外来語

  • 2015/05/28 21:03
  • Category: 言葉
日本語会話練習に来るV君は、日本語の中に外来語が混じっているのが嫌いである。日本人の耳に聞こえた、あるいは綴りから推測した音をカタカナ表記するので、原音とは違ってしまっている場合が多くて元の語を推測しにくく、ということはつまり意味がわかりにくく、ついでに新しい外来語は辞書に載っていないことも多いので、調べてもわからなくて「???」の連続になってしまいがちだからである。学習者にとって、調べてもわからない言葉ほどイライラさせられるものはない。

それにもともとV君は、ケベックのフランス語の中に英語が混じりがちなのを苦々しく思い、「だからモンレアル(モントリオールのフランス語発音)は嫌い」という人である。ある言語の中に他の言語が混じり込むのを嫌う純粋主義者なのである。

実のところ、この嗜好は私自身にもあり、文章を書くときにはなるべく外来語は使わないようにしている。何らかの効果を狙って、わざと外来語/カタカナ語を使う場合もあるが、通常、漢語、和語で表現できるところに外来語を使うことはまずない。だからV君のこの嗜好は「大いに歓迎、望むところだ!」であり、V君用に日本語の読み物資料を作る時には、原文の中の意味を取りづらい箇所を簡易平明な言い方に変えると同時に、外来語もできるだけ漢語・和語に変えている。たとえば「相手はエキサイトして」→「相手は興奮して」、「その手の話題はアンタッチャブルに」→「その手の話題には触れないように」、「顧客にフォーカスした」→「顧客に焦点を当てた」という具合。たいていの場合、漢語・和語に直した方がわかりやすい。

ただし「誘う」と「招く」の使い方の違いについて考えていた時出てきた例文「彼女をドライブに誘った」については、「ドライブ」を「自動車での遠出」と直すことはしなかった。確かに「ドライブ」は外来語ではあるけれど、日本語の中に入り込んで久しく、前掲の例文のような状況の場合、「ドライブ」以外の語を使う日本人はまず居るまいと思ったからである。外来語でも頻出語はやはり覚えた方がよい。そうでないと生の日本人と会話する時、うまくいかない。趣味とはいえ、日本人と交流するために日本語を学んでいるV君なのだから、自身の嗜好に固執した余り却って日本人とわかりあえなくなるのでは本末転倒。意味がない。したがってドライブはドライブ、リコールはリコール、アプリはアプリ。第一、アプリに至っては置き換えの語が見つからない。もともとはapplicationだから無理やり日本語にするなら「応用機能」あたりかもしれないけれど、こう言ってそれがアプリのことだとわかる日本人はぜーったいにいないと思う。ちなみに中国語では「応用軟件(=応用ソフト)」という言葉が見つかったけど、これ本当に使われているんだろうか。あとでクラスメートに聞いてみよう。
スポンサーサイト

デッキに屋根

  • 2015/05/26 12:00
  • Category: 雑記
今日から大工さんが入って、デッキに屋根を付けるべく作業を始めてくれている。
義弟ジェリーの紹介による、J君とその助手の男の子の2人組である。

このデッキの屋根は一昨年からの懸案で
いままでにも叔父さんが紹介してくれた人や、隣町の業者など
やってくれそうな人に見積もりを頼んだりしたのだが
それぞれデッキを見には来たものの、
いつまで待っても見積もりを出してくれなかったり
あるいは見積もりは出してくれたが、
「いくらなんでも、この値段はないでしょう?」と
見積もりを前に呆然自失するくらい法外な料金だったりして
頼むに頼めず先送りし続けてきたのである。

それが今回は、下見のあとすぐに屋根材の見本を持ってきて
こちらの希望を聞き(雪だるまの希望はスモーキーカラーのプレキシグラス)、
素材が決まった2、3日後には見積もりという素早さ。
しかも料金は高過ぎず、安過ぎず、これならまともな仕事をしてくれるだろう
と思えるほどよさで、ために雪だるまは何も言わずに即刻工事を依頼したのだった。

で早速今日から仕事に入ってくれたのだが、
まずはデッキの梁のうちキツツキに突かれたりして傷んでいる何本かを
新しいものに取り換え、ついでにこの間バードフィーダーを掛け替えようと
雪だるまが乗ったら、ビシビシっと割れ目が入ってしまったデッキの手すりも
新しいものに取り換え(この手すり、私が乗っている分には、だいじょうぶだったのである。
ややみしみししてはいたが、割れるところまでは行っていなかったのに
雪だるまが乗ったら、あっという間に真っ二つ。あーあ)
それからデッキの上の外壁に屋根を支える梁を渡して
プレキシグラスの屋根を斜めにかける、という手順らしい。

夕方、J君たちが帰った後見てみたら、
すでに梁の何本かは新しいものに代わり、屋根を支える梁も
外壁に取り付けられていた。なかなか手早なことである。
雪だるまによると工事は金曜には終わる見込みだそうで
つまり今週末には屋根のついたデッキに座り
チッピーや鳥たちを眺められる予定。
楽しみなことである。

ところで、この工事をしてくれているJ君
手早だし、腕は確かだし、それでいて料金は手頃だし
難のつけようのないいい大工さんなのだが
ただ一つの心配は、ジェリーのポット仲間であること。
ポットしか売らないし、しかも誰にでも売るというわけではなく、
友だちにしか売らない真っ当な(?)売人なんだそうだが、
そうは言っても違法は違法。
「もし工事中に捕まったら、ウチが保釈金を払って出してもらい
工事を続けてもらうしかないな」と雪だるまは笑っているが
実際にそんなことになったら、笑ってもいられまい。
第一、保釈金をウチがもったんじゃ、安い工事も高くつく。
J君よ、売るな、とは言わないが
小遣い稼ぎのショーバイは、捕まらないよう、うまくやってくれ。


ただ今、工事中。
白いのが新しく取り替えた梁で
もちろんこれから色を塗る



IMG_0170.jpg


この横に走っている梁で、屋根を支える予定

IMG_0171.jpg


庭のあちこちに材木の山

IMG_0173.jpg


IMG_0172.jpg








インド映画『Siddharth』

  • 2015/05/23 10:03
  • Category: 映画
インド映画といえば、ボリウッド映画に代表されるような、この世のものとも思えない絶世の美女が目にも鮮やかな色彩の衣装をまとって登場し、同じくらい美男の相手役と、ちょっとばかりすったもんだのある恋愛劇を、どう見ても庶民の住居とは思えない絢爛豪華な屋敷やマンションを舞台に、2時間~4時間の長丁場で繰り広げ、途中には必ず、あまり筋と関係があるとは思えない歌とダンスの場面が半ば無理やり的に差し挟まれて場を盛り上げ、観客は映画館の薄暗がりでその一連の桃源郷的幻燈をうっとりと眺め、現実の厳しさをしばし忘れる、というのが定番だが、この映画 『Siddharth』 は違う。

まず絶世の美女が出て来ない。美男の相手役も出て来ない。色鮮やかで絢爛豪華な衣装も出て来ない。舞台は、といえば、食べるのがやっとのような庶民が集まった貧しい一画にある一間きりの家。主人公の夫婦はその一間の家で、コンクリートの床に直接薄べりのようなものを敷いて眠るのだ。

男の仕事は、ファスナーやスナップボタンの修理。拡声器を肩にかけ、宣伝しながら街を流して歩き、声を聞いて来た人のカバンや衣服のファスナーなどをその場で直す。月に一度ほどは近所の縫製工場でファスナーつけの請負仕事をするが、2つ合わせてもいくらの稼ぎにもならない。2人の子どもを養うことすら難しく、夫婦は12歳になる上の男の子を親戚の知り合いが経営する遠方の工場に働きに出すことにする。クリケットの上手い、元気で利発な男の子だが、食べていけないとなれば学校は止めて働きに出ざるを得ないのだ。

男の子は工場から「だいじょうぶ、うまくやってるよ。祭りの日には帰るから!」という元気な電話をよこすが、その帰ってくるはずの祭りの日になっても、男の子は帰ってこない。心配した夫婦が口をきいた親戚に事情を知っているかと尋ねると、最初は「帰って来る途中だろう」とか「バスが渋滞で遅れているんだろう。そのうち帰って来るさ」と何の問題もないふりをしていたが、2日経っても、3日経っても帰ってこない息子を心配した父親が必死に問い詰めると、実は男の子は2週間前から行方不明だったと打ち明けた。

工場主は「仕事が嫌で逃げ出した」と言っているが、一緒に働いていた同じ年くらいの少年は「自分の荷物を置いたまま逃げ出す奴なんかいないよ。あの子は攫われたんだよ」と言う。

愕然とする夫婦。どんなに貧しかろうと、年端もいかない息子が行方不明になって平気でいられる親はいない。父親は何とか金を工面して、工場がある街へ息子を探しに行く。そして工場前の屋台の少年の言葉や街の噂など、ほんの少しの手掛かりを頼りに、必死にいなくなった息子を探し歩くが、息子は見つからない。

父親は藁をもつかむ思いで警察へ行き、家出少年たちの保護施設へも行くが、警察では担当の女性警官に「あなたたちは、ちっとも学ばない。12歳の子供を働きに出すからこういうことになるのだ。児童労働が禁止されているのは知っているでしょう? 子供は学校で勉強しているべきなのよ。今の環境から抜け出すためにも、勉強すべきなのよ」と言われるが、生活が苦しく、親子4人が生活していくためには子供が貰うほんのわずかの賃金すら当てにせざるを得なかった父親としては、返す言葉がない。

そんな折、父親は「いなくなった子供は、みんなドングリという街にいる」という噂を聞き込む。ドングリという街はいったいどこにあるのか? 誰に聞いてもそんな街は知らないというし、駅でもバスでも、そんな行先はないという。諦めきれない父親は少しでも情報を得ようと、多くの人が行き交う駅前広場で商売させてくれと、土地の元締めに頼み込む。もちろん上がりの何割かを支払う約束だ。もともと多くもない収入の中からそんなものを払う余裕はないのだが、息子を探したい一心の父親はその取り決めを承諾する。毎日、毎日、客のひとりひとりにドングリという街を知らないかと聞く父親。

そしてある日、客の一人が携帯でドングリという街名を検索し、ムンバイの一角にあると教えてくれた。北のデリーからムンバイまでは遠い。夫婦は虎の子の蓄えを取り崩し、妻のたった一つの装身具を売り、知り合いに借金をし、何とか金を工面して「そこにいるかもしれない」と聞いた街へ出かけていく。

しかしそこでも息子は見つからない。インドで臓器売買や人身売買のために攫われ、行方不明になる子供は年間数十万人ともいわれ、12歳の少年一人など世界はあっという間に呑みこんで、跡形もなく消し去ってしまうのだ。

探しても、探しても息子を見つけることができない父親は疲れ果て、ついには街を行く同じ年頃の少年すべてが息子に見えてくる。見知らぬ少年を息子と勘違いし、抱きしめようとして、その少年の父親から気違いかと乱暴に追い払われる父親。最後、精も根も尽き果てた父親は、息子にとっては祖父に当たる自分自身の父親に、ムンバイの雑貨屋の店先から電話する。「息子がいなくなった。やれることは全部やったが、でも見つけることができない」と。茫々と涙を流しながら電話する父親に、祖父は言うのだ。「家に帰って、残されている妻ともう一人の子供の面倒を見ろ。それがお前にできることだ」と。その日暮らしの貧しい一家は、息子がいなくなったからと言って、何もかも擲って息子探しだけをしているわけにはいかないのだ。日々、食べ、眠り、生きて行かねばならないのだから。

いなくなった息子を探す父親の物語なら、最後には息子が見つかって大団円、ということになるのが相場だろうが、この映画では息子は最後まで見つからない。そして一家はその“見つからない”という現実の中で生きていくのだ。事実、行方不明になった子供が見つかって親元に帰れるケースなど、ほとんどないのだから。

そして、この映画ではいなくなったのは少年だったが、現在、世界で人身売買の対象になっているのは少女/女性の方が圧倒的に多い。インドなど南アジアだけでなく、アフリカ、東欧、南米など“貧しい”といわれる国々では、人間一人が驚くほどの安さ(ある資料では平均90ドル)で、売買されているのだ。その一方で、“豊かな”国々のペットショップでは、犬猫が数百ドルから数千ドルで売買されている。犬猫の値段の方がはるかに高いというのは、いったいどういう世界なんだか。


siddharth.jpg




あじさいの虫

うちのアジサイには虫が付く。
毎年、毎年、虫が付く。
自ら吐き出す糸で葉っぱ同士を綴り合わせて
繭のようなものを作り、
その快適な住居の中で
内側の葉っぱや花芽を食い散らしながら
青虫→さなぎ→蛾 へと成長していく虫である。

最初の年は家の側面にずらり植えられているアジサイの
そこここに、葉っぱ同士くっついたものがあるのを
虫の仕業とは気付かずに
「へえ、アジサイの葉っぱってこうやって出て来るんだ!
おもしろいねー」と、雪だるまと二人、呑気に見ていたのだが
ある時ウチに遊びに来た叔母さんの一人が
「あら、これ虫がついてるわよ!」と教えてくれて
やっとこれは常態ではないのだと知った。


真ん中に見える丸く固まったのが、虫付きの葉っぱ
3、4枚つづり合されていて、ほとんど団子状
その後ろの葉裏が見えているのも、虫付き


IMG_0169.jpg

まったく、なにが「アジサイの葉っぱは、くっついて出てくる」だか・・・
無知というのは、本当にしようのないものである。

この虫、英語では Hydrangea Leaftier というらしい。
Leaf(葉っぱ)を糸で tie (結ぶ)するから、というまんまの命名。
園芸サイトなどで調べると、この虫が付いたからといって、
アジサイの木そのものが駄目になるわけではないが
大体は枝の先端の葉っぱを綴り合わせるので
当然ながら、花芽が付かなくなったり
付いた花芽が中に巻き込まれ、花が咲かなくなったりするという。

花を観賞するのが目的のアジサイに花が付かなくては
いったい何のためのアジサイか? ということになるので
この虫を放置するわけにはいかない。
美しく咲いたアジサイの花を楽しみたかったら
虫退治に勤しむしかないのである。

しかしながらこの虫、葉っぱをつづり合わせた中にいるので
薬剤散布では、ほとんど退治できない。
上記の叔母さんは「虫のついた葉っぱは全部摘み取る」
と言っていたが、ウチの場合、虫付き葉っぱの数が半端でなく
全部摘み取ったらアジサイが丸坊主になってしまうので
まさかそんなことはできない。

ではどうするかというと、虫付き葉っぱをひとつひとつ手で開いて
中の虫をひねりつぶし、葉っぱそのものはできるだけ傷めないように
広げ直すのである。
それでも一度虫が付いてしまった葉っぱは、一部黒くなってしまったり
穴が開いていたり、形が歪んで奇形のようになってしまったりするが
放置して花が咲かないよりはましと、このところ毎朝、虫とりに励んでいる。

葉っぱの中にいるのは、5ミリもないような薄緑の青虫で
必死にもごもご動いているのを見ると、「ごめんよー」とは思うのだが
致し方なし。
庭を掘り返して心ならずもミミズを殺してしまったり
こうやって日々、青虫を大量殺戮していたり
まったく園芸は殺生の連続である。


白いアジサイはきれいなのだが

173.jpg


174.jpg






音読は時間食い虫

  • 2015/05/16 21:27
  • Category: 言葉
そういえば最近、全然編み物をしていない。
編みたくないわけではなく、第一クラスメートに頼まれたカーディガンもあるから
編まなくてはいけないのだが、昼間ジムと学校に行って、合間に庭仕事をし
夜は夜で、その日の音読の準備&本番をやっていると
編み物をする時間が、まったく取れないのである。

特に「音読」というやつ。
例の『L'odeur du café』はめでたく読み終わり
(これは初級者にも読みやすく、かつ読んで楽しい本である。おすすめ)
1週間ほど前から、『L'oeil du loup』に入っているのだが、
活字の大きい、子供向けの本だから少しは楽になるかと思ったら、大間違い。
大人用の文章より、口語に近い子供用の文章の方が、
外国人にはよほど難しいのであった。

おまけに「loup(オオカミ)」の話なのだから当然だが
そこら中に「loup」という単語が出てくる。
私が最も苦手とする「u」の音が入った単語である。
「souvent(しばしば)」で引っかかり、「fou(ばか)」で引っかかり
「amoureux(恋人)」でぼこぼこにされた、恨みの「u」である。
日本語の「う」と似ているくせに、「う」で代用しようとすると
「ちがうー、その音じゃないー」と即座に言われる「u」である。
それが山ほど出てくる。

そしてこの間は、そのただでさえ面倒な「u」の上に
同じくらい苦手な「r」と「y」がてんこ盛りで加わる単語が出てきた。
「fourrure(毛皮)」がそれである。
「うーん、これは難関であるぞ」と思ったので
発音御指導サイト Forvo でさんざん練習し
「うん、出来た!」と思って階下の雪だるまのところへ行ったのに
その箇所に差しかかったとたん、「え、今、なんて言った?」とストップがかかって
あっけなく撃沈。
雪だるまの指導の下、新たに何度も発音練習をしたのだが
「fu」が出来ると「ry」ができず、
「ry」が出来ると「fu」が出来ないという具合で
結局その夜は、OKがもらえる発音は出来ずじまいだった。
恨みの「fourrure」

雪だるまに言わせると、一般的に言って日本人は
「f」の音がはっきりせず、「h」と「f」の中間で発音していることが多い。
君の「f」も同じ。歯と唇の間を息が抜けて行く時の摩擦が弱い、んだそうである。
理屈はわかったが、理屈がわかったからと言って即座に発音できるものではない。

ついでに「u」については例のV君が、「日本語で“新宿”という時の
“じゅ”の音は、唇がかなり丸くなっていて、フランス語の“u”に近い」と言っていた。
彼はワーキングホリデーの資格で日本をうろうろしていた間、
新宿のどこかで臨時にフランス語を教えていたことがあって、
その時の経験だそうである。
なるほど、日本語で“しんじゅく”と言ってみると、
確かにかなり唇が丸められ、しかも前に突き出されている。
フランス語で「u」を発音する時の唇の形に非常に近い。
(というか、私には全く同じに見える)
がしかし、この唇の形で「f」の摩擦音を出すのは、相当に困難。
さて、どうしよう?

なんてやっていると、1時間や2時間はすぐに経ってしまい
ついでに読む前には当然、新出単語の意味調べもやるので
1日数ページ読むだけの音読でも、軽く2~3時間は必要、
ということになってしまうのである。

まあ、それでも面白いから続けているのであるが
うーん、クラスメートのカーディガン、どうしよう?
もう、夏になってしまうー。

背景音楽

  • 2015/05/13 23:23
  • Category: 雑記
高村薫さんの『晴子情歌』を読み始めて以来、ふと気づくと頭の中で石川さゆりさんの『津軽海峡・冬景色』が鳴っていて、やれやれという感じである。別に話の中に青函連絡船が出てくるわけではないし(少なくとも第一章途中の今のところは、出て来ていない)、傷心の女の話でもないのだが、舞台が青森で、波さえも凍り付くような鉛色の冬の海が背景にあっては、昭和生まれの人間としてはこの歌を思い出さないわけにはいかないというだけの話である。

好き嫌いに関係なく、ある情景を想起すると、ある特定の歌/曲が頭の中で流れ出すというのは、おかしなものだ。上の『津軽海峡・・・』にしても、私はこの歌が好きだったわけではない。ただ当時大いに流行った歌なので、聞こうとしなくても偶然に耳にする機会が大いにあり、ために自然に記憶に残り、情景と共に想起されてしまっただけのことである。

ところで音楽と言えば、一昨日、日曜恒例の日本語会話練習に来たV君と、ちょっとの間だけだが音楽の話になった。V君は特にこれが好き!という音楽ジャンルはないそうだが、先日、サミュエル・ド・シャンプランについての本を読もうとして、ちょうど合いそうな曲を思い出したので、それを聞きながら読んだら、本の雰囲気と曲がぴったり合って、なかなか気持ちよく読めたのだそうで、「へえ」と思って、「何の曲?」と聞いたら、ヴィデオ・ゲーム『civilization』の音楽だと言う。

私自身は全くヴィデオ・ゲームをしないので、ヴィデオ・ゲームの音楽と聞いてもどんなものだか全然見当がつかなかったのだが、その場でYouTubeに行って、V君が「あ、これです、これです!」というのを試聴。なるほど17世紀フランスの探検家、地理学者で、早くから仏領カナダに赴いて植民地の基礎を築き、「ヌーヴェル・フランス(今のケベック)の父」と称される人の伝記を読むにふさわしそうな荘厳な中にも高揚感のある曲で、V君が「BGMとしてぴったり合って気持ちよかった」というのがよくわかる感じだった。曲想は本とぴったりだが詞はないから文章を読む邪魔にはならないし、2時間以上あるから読書の途中で曲が途切れるということもないだろうし、BGMには最適だ。

ちなみにこの『civilization』というゲーム、wikiの記述をそのままコピペすれば、「人類文明の歴史と発展をテーマにしたターン制のストラテジーゲームである。一手一手をプレイヤーが、じっくりと考えてゲームを進めることができる。ゲーム内容は、いわゆる戦争ゲームではなく、文明の発展や人類史そのものを扱っている。そのためゲーム内容は広範で、国土の整備や技術開発、そして何より他国との外交関係が、極めて重要な要素となる。単純に数値の大きさや強さのみを求めるのではなく、ゲーム内で有機的に繰り広げられる国際秩序を注視し、常に一手先を読んだ総合戦略が求められる」というゲームなのだそうで、目が存分に使えた頃なら、ちょっとやってみたい感じだが、今となっては貴重な視力をゲームなんかに使う余裕はないので、「おもしろそうだなあ」と指をくわえて見るだけである。ああ、誰か長時間見ていても目が疲れない、目に優しいディスプレイを開発してくれないものか・・・


V君が「これです、これです!」と言った『civilization』はこちら



無事終了&庭仕事

病院での通訳は、特に何事もなく無事済んだ。
雪だるま、厚さが5cm以上もある紙の「漢英医学事典」を持ち込んでいたけど
もちろんそんなものを「えーっと、えーっと」と引いている暇はなく
ただ膝の上に置いたまま。
それでも結構まともに中国語が出て来ていた。
ほっとして、ついでに「心配して損した」と思った。

もっとも担当医の説明の方も、比較的わかりやすい、
噛み砕いた内容で、小難しい医学用語など出て来なかったことも事実。
まだ若い女医さんだったけど、ふつーの患者に説明することに
慣れているのかもしれない。
ついでに雪だるまによると、アクセントから見て(というか聞いて)
彼女はフランスから来た人だろうとのこと。
地元ケベックのなまりではなかったそうである。
私自身は、割とわかりやすいフランス語だなあと思っていただけで
フレンチ・フレンチとは気が付かなかった。
道理で聞き取りやすいはずである。
普段聞いている学習用CDと同じ発音なのだから。

というわけで火曜の通訳は無事終わり
翌々日の木曜には車のタイヤを夏用に替え
(そう、今頃夏用に替えるのである。だって4月はまだ雪が降るのだ!)
合間、合間に山のような庭仕事に励んでいる。
昨日、金曜もジムをさぼって1日庭仕事に明け暮れた。

この冬は寒さがことのほか厳しかったので
庭石の上の白の芝桜や、去年植えたイブニング・プリムローズは
越冬できなかったようす。
黄色く立ち枯れて、新芽が出てくる様子がない。
芝桜などゾーン3でも越冬できるはずで(当地はゾーン4)
事実、普通に地面に植えてある方はちゃんと緑の新芽が出てきているのだが
庭石の上に植えてある方は、土がわずかしかないので、
根が凍ってしまったのかもしれない。
一応「もしかしたら」と思って、コンポストを混ぜた土を足しておいたが
この芝桜はもうだめかも。

そのほか、こちらは元気に葉っぱが出てきているクレマチスの根元に
土と肥料を足したり、新しい支柱を組んだり
庭石の陰に隠れているヒューケラを、日陰だが見えるところに移したり
芽が出てきた鈴蘭を踏みつぶさないよう、小石で周りを囲ったり
丈高く伸びてきたマリゴールド、アスター、パンジー、ほうずきをポットに移したり等々
5月は本当に庭仕事の繁忙期である。

去年蒔いて美味しかった黒龍江豆、今年も蒔いたのだが
何しろ成長が早くて、すでに身の丈1m以上。
いいかげん畑に植え替えたいのだが、天気予報によると来週の水、木あたり
また気温が3度近くまで下がるのだそうで、
これでは外に出すわけにはいかない。
植え替えはそれが過ぎた来週末まで、じいっと我慢である。

チューリップや水仙はすでに咲き始めているのだが
まだまだ油断はできないケベックの5月なのである。


ダリアの芽が出てきた
もちろん、まだ室内。鉢の中である


IMG_0148.jpg


先週、もの凄い強風が吹いた時、根元から折れてしまったチューリップ
もったいないので中に持ってきて、花瓶に挿した。
それにしてもこのチューリップ、多年生のはずなのだが、
去年よりだいぶ色があせている感じ。
やっぱりチューリップは一年草だと考えた方がいいのだろうか


IMG_0147.jpg



だいじょうぶか、をい

  • 2015/05/05 20:56
  • Category: 言葉
今日これから、例のクラスメートの通訳として
一緒に病院に行く予定なのだが、
肝心の雪だるまは昨晩遅くまで本日締め切りの税金申告書の作成と
先週舞い込んできた大部かつ急ぎの仕事にかかりっきりで
通訳の準備など全然していないようす。

私よりはよほどまともな中国語力の持ち主とはいえ
読む方はともかく、喋る方はかなり錆びついているはずだし
そもそも医療、病気関係は雪だるまの専門ではない。
下準備なしで、ぶっつけ本番通訳ができるとは思えないのだが
本人しらーっとしていて、単なる付添いの私の方が
内心冷汗という感じで心配している。

とりあえず出てきそうな単語が並んだ肝臓がん関係の文書を
ネットで探し、参考文献として印刷してみたが、
果たしてこれで間に合うかどうか。
まあ、通訳とはいっても会議やプレゼンの通訳ではないから
わからなければ話者に聞き返せるし、メモしておいて後で検索
も可能なのだが、それにしても雪だるま、通訳の緊張度が
全然わかっていない感じである。
ほんとに「だいじょうぶか、をい」と言いたくなる。

思えば私はその昔、何年やってもその通訳の緊張が嫌で嫌で
また元々の語学力が超低かったのでいくら準備しても十分とは思えず
出張が決まるたびに、「ああ、豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまいたい」とか
「うまいこと車にでも撥ねられて、出張に行かずに済んだりはしないものか」と
思っていたものだったが、雪だるまはまーったく平気のようである。
なんでだ?

ま、しかし、私が心配してても仕方ないので
とりあえず行ってきます。

私有地

散歩の途中やドライブの途中で、林の中に「Terrain Privé(私有地)」という看板を見かけるたびに、「やれやれ、なんと所有権意識(および縄張り意識)に富んだ人であることか! こんな原生林にまで、こんな色気のない看板を立てなくてもよかろうに・・・」と、土地の所有者のガリガリ亡者ぶりに鼻白む思いで、緑や茶の自然色の中でいやでも目に飛び込んでくる赤や黄の看板を味気なく眺めたものだったが、先々週あることが起きて、やっとこれら看板を立てた所有者たちの気持ちが私にもわかった。

以前にも書いたかもしれないが、裏の林はウチの敷地との境から10mばかりはウチの所有となっている。この家を建てた前オーナーが、プライバシーを確保するために後から買い足したのである。ただし後から買い足したので、ウチの敷地との境にはシーダーの生垣などがあって、一見、ウチの所有地には見えない。原生林なので木々もランダムに生えているし、あくまで裏に広がる、誰の所有とも知れない原生林の一部にしか見えないのである。

が私たちはそういう状態であることを全く気にしていなかった。ウチの所有地であるので、生垣を擦り抜けて、ウチの庭に降り積もった落ち葉を捨てに行ったりはしていたが、林はあくまで林。自然のままに放ってあって、夏、子供達が声高に喋りながら林の中をガサガサ抜けて行こうと、冬場クロスカントリースキーの人がシャッシャッという音と共に滑り抜けて行こうと、私たちは「あれ、誰かが林を通り抜けているよ」と思うだけで、別にだからどうしようとかは全く考えなかった。林が林として人々に利用されているのなら、林を林のままにしておきたい私たちとしては、全く何の問題もなかったからである。

ところが先々週、週末なのに朝から何だかうるさいなと思っていたら、道を挟んでウチとは斜向かいになる某工作機械賃貸業者の裏庭に小型ショベルカーが入り、その裏庭に積み上げられた大量の雪を裏の林に捨てていた。最初はウチの所有ではない部分に捨てていたので、「あれ、裏の林は賃貸業者の所有地だったのか?」と思いはしたが、なにしろ他人の家のことなのでそのまま放っておいた。人が自分の敷地に積もった雪を、自分の所有地に捨てている限り、他人の私が口を挿む余地はないからである。

しかし、天気がよかったその日、午後、庭仕事をしていた私がちらりそちらを見ると、なんだかショベルカーが随分ウチの方へ近づいている。どう見てもウチの林に雪を捨てている雰囲気なのである。雪とは言っても裏庭に積み上げられた雪は、冬の間ガチガチに凍りついた硬い、重たい雪である。だからこそショベルカーで作業しているわけで、自然に降り積もる雪とはわけが違う。そんなものをどっさ、どっさと林に捨てられては、若木などひとたまりもなく押しつぶされてしまうし、成長した木にとってもいいことなど何もない。それでなくても林の一部が伐り開かれて、アパートが建ち始めたのを苦々しく思っていた私は、「これ以上、木を、しかもウチの木を、傷め付けられてたまるか!」と庭仕事姿のまま生垣を抜けて林に出、作業中のショベルカーに向かって突き進んだ。そして近付いてくる私を認めて、こちらを見たお兄さんに「失礼だが、ここからここまではウチの土地である。よろしく」と告げ、にっこり微笑んで帰って来た。お兄さんは「それは失礼。知らなかった」という感じで了解し、以後は境界杭の向こうへ捨ててくれていたが、当然ながらすでに捨ててしまった分についてはそのまんま。私が気づくのが遅かったのが悪いのだが、その後行ってみると、道路沿いの若木が1、2本、半分方雪に埋もれて傾いでおり、真ん中辺の枝など雪に押されて折れかかっていた。枝を助けたくて掘り出そうとしたのだが、雪が固くて人力ではまったく歯が立たず、泣く泣く諦めた。

2週間経ち、日陰の雪も全部融けた今日行ってみると、どうやら捨てられた雪は土砂混じりだったらしく、ウチの林も含め、裏の林の道沿いには、こんもりした砕石まじりの土の山が、4つばかり出来ていた。土の下になってしまった若木や下草は全滅である。もちろん土であるから、そのうちぼつぼつと雑草が生え始めるだろうが、道沿いに土砂の山ができているのは何とも醜い。せめてウチの林の山だけでもスコップで突き崩し、平らに均したいと思うが人力でやるには結構な重労働。考えただけで筋肉痛になりそうだ。

それにしても、裏の林。これ以上、何かされないために、「私有地」の看板でも立てた方がいいのだろうか。たかだか10mぽっちの敷地に「私有地」の看板なんて、ほんとに味気なくていやなのだが、土砂を捨てられたり、木を傷めつけられるのはもっといやだ。どうして林を林のまま、そっとしておいてくれないのだろうか。

って、私のウチも元はと言えば林を伐り開いて建てた家。自分ちは建てておいて、人が同じことをするのは嫌がるのは、まったくもって自分勝手な言いぐさでしかないのだが。

庭仕事開始!

先週からじわじわと暖かくなり、庭の雪が全部融けて、庭仕事の季節になった!
毎日、毎日、暇があると庭に出て黙々と
寒さ除けに被せておいた大量の落ち葉を花壇から取り除く作業、
および立ち枯れている去年の花穂や茎、枝を
根元近くで刈り込む作業に励んでいる。

大きな楓の木が数本あるおかげで我が庭に降り積もる落ち葉の数は半端ではなく
ついでに裏の林からも、柏餅の外側みたいな葉っぱその他が風に乗ってやってくるので
葉っぱは集めても集めても、なくならない。
落ち葉ってやつは、もしかすると地面から湧いて来ているのではないか?
と思えるほどである。

作業はほとんどシュジュフォス状態だが、
それでも今週、1日学校をさぼって頑張った甲斐あって、
上記作業は8割方終えた。
残るは芝掻き。
なまじ昨年芝生を張り替えたばかりに、
今年は掻く面積も半端ではないが、
これも黙々、粛々と励めばいつかは終わるだろう。

最近、当ブログの更新が滞りがちなのは
つまり庭仕事のせい。

ついでに夜は夜でフランス語のお勉強を続けているので
ブログまで手が回らないのである。
しかし毎日せっせと続けているおかげで
「L'odeur du café」の音読は、169ページまで進んだ。
あと50ページ弱で、読了である。
相変わらず、そこここで「違うよー」と発音を直されているが
それでも最初の頃に比べれば、直される回数は減って来た。
やはり「継続は力」かもしれない。

最後、ろくでもない記事の埋め合わせに
今月初めに撮った灰色リス君の写真をアップ。
かわいらしさではチッピーの勝ちだが
毛皮のゴージャスさでは、灰色君の勝ち

IMG_0123.jpg


IMG_0124.jpg




Pagination

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター