静かに興奮中

  • 2013/07/25 09:03
  • Category: 雑記
帰って来た。トロント滞在が予想に反して大変大変楽しく、かつ刺激的だったので、帰ってきて3日目の今日も、まだ静かに興奮している。面白いことをいっぱい見て、聞いて、その結果あれもやりたい、これもやりたいと頭の中が沸々しているのだが、実際には今できることは限られており、もどかしさに神経がぎゅるぎゅる。

出かける前は、ホテルではなく雪だるまの友人の家に泊めてもらうのは、確かに安上がりだが何かと気兼ねで今ひとつ気乗りがしなかったのだが、実際行ってみると、使わせていただいた部屋には専用のバスルームが付いていて、それだけでもう気兼ねの半分はなくなったし、彼らの家がある古い住宅街は鬱蒼とした木々に囲まれ、人通りも少なくて静かに落ち着いた佇まいだし、家の中は家の中で、置かれた家具や調度のほとんど全てが、ジョゼとブライアンが20年以上前から収集している中国および東南アジアの民芸品で、どれをとってもしばし見とれる美しさだし、壁に掛けられている絵画や小彫刻もみな彼らが好きで買い求めたもので、自ずと調和がとれ、かつ見飽きない面白さがあり、そうしたものに囲まれて眠ったり座ったり食べたりするのは、なんだか民芸美術館か博物館の中に泊まっているようで、なまじなホテルに泊まるより、よほど眼福かつ居心地がよかった。

しかしそれにも増して楽しかったのは、彼らを含む雪だるまの古い友人たちとのお喋りである。中国史、法律、経済などそれぞれ専門を持ってはいるが、それだけに限らず色々なことに興味を持ち、多く読み、多く聞き、多く見ている人たちが交わす会話は聞いていて実に楽しく、たまに口を挿めたりすると、まるで大人の会話に加わることができた子どものように嬉しく、しばし胸がどきどきした。アカデミックという言葉にはネガティブな意味もあるし、象牙の塔に籠って議論しているだけでは世界は変わらないが、それでも知的明晰のうつくしさというものはあるし、豊富な知識とそれを使って整然と展開される論理には幻惑される。

ことに圧倒的だったのは仲間内で「天才」と呼ばれているK氏である。会う前から、その博覧強記と頭脳の回転の速さ、やや繊細すぎる神経についてさんざん聞かされていた私は、興味津々で彼の到来を待っていたのだが、現れたK氏は噂以上に面白い人で、彼と過ごした土曜の午後の数時間は、雪だるまと私にとってトロント滞在の圧巻だった。

K氏は外見的には中肉中背、やや後退しかけたグレイが混じる栗色の髪、丸い目にメガネと何の変哲もないが、いったん話し始めるとその該博な知識、途切れることなく話を続けていく雄弁さ、皮肉たっぷりのユーモアで聞く者を飽きさせず、しかし、にも拘らず、そうした人によくある傲慢さは感じられず、むしろ繊細な神経から来るある種の自信のなさがチラチラと見え隠れするあたりがなお一層面白く、私は口をぽかんと開けて聞き惚れた。カナダ先住民の言語や英国史に関する知識が豊富なので、私はてっきり彼の専門は言語か歴史だと思っていたのだが、後で聞くと彼の専門は経済だそうで、そういえば証券や数学の話もしていたのだが、私自身その方面には関心がないので頭を素通りしてしまい、印象に残らなかったのである。

また彼は食を楽しむ人でもあり、その時テーブルに並んでいたブルーチーズから始まって、トロントではあらゆるブランドのベトナムのニョクマムが買えること、(ここでジョゼが豆類と乳製品の発酵食品の話を展開。私も便乗してしょっつると納豆の話を披露)、スイス人である母方の祖母と共に楽しんだチョコレート(子供の頃)と、ソーセージとビール(十代の頃)の懐かしい記憶、そこここによいレストランがあるのでトロントを離れる気がしないことなどを語り、その合間にも食卓に並んださまざまなチーズを嬉しそうに平らげ(ちなみに数種並んだ中でも、このゴートチーズは実に美味かった)、オレンジ味のチョコレートを楽しみ、ジョゼが淹れる鉄観音を“Excellent!”と言って、たぶん大ポット2杯分くらいは飲み、と一緒に食卓を囲んで実に気持ちの良い人だった。私自身食べることが好きなので、私は健啖な人が好きである。小鳥のように小食な人は、食卓を囲む相手としては興醒めなり。

彼は生まれて以来ずっとオンタリオ住まいだが、ケベックもウチの隣町までは来たことがあるそうで、別れ際雪だるまは「機会があったら、ぜひうちにも来てくれ」と言っていた。私も彼やブライアン、ジョゼのように面白く、かつ話して気持ちのいい人たちは大歓迎である。雪だるまがベジゆえ大したものは供せないが、彼が来たらチーズだけはたっぷりとあてがってあげよう。彼はサンテミリオンの話もしていたから、サンテミリオンそのものは無理でも、その時のチーズに合う赤を何か見繕い、大いに飲んでいただこう。そして少しなりと滞在を楽しんでもらおう。久しぶりに遭遇して気が付いたが、ケベックに引っ越してきて以来、私も雪だるまもこの種の知的に興奮させてくれる会話に飢えていたのである。フランス語が話せない私は言うに及ばず、話せる雪だるまも当地には親戚や家族がいるだけで友達はおらず、会話の範囲は自ずと限られている。おかげで私はここずっと「読みたい」とか「知りたい」とかの欲望が萎え萎えだったのだが、トロント行のおかげで久しぶりに「本が読みたい」と思った。手始めに手に取ったのは、ジョゼの話に出てきた「ウォールデン」。二十年以上前に読んだきりで再読していないので、内容はおぼろにしか覚えていない。神吉三郎さんによるやや硬い訳文も今の気分に合うし、マサチューセッツと気候が似ていなくもないここで読むにはちょうどよい。古い文庫ゆえ、活字が小さいのが玉に瑕だが。
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Comment

梨の木

読んでいるだけで、こちらまで興奮が伝わってきました。

もともとフランス語が達者でない上に主婦をしているものですから、こういう会話のできる相手と出会う機会はほとんどありません。たまに面白い話ができる相手と出会うと、生き返ったような気がします。おしゃべり友達は別にいなくても気にならない性格ですが、ちょっと日常離れした知的な話の出来る人と知り合いになりたいなぁと、ずっと思っています。

こういう栄養を貰えると、眠っていた芽がそわそわと疼くような気がしますよね。すっかりうらやましくなってしまいました〜。
  • URL
  • 2013/07/26 19:56

らうとら

知的に興奮させてくれる人や本や物は、本当に貴重ですよね。今回、私はもっぱら聞き役で、対等に会話が交わせたわけでは全然ないのですが、それでもものすごく楽しかったです。と同時に、つくづく自身の勉強不足と思考の足りなさを痛感させられて恥じ入りもしましたが。

シマリスが来たり、石を拾ったりできる田舎住まいは悪くはないですが、フランス語という壁が立ちはだかっている当地は、私には話のできる友達を作るのが難しい土地で、時々「英語圏だったら、もうちょっと楽だったかなあ」と思ったりもしますが、フランス語を話せる夫でさえ、近所には1人の友達もいないところをみると、ことは言語の問題だけではないのかもしれません。

ところでヴァカンスにお出かけになるのですね? どうぞポルトガルで、楽しくおいしい日々をお過ごしくださいますように!
  • URL
  • 2013/07/28 10:40

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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