007シリーズ

  • 2014/02/01 11:19
  • Category: 映画
最近雪だるまが買い込んだ映画は、どれも駄作ではないが秀作でもないという影の薄いものが多く、見た翌日でさえすでにタイトルも思い出せないような有様。どうでもいいような映画の連続になんだかほとほとうんざりしてしまったので、ここ4、5日はご存じショーン・コネリー演じる初期の“ジェームス・ボンド/007”シリーズを、第1作の『Doctor No』から再鑑賞している。

これは別にこのシリーズが、映画を見る意味を再認識させてくれる傑作シリーズだからではなくて、むしろその逆、ちょろちょろとこちらの神経を逆なでする、腹立たしい映画だからである。私の場合、腹の立つ映画、不快な映画の方が(もちろん程度によるが)、あとあとものを考えるのである。楽しい映画、好みの映画は、そりゃあ見ていて気持ちがいいし、見終わった後もしばらく幸せな気分でいられて、この世の憂さを忘れさせてくれるが、そういう映画ばかり見ていると、竜宮城で乙姫様&タイやヒラメの舞い踊りに浮かれ、お家に帰るのを忘れた浦島太郎さん同様、現実との接点を失ってしまうのである。

それはともかく、この“コネリー/007”シリーズ、なぜやたら腹が立つのかというと、ボンドおよびボンド・ガールズの性格および役柄設定が、何とも前時代的な脳天気マチズモに満ちていて、女と見ればものにしたがる自信過剰男(ボンド)と、その男にいいようにあしらわれるビンボー(ボンド・ガールズ)しか出て来ないからである。こんなステレオタイプの設定、今だったら各所から轟々と抗議の声が上がり、ネットで叩かれて炎上間違いなしというところだが、40、50年前はこの設定で非難されないどころか、むしろボンド氏は男の理想像を地で行く夢のハンサムガイ、ボンド・ガールズはそのボンドに愛される(?)可愛くてきれいな理想の女の子だったのだから、60年代、70年代のウィメンズ・リブ運動以降、世の中はやはり少々変わったのである。

だからこそ、ショーン・コネリー(62-71年)→ジョージ・レーゼンビー(69年)→ロジャー・ムーア(73-85年)→ティモシー・ダルトン(87-89年)→ビアース・ブロスナン(95-02年)→ダニエル・クレイグ(06年-)と続くこのシリーズで、ボンド・ガールズはおつむもお尻も軽いビンボーから、ボンドと対等に戦うキャラとなり、ボンドの上司であるMも、ビアース・ブロスナンの第1作である『ゴールデン・アイ』(95年)から、ロバート・ブラウンに代わって女性であるジュディ・ディンチが演じても、違和感を覚えないようになったのだと思う。

こうして映画の中に 徐々に“強い”(精神的にだけでなく、肉体的に)女が登場するようになったのは、別に007シリーズが先駆というわけではないだろうし、現在の“強い”女の氾濫に007シリーズが貢献しているとも思わないが、アクション映画としては50年という長期にわたって続いているシリーズだけに、流れを見る一つの目安にはなると思う。

何しろ最近は、女性が主役のアクション映画も数多くあるし(『Haywire』で主役を演じたジーナ・カラーノの格闘技!)、お子様向けのディズニー映画ですら、出てくる女の子はみな気の強いじゃじゃ馬ばかりだ。70年代に『つよい女は美しい』を書いたのは桐島洋子・小沢遼子のお二人だが、私も、そうあれるかどうかは別として、弱い人間よりは強い人間の方が好きだから、映画という架空の世界であっても、つよい女が溢れているのは喜ばしい。武力を賛美しているわけではないんだけどね。
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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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