『Whatever Works』

  • 2010/09/21 17:13
  • Category: 映画
ウディ・アレンの映画は苦手である。デビュー作の『何かいいことないか、子猫チャン』(1965年)くらいなら、まあ心穏やかに見ていられるが、本領発揮以降はだめである。彼の作品は多すぎるので、何をどう見たかははっきり思い出せないが、「だめだ・・・」と私に決定的に思わせたのは『Small Time Crooks』(2000年)だ。


この映画に限らないが、ウディ・アレンの映画の登場人物は実によく喋る。時には23人いっぺんに、字幕が追いつけないようなスピードで立て板に水と喋ったりする。英語は外国語の私にはとてもではないが付いていけない。


しかも英語という道具の問題だけでなく、聖書から現代小説までの西欧の一般教養的文学の素養とか、昔のラジオ、テレビ番組、そこで流されたCMから人気コミック、ふつうの人が毎日ふつうに使っているさまざまな商品、食べ物、飲み物に関する知識、イメージといった文化的素養の問題もある。ギャグ・ライターでもあったウディ・アレンは、地口や駄洒落だけでなくこういう“みんなが知っていること”を下敷きにしたジョークも多いのだ。


仮に私が北米育ちであれば、私の嗜好からしてそれらの“素養”は難なくクリアでき、ウディ・アレンが飛ばす皮肉の利いた冗談に「かははは」と笑い転げることができるのだろうが、いかんせん私は日本で育った。有名どころの和歌や俳句や川柳は諳んじ、『ひっこりひょうたん島』や『サイボーグ009』は知っているし、“バカボンのパパ”がどういう人物であるかも知っているし、日本の食文化における“親子どんぶり”の位置づけもわかっているが、しかしそれと同程度に雅歌やシェイクスピアのせりふを諳んじていたり、『バットマン』を知っていたり、“ポットロースト”の位置づけを知っていたりはしない。朝食べるシリアルの名前も知らない。


それでも別段の素養など必要としない大部分のハリウッド映画を見る分には、何の差し障りもないが、ウディ・アレンの映画ではこれらがないと楽しむのが困難になる。面白い部分をぜんぶぼろぼろ落としながら見ることになるからだ。おまけに楽しめない=理解できないことが身に染みて、自己嫌悪にもなる。「あーあ、やんなっちゃうぜ」である。


だからこの10年くらい彼の映画はパスしてきたのだが、先日久しぶりに『Whatever Works』(2009年)を雪だるまに付き合って見た。そしてそれなりに楽しめたことに「へえ」とびっくりした。もちろんせりふが聞き取れない上、字幕が読みきれなくて(字幕も英語)、一時停止してもらったところもあるし、何がおかしいのかわからなくて雪だるまに解説してもらったところもあるが、皮肉屋の元大学教授、性格がよくて美人だが頭のやや軽い女の子、その両親の典型的南部ミセス&ミスター、フラワーチルドレンを引き摺っているようなアーティストABなど、これでもかというような紋切り型の人物がわさわさ登場し、ああだこうだと喋りまくり、どたばたを繰り広げるコメディを最後まで見られたのは成果。彼の映画が見やすくなったのか、私に耐性がついたのか。どっちだがわからんが、まあいいや。
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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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