25,000人

カナダは今年末までに、25,000人のシリア難民を受け入れる計画だそうだ。聞いた時は「そうか」と思っただけだったのだが、よく考えたらもうあと1週間で11月も終わる。今年末までというと、実質1か月くらいしかないのだった。実際に難民受け入れに当たる担当職員たちは、クリスマスどころか眠る間もないほど忙しいのではあるまいか。

もっとも、リベラル新政権が打ち出したこの難民受け入れ計画に、カナダ国民がもろ手を上げて賛成しているわけではない。IPSOSの世論調査によると、全国平均で60%の人がこの計画に反対だそうだ。いちばん反対者が多いのはアルバータで、反対70%、賛成30%。次はサスカチュワン/マニトバの反対66%、賛成34%。わがケベックは反対62%、賛成38%。以下、ブリティッシュ・コロンビア:反対60%、賛成40%、大西洋州:反対57%、賛成43%、オンタリオ:反対56%、賛成44%。いずれにしても、過半数以上の人が難民受け入れに懸念を示しているということ。

人々が心配しているのは、もちろん治安、安全の問題だ。政府は受け入れに際してはスクリーニングをすると言っているけれど、戦火の現場で、いったいどの程度のスクリーニングができるというのか。スクリーニングをかいくぐり、難民を装ってテロリストがカナダに入って来るのではないか? あるいはまた、受け入れた難民の中からテロリストが生まれ、将来カナダの社会に脅威を与えるのではないか、と。今回のパリ同時テロの首謀者(?)がベルギー生まれだったことを考えれば、懸念はあながち的外れでもないのだろうが、しかしそういう疑いの視線自体がテロリストを生むとも言えるわけで。それに、難民を受け入れなければ現在も将来も安全が保障されるのかといえば、そういうわけでもあるまい。そもそもイスラム教徒でもなければアラブ系ですらなかった、オンタリオ出身の赤毛の若者がISに参加するためにシリアに行き、プロパガンダヴィデオに登場したりしているのである。こちらから行くくらいなのだから、向こうからだって来るさ。いまさら鎖国なんかできるわけないし。

そして次の問題は費用。生活保障や医療その他、難民を受け入れれば費用がかかる。政府がやるのだから、使われるのは当然税金だ。他国からの難民に使う金があるなら、自国民の社会保障や福祉をもう少し何とかしろという意見に同調する人は多いだろう。だが私が読んだ新聞記事が正しければ、カナダに来て1年目の難民一人に支給される金額は、高齢者に支給される年金よりも少ない月800ドル程度だそうで、しかも難民がカナダへ来るためにかかった渡航費用は、後で政府に利子つきで返済しなければならないのだそうである。このため難民たちは、当初から何千ドルもの借金を背負うことになり、これがカナダでの生活基盤を確立する上で大きな足かせになっているのだそうだ。カナダに来れば安全で豊かな生活が待っている、というわけではないのである。

移民で成り立っている国とはいえ、移民は難民ではない。大部分のカナダ人にとって、シリアの状況は“明日は我が身”でないところが、一番の問題なのかもしれない。

10年の歳月

今日は最高気温17℃と、この時期には珍しく春のように暖かかったので、午後サイクリングに出かけた。明後日以降はまた-1℃~8℃といった気温に戻るという予報なので、自転車で遠乗りができるのも、たぶんこれが最後と思ったせいもある。

出かけたのは私のお気に入り、南に広がる農業地帯。実はここ何日かちょっと気になっていることがあって、それを確かめたくて南の農道に出たのである。

10年前の2005年の夏、私と雪だるまは夏休みにこの町に来ていた。夏休みが3~4週間もある雪だるまとは違い、私の休みは1週間ほどしかなかったのだが、それでもフランスの自転車を借りて、毎日あちこち走り回っていた。で、ある朝、南の農道をどんどん進んでいったら、牛がたくさん放牧されている牧場があった。夏の朝の光の中で、のんびりと草を食む牛たちのようすは長閑そのもので、私は自転車を停めてしばらく牛を眺めた。

それから6年経って私はこの町に住むようになり、今度は自分の自転車であちこち走り回るようになったが、ふと気が付くと、いくら南の農道を先へ先へと進んでも、あの牛がたくさんいた牧場にたどり着かない。10年前の出発点、お義父さんの家は町の西の端、今わたしが住んでいる家は町の東の端で、だから10年前とは真逆の方向から農業地帯に入っているのではあるけれど、それにしても、もし今でも牛がいるならあんなに大きな牧場を見落とすはずはない。

で今日は、まず10年前に撮った写真をじっくりと見て、サイロや牛舎の形を覚え込んでから出かけた。ただし何しろ10年経っているのだから、サイロや牛舎がそのままの形で残っているという保証はない。当時ですら余り新しくは見えなかったのだから、すでに建て直されているかもしれないし、あるいは取り壊されて跡形もなくなっているかもしれない。どこでも農業経営は大変なのか、去年は羊や山羊を放牧していた農場も、今年行ってみたらすでに動物は一頭もおらず、柵の前に「売地」の看板が立っていたこともあった。

さて、10年前の写真では、教会の尖塔のようにそびえ立つ2棟のサイロが、遠目にも目立つ牧場なのだが、住宅地から農業地帯に入るあたりで見回しても、それらしきサイロは見えない。「やっぱり、もうなくなってしまったのかなあ」という思いが頭をよぎる。
それでも起伏のある土地のこと、もしかしたら丘の陰になっているのかもしれない。第一、お義父さんの家から走った時も、けっこう遠かった記憶がある。もうしばらく走ってみよう、と農道をさらに南に進んだ。すでに11月。農道の両脇の飼料用トウモロコシ畑はとっくに刈り取りが終わり、薄茶色の切り株だけが延々広がっている。寂寥感、ひしひし。

きこきこ自転車を走らせながら、両脇の景色を確かめる。出かける前に、10年前、牧場に至る道々で撮った写真も見たが、遠くの丘の描線は変わらなくても、木や納屋の様子は変わっているので、あの写真の景色はここだ!という風景にはなかなか出会わない。せいぜい「ここかなあ。なんとなく似てるなあ」という程度。

それでも20分ばかり走ってみたら、前方左手の木々の陰に何やらそれらしきサイロの先っぽが、ぼんやり見えてきた。「お、あれかも!」と思って急ぎ近付くと、果たして出発前に写真で確認した通り、先端が赤と白のチェック柄になったサイロ。写真よりはだいぶ古びた感じだが、まだしっかりと立っている。その横の大型牛舎も健在。
ただし、この時間ならまだ放牧されているはずの牛は、一頭もいなかった。
どこかほかへ移された可能性もなくはないが、よく見ればサイロもだいぶ傷んで、しかも使われている感じがない。人の姿も見えない。音もしない。
どうやら、やはり10年の間に、牧場は廃業されてしまったようである。ケベックで最も最初に電化された町のひとつとして、昔は数々の工場があったこの町も、今ではほとんどの工場が閉鎖あるいは移転された。若者の人口は減り、高齢者ばかりが増えている。農業も例外ではないのだろう。しんどい割に儲かる仕事でもないし。

しばらく空っぽの放牧地を眺めてから、またきこきこ自転車を走らせて帰途に就いた。帰りは上り坂なので、けっこう苦しい。途中、馬が2頭、のんびり草を食んでいる小さい牧場があった。私が自転車を停めると、やや大きい方の馬がゆっくりと寄って来た。柵の端まで来て、じいっとこちらを見ている。柵と道の間には小さい堀があるので、触れるほどには近づけないが、目の色が見えるほどには近い。馬の目は薄い灰青だった。そのうちやや小さい方の馬も近付いてきた。こちらの目は茶色。やはりこちらをじいっとみていたが、そのうち飽きたのか大きい方の馬の腹の下に首を入れて、くちゅくちゅ音をたてはじめた。どうやら母子だったらしい。「親とほとんど同じ大きさのくせして、まだ乳を飲むのか?」と思ったが、馬の年齢は私には皆目見当がつかないので、あれはああ見えてもまだ仔馬なのかもしれない。そのうち馬の母子はゆっくり離れて行った。エサもくれなければ遊んでもくれないこちらに、関心を失ったのだろう。私もまだ自転車に乗って、家に向かった。カメラを持っていなかったので、馬の母子の写真は撮れなかった。南の農道に来られるのは、今年はたぶんこれが最後。あの農家が馬を飼うのを止めていなければ、来年の夏また会えるだろうが、人の家の事情はわからない。羊たち同様、来年は消えているかもしれない。


10年前の牛たち。遠くに点々と見えるのも牛

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土曜日、天気がよかったので、また散歩に行った。
この前と、ほぼ同じコース。

歩いたのは、こんなところ

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こうして写真で見ると、人里離れた深い林のように見えるが
それは私が写真を撮る方向を選んでいるからで、
実は周りにはアパートや工場、事務所があったりする。
何しろこの林、“Boulevard Industriel”に面しているもので

それでも、どんどん、どんどん奥へ入り
隣の村との境の方へ30分以上歩いていけば、人家はなくなる

途中でキノコを見つけた
なかなか気持ちの悪い形状

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クロスカントリースキーコースの看板

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2番目の“L'érablière”(楓林)の方へ歩いてみたのだけれど
途中まで行ったら道が水没していて、それ以上進めなくなった
けっこう深そう
この先へ行きたければ、長靴を履いてくるか
あるいは雪がみっしり積もる頃まで待つしかない

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ところで、先日木々が伐採された裏の林
月曜からアパート建設の工事が始まった
パワーショベルやらダンプやらが入って、
地鳴りのような振動が、ウチにまで伝わってくる
基礎を打つために地面を掘り返しているようで
そうなるとウチの林の木々の根も傷むだろうなあと思うと
泣きたい気持ちになるが、どうしようもない

先日、アニメ『Astérix: Le domaine des dieux』を見たのだが
その中に一晩で大木になる魔法のどんぐりが出て来て
私と雪だるまは二人して「あれ、ほしーい!」と叫んだのだった。
このどんぐりさえあれば、裸になった裏の林を一晩で元に戻せる!
(楓林がオーク林に変わってしまうが、ま、贅沢は言うまい)

そういえばアニメ自体も、ローマ軍がアステリックスたちの村のすぐそばに
豪華アパートの建設を計画。森の木を伐り始めたので
アステリックスたちが魔法のどんぐりを使って計画を阻止!という話だった。

ウチの裏の林もそうできればいいのだけれど、
いかんせん魔法のどんぐりは手元になし。
せいぜい残った木々を大事にして、大きくするしかなさそうだ。




圧勝

選挙は自由党が圧勝した。
選挙前たった34議席だったのを150議席も増やして
過半数以上の184議席にしたのだから、大躍進である。
その分、保守党は166→99、新民主党は103→44と、どちらも大幅に減らした。

よって次の首相はジャスティン・トルドー氏。
素晴らしくキレる政治家だったお父上とは異なり、
なんだかアイドル歌手みたいなお名前とお顔立ちで、
メディアでもよくからかいの対象になっているけれど
雪だるまたちに言わせると「ハーパーより悪いってことはないだろ」

それにしても当選政党別に色分けされたカナダの地図を見ると
地域差が実にくっきりと出ていて、おもしろい。
ものすごく大雑把に分けると、東は赤(左)で、西は青(右)。
コピペがうまくいかなかったので、詳しくはこちらをご覧ください。
ちなみにウチの町は、まっかっかです。

CBCニュースのサイト 

ところで、今日ジムで、頭をピンクのフードでぴったり覆い、
上はお尻を覆う丈のTシャツの上に長袖のパーカ、
下は足首までのレギンスにシューズと、
全身をくまなく衣服で覆った女の子を見かけた。
ジムには暖房が入っているし、第一運動していると暑くなるから、
だいたいみんな冬でも半袖Tシャツやタンクトップにショーツで
動き回っていることが多いのに、その子は上も下も重ね着。
肌の露出にためらいを感じる70代、80代ならともかく
身体つきや服の色合いから見て明らかに20代と思われる女の子が、
全身をくまなく覆った服装をしているのに注意を引かれた。

私は遠くから後姿を見ていたのだが、その髪を見せないフードの被り方といい、
極力肌を露出しない服装といい、これはとうとう我がジムにもモスレムの女の子が入ったか!
と思って雪だるまに、「ねえねえ、あのカウンターのところにいる子、
モスレムの子かなあ?」と言ったら、そちらをちらり見た雪だるま、
あっさり「何言ってるの、あれはジェシカだよ」と一言。

私は後姿しか見ていなかったのでわからなかったのだが、
どうやらウチのジムで働いているジェシカ(正真正銘のケベッコワ)が、
外を走るために重装備していたらしい。
事実、彼女はその後、ぱたぱたと曇天の屋外に出て行った。

いやはや、早合点。
先日ニュースで、モスレムの女の子のスカーフ着用を巡る問題について
あれこれ言っていたので、つい連想がそっちに行ってしまった。
よくよく考えてみれば、モスレムの女の子が運動したいと思ったら
(その出身国にもよるが)たぶんウチのような男女混合のジムではなく
女性のみを対象としたジムか、あるいはコースを選ぶのではないか。
事実、元クラスメートのファラやマラック(共にモスレム)は、
一時「運動したい」と言ってダウンタウンのジムでズンバのクラスに参加していた。
インストラクターも女性なら、参加者も女性だけで、
だからあれこれ気を遣わなくてもよくて楽だったそうである。

スカーフも被らなければ半袖も平気で着るファラ(モロッコ出身)に比べ
マラック(パレスチナ出身)は、男性がいるところでは真夏でも長袖、長ズボン、
頭にはスカーフだったから、女性だけのクラスでなかったら
運動などできたものではなかっただろう。

カナダに来たんだからカナダの習慣に従えばいいだろうと言う人もいるが、
モスレム女性は同じモスレムの男性としか結婚できないから
とどのつまり家族は全員モスレムなわけで、ついでにカナダにいようがどこにいようが
親戚(当然みんなモスレム)や友人知人(だいたいみんなモスレム)もいるわけで、
異国に来たからと言って、即、自分が属するコミュニティから逃れられるわけではないのだ。
スカーフを取れ、という人たちは、その辺を簡単に考えすぎていると思う。

投票日

本日、カナダ連邦議会選挙の投票日
雪だるまはもちろん、ふだん選挙、ことに州や町ならともかく
連邦の選挙なんか無視しまくりのジェリーですら、今回は投票に行った。
理由はただひとつ、ハーパー氏を追い出したいから、である。

話の様子では二人とも自由党に入れたようだが、
それは別に自由党の政策を支持しているからではなくて
保守党を勝たせないため、反対政党の中で勝ち目がありそうなところに入れた
ということらしい。

当選挙区の場合、6名が立候補しているが、
そのうち中道左派は自由党と新民主党。
左の雪だるま兄弟としてはどちらに投票してもいいようなものなのだが、
左派の票が2つに割れることで、保守党に漁夫の利を攫われてはいかん!
ということで、汚職収賄その他もろもろには目をつぶって、
より勝ち目のありそうな自由党に1票なのだそうだ。

カナダ市民権を持たない私は投票権はないので、ただ傍観。
さっきネットで開票速報をチェックしたところでは、当選挙区の得票率は
自由党が40%、新民主党が21%、ブロック・ケベッコワが19%。
まだ開票率が16%でしかないので、今後逆転とかあるかもしれないが
すくなくとも当選挙区では保守党はトップ3に顔を出していない。
全国的にも自由党がリードしているようだが、
全部の結果が出るのは今夜半くらいらしいので、まだ安心はできない。

余談だが、ウチの町の候補者の中には、“カナダ・マルクス・レーニン主義者党”
(Marxist–Leninist Party of Canada)の人がいたそうで
雪だるまは、「そんな党があるなんて、今の今まで知らなかった!」と言って
けたけた笑っていた。
新聞でもネットでも、他の5名の候補者についてはいろいろ書かれていたが
このマルクス・レーニン主義者党の候補者については、一言も言及がなかったそうで
可哀そうに、余りに弱小すぎて、メディアにハナも引っかけてもらえなかったのだろうか。
まあなあ、今時“マルクス・レーニン主義”を標榜するのは、いささかアナクロが過ぎるかもなあ。

防寒対策

なんと、もう雪が降った。
朝起きたら、生垣の上や庭の芝の上にうっすらと白いものが積もっていて、びっくり。
「ひゃー、いくら何でも早すぎないか?」と思ったが
天気予報も「氷雨または雪」で、現実を裏書き。
まだ紅葉も散りきらないというのに、なんてえこったい、という感じである。

もっとも今季、わたくし自身の防寒対策は完璧。
零下30度の真冬に向かい、準備万端整えて間然するところなし。
ヴィク(またはガールスカウト)同様、標語は“備えよ、常に”である。

まず、早朝自転車で病院に行って耳が凍りそうな思いをした翌々日だったかに、イヤーマフを買った。
選んだのはフェイクファーのボンボンをカチューシャでつないだような伝統的なやつ。

このタイプですね

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最近よく見かけるこのタイプ(↓)は、私の頭には今ひとつフィットせず、
ずるずる落ちて来てしまうので却下。


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ボンボンマフ、自転車でジムに行く時にはいつも付けているが、
5ドルというお手頃値段だった割りにはなかなか快適である。
使用に当たっては、まず毛糸の帽子をかぶり、次にボンボンマフで耳を覆い、
最後にパーカのフードを被れば完璧。
0度近い日でも、少なくとも耳だけはぬくぬくである。

その次、真冬の散歩用に今年はとうとう、当地で“pantalons de neige(スノーパンツ)”と呼ばれている物も買った。
これは普通のパンツの上に重ねて履く防寒パンツで、ナイロンの表地にフリースの裏地がついた薄手のものから、
ダウンジャケット並みにもこもこの中綿が入ったものまで、用途と好みに合わせて各種ある。
お値段も20ドル程度から200ドル超まで、それこそピンキリ。
私は散歩する時に履くつもりなので、あまり厚手では動きにくいし、
第一歩いているうちに暑くなるので、フリースの裏が付いているだけの薄手のものを選んだ。
Sを選んだにもかかわらず丈がちょっと長過ぎだが、足首に紐が付いて絞れるようになっているので、
雪道で裾を踏んでひっくり返ることはないと思う。
これはまだ試していないが、部屋で履いてみた感じでは、薄手でも結構暖かくてにんまり。

そして最後、室内用のもこもこブーツも買った。
昨年、室内履きをキルティングタイプのに替えたら、それまで冬場履いていたモカシンタイプの室内履きに比べ
格段に暖かかったので、味をしめて今年はもう一段防寒度の高いブーツタイプを購入。
私は血行が悪いのか、冬場、身体は暖かくても、足首のあたりだけツーンと冷たくなってしまうことが多い。
今まではレッグウォーマーを履いたり、膝掛で足首を覆ったりしていたが、今年の冬はブーツで解決!である。


もこもこー

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それにしても寒いのが大嫌いで、だからこそ中国留学にあたっても北京でも上海でもなく広州を選んだ私が、
何の因果で零下30度にもなるカナダくんだりまで来てしまったのか、考えるとよくわからない。

モントリオール/アンジェリーク

この地に長くお住いの方によると、不景気のせいでモントリオールの街はさびれていく一方のようだが、この間叔父さん夫妻の金婚式のお祝いで出かけた時見たモントリオールは、私の目には全く違う風に映った。

高速を降りてから、目的のレストランを目指して、まっすぐ Rue Saint Denis を延々セント・ローレンス川近くまで下ったのだが、このモントリオールでも繁華な通りのひとつリュ・サン・ドニは、道の両側に古い建物がそのまま残り、それが店舗やレストランになっている。


This photo of Auberge le Jardin d'Antoine is courtesy of TripAdvisor


This photo of Auberge le Jardin d'Antoine is courtesy of TripAdvisor

写真はTripAdvisor さんからお借りした。深謝。

それが最近のクロームとガラス、あるいはコンクリートの箱に色を塗り、看板を掛けただけの郊外型店舗、レストランばかり見ている眼には、大変新鮮だった。パリやロンドン、あるいは京都など、古くからの街並みが残っている歴史ある街に暮らす人にとっては、当たり前のことかもしれない。しかし、やけに整然ときれいで西欧的で、ほんの100年ほど前には木と土と紙でできた建物に住んでいた片鱗すら感じさせない東京の繁華街や、古い建物がどんどん新しい建物に取って代わられ、4、5年も経つと昔の姿を思い出すことすら困難な香港を見慣れた目でこうした街並みを見ると、ああ、やはりたった4~500年でも、この街には歴史があるのだと思わずにはいられない。古い建物には古い記憶が染みつき、見るたびにそうした記憶を想起させる。そして記憶が想起され記憶されていくことによって、歴史が存在し出すのだ。記憶がないところに歴史など存在しない。だから古い建物が残っている/を残すということは、記憶を歴史を保存するということなのだ。

古い建物に住み続け、利用し続けるのは、容易ではないだろう。現在とは違う生活のために造られた建物なのだから、間取りも違えば寸法も違う。水道や下水の配管、電気の配線も、今の目から見れば機能的とは言えないだろうし、管や配線自体も古びて、しょっちゅう修理が必要だろう。それでもそうした建物に住み、あるいは店舗として利用し続けるのは、その不便や不都合に耐えるだけの価値があることだと思う。以前にも書いたが、街というのはそこに住む人々の精神の外在化なのだ。記憶を呼び覚ます建物に囲まれて暮らすのと、まっさらの四角いコンクリートの箱に囲まれて暮らすのでは、精神のありようが違ってくる。街が人を生むのだ。

人と言えば、レストランからの帰り、今度は Rue Saint Laurent を高速に向かって上ったのだが、夜10時過ぎ、零下の気温の中で、たくさんの若者たちがクラブの外で行列を作っていた。近くにUQAM(ケベック大学モントリオール校)があることから学生が多く、カルチエ・ラタンとも呼ばれるこの辺りだから、若者が多いのは当たり前だが、それにしたって気温は零下10度前後、風も吹いている。それなのにあちこちのクラブの前で、寒さに身をすくめながらも仲間と談笑しながら待ち、ドアが開くと嬉しそうにどっと中に入って行く。年月にさらされた古い石造りの建物と、ピアスだらけの顔の若者たちとの対比が、車の中から外を眺めている外来者の私の目には、ことのほか面白かったし、熱気を感じた。さびれたといってもモントリオール、まだまだ元気な部分もあるのだ。

そして実はパーティでも、私はその若い熱気に当てられた。古い造りの、レストランというよりはビストロといった雰囲気の店だったのだが、そこでのまずまずの食事の後、出席者はぞろぞろと店の反対側の小部屋に移動。叔父夫妻の娘(モントリオールっ娘、飲食業界遊泳歴×十年)が、知り合いの歌手を呼んでいたのである。食事の間から、ちらちら「なんだか、若い見慣れない子がいるな。B(娘)の友達かな」と思っていたのだが、確かに友達は友達でも、彼女はプロの歌手だった。ギター、コントラバス、パーカッションなどから成るバンドと共に、彼女が歌ったのは「Hymne à l'amour」「La Vie en rose」と言ったピアフの古いシャンソン。私は金婚式のパーティだから、その主題と出席者(平均年齢60歳超)に合わせてこの選曲なのかと思ったが、あとで調べるとどうやら彼女は専門のピアフ歌いらしく、あるヴィデオでは、敷石の上に「Signé Piaf」と題されたCDを並べ、そこでピアフを歌っていた。

彼女の歌い方は甘く、切なくというより、むしろエネルギッシュに攻撃的で、特に「Padam Padam」では、ほとんどパンクの歌い方のように聞こえ、部屋が小さかったせいもあって、スピーカのまん前に座ってしまった叔母様方の中には「ちょっとねえ」という人もいたが、私には最初の曲から彼女の歌い方が面白くて、目が輝やいてしまった。まあ、生の歌を聞くのは本当に久しぶりというせいもあったかもしれない。

途中で彼女はピアフだけでなく、スペイン語や英語の歌も歌ったが、歌い方はやっぱりエネルギッシュで、私はそうした彼女の歌を聞きながら、「この人はファドを歌ったら、ものすごく似合うかもしれない」と思っていた。彼女の「Canção do Mar」なんか、聞いてみたいなあ。

あんまり楽しかったので、最後、帰り支度をしている彼女のところへ行って大いに楽しんだ旨伝え、カードを貰って来た。そうでもしないと名前を覚えられそうもなかったからである。彼女の名前はAngélique Duruisseau 。ご興味がおありの方は、下のヴィデオをどうぞ。“もの凄くうまい”というわけではないが、間近で聞くとヴィデオとは違ってなかなか魅力的なのである。



また雪だ

先週、日中の気温が0度を超えるという暖かい日が2、3日続いて
物置の屋根の雪が融け、道路の雪も融けてアスファルト舗装が見え始めた。
「やったー、春だぜぇ!」と喜んで、いそいそと花の種や球根を買いに走り
土曜日にはそのうちの一部、ベコニアの球根を鉢に植え込んだというのに
何とその夕方からまた雪が降り始めた。
しかもこんこん、瑟瑟(ちょっと違うか)という感じに熱心に降り続き
一夜明けた日曜は、また一面の雪景色。
ったく、やってられねえぜ、と悪態のひとつもつきたくなる。

前の家の車なんか、半分かた雪に埋まってしまって
何とも哀れ。

やはりケベックの景色から雪を消すには
5月の声を遠くに聞くようにならないとだめなのか・・・

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人騒がせな

日曜日、ダウンタウンのウォル○ートと、もうひとつRという超小型百貨店に
爆発物を仕掛けたという電話があり、一時、客と従業員が避難するという騒ぎがあったそうだ。
私は日曜日は一日中家にいたので、そんなことがあったとは
翌日ジムで新聞を見るまで知りもしなかったのだが、
フランス語のクラスでもジョジアンがその短い記事を取り上げたので
ジムではざっと飛ばし読みしただけだった記事を
隅から隅まで入念に読むことになった。

記事によれば結局爆発物は見つからず、悪質ないたずらということだったようだが
それにしても人騒がせな話。
第一、人口5万もないような、こんな田舎町にある商店の客と従業員を、
偽電話で一時避難させたところで、何程のインパクトがあるというのか? 
全然わからん。
ウォル○ートはともかく、Rという店なんか、衣類から寝具、家具まで扱う百貨店とはいえ
売り場は1フロアしかないし、大して広くもない。
おまけに、いつ行っても客はあっちにぽつり、こっちにぽつりという感じで、10人もいない。
実にさびれたしずかーな店なのだ。こんな店を爆破してどうする?
おかしな話!と思っていたら、夕方には容疑者逮捕の続報がネットに出た。

それによると容疑者は当町在住のスティーヴン・××(英語系の姓名)という44歳の元軍人で
ウチの町だけでなく、ケベック市やモントリオール、オタワなど複数の街に
同様の電話を20本以上かけたらしい。
もちろん全部ガセで、実際に爆発物を置いたわけではないのだが
はた迷惑な話であることに変わりはない。

このスティーブン氏、もともと精神に深刻な問題がある方で、今までにも問題を起こしており
警察関係者の間ではよく知られた人物なのだそうである。
だからこそ最初の偽電話(4日)から数日で逮捕となったわけだが
私が嫌だなあと思ったのは、彼が電話をかけるにあたってアラブ系のアクセントで話し
しかも「ヒジャブ」と名乗ったこと。
それでなくても昨今の情勢から、アラブ系やイスラム教徒に対する風当たりがますます強くなって
(叔母さんの一人ですら、先日「モスレムは嫌い」と公言したのだ。たぶん個人的には
一人のモスレムも知らないだろうに)
たくさんの、ごく普通のアラブ系の人やイスラム教徒が迷惑し、
あるいは(身の危険は感じないまでも)、周囲のどことなくトゲのある視線に
不快な思いをしているだろうと思うと、その理不尽さと周囲の狭量に
こちらまで暗澹たる気分になりがちだというのに
その上さらにこれか。

まったく、精神疾患者のやったこととはいえ、社会の空気が色濃く反映されている点
「病人だから」では済まされない、いやらしさを感じる。

うれしい気持ち

異常に暖かかった日々が終わって、気温が元に戻った。
ただ今、12月30日(火)朝7時半の外気温はマイナス19.7℃。日中の最高気温はマイナス14℃だそうである。雪がなくなってむき出しになったデッキの床も、木の表面の水分が凍るのだろうか、霜でも降りたように白っぽく光っている。たぶん歩くと、寒いとき特有のきしきしした音を立てるのだろうと思う。

ところで今年のクリスマス、お義父さんからはデジカメを頂戴した。キャノンのパワーショットSX700HSというやつである。以前、自分で買ったデジカメはすでに齢10年。購入当初に比べ色がきれいに出ない、AFなのにピントが今ひとつなど老化の兆候を見せ始めていたので、そろそろ新しいのを買おうと色々サイトを見ていたところだった。なので、お義父さんから渡された四角い箱からデジカメが出てきた時には、正直大変うれしかった。

しかも光学30倍ズーム、Wi-Fi機能など、私が買おうかと考えていた機種よりはるかにスペックがよく、カメラにも写真にもおよそ詳しくない私には勿体ないような高機能。試しに庭にカメラを向けてみると、以前のカメラだったら点にしか見えないような距離にいる鳥でさえ、まるでカメラのすぐ先にいるような大きさに捉えることができ、しかも画像は鮮明。庭に来るリスや鳥を撮っては喜んでいる私のために、いろいろ考えて選んでくれたお義父さんの心遣いを、心から有難く思った。

で、問題はここからだ。私はカメラを貰ってすごく嬉しかったし、お義父さんに対して感謝の気持ちでいっぱいだったのだが、それをお義父さんにわかってもらうためには、言葉と態度にして表現しなければならない。私としては過剰なほどの言葉と態度で、表現しなければならない。控えめな言葉で感謝を表すのが床しいというような文化はここにはないし、まして言わぬが花、以心伝心なんかあり得ない。気持ちは、言わなければわからないのだ。

ところが、私は昔から嬉しい気持ちを表現するのが苦手である。子どもの頃から、母によく言われた。「お前は何かを買ってやっても、ちっとも嬉しそうな顔をしない。妹とは違って、まったくモノを買ってやりがいのない子だ」と。それは長じても変わらず、香港で働いていた頃も、モノを渡された後の私の顔を見た同僚(日本人)から「あ、要らなかったのなら正直にそう言ってね」と言われた。私はかなり嬉しく思っていたのだが、それが顔に全く現れていなかったらしい。冷静沈着といえば聞こえがよいが、こと喜びと謝意を表すべき場面では、実に損な性分である。

なのでこちらに来てお義父さん始め、雪だるまの家族と接するようになってからは、努めて過剰に感情を表現するよう努力してきた。謝意を表すなら、当然、ハグとキスつき。言語障壁により洗練された言葉づかいで謝意を表現できない分、プリミティブな言葉と身体表現でその不足を補うのである。今回のカメラも、クリスマス後の日曜日、ウチに遊びに来たお義父さんに、さっそく新しいカメラで撮った写真を見せ、ソフトをダウンロードしてWi-Fi機能が使えるようになった旨話し、と、「カメラを貰ってうれしい」気持ちを、種々の方法で伝えるべく努力した。そして今日はこれから某さんの誕生会で家族で集まるのだが、そこにもカメラを持って行って写真を撮る予定である。そのくらいしなくては、嬉しく思っている私の気持ちは伝わらない。というか、そこまでやっても、ジェリーなどは私の感情表現を“reserved(控えめ)”だと言うのである。じゃあ一体どこまでやれば“標準”になるのだ?と聞きたいくらいだが、聞いたところで私がその水準に達せるとは思えないので、聞くだけ無駄か。いずれにせよ、ここでは謝意の表現はオーバー過ぎるくらいで調度よい。私から見ると“白々しくも嘘嘘しい”ような感情表現でも、誰もそうは言わないのだから、およそ基準が違うのである。基準が違うところでは、その違う基準に合わせて事を行わなければならない。そうしないと真意が伝わらない。たとえ表現は嘘嘘しかろうと、「うれしい私の気持ち」は本当なのだから、それは是非とも伝えなくてはならないのだ。お義父さん、ありがとう。と、ここで言っても、伝わらないが。

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らうとら

Author:らうとら
ドロシー・L・セイヤーズ、ローリー・R・キング、P.D.ジェイムズ、ディック・フランシス、水村美苗、高村薫、戸塚真弓、ヘレン・ミレン、シャーロット・ランプリング、ソフィ・マルソー(40代以降に限る)、ヘレナ・ボナム・カーター、アンジェリーナ・ジョリー、三代目金馬、小さん、枝雀、エンヤ、クイーン、ドゥルス・ポンテス、マドレデウス、J・S・バッハ、ちあきなおみ、トケイ・ピノ・グリ、アール・グレイ、自転車(冬季を除く)、あらゆる犬と猫
以上、私を幸せにしてくれる方々(敬称略)

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