レニ

  • 2011/01/07 17:04
  • Category: 映画
昨日は腕時計を忘れ、昼休みのお出かけには机の上に置いている小型目覚まし時計をバッグに入れて携行。折々にバッグから目覚ましを出して、時間を確かめている図は我ながらおかしい。


さて先日の続き、レニの映画だが、この映画の中でレニは「政治と芸術は、2つの異なるもの」という意味のことを言い、芸術は芸術、政治は政治だ。2つは別々に考えるべきだと言っているけれど、これは難しいのではないか。政治状況というのはその“時代”の一部であり、芸術分野、作品によって影響の多寡はあるにせよ、“時代”とまったく無縁に創作活動を行うのはけっこう困難だと思う。


まあたとえば今の日本のような政治がほとんど力を持たない状況下であれば、政治に影響を与えない、政治から影響を受けない創作活動は可能だろうが、いかんせんレニが張り切って創作活動に励んでいたのは、政治の力が滅法強かった時代だ。感性鋭い芸術家が影響を受けないわけはないし、プロパガンダに熱心な政治家が、その鋭い感性を自己の利益のため利用しないわけがない。


それに検閲という問題もある。それが保身のため自分に都合の悪い創作活動者/物を取り締まるものであれ、あるいは高邁な理想に燃えるあまり、自身が“低劣にして公序良俗を乱す”と判断した創作活動者/物を取り締まるものであれ、古来為政者は下々の民による表現活動を野放しにしたりはしなかった。為政者(政治)はいつだって、芸術に干渉してきたのだ。

政治に利用されるにせよ、政治に取り締まられるにせよ、創作活動が政治から自由になるのは難しい。人の目の届かない辺境で、誰にも注目されずにたった一人で制作に励み、生み出した作品を発表しないのならともかく、作品を発表したり、その結果多少は人に知られるようになったりすれば、時の政治と関係なく創作活動を行えるはずなんかないと私は思う。


レニがナチを称揚することを意図したかどうかは別として、『意思の勝利』の映像は素晴らしく見るものを高揚させ、「もしかしたら祖国ドイツを救うのはナチスかも!」と思わせるだけの力があるのは本当だ。よく偶然、犯罪や事故にまきこまれてしまったひとのことを“in the wrong place at the wrong time”、まずい時にまずい場所にいたのが運の尽き、みたいな言い方をするが、レニの場合も当てはまりそうだ。溢れんばかりの才能を持って、あの時のドイツに生きたのが身の不運。フランスにでも生まれてド・ゴールあたりのドキュメンタリーでも撮ってれば、同じ戦意高揚映画でも生涯弾劾され続けるようなことはなかったろうに。

あるいはあの時代のドイツに生きたとしても、才能がなければ『意志の勝利』は駄作に終わり、鼻も引っ掛けられない代わり、ナチス称揚映画として戦後囂々たる非難を浴びることもなかったろう。才能があるのも良し悪し?
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