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『Lady Macbeth』

  • 2017/11/13 05:32
  • Category: 映画
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タイトルは『Lady Macbeth』だが、この映画、ご本家の『マクベス』とは何の関係もない。
お話も似ていない。しいて言うなら、主人公のキャサリンが義父、夫、夫の子ども、と次々に殺していくところだけは、夫を叱咤して次々と邪魔者を始末させるマクベス夫人と似ていなくもないが、後はまったく別物だ。

たとえば、マクベス夫人は夫を焚きつけて人を殺させるが、キャサリンの方は自ら手を下すし、殺した後で良心の呵責に悩まされ、「洗っても洗っても、手の血が落ちない」などと気の弱いことを言うマクベス夫人と違い、キャサリンの方は平気の平左、何食わぬ顔で日常を送り、殺人がバレそうになると無実の召使に罪をなすりつける等、あくまで気丈にして冷酷非情である。

おまけにキャサリンが義父や夫を殺すのは、マクベス夫人のように権力欲、出世欲に駆られてのことではなく、夫の留守中に恋仲になった馬丁とよろしくやりたいためであるので、これじゃあ『レイディ・マクベス』というより『レイディ・チャタレイ』じゃないの?と、茶々を入れたくなるくらいである。

そもそもキャサリンは、体面と後継ぎ確保のため、義父が金で買って息子にあてがった嫁である。若くて、そこそこの容貌であるが、夫は元より彼女に関心はなく、新婚の彼女をほっぽって、さっさとどこか(後に愛人のところとわかる)へ行ってしまう。ヒース生い茂る田舎の館に一人残されたキャサリンは、召使にかしづかれてすることもなく、話し相手になる友人もなく、無聊を持て余す。そこに登場するのが若い馬丁。黒白混血で、たくましく、エネルギッシュで傍若無人。主人を主人とも思わず、キャサリンに挑みかかる。

で、お定まりの展開になって、「彼と一緒にいるためには、あいつらが邪魔だわ」ということになり、まず口うるさい義父を毒キノコで殺し、次いでキャサリンと馬丁との評判を聞いて帰ってきた夫を撲殺し、夫がいなくなってから突如現れた夫の隠し子(この子も黒白混血)を殺し、と次々片付けていくわけだが、私に言わせればこれはそもそも義父が嫁選びを間違えたのがいけないのである。

家の体面を保ち、後継ぎが欲しいというだけなら、若くて朗らかで、しかし頭の方はどこかすこーし足りないのでは?と思われるような、健康にはちきれんばかりの田舎娘を選ぶか、あるいは同様に若くて健康だが、気弱にして羊のように従順、義父や夫に逆らうことなど夢にも思わないような、おどおどした娘を選べばよかったのである。

それを若いのと健康なのはいいとして、性格の方は羊どころか猪突猛進のイノシシ並み、好奇心が強くて活力にあふれ、何かをやりたくてうずうずしているような娘を選ぶから、そしてそんな若い獣のような娘を、何にもない田舎の屋敷に閉じ込めたりするから、ちょっとしたきっかけで内にくすぶっていた熱情にぼっと火が付き、大きく燃え上がって屋敷全部真っ黒焦げ、ということになるのである。義父殿、どうせ金で嫁を買うのなら、もう少し人選に慎重であるべきであった。親族は選べなくても、姻族は選べるのだから。

それにしても、ほどほどに面白く思っただけで、惚れ込んだわけではない映画、本について書くのは簡単だ。思い入れがない分、お気楽に感想を書ける。これが気に入ってしまった映画、その中に引き込まれ、どっぷり浸ってしまった映画は、思うところがありすぎて、なかなか文章になってくれない。たとえば最近見た中では『Le fils de Joseph』が印象に残っているが、感想はいまだに書けないでいる。せいぜい Mathieu Amalric が出ている映画にはハズレが少ないとか、冒頭の主人公ヴァンサンとその友人との会話は、まるで『初級フランス語会話』に出てくるやり取りみたいだとか、埒もないことばかりである。
年の終わりには、「今年印象に残った映画 トップ10」みたいなのを書きたいと思っているのだが、こんな体たらくではタイトルの羅列と一行感想だけに終わる可能性なきにしも・・・


Mathieu Amalric 氏 
一度見たら、まず間違いなく記憶に残る強烈なお顔立ち


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やっと読了

  • 2017/11/07 21:54
  • Category:
先月末、例の「Le cas Sneijder」を読み終わった。
読み始めたのが5月末だから、たかだか200ページちょっとの本にまるまる5か月かかったわけで、カメよりのろい、ナマケモノ並みの漫歩さ加減だが、あまたの新出単語をひとつひとつ調べつつ音読しているのだから仕方がない。

それでもこの本は、最後まで実に実に楽しかった。
作者である Jean-Paul Dubois 氏のシニカルに冷めたものの見方と、その裏に微かに漂う皮肉っぽいユーモア。嫌味なほどの(しかし私にはこの上ない御馳走で、興奮の軽電流が背筋を流れるような)ペダンチズム。魅力的な人物を淡彩画のようにさらりと描き出す筆力。(主人公のPaulも悪くはないが、常に物静かで、しかしすべてを見通す眼差しを持つ博識の弁護士 Wagner-Leblond や Paulの娘Marieの生き生きと弾む精神はさらに魅力的だ)
活字中毒者として、今までそれこそ数えきれないほどの小説を読んできたが、ここまで私の好みのツボにぴたりはまる文章を書いてくれる人は珍しい。

ただし勉強中のフランス語で読んだので、読み取れていない部分が多々あることは間違いないし、誤読した部分もそこかしこにあると思う。それでも、たとえ手探り状態の言語であっても、その内容や文章のスタイルが好みか好みでないかは、自ずとわかる。母語でない言語で読む場合、作者によって選ばれ、使われた言葉のひとつ、ひとつ、その語が持つイメージ、その語から一瞬にして想起されるあらゆる、ほとんど無限の連想、あるいはまた発音された時の音、その響き、そしていっそ手ざわりといっていいような、その語に接したときの感触、そうした、一つの言葉が内包する情報の一切を瞬間的に脳裏に浮かべて、それを舐めるが如くに味わうような読み方はまずできないが、(読んでいる言語が外国語で、新出単語の連続では、“語の持つイメージ”などありようがないし、当然、連想もない。音? 知らんがな・・・)
が、それでも、たとえ盲人が象を撫でるような読み方でも、その撫でている象が大きいか小さいか、触っている皮膚が硬いか柔らかいかくらいはわかるし、死んでいるか生きているかも、(たぶん)わかる。

で、つまり今回わたしが撫でた象は、その触った手の向こう、皮膚の後ろに暖かい血肉、しっかりした骨組みや筋肉の弾力が感じられる象で、しかもその手ざわりは、象とは思えないほど滑らかで心地よく、私の手をうっとりとさせたのだ。

と、ここまで惚れ込むと、これはもう次も引き続き彼の作品を読みたいところだが、幸か不幸か、先ごろ叔母さんの一人が「とっても面白かったから、ぜひ読んでみて」と、300ページもある分厚い小説を貸してくれたので、まずはそちらを読まねばならない。この小説「L’amant japonais」というタイトルで、作者はIsabel Allende。もとはスペイン語だが、叔母さんが貸してくれたのは、もちろん仏訳版である。

せっかくの叔母さんの好意を無にするわけにはいかないので、Dubois氏を読み終わった翌日から勤勉に読み進めてはいるが、とりあえず30ページ、第2章まで読んでの感想は「うーん、味が薄い」
オハナシの展開はそれなりに面白そうではあるが、陰影に富み、皮肉の利いたJean-Paul Dubois氏の文章を読んだ後では、Allende氏の文章はあっけらかんと平明過ぎるというか、クリシェというか、なんだかハーレクイン・ロマンスを読んでいるようで、古い居酒屋であん肝か何かで一杯やっていたのが、急に白い蛍光灯も眩しいファミレスに連れて来られてペスカトーレの大皿をどんとあてがわれた気分。

まずくはないし、たぶん海鮮たっぷりのペスカトーレの方が、あん肝より栄養もありそうで、健康によさそうだが、舌の喜びという点では・・・、やはりあん肝に一票か。

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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