それではしばらく

  • 2015/01/21 01:39
  • Category: 雑記
昨日、某香港人と所用で会う日時を決めたのだが、
一夜明けたら、その香港人から時間変更を求める電話がかかってきた。

香港での日程は別に忙しくないので気楽に変更に応じたが
彼女が挙げた変更理由は、ちょっと考えれば昨日からわかっていたであろうことで
「もちっと考えてから、日時を指定したまえよ」と思わないでもなかった。
そして、「ああ、そういえば、いつもこうだったねえ」と、香港で仕事をしていた日々のことを思い出した。

香港では、一度決めた日程が変更されるのは日常茶飯事。
「状況は日々変わっているのだから、日程に変更が起こるのは当たり前」と
全く悪びれることなく、気軽に打ち合わせ時間や出張予定の変更を連絡してくる。
それに付き合わされるこちらは、ひとつ変わることによって
将棋倒し的に変わってくる日程をやりくりするのに、四苦八苦したものだった。
こちらが変更をお願いする相手が、変更慣れしている香港人ならまだいいが
日本人だったりすると冷汗三斗。
そもそも日本人や日本の会社は、一度決めた日程は
余程のことがない限り変更したりしないのだ。
相手が納得しがたい理由での変更や、急な変更が度重なれば
約束もろくに守れないいい加減な人/会社と、こちらの評判がガタ落ちになる。
それを避けようと、まことしやかな言い訳をあれこれ考えたりして
まったく「嘘つきは泥棒の始まり」というのが本当なら、
私は今頃、天下の大泥棒になれていたはずである。

それはともかく、その懐かしの香港(および日本)に明日から出かけますので
しばらく更新が滞るかと思います。
ぎりぎりの日数での日本滞在のため、日本の友人、知人のみなさまには
不義理を致しますが、何卒お許しくださいませ。
行き、帰りとも飛行機が墜ちず、無事戻ってまいりましたら
またぼちぼち日本語練習作文を綴らせていただきます。
それまでみなさま、ごきげんよう。
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本の始末

  • 2015/01/17 03:37
  • Category:
そろそろ日が迫って来たので、古本屋&本屋サイトで欲しい本を漁り始めた。日本に行くのは多分これが最後だろうと思われるので、いつに似ずバッサバッサと大人買いしているが、それでも重量との兼ね合いがあるので興味はあっても諦めた本も多い。たぶん30冊以内に収まるだろう。これで実際に本屋に足を運んだりすると、もっと数が増えてしまうかもしれないが、今回滞在は正味3日。実家の片付け、法事、銀行と1日ずつ割り振ったぎりぎりの日程なので、たぶん本屋でうろうろする暇はないはず。もっとも最後、空港の本屋という危険個所はあるが、あそこも品ぞろえは今ひとつ。まさかそんなに買い込むことはあるまい。

普段だと日本で買うのはノンフィクションが多いのだが、今回は例外的に小説も漁っている。藤沢周平さんの短編を2冊と長編を3冊。「御宿かわせみ」に維新以降を舞台にした新シリーズが出ているようなので、それを何冊か。そして大好きな高村薫さんの「晴子情歌」「新リア王」「太陽を曳く馬」「冷血」をまとめ買い。私は「レディ・ジョーカー」までしか読んでいないので、この4作は本当に、本当に楽しみ。

小説を漁る余裕ができたのは、在香港のオトモダチが私好みのノンフィクションを大量に貸すと言ってくださったからだ。彼女と私はもともと読書傾向がかなり似ているので、彼女が私のために選んでくれた本はずばり金的、大当たり!のものばかり。本当だったら20余冊全部借りて帰りたいのだが、持ち帰るにせよ、香港から船便で送るにせよ、“重量”という問題が私の前に大きく立ちふさがるので、泣く泣くその中から10冊ほどを選ばせていただいた。その中には「手にしたらすぐ読みたい!」本もあるので、たぶん香港滞在中から読み始めてしまうと思う。これもまた大変楽しみである。

こうした「これから読みたい本」は、なにしろ「読みたい」のだからカナダに連れ帰るのに迷いはないのだが、やや困っているのが実家に置きっ放しの本たちだ。実家にはまだ数百冊の本が眠っているが、家を人手に渡した以上、いつまでもそのままにしておくわけにはいかない。持ち帰るなり、売るなり、捨てるなり、とにかくその処分方法を決めなくてはならない。捨てていいものなら、そのまま実家に残しておけばいい。居抜きで譲ったので、不用品は新しい持ち主が処分してくれる。

が、処分されるということはつまり、本をゴミにする、ということで、これは本好きの方ならわかっていただけると思うが、決してやさしいことではないのである。「売る」とか「譲る」のなら、まだいい。本は本として生きていける。しかしゴミにしてしまうのは、本の本としての生命を断つということで、たとえば神谷美恵子さんやフランクルをそんな目に合わせるのは、ほとんど人非人の所業のように思えて身が縮む。

と言ってそうした捨てるに忍びない本を全部、持って帰ることはまさかできない。いくら思い出深い本であっても、過去20年以上手元になくても何とかなって来た本たちである。たぶんこれからも、なくても何とかなるだろう。確かにこちらには収納スペースは十分あり、だから身近に置きたいと思えば置けないことはないが、そうして置いてみたところで残す先はない。本にせよ何にせよ、我ら亡き後は後片付けの人たちの負担になるばかり。いたずらにモノを増やし続けるわけにはいかないのだ。

これはやはり段ボールに詰め込んで東京に持ち帰り、あとで妹に売ってもらうか。20年以上前に出版されたノンフィクションの単行本を、今の古本屋が引き取ってくれるかどうかは疑問だが。

今期の仏語教室

  • 2015/01/14 23:32
  • Category: 言葉
生徒数の減少により、今期から仏語教室は1日減って月~木の週4日になった。もともとフランス語の習得を通して新移民の現地社会への溶け込みを支援するための学校なので、ふつうの大学や高校のドロップアウトとは異なり、仕事を得て学校に来なくなるのは、むしろ歓迎すべきことなのだが、それにしても月曜などママン連が3時で帰ってしまったら、残ったのは私とZ君の2人だけ。これでは学校の存続すら危うい。

と思っていたら、昨日の火曜、新しい生徒が2人来た。北の方の町で中華レストランを経営する林君の奥方と、出戻りのマリアである。マリアは以前もクラスにいたのだが、一昨年のクリスマス前に「ちょっと里帰りして来ます」と言ってギリシャに行ったきり戻らず、去年1年間はとうとう一度も学校に姿を現さなかったのである。家業はこれまたレストランで、ギリシャ系ケベッコワである夫君や義母殿を含め、家の中ではギリシャ語で事足りるから、もう学校に来る気はなくなったのかと思ったら、昨日また突然現れた。

もう一人、林君の奥方は昨年ヴィザが下りて、生後1年余りの子どもと共に中国からやって来た。この地で子どもを育てていくからにはフランス語は必須と考えて、学校に来る決心をしたものと思われる。特に夫の林君の方が、この地に3年以上暮らしているにも関わらず、フランス語を全く話せないので(この点はまあ、私もひとのことは言えないのだが)、「ここはひとつ私が頑張らねば!」と思ったのかもしれない。昨日1日、先生に合わせて繰り返す発音を聞いた限りでは、林君よりはるかにスジがいいので、お子さんが学校へ行く頃には結構達者に喋れるようになっているかもしれない。

それにしても、こうしてクラスに初級者が増えたので、授業内容の半分がまた初歩に戻ってしまった。もちろん基礎は終えている生徒たちには別の課題が与えられているのだが、それは復習。新しいことを勉強しているわけではない。実のところ過去3か月も文法的にはすべて復習で、新事項はなし。語学の学習に復習は欠かせないとは言うものの、家で自分で復習するのならともかく、せっかく学校に来ていて先生もいるのに復習ばかりしているのは、なんだかちょっと時間がもったいないような気がするし、はっきり言って退屈である。

学校が楽しくないわけではないのだが、こうして毎年、毎年、同じ「ABCから過去形まで」の授業が続くようなら(そしてそれは生徒数の少ない田舎の学校としては、選択の余地のないことなのだが)、来年は学校へ行く代わりにどこかのボランティア活動でも手伝った方が、よほど有益かつ有効かなあと、この頃ぼんやり考える。日常生活でフランス語を使っていない私が徹底的に弱いのは「聞くこと」と「話すこと」なので、意思の疎通のためには絶対にフランス語が必要という環境に強制的に身を置けば、お喋り嫌いな私でも少しは喋る気になるのではないかと思うのだが、さてどうだろう。

結局のところ、語学に限らず勉強というのは自分でするもので、先生とか学校とかはその手助けをしてくれるだけ。最終的に問題になるのは、努力するかしないか、努力できるか否か、だけである。50年以上もあれやこれや、その時々に応じて何かを勉強する(しなくてはならない)生活を続けていれば、そんなことは骨身に沁みてわかっているはずで。それでもなかなか努力できないでいるのは、我が意志力が甚だしく脆弱なせいか。

ドレスコード

  • 2015/01/12 01:55
  • Category: 日本
そもそも今回、日本に行くのは法事(父の一周忌)に出席するためである。去年、手術直後で葬式に出席できなかったので、法事への出席は娘として必須である。いくら外地住まいだからといって、いつもいつも妹一人に任せきりというわけにはいかない。

で、法事には雪だるまも出席することになっているので、「あれ、そういえば白の長袖シャツ、持っていたっけ?」と聞いたら、「持っていない」と言う。そして「なぜ?」と重ねて聞くので、法事の場合、親族は普通黒のスーツで、スーツの下には当然白シャツを着るからと答えたら、雪だるま突然厳しい顔になり、「私はスーツは着ない」と言いだした。

考えてみれば雪だるまは元々、大の“カタイ服装”嫌い。スーツも嫌い、ネクタイも大嫌いで、香港で働いていた時も、会社の規定でネクタイだけは仕方なくしていたが、服装は常に半袖シャツ。スーツは一度も着たことがなかった。まして今は自宅で仕事のフリーランス。毎日、毎日、Tシャツやスウェットのカジュアルウェアで楽ちんに過ごしているのだから、「いまさらスーツなんか着られるか!」という態度に出ることは予想すべきだったのだが、数年前の母の葬式の時はスーツを着てくれたので、今回もなんとかなるだろうと考えていたのだが、甘かった。

もっとも彼が持っているスーツは1着だけ。30年近く前に作ったらしいダークグレーのダブルで、素材は多分ウール。どっしりと重く、(雪だるま体型のせいもあって)やたら嵩張るので、こんな面倒くさいものを、たった1時間かそこらの法事のためだけに、遠路はるばるカナダから日本まで運ぶのはいやだ!という気持ちは、わからなくもない。私だって自分用の黒シャツ、黒ジャケ、黒パンツを運ぶのは超面倒くさい。まして滞在日数正味3日の日本の後、1週間ほど滞在する香港では、これらの服装の出番はないのである。「なんか、無駄…」と、私まで黒スーツを着る気分が萎えてくるが、まさか長姉の私までカジュアルウェアというわけにはいくまい。

雪だるまに「スーツを着ないなら、何を着るの?」と聞いたら、ジェリーから貰った黒のスウェットだそうで、「衿が付いているからいいでしょう?」と言うのだが、お寺はゴルフ場ではない。衿がついていようが、黒だろうが、スウェットはスウェットで、坊さんと親戚のオジサン、オバサンから、鋭い非難の視線が飛びそうである。まあもっとも、雪だるまには常に“外人枠”という逃げ場があるし、たとえ親戚連から非難されたとしても、お互いの顔を見るのはたぶん今回が最後。後々の付き合いに差し支えるわけではないので、非難されてもにこにこと受け流していれば済むのだが。

ドレスコードというのは、他人に不快を与えないため、また周囲から浮いた服装をすることによって自分自身が居心地悪く感じたりしないためにあるのだから、その服装をすることにより自分自身が不快になるのなら、本末転倒と言えなくもないが、いつでもどこでもカジュアルで何とかなってしまうカナダとは異なり、日本は冠婚葬祭の時の服装に厳しい。なかなかに手間である。

Xavier Dolan

  • 2015/01/10 01:21
  • Category: 映画
今朝はマイナス30.7℃。ショールがあっても、肩先が寒かった。ああ、ケベックの冬。

ところでそのケベックに Xavier Dolan という監督兼俳優がいる。1989年生まれというから、まだ25歳。俳優としては子供の頃から活躍しているが、私が彼に注目し出したのは彼の監督第一作“J'ai tué ma mère(I killed my mother)”(2009年)を見てからである。そして二作目の“Les Amours imaginaires(Heartbeats)”(2010年)で静かな興奮に胸をどきどきさせ、三作目の“Laurence Anyways”(2012年)で、「この監督は面白い」と確信。その確信は四作目の“Tom à la ferme(Tom at the Farm)”(2013年)でも裏切られず、だから今こうしてこれを書いている。

彼が描くのは常に人間関係だ。“J'ai tué ma mère”では母と息子、“Les Amours imaginaires”では友達同士(男女)が同じ青年に関心を持ってしまったことによって生じる三角関係、“Laurence Anyways”では、男から女に移行したローレンスとその恋人との10年間に渡る関係、そして“Tom à la ferme”では亡くなった恋人の家族(母、弟)との関係が、サイコスリラー仕立てで描かれている。

彼の描く関係は、みな微妙にぎくしゃくしている。母と子も、友人/恋人同士も、相手の思いは読めず、自分の思いは素直に伝えられない。だから思いは常に鬱屈し、屈折する。そして監督である彼を投影してか主要登場人物たちはだいたいいつも若者だから、その鬱屈や屈折は若さ特有の鋭利な刃物のような自意識によってより鋭さを増し、人と自分自身を切り裂いていく。すでに若者ではない私などは、そうした若者たちの足掻きを懐かしい目で見てしまうけれど、当事者にとっては“懐かしい”なんてものではなく、身体中に散らばる傷口から血を流しながらの悪戦苦闘だ。

その悪戦苦闘は、たぶん監督自身にも当てはまるのだろうが、彼はそれを軽すぎず、重すぎない、洒脱と言っていいようなバランスで見せてくれる。フランス語圏であるケベック育ちだからというわけでもないだろうが、彼の映画にはヨーロッパ映画の匂いがある。たとえて言うなら、ゴダールやトリュフォーといったヌーヴェル・ヴァーグ時代のフランス映画。実際に比べてみれば、映像も手法も似てはいないのだろうが、巨匠による大作品ではなく、若者による感性が先に立った映画という雰囲気が私の連想を誘うのかもしれない。

それに映画の中の人物たちのスタイルも、50年代を連想させるのに一役買っている。ドラン自身、4作全部(“Laurence Anyways”ではパーティ場面にちらり出て来るだけだが)に俳優として登場しているのだが、その彼のスタイルが、黒縁の大きなメガネ、丈の短いスリムなパンツ、リーゼントに見えなくもないトップにボリュームのあるヘアスタイルといった、前世紀50年代の若者を彷彿とさせるヒップスタースタイルなのだ。“Les Amours imaginaires”では、主人公の一人であるマリーも、レトロなAラインのドレス、くっきり太いアイライン、ぴったり頭になでつけられたアップドゥなど、初期のA・ヘップバーンのようなスタイルで登場して、こちらを楽しませてくれた。

“Tom à la ferme”では、何しろ舞台が茫々と農地が続くケベックの田舎なので、彼の映画に常に感じられる都会のサブカルチュアという底流は微かになっていたが、それでも主人公トムがゲイだという点で、サブカルチュアの匂いは無くなってはいない。
そういう、どちらかというとマイナー向け、世界的大ヒットとは縁遠い映画が好きな人には、お薦めのドランである。彼のキラキラした感性を、お楽しみください。


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Magasin d’occasion

  • 2015/01/07 01:19
  • Category: 雑記
明け方、やけに肩先が冷えると思ったら、今朝の気温はマイナス28.5℃。寒いはずだ。サーモスタット付きの自動暖房なので室温はほぼ一定なのだが、外気温の影響を受けやすい場所はそれなりに上下する。窓近くに寝ている私など、窓側の肩が寒くなるのは当たり前。ただしそれを見越して、枕元にはふわふわした大判ショールを用意しているので、寒くて目が覚めたらこれを肩先に滑り込ませればOK。肩と掛布団との隙間を埋めてくれるショールはぬくぬくと暖かく、朝までぐっすりである。

ところで、ぬくぬくで思い出したが、今季はコートを新調した。“歩く練習”のところで着ていたコートがそれである。膝丈、フードつきだが薄手で軽い。ダウンではないので、零下30度近いなか長時間歩くといった緊急事態には向かないだろうが、普段の生活にはこのくらいで十分。色は明るいアイボリー。白い雪の中ではあんまり目立たないが、街中で遭難することもないだろうし、それに着て鏡を見たら顔色が明るく見えたので、なんだか気分がよくなってこれにしたのだ。他の、深緑色のやココア色のは着ると顔色がくすんで、“陰鬱なる冬”そのまんまの雰囲気になるので止めにした。中途半端な暗色は、年寄りには向かない。同じ年寄りでも、こちらによくいるやたら派手な顔立ちの人や、髪色の明るい人はそれなりにイケるのだろうが、当方いたって平板な顔立ち、髪は黒。コートの暗色に勝てる見込みはゼロである。

さて、買ってから気が付いたのだが、このコート、なかなかよくできていた。まず袖が長めになっていて、普段は袖口を折り返して着るが、特に寒い時は折り返しを戻すと手がすっぽりと覆われ、防寒、防風になる。ポケットに手を突っ込んで歩くにしても、袖が長めの方が隙間風を防げてよい。また袖口の内側にはもちろん軽くゴムが入っていて、袖口から風が入らないようになっている。
衿はぷっくりと厚く、これも隙間風を防ぐ構造。前開きはファスナーの上を前立てで覆いスナップで留める二重式。どのくらい効果があるのかはわからんが、これも隙間風予防と思われる。
そして何より「へえ」と驚いたのがフードの効果。暖地育ちなもので知らなかったのだが、フードというのはあれは飾りではなく実用なんですな。もちろんただ被っているだけでは大した効果はないし、風でも吹けば脱げてしまうが、ちゃんと被って紐を絞ると、フードは後ろ首から頭全体、額やのど元まで覆ってくれる。そうすると身体の熱が逃げにくくなるのか、あるいは身体の熱が頭の方にまで伝わるのか、ぬくぬくと身体全体が暖かくなるのだ。この場合、中にはもちろん毛糸の帽子をかぶる。この間この格好で歩いた時は、零下10度でも全然寒さを感じなかった。フードの周りに狐の毛皮がついているのも、狐君には悪いが、ふわふわと肌触り優しく、暖かく、気分がよい。

というように、なかなか結構な品なのだが、それでいてこのコート、お値段は10ドルなのである。邦貨1000円。なぜかというと、Magasin d’occasion 、救世軍の中古品店で買ったから。ダウンタウンの教会の隣にけっこう大きな店があり、そこでは家具から食器、本、衣類、雑貨まで、幅広く扱っているのである。なかでも衣類は特に充実していて、子ども、婦人、紳士物別に下着やTシャツ、スカート、パンツ、ジャケット、コート、寝間着まで、所狭しと並んでいる。売っている品はすべて人々が寄付した不用品なので、Tシャツなどではくたびれが目立つが、コート類は掘り出し物の宝庫。私は先シーズンから、「次にコートを買うならここ!」と決めていたのである。そして本格的な冬になる前の11月のある日出かけ、運よく好みの色、デザインでサイズが合うものを見つけたという次第。ケベックには小柄な人が多いから、身長155cmの私でも着られるサイズの物がけっこうあるのである。

ガラクタ好きの私はこの中古品店が好きで、年に何回か、暇を見て出かけていく。去年だったかは、ここできれいな赤いマフラー(1ドル)を買い、先日はキラキラした銀色のガラス皿(75セント)や小さい木のボウル(50セント)を買った。書類を綴じる3穴ファイル(75セント)を買ったこともある。あれこれ見ながら店内を回っていると、1時間くらいはすぐ過ぎる。平日は学校とジムがあるし、日曜は休みなので、行くとしたら土曜日。楽しい土曜のガラクタ漁りである。

お墓、遺灰etc.

  • 2015/01/05 01:13
  • Category: 雑記
妹から電話があり、日本での日程の打ち合わせなどしたのだが、その中で妹は実家のそばにある墓を、東京に移したいような話をしていた。妹の婚家の墓と一緒に東京に置きたいのだそうである。墓参りという行為がおよそ脳内にない私としては、「そうしたいなら、そうすれば?」程度の返事しかできなかったが、しかし「お墓を作っても私たち以降、面倒みられる人はいないのに」と、一言付け加えずにはいられなかった。

私と妹は二人だけの姉妹で、二人とも子どもがいない。私たちが死ねば、ウチの墓にお参りに来る人などいないのである。どんなに立派な墓を作ったところで、手入れをする人がいなくなれば、墓はあっという間に草茫々になり、見るも無残な姿に成り果てる。そうなることは目に見えているのに、なぜ手間暇かけて移すのか。無駄な費えではないか、と思ったのである。

もっともそれを言いだすと、そもそもなぜ墓など必要なのだ?という問いも出てくる。死者の復活を教義に持つユダヤ教やイスラム教の場合は、復活の際もとの身体が必要だから遺体を焼くことはできない→どこかに埋めなくてはならない→墓が必要、という図式になるのはわかるが、そういう信仰のない大方の日本人の場合、法的な規制もあって遺体はほぼ100%火葬される。火葬されれば、残るのは骨と灰。この骨と灰を土中に埋めたいと思った場合は、現行の日本の法律では墓地として許可された場所にしか埋められないから墓が必要になるが、土中に埋めないのならどこに置いてもいいのである。家の中に置いて、一向にかまわないのである。日々、故人を偲びたいということであれば、墓に入れるより家に置く方がいいような気がするが、どうだろう?(もっとも日本の骨壺は大きいから結構スペースが要り、マンション住まいだったりすると置き場所に困るかもしれないが)

また、墓はご先祖様が眠るところ、ご先祖様は日々私たちを見守っており、私たちが今こうして日々無事に暮らしていけているのはご先祖様のおかげ、といった子供の頃から何とはなしに刷り込まれる祖先崇拝の場としての墓にしたところで、私個人に限って言えば、子どもを持つことを拒否した=先祖となることを拒否した時点で縁は切れている。子孫がいなければ、祖先崇拝のしようがないではないか。古代から連綿と続く遺伝子の継続を貴重なものと思う嗜好は、私にはない。

というわけで、私に言わせると墓は要らないし、私自身も墓に入るつもりはないのだが、実際問題としては、いつ、どこで死ぬかによって選択できる範囲は違ってくると思う。カナダで、雪だるまより前に死ねば、墓には入らなくて済む。お義母さん同様、火葬の後、遺灰は骨壺に納められ、葬儀社の遺骨安置室のようなところに置かれることになると思う。実際、お義母さんの遺灰も過去10年、近所の葬儀社に置かれたままである。お義母さんはカトリックだったので十年忌のミサは教会でやったが、遺灰に何かが宿っているという考え方はしないようで、お義父さんにせよ、雪だるま兄弟にせよ(彼らは徹底した無神/反神論者だから当然だが)、葬儀社の遺骨安置室にお参りに行ったという話はきかない。私たち姉妹同様、雪だるま兄弟にも子どもはいないので、いつだったか「私たちが全員死んだら、遺灰はどうなるの?」と聞いたら、「親族が全部亡くなれば、葬儀社が適当に処分するだろう」ということだった。簡単、簡潔で大変結構。

日本で死んだ場合は、妹が生きていれば、あれはなかなか社会的慣習をないがしろにしないタイプなので、どこかの墓に入ることになるだろう。本棚の、彼女の猫たちの遺灰の隣に置いて貰っても一向構わないのだが、猫のと違い人間の骨壺は大きいので、そうもいかんかも。

カナダ、日本以外の場所で死んだ場合は、さてどうなるか。今、考えてみても、よくわからない。私がカナダ、日本以外の場所にいるということは、その時点で親しい親族はいなくなっているということだろうから、私が最後の一人。遺言で指定してみたところでその指示通りしてもらえるとは限らず、結局その地のお役所がてきとーに取り計らうことになるだろう。私が最後ならそれで結構。死んだ後のことまで気にするほど、私は神経細かくできていない。

歩く練習

  • 2015/01/03 06:09
  • Category: 雑記
謹賀新年
不定期雑文ブログではありますが
本年もなにとぞよろしくお付き合いの程、お願い申し上げます。

とは言うものの一応喪中なので、晴れがましいご挨拶の言葉は
これでおしまい。
何年か前、母が亡くなった翌年も、そうしたことを忘れた私は
元旦に父に電話して「明けましておめでとう!」と言ってしまい、
父に「母さんが亡くなったから、おめでたくなんかない」と叱られてしまった。
家族がなくなった→喪中である、という図式が一向に頭に登らない私である。

それはともかく、今月末の香港旅行に備えて、雪だるまと二人、歩く練習を始めた。
なに、私一人ならジムでも買い物でもしょっちゅう歩いているので、歩く練習なんか
いらないのだが、机仕事の雪だるまは日常ほとんど歩かない。
ジムでも筋力トレーニングばかりしていて、歩くとか走るとか自転車をこぐとかの
有酸素系の運動はまずしない。
もともと腰があまりじょうぶでなく、股関節の具合も悪くて
数年前、右も左も人工股関節にしたくらいなので、長時間歩くのは苦手なのである。

しかし香港では移動は地下鉄かバス。
タクシーという手もなくはないが、時間帯と場所によっては
歩く以上に時間がかかったりする。
大荷物でもあるならともかく、単なる移動手段としてはあまり実際的でない。
いきおい地下鉄とかバスとかを多用することになるのだが
この地下鉄とかバスとかは、まさか door to door ではないから
駅/バス停から目的地まで、多少にせよ歩かなくてはならない。
ついでに地下鉄の場合は近年とみに路線が増えて、あちこちで従来の路線と
接続したりしているので、東京ほどではないが駅構内が広がっていて
列車を降りてから目的の出口に出るまで、階段/エスカレータを登ったり下りたり、
あっちに曲がり、こっちに曲がり、延々歩いたりする。
田舎暮らしで移動は常に車で door to door 、なんていう暮らしをしていると
都会でのこの“自らの脚が頼り”の移動方式は、けっこうきつい。
だから練習。

まずボクシングデイの26日、気温が0℃前後と暖かかったので、ウチの周りを30分ほど散歩。
私は快調であと1時間くらいは歩きたい気分だったのだが、
15分以上歩くのは一年ぶりの雪だるまが「腰が痛い」と言い出して、この日はこれでおしまい。

ついで一昨日、12月31日はお買い物と称して、街中のドラッグストアまでお出かけ。
昼過ぎだったので、気温はマイナス10度。風も強くなく、条件としてはまあまあ。
ウチからドラッグストアまでは約3km。その前、暖かい日が続いて道路の雪が少なくなっていたので
けっこう歩きやすく、約40分で着いた。私がドラッグストアでお買い物している間、
雪だるまは店内のベンチで休憩。
帰りは途中のコミュニティポストの所で、雪だるまが少し腰を休めてから帰宅。

そして今日は、普段は車で行っているジムに歩いて行った。
ウチからジムまでは1kmちょっと。雪道でも20分ほどの距離である。
今日も気温はマイナス10度前後。風はやや強いがきれいに晴れて、白く光る雪が目に眩しい。
前回、ドラッグストアまで行った時、マフラーの巻きが足りなくて顔の下半分が寒かったので
今回は長い方のマフラーを顔にかかるように巻き、ついでにフードの紐もきっちり締めて
防風に努める。おかげでぬくぬく。寒さを感じることなく、快適歩行。
ただしスノーブーツは重いので、長時間歩くと腿の筋肉が痛くなる。
まあ、香港ではスノーブーツで歩く必要はないので
重いブーツで鍛えておけば、あとあと楽かも。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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