『To play the fool』

  • 2014/09/24 05:17
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編み物のBGMに、ローリー・R・キングの『To play the fool』を聞き始めた。翻訳ではもう何度も何度も読んでいるが、原作を聞くのは初めてである。

これは愚者(Fool)であろうとした男ブラザー・エラスムスがすじの中心になっているので、刑事であるケイトとその恋人でセラピストのリーとの会話、ブラザー・エラスムスを知る人々の陳述など、話のそこここに愚者や道化、トリックスターについての考察がちらちら現れる。それが面白い。さすが神学、宗教学を専攻した人だけのことはある。衒学と言われようと何と言われようと、そういう味付けの部分がなければ、推理小説を読む楽しみなどない。

そして、愚者/道化というと私はどうしても、映画『Twelfth Night』(1996英)でベン・キングスレイが演じた道化を思い浮かべてしまうのだが、それは彼の道化がそれまで私が知っていた道化、愚かしい振る舞いや馬鹿げた言動、白々しいお追従を振りまいて王の周りをうろうろする道化とは完璧に異なる道化であったから。

『To play the fool』の中でリーも言っている。
「そうだ、中世では宮廷の道化だけが王様に本当のことをしゃべってもよかったのよ。クラウンはその道化の変化したものね」と。

そして同本の冒頭には、その当の『十二夜』から、オリヴィアのせりふが引用されている。

あの人は利口だから阿呆のまねができるのね。
阿呆をつとめるにはそれだけの知恵がいる。
冗談を言うにも、相手の気持ちを探り、人柄を見きわめ、
時と場合を心得ていなければならない。そして、
鷹のように目の前を横切る獲物をのがさず
捕らえなければならない。これはたいへんな仕事だわ。
利口な人が知恵を働かせる以上に。
(シェイクスピア『十二夜』 小田島雄志訳)

まさにその通りなのだが、今、手持ちの『十二夜』で上記のせりふをあたってみたら、これには続きがあった。私が持っているのは岩波の小津次郎役のもので、だから少々調子が違うのだが、
「あの人がみせてくれたあのみごとな阿呆ぶりは大したものだけど、妙な拍子で賢い人が阿呆なことをやり出すと、ばかばかしくて見ちゃあいられない」
と続くのである。
いや、ご尤もだが、賢くない私は心配の要なし。馬鹿がばかをやる分には、誰も何も言うまい。だって言っても無駄だから。
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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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