インド映画『Siddharth』

  • 2015/05/23 10:03
  • Category: 映画
インド映画といえば、ボリウッド映画に代表されるような、この世のものとも思えない絶世の美女が目にも鮮やかな色彩の衣装をまとって登場し、同じくらい美男の相手役と、ちょっとばかりすったもんだのある恋愛劇を、どう見ても庶民の住居とは思えない絢爛豪華な屋敷やマンションを舞台に、2時間~4時間の長丁場で繰り広げ、途中には必ず、あまり筋と関係があるとは思えない歌とダンスの場面が半ば無理やり的に差し挟まれて場を盛り上げ、観客は映画館の薄暗がりでその一連の桃源郷的幻燈をうっとりと眺め、現実の厳しさをしばし忘れる、というのが定番だが、この映画 『Siddharth』 は違う。

まず絶世の美女が出て来ない。美男の相手役も出て来ない。色鮮やかで絢爛豪華な衣装も出て来ない。舞台は、といえば、食べるのがやっとのような庶民が集まった貧しい一画にある一間きりの家。主人公の夫婦はその一間の家で、コンクリートの床に直接薄べりのようなものを敷いて眠るのだ。

男の仕事は、ファスナーやスナップボタンの修理。拡声器を肩にかけ、宣伝しながら街を流して歩き、声を聞いて来た人のカバンや衣服のファスナーなどをその場で直す。月に一度ほどは近所の縫製工場でファスナーつけの請負仕事をするが、2つ合わせてもいくらの稼ぎにもならない。2人の子どもを養うことすら難しく、夫婦は12歳になる上の男の子を親戚の知り合いが経営する遠方の工場に働きに出すことにする。クリケットの上手い、元気で利発な男の子だが、食べていけないとなれば学校は止めて働きに出ざるを得ないのだ。

男の子は工場から「だいじょうぶ、うまくやってるよ。祭りの日には帰るから!」という元気な電話をよこすが、その帰ってくるはずの祭りの日になっても、男の子は帰ってこない。心配した夫婦が口をきいた親戚に事情を知っているかと尋ねると、最初は「帰って来る途中だろう」とか「バスが渋滞で遅れているんだろう。そのうち帰って来るさ」と何の問題もないふりをしていたが、2日経っても、3日経っても帰ってこない息子を心配した父親が必死に問い詰めると、実は男の子は2週間前から行方不明だったと打ち明けた。

工場主は「仕事が嫌で逃げ出した」と言っているが、一緒に働いていた同じ年くらいの少年は「自分の荷物を置いたまま逃げ出す奴なんかいないよ。あの子は攫われたんだよ」と言う。

愕然とする夫婦。どんなに貧しかろうと、年端もいかない息子が行方不明になって平気でいられる親はいない。父親は何とか金を工面して、工場がある街へ息子を探しに行く。そして工場前の屋台の少年の言葉や街の噂など、ほんの少しの手掛かりを頼りに、必死にいなくなった息子を探し歩くが、息子は見つからない。

父親は藁をもつかむ思いで警察へ行き、家出少年たちの保護施設へも行くが、警察では担当の女性警官に「あなたたちは、ちっとも学ばない。12歳の子供を働きに出すからこういうことになるのだ。児童労働が禁止されているのは知っているでしょう? 子供は学校で勉強しているべきなのよ。今の環境から抜け出すためにも、勉強すべきなのよ」と言われるが、生活が苦しく、親子4人が生活していくためには子供が貰うほんのわずかの賃金すら当てにせざるを得なかった父親としては、返す言葉がない。

そんな折、父親は「いなくなった子供は、みんなドングリという街にいる」という噂を聞き込む。ドングリという街はいったいどこにあるのか? 誰に聞いてもそんな街は知らないというし、駅でもバスでも、そんな行先はないという。諦めきれない父親は少しでも情報を得ようと、多くの人が行き交う駅前広場で商売させてくれと、土地の元締めに頼み込む。もちろん上がりの何割かを支払う約束だ。もともと多くもない収入の中からそんなものを払う余裕はないのだが、息子を探したい一心の父親はその取り決めを承諾する。毎日、毎日、客のひとりひとりにドングリという街を知らないかと聞く父親。

そしてある日、客の一人が携帯でドングリという街名を検索し、ムンバイの一角にあると教えてくれた。北のデリーからムンバイまでは遠い。夫婦は虎の子の蓄えを取り崩し、妻のたった一つの装身具を売り、知り合いに借金をし、何とか金を工面して「そこにいるかもしれない」と聞いた街へ出かけていく。

しかしそこでも息子は見つからない。インドで臓器売買や人身売買のために攫われ、行方不明になる子供は年間数十万人ともいわれ、12歳の少年一人など世界はあっという間に呑みこんで、跡形もなく消し去ってしまうのだ。

探しても、探しても息子を見つけることができない父親は疲れ果て、ついには街を行く同じ年頃の少年すべてが息子に見えてくる。見知らぬ少年を息子と勘違いし、抱きしめようとして、その少年の父親から気違いかと乱暴に追い払われる父親。最後、精も根も尽き果てた父親は、息子にとっては祖父に当たる自分自身の父親に、ムンバイの雑貨屋の店先から電話する。「息子がいなくなった。やれることは全部やったが、でも見つけることができない」と。茫々と涙を流しながら電話する父親に、祖父は言うのだ。「家に帰って、残されている妻ともう一人の子供の面倒を見ろ。それがお前にできることだ」と。その日暮らしの貧しい一家は、息子がいなくなったからと言って、何もかも擲って息子探しだけをしているわけにはいかないのだ。日々、食べ、眠り、生きて行かねばならないのだから。

いなくなった息子を探す父親の物語なら、最後には息子が見つかって大団円、ということになるのが相場だろうが、この映画では息子は最後まで見つからない。そして一家はその“見つからない”という現実の中で生きていくのだ。事実、行方不明になった子供が見つかって親元に帰れるケースなど、ほとんどないのだから。

そして、この映画ではいなくなったのは少年だったが、現在、世界で人身売買の対象になっているのは少女/女性の方が圧倒的に多い。インドなど南アジアだけでなく、アフリカ、東欧、南米など“貧しい”といわれる国々では、人間一人が驚くほどの安さ(ある資料では平均90ドル)で、売買されているのだ。その一方で、“豊かな”国々のペットショップでは、犬猫が数百ドルから数千ドルで売買されている。犬猫の値段の方がはるかに高いというのは、いったいどういう世界なんだか。


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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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