牛乳の話

昔々、私が子どもだった頃、牛乳は瓶に入っていた。だいたいが180ml入りくらいのガラスの瓶で、円い厚紙で蓋がされ、その上にセロファンの覆いがかけてあった。この厚紙の蓋は爪ではなかなかに開けにくく、ために各家庭には牛乳屋さんがおまけでくれる、プラスチックの棒の先に針がついた、牛乳の蓋開けが常備されていたはずである。赤や黄の色が付けられたこの蓋開けは、その安っぽい色合いといい、バリもろくに取れていないようなプラスチック成型といい、いかにもまだ貧しかった昭和30~40年という時代を彷彿とさせる代物で、その写真を見るだけで、土ぼこりをあげて走るオート三輪や、茶の間の特等席に据えられた17インチの白黒テレビといった、当時の風景が懐かしく浮かんでくる。


これですね

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そして当時牛乳はもちろん店でも売っていたが、どちらかというと毎朝、牛乳屋さんが各家庭に配達してくれるもので、新聞配達同様、朝、しんと静まった夜明け前の薄暗い道を行く牛乳屋さんのバイクの音が、眠りの向こうに聞こえたものだった。

そんな牛乳屋さん風景がいつ頃消えたのか、どうも記憶がはっきりしないのだが、私が10歳だった1970年(昭和45年)頃は、まだ牛乳屋さんが存在していたと思う。しかしちょうどその頃、学校の給食に瓶入り牛乳に代わってテトラパックの牛乳が登場し始め、同時に田舎の町にも“スーパーマーケット”というものが出現し始めて、冷蔵設備を備えたそうした店では牛乳やらヨーグルトやらが常に棚に並び、他の買い物のついでに気軽に買えるようになったので、“毎朝家に配達してくれる牛乳屋さん”は、徐々に姿を消して行ったように思う。

そしてそれから何年もしないうちに、家庭の牛乳は180ml入りの瓶入りから1リットル入りの紙パックに代わり(消費量の拡大?)、冷蔵庫に常備されるようになった。種類も特濃だの低脂肪だの特定牛種の乳だけで精製されたものなど、さまざまに増えた。純和風の食生活で西洋風のものなどほとんど口にしなかった我が母ですら、牛乳は時々飲んでいたようだから、戦前生まれの人の生活にも牛乳は定着したということだろう。況や学校給食で脱脂粉乳または牛乳を(半ば無理やり)飲まされて育った戦後世代においてをや。(ちなみに、私が無理やりと書くのは、私が小学生だった頃、給食の牛乳は必ず飲まねばならないもので、嫌がって飲まずにいると居残りをさせられたからである。低学年の頃、牛乳が嫌いであった私は、これには非常に迷惑した。また、それ以前のユニセフやララ物資の援助による脱脂粉乳は、栄養価は高くともお味の方は今ひとつだったようで、当時給食でこれを飲まされていた世代は、その話をすると一様に「げええ」という顔をする。私自身はさすがにそこまで古くはないので、本当に不味かったのかどうかは知らない)

さて、ところ変わって中国、香港、カナダ。
私が広州に渡ったのは90年代初頭だが、当時の中国の牛乳は色だけは牛乳らしく白かったが、お味の方は半分は水なんじゃないかと思うほど薄く、スキムミルクだと思ってそのまま飲むならまだしも、コーヒーや紅茶に入れるには全く適さなかった。まあ、当時の広州ではまともなコーヒーも紅茶も手に入りはしなかったから、普段は専らよりどりみどりの中国茶を飲んでおり、水のように薄い牛乳でも別段困りはしなかったが。ちなみに当時はヨーグルトもさらさらの液体で、牛乳同様テトラパックに入っており、買うとスプーンではなくストローをつけてくれた。米国から来たばかりの留学生などは、「なんでヨーグルトにストローなんだ?」と、細いプラスチック製のストローを、さんざんひねくりまわしていたものである。

さて、90年代半ばから、ついこの間まで住んでいた香港。
さすが英国植民地だけあって、牛乳はごく普通にスーパーで売られていた。2年間、水のように薄い中国牛乳を飲んだ後だったので、引越した当初、香港の牛乳の濃厚さは新鮮だった。
香港では我々は、もっぱらロングライフ牛乳(UHT滅菌法牛乳)を愛飲していたが、それは雪だるまが毎日毎日大量の牛乳を使用(朝のシリアル、夜のプロテインドリンク)するからで、高い鮮奶(UHT処理を施されていない要冷蔵の牛乳)は家計に響きすぎて買えなかったのである。ただし雪だるま用の牛乳は脂肪分ゼロの脱脂乳で、私はそれとは別に普通の牛乳も毎週1本ずつ、買っていた。コーヒーや紅茶に入れるには、脱脂乳では薄すぎて何とも頼りない味になってしまうからである。ちなみに香港で主流の牛乳パックは、日本のとはやや形が違う。今となっては手元にないので大きさは測りようがないが、日本の牛乳パックは底面がほぼ正方形であるのに対し、香港のは横長の長方形で、その分、筒の高さは香港の方が低い。容積は大部分、日本同様1リットルなので、大きさが違ったからと言ってどうということはないが、香港に移り住んだ当初は「ふうん、所変われば品変わる、かあ」と、なんだか寸詰まりのような牛乳パックをしげしげと眺めたものだった。

そしてカナダ。
近代まで牛乳を飲む習慣がなかった中国、日本と異なり、ここは牧畜民族が原住民を追い払って作った国。当然、市場には乳製品があふれている。バター、チーズは言うに及ばず、牛乳だって脂肪分の量により、0%、1%、2%、3%と、少なくとも4種類ある。よりどりみどりである。余談だが、クリームもコーヒー用の5%、10%から、菓子やベリー類にかける15%、料理、ホイップ用の35%と4種類ある。しかも同じ35%でも、料理用、ホイップ用、オールドファッションスタイルと3種並んでいたりするので、買う時けっこう迷う。
話を元に戻して牛乳だが、今ウチで買っているのは、シリアル、プロテインドリンク用の脂肪分0%のものと、私のコーヒー、紅茶用の2%のもの。2%の方は使用量が少ないので、日本の牛乳と同じ1リットルの紙パック入りのを買っているが、0%の方は毎週プラスチックバッグに入った4リットル入りのを1つか2つ買っている。

このプラスチックバッグ入りの牛乳はどうやらカナダ独特の形態らしく、ようつべなどを検索すると、新たにカナダに移り住んだ人用に(?)、その使用方法が手取り足取り説明されている。おもしろいので、ひとつ最も詳しいと思われるものを貼り付けておく。





ちなみに、ここに登場するミルクホルダーは、ごくごくシンプルなものから牛や花の絵が付いたちょっと洒落たものまで、さまざまなデザインのものがスーパー等で売られている。値段は1ドルから、高くてもせいぜい5、6ドルだろう。ウチではこのヴィデオの方同様、ダラーショップで買った何の飾りもない白いホルダーを愛用しているが、過去3年間、日々の酷使に耐え、立派にその任務を果たしている。3年たってもどこも傷んでいないから、もしかしたらこのまま死ぬまで使えるんじゃないかという気もするが、たとえ使えなくてもどうせ1ドルである。代わりが買えないことはあるまい。

もひとつちなみに、バッグをホルダーに入れる時、肝心なのはホルダーの底を何回かトントンと叩いてバッグをホルダーに定着させることである。これをしないと、ホルダーを傾けた拍子にバッグがぽろんと飛び出したりして大惨事になる。義弟ジェリーは一度面倒くさがってこれを省き、テーブル一面に牛乳をこぼしたそうである。トントンを馬鹿にしてはいけないのである。
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高くない=安い?

  • 2014/10/26 11:15
  • Category: 言葉
初級フランス語を学びながら常々不思議に思っていることのひとつに、フランス語には「安い、cheap」に当たる単語がないことがある。ある物の値段が低いことを表す「安い」なんて、日常生活での使用頻度極めて大、幼稚園の子どもでも知っている超基本単語で、物々交換で生活しているような原始社会ならいざ知らず、このモノの売り買いなしには1日とて過ごせない、金がすべてのような資本主義社会においては、ネットにTVに新聞にそれこそ毎日、特大活字で躍っている単語で、この語に当たる単語がフランス語にないなんて信じられない感じなのだが、ほんとに、ない。

じゃあどうやって「安い」を表現するのかというと、「pas cher:高くない」というのである。(pas=英語のnotに相当する否定の表現、cher=高い) 実際、近所の安売りスーパーの壁には「Bon、Beau、Pas cher!」と大書きされているし、人々が話す時に使っているのも「pas cher」か、類似の「moins cher(=less expensive)」、あるいは「bon marché」(直訳すれば「よい取引」、意訳すれば「お買い得」といった感じ)で、どれもこれも間接的というか、婉曲的な表現で、ほんとに、そのものずばり「安い」を表す語ではないのである。フランス語のような、言語の中で最も明晰にものごとを表現できるといわれている言語に、なぜこんな基本的な性質を表す語がないのか、私にはそれが不思議でならない。

それは確かに、「安い」の反意語である「高い」の否定形は、「安い」という性質を表せるかもしれないが、しかし私に言わせれば、「安い」と「高くない」は同じではない。想像していただきたい。ある値段に対し、「安い」という時のあなたの気持ちと、「高くない」という時のあなたの気持ちは、微妙に違うはずである。それに世の中には「高くはないが、安くもない」という表現だってある。仮に「高くない=安い」と、2語が完全に同義であるなら、こんな表現は成り立たない。成り立つからには、つまり2語は同義ではないのである。

というようなことを本日つらつら考えたのは、クラスメートの一人にあることを説明したくて、英語の文を例のぐぐとらを使って仏訳してみたのだが、その中に「XX is not cheap.」という一文があり、それがぐぐとらフランス語では「XX est pas pas cher.」という冗談のような文になってしまったのである。私が見てすらこの文はおかしかったので直そうとしたのだが、どうやっても微妙にニュアンスが違ってしまう。一番簡単なのは「XX est cher.」とすることだが、上にも書いたように私の頭の中では、「安くない」と「高い」は同義ではないので、これは使えない。「XX n’est pas bon marché.」とするのも、この場合なんとなくそぐわない。

雪だるまにも聞き、ああだ、こうだと10分ばかりも考えてみたが、どれも帯に短し襷に長し、どう頑張っても適訳が浮かばない。で、うんざりした私は、結局仏訳するのは止めて、スペイン語に訳してしまった。アナの母語はスペイン語だし、スペイン語なら「安い」に相当する単語があるのである。それに私同様フランス語は初級のアナであるから、そうした方が誤解が少ないだろうという理由もあった。母語なら、機械翻訳で多少おかしなところがあっても、意味は取れる。今日の場合、相手にわかってもらうことが、最も肝心だったのだ。

それにしても、同じラテン語系でありながら、なぜスペイン語には「安い」があって、フランス語にはないのか? 人の話によると、イタリア語にも「安い」はないそうで、フランス語同様、「高くない」と表現するらしい。フランス人やイタリア人が、物の値段に鷹揚だとは思えないのだが、いったいどうして「安い」がないのだろうか?

フランス語ネイティブの人がこの辺をどう考えているのか、いつか聞いてみたいと思っているのだが、言語というものに対しこだわりのある人でないと、まともな答えは返ってこないだろうから、質問する相手を選ばなくては。フランス語を愛し、「フランス語が下手になるから、英語が氾濫しているモントリオールには住みたくない」と言っていたV君あたりに聞いてみるか。

またまた捕まえてしまった

  • 2014/10/23 22:18
  • Category: 動物
またまたネズミを捕まえてしまった。

しばらく前から、また夜になるとカサカサ、カサカサと壁の向こう側で何者かが動いている音が聞こえ、
また、ガレージのそこここに外から持ち込んだらしい鳥のエサが、ぱらぱらとこぼれているようになった。
鳥やチッピー、リスたちはガレージの中には入れないから、これはどう考えてもネズミ君たちである。
外の寒さが厳しくなってきたので、暖かい家の中に入り込んで来たのである。
これはこの辺りではよくあることで、去年のフランス語の先生ジョゼも、
毎年秋になると家の中にネズミが入り込んでくると言っていた。

私たちは2年ほど前ネズミ君たちに、屋根裏に巣を作られ、また車のエアフィルターの上に
食料貯蔵庫を作られて、大いに困った経験がある。
私も雪だるまもネズミは嫌いではないし、その鼻先がとんがった顔や、
小さくてやわらかい身体は実に可愛らしいと思うが
いかんせん彼らは悪戯をする。
前回も天井の電気の配線を齧られて、電気屋さんを呼ばなくてはならなくなったし
車のエアフィルターの掃除には、けっこうな料金をとられた。
そのほかネズミ君たちには、病気の媒介という、より困った性質もある。
つまり、いくら可愛くても、家の中に住まわせておくわけにはいかないのである。

で、仕方がない。私と雪だるまは前回使ったネズミ取りをまた取り出し、
チーズのかけらを乗っけて、ガレージに仕掛けた。
余りに簡単な仕掛けに「こんなんで、引っかかるのかなあ」とちょっと心配だったが、
なんのことはない、その晩さっそく2匹が、かかった。
ともに親ネズミ。
そして翌晩にもまた2匹。
この時、1匹は挟まれどころが悪かったせいで、すぐには死ねず
トラップに挟まれたまま逃げようとして、ガレージの床に落ちていた。
幸い、地下で仕事をしていた雪だるまが音を聞きつけて見に行き、
床でもがいているネズミを発見したので、長く苦しむことはなかったが
あんな強力なバネに身体を挟まれるのは、随分と痛かっただろうと思う。
本当にかわいそうなことをした。

壁の向こうの音はまだ止まないので、今もネズミ捕りは仕掛けてあるが
チッピーにはエサをやって可愛がっているくせに、同じ齧歯類でありながら
ネズミにはネズミ取りを仕掛けて駆除しているのは
なんだか実に手前勝手だよなあ、と少々浮かない気分の私と雪だるまである。

終わりよければ

  • 2014/10/21 01:18
  • Category: 言葉
先週のある日、クラスメートのJちゃんから、「日本語を勉強したがっている人がいるんだけど」という話を聞いた。その人はJちゃんの彼氏の親友とかで、先ごろ日本から帰国したものの、この田舎では日本語会話の機会がまったくない。これでは会話力を維持できないと困っていたところ、Jちゃんからフランス語教室に日本人がいると聞き「紹介して、紹介して」ということになったらしい。

Jちゃんからそんな話を聞いた翌日、今度は学校の副校長が休み時間にやって来て、私ともう一人の日本人Aさんに「実は先ほど学校に、日本語の勉強のために日本人を紹介してほしいという人が来た。授業中を理由に直接引き合わせることは断ったが、彼の連絡先は聞いてあるから、もし私たちが望むならその電話番号を渡すことはできる。ただし連絡を取る取らないは、まったく私たちの自由である。興味があるなら連絡を取ればよい。興味がないなら放っておいてかまわない。義務と考える必要はまったくない」と言い、私たちが了解すると、では後で連絡先を教えると言って帰って行った。どうやら彼はJちゃんに頼むだけでは心許無かったのか、熱心にも学校にまでやってきたらしい。なかなかの行動力である。

Jちゃんに尋ねられるまま、私とAさんはそれぞれのメルアドを教え、副校長の言葉同様「連絡が来たら来たでよし、来なければ来ないでよし」というくらいの、よく言えばお気楽、悪く言えばいい加減な気持ちでいたのだが、その夜さっそく当人からメールが来た。フランス語での簡単な自己紹介で、日本で撮った写真も添えてあった。絵文字も入ったそのフレンドリーなメールに対し、私は超丁寧かつフォーマルな日本語とフランス語で返事を書いた。その時の気持ちでは、クラスメートの紹介とはいえ、まだどんな人物だかよくわからない人に対し、さほどの興味は抱いておらず、ランゲージ・エクスチェンジにも興味はなかったからである。(いくら練習のためとはいえ、若い男の子と私の間に一体どんな共通の話題があるというのか? 最近の日本のアニメなんか、私は知らんぞ)

しかしその丁寧だがやや冷たい印象のメールに対し、彼は今度は日本語で返事をくれた。いろいろお間違いはあるが、なかなか達者な日本語で、独学でここまでなるには、かなり熱心に勉強したのだろうと感心した。話すのはともかく、まっとうな日本語を書くのは、外国人にはかなり難しいのだ。でまあ話がまとまって、昨日の日曜、彼はバスに乗ってウチにやって来た。そして雪だるまを交え、全部日本語で2時間程お喋りしたのだが、話してみると彼、V君は明朗快活な中に真面目さと頭のよさが感じられる、大変感じのいい人物で、2時間は実に楽しく過ぎた。

日本語を話す能力もなかなかのもので、発音は明瞭で癖がないし、イントネーションも自然。「臨機応変」や「波乱万丈」などの難しいことばも知っており、ほぼ正しく使える。語彙の多さを褒めると、「自分が話したい分野の単語は知っている」けど、「興味がない分野の単語は全然知らない」と笑っていた。ま、それはよくあることである。私だって英語や中国語の語彙には、かなり偏りがある。

日本語学習歴を聞くと、日本語は日本に行く前に5年ほど、友達から貰った教科書(例の「みんなの日本語」)で勉強した。すべて独学で、学校には行ったことがない。それから休職して、韓国経由で日本に行った。日本ではヒッチハイクをしながらいろいろなところへ行ったが、ヒッチハイクは車中でお喋りするので、会話の練習にはもってこいだった。そんなこんなで日本には1年ほど滞在し、その他、台湾、香港、マカオ、シンガポール、マレーシア、インドネシアにも行った。北海道に行ったついでにウラジオストックにも行ってみた。そうやって2年ほど過ごし、先ごろ帰国して復職した。今はインターネットがあるから、日本人の友達とメール交換したりして「読む、書く」は支障なく練習できるが、「聞く、話す」はこの田舎では難しい。スカイプとかもあるが、やはり生の音声には適わない。なので私やAさんが、たまに時間を割いてくれるなら、大変うれしいということだった。

正直、どんな人物だかわからないうちはV君と会うことに余り乗り気でなかった私だが、2時間の終わりには、この青年のためにならできるだけの手助けはしてあげようという気になった。第一、私自身が話していて楽しいのである。お喋りが嫌いな私が、である。これは貴重だ。

ちなみに車があるのにバスで来たのは、環境保護のためだそうで、このあたりも私や雪だるまと話が合う。というわけで次の機会が楽しみな私である。今度は当町のゴミ処理についてでも聞いてみよう。

チッピー動画

  • 2014/10/17 20:47
  • Category: 動物
10月も半ば過ぎ。このところ7時頃に起きても外はまだ薄暗く、部屋の中はより一層暗く、電気をつけないと身支度ができない。まことに気鬱なことである。今日などは曇っているので尚更だ。来月、11月の2日には夏時間が終わり、時間が1時間戻るので(11月2日午前2時が午前1時になる)、しばらくすると時計の上では日の出が早くなったように錯覚するが、その代わり日の入りも早くなり“午後5時には真っ暗”なんてことになるので、お日様大好きの私としては悲しい限り。ああ、どうしてこんな高緯度のところに移住してしまったんだろうか、とほほ。

しかし日が短くなっても、外が寒くなっても、雨模様の日が続いても、小鳥やリスなどの野生動物は相変わらず大変元気である。例のアライグマ君も大変元気で、このところ夜になるとコンポストを荒しに来る。この間、ちょうど外で音がした時に、雪だるまと二人、懐中電灯を持ってコンポストのところに行ってみたら、けっこう大きなアライグマ君が、コンポストの上に座り込んで、中の野菜くずを漁っていた。もちろん私たちの音を聞きつけると、サササとコンポストから滑り降り、近くのメープルの木に這い登ってあっという間に裏の林に姿を消してしまったが、お馴染みの怪傑ゾロ・マスク、ぼってりしたお尻、しましまの尻尾は、はっきり見た。あれは、アライグマ君である。

そのほか黒リス君たちも、毎日来る。彼らとはヒマワリのタネを巡って日々攻防戦を繰り広げているのだが、その経緯について書いているとやたら長くなるので本日は割愛。彼らは何しろ、小さい頭の割には知恵が回り、ああ出ればこう出、こう出ればああ出と、なかなかに楽しませてくれるのである。

逆に来なくなったのは、シマリス君たち。秋が深まりそろそろ冬眠準備なのか、このところめっきり姿を見せなくなった。たまに庭石の上に座っているのは見かけるが、呼んでもデッキに来てピーナツを貰おうとはしない。夏の間じゅうぶんに貯めたからもう要らない、ということなのかもしれない。しかし、1と月ほど前、ピーナツを貰いに家の中まで入って来た時の動画があるので、本日はそれをアップ。撮り慣れないもので一部お見苦しい点がありますが、ご容赦のほどを。



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ばいばい、ブルーベリー

  • 2014/10/16 00:11
  • Category: 雑記
この間、チェーンソーの音が響いていた裏の林、
今度は重機が入っている音がするので今朝行ってみたら
案の定、半分方伐採されたところに土が入り、整地が始まっていた。
やはりアパートを建てるらしい。

おまけにその林とは道を挟んで向かい側、
半分林、半分空き地のようになっていた場所も
きれいに木が伐採されて、整地が始まっていた。
「ここもか?」と、一瞬泣きそうになったほど、がっかりした。

すでに真っ平らな更地になってしまったその空地には
雑木の陰に大きな野生のブルーベリーの木があって
毎夏、私はヨーグルトか何かの空き容器を持ってはブルーベリー摘みに行き
500mlの容器をいっぱいにして帰ってきて
小粒だが店売りのものよりずっと強い味わいのそのぷちぷちした実を
雪だるまや親戚のおばさんたちとともに楽しんでいたのだ。

それも、もうお終い。
建設業者がブルーベリーの木をどこかに移植したはずはないから
きっとただのゴミにされて、どこかに捨てられてしまったのだろう。
あれだけ大きなブルーベリーになるには、きっと何年もかかっただろうに
本当に残念なことである。
伐るのは一瞬でも、育つには何年も何年もかかるのに・・・

ブルーベリー、来年は苗木を買って
ウチの庭に植えてみようか

『Dégénérations』

金曜日、週末が三連休のせいか、はたまた小、中学校が休みだったせいか
生徒の出席率が悪く(学校が休みだと、シッターのいないお母さんたちは
仏語教室に来られない)、これで新しいことを始めてしまうのはまずいかな、
ということで、授業の後半はディクテを兼ねて、いくつかフランス語の歌を聞いた。

ひとつめは『Hymne à l'amour(愛の讃歌)』、歌詞は知らずともメロディは誰でも知っている。
流れるようなメロディと、「あなたのためになら、私は何だってする」というような甘い歌詞に
クラス内のラテン系婦女子(若干3名)はうっとりした顔をしていたが
残りの3名、アジア系(中国2、日本1)は、ふーん、という程度の気のない顔。
私に至っては「こういうことだから、色恋は人に道を誤らせるのだ」と
謹厳居士の爺さまのようなことを考え、顔がしかめっ面になってしまった。
最近とみに、理性のない色恋に冷たい私である。

その他、有名どころの『La vie en rose』など、数曲を聞いたが、
私が気に入ったのは、地元ケベックのフォーク・グループ Mes Aïeux が歌う『Dégénérations』

この曲を推奨したJ ちゃんによれば、ケベックでコンサートに行くと
それが誰のコンサートであっても、最後にはこの曲が登場することが多いのだそうで。
メロディはケベックの伝統的なダンス音楽がベースで、だから耳に馴染みやすく
かつ少々懐かしい感じがする。
また、初めて聞いた私ですら2、3フレーズ目には一緒になってハミングできるほど
単純で追いやすいメロディ、リズムでもある。
先生のジョジアンによれば、この曲は数年前爆発的にヒットし、
以来ケベックではお馴染みの曲だそうで、ウチに帰ってきて雪だるまに聞かせたら
当時ケベックにはいなかった彼ですら
「(歌詞は知らないが)曲は聞いたことがある」と言っていた。

しかし、何と言っても、この曲で面白いのは、その歌詞である。
英訳がついたのを下に貼り付けますので、ご覧ください。




原野を開墾し、土を耕して暮らしていた曾々爺さん、曾爺さん、爺さんの時代から
その土地を売って普通の勤め人になった父の時代へと変わり
しかし今、その息子は、3部屋半のアパートで、家持ちになりたいと夢を見る。

曾々婆さんは14人の子持ち、曾婆さんも同じくらい、
婆さんの時代になると3人に減り、そしてそれで十分と言う。
母の時代になるともっと減って「子どもは要らない」、と思ったが、出来てしまった。
あんたが生まれたのは、事故よ

って、私はここで爆笑してしまった。
なぜなら、これは本当にケベックの移り変わりそのままなのだ。
たとえば雪だるま家、曾々婆さんは知らないが、曾婆さん=雪だるまの2人の祖母は
父方が7人の子持ち、母方が11人の子持ち。
当時はそんな数が、当たり前だった。
しかし雪だるまの両親の時代になると、子どもは2人(雪だるまとジェリー)でおしまい。
そしてその次、雪だるまの時代は、この曲のまんま、「子どもは要らない」
幸い、曲と違って私たちには「事故」が起こらなかったので
曲の中で「あなた」と呼ばれている子どもは発生しなかったが
仮に事故が起こっていれば、私たちの世代の子どもは
ちょうどこの曲を聞きにコンサートに行っている世代、20代くらいのはずである。
これが笑わずにいられようか。

ちなみに歌っているのがケベックのグループなので
私が聞いても、ところどころケベック訛りがある。
たとえば puis (ぴゅい)は、「ぴ」
bien(びやん)は、「べぇん」 
toi(とわ)は、「とうぇ」と、発音されている。
他にもあるかもしれないが、私が気づいたのはとりあえずこの3点。
まあ、oui(うぃ) を、「うぇん(鼻音)」と発音するところだからなあ。


実印といわれても 2

  • 2014/10/10 20:36
  • Category: 日本
雪だるまが予約を取ってくれたので、昨日さっそく公証人殿のところへ行って来た。
内容は事前に説明済みなので、コトは簡単。

証明文の下書きを雪だるまに見せて確認を取ってから、秘書室に取って返して
その文をコピーした私の書類の下部に印字させ、「こういう形式でよろしいか」と再度確認。
こちらがOKと言うと、今度は原本に印字して事務室に持ってきた。

そして「本来なら署名する書類の文言は全部読むことになっているが、私には読めませんので、
日本語の部分は読みませんが」と本文は飛ばし、その下に付け足した「上記署名者の人物、資格を
証明する」という部分だけ読み上げ、青のペンで署名して、公証人のシール(浮彫みたいになるアレ)を
押してくれた。一丁上がり。

本文読めないのに証明していいのか、という疑問がわかないでもないが
彼が証明するのは、この書類に署名したのはワタシである、という事実であって
書類の内容ではないから、別にいいんだろう。
あちら様がそれでよいのなら、当方に異存はない。
「本文の内容を翻訳した上、その翻訳照明をつけてね」なんて言われるよりずっとましである。
相続放棄の書類作成にかかわる手間なんぞ、少なければ少ないほどよい。

で、まあ、出来上がったので、あとは郵便局に持って行って書留で送ればいいのだが
できた書類を眺めて、久しぶりに日本語で書いた自分の名前の下手さに、嘆息。
大きめに書いたのでよけい下手さが目立ち、「小学生の署名かよ、これ」という感じ。

こんなことなら書き慣れている英語というかアルファベットでの署名にしとけばよかったよ、と思ったが、
それだと名前としては判読不能で、その下にまた日本語で名前を書かねばならないだろうから、同じことか。
(欧文の書類なら、ふつう点線の上に署名、点線の下にブロック体で署名者の氏名を書くようになっている)
このブログにしろ、メールにしろ、最近、字は打つもので書くものではなくなっている。
手で書くものなんて、何かのメモか、学校のノートくらい。
それもだいたいは、アルファベット。
おかげで、たまに日本語を手書きすると、その下手くそさに心底呆れる。
たまにはペン習字のお稽古でもした方がいいのだろうか。
そういえば、どこかにペン習字の練習帳があったかも。

実印といわれても

  • 2014/10/08 20:39
  • Category: 日本
例の実家処分の件に関する書類が妹から送られてきたのだが、司法書士殿が作成したらしいその書類には、記名のうえ実印を押印せよ、と書いてある。

うーん、実印と言われても、私は実印を持っていない。実印を持つには「印鑑登録」が必要で、「印鑑登録」は「住民登録」をしている区市町村でしかできないから、日本に住んでいない(=住民登録をしていない)私は、印鑑登録をすることができず、したがって実印の持ちようがないのである。

ウェブで調べてみると、そういう場合は実印の代わりに署名し、その署名を地元の公証人に証明してもらえばいいようだが、私ほんとうにそんな面倒くさいことをしなければならないのだろうか? 

同封されていた担当司法書士殿の所書きの電話に電話してみようかと思ったが、考えてみれば日本は今、夜。事務所にはだぶんもう誰もおるまい。仕方がない、12時間たって日本が朝になったら、電話してみよう。まったく13時間の時差は、こういう時、不便だ。

それにしても日本はいまだに印鑑社会なのかねえ。送られてきた書類によれば今年は平成26年だそうだが、あらゆるところで電子化、ネット化が進んでいる昨今になっても、法務関係の書類にはいまだに「実印」が必要だとは・・・ 印鑑なんて盗むことも他人が代わって押印することも可能だし、偽造だって可能でおよそ証明性に乏しいような気がするのだが、長年の習慣だから今さら変えようがないということなのだろうか。まあ、そういうことを言いだせば、欧米で通用している署名だって偽造は可能だから、証明性の乏しさという点では同じなのかもしれないが。

落ち葉掻き

土曜は一日中しとしと降り続く雨だったが、日曜は雨が上がり、少しは太陽も顔を出す雰囲気だったので、「今日こそは落ち葉掻きをしなくては」と、朝10時、ウィンドブレーカー、長靴、園芸用手袋に身を固め、手には金属製のレーキ(熊手)を持って、外に出た。この一週間、裏庭に数本あるメープルは落葉の真っ盛りで、デッキも芝生も地が見えないほど落ち葉が積もってしまっていたのである。そのままにしておくと雨や朝露の湿気で落ち葉が腐り、その下のデッキや芝生も腐り始めるので、放っておくわけにはいかない。

雪だるまは急ぎの仕事があって忙しいので一人で始めたのだが、調子がよかったのは最初の1時間だけ。掻いても掻いてもなくならない落ち葉に、普段はさして広いとも思っていない裏庭がこの日ばかりはやたら広く感じられ、デッキからデッキ横、家側面のロングストレッチと移動する頃には、度重なる屈伸運動に太腿の後ろが痛み出し、レーキを持つ手にはマメが出来始めて、とてもではないが鼻歌混じりに楽しく作業というわけにはいかなくなってきた。

それでも月曜からはまたジム&学校の毎日が始まるので、先延ばしにするわけにはいかない。「続けていれば、いつかは終わる」と自分に言い聞かせ、作業を続けた。そしてバケツ数十杯分の落ち葉を裏の林に捨てたところで(この捨てた落ち葉は裏の林で堆肥になる)、なんとか裏庭は終わったが、その時点でもう疲労困憊。それ以上は続けられなくなったので、前庭と家の日陰側の落ち葉掻きは諦めて家に上がった。時は午後2時。昼食も取らずに作業を続けて、裏庭だけで4時間かかった計算である。

メープルという木、紅や黄に紅葉して実にきれいなんだが、落葉するのが玉に瑕。紅葉したまんま、落ちずに枝にくっついててくれればいいのに。冬、木々に黄や紅の色が残っていれば、雪の白に映えてものすごくきれいだろうにねえ。

ぐぐとらは便利なんだけど

  • 2014/10/05 11:52
  • Category: 言葉
昨日は午前中はおとなしく寝て過ごし、頭痛が消えた気がしたので
「これならだいじょうぶだろう♪」と午後から学校へ出かけたのだが
授業の後半、コンピュータ室に移動したあたりからまた頭痛がぶり返し
我が頭の血管と神経の交錯状況にほとほと愛想が尽きた気持ちで、家に帰って来た。
そして7時半にはベッドに入り、寝てしまった。
この2日間で、普段の倍くらい寝た気がする。

それはともかく、昨日は学校に着いた時点でジョジアンに
一昨日、私が休んだのは体調不良だったためだと伝えた。
ついで隣席の王さんも同じく休んだが、こちらは体調不良だったわけではなく
彼女は私の車で一緒に来ているので、私が休むと彼女も休むことになってしまうのだ
と伝えたかったのだが、これには敢え無く失敗、撃沈。

学校へ行く前、ぐーぐる・とらんすれいと で、“give her a ride” の仏訳を調べたら
“lui donne un tour”と出たので、「おし、これに主語をつければおっけー」と思ったのだったが、
言われたジョジアンは、「は?」と目をぱちくりさせて、「な、なんのことかな?」という顔。
私の発音が悪すぎたせいか、はたまたこんな言い回しはないのか、とにかく通じていないことに
間違いはない。あわてて、「彼女は車を持っていない。彼女は私と一緒に来る。
だから私が来られない時は、彼女も来られない」と、もう切り張り、片言、ブロークンもいいところの
フランス語で言い直して、やっと了解してもらった。
そして家に帰ってから雪だるまに“give a ride” のフランス語は、“donner un tour” じゃないの? 
と聞いたら、「そういう言い方はしないと思う」との答え。
じゃあ、なんて言うの?と重ねて尋ねると、しばらく考えてから その状況によって
emmener(連れて行く)か、amener(連れて来る)を使うのが普通じゃないか、と言った。
つまり“give someone a ride” みたいな言い方はしない、ということのようである。
はあ、なるほど。

ぐーぐる・とらんすれいと は、英⇔中のような文法も語彙も全く別種の言語間はともかく
英⇔仏のような比較的構造が似ており、かつ利用者膨大と思われる言語間では、
機械翻訳とは思えないほど精度が高いので、結構便利に使わせてもらっていたのだが
ま、たまにはこういうこともありますな。
語句の文字通りの意味からは意味が類推できないような言い回しをイディオムというなら
“give someone a ride” は完全なイディオムというわけではないと思うのだが
少々それっぽいことも確かで、だから機械翻訳するとややおかしくなるのかもしれない。

ちなみに“give her a ride”を、ぐぐるで日本語にしてみたら
「彼女に乗車を与える」と出てきた。
うーん、わからなくはないが、今ひとつ。
いつだったか、友達から来たメールの中国語「天啊,你们已经在加拿大了!
(=なんとまあ、あなたたちもうカナダにいたの!)」だったかを、面白がって機械翻訳してみたら
「私の神は、あなたがカナダでそれを持っている!」と出てきて、大爆笑したのよりは
大幅にましではあるけれど。

3日目でもう欠席か、とほほ

今日は朝4時半に、震度5強の頭痛で目が覚め
ふらふらしながら階下に降りて、特強アセトアミノフェンを1錠呑んだが
一眠りしても頭痛は一向によくならず、頭の中でがんがん鳴り続けている。

仕方なくまた1錠呑んで、ベッドに戻る。ジムに行くどころではない。
そうしてお昼近くまでベッドで過ごしたが、しつこい頭痛は居座り続け
立ち上がると吐き気もする。
これでは学校に行けない。
じいっと動かずに座っているだけなら、3時間なんとか持つかもしれない、とは思ったが、
仮に持たなかった場合、クラスメートおよび先生に多大な迷惑をかけそうなので
3日目でもう欠席か、とかなり情けない気持ちではあったが、学校は休んだ。

午後も寝ていたおかげで、夕方には大分ましになり
起きてご飯も食べたが、まだ何となくおかしい感じで、全身のだるさが抜けない。
明日の昼までには何とか復調して、学校に行けるとよいのだが。

スパゲティかぼちゃ

ウチの夕食時間は5時なのだが、学校が終わるのは4時。
寄り道せずに真面目に帰っても、家に着くのは4時半ちょっと前。
というわけで、夕食の準備時間は30分しかない。

もともと勤労婦人時代が長く、“30分一本勝負”の料理には慣れているし
一般の日本人家庭とは違って、ご飯を炊いたり、みそ汁を作ったりするわけではないから
30分でも、けっこう夕食はでっちあげられる。

たとえば今日は、思いついて「スパゲティかぼちゃ: spaghetti squash」にしてみた。
この中の果肉が麺のようになっている面妖なかぼちゃ、
雑誌のレシピでは何度か見かけたものの、実際に食べてみたことはなかったので
この間スーパーでセールになっていたのを幸い、どんなものだか面白がって買ってみたのである。

ネットで調理法を調べてみると、縦に半割りか4つ割りにして
そのままゆでるか、オーブンか電子レンジで加熱すればいいらしい。
ゆでるのなら20分、オーブンなら30~40分、電子レンジなら6、8分ということなので
私は一番時間のかからない電子レンジを選択。
硬い皮に難儀しながらやっとこさ半割りにしたのを、電子レンジに放り込んでチン!
(あ、ふつうのカボチャ同様、タネとかは取ります、念のため)

粗熱が取れたところで、フォークで中の果肉を掻き出し、


spaghetti-squash.jpg


 ↑ 某サイトからお借りした画像ですが、中身はこんな感じ


スパゲティのようにお皿に盛り付け、昨日の残りのトマトソースをかけて一丁上がり。

かぼちゃ半分で2人分は十分あったが、お味はというと、うーん、微妙・・・
なんというか、これといった味がなく、不味くはないが、感激するほど美味でもなし、というところ。
小麦粉で作る普通のパスタに比べてカロリーが少ないので
パスタの代用品としてよくダイエットメニュには登場しているが、
今日の感じでは、常備しておいて頻繁に食べたい、と思うようなものではなかった。

ただネット上のレシピを見ると、他にもいろいろな調理法があるようなので
果肉の淡白さを生かすような、あるいは淡白さにこくを添えるような料理にすれば
見違えるような味わいになるのかもしれない。
あと半分残っているから、また試してみよう。

初日

  • 2014/10/01 12:19
  • Category: 雑記
フランス語教室、初日。
出席者13人。
母語の内訳は、スペイン語5人、中国語4人、日本語2人(!)、英語、アラビア語各1人。
数の上ではスペイン語勢力と中国語勢力が拮抗してきたが、
中国語の人たちはみなおとなしく、間違っても人の発言を途中で遮って
滔々と自説を述べるなんてことはしそうもないので
今年もまたクラスで最もよく飛び交う言語はフランス語ではなくスペイン語
ということになるのかもしれない。

先生は去年までのジョゼに代わり、新しくジョジアンが担当。
今まで隣の市のフランス語教室で教えていた方だそうで
年恰好も雰囲気も、ジョゼとよく似ている。

私はたまには違う先生に教わるのも気分が変わってよい、と
新しい先生の登場を歓迎しているのだが
ファラやアンヘリーナは「どうしてジョゼじゃないの?」と
かなり不満そうな様子だった。

加えて授業が午前ではなく午後となったことも不満のようで
ちょうど教室に来た事務担当のシモンに、盛んに文句を言い、
授業を午前に変えるべく、クラスメートたちに働きかけていたが
結局「午前でなければ困る」という人は彼ら2人以外にはおらず
(そもそも午前しか来られない人は、午後1時からという今日の授業に
出席しているはずがないのだから、当たり前だ)
今日のところは「とりあえずこのまま」ということになった。

授業を午前にするか午後にするかは、前回の説明会の際
すでにそれぞれの希望を聞いており
午前の方が都合がいい人が7、8人
午後の方が都合がいい人が14、5人と
午後の方が圧倒的に好まれたので、今年は午後になったのである。
仕事の都合で説明会に出席できなかったアンヘリーナはともかく
ファラはその場にいたのだから、経緯は十分わかっているはずで
それにもめげず、今一度自らの主張を通そうとあれこれ頑張ってみるあたり
「決まったことは、決まったこと」と、おとなしく従う私とはメンタリティの違いが見えて面白い。
彼らにとっては、「ものごとはネゴで変えられる」ものであり
たとえお上の言うことだろうと、唯々諾々と従うものではないようである。

こういう精神、少し見倣いたいと思うのだが
さて、どうやったら身に付くのだろう?



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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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