芝生張り替え

芝生張り替え屋さんが来た。本当に来た。
夏前から頼んであったのだが「7月は暑過ぎるから張り替えには向かない。8月15日過ぎたら連絡する」との話で、しかし15日過ぎても連絡がなく、こちらから電話するとのらりくらりとした返事で一体いつ来てくれるのだかはっきりしなかったので「これは今年は無理かな」と思っていたのが、先週の木曜の夕方、急に「明日行きます」との電話。そして本当に翌朝8時前に、大型トラック、小型ショベルカー、ガタイのいいお兄さんたち3人というフル装備でウチにやって来た。「いやあ、本当に来たあ」と、ちょっとびっくりした。

そもそも裏庭および前庭の芝生を張り替えようなんぞと考えたのは、ウチの芝生があまりにみじめな状態に成り果て、自力ではどうしようもなくなったからである。2011年にこの家に引っ越してきた当初から、前庭はともかく裏庭の最も日当たりのいい部分は芝が枯れて、そこここにハゲが出来ていたのが、翌12年夏の日照り&水不足でそのハゲが裏庭全体に拡大してしまった。おまけに芝が枯れた代わりにタンポポ、チックウィードを始めとする雑草が大量に繁殖。芝生だか草地だかわからない有様になってしまった。「これはいかん!」と翌13年(去年だ)に、雪だるまと二人、特にハゲと雑草が目立つ部分を小区画に区切った上で1区画ずつ表土を剥がし、剥がした部分に新しい土を入れて芝のタネを蒔き、タネを蒔いたらせっせと水遣りに励むという手順で芝生の再生を試みた。表土剥がしは結構な重労働で、夏の暑い盛りなど、雪だるまは可哀そうになるほど全身汗みずくだった。しかしその甲斐あって秋には結構芝が生え揃い、いかにも若い、細くてちょっと弱々しい感じの芝ながら、庭が緑に覆われているのは気持ちよく、「よし、来年は残りの部分をやるぞ!」と意気軒高だったのだが、なんと今年の春、雪が融け終わってみたら、去年の夏、汗水たらした努力は完全に水の泡。新しい芝はみーーーーんな死んでいた。どうやら若過ぎて体力に欠け、零下30度近くにもなる過酷なケベックの冬を越せなかったらしい。というわけでまたハゲに逆戻り。夏の短いケベックで、自力でタネから緑したたる芝生にするのはほぼ不可能とわかったので、仕方なくすでに丈夫に成長した芝(sod)を持っている専門業者に頼むことにしたのである。

さてその張り替えだが、まずはショベルカーで表土を芝生もろとも15センチばかり剥がす。去年、人力でやった時には、たかだか4㎡ほどの芝剥がしに1時間近くもかかったが、ショベルカーならほんの2掻き。あっという間である。雪だるまと二人、「早いねえ…」と去年の夏の労苦を思って嘆息した。

そして木があったり、花壇があったりでショベルカーが入れない狭いところは、一番若そうなお兄さんがシャベルを振るい、えっさ、えっさ地道に剥がす。こちらも人力とは言え、慣れているし、若くて筋力もあるので、私たちよりずっと早い。朝8時から始めて昼頃には逆L字型になっている裏庭の短い横棒部分を完了。剥がした表土は大型トラックに積んでどこかへ運び去り、代わりにこれまたトラックで運んできた新しい土を入れ、レーキできれいに平らにならす。午後は同じ手順で、Lの長い棒部分に取りかかる。ここはメイプルの大木があったり、私が作った花壇があったりでちょっと手間だったが、それでも夕方には表土剥がし&土入れを完了した。いまや裏庭全体、ほかほかした新しい土に覆われている。ちなみにこの土は彼らのところの自家製で、剥がした芝/表土に堆肥を混ぜて熟成させ、それを篩って作るのだそうで、なかなかに無駄がなく、エコロジカルなことである。


表土を剥がしたところ

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翌月曜、今度は前庭にかかる。こちらはドライブウェイを挟んで左右に分かれてはいるが、裏庭に比べればずっと小さいので、半日で終了。ついでに病気で枯れかけ、他の木に病気が移るから伐った方がいいと植木屋さんから言われていた白い花の咲く大木もショベルカーであっという間に処理してもらえて一石二鳥。伐れといわれてもウチにはチェーンソーもないし、日曜大工用の鋸では何時間もかかりそうだし、どうしたものかと思っていたところだったのだ。

そして翌日午後にはsod屋さんが登場。巻いたカーペットのようなsodを、次々と表土の上に敷いていく。速い。1時頃から始めて、4時頃には裏庭も前庭も、全てふかふかの緑の芝生に覆われた。びっしりときれいに生え揃った芝生は、こんなにも庭の風景を変えるものかと感嘆した。まさに緑油油である。ちょうどウチに遊びに来たお義父さんとジェリーも、「違うねえ」と感心。しばらくデッキに腰掛け、眺めていった。


sod。 ほとんど海苔巻

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さて、めでたく緑の芝生にはなったが、実のところ勝負はこれから。いかにこの“緑油油”を維持するか。隣近所から飛んでくるタンポポの綿毛、隣の市で大量発生した芝の根を食い荒らす白い虫、夏の間の水遣りの管理、秋の落ち葉掻き、冬の間前庭に掻き寄せられる砂と融雪剤まじりの雪など、“緑の芝生”の敵は多士済済、なまなかなことでは維持できないのである。ううむ、前途多難。


いつまでもつか、緑の芝生

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SYTYCD

  • 2014/08/23 04:52
  • Category: 映画
雪だるまが米FOXの人気シリーズ、『So You Think You Can Dance』のDVDを買った。シーズン1から10まで全10巻、全米各地でのオーディションから始まる全ての放送が収められているので各シーズン5、6枚のCDがあり、毎日2~3時間ずつ見ていても、いっかな見終わらない。すでに1週間以上見続けているが、いまだにシーズン2。やっとトップ10に絞られたところで、果たして今週中にファイナルまで行けるかどうか。別に仕事で見ているわけではないし、期限があるわけでもないのだから、気長にゆるりと見ていればいいのだが、大好きなDanny君とNeil君が出ていてお気に入りのroutineも多いシーズン3が早く見たくて、ちょっと気が急いている。

ご存じの方はご存じだと思うが、『So You Think You Can Dance』というのは『American Idol』とか『XX ‘s Got Talent』とかのコンペティション系リアリティ・ショーのダンス版である。全米各地でのオーディションで選ばれた男女各10人がペアを組んで、毎週くじで引き当てたジャンルのダンスを踊る。くじだから何が当たるかは、開けてびっくり。ストリート出身のBボーイ/ガールがフォックス・トロットなどのボールルーム・ダンスを引き当ててしまうこともあるし、逆にバレエ・ダンサーが全く畑違いのヒップ・ホップとかを引き当ててしまうこともある。それでも引き当てたからには、何とかかたちにしなければならない。練習時間はせいぜい2、3日、長々練習している暇はないのだから、いくらトップダンサーを目指す腕に覚えのある人たちとは言え、自分の専門外のダンスを引き当ててしまった時には、かなり悪戦苦闘の様子である。それでも最後には最低、“何とか見られる”程度には仕上げてくる。見上げたものである。

そしてその悪戦苦闘の対象である肝心の振り付けは、Sonya Tayeh、Mia Michaels、Dan Karaty等の人気の振付師たちが、毎週この番組のために創作する。たまにはあまりピンと来ないのもあるが、だいたいは“なかなか結構”な出来だし、たまには息を呑んで見つめ、何年経っても覚えているような見事な作品が出てくることもある。ダンス好きには堪えられない番組である。

ただこの番組、コンペティションとは言っても、純粋に“一番うまいダンサー”を選ぶ番組ではない。優勝者のタイトルは “America's Favorite Dancer”であって、“Best Dancer”でも“Top Dancer”でもないし、それを選ぶのもまたダンサーたちの技量を正確に判断できる審査員たちではなくて、全米の視聴者たちなのだ。確かに審査員はいる。しかし彼らが審査に関わるのはコンペティションの前半部分だけ。後半は全米の何十万という視聴者たちが、電話またはネット経由で自分の好きなダンサーに投票する方式が取られる。そして得票数の少ないダンサーから、順次切られていくのだ。したがって、たとえダンスは今ひとつでも視聴者に気に入られれば、生き残りは可能だ。ヒップ・ホップ以外は全滅に近いようなBボーイが、何でもこなすコンテンポラリー・ダンサーを差し置いてトップ6に残っていたりするのはそのためだ。この辺が単なるオーディションではなく、“ショー”である所以である。

私たちは5年ほど前からこの番組を見ているが、今回シーズン1から見始めて、やっとこの辺りの機微が明瞭に見えてきた。各地のオーディションでナイジェル・リスゴーを始めとする審査員たちが選んでいるのは、単なる“うまいダンサー”たちではない。一定以上のテクニック、能力があることはもちろんだが、それ以上に「そのダンサーがいることによって番組が面白くなるか否か」が、選考基準のようだ。ドキュメンタリーではないのだから、単に上手いダンサーを上手い順に選んでいくだけでは、ショーにならないのだ。当たり前のことだがリアリティ・ショーはあくまでリアリティ“ショー”であって、そこにはディレクターたちの明確な制作意図がある。意図に沿って出演者(トップ20)を選び、意図に沿って毎回のショーを演出していくのだ。そういう部分、私には少々うるさく感じられたりもするが、まあテレビ番組なのだから仕方ない。それに、そのひっかかる部分を補って余りあるほど、毎回のダンスは面白い。だからこそ雪だるまもDVD全10巻を買ったわけで。

ところで、おかしかったのはシーズン1のオーディション参加者たち。当然ながら番組放送前に行われたオーディションなので、参加者たちもどんな番組なんだか、どの程度の技量が要求されているのか、はっきりしたコンセプトがない。それどころかダンス番組だという認識すらない参加者もいたようで、ステージで突然アクロバットが始まり、審査員3人、そろって口をあんぐりという場面があったりして、かなり笑った。そして毎回のことながら自身の技量の程がまったくわかっていない参加者たちも多数。世の中にヴィデオというものが出来てからすでに半世紀は経っているような気がするのだが、この人たちは自分のダンスを見たことがないのだろうか? それとも、見てもなお自分のダンスに絶対の自信を持っているのだろうか? いくら考えてもわからない謎である。

北米の田舎住まいという地理的条件により、今のウチの普段の食事はイタリアからギリシャ、トルコを飛び越えてレバノンあたりに跳んだ無国籍ベジに傾いており、和食を作ることはまずないのだが、米は副菜、主菜として割合頻繁に使う。昨日もベイクドチーズ・ズッキーニの付け合せにブラウン・バスマティを炊いた。雪だるまも私も、このさらっとして香ばしいインドの米を、硬めに炊いたのが大好きなのである。精白したホワイト・バスマティも売っているし、そちらの方がポピュラーのようだが、私たちは玄米(ブラウン・バスマティ)の方が美味しいと思っている。

そのほかタイの紅玄米もよく食べる。ただしこれは単体で炊くと歯ごたえあり過ぎになるので、米国産のふつうのインディカ米(中国語で“品質丝苗”と書いてある)と1:2の比率で混ぜて炊く。1:2の比率でも紅玄米のぷちぷちした歯ごたえはしっかり残るので、カレーと合わせても美味しいし、また紅米の赤が移って全体的にうっすらピンクに炊き上がるので、付け合せにしても彩りよく面白い。香港にいた頃は黒米(タイ料理のデザートとかに使われるアレ)も食べていたのだが、ここのスーパーではまったく見かけず、よって引っ越して以来ウチの食卓には上っていない。

そのほか先日行ったコストコで、ジャポニカ種の玄米を見つけたので試しに買ってみた。バスマティの方が香ばしくて美味しいような気がするが、主食として箸で食べるにはこちらの方がいいかもしれない。バスマティ、箸では食えんから。

そしてもちろん、日本式の精白ジャポニカ米もストックしている。いくら好きでもバスマティや紅玄米で寿司は作れないから、パーティの巻き寿司用に買い置きしてあるのである。ただし雪だるまが精白米を好まないので、ふだんの食卓にはまず登場しない。たまに私が“日本のごはん”を懐かしく思って炊くこともあるが、雪だるまに供すると「白いごはんはねー、身体によくないでしょう?」とかなんとか垂れるので、私一人で楽しみ、余った分は冷凍する。その美味を解さない奴に、貴重な精白ジャポニカ米を供するのは勿体なさすぎである。

ちなみにこれらの米を炊く場合、量によっては鍋で炊くこともあるが、たいていは無人になった実家から無断で持ち出してきた象印の炊飯器を使っている。炊飯器ならスイッチさえ入れれば後は放りっぱなしでよいから心置きなく他の料理にかかれるし、水加減と白米か玄米かの指定さえ間違えなければまず失敗なく炊けるから楽ちんなのである。炊飯器というのは本当にありがたい発明品だと思う。人によってはジャポニカ米用に設定された日本の炊飯器でインディカ米を炊くと風味が今ひとつと言うが、私には格別の劣化は感じられない。インディカ米の上、玄米でもあるブラウン・バスマティでも、象印炊飯器で美味しく炊ける。ただしモードは玄米ではなく白米とし、水も米とほぼ同量にしている。その方が歯ごたえが残って、美味しい。頭初、玄米モードで炊いてみた時もあるが、1.5倍くらい時間がかかる上、炊き上がりがやけに軟らかく、私の好みとは合わない食感になってしまった。同じ玄米でも、インディカ米とジャポニカ米では美味しさの基準が違うのだから、当然と言えば当然である。

ところで米を主食とする東、東南、南アジア人にとっては、「ご飯の炊き方」なんてのは生きていく上での基本の基なので、米の炊き方を知らない人はまずいないと思うが、米が主食ではないこちらでは水加減、火加減など不確かな人も多いようで、ためにこちらで売っている米の袋にはたいてい調理法が記載されている。カナダのなんか、英仏両語で書いてある。新しい種類の米を買った時など私もたまには読んでみるが、たいていは「ほんとか、これ?」とぎょぎょっとするような水加減、火加減になっている。たとえばブラウン・バスマティの袋に記載された調理法は下記の通り。
1. 米と水の比率は1:2
2. 鍋に水を入れ、沸騰したら米を入れて掻き混ぜる
3. しっかり蓋をし、水がなくなるまで40-45分弱火で煮る
4. フォークでほぐし、供す
いくらインディカ米でも、米1に対し水2の比率は、私には水が多すぎのように思えるのだが、この水加減の指定は“品質丝苗”でも同じ。調理法もほぼ同じ。違うのは加熱時間だけで、“品質丝苗”の場合は、しっかり蓋をし、弱火で15分。水分が無くなったら火から下ろし、蓋をしたまま3-5分蒸らす、というものである。沸騰水に米を入れる際、好みでバター/マーガリン大さじ1と塩小さじ1を加えてもよい、と書いてある。明らかに付け合せ、副菜としての米であるが、欧米人はやわらかーい米が好みなのだろうか?

たださすがに寿司用として売っている精白ジャポニカ米「KOKUHO ROSE」の袋には、沸騰した湯に米を入れろとは書いてない。東アジア式に水から炊いて、沸騰したら蓋をして弱火にし、25分加熱である。米1に対し水1.25と水加減も少なめ。確かにびちゃびちゃに柔らかい米では、寿司は作れない。私などもっと水を減らし、1:1の割合で炊くこともある。お粥じゃないんだから、ご飯は歯ごたえがあった方が美味しいと思う。

今度はウッドペッカー君

  • 2014/08/11 22:42
  • Category: 動物
アライグマ君の時にも書いたが、田舎に住んで野生動物と共存するのは楽しいことばかりではない。目下の問題はウッドペッカー君たち。ウチの庭にはhairyとdownyの2種類のウッドペッカー君たちが、結構頻繁にやって来てはスエットやピーナツを食べていくのだが、最近はそれだけでなくデッキの上でカンカン、カンカン、梁や柱をつつくようになって来た。

日本語ではキツツキというくらいだから、ウッドペッカー君たちが木をつつくのは当たり前なのだが、幹に虫がいる(かもしれない)生きている木と違って、デッキの梁や柱の中にエサがいるわけはない。無駄な努力ではあるのだが、それでもウッドペッカー君たちは毎日やって来てはカンカン、カンカンとつつく。

最初は私も雪だるまも「あんなところに虫がいるわけないのにねえ」と笑うくらいであまり気にしていなかったのだが、しばらくしてデッキのあちらこちらに木の破片が散らばるようになり、初めて「これは笑い事ではない」とコトの重大さに気が付いた。ウッドペッカー君たちは、我が家のデッキを壊し始めていたのである。

下からでは見えないので気が付かなかったのだが、2階の窓からデッキの梁を見ると、あちこち欠けて穴が開いている。今年こそはデッキに半透明プレキシグラスの屋根をつけようと先日業者に連絡を取ったばかりだというのに、肝心の梁がなくなってしまっては屋根のつけようがないではないか。修復不能になる前になんとかしなくては…

ということで先日から、ウッドペッカー君のカンカン!が聞こえるとどちらかがデッキに出て、“No! Woody, No! ”とか、「ウッディ、止めてね。梁、壊さないで!」とかと頼んでいるのだが、グラッコーたちと違って人間をあまり怖がらないウッドペッカー君たちは、人がそばに寄ったくらいでは逃げたりしない。「あんた、何の用?」という感じにチラリこちらを見るだけで、カンカン!し続ける。止めさせるにはパン!と手を叩いて驚かすか、棒か何かでつんつん突つくそぶりでもしないと駄目である。とはいえ、あんまり驚かせてウチの庭に来なくなってしまっては困るし、このへん加減が難しい。早く業者殿が来てくれて屋根が付いてしまえば、もう梁をカンカン!はできなくなるから問題はないのだが、この業者殿がまた捕まえにくい。なにしろケベック、なにしろカナダ…だから、こうした工事は雪のない夏の間しかできず、したがって夏はどの業者も超多忙なのだ。電話をかけて約束しても、来てくれないことがしばしば。今年は上記の屋根大工氏のほか、雨樋直し氏と芝生張り替え業者氏に連絡を取っているが、はたして本当に来てくれるかどうか。去年、一昨年と、約束はしたが来てくれず、アポがどんどんずれ込むうちに秋になり、冬になり、雪が降って「ではまた来年」となることが続いたので、私はもう半分諦めている。雪が降るまでは、手をパンパン!!叩いて、ウッドペッカー君たちを追い払い続けるしかない。

フリーランス

  • 2014/08/07 11:59
  • Category: 仕事
契約している3社から立て続けに仕事の依頼があり、雪だるまは先週、今週とどっぷり仕事漬けである。
大好きな映画を見る時間どころか、今日はジムに行く時間すらひねり出せず、食事もそこそこにコンピュータに向かっている。

一方こちらは学校はないし、秋の球根植えまで庭仕事は暇だしで、編み物をしたり、組紐で遊んだり、
手仕事に疲れるとサイクリングに出かけたりと好き勝手に過ごしていて、お気楽三昧。
朝から晩まで机に向かっている雪だるまに少々申し訳なくなるくらいである。

とはいえ、彼の仕事を私が手伝えるわけではなし。
それに暇なときは暇だが、忙しい時はどうしようもなく忙しいのはフリーランスの常。
ある意味、仕方がないのである。

“フリーランス”と聞くと、人は「仕事の量や時間を自分の裁量で決められ、自由度が高い」と思いがちだが
ほんとのところ、実体はそれほど“自由”ではない。
義弟ジェリーなどは「セミリタイアなんだから、仕事を選んでほどほどの量にすればいいじゃないか」などと簡単に言うが、
その世界で自他ともに認める第一人者、余人では代え難い圧倒的才能/技能に溢れたスーパースターならともかく
一般人、簡単に代わりが見つかる程度の人材の場合、打診された仕事を断るなんてことはまずしない。
依頼が重なり過ぎ、逆立ちしてもできないと思われる場合以外、打診された仕事は引き受ける。
スケジュール的にきついとわかっていても、引き受ける。
断って、次の依頼が来なくなると困るからである。

仕事を依頼する方だって、人の子。
一度や二度ならともかく、多忙を理由にあまり頻繁に断ったり、仕事を選り好みしたりすることが重なれば、
常に二つ返事で仕事を引き受けてくれる人、うるさいことを言わずに何でもやってくれる人の方へ
仕事を回そうと思うのは理の当然。

それに仕事があってもなくても、会社に行っていさえすれば最低限の賃金は保証されるサラリーマンと異なり
フリーランスは依頼がなければ、収入はゼロ。
すぐに生活に響くのである。
だから断らない。
そして根が生えたように椅子に座り込んで、仕事に励むのである。

実際、今とは逆に、突然仕事が途切れ、何日も何日もなーんの依頼も来ないこともある。
そうなると雪だるまと二人、「どうしよ?」と若干の不安に襲われる。
貯金を取り崩せばしばらくは生きていられるが、仕事ゼロあるいは仕事僅少が何年も続いたりしたら・・・
この家を売って、もっと小さい家に引っ越し(→光熱費、維持費および固定資産税が減る)
DVDを買うのを止め、食費を切り詰め・・・etc.
といろいろ対策を考える。
考えて、「ま、何とかなるさ」と思ううちにまた仕事の依頼が来て一件落着になるのだが
この上がったり、下がったり、常に波に揺られてどんぶらこ状態なのが、フリーランス。
神経の繊細な人には、あまり向かない。



『Wadjda』

  • 2014/08/03 22:31
  • Category: 映画
映画の中には初めからぐいぐいと引き込まれ、どっぷりとその映画の中に入り込んではらはらどきどき、固唾を呑んで成り行きを見守ってしまうようなものと、最初はノリが今ひとつで映像にも話にも面白みが感じられず、時間と視力の無駄だから見るのを止めようかと思うところを「まあ、もう少し」と我慢して見ているうちにだんだんと引き込まれ、最後は初期の印象を完全に払拭して、大いなる満足感に包まれて終わるものがある。たとえば最近見た中ではサウジアラビア/ドイツ映画の『Wadjda(邦題:少女は自転車に乗って)』は前者、アフガニスタン/フランス映画『Syngué sabour. Pierre de patience(英題:The patience stone)』は、典型的に後者だった。

サウジアラビアと言えばイラン、アフガニスタンなどと並び、イスラム国家として厳格なシャリーア(イスラム法)が施行されている国。女性は(たとえ非ムスリムの外国人でも)家の外では常に真っ黒なアバヤで頭から踝まで覆っていなくてはならないし、自動車の運転も禁止されているから、外出はお抱え運転手(たいていは他のイスラム国からの出稼ぎ労働者)頼り。潤沢なオイルダラーで国民みな中産階級、妻として夫に養われ生活の心配はなくても、息子が産めなければ夫は第二、第三夫人を娶ってしまうかもしれない。あれやこれや、心配のタネは尽きない。映画『Wadja』の人物たちもそうした世界に生きている。

主人公であるワジャはリヤド郊外にお母さんと住む10歳の女の子だ。お父さんはもちろんいるが、別の都市で働いているのか、家にはたまにしか帰って来ない。女の子/女性に対する制限の多いサウジに暮らしながらも、ワジャは元気いっぱいで反抗心旺盛。他の生徒が黒い地味な靴を履いているところ、彼女は制服の下から青いバスケットシューズを覗かせていたり、お小遣い稼ぎにミサンガを作ってクラスメートに売ったり、メッセンジャーを頼まれると渡し手と受け手の双方から手数料をせしめたりして、なかなかにやんちゃである。

そんなワジャの遊び相手は近所に住むアブドゥラだ。男の子であるアブドゥラは自転車を持っていて、ワジャはそれが羨ましくてならない。近所の店に女の子用のピンクの自転車があるのを見たワジャは、お母さんに「自転車を買って」とねだるが、お母さんは「女の子が自転車なんて、とんでもない!」と全く取り合わない。(日本でも明治から大正末期くらいまで、自転車は女性の貞操観念及び身体によろしくないという俗説がありましたね。こちら ★ の自転車文化センターさんのサイトをご覧ください) それなら、と今までミサンガを売ったりしてせこせこためたお小遣いを取り出し数えてみるが、自転車の値段には到底足りない。無念。しかしワジャはある日学校で、コーラン知識コンテストが開催されることを知る。しかも優勝者の賞金は自転車が買える1000リヤル! これはやるしかない! その日からコーラン学習用CDを買って来たりしてお勉強に励むワジャ。学校でもコーラン・クラブに参加。今まで何かと反抗的だったワジャの豹変ぶりに驚き怪しむ先生方ではあったが、コーランを学びたいという生徒にまさか「だめ!」と言うわけにはいかない。下心は隠しつつ、表面上は従順にコーランを学ぶうち、最初はつっかえ、つっかえでしか読めなかったコーランも、だんだんと上手に読めるようになり、CDのコーランクイズでも正解が出せるようになり、ワジャはコンテスト優勝を目指してまっしぐら。

一方、車で3時間もかかる学校で教師をしているお母さんは、他の女性たちと共に外国人運転手の車で通勤しているのだが、冷房のない車の中で真っ黒のアバヤに全身覆われて座っているのは難行苦行。おまけに運転手はお母さんがいつも時間に遅れると言って、不平たらたら。女性たちに対する態度も無礼で、一人の女性はそれを嫌って職場を変えたくらいだ。たまにしか帰ってこない夫は彼女にやさしいが、姑は男の子を産めない彼女に不満で、もう一人妻を娶れと夫をせっついている。 そんなことになってはかなわないと、夫の帰宅に合わせ目一杯きれいに装い、夫の友達たちが来れば豪華な手料理でもてなす彼女。(もちろん妻は夫以外の男性の前に姿を現すわけにはいかないから、料理は男たちのいる部屋のドアの外に置いておくだけ。ノックの合図で夫が部屋に運び入れる) また他の女たちに自分の存在を誇示するため、夫の親族の結婚式に合わせ、豪華なドレスを新調しようともする。(男女は別々のサウジだから、結婚式の披露宴でも、男は男だけ、女は女だけ、別々の部屋で祝う。したがって豪華なドレスは男性の目を引くためではなく、同じ女性に自らの美しさを知らしめ、その存在と地位を誇示するために着るのだ) 伝統と戒律に忠実なお母さんはワジャを可愛がってはいるが、活発過ぎるワジャ、イスラムの戒律なんか屁とも思っていない様子のワジャに、はらはらしてもいる。お母さんに隠れ、アブドゥラの自転車で自転車に乗る練習をしているワジャを発見した時には、「女の子がそんなことをして!」とびっくり仰天、ワジャの処女性にキズがついたのではないかと周章狼狽したくらいだ。

(注:以降ネタバレあります)
そしていよいよコンテストの日。毎日のお勉強の甲斐あって見事優勝するワジャだが、賞金は何に使うの?という先生の問いに、正直に「自転車を買います!」と上気した顔で答えてしまい、自転車なんて敬虔なモスレムの女の子が乗るものではないと考える校長先生(女性)に、「賞金はパレスチナの同胞に寄付しましょう」と、取り上げられてしまう。すっかりしょげかえって家に帰るワジャ。すると家では、今まで夫の好みに合わせて真っ直ぐな髪にしていたお母さんが、ウェーブのある髪を肩に垂らして、悲しそうな顔で煙草を吸っていた。叔父のだと思っていた結婚式は、実は彼女の夫の結婚式だったのだ。姑にせっつかれ、根負けした夫は2番目の妻を娶ることにしたのだった。大きな目を涙でいっぱいにしているお母さんに、ワジャは「かまわないわよ。あのきれいな赤いドレスを買いに行きましょう」と誘う。するとお母さんは「もういいのよ。それにあのお金はもう使ってしまったし…」と言う。え?と驚くワジャ。そこには、あのピンクの自転車があった。

最後、アブドゥラと共に元気に自転車を乗り回すワジャの姿を映して映画は終わる。
イランよりはましとは言え、シャリーアによって律されるサウジで、いつまでワジャがその活発で利発で、権威を物ともしない性質を保っていられるかは些か疑問だが、映画の中でお母さんが徐々に変わって行ったように、現実の人々も徐々に変わっていくかもしれない。2001年出版と少々古いが、竹下節子さんの『不思議の国サウジアラビア』にあるように、サウジは速いスピードで変化している。建前と実生活が乖離して、何でもダメと同時に何でもアリだったりもする。実際この映画も監督はサウジ初の女性監督だ。お母さん役の女優も(そして多分ワジャ役の女の子も)、サウジの女性。夫や親兄弟以外の男性の前には顔を出さないのが原則のサウジで、本物のサウジ女性が女優という“顔を出す”職業に就いているのも大きな驚き。10年以上前は、女優はモロッコとか他の戒律の緩やかな国出身の人が演じていた。

アバヤの着用や自動車の運転禁止、男性の付添がなくては旅行もできないなど、女性に対する数々の制限から、欧米諸国はシャリーアは女性の人権を侵害していると考えている。これに対してサウジを始めイスラム諸国は、これらは女性を護るためであり、我が国の女性は世界一保護されていると言っている。私などは自分の好き勝手にする習慣が身に付き過ぎているから「保護してくれなくてもいいから、自由にさせてくれ」と、車を運転できない社会、自転車に乗れない社会、仕事に就くこともままならない社会を不自由だと思うが、と言って欧米が、欧米流の社会システムを唯一絶対の善であるかのように他の国々に押し付けるのも、また随分と傲慢なことであると感じてしまう。人から押し付けれた善きものは、ちっとも善くないし、有難くもない。自ら得たもの、勝ち取ったものでなければ価値はない。だから社会は外圧によってではなく、自らのエネルギーによって変わらなければならない。というのはまあ、きれいごとではあるが。

いずれにせよ『Wadjda』お勧めです。機会に遭遇したら、ぜひご覧ください。


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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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