人形 ヒトガタ

  • 2009/10/07 17:20
  • Category: 道楽
道楽関連の話だが、内容的にこちらのサイトの方が合っているように思うので、こちらに書く。


意固地ブログの方も読んでくださっている方はご存知のとおり、私は1年程前から種々の人形を買い込んでは、いろいろなことをさせて遊んでいるのだが、最近買った1体の人形には「へえ!」と鳩マメ(=鳩が豆鉄砲を食ったよう)で、びっくりした。


この人形、ビクター・ドレ−リー(Viktor Dreary)君という名前の男の子人形で、トナー社という人形業界では有名な米国の会社の製品なのだが、箱を開けてびっくり。なんとドールスタンドにあるべき座部がない。下の円盤とそこから垂直に伸びる金属の棒はあるのだが、棒の上部に座部がついていないのだ。

* ドールになじみのない方のために付け加えると、ドールスタンドは文字通り人形を立たせておくための補助具で、形状は大きく分けて2つ。人形のウエストあたりで支えるべく半円型のアームがついたタイプと、座部つきの棒を人形の脚の間に差し込み、胴体下部を乗せて支えるタイプだ。(このタイプはフランス人形のような大きく膨らんだロングスカートをはいたドールに使うと、スタンドが見えなくて見場がよい)

私は即座に「ははあ、これは不良品だな。工場の出荷検査で見過ごしたんだろう」と思い、「でもまあ、ドールスタンドはもう腐るほどあるからいいや」と気楽に考えて、売り手にも「人形無事受領。スタンドに座部がないが、どちらにしてもスタンドは要らないので問題なし。Thanks」というメールを送った。
するとほどなく返信がきて「それは大変すまなかった。しかしもしかしたら座部はない仕様では?ビクターに直接棒を挿して支えるようになってはいないか?」と書いてあった。

 私は目を疑った。人形歴はさほど長くないとは言え、私はこの1年間さまざまなメーカーの人形を買っている。ビクターと同じトナー社の人形も何体か買っている。しかしいまだかつて人形の身体に直接金属の棒を挿して支えるような仕様のドールスタンドにお目にかかったことはない。だって人形の身体に棒を挿す?(私の感覚ではむしろ“刺す”) いくら人形でも、それはありえんだろう? 焼き鳥じゃあるまいし、愛玩用の人形の身体に平気で棒を突き刺せますかいな? おいおい勘弁してくれよ、と思ったのである。


でもまあ一応、売り手の疑問に答えるべく人形の体と着ている衣服を調べてみたが、股の部分に棒を挿す穴は見当たらない。「そりゃあ、そうだよ」と私は思い「穴はないですし、それに私は何体もの人形を保有しておりますが、いまだかつてそのような仕様のドールスタンドを見たことはありません。でも先程も書きましたとおりスタンドはどうでもいいので問題ありません」と返信した。そして雪だるまにも、「そーんな、人形に直接棒を挿して支えるようなスタンド、あるわけないじゃないねえ?」とえらそーに語った。


しかし2日後、服を作るべくビクターを真っ裸にした私は、白昼のまぶしい光の中で、ビクターの脚の間に直径4ミリほどの穴が開いていることを発見! 「へ?」と、まこと一瞬手の動きが止まったほど、びっくりした。「ま、まさか」と彼の服をもう1度調べると、夜の照明のもとでは気づかなかったが、服の股にも下着の股にも、かすかだが穴が開いている。「があああん、ほんとに棒を挿して支えるスタンドだったんだあ・・・」と青ざめた。
 即座に売り手にメールを送り、「ごめん、私が間違っていた」と謝った。翌日「気にせんでよろし」という返信を貰ったが、それにしても何なんだこのスタンドは?


日本人の感覚としては、(さまざまな面で相当無神経なわたしですら)人形の体に直接金属の棒を挿して立たせるなんて、残酷というか何というか、人形の腕を切り落としたり、顔をめちゃくちゃにするのと同様“やってはいけないこと”のような気がするのだが、西洋人にはそういう感覚はないのか? ある人形友だち(日本人)は、同じ仕様のドールを持っているが「最初見たとき、絶句した」と言っている。(で彼女はそれがいやで他社のアーム型のスタンドを使っている) 日本人の感覚としては、そう感じる人が大部分だろうと思う。


然るに天下のトナー社も、ビクターの売り手も、ウチの雪だるまも、つまり乱暴に引っ括れば西洋人は誰も、それを気にしない。人形に何の関心のない雪だるまに到っては「だって人形は感じないでしょう?」と「我ガ妻ハ、イッタイ何ヲ言ッテイルノダ?」状態だ。それはそうだ。確かに人形は感じない。しかしここで問題なのは人形が感じるか感じないかではなく、人形と遊ぶ人間の側が感じるか感じないかなのだ。


人形はヒトガタだ。祭礼では人間の代わりだ。現代の人形はプラスチック製の工業品に過ぎないと頭ではわかっている私でも、壊れた人形を『ごみ』として捨てることには抵抗がある。まさか祟られるとは思わないが、『ごみ』扱いでは忍びないように思うのだ。日本人は意識するしないに関らず、人形には魂が宿っているという感覚を持っているのではないか。だからこそ『人形供養』なんて儀式があり、『人形供養』で検索すれば、10万件以上ヒットする。そこに名を連ねる寺と神社の数! 一部サイトの説明によると人形供養は人形から魂を抜き、物に返す儀式だそうで、つまり供養する前は人形には魂が宿っているという前提。


西洋のホラー映画にも、人形が口を利き悪事を為すというのはあるが、だからって人形供養をする教会は、まさかない。なぜなら、この場合人形に宿っているのは悪霊であって魂ではないから。キリスト教では魂があるのは人間だけであり、動物ですら生命はあっても魂はない。ましてモノにすぎない人形に魂があるなんて考え方は、天地がひっくり返っても思いつかないだろう。それゆえの突き刺し型スタンド?


子供時代のゴータマ・シッダールタのような顔立ちのビクター君をながめつつ、私は上記のようなことを考えている。





   ↑ ゴータマ・シッダールタ・ビクター君
     着ているのは、本来の衣装ではありません。
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Amei

私の経験。パミール高原をバスで移動中に、トイレ休憩。何にも無いのでその辺でするわけですが、男性(西洋人数名+中国人1名(←夫))が全員、草原を縫って流れる美しいせせらぎに放尿を始めたので、頭を殴られたようなショックを受けました。向こうは「水洗」の感覚なのだろうが、ワタシ的には小川や泉に小用はありえない。神様に怒られます。
経験その2。カナダ人(白人)の知人が、香港の道ばたに並ぶ藁しべでふんじばられてレンガのように積まれている上海蟹を見て、looks so painful...と、ほんとに辛そうに言った。思っても見なかったので驚きました。
  • URL
  • 2009/10/07 19:10
  • Edit

loutra

うーん、私も小川に放尿はありえないなあ。
だって実際問題、下流でだれかがその水で洗濯したり、煮炊きしたりしてるかもしれないわけで、そりゃあ尿そのものは(病気にかかってない限り)無菌=きれいだとわかっていても、抵抗あります。草原にいるなら、草原でしてくれよ、肥料にもなるしさ、です。
蟹については、ま、気持ちわからなくもない。蟹さんは一応、生き物ですからね。食っちゃうにしても。ウチの雪だるまも、腹に香草を詰められて焼かれた魚を見て「かわいそう」と言いました。
  • URL
  • 2009/10/08 17:00
  • Edit

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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