地元の旅行社

1月末の日本・香港行きのチケットを取った。最初はネットで安チケットを探していたのだが、ネットだと、モントリオール→東京→香港→モントリオールという三角のかたちのチケットを探すのは難しく、じゃあとクラスメート(中国人)から教わったモントリオールの旅行社に聞いてみようかと言ったら、雪だるまが「中国系の旅行社は中国籍の人とその他の人とでは値段が違う」と言いだし、結局町内の旅行社に。

この旅行社、お義父さん始め一族の大方が利用している旅行社で、付き合いは長い。長いがしかし、小さい町で夫婦二人でやっている旅行社ゆえ、扱っているのは専ら北米、南米たまに欧州。アジアはあんまり得意ではないようす。

案の定、上記チケットを頼みに行ったら、私がネットで探した時より手間がかかったうえ、東京→香港がマニラ経由で9時間という「勘弁してくださいよ」な路程を出してきた。これでは困る、東京→香港は直行便がたくさんあるはずだ。NaritaのほかHanedaからも出ているから、そちらも見てくださいと再度頼んで待つことしばし。(この間、風邪気味の夫氏は咳をこんこん、くしゃみ三発、鼻水退治に再三ティッシュをつかみ、彼と机を挟んで向かい合っていた我々は、こんなところで風邪菌を拾うのはいやだなあと渋い顔) 

しかし最終的には、モントリオール→東京および香港→モントリオールはバンクーバー経由、東京→香港は羽田から全日空の直行便という理想的な路程を探し出してくれた。カナダ→アジアが米国経由でないのは、本当にありがたい。米国経由だと日本人の私は事前にヴィザの手続きをしなければならない上、911以降、米国はセキュリティが厳しく、たとえトランジットだけでも空港でのチェックに長々時間がかかるので、できれば避けたいのだ。

しかし安チケットはほとんど全て米国(ニューヨーク、デトロイト、シカゴ等々)経由。エアカナダより米国系のユナイテッドとかの方が料金が割安で便数が多いので、そうなるのは仕方がないのだが、それが今回はバンクーバー経由。これならヴィザの手続きも要らないし、ほどよいところで乗り換えとなり、足を伸ばして休憩できて一石二鳥。おまけにお値段は1400ドルちょっとと、まずまず。地元の旅行社も馬鹿にしたものではないねえと、ちょっと見直した。

それに、このところ当町は地元の経済を支えてきた大きな工場が相次いで閉鎖になったりして、景気後退気味。ネットの旅行社や、大都市の大きな旅行社ではなく、細々とやっている地元の旅行社を使うのはいいことかもしれない。1400ドルちょっとのチケット2枚では大した手数料は入らないだろうけれど、ま、ゼロよりはまし、ということで。
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タダじゃなかったのね

先日、雪だるまがジムでけがをし、救急車で病院に行った話は前に書いたが、昨日になってこの話に続きができた。“Coopérative des Ambulanciers de la XX” (XXは地域名)というところから、封書が舞い込んだのである。“Ambulanciers”とあるから、この間利用させていただいた救急車関連であることは明白。「先日のサービスはいかがでしたか?」てな、利用者アンケートでも送って来たのかと思ったら、これが全然違った。雪だるまが開けてびっくり。なんと請求書だったのである。基本サービス料として125ドル。これに加えて走行距離に応じた追加料金が5.25ドル。計130.25ドルのご請求で、「12月11日までに払ってね」と書いてある。

当地、医療費は基本的に無料なので、救急車のサービスも無料なのかと思っていたが、いやはや、有料だったのか… まあ、あの時、雪だるまは自力では立ち上がれない状態だったし、血圧も通常よりだいぶ低かったから、救急車を頼んだことを後悔しているわけではないし、計130.25ドルという料金も、2名の救急隊員がその場で取ってくれたさまざまな措置を考えれば、不当に高いとは言えないのだが、しかしまあ、無料だと思い込んでいたところに請求書が来たので、ちょっとびっくりしたことは確か。雪だるまも、ちょっと憮然とした様子で、支払小切手を書いていた。

ちなみにこの救急車サービス、基本有料だが減免対象もあるようで、請求金額が書かれた横に、「生活保護受給者、勤務中の事故による被害者、交通事故による被害者、軍人、communauté autochtone(先住民共同体)の住民は、ご連絡ください」と、但し書きがあった。たぶん、生活保護受給者は地方自治体が、労災の場合は雇用者が、交通事故の場合は加害者が、費用を負担するということなのだろう。軍人は、軍かな? 先住民共同体の住民は、州あたりだろうか。その辺は、よくわからない。

日本の救急車は確か無料で、香港も(一度、利用させていただいたが)無料だったが、日本などでは、大したことでもないのに救急車が呼ばれ、出動回数の多さが問題になってもいるようなので、上に書いたように負担が困難な人にはそれなりの減免措置があるのなら、有料というのも悪くはないと思う。まして当地は、基本的に医療費は無料なのである。救急車代くらい、払える人は払った方がよい。無駄な出動が減って、よいだろう。

それに今回の請求書で知ったが、当町の場合、救急車は隣の市から来る。よって、電話をしてから救急車が来るまでに20~30分はかかる。雪だるまの場合も、20分以上かかった。然るに、当町の病院は町の真ん中にあり、市街地から病院まではだいたい車で10~15分程度。救急車を待っている間に、着いてしまう。よって、病人が動けるなら自分の車で運んだ方が早かったりするのである。おまけに、救急車で運ばれたところで、病院でのトリアージュで「緊急度低し」と判断されれば、診察は後回しになる。雪だるまだって、病院に着いてから実際に医師の診察を受けるまで、ほぼ2時間待ちだった。救急車で運ばれたからといって優先されるわけではないし、とどのつまり、病人が動けない場合や、一刻を争うようなごくごく緊急の場合以外、救急車で病院に行くメリットはあまりないということである。

それでも年寄りが多い町のせいか、学校の行き帰り、救急車はよく見かけるが、大体の場合、サイレンを鳴らすでもなく、のんびり走っている。病人を運んだ帰りなのかもしれないが、見るからに緊張度が低い。ちなみに当地の救急車は、白ではなく薄い黄色。クリームパンの、クリームの色である。

放っておいてください

  • 2014/11/17 23:09
  • Category: 雑記
乳がんのため一時入院したニューヨークの病院で神父の訪問を受け、激怒したのは千葉敦子氏だ。入院登録の際、「無宗教」とはっきり書いたのに、なんで神父が来たのか。信者なら有難いと思うだろうけれど、わたしは手術の直後に宗教論争なんかやりたくない。人が精神的または肉体的に弱っている時が、布教にはもってこいの時期なのだろうが、その手には乗れないと、憤懣やるかたないといった調子で、怒っておられる。

私は雪だるま程の徹底的反神論者ではないが、いかなる神も信じておらず、宗教、特に一神教は利よりも害の方が多いと考えている点、宗教から来る蒙昧と頑迷、非寛容が我慢できない点、無神というよりは反神に近い立場かもしれない。したがって、この時の千葉さんの怒りはよくわかる。

幸い現在のケベックは米国ほど「神の国」ではないので、私は度々の通院や、二度の手術の際に宗教者の訪問を受けたことはないが、教会からの入信のお誘いパンフは、時々ポストに舞い込んでくる。70年代のカソリックの凋落以降、各教会とも信者の減少(=収入の減少)に悩み、中にはすでにつぶれてしまった教会もあるので、たまには新規信者を獲得しないことには、やっていけないのである。

で店屋の広告よろしく、教会からもダイレクトメールが送られて来るわけだが、反神の我が家ではそうしたものが送られてきても、ちらり見てリサイクルボックス行き。まともに取り合うことはなく、見てもすぐ忘れてしまう。

がしかし、先日、私のメルアド当てに「Dieu créa le Canada... (=God create Canada)」で始まるメッセージが送られてきた時には、名指しで私あてというその個人性の気色悪さに総毛立った。宗教者に知り合いなどいないはずなのに、一体どこの誰がどうやって私のメルアドを知ったのか? Lから始まる差出人の名には見覚えがない。差出人の名の横には、ウサギの着ぐるみを着た幼児の写真が付いているが、こんな子供にも見覚えはない。一体、誰だ?

本文を見ると、タイトルは上記の通りフランス語であるにもかかわらず、こちらはスペイン語。ここに至ってようやく、これはクラスメートの一人ではないかと気が付いた。学期の初め、請われるままに名前と連絡先を書いて渡した中にメキシコ出身のLさんがいたが、そう思ってみると差出人の名は、彼女の名とよく似ている。彼女が教室で使っている名を短く切り詰めれば、こんな名になるかもしれない。かわいい孫が何人かいると言っていたので、このウサギの着ぐるみ幼児は、彼女の孫の一人かもしれない。そして常日頃の学校でのLさんの振る舞いを思い浮かべてみれば、その常に明るく陽気、常に愛情豊か、常に他人に対して親切至極な態度は、確かに傍らに神様がついていそうである。うーむ。

クラスメートとはいえスペイン語はわからぬ私に、スペイン語の神様メッセージを送って来た意図は不明だが、単にすべてのクラスメートあてに一斉送信しただけかもしれず、送り主が彼女であるならそこに悪意はなく、全くの善意からであることは明白。
よって正しい性格の人ならここで、(神を信じる、信じないに拘らず) 彼女の善意に感謝し、サンキューメールでも送るのが筋なのだろうが、いかんせん、私の頭はそっちの方向へは動かなかった。千葉敦子さん同様、猛然と腹を立てたのである。彼女がキリスト教の神を信じるのは勝手だが、なぜそれを他人にまで広げようとするのか。宗教というのは全く個人的なことで、他人があれこれ口を出すべきことではない。第一、私は無宗教だからまだよいが、クラスメートの中には他の宗教の信者だっているのである。仮に私が仏教の、あるいは神道の、あるいはイスラム教の熱心な信者だったとしたら、キリスト教の神を称えるメッセージを送られて喜ぶだろうか。まったく信者というのは実に独善的だ。

それにそもそも、カナダは神が創ったわけではない。今のカナダはヨーロッパ人たちが原住民を追い出して造った国である。それを「Dieu créa le Canada... 」とは、いったいどういう意味か。まさかいまだに創世記、アダムとイブの神話を信じているわけではあるまいね。非科学的無知蒙昧は、いい加減にしていただきたい、ぷんぷん、という風に腹を立てたのである。腹を立てた余り、一瞬、Lさんあて抗議の返信メールを出しそうになったが、はっと思い留まった。こんなところで宗教論争をしてみても始まらない。だいたい何かを信じている人を、論理で納得させるのは不可能なのである。信仰は論理を超えたところにあるのだから。

休戦記念日

本日、11月11日はJour du Souvenir(Remembrance Day)である。日本語では休戦記念日と訳されているのだろうか。米国ではVeterans Dayと呼ばれているので、その場合は復員軍人の日または退役軍人の日と訳されるようだが、いずれにせよ第一次世界大戦の終結を記念して始まった祝日で、その後第二次世界大戦など他の戦争における戦死者も含め、祖国のために戦った彼らの死を悼み、その犠牲に深い感謝を奉げる日として、現在に続いている。数多くの犠牲者が眠るフランダースの丘に咲くケシの花(coquelicot;corn poppy)に思いを馳せて胸に飾られる赤いケシの造花は、休戦記念日の象徴だ。

しかし世界的な記念日とは言え、去年までは私の場合、どこかで貰ったケシの造花を胸につけたりするくらいで、特に何事もなく過ぎていたのだが、今年は違った。幸か不幸か、フランス語のクラス内に現役の軍人がいたためである。オンタリオからケベックに移ってきた若干21歳のZ君は、もちろんカナダ生まれのカナダ人なのだが、フランス語が全然喋れないので私たち移民に混じってフランス語教室に来ている。
その彼が、本日、休戦記念日にちなんだプレゼンテーションをしたのである。第一次、第二次世界大戦時の写真からアフガニスタンでの平和維持活動のヴィデオなどのヴィジュアルから、各戦争における動員兵士数、戦死者数などの数値まで、ふんだんな資料をパワポにまとめてフランス語のキャプションと説明をつけ、自身、カナダ陸軍の戦闘服に身を包んでの熱演である。普段、どちらかというとおとなしめで、身体つきが華奢なせいもあって全然軍人ぽくないZ君なので、今日もなんだか職業軍人のプレゼンというより、借り着の高校生が夏休みの自由研究の発表でもしているような雰囲気ではあったのだが、それでも趣旨は明白。祖国のために戦うことを是とし、犠牲となった兵士たちの勇気と愛国心を称える内容である。そこには微塵の疑いもない。職業軍人なのだから当たり前である。職業軍人が前線で、この戦争は是か非かなんて考えて躊躇っていたら、即刻あの世へ行ってしまう。

がしかし、職業軍人ではない私は彼のプレゼンを聞きながら、居心地悪さに眉間に皺が寄ってしまうのを隠せなかった。なぜなら私にとっては戦争は常に疑問符付き。愛国心も忠誠心も疑問符付き。とてもではないが彼のように、何の疑いも差し挟まず、戦争を、祖国のために戦った兵士たちを称えるようなことはできないからだ。

私にとって正義は常に相対的なものである。神のいない私には、絶対の正義、絶対の善など存在しない。せいぜい「総体的に見てAの方がBよりもやや公正と思われる」とか、「より多くの人の幸福に寄与すると思われる」というくらいで、Aの方が絶対に正しいとか、Bは悪の枢軸!などと決めつけるようなことは、とてもできない。したがって過去のどんな戦争も疑問符付きでしか見られず、連合国側が勝ってよかったね、ターリバーンを掃討できてよかったね、などと単純に喜ぶことはできないのだ。

と言って、私は何よりも平和を尊ぶ平和主義者というわけでもない。人が犠牲になる紛争や戦争などない方がいいに決まっているが、不幸にして人間は大変に愚かである。しかもどうやら“争うこと”は人間の本性の一部のようで、よって小は道端での殴り合いから大は数か国を巻き込む世界戦争まで、この世は争いに事欠かない。

それはわかっているから、私とて軍隊や武器なしに平和を維持できると思っているわけではない。「武力を捨て、戦争のない平和な社会を築きましょう!」というのはきれいごとに過ぎず、武力を持ち出す相手には、こちらも武力で応じるしかない。マシンガンを持った相手に「話せばわかる!」などと言うのは、言うだけ無駄。言ってる間に撃ち殺されるのが関の山で、そもそも話してわかる相手なら、初めから武力など持ち出さない。だから戦争や軍事力による紛争の解決を否定するわけではないのだが、ただその武力による解決は、悪だと承知しつつ執行することが重要だと私は考えている。間違ってもそうすることが絶対的に正しいなどと思ってはならないと思う。武力の行使は必要に迫られ、やむを得ず行うのであって、そうすることが善だからするのではないのだ。人が人を殺す戦争に、正しい戦争、きれいな戦争などあり得ない。ましてフットボールの試合ではあるまいし、これは聖戦、神は我らが側にあるなどと考えるのは論外である。(余談だが、アメリカンフットボールの試合で、それぞれのチームがそれぞれ神に勝利を祈るのを見ると、その滑稽さにいつも吹き出してしまう。米国のチームであるからどちらも同じキリスト教徒のはずで、つまりは同じ神にそれぞれが勝利を祈念しているわけで、祈られた神様の方もどっちを勝たせたものか随分困っているに違いない。まったくもって、やれやれ、である)

忠誠心や愛国心についても同様だ。「愛国心は悪党の最後の拠り所(Patriotism is the last refuge of a scoundrel.)というサミュエル・ジョンソンの言葉を引くまでもなく、愛国心という言葉はその時々の権力者の都合のよいように、さまざまに利用されてきた。昨日の愛国者は今日の非国民、今日の英雄は明日の漢奸だ。それを思えば、疑問符なしにこの言葉を口にすることは、私にはできない。

もっとも、Z君のプレゼンを聞きながらそんなことを考えていたのは私だけだったようで、他のクラスメートは己を犠牲にして祖国を守った兵士たちの愛国心と忠誠心に素直に感動し、その勇気を称賛しているようすで、例の有名な詩「In Flanders Fields」の仏語版には「ロマンチック…」と溜息をつく人もあり。そしてプレゼン終了後、ジョジアンが「カナダ軍兵士に励ましのカードを書きましょう」と提案すると、みな熱心にあれこれと文案を考え、楽しそうにカードを作成。何しろ現代のこととて書いたカードは早速Eメールとなってカナダ軍に送られ、折り返し「Merci」で始まる自動返信が返って来た。

しかしながら私は、そのEメールから名前を抜いて貰った。犠牲となった兵士たちを軽んずる気は毛頭ないし、現在活動している個々の兵士たちに反感を抱いているわけでもないが、だからと言ってその活動を是とし、称賛することは私にはできない。自らの考えるところと異なることが書かれたカードに、名前を載せることは私にはできない。



赤いコクリコ

coquelicot.jpg

アライグマ君

  • 2014/11/07 21:45
  • Category: 動物
昨晩、初雪。
特に冷え込む晩とも思えなかったのだが、今朝起きたら庭のあちこちに
うっすらと白いものが乗っていた。
そして今も、なんだか霙のようなものが降っている。
いよいよ冬に突入の模様である。

そうした冬の気配を感じ取っているのか
この頃、野鳥たちも高栄養のピーナツやスエット(穀物や種子を牛脂で固めたもの)に
多く群がっている。
普段はスエットへ飛んでいくことなどほとんどないチッキディーですら
時々はスエットにくちばしを突っ込んで、ピぃピィやっているのを見かける。
みな寒さ厳しい冬に備え、栄養を蓄えているのだろう。

そのあたりは例のアライグマ君も同様のようで
この間の夜は、まだ早いうちからウチのデッキにやって来た。

7時ごろだったか、雪だるまと夕ご飯を食べていたら
デッキの方で“ガタン!”と何かが落ちたような音がした。
隣家の猫でも来たのかと食事の手を休めて見に行ったら
なにやら黒っぽい丸々したものが、デッキにうずくまっている。
猫より大きい。
「なんだ、あれ?」と急ぎデッキの電気を点けてみると、
これがなんとアライグマ君。
どうやったのか、栄養いっぱいのスエットを引っ掛けてあるワイヤーフックから外し
腕の中に抱え込んで、ばくばくと貪り食っている最中だったのである。
アライグマ君は以前にも一度、スエットをホルダーごと盗んで逃走したことがある。
以来、スエットやフィーダーは暗くなると家の中に取り込むようにしていたのだが
この日はまだ時間が早かったので、外に吊るしたままだった。
そこを早めに出動した勤勉なるアライグマ君に狙われたわけだが
幸い発見が早かったので、大事には至らず。
高栄養食品を貪り食っていたアライグマ君は、雪だるまの姿を見ると
スエットを放り出して、デッキ下に逃走。
ガサガサガサッと音を立ててウチの庭を走りぬけ、裏の林に消えていった。

「あーあ、逃げちゃったね」と雪だるまと食事に戻りかけると
デッキ上部で、なにやら動く影。
あれ?と思って見上げると、なんとアライグマ君がもう一匹、デッキの横木に座り込んでいた。
こちらが見上げても、逃げるでもなく、じいっと座り込んでいる。
彼に持ち逃げされないよう、残りのフィーダーを家の中に取り込もうと
私たちがデッキを動き回っても、ただじっと見ているだけで、逃げない。
人間を恐れない勇猛果敢にして大胆な勇士なのか
あるいは逆に怯え切って動けなくなっているのか
よくわからないが、とにかく動かない。
それがこの子である。


デッキの横木にうずくまるアライグマ君。左上に見えるのは、月?

IMG_4484.jpg


寄るとこんな感じ。目が光っております。

IMG_4485.jpg


こんなにまじまじとアライグマを見られる機会は少ないので
私たちはしばらく電気を点けて、うずくまっている彼を見ていたのだが
食事時で、そうそういつまでも見ているわけにもいかないし
彼が怯えて動けなくなっているのならかわいそうなので
そのうち電気を消して、食事に戻った。

しばらくして行ってみたら、彼の姿は消え
ついでにデッキに残っていた、けっこう大きなパンの切れ端も消えていたので
彼はパンをくわえて、裏の林に帰ったのだと思う。
こってりしたスエットの代わりが、カサカサのパンではかわいそうな気もするが
ま、何もないよりまし。
もっと何か食べたかったら、コンポストを漁りたまえ、アライグマ君。








雪だるま、負傷

昨日は雪だるまがジムでけがをして救急車で病院に運ばれ、一時は大変肝を冷やした。幸い、身体に別条はあるが、生命に別条はないとわかりほっとしたが、まったく、健康維持のために通っているジムで、健康に障害を起こしたのでは本末転倒である。いい加減、力の限界を試すような筋力トレーニングは止め、総合的に身体の状態を整えるようなトレーニングに切り替えていただきたいものである。ちょうど注文していた太極拳入門のDVDも届いたことだし、これを機会にトレーニングの方向を転換してはどうかね、雪だるま? 私はすでに、メニュの半分をエアロビクス運動とストレッチに切り替えているぞ。二人とももうすぐ60歳だ。シニアオリンピックに出るわけじゃなし、別に150kgのバーベルを持ち上げられなくても困りはしないと思うがね。

ちなみに雪だるまのけがの内容は、上腕二頭筋腱断裂である。インクライン・ベンチでダンベルプレスをやっていて、1、2セット目は問題なかったものの、3セット目にダンベルを適切な位置に持ち上げ損ね、それを直そうと無理に腕を動かしたものだから腱に過剰な負荷がかかり、“ぷつん”といってしまったらしい。切れた直後は上腕に微かな違和感があるだけで痛みは全くなく、「でも心配だから病院に行こう」と、そこでトレーニングを止めてそれぞれロッカールームに向かったのだが、待てど暮らせど雪だるまが出て来ない。そのうちロッカールームに入った人が、「ちょっと」と私を迎えに来、ついでジムのオーナーに声をかけた。なんと彼はロッカールームでめまいを起こし、ベンチに座ったきり動けなくなっていたのである。意識ははっきりしていたが、冷汗を流し、顔面蒼白。オーナーが血圧を測ると、通常よりかなり低い。軽いショック状態だったらしい。そのうち救急車が来て、雪だるまはストレッチャーに乗せらせ救急車。私は車でその後を追う。いっしょに救急車に乗ってしまっては、病院から帰る手段がなくなる。

病院ではすぐにトリアージュを受けたが、はっきりと意識があり、痛みはゼロ。緊急に手当てが必要な外傷も、疾患もないということで、優先順位はかなり低め。実際、トリアージュのあとは、かなり長々と診察室で待った。病院に着いたのが11時頃。待ちくたびれた診察室に医師が現れたのは12時50分頃だった。約2時間。これでも早い方かもしれない。なにしろ緊急度が低いのだから。

医師の診断は、上腕二頭筋の位置はおかしいが腕を動かすことはできることから、2本ある腱のうち1本が切れたのだろうとのことで、こうした場合、通常はそのまま放っておくのだそうである。雪だるまは「えっ、何もできないんですか?」と仰天していたが、若年者や運動選手、肉体労働者の場合は手術して腱をくっつけ直す場合もあるが、そうでなければ日常生活に支障はないので、そのままなのだそうである。それでも一応、専門医のアポが取れるよう手配してくれたが、私の目の時同様、専門医は御用繁多。実際に診てもらえるのは来週か、再来週か。それまでは余り腕に負担をかけないよう、家でおとなしくしているしかない。異常はあっても、痛みがないだけましと言うべきか。

ただ雪だるまには痛みがないものの、実は私には痛みがある。支えようとした私の手の上に、雪だるまのダンベルが落ちて来たので、左手の薬指を負傷してしまったのである。さっと引っ込めたつもりだったのだが間に合わず、ただいま左薬指の先は、黒-くなって、ぷっくり腫れている。たいした痛みではないが、やや動かしづらい。ったく、だから50kgのダンベルなんか持ち上げるなというのに。

『風車小屋だより』

  • 2014/11/02 21:54
  • Category:
先日のフランス語教室では、どういうわけだか出席者が少なく、これで新しい項目を始めてしまうわけにはいかないと、代わりに「本を読んで、その要約と感想を書く」というお題を頂戴した。本はみんな(といっても4人だけだったが)でジョジアンと共に学校の図書室に行き、そこで借りた。

ドアに付いたガラス窓からちらちら眺めていた時も「なんだか小さい図書室だなあ」とは思っていたが、中に入ってみると思った通り大変小さい図書室で、蔵書も多くない。それでも一応、哲学、自然科学から文学まで並んでおり、文学は国別に一塊になっていた。一番充実していたのは当然ながらケベック文学のコーナーで、書架3つくらいを占領。まあな、ケベックの学校でケベック文学を置いていなかったら、話にならないしな、と思う。

係りの女性から各コーナーについて簡単な説明を聞いた後、それぞれ恋愛小説(ホセ君)やケベックの歴史についての本(王さん)、Asterixの絵本(仏語はABCから始めたばかりのZ君)など、好みに合わせて1冊選択。そんななかで、私はドーデの『風車小屋だより』(Lettres de mon moulin )を選んだ。子供の頃に読んだ印象から言って、これなら初級の私にも何とか読めるかなと思えたことと、本が薄くて持ち運びに便利なこと、短編集で各話が数ページしかないので、視力と根気が尽きる前に1話くらいは読了できるだろうと思えたのが理由である。(4~500ページもある大部の本では、一生読み終われそうにない)

ところが、本を持って借り出し手続きに行くと、係りの女性はその薄い本を手に取りながら「これは詩の本?」と聞く。びっくりした私はへどもどしながら「いや、contesだと思う」と答えたのだが、どうも彼女はドーデを知らないようすで、ふうんという顔で手続きを進めていく。

正直わたしは「仮にも図書室担当の人が、どうしてドーデを知らないの?」とちょっと呆れたのだが、家に帰ってア○ゾン・ジャパンを検索してみると、私が子どもの頃あれほど有名で、小・中学校の図書館必備だった彼の本は、今ではほとんど絶版、品切れ。全然読まれている風がないのだった。さすがにア○ゾン・カナダでは仏語版も英訳版もまだ扱っているが、それとてベストセラーという感じではない。

考えてみれば、私が子どもだったのは40年も前。当時の必読図書は“今”の必読図書ではなく、19世紀フランスの一小説家などケベックでは知られていなくて当然ということか。雪だるまでさえ、ドーデの名は知っていたが読んだことはなく、「(動詞の活用でまごまごしているくらいのくせに)19世紀のフランス語を読む気か?」と笑っていたし。

しかしそうは言っても、現代ケベックの作家など、梨の木さんが薦めてくださった一人を除いて私は全く知らないし、現代のフランス語だから読みやすいというわけでもあるまい。それに古典はすでに翻訳がある。辞書を引き引き考えてもわからなかったら、翻訳を当たるという手を使えるのである。しかもネット上にあったりするから、便利至極。現代作家では、こうはいかない。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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