そうだ、そうなのだ

  • 2015/10/24 10:39
  • Category:
上野千鶴子さんの『ナショナリズムとジェンダー』がおもしろい。

-歴史とは、「現在における過去の絶えざる再構築」である。-とか
-歴史に「事実 fact」も「真実 truth」もない、ただ特定の視角からの問題化による
再構成された「現実 reality」だけがある-とか、
序文の1ページ目から「そうだ、そうなのだ!」と膝を打ちたくなる言葉が並んでいて
今までぼんやりと考えていたことが、明確な言葉ですっきりと整理されていく楽しさに興奮。

2で論じられる「従軍慰安婦」問題でも
-被害女性の告発に対して、当初、「民族の恥を表に出すな」という
まことに家父長的な抑圧の声が、韓国内でも日本でも起きた-(中略)
ここでは女の「貞操」は、男の財産の一種であり、その財産権の侵害に対しては
日韓両国の家父長制の利害が語られ、女性の人格や尊厳は少しも顧みられなかった。-
という文の後で、「強姦がふたつの家父長制のあいだの闘争のシンボルとして利用されるという
歴史に私たちは事欠かない」として、19世紀のインドで、イギリス人植民者による現地女性の強姦が
民族主義的な憤激と動員のシンボルとして利用された例を挙げている。

だが例を19世紀インドに求めるまでもなく、現在でもまだ多くの国で
強姦された女性は「家」の恥であり、「家」の名誉を守るためにその女性の父や兄弟が
強姦した男ではなく、当の被害女性を殺害することが行われている。
「名誉殺人 honor killing」と称されているのがそれだ。

これなども、上記の文脈で考えれば容易に理解が可能だ。
女性および女性の貞操(この言葉およびそれが意味するところ自体、
噴飯ものの二重基準、腹立たしい限りなのだが)というものが
男/家父長の財産に過ぎないから、自分の名誉が汚されたと思えば
躊躇うことなく処分できるのだ。

先日見たエチオピア映画「Difret」でも、非難されたのは学校帰りの少女を集団で誘拐し、
無理やり妻にしようとした男ではなくて、監禁場所から逃げ出したところを見つかり、
追い詰められた挙句に男を殺してしまった少女の方だった。

まったく世界中どうしてこうもミソジニーと二重基準に溢れているのか
私にはとんと合点がいかない。
そういう世界だということは分かっているが、どうしてそうなのか
ちっともわからない。
だれか明確な言葉と論理で説明してはくれまいか。

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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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