ご臨終

当地には雪だるま好みの雑穀パンが結構いろいろあるので
しばらくパン焼きから遠ざかっていたのだが
先日ふと思いついて、久しぶりにパンを焼いてみた。
働いてくれたのは数年前、日本からえっちらおっちら運んで来た
パナソニックのホームベーカリー君である。

この子はさすが日本メーカの品だけあって、実に多機能。
ふつうの白食パンはもちろん、全粒粉100%でもOKだし
それだけでなくソフトフランス、メロンパン、シナモンロール、
ケーキにうどん、果ては餅までできるのである。
いくら優秀、安価でも、欧米製のブレッドマシーンで
餅までできるものはない!
(当たり前である。欧米人の頭の中に「餅」という食品はないのだから)

それはともかく、思いついたが吉日と
久しぶりにホームベーカリーを取り出し
死蔵していた雑穀入り強力粉、スキムミルク、イーストなどを使って
全粒粉モードでパンを焼いてみたはよいが
5時間たって出来てきたパンは、見事にてっぺんがぺちゃんこ。
全粒粉パンによくあるケースその1「膨らまなかったパン」君である。
しかしまあ、いささかどっしりと重すぎ
やたらお腹にたまるパンではあったが、味はまあまあ。

それで翌日、今度は普通の強力粉と全粒粉と半々で焼いてみた。
全粒粉比率50%なら、少しは膨らんでくれるのではないかと考えたのである。
しかし、5時間たって出てきたパンは、まったくのナマ生地状態。
全然焼けていなかった。
「そういえばパンが焼けるいい匂いが全然しなかった・・・」とは思ったが
いまさらどうしようもない。
しかたなくパン生地を窯から取出し、塊のままベーキングシートの上に置いて
ふつうにオーブンで焼いた。
膨らまないどころか焼けてすらいなかったパンは
前日以上にどっしりと重く、胃に堪える充実度だった。

実は焼く前、「昨日ふくらみが悪かったのはやっぱりイーストのせいかなあ」と
瓶の賞味期限を確かめたのだったが、蓋に書かれた日付は2012年。
つまり賞味期限というか有効期限は、3年前に切れていたのである。
ケチな私はそれでも、うまくすればなんとかなるのではないかと
そのまま使ったのであったが、やはり駄目なものは駄目であったもよう。
粉や砂糖とは違い、生き物であるイースト菌は期限が切れたらご臨終。
いくらイースター月でも、死後に復活はしないようであった。

で、「ケチケチしないで、新しいイーストを買ってきなさい」という雪だるまの勧めに従い
翌日、学校帰りに新しいイーストを買ってきた。瓶入り113gで4ドル弱。
ご臨終を迎えた古い方のイースト君と比べてみても、
見た目ではどこが違うのか全くわからないのだけれど
パン焼きに使ってみたら、うーん、効果歴然!
窯から出てきたパンは、ほっこりと見事に膨らんでいた。

「へへん、このくらいだいじょうぶさ」と
日頃、食品の賞味期限には無頓着な私であるが
こういう生き物系の食品については、賞味期限を守った方がよさそうだ。
別に古いイーストを使っても、ふくらまないだけで腹を壊しはしないけれど。

ちなみに只今もパン焼き中。
使ったのはもちろん、新しいイースト君。
古いのは、コンポストに入れました。
古いイースト君は、肥料に生まれ変わるのです。


ご愛用のイースト君。ブレッドマシン用


yeast.jpg





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Boggle

  • 2015/04/22 20:50
  • Category: 言葉
昨日、授業時間の終わりに「Boggle」というゲームをした。
これはスクラブルと同じようなワードゲームで
数字の代わりにアルファベットが書かれた16この文字サイコロを
専用容器の中でカシャカシャと振る。(=カードを切るようにサイコロを切るわけ)
出た面をいじらずに、容器下面のトレイ(4×4で16マス)に並べる。
その見えている16個の文字を使ってできる言葉を探す。
制限時間は3分、というものである。


こんな感じですね

Boggle.jpg


本来は隣り合った文字同士でつなげていかなくてはならないらしいが
初級もいいところで、たかが知れた語彙数しか持っていない私たちは
「隣り合った文字同士でなくてもいい。同じ文字を2回使ってもいい」と
ルールを簡単にした上、制限時間を倍の6分にして遊んだ。

アルファベットは26文字だが、サイコロ16個の面の数は96。
当然、重複して出てくる文字も多くあり、逆に欲しいのに出て来ない文字もあり
出ている16個の文字をじいっと睨んで、単語を探すには
相応の語彙数と、その語を正しく綴れることが必要。
ついでに3文字の単語は1点、4文字なら2点という風に
長い単語になればなるほど点数が高くなるルールなので
どうせなら長い単語の方が有利なのだが
同時に長い単語はスペリングがアヤシクなる。
間違った綴りでは得点にならないので、
いうなればハイリスク、ハイリターン。
「この綴り、これだっけ?」と、チーム内でわあわあ確認し合い
みんなかなり熱くなって、最後はかなり賑やかだった。

私自身、このゲームは結構面白くて
一人遊びもできそうだし、「これ欲しいなあ」と
Eベイとかア○ゾンとかトイ○らスとかのサイトを覗いてみたのだが
こんなプラスチックのサイコロ16個と容器、砂時計という単純極まりないオモチャでも
最低10ドル以上、モノによっては30ドル近くしていて、けっこう驚いた。

でも欲しいなあ、何かと抱き合わせにして合計25ドル以上にすれば
ア○ゾンの送料はタダになるが、さて何か欲しいもの、あったっけ?
欲しかった本はこの間買ってしまったしなあ、何かあるかなあ。

初チッピー

  • 2015/04/19 00:05
  • Category: 動物
当ブログに「しっぽだけだがチッピーを見かけた」と書いた翌日、
庭石の前の雪の中から顔を出し、そのままピョンピョンサササッと
庭を駆け抜けるチッピーを見た。

頭からしっぽまで、全身像。
しっぽだけの切り身ではない、尾頭付きの初チッピーである。

そしてその後いくらもしないうちに彼はデッキに現れ
去年さんざんピーナツをもらっていたフランス窓の前で
いかにも物欲しげにうろうろ。
気づいた雪だるまがピーナツを手にフランス窓を開けると
彼は逃げもせず寄ってきて、雪だるまの手からピーナツを貰って行った。
首のあたりの毛はややそそけ立っているが、
しっぽはすんなりときれいに長い小柄なチッピーだった。

もっとも小柄と見えたのは、冬の間中チッピーよりはずっと身体の大きい
黒リスや茶リスばかり見ていたせいかもしれない。

チッピーの顔の識別は私たちにはできないので
このしっぽの長いチッピーが去年もウチの庭にいた子かどうかはわからないのだが
初対面でも人間を怖がりもせず、雪だるまの手からピーナツを貰って行ったあたりの
だいぶ人間慣れしている様子から見て、たぶん去年ウチにいたうちの1匹だろうと思う。

初日、彼は庭石の前の雪の中から顔を出していたが
その後雪が融けてみると、彼は雪の下の芝生の中に穴を掘って
棲み家にしていたことが判明した。

その穴がこれである。

IMG_0131.jpg


直径はチッピーがぎりぎり潜れる大きさ、せいぜい5センチくらいしかないが
深さはけっこう深そう。
地面に顔をくっつけて覗いてみたが、穴の中は暗いので
内部がどうなっているのかは、まったくわからなかった。

ちなみにロングテイル・チッピーが巣穴を開けてくれたのは、ここ。
芝生、去年張り替えたばかりなんだが
さっそく穴ぼこをあけてくれたわけである

IMG_0132.jpg


しかしまあ、かわいいので許す。
彼はピーナツを貰うと、ぴょんぴょん跳んで巣穴に戻り
中に仕舞い込むとまた、「もうひとつ、くれ」とデッキに戻ってくる。
これをいくらでも繰り返す。
まだ冬眠から覚めたばかりの春の初めだというのに、
冬に備えて食物を蓄えるという習性は、抜き難いものらしい。


IMG_0138.jpg

彼がそれである。見事にロングテイル。


その後もう1匹、しっぽがロングテイルの半分くらいしかない
別のチッピーもいることが判明した。
こちらはウチのデッキの下か、裏の林あたりに棲み家があるらしい。
しっぽが短く、お尻のあたりに齧られた跡があることから見て
喧嘩には弱いチッピーらしく、事実、ロングテイルと鉢合わせすると
一目散に逃げ出す。
ロングテイルの方は逆に、彼を見つけるとものすごい勢いで追い駆け、
裏の林へ追い散らす。「オレ様のテリトリーに入るな!」ということらしい。
身体の大きさは同じくらいなのに、ショートテイル、明らかに迫力負けである。

ただしこの子も去年いたうちの1匹らしく、
デッキの端にいるのを見かけて「チッピー、チッピー」と呼んだら寄ってきて
私の手からピーナツを貰って行った。
ロングテイルは怖くても、人間は怖くないらしい。
まあな、人間は追い駆けて、尻に噛みついたりしないからな。


これが、その子。
見えづらいが、しっぽが短い。

IMG_0139.jpg


最後におまけ。ロングテイルの長い尻尾の影。

IMG_0142.jpg


いま気づいたが、真ん中にぽつんと落ちているのは
チッピーのうんちである。
彼らは時々、スイカのタネみたいなうんちを落としていくのである。

小さな親切大きなお世話

  • 2015/04/16 12:02
  • Category: 雑記
ひとにはどこまで親切にしてよいものか、いつも迷う。50年以上も生きていると、親切のつもりのこちらの行為が、相手にとってはお節介だったり、有難迷惑だったりしたことは数知れず。困っている(と思われる)人を見かけた時の衝動的な行動にせよ、あるいはあれこれの状況を考え、よくよく吟味した上での行動にせよ、こちらの親切が相手に親切と受け取られないことは、わりあいよくあることなのだ。冗談半分にせよ、よく言うではないか、「小さな親切、大きなお世話」と。

それに同情同様、親切には常に強者の視線が付きまとう。親切にする方とされる方、恩恵を施す方と受ける方という図式には、明らかに優位者と劣位者の力関係があり、それは親切にする側に、そうした意識があるかないかには関係ない。本当に、ただ純粋に相手のためを思ってしただけの行動であっても、する方とされる方には、厳然と力関係が存在するのである。良し悪しではなく、人間の関係とはそうしたものなのだ。

しばらく前に見た日本映画「そして父になる」でも、産院で子どもを取り違えられた夫婦のうちの1組の妻が、「××さん(もう1組)の奥さんが、困ったことがあったら何でも相談してね、って言ってくれたの」と嬉しそうに報告するのに対し、エリート建築家の夫は「お前、そんな“上から目線”でものを言われててどうするんだよ」と妻をなじるのだ。産院との交渉で主導権を握りたい夫は、もう1組の夫婦からの「困ったことがあったら・・・」という“親切”(それは純粋に親切な申し出であったと思う)の中に“優位者”のにおいを嗅ぎ付け、それを敏感に“上から目線”と表現したのだ。

ことほどさように、親切というのは難しい。が、だからといって、人とは没交渉、「何があっても知らんふり」で過ごせるというものでもない。とにもかくにも“社会”の中で生きている以上、人とのつながりは切りようがないのだ。およそ人付き合いが嫌いで、非社交的な私ですら、そうだ。折々人から何かを為され、あるいは逆に人に何かを為す。私は善人ではないし、優しい人間でもないが、特に他人の不幸を願う人間でもないので、必要だと判断すれば人の手助けもする。

ただ“親切”が斯くの如く難しいものである以上、頼まれてもいないことを誰かにする時には、いやが上にも慎重になる。たとえば今、クラスメートの一人が病気で休んでいるが、中国人の彼女は病院に行っても医者の説明がよくわからない。肝臓がんの疑いがあることはわかっているのだが、ガンだとすれば一体どの段階なのか、早期なのか末期なのか、治療方法があるのかないのか、バイオプシー始めすでに何度も検査を受けているが、その結果はどうなのか、どれもこれもフランス語がわからないため彼女にははっきりとはわからず、しかもわからないところを医者に聞くこともできない。もちろん検査その他で病院に行く時には、いつもケベッコワの夫が一緒に付いて行っているのだが、彼はフランス語はわかっても中国語はわからないので、彼女に説明することができないのだ。それなら普段はどうやってコミュニケーションしていたのだ?と聞きたくなるが、最初の頃は双方片言の英語で何とかしていたのだそうである。ただし、それは二人の関係が良好だったころの話で、関係が冷え、お互いに対し無関心になってからは、ほとんど口を利くことなく過ごしていたらしい。私が意を決して家を訪ねた時には、彼女は余り陽が入らない薄暗い家の中で、一人でTVを見ていた。夫君は孫の誕生祝いに前妻の家に行ったとかで留守だった。ウチ同様、暖房を抑えてあるのか、やや肌寒い感のある居間で、あれこれ2時間程お喋りをしたが、病状と言い、夫君との関係と言い、どうしたら少しでもましな状態に変えられるのか、解決策がほとんど見えない感じで、辞去する頃にはこちらまで暗澹たる気持ちになった。

痛みをだまし、だまし、犬を相手に1日のほとんどを一人で過ごしている彼女のことを考えると、何かできることはないかと思うのだが、そこでまた冒頭の「小さな親切、大きなお世話!」の問題が出てくる。良かれと思ってした行為や口出しが、喜ばれるとは限らないのだ。ましてどんなに関係が悪かろうと、夫婦の間のことに赤の他人が口を出すのは百害あって一利なし。下手に口出ししてより状況を悪化させてしまったりしても、家族でもない他人には責任の取りようがない。となるとできるのは、せいぜい頻繁に見舞って彼女の愚痴を聞いてあげることくらいか、と思ってウチに帰って雪だるまにそんな話をしたら、翌日、「もし彼女が望むなら、次回病院に行く時、一緒に行って通訳してもいい」と言い出した。ただしあくまでも「彼女が望み、かつ彼女の夫も雪だるまが同行することを気にしないなら」という条件つきだが。私同様、雪だるまも、他人のことに口を出すことには慎重なのだ。彼も1晩寝て、ゆっくり考えた末の提案ということなのだろう。

幸い、と言うか、彼女はこの提案に気を悪くすることなく、よって次回の病院行きには雪だるまが同行することになった。医療関係は雪だるまの専門ではないが、少なくともフランス語はわかるし、その場では通訳できない単語があったとしても、メモして帰って後で辞書を当たれば、9割方の内容は彼女に伝えることができるだろう。物事をはっきりさせたいタイプの彼女の性格からすれば、たとえ悪いニュースであっても、知らないよりは知っている方がよいと思うはずで、状況を正確に把握して対処法を考えられるようになれば、気分も上向くと思う。どこまで手出し、口出しをしてもいいのか限度の見きわめは難しいが、とりあえず今回はここまで。あとはまた後で考える。

春だ、コンポストだ、種まきだ

金曜日、雪ではなく雨が降った。氷雨に近い、つめたーい雨だったが、それでも雨は雨。

庭の雪も日がよく当たる部分は少しずつ融け始め、そこここで下の芝生が見え始めた。

風はまだ冷たいが、太陽の光はだいぶ強くなってきて、家の中で日向にいると汗ばむことすらある。

この間はしっぽだけだが、庭のバーニングブッシュの陰にちらりとチッピーを見かけた。

というわけで、ケベックもやっと春に向かっている。そして4月22日は「地球の日」だそうである。だからと言うわけではないが、昨日、デッキから家の横のコンポストの所まで雪を踏み固めて道を作った。冬の間お休みしていたコンポストを、また使い始めるつもりなのだ。

このコンポスト、冬の間お休みしていたのは別に生ごみ捨てに外に出るのがいやだったからではなくて、単にコンポストの中の野菜くずが寒さで凍りついてしまって堆肥化が進まなくなり、ということはつまり嵩が減らなくなり、野菜くずを入れたくても、もう一杯で入らなくなってしまったからである。今冬はそれでも少しでもコンポスト使用期間を伸ばそうと、コンポストの横に庭仕事用の蓋付きバケツ2つを置いて補助コンポストにしてみたが、それで伸ばせたのは約2週間。ベジの雪だるまを抱え、野菜、果物の消費量が半端でないウチでは、バケツ2つなど、あっという間にいっぱいになってしまった。リンゴやナシは皮つきのまま食べても、さすがにバナナやメロンの皮は食べないし、野菜も、人参の皮は剥かなくても、じゃがいもの皮は剥くし、ピーマンのタネは取るから。頑張っても、なかなか生ごみゼロというわけにはいかないのである。

しかしまあ、冬の間お休みしていても、庭の雪が全部融け、その下の土がほっこりと暖かさを増す頃には、コンポストの下半分はちゃんと堆肥化が完了して、肥料として使えるようになっている。私は毎年、これを下の取り出し口から「えんやっ!」と取り出して、野菜畑の土にすき込んでいる。時々はメロンのタネとか、アボカドの皮・タネとか、堆肥化されずにまんま残っていることもあるが、私はあまり気にしていない。今は腐ってなくても、そのうちには腐るだろうと、てきとーお気楽に考えている。そのお蔭かどうか、去年は豆もトマトもよく実った。特にサヤエンドウは、簡単で美味かった。味をしめたので、今年も蒔くつもりだ。そのほか今年はケールとレタスも蒔いてみようと思う。トロントのジョゼが、ケールは「ほんっとに、簡単!」と言っていたし、レタスもアイスバーグでない、当地で“サラダ”と呼んでいるフリフリの葉っぱタイプは、割合簡単そうだ。しかも濃い緑とか紫とか、いろんな色があってサラダの彩りに重宝しそうだし。

野菜より早く始めなくてはならない花の方は、4月初めのパーク(復活祭)の4連休に蒔いた。マリゴールド(白と黄)、青紫のアスターは、すでに元気よく発芽。パンジーは2種蒔いたうち1種だけ発芽が始まった。スノーインサマーも、ひょろひょろした芽が伸び始めた。しかし花ではなく、赤い実が庭にあるのも面白いかなと思って蒔いたホオヅキは、10日程経った今も発芽ゼロ。ホオヅキなんて日本では野草みたいなもので、ほっといても生えるものかと思っていたら、豈はからんや。結構、気難しかった。あと4、5日待っても発芽しなかったら、もう一度蒔いてみよう。まだ袋にタネが残っているのだ。

花ではないが、今年は獅子唐と紫蘇も蒔いた。上記のジョゼが、タネを送ってくれたのだ。ただ今、獅子唐は4つ、紫蘇は2つだけ発芽。これでは食用ではなく観賞用で終わってしまいそうだが、まあいいや。久しぶりの日本の野菜である。せいぜい元気に育ってくれ。

CD作成

  • 2015/04/11 01:12
  • Category: 言葉
夜、寝る時、子守唄代わりに聴けるフランス語の朗読CDが欲しくて、近所のウォ○マートに行ってみたのだが、これが見事に何もない。当町、人口5万の割には本屋は1軒もない町なので、仕方なく唯一の選択肢、ウォルマートのCD/DVD売り場に行ってみたのだったが、映画やゲームソフトはあっても、CDになったオーディオブックは、大人向けどころか子ども向けすら、ひとつもないのだった。

何かを欲しいと思った時の、当町における選択肢の狭さは、過去3年半ですでに十分経験済みだった私は、「ふん、どうせ、そんなことだろうと思ったよ」と、ぶーぶー言いながらも、半ばは予想通りという気分だったのだが、さて、ないとなれば他に手を考えなくてはならない。なぜなら、アマゾン・カナダにも、私が聞いてわかりそうなオーディオブックはほとんどない上、馬鹿馬鹿しく値段が高くて、とても買う気になれないことはウォルマートに行く前、すでにわかっていたからである。

無理を承知で理想を言えば、どなたか発音がきれいで、かつ朗読が上手い人に、私が聞きたいお話(たとえば「赤ナプキンちゃん」とか♪)を朗読してもらい、それをCD仕立てにするというのが最良なのだが、そんな手間暇のかかることをしてくれそうな人は、手近にいない。

CDでなくてもいいのなら、仏語のオーディオブックはYou○beにそれこそ腐るほどあるが、眠るときの子守唄代わりに聞きたい私としては、コンピュータ上の音源は困る。コンピュータをオンにして枕元に置くと、画面が明るくて目をつむっても光が目に入って来て眠るのに邪魔だし、第一寝入ってしまった後も延々朗読を再生し続け、何時間も電源が入ったままでは、電気の無駄だ。ここはやはり目に入る光もなく、1枚1時間程度で終わってくれるCDの方が都合がよい。うーん、となればYou○beの音源をCDに焼くのが1番簡単だが、はて、どうやるのだろう? どこかに何かソフトはないか、と思って検索したら、「え?」というほど簡単にサイトが見つかった。それも、たくさん。たとえば、こちらだ。

私はこのうち、1番最初に挙げられているサイトを利用させていただいたが、こちらのサイトの場合、ダウンロードできる動画は最長20分までとのこと。なので、モーパッサンの短編ばかり5本ダウンロードし、CDに焼いた。全部で30分もかからなかった。お話がモーパッサンばかりになったのは、作品が短くて20分の範囲に収まるものが多かったのと、モーパッサンならテキストもネットで簡単に見つかると踏んだからである。まだ著作権が存在する現代作家の作品ではこうはいかないし、長編を朗読用に編集したものでは一字一句同じテキストが見つかるとは思えないので、学習用には不便なのである。モーパッサンは子供の頃読んで、あんまり好きではなかったけれど、まあこの際贅沢は言うまい。

で早速、毎晩聞きながら寝ている。テキストもコピペしたが、まだ全然読んでいないので、どんなお話なのかは、皆目わからない。(朗読されているお話を、耳から聞いただけで一発でわかるようなら、フランス語教室になど行っていない)そのうち、今読んでいる「L’odeur du cafe」を読み終わったら読んでみるが、それまでは、ひたすら子守唄代わり。意味がわからない、静かな音声は、子守唄には最適である。

断片

  • 2015/04/08 22:00
  • Category: 言葉
他クラスの生徒さん(ケベッコワ)との会話練習から

1. アメリという19歳の子
「ううん、本を読むのはあんまり好きじゃない」
「じゃあ、何が好きですか」
「(目を輝かせて)音楽!」
「どんな音楽?」
「全部!」
「全部? 全部好きなの?」
「そう! メタル、イップオップ、クラブ、テクノ、ラップ・・・」
「・・・」

お嬢さん、それは音楽の中のごくごくせまーい一部の領域であるような気がいたしますが・・・。あなたの「音楽」という概念の中には、ジャズとかR&Bとかポップスとか古典とか民族音楽とかは入っていないのでありましょうか? 上記の分野だけで「音楽は全部好き!」とおっしゃるのは、なかなかに誤解を招くと思います。

2. アレックスという20代の男の子
家族構成の話の後で
「家に動物はいますか」
「犬が2匹と猫が1匹います」
「いいですね! 私も犬や猫は好きです」
「他に羊や馬もいます」
「へえ」
「山羊と豚もいます」
「(なんだか動物の呼称の総復習をしてるみたいだな)
豚ですか。豚はかわいいですよね」
「はい、とてもかわいいです。僕の豚は黒いミニ豚で、大きさはこのくらい
(と両手で大きさを示す)です」
ここで“かごしま黒豚”の美味なることを思い出してしまった私、
つい「大きくなったら、彼を食べますか?」
アレックス君、憤然と「いいえ、彼は食べません!」

ごめん・・・

3. エミール、同じく20代
中国では新年や清明、端午など折々の節日には今でも旧暦を使っているという話から、では日本はどうだと聞かれ、日本ではそうした節句もすべて新暦で祝っていると簡単に言いたかったのだが、ここで旧暦(=陰暦 calendrier lunaire)という単語は知っていても、新暦(太陽暦)という単語は知らないことに気付く。でつい、西洋の暦(calendrier occidental)と言ってしまう。エミール君、俄然面白そうな顔つきになり
「そうですね。今私たちが使っている暦は、シーザーが定めた暦が元です」
「古代ローマ時代ですね」
「そうです。ユリウス暦は今のグレゴリオ暦とは少し違うのですが・・・」
と、ここからローマ暦とユリウス暦、グレゴリオ暦の違いについての説明に入った様子だったが、私は知らない単語が多すぎ、かつまた余りによどみなく流れる説明に頭の方が付いていけなくなって、目をぱちくりさせながらエミール君の顔を見つめるばかり。エミール君が古代ローマなどの歴史に興味を抱く青年であることはわかったが、説明の内容そのものはほとんどわからなかった。
自分が興味のある分野について、いかにも楽しそうに話す青年を見るのはよいものだが、仏語理解力が大幅に欠ける当方では、まともな相づちすら打てず。話し甲斐のない相手で済まなかった、エミール君。

届いた

  • 2015/04/04 21:17
  • Category:
木曜日、1月末に日本から送った本が、やっとこちらに届いた。
日本で郵便局に持って行ったのが1月26日だから、正味67日。
船便だから1か月は覚悟していたのだが、
まさか2か月以上かかるとは思っていなかったので
途中で「船でも沈んだか・・・」と少し心配したが
いや、無事に届いてよかった。

この1箱の他、2月には香港から、オトモダチが同じく船便で
1箱送ってくださっているので、そちらも無事に届くといいのだが。
最近、輸送船が難破したという話はあまり聞かないし、
太平洋には海賊はいないと思うから、まあだいじょうぶだろうけれど。

それにしても、船便で送られる手紙や小包は、
一体どんな船に乗ってやって来るのだろう?
検索してみたら、2年前インド洋で商船三井のコンテナ船が浸水して
自力航行できなくなり、積んでいた欧州あて郵便物が海に流されたり
水に濡れたりした被害が出たという記事にぶつかった。
そうか、郵便物もコンテナ船で運ばれるのか。

こんな形の船

fune.jpg

の片隅に、ぽつんと積まれた郵便袋 なんていう図をぼんやり想像していたけれど
考えてみれば、これは客船。関係ない郵便なんか積んでないよな。

さて、本が届いたので、つい嬉しくなって
中の1冊、藤沢周平さんの「彫師伊之助捕物覚え」シリーズを
読み始めてしまった。
折しも昨日から復活祭の休日。
学校がお休みで4連休なのだ。
今日も朝から雪だけど、本さえあれば極楽だ。 

モントリオール/アンジェリーク

この地に長くお住いの方によると、不景気のせいでモントリオールの街はさびれていく一方のようだが、この間叔父さん夫妻の金婚式のお祝いで出かけた時見たモントリオールは、私の目には全く違う風に映った。

高速を降りてから、目的のレストランを目指して、まっすぐ Rue Saint Denis を延々セント・ローレンス川近くまで下ったのだが、このモントリオールでも繁華な通りのひとつリュ・サン・ドニは、道の両側に古い建物がそのまま残り、それが店舗やレストランになっている。


This photo of Auberge le Jardin d'Antoine is courtesy of TripAdvisor


This photo of Auberge le Jardin d'Antoine is courtesy of TripAdvisor

写真はTripAdvisor さんからお借りした。深謝。

それが最近のクロームとガラス、あるいはコンクリートの箱に色を塗り、看板を掛けただけの郊外型店舗、レストランばかり見ている眼には、大変新鮮だった。パリやロンドン、あるいは京都など、古くからの街並みが残っている歴史ある街に暮らす人にとっては、当たり前のことかもしれない。しかし、やけに整然ときれいで西欧的で、ほんの100年ほど前には木と土と紙でできた建物に住んでいた片鱗すら感じさせない東京の繁華街や、古い建物がどんどん新しい建物に取って代わられ、4、5年も経つと昔の姿を思い出すことすら困難な香港を見慣れた目でこうした街並みを見ると、ああ、やはりたった4~500年でも、この街には歴史があるのだと思わずにはいられない。古い建物には古い記憶が染みつき、見るたびにそうした記憶を想起させる。そして記憶が想起され記憶されていくことによって、歴史が存在し出すのだ。記憶がないところに歴史など存在しない。だから古い建物が残っている/を残すということは、記憶を歴史を保存するということなのだ。

古い建物に住み続け、利用し続けるのは、容易ではないだろう。現在とは違う生活のために造られた建物なのだから、間取りも違えば寸法も違う。水道や下水の配管、電気の配線も、今の目から見れば機能的とは言えないだろうし、管や配線自体も古びて、しょっちゅう修理が必要だろう。それでもそうした建物に住み、あるいは店舗として利用し続けるのは、その不便や不都合に耐えるだけの価値があることだと思う。以前にも書いたが、街というのはそこに住む人々の精神の外在化なのだ。記憶を呼び覚ます建物に囲まれて暮らすのと、まっさらの四角いコンクリートの箱に囲まれて暮らすのでは、精神のありようが違ってくる。街が人を生むのだ。

人と言えば、レストランからの帰り、今度は Rue Saint Laurent を高速に向かって上ったのだが、夜10時過ぎ、零下の気温の中で、たくさんの若者たちがクラブの外で行列を作っていた。近くにUQAM(ケベック大学モントリオール校)があることから学生が多く、カルチエ・ラタンとも呼ばれるこの辺りだから、若者が多いのは当たり前だが、それにしたって気温は零下10度前後、風も吹いている。それなのにあちこちのクラブの前で、寒さに身をすくめながらも仲間と談笑しながら待ち、ドアが開くと嬉しそうにどっと中に入って行く。年月にさらされた古い石造りの建物と、ピアスだらけの顔の若者たちとの対比が、車の中から外を眺めている外来者の私の目には、ことのほか面白かったし、熱気を感じた。さびれたといってもモントリオール、まだまだ元気な部分もあるのだ。

そして実はパーティでも、私はその若い熱気に当てられた。古い造りの、レストランというよりはビストロといった雰囲気の店だったのだが、そこでのまずまずの食事の後、出席者はぞろぞろと店の反対側の小部屋に移動。叔父夫妻の娘(モントリオールっ娘、飲食業界遊泳歴×十年)が、知り合いの歌手を呼んでいたのである。食事の間から、ちらちら「なんだか、若い見慣れない子がいるな。B(娘)の友達かな」と思っていたのだが、確かに友達は友達でも、彼女はプロの歌手だった。ギター、コントラバス、パーカッションなどから成るバンドと共に、彼女が歌ったのは「Hymne à l'amour」「La Vie en rose」と言ったピアフの古いシャンソン。私は金婚式のパーティだから、その主題と出席者(平均年齢60歳超)に合わせてこの選曲なのかと思ったが、あとで調べるとどうやら彼女は専門のピアフ歌いらしく、あるヴィデオでは、敷石の上に「Signé Piaf」と題されたCDを並べ、そこでピアフを歌っていた。

彼女の歌い方は甘く、切なくというより、むしろエネルギッシュに攻撃的で、特に「Padam Padam」では、ほとんどパンクの歌い方のように聞こえ、部屋が小さかったせいもあって、スピーカのまん前に座ってしまった叔母様方の中には「ちょっとねえ」という人もいたが、私には最初の曲から彼女の歌い方が面白くて、目が輝やいてしまった。まあ、生の歌を聞くのは本当に久しぶりというせいもあったかもしれない。

途中で彼女はピアフだけでなく、スペイン語や英語の歌も歌ったが、歌い方はやっぱりエネルギッシュで、私はそうした彼女の歌を聞きながら、「この人はファドを歌ったら、ものすごく似合うかもしれない」と思っていた。彼女の「Canção do Mar」なんか、聞いてみたいなあ。

あんまり楽しかったので、最後、帰り支度をしている彼女のところへ行って大いに楽しんだ旨伝え、カードを貰って来た。そうでもしないと名前を覚えられそうもなかったからである。彼女の名前はAngélique Duruisseau 。ご興味がおありの方は、下のヴィデオをどうぞ。“もの凄くうまい”というわけではないが、間近で聞くとヴィデオとは違ってなかなか魅力的なのである。



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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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