休戦記念日

本日、11月11日はJour du Souvenir(Remembrance Day)である。日本語では休戦記念日と訳されているのだろうか。米国ではVeterans Dayと呼ばれているので、その場合は復員軍人の日または退役軍人の日と訳されるようだが、いずれにせよ第一次世界大戦の終結を記念して始まった祝日で、その後第二次世界大戦など他の戦争における戦死者も含め、祖国のために戦った彼らの死を悼み、その犠牲に深い感謝を奉げる日として、現在に続いている。数多くの犠牲者が眠るフランダースの丘に咲くケシの花(coquelicot;corn poppy)に思いを馳せて胸に飾られる赤いケシの造花は、休戦記念日の象徴だ。

しかし世界的な記念日とは言え、去年までは私の場合、どこかで貰ったケシの造花を胸につけたりするくらいで、特に何事もなく過ぎていたのだが、今年は違った。幸か不幸か、フランス語のクラス内に現役の軍人がいたためである。オンタリオからケベックに移ってきた若干21歳のZ君は、もちろんカナダ生まれのカナダ人なのだが、フランス語が全然喋れないので私たち移民に混じってフランス語教室に来ている。
その彼が、本日、休戦記念日にちなんだプレゼンテーションをしたのである。第一次、第二次世界大戦時の写真からアフガニスタンでの平和維持活動のヴィデオなどのヴィジュアルから、各戦争における動員兵士数、戦死者数などの数値まで、ふんだんな資料をパワポにまとめてフランス語のキャプションと説明をつけ、自身、カナダ陸軍の戦闘服に身を包んでの熱演である。普段、どちらかというとおとなしめで、身体つきが華奢なせいもあって全然軍人ぽくないZ君なので、今日もなんだか職業軍人のプレゼンというより、借り着の高校生が夏休みの自由研究の発表でもしているような雰囲気ではあったのだが、それでも趣旨は明白。祖国のために戦うことを是とし、犠牲となった兵士たちの勇気と愛国心を称える内容である。そこには微塵の疑いもない。職業軍人なのだから当たり前である。職業軍人が前線で、この戦争は是か非かなんて考えて躊躇っていたら、即刻あの世へ行ってしまう。

がしかし、職業軍人ではない私は彼のプレゼンを聞きながら、居心地悪さに眉間に皺が寄ってしまうのを隠せなかった。なぜなら私にとっては戦争は常に疑問符付き。愛国心も忠誠心も疑問符付き。とてもではないが彼のように、何の疑いも差し挟まず、戦争を、祖国のために戦った兵士たちを称えるようなことはできないからだ。

私にとって正義は常に相対的なものである。神のいない私には、絶対の正義、絶対の善など存在しない。せいぜい「総体的に見てAの方がBよりもやや公正と思われる」とか、「より多くの人の幸福に寄与すると思われる」というくらいで、Aの方が絶対に正しいとか、Bは悪の枢軸!などと決めつけるようなことは、とてもできない。したがって過去のどんな戦争も疑問符付きでしか見られず、連合国側が勝ってよかったね、ターリバーンを掃討できてよかったね、などと単純に喜ぶことはできないのだ。

と言って、私は何よりも平和を尊ぶ平和主義者というわけでもない。人が犠牲になる紛争や戦争などない方がいいに決まっているが、不幸にして人間は大変に愚かである。しかもどうやら“争うこと”は人間の本性の一部のようで、よって小は道端での殴り合いから大は数か国を巻き込む世界戦争まで、この世は争いに事欠かない。

それはわかっているから、私とて軍隊や武器なしに平和を維持できると思っているわけではない。「武力を捨て、戦争のない平和な社会を築きましょう!」というのはきれいごとに過ぎず、武力を持ち出す相手には、こちらも武力で応じるしかない。マシンガンを持った相手に「話せばわかる!」などと言うのは、言うだけ無駄。言ってる間に撃ち殺されるのが関の山で、そもそも話してわかる相手なら、初めから武力など持ち出さない。だから戦争や軍事力による紛争の解決を否定するわけではないのだが、ただその武力による解決は、悪だと承知しつつ執行することが重要だと私は考えている。間違ってもそうすることが絶対的に正しいなどと思ってはならないと思う。武力の行使は必要に迫られ、やむを得ず行うのであって、そうすることが善だからするのではないのだ。人が人を殺す戦争に、正しい戦争、きれいな戦争などあり得ない。ましてフットボールの試合ではあるまいし、これは聖戦、神は我らが側にあるなどと考えるのは論外である。(余談だが、アメリカンフットボールの試合で、それぞれのチームがそれぞれ神に勝利を祈るのを見ると、その滑稽さにいつも吹き出してしまう。米国のチームであるからどちらも同じキリスト教徒のはずで、つまりは同じ神にそれぞれが勝利を祈念しているわけで、祈られた神様の方もどっちを勝たせたものか随分困っているに違いない。まったくもって、やれやれ、である)

忠誠心や愛国心についても同様だ。「愛国心は悪党の最後の拠り所(Patriotism is the last refuge of a scoundrel.)というサミュエル・ジョンソンの言葉を引くまでもなく、愛国心という言葉はその時々の権力者の都合のよいように、さまざまに利用されてきた。昨日の愛国者は今日の非国民、今日の英雄は明日の漢奸だ。それを思えば、疑問符なしにこの言葉を口にすることは、私にはできない。

もっとも、Z君のプレゼンを聞きながらそんなことを考えていたのは私だけだったようで、他のクラスメートは己を犠牲にして祖国を守った兵士たちの愛国心と忠誠心に素直に感動し、その勇気を称賛しているようすで、例の有名な詩「In Flanders Fields」の仏語版には「ロマンチック…」と溜息をつく人もあり。そしてプレゼン終了後、ジョジアンが「カナダ軍兵士に励ましのカードを書きましょう」と提案すると、みな熱心にあれこれと文案を考え、楽しそうにカードを作成。何しろ現代のこととて書いたカードは早速Eメールとなってカナダ軍に送られ、折り返し「Merci」で始まる自動返信が返って来た。

しかしながら私は、そのEメールから名前を抜いて貰った。犠牲となった兵士たちを軽んずる気は毛頭ないし、現在活動している個々の兵士たちに反感を抱いているわけでもないが、だからと言ってその活動を是とし、称賛することは私にはできない。自らの考えるところと異なることが書かれたカードに、名前を載せることは私にはできない。



赤いコクリコ

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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