respect

  • 2013/10/31 09:30
  • Category: 雑記
さて、毎日通っている仏語教室、授業は9時から始まるのだが、9時にちゃんと教室に到着しているのは3、4人、ほんの一握りだけである。あとはみな9時を過ぎてから、三々五々、のんびりとやってくる。明らかに遅刻なのだが特に悪びれる様子もなく、にこやかに“Bon jour !”と言いながら教室に入って来て、すとんと席に収まる。遅刻するのはいつも同じ顔ぶれである。遅れてくる時間も10分とか20分とか各自だいたい決まっていて、まるで彼らの時間と標準時との間には10分あるいは20分のタイムラグがあり、だから彼らとしては定刻に来ており、何ら恥じるところはないかのように大らかな態度である。

また毎日3時間の授業の間には15分の休みがあり、普通は10:15~10:30なのだが、授業進行の関係で日によって前後に5分くらいずれたりする。なのでジョゼは毎回ホワイトボードに「休憩 10:15~10:30 10時半には戻ってくること!」などと書くのだが、ここでもまた校内のカンティーンに行ったり、外にタバコを吸いに行ったりして何人かが遅れて戻ってくる。5分くらい遅れるのは当然の許容範囲と思っている様子である。

私にはこれが全然わからない。始業時間にしろ、休憩時間にしろ、“時間”というお約束は、守るためにあるのであって、守らないのならそもそも約束の意味はないと思うのだが、違うのだろうか? そして9時と言ったら9時ちょうど、10時半と言ったら10時半ちょうどのことであって、9時5分でも10分でもないし、ましてや9時20分では絶対にあり得ないと思うのだが、これは世界標準的には少数者の考え方なのだろうか?

ただ仮に少数者の意見であるとしても、教える側であるジョゼも、この生徒たちの時間に対する大らかさと、ついでに授業中のお喋りの多さにほとほと困り果てていることは事実である。何とか時間を守らせようとしょっちゅう注意を喚起しているのだが、当人たちは「てへ」という感じで、身に染みて反省している様子はない。

雪だるまにこの話をすると「ラティーノや中国人は時間におおらかだし、そもそも無料の教室だから、自分で授業料を払って通っている学校とは違い態度がお気軽になりがちなんでしょ」と言うが、非常におおまかな傾向として中国系の人たち、あるいはラティーノたちが時間に大らかであることは否めないにしても、ウチの教室に限って言えば、中国人でもラティーノでも、定刻に来ている子は常に来ているのである。国民性とか民族(というものがあるとして)的気質とかの問題ではなく、あくまで各個人の性格や生活態度の問題であると思う。

私自身は集合時間など団体生活おける規律には厳しい日本で育ったせいもあり(ああ個人の都合より全体の都合が優先される懐かしの日本!)、時間に遅れることはまずないし、喋るのが嫌いだから授業中にクラスメートとお喋りなんてあり得ないが、そういう子どもの頃からの躾や嗜好は別にしても、もうひとつ“respect”という因子が我が脳内にはあり、これが私を時間の遵守や、授業中の私語に対する躊躇に向かわせていると思う。“respect”とあえて英語で書いたのは、この語には「~を尊敬/尊重する、~に配慮する」といった意味のほかに「法を順守する」という意味も含まれ、私の頭の中にある概念とぴったり合致するからである。

つまり私が時間に遅れないのは、遅刻などしてはさほど出来がいいとは言えない私たちに辛抱強く教えてくれているジョゼや定刻に来ているクラスメートに悪いと思うからだし、授業中私語を交わしたりしないのも、その時説明しているジョゼや発言しているクラスメートに迷惑だと思うからである。教室外でも同じこと。私が基本的に法を守り、町が決めた規則に従い生活しているのは、違法な行動は他の人の迷惑になり、社会の安寧秩序を乱すからである。私は安全で安定した生活が好きなのだ。だから他者を“respect”し、法を“respect”する。

そしてこの文章を書くに当たり一昨日あたりからつらつら考えていて気が付いたのだが、実のところ私の“respect”対象には、もうひとつ自分自身も含まれているような気がする。自分自身に対する敬意だから自尊心と置き換えてもいいのかと思うが、たとえば私は「時間に遅れる自分」という自己像が許し難く、そういうことをすると自己に対する評価が下がり、自尊心が揺らぐのでしないのである。なんとまあ傲慢な、と思われるかもしれないが、実状そういうことである。

しかしまあ、そういったどうでもいいような分析はともかく、いつも遅刻してくる何人かのクラスメート、も少し時間通りに来てもらうわけにはいかないのだろうか? 遅刻してくる10分か20分の間に語られた文法事項などを聞けないのは、本人にとっても損だと思うのだけどね。それともそういう風には考えないのかね。ようわからんね。
スポンサーサイト

Pagination

Trackback

Trackback URL

http://gaudynight.blog.fc2.com/tb.php/1497-3ef3cd43

Comment

Amei

>「時間に遅れる自分」という自己像が許し難く、そういうことをすると自己に対する評価が下がり、自尊心が揺らぐのでしないのである。

これね、「時間に遅れる自分」という部分を「拾った現金を自分のものにする自分」と置き換えて説明したことがあります。宗教を持たない民族がいかに道徳を持つのかの例として。

ま、私は遅刻魔なわけですが。
  • URL
  • 2013/10/31 10:01

らうとら

自分自身の中にあるロールモデルを規範とするのは、“神”という絶対者・超越者を規範とするのに比べ弱いとは思うのですが、といって“神”は持ちたいからと言って即刻持てる(=信仰できる)ものではないので、当面コレで行くしかないわけです。

自尊心とか自律とか道徳とか、考え始めるとよくわからなくなってくるんだけどね。
  • URL
  • 2013/11/02 22:17

Post Your Comment

コメント:登録フォーム
公開設定

Utility

プロフィール

らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

カテゴリー+月別アーカイブ

 

FC2カウンター