『Wadjda』

  • 2014/08/03 22:31
  • Category: 映画
映画の中には初めからぐいぐいと引き込まれ、どっぷりとその映画の中に入り込んではらはらどきどき、固唾を呑んで成り行きを見守ってしまうようなものと、最初はノリが今ひとつで映像にも話にも面白みが感じられず、時間と視力の無駄だから見るのを止めようかと思うところを「まあ、もう少し」と我慢して見ているうちにだんだんと引き込まれ、最後は初期の印象を完全に払拭して、大いなる満足感に包まれて終わるものがある。たとえば最近見た中ではサウジアラビア/ドイツ映画の『Wadjda(邦題:少女は自転車に乗って)』は前者、アフガニスタン/フランス映画『Syngué sabour. Pierre de patience(英題:The patience stone)』は、典型的に後者だった。

サウジアラビアと言えばイラン、アフガニスタンなどと並び、イスラム国家として厳格なシャリーア(イスラム法)が施行されている国。女性は(たとえ非ムスリムの外国人でも)家の外では常に真っ黒なアバヤで頭から踝まで覆っていなくてはならないし、自動車の運転も禁止されているから、外出はお抱え運転手(たいていは他のイスラム国からの出稼ぎ労働者)頼り。潤沢なオイルダラーで国民みな中産階級、妻として夫に養われ生活の心配はなくても、息子が産めなければ夫は第二、第三夫人を娶ってしまうかもしれない。あれやこれや、心配のタネは尽きない。映画『Wadja』の人物たちもそうした世界に生きている。

主人公であるワジャはリヤド郊外にお母さんと住む10歳の女の子だ。お父さんはもちろんいるが、別の都市で働いているのか、家にはたまにしか帰って来ない。女の子/女性に対する制限の多いサウジに暮らしながらも、ワジャは元気いっぱいで反抗心旺盛。他の生徒が黒い地味な靴を履いているところ、彼女は制服の下から青いバスケットシューズを覗かせていたり、お小遣い稼ぎにミサンガを作ってクラスメートに売ったり、メッセンジャーを頼まれると渡し手と受け手の双方から手数料をせしめたりして、なかなかにやんちゃである。

そんなワジャの遊び相手は近所に住むアブドゥラだ。男の子であるアブドゥラは自転車を持っていて、ワジャはそれが羨ましくてならない。近所の店に女の子用のピンクの自転車があるのを見たワジャは、お母さんに「自転車を買って」とねだるが、お母さんは「女の子が自転車なんて、とんでもない!」と全く取り合わない。(日本でも明治から大正末期くらいまで、自転車は女性の貞操観念及び身体によろしくないという俗説がありましたね。こちら ★ の自転車文化センターさんのサイトをご覧ください) それなら、と今までミサンガを売ったりしてせこせこためたお小遣いを取り出し数えてみるが、自転車の値段には到底足りない。無念。しかしワジャはある日学校で、コーラン知識コンテストが開催されることを知る。しかも優勝者の賞金は自転車が買える1000リヤル! これはやるしかない! その日からコーラン学習用CDを買って来たりしてお勉強に励むワジャ。学校でもコーラン・クラブに参加。今まで何かと反抗的だったワジャの豹変ぶりに驚き怪しむ先生方ではあったが、コーランを学びたいという生徒にまさか「だめ!」と言うわけにはいかない。下心は隠しつつ、表面上は従順にコーランを学ぶうち、最初はつっかえ、つっかえでしか読めなかったコーランも、だんだんと上手に読めるようになり、CDのコーランクイズでも正解が出せるようになり、ワジャはコンテスト優勝を目指してまっしぐら。

一方、車で3時間もかかる学校で教師をしているお母さんは、他の女性たちと共に外国人運転手の車で通勤しているのだが、冷房のない車の中で真っ黒のアバヤに全身覆われて座っているのは難行苦行。おまけに運転手はお母さんがいつも時間に遅れると言って、不平たらたら。女性たちに対する態度も無礼で、一人の女性はそれを嫌って職場を変えたくらいだ。たまにしか帰ってこない夫は彼女にやさしいが、姑は男の子を産めない彼女に不満で、もう一人妻を娶れと夫をせっついている。 そんなことになってはかなわないと、夫の帰宅に合わせ目一杯きれいに装い、夫の友達たちが来れば豪華な手料理でもてなす彼女。(もちろん妻は夫以外の男性の前に姿を現すわけにはいかないから、料理は男たちのいる部屋のドアの外に置いておくだけ。ノックの合図で夫が部屋に運び入れる) また他の女たちに自分の存在を誇示するため、夫の親族の結婚式に合わせ、豪華なドレスを新調しようともする。(男女は別々のサウジだから、結婚式の披露宴でも、男は男だけ、女は女だけ、別々の部屋で祝う。したがって豪華なドレスは男性の目を引くためではなく、同じ女性に自らの美しさを知らしめ、その存在と地位を誇示するために着るのだ) 伝統と戒律に忠実なお母さんはワジャを可愛がってはいるが、活発過ぎるワジャ、イスラムの戒律なんか屁とも思っていない様子のワジャに、はらはらしてもいる。お母さんに隠れ、アブドゥラの自転車で自転車に乗る練習をしているワジャを発見した時には、「女の子がそんなことをして!」とびっくり仰天、ワジャの処女性にキズがついたのではないかと周章狼狽したくらいだ。

(注:以降ネタバレあります)
そしていよいよコンテストの日。毎日のお勉強の甲斐あって見事優勝するワジャだが、賞金は何に使うの?という先生の問いに、正直に「自転車を買います!」と上気した顔で答えてしまい、自転車なんて敬虔なモスレムの女の子が乗るものではないと考える校長先生(女性)に、「賞金はパレスチナの同胞に寄付しましょう」と、取り上げられてしまう。すっかりしょげかえって家に帰るワジャ。すると家では、今まで夫の好みに合わせて真っ直ぐな髪にしていたお母さんが、ウェーブのある髪を肩に垂らして、悲しそうな顔で煙草を吸っていた。叔父のだと思っていた結婚式は、実は彼女の夫の結婚式だったのだ。姑にせっつかれ、根負けした夫は2番目の妻を娶ることにしたのだった。大きな目を涙でいっぱいにしているお母さんに、ワジャは「かまわないわよ。あのきれいな赤いドレスを買いに行きましょう」と誘う。するとお母さんは「もういいのよ。それにあのお金はもう使ってしまったし…」と言う。え?と驚くワジャ。そこには、あのピンクの自転車があった。

最後、アブドゥラと共に元気に自転車を乗り回すワジャの姿を映して映画は終わる。
イランよりはましとは言え、シャリーアによって律されるサウジで、いつまでワジャがその活発で利発で、権威を物ともしない性質を保っていられるかは些か疑問だが、映画の中でお母さんが徐々に変わって行ったように、現実の人々も徐々に変わっていくかもしれない。2001年出版と少々古いが、竹下節子さんの『不思議の国サウジアラビア』にあるように、サウジは速いスピードで変化している。建前と実生活が乖離して、何でもダメと同時に何でもアリだったりもする。実際この映画も監督はサウジ初の女性監督だ。お母さん役の女優も(そして多分ワジャ役の女の子も)、サウジの女性。夫や親兄弟以外の男性の前には顔を出さないのが原則のサウジで、本物のサウジ女性が女優という“顔を出す”職業に就いているのも大きな驚き。10年以上前は、女優はモロッコとか他の戒律の緩やかな国出身の人が演じていた。

アバヤの着用や自動車の運転禁止、男性の付添がなくては旅行もできないなど、女性に対する数々の制限から、欧米諸国はシャリーアは女性の人権を侵害していると考えている。これに対してサウジを始めイスラム諸国は、これらは女性を護るためであり、我が国の女性は世界一保護されていると言っている。私などは自分の好き勝手にする習慣が身に付き過ぎているから「保護してくれなくてもいいから、自由にさせてくれ」と、車を運転できない社会、自転車に乗れない社会、仕事に就くこともままならない社会を不自由だと思うが、と言って欧米が、欧米流の社会システムを唯一絶対の善であるかのように他の国々に押し付けるのも、また随分と傲慢なことであると感じてしまう。人から押し付けれた善きものは、ちっとも善くないし、有難くもない。自ら得たもの、勝ち取ったものでなければ価値はない。だから社会は外圧によってではなく、自らのエネルギーによって変わらなければならない。というのはまあ、きれいごとではあるが。

いずれにせよ『Wadjda』お勧めです。機会に遭遇したら、ぜひご覧ください。


     wadjda.jpg

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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