楽しい老後は、なかなか

  • 2015/06/28 11:35
  • Category: 雑記
木曜日、モントリオール南岸に住む雪だるまの友人の家に遊びに行った。この10年余、体調良好とは言い難く過ごしている夫君に加え、昨年春には奥方が過労から心臓発作を起こして危うく死にかけ、夫君、子息含め家族一同の肝を冷やさせたために、奥方はこれを機に以前からの懸案であった退職を本気で実行することを決心。療養しながら引き継ぎその他の準備を進め、3月末にはめでたく正式に退職したというので、夏も始まったことだし、今はもっと元気にしているかな、また一緒にどこかへ出かけられるかな、と思って楽しみに出かけたのだが、呼び鈴に応えて玄関に出て来た彼らは、表情だけはいつもどおりにこにこと穏やかで、また相変わらずの優しいことば遣いと話し方でこちらを安心させてくれたものの、いったん動き始めたら、二人とも歩く姿はそろりそろりとゆっくりで、階段も身体を引き上げるようにして一段ずつ。いまだ療養中で心臓に負担をかけてはいけない奥方はともかく、夫君の方も今年1月末、日本・香港へ行く途中で会った時より却って体調が悪いようで、雪だるまと2人、顔を見合わせてしまった。

事実、先ごろ奥方の弟夫妻が遊びに来た時、奥方は料理をしたり、あれこれもてなしたりで気と身体を使い過ぎてまた発作を起こしかけ、夫君は夫君で観光名所のオリンピックスタジアムを案内しようと車で出かけたら、自身は車から降りず運転手をしていただけだったにもかかわらず、1日で疲れ果ててしまって、その後3日間、ベッドから起きる気力がなかったそうで。いくら冗談めかした口調でもそんな話を聞いては、行ってみたいと思っていたところに「一緒に行ない?」などとは、とても言い出せなかった。

奥方が心臓発作で倒れたため会えなかった昨年は別として、その前の年に会った時にはちょうど体調が上向いていた時だったのか、半日車であちこちに出かけ、一緒に歩いたり喋ったり食事をしたりできたというのに、今回は家の中を歩くのもやっととは、まったく何という変わりようか・・・。これでまだ二人とも、せいぜい60代の初めなのである。

奥方が退職する前は、退職したらあれもしたい、これもしたい。あなたたちの家にも遊びに行くから!と言っていたのだが、そして私たちも彼らが来るのを楽しみにしていたのだが、これでは車で片道2時間はかかる拙宅訪問など夢のまた夢という感じである。

自分の仕事を大して好きでもなかった私や雪だるまとは違い、友人夫妻はそれぞれ自身の仕事が好きで、だからこそ夫君の方は、朝から夜までほとんどぶっ続けで何日も続くような通訳仕事を“気違い沙汰だけど楽しかった”と言い、奥方の方は大学で教える仕事を辞すのを「もうちょっと、もうちょっと」と先延ばしにしてきたのだが、そしてそうやって好きな仕事をすることができた生涯は、何物にも代え難く楽しいもので後悔はないのだろうけれど、それにしても仕事を辞めて一区切りつけ、これからは仕事以外のことをしてみようかという時になって身体が思うに任せないというのは、何とも悲しい気がする。

だんだん利かなくなる身体と折り合いをつけつつ暮らしていくのが老後というものなのだろうけれど、私などは俗っ気が多くて諦めが悪いから、あれもこれもできないなんてつまらない、人間やりたいことができるうちが花だよ、なんてついつい思ってしまう。

そういえば例のクラスメートは、水曜夜の便で中国に帰った。発つ前の夕方、会いに行き「向こうに行ったら、食べたいものを食べ、したいことをして過ごして」と伝えたが、彼女がそうしたことをできるのも、あと何週間でもないかもしれない。

今日見たアニメ「風立ちぬ」で呟いていた“il faut tenter de vivre”。
なるほど「いざ生きめやも」の原語はこれだったのか、と思う。直訳だと「生きることを試みなければならない」という感じで、ははあ、生きるというのは意志を持って試みることであったのか、としみじみ。
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夏休みだあ!

  • 2015/06/25 08:39
  • Category: 言葉
待ちに待った夏休みに入り、「ああ、これでやっとやりたいことができる」と思ったのもつかの間、あれもこれもとやりたいことがありすぎ、気ばかり焦って、なかなかうまくコトが運ばない。

なにしろほんのわずかの間しかない、貴重な、貴重なケベックの夏だ。暖かい陽射しを浴びながら庭仕事もしたいし、自転車にも乗りたい。鳥も見たいし、花も見たい。友人や親戚の家も、訪問するなら夏の間だ。(冬だって行けるが、誰が零下20~30度の中、雪道を延々走ってヒトの家になど行きたいものか)ことほどさように、やりたいこと山積。編みかけで止まっているカーディも含め、課題も山積。

なかでも一番の課題は、なんといってもフランス語のお勉強だ。「夏休みに入れば、自分のペースで勉強ができる」と、この休みを待ちわびていたのだ。クラスでの勉強が楽しくなかったわけではないが、正直、授業内容はほとんど昨年、一昨年にやったことの復習ばかりで、それは確かに外国語の習得に復習は不可欠であるし、有効でもあるのだけれど、それにしたって同じことを3回繰り返すとなると、さすがの私も飽きる。忘れかけていたことを復習で思い出し、記憶を新たにするのは大変有意義だが、明瞭に覚えていることを再度やるのは時間の無駄だ。そんな時間があったら、わからないところ、知らないところを勉強したい。

というわけで、この夏休みおよび以降は、最も苦手な「発話:喋ること」に主眼を置いて、使える語彙と言い回しを増やして行きたいと思っているのだが、さてそのためにはどうするか。一応日本から文法解説書3冊(白水社の「よみとく文法」「つたえる文法」「あらわす文法」の三部作)と問題集(?)らしきものを1冊取り寄せてみたが、はてさてこれらは私の役に立ってくれるだろうか。このほかにディクテをしたり、作文をしたり、また例の音読もこのまま続けていくつもりだが、「言いたいことが言えるようになる」には、このやり方でいいのだろうか。雪だるまは「叔母さんちに2週間くらい遊びにいけば? フランス語漬けになれるよ」などと言っているが、さほど親しくもない叔母さんの家に2週間もお世話になるのは、どうも今ひとつ気が進まない。朝から晩までフランス語に囲まれていれば、それは少しは喋るようになるだろうけれども。

ところで話は少し変わるが、例の音読。オオカミの話の後、私のレベルに合っていてかつ内容に興味がもてる話が見つからなくてうろうろしていたら、雪だるまが「80日間世界一周は? 昔読んだけど、そんなに難しい文章じゃなかったし、長さも中くらいだし、話自体も面白いよ」と言うので、ついその気になってアマゾンから取り寄せ読み始めたのだが、なんのなんの。なーにが「そんなに難しい文章じゃない」だか。最初の頃など、1ページに知らない単語が30個くらいあって、その日読む分の単語調べだけで2、3時間かかった。おまけに文章も、初級の私には歯ごたえがあり過ぎて、歯が欠けそう。言ってみれば日本語初級の外国人が、漱石の「猫」とまではいかないが「坊ちゃん」あたりに挑戦してしまった感じで、「始めてしまったからには・・・」と読み続けてはいるが、ほとんど無理やり。ブルドーザーで雑木林を切り開くが如き乱暴かつ大雑把な読み方で、単語の意味は分かっても文章の意味は分からない箇所がたーくさん。

すでに著作権の切れている作品なので、プロジェクト・グーテンベルグに英訳があることはあるのだが、私がわからないところに限って飛ばして訳してあったりして参考にならず、実に腹立たしい。
だいたいそもそも小学校2年でフランス語による教育は終わってしまったとは言え、雪だるまが最初に覚えた言語はフランス語。語彙、文法ともに貧弱でも、どうやらことばを操る基礎ともいうべき言語感覚はしっかり身体に染みついているらしい“腐っても鯛”ネイティブの言う「難しくない」を真に受けた私がばかだった。

まだ60ページ台なので、いったいいつ読み終われるのか見当がつかないのだが、これを読み終えられたら、次はもう少し初級者向きの易しい本を読もう。歯ごたえあり過ぎの本ばかり読んでいては、歯がなくなってしまう。

食事会で終了

  • 2015/06/21 23:20
  • Category: 雑記
仏語教室が終わった。毎年、最終日は普通の授業はせず、近所の公園でピクニックをしたり、あるいは国立公園に出かけてハイキングやカヌーを楽しんだり、1年最後のお祭りといった感じで賑やかに過ごしているので、今年も「動物園に行こう!」とか「隣の市の美術館に行こう!」とかいろいろ案は出ていたのだが、先週クラスメートの一人が足にけがをし歩行不自由になったので、結局どこかに出かけるのは止めて、教室でこじんまりと料理持ち寄りの食事会ということになった。

しかし平日だったので、「その日は仕事」という人や、都合の悪い人がけっこういて、参加できたのはクラスの半分ほど。おまけにちょうどその日からラマダンが始まってしまったため、クラスメートの中の二人のムスリムは一緒に食事をするわけにはいかず、少々具合の悪いことになってしまった。

二人とも「私たちは平気だから気にしないで食べて」と言って、私たちが食べるのをにこにこ座って見ていたが、食べるわけにはいかない人の前で、ばくばくと遠慮会釈なく物を食べるのはなんだか随分心無い行為のような気がして、いささか気が咎めた。それでもまあ、せっかく作って持ち寄った料理なので、私を含め、みな食欲旺盛によく食べて、残ったものもみなで分けて(食べなかったムスリムの二人には特に大目に分けて)持ち帰り、楽しく別れたが。

モロッコ人のファラによれば、6月のこの時期のラマダンは、日没が遅い(=食事を取れる時間が遅い)し、日中暑いけれど水を飲むわけにはいかないので、他の、たとえば秋に当たる年よりもしんどいそうである。イスラム暦は大陰暦なので、ラマダンは毎年11日ほど早まるそうなのだが、そういえば私がまだ香港にいた頃は、8月、9月の夏の盛りにラマダンが来ていた気がする。あの蒸し暑い香港で、夏の盛りの日中、“食わず”はともかく、水も飲まずに過ごすのは随分としんどいだろうなあと思う。

ついでにラマダン期間中は「日の出から日の入りまで飲食を断つ」そうで、それを聞いた私はつい「イスラム教が生まれた低緯度地方ならともかく、ラップランドとかアラスカとかカナダ北部とか高緯度地方に移民したムスリムは大変だろーなー。太陽がなかなか沈まないから、夜中にならないとご飯が食べられないぞ。北極圏とかだと、夏場は太陽、全然沈まないぞ。どうするんだろう?」とか考えてしまったが、ウィキによると「夏に日が沈まない極地地方にあっては、近隣国の日の出・日没時間に合わせるなどの調整も図られる」のだそうである。はあ、なるほど。

もっとも、そんな話をしたら徹頭徹尾、反宗教!の雪だるまは「そもそも各宗教が定める戒律は、現在の知識から見るとおよそ理屈に合わず、非科学的かつ不合理だ。そんなものに未だに縛られている人の気が知れない」とけんもほろろ。

私自身はおよそどんな宗教も信じてはいないし、雪だるま同様、宗教の教義や戒律には馬鹿馬鹿しいものが多いとは思っているが、信じている人がその信仰を自己の内に留めている限りは、その信仰を批判する気もないので、先日、ファラの家で他のクラスメートと共に食事した時、中の一人、クリスチャンのカルメンが「食事の前にお祈りしましょう」と言って皆の手を取った時も、「私がキリスト教の食前の祈りか?」と吹き出しそうにはなったが、そしてついでに「ファラはムスリムだよなあ」とも思ったが、黙って頭を下げてカルメンのお祈りを聞いていた。この程度なら私にも我慢できる。だがカルメンが時々一斉メールで送ってくるキリスト教関連のメッセージには毎回腹を立て、即刻ゴミ箱マークをクリック。クラスメートを布教対象にするのは、止めていただきたいものである。まあ本人は善意のつもりなのだろうが、宗教的なものに限らず“善意”というのは、時として大変独りよがりである。米国なんか“善意”でアフガニスタンやイラクに侵攻したからな。“善意”に溢れている人は、実に危険だ。

いろいろ咲いた

例の中国人クラスメートが、来週か再来週には中国に帰るというので、昨日は授業の後、近くのカフェに移動してみなでしばらくお喋りをした。体調が悪くなって以来、学校には来ていなかった彼女も、昨日は息子が家に迎えに行って連れて来て、久しぶりに顔を合わせた。

息子の話によると、一昨日には医師ともう一人アドバイザーのような人が家を訪れ、本当に化学療法を受ける気持ちがないのか、彼女の真意を確認し、その上でさまざまなアドバイスをし、また彼女と息子の質問に答え、帰って行ったそうである。なるほど、ここにはそういうサービスもあるのかと感心した。そして、そうして話をして気持ちがさっぱりしたのか、それまでは「疲れるし、カフェには行きたくない」と言っていた彼女も、しばらくぶりに病院以外への外出をする気になって、夕方授業が終わった後で、ダウンタウンまで出て来た。

最近、学校帰りに彼女の家を訪ねたファラを除いて、他の人たちは昨年11月に彼女が中国に一時帰国して以来数か月ぶりだったので、もともと細かった彼女が、また一段と痩せた様子にちょっと驚いたようだったが、それでもあれこれいろいろとお喋りをして、帰国したら漢方薬も試してみるという彼女の言葉に成功を祈って、1時間ほどで別れた。彼女の故郷は中国でも南の方で、乗り継ぎ、乗り継ぎでかなり時間がかかるので、体調の悪い彼女にはしんどいだろうが、飛行機以外の手段はもっと非現実的なのだから仕方がない。それでも一人で帰るわけではなく、息子が一緒に付いていくし、向こうでも息子がずっと面倒を見るというので、少しは安心だが。中国でも病人の看護は周囲の負担が大きいので、嫌われるのだそうである。付き添い不要、24時間体制で完全に面倒を見てくれる施設にいる場合を除いて、こればかりはどこでも同じかと思う。まして中国の病院は要付き添い、食事を用意するのも病院ではなく家族なのだそうで、その負担は並大抵ではない。この点、カナダの病院は少しはましかと思うが、さて。


そういう人間側の事情は別に、庭では春~初夏が進行中。
いろいろな花が咲き始めて、庭に出るのが楽しみだ。


クレマチス。 4種あるうち、一番最初に咲くのはいつもこの大輪系の白。

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オリエンタル・ポピー。一つの株からどうしてサーモンピンクとオレンジ系の赤と
2種類出て来るのか、不思議。



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ルビナスも元気に咲いた。この花は花穂が伸びきらない、咲き始めが一番きれいかな、と思う。
なんてことを言うと、「大きなお世話!」とルピナスに怒られるかもしれないが。


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コロンバイン(おだまき)。ノラ・バーロウという種類。
ノラ・バーロウというのはダーウィンの孫娘の名前だそうである。


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許芳宜

  • 2015/06/14 21:54
  • Category: Dance
この間、『逆光飛翔 Touch of the Light』という台湾映画を見た。盲目のピアニスト黄裕翔が自身を演じるという映画なのだから、本来なら印象に残るべきは音楽、彼が弾くピアノ、であるはずなのだが、私がこの映画で釘付けになったのは、黄裕翔に対するヒロイン小潔のダンス教師役で登場したダンサーのダンス。飲料店でバイトする小潔が注文を届けに行った先がダンス・スクールで、たまたま覗いたら教師の彼女が踊っていたという場面なのだが、がらんとしたスタジオで一人踊る彼女の流れるようにしなやかな身体の動き、ひとつひとつの線の美しさ、そしてその水のようになめらかな身体によって表現される情感の豊かさに圧倒されて、私は映画が終わるや否や、「彼女は誰だ?」とググりまくってしまった。

結果、見つけた名前は許芳宜(台湾ピンインSheu Fang Yi)。台湾出身で94年台北芸術大学舞踊科を卒業後、95年にマーサ・グレアム・ダンスカンパニーに加入、99年には同カンパニーのプリンシパル・ダンサーに昇格。以来、米国を中心に世界で活動を続け、さまざまな賞を受賞。マスコミからは「マーサ・グレアムの後継者」と呼ばれ、2005年には米誌『Dance Magazine』で「最も注目される100人の舞踊家」に、2008年には独の『Ballet / Tanz』で「最も優れた女性舞踊家」に選ばれた世界的に著名なダンサーなのだという。道理でダンス開始後たった数秒で、私の目を釘付けにしたはずである。


許芳宜


ようつべで探したら彼女が踊る動画があったので、ここにアップ。保温下着のCMらしいのがナンだが、これをご覧いただければなぜ私が口をぽかんと開けて見惚れたか、お分かりいただけると思う。





雪だるまも私もおよそ身体能力に乏しく、ダンスどころか「ボールを投げる」とか「雪の上を板に乗っかって滑る」とかの簡単な動作すら上手にはできないが、人がそれらを上手にやるのを見るのは好きで、特にコンテンポラリーダンスのパフォーマンスを見るのは大好きだ。世の中には驚くほど優美に手足を動かし、跳躍し、身体をしならせ、また伸ばせる人がいて、そういう人たちが(長期間の鍛錬の結果ではあろうけれど)思うままに身体を使って情感を、音楽を、自身の内面を表現していくのを見るのは、実に楽しい。

いまだよくわからない

  • 2015/06/09 21:25
  • Category: 雑記
例の雪だるまが通訳として一緒に病院に行っているクラスメートの状況が芳しくない。
昨日はとうとう余命宣告されてしまった。
一応、化学療法の説明も受け処方箋も貰ったが
(従来の点滴による投与ではなく、錠剤服用型なので)
彼女は化学療法を受けるより、中国へ帰りたいという。

確かに化学療法によるさまざまな副作用に苦しんだあげく
伸びる余命が3か月では、治療を受けることに消極的になるのも
無理はない。
今だって痛みはあるし、肝臓が腫れて他の臓器を圧迫しているので
何とも言えない不快感があって物を食べる気にもなれないし
充分不愉快な状態なのだ。
それでも動こうと思えば動けるし、好きなもの、食べやすいものなら
食べることもできる。

しかし化学療法を始めれば、始終嘔吐感に悩まされ、下痢や便秘に苦しみ
それらを抑えるために、抗がん剤と同時に吐き気や下痢を緩和する薬も一緒に飲み
皮膚の乾燥を和らげるために始終保湿クリームを塗らなければならないような毎日になる。
それでも、それで治るのなら耐える甲斐もあるが、医師からははっきり
「治すことはできない」と言われているのだ。
ならば、何のために苦しむのだ?
その苦しい期間を3か月伸ばすため?

もちろん3か月とか6か月とかは単なる統計上の数字で
全ての人がきっかり3か月、きっかり6か月寿命が尽きるわけではない。
3か月と言われても、1年以上生きる人もいるし、
余命6か月と言われてから、すでに数年経っている人もいる。
だから彼女の場合も、治癒とはいかなくても寛解する可能性が全くないわけではない。
しかし今の彼女の気持ちとしては、その可能性に賭けて
ここで、このほとんど言葉の通じない、友達もろくにいない
好きな食べ物もない土地で
毎日を一人、家でテレビを見ながら過ごすくらいなら、
彼女が生まれ育った海辺の街に戻って
友達や家族に囲まれ、新鮮な海鮮料理をたとえ一口にせよ楽しみ
考えなくても喋れる言葉、半分眠っていようと聞き取れる言葉で
言いたいことを言い、伝えたいことを伝えて暮らす方が
どれほどましか、ということなのだ。

私が彼女の立場なら、私だってそう考える。
そしてさっさと、行きたいところに行く。
戻りたいところに、戻る。

昔むかし、若かった頃、私は死にたいと思ったことはあっても、
生きたいと思ったことはなかった。
死ぬのは少しも嫌なことではなかった。
英語でよく人が言う“Enjoy life !”ということがわからなかった。
私にとって人生というのは、為すべきことを為すところ、
しなければならないことをするところ(学生の間は勉強、長じてからは仕事)で
楽しむところではなかったのだ。
毎日が楽しくなかったわけではない。
わたしは我儘勝手な人間であるから、
その“しなければならないこと”をしながら
“自分がやりたいこと”もしたが
だからといって“生きていることが楽し”かったわけではない。

それが変わって来たのは、ここ最近である。
仕事を辞め、毎日ぼちぼちと好きなことだけする生活になってしばらくしてから
やっと「あれ? なんかちょっと楽しいかも」
「もうしばらく、この世界を見ていたいかも」と思い始めたのだ。
そして死ぬことを、時々少しだけ残念に思うようになったのだ。

これはあれ、「持っているものは欲しくなくて、持っていないものは欲しい」という
人間の変わることなき性質の発露なのだろう。
つまり若い頃は、なにしろ若くて元気で死ぬ心配などほとんどなかったから
「生きていたい」などと改めて思う必要はほとんどなく
むしろ生きていることは面倒くさいことだったが
50歳を過ぎて、いろいろ病気もし、身体のそこここが不調になってくると
=「生」を失いかけている状態になってくると
無い物は欲しいという天邪鬼な性質が頭をもたげ
「死ぬのは惜しい」と、わが脳みそが思い始めたのだろう。

いつかオトモダチの一人が書いていた
「世界中で、学校に行っている子供は学校に行きたくないと思い、
学校に行けない子供は学校に行きたいと思っている」のと同じなのだと思う。

コトの軽重が違うって?
いや、同じですよ。

その後

  • 2015/06/03 21:14
  • Category: 動物
アマゾンの箱に入ってウチに連れられてきたベイビーグラッコーは
少しだけエサを食べると(自分でつついて食べたわけではなく、
彼が口をぱかっと開けた時に、すばやく牛乳にひたしたパンの切れ端を
雪だるまが放り込むという方式)
その夜はおとなしく箱の中で眠ったが、
翌朝5時に、ギャッギャッと激しく鳴いて雪だるまを起こし
寝ぼけ眼の雪だるまが箱の中を覗きこむと
自分で箱からぴょんと飛び出して窓の方へホッピングダッシュ。

この勢いでガラスにぶつかっては脳震盪を起こすと
雪だるまがあわててフランス窓を開けたが
アラームを解除するのを忘れたため
家中にわんわんとアラームが鳴り響いて私も起きた。

ヒナ君はそんな大騒ぎを意に介する風もなく
自分でデッキに出ると、また激しくギャッギャッと鳴いてホッピング開始。
どうやら親鳥を呼んでいるらしい。
早朝にもかかわらず庭のフィーダーにはすでに何羽かのグラッコーがいたが
どれも鳴いているベイビーグラッコーには知らんふりで
「おお、我が子よ!」と駆け寄る者はなし。
それにもめげずベイビーグラッコーは鳴き続け
ホッピングしながらデッキの端へ向かうので
このままではデッキ下の植え込みの中に落っこちると
すくい上げて、もといたフィーダーの下、芝生の真ん中に降ろした。

最後に見た彼は、ギャッギャッと鳴きながら庭石よこの植え込みの中に入り込み
その後姿が見えなくなった。
植え込みを抜けて裏の林に戻ったのかもしれない。
まだ飛べないし、歩くのも実に不器用ではあったが、ホッピングだけは上手だったから。
ただし飛べない彼が木の上にあるのであろう巣に戻れたとは思えず
また親鳥が口にくわえて巣に連れ戻したとも思えないので
彼の生存可能性はかなり低い。
しかしそれが自然なら仕方がない。
私たちが養ったところで、牛乳に浸したパンで
彼が長く生き延びたとも思えないから。

ちなみに、そのまた翌朝は黒リスと灰色リスが
フィーダーの下でエサを拾っていた。

なんだか茶色っぽく見えるが、左は灰色リスである。


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そして現在、庭ではチューリップと

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ハーディ・ジェラニウムと

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コロンバインが開花中で

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オリエンタル・ポピーが開花準備中

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本日の動物たち

  • 2015/06/01 11:45
  • Category: 動物
朝、久しぶりにフィーダーの下に黒リスが2匹
フィーダーからこぼれたタネ(鳥のエサ)を
せっせと拾っていた


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たまに立ち上がって、様子をうかがう


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ちなみにこのフィーダーポールは、忍者返しならぬ“リス返し”つき
真ん中辺に逆円錐形のカバーがついて進路を阻んでいる上
そのカバーの部分にスプリングが入っているのか、上下に動くので
黒リスやチッピー(シマリス)が登ろうとしても、登れない。
雪だるまの新しいおもちゃ

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というような感じで、昼間は黒リスやチッピー、
カラスを小型にしたようなグラッコーで賑わっていたのだが、
夕食後、ふと外を見たら、フィーダーの下に茶色のかたまり。
「枯れ葉にしては大きすぎるし、動物にしては丸まったまま動かないし
はて何だろう?」と雪だるまと2人、見に行ったら
これがなんと、グラッコーのヒナだった。
くちばしと足だけは親鳥なみに立派だが、あとはぽわぽわした羽毛に覆われた
丸まっこい塊りで、目もろくに開いていない感じ。

5月末とはいえ夜間はけっこう冷え込む当地
そのまま芝生の上に置き去りでは即刻死んでしまいそうなので
アマゾンの箱に入れて、家の中に連れてきたが
さてそれにしても、写真でおわかりの通りフィーダーは庭の真ん中に立ててあり
その上はただの空。
なーんにもないところから一体どうやってこの飛ぶどころか
ろくに歩けもしないヒナが降って来たのか
今日は突風も吹いていないから、
遠くの木の上にある巣から風に飛ばされて来たとも思えないし
ううむ、謎である。


お世辞にもかわいいとはいえない(ごめん)ベイビーグラッコー

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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