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「おかえりなさい」

  • 2018/08/10 00:44
  • Category: 日本
そう言えば、もうひとつ。水林さんは「おかえりなさい」についても書いている。成田の、あの入国審査から手荷物受取所に至る途中に掲げられている、大きな「おかえりなさい」の看板のことだ。

過去20数年、私はあの看板を見るたびに、微妙な居心地の悪さに唇が引き攣れるのを、止めることが出来ないで来た。その微妙な居心地の悪さは、その間の私の日本行きが常に出張か、あるいは万やむを得ない家族の事情かによるもので、自ら好んで、楽しみのために行ったことはほとんどなかったこと、またそうして日本の土を踏んだところで、早ければ3日後、遅くとも2週間後には、また同じ成田に舞い戻って、異国にある自分の家(home)に帰って行くことがわかりきっていたこと、つまりは真に「おかえりなさい」の状況にあったわけではないという背景が引き起こしたのかもしれないが、しかしそれだけではない。私はたぶんこの看板に、水林さんが指摘する排他性を感じていたのだ。

入国審査から手荷物受取所に至る過程は、“外”から“内”への過程である。外国から日本へ入国する者たちは、この通路で「おかえりなさい」と「Welcome to Japan」の看板に迎えられる。アルファベットで書かれた「Welcome to Japan」の看板とは異なり、ひらがなで書かれた「おかえりなさい」は、日本人と(入国者全体の割合から見れば少数の)日本語学習者しか読むことができない。そして「おかえりなさい」という語が持つ性格上、日本語学習者(=非日本人)は、たとえその語を読むことができ、意味がわかったとしても、その語の対象とはなり得ないから、この「おかえりなさい」はひとり日本人にのみ向けられており、無言の圧力で「今、この語を見ているあなたは、日本人だ。あなたの祖国は、ここだ。あなたはこの国の一員なのだ」と、こちらに迫って来る。「おかえりなさい」という言葉は、一見あたたかく、やわらかく、やさしいが、こちらを包み込み、集団の中に絡め捕ろうとする力は、相当に強い。

私が無意識に感じ、嫌ったのは、これだ。国家による帰属意識の強要。傍目には成田は単なる空港で、飛行機に乗ったり、降りたりするための場所、どこかへ行くために利用する交通機関がある場所にすぎないが、しかし実のところ、ここは政府の管理下にある場所だ。空港公団から空港株式会社に変わり、民営化されたとは言っても、その株式のすべては政府により保有されている。だからあの建物は政府の建物。その建物の壁に掲げられている看板は、政府の看板だ。私は国から「おかえりなさい」という親密な言葉を、かけられたくない。

「おかえりなさい」という言葉そのものが、嫌なわけではない。フランス語圏に住み、英・日語で用を足す毎日であっても、雪だるまが出かける時にはなぜか日本語で「いってらしゃい」と言うし、帰ってくればこれまた日本語で「おかえりー」と言う。雪だるまも(気が向けば)同様に日本語で私に言う。この場合、“微妙な居心地の悪さ”など微塵も感じない。雪だるまと私の生活は、私的領域だ。そこでの「おかえりなさい」は、親しい者同士の私的な挨拶に過ぎない。

しかし国に言われるとなれば、話は別だ。それは私的な挨拶ではなく、公的な帰属の確認。公が、官がわたしの私的領域に入り込み、主人顔をして私に帰属を問うているのだ。

私は日本で日本人の両親から生まれ、日本で育ち、母語は日本語で、日本の文化、伝統、慣習は、それと意識できないほど、身体に精神に染みついている。今後、国籍を変えることがあったとしても、私は文化的には日本人でしかありえない。しかしそれでも、国に「日本人であること」を強要されるのは嫌だ。だから成田の「おかえりなさい」が嫌いなのだ。
これが成田という内と外を区別する場所、日本と非日本を区別する場所ではなく、たとえば地方都市の駅、関東圏で言うなら水戸、宇都宮、高崎などの駅に掲げられているのだったら、私は気軽に(たとえそこに家はなくとも)「はい、はい、ただいま」と呟くだろうし、あるいはもっと卑近に、かつて実家があった北関東の小さな町、私が生まれ育ったちっぽけな田舎町の、古びた駅舎の改札口あたりに、小さく「おかえりなさい」とあるのだったら、私はそれを見た瞬間、不覚にも目に涙を浮かべるかもしれないが、成田ではだめだ。国から言われるのではだめだ。ちらと看板を見やり、唇を引き結んで通り過ぎることしかできない。
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ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、米朝、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
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