はい、もう1回!

今日、手術以来初めて執刀医殿の診察を受けたら、アヤシイ細胞を取りきれていなかった上、かなり大きな血腫もできているとかの理由で来週早々また手術をすることになり、正直、わたしは現在かなり機嫌が悪い。

公平に言えば、1月の手術の際すでに「細胞は1ミリに満たない非常に小さいものなので、取りきれない可能性もある。その場合は再度手術する」と言われていたので、完全に寝耳に水というわけではないし、医者だって神様ではないのだから、最善を尽くしても常にベストな結果を導けるとは限らないということはわかっているのだが、それにしても同じ手術を2回はなあ・・・
いくら痛くなくても、その日のうちに帰って来られる手術でも、手術は手術、全麻は全麻。リスクゼロというわけではなし、手術後の生活における種々の不都合も「あれを、もう1回かね…?」と思うとかなり気分が萎える。

あーあ、せっかく左腕もかなり上まで上がるようになってきて、前開き以外の服も着られるようになってきたし、左手で物を持ったり、重いドアの開け閉めをしたりしても傷に響く感じがしなくなって、嬉しく思っていたところだったのになあ。また逆戻りか。あー、つまんない!
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Tea with Jam & Bread

今季5枚目にしてやっとほぼ100%気に入ったセーターができたので、
自慢たらしくここにアップ。


IMG_4116.jpg


デザインは、わがお気に入りのデザイナーのひとり、Heidi Kirrmaierさんの
“Tea with Jam and Bread”





Heidiさんのデザインに多いネックからぐるぐる編んでいくトップダウン、袖はラグラン、
シームレス(綴じはぎなし!)、ゆったりめに着るポジティブ・イーズと、
編むのも着るのも簡単、楽ちん、ストレスフリー。」

しかし簡単、楽ちんとは言ってもベーシックの退屈には陥っておらず、
身頃や袖に配されたボーダーや、そのボーダーの下にくっついた2つのポケットなど
遊びの要素もあり、これまた編むにも着るにも楽しさ倍加。

あんまり楽しかったので、DK糸で編んだにも関わらず
いつもより早く、3週間弱で仕上がった。

ちなみに糸は、Rowanの Felted Tweed DK。
Clay(灰色)を3.5玉、Scree(灰青)を1.4玉、Camel(茶)を1玉、計約6玉(300g)使った。
アルパカが少々入った糸なので、チクチクするのが苦手な人には向かないかもしれないが
シャツの上に着るのならさほどは気になるまいし、第一軽くて暖かくてよい。
ネットで選んだ割には色もほぼ予想通りで、私としては色合い、着心地ともに大変満足である。

それにしても今回初めてRowanの糸を使ってみたのだが、うーん、よい糸はやはり違いますねえ。
ふだんウール100%ではあっても、1玉3-5ドルの安い毛糸ばかり使っていたので、
風合いに感心することはあまりなかったのだが、今回は仕上がったセーターの感触に感心。
色合いも微妙な陰影があり、深みがあって美しい。
値段がほぼ倍なだけのことはある、という感じである。

実は今回、このRowanの糸で編むに当たっては万が一にも失敗してほどくようなことになってはならない!と、
本番糸で編む前に練習としてアクリル糸でこの同じセーターを編み、編みあがりはそれなりにきれいに
見えたのだが、Rowanバージョンが仕上がって比べてみると、その差は歴然!
アクリルはやわらかいし、発色が鮮やかだし、それだけで見ていればそれなりにきれいなのだが、
メリノウールやアルパカ、カシミアなどの上質な天然毛と比べると、アクリルはやっぱりアクリル。
色といい、感触といい、著しく深みと風合いに欠けるのだった。

困った・・・ 以降、安い糸の使えない身になってしまったら、どうしたらいいのだ?

練習問題

  • 2014/02/24 22:09
  • Category: 言葉
先週から、ちょっと暇になるとオンラインの仏語学習サイトに行って
そこの練習問題をせこせこ解いている。
学校でも使っているサイトなので、その存在は以前から知っていたが
PC画面を見続けていると目が疲れるので、今まで家でそのサイトを利用することはほとんどなかった。

しかし先週、学校で習ったことをちょっと確認したくて
そのサイトに行って説明を読み、ためしに練習問題なんかやってみたら
これが結構面白くて、すっかりはまってしまった。

外国人向けの学習サイトなので、「冠詞」とか「動詞の活用」とか、あるいは時制で「複合過去」とか
「半過去」とか、テーマ別に説明と練習問題が多数用意されている。
練習問題は☆ひとつの簡単なものから☆3つのやや難易度の高いものまでいろいろ。
オンラインなので画面上に答えを入力していき、最後に一番下の黄色いバー
「CLIQUEZ ICI POUR FAIRE CORRIGER VOTRE EXERCICE」をクリックすると、正答が示される。
そして正答率100%、全問正解の場合は、パチパチパチ!という拍手音が流れるのである。

私はこのパチパチパチが聞きたくて、何度も挑戦するのだが
以前にも書いたとおり記憶力が誠にお粗末なので、何回やってもどこか間違える。
今勉強しているのは「複合過去」なので、練習問題も「複合過去」をメインにやっているのだが
フランス語を勉強したことのある方はご承知の通り、「複合過去」は助動詞(=動詞「avoir」
または「être」の現在形)+動詞の過去分詞 で作る。
で、助動詞に「avoir」を取るか「être」を取るかは動詞によって決まっており
大部分の動詞は「avoir」でOK、「être」を取るのは「行く」とか「来る」とかの20個にも足らない動詞と
代名動詞のみ、なのだが、中には「avoir」「être」の両方を取れ、どちらを取るかはその動詞を
自動詞として使っているのか、他動詞として使っているのかによる、というはなはだ面倒くさい動詞もあり
ついでに「être」を助動詞として取ったときには、主語の性・数に合わせて過去分詞を変化させねばならず
また「avoir」が助動詞のときでも、OD(直接目的語)が動詞より前にある場合は、そのODの性・数に合わせて
過去分詞を変化させねばならず、等々の七面倒くさい規則がいろいろあり
これらの七面倒くさい規則をすべて記憶し、かつ適用するには、高度な注意力が必要である。

そしてもちろん、それ以前に大前提として、動詞の過去分詞形を覚えねばならない!
ああ、考えるだに恨めしい不規則動詞の大群!!!

おかげさまで何度問題をやっても、私はどこかでバーに引っかかり(「être」か「avoir」かで迷う、
過去分詞を間違える、過去分詞を変化させるのを忘れる、etc.)、なかなかパチパチパチ!を
聞くことができない。
できないからこそハマっているとも言えるのだが、せめて5回に1回くらいはパチパチパチを
聞きたいものである。

ちなみに練習問題はここです。
とりあえず「過去形」の練習問題が載っているところを、貼り付けておきます。

ヒトの乳房

  • 2014/02/22 05:05
  • Category: 雑記
雑誌や映画、ネット上には女性の乳房があふれており、映像としての女性の乳房は、もう珍しくもなんともないが、実生活で自分以外の女性の乳房を見ることは、実のところあまりない。銭湯や温泉に行く機会はほとんどないし、行ったとしてもまさか他人様の乳房など、しげしげ眺めるわけにはいかないからだ。

ところが先日、ジムでたまたま見ていたテレビで、モデルや女優ではない、ごく普通の女性たちの乳房を大量に見る機会があった。地元ケベックのテレビ局Canal Vie放送の『Docteur, suis-je normal?』という番組で、その回は『自分でできる乳がん検査!』みたいなエピソードだったのだ。

この番組、あとで調べると、医師と看護師のチームが各地を回って、相談に訪れる患者を診察、治療するというリアリティ・ショー系の番組らしいのだが、ホスト役はロンドンはハーレイ街にクリニックを持つ若くてハンサムな医師、訪問先は英国の各都市と、ケベックのTV局で、フランス語で放送しているくせに、なぜかホストも舞台も英国。どうしてそうなのかは謎なのだが、ともかくチームはリバプールやブリストル、サンダウンなど英国の各都市を回り、そこで診察、治療を繰り広げる。

で私が見た回は、英国のどこかの都市のショッピングモールで、20代~30代の女性たちに声をかけ、指導役の女性医師とともに、みんなで一緒に乳がんの自己検査の方法を学びましょう!というもので、広い体育館のような会場に集まった女性たちは、みな一斉に着ているものを脱いで上半身裸になると、例の片腕を上げ、もう片方の手で乳房に触ってしこりの有無を確かめるという乳がん検査を実践し始めたのだが、私は肝心の検査のやり方よりも、集まった女性たちの乳房の方に目が釘付けになってしまった。

なにしろ英国の大都市なので、集まった女性たちは白黒黄色と、肌の色もさまざまなら身体つきもさまざま。背の高い人、低い人、むっちり太った人に、鉛筆のように細い人、あるいはがっしりと筋肉質な人と、実にバラエティに富んでいる。結果、そのバラエティに富んだ彼女らの乳房もまたバラエティに富んでおり、細長いものから大きく垂れ下がったもの、サイの角のように尖って突き出たものなど、ヒトの女性の乳房にこんなにもバラエティがあったとは…と口をあんぐり開けて驚くほど、さまざまな形、大きさの乳房が一堂に会していて、私は思わず「へええ…」と嘆息した。

しかもその20数対あまりの乳房の中に、雑誌や映画で見かけるような豊かに盛り上がった、思わず触りたくなるような美しい乳房は1対もなく、むしろ失礼を承知で敢えてコメントすれば、「できれば見たくない」と敬遠したくなるような美しくない乳房がほとんどで、私はその事実に、大げさに言えば目からウロコの思いがした。

冒頭にも書いた通り、私を含め一般人は、ふだん自分自身やごく親しい人の乳房以外、ヒトの乳房を見る機会はほとんどない。よって私は今まで、雑誌、映画、ネットで見かける乳房が(準)標準で、自分以外の人はみなあのように豊かで美しい乳房を持っているのだろうと薄ぼんやり思っていたのだが、どうやら事実はまったく違うようだと、この時やっと気が付いたのだった。

考えてみればこれは当たり前である。私たちがメディアで見る美しい乳房の持ち主であるモデルや女優さんは、その姿、かたちが人並み以上に美しいからモデルや女優をしているわけで、彼女らの顔かたちが人類平均ではないように、彼女らの乳房もまた人類平均ではないのだった。況やそれが売り物のグラビアモデルの乳房に於いてをや。

というわけで、この番組のおかげで私は美的基準から見た人類の乳房における平均値は、私が考えていたよりも遥かに低いという事実に天啓のように気付いたわけだが、おかげでランペクトミーにより今まで以上に扁平になり、おまけに分割線まで入った我が乳房に対する少々の鬱屈した思いが、あっさり消えたのは儲け物だった。

実のところ、手術前に遠慮のない物言いをする義弟ジェリーから「(手術は)boob job(豊胸術)をするいい口実になるぜ」と冗談半分に言われ、私自身「人生後半で初めて“豊かな乳房”ってやつを持つのも面白いかもな」と、近所に住む一番仲のいい叔母さん、60代後半で「小さいおっぱいには飽き飽きしたのよ」と言ってboob jobを敢行した叔母さんに、どこでやったのか聞いてみようかなんて思っていたのだが、この番組を見てからはどうでもよくなった。

世の中、美しくない、鑑賞に堪えない乳房の方が、圧倒的に多いのだ。扁平で貧弱な乳房は、ま、些か寂しいが、少なくとも白人女性に多い豊かすぎる乳房よりも、邪魔にならなくてよい。それに大きい乳房を手術以外で小さくするのは難しいが、小さい乳房は下着やパッドである程度下駄をはかせることができる。増減自在というわけで、簡便この上なし。boob jobにいくらかかるのかは聞きそびれたが、いずれにせよその金があったら、代わりにアフリカにキリンと象を見に行く方がずっと楽しそうだ。象の群れがサバンナを移動するところ、見てみたいなあ。

モロヘイヤってアラビア語だったのね

  • 2014/02/17 22:33
  • Category: 言葉
1月のテーマは「職業」だったが、今月2月のテーマは「食べ物」である。
で月初から、野菜とか果物とか個々の食べ物の名称を学び、「recette(レシピ)」を解読して、調理器具の名前や「peler(皮をむく)」「couper(切る)」「sauter(さっと炒める)」といった動詞を学んだりしている。
野菜果物の名前では、ここカナダでふつうに見かけるものと、生徒各自が生まれ育った故国でふつうに見かけるものが結構違うので、生徒から「それ、なーに?」という質問が出ることもしばしばだった。「mûre(ブラックベリー)」、「canneberge(クランベリー)」などのベリー類はキューバとか暑い南では余りポピュラーではないし、逆に「carambole(スターフルーツ)」や「litchi(ライチー)などは、この北の田舎の町ではほとんど見ることはないから。(先日ちょっと高級系のスーパーで、ライチーが数粒、きれいな紙の箱に入れられて、貴重品のように売られているのを見たが、まだ熟れていなそうな緑がかった色といい、しなびかけた表皮のぐあいといい、とても高いお金を出して買いたいと思うような品ではなかった。ああ、あの香港の街市で売られている、大粒でつやつやした紅色のライチーたち! ぷるぷるした半透明の果肉の糯米枝!)

で、みなでいろいろな野菜や果物の名前を挙げあっていた時、パレスチナ出身のアミールが突然「モロヘイヤも、おいしいよ!」と言いだした。私はなじみのある名前が急に耳に飛び込んできたので、思わずアミールの方を振り向いたのだが、他の生徒はみなきょとんとした顔をしている。“モロヘイヤ”という名を聞いたことがないらしい。教師であるジョゼも知らないようで「それ、なあに? どんな野菜?」とアミールに聞いている。アミールが「緑色の葉っぱで、このくらいの大きさで…」と説明するのを聞いて、私は「日本や香港で食べていた、あのモロヘイヤだ」と確信し、アミールに「茹でると、ちょっと粘り気が出る(本当はぬめりが出ると言いたかったのだが、言えなかった)葉っぱでしょう?」と言うと、目を輝かせて「そうだ」という。しかし他のみんなは誰も知らず、ジョゼが「この辺で売っている?」と聞くのに、私とアミールは二人「いや、見かけない」と首を振った。

私はなぜ私(日本)とアミール(パレスチナ)だけが知っていて、他のみんなは知らないのだろうと不思議だったのだが、家に帰ってwikiして謎が解けた。なんと“モロヘイヤ”というのは北アフリカ原産の植物、ジュートの若芽だったのだ。日本には80年代に紹介されて、栄養価の高さから人気が出、普及したらしい。そしてملوخية‎‎ ; mulūkhīya モロヘイヤはアラビア語の名前なんだそうで、道理で私とアミール以外、わからなかったはずだ。実際にはアミールはちょっと違う発音で言ったのだが、私の耳には十分、“モロヘイヤ”と聞こえた。うーん、意外なところでアラビア語に遭遇。もしかして知らずに耳に馴染んでいるアラビア語、他にもあるかもしれない。

語呂合わせ

  • 2014/02/13 22:29
  • Category: 言葉
世の中には目に映ったものを映像として正確に記憶していられる人もいるようだが、誠に残念ながら私はその少数者のうちにないので、物事にしろ人の顔にしろ、電話番号などの数字にしろ、何かを覚えていることはあまり得意ではない。映画などの筋も、よほどの秀作かあるいは逆に駄作でない限り見たそばからすぐ忘れるので、同じ映画を何度も楽しめて便利ではあるのだが、この嘆息ものの記憶力の弱さは外国語学習には非常に不便で、単語など覚えた端からころころ忘れていく。我ながら感心するほど、脳内に定着しない。

しかし外国語学習は、特に初期は、徹頭徹尾「覚えて、なんぼ」 動詞の活用にしろ、文法にしろ、記憶しないことには話にならない。単語も同様。見たこともない外国語の単語など、いくら考えたって意味を思い付くわけはないのだから。で、昔はそのなかなか脳内に定着してくれない単語を何とか定着させようと、単語帳を作ってみたり、ひたすらせっせと書き取りをしてみたりしていたのだが、最近は目のせいで字を読むことや書くことがしんどいので、もっぱら何かに関連付けての記憶に頼っている。

たとえば先日歯医者に行くので覚えようとした「mâcher(噛む)」は、パピエ・マシェのマシェの元の形(不定形)だと知ってすんなり頭に入り、ついでに「coller(貼り付ける)」からはコラージュが、「découper(切り分ける、切り取る)」からはデコパージュが派生すると知って、「おお、なるほど」と合点がいき、この2つの動詞は頭に住みついた(と思う。住みついてくれ、頼む!)

そのほか英語と綴り、意味がほぼ同じ、あるいはそっくりの単語も、覚える手間が省けて助かる。英語にはフランス語から入った言葉が多いので、これは馬鹿にできない。ただ時々は、綴りは同じだが意味は違う単語や、意味は同じだが微妙に綴りが違う単語があるので、油断はできないが。たとえばこの間の「食べ物関連単語テスト」では、tomate(英語はtomato)とcarotte(英語はcarrot)で引っかかりそうになった。ことにcarotteなどは同じ人参を指すくせに、フランス語はtが2つ、英語はrが2つと実に紛らわしく、まったく外国人学習者を悩ませるためにそれぞれの国のアカデミーが、わざと綴りを違えたのかと勘繰りたくなるくらいである。

とはいえ、そうした落とし穴はあっても、似ている単語は記憶しやすいから助かる。困るのは何かと関連付けることもできず、英語と似ているわけでもない数多の単語である。しかも(当たり前だが)これが結構多い。記憶力のよい人なら、じいっと睨んで覚えて一件落着だろうが、記憶力のない私の場合そうはいかない。そこで登場するのが語呂合わせである。なかには「我ながらアホかいな」と思うような語呂合わせもあるが、この際覚えないよりはまし、と割り切ってせっせと語呂合わせに励んでいる。

たとえば手術の際に病院から貰ったリーフレットに頻繁に出てきた「pansement(包帯とかガーゼとか、あるいは手当てとかいう意味)」は「パン、すまん」(←パンに謝っている)、「cicatrice(傷跡)」は「鹿とリス」


shikarisu.jpg


そのほか「quotidien(日常の/日刊紙)」は「コチュジャン(例の韓国の辛味噌)」、「évidemment(もちろん、当然)」は「海老だもん」、等々。

一読しておわかりの通り、恥も外聞もない破れかぶれの語呂合わせばかりだが、この際いいのである。とりあえず初級者のうちは、覚えてなんぼ。聞いてわかり、読んでわかり、口をついて出てくればよいのである。どうせ相手には、私の頭の中を駆け巡っている鹿やリスや海老など、馬鹿馬鹿しい語呂合わせの連想は見えはしないのだから。

2月8日

  • 2014/02/11 09:59
  • Category: 雑記
金曜の夜半、妹から父が亡くなったと連絡があった。
覚悟していたとはいえ、しばらくはぼんやりした。

ここ2年ほど入院していた特養の病院で、末期の肝臓がんが発見されて
余命1、2か月と言われたのが、1月末。
しかしその数か月前から父はあまり食べられなくなっており
うとうとと眠っていることが多かったようで
妹が会いに行っても、わかる時もあり、わからない時もあり、の状態だったので
突然の訃報というわけではなかった。

電話を受けたのが夜中の1時半ころで、
電話を切った後もしばらく若かった頃、元気だったころの父を思い出して
ベッドの中で目を開けていた。

飛行機に乗って長時間の旅行ができる体調にないので
お通夜もお葬式も行かない。
母がみな付き合いを止めてしまったので、父の親戚は1人も残っておらず
そもそも私も妹も連絡先を知らず、
だからお葬式も妹夫婦と母方の親戚2、3人だけこじんまりしたものだろうと思う。

母が亡くなり、父が亡くなり、
これで残りは妹だけだ。
そして妹も私も子供はいないので
それぞれ一人で死んでいくのだ。
バイバイ、この世。

移民の就職

私自身はちょこちょことクリニックに行かなければならなかったり、またすでにリタイアの身であまり必要を感じなかったりしたので熱心に参加したわけではなかったのだが、1月の仏語教室のテーマは“Métier et Profession(職業)”だった。パン屋とか八百屋とか美容師とか教師とか、各職業の呼称を勉強しただけでなく、移民の就業を手助けする機関から担当者を招いて話をしてもらったり、月末には(私は参加しなかったが)町内や隣の市にある職業訓練校の見学に行ったりもした。そして今日は校内の就職ガイダンスの担当者が来て、ケベック州の教育制度と、それぞれの目標に合わせてどんなコースを取り得るのかを説明してくれたのだが、その後の質疑応答ではみな熱心にいろいろと質問していた。

私を含め生徒の大部分は、ケベッコワと結婚したことによって当地に来た移民だが、異国に来たとはいえ、男女ともまさかこれから一生、配偶者の稼ぎに依存して生きていくわけにはいかない。就職し、相応の収入を得ることは、今後の生活設計の上で必要不可欠なのだ。

しかしながら移民が仕事を確保するのは容易ではない。最大の障害は、やはりフランス語力。そして資格の問題だ。フランス語力の方は、まあ余りにも当たり前のことなので置くとして、もうひとつの資格の問題。今クラスにいる生徒の中には、本国では薬剤師、看護婦、IT技術者、機械技術者、教師など、相応の資格を持って働いていた人が多く、だから彼らとしては自身の知識と経験を生かして、同じ分野で働きたいと思っているのだが、A国で取得した資格がB国でも有効ということは稀で、したがって彼らはたとえフランス語が十分わかるようになっても、即その資格で就職!というわけにはいかない。正確かどうか確認はしていないが、ジョゼの話ではフランスと米国で取得した資格はケベックでも有効だが、その他の国で取得した資格は認められないそうで、つまり仏、米で看護師だった者はケベックでも看護師として働くことができるが、その他の国の者はケベックで看護師資格を取得し直さなければダメということだ。他の分野も同様。

なので昨日はどうやったら最も短期間に、本国での資格と同等の資格を取得できるか、という点に質問が集中していた。たとえば薬剤師資格を取得するのに、これからまた3-5年間大学に通うのは費用の面でも時間の面でもあまり実際的とはいえないから、たとえば学士入学のような形で、何か期間を短縮できる方法はないか、ということだ。担当者は、どの国で取得した資格かによっても事情が変わって来るので、個々のケースについてはそれぞれきちんと調べてからでないと回答できないが、一般的に言ってたとえば4年のところを2年に短縮というような可能性はあるかもしれないと言い、あるいは同じ分野ではあるがより資格取得が容易な職業、たとえば看護師の代わりに介護士というような選択も考えられる、というようなアドバイスをしていた。

私はそうしたやりとりを聞きながら、確かに資格はないよりある方がいいし、仕事ができるだけの語学力をつけることも大事だが、それにしてもここがこんな田舎でなければ、彼らの就職ももう少し簡単かもしれないのになあ、と考えていた。それというのも、ここがモントリオールやトロントのような大都会なら、母国語しか喋れなくても仕事に就ける可能性があるし、英/仏語が喋れるようになれば、それと母国語とのバイリンガルとして、それを生かした求職の可能性もあるからだ。母国語のみでも何とかなる例としては、語学教師、コック、厨房の下働き(中華レストランの厨房には、中国語しか喋れない厨師や下働きはいくらでもいる)。2、3か国語使える場合は、貿易会社の事務員やガイド、通訳。語学教師になるには現地語も必要では?と思われるかもしれないが、そうとも限らないのだ。実際、雪だるまはその昔、日本の某語学学校で英語教師をしていたことがあるが、日本語が喋れることは採用条件になく、むしろ喋れない方が歓迎されたそうである。それというのも、なまじ教師が日本語を喋れると、生徒の方がつい甘えて日本語を使いがちで、それでは勉強にならないからだそうで。

つまり都会は就職口が多いだけでなく、職種もバラエティに富んでいるので、移民というやや毛色の変わった個体でも、その変わっている点をウリにして就職が可能だということである。それに引き替え、職種が限られている上、社会が仏語一色で仏語が喋れなくては半端仕事にすら就けない当地では、毛色が変わっていることはウリにはならない。スペイン語が喋れても、アラビア語が喋れても、田舎では何の足しにもならない。家賃が高くても、環境が今ひとつでも、移民が都会に住みたがるのは当然かもしれない。

おんぼろ中古車気分

相変わらず週2回、クリニックに行って傷口の手当および経過観察をしてもらっている。
手術から1か月、やっと傷口がふさがり始め、出血も少なくなってきた。
熱が出ているわけでもないし、腫れも引いてきたし、まあのろのろと順調に回復ということなのだろう。

しかし実は昨日は歯医者にも行って来た。
2週間ほど前、昨秋治療した歯がしくしくと痛み出し、1週間前のある夜は痛くて物が噛めなくなったので
仕方なく歯医者の予約を取ったのである。

その痛くて物が噛めなかった夜は、ふと日本の家庭の常備薬、らっぱのマークの正露丸の箱に
「歯痛にも効く」と書いてあったことを思い出し、実は賞味期限が切れているのだが
捨てる気になれず後生大事に持っていた正露丸を、半分に割って、痛む歯に詰めてみた。
すると驚いたことにしばらくすると痛みは薄らぎ、しくしくはするが痛くて寝られないほどではない、
という状態にまでなった。薬効驚くべし。

しかし余りに霊験あらたかなのも、却って不安を誘うもの。
腹下しの薬の正露丸で、歯痛が治るわけはないしなあ、とやや心配になってネットでいろいろ調べてみたら
正露丸で痛みが薄らぐのは、木クレオソートの強い殺菌作用で神経が麻痺して痛みを感じなくなるだけで
根本的治療にはならない。できるだけ早く歯医者に行く方がよい、との記述をそこここで発見。
それはそうだよな、風邪じゃないんだから寝ているだけでは治らないよな、
と観念して歯医者に電話したというのが、ことの経緯である。

で昨日は歯医者でレントゲンを撮って、抗生物質を処方され
次に痛み出したら根管治療を考えましょうね、と引導を渡された。
歯科は保険でカバーされないケベック州、根管治療の費用は、
気軽にあっさり「やりましょう!」なんて言えるほどお安くはないのである。
そうなりたくないから、毎食後必ず歯を磨き、デンタルフロスや歯間ブラシも使い
年に1回は歯石取りもして歯の健康維持に努めて来たのに、
どうして歯痛が起こるのか?

クリニックといい、歯科医院といい、最近私の手帳のアポはみんな医療関係ばかり。
まったく、あちこち壊れてメンテが必要で、なんだかほんとに、おんぼろの中古車になった気分である。

007シリーズ

  • 2014/02/01 11:19
  • Category: 映画
最近雪だるまが買い込んだ映画は、どれも駄作ではないが秀作でもないという影の薄いものが多く、見た翌日でさえすでにタイトルも思い出せないような有様。どうでもいいような映画の連続になんだかほとほとうんざりしてしまったので、ここ4、5日はご存じショーン・コネリー演じる初期の“ジェームス・ボンド/007”シリーズを、第1作の『Doctor No』から再鑑賞している。

これは別にこのシリーズが、映画を見る意味を再認識させてくれる傑作シリーズだからではなくて、むしろその逆、ちょろちょろとこちらの神経を逆なでする、腹立たしい映画だからである。私の場合、腹の立つ映画、不快な映画の方が(もちろん程度によるが)、あとあとものを考えるのである。楽しい映画、好みの映画は、そりゃあ見ていて気持ちがいいし、見終わった後もしばらく幸せな気分でいられて、この世の憂さを忘れさせてくれるが、そういう映画ばかり見ていると、竜宮城で乙姫様&タイやヒラメの舞い踊りに浮かれ、お家に帰るのを忘れた浦島太郎さん同様、現実との接点を失ってしまうのである。

それはともかく、この“コネリー/007”シリーズ、なぜやたら腹が立つのかというと、ボンドおよびボンド・ガールズの性格および役柄設定が、何とも前時代的な脳天気マチズモに満ちていて、女と見ればものにしたがる自信過剰男(ボンド)と、その男にいいようにあしらわれるビンボー(ボンド・ガールズ)しか出て来ないからである。こんなステレオタイプの設定、今だったら各所から轟々と抗議の声が上がり、ネットで叩かれて炎上間違いなしというところだが、40、50年前はこの設定で非難されないどころか、むしろボンド氏は男の理想像を地で行く夢のハンサムガイ、ボンド・ガールズはそのボンドに愛される(?)可愛くてきれいな理想の女の子だったのだから、60年代、70年代のウィメンズ・リブ運動以降、世の中はやはり少々変わったのである。

だからこそ、ショーン・コネリー(62-71年)→ジョージ・レーゼンビー(69年)→ロジャー・ムーア(73-85年)→ティモシー・ダルトン(87-89年)→ビアース・ブロスナン(95-02年)→ダニエル・クレイグ(06年-)と続くこのシリーズで、ボンド・ガールズはおつむもお尻も軽いビンボーから、ボンドと対等に戦うキャラとなり、ボンドの上司であるMも、ビアース・ブロスナンの第1作である『ゴールデン・アイ』(95年)から、ロバート・ブラウンに代わって女性であるジュディ・ディンチが演じても、違和感を覚えないようになったのだと思う。

こうして映画の中に 徐々に“強い”(精神的にだけでなく、肉体的に)女が登場するようになったのは、別に007シリーズが先駆というわけではないだろうし、現在の“強い”女の氾濫に007シリーズが貢献しているとも思わないが、アクション映画としては50年という長期にわたって続いているシリーズだけに、流れを見る一つの目安にはなると思う。

何しろ最近は、女性が主役のアクション映画も数多くあるし(『Haywire』で主役を演じたジーナ・カラーノの格闘技!)、お子様向けのディズニー映画ですら、出てくる女の子はみな気の強いじゃじゃ馬ばかりだ。70年代に『つよい女は美しい』を書いたのは桐島洋子・小沢遼子のお二人だが、私も、そうあれるかどうかは別として、弱い人間よりは強い人間の方が好きだから、映画という架空の世界であっても、つよい女が溢れているのは喜ばしい。武力を賛美しているわけではないんだけどね。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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