電話

  • 2016/01/28 05:10
  • Category: 雑記
頼みごとがあって叔母さんに電話したら、配偶者であるところの叔父さんが出てくれたのはいいが、ちゃんと名乗った後に「お元気ですか?」と続けたにもかかわらず、まだ喋っている途中でカシャと電話を切られてしまった。どうやら私の名を認識せず、かつ私の下手くそなフランス語からセールスか何かと勘違いしたらしい。まあ私が叔母さんに電話したのは初めてだから(雪だるまが電話をし、ひとしきり喋った後で私に代わるということはあったが)、叔父さんが私の声と名を認識しなかったのは仕方がないが、それにしてもフレーズなど用意して喋る準備をし、「こちらからの頼みごとだから」と意を決して大嫌いな電話をかけたところだっただけに、初めの挨拶を喋ってる途中で切られたのにはかなり愕然として、右手の、ツーツー発信音だけに変わった受話器をしばらく見つめてしまった。それでもすぐさま気を取り直してかけ直したのだが、今度は留守番電話。叔父さん、どうやら電話を取る気がないらしい。

この叔父さん、もう15年以上前からの知り合いだし、会えばにこにこと愛想よく迎えてくれるのだが、いまだに私が日本人だか中国人だか判然としておらず、時々「どっちだっけ?」と聞く。まあ私と雪だるまが長く香港に住んでいたから、まぎらわしくてどっちだかわからなくなっているのかもしれないが、そもそも叔父さんの頭の中では日本も中国も、薄ぼんやりした“l’Asie(アジア)”の一つに過ぎないのだと思う。大部分の日本人の頭の中で、イランとイラクが“中東”、ヴェネズエラとコロンビアが“南米”カテゴリーに雑然と放り込まれて、「どっちだって大差ないじゃん」となっているのと同じように。

電話の方は、しばらくしてから雪だるまがかけ直し、叔母さんは留守だがもうすぐ帰って来る。帰ってきたらそちらに電話させると叔父さんが請け合ってくれ、そして実際、夕方には叔母さんが電話をくれて用件は済んだのだが、それにしても相手がいるかどうかわからず、かつ音声しか頼るもののない電話というのは、時にやっかいである。それが面倒で、私はついつい連絡はメール。何度でも確認し直せる書かれた言葉の方が便利なもので。
もっともそんなことをしているから、ますます喋るのが億劫になるのだけれど
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雑片

  • 2016/01/25 11:50
  • Category: 雑記
□ 金曜日、腰がかなりましになったので、予定通りジムに出かけた。零下13度くらいだったが、快晴で風もなかったので、歩いて出かけた。そしてコミュニティポスト近くの交差点で、すべって転んだ。今季2度目。幸い、またもや斜めに滑って転んだので、打ち身というほどの打ち身にもならず、即立ち上がって歩き続けたが、雪だるまには「今、そこ滑るから気を付けて」と言おうと思ったところだったと言われた。残念、一瞬遅かった。交差点は車が頻繁に通るので、雪が踏み固められてカチカチ、ツルツルになっていることが多い。下のアスファルトが透けて、黒っぽく見えているところは要注意である。

□ 雪だるまがアマゾン・フランスで、吉田喜重監督のボックスセットを買った。「水で書かれた物語」「女のみづうみ」「情炎」「樹氷のよろめき」「炎と女」が入っている。すべて1960年代の作品。そのうち最初の2つを見た。50年前の日本が、白黒の映像の中に立ち現れる。砂利を敷いた道を走る車。板塀。植え込み。日傘。ふつうに着物を着ている男や女。女子行員の上っ張り。机の上に置かれたそろばん。記憶の底にある、私が子供のころの日本。
どちらの映画も、監督の奥方である岡田茉利子さんが主演で、まだ30代初めの岡田さんのうつくしさに感心して見とれた。目の大きさは違うのだが、彼女の顔は能面の若女あたりを連想させる。薄目を開けて横たわった彼女の顔を逆さまに撮った映像など、まさにそれ。

□ 極細2本取りで、指なし手袋を編んでみた。自分用ではなく、友人の娘さん用。私自身は携帯電話を持っていないのでわからないのだが、聞くところによるとスマホ操作には、指なし手袋の方が便利なのだそうで。それに指なしなら、サイズが合わない!という可能性が減る。一昨年、妹用に猫模様のミトンを編んだ時には、小さめに編んだにも関わらず、指先が1センチほど余ってしまって「ありゃりゃ・・・」 友人の娘さんは私より小柄でほっそりしていて手も小さそうなので、XSくらいで編んでみたが、果たしてだいじょうぶだろうか。遠方なのでサイズ合わせはできないのだ。

ぎく

昨日は雪だるまに急ぎの仕事が入ってジムに行けなかったので
「じゃあ運動代わりに雪掻きでもするか」と
スノースクープを持ってドライブウェイに出た。

月曜の積雪は10センチくらいで、しかも気温が低かったので
雪は湿っておらず、さーらさら。
「これなら一人でやっても1時間はかかるまい」と
高をくくって、早速取り掛かった。

そして予想どおり40分そこそこで九分通り終え
あとは道路との境をちょちょっと均して終了!と
最後の一掬いを放り投げたら、腰にぴしーん!と激痛。
そのまま、その場で固まってしまった。

幸い激痛は一瞬で去り、固まった中腰の姿勢からそろそろと身を起こして
ゆっくりとガレージの方へ歩を進め、スクープをしまってから
玄関の方へ方向転換して、家の中に入ることができたが
ちょっと姿勢を変えようとすると腰に痛みが走る。
これはもしかして、話に聞く「ぎっくり腰」というものか?

ただ「ぎっくり腰」とはいっても、私の場合は激痛で身動きできない
というほどではなく、歩けるし、階段も登れるし、椅子に座ったり
しゃがんだりもできる。
その昔、友人の一人がエレベータのないアパートの上階でぎっくり腰になった時は
本当にうつぶせになったまま動くことができず
救急車を呼んで、がタイのいい救急隊員のお兄さん二人に
階下まで運び下してもらい、そのまま即入院となった。
それに比べれば、かなりの軽傷といえるのだが
それにしても、ちょっと身動きするとすぐに「いたたた・・・」となるので、まいった。
一番しんどいのは身体を前に曲げる動きで
つまりは物を拾ったり、あるいは靴下やパンツを履こうとしたりすると
てきめんに痛みが走る。
なるほど腰の筋肉というのはこういう風に働いていたのか、と
改めてしみじみ感じ入った。

おかげで昨日は一日、何をやるにもそろりそろり。
常にやや腰を曲げてよろよろ動いている私を見て雪だるまは
「急に齢を取ったねえ」と笑っていたし
私自身もおかしくて、痛さに顔をしかめつつも、
ついくすくすにやにやしてしまっていたが
幸い一晩寝たら、症状はかなり軽快し
発症から24時間以上経過した今日の夕方には
前かがみになっても、あまり痛まなくなってきた。
やれやれ、これなら明日はジムに行けそうである。

それにしても私は今まで腰が痛くなったことなどなかったのに
たかが40分の雪掻きでぎっくり腰になりかけるとは
うーん、本当に寄る年波かも。
これからは雪掻き前にも準備運動をした方がよさそうだ。
ついでに腰の筋肉を鍛える運動も増やそう。
本格的なぎっくり腰は、ぜひ避けたい。


長幼の序

  • 2016/01/20 11:13
  • Category: 言葉
しばらく前の話だが、モントリオールに住む雪だるまの友人夫妻の家に遊びに行った時、ちょうど息子のJ君が飼っているという子犬が遊びに来ていた。友人の引越しの手伝いでJ君とそのGFが1日家を空けるとかで、子犬を一人で家に残すのはいろいろ心配だからと、両親のところに預けたものである。

この犬、まだ子犬のせいか非常に人懐っこく、かつ警戒心がなく、私たちがドアを開けると喜び勇んで飛んできて、ぴょんぴょん、ぐるぐる私たちの周りを跳ね回った挙句、喜びのあまりお漏らしまでするというはしゃぎよう。女の子なのに“ミスター・ペピー”と名付けられたその子犬は、ボストンテリアとパグのミックス“バグ(Bugg)”で、ご存知の方はご存知と思うが、もう類いまれに不細工かわいいい犬である。


参考画像 こんな感じの子がバグ

bugg.jpg


で犬好きの私は食事のあと、その家の奥方と一緒になって、子犬をかまって遊んでいたのであるが、その時は中国語で話していたので「こんにちはー、おばちゃんですよぅ」と言うようなつもりで、「阿姨(あーいー)」という語を使ったら、隣で同じく子犬をかまっていた奥方が聞きとがめて「それはおかしい」と言う。「阿姨」というのは母の姉妹で、つまりはこの子犬の父親であるJ君(および母親であるJ君のGF)と同世代ということになるが、あなたは彼らより年長、彼らの親である私たちと同じ世代なのだから、「阿姨」は使えないと言うのである。

その昔、そのあまりの複雑さと面倒くささに中国語の親族呼称は父母、兄弟姉妹と祖父母くらいしか覚えず、それ以外はその場に応じて「父の姉の息子」とか「母の妹の夫の妹」とかの言い方で誤魔化し続けてきた私は、当然ながら「祖父(または祖母)の姉妹」の呼称を知らない。そしてその時彼女に「じゃあ何て言ったらいいの?」と聞いて教えてもらった呼称も、その場ですぐに忘れ果てたので今ここに書くことはできないのだが、今ネットで調べてみると「姨奶奶(いーないない:父方の祖母の姉妹)」あたりになるのだろうか。奥方(=J君の母上)の姉妹相当という風に考えれば。実際、奥方はその子犬に向かい自分のことを、フランス語では“Gran-maman”と呼び、中国語では「奶奶」呼んで、「おばあちゃんと遊びましょうねぇ」などと話しかけていた。息子J君の“子”犬だから、彼女は「おばあちゃん」なのである。

がそれにしても、日本人の私の感覚だと、たかが犬相手の呼称である。おばちゃんだろうと、おばあちゃんだろうと、一世代くらいずれたっていいじゃないかと思うのであるが、腐っても鯛、たとえケベックに30年以上暮らそうと元は中国人の彼女、長幼の序は身体の芯に染みついているのかもしれない。まあ私だって私より年上の人から、sisterのつもりで「あなたは私のお姉さんみたいなものだから」と日本語で言われれば「あ、その場合は“妹”です」と自動的に訂正するのだから、あまり人のことは言えないけれども。

追記
ネットを検索していたら、こんな動画を見つけたので貼り付けておきます。
広東語版ですが、呼称の複雑さ、少しはお分かりいただけるかも。




ちなみに春節(旧正月)時期に、香港のマクドナルドが出したらしい親族呼称一覧もありました。
「ちゃんと呼べないと、お年玉もらいそこねるぞお」とか言ってるのが、おかしい。





たんすの中に隠れ続けるわけにはいかない

  • 2016/01/18 11:37
  • Category: 言葉
表題、なんだかこれからカミングアウトでもするようでまぎらわしいですが
そういうことではありません。

実は昨日、久しぶりにV君が遊びに来て
昨年末1か月ほど旅行して回ったアルゼンチンの話や
クリスマス、年末年始で親戚たちが集まった話など
楽しく聞いていたのだが、途中、話の成り行きで
急にV君の御母上と電話で話さなければならない事態になってしまった。

言うまでもなく、V君の母上にお目にかかったことはないし
電話だろうと何だろうと、話をしたこともない。
それが突然、テーブルの上に置かれたセルに向かって
“Bonjour”から始まる会話を交わすことになり、慌てた、慌てた。
慌てすぎて何を喋ったらいいのかわからなくなり
言葉が出てこなくて、しどろもどろのれーろれろ。

話していた時間など、正味1分にも満たない短かさだったにもかかわらず、
フランス語が全然出てこなかった恥ずかしさと自己嫌悪に
V君が帰ったあと、箪笥の中に隠れて毛布をかぶり、
100万年くらい出て来たくないと思うほど落ち込んだ。

もともと私は「喋るのが好き」という方ではないし
電話なんて1年に3本かけるかかけないかというくらいの電話嫌いだし
その上さらに使用言語が“ただいま学習中”のフランス語では
まともに会話ができるはずもないのだが
それにしても、その言葉の出てこなさ加減が余りにひどかったので
昨日は「ばか、ばか、ばか、ばか・・・」と自分を罵り続け
しどろもどろの会話を思い出しては、「きゃあ」と叫んで頭を抱えた。

が、自己嫌悪にまみれているのは苦しい。
そして私は弱虫で意気地なしなので、苦しいのは嫌いだ。
苦しい状態を終わりにしたければ、何かしなければならない。
「喋れない」から苦しいのなら、喋れるようにならなければならない。
「喋るのは好きじゃない」などと言っている場合ではない。
喋れるようになりたければ、喋るしかない。

で、さっき、お散歩友達のマダムBに電話した。
そして今週、会う約束をした。
彼女が別のジムに移ってから全然会っていないので、数か月ぶりである。
会ったら彼女に、週1回くらい会話の相手をしてもらえないかと
頼むつもりでいる。
この町で生まれ、育ち、教師でもあった彼女は、
ケベックフランス語の会話相手としては、最適のはずである。
そうでもしないと、今の私にはフランス語を喋る機会がない。


編み物

相変わらず編み物も続けている。だいたいいつも太い針の大物(セーター、カーディガン類)と細い針の小物(靴下、手袋類)を並行して編んでいて、その日の気分と目の調子に応じてどちらかを手に取る。今日のように目の調子が今一つで、細かいものを見ていると痛みが来そうな時は、当然大物の方。今やっているのは編み直し。

去年の秋に編んだ井桁の透かしが入るカーディガン、クロップであることを意識してウエストよりほんの少し下くらいの丈にしたら、どうもちょっとお腹が寒くて、また下に来ているTシャツとかが中途半端に見えるのも、若い娘ならよいのかもしれないが、この齢では少々落ち着きが悪い。アルパカの極細3本取りで編んだ編地そのものはふんわりと軽く柔らかく、かつ暖かくて言うことなしなので、丈のせいで着用頻度が落ちるのは惜しいと、思い切って裾をほどいて編み直すことにした。前立てがアイコードでの伏せ止めだったので、ほどくのはかなり惜しい気もしたのだが(アイコードは普通の伏せ止めの3倍くらい手間がかかりますからね)、着る気になれず箪笥の肥やしにしてしまうより面倒でも編み直した方がよい。


この写真だと丈がわかりませんが、井桁の透かしはこんな感じ

IMG_0410-1.jpg

そのため先週、追加の糸も注文し、ちょうど今日届いた。極細、アルパカ100%の糸は、袋の上から触ってもしっとりふんわり、気持ちがいい。ただし玉ではなくかせなので、編むためにはこれを玉に巻かなくてはならない。私は糸巻きを持っていないので、かせを椅子の背にかけて、それを手で巻いていく。極細はただ玉にしたのではもつれやすいので、私はいつもトイレットペーパーの芯に巻き取っている。編む時にはその芯に棒を通し、プラスチック籠の網目に棒を渡して、糸がカラカラと出てくるようにしている。見場はあまりよろしくないが、2本、3本取りの時は、その方が糸のテンションが揃って編みやすい。

小物の方は先日、靴下の左右同時編み(two socks at a time)をやってみた。糸が50g1玉しかなく、使い切りにしたかったからである。左右同時に編み進めば、計算などしなくても糸が終るぎりぎりまで同じ長さに編める。使ったのは40インチ(約100㎝)の輪針。32インチでも編めるそうだが、40インチの方がコードに余裕がある分、楽である。


途中。右の甲側→左の甲側→左のかかと側→右のかかと側、と進んでいくわけです。
糸は1玉の内側からと外側からと、両方から取っています。


IMG_0509.jpg

それに、2つ同時に編めば、例のSSS(セカンド・ソック・シンドローム)に罹る心配は全くなくなる。同時進行なのだから、片方だけ仕上がることはあり得ないのだ。両方できるか、あるいはどちらも靴下にならずに終わるか、all or nothing。途中でいやになってほどくにしても、左右ともに途中までなら、踏ん切りがつきやすいだろう。もっともこの編み方、色数の多い複雑な編み込みには向かないと思う。さばく糸の数が×2になるので、よほど手際よくやらないと糸が絡み合ってひどいことになりそうだ。

このごろ

  • 2016/01/12 10:40
  • Category: 雑記
 昨日は1日、ばしゃばしゃと雨が降った。1月に雪ではなく雨が降るのは、ほんとに珍しい。おかげで屋根の雪が融け、道は雪と水が混じって、どろどろになった。
そして一夜明けた今日は気温が零下12℃くらいまで下がったため、その融けたどろどろがかちんかちんに固まり、薄く水が溜まっていたところは氷が張った。ウチはそうなることを見越して、雪だるまが昨晩ドライブウェイからそのどろどろを除去しておいたので大丈夫だったが、お向かいはそれを怠ったため、今朝車がそのかちんかちんに凍ったどろどろを乗り越えられなくて、苦労していた。どろどろを侮ってはいけない。

 今日ベンチプレスで、久しぶりに115ポンドを2回挙げた。最近は記録など取っていないので、最後に2回挙げたのはいつだったか記憶にないが、一昨年の手術以前であることは間違いないので、少なくとも2年ぶり。最近、調子が今一つの日が多いので、無理はせずほどほどのトレーニングしかしていなかったのだが、それでも腕と胸の筋肉を使うメニュを増やしたのが奏功したのかもしれない。してみると、50代でも記録を伸ばすことは可能なのかもしれないな。ま、今更135ポンドに挑戦しようとは思わないが。

 音読は『La Petite Fille de Monsieur Linh』を読んでいる。詩的で読みやすい文章だし、興味深い内容でもあるのだが、今ちょうどリンさんが友人のバルクさんに会いに行こうとしたものの、収容されている施設の門のところで職員に阻まれてしまう場面で、読み進むのがなかなか辛い。そんなに感情移入して読まなくてもいいのだが、文章がいいとつい感情が入ってしまうのである。この話、ハッピーエンドではないのだろうか? お願いだ、どうかハッピーエンドであってくれ。

『Mandariinid(Tangerines)』

  • 2016/01/10 12:52
  • Category: 映画
『Mandariinid(Tangerines)』(2013年:エストニア/グルジア)は、90年代初頭、グルジアからの独立を求めるアブハジア紛争が勃発した頃のグルジア、アブハジア地方が舞台。この黒海北岸のアブハジアにはグルジア人、アブハジア人だけでなく、エストニア人も住み着いており、主人公Ivoが住んでいる村も、そうしたエストニア人村のひとつだったが、紛争の激化でほとんどの住人は故国へ帰ってしまった。今この山中の寒村に残っているのは年老いたIvoと、隣人のMargus、医者のJuhanくらいだ。そしてMargusも栽培しているタンジェリンの収穫が終わり次第、他へ移るつもりではいる。

しかし、住人がほとんどいなくなった山の中の村にも、兵士たちはやって来る。そしてIvoたちの家のすぐ近くで、撃ち合いが始まる。どちらがどちらともわからない銃撃戦。全員死んだかと思われたが、二人の兵士が虫の息で生きていた。Ivoはこの二人を助ける。一人はグルジアの志願兵Niko、一人はチェチェンの傭兵Ahmed、つまり敵同士だ。グルジア側に仲間を殺されたAhmedは、最初同じ屋根の下にいるNikoを殺してやると息巻くが、彼自身ろくに動けぬ身。Nikoのいる部屋の前で力尽きて倒れる。

医者Juhanの手当とIvoの看病の甲斐あって、何日かするうちにNikoもAhmedも何とか歩き回れるようになるが、Ivoはいがみ合う二人に「この家は私の家だ。この家の中では、殺し合いはするな」と約束させる。
Nikoはグルジア側でキリスト教徒、Ahmedはチェチェンでイスラム教徒。出自も違えば、宗教も違う。しかしIvoの家にやっかいになっているうちに、ふたりはだんだん心を通わせ合うようになる。そしてある日やってきたロシア兵たちが、Ahmedを敵方と勘違いして撃ち殺そうとした時、NikoはAhmedを助けようと応戦し、逆に撃たれて死ぬ。Margusもタンジェリンの収穫を前に、銃撃戦に巻き込まれて死ぬ。生き残ったのはIvoとAhmedだけだった。

自身の息子の墓の隣にNikoを葬ったIvoに、Ahmedは「家族が恋しくなった。傭兵は辞めて故郷に帰る」と告げる。

反戦映画は、敵味方に分かれて殺し合うことの愚かしさ、無意味さを訴える。敵だろうと味方だろうと、国が違おうと、民族が違おうと、宗教が違おうと、個人として知り合ってみれば、心を通わせることは不可能ではない。そして大部分の兵士たちは、自分の故郷を家族を守ろうとして兵士になるが、戦うということは殺し合うということで、だからそれは生命を、生活を守ることにはつながらず、むしろ守りたかったものを破壊していくことにしかならない。そんなことはみな、十分わかっているはずだ。

映画で、小説で、歌曲で、人々は反戦を訴える。人の生命は何よりも尊いという。平和は世界の願いだという。そしてそう言うそばから、自治や独立や資源や利権を求めて武器を取り、民族や宗教や主義主張の違いを理由に、自分と異なるものを排除して行こうとする。人は個人単位では寛容でも、集団になると徹底して他者を嫌う。

今、私がこんな駄文を打っている間にも、シリアでイラクでアフガニスタンでイエメンでパレスチナでソマリアで、そしてその他の挙げきれないほどたくさんの地域で、戦闘、紛争が続いている。一応平和な国々でも、移民や先住民や異民族、外国籍者など少数者に対する差別や、少数者を巡る紛争は絶え間がない。

時々思うのだ。人々が平和を願っているなんていうのは幻想で、本当は争うことが好きなのではないかと。それでなくてどうして、世界中でこうもたくさんの戦争、紛争が起こるだろうか。ヒトは生来、それによって自分自身と自身の種を滅ぼしかねないほど闘争本能の強い生物なのだと、いいかげん悟った方がよさそうな気がする。


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『P’tit Quinquin』

  • 2016/01/08 02:59
  • Category: 映画
そう、それで『P’tit Quinquin』だが、これはフランスのTVミニシリーズで、Quinquin(私にはケンケンと聞こえる)というのは主人公の男の子(↓)の愛称である。


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もう見た瞬間、“悪ガキ”“大人なんか屁とも思わない悪たれ小僧”といった形容が浮かぶようなやんちゃ顔だが、これでこの子、なかなかいい子なんである。近所に住むGFイヴには、とことん優しいナイトぶりだし。


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お話自体は、このQuinquinが住む北フランス、英仏海峡近くの小さな村で、牛の腹の中に詰め込まれたバラバラ死体が発見される。殺されたのは近所の農家の奥さんらしい。捜査のため二人の刑事が派遣されるが、最初の事件の糸口もつかめないでいるうちに、またもや牛の腹の中に死体が・・・。と聞くと、閉鎖的寒村で起きた猟奇連続殺人事件風で、まるで横溝正史だが、実のところ映画は全然、陰惨でない。むしろ牧歌的コメディ風。なにしろ派遣されたのがこの二人組。


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どう見ても敏腕刑事という風情ではない。ボスである白髪頭のおっさんの方は、チックでも患っているのか、しょっちゅう目をぱしぱしさせてあらぬ方を見ているし、部下のひょろひょろと細っこいおじさんの方は、刑事というより農家の下働き風で、パトカーの中にいるより鍬を持って牛小屋にでもいる方が似合いそうだ。そして事実、二人の奮闘にもかかわらず、捜査はなかなか進まない。

そしてちょうど夏休みが始まったところのQuinquinは、イヴや悪ガキ仲間と連れ立って、この二人の刑事たちの捜査を覗き見したり、イヴを後ろに乗っけてあちこち自転車を乗り回したり、どうみても水温低そうな海に泳ぎに行ったり、“夏休みの子ども”の活動に精を出す。そしてその背景として、この北フランスの寒村の風景が映し出される。

私はこの映画の魅力は(Quinquinのキャラはもちろんだが)この寒村の風景と、そこに住む住人たちではないかと思う。牛の腹にバラバラ死体を詰め込むという事件のおどろおどろしさの割には、夏の日差しにきらめく青い海や、その傍らに並ぶこざっぱりとした家々、どこまでも続く金色の麦畑とその中をまっすぐ伸びる農道は、あくまでのどかに美しい。
そしてその美しい風景とは裏腹に、そこに住む住人たちはみなどこか少しおかしい。他と交流がないものだから何代にもわたって村内で血族結婚を繰り返してきた結果なんじゃないかと思われるような愚鈍さというか、どこか1本ねじが緩んでいるような表情、態度で、悲惨なはずの事件がちっとも悲惨に映らず、こちらを不思議な気持ちにさせる。妻が殺されても、ちっとも悲しそうではない夫とか、いくら7月14日が近いとはいえ、バトン・トワリングの服装で葬式に出席する女の子たちとか、Quinquinの叔父さんにあたる、これはもう明らかに健常者には見えない若者とか。
それに加えて例の二人の刑事である。これはもう並の捜査では事件が解決しないのも無理はない。そして、これを言ったらネタバレになってしまうが、実際映画が終っても犯人はわからないのである。ミステリ仕立てのくせに犯人不明のまま終わるなんて、そんなのありか?と思うが、どうもありらしい。私と雪だるまは、エンド・クレジットを見ながら顔を見合わせてしまった。なんともはや、奇妙な味わいの映画である。ちょっとヘンな映画がお好きな方は、機会がありましたらぜひご覧ください。

最後にところでQuinquin君の顔立ちだが、この手の顔は英国の労働者階級の子に割合よく見られるように思える。北フランスは英国と近いから似てくるのかなあ。たとえばほら、この子Thomas Turgoose君(2006英『This is England』)は英国生まれなんだけど、Quinquinと兄弟と言っても通りそう。


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ちなみにThomas君も悪ガキ役でした。

2015年の映画

  • 2016/01/06 03:23
  • Category: 映画
昨日、去年1年間に見た映画のうち印象に残ったもののタイトルを書き出してみた。こうしておかないと後でもう一度見たいと思った時に、なかなか探し出せないからである。

去年はそこそこ気に入ったものはあっても、圧倒的な迫力でこちらに迫ってくるようなものはなかったという印象だったので、書き出す数はそう多くはないだろうと踏んでいたのだが、どうしてどうして最終的に61本のタイトルが並んだ。

あくまでも“印象に残った”というくくりなので、世にいう傑作が並んでいるわけではない。主人公の阿花(花ちゃん)のダンス姿が可愛かったからというだけの理由で選んだ香港映画『狂舞派』とか、重苦しいストーリーはともかく、砂色の岩山がそのまま家になり、街になったようなカッパドキアの息を呑むほど不思議な風景が珍しくて選んだトルコ映画『Winter Sleep』とか、ティルダ・スウィントンがヨーロッパの美と退廃を全身から漂わせてこちらを魅了するヴァンパイア映画『Only Lovers Left Alive』とか、日本のアニメ『風立ちぬ』とか、まあごちゃまぜにいろいろ入っている。お気に入りのケベッコワの監督兼俳優グザヴィエ・ドラン氏の『Mommy』と『Elephant Story』は、もちろん入れた。映画『ファーゴ』を実話だと思い込んで、ノースダコタまで宝探しに出かけたクミコ(菊地凛子さんが演じている)の鬼気迫る姿を描いた映画『Kumiko, the Treasure Hunter』も入れた。以前、このブログで取り上げた『State of Siege』や『Hannah Arendt』他も、もちろん入っている。

が、1年を振り返ってトップ3を選ぶとすれば、『Loreak』『P’tit Quinquin』『Mandariinid』の3本かなと思う。次点はイスラエル映画の『Zero Motivation』。

『Loreak(英題Flowers)』 私たちは最初、これがバスク語の映画であることを知らなかった。雪だるまがアマゾン・スペインから買ったDVDだったので、音声選択が「Euskara/Catalan」とあった時、当然「Catalan」が原音声だろうと思い、そちらを選んだのだが、見始めてみるとどうも口の動きと音声が合っていない。吹き替え特有の違和感があって、せりふだけが背景の音や効果音から浮き上がっている。私たちは吹き替えで映画を見るのが大嫌いなので、これは音声選択を間違えたかと、「Euskara」というのがどこの言葉であるかはわからないまま、そちらを選び直してまた最初から見た。今度はせりふが背景と自然に融け合い、違和感が消えた。

主人公は建設現場で事務員として働くAneという中年女性だ。小柄で、特に美人というわけでもなく、口数も少なく、目立たない。子どもはおらず、夫との間もひんやりと冷たい。しかもまだ40代の初めくらいなのに、医者からすでに更年期が始まっていると言われる。何もしないうちに人生が指の間からさらさらとこぼれ落ちて行ってしまっているような寂寥感。そんなある日、家に花束が届く。夫からだと思った彼女は礼を言うが、夫は知らないという。花束はその後も1週間に1度、決まって届く。薔薇や百合やチューリップなどの、明るく澄んだきれいな色。夫はいぶかしがり、花屋まで出かけて贈り主を突き止めようとするが、花屋は贈り主の名はわからないと言う。夫が不快がるので、Aneは贈られた花束を隠し、職場に持っていって飾るようになる。
そんなある日、職場の同僚の一人が交通事故で亡くなる。特に親しかったわけではなく、ほとんど話をしたこともなかったくらいの同僚なのだが、その同僚が亡くなってから、ぱたりと花束が届かなくなった。そしてある日、彼が残した持ち物の中に、Aneが無くしたと思っていたネックレスを発見する。花束を贈ってくれていたのが彼だというはっきりした証拠はない。しかしAneは彼だと信じ、今度は彼女が毎週、事故現場に花束を届けに行くようになる。そしてそうすることによって、彼の母親と知り合う。母親は亡くなった息子の妻とうまくいっておらず、物足りないものを感じる分、Aneに気持ちが傾斜していく。そして事故現場に毎週毎週花束を届けに来るAneを発見した妻の方は、Aneにいぶかしさと不快を募らせていく。

と、こう書くとなんだかぎくしゃくした人間関係を描いた陰鬱な映画のように思われるかもしれないが、実際に画面を見ていると濁りや暗さは感じられず、むしろ淡々と流れる時の静謐さの方が印象に残る。それはAneを演じたNagore Aranburuの、ジュリエット・ビノシュをもっと平凡に老けさせたような容貌のせいかもしれないし、その静かな物言いのせいかもしれないし、どこにでもある地方都市といったようなSan Sebastianの風景のせいかもしれない。いずれにしても、この映画を見終わって、後味の悪い不快感に襲われる人はいないだろう。残像として脳裏に広がるのは、むしろ登場した数々の花束の、光を浴びたうつくしさかもしれない。

それにしてもバスク語というのは不思議な言語だ。私たちは英語字幕で見ていたのだが、ごく簡単な「はい」とか「いいえ」とかの言葉すら、すぐ隣のスペイン語ともフランス語とも似ても似つかない音で、Euskaraがバスク語を意味すると知るまでは、一体どこの言葉なのか見当もつかなかった。
バスクだとわかった後でも、私がバスクについて知っているのは、遠い昔、犬養道子さんの本で読んだほんの少しだけで、まとまった知識は何もなし。
ウィキによれば、バスク語は現存するどの言語とも系統関係が立証されていない孤立した言語だそうで、現在この言語を使っている人は約66万人。つまり船橋市(60.9万人)よりは多いが、江戸川区(67.9万人)よりは少ない人数の人しか、この言語を使っていないのである。しかも話者は全員、フランス語かスペイン語とのバイリンガルだそうで、これではいつか消えてしまうのではあるまいか。それでなくとも世界中で、少数言語はどんどん消えていっているのだ。それが流れだと言ってしまえばそれまでだが、地域独自の言葉は、残せるものなら残したい。

話が逸れた。長くなったので、『P’tit Quinquin』『Mandariinid』については、また後日。


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謹賀新年

  • 2016/01/02 04:32
  • Category: 動物
謹賀新年

いつものとおり起き出して
いつものとおり朝ごはんを食べて
いつものとおり編み物を始めて、ぐるぐると靴下を編むこと数段
ふと視界の端に赤いものが動いたのを感じた。

「何?」と思って顔を上げたら
白く雪をかぶった庭木の枝の上に
真っ赤なカーディナルがいた。


IMG_0522.jpg


ここに住んで6年目になるが、
カーディナルを見たのは初めてである。
白黒のチッキディーやナットハッチ、ウッドペッカー
鮮やかな黄色(♂のみ)のゴールドフィンチは
うちのフィーダーの常連だが
カーディナルは、トロントで一度見ただけ。
うちの庭に現れたことはなかったのだ。

それが今朝は3度も来た。
一度目は驚いて眺めているうちに飛び去り
二度目はカメラの焦点が合わずに撮り損ね
三度目にやっと撮影に成功
庭の端の庭木だったので望遠最大、
しかも窓ガラス越しなので、
かなりぼんやりした写真になってしまったが
朝寝坊をしていた雪だるまに見せる証拠写真としては十分

IMG_0526.jpg

IMG_0544.jpg


それにしても、元旦早々はじめてカーディナルが現れるとは
これは今年は新春から縁起がいいかも。
そういえば昨日、散歩に出かけた雪道の上で5ドル拾ったし
PCも朝から一度もブラックアウトしていないし
うーん、これは運が向いてきたかな・・・

みなさまにとっても2016年が良い年でありますように。

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道で拾った5ドルですが、現金が雪の上に裸で落ちておりまして
財布と違って落とし主の捜しようもなく、
また最寄りの警察といっても車で20分は離れており
散歩の途中に行けるような距離ではありませんので
さてどうしようかと立ち止まっていたところ
後ろから来た同じく雪道散歩中のご夫婦のうち奥様の方が
「かまわないから貰っておきなさいよ。メリークリスマス!」と言ってくれましたので
「いいのかな?」と思いつつも、そのまま貰ってまいりました。
昨年ジムの駐車場で20ドル拾った時には
ジムに来ている誰かが落としたのだろうと思い
ジムのカウンターに届けましたが、
誰が通ったかわからない、ただの雪道ではそれもならず。
女の人がお金を裸でポケットに入れていることはまずないので
(ふつう財布とかバッグとかに入れるでしょ)
たぶん男の人が落としたんだろうとは思いますが
〝男性”というだけでは捜しようがありませんしねえ。
あ、でもこれをお読みになって
「その5ドル紙幣を落としたのは私です!」という方がいらっしゃいましたら
どうぞコメント欄にご連絡くださいませ。
謹んでお返し申し上げます。

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プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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