respect

  • 2013/10/31 09:30
  • Category: 雑記
さて、毎日通っている仏語教室、授業は9時から始まるのだが、9時にちゃんと教室に到着しているのは3、4人、ほんの一握りだけである。あとはみな9時を過ぎてから、三々五々、のんびりとやってくる。明らかに遅刻なのだが特に悪びれる様子もなく、にこやかに“Bon jour !”と言いながら教室に入って来て、すとんと席に収まる。遅刻するのはいつも同じ顔ぶれである。遅れてくる時間も10分とか20分とか各自だいたい決まっていて、まるで彼らの時間と標準時との間には10分あるいは20分のタイムラグがあり、だから彼らとしては定刻に来ており、何ら恥じるところはないかのように大らかな態度である。

また毎日3時間の授業の間には15分の休みがあり、普通は10:15~10:30なのだが、授業進行の関係で日によって前後に5分くらいずれたりする。なのでジョゼは毎回ホワイトボードに「休憩 10:15~10:30 10時半には戻ってくること!」などと書くのだが、ここでもまた校内のカンティーンに行ったり、外にタバコを吸いに行ったりして何人かが遅れて戻ってくる。5分くらい遅れるのは当然の許容範囲と思っている様子である。

私にはこれが全然わからない。始業時間にしろ、休憩時間にしろ、“時間”というお約束は、守るためにあるのであって、守らないのならそもそも約束の意味はないと思うのだが、違うのだろうか? そして9時と言ったら9時ちょうど、10時半と言ったら10時半ちょうどのことであって、9時5分でも10分でもないし、ましてや9時20分では絶対にあり得ないと思うのだが、これは世界標準的には少数者の考え方なのだろうか?

ただ仮に少数者の意見であるとしても、教える側であるジョゼも、この生徒たちの時間に対する大らかさと、ついでに授業中のお喋りの多さにほとほと困り果てていることは事実である。何とか時間を守らせようとしょっちゅう注意を喚起しているのだが、当人たちは「てへ」という感じで、身に染みて反省している様子はない。

雪だるまにこの話をすると「ラティーノや中国人は時間におおらかだし、そもそも無料の教室だから、自分で授業料を払って通っている学校とは違い態度がお気軽になりがちなんでしょ」と言うが、非常におおまかな傾向として中国系の人たち、あるいはラティーノたちが時間に大らかであることは否めないにしても、ウチの教室に限って言えば、中国人でもラティーノでも、定刻に来ている子は常に来ているのである。国民性とか民族(というものがあるとして)的気質とかの問題ではなく、あくまで各個人の性格や生活態度の問題であると思う。

私自身は集合時間など団体生活おける規律には厳しい日本で育ったせいもあり(ああ個人の都合より全体の都合が優先される懐かしの日本!)、時間に遅れることはまずないし、喋るのが嫌いだから授業中にクラスメートとお喋りなんてあり得ないが、そういう子どもの頃からの躾や嗜好は別にしても、もうひとつ“respect”という因子が我が脳内にはあり、これが私を時間の遵守や、授業中の私語に対する躊躇に向かわせていると思う。“respect”とあえて英語で書いたのは、この語には「~を尊敬/尊重する、~に配慮する」といった意味のほかに「法を順守する」という意味も含まれ、私の頭の中にある概念とぴったり合致するからである。

つまり私が時間に遅れないのは、遅刻などしてはさほど出来がいいとは言えない私たちに辛抱強く教えてくれているジョゼや定刻に来ているクラスメートに悪いと思うからだし、授業中私語を交わしたりしないのも、その時説明しているジョゼや発言しているクラスメートに迷惑だと思うからである。教室外でも同じこと。私が基本的に法を守り、町が決めた規則に従い生活しているのは、違法な行動は他の人の迷惑になり、社会の安寧秩序を乱すからである。私は安全で安定した生活が好きなのだ。だから他者を“respect”し、法を“respect”する。

そしてこの文章を書くに当たり一昨日あたりからつらつら考えていて気が付いたのだが、実のところ私の“respect”対象には、もうひとつ自分自身も含まれているような気がする。自分自身に対する敬意だから自尊心と置き換えてもいいのかと思うが、たとえば私は「時間に遅れる自分」という自己像が許し難く、そういうことをすると自己に対する評価が下がり、自尊心が揺らぐのでしないのである。なんとまあ傲慢な、と思われるかもしれないが、実状そういうことである。

しかしまあ、そういったどうでもいいような分析はともかく、いつも遅刻してくる何人かのクラスメート、も少し時間通りに来てもらうわけにはいかないのだろうか? 遅刻してくる10分か20分の間に語られた文法事項などを聞けないのは、本人にとっても損だと思うのだけどね。それともそういう風には考えないのかね。ようわからんね。
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スペア

  • 2013/10/28 20:14
  • Category: 雑記
私の脳は同じ動作を繰り返す作業が好きで、だから編み物とかクロスステッチとかが趣味のひとつになっているのだが、私の手指はどうもこれが嫌いなようで、ちょっと度が過ぎるとすぐに「もう、いやだ」信号を送ってよこす。

この週末も初雪が降ったり、その雪が雨に変わってびしょびしょしたりで外に出る気分ではなかったので家の中で編み物にふけっていたのだが、そうしたらてきめん、手指が「もういやだ、止めようぜ」信号を送ってきた。なんのことはない、腱鞘炎の前触れの鈍い痛みである。今回は左手親指。

仕事をしていた頃は翻訳や文章作成が主要業務という職業柄、しょっちゅう腱鞘炎や腱鞘炎まがいに罹っていた。この場合はだいたい右手親指から手首にかけてで、これはキーボードを打つという反復動作とマウス操作のせいであると思う。今でも時々なるので、マウスはなるべく親指を離さず、マウスを握るのではなくマウスの上に手を置くだけの形で操作しているが、ま、やや不自然な手の置き方であることは否めない。

今回左手親指が痛くなったのは、セーターの裾をシャツのようなヘムラインにするため、引き返し編みでフラップを作っていたためで、身頃を9割方編み終えて重くなった編み地を支えながら裏目をたくさん編んだので、裏目の場合左親指で編み針に糸を掛ける私の編み方が災いして痛みが発生したのである。

幸いあまりひどくならないうちに裾が編み上がり、今後はメリヤス編みで両袖を編むだけで、輪編みの性質上、裏目を編む必要はないので、左親指の痛みが悪化することはないと思うが、ま、酷使し過ぎないよう気をつけよう。腱鞘炎はいったん罹ると再発しやすいし、治りが遅いのである。

それにしても目とか、手足とか、人間のパーツが容易にスペア交換できるようにできていないのは本当に残念である。ブライスのアイチェンジみたいに、かぽんを頭を開けて目を取り換えたり、一部ドールのようにスペアの手がついていて、手首からスポッと抜いて交換!ができたらどんなに楽か。トカゲのしっぽのように、切れてもまた生えてくるというのでもいいな。ただこの場合はトカゲのように以前より小さいものが生えてくるのではなく、元の物と同じ大きさ同じ機能のものが生えてきてほしいが。

フランソワーズ・ハーディ?

  • 2013/10/26 22:29
  • Category: 言葉
毎週金曜日は最初の1時間はその1週間で学んだことの整理と確認を兼ねたテスト、残り2時間はコンピュータルームで、各自フランス語のヴィデオクリップを見たり、学習者向けに作られたフランス語の練習問題を解いたりするのだが、昨日は教室に入ったら前面のホワイトボードにyoutubeのURLと共に“Françoise Hardy ”という名前が書かれていた。

私は「フランソワーズ・ハーディって誰だ? “Bedazzled”で美女の悪魔を演ってたのは確かElizabeth Hurleyだし、ハーディっていう苗字の女優さんなんていたっけ?」と、ついつい映画関係で考えてしまったのだが、youtubeで彼女の名前を入れ、出てきた画像を見て「あ…」と口ぽかん。「これってもしかして、フランソワーズ・アルディ?」

思えば私がフランソワーズ・アルディを知っていた頃は、常に常に日本語で彼女の名前を見ていたので、まさか“アルディ”という苗字がHから始まるとは夢にも思わず、今は今で相変わらず残念ながら日常的に仏語の量より英語の量の方が圧倒的に多いので、Hardy という語を見た時ついつい英語的にハーディと読んでしまったのだが、考えてみれば前面のFrançoiseは明らかに仏語。ここは仏語らしくHをミュエにして、せめてアーディと読み、これはかのフランソワーズ・アルディである、と気づくべきだった。

まったく、このHardy/アルディに限らず、もともとの言語とは異なる言語で表記/発音された固有名詞(人名や地名)から、もとの語を想像するのは時として大変難しい。同じアルファベットを使う英語と仏西独伊語間とかなら、発音は多少変わっても字面は同じだからまだましだが、全く異なる文字を使う日本語や中国語で西欧語の固有名詞を表記/発音すると、字面はもちろんだが音も原音とは大きく異なってしまうことが多く、呼ばれた当人ですら自分の名前だとは気付かないなんていうことになる。

これは漢字という同じ文字を使う中国語/日本語間でも同じで、書かれた文字でなら(繁体字、簡体字の問題はあるにせよ)双方理解しあえるが、それを発音する段になると、相互理解はまず不可能である。「あんべいじんさん」と聞いて「安倍晋三」と変換できる日本人は(中国語学習者でない限り)いないし、「こうしゅう」と聞いて脳裏に広東省の州都「Guangzhou/広州」、あるいは上海の隣の「Hangzhou/杭州」を思い浮かべられる中国人は(これまた日本語学習者でない限り)いない。なまじ同じ文字を使うので理解は容易と思われがちな日中語間だが、音の面での隔たりは大きく、なかなか一筋縄ではいかない。(蛇足だが、外国地名の中国語表記はより以上に面倒で、まさに通訳者泣かせ。一流通訳者の神崎龍志さんですら困難なものの一つとして挙げていらした。→

ちなみに冒頭のフランソワーズ・アルディ。昨日の課題は彼女の歌のひとつ“Mon amie la rose”を聞いて、歌詞の空欄を埋めるというものだった。今週は代名詞を勉強していたので、ジョゼが歌の歌詞から代名詞の部分と、あといくつか初級者でも聞き取れそうな単語をホワイトで消し、コピーして配って私たちにやらせた。ジョゼは朗読のディクテではなく歌のディクテを時々やらせるが、これはなかなか楽しくてよろしい。もちろん歌はゆっくりめのテンポで、発音がはっきりしているものが選ばれている。昨日のフランソワーズ・アルディの歌は、ゆっくりしたテンポで発音がきれいなうえ、画像が顔の大写しだったものだから口の動きまで見えて「ははあ、この音の時は口はこう動くんですか」となかなか勉強になった。きれいな女の子の顔を見ながらする勉強は楽しい。





P.S.
ただ今ケベック時間 10月26日(土)午前9時31分、雪だ、雪が降り始めました!
おおお、初雪です! 積もっております!


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夕食会顛末

  • 2013/10/25 10:13
  • Category: 雑記
火曜日、客人たちはいろいろなビールが入った段ボール1箱と、レタス1玉を抱えて定刻1時間遅れで登場した。待っても待っても来ないので「どこぞで事故にでも遭ったのではないか」と心配し出したところだったので、全員無事に現れてほっとした。オンタリオから来た従弟とそのBFだけでなく、お義父さんちの近所に住む叔母さん夫妻(雪だるまの母、従弟の父、叔母さんが11人兄弟姉妹のそれぞれ#3、#7、#10にあたる)も招待しており、叔母さんたちはいつも早めにやって来るので、定刻を過ぎても誰も現れないのがよけい不思議だったのである。

叔母さんたちによると、その日は1日、教会やらアートセンターやら自然公園やら地元の名所旧跡観光をし、最後にSという町にある弱小ブルワリー(一応リンクしてみましたが、すみません仏語だけです。ああ、ケベック…)に寄って、そこのビールを1箱仕入れて来たらしい。このブルワリー、ちょっと変わった名前と味とラベルのビールを作っていて、このあたりではけっこう有名。なかでも面白いのはこれ。


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ラベル右側の色眼鏡の人物はカナダの元首相ジャン・クレティエンで、このS町出身なのである。そしてその下に(よく見えないが)赤字で“Shawinigan Handshake”と入っているのは、彼が首相だった1996年当時、某式典の会場で貧困絶滅活動家に進路を阻まれたクレティエンが、その活動家の首と顎をつかんで地面にねじ伏せ、歯を1本折るという事件があり、これが“Shawinigan Handshake”(シャウィニガン式握手)として有名になったから。よく見るとこのラベルのクレティエン氏も、隣の悪魔の首を絞めてます。こっちの方が見やすいかな。


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味の方は、私はビールを飲まないのでよくわからないのだが、従弟によれば「なかなか面白い」そうである。ちなみに持ち込んだビール1箱の上に乗っていたレタス1玉は雪だるまへの手土産で「ベジタリアンへの手土産は何がいいのかよくわからなかったから」というのが従弟の弁。実際、アイスバーグレタスは雪だるまの好物なので、有難く頂戴して冷蔵庫に入れた。

この従弟、レタスを手土産にするあたりからもわかる通り、なかなか皮肉の利いた楽しい人物だが、その皮肉の下に神経の繊細さが見え隠れするあたり、夏にトロントで会ったK氏にも似て、話していて大変面白かったし、一方、彼のBFの方は皮肉っぽいところなど微塵もない、暖かく柔らかな人物で、介護士として働いているというのが素直に納得できるような人だった。(従弟の方は2年前から葬儀場/funeral homeを経営している。これもまた“納得”というべきか)

話によると、BF氏は十何年か前にスロバキアからカナダに単身移民し、2年前にカナダの市民権を取得したそうだ。雪だるまによれば英語に少し訛りがあるとのことだが、私にはわからなかった。今スロバキアから、と書いたが、彼が生まれた当時はまだチェコスロバキアで、生まれたのはスロバキア領だがプラハで教育を受けたし、両親の片方はスロバキア人で、もう片方はチェコ人だそうだから、国籍はスロバキアでも、実際のところは正真正銘のチェコスロバキア人というべきなのかもしれない。ただし徴兵制を採っていた当時のチェコスロバキアで強制的に軍隊に入れられたものの、同性愛者であるため“精神疾患者”として軍隊から放り出されたそうで、その他もろもろの理由もあって共産主義国家だったチェコスロバキアには何の未練もないそうである。

近年、いろいろな国で同性婚が認められるようになるなど、同性愛/同性愛者に対する差別は減りつつあるが、そうは言っても差別や偏見が完全になくなるまでには、まだまだ何十年もかかるだろう。私自身はヘテロでもホモでもバイでもどうでもよく、どうでもいいので周りの人たちがそのどれに属するのか、あるいは属さないのか、およそ関心の外だが、中にはヘテロセクシャルだけが正しい人の道であると考え、信じている人たちもいるようで、ゲイ・バッシングはなかなかなくならない。人が誰を愛するかはその人の勝手で、他人が口を出すことではないと思うのだが、なぜ他人の問題として放っておけないのだろう? 誰が誰を愛そうと、誰と誰が一緒に暮らそうと、仲良く暮らしている限り放っておけばいいのである。他人の愛情生活は、あなたの問題ではない。

あら忙しい

  • 2013/10/22 20:57
  • Category: 雑記
今日の夜、遠くオンタリオに住む雪だるまの従弟(また従弟?と思われるかもしれないが、雪だるまの父は7人兄弟姉妹、母は11人兄弟姉妹なので、その子どもたちである従兄弟姉妹もたーくさんおり、入れ代わり立ち代わり我らの生活に登場するのである。)とそのBFがご飯を食べに来ることになったので、昨日は学校&ジムのあと、夕食もそこそこに、雪だるまはベリー味のチーズケーキ、私はベジ・ミートボールを作りにかかった。今日も学校があるし、その後週一の買い出しにも行かねばならないので、ある程度作っておかないと、雪だるま一族の早い夕食時間(5時過ぎくらいから客が来始め、6時過ぎには夕食開始)に間に合わないと思ったからである。

この従弟、雪だるまにとっては本当に久しぶりの再会で、日曜夜に叔母さんちでチラリと会った時には、彼のBFの方を従弟と勘違いしたくらい。雪だるまは「だって最後に彼に会ったのは40年以上前、彼が7歳くらいの時だから、まさか髪がなくて髭を生やした背の高いオッサンが当人だとは思わなかった」と言うのだが、確かに7歳の子どもの時の顔から50歳の男の顔を想像するのは難しいかも。

それはともかく彼らはオンタリオ在住だから当然英語を話す。私も会話に参加できる夕食会は当地ではまれなので、なんだかちょっとうきうきと嬉しい。ろくにわからないフランス語を聞きながらにこにことホステスを務めるのは、けっこう気疲れするし、時間がやたら長いのである。

さて8時だ。朝ごはんを食べて学校に行ってきます。

この“ハズレ”率の高さは、実に謎

昨日は雪だるまの従弟の一人の50歳の誕生日で、夜、会食会場である隣の市のレストランまでえっちらおっちら出かけた。

こちらに来て以来、出かけた先のレストランで「おお♪」という味に出会うことはめったになくなってしまったので、昨日も「50歳のお祝い」や「他の従兄弟姉妹たちに会う」という社交活動の面はともかく、食事に関しては全く期待していなかったのだが、案の定その予想は裏切られることなく、というか予想をはるかに上回る美味しくなさで、私と雪だるまをげんなりさせた。

誓って言うが、私と雪だるまの舌は肥えていない。こちらに来るまではどこの料理だろうが、どんなレストランだろうが、出された料理を舌と胃が拒否したことなどなく、どの皿も「おいしいねえ、これ」としあわせに食べていたのである。(私と一緒に食事をしたことがある方なら、私がどんな料理にも文句をつけることなく、旺盛な食欲できれいに皿を空にしていたことを覚えておいでと思う)

それがこの北米の田舎町に来てからというもの、レストランで食事をして「おいしい!」と思えた試しがない。以前ほど頻繁に外食しているわけではないし、評判のレストランにでかけているわけでもないから、たまたま“ハズレ”のレストランにばかり当たっているだけなのかもしれないが、それにしてもこの田舎町におけるハズレ率の高さには、まったくがっかりさせられる。

昨日も“Casa GXXX”というスペイン料理だかギリシャ料理だか今ひとつよくわからない名前のレストランが会場だったのだが、まず前菜に取ったフェタチーズのものすごい塩辛さに仰天。塩水の中で熟成させるフェタだから、ある程度の塩辛さは想定の範囲内だが、昨日のは限度を超えてsalé、salé、 salé。しかもその超塩辛いフェタが、皿の上にどーんと3塊。あまりに大きいので半分は雪だるまの前菜(ほうれん草のパイ)と交換してもらったが、それでも1つめの塊りの半ばあたりから胃の中が塩まみれの気分になり、最後の半カケは目に涙をためながら無理やり呑み込んだ。今から思えば何も無理に食べることはなかったのだが、「皿の上の食物を残してはいけません」教育が身に沁みついているので、ついつい無理に呑み込んでしまったのである。やっとこさ1塊り半のフェタを呑み込んだ後は、なんだか向こう1週間分の塩分を一気に摂り込んだような気分で、胃も食道も塩だらけで、ざーらざら。

塩フェタと中和のためがぶ飲みした水で胃をごぽごぽさせ、情けない気分でいるとサラダが来た。なかなか新鮮そうな葉っぱのサラダで「これで少しは胃が元に戻るかも」とはかない期待に胸がふくらんだが、一口食べてその期待は即刻消えた。辛い玉ねぎのぶつ切りがふんだんに散らされ、しかもドレッシングは例のミラクルホイップ。お好きな方もおられるようだが、残念ながら私はあの味が苦手である。しかもそれが辛い玉ねぎのぶつ切りといっしょでは…。3口食べて、あとは雪だるまに譲った。もう無理やり食べるのは止めた。

主菜に頼んだ舌平目のムニエルも同様に半分で止めた。公平に言えば平目そのものは悪くはなかったのだが(まちょっとムニエルというよりフィッシュ&チップスみたいではあったが)、いっしょに皿に載って来た巨大じゃがいものフライと、半煮えの米をケチャップで合えたような付け合せが、どちらも驚異的な味のなさで見事に我が食欲を殺し、平目に対する欲望を消し去ったのである。(ちなみにこの2種の付け合せはどの料理の皿にも載っており、この店の定番かつ唯一の付け合せらしかった。よよよ…)隣席の雪だるまも、主菜のチーズ・カネロニが全然おいしくなかったらしく「この次は絶対これは頼まない」とぶつぶつ。食べ物に文句を言うことはほとんどない雪だるまが不平を漏らすのだから、よっぽど不味かったのだろうと思う。

それでも叔母さんによれば、ここはウチの町の“Casa GXXX”よりは、ずっとましなんだそうである。(注:“Casa GXXX”はチェーン展開していて、ケベック各地に店舗がある)ここよりひどいとは一体どんな料理を出しているのかと想像するだに恐ろしいが、この“Casa GXXX”に限らず、2年前ジェリーの誕生会をやったブッフェ式チャイニーズレストランも、すべての料理が同じ味で私をびっくりさせたし、ウチの近所のギリシャ料理レストランも、そこが会場なら仕方ないが自ら進んで食べに行きたいとは絶対に思わない。タイ料理の店も同様。

というように、私たちにはこの田舎町はまったくの外食不毛地帯としか思えないのだが、別にケベック全部がそうだというわけではなく、モントリオールでは適当に選んで入ったレストランでもどれもそこそこおいしかったし、クラスメートによれば隣の市でも美味しいレストランはあるそうである。したがって冒頭にも書いたように、単に私たちが“ハズレ”のレストランにばかり当っているだけなのかもしれないが、それにしてもどうしてこうも“ハズレ”にばかり当たるのか。

お義父さんや叔母さんたちを始め、家庭料理はおいしいのだから、当地のレストランの“ハズレ”率の高さは、実に謎である。なぜ潰れることなく客が来続けているのだろう? みんな“1回目”の客なのか?

Sandman

  • 2013/10/18 03:32
  • Category: 雑記
音楽的な人間ではないので、映画を見ていてそこで使われている音楽が強く印象に残ることはあまりないのだが、先日見た『Trance』(2013 英)では、途中で背景に流れたやや物憂い調子の曲がやけに印象に残り、気になってIMDbで調べてみた。

それがこれ、Kirsty McGeeの“Sandman”



彼女はマンチェスター出身のシンガーソングライター兼ギタリストで、英フォーク界ではよく知られた存在らしい。しかしながら私にとって英国は、レッド・ツェッペリンやクイーン、EL&Pに代表されるブリティッシュ・ロックの国、あるいはエンヤ等に代表されるケルト音楽の国で、それ以外の音楽にはまったく関心を払っていなかったので、彼女の名前は全然知らなかった。そもそも英国にフォークミュージックがあるということすら念頭になかったのである。(考えてみれば、ないわけはないのだが)

しかしこの“Sandman”は妙に私の感情に訴えるものがあり、ようつべで見つけてからは毎日毎日厭きもせず繰り返し聞いた。特に夜、例のクロゼットの奥の机に一人座って聞いていると、しっとりと暗い夜が降りてくる感じで、大変落ち着く。目に砂を振りかけて人を眠らせるサンドマンのイメージが、夜、闇、静けさ、眠り、夢、といった連想を誘うからかもしれない。そしてその後で“薔薇”という単語が登場し、その色と匂いと美しさの幻影が一瞬あたりに漂うが、その幻影はあっという間に色あせ、しぼんで消える。寂しい歌の方が美しい。元気は出ないが。

チッピー

  • 2013/10/15 20:51
  • Category: 動物
今年、春先から夏にかけてはチッピーがほとんど姿を見せてくれなくて、雪だるまと二人「今年はつまらないねー。去年の子は、どこかよそへ行っちゃったのかなあ」と寂しがっていたのだが、秋口辺りから1匹のチッピーが庭の石の上を頻繁にちょろちょろするようになった。犬猫と違い身体の模様が同じなのでチッピーの個体識別は容易ではないが、去年の子よりやや小さく、しっぽが長いように思われる。第一、石の辺りを根城にしていて、デッキの方には全然近寄ろうとしない点、去年の無謀なほど大胆で好奇心旺盛だった子とは明らかに性格が違うので、別の個体なのだろう。

この子、しばらくは庭の端の方でうろうろしているだけだったのだが、秋が深まってくるにつれ、デッキそばに吊るしたバードフィーダーに近寄ってくるようになった。フィーダーの下には鳥が落としたタネがかなり散らばっているので、エサ場としては結構なところなのである。

で最初は下に落ちているのを拾い食いしているだけだったのだが、このところの朝晩の気温低下で冬眠の準備が急を要するようになってきたのか、先週あたりからは大胆にもフィーダーに登るようになった。そして止まり木のひとつに陣取って、鳥よりは重い自身の体重でフィーダーをぶらんこのようにゆらゆら揺らしながら、エサを漁るようになった。

別に鳥用のエサをチッピーが食べても私たちとしては一向に構わず、むしろしっぽをふらふら揺らしながら食べているチッピーのようすが可愛いので歓迎しているくらいだったのだが、困ったことにこのチッピー、エサを漁る時に大量のエサを下にこぼす。選り好みをして好きなタネだけ食べ、嫌いなのは下に蹴散らしているというより、鼻先をフィーダーに突っ込んで食べているので、削岩機よろしく鼻が先に進むにつれて両側のタネが押しのけられ、下にこぼれ落ちてしまっているということのよう。

チッピーに罪はないとはいえ、朝満杯にしたフィーダーが翌日には空っぽになってしまうのでは、こちらの懐がたまらないし、フィーダーの下の芝生がさまざまな穀物のタネや植物のタネで埋まってしまうのも困る。(夏場、鳥たちがぽろぽろこぼしたタネですらフィーダーの下で芽を出し、そこだけ野草地帯になってしまった)

そこで先日、フィーダーの下にプラスチックのボウルを取り付けた。チッピーが落としたタネを、これで受け止めようというのである。そうすれば芝生にタネが落ちるのも防げるし、ボウルにたまったタネはまたフィーダーに戻せばよい。

この策はけっこううまく行き、雪だるまと二人、一安心だったのだが、昨日になって発見! フィーダーだけでなく、フィーダーの下のボウルにもエサがあることに気付いたチッピーが、ボウルの中に座り込んでエサを漁っていた! チッピーは軽いので、細い紐で吊るしただけのボウルでも重みで落ちたりはしなかったが、度重なるようなら紐を太いものに替えた方がいいかも。チッピーと一緒にボウルが落ちて、辺り一面タネだらけ!という事態だけは避けたいから。


フィーダーの下に吊るしたボウル とチッピー

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鼻先全部、エサに埋まっている。チッピー、君はしあわせか?

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ところで、今さらではありますが、拙ブログをご訪問くださル方、また拍手をくださる方、
本当にありがとうございます。
(最近特に)たいしたことは書けておりませんが、読んでくださる方がいなかったら
いくら日本語練習のためとはいえ書き続けることは難しく、皆様方のご訪問に心より厚く御礼申し上げます。

世間話

  • 2013/10/12 22:56
  • Category: 雑記
来週月曜が感謝祭のためか、今週は昨日の金曜から土日と合わせて学校が4連休になり、やっと一息つくことができた。授業にというより合間のお喋りに疲れ果て、木曜のアートセンター訪問では息も絶え絶えの気分だったので、学校が連休に入って本当にほっとした。

まったく意固地で因果でいやな性格だとは思うが、私はどうもsmall talk(世間話)というやつを楽しむことができない。やればできるし、社会生活上やってはいるが、全然楽しくないし、長くやっているとその空疎さに、こちらまで空っぽになる気がする。声を発するための空気を送っている気管の下あたりからじわじわと浸食が始まり、肺のあたりに大きな空洞が広がっていく感じ。身体の真ん中が空っぽになるので、当然そこからエネルギーがどんどん抜けて行き、立っているのもいやになるほど疲れ果てる。あげく苛々して攻撃的になるか、あるいは気分が落ち込み厭世的になるか。いずれにせよ、ろくなことにならない。

それでも日本語での世間話ならまだいいのだ。母語は考えなくても喋ることができるから、上滑りな会話を続ける一方で、別なことを考えていることができる。しかし外国語での世間話では、そうはいかない。英語にしろ、すでにかなり錆びついて語彙も発音もあやしくなっている中国語にしろ、相手の言葉を聞き取り、こちらも言葉を探して会話を続けていくには相当なエネルギーが必要で、それなのに会話の内容は当たり障りのない世間話に終始しなければならないのだから、これがエネルギーの無駄でなくて何であろうか。

そんなにいやなら世間話を止めて実のある会話をすればよいのだが、学校の行き帰りや15分の休み時間に世間話以上の話をするのは容易ではない。時間的な問題もあるが、そもそも相手がそれを求めているかどうか、相手の呼吸を測らねばならない。お茶漬けを求めている相手にカツ丼を供しても喜ばれないように、息抜きの軽い会話、場繋ぎを求めているだけの相手に、それ以外の話題を振っても迷惑なだけである。

だいたい世間話というのは会話の内容、中身が問題なのではなくて、重要なのは会話をするという行為そのもの。相手の存在を認め、相手に対し悪意を持っておらず、広い意味での仲間の一人として付き合う意志があることを示すのが目的で、会話による知識/情報の伝達や発見を目指しているわけではないのだ。したがって相手の不快や衝突を呼ばないためにもむしろ中身はない方がよく、ただにこやかに会話が往復すればそれでよいのである。つまり社会生活上の儀礼。

そう考えてくると、私が世間話を疎ましく思うのは、つまり社会生活が苦手なせい? 嫌いなのは世間話ではなく、それに代表される人付き合い? うん、かもな。やれやれ。

It's my life

  • 2013/10/10 10:22
  • Category: 雑記
9月の終わりに妹から、父の具合があまりよろしくないとの連絡があった。鬱気味で、最近は食事もあまり摂らないのだという。妹は、平日は仕事があるので週末に父の病院に行ってみると言っていたが、私は妹と電話で話しながら、「父が鬱気味になるのも仕方がないよな」と考えていた。

この病院に移る前、父は実家近くのグループホームで暮らしていたのだが、何しろ自分が生まれ、80年以上暮らした町にあるホームだったから、他の居住者も職員の人たちも、辿って行けばみな知り合い。気心が知れた環境の中で父は、脳梗塞の後遺症で喋るのが不自由でも、動いたり歩いたりには介助が必要でも、TVを見たり、散歩をしたり、それなりに動きのある毎日を送っていた。しかし体調が悪化してホームにいられなくなり、空きベッドの都合で実家から離れた隣県の病院に移ってからは、父はほとんど1日ベッドに寝たきり。特に当初は感染症を患っていたため個室をあてがわれていたから喋る相手もなく、1日天井を見ているしかなかった。その後感染症が治ってからは大部屋に移れたが、老人専門の病院に元気な人がいるわけはなく、たいていは寝たきりで話相手にはならない。しかし仕事が忙しい妹はどう頑張っても2週間に1回か、1か月に1回くらいしか見舞えず、私はと言えば遥か彼方の外地にいて、1か月に1回どころか、1~2年に1回しか顔を見せないのだから、毎日毎日、話相手もおらず一人きりでいる父が、生きる気力をなくし鬱気味になるのは当たり前なのだ。

ただ幸いその週末に妹が見舞いに行ってみると、抗鬱剤等の治療が効いたのか父は幾分元気を取り戻しており、食事も摂るようになっていたとのことで少し安心したのだが、しかしこれもいつまで続くか。薬で気分が上向いているだけで、病院での父の生活が楽しみのない生活であることにはまったく変わりはなのだから。

私が子どもだった頃、父は私を本当に可愛がってくれた。父はやさしく、寛容だったし、性格的にも明るい冗談好きな人で、父を笑わせるのはとても楽しかった。私が子ども時代を生き延びることができたのは、父のおかげである。

それなのに私は老いた父に、こういう生活を送らせている。本来ならそばに住んで毎日でも見舞いに行くべきなのに、2年に1度くらいしか会いに行かない。父を思い、済まないと思うが、こういう現在を導くに至った過去の選択を悔いているわけではないし、また今の生活を中断する気もない。

私の心の中には、自身を「人非人!」と嘲る冷たい感情と、長年の間に石のように固まり、柔らかい感情など寄せ付けなくなってしまった罪悪感はあるが、後悔や慙愧の念はない。現状以外の状況は、考えられないのだ。たとえ20年前に戻り、もう一度選択し直すことができたとしても、私はやはり同じ選択をし、父と母を置いて日本を離れると思う。そして戻らないと思う。日本を出ず、あの家であのまま、窒息しそうに暮らしていくことは、私にはできなかった。

この手の話をすると、欧米人はよく“It’s your life.”と言う。あなたの人生なのだから、あなたが考え、あなたが選択するのは当然だというのだ。私も数人から言われた。一方、日本人や中国人とこの手の話をすると、ここまですっきり割り切れた反応にはならない。家族を置いて行く/捨てることに対し、たとえそれがどんなに理に適った、結果として妥当な選択であったとしても、人の道に外れた行いとして、そのことに対する忸怩たる思いが心のどこかにあるのである。

私も日本人であるから、欧米人のようにすっきり、さっぱりは割り切れない。しかし別の選択もできない。たとえ何度戻ろうと、私は同じことをする。百回戻れば百回、千回戻れば千回、わたしは父母を捨てて日本を出る。

そうして私は思う。あれほど私を可愛がってくれた父に、ここまで寂しい老後を送らせている私なのだから、その私の老後は父以上に寂しいものになるだろうと。なって当然だ、と。
子どももいない。姪も甥もいない。老いた時の家族はたぶん雪だるまだけだが、その雪だるまも私より年上だ。一人で死んでいくことを引き受けなければならない。

球根植え

金曜あたりから風邪気が抜けて、体調がふつうに戻った。それまで5、6日、朝起きるとのどが痛く、時々鼻水が出、頭が重く、ついでに目がしぱしぱしてPCを見るのがつらい感じだったのだが、これですっきり。おかげで土日、編み物と放っておいた庭仕事に精を出すことができた。

このあたりはもうすっかり秋で、楓の葉はめいっぱい赤や黄色に色づき、風が吹くたびに盛大に葉を落としている。庭もデッキも、もうそこらじゅう葉っぱだらけでかなり見苦しいのだが、こればかりは今しばらく放っておくしかない。木が葉っぱを落としている最中に落ち葉掻きをしても、無駄なんである。掻き集めるそばから葉っぱが落ちてきて、永遠に終われない。レ・ミゼラブルのコゼットも「落ち葉掻きが終わらない」と言って泣いていたが、あれと同じである。したがってこれは葉が落ち切るまで放っておいた方がいい。その方が効率的。

しかしながら秋植えの球根だけは、土が凍る前に植えねばならない。8月半ば、来年の庭を夢見ながら注文した球根が昨日届き、中でもユリは「乾燥厳禁、即刻植えること」なるラベルがついていたので、さっそくシャベルを持って庭に出勤。穴掘りを始めた。
ユリは背丈30-45cmくらいのボーダーリリーで、雪だるまが左右の前庭の縁に植えたいと言って買ったもの。けっこう値段が張るので今年は左右に8本ずつ、計16本しか注文しなかったが、ゆくゆくは縁の端から端までユリで縁取りたいんだそうである。

雪だるまは「そうなれば、きれいでしょ?」とにこにこしているが、実際に前庭の芝生を剥がし、穴を掘って球根を植えるのはなぜか私の仕事で、芝生であるから芝止めのプラスチックガードも入れねばならず、これだけでもう、かなりぜいぜい。


      borderlilies.jpg

ボーダーリリー。このオレンジのと白を互い違いに植えてみた。


その後、ダーウィン種のチューリップ、白のスキル、ハーディー・ゼラニウム、アリウム、去年のとは別な種類のムスカリなども植えつけたが、困ったことに水仙やシシリアン・ハニーガーリック、レインボウ・アリウムを植える予定のところにはまだコスモスやらジニアやらが咲いていて、植えつけることができない。


      sicilianhoneygarlic.jpg

シシリアン・ハニーガーリック。ガーリックという名前だが、食べるわけではなく
花を鑑賞。ただ球根は袋に入っているうちからいかにもニンニク!なにおいで、ちょっと笑った。



     squill.jpg

スキル。日本名は海葱というらしい。葱の花に似ている気はしないのだが…


コスモスなんて当地では夏の花だから10月には枯れているはずだったのだが、種まきが遅かったせいか未だに元気いっぱい咲いていて、バンブルビーがわんわん飛び交っている。コスモスはタネを取る予定だから、咲いているうちに刈ってしまうこともできず、本日は腕組みして「うーん」と唸っただけで、そのまま。ジニアに至っては、いまだに蕾をつけている。もうすぐ0℃近くまで下がるというのに、なんとしたことか。さすがプロフュージョン種。名前に恥じない旺盛さ!

しかし感心してばかりもいられない。ユリに限らず、球根は「できるだけ早く植える」が鉄則なので、明日か明後日にはなんとかしなければならない。咲いているコスモスとジニアを刈るか。あるいは別の場所を開拓するか。うーん、どうしよう?

始まりました

  • 2013/10/03 09:16
  • Category: 言葉
さて、予定通り月曜から仏語教室が始まりました。
本日で3日目でありますが、さすが「毎日がいい!」と言っただけあって、みなさん真面目に登校しております。
もちろん私も真面目に登校しています。

今年の国/地域別内訳は、キューバ4、コロンビア2、ブラジル1、ペルー1、デンマーク1、ギリシャ1、レバノン2、パレスチナ2、中国5、日本1の計20人。去年のほぼ倍であります。しかしながら期待していた日本人移民は残念ながらなく、アジア系で増えたのは中国人だけでありました。ま、人口規模も移民の数も桁違いなのですから、致し方ありません。

言語的には、やはり一番多いのはスペイン語圏(キューバ、コロンビア、ペルー)で7人、次に多いのが中国語で5人、その次がレバノン、パレスチナのアラビア語かな、と思います。

人数が増えたので、1日目、去年の教室では入りきれなくなり、2日目から別のもっと大きい教室に移動。毎週金曜にはコンピュータルームも使えるとかで、人数が増えるといいこともありますな。授業も、なにしろ毎日3時間ずつあるので、去年よりずっと充実。まじめに予習復習をすれば、みっちり身に付きそうであります。

ただ人数が増えた分、授業中の発言やお喋りも多くなり、この辺「授業とは教師の話を謹聴するもの」という教育が染みついた世代の日本人としては、「ああ、もう、うるさーい! ちっとは黙ってせんせーの話を聞きなさい!」と思うこともないではないのですが、教師の話に反応して発言することにより授業に積極的に参加しているのだと考えれば一概に悪いとも言えず、苛立つ自分自身を「まあ、まあ」と自分でなだめております。

それにしても毎日午前中は学校、その後、月、木、金の午後はジム、火の午後は1週間分の買い物、それらから戻ってくると、もう夕食準備の時間という感じで、1日が過ぎるのが異様に早いです。今までの庭仕事三昧、編み物三昧の生活がウソのよう。あののんびりした日々は、一体どこに行ってしまったの?であります。ああ、週末が待ち遠しいとは、まるでフルタイムの学生か、勤労婦人みたい。私は確か2年前に、リタイア生活に入ったはずだったんだけどなあ。

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らうとら

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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