季節外れではあるが

例のmichiyoさんヴェストが編み上がった後、2、3日は余り糸ですべり目を多用するカウルを編んでいたのだが、それも終わったので昨日から夏糸で半袖のセーター“Gemini”を編み始めた。なんで今から半袖、しかも夏糸かというと、手持ちの糸でセーターが編めるくらい玉数があるのが、それだけだからである。今週、Yarnspirationが25%オフ&フリーシッピング・セールをやっていて、珍しくカナダまでフリーシッピングの対象になっていたので、喜び勇んでお気に入りのPayton Kroy FXを10玉注文したが、ポチったのがさっきなので、当然まだ届いていない。たぶん1週間くらいかかるので、その間の暇つぶしが必要である。仕方がない、時季外れだがサマーセーターでも編むか、ということである。

ちなみに“Gemini”を編むのに使っているのは、Knit PicksのCotLin。DKウェイトで綿70%、麻30%。“クリームブリュレ”という美味しそうな名前に惹かれて春先に買ってみたのだが、届いた糸はクリームブリュレだとすれば最後バーナーで焦がし過ぎた感じで、クリーム色というより黄土色に近く、編む予定だったものとイメージが合わなくなってしまったので、そのまま引出にしまい込んだままになっていたのだが、今回、ほかに糸がなくなったので、いまいちな色には目をつむって引っ張り出してきた。Geminiは可愛い度が低いから、このやや汚なめな色でも何とかいけるだろう。

ところでGeminiは、ひとさまのブログを拝見していて見つけたパターンである。素晴らしい編み手の作品を拝見するのが好きなので、暇があるとあちらこちらの編み物ブログを徘徊し、カリスマニッターと呼ばれる方々の技術とセンスと編むスピードに感心しているが、そこで拝見した作品を自分でも編んでみようと思うことはほとんどない。Geminiは例外である。

なぜ編もうという気にならないかというと、どういうわけだか作品、文章ともすてきな編み手の方々はみなほっそりと華奢で、つまりそういう細長い方々が着てきれいに見えるデザインは、根性はないが体型だけは体育会系(過去10年ベンチプレスで鍛えた逞しい肩と上腕、背中に浮き上がる広背筋)の私には、泣きたくなるほど似合わないからである。レスリング女子が、繊細な透かし模様のカーディガンとか、身体にぴったりくっつくニットドレスとか着たところを想像したまえよ。審判(ファッションポリス)によるイエローカードどころか、場内ブーイングの大嵐。とてもではないが、着る気にも、編む気にもなれない。

ったく、背が低いのは仕方がないとして、せめてもう少し骨細のほっそりした体型に生まれたかったと思うが、思ったところで今さら叶うわけはないので、Ravelryなんかを見ながら編めそうで着られそうなパターンを探すわけだが、さて肩幅広く、上腕太く、スリーサイズほぼ同じの板こんにゃくのような体型が着て似合うデザインて、何だろう。紳士物か?
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ああ、面倒くさい

  • 2013/09/28 10:58
  • Category: 雑記
珍しくメールではなく封書が届き、しかも親展などと書いてあるので何かと思ったら、昔働いていた香港某証券会社(X社)からの「過去2年間お取引がないので、これからは口座管理手数料を頂戴しますよ」というお知らせだった。

はて、私がこの会社で作った口座は、上司殿が首になり、私が退職してカナダに移った後は次席殿の担当となり、その後次席殿が大陸系のY社に移った際に、一緒にそのY社に移管したはずだったが、まだ何か残っていたのだろうか? あまり昔のことなので、もうオンラインでX社の口座にアクセスする方法も忘れてしまい、何が残っているのだか自力では確認できず。

メールで次席殿に聞きたいところだが、次席殿はX社からY社に移ってはみたものの、大陸系はやはり働きづらかったのか、半年ほどで今度は台湾系のZ社に移ってしまい、Z社では書類郵送による口座開設は認められず、客(私だ)と担当者(次席殿だ)との面談が義務付けられていたので、カナダ住まいの私は口座を開くことができず、つまりこの度は次席殿の移動に合わせて私の株を移管させることはできず、よって私の株はY社に置き去り。社員でなくなった今となっては、いくら次席殿でもX社やY社に電話して、それぞれの私の口座に何が残っているのか聞くわけにはいくまいし、やれやれ面倒なことである。

しかし口座管理手数料を徴収されるとなると(空っぽのはずの口座から、どうやって徴収するのだ?という問題はあるにせよ)、放ってもおけない。面倒くさいが、月曜になったらメールでもしてみるか。S社に置き去りの株もなんとかしなければならないが、正直、2年も放りっぱなしだと自分が何を何株持っていたのかすら覚えておらず、古い方のPCを立ち上げて昔の記録を引っ張り出す始末。もともと証券会社勤務とはいえ株の売買に熱心だったわけではなく、ただ会社&上司殿が奨励(そう、香港の証券会社は社員の取引を奨励するんです。社員だろうが何だろうが、取引量が増えれば、会社の手数料収入も増えますからね)するから、その時々にウチの課がプロモートしていた銘柄をお付き合いに買い、それが過ぎると売っていただけで、買った銘柄に特に思い入れがあったわけではないから、忘れるのも当然といえば当然。

ちなみに記録を元に最終的に持っていたのはこれだろうと思われる銘柄(5銘柄だけ)の現株価を調べてみると、買値より上がっているのが2つ。下がっているのが3つ。もっともこの3銘柄のうち1つは、数年前、会社幹部による横領が発覚して事業停止/取引停止状態となり、株は紙クズとなっていた銘柄だから、今、値が付いているだけでもめっけもの。保有5銘柄の差し引きで考えれば、大儲けもしていない代わり、大損もしていない。放りっぱなしでこれなら、まあいいか、というところだが、永久に放りっぱなしというわけにもいくまいから、いつかは何とかしなければ。次に日本に行った時、ついでに香港にも行って、売るなり、移すなりせねばなるまい。ああ、面倒くさい。

下手なニッターが編むと楽しいデザインもこの有様

だんだん寒さが増してきて花もトマトも終わりに近づき庭仕事の閑散期に入ったので、この1週間ばかりはmichiyoさんの『編みやすくて心地いいニットのふだん着』(文化出版局)から、Aのヴェストを編んでいた。他にもいろいろ編みたいものはあったのだが、まずは去年ネットで買ってセーターを編んでみたものの、とろりとした糸の雰囲気とVネック、ラグランというマニッシュなセーターのデザインがどうも今ひとつしっくり来ず箪笥の肥やしになってしまっていた糸、MirasolのQINAを何か他の物に編み直してちゃんと利用するのが先と、「はろー、はろー」と私に秋波を送るMoroccan NightsFriday Againの前は目をつむって走り抜け、michiyoさんヴェストを編み始めたのである。

同本をお持ちの方や、どこかで写真をご覧になったことのある方はご存じと思うが、このヴェストはなかなかユニークなデザインで、前と後ろで身頃の幅が違う上、肩線は極端な斜め、袖開きは肘のあたりとなっている。変わったデザインではあるが、モデルさんの着用写真(アマ○ンの「なか見!検索」でご覧になれます) を見ると、肩から肘まですっぽり包まれ、ほっこりと暖かそうでなかなかよろしい。必要な糸量やゲージもQINAに合う。「おし、これにしよう!」と、さっそく左前身頃から編み始めた。

なにしろ使われている技法は表目と裏目だけ、そして簡単な減らし目があるだけなので、編みはさくさく進む。QINAはベビーアルパカ80%、バンブー20%なのでしっとりと柔らかく、手ざわり上々、ほんわりと幸せな気分で編めることも、進度に貢献した。途中、平編みでの一目ゴム編みは、私が普通に編むと呆れるほど目が揃わないことが判明したので、家鴨衛門不逞記さんが紹介しておられる“一目ゴム編みの上掛け”法を有難く借用させていただいたが、ほかはテキストの通りで変更点なし。ちゃんと数えながら編んだので目数や段数を間違えることもなく、左前、後、右前の各パーツはするすると順調に編み上がった。

そして「あとは身頃同士をくっつけて、袖口と前立てを編むだけだ♪」と、ある日の朝、勇んで肩と脇のすくいとじを始め、なにしろ並太の糸なので、すくうべき渡り糸は簡単に見つかり、やっている間は特に問題を感じなかったのだが、「さて、出来た」と身頃同士をくっつけた段階で、ちょっと羽織ってみて愕然! 直線の脇はよろしいが、長い斜めの肩線がガタガタ。ドレープ性のある糸で、重みで編み目が広がることもあって、ガタガタの綴じ目が「これでもか!」というほどはっきり目立ち、もう素人の手仕事であることが歴然の惨憺たる有様。あまりのことにもう一度やり直してみたが、結果は「さっきよりややまし」になった程度で、ガタガタに変わりはなし。

諦めて袖口と前立てのゴム編みにかかったが、こちらも短い上、輪編みにした袖口は荒が目立たないものの、ながーい前立ては拾い目した線が悲しいほどガタガタで、しかも重みでゴム編みの目がびろりと広がってしまい、とても外に着て行ける出来ではない。我ながら、己が技量の無さに思わず天を仰いだ。

考えてみると私は今まで靴下とか帽子とかトップダウンのセーターとか、綴じはぎの要らないものばかり編んでいて、綴じのあるセーターを編んだのは、もしかすると二十×年ぶり。しかも当時はごく普通の型のセーターを編んでいたので、長い脇は直線、やや斜めの肩線は短く、綴じの下手さが目立ちにくかったのだと思う。しかしこのmichiyoさんのヴェストは、減らし目で作った長い斜めの肩線同士を綴じ合わせるデザインで、技量の高低が一目瞭然。綴じの下手な初心者ニッターには過酷な1枚であった。ううう。

編み物ブログでは着画を載せるのがお約束のようだが、今回、上記↑のような惨憺たる出来であるし、そもそもたとえちゃんと編めていたとしても、私が着た写真などを載せては、それでなくても多くもない拙ブログ読者がますます減ることは火を見るよりも明らか、なので、下手なニッターが編むと楽しいデザインもこの有様ですよ、の見本に平置き画像を1枚だけ。悲しすぎるので、編み地のアップはご勘弁の程を。


IMG_3997.jpg


後日
外に着て行けない出来なので、ウチの中でぼつぼつ着ているが、うーん、このヴェスト動き回る時には向きませんな。なにしろ袖開きが肘のあたりなので、腕が上がらない。極端に斜めな肩線は、超なで肩の私にはぴったりだが、着ているとだんだんずれて、肩からするりと落ちてしまう。(これは他の方も書いていた) たっぷりした身頃は、いろんなところに引っかかる(ドアノブ、引出の取っ手、テーブルの角etc.)
しかしたとえばソファに座って編み物とか、ベッドの中で読書など、動きの少ない場面では、背中から肩にかけてぬくぬくと暖かく、大変重宝。欠点ばかりではありませぬ。第一、デザインは楽しいし。
ただ、編まれる場合、色選びは慎重に。モデル写真同様、濃いめの色の方がおしゃれかも。くすんだ灰色で編んだ私のヴェストは、お爺さんの甚平さんみたいです。

『Ernest et Célestine』

  • 2013/09/23 11:25
  • Category: 映画
Pixarやディズニー、ジブリなどの作品を見ていると、CGのおかげか風景/背景の描写がますます緻密になってきていて、特に水、川や海を描写する表現力には本当に感心する。ファンタジー系のアニメだったりすると、月光の下、細かい波が立ち、銀片を散らしたようにきらめく川面や、バイキングの船が行く北の海の、重さを感じさせる冷たく深い藍など、本物以上に本物的で、それだけでぐうんと惹き込まれるが、惜しむらくはオハナシが今ひとつ。アニメはだいたい子ども向けだから、勧善懲悪ハッピーエンドのわかりやすいお話になるのはやむを得ないところであるのだけれど、どれもこれも少年成長物語(何らかの欠点がある少年または少女が、課せられた使命の達成に向け友達の助けを借りつつ数々の困難を乗り越えることにより成長する)のバリエーションなのは、いかがなものか。特に米国物だと主人公や主人公を取り巻く脇役のキャラまでほぼ同じ(自信がなく消極的な主人公と、鼻っ柱の強いオトモダチ)で、時代や舞台設定は違っても、中身はほとんど金太郎飴。おかげでどれを見て、どれを見ていないのだが、わからなくなる。

そんななかで一昨日見た『Ernest et Célestine』(2012年 仏・ベルギー)は、ちょっと表現の方向が違っていて面白かった。ベルギーの作家兼イラストレーター Gabrielle Vincentによる同名の絵本をアニメにしたものらしいが、まず絵がほのぼのの可愛らしい。いかにもCGといった実写そこのけの精緻な絵ではなくて、水彩画をそのままアニメにしたような、やわらかな色と線。
それが地下のネズミの国に住むネズミの女の子 Célestineと、地上の熊の国に住むフーテンの寅さんみたいなクマErnest との交流を描いたこのお話にふさわしく、見ているこちらまでやさしい気持ちになる。


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ゴミ缶の中で眠ってしまったCélestine



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大道芸人(?)Ernest


ストーリーはまあネタバレになるので書かないが、Célestineが暮らす孤児院の、やたら天井が高く、どどーんと広い部屋に小さなベッドがたくさん並んでいるようす、そこでちょろちょろ動き回る寝間着姿の子ネズミたちの愛らしさ、地上は熊の国のはずなんだけど、街並みはなんだかパリみたいで、そこを歩いているクマは洋服を着ていて、クマのマダムに至ってはお帽子も被っていて、なんだかちょっとお洒落なのだ。そしてネズミとして真っ当にして唯一の職業である歯医者じゃなくて絵描きになりたいCélestineが、心のままに描く絵もなかなかすてきなのだ。

米国アニメがチョコチップクッキーだとすれば、これはドラジェかマカロンか。
繊細にして軽やか。

これはPQ(ケベック党)の仏語強化政策の一環か

  • 2013/09/20 08:45
  • Category: 言葉
いやはや、えらいことになった。

昨日は例の今期の仏語教室の説明会の日で、私も久しぶりに車を運転してダウンタウンまで出かけたのだが、集まった受講希望者を前に学校のダイレクターが嬉しそうに言うには「今期は1週間の授業時間を、昨年の週6時間から、週12~15時間に増やせることになった。12時間にするか15時間にするかは、みなさんの意向による」とのことで、さっそく端から意見を聞いたら、私以外の全員が週15時間(!)を希望したのである。がーん!

しかも時間帯は、1日おきに午前/午後に振り分ける案1、毎日午前中の案2、毎日午後の案3とあったうち、僅差で案2に決定。
つまり私たちは今期、月曜から金曜まで1日の休みもなく毎日、朝9時から12時まで、みっちり授業を受けることになったのである。昨年の週2回、ちょろちょろと3時間ずつの授業に比べ、なんという充実! ほとんどフルタイムの学生みたいで、私など始まる前から「息切れしそう…」ともうぜいぜいしている。

昨日は別に自己紹介も何もなかったので、各受講希望者の年齢とか出身とかはわからなかったが、ざっと見たところ20代~30代くらいの若い子が多いように見受けられ、だとするとこれから仕事を探したり、子どもを育てたりと、いろいろ忙しくなることは目に見えており、いったい何人が毎日休まず学校に来続けられるのだろうと思うが、昨日はみなさん熱心に「15時間がいい」と言い、ダイレクターの「コースの維持には、みなさんの積極的な参加が必須です。仮に参加者が少なくなり、生徒数が5、6人になってしまった場合、15時間の授業数を維持することはできません。だいじょうぶですか?」という問いにも、みな真面目にこくん、こくんと頷いていた。

仕事をリタイアして毎日ひま、面倒を見なければならない子供も老親もなし、したがって昨年は病院に行くために1回休んだほかは毎回授業に出席し、遅刻すらしなかった超ひま&真面目学生の私ですら「毎日、行くのか?」と青ざめているというのに、若くて、遊びたい、楽しみたい盛りで、しかも仕事も探さなくてはならない子たちが、毎日休まず9時に教室に現れることができるとは、正直、私には思えないのだが、まあ20人近い生徒がいるようだから、たとえ入れ代わり立ち代わり誰かが休んでも、代わりに他の誰かが出席していれば、必要な頭数はなんとか維持できるだろう。要は十人以下に減らなければいいのだろうから。

それにしても10月から毎日午前中は学校か。今までは週3日、空いている午前中にジムに行っていたのだが、この予定も変えねばならぬな。通常の起床時間が9時近い雪だるまとは、朝顔を合わすこともなくなるわけで、下手をするとヤツはお昼ごろまで起きないかもしれないな。夫婦間の時差がますます進むぜ。

とまあ、冗談はさておき、真面目な話としては、毎日3時間フランス語漬けになれるのはいいことだ。これで遅々として進まぬ我がフランス語も、少しは進歩するようになるかもしれぬ。そのうちお義父さんとフランス語でお話しできるようになるだろうか?

お湯は気持ちがいい

  • 2013/09/18 09:55
  • Category: 雑記
1週間ぶりにシャワーを浴びた。今、大変たいへん気分がいい。程よく暖かいお湯を全身にじゃぶじゃぶ浴びるのは、なんて気持ちがいいんだろう!と思う。

先週バイオプシーをした時、最後の注意という感じで「あ、シャワーは1週間は駄目です。傷口を濡らしてはいけません。お風呂はいいけど、シャワーは×ね」と言われて、思わず「えーっ!」と声を上げてしまったのだが、看護師さんは笑いながら「来週の火曜になったらシャワーに飛び込んで、好きなだけごしごしやっていいから」と言い、「真夏より、まだましよ」と私に替えの絆創膏を渡して、バイバイと行ってしまったのだった。

確かにこのところ大変に涼しくて(というか寒くて)、今朝の気温なんか0.8℃、日中でも20℃に達しないくらいだから汗ばむこともなく、1週間くらいシャワーを浴びなくてもなんてことはないのだが、シャワーというのは私にとっては1日の流れの中の句読点、疲れた目を休め、凝り気味の首筋をほぐし、という眠る前のリラックスタイムみたいなものなので、それがないと何だか1日の区切りがつかず、どうも中途半端でいけない。

もちろん衛生という点では、シャワーがだめでも顔や手足は毎晩お湯で洗っていたし、髪はキッチン・シンクで洗っていたし、身体はタオルで拭いていたから別に不潔にしていたわけではないのだが、タオルバスではやはり、リラックスという感じには全然ならないのである。

(傷口を濡らさなければ)お風呂はOKと言われたが、ウチのバスタブは完全に飾り物で、ここに住んで2年になるがまだ1度も使ったことがない。なにしろバスタブはひろーいバスルームの真ん中にでーんと鎮座していて、どうみてもその容積はウチの給湯器の容積の倍くらいはありそうで、つまり給湯器をカラにしてもバスタブには半分しかお湯が張れなそうで、「お湯半分のバスタブに、腰だけ浸かってるのは寒いだろーなー」と思うと、湯をためてお風呂に入ってみようなんて気には全然ならないのである。私は古い日本人でありますから、風呂に入るからには湯気がもうもうと立ち込める中、熱いお湯に肩までとっぷり…というのでなければいやであります。生ぬるいお湯に腰だけ浸かってぴちゃぴちゃ、なんてイギリス人みたいな真似はできません。それくらいならシャワーの方がましであります。

というわけでカナダに来てから、まだ一度も風呂に入っていないのである。この2年間で風呂に入ったのは、日本と香港に旅行した時だけ。

なんかちょっと話がずれたが、まあとにかく、わたしは今、大変気分がいい。全身洗いたてのこの気持ちよさ。ああ、極楽。


七面鳥皿

  • 2013/09/16 11:09
  • Category: 雑記
先週金曜、何か月ぶりかで隣の市にお買い物に行った。
CostCoのメンバーズカードが来たので、同店で買い物するのが主目的だったのだが、その前にお気に入りのキッチン&インテリア・ショップにも行った。先日、普段使いの皿同士をぶつけて、2枚とも縁をチップしてしまったので、代わりが欲しかったのである。

傷物にしてしまった皿は薄手の白で、縁に2本入ったコバルトブルーの線が、すがすがしい夏の朝にぴったりな爽やかさだったのだが、しかし代わりを探しに行った店の食器コーナーで私の目に留まったのは、それとは似ても似つかない鈍重なイギリス製の皿だった。

遠くからはただの地味な茶色に見えたその皿は、しかしそばに寄って手に取ってみると、30センチ近い皿の真ん中から、大きな七面鳥がギロリとこちらを睨んでいる何とも変わった絵柄の皿で、しかもその七面鳥が相当醜い。びろびろと垂れた肉垂は気色悪く醜悪だし、三白眼風の目つきは陰険。およそ可愛げがない。メインが七面鳥で、周りにリンゴやらベリーやら花が散らされているところからみて、もしかすると感謝祭を意識したパターンなのかもしれないが、ハレの日用の皿にしては絵柄がやや不気味。(第一、イギリスに感謝祭はあるのか?)


↓ 全体図

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↓ 妙に写実的な七面鳥


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↓ リンゴ(?)とベリー。そしてイギリス風のコテージ

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あんまりヘンなので、一旦は手に取ってみたものの早々に棚に戻した。
しかしおかしなもので、他と違ったものは妙に心に残る。茶系の色はちっとも爽やかではないし、ぼってりと厚手の地も夏には向かないし、つまり傷物にした皿の代わりとしては全くふさわしくないのだが、七面鳥の醜さと洗練とは程遠い色柄が逆にこちらの酔狂を刺激し、なんだか妙に気になって気になって仕方がないので、もう一度棚の前に戻ってもう一度手に取り、つくづくと眺めたのち「たまにはこういうヘンなのもいいだろう」と、意を決して2枚だけ買ってきた。

そしてその日からさっそく使い始めたのだが、予想に違わずこの皿はなかなかの曲者。なにしろ何を盛っても美味そうに見えない! ダール(黄色系)、野菜炒め(緑系)、トマトソースのスパゲティ(赤系)、トースト(茶系)と、いろいろな物を乗せてみたが、どれもこれも見事に見栄えがせず、呆れるほど不味そうに見える。どうも皿の茶色が盛った食物の色合いをくすませ、鮮度を下げて見せるらしいのである。

思えば私は昔、鮮やかな黄色の皿や、つやつやした黒の皿を持っていたことがあって、これらの皿に色よく茹で上げたインゲンや、真っ赤なトマトを切って盛ると、色の対比で実際以上に美味そうに見えたものだったが、この七面鳥皿の効果は、それとは正反対。いやはや、あっぱれなり。

あんまり不味そうに見えるので却って面白くなって、以来、毎食この皿ばかり使っている。ヘンなものは面白い。

今年は2クラス?

  • 2013/09/14 10:37
  • Category: 言葉
一昨日ジョゼから「来週水曜18日に、2013/14の仏語クラスの説明会をやります」との連絡があった。8月末に学校に電話して聞いた時には20日(金)と言っていたのだが、予定が変わったのか、はたまた学校が持っていた情報が間違っていたのか。まあよくあることなので、先生が18日というのなら18日に出かけていこう。

ジョゼによれば、今年は学生の数が多いので、レベル別に2クラスに分けて授業ができそうとのことで、もし本当にそうなれば、去年のようにアルファベもまともに言えない超初級者も、日常会話程度は喋れる人も全部いっしょの1クラスという編成よりも、教える方も教わる方も楽だろうと思う。

それにしても2クラス作れそう、ということは少なくとも20人近い生徒候補者がいるということで、ウチの町のあたり、以前より移民が増えているんだろうか? 隣の大きな市はともかく、ウチのあたりを歩いている限りでは特に移民が増えている感じはしないのだが、一目でそれとわかるアジア/中南米/アフリカ系(visible minorities)はともかく、コケイジアンの移民は外見からはわからないので、何とも言えない。

個人的には、田舎でも少しずつ少しずつ、元からの住人に恐怖感や危機感を抱かせない程度のペースで移民の流入が進み、「あれ?」と気が付いたら田舎でもあちこちにノン・ホワイトの顔が見られるようになっていたというのが理想かと思うが、今のところvisible minoritiesの比率はカナダ全体で20%、5人に1人程度(2011年統計) 移民の大多数は大都市近郊に居を定めることが多いから、田舎での比率はもちろんこれより低い。

去年のクラスでは最終的に残ったのは、ギリシャ1、キューバ2、レバノン1、中国3、フィリピン1、コロンビア1、日本1だったが、さて今年はどうか。もっといろいろ増えると、面白いんだがな。

バイオプシーで痛いのは首です

さてさて昨日はバイオプシーの日でありました。首が痛くて、死にそうでありました。

左胸に疑わしいカルシウム・デポジット(カルシウムの沈着/石灰化?)があるので、針を刺してデポジットを全部吸い上げ、組織を検査しましょうということだったのだが、何しろ胸の部分に穴が開いたベッドの上に俯せに寝る姿勢で1時間以上固定!なものだから、ノボケインを打たれて針を刺されようが何をされようが、羽で撫でられた程度にしか感じない左胸(そう、gelerはやはり麻酔する、でありました。凍らせる、でなくてよかったよ)はともかく、硬いボードの上で右を向いたまま動かせない首が、途中からぎりぎりと痛くなって参った。ちょっとでも向きを変えられれば大分ましだったろうと思うのだが、首(=頭)を動かせば当然肩や胸部も動いてしまい、せっかく15分以上かけて適切な位置に固定した左胸がずれてしまうので、動かすことはできないのだった。幸か不幸か、昨日はバイオプシーの担当医や担当看護師2人の外に他科から移動してきたばかりで手順研修中の看護師が2人、医療機器メーカーからの機器操作指導者(?)が1人とギャラリー多数で「ちょっと目を盗んで少しばかり首を・・・」というわけにもいかず、仕方なく代わりに手指を動かしたり、足の位置を変えてみたり、小声で鼻歌を歌ったりして、何とか気を紛らわせた。

それに昨日は珍しく英語を話す看護師さんがいて、これから何をするのか、なぜそれをするのか等々を楽しそうに説明してくれ、こちらの質問にも丁寧に答えてくれたので、雪だるまなしでも用が足り、その点でも大変気分がよかった。マンモグラフィ程度だと身体の外から撮影するだけだから、こちらが彼らの説明を半分くらいしかわからなくてもそのまま続行となるのだが、いくら低侵襲とはいえ身体に針を刺し、組織を吸い上げるバイオプシーでは、状況を説明し患者が十分理解した上で同意する(インフォームド・コンセントというやつですね)ことが必要なのだと思う。その上で医師も看護師も「質問はないか」と、しつこいほどに聞く。おざなりに聞くのではなく、実際に質問を歓迎していて、こちらが何かを聞けば懇切丁寧に答えてくれる。おかげで姿勢は苦しかったが、気分は悪くなかった

そして痛みもノボケインが効いている間は、ほぼゼロ。(首は別) しかい夕方になって麻酔が切れてきたら「おお、なかなか痛いですね、これは」という感じになってきたので、雪だるまにタイレノール(アセトアミノフェン)を買ってきてもらったが(24時間経過するまで、アセトアミノフェン以外の鎮痛剤は服用不可。したがって愛用のイブプロフェンはだめ。アスピリンもだめ)、痛かったのはその晩だけで、翌朝にはもう痛みは微か。むしろ先週からずるずる引きずっている頭痛の方が痛くて、24時間経つのを待ってイブプロフェンを飲んだ。私の頭痛には、アセトアミノフェンは全然効かないようである。残念、せっかくタイレノール1瓶(24錠入り)買ってきてもらったのに。

ちなみに組織検査の結果は3週間後のお楽しみである。3週間たっても連絡がなかったら、ファミリードクターに電話するよう言われたが、最近月日が経つのが早いので、メモしておかないとあっという間に3週間経ってしまい、電話するのを忘れそうである。9月10日の3週間後というのは、ええと10月1日か。あらま、国慶節だわ。まあケベックでは関係ないけれど。

係累なしの身は

  • 2013/09/10 10:24
  • Category: 雑記
子どもがいないということは、未来につながる現在に対して限りなく無責任になりうるということだろうか、と時々考える。子や孫がいれば、たとえ気が滅入るような現状ばかりだろうと、「この子(たち)のために、少しでもましな状況を作ろう」と、取り得る策を真剣に考え、真摯に実行する気にもなるのだろうが、次世代に係累がいないと、老い先短い自分と“これからの人たち”との間に、なんだか透明な膜が存在しているような感じで、“これからの人たち”がそれでいいのなら、今後生きたとしてもせいぜい20年程度の私、しかもすでに現役引退の身が、あれこれ言うことはないのではないかと、最近は思えてならない。

シリアのことも、エジプトのことも、だから対岸の火事どころか遥か宇宙の彼方の出来事の如し。東京五輪についても、聞いた瞬間は唖然としたが、しばらくしてそれもいいのだろう、と思い直した。現に日本に住み、その空気を呼吸し、その水を飲み、その作物を食べている人たち、そこで暮らし、働き、税金を納めている人たちが、フクシマについては見ない、聞かない、考えないことにして、オリンピック招致による経済効果でデフレを脱却したいのなら、20年も他国のカネを稼ぎ、他国の食物を食べ、他国の政府が与える恩恵の元に暮らして、日本の浮沈と一蓮托生というわけではない私が一体何を言えるだろう。

ヒトという種は、全体としてみた場合、進歩しないわけではないが知恵の進み方が偏っていて、特に徳性面の伸びが破滅的にのろい。物事に関する知識が増し、より正しく認識し、思考できるようになったら、徳性もそれに応じて伸びたらよさそうなものだが、これがなかなか伸びない。私自身も含め、好きなのは楽しいことで、不快なことは知りたくないのだ。不安を呼ぶようなことは考えたくないのだ。

『現代やくざ 人斬り与太』

  • 2013/09/08 10:28
  • Category: 映画
相変わらず特に何もなければ毎晩1本ずつ映画を見ているのだが、先日「今日はアクション映画が見たい気分だなあ」と言った私の言葉に対し、雪だるまが選んできたのが何と菅原文太さん主演、’72年の東映映画『現代やくざ 人斬り与太』で、「えええ、これですかあ?」と思わず声を上げた。

私が“アクション映画”と言った時、脳裏に浮かべていたのはブルース・ウィリスの『ダイ・ハード』シリーズとか、マット・デイモンの『ボーンシリーズ』で、決して、決して、腹にさらしを巻いた哥さんたちが、プラスチックの桜の花が街灯に浮かび上がる、猥雑かつ貧相な日本の夜の街を、匕首やチャカを片手にバタバタと走り回る映画ではなかったのだが、雪だるまの頭の中では高度経済成長期の日本のヤクザ映画も、“アクション映画”のカテゴリーに分類されているのか。エキゾチシズムは時として、2つの文化の間に思わぬ乖離を発生させる。

しかし雪だるまにとってはある種エキゾチックな日本のヤクザ映画も、私にとっては子供の頃からおなじみの、新味のない金太郎飴。深作欣ニ監督はヤクザを美化した任侠映画ではなく、現実のヤクザを描いた実録ヤクザ映画を撮りたかったということのようだが、現実的になればなるほど、この映画で菅原文太さんが演じたような大物にはなりきれない中途半端なヤクザという存在は、本能に直結したような行動だけで動き回る、サル並みの頭しかない存在であるということがしみじみと見えてしまって、あまりの馬鹿馬鹿しさに、見ているこちらまでサルまで堕ちたような気分になる。

この『現代やくざ』シリーズは、当時けっこう人気があったシリーズだというが、どうして当時の人々がこんな頭カラッポの人間を主人公とする映画を好き好んで見たいと思ったのか、てんで見当がつかない。同じ昭和のヤクザ映画でも、もう十年遡った’60年代のヤクザ映画には、もう少し“面白い”と思えるものがある。たとえば篠田正浩監督の『乾いた花』(’64年 池部良、加賀まりこ)は、池部の虚無的なストイックさと、当時20歳そこそこの加賀の、可愛らしいベビーフェイスとは裏腹の人生に飽いたような乾いた表情が印象的で、ヤクザが主人公ではあるものの、一味違ったヤクザ映画になっている。(ついでに言えば、素人のお嬢さんである加賀さんが手本引きをやる場面も面白い)

また鈴木清順監督の『関東無宿』(’63年)や『東京流れ者』(’66年)も、ストーリー自体はなんてこともないが、ところどころに鈴木清純さんらしいメリハリの利いた色使い(白い背景にぱっと浮かび上がる赤い照明とか)が、後年の『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』等を連想させて興味深い。

というように挙げてくると、何のかんの言いつつもけっこう日本のヤクザ映画を見ていることになるのだが、かの有名な『仁義なき戦い』シリーズと『緋牡丹博徒』シリーズは見ておらず、片手落ちというか画竜点睛を欠くというか。『仁義なき・・・』はともかく、『緋牡丹』での藤純子さんの艶姿は是非とも拝みたいところなのだが。

食事の音

  • 2013/09/02 10:32
  • Category: 雑記
夜の方が仕事の能率が上がる雪だるまは、主に夕食後に仕事をする。10時過ぎから真夜中にかけてくらいが、一番筆が進む(マイクロソフト・ワード相手に“筆が進む”という表現もなんだが)時間帯らしい。したがって寝るのは早くて午前1時過ぎ。遅い時は午前3時を回っていることもあり、夜に弱く、11時くらいには寝てしまう私とは、3~5時間の差が発生することになる。

就寝時間が3~5時間違えば、起床時間も当然3~5時間違う。朝方の私は早い時は5時台、通常は6時半前後に起き、病気でもない限り7時過ぎまで寝ていることはない。手仕事をするにせよ、庭仕事をするにせよ、手元がよく見える太陽光は貴重なので、明るいのに寝ているなんてもったいないことはできないのである。

当然朝ごはんは勝手に先に食べる。ただし寝ている人を起こしては気の毒なので、なるべく音は立てないように気を遣う。ウチはろくに壁もドアもない全体がワンルームのような困った造りで、一階の物音が中二階を超えて二階まで筒抜けに聞こえてしまうような家なので尚更である。で食器を出す時も、冷蔵庫の開け閉めも、なるべく音をたてないように気をつけてはいるのだが、どうも今ひとつコントロールしきれないのが、食器同士がぶつかる音。もっとはっきり言えば、シリアルを食べる陶器のボウルと金属のスプーンがぶつかる音。これが結構うるさい。音を立てまい、立てまいと思っても、どうしても時折はカチャン!と鼓膜に響くような音が発生してしまい、「あやや・・・」と身を縮める。

そんなことを気にして食事の場面を振り返ってみると、陶磁器の器に金属製のフラットウェア(ナイフ、フォーク、スプーン)を使う西洋式の食事では、食器同士がぶつかる音が結構響くような気がする。会食場面ではみなお喋りに身を入れているから余り気にならないだけで、その実ナイフで物を切る時、ナイフが皿にぶつかる音、スプーンがスープ皿にぶつかる音、ナイフとフォークがぶつかる音、別に特に乱暴に扱わずとも普通に食事をしているだけで、けっこう物音がするのである。そして一度気にし始めると、これがまた結構気になる。そして「日本式の食事は静かだったなあ」と改めて思うのである。特に椀と箸。共に木製の場合、物を食べてもほとんど音がしない。陶磁器の飯碗だって、相手が箸なら、乾いた、ほんの微かな物音だけで食事を終えることが可能だ。なんと床しく、優雅であることか。

和食が食卓に並ぶことなどまずありえない私と雪だるまの食事に、箸を登場させる余地は実のところないのだが、朝のシリアルボウルを塗りの椀に変え、ステンレスのスプーンを木製の匙に変えるくらいはできるだろうかと、ちらり考えてみているこの頃である。

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