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「眠られる」

  • 2017/10/16 21:21
  • Category: 言葉
先日、岡本綺堂の『三浦老人昔話』を聞いていたら
老人が語る言葉の中に「その当時、よく眠られない癖がつきまして・・・」
という言い回しが出てきて、「おや・・・」と少し耳にひっかかった。

岡本綺堂さんという作家は、明治末から大正、昭和初期にかけて活躍された作家だから
当然、言い回しは古い。
私が好んで聞いている彼の代表作のひとつ『半七捕物帳』にも、
今ではもう使われない言葉や、今とは違う使い方をする言葉が結構出てくる。
古いとは言っても、たかだか100年くらい前でしかないから
平安時代のお話のように意味がわからないようなことはないが、
「へえ、昔はこういう言い方をしたんだ」と思いながら聞いていると、
祖父の時代にタイムスリップしたような気がして、なかなか面白い。

で、その「眠られない」だが、私はふつうこうは言わない。
動詞「眠る」を可能のかたちで言いたい時は、「眠れる」
それを否定の形にしたい時は「眠れない」で、「眠“ら”れない」とは言わない。

国文法のサイトなどを見ると、「読める」とか「話せる」など
「~できる」(可能)という意味を表す可能動詞は
元の五段活用の動詞「読む」「話す」の未然形に、可能の助動詞「れる」がついて
「読む→読まれる」「話す→話される」となったのが、
のち転じて「読める」「話せる」となったもので、
したがって、それぞれの可能動詞には、それに対応する五段活用の動詞がある
のだそうである。
(逆に言えば、元の動詞が五段活用でない場合は、未然形に「れる」をつけるのは間違いで
だから上一段活用の動詞「着る」の可能動詞は「着られる」。「着れる」とするのは誤りと
なっている)

つまり現代の国文法では、「眠る」(ら行五段活用)の可能動詞は「眠れる」でよい、
ということになるが、しかし明治、大正時代は「眠られる」と言っていたのかと思うと
昭和人間の私が、さらりと「眠れる」などと言ってのけるのは、
明治の人間から見ると、忌まわしき「ら抜き言葉」に聞こえるのかしらん、とも思えて
なかなか面白い。

私は言葉遣いに関しては保守的で、自分で書いたり話したりする時は
新しい言い方よりも古い言い方、いかにも当世風な流行の表現よりも昔ながらの言い回し
の方を好むが、といって別に今の人たちの言葉遣い、話し方を一概に否定する気もない。
ら抜きの「着れる」「食べれる」が多数派に転じたのなら、それはそれで結構。
声高に「それは間違いだ!」と主張する気はない。
「歌は世に連れ・・・」ではないが、言葉だって世に連れ、人に連れ、変化していくのである。
文法学者が何と言おうと、言葉の世界では多数派が常に正しい。
大多数の人たちが使う使い方、そうと考えている意味が
今のその語の使い方、その語の意味なのである。
昔から言葉はそうやって変化してきたのだから。
その変化を止めようとしたり、逆行させようとしたりするのは無駄な努力。
川は海に向かって流れるし、雪崩は上から下に落ちてくる。
まあもっとも私自身は、死ぬまで「着れる」とは言わないと思うけれど。
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Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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