに笑っちゃうくらいコンピュータオタクそのまんまの風貌で、これ以外の商売に就いている彼は全く想像できない。実に絵に描いたようにgeekyな青年である。

しかし技術はそこそこ確かと思われるし、良心的仕事ぶりであるので清掃を頼むにやぶさかではないのだが、唯一の不安材料は我がPCが日本語仕様であること。英語OSの雪だるまのPCですらちょっと面倒がっていたくらいなので、日本語ではどうなることやら。プログラミング言語は世界共通とはいっても、仮にエラーメッセージが日本語で出たりした場合、ジミー君はお手上げ。意味不明のちんぷんかんぷんである。いうなればアラビア語のエラーメッセージに遭遇した日本の技術者のようなもの。その困惑は想像して余りある。

しかしそうは言っても近くに日本語のわかるコンピュータ技術者などいるわけがなく、やはりとりあえずジミー君のところへ持っていくしかないのだ。無事きれいになって帰ってくることをコンピュータの神様に祈るしかない。(八百万の神の中で、通信技術を司るのは誰だろう?)

カード

  • 2013/02/07 00:54
  • Category: 雑記
昨日夕方、私が使っているクレカの発行元である某銀行から「通常とは異なる動きあり」との電話があった。どうやら誰かが私のカード情報を盗み、タイへの航空券を購入したらしい。

こうした不正利用の常として私はこの金額を支払う必要はなく、したがって一見被害ゼロのようにも見えるのだが、不正利用されたことによる強い不快感や、現カードの即時キャンセル→新カード発行の間の不便(ちょうど日本に本を注文しようと思っていたのに!)、我がPCの清掃(実店舗では一度も使ったことのないカードの情報が漏れたということは、PC内にウィルス棲息の可能性あり。要クリーニング)、定期引き落とし先への連絡など、こまごました不便は少なくない。それにPCの清掃費用は当然私が負担せねばならぬ。金銭的被害ゼロではない。

外地の、しかも田舎住まいとあってはオンラインでの買い物は避けがたく、そうなると日本のようにコンビニ払いとか代金引換とかのサービスはないから、当然支払いはカード。不正利用されるリスクはあってもカード利用を止めることはできない。事故るリスクはあっても車に乗るのを止めることはできないのと同じだ。運転同様、せいぜい安全を心掛け、相応の注意を払って利用し続けるしかないのだが、そうは言っても不正利用されると当座は凹みますな。この不快感、どうしてくれよう。

一に防寒、二に防寒

最近、ジムに行かない日は努めて散歩に出るようにしている。主人の隙を伺い、じわりじわりとその体積を拡大しつつある胴体中央部を牽制する目的である。

牽制が目的であるので、寒くても我慢して出かける。昨日もマイナス11度となかなか寒かったが勇を鼓して出かけ、1時間半ほど近所の住宅街を黙々と歩いた。もう5度ほど暖かければ、裏の林から丘陵地帯の方へ抜ける緩い坂道を登ってもいいのだが、昨日は道が凍っていて滑りそうなのでやめた。裏の道は人も車もたまにしか通らないので、滑って転んで足首でもひねった場合、助けはあてにできず、びっこ引き引き自力で戻らねばならない。凍り道の散歩は住宅街の方が無難だ。


冬場の弱弱しい太陽。昨日はこの太陽すらなかった。


IMG_3478-2.jpg


もっとも住宅街を歩いても、特に面白いことはない。夏場と違って目を楽しませてくれる花々があるわけでもないし、庭先をリスが走っているわけでもない。人も通らない。華やかだったクリスマスデコレーションもとっくの昔に取り払われている。あるのは寒そうに立つ冬枯れの木々と雪の塊りのみ。およそ感興に乏しい。ことに昨日は途中から雪がちらつき始めて、目明き帽代わりのカウルの上からフードも被ったため目の前と足元くらいしか見えず、目に入る色は灰色と白のみという甚だ面白みに欠ける散歩になった。こんなことなら同じ住宅街でも店屋のある方へ歩き、ドラッグストアでも冷やかしに行けばよかったと思ったが、すでに遅し。

それに店屋に行くには服装がちとアレだった。冬場、散歩時の服装で考えるべきはまず防寒。一に防寒、二に防寒、三、四がなくて五に防寒というくらい重要である。なにしろ寒くては歩けない。しかしかといって着過ぎてもいけない。せっせと歩いていると身体の中心部は結構暑くなる。汗をかくことすらある。汗がこもるような服装では、却って冷える。

というわけで昨日の服装は、ヒートテックのタンクトップの上に半袖の綿のTシャツ、ニットジャケット。下は同じくヒートテックのレギンスに裏起毛の厚手レギンス、その上に腰腿冷え対策として毛糸のぱんつならぬ毛糸のスカート。これにお尻を覆う丈の偽ダウンジャケット、覆面風に頭と顔と首を覆うカウル。靴下はふつうのと毛糸のと2枚重ね。マイナス40度までOKのブーツ。手袋も毛糸のと合皮のミトンと2枚重ね。ものすごくたくさん着込んで着ぶくれているわけではないが、問題はそれぞれの色。見えている部分だけでも、カウル=チャコールグレー、ジャケット=蛍光オレンジ、スカート=青が混じった深緑、レギンス=黒、毛糸の靴下=青緑、ブーツ=黒、手袋=黒、顔=黄色という具合で、めっちゃくちゃのカラーコーデである。ことに蛍光オレンジと青が混じった深緑というのは、双方を実に気持ち悪く目立たせる組み合わせで、玄関先の鏡に映った姿は我ながらげげっ・・・ とても店屋になど入れたものではない。


朗読サイト

  • 2013/02/02 23:07
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アイスバーンが怖くて洗車の予約をキャンセルし、学校も休みになった水曜、ひょんなことからたくさんの、たくさんの日本語による朗読サイトを見つけてしまい、その日もその翌日も悪天候でジムにも散歩にも行けず1日中家に籠りきりになったせいもあって、もう憑りつかれたように聞いて聞いて聞きまくった。

夢野久作の「いなか、の、じけん」「奥様探偵術」「夫人探索」「縊死体」、芥川の「素戔嗚尊」「煙草と悪魔」「魔術師」「お富の貞操」「六の宮の姫君」「藪の中」「河童」「鼻」、岡本かの子の「鮨」(途中まで)のほか、海野十三、小栗虫太郎、妹尾アキ夫等々、いったい何本聞いたのかわからないくらい聞いた。

こんなに夢中になって聞いたのは、何本目かに聞いた「お富の貞操」の読み手、坪井祐実さんの朗読があまりに見事だったからだ。最初は別の方の朗読で聞き始めたのだが、サイトの具合が悪いのか途中で止まってしまったので、特に考えもせずその下にあった坪井さんの朗読に切り替えた。そして思わず編み物の手が止まったほど驚いた。冒頭のほんの1、2行だけで、くっきりと情景が立ち上がり、凛と空気が澄んだのだ。声の違いなのか、発声や抑揚、間の取り方の違いなのか、私は朗読については何も知らないので、この違いがどこから来るのか「こう」と指摘はできないのだが、違うことだけははっきりとわかる。ぐいぐい引き込まれて、延べ40分ほどのこの作品を一気に聞いた。ついで「六の宮の姫君」を聞いた。こちらも見事だった。美しく、やさしくはあるが流れに身を任せるだけで自らは何もしない六の宮の姫君の不甲斐なさ、それゆえの哀れさが、自分で芥川の文章を読んだ時以上に、こちらに伝わってきた。

ここに至って私にもようやく、朗読というのは単に文章を音読することではないのだとわかった。朗読とは声だけを通して演じられる、たった一人の芝居なのだ。台本を渡された俳優と同じように、朗読者は本を読み、解釈し、その解釈を元に役を演じる。お話によっては一人で何役も演じる。表情や身ぶりといった身体表現は使えず、頼れるものは声だけ。声だけでお話の世界を構築し、聞き手を引き込んでいく。

―― ただ、だから一方では聞き手はその朗読者の解釈を通しての芥川なら芥川、漱石なら漱石を聞くことになるわけで、見方によってはその朗読者の解釈を押し付けられているとも言えるのだが、ある人の朗読/解釈が自分とは異なると感じられる場合は別な人の朗読/解釈で聞くか、あるいは(可能ならば)自分で本を読めばいいわけで、この点音楽よりは楽かも。(ある指揮者/演奏家の演奏が気に入らないからといって、スコアを取り寄せて“読んで”も、大方の人は頭の中で音楽が鳴ることはあるまい) ――

話がちょっとそれたが、坪井さんの朗読に惚れ込んだ私は次々と彼女の朗読で芥川を聞き、しかしあんまり聞きすぎて夜半に至って少々疲れ(芥川の作品は、“軽い”とは言いかねる)、気分転換に夢野久作の「奥様探偵術」に飛んだ。こちらも大ヒット。朗読は林田雅美さんとおっしゃる、プロナレーター、声優、俳優グループである「DNA計画」に所属する方。この作品にぴったりの甘い声と達者な演技で、思わず口元がゆるんだ。惜しむらくはサイトの不具合か、朗読がたびたび途切れる。これさえなければほんとに最高なのだが。

このほか“えぷろん”さんや、『猫の足音』のmokoさんなども、玄人はだしの朗読で大いに楽しませていただいた。おかげでこの3日間、私は時ならぬ“日本近代文学祭り”状態である。こんなに集中的に明治~昭和初期の日本文学に親しんだことは、かつてない。

以下、若干の朗読サイトのご紹介(敬称略)
『しみじみと朗読に聴き入りたい』の朗読アーカイブス http://homepage2.nifty.com/to-saga/roudoku2.htm#archive
『坪井祐実の~声の空間~』 http://www.voiceblog.jp/hana-sumire24/
『DNA計画作品集』 http://www.voiceblog.jp/dnakeikaku2005/
『えぷろんの朗読本棚』 http://epuron-rodoku.seesaa.net/
『朗読☆猫の足音』 http://www.voiceblog.jp/catlove/

*サイトによっては時々、あるいは頻繁に朗読が途切れますが、お腹立ちなさいませず気長にお聞きくださいませ。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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