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川風も厭はじ

  • 2005/11/03 22:06
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 内田樹さんのサイト をチェックしたら、今日は冒頭に謡いと仕舞の稽古の話が振られており、光芒一閃、目の前にぱっと、鏡板に描かれた緑の松、磨きこまれた床が現れ、そのひんやりとした感触が足裏によみがえった。

謡いや仕舞の稽古をしなくなって、すでに20年以上経つ。声はとっくの昔に出なくなっているし、仕舞の型も忘れた。それより何より、今ではきちんと座ることすら出来なくなっている。
それでも今でもふとした折に、思いがけなく謡いの一節がよみがえることがある。
昨日の朝も、ビルの中庭につながる会社のエレベーターから出たとたん、さっと海風が吹き付けて来、その瞬間 「川風も厭はじ 逢瀬の向かいの 岸に見えたる 人影は それか 心うれしや 頼もしや …」と謡う声が頭の中に響いた。
片方は川風だし、片方は海風だし、恋が成就せぬまま死に、成仏できずに妄執の鬼となった男と、勤労意欲を失って「行きたくないなあ」と思いながら、新聞抱えて会社に向かっている女では、比較のしようもないほど時空も境遇も隔たっているのだが、海から吹き付けた、湿った冷たい風は、一瞬にしてその隔たりを埋めて、新聞を抱えた疲れた女に「船橋」の亡霊を見せた。

あの風は、能の始まりに空気を切り裂いて鋭く響く能管の最高音、ヒシギと同じだった。見るものはあの笛で、世界が変わったことを知る。現し世から神、死者、亡霊の棲む“異界”へと移ったことを知る。思えば不思議なことである。なぜ音ひとつで、違う世界へ移れるのか。この世とあの世、現世と彼岸、日常世界と異界は、そんなにも近いのか。いやそれとも実は“異界に移る”というのは、自分の外に出て行くことではなくて、自分自身の内側に入り込んで行くこと、内側にめくれ込んでいくことなのではないか。

なんてことを考えながら、着いた先はいつもの職場。上司殿がかかかと笑う「儲けてなんぼ」がすべてのやくざな世界。ああ、ギャップで一気に力が抜ける。
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Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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