『Amour』

  • 2013/12/03 22:24
  • Category: 映画
ミヒャエル・ハネケ監督の『Amour』、見るのにそれなりの心構えがいる映画であるとわかっていたので、元気な時に見ようとしばらく放っておいたのだが、先々週のある日雪だるまが“今日の1本”として夕食時に持ってきたので、観念して見た。結果としては、こういう最後が許されるなら私としては大変に救われる、これができるなら老いて行くこともさほど怖くない、と思った。

人は、生命は何よりも尊く、たとえどんな状態になろうとも人が生きていくことには意味があるというが、もともと脳内にエンドルフィンが少ない体質に生まれついたせいだかなんだか知らないが、不幸にして私にはそう思えたことは一度もない。私は、ある程度以上の状態でなければ生き続けていく意味はない、と考える傲岸不遜にして意気地のない弱虫なのである。

たとえば四肢の機能が衰え他人の介護なしには何ひとつ、食事や排泄すらもできなくなったら、1日の大半をベッドに寝たきりで過ごすようになったら、そしてそれ以上に、頭の機能が衰え、何かを考えるどころか人を認識することすらできなくなったら、それは私が私でなくなることであり、そうなったら私にとっては生きている意味はない。私にとっての“生”は終わりである。身体だけ生きていることに、一体何の意味があるというのか? だから私はこの映画の結末に救われるのだ。私はこの映画の結末を、悲しいとも不幸とも思わない。

もうひとつ思ったのは、この映画の中の夫婦が最後まで“夫婦”を最小単位として機能しているということ。“家族”でも“親子”でもなく“夫婦”。彼らは自分たちの人生と娘の人生との間にきっちり線を引き、老老介護の状態になっても娘に彼らの選択への干渉を許さない。問題に対しどのように対処するかはあくまで彼らのビジネスで、娘のビジネスではないのだ。

日本では常に、介護は子どもの世代も含めた家族の問題で、老老介護の状態になったら娘や息子が(手は出さなくても)口を出さないでいることはまずないので、この映画の中でジャン・ルイ・トランティニアン演ずる父親が「これは私たち夫婦の問題だ」と言って、きっちり娘の介入を拒絶するのが印象的だった。かくまでも誇り高き自立心、か?
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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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