“Si le vent souleve les sables”

  • 2013/05/30 21:40
  • Category: 映画
映画のロケが行われたのはジブチらしいが、ジブチが舞台というわけではない。旱魃で村の井戸が枯れ、水を求めて移動する話はアフリカのどこでもありうるからだ。この映画の主人公Rahneの村も同じ。長い乾季で井戸は枯れ果て、人間の飲む水も、家畜の飲む水ももうない。まだ水が残っているという一番近い井戸は、歩いて6時間の距離だ。しかしそこも、いつまで余所者に水を分けてくれるかはわからない。移動するしかない。しかし大方の村人が南へ向かおうとするところを、Rahneは妻(Mouna)と3人の子ども、家畜と共に、ラクダに荷物を乗せて、東へ向かう。もう一人の村人も同行する。

*以下、ネタバレあります。ご覧になる予定の方は、ご注意ください。

住んでいた村同様カラカラに乾き、果てしなく続く砂漠には水の影もない。歩きに歩いてやっとオアシスのひとつにたどり着くが、そこを警護する民兵は、水と保護を提供する代価として1日につき1頭の家畜を要求する。もともと乏しい家畜を永遠に提供し続けることはできないし、そのオアシスの水も枯れかけている。民兵の隊長の勧告もあり、Rahneたちは3日ほど休んだだけで、隊長に教えられた井戸を目指して、また移動を開始する。

永遠に続く砂、砂、砂。そこをラクダを引き、家畜を追いながら歩き続けるRahneたち。ソマリ人系なのか、背が高く手足が長い彼らの姿は美しく、女たちのまとう衣服はアフリカの太陽に映えて鮮やかに目を射るが、しかし隊長の話は嘘で教えられた場所に井戸はなく、しかも突然別の民兵の集団が現れて銃を突きつけられる。

反乱グループの一員ではない証拠に子どもを一人寄こせと言われ凍りつくRahneとMounaを見て、上の男の子が「僕が行く」と進んで民兵のトラックに乗る。それを黙って見つめるしかないRahneとMouna。しかし民兵たちは立ち去り際、遊びのように銃を撃って、2番目の男の子も彼らから奪ってしまう。

家畜も失い、残された一番下の女の子とMounaを連れ、歩き続けるRahne。しかしMounaも途中で渇きと疲労から意識を失い、置き去りにせざるを得なくなる。水と助けを求め、それでも歩き続けるRahneだったが、彼も砂漠の途中で力尽き、倒れる。

最後、彼らは通りかかったUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)に助けられるのだが、難民キャンプの救護所で目を覚ましたRahneに、“明るい未来”が待っているわけではない。キャンプで偶然再会したかつての隣人は「みな元気か?」というRahneの問いに「うちは(Nous)・・・」と言ったきり、ふっと周りに目を移すのだ。そこに映るのは砂漠の中に白いテントの立ち並ぶ難民キャンプの風景。

唯一の救いは、一番下の女の子Shashaの明るさと強さ。ヤギの1匹をかわいがり、大人たちや兄たちと一緒に歩き続け、最後「あたしは、こっちに行く」とRahneとは違う道を行こうと、さっさと荷物を棒の先にくっつけて歩き出す元気のいい子。骨ばかりのような細っこい身体に、くたびれた、しかし鮮やかな赤のカフタン(?)をまとった彼女は、静かに燃えるエネルギーの塊りのようで、何事にもびくともしないその明るさと逞しさが、こちらの心に温かさを残す。そういえば、“Beasts of the Southern Wild”の女の子ハッシュパピーも、そういう子だった。(余談だが、この映画もよい。お薦め)

ただ、この明るく逞しい子も、生まれた場所によってはFGM(女子割礼/女性器切除)の対象になるのかと思うと、何とも言えないやりきれなさが広がるが。

映画 Si le vent soulève les sables(Sounds of sand) 2006年仏・ベルギー
監督 Marion Hänsel
原作 Marc Durin-Valois
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餃子雪辱戦

仏語クラスメートの張さんによると、餃子の皮には「その辺のスーパーで売ってる普通の粉」を使っているそうで、別に塩を加えたり、“人肌の温度の湯”で捏ねたりはせず、「粉の半量くらいの水で硬めに捏ねる」だけだそうである。私が「手にくっついて伸ばそうとしても伸びず、硬くて美味しくなくて大失敗だった」と言うと、それは水の量が多かったのではないかと言う。

「そおおか・・・」と思い、仏語クラスの帰り、さっそく近所のスーパーに寄り込んで、張さん言うところの“Allなんとかっていう普通の粉(=All-purpose Flour / Farine Tout-usage)”を買い込む。失敗しても惜しくないよう、いつものロビン・フッド印ではなく、一番安いノーブランド品の粉にする。2.5kgで$3.92。食料品だから消費税なし。

で、夕食後、さっそく袋を開け、2カップの粉に1カップの水を徐々に足しながら、こねこね。水がほんの少し余るくらいのところで調度よいと思える硬さになったので、それ以上水を加えるのは止め、おまじない程度に捏ねて丸くまとめた。前回は強力粉が入っていたせいで生地に弾力があったので、ついついパンをこねる時のように引っ張ったり叩きつけたりして力強く捏ねてしまったが、あれも敗因のひとつだったかもしれない。反省して今回は、ごくごく優しく捏ねるに留める。

そしてほんの少し休ませただけで、15g弱ずつの塊りに切り、麺棒で伸ばしにかかったのだが、いやー、今回はちゃんと伸びる! ちょっと打粉をすれば、麺棒にも台にもくっつくことなく、すいっすいっと伸びる! ちゃんと薄く伸びる! しかも餡を入れてひだを寄せれば、ちゃんとくっつく!

試しにひとつ茹でてみると、理想的な“つるつる、しこっ”には遠く及ばないが、少なくとも前回のよりは餃子に近い味がする。そばかすだらけの出来損ないとは、雲泥の差。いかんせん、ニラがないためネギを多めに入れた餡の味が今ひとつで、美味いとは言いかねるが、これは次回ネギを少なめにする等の工夫をすれば、もう少しましになるかもしれない。あるいは張さんに倣って、庭のトマト苗の隣にニラを一柵植えるか。

皮の方も、強力粉を1~2割加えると、もう少しもっちりするかもしれないが、これはまた後で。親の仇のように餃子ばかり作っていては雪だるまに嫌がられるし、第一わたしの減量計画に支障を来す。それでなくてもパーティのおかげで、せっかく減りかけていた体重が、増加傾向に変わってしまったのだ。餃子雪辱戦が終わった今日からまた気を引き締めねば・・・

完璧に失敗  

餃子は完璧に失敗した。ふつうの薄力粉が足らなくなって半分以上全粒粉を使ったおかげで、白いむっちりした皮ではなく、そばかすだらけの色黒さんになってしまった上、そもそも薄力粉/強力粉の配合比率が悪かったのか、捏ね方が悪かったのか、いくら打粉をしてもにちゃにちゃと手にくっついて、一向に円く伸ばすことができず、むりやり餃子型に仕上げては見たが、ゆでてみるとコシもなければ、つるんとした食感もない、妙に粉っぽい味と舌触りで、全粒粉によるそばかすと相まって、中国人が見たら絶句するような、餃子とは似ても似つかぬものになってしまった。大失敗・・・

皮が命の餃子で、皮がまずくては話にならぬ。いかにしたら、美味い皮が作れるのか。餃子のために庭にニラを植えたと言っていた、仏語クラスメートの張さんあたりに聞いてみるか。同じくクラスメートの麟君も、コック修行中だ。中国人厨師として餃子の皮の作り方を知らないはずはあるまい。よし、月曜日だ!

ちなみに昨日のパーティは餃子だけでなく、雪だるまのチーズケーキも失敗した。レシピ通りに作ったのに、どういうわけだか固まらず、型を外したとたん、どろどろと皿から流れ出したのだ。切り分けようにも切り分けられず、しかし土台のチョコレートビスケット台だけは板のように硬く固まっていてサーバーでは切り取ることができず、もう踏んだり蹴ったり。
味は大変おいしく、お客さま方に大好評だったが、次回はゼラチンを入れた方がいいかも

伯母さんの誕生会

  • 2013/05/25 21:44
  • Category: 雑記
今晩、お義父さんの姉上であるところの伯母さんの誕生会をウチでやることになっており、昨日からせっせと料理に励んでいる。ラタトゥイユとリークのポタージュは8割方できあがり、デザートのベリー味チーズケーキは昨日、雪だるまが作った。今日はこれから水餃子を作る。皮は強力粉と薄力粉の半々、餡は当地にニラはなく、白菜も見当たらないので、見当たる野菜でてきとーに作る。雪だるま以外の出席者はベジではないので、豚肉入りバージョンも作る。皮から作るのは久しぶりなので、うまくできるかどうかわからないし、できたものがケベッコワばかりの客に受けるかどうかもわからないが、まあちょっとやってみる。餃子が包み上がったら、レンティルのサラダにかかる。これは作り置きしておくと水っぽくなっておいしくなくなるし、といってあまりに直前ではレンティル味がなじまないので、これまたおいしくない。1、2時間前にできあがり、くらいがベストかなと思う。

とまあ、せっせと料理をしているわけだが、考えてみると、なんで伯母さんの誕生会をウチでやるのか、いまいちよくわからない。息子も娘もいるのだから、そっちでやればよさそうなものだが、雪だるまが「やりたい」と言い、別段反対する理由もないので「OK」と言ったまでである。ま、伯母さんには常日頃けっこうお世話になっているし、お義父さんの姉上だから80×歳のはずで、理由を作っては頻繁に行き来するのは、よい事であろうと思う。

さて、餃子の皮でも捏ねるかね。

懐メロ

  • 2013/05/24 06:02
  • Category: 中国
先日、昔よく聴いていた歌がふと頭の中を流れ、なんだか無性に懐かしくなって、ようつべあたりで聴いてみたいと思ったのだが、何しろ20年も前のことなので、曲名もその歌を歌っていた歌手の名前も思い出せない。女性だったことは間違いないが、さて台湾の歌手だったか、大陸の歌手だったか、英語名ではなかったからたぶん香港ではないが、苗字すら思い出せないのでは検索のしようがない。しかし聴きたい。

そこで物は試しと覚えていた歌詞で検索したら、一発でヒット。曲名は『追夢人』でありました。ようつべで見ると、いろいろな歌手がカバーしているが、並んでいる名前を見て、私が聴いていたのは台湾の歌手、高勝美さんだったことも思い出した。中国留学前の数か月、文法の基礎と発音を教えてもらっていた杭州からの留学生、徐さんがテープを貸してくれたのだ。当然、他にもいろいろな曲が入っていたのだが、私はこの『追夢人』が一番好きで、中国語学習を兼ねてピンインを書き入れた歌詞カード片手に、テープと一緒にさんざん歌ったので歌詞を覚えていたのである。

ようつべに古代美人画入りのがあったので、貼り付けておく。『中文百科在線』によれば、この曲は“華語ポップスのゴッドファーザー”と言われる台湾のシンガーソングライター 羅大佑が、作家 三毛のために作った曲だと言うが、当時はそんなことは何も知らなかった。歌詞の意味もろくにわからなかった。それでもメロディーが好きで、ところどころ「こんな意味かな?」と思う歌詞も好ましく、だから留学先にも持って行って聴いていたのである。

もうひとつ、『哭砂』も好きだった。こちらは香港の歌手(と言っても、台湾生まれカナダ育ちだが)葉蒨文さんのCDで聴いていた。貼り付けたのは葉さんのではなく、『追夢人』と同じく高勝美さんが歌っているものだが、歌詞付きだし、歌詞に合わせた(?)海辺を歩く高さんの動画もついているので、こちらにした。

どちらの曲も90年代初めの流行歌で、私は好きだったが、華語圏における評価がどんなものかは知らない。歌詞の意味はおぼろにわかるが、その表現が使い古された陳腐なものなのか、それとも比較的洗練された、聞くに堪えるものなのかも、所詮中国語は外国語の私にはわからない。

たとえばの話、日本語ネイティブである私から見ると、演歌の歌詞は大部分、情に流され過ぎて救い難く陳腐であり、とてもではないが恥ずかしくて人前で聴いたり、歌ったりはできかねるが、香港で仕事をしていた当時、上司殿は東京に出張するたびにアメ横のCD屋に寄り込み、「演歌は歌詞が深いです」と言って、当時ですらほとんど懐メロの演歌のCDを買ったり、カラオケというと『北国の春』などを歌っていた。

それを横で見ながら私は「とほほ、なんでまた、よりによって演歌なのかね、上司殿・・・」と嘆息していたものだったが、上記2曲を含め私の好きな華語流行歌も、今の華語圏のワカモノから見れば、同じように「やれやれ・・・」の位置付けにあるのかもしれない。

かもしれないが、私にとって90年代の華語流行歌は、楽しかった中国留学時代を思い出させるものであり、その点でたとえ陳腐だろうと、古臭かろうと、やはり懐かしく愛おしいものなのだ。山口百恵さんの『夜へ』を聞くと、大学に入ったばかりの頃の春の夜道を思い出し、『インターナショナル』を聞くと、日本での仕事時代の“学習会”を思い出すのと同じだ。

ようつべのおかげで久しぶりに懐かしい曲を聞き、90年代初めの広州、広大な大学敷地内に建つ、コンクリート打ちっぱなしの留学生楼での生活をしみじみと思い出した。

散歩

  • 2013/05/21 23:25
  • Category: 雑記
昨日はまたMadame Bと散歩に出かけた。これで3回目か。昨日は祝日(ヴィクトリア女王の誕生日を祝うVictoria Day)で仏語クラスが休みだったので、一緒に出かけることができたのである。彼女は親切にも時々電話をかけてきて散歩に誘ってくれるのだが、だいたいは私がジムや仏語クラスに行く午前中のことが多く、なかなか都合が合わなくて何だか申し訳ないような気がしていたところだったので調度よかった。

1回目の雪道、2回目の雪融けびしゃびしゃ道を経て、昨日は曇り空ではあったが春の雪なし道。家々の庭にはチェリーやライラックの花が咲き、またそうした花がなくともタンポポだけはあらゆる庭で鮮やかな黄色い姿を見せて春の気分を盛り上げ(おかげでここ3、4日、空気中を大量のタンポポの綿毛が飛んでいる。去年よりずっと量が多い)、歩いていて誠に楽しかった。

会話の方は相変わらず、しどろもどろの仏語(私)と、時々適当な単語が浮かばなくなる英語(Madame B)との餡なしまんじゅう会話だが、そうした会話でも、たとえば昨日は“I’m wondering if…”は、“Je me demande si…”でだいたい置き換えられそうな感じであることを知ったし、ガソリンの仏語は“eccense”であることを思い出したし(ケベックでは英語のgasを使う人も多いので、つい忘れがち)、仏語とは関係ないが、126番街の角にDV被害者の女性のためのシェルターがあることを知ったし、ジェラニウムは5℃くらいまでなら軒下に出しておいても平気なことを知ったし、まあいろいろと有意義である。

帰りがけ、彼女の家のひろーい庭を見せてもらったが、ロシアン・ライラック(白ピンク)やジャパニーズ・ライラック(アイボリー)などいろいろな種類のライラックのほかに、前庭に放っておいてもよく増えるという小さな黄色い花を咲かせる多年草があり、「欲しければ、好きなだけ持って行って」と言うので、次回はぜひ小スコップとビニール袋持参でお邪魔したいものだと思う。私は手がかからなくて勝手に増えて、いつも元気な多年草が大変好きだ。ひ弱で気難しくて、すぐに病気になる植物は、いくら花が見事でも初心者の手に余る。毎日、毎日、「今日はだいじょうぶか?」と心配しているのでは、癒しのガーデニングどころか神経症触発ガーデニングになってしまう。

引き続き庭仕事

霜の心配がなくなったので、以前にも増して庭仕事に励んでいる。一昨日、昨日と例の一部ハダニがついてしまったパンジー、ヴィオラのうち元気なもの約70本を庭に定植。ついで直播きの花(シャーレー・ポピー2種、ナスタチウム、1年草のミックス、ワイルドフラワーズ)の種を蒔き、雪だるまが欲しがって立てた木製アーチに、買ってきたクレマチス4種の苗をポット植えして絡ませ(バラは病気になりやすい上、虫が付きやすく、ものすごく手がかかるという叔母さんの助言に従いクレマチスにしたのだが、小さい苗ですらすでに蔓同士が絡まり合っていて、ほどいてアーチに絡ませ直すのに一苦労)、合間に隣町のホームセンターに行ってセールになっていたホース・リールを買ってきて設置。しかし接続ホースがやや短くて、リールを地面に置いてデッキ奥の壁にある蛇口にホースを繋ぐと、ホースがいっぱいに引っ張られるためか接続部分からかなり激しく水漏れするうえ、肝心の水撒きに使用する方のホースも、リールの向きとホースを引っ張る向きが直角になってしまい、うまく伸ばせない。挙句の果てにリール自体がひっくり返ってしまったので、地面に置くのは諦め、えいやっとデッキに上げて蛇口に近いデッキの隅に置き、そこから庭にホースを伸ばすことにした。(この試行錯誤に30分以上、費やした。75fホースの重さと扱いにくさは半端ではない)、ついで玄関前のポットのうち上の2個用に買ってきたインパチェンスの苗を植え込みにかかるが、私が選んだ8本では数が足りないうえ、色と高さのバランスも大変に悪いことが判明して、自身のセンスのなさと頭の悪さを再確認して落ち込み、etc. etc. まあ、とにかくいろいろと忙しい。

そして当地での庭仕事とは別に、一応朝晩にはネットをチェックして日本のニュースを見るわけだが、個人のサイトで知る日本のようすと、googleやyahooなどのニュースピックアップで知る日本のようすが、どうも一致しない。もちろん私が日々読ませていただいている個人のサイトは、“私の好み”というフィルターがかかっているわけで、しかも“類は友…”で海外在住の方が多いから、各ポータルサイトの客観的(?)ニュースピックアップとは温度差があって当然ではあるのだが、各ポータルのニュースサイトに並ぶニュースは「こんなのがトップニュースか?」というような、平和なニュースが多くて、不快な現実からわざと目をそらし、どうでもいいようなニュースばかり並べているのではないかと勘繰りたくなる。

私自身、弱虫の意気地なしで、ついつい不快なことは見まい、聞くまいとしてしまうから、ひとのことを言えた義理ではないし、福島は大丈夫で、TPPは参加した方がよくて、橋下さんの発言もどうってことなくて、内閣支持率は70%台を維持して日本のみなさまは現在の政治に概ね満足なら、すでに20年日本を留守にしていて、在外選挙登録もしていない私には、ぶうたら言う資格などない。

霜の次はハダニ・・・

雪だるまに「霜対策に扇風機貸してくれる?」と一応聞いてみたのだが、「だめです。あれは高かったんだから。庭で使いたいなら、自分で安いのを買いなさい」と言われてしまったので、防霜対策に扇風機を使うのは諦め、前夜同様、段ボール箱と新聞紙の覆いで何とか頑張ってもらうことにした。調べてみたらチューリップは案外霜に強そうで、氷点付近の寒さが何日も続くのでない限りだいじょうぶらしいので、何かで覆うことを考えるのは止めにした。第一、青樅を囲うように100本、3列にぐるりと植えてしまったので、それら全部を覆えるようなものは手元にないのである。そしてムスカリも、もう蕾はなくて全部咲いているので「まあ、だいじょうぶだろう」とカバーなし。水仙はすでにシーズン終わりかけで、今さら覆ったところでどうなるものでもないので、こちらも無視。

というわけで百合2種、計8本に覆いをかけ、鉢植えなどは当然家の中に取り込んだ他は運を天に任せて就寝したが、今朝起きて調べてみると、幸い被害ゼロ。チューリップは花も蕾もダメージを受けた様子はなく、ムスカリも色あせることもなく元気に咲いていて、大変ほっとした。長期予報によれば、今日以降は時折寒い日はあっても0度近くまで下がることはないようすで、つまりはもうこれからは霜の心配はない。園芸界で言う“Last frost date”が過ぎたわけで、晴れて庭への移植や種まきができる。ああ、雪融け以降、どんなにこの日を待っていたことか!

しかし、ほっとしたのもつかの間、どうもここ10日余り様子がおかしいと思っていたパンジーにハダニを発見! 2週間ほど前に発芽用ポットから9センチポットに移したのだが、今ひとつ生育が思わしくなく、葉色が悪い。中には緑であるはずの葉に、細かい白い点々が出来ているものもある。最初は移植に使った園芸用土が悪かったのかと思ったが、今日、苗を陽にかざしてよく見たら、葉裏に白い蜘蛛の巣のようなものが付いている鉢がいくつもあり、ネットで検索してハダニ(spider mites)というものが付いているのだとわかった。園芸サイトによれば、どんな植物にも付く、極めてありふれた害虫らしい。高温・乾燥が好きで、水分が嫌い。駆除用のスプレーなども売っているが、オーガニックな駆除法がよいなら、ローズマリーのエッセンシャルオイルを希釈したものを、葉裏にスプレーするとよいらしい。

しかし、室内用の鉢植えなどに発生した場合、完全駆除は難しいので、その鉢は思い切って捨てた方がよいと書いている園芸サイトもあり、泣く泣く100鉢以上あるパンジー&ヴィオラを仕分けしてみた。すると完全健康体と思われる鉢はたったの30鉢余。残りは“明らかに感染”と“感染の疑い”が半々という無残な結果だった。もっと早く気づいていれば、もう少し救えただろうに、物知らずの初心者というのは悲しいものである。

園芸に励んでいるみなさん、愛する植物の鉢は葉裏もよく見て、ハダニに気をつけましょう!

霜注意報

先週前半は日中28度くらいまで気温が上がって「ったく、もう! 急に夏なんだから!」と汗をかきかき、庭にはびこったタンポポ退治に励んでいたのだが、鬼の攪乱後の木曜あたりから天気が崩れて雨がちとなり、気温もずんずん下がって、昨日はなんと最低気温マイナス1度。まったく当地は振幅ありすぎである。

おまけに今朝、天気予想サイトをチェックしたら、ページ上部に赤地に白文字の霜注意報がチカチカ。なんでも今晩、気温が凍結温度近くまで下がり、また無風に近いので霜が降りる可能性あり。霜に弱い植物には霜よけを施すがよろし、とのご注意である。

実は昨晩も、霜注意報はなかったが気温低下が予想されたので、私は伸び始めた百合の芽に段ボール箱をかぶせ、段ボール箱を被せられないところの芽には、昨秋の落ち葉をこんもりと被せて凍結防止に努め、今朝陽が出て来たところで、それを外したばかりだった。中の芽はなんともなかったが、箱はしっとりと湿り、庭の隅のルバーブの葉にはなんだかキラキラするものが付いていたので、注意報はなくても霜が降りたのかもしれない。

しかし本格的に注意報が出たとなると、今夜は百合だけではなく、他の花のところにもシートか何か、かけた方がいいかもしれない。せっかく芽を出し、あるいは花を咲かせかけているのに、ここで凍って死んでしまってはかわいそうである。ネットをチェックすると本格的な農家向けには「送風機で風を送る」(風があれば霜は降りない)とか、「火を焚くなどして暖房する」などの防霜対策が載っていたが、まさかウチでこれらを実行するわけにはいかない。昨年夏、雪だるまが例のハネのないタイプの扇風機を買ったが、あれを庭に置いて、ぶんぶん風を送るのはヘンだよなあ。面積広すぎるしなあ。


↓ これね。メーカーは違うんですけど


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おばさんち

  • 2013/05/11 22:29
  • Category: 雑記
鬼の攪乱のおかげで体重がコトリと500g減り、次のステージに移行。やれ、めでたやな。
3月末、胴体中央部がジャバ・ザ・ハットの顎と化していることを発見してダイエットを開始して以来、1か月半で2kgしか減量できていないのだから、牛歩どころか蝸牛の歩みくらいののろさなのだが、途中でイースターに貰ったバニーチョコを食べてしまったり、おばさんちにお呼ばれして肉なしとは言えチーズたっぷりのラザーニャや、ボリュームたっぷりのアップルパイを御馳走になってしまったりしていたのだから仕方がない。減ってるだけでも、めっけもの、である。

ちなみにこのお呼ばれしたおばさんち(正確にはお義父さんの従妹なので“従妹違い”または“従妹叔母”と呼ぶのが正しいのだろうが、耳慣れないし面倒なので単に“おばさん”とする)は、ウチから北西に40km余り。サン・モーリス川沿いの村にある、100年くらい前に建てられた雑貨屋を改造した、大変趣のある家だった。

今、日本で“雑貨屋”というと、おしゃれな台所用品や日用品を売る店がイメージされるが、ここでいう“雑貨屋”はgeneral store。小さな町や集落にあって、農機具から食料品、服地や靴まで、日常生活に必要なありとあらゆる物を売る、文字通りの“雑貨”屋である。『赤毛のアン』に出てくるブレアの店や、『大草原の小さな家』に出てくるオルソンさんの店あたりを想像してもらえばよい。

ただおばさんの家がある村は、人口たったの300人弱。別に急速に過疎化が進んでいるわけではなく、むしろここ15年は緩やかに増えているくらいなのにこれだから、1905年に村が成立した時の人口もさほど多かったとは思えず、したがって雑貨屋も小規模。店だった部分は、今おばさんがキッチン兼ダイニングに使っている部分だけだそうで、5m×5mくらいだろうか。その他に居間やトイレ他だった部分があり、2階もあるが、合わせてもさほど大きい家ではない。

現役時代はモントリオールで医療関係の仕事に就いていたというおばさんは、リタイア後の生活の地として、もともと息子の一人が夏の別荘として所有していたこの家を譲り受け、昔ながらのがっしりとした梁がよく見えるようにしたり、後の時代に貼られた壁紙をはがして元の板壁を出したりと、建築当時の趣を生かすべく改造。この改造は今でも続いているそうで、「天井にペンキを塗ったりするのは、ほんと腕が疲れて大変」だそうである。その上でおばさんは、趣味で習っている自作の油絵や、動物画家である先生が描いた絵、自身が気に入っている絵などをそこここに掛け(吹き抜けになっている食堂上部の壁に掛けられた大きな半抽象画は、ことによかった)、旅行で行ったアジア各地で贖った帽子や布袋などの民芸品の鮮やかな色彩を配して、全体として大変明るく楽しい雰囲気の家に仕上げていた。インテリア雑誌のページのような、きれいに整い過ぎた無個性な家ではなく、住んでいる人の楽しさがわかるような家、そこにいると気分が上向くような家で、私はあちこち見て歩くだけでうきうきした。

そのほかどこまで続いているのかよくわからない庭には納屋や氷室(冬、凍ったサン・モーリスから氷を切り出し、この氷室に保存して、夏場の冷蔵に使用したそうな)があり、鳥がたくさん集まってくるバードフィーダーがあり、玄関先からちょっと下ればサン・モーリスが流れ、と誠にのどかな田舎の風景。

おばさんが引っ越した3年前にはインターネットへの接続もできず、ケーブルTVもなく、モントリオールでの生活に比べ不便な点もあったが、今ではどちらも利用できるようになったし、週に1度ずつ絵とヨガと太極拳を習いにあちこちに出かけ、それ以外の日は家の改造をぼちぼち続け、と楽しい毎日だそうである。数か月前、別の伯母さんの家で初めて会った時からよい印象のおばさんだったが、今回お宅に訪問してますます好感を持った。「Girl talkしたくなったら、電話してね」と電話番号をくれたが、このおばさんとなら楽しいかもしれない。

転んでもただでは起きない

  • 2013/05/09 21:55
  • Category: 言葉
昨日は目が覚める以前から「頭が痛いなあ」と夢うつつに感じていたのだが、6時半にぱちりと目が覚めた時には、その夢うつつの頭痛ははっきり現実になっており、震度7くらいの勢いで頭の中を揺らしに揺らしていた。しかも立ち上がったら、吐き気もあることがわかってトイレに直行。頭痛は珍しくもないが、吐き気は1年2か月ぶり。暑い中(ここ4、5日、当地は日中28度くらいまで上昇。3週間前までは雪があったくせに、まったくケベックってところは・・・)で連日庭仕事に励み過ぎて疲れが出たのか、まあ鬼の攪乱てやつですな。

とりあえずイブプロフェンを400mgのんで、またベッドに戻った。さすがに起きて庭仕事をする気にはなれなかった。恒例、朝のタンポポ退治はお休み。水曜だがら午後には仏語クラスがある日なのだが、この時点ではクラスに行く元気もなし。

しかしイブ400mgの威力か、9時半にもう一度目が覚めた時には、頭痛も吐き気もだいぶ治まっており、起きて庭に蒔いたばかりの種に水遣り。室内と違って、庭は朝晩水を遣らないとあっという間に乾燥する。ここで干からびさせては元も子もないので、頭痛だろうが何だろうが、水は遣らねば。で、水遣りを終えてまたベッドに戻り、11時までうとうと。

私の頭痛や時折のけろけろには慣れきっている雪だるまは、11時に階下に降りた私を特に心配するでもなく「当然、クラスには行くんでしょ」という顔をしているし、体調もだいぶましになっていたので、11時半に朝ごはんのメープル味ミューズリを食べ、歯を磨き、服を着替えてふらふらとクラスに出かけた。体調説明のフランス語が、ばっちり現在学習中の複合過去と半過去の使い分けに合致して、怪我の功名というか、転んでもただでは起きないというか。そういえばvomir(吐く)は、こないだ貰った第2群規則動詞(IR動詞)のリストにあったねえ、とも思い出す。

Ce matin, j’avais mal à la tête. (今朝、私は頭が痛かった;状況/状態の説明なので半過去を使う)
J’avais mal au cœur.(私は気持ちが悪かった;上に同じ)
J’ai vomi.(私は吐いた;“吐く”という行為なので、複合過去を使う)

幼稚園児のような作文だが、ま、説明にはなる。

恋愛映画はつまらない

  • 2013/05/07 11:04
  • Category: 映画
最近、以前にも増して恋愛映画に対する受容度というか、忍耐心が減り、惚れたはれたにまつわるあれこれがつまらなくて、見ていることができない。

一昨日もポルトガル映画『Tabu』を見ていたのだが、第1部のリスボンを舞台とした認知症気味の老女とそのお手伝いである黒人女性、老女を気遣う隣家の婦人を巡って話が展開していた間は、あまり見ることのないリスボンのアパート風景や街の様子などが物珍しく、淡々とした白黒の映像も静かで好もしく、面白く見ていられたのだが、第2部になって、老女の過去、アフリカで農場主として生活していた彼女と夫、彼女の不倫相手だった若いミュージシャンが話の中心となったとたん、出会いから人目を忍んでの逢引き、一時の別れとそれによってより募る恋情といったお決まりの展開に退屈を禁じ得ず、それにも増して恋愛によって引き起こされる熱情、歓喜、焦燥といった人間の感情の動きに少しも感情移入できず、馬鹿馬鹿しく面倒くさくてうんざりしてしまった。

その前にフランス映画『Le rouge et le noir』を見た時も同様。かの有名なスタンダールの小説をTV映画化したものなのだが、ジュリアン・ソレル役のKim Rossi Stuartが元トップモデルを母に持つだけあって文句のつけようのない美貌で、しかしいかにも底の浅い美しさが後々ろくなことにならなそうな予感をひしひしと感じさせる点、役柄にぴったりだったし、レナール夫人役のキャロル・ブーケも特に難はなかったのだが、それでも二人の恋愛場面では「あーあ、人妻と恋愛したところでどうなるものでもなし。立身出世したいなら、もっと計算高く、先の先まで考えて動けよ」と、つまらない色恋沙汰に足を取られて自らを危険にさらしているジュリアンがお馬鹿に思え、その後のマチルダとのどたばたに至っては「こんな気まぐれな女を相手にしてどうする? こんなのとかかわっていると碌なことにならないぞ!」と、またもや惚れたはれたで身を誤りそうになっているジュリアンにげんなりし、愛想が尽きた。事実、原作ではその後ジュリアンは碌でもないことになるのだが、映画の方のジュリアンがどうなったかは知らない。阿呆らしさに見るのを止め、庭に草むしりに出てしまったからだ。色恋沙汰で身を誤る青年の話を見ているくらいなら、庭の雑草でも抜いている方がよほど生産的である。

小谷野敦氏だったか、「もてない男」あたりで現代の恋愛至上主義を、やっかみ半分批判していたように記憶しているが、まったく氏のおっしゃる通り、現代は映画も小説も歌曲も恋愛至上主義。色恋がなければ夜も日も明けない感じだが、恋愛ってそんなに御大層なものですかねえ。恋愛は、やっている当人にとっては寝食を忘れるほど面白いものであることは私自身過去の経験からわかってはいるが、とどのつまり色恋沙汰というのは一時の気の迷いであって、大方の場合、面倒と迷惑しか引き起こさないのである。動物でいうところの発情期にある10代、20代の人間が、ホルモンの作用による色恋の感情に呑み込まれて身を誤るのは致し方ないとして、30代以降であるなら少しは自らのホルモンと感情をコントロールする方法を学び、恋愛なぞよりもう少し有用なことにジンセイの時間とエネルギーを使うべきではないか。その方が“愛”などよりよほど効果的に地球を救えるような気がするが。

すくすく 2

4月中旬にはまだ庭に雪が残り、「まだ冬は終わっていないぜぇ」と言わんばかりに朝晩は零下に下がることも珍しくなかったのに、その後20日前後に雪が消えたと思ったら、あっという間に草木が芽吹き出し、鳥のさえずりが高くなり、春爛漫という雰囲気になってしまった。なんだか自然界全体が全力で春に突入している感じである。当地は春夏が短いから、草木も鳥も「急がないと咲く暇が/子どもを産み育てる暇がなくなる」と骨身にしみていて、それでうおおお!という勢いで全力疾走しているのかもしれない。

4月中旬はたまにちら、ちらと姿を見かけるだけで、あっと思う間もなく消えていたチッピーも、ここ2、3日は頻繁に庭に出現し、鳥がこぼしたヒマワリのタネをせっせとかき集めている。おかげで撮影に成功。


遠くからだんだん近づいて(チッピー、こちらに気付く)

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が、無視 (「エサの方が大事だ」)

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ひたすら無視 (「ヒマワリのタネはおいしいな♪ あ、ここにもあった!」)


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このチッピー、しっぽの短さから去年一番私たちに慣れていた#2かな?と思ったが、デッキに寄ってこないし、あれほど好きだった殻つきピーナツにも目もくれないので、違う子なのかもしれない。あるいは冬眠している間に、去年の記憶は彼の小さい脳みそからするすると抜け落ちてしまったか…


そのほか、水仙はすでに先が黄色く色づいて今にも咲きそうな勢いだし

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ライラックも葉が芽吹いてきた

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ルバーブ畑にも新たな赤い頭が出現し

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この間チラリ緑の葉が見え始めていた赤い頭はすでにその葉を広げ始め、隣にも赤い頭

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この時期の庭は、1日で驚くほど変化する。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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