大島渚 3本

  • 2016/03/05 11:45
  • Category: 映画
大島渚のボックスセットが届き、端から見ている。1本目の『悦楽』(’65)はコメディとしか思えなかったが(原作:山田風太郎氏らしいが、50年後の今見るとコトの成り行きが説得力に欠け、ために本来深刻なはずの場面が苦笑というか失笑を誘う)、2本目の『白昼の通り魔』(’66)と、3本目の『日本春歌考』(’67)は、面白かった。少なくとも同じ時代の吉田喜重氏の一連のよろめき映画よりは、ずっと面白かった。

ただ前衛、文芸映画というお約束のせいか、今の映画から見ると多分に観念的で、まるでお勉強のための映画のよう。たとえば『白昼の通り魔』では、主人公の一人が「恋愛は無償の行為です」なんて声高らかに宣言しちゃうし、後半では主役の女2人が、通り魔を含めた3人の関係性について延々議論しちゃうのだ。今時、登場人物たちが真面目くさって、文章語、口語とは距離のある本の中の言葉、書き言葉、で議論するような映画は、まさかない。

そして『日本春歌考』 入試会場から出てくる受験生たち。外は雪。それでも試験が終わった開放感からか、今、彼ら4人の頭の中にあるのは同じ会場にいた氷のように美しい女子高生のことだけ。妄想と観念。街では暗く粛々と進む「紀元節復活反対」の静かなデモ。(’67年、戦前、紀元節だった2月11日が建国記念の日として祝日となった)

夜、引率の先生(なんと伊丹一三時代の伊丹十三が演じている)、同じ学校の女子と共に居酒屋へ行く。先生ともども飲み過ぎて(未成年に飲ませていいのか、伊丹先生?)宿屋に泊まる高校生たち。宿屋でも男の子たちはからかい半分、女の子たちにちょっかいを出そうとするが相手にされない。そしてその夜、先生はガスストーブの不始末により一酸化炭素中毒で死亡してしまう。(伊丹先生、あっという間に退場) 

話は、4人の男子高校生のうちの一人、荒木一郎演じる中村と、小山明子演じる先生の恋人とのあれこれや、受験会場で会った美少女との再会など、男の子たちの妄想も織り交ぜ、幻燈のように続いていくが、その背景に、ギターを手に若者たちがロシア民謡や反戦歌を歌っている“うたごえ集会”らしいイベント、ベトナム戦争反対の募金を呼びかけている大学生たち、冒頭の「紀元節復活反対」のデモなど、白黒の映像の中に当時の世相が次々と映し出され、50年前とわかっていても、確かに知っている“日本”だけに、はるか遠い昔のような気もするし、つい昨日のことのような気もして、不思議な気持ちになる。

そして圧巻は、3人の女子高生のひとり、吉田日出子演じる金田幸子が、どこも見ていない目で歌う『満鉄小唄』。最初に道を歩きながら歌う時にはわからないが、後半彼女は白い韓服を着て現れ、在日であることが暗示される。ほとんどすべての濁音が、半濁音または清音に発音されて歌われる「満鉄小唄」は、朝鮮人娼婦の恨み節。当時まだ20代前半の吉田が、化粧っ気のない顔で無表情に歌うこの歌は、凄絶だ。

ちなみにYouTには、男性がふつうの日本語の発音で歌っているこの歌がいくつかアップされているが、この歌は男が歌ったのでは意味がない。きれいな日本語の発音で歌うのも、だめだ。それでは朝鮮人娼婦たちの悲哀が出てこない。(ただし、朝鮮語を母語とする人たちが、本当に日本語の濁音が発音できないかどうかは別の話だ。この発音の仕方は、日本人が考える朝鮮人風の発音と見るべきではあるだろう) 誰か吉田が作中で歌っている「満鉄小唄」をアップしてくれないかな。
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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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